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2010年 03月 01日
トヨタ“推定有罪”の世論を作った 謎の人物とLAタイムズの偏向報道 ~『ザ・トヨタウェイ』著者の米大物学者が語る衝撃の分析! ジェフリー・ライカー・ミシガン大学教授 核心インタビュー 世界的な自動車研究の拠点・ミシガン大学の名物教授で、米国におけるトヨタ研究の第一人者でもあるジェフリー・ライカー博士が、独自の情報源から知り得たトヨタ・リコール問題の“深層”を語った。同氏は、今回の騒動はロサンゼルス(LA)タイムズと謎の人物ショーン・ケイン氏によるトヨタバッシング報道に端を発したものであり、巷間言われている製造エンジニアリングの根本的な問題ではないと断じる。この見方を、『ザ・トヨタウェイ』の筆者によるトヨタ擁護論とばかりも言い切れない。専門家ならではの冷徹かつ詳細な説明には、日本では報じられない数々の衝撃的な情報が含まれている。(聞き手/ジャーナリスト 大野和基) ジェフリー・K・ライカー (Jeffrey K.Liker) 世界的な自動車研究のメッカであるミシガン大学工学部産業およびオペレーション・エンジニアリング学科の教授。ジャパン・テクノロジーマネジメント・プログラム、リーン生産開発プログラムを同大学で創設。トヨタ自動車生産現場の人とモノのシステムを分析した著書『ザ・トヨタウェイ』は、新郷重夫賞を受賞した。ほかにもリーン生産や日本の製造業に関する著作、論文は多い。ノースイースタン大学で産業エンジニアリングを専攻、マサチューセッツ大学で社会学博士号を取得 ―米国現地時間で2月24日に行われた豊田章男社長が登壇した公聴会を観たか。 観た。 ―全体的な感想は? 豊田氏は、ひどく無礼な物腰の議員たちから悪意を持って攻撃された。議員たちは彼の会社を人を殺したとして(killing people)、露骨に非難し続けた。彼らに真実を知りたいという気持ちはなく、公聴会の前に、すでに豊田氏を裁いて有罪だと決めつけていた。 実際は、電子系統の欠陥のために急加速して誰かが亡くなったという証拠など一切ない。集団訴訟という法的な文脈において犠牲者という言葉があるだけだ。それなのに、(豊田氏は)まるですでに有罪になった殺人者のように扱われていた。彼が発するいかなる言葉も、彼に不利に扱われた。そんな針のむしろの状況で、豊田氏は真相の究明と会社の改善について真摯に取り組むと何回も冷静に繰り返した。彼は自分にそのこと(今回のリコール問題)について知識がないことは認めはしなかったが、決して保身の態勢に入らなかったことは良い。私は豊田氏の沈着と誠実、そして問題を解決しようとする真剣な姿勢にひどく感銘を受けた。 ―しかし表面上、トヨタは突然大きくよろめき始めているように見える。そもそも、アメリカ人はトヨタの何を問題視しているのか。 急加速問題に関する苦情は(トヨタに限らず)かなり以前からあったが、元をたどれば、ロサンゼルス(LA)タイムズのある記者がトヨタ車の加速問題に焦点を絞って調査を始めたことに(今回の一連の騒ぎは)端を発する。実はこの記者はショーン・ケインという人物と組んで、一緒に調査をした。資金はトヨタに対して集団訴訟をする弁護士たちが出している。 謎の人物ショーン・ケインの正体 ショーン・ケインはSafety Research and Strategiesというウェブサイトを持っていて、そこにトヨタ車での負傷事故などトヨタ車の安全に関する情報ばかりを載せている。彼は、この10年で、“意図せぬ急加速”で負傷した人が2000人以上、死亡した人が約18人いると言っている。ある女性がトヨタ車を運転していたら、突然加速し始め、木にぶつかったというような情報をたくさん持っている。その集団訴訟の主要証人が彼だ。 そしてLAタイムズの記者と一緒にメディアの力を使ってトヨタを叩いている。このLAタイムズの記者は、かなり前からトヨタの記事ばかり書いている。トヨタはこの10年で“意図せぬ急加速”のケースが20%増えたとか、市場シェアは(2010年1月実績で)14%なのに(急加速問題の)データの4割をトヨタが占めているとか書き立てている。つまり、トヨタの問題が異常に多いと主張している。 推測は入るが、(タイミングを考えても)こうした報道を受けて、NHTSA(米運輸省道路交通安全局)はトヨタを問題視するようになったと思う。その後、NHTSAはトヨタに、“意図せぬ急加速”に関してこれだけの報告があるが、何が問題かとトヨタに問い質した。だがトヨタが実際に調査を始めても、本当の問題の証拠が見つからなかったというわけだ。 実はNHTSAには、毎月3万件以上のこの種の苦情メールが届く。自分の車が勝手に加速したというたぐいのものだ。 NHTSAはその苦情を調べて整理しなければならないが、どれが本当でどれが嘘かわからない。彼らが見るのは傾向である。ある傾向が目立ってくると、自動車メーカーに何が起こっているのか問い質す。自動車メーカーはそれを受けて調査する。10年間でざっと2000件であれば、1年あたり200件。(調査しきれないほど)さほど大きな数字ではない。そこでトヨタは調べた。だが、フロアマット以外では何の問題も見つからなかったのだ。 トヨタによれば、米国では、世界のどの国よりも、ゴム製で黒色のall weather(全天候型)フロアマットの人気が高い。どんな天候にも耐えるし、泥や水で汚れても洗い落とすのが簡単なため、アメリカ人はそれを好んで使う。ここに、ひとつ重要な点がある。このマットを使うならば本来、時間をかけてクリップできちんと止める必要があるが、アメリカ人は床にポンと置くだけの場合が多いということだ。このゴム製マットはトヨタ製ではない。きちんとはまるものもあるが、そうではないものもある。 トヨタは、米国が“意図せぬ急加速”に関する苦情が他の国に比べて群を抜いて多いことに気付いた。そして、このゴム製のマットが引っ掛かったいくつかのケースを立証することができた。トヨタはNHTSAに対して「アメリカ人はこのゴム製のマットを使っていて、アクセル・ペダルをひっかけている」と伝えた。だがNHTSAはフラストレーションを感じていたのだろう。「他に何か原因があるに違いない」と言い返した。 電子制御不具合説がおかしいこれだけの理由 LAタイムズの記者とショーン・ケインは、“意図せぬ急加速”問題の増加はトヨタが電子制御スロットルシステム(wire electronic throttle system)を導入した時期と一致すると主張する。つまり、彼らは、電子制御スロットルシステムに問題があるというスタンスを取っている。一方のトヨタは、電子制御スロットルシステムの欠陥を見つけられないとの主張を繰り返している。トヨタは電磁気が強い発電所にまで持って行ってテストしたが、それでも何の問題もなかったという。 確かに技術的に見ればそうした不具合がトヨタ車に起きるとは私にも思えない。というのも、2つの異なったコンピューター・プロセッサがペダルに装備されているからだ。一方が他方とは異なるメッセージを受け取れば、電子制御スロットルを止めて、加速が止まる。だからトヨタにすればアクセルが勝手に加速するシナリオは考えられないのだ。 だがNHTSAは、LAタイムズの記者から追及を受け、その対応の遅さについて書きまくられ、ショーン・ケインからプレッシャーをかけられ続けた。一方、トヨタ側は電子制御スロットルシステムに欠陥があるという証拠はないと言い続けた。私の推測では、NHTSAは少し苛立って、トヨタが言い訳をしているように感じたのではないか。 ―トヨタ側に非はないということか。 こう答えよう。もちろん、サンディエゴで起きたレクサスの事故(家族4人が死亡)は悲惨なものだった。しかし、あのときメーカーの違うフロアマットを置いたのはレクサスのディーラーであり、しかも事故車は代車だった。問題は、ペダルにくっついたフロアマットだったのだ。 もっとも、この事故が、NHTSAとトヨタに大きなプレッシャーを与えたことはいうまでもない。トヨタは原因を調査し、一体自分たちに何ができるかと問うた。フロアマットに問題があるとすれば、本来それは顧客の使用方法の問題だ。人がどんなマットを車のフロアに置くかまでは(自動車メーカーには)コントロールできない。中にはマットの上にさらにマットを置く人もいる。つまり2枚使う人もいる。トヨタの設計ではペダルとマットの間のスペースは工場でマットがつけられた状態がちょうどいい具合になっている。しかし2枚使うと十分なスペースがなくなる。しかも、ゴム製のマットは普通のカーペットよりも分厚い。 そこでトヨタは基準変更を決定し、すべてのペダルについて全天候型マットを元のマットの上に置いてもスペースが十分確保できるようにした。そのやり方はペダルを切って短くすることだった。だから最初のリコールは、ペダルを短くすることだったのだ。 CTSのペダルもリコールの必要があったか疑問 トヨタは直ちに公示を出して、すべての顧客に実際に起こっていることを説明した。つまりマットに問題があるかもしれないから、この車を持っていたら、マットとペダルのスペースが十分ではないので、そのマットをトランクに入れてください、こちらから連絡するという公示を出した。 本来はマットを取りだす必要などない。マットがクリップで止められている限りはそのままで良いからだ。しかし、前述したとおり、現実にはクリップで止めていない人もいれば、その上に黒のマットを置いている人もいるため、トヨタは念には念を押してマットを取りだすように伝えたのだ。 しかし、これがネガティブに捉えられ、あっという間に大ニュースになった。品質で評判のトヨタに何か起きたのか?全米の報道機関が大々的に報じ始めた。他のメーカーの、黒の全天候型のマットがどうしてトヨタの品質に関係あるのか?はっきり言って何もない。しかし、トヨタは必要以上に慎重に対応した。その結果が、ネガティブ報道だった。 ―しかし、問題はフロアマットにとどまらない。その後も、次々と問題が明るみに出ている。 時系列にもう少し説明しよう。 (トヨタがNHTSAにフロアマットの取り外しなどの安全対策実施を通知した)10月、間の悪いことに、カローラなどにsticky(べとべとくっつく)ペダルの問題があることが分かった。米CTS社製のアクセル・ペダルだ。 CTSが作るペダルは複合材料でできていて、何年も経って摩耗したり、水滴にさらされるとペダルの戻りが遅くなる。そうなると、顧客はイライラする。ただ、ブレーキに問題はない。だから、トヨタは当初、リコールする気はなかった。 ところが、この問題にメディアが再び牙をむいた。トヨタ車を運転している人なら誰でも急加速してポールや他の車にぶつかるような書き方をした。トヨタ車を運転するのは安全ではないから、ガレージに入れておくようにというようなセンセーショナルな報道も増えていった。ちなみに、stickyペダルの問題が特定できたのは200万台のうち20台にすぎない。しかも、新車には問題はなく、かなり時間を経た旧モデルだった。 繰り返すが、200万台に20台だ。道路を渡っているときに車に轢かれる可能性の方がまだ高い。しかも、トヨタによれば、stickyペダルによる確認された事故はない。また、繰り返すが、ブレーキは効く。それでも、人はナーバスになるのだから、奇異な感じだ。 メディアは他社の同じ問題を黙殺! 結局、トヨタはリコールを決めて、そのことをNHTSAに伝えた。しかし、問題はそれで済まなかった。NHTSAはリコールだけでは不十分であり、“不具合”が直るまでは製造を止めるように言った。そして、トヨタが製造を1週間止めると、今度はメディアが「トヨタは品質に問題がある」「トヨタの車は安全ではないから、製造をやめた」と反応した。テレビでは、デイビット・レターマン(有名なショーのホスト)が「信号で止まってバックミラーを見ると、何が見えたと思う?トヨタだった。それは止まらずに私の車に向かってぶつかり、私は死ぬところだった」とジョークを言ったりもした。 そこに来て、プリウスのブレーキペダル問題が浮上した。トヨタによれば問題があるのは5台だけだという。ここでもトヨタは安全の問題とは思わなかった。というのも、レギュラーブレーキシステムには問題はなく、横滑り防止のABSが作動するような状況において、その前に少し(ブレーキの効きが)遅れる“感じ”がするというものだったからだ。(その遅れる感じ)は1秒以内だ。ちょっと変な感じはするが、危険ではない。ブレーキは効く。トヨタに限らず、エンジニアならば、リコールに値しないという判断を下すだろう。だが、トヨタはこの問題でも“秘密主義”だと罵しられ、結局はリコールに踏み切った。トヨタは良かれと思って1月に(ABSの)制御プログラムのアップデートを無償で行うと発表した。それがまたネガティブ報道の連鎖を呼んでいるのは周知のとおりである。 ここで疑問がわく。なぜ叩かれるのがトヨタだけなのか、と。なぜならフォードもフュージョン・ハイブリッドで、トヨタと同じブレーキシステムに関する不具合の苦情を受けている。だが、フォードはディーラーに修正の指示をしただけでリコールせず、しかもメディアはそのことをほとんど報じていない。また、ホンダは一部モデルがウィンドウ・スイッチ部分の不具合で発火する恐れがあるとして何十万台という車をリコールした。しかし、このケースもトヨタのような注目を集めなかった。ほとんど無視された。 ―なぜトヨタだけがこんなに耳目を集めているのか。 まずマスコミは、センセーショナルなストーリーを探している。サンディエゴの事故は非常に象徴的だ。また、トヨタは世界最大の自動車メーカーであり、品質と安全において高い評価を得ている。だから、ニュースストーリーとしておもしろい話になる。 タイガー・ウッズの浮気問題にはメディアが群がる。世界中で何人の人が浮気をしているか?浮気をしたからと言って新聞の一面には出ないだろう。ウッズがトップ記事になるのは、彼が有名であり、評判が良く、ヒーローであるからだ。 ―彼のイメージもクリーンだった。 そうだ。イメージがクリーンだったから、ニュース価値がある。クリーンイメージのある人が道を誤るとニュースになる。元々悪いイメージの人が道を誤ってもニュースにはならない。 もちろん、ホンダもクリーンなイメージを持っている。しかしホンダはビジネスのやり方が静かで目立たないし、世界最大の自動車メーカーではない。一方、トヨタはとにかく目立っている。“カイゼン”というモットーを持ち、他社が真似をしようとするくらいだ。 ―信用を取り戻すためには、トヨタは今何をすればよいか。 トヨタがやるべきことは、極めて明快である。まず問題を封じ込めること。それから解決だ。今すでに封じ込めのモードに入っているが、まだ終わってはいない。メディアからの攻撃、NHTSAからの攻撃、今は米国政府からの攻撃を受けている。トヨタは今攻められている。だからまず自分たちを守らないといけない。 今彼らにできることは、攻められるたびに「顧客を失望させて申し訳ない。すみませんでした。問題を解決します。リコールします」と守備モードで行くことだ。他にできることはないと思う。守備モードというのは、否定することではなく、問題があれば、「我々は間違いを犯した。だからリコールする」という意味だ。 現在のトヨタは、ガキ大将に殴られまくっているような状況だ。そのまま殴らせて我慢しなければならない。反撃するとさらに悪化する。NHTSAもメディアからトヨタに甘すぎると非難され、「トヨタはこの件で逃げ切ることはできない。市民の安全のために監視している」と厳しい警官のように行動し始めているのだから、今はとにかく我慢して謝罪するしかない。 プリウスのリコールも本来必要なかった ―プリウスは本来リコールする必要はなかったと思うか。 ノーマルな状況ではしないが、今はノーマルな状況ではない。 ―今の問題はトヨタの経営の方法論に起因するものだと思うか。 ニューヨーク・タイムズは、トヨタの問題について「何らかの問題があることはわかっていたが、それに注意を促したくない。なぜならそれは自分たちのイメージに悪いからという人がいる」からだと大々的に報じていたが、トヨタでリコールの決定に責任がある人が本当に今回の問題を隠そうとしていたかどうかは私にもわからない。そもそも、安全の問題なのかということもある。 ちなみに、私が集中的に研究してきたのはトヨタのエンジニアリングと製造の部分で、PRやリコール関連ではない。 質問に戻れば、今後豊田氏がイニシアティブをとって内部調査をすれば、会社の慣習で気に食わないことが出てくるかもしれない。それは直さなければならない。 トヨタ報道もやがては鎮静化し米国政府からの攻撃も止むことだろう。そうなれば、breathing room(一息つける時間)ができ、トヨタにも実際に問題を解決する余裕が出てくると思う。必然的に品質も安全性もさらに向上することになるだろう。すでにトヨタは一部高級車に限られていたブレーキ・オーバーライド・システム(アクセルとブレーキが両方踏まれた場合、アクセルが緩むシステム)をすべての車に順次搭載していくことを発表している。こうした動きは、他の自動車メーカーに対して、同レベルの安全対策を施すようプレッシャーをかけることになるだろう。 確かに、トヨタは優柔不断だった。事態に対応するのに時間がかかった。秘密主義で対応したという批判が出るのも無理はない。しかし、今回の一連の騒動が、トヨタの製造エンジニアリングの根本的な問題を示しているものだとは私は思わない。 <聞き手プロフィール> おおの かずもと 1955年兵庫県西宮市生まれ。東京外語大英米学科卒業後、1979~1997年在米。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学んだ後、ジャーナリストの道に進む。著書『代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳』(集英社)など。 http://diamond.jp/series/dol_report/10036/ ▲
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| 2010-03-01 19:17
2008年 08月 30日
2008.8.20 07:58 ■外来語の1割が日本からの“輸入” ![]() 「中華人民共和国 共産党一党独裁政権 高級幹部指導社会主義市場経済−という中国語は中華以外すべて日本製(語)なのをご存じですか」−。東京都台東区の中国語講師、劉美香さん(51)からこんなお便りをいただいた。産経新聞の「朝の詩」と「産経抄」を教材に毎日、音読と書き写しで日本語を磨くという劉さん、「明治時代の日本人が、欧米の学問を漢字で翻訳してくれたから、当時の中国は世界を理解できた。平仮名や片仮名に翻訳されていたら今ごろ、中国はどうなっていたでしょうね」。(特集部 押田雅治) 中国語には約1万語の外来語があり、その大半が「仏陀(ぶっだ)」や「菩薩(ぼさつ)」「葡萄(ぶどう)」「琵琶」などインドやイランなど、西域から入った言葉といわれている。 その残り1割、1000語余が清朝末期以降、日本から取り入れた言葉で、社会科学や自然科学などの学術用語の約7割が、英語やドイツ語などから翻訳した和製漢語といわれている(『現代漢語中的日語“外来語”問題』・王彬彬著)。 日本語導入のきっかけは、欧米列強によって亡国の危機感に襲われていた清朝の志士たちの「日本に学べ」の精神だった。 王氏は「われわれが使っている西洋の概念は基本的に日本人がわれわれに代わって翻訳してくれたものだ。中国と西洋の間には、永遠に日本が横たわっている」(同著)と指摘。日中戦争が始まる1937年までの40年間に、留学生だけでも延べ6万人が来日。明治維新を経て近代化を急ぐ日本で西欧を学び、そして和製漢語を取り入れたのである。 本来、漢字だけで成立する中国語が外来語を取り入れる場合、「電視機」=テレビや「電氷箱」=冷蔵庫などの意訳型と、「可口可楽」=コカ・コーラなど音訳型の2つに大別される。 当時の日本が欧州の言葉を日本語に翻訳する場合はほとんどが意訳だったため、和製漢語でも、漢字本来の意味を踏まえて翻訳した「哲学」や「宗教」などは中国人にも理解しやすかったようだ。 ただ、中には「経済」のように、本来の意味と異なり、混乱した言葉もあった。元になった中国の古語「経世済民」は、「世の中を治め、人民の苦しみを救う」という政治を意味する言葉だったため、中国人が考えた「計学」や「資生学」などと共存した時期もあったという。 劉さんは「不倫や電話詐欺など“悪い言葉”や癌(がん)などの医学用語も含め、日本語はいまなお、中国語に大きな影響を与えています。漢字は中国で生まれましたが、その漢字を生かした和製漢語のおかげで中国は世界を知り、学ぶことができたのです。この事実を多くの日本、そして中国の人に知ってもらいたい」と話している。 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080820/acd0808200759005-n1.htm 漢字が表す二つの世界 漢字と格闘した古代日本人 外来語を自在に取り込める開かれた国際派言語・日本語は漢字との国際的格闘を通じて作られた。 ■1.日本語と近代中国■ 中国の外来語辞典には、「日本語」とされているものが非常 に多い。そのごく一部を分野別に拾ってみると: 思想哲学: 本質、表象、理論、理念、理想、理性、弁証法、 倫理学、倫理学、、、 政治軍事: 国家、国民、覇権、表決、領土、編制、保障、 白旗、、 科学技術: 比重、飽和、半径、標本、波長、力学、博士、 流体、博物、列車、変圧器、冷蔵、 医学: 流行病、流行性感冒、百日咳、 経済経営: 不動産、労動(労働)、舶来品、理事、保険、 標語、例会、 博士などは、昔から中国にあった言葉だが、近代西洋の "doctor"の訳語として新しい意味が与えられ、それが中国に輸 入されたのである。 日本が明治維新後、西洋の科学技術、思想哲学を導入する際 に、各分野の概念、用語を表す数千数万の和製漢語が作られ、 それらを活用して、欧米文献の邦訳や、日本語による解説書、 紹介文献が大量に作成された。中国人はこれらの日本語文献を 通じて、近代西洋を学んだのである。 軍事や政治の用語は、日露戦争後に陸軍士官学校に留学する 中国人が急増し、彼らから大陸に伝わった。後に国民党政府を 樹立した蒋介石もその一人である。当時はまだ標準的な中国語 は確立されていなかったので、各地の将校達は日本語で連絡し あって革命運動を展開し、清朝打倒を果たした。 さらに中共政府が建前としている共産主義にしても、中国人 は日本語に訳されたマルクス主義文献から学んだ。日本語の助 けがなかったら、西洋の近代的な軍事技術や政治思想の導入は 大きく遅れ、近代中国の歴史はまったく異なっていただろう。 ■2.外国語を自在に取り込んでしまう日本語の柔軟性■ 日本人が文明開化のかけ声と共に、数千数万の和製漢語を作 りだして西洋文明の消化吸収に邁進したのは、そのたくましい 知的活力の現れであるが、同様の現象が戦後にも起きている。 現在でもグローバル・スタンダード、ニュー・エコノミー、ボ ーダーレスなどのカタカナ新語、さらにはGNP、NGO、I SOなどの略語が次々とマスコミに登場している。 漢語を作るか、カタカナ表記にするか、さらにはアルファベ ット略語をそのまま使うか、手段は異なるが、その根底にある のは、外国語を自由自在に取り込む日本語の柔軟さである。 漢字という表意文字と、ひらがな、カタカナという2種類の 表音文字を持つ日本語の表記法は世界でも最も複雑なものだが、 それらを駆使して外国語を自在に取り込んでしまう能力におい て、日本語は世界の言語の中でもユニークな存在であると言え る。この日本語の特徴は、自然に生まれたものではない。我々 の祖先が漢字との格闘を通じて生みだしたものである。 ■3.文字のなかった言語■ 漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にか けてというのが通説である。その当時、土器や銅鐸に刻まれて 「人」「家」「鹿」などを表す日本独自の絵文字が生まれかけ ていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。 しかし、言語は本来が話し言葉であり、文字がなければ原始 的な言語だと考えるのは間違いである。今日でも地球上で4千 ほどの言語が話されているが、文字を伴わない言語の方が多い。 文字を伴う言語にしても、そのほとんどは借り物である。 アルファベットは紀元前2千年頃から東地中海地方で活躍し たフェニキア人によって作り出されたと言われているが、ギリ シア語もラテン語もこのアルファベットを借用して書けるよう になった。現代の英語やロシア語も同様である。逆に言えば、 これらの言語もすべて文字は借り物なのである。 わが国においても文字はなかったが、神話や物語、歌を言葉 によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達 していた。今日、古事記として残されている神話は、古代日本 人独自の思想と情操を豊かにとどめているが、これも口承によ って代々受け継がれていたのである。 ■4.古代日本にアルファベットが入っていたら■ アルファベットは表音文字であるから、どんな言語を書くに も、それほどの苦労はいらない。現代ではベトナム語も、マレ ー語もアルファベットを使って表記されている。 古代日本人にとっても、最初に入ってきた文字がアルファベ ットだったら、どんなに楽だったであろう。たとえばローマ字 で「あいうえお」を書いてみれば、 a i u e o ka ki ku ke ko sa si su se so などと、「a i u e o」の5つの母音と、「k s 、、」など の子音が単純明快な規則性をもって、日本語のすべての音を表 現できる。漢字が入ってきた頃の古代の発音は現代とはやや異 なるが、この規則性は変わらない。日本語は発音が世界でも最 も単純な言語の一つであり、アルファベットとはまことに相性 が良いのである。 ■5.日本語は縁もゆかりもない漢語と漢字■ ところが幸か不幸か、日本列島に最初に入ってきた文字は、 アルファベットではなく、漢字であった。「漢字」は黄河下流 地方に住んでいた「漢族」の話す「漢語」を表記するために発 明された文字である。そしてあいにく漢語は日本語とは縁もゆ かりもない全く異質な言語である。 語順で見れば、日本語は「あいつを殺す」と「目的語+動 詞」の順であるが、漢語では「殺他」と、英語と同様の「動詞 +目的語」の順となる。 また日本語は「行く、行った」と動詞が変化し、この点は英 語も「go, went gone」と同様であるが、漢語の「去」はまっ たく変化しない。発音にしても、日本語の単純さは、漢語や英 語の複雑さとは比較にならない。似た順に並べるとすれば、英 語をはさんで漢語と日本語はその対極に位置する。 さらにその表記法たる「漢字」がまた一風変わったものだ。 一つの語に、一つの文字を与えられている。英語のbigという 語「ダー」を「大」の一字で表す。bigという「語」と、ダー という「音」と、大という「文字」が完全に一致する、一語一 音一字方式である。さらに、英語では、big, bigger, bigness、 日本語では「おおきい」「おおきさ」「おおいに」などと語が 変化するのに、漢語はすべて「ダー」と不変で、「大」の一字 ときちんと対応している。漢字は漢語の特徴をまことに見事に 利用した最適な表記法なのである。 たまたま最初に接した文字が、日本語とはまったく異質な漢 語に密着した漢字であった所から、古代日本人の苦闘が始まる。 ■6.漢字との苦闘■ 漢字に接した古代日本人の苦労を偲ぶには、イギリス人が最 初に接した文字がアルファベットではなく、漢字であったと想 定すると面白いかもしれない。英語の語順の方が、漢語に近い ので、まだ日本人の苦労よりは楽であるが。 イギリス人が今まで口承で伝えられていた英語の詩を漢字で 書きとどめたいと思った時、たとえば、"Mountain"という語を どう書き表すのか? 意味から「山」という文字を使えば、そ れには「サン」という漢語の音が付随している。「マウンテ ン」という英語の荘重な響きにこそ、イギリス人の心が宿って いるのに、「山」と書いたがために「サン」と読まれてしまっ ては詩が台無しである。 逆に「マウンテン」という「音」を大切にしようとすれば、 「魔運天」などと漢字の音だけ使って表記できようが、それぞ れの漢字が独自の意味を主張して、これまた読む人にとっては 興ざめである。 英詩には英語の意味と音が一体になった所に民族の心が宿る。 それが英語の言霊である。古代日本人にも同じ事だ。漢字は一 語一音一字という性質から、それ自体に漢人の言霊が宿ってお り、まことに他の言語にとっては厄介な文字であった。 ■7.言語と民族の心■ こういう場合に、もっとも簡単な、よくあるやり方は、自分 の言語を捨てて、漢語にそのまま乗り換えてしまうことだ。歴 史上、そういう例は少なくない。 たとえば、古代ローマ帝国の支配下にあったフランスでは、 4世紀末からのゲルマン民族の大移動にさらされ、西ゲルマン 系フランク人が定住する所となった。フランク人は現代のドイ ツ語と同じ語族に属するフランク語を話していたが、文化的に 優勢なローマ帝国の残した俗ラテン語に乗り換えてしまった。 これがフランス語の始まりである。 英語も1066年フランスの対岸からやってきたノルマン王 朝に約300年間支配され、その間、フランス語の一方言であ るノルマン・フランス語が支配階級で使われた。英語はその間、 民衆の使う土俗的な言語のままだった。今日の英語の語彙の 55%はフランス語から取り入れられたものである。そのノル マン人ももとはと言えば、900年頃にデンマークからフランス 北西岸に植民したバイキングの一派であり、彼らは北ゲルマン 語からフランス語に乗り換えたのである。 こうして見ると、民族と言語とのつながりは決して固定的な ものではなく、ある民族が別の言語に乗り換えることによって、 その民族精神を失ってしまう、という事がよくあることが分か る。前節の例でイギリス人が漢語に変わってしまったら、「や ま」を見ても、"mountain"という語と音に込められた先祖伝来 の言霊を全く失い、「山」「サン」という漢人の心になってし まっていたであろう。 ■8.カタカナ、ひらがなと訓読みの発明■ 漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面し ていた危機は、文字に書けない日本語とともに自分たちの「言 霊」を失うかも知れない、という恐れだった。しかし、古代日 本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に 抵抗し、なんとか日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表 そうと苦闘を続けた。 そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無 視してしまうという知恵だった。英語の例で言えば、mountain を「末宇无天无」と表記する。「末」の意味は無視してしま い、「マ」という日本語の一音を表すためにのみ使う。万葉集 の歌は、このような万葉がなによって音を中心に表記された。 さらにどうせ表音文字として使うなら、綴りは少ない方が効 率的だし、漢字の形を崩してしまえばその意味は抹殺できる。 そこで「末」の漢字の上の方をとって「マ」というカタカナが 作られ、また「末」全体を略して、「ま」というひらがなが作 られた。漢人の「末」にこめた言霊は、こうして抹殺されたの である。 日本人が最初に接した文字は不幸にもアルファベットのよう な表音文字ではなく、漢字という表語文字だったが、それを表 音文字に改造することによって、古代日本人はその困難を乗り 越えていったのである。 しかし、同時に漢字の表語文字としての表現の簡潔さ、視覚 性という利点も捨てきれない。mountainをいちいち、「末宇无 天无」と書いていては、いかにも非効率であり、読みにくい。 そこで、今度は漢字で「山」と書いて、その音を無視して、mo utainと読んでしまう「訓読み」という離れ業を発明した。こ うして「やま の うえ」という表現が、「山の上」と簡潔で、 読みやすく表現でき、さらに「やま」「うえ」という日本語の 言霊も継承できるようになったのである。 ■9.日本語の独自性と多様性■ こうして漢字との格闘の末に成立した日本語の表記法は、表 音文字と表語文字を巧みに使い分ける、世界でももっとも複雑 な、しかし効率的で、かつ外に開かれたシステムとして発展し た。 それは第一に、「やま」とか、「はな」、「こころ」などの 神話時代からの大和言葉をその音とともに脈々と伝えている。 日本人の民族文化、精神の独自性はこの大和言葉によって護ら れる。第二に「出家」などの仏教用語だろうが、「天命」とい うような漢語だろうが、さらには、「グローバリゼーション」 や「NGO」のような西洋語も、自由自在に取り入れられる。 多様な外国文化は「大和言葉」の独自性のもとに、どしどし導 入され生かされる。 外国語は漢字やカタカナで表現されるので、ひらがなで表記 された大和言葉から浮き出て見える。したがって、外国語をい くら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はな い。その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた 文明を吸収できる。これこそが古代では漢文明を積極的に導入 し、明治以降は西洋文明にキャッチアップできた日本人の知的 活力の源泉である。 多様な民族がそれぞれの独自性を維持しつつ、相互に学びあ っていく姿が国際社会の理想だとすれば、日本語のこの独自性 と多様性を両立させる特性は、まさにその理想に適した開かれ た「国際派言語」と言える。この優れた日本語の特性は、我が 祖先たちが漢字との「国際的格闘」を通じて築き上げてきた知 的財産なのである。 (文責:伊勢雅臣) http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html 【噴水台】造語後進国 中国共産党が日本の帝国主義と国民党をはね除けて広大な大陸を掌握し1949年新政権を樹立する際、国名を決める問題で頭を悩ませたそうだ。 共産主義の理念を具現する人民の国家という意味を盛り込まなければならないが、漢字でできた近代的な概念語の大半が日本製だったからだ。特別な代案もなかったために、結局自尊心を捨てて「中華人民共和国」と定めたわけだ。 「中華」は中国製だが、「人民(people)」と「共和国(republic)」は日本製単語だ。明治維新(1868年)を前後とし、西欧の文物と思想を率先して輸入した日本の知識人らの血のにじむような努力が、漢字宗主国の国名にまでに影響を及ぼしたわけだ。 我々が日常的に使っている漢字語のなかには、開化時代、日本が作った用語が数え切れないほど多い。文化、文明、思想、法律、経済、資本、階級、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義…。 明治時代の思想家である福沢諭吉は、こうした造語に貢献した代表的な人物だ。speech→演説、debate→討論、copyright→版権、などの訳語が福沢の作品だ。 韓国人に耳慣れた単語である「民族」も、正してみると宮崎という日本人が1880年代にフランス語「Assemblee Nationale(フランス下院)」を「民族会議」と翻訳したところから始まったものだという説が有力だ。「民族」は1890年代に入って初めて韓国語に編入された。 100年以上経った今、少なくない学者らは、日本がつくった概念語を翻訳過程の苦悩と試行錯誤を省略し、結果物だけを受け入れた韓国社会の「知的ぜい弱性」を新たに指摘している。例えば「society」の日本製訳語「社会」を使う韓国人は、単語本来の意味をきちんと消化できないということである。 いずれにしても、すでに受け入れたものは仕方ない。しかし、今からでも訳語であれ造語であれ、なるべく正確かつ美しくする努力をすべきではなかろうか。 政界で「特権層の同盟」「極右同盟」「殺民政権」といった険悪な造語を乱発したり、「サクラ(注:野党議員が与党議員と裏で結託するという意味の俗語)」のように日本色の濃い以前の政界用語まで使っているのを見る限り、韓国人は依然として「造語後進国」と言わざるを得ない。 盧在賢(ノ・ジェヒョン)政治部次長 2001.07.05 22:00:21 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=17073&servcode=100§code=100 韓国に「自由」も「民主主義」も必要なし http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=971984 ▲
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| 2008-08-30 17:51
2008年 06月 07日
【正論】拓殖大学大学院教授・森本敏 「クラスター禁止条約」参加に反対 2008.6.6 03:18 ≪基本的な国家防衛兵器≫ わが国にはどうして、こうも似非(えせ)平和主義者が多いのか。戦争に負けたからと言っても、その負の遺産を持ち続けることはいい加減におしまいにすべきである。平和を口にしておけば平和が達成できるという幻想は現実の国際政治では成り立たない。むしろこうした態度こそ国家と国民にとって裏切り行為であることは、国家が危機に遭遇すればはっきりする。それを理解しないか、理解しない振りをしているのは真の平和主義者ではない。 この好例がクラスター弾禁止条約参加である。この条約にわが国は参加すべきではない。政府が署名しても国会はこれを批准すべきでない。 わが国は各国が防衛予算を増加させている中で、例外的に予算削減傾向にある。その予算を有効に活用し国家の防衛を行うため自衛隊が保有しているクラスター弾は基本的に防御兵器である。1発に多数の子弾をいれたクラスター弾は相手が着上陸した場合に、面を制圧してこれを防ぐに有効な兵器である。その抑止効果は大きく、これを多数の人員と他の兵器で代替するのは容易でない。 このクラスター弾は確かに不発弾が1割くらいでるという欠陥をもっている。しかし、わが国で使用する場合、その地域から国民保護法によって一般の人は避難しており、使用後は自衛隊が十分に不発弾処理する計画であり、こうした処理が不十分な東欧・中東・湾岸における民間人被害の例を引き合いに出すことは適当でない。当然のこととして、わが国にはこれを敵地に使用することもない。 ≪欧州諸国と異なる事情≫ 言うまでもなくわが国は海岸線が長く、自衛隊員も限られた人員しかない。この兵器は本土防衛だけでなく離島防衛にも有効である。フォークランド紛争ではイギリスがこれを使用して作戦を有利に導いた例もある。 わが国にどこから侵略があるのかという議論をする人がいるが、クラスター弾を保有している中国、韓国、北朝鮮、ロシア、米国は禁止条約に参加もせず、条約を議論する会合にさえ出ていない。これらの国には侵略の脅威があり、わが国に侵略がないと考えるのは現実世界を理解しない空想主義である。こういう人に国家の防衛や安全保障を語る資格はない。 欧州諸国でこの条約に参加する国が多いが、例えば、東欧諸国など禁止条約に参加しない地域においてクラスター弾を使用すれば問題はなく、NATO(北大西洋条約機構)の軍事作戦に大きな支障はない。NATOは冷戦後に参加国の領域を守るのではなく、領域外に多国籍軍を編成・派遣して作戦を行うことによって欧州の安全を維持する任務に従事している。 アジアのように自国周辺に脅威や危険がある地域の安全保障を欧州と同じ論理で論じられない。しかも、今回はかつての対人地雷禁止条約において活躍したNGO(非政府組織)が猛烈な禁止条約採決運動を行っているのに各国政権が迎合しているに過ぎない。ドイツなどはクラスター弾の定義から技術的に高度なものを例外扱いにすべく提案したが、この例外扱いになる爆弾を製造しているのはドイツであり、クラスター弾が禁止された後のドイツ製兵器の売り込みが理由である。 ≪米軍の輸送・訓練に障害≫ このようにクラスター弾の定義には異論があり、自己破壊機能や誘導装置機能がなく信頼性・正確性のないものだけが禁止条約の対象となっている。こういう欧州の実態を知りながらアジアの戦略環境もわきまえず、国家の防衛や安全保障手段を損なうような禁止条約に対し、超党派議員がクラスター爆弾禁止議連など編成して反対運動を行っているのは笑止千万である。 兵器が非人道的であるのは当たり前である。クラスター弾や対人地雷は一挙に人間の生命を奪わないから非人道的だという論理があるが、それでは一挙に生命を奪う兵器が人道的なのか。一般人が被害にあうから非人道的だというのも納得がいかない。多くは兵器の管理が極めて不十分な国の例を挙げて非戦闘員の被害を説明しているが自衛隊をもっと信用したらどうか。 この条約参加により保有兵器を廃棄するにも経費がかかるし、わが国を守るため活動する在日米軍の作戦活動にも大きな支障がでる。少なくとも米軍が日本国内で行う輸送や訓練に障害がでることは避けられず、日米同盟関係に重大な問題を提起する。 いずれにしても兵器はこれを自国の防衛のためにいかに抑止に活用し、管理し、国民の生命を救うかという観点から装備しているのであって、かかる兵器を禁止することが人道的だというのは非武装中立論者のすることである。(もりもと さとし) http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080606/plc0806060322000-n1.htm 【主張】クラスター禁止 どうする安全保障の空白 2008.6.1 03:30 クラスター(集束)爆弾の事実上の全面禁止を定めた条約案が、ダブリンで開かれていた国際会議で採択され、日本政府も支持を表明した。 これまで全面禁止案を受け入れなかった日本の方針転換は、福田康夫首相の意向とされているが、少なからぬ問題点をはらんでいることを指摘しておきたい。 第一は、日本の平和と安全が確保できるのかどうか。日本はこれまで、侵攻してきた敵を海岸線で撃退する防御兵器として保有してきた。万一の場合、海岸線が長くて離島の多い日本にとってはほとんど唯一の有効な兵器だ。 条約により自衛隊の保有分はすべて禁止の対象となるが、冷戦が色濃く残る北東アジアで、あらゆる事態に対処できる軍事的能力を日本だけが持たないという危うい構図が出現する。 日本は保有分を8年以内に廃棄する義務を負う。条約は目標識別能力と自爆装置が付いた最新型を除いたが、日本はこの導入か、新型を開発するにしても10年程度、国土防衛に空白が生ずる。廃棄費用だけでも数百億円かかる。日本は代替兵器が装備されるまでの移行期間を求めたが、条約には盛り込まれなかった。残念である。 条約の実効性の問題もある。主要な保有国である米国、ロシア、中国、イスラエルなどは会議に参加すらしていない。全面禁止は現実的でないと考えているためだ。結果として主要国も使用を躊躇(ちゅうちょ)する傾向はあるだろうが、クラスター爆弾の効果的な規制はかえって困難になった一面もある。 一方で条約加盟国は非加盟国との「軍事協力・作戦に関与できる」との条文が追加された。米軍がクラスター爆弾を使用する可能性のある日米共同作戦への自衛隊の参加・協力は可能となる。米軍の抑止機能が一応確保される。 クラスター爆弾は殺傷力が高く、不発弾による痛ましい事故が相次いでいる。日本は被害者支援や不発弾処理などに最大限努力すべきである。 だが一方で、国家として国民の生命と財産を守る責務を負っている。英国などが賛成に転じたことも日本の判断に影響を与えたようだが、日本が置かれている厳しい安全保障環境を考えれば、別の選択肢もあったはずだ。 12月に開かれる条約の調印式まで時間はある。将来に禍根を残さない慎重な対応を求めたい。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080601/plc0806010332001-n1.htm ▲
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| 2008-06-07 15:31
2008年 02月 10日
経済アナリスト 森永 卓郎氏 2008年1月21日 日本株の下落が止まらない。1月18日の日経平均株価の終値は1万3861円29銭。前日比77円84銭(0.56%)高となったとはいえ、昨年末に比べると1446円も下げてしまった。21日はさらに落ち、午前終値は1万3395円28銭である。 株下落の原因は、米国の失業率が予想以上となり景気後退懸念があること。そして、サブプライムローン問題が米国の金融機関に予想以上の赤字をもたらしたことが挙げられる。さらに、そのなかで円高が進行しているために、日本にとってダブルパンチとなったわけだ。このままでは日本経済はダメになるという連想が働いたのは、確かに間違いではない。 しかし、納得できないこともある。本家の米国のダウが、この間に8.8%の下落率であったのに対して、日本株はそれを上回る10%以上の下落率となっていることだ。 まさに日本経済への悲観が極まった形といえよう。現に、メディアに登場する評論家たちは口を揃えて「日本は没落した」「日本に未来はない」という。だが、それは本当なのだろうか。 結論から言えば、いま株式市場で起こっている事態はオーバーシュート、つまり、相場が行き過ぎた展開であるとわたしは見ている。数字を一つ一つ検討していけば、現在が異常な状態であることが理解できるだろう。異常な状態は、いつか必ず正常な状態に戻ることは疑いがない。 日本経済が没落していると言う評論家たちは、表層的な現象だけを見て言っているに過ぎない。さもなければ、何か魂胆があってそう言っているではないかと、わたしには思えるのだ。 日本の株価は過小評価されている わたしは去年から、株価が1万2000円台まで下落することもあり得ると言ってきた。しかし、その後に劇的に回復するとも言っている。なぜかといえば、これから外資が日本株を買いにくると考えているからだ。理由は明らかである、実態にくらべて日本の株価がとんでもなく安いからである。 現在、日本経済は二つの面で過小評価されている。 その一つは、株式時価総額に対する名目GDPの割合である。実際に、日米両国についてこの割合をくらべてみよう。ただし、時価総額はすぐには発表されないので、1月11日時点で計算したものだ。 米国の株式時価総額は、1月11日現在で、ニューヨーク市場とナスダックを合わせて、15兆2343億ドルと推定される。これは名目GDPの1.38倍にあたる。 一方、東証の時価総額はマザーズを含めて451兆円で、名目GDPの88%に過ぎない。これは明らかにおかしい。日本の金融市場の発達の度合いは、ほぼ米国並みとなっている。しかも、市場経済化が進んでいない中国でさえ1.5倍だ。 確かに、非上場企業はこの数字に含まれていないが、それを考慮に入れても、日本全体の時価総額が名目GDPを下回るという状況は納得がいかない。 バブル時代に時価総額がニューヨーク市場を上回るという事態が起きたことも異常だったが、現在の状況もまた異常である。 仮に、日本の株式時価総額のGDP比が、米国並みになるとすれば、それだけで株価が57%上昇しなければならないことになる。日経平均に換算すると、2万2219円の水準だ。いかに現状が安すぎるかがお分かりになるだろう。 為替レートも過小評価されている 第二の過小評価は為替だ。ここにきて為替が円高になったといって騒いでいるが、わたしに言わせれば、去年までの1ドル=120円というのが、どう考えても異常であった。現在は、単にその調整が進んでいるに過ぎない。 経済学でいう「購買力平価」という考え方に基づけば、まだまだ円は安い。購買力平価というのは、自国通貨と外国通貨の購買力に合わせて、為替レートが決定されるという考え方だ。 基準とする年をいつにするのかは難しい問題だが、仮に10年前との比較をしてみよう。すると、米国はこの10年間で消費者物価が30.1%上昇しており、日本は1.9%下落している。 これはどういうことかと言えば、米ドルはその価値を30.1%失い、日本円は価値を1.9%高めたということになる。これを日本の物価を基準にして計算すると、米国の物価はこの10年間で相対的に32.7%高くなっていることになる。そこで、この分を為替で調整しなくてはならないというのが、「購買力平価」の考え方である。 ところが、実際はどうか。1997年11月末の円ドルレートが127円だったのに対して、昨年11月末のレートは110円となっている。つまり、10年間で円高は15.4%しか進んでいないのだ。そのために、異常な事態が起きてしまっている。 日本人にとって欧米の物価は異常に高くなってしまったのだ。マクドナルドのセットを注文すると、米国でも欧州でも1000円以上。タクシーの初乗りも1000円を超える。ロンドンの地下鉄に至っては、初乗りが4ポンド、つまり800円以上である。 逆に言えば、外国人旅行者にとって、日本は非常に物価が安い国になっている。現に、おびただしい数の外国人旅行者が日本にやってきているのは、ご存じの通りだ。新しく有楽町にペニンシュラホテルというホテルが出来たのだが、そこは1泊7万~8万円というとんでもない値段がつけられている。いったい誰が泊まるのかと思うのだが、これが外国人で賑わっているという。 それというのも、為替レートにからくりがあるからだ。円で考えるから高いのであって、ドルやユーロに換算すれば、さほど高くないホテルなのである。 日本株はドル建てで1.81倍に大化けする? では、10年前の購買力平価が成り立つためには、1ドルがいくらになればいいのか。それは、1ドル=96円である。現状からさらに10%以上の円高が進まなければならないのだ。それではじめて、10年前の状態に戻る。 製造業は「とんでもない」と言うかもしれないが、1997年はそのレベルでやっていたのである。1997年は特に円高だったわけではない。逆に言えば、それでやっていかなくてはならないのだ。 もちろん、購買力平価を考える場合、いつの時点を基準にとるかについては意見が分かれるところだが、大方の専門家は、80~90円台が適正為替だと見ているようだ。 さきほどは、株式時価総額が米国並みの名目GDP比率になれば、日経平均は2万2219円になると述べた。それに加えて、ドルベースで考えると、この円高もリターンに加えることができるから、日本の株価と為替が本来の水準に戻るだけで、ドル建ての日本株投資は現在の1.81倍に化ける可能性があることが分かる。 さあ、これだけの高いキャピタルゲインが得られるチャンスを、投機資金が見過ごすはずがないだろう。彼らの投機対象が枯渇してきている現状を踏まえれば、なおさらだ。 このまま株価下落が進むと、現在商品投機に向かっている世界の投機資金が日本株に向けられ、安値で買い占められてしまうのではないかとわたしは考えている。そして、その後、株価が本来の水準に戻っていくことにより、また巨額の利益をハゲタカに持っていかれてしまうのではないか。 株を買うなら安値圏にあるうち さて、あなたがここでハゲタカ側の代表者となったとして、どういう意見を述べるのが適切か考えていただきたい。 正解は次のような発言だ。「日本には未来がない。こんな国の株を買っていたら大損をする」。これから日本株を買うのだから、株価を下げるように誘導すればいいのである。そうして底値になったところで株をごっそりと買い、株価をつり上げてから売るわけだ。 そう考えると、冒頭で述べた「日本はダメだ」と論評している評論家は、こうしたハゲタカの片棒をかついでいる人たちではないかと勘繰りたくなってくる。さもなければ、まったく経済を分かっていない評論家のどちらかだろう。 冷静に考えれば、本当に日本がダメかどうかは判断がつくだろう。米国製の車や冷蔵庫を欲しいという人がどれだけいるだろうか。それに対して、日本の車や冷蔵庫なら、いくら高くても欲しいという人は世界にいくらでもいる。 ましてや、日本の工作機械、時計、計測機器の評価が、大きく落ちたとは思えない。先進国のなかで、日本の技術が落ちたわけではけっしてないのだ。 こうした状況を考えてみれば、少なくとも株価も為替も、いつかは本来の水準に戻るはずだということが分かるだろう。 わたしは、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」で予想しているわけではない。あるべき姿に戻るとどうなるかを述べているだけである。そして、本来の水準に戻ると、前述したように、ドル建てでみると日本の株価は8割上がるのが必然なのである。株を買うなら今である。 そもそも株でもうけようとしたら、安値のうちに買って高値で売るというのが大原則である。ところが多くの人は、株が高くなり、メディアが騒ぐころになって買う。そして、株価が落ちてくるとすべて売り払ってしまうのだ。それでは損するために株を買っているようなものである。 2003年のパブル崩壊後の最安値になったとき、わたしは「いまこそ銀行株を買うべきだ」と言い続けた。そのときも予想屋をしたわけではない。不良債権処理の金額を除けば、膨大な収益を見込めることが数字で分かっていたからだ。 もちろん、現在下落している株価がどの時点で上昇に転ずるかを言い当てることはできないが、少なくとも今が安値圏にあることは間違いない。安いときに株を買うのが長期投資の基本である。現に、わたしも買い始めた。 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/116/index.html ▲
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| 2008-02-10 21:11
2007年 12月 05日
国際問題評論家 古森 義久氏 2007年12月4日 日本にとって屈辱的な慰安婦決議案がまた外国の議会で採択された。今度はカナダの連邦議会の下院である。11月28日のことだった。米国と同様、カナダは第二次大戦中、日本軍の慰安婦の慣行に直接、なんのかかわりもなかった。であるのに、戦争が終わって60年以上が過ぎた今、そのカナダで、なぜ慰安婦に関しての日本糾弾の動きが唐突な形で起きてくるのか。 その背後には米国での慰安婦決議の推進の影の主役だった中国系組織の、カナダにおける執拗で精力的な動きが存在する。日本を終始、標的にしてグローバルな活動を恒常的に続けるこの中国系組織の活動に光を当てると、いわゆる慰安婦問題の真の構造が浮かび上がってくる。 米国議会の下院が同種の決議案を採択したのは今年7月末だった(本コラム第55回:「慰安婦決議の推進役がねらう次の対日攻撃」参照)。当時の日本の首相は安倍晋三氏である。 安倍氏は従来、慰安婦問題に対してはわりに強い姿勢をとっていた。日本の非を事実調査の徹底を待たずにあっさりと認めて謝ってしまった「河野談話」には批判的だった。米国議会で慰安婦に関連して日本に謝罪を求める決議案が出されてすぐの今年春、当時の安倍首相は、いわゆる「狭義の強制性」を否定した。その否定が「日本軍の関与までを否定した」という米国大手紙などの虚報となって米側に伝わり、議会などでの反発を強めた。 その「安倍発言報道」が決議案の可決を実際に推進してしまったのかどうか。この点の議論はひとまずおいても、慰安婦問題で日本を非難する側にとって、安倍氏の態度は攻めねばならない標的だったとはいえよう。 しかし、その安倍晋三氏はもう日本の首相の座から去ったのである。いまの首相は周知のように、慰安婦問題など歴史案件に対しては中国や韓国からの非難に反発することもないソフトな福田康夫氏なのだ。「河野談話」の継承や保持にはむしろ積極的な日本の政治家だといえよう。外国の慰安婦問題糾弾勢力からみれば、日本の歴代首相のうちでも、理解のある、謝罪派の首相だともいえる。 だがそんな福田政権に対しても、カナダ議会は容赦なく非難の決議を可決してしまった。 ソフト福田政権でも続く日本糾弾の実態 福田政権登場後の同種の動きとしては、つい最近の11月20日に、オランダ議会の下院が同様の慰安婦問題での日本非難決議を採択していた。この間、福田首相は慰安婦問題、あるいは他の戦争や歴史にかかわる案件について、外国の日本非難勢力を反発させるような言動は一切、とっていない。むしろ戦争や歴史については福田氏は対外的に融和と呼べる態度で知られる政治家なのだ。 しかしそんなことは一切、構いなく、オランダでもカナダでも日本糾弾決議が採択されたのである。この点は、日本国内の一部にもある「慰安婦など歴史問題は日本側が見解を改めるような強硬な態度をとるからこそ、外国が非難してくるのだ」という主張が虚構であることを証明してしまった。 ではカナダでの実態をみよう。 連邦議会の下院本会議が発声投票で反対表明なしに採択した慰安婦決議は、カナダ政府が日本政府に対し次のよう措置をとることを奨励すべきだ、と宣言していた。 「日本政府は日本軍の強制売春システムへの関与に対して、犠牲者すべてへの国会での公式かつ誠意ある謝罪の表明を含む全面的な責任をとること、そして影響を受けた関係者への対応を和解の精神に基づいて継続すること」 「日本政府は日本軍のための『慰安婦』の性的な奴隷化や人身売買は実在しなかったとするような主張は明確かつ公的に否定していくこと」 こうした日本への命令のような要求の背景説明として同決議は次のようにも述べていた。 「日本軍は1930年代から第二次世界大戦全体を通じて、アジア各地や太平洋諸島で若い女性を性的奉仕の目的のみに獲得することを公式に命じた」 「日本の一部の当局者は1993年当時の河野洋平官房長官が謝罪や悔悟を表明した声明を薄める、あるいは撤回することへの期待の意向を最近、述べた」 以上のような決議案を提出したのは野党の新民主党所属の中国系女性議員、オリビア・チョウ(中国名・鄒至蕙)女史だった。提案理由を説明する議場での発言でチョウ議員は次のように述べていた。 「第二次世界大戦中、多数の15歳の少女たちが日本軍の数知れない男たちによる拷問と強姦に何週間も、何カ月間も、何年間も、課せられた。20万人以上もの女性がその種の拷問の苦痛を味わわされた。こうした性的奴隷の生存者のうち4人が本日、この議会にきて、わたしたちが日本に公式の誠意ある謝罪を表明することを要求するよう求めている。さあ、カナダは慰安婦の味方をするのか」 この発言はカナダ政府への質問の形でなされた。それに答えたのは政府の多文化主義・カナディアン・アイデンティティ担当閣外相のジェイソン・ケニー議員だった。チョウ議員の発言に謝意と同意を述べていた。 推進役は抗日連合会カナダ支部 さてこうした経緯で採択されたカナダ下院の慰安婦決議をみれば、米国議会のそれと同様の内容であり、枠組であることが明白となる。つまり以下の趣旨だということである。 「日本の軍や政府が政策として組織的に20人以上の若い女性を強制徴用し、性的奴隷として、日本軍将兵のレイプの被害者とし、しかも戦後の日本はその行為に謝罪をしていない――」 こんな断定が事実に反することは、これまた明白である。しかし日本政府は、今年7月に米国議会からそんな断定を突きつけられても、反論も抗議もしなかった。米国議会でそう断じる糾弾の決議を採択されても、当時の安倍政権は謝罪こそしなかったが、「残念だ」という簡単なコメントを出しただけだった。否定も抗議もしなかった。だから日本を非難する側にとっては、好ましい状態だったはずだ。 ところが、そうした日本の従順な態度は高く評価されて、もう同じ糾弾はしないようになると思ったら、とんでもない。現実は正反対なのだ。日本が黙っているのを見透かしたように、同種の非難の矢がさらに激しく、さらに多方面から飛んでくるのである。このへんにも、いわゆる慰安婦問題の真実が存在するといえよう。 カナダで慰安婦決議案を最も活発に推進した最大組織は「カナダALPHA」(「第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合」)だった。この組織は米国カリフォルニア州クパナティノに本部をおく「世界抗日戦争史実維護連合会」(以下、抗日連合会と略)のカナダ支部である。「抗日連合会」世界本部は米国議会での慰安婦決議案提案者のマイク・ホンダ下院議員の選挙区内にある。 同連合会は在北米中国人を中心に結成され、中国の政府や共産党との連携も密接である。日本の戦争に関する行動を一貫して糾弾し、戦後の対日講和条約での日本の賠償も謝罪も認めないとする点では「反日」と特徴づけても自然だといえる。 ものすごい議会工作 カナダではその抗日連合会の支部組織「カナダALPHA」が、米国とは異なり正面に出て、議会への工作などを展開してきた。米国では抗日連合会は主役ながら、舞台裏に留まることが多かったのだ。 カナダの同組織は、チョウ議員のような、香港を含む中国に生まれ育ってカナダに移住してきた中国系カナダ人が主体である。その代表格のチョウ議員が連邦議会に提出した慰安婦決議案はまず今年3月、下院外交委員会の国際人権小委員会で審議され、27日には可決された。賛成4票、反対3票の僅差だった。内容は日本政府による元慰安婦たちへの謝罪表明と賠償支払いを求めていた。 国際人権小委員会で可決された決議案は、次には下院外交委員会で5月10日に審議され、同小委員会に差し戻された。外交委員会では与党のカナダ保守党の議員らから「日本への内政干渉となる」とか「日本の首相は既に元慰安婦たちに謝罪している」という反対意見が出た。その結果、小委員会に戻して、「さらなる調査を求める」という措置がとられたのだった。 その後、「カナダALPHA」による議会工作がものすごかった。国際人権小委員会での「さらなる調査」のために、この中国系組織は下院外交委員会のメンバー議員たちを主目標に活発きわまるロビー活動を展開したのである。カナダ各地の中国系住民を動員し、「トロントALPHA」「ブリティッシュコロンビアALPHA」というふうに地方別の小組織を編成し、連邦議会の、特に与党議員あてにアピールを繰り返した。国際小委員会のメンバーで閣外大臣をも務めるケニー議員などは、とくに積極果敢な訴えの集中的な対象となった。 そしてその結果、最初は決議案の推進には乗り気ではなかった与党議員連までが賛成に回っていったのである。中国系組織の「カナダALPHA」は巧みに韓国系や日系までも巻き込んで、アジア系カナダ人全体の声のように、慰安婦決議賛成の動きを拡大していった。その間、各地で「慰安婦問題の研究」と題するようなセミナーや討論会を頻繁に開き、日本糾弾に基づく「慰安婦問題への理解」を広げていったのだった。カナダ議会の慰安婦決議採択の関連記録には、「カナダALPHA」とその連携組織から多数の議員や政府にあてた日本非難の種々の書簡が山のように保存されている。 日本糾弾の“世界的戦略会議” カナダの実例をこうしてたどってくると、抗日連合会というグローバルな中国系組織が、いわゆる慰安婦問題を通しての日本糾弾を世界規模で画策しているという構図がいやでも鮮明になってくる。その重要な戦略会議が、今年10月にロスアンジェルスで開かれた慰安婦問題で日本を糾弾する「国際会議」だったといえる。 10月4日から6日まで開かれたこの会議の主催者側の中核はホンダ議員が指導を受けてきた抗日連合会だった。同会議は、主催者側から「慰安婦問題での初のグローバル規模の歴史的な世界会議」と評された。参加は米国、カナダをはじめ、欧州、オーストラリアなどからの中国系活動家たちが大部分だった。 ちなみに会議開催の前日、現地の日本総領事館前に抗日連合会の代表ら約50人が押しかけ、日本が慰安婦問題その他、戦争中の残虐行為に対し謝罪もせず、賠償もしていないのはけしからんと主張して、気勢を上げた。この抗議デモの様子はロスアンジェルス・タイムズ10月4日付の記事で報道された。 その記事の主要部分は以下のようだった。 「日本軍による女性や少女の性的奴隷化についてのロスアンジェルスでの歴史的な世界会議に備えて、世界各地からの元性的奴隷を含む人権活動家たちは、日本が戦時中の日本の残虐行為の犠牲者たちに公式な謝罪を表明し、賠償を提供することを4日、要求した」 「あくまで日本政府を非難し続ける」 さてこの会議での注目すべき出来事は、カナダ代表の発言だった。同国際会議で基調講演者の一人となった米国下院のエニ・ファレオマバエンガ議員が質疑応答で言明した。 「今後は、わたしたちは女性の弾圧や人権の抑圧に関して、日本の慰安婦問題から次元を高めて、国際的な条約や協定の違反行為へと監視の視線を向けていくべきだ。もう日本ばかりを糾弾しても意味がない。日本にいまさら慰安婦問題などで賠償を払わせることはできない」 ファレオマバエンガ議員は米国下院外交委員会の東アジア太平洋小委員長として、慰安婦決議案に賛成し、その採決のために活発に動いた民主党リベラル派である。その議員が下院で慰安婦決議を採択した以上、もう日本だけを非難するのをやめて、もっと幅広い対象を監視しようと提言したのだ。 ところがこの言明に「カナダALPHA」の議長セルカ・リット女史が反対したのである。 「いや、あくまで日本国民の意識を高めるために、日本政府を非難し続けることが必要だ」 そう、何はともあれ、日本を非難し続けねばならない、と言うのである。いわゆる慰安婦問題の真実も、その全体の構図も、この単純な言葉に端的に明示されているといえよう。 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/63/ 【やばいぞ日本】序章 没落が始まった 慰安婦決議 欧州での連鎖反応が心配だ (12月15日付・読売社説) 日本の信用を貶(おとし)めるような決議がこれ以上広がらないよう、政府は各国政府に強く働きかけるべきである。 いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる対日批判決議が、欧州議会で採択された。旧日本軍が、アジアの女性たちを強制的に「性的奴隷」にしたとして、日本政府に謝罪を求めている。 今年7月の米下院の慰安婦決議が、ヨーロッパに“飛び火”した形だ。既に同様の決議が、オランダやカナダの議会でも採択されている。 慰安婦問題への関心が、ヨーロッパで特段に高まっているわけではない。欧州議会の決議は、少数会派の緑の党が推進し、採決の際に出席した議員は全体の1割にも満たなかった。 しかし、国際人権擁護団体の「アムネスティ・インターナショナル」が、各地でオランダ人などの元慰安婦の証言を聞く公聴会を開催し、慰安婦決議の採択を各国の議会に働きかけている。中国・韓国系の反日団体も背後で動いている。 第2次大戦中、日本がオランダ軍を追い払い軍政を敷いたインドネシアでは、収監されていたオランダ人女性が、日本軍兵士によって連行され、強制的に「慰安婦」にされた事件もおきている。 事態を知ったジャカルタの軍司令部は問題の慰安所を直ちに閉鎖し、女性たちを解放した。 遺憾な事件であったが、軍が組織的に慰安婦を強制連行したのではないことを示す「反証」でもある。 事件に関与した将校らは、戦後、オランダの軍事法廷で「BC級戦犯」として裁かれている。 ヨーロッパでは、ほとんど問題とされていないが、第2次大戦中、ドイツ軍も東ヨーロッパなどの占領地に、500か所以上の“慰安所”を持っていた。 「ナチスがユダヤ人の女性を兵士用の売春婦として連行した」とローマ法王に報告したカトリック関係者の文書をはじめ、いくつもの文書が残されている。 慰安婦をめぐる対日批判決議を推進した欧州議会の緑の党には、ドイツ選出の議員も多い。自らの国の問題には口をつぐむつもりなのだろうか。 日本が繰り返し批判される背景には、1993年の河野官房長官談話がある。日本の官憲が組織的、強制的に女性を慰安婦にしたかのような記述があった。 そうした事実を裏づける資料はなく、「強制連行」を認めるよう迫る韓国側の圧力をかわすためだったことを、石原信雄元官房副長官らが証言している。 国際社会の誤解の根元である河野談話を見直していくことも必要だろう。 (2007年12月15日1時47分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071214ig91.htm 朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表 シーファー米大使を手玉にとった“従軍慰安婦3人”の前歴 由々しき事態だ。米下院に提出された慰安婦問題での対日謝罪要求決議案を巡って公聴会が開かれ、3人の元従軍慰安婦が出席。これを駐日米大使が“尊重”する旨の発言をした。が、大使を信じ込ませた彼女らは、過去、証言が何度も変わり、その信憑性に疑いの目が向けられているのである。 <私は、彼女たちが売春を強制されたのだと思います。つまりその時、旧日本軍により、 強姦されたということです> ニューヨーク・タイムズ紙(3月17日電子版)に載ったシーファー米駐日大使のコメントが本当ならば、まさに“手玉にとられた”と言うしかあるまい。何しろ2月15日、米下院の公聴会に出席した元従軍慰安婦3人の中には、これまで猫の目のごとく言うことが変転してきた、いわくつきの女性がいるのだから。 まずは、韓国人の季容洙(イ・ヨンス)。「彼女が初めて元慰安婦として公の場に出たのは92年。当時は、慰安婦にされた経緯を“満16歳の秋、国民服に戦闘帽姿の日本人男性から赤いワンピースと革靴を見せられ、嬉しくなった。母親に気づかれないように家を出たと語り、先の公聴会でも同じことを喋っているのですが…」と、現代史家の秦郁彦氏が教えてくれる。 「これまで何度も来日している彼女は、今年も日本で数回、会見を開いています。で、2月には“日本兵が家に侵入してきて、首を掴まれ引きずり出された”と言い、3月には“軍人と女に刀をつきつけられ、口を塞がれ連れ出された”などと内容が変わっている。要するに、家出と強制連行と、2つの話があるわけです」 ◆終戦後も慰安婦? 季元慰安婦はには別の“疑惑”も指摘されている。連行された時の年齢が、14、15、16歳と、実に“3種類”。時には「44年、16歳で台湾に連行され、慰安婦の生活を3年間も強いられた」と語るのだが、それでは終戦後も慰安婦として働いていたことになってしまう。 続いて、同じく韓国人の金君子(キム・クンジャ)についても、「ある時は“幼い時に両親を失い、養子に出された先でお使いに行ってくれと言われ、汽車に乗せられた”と語ったと思えば、"またある時は“家に2人の朝鮮人が来て、工場で働かせてやると騙された”などと回想する。いずれにせよ、家出に近い話で、日本軍による強制連行ではない」(秦氏) さらに、当時オランダ国籍で、現在はオーストラリア人のジャン・ラフ・オハーンに関しては、「“スマラン事件”の被害者だった可能性はありますが、この事件はむしろ、軍が慰安所に関与していなかったことを示すものです」と、政治ジャーナリストの花岡信昭氏が言う。 「これは、占領下にあったインドネシアのジャワ島で一部軍人がオランダ人女性数十人を強制的に売春させていたところ、軍に見つかり閉鎖させられた事件です。つまり、軍が売春を禁じていた証拠になるもの、と位置づけられています」 ◆N・オオニシ記者の影 であるならば、なぜ大使は彼女らの言を鵜呑みにしてしまったのか。「反日姿勢で有名なNYタイムズのN・オオニシ記者が、うまく話を引き出した面もあるのでは」と花岡氏は見るが、「日本が何も言い返さないから、米国内に間違った世論を喚起してしまっている。つまるところ外交戦略の失敗の表れですよ」(秦氏) 週刊新潮 4月5日号 P.62より reference archives : 慰安婦の李容洙さん(上) 慰安婦問題とアメリカ軍の非行 「史実を世界に発信する会」 茂木弘道 昨年7月アメリカ下院で435人の議員のうちたった10名ほどの出席で慰安婦対日非難決議が採択された。 日本軍が組織的に若い女性を強制連行して慰安婦とし、性奴隷として虐待した、などという全くありもしない架空の前提に立ったものである。 何しろ、アメリカの公式文書に「「慰安婦」は売春婦あるいは職業的なキャンプフォロワーに他ならない。 月平均1500円の総収入を上げ(債務者の)マスターに750円を返還する。」( United States Office of War Information, Psychological Warfare Team Attached to U.S. Army Forces, India-Burma Theater) とはっきり書かれているのである。 因みに当時日本軍の軍曹の月給は30円であった。軍曹の25倍ほど月々稼いでいたのである。公式文書を全く無視して強制連行とか、性奴隷などと決議案で堂々と述べ立て、それがほとんど異論なく通過してしまうとは全く以って、呆れた話しである。 不当極まりないだけではなく、アメリカ人の知性の程度を疑わせるものであった。 さらにひどいことにアメリカ人の大多数は、アメリカ軍は慰安婦などとは無縁の清らかな軍であり、慰安所を開設したこと自体が日本軍の劣悪さの証明である、と素朴に信じていることだ。 そのために、強制連行などなかった、性奴隷など無かったという説明をはなから聞こうとしない。困ったものである。 米軍が占領下の日本で米軍専用売春施設を作らせて大々的に活用したことなど余りにもよく知られた事実なのであるが、そんなことも知らないのが大多数のアメリカ人なのだから、始末に終えない。 また慰安婦問題を持ち出している当の韓国でも、韓国政府は国連軍(実質は米軍)専用の慰安所を開設していた。 別にそんなことは秘密でもなんでもなく、たとえば東亜日報1961年9月14日号にはこの慰安所のことが詳しく報じられている。 ベトナムでも米軍では現地の売春婦を個々の兵士が利用したことは周知のことであるが、それだけではなかった。米軍は軍のキャンプ内で売春宿を営業させたのである。 しかもこの売春宿の管理は旅団長の直接指揮下で行なわれていたことが、有名なスーザン・ブラウンミラーのベストセラー本『アゲインスト・アワ・ウィル: 男・女・強姦』(ランダムハウス出版グループ)にでてくる。 軍の売春宿は師団長の決定により軍のキャンプ内に設置された。そしてその管理は旅団長の直接の指揮の下で行なわれた。明らかにベトナムにおける軍の売春宿は統合参謀本部長のウェストもーランド、サイゴンのアメリカ大使館、ペンタゴンの了解の下で置かれていたものである。 (p.95) 軍管理の慰安所に他ならない。 こうした軍売春所においてひどい経験をした売春婦が数多くいたこともまた事実である。三、四十年前にアメリカ軍はこういうことをやっていながら、六十年以上も前の日本軍のことをどうのこうのとはあきれ果てた話である。 しかも事実を全く無視したデマ宣伝を鵜呑みにして、われわれの歴史事実を基にした抗議に耳を傾けることもせずに、決議したのである。 話はそこで終わるわけではない。 日本を軍事占領した1945年から1952年までの7年間において、米軍は数々の犯罪非行を行なった。 プレス・コードに基づく厳重な検閲のために、米兵の殺人、暴行、強姦を書くことが禁じられていた。 「大きい男の強姦」といった表現でかろうじてこれ等のものが部分的に報じられたのみであった。漠然とかなりの犯罪があったと想像されているが、実はかなり詳しい統計も存在しているので、ここに紹介する。 調達庁労働組合が昭和34年に都道府県、市町村、警察および報道機関の協力を得て行なったもので、『防衛施設庁史第2巻』に収録されているものである。 昭和20年から27年までの間に人身被害にあった人で、申告を行なったものに限られている。強姦は含まれていない。 総数でいうと、死亡:3738件、傷害:2071件、療養:3035件となっている。 申告されないものを含めると傷害、療養に相当する被害はこの倍近くに達したかもしれない。 強姦も、傷害、療養よりも少なかったとは考えられない。 すなわち万という数にのぼった可能性が高い。米軍専用慰安施設があっての、このありさまである。 もしこれがなかったとするとぞっとする話である。慰安所というものが決してそれ自体非人間的なものではなく、必要悪とでもう言うべきものであることがよくわかるであろう。 平和が回復した後にも4千人近くの殺人を行い万に近い傷害・暴行さらには強姦を日本で行なったのが米軍である、ということをアメリカ人はよくよく認識すべきである。 これは慰安婦決議のような事実に基づかない架空の話しではなく、明確な裏づけのある事実なのである。 このことを知っても、あの不当な慰安婦決議の取り消しを行なうべきであると考えないとしたら、アメリカ人の良心というものを疑わざるをえなくなるだろう。そんなアメリカ人ばかりではない、と私は強く確信しているのだが。 http://www.melma.com/backnumber_45206_4033991/ ▲
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| 2007-12-05 17:13
2007年 11月 11日
【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】梅沢さん「とんでもないこと言うな」と拒絶 2007.11.9 15:12 沖縄の集団自決訴訟で、9日、大阪地裁で行われた本人尋問の主なやりとりは次の通り。 《午前10時半過ぎに開廷。冒頭、座間味島の守備隊長だった梅沢裕さん(90)と、渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟の秀一さん(74)の原告2人が並んで宣誓。午前中は梅沢さんに対する本人尋問が行われた》 原告側代理人(以下「原」)「経歴を確認します。陸軍士官学校卒業後、従軍したのか」 梅沢さん「はい」 原「所属していた海上挺身(ていしん)隊第1戦隊の任務は、敵船を撃沈することか」 梅沢さん「はい」 原「当時はどんな装備だったか」 梅沢さん「短機関銃と拳銃(けんじゅう)、軍刀。それから手榴(しゅりゅう)弾もあった」 原「この装備で陸上戦は戦えるのか」 梅沢さん「戦えない」 原「陸上戦は予定していたのか」 梅沢さん「いいえ」 原「なぜ予定していなかったのか」 梅沢さん「こんな小さな島には飛行場もできない。敵が上がってくることはないと思っていた」 原「どこに上陸してくると思っていたのか」 梅沢さん「沖縄本島だと思っていた」 原「昭和20年の3月23日から空爆が始まり、手榴弾を住民に配ることを許可したのか」 梅沢さん「していない」 原「(米軍上陸前日の)3月25日夜、第1戦隊の本部に来た村の幹部は誰だったか」 梅沢さん「村の助役と収入役、小学校の校長、議員、それに女子青年団長の5人だった」 原「5人はどんな話をしにきたのか」 梅沢さん「『米軍が上陸してきたら、米兵の残虐性をたいへん心配している。老幼婦女子は死んでくれ、戦える者は軍に協力してくれ、といわれている』と言っていた」 原「誰から言われているという話だったのか」 梅沢さん「行政から。それで、一気に殺してくれ、そうでなければ手榴弾をくれ、という話だった」 ー1/4ー 原「どう答えたか」 梅沢さん「『とんでもないことを言うんじゃない。死ぬことはない。われわれが陸戦をするから、後方に下がっていればいい』と話した」 原「弾薬は渡したのか」 梅沢さん「拒絶した」 原「5人は素直に帰ったか」 梅沢さん「執拗(しつよう)に粘った」 原「5人はどれくらいの時間、いたのか」 梅沢さん「30分ぐらい。あまりしつこいから、『もう帰れ、弾はやれない』と追い返した」 原「その後の集団自決は予想していたか」 梅沢さん「あんなに厳しく『死んではいけない』と言ったので、予想していなかった」 原「集団自決のことを知ったのはいつか」 梅沢さん「昭和33年の春ごろ。サンデー毎日が大々的に報道した」 原「なぜ集団自決が起きたのだと思うか」 梅沢さん「米軍が上陸してきて、サイパンのこともあるし、大変なことになると思ったのだろう」 原「家永三郎氏の『太平洋戦争』には『梅沢隊長の命令に背いた島民は絶食か銃殺ということになり、このため30名が生命を失った』と記述があるが」 梅沢さん「とんでもない」 原「島民に餓死者はいたか」 梅沢さん「いない」 原「隊員は」 梅沢さん「数名いる」 原「集団自決を命令したと報道されて、家族はどんな様子だったか」 梅沢さん「大変だった。妻は頭を抱え、中学生の子供が学校に行くのも心配だった」 原「村の幹部5人のうち生き残った女子青年団長と再会したのは、どんな機会だったのか」 梅沢さん「昭和57年に部下を連れて座間味島に慰霊に行ったとき、飛行場に彼女が迎えにきていた」 ー2/4ー 原「団長の娘の手記には、梅沢さんは昭和20年3月25日夜に5人が訪ねてきたことを忘れていた、と書かれているが」 梅沢さん「そんなことはない。脳裏にしっかり入っている。大事なことを忘れるわけがない」 原「団長以外の4人の運命は」 梅沢さん「自決したと聞いた」 原「昭和57年に団長と再会したとき、昭和20年3月25日に訪ねてきた人と気づかなかったのか」 梅沢さん「はい。私が覚えていたのは娘さんだったが、それから40年もたったらおばあさんになっているから」 原「その後の団長からの手紙には『いつも梅沢さんに済まない気持ちです。お許しくださいませ』とあるが、これはどういう意味か」 梅沢さん「厚生省の役人が役場に来て『軍に死ね、と命令されたといえ』『村を助けるためにそう言えないのなら、村から出ていけ』といわれたそうだ。それで申し訳ないと」 《団長は戦後、集団自決は梅沢さんの命令だったと述べていたが、その後、真相を証言した。質問は続いて、「集団自決は兄の命令だった」と述べたという助役の弟に会った経緯に移った》 原「(昭和62年に)助役の弟に会いに行った理由は」 梅沢さん「うその証言をしているのは村長。何度も会ったが、いつも逃げる。今日こそ話をつけようと行ったときに『東京にいる助役の弟が詳しいから、そこに行け』といわれたから」 原「助役の弟に会ったのは誰かと一緒だったか」 梅沢さん「1人で行った」 原「会って、あなたは何と言ったか」 梅沢さん「村長が『あなたに聞いたら、みな分かる』と言った、と伝えた」 原「そうしたら、何と返答したか」 梅沢さん「『村長が許可したのなら話しましょう』という答えだった」 ー3/4ー 原「どんな話をしたのか」 梅沢さん「『厚生労働省に(援護の)申請をしたら、法律がない、と2回断られた。3回目のときに、軍の命令ということで申請したら許可されるかもしれないといわれ、村に帰って申請した』と話していた」 原「軍の命令だということに対し、島民の反対はなかったのか」 梅沢さん「当時の部隊は非常に島民と親密だったので、(村の)長老は『気の毒だ』と反対した」 原「その反対を押し切ったのは誰か」 梅沢さん「復員兵が『そんなこと言ったって大変なことになっているんだ』といって、押し切った」 原「訴訟を起こすまでにずいぶん時間がかかったが、その理由は」 梅沢さん「資力がなかったから」 原「裁判で訴えたいことは」 梅沢さん「自決命令なんか絶対に出していないということだ」 原「大勢の島民が亡くなったことについて、どう思うか」 梅沢さん「気の毒だとは思うが、『死んだらいけない』と私は厳しく止めていた。責任はない」 原「長年、自決命令を出したといわれてきたことについて、どう思うか」 梅沢さん「非常に悔しい思いで、長年きた」 《原告側代理人による質問は、約40分でひとまず終了。被告側代理人の質問に移る前に、5分ほど休憩がとられた》 −4/4− http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711091512008-n1.htm 【沖縄集団自決訴訟の詳報(2)】「(軍令)出していない。兵も配置してない」 2007.11.9 17:12 《休憩後、審理を再開。被告側代理人による質問が始まる》 被告側代理人(以下「被」)「戦陣訓として『生きて虜囚の辱めを受けず』という言葉があるが、こういう教えが座間味の島民に浸透していたのは知っていたか」 梅沢さん「島の長が島民に教育していたと思う」 被「島民に浸透していただろうということは、分かっていたか」 梅沢さん「それくらいは浸透していたと思う」 被「鬼畜である米英に捕まると女は強姦、男は八つ裂きにされるので玉砕すべきだ、ということも浸透していたと知っていたか」 梅沢さん「そういうことは、新聞や雑誌が言っていたことだ」 被「物資の運搬などに対する島民への指示は誰がしたのか」 梅沢さん「基地隊長がやっていた。炊事の手伝いとか、食料の世話とか」 被「元々の指示は梅沢さんから出されたのか」 梅沢さん「私から基地隊長にお願いした」 被「軍の装備について。軍にとって手榴(しゅりゅう)弾は重要な武器か」 梅沢さん「はい」 被「女子青年団長が軍曹から『万一のときは日本女性として立派な死に方を』と言われて手榴弾を渡されたことは知っているか」 梅沢さん「はい。団長から聞いた」 被「(座間味村史を示し)『民間人だし足手まといになる』『万一の時は自決を』と言われて手榴弾を渡された、と書いている女性のことは知っているか」 梅沢さん「知らない人だ」 被「こんなことがあった、というのは知っているか」 梅沢さん「こんなことはありえない」 −1/4− 被「『明日は米軍の上陸だから民間人を生かしておくわけにはいかない。万が一のときはこれを使って死になさい』と軍人から手榴弾を渡されたという女性の手記は知っているか」 梅沢さん「言うはずがないと思う」 被「別の女性は『昭和20年3月25日の夜、忠魂碑の前で日本兵に、米軍に捕まる前にこれで死になさい、と言われて手榴弾を渡された』と証言しているが」 梅沢さん「そういうことは知らないし、ありえないと思う」 被「手榴弾は重要な武器だから、梅沢さんの許可なく島民に渡ることはありえないのでは」 梅沢さん「ありえない」 被「日本兵が『米軍に捕まるよりも、舌をかんででも前に潔く死になさい』などと島民に言っていたのを知っているか」 梅沢さん「知らない」 被「部下がそういうことを言っていたのを知らないか」 梅沢さん「知らない」 被「原告側準備書面の中で『多くの住民は忠魂碑の前に集合する命令を、軍からの命令と受け取ったと考えられる』と書いてあるが、これは認めるか」 梅沢さん「ニュアンスが違う。イエスかノーかで答えられるものではない」 被「準備書面の記述と同じ考えかと聞いている」 梅沢さん「同じだ」 被「昭和63年12月22日に沖縄タイムス社の常務と話をした際に『もうタイムスとの間でわだかまりはない』と言ったか」 梅沢さん「言った」 被「覚書を交わそうとしたとき、『そんなもん心配せんでもいい。私は侍だから判をつかんでもいい』と言ったか」 梅沢さん「言った」 −2/4− 《沖縄タイムス社から昭和25年に刊行された沖縄戦記『鉄の暴風』には、集団自決を軍が命令したとの記載がある》 被「助役の弟の証言に関することだが、この証言はあなたが『家族に見せるため』と書いてもらったのではないか」 梅沢さん「違う」 被「別の機会の会話の録音テープがあるのだが、助役の弟が『公表しないでほしい』と言ったのに対し、あなたは『家族や知人には見せる。公表は考える』と答えているが、間違いないか」 梅沢さん「はい」 被「じゃあ、家族に見せるためと、証言を頼んだんでしょう」 梅沢さん「それだけのためじゃないですよ」 被「大江健三郎氏の『沖縄ノート』を読んだのはいつか」 梅沢さん「去年」 被「どういう経緯で読んだのか」 梅沢さん「念のため読んでおこうと」 被「あなたが自決命令を出したという記述はあるか」 梅沢さん「ない」 被「訴訟を起こす前に、岩波書店や大江氏に抗議したことはあるか」 梅沢さん「ない」 被「昭和55年に出した島民への手紙で『集団自決は状況のいかんにかかわらず、軍の影響下にあり、まったく遺憾である』と書いているが、集団自決は軍の責任なのか」 梅沢さん「私は『軍は関係ない』とは言っていない」 被「手紙を出した当時、軍の責任を認めているということか」 梅沢さん「全然認めていないわけではない」 −3/4− 《50分近くに及んだ被告側代理人の質問に続き、再び原告側代理人が質問》 原告側代理人(以下「原」)「忠魂碑の前に集まれという軍令を島民に出したか」 梅沢さん「出していない。兵も配置していない」 原「軍は何かしたのか」 梅沢さん「人を集めておいて、私のところに弾をくれと言いに来たのは事実らしい」 原「忠魂碑の前に島民がいて、軍もいるというのはあり得るか」 梅沢さん「ありえない」 原「軍は全島に展開していたからか」 梅沢さん「はい」 原「先ほど『沖縄ノート』を読んだのは去年だと話していたが、その前から、(曽野綾子さんの著書で軍命令説に疑問を示した)『ある神話の背景』は読んでいたのか」 梅沢さん「はい」 原「その中に『沖縄ノート』のことが書かれていて、『沖縄ノート』に何が書いてあるかは知っていたのか」 梅沢さん「知っていた」 原「先ほどの『沖縄ノートに私が自決命令を出したという記述はなかった』という証言は、梅沢さんの名前は書かれていなかったという意味か」 梅沢さん「そういう意味だ」 《被告側代理人も再び質問》 被「『沖縄ノート』には、あなたが自決命令を出したと書いてあったか」 梅沢さん「そうにおわせるように書いてある。『隊長が命令した』と書いてあるが、この島の隊長は私しかいないのだから」 《梅沢さんの本人尋問は午後0時10分過ぎに終了。午後1時半まで休廷となった》 ー 4/4− http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711091712009-n1.htm ▲
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| 2007-11-11 16:32
2007年 11月 11日
【沖縄集団自決訴訟の詳報(3)】赤松さん「タブーのような状態」 2007.11.9 19:00 《午後1時半に審理を再開。当事者席に大江健三郎氏が座ると、傍聴席の画家らがいっせいに法廷スケッチの似顔絵を書き始めた。まず、渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟の秀一さん(74)への本人尋問が行われた》 原告側代理人(以下「原」)「あなたは赤松隊長の弟さんですね」 赤松さん「そうです。兄とは年が13歳も離れているので、常時、顔を合わせるようになったのは戦後になってから。尊敬の対象だった。父が年をとっていたので、家業に精を出してくれた」 原「沖縄タイムス社の『鉄の暴風』は読んだか」 赤松さん「読んだ。大学の近くの書店で手に入れた」 原「戦争の話には興味があったのか」 赤松さん「戦争は中学1年のときに終わったが、陸軍に進むものと思っていたくらいだから、よく読んだ」 原「『鉄の暴風』にはお兄さんが自決命令を出したと書かれているが」 赤松さん「信じられないことだった。兄がするはずもないし、したとは思いたくもない。しかし、329人が集団自決したと細かく数字も書いてある。なにか誤解されるようなことをしたのではないかと悩み続けた。家族で話題にしたことはなかった。タブーのような状態だった」 原「お兄さんに確認したことは」 赤松さん「親代わりのような存在なので、するはずもない。私が新居を買った祝いに来てくれたとき、本棚で見つけて持って帰った」 原「ほかにも戦争に関する本はあったのか」 赤松さん「2、3冊はあったと思う」 原「『鉄の暴風』を読んでどうだったか」 赤松さん「そりゃショックだ。329人を殺した大悪人と書かれていた。もう忘れていたが、最近になって、ショックで下宿に転がり込んできたと大学の友人に聞かされた」 ー 1/4− 原「最近まで忘れていたのはどうしてか」 赤松さん「曽野綾子さんの『ある神話の背景』が無実を十分に証明してくれたので、安心できたのだと思う」 原「『ある神話の風景』は、どういう経緯で読んだのか」 赤松さん「友達が教えてくれた。無実がはっきり証明され、信頼を取り戻せた」 原「集団自決を命じたと書いた本はどうなると思ったか」 赤松さん「間違った書物は削除、もしくは訂正になると思っていた」 原「大江氏の『沖縄ノート』の引用を見て、どう思ったか」 赤松さん「大江さんは直接取材したこともなく、渡嘉敷島に行ったこともない。それなのに兄の心の中に入り込んだ記述をしていた。人の心に立ち入って、まるではらわたを火の棒でかき回すかのようだと憤りを感じた」 《大江氏が身を乗り出すようにして赤松さんの話を聞く》 原「誹謗(ひぼう)中傷の度合いが強いか」 赤松さん「はい」 原「訴訟を起こしたきっかけは」 赤松さん「3年前にある人から話があり、とっくの昔に解決したと思っていたのに『鉄の暴風』も『沖縄ノート』も店頭に並んでいると聞かされたから」 原「実際に『沖縄ノート』を読んでどう思ったか」 赤松さん「難しい本なので飛ばし読みしたが、兄が誹謗中傷されているのはよく分かった」 原「悔しい思いをしたか」 赤松さん「はい。沖縄で極悪人と面罵(めんば)されたのですから。兄は自決命令を出していないと無実を訴える手記を出していたが、ペンも凶器になるということだ。兄は手記の中で、『沖縄ノート』の資料の質を問い、証人を示すのがジャーナリストの最低限の良心と問うていた」 《原告側代理人の質問が終了》 ー2/3− 被告側代理人(以下「被」)「集団自決命令について、お兄さんから直接聞いたことはありますか」 赤松さん「ない」 被「お兄さんは裁判をしたいと話していたか。また岩波書店と大江さんに、裁判前に修正を求めたことがあったか」 赤松さん「なかったでしょうね」 被「『沖縄ノート』が店頭に並んでいると教えてくれた人が、裁判を勧めたのか」 赤松さん「そうなりますか」 被「お兄さんの手記は読んだか」 赤松さん「読んだ」 被「『島の方に心から哀悼の意を捧(ささ)げる。意識したにせよ、しなかったにせよ、軍の存在が大きかったことを認めるにやぶさかではない』と書いているが」 赤松さん「知っている」 原「裁判は人に起こせと言われたのか」 赤松さん「確かにそうやけど、歴史として定着するのはいかんと思った。そういう気持ちで裁判を起こした」 《赤松さんへの質問は30分足らずで終了した》 −3/3− http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711091900010-n1.htm 【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」 2007.11.9 20:11 《午後1時50分ごろ、大江健三郎氏が証言台に。被告側代理人の質問に答える形で、持論を展開した》 被告側代理人(以下「被」)「著書の『沖縄ノート』には3つの柱、テーマがあると聞いたが」 大江氏「はい。第1のテーマは本土の日本人と沖縄の人の関係について書いた。日本の近代化に伴う本土の日本人と沖縄の人の関係、本土でナショナリズムが強まるにつれて沖縄にも富国強兵の思想が強まったことなど。第2に、戦後の沖縄の苦境について。憲法が認められず、大きな基地を抱えている。そうした沖縄の人たちについて、本土の日本人が自分たちの生活の中で意識してこなかったので反省したいということです。第3は、戦後何年もたって沖縄の渡嘉敷島を守備隊長が訪れた際の現地と本土の人の反応に、第1と第2の柱で示したひずみがはっきり表れていると書き、これからの日本人が世界とアジアに対して普遍的な人間であるにはどうすればいいかを考えた」 被「日本と沖縄の在り方、その在り方を変えることができないかがテーマか」 大江氏「はい」 被「『沖縄ノート』には『大きな裂け目』という表現が出てくるが、どういう意味か」 大江氏「沖縄の人が沖縄を考えたときと、本土の人が沖縄を含む日本の歴史を考えたときにできる食い違いのことを、『大きな裂け目』と呼んだ。渡嘉敷島に行った守備隊長の態度と沖縄の反応との食い違いに、まさに象徴的に表れている」 被「『沖縄ノート』では、隊長が集団自決を命じたと書いているか」 大江氏「書いていない。『日本人の軍隊が』と記して、命令の内容を書いているので『〜という命令』とした」 被「日本軍の命令ということか」 大江氏「はい」 被「執筆にあたり参照した資料では、赤松さんが命令を出したと書いていたか」 大江氏「はい。沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』にも書いていた」 −1/3− 被「なぜ『隊長』と書かずに『軍』としたのか」 大江氏「この大きな事件は、ひとりの隊長の選択で行われたものではなく、軍隊の行ったことと考えていた。なので、特に注意深く個人名を書かなかった」 被「『責任者は(罪を)あがなっていない』と書いているが、責任者とは守備隊長のことか」 大江氏「そう」 被「守備隊長に責任があると書いているのか」 大江氏「はい」 被「実名を書かなかったことの趣旨は」 大江氏「繰り返しになるが、隊長の個人の資質、性格の問題ではなく、軍の行動の中のひとつであるということだから」 被「渡嘉敷の守備隊長について名前を書かなかったのは」 大江氏「こういう経験をした一般的な日本人という意味であり、むしろ名前を出すのは妥当ではないと考えた」 被「渡嘉敷や座間味の集団自決は軍の命令と考えて書いたのか」 大江氏「そう考えていた。『鉄の暴風』など参考資料を読んだり、執筆者に会って話を聞いた中で、軍隊の命令という結論に至った」 被「陳述書では、軍隊から隊長まで縦の構造があり、命令が出されたとしているが」 大江氏「はい。なぜ、700人を超える集団自決をあったかを考えた。まず軍の強制があった。当時、『官軍民共生共死』という考え方があり、そのもとで守備隊は行動していたからだ」 被「戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』という教えも、同じように浸透していたのか」 大江氏「私くらいの年の人間は、子供でもそう教えられた。男は戦車にひき殺されて、女は乱暴されて殺されると」 被「沖縄でも、そういうことを聞いたか」 大江氏「参考資料の執筆者の仲間のほか、泊まったホテルの従業員らからも聞いた」 被「現在のことだが、慶良間(けらま)の集団自決についても、やはり軍の命令と考えているか」 大江氏「そう考える。『沖縄ノート』の出版後も沖縄戦に関する書物を読んだし、この裁判が始まるころから新証言も発表されている。それらを読んで、私の確信は強くなっている」 −2/3− 被「赤松さんが陳述書の中で、『沖縄ノートは極悪人と決めつけている』と書いているが」 大江氏「普通の人間が、大きな軍の中で非常に大きい罪を犯しうるというのを主題にしている。悪を行った人、罪を犯した人、とは書いているが、人間の属性として極悪人、などという言葉は使っていない」 被「『(ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の中心人物で、死刑に処せられたアドルフ・)アイヒマンのように沖縄法廷で裁かれるべきだ』とあるのは、どういう意味か」 大江氏「沖縄の島民に対して行われてきたことは戦争犯罪で、裁かれないといけないと考えてきた」 被「アイヒマンと守備隊長を対比させているが、どういうつもりか」 大江氏「アイヒマンには、ドイツの若者たちの罪障感を引き受けようという思いがあった。しかし、守備隊長には日本の青年のために罪をぬぐおうということはない。その違いを述べたいと思った」 被「アイヒマンのように裁かれ、絞首刑になるべきだというのか」 大江氏「そうではない。アイヒマンは被害者であるイスラエルの法廷で裁かれた。沖縄の人も、集団自決を行わせた日本軍を裁くべきではないかと考え、そのように書いた」 被「赤松さんの命令はなかったと主張する文献があるのを知っているか」 大江氏「知っている」 被「軍の命令だったとか、隊長の命令としたのを訂正する考えは」 大江氏「軍の命令で強制されたという事実については、訂正する必要はない」 《被告側代理人による質問は1時間ほどで終わった》 −3/3− http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711092043013-n1.htm 【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」 2007.11.9 20:49 《5分の休憩をはさんで午後2時55分、審理再開。原告側代理人が質問を始めた》 原告側代理人(以下「原」)「集団自決の中止を命令できる立場にあったとすれば、赤松さんはどの場面で中止命令を出せたと考えているのか」 大江氏「『米軍が上陸してくる際に、軍隊のそばに島民を集めるように命令した』といくつもの書籍が示している。それは、もっとも危険な場所に島民を集めることだ。島民が自由に逃げて捕虜になる、という選択肢を与えられたはずだ」 原「島民はどこに逃げられたというのか」 大江氏「実際に助かった人がいるではないか」 原「それは無目的に逃げた結果、助かっただけではないか」 大江氏「逃げた場所は、そんなに珍しい場所ではない」 原「集団自決を止めるべきだったのはいつの時点か」 大江氏「『そばに来るな。どこかに逃げろ』と言えばよかった」 原「集団自決は予見できるものなのか」 大江氏「手榴(しゅりゅう)弾を手渡したときに(予見)できたはずだ。当日も20発渡している」 原「赤松さんは集団自決について『まったく知らなかった』と述べているが」 大江氏「事実ではないと思う」 原「その根拠は」 大江氏「現場にいた人の証言として、『軍のすぐ近くで手榴弾により自殺したり、棒で殴り殺したりしたが、死にきれなかったため軍隊のところに来た』というのがある。こんなことがあって、どうして集団自決が起こっていたと気づかなかったのか」 原「(沖縄タイムス社社長だった上地一史の)『沖縄戦史』を引用しているが、軍の命令は事実だと考えているのか」 大江氏「事実と考えている」 −1/3− 原「手榴弾を島民に渡したことについては、いろいろな解釈ができる。例えば、米英に捕まれば八つ裂きにされるといった風聞があったため、『1発は敵に当てて、もうひとつで死になさい』と慈悲のように言った、とも考えられないか」 大江氏「私には考えられない」 原「曽野綾子さんの『ある神話の風景』は昭和48年に発行されたが、いつ読んだか」 大江氏「発刊されてすぐ。出版社の編集者から『大江さんを批判している部分が3カ所あるから読んでくれ』と発送された。それで、急いで通読した」 原「本の中には『命令はなかった』という2人の証言があるが」 大江氏「私は、その証言は守備隊長を熱烈に弁護しようと行われたものだと思った。ニュートラルな証言とは考えなかった。なので、自分の『沖縄ノート』を検討する材料とはしなかった」 原「ニュートラルではないと判断した根拠は」 大江氏「他の人の傍証があるということがない。突出しているという点からだ」 原「しかし、この本の後に発行された沖縄県史では、集団自決の命令について訂正している。家永三郎さんの『太平洋戦争』でも、赤松命令説を削除している。歴史家が検証に堪えないと判断した、とは思わないか」 大江氏「私には(訂正や削除した)理由が分からない。今も疑問に思っている。私としては、取り除かれたものが『沖縄ノート』に書いたことに抵触するものではないと確認したので、執筆者らに疑問を呈することはしなかった」 −2/3− 《尋問が始まって2時間近くが経過した午後3時45分ごろ。大江氏は慣れない法廷のせいか、「ちょっとお伺いしますが、証言の間に水を飲むことはできませんか」と発言。以後、ペットボトルを傍らに置いて証言を続けた》 原「赤松さんが、大江さんの本を『兄や自分を傷つけるもの』と読んだのは誤読か」 大江氏「内面は代弁できないが、赤松さんは『沖縄ノート』を読む前に曽野綾子さんの本を読むことで(『沖縄ノート』の)引用部分を読んだ。その後に『沖縄ノート』を読んだそうだが、難しいために読み飛ばしたという。それは、曽野綾子さんの書いた通りに読んだ、導きによって読んだ、といえる。極悪人とは私の本には書いていない」 原「作家は、誤読によって人を傷つけるかもしれないという配慮は必要ないのか」 大江氏「(傷つけるかもしれないという)予想がつくと思いますか」 原「責任はない、ということか」 大江氏「予期すれば責任も取れるが、予期できないことにどうして責任が取れるのか。責任を取るとはどういうことなのか」 《被告側、原告側双方の質問が終わり、最後に裁判官が質問した》 裁判官「1点だけお聞きします。渡嘉敷の守備隊長については具体的なエピソードが書かれているのに、座間味の隊長についてはないが」 大江氏「ありません。裁判が始まるまでに2つの島で集団自決があったことは知っていたが、座間味の守備隊長の行動については知らなかったので、書いていない」 《大江氏に対する本人尋問は午後4時前に終了。大江氏は裁判長に一礼して退き、この日の審理は終了した》 −3/3− http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711092049014-n1.htm 【産経抄】11月13日 2007.11.13 03:51 沖縄戦について書かれた本の記述をうのみにして、大戦末期、当時の守備隊長らが、住民に集団自決を命令したと、決めつけただけではない。会ったこともない元隊長の心の中に入り込んでしまう。 ▼「戦争犯罪人」であり「屠殺者」は、「あまりにも巨きい罪の巨塊」の前で「なんとか正気で生き伸びたいとねが」い、「かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめた」とまでいう。三十数年ぶりに『沖縄ノート』を読み返して、あらためてノーベル賞作家の想像力のはばたきに脱帽した。 ▼もっとも、書かれた方はたまらない。個人名がなくても、隊長は島に1人しかいないのだから特定は容易だ。そもそも「軍命令などあり得ない」と、元守備隊長らが、著者の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償などを求めた訴訟を起こしている。 ▼先週大阪地裁であった口頭弁論で、大江氏側から提出された陳述書を読んでまた驚いた。大江氏は元隊長ら個人に対してというより、当時の日本軍を貫いていた「タテの構造の力」、あるいは「日本人一般の資質に重ねることに批判の焦点を置いて」いるそうだ。 ▼具体的な命令がなくても、皇民教育を受けていた住民が、最終的にはほかに道がないとの考えを、日ごろから植え付けられていたことも強調する。「すでに装置された時限爆弾としての『命令』」とは、いかにも“純文学的な”言い回しだが、元隊長のコメントに共感を覚えた。「要点を外し、なんとくだらん話をダラダラするのかといやになった」。 ▼この裁判の意味は、原告の名誉回復にとどまらない。著名作家の想像力によって歴史がつづられ、政治的な圧力で教科書の検定結果が覆ろうとしている。歴史とは何かを問う裁判でもある。 http://sankei.jp.msn.com/life/education/071113/edc0711130351002-n1.htm ▲
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| 2007-11-11 16:25
2007年 11月 11日
【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(3)「収まらないな慰安婦問題は」 2007.7.5 07:44 このニュースのトピックス:慰安婦問題 慰安婦問題に関する対日非難決議案採択を前に同僚議員と話すマイク・ホンダ議員(左)=米下院外交委員会(AP) 「こちらからみていると、『ヘビの頭を切らないといけないな』と思えてくるんですよ。日本をみていると、ね」。丸顔の男は、そういって冷えた茶を口に含んだ。 慰安婦問題をめぐる日本非難決議が米下院外交委員会で採択される前、今春のことである。 男は、東アジアから移民し、成功を収めた戦前生まれの実業家だ。 「日本が、われわれを極端な方向に押しやっているんですよ」。自宅応接間で、男は顔をしかめ、アロガント(傲慢(ごうまん))、とつぶやいた。日本の政治家は威勢のいいことを言わないと出世できない、歴史教育議連(日本の前途と歴史教育を考える議員の会)の国会議員たちがいい例だ−それが、男の言う「傲慢な日本」の意味らしかった。 「収まりませんよ、慰安婦問題は」と、男は続けた。 「アメリカの政治で、ユダヤ人が一番多く政治資金を出す。その次はアジア人。今、カネを出せるアジア人で、日本に反発する人間がどれだけいると思いますか」 「そのアジア人たちが、(ホロコースト=大虐殺の歴史を徹底的に追及した)ユダヤ人の手法を学び、同じことを今度はアジアでやろうと立ち上がった。この問題は絶対に終わらない。今回通過しなくても、またやります。今度は世界的にやります。首相が事実を認め、申し訳なかったと、国会で明確に謝罪するまでやります」 広大な敷地のかなたから風が吹いてきて、森のような庭園の木々を揺らした。南に大きく開いた窓から、米西海岸の陽光が差し込んでいる。 男はぽつりと言った。 「あした、ここにマイク・ホンダ(米下院議員)が来ます」 ◇ 10年ごとに行われる米国勢調査の結果によると、1990年からの10年で、アジア系米国人の人口は倍増に迫る勢いを示した。グローバル化の進展の中で、今や米国への移民は1世のうちに成功をつかむことが可能になっている。中国やインドの爆発的な経済成長がそれを後押ししている。 その結果、米社会に同化した2世、3世になってようやく豊かさを得るというこれまでのパターンではなく、移民社会が本国とのつながりを強く残したまま膨張を続けるという新しい現象がみられるようになった。 慰安婦問題で日本政府非難決議を主導したホンダ議員と親しいという丸顔男もそれにあてはまる。 だが、日本はこの変化と攻勢になすすべもないのだ。 ■日本の外堀が埋められた 慰安婦問題の日本非難が沸点に達しようかとしていた3月末。在米の日本人有力者が集まってワシントンの日本大使館である会合が開かれた。 「日系米国人と、米国と戦争をした日本との間には相当の距離があり、日本の応援団的な役割を日系人に求めるのは無理だと考えていた」 こう切り出した加藤良三大使は「しかし、ダニエル・イノウエ上院議員(ハワイ州選出)は日系人の相当部分との協力を考えるべきだと述べている。このような可能性が現実感をもって語られるようになっている現在、日系人が(米国人としての)公正な立場からホンダ議員はおかしいと言ってくれるようになればありがたい」と述べた。 味方がどこにも見あたらない現状で、日系人との連携の模索は、選択肢としてはあり得る。日系人に、父祖の国への理屈抜きの親近感が存在するのも事実だ。 だが、取材を重ねると、日本と日系人との距離が狭まりつつあるどころか、むしろ、広がりつつあるのではないか、と思わされる現象の方が目についた。それは、日系人が自らを日系ではなくアジア系と規定するという現象である。 「日系3、4世で、とりわけ政治に進もうという層はそうだ」 カリフォルニア州司法副長官で、将来政治家を目指しているアルバート・ムラツチ氏は、自らを例えに引いてこう話す。同氏が地元の教育委員選に出馬した際の選挙事務所幹部は、中国系と韓国系で占められていた。そうでないと、選挙に勝てないのである。 ムラツチ氏は今年、日本政府による日系人若手指導者を対象とした招聘(しょうへい)プログラムで日本を訪れた。謝意を表しつつ、ムラツチ氏は「日系人が『日本』より『アジア』にアイデンティティーの軸を移しつつあるという事実は、日本ではあまり理解されていないかもしれない」と述べる。 アジア系台頭の中、ほとんど人口が増えていない日系の当然の選択なのかもしれない。だが、アジア系とは実態を伴っているのだろうか。主権国家による国益をめぐるせめぎ合いが国際政治の現実である。その文脈ではアジア系とは日本を封じ込めようとする枠組みになりえる。 問題は、アメリカという世界の最大の政治舞台で進む「アジア系の勃興(ぼつこう)」という名の日本外しに対し、日本が実質的に何の手も打てていないことである。 丸顔の男に戻ろう。ホンダ議員について、男は「単純な男です。(慰安婦問題の追及を)私がやめろといえば、やめるでしょう」という。本当に動かしているのがだれだか分からないのか、とでもいいたげだった。 男は東アジア出身だが、「アジア系」という言葉を使う。そこには東南アジア、さらにはインドなど南アジアにまで連帯を広げたいという意図が明確にうかがえる。そこで、「傲慢(ごうまん)な日本への嫌悪」が、接着剤として使われるとすれば…。 「カネはある」と男はいう。「今、アジア系はカネを持っている。100万ドルや200万ドル、ぽんと出せるアジア人がいくらでもいる」 男は、駐米中国大使を知っているともいう。しかし同時に、チベットの精神的指導者ダライ・ラマとも親しいらしい。 ひとしきり、アジア各国の有力者との交遊に話が及んだ。そして、ふと思いついたように、「ところで、日本の諜報(ちょうほう)部隊はなにをしているんだ。ここには、来たことがないな」。 男は冷ややかに言いはなった。(松尾理也) ◇ 【用語解説】日本の前途と歴史教育を考える議員の会 安倍晋三首相、中川昭一政調会長らが平成9年に設立した自民党の議員連盟で、歴史教科書の自虐的記述の正常化や慰安婦問題などに取り組んでいる。会長は中山成彬元文科相、会員は約100人。 http://sankei.jp.msn.com/world/america/070705/amr0707050744003-n1.htm http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070705/wdi070705000.htm 【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(4)「誤ったイメージ払拭したい」 2007.7.6 08:46 このニュースのトピックス:やばいぞ日本 辰巳由紀さん 「日本国内で何が起きているのか」。ワシントンのシンクタンク「ヘンリー・スティムソンセンター」研究員の辰巳由紀さん(36)(有元隆志撮影)=に昨年9月上旬、こんな電話をかけてきたのは、米下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長(共和党)の補佐官、デニス・ハルビン氏だった。 少し前の8月15日、小泉純一郎首相(当時)は靖国神社を参拝した。米の主要メディアの多くは首相参拝を非難した。日本にナショナリズムが高揚しているなどの報道も展開された。 フィリピン戦線の従軍経験をもつハイド委員長から実務面などを任されているハルビン氏は、「日本と隣国との関係」をテーマに公聴会を開催すると告げ、「ナショナリズムの台頭などを日本人として証言してほしい」と要請した。 辰巳さんは「光栄なこと」と答えた。5カ月前、拉致被害者の横田めぐみさんの母、早紀江さんが同委で証言したが、日本の政策を日本人が証言することは極めてまれだ。辰巳さんはそれだけに日本に対する誤ったイメージをなんとしても払拭(ふっしょく)したいと思った。 辰巳さんが違和感を覚えたのは、1930年代の軍国主義への復帰を求める過激な右翼勢力が日本の主流になりつつあるとした8月27日付ワシントン・ポスト紙の「日本の思想警察の台頭」であり、日本の言論に非寛容な政治的雰囲気が出ていると分析した「パシフィック・フォーラムCSIS」発行の8月24日付ニュースレター「心配な一連の出来事」だった。 「これでは日本が過激なナショナリズムに染まりつつあると誤解してしまう。日本の状況を正確に伝えなくては…」。東京生まれ、国際基督教大学からジョンズ・ホプキンス大学大学院で安全保障を学び、日本大使館で専門調査員を務めたこともある辰巳さんは、訴えたいことを許された5分間の陳述で表現できるよう幾度も練習を重ねた。 9月14日の公聴会。ハイド委員長は「靖国神社は戦争犯罪者をたたえている」と語り、トム・ラントス議員(民主党)も「ナチスのヒムラー(親衛隊長)たちの墓に花輪を置くに等しい」と非難した。 マイケル・グリーン(前国家安全保障会議アジア上級部長)、カート・キャンベル(元国防次官補代理)、女性活動家のミンディ・コトラーの3氏に続き、最後に登場した辰巳さんは、首相参拝の意義をこう語り始めた。 「第二次大戦で命を失った兵士たちに敬意を示し、平和への誓いを新たにしたものです。靖国参拝は、日本が自らの過去と向き合って内省するという日本の健全な発展を意味しています」。続いて、ナショナリズムに触れ、「ほとんどの日本人は軍事的な過去を賛美する考えを支持していません。日本のナショナリズムとは、多くの日本国民が日本という国を誇りに思いたい気持ちのことです。米国の愛国主義(パトリオティズム)に近いのです」と述べた。 出席した議員51人のうち、8人が質問に立った。「日本は平和憲法を変えて戦争をできるようにしているとの懸念をきいた」とのバーバラ・リー議員(民主党)の質問に対し、辰巳さんは「日本人の間で侵略戦争をしないという合意は存在する。現在の憲法解釈では自衛隊が国連平和維持活動中に米軍や中国軍とともに参加した場合、彼らが攻撃されても、助けられない。日本の議論は、自衛隊が他国軍を支援できるようにしようというものです」と答えた。 ラントス議員は「われわれすべては大いに学んだ」と総括した。ハルビン氏も「とてもよかった」と握手を求めた。辰巳さんは自分の言葉で日本の実像を伝える努力はできたと思いながらも、日本の基本的な立場がどの程度、唯一の同盟国に理解してもらえたのか、不安を拭(ぬぐ)いきれなかった。 ◇ ■英字紙が伝える「ひどい国」 「日本人が考えていることの1割も外国に伝わっていない。英語で発信されたものだけで米国の政策は決まる」 今年3月、都内で開かれたシンポジウムで、ワシントンのCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員の渡部恒雄氏(46)は、日本の対外発信力がいかに貧弱かを力説し、東南アジアのある公使の発言を以下のように紹介した。 「英字紙を読むと日本はなんとひどい国と思うが、本当はそうではない。英語で語られる日本と現実の日本はなぜ、こうも違うのか」 日本をなにか不気味な国というイメージでとらえがちな英字メディア、そして、それを国内で発信している勢力がいることも「ゆがんだ日本」像を膨らませる。憲法改正や集団的自衛権の行使により、日本が軍国主義に突き進もうとしているとの見方は、その一例だ。 だが実態は、辰巳さんが語ったように、日本は国際常識が通用する当たり前の国になろうとしているだけなのである。 問題は、このことを日本政府がこれまでいかに語ってきたか。外国にどう発信してきたのかだ。 安倍晋三首相は昨年9月の就任後、憲法改正を明言し、集団的自衛権行使を研究すると表明したが、改憲を明言した首相は戦後初めてだ。 「日本の平和主義を薄めようとしている」(昨年9月25日付ワシントン・ポスト)などの批判が出ているが、裏返せば、それだけ顔が見えているといえる。 それまでの日本の指導者は、国の針路をあまり語ろうとしなかった。語るに足る内容もさることながら、米国依存の軽武装経済重視という既定路線をそのまま踏襲してきたからだ。 だが、「沈黙の大国」のままでは国際政治の激流に翻弄(ほんろう)されるだけだ。要は、第2、第3の辰巳さんをいかに出現させるか。 CSISで、ともに働いたこともある辰巳さんと渡部氏は提言(別稿)を連名でまとめ、東京財団で3月に発表した。日本を知ってもらうためには、まず日本人が努力しようということである。(中静敬一郎) ◇ ◆国益情報を効果的に発信するために (1)英語で日本の政策について書き、話すことができる人材の育成が急務だ。年に1度「国際発信大賞」で、日本からの英字メディアへの効果的な発信に100万円の副賞を与えて推奨すべきだ。 (2)世界に日本のクリアな戦略ゴールを発信することが余計な誤解を解く最善の方法だ。 (3)国際的なメッセージの発信には長期的な戦略性をもち、丁寧に根気強く努力を継続すべきだ。 (4)日本の中でオープンな議論ができ、さまざまな意見が闘わされる環境作りこそが有効な国際発信の大前提である。 (5)在外公館の広報活動を見直し、日本の政策に関する基本的データの整備と人材の配置を図るべきだ。 http://sankei.jp.msn.com/world/america/070706/amr0707060846004-n1.htm http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070706/wdi070706000.htm 【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(4)「誤ったイメージ払拭したい」 2007.7.6 08:46 「日本国内で何が起きているのか」。ワシントンのシンクタンク「ヘンリー・スティムソンセンター」研究員の辰巳由紀さん(36)(有元隆志撮影)=に昨年9月上旬、こんな電話をかけてきたのは、米下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長(共和党)の補佐官、デニス・ハルビン氏だった。 少し前の8月15日、小泉純一郎首相(当時)は靖国神社を参拝した。米の主要メディアの多くは首相参拝を非難した。日本にナショナリズムが高揚しているなどの報道も展開された。 フィリピン戦線の従軍経験をもつハイド委員長から実務面などを任されているハルビン氏は、「日本と隣国との関係」をテーマに公聴会を開催すると告げ、「ナショナリズムの台頭などを日本人として証言してほしい」と要請した。 辰巳さんは「光栄なこと」と答えた。5カ月前、拉致被害者の横田めぐみさんの母、早紀江さんが同委で証言したが、日本の政策を日本人が証言することは極めてまれだ。辰巳さんはそれだけに日本に対する誤ったイメージをなんとしても払拭(ふっしょく)したいと思った。 辰巳さんが違和感を覚えたのは、1930年代の軍国主義への復帰を求める過激な右翼勢力が日本の主流になりつつあるとした8月27日付ワシントン・ポスト紙の「日本の思想警察の台頭」であり、日本の言論に非寛容な政治的雰囲気が出ていると分析した「パシフィック・フォーラムCSIS」発行の8月24日付ニュースレター「心配な一連の出来事」だった。 「これでは日本が過激なナショナリズムに染まりつつあると誤解してしまう。日本の状況を正確に伝えなくては…」。東京生まれ、国際基督教大学からジョンズ・ホプキンス大学大学院で安全保障を学び、日本大使館で専門調査員を務めたこともある辰巳さんは、訴えたいことを許された5分間の陳述で表現できるよう幾度も練習を重ねた。 9月14日の公聴会。ハイド委員長は「靖国神社は戦争犯罪者をたたえている」と語り、トム・ラントス議員(民主党)も「ナチスのヒムラー(親衛隊長)たちの墓に花輪を置くに等しい」と非難した。 マイケル・グリーン(前国家安全保障会議アジア上級部長)、カート・キャンベル(元国防次官補代理)、女性活動家のミンディ・コトラーの3氏に続き、最後に登場した辰巳さんは、首相参拝の意義をこう語り始めた。 「第二次大戦で命を失った兵士たちに敬意を示し、平和への誓いを新たにしたものです。靖国参拝は、日本が自らの過去と向き合って内省するという日本の健全な発展を意味しています」。続いて、ナショナリズムに触れ、「ほとんどの日本人は軍事的な過去を賛美する考えを支持していません。日本のナショナリズムとは、多くの日本国民が日本という国を誇りに思いたい気持ちのことです。米国の愛国主義(パトリオティズム)に近いのです」と述べた。 出席した議員51人のうち、8人が質問に立った。「日本は平和憲法を変えて戦争をできるようにしているとの懸念をきいた」とのバーバラ・リー議員(民主党)の質問に対し、辰巳さんは「日本人の間で侵略戦争をしないという合意は存在する。現在の憲法解釈では自衛隊が国連平和維持活動中に米軍や中国軍とともに参加した場合、彼らが攻撃されても、助けられない。日本の議論は、自衛隊が他国軍を支援できるようにしようというものです」と答えた。 ラントス議員は「われわれすべては大いに学んだ」と総括した。ハルビン氏も「とてもよかった」と握手を求めた。辰巳さんは自分の言葉で日本の実像を伝える努力はできたと思いながらも、日本の基本的な立場がどの程度、唯一の同盟国に理解してもらえたのか、不安を拭(ぬぐ)いきれなかった。 ◇ ■英字紙が伝える「ひどい国」 「日本人が考えていることの1割も外国に伝わっていない。英語で発信されたものだけで米国の政策は決まる」 今年3月、都内で開かれたシンポジウムで、ワシントンのCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員の渡部恒雄氏(46)は、日本の対外発信力がいかに貧弱かを力説し、東南アジアのある公使の発言を以下のように紹介した。 「英字紙を読むと日本はなんとひどい国と思うが、本当はそうではない。英語で語られる日本と現実の日本はなぜ、こうも違うのか」 日本をなにか不気味な国というイメージでとらえがちな英字メディア、そして、それを国内で発信している勢力がいることも「ゆがんだ日本」像を膨らませる。憲法改正や集団的自衛権の行使により、日本が軍国主義に突き進もうとしているとの見方は、その一例だ。 だが実態は、辰巳さんが語ったように、日本は国際常識が通用する当たり前の国になろうとしているだけなのである。 問題は、このことを日本政府がこれまでいかに語ってきたか。外国にどう発信してきたのかだ。 安倍晋三首相は昨年9月の就任後、憲法改正を明言し、集団的自衛権行使を研究すると表明したが、改憲を明言した首相は戦後初めてだ。 「日本の平和主義を薄めようとしている」(昨年9月25日付ワシントン・ポスト)などの批判が出ているが、裏返せば、それだけ顔が見えているといえる。 それまでの日本の指導者は、国の針路をあまり語ろうとしなかった。語るに足る内容もさることながら、米国依存の軽武装経済重視という既定路線をそのまま踏襲してきたからだ。 だが、「沈黙の大国」のままでは国際政治の激流に翻弄(ほんろう)されるだけだ。要は、第2、第3の辰巳さんをいかに出現させるか。 CSISで、ともに働いたこともある辰巳さんと渡部氏は提言(別稿)を連名でまとめ、東京財団で3月に発表した。日本を知ってもらうためには、まず日本人が努力しようということである。(中静敬一郎) ◇ ◆国益情報を効果的に発信するために (1)英語で日本の政策について書き、話すことができる人材の育成が急務だ。年に1度「国際発信大賞」で、日本からの英字メディアへの効果的な発信に100万円の副賞を与えて推奨すべきだ。 (2)世界に日本のクリアな戦略ゴールを発信することが余計な誤解を解く最善の方法だ。 (3)国際的なメッセージの発信には長期的な戦略性をもち、丁寧に根気強く努力を継続すべきだ。 (4)日本の中でオープンな議論ができ、さまざまな意見が闘わされる環境作りこそが有効な国際発信の大前提である。 (5)在外公館の広報活動を見直し、日本の政策に関する基本的データの整備と人材の配置を図るべきだ。 http://sankei.jp.msn.com/world/america/070706/amr0707060846004-n1.htm ▲
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| 2007-11-11 15:01
2007年 10月 10日
アジアの「日の丸」観 「迷信」打破の旗振り役 [1999年07月10日] 一九四〇年(昭和十五年)、パリが陥落し、ドイツ肝いりのビシー政権が誕生すると、日本はそのビシー政権に、北部仏印に軍を出したいと通告した。 日本は当時、重慶の蒋介石政府にてこずっていた。重慶を落とすにはその糧道、いわゆる援蒋ルートを叩き潰すのが最も効果的で、それにはこの仏印進駐が作戦上どうしても必要だった。幸いというか、その仏印を握るフランスに同盟国ドイツの息のかかった政権ができた。友だちの友だちはみな友だちである。当然、友好的に受け入れてくれるものと考えた。 しかし、当のビシー政権を含めた欧米はそんな単純な受け止め方はしなかった。日本の仏印進駐は「十五世紀、バスコ・ダ・ガマの到来で始まった白人によるアジア支配に初めて亀裂を入れる」(英歴史学者クリストファー・ソーン)ことになるからだ。 ビシー政権は英国に置かれたドゴール仏亡命政権に泣きつき、ドゴールは米国に助けを求めた。米国はフランスに特使を派遣し、相談のうえでドイツを通じて日本に再考を促すよう働きかけた。 アジアの植民地は欧米諸国の大きな財産だ。「だれにも侵させない」という暗黙の了解があって、たとえお互い戦争していてもその点では助け合っていたわけだ。 しかし日本はそういう思惑にはまったく鈍感で、通告通りさっさと仏印へ向かい、国境にある仏軍の要塞から激しい砲火を浴びることになる。 かくて日本軍との間で戦闘が始まる。最初のうちこそ数倍の兵力を持つ仏軍の勢いはよかったが、やがて突撃を繰り返す日本軍の前に戦意を失い、ドンダン要塞は数時間で陥落した。日本側十五人、仏側四十人が戦死した。 この攻防を一人のベトナム人が間近で見ていた。道案内をした反仏活動家、陳中立(チャン・チュンラップ)である。 彼の知る故郷は仏植民地政府の下で百年悲惨のどん底にあった。人々は高額の人頭税に泣き、そのために十歳の子供が炭坑でトロッコを押さねばならなかった。人頭税だけでなく葬式にも結婚式にも課税された。阿片も政府が売りつけ、国中に中毒患者があふれていた。「ニョクマムのビン法」というのもあった。ふたのない容器は非衛生的という口実で「仏製のビンを強制的に買わせて」(A・ビオリス著「インドシナSOS」)金を巻き上げていた。 人々は当然、反発するが、そうすれば植民地軍が徹底的に殺しまくり、首謀者はギロチンにかけ、生首を街中にさらした。 白人にはかなわない、というのが百年の歴史の教訓だった。その白人が今、自分たちと同じ肌の色の日本軍の前に逃げまどい、両手を挙げているのである。 陳はその場で同胞に決起を呼びかけた。あっという間に二千人が集まり、彼らはハノイの仏軍をやっつけに山を下りだした。 しかし、その数日間のうちに事情は変わっていた。ビシー政権は日本の進駐を認め、友好関係が樹立された。つまり日本軍は陳を支援できなくなっていた。「勝てる相手ではないと何度も忠告した。でも、白人には勝てないというのが迷信だと分かっただけでも大きな力になると笑って出ていった」とベトナム協会の西川捨三郎氏は当時を思いだしていう。 日仏の小競り合いと日本軍の勝利のニュースはすぐにタイにも伝わった。そして驚いたことに、英仏に領土を好き放題奪われてきた“おとなしい国”が突如、領土回復を図って仏印に攻め込んだのである。講和条約は東京で開かれ、タイは希望を一部かなえた。 オランダ領インドネシアにも同じ現象が起きた。この国の人々もまた百年、ご主人様の「ビンタにおびえながら働かされ、食事がきちんと与えられる刑務所の方がましとさえ考えていた」とR・カウスブルックは「西欧の植民地喪失と日本」の中で書いている。 その地で日本軍はあっという間にご主人様をやっつけてみせた。八万二千人の連合軍がこもるバンドン要塞はたった三千人の日本軍の前に降参した。人々は陳のいう「迷信」から覚めていった。 日本が敗れて消えたあと、戻ってきたオランダと人々は戦った。四年間戦って約八十万人が殺されながら、戦いを放棄しなかった。そして独立を得た。 ◇ 日の丸をめぐって「日本に侵略された東南アジアの国の人々はどう思うだろう」といった否定的論調が国会や新聞で目につく。 この文章には誤りがある。当時は「国々」などアジアにはなかった。あったのは欧米諸国の植民地だけで、侵略された主体はそういう宗主国になる。 おかげで彼らは植民地を失ったのだから日の丸にいい感じはもっていないのは当然だが、この論調はそういう意図ではない。 どうしても「現地の人々が日の丸をうらんでいる」風にしたいらしいが、歴史はむしろ「日本の侵略」で、人々が宗主国と戦う自信を得ていったようにみえる。 陳中立に聞きたいところだが、彼の軍隊はハノイを前にして仏軍に待ち伏せされ全滅している。しかし、迷信を捨てた人々はその遺志をつぎ、さらに四十年戦って独立を果たす。 【高山正之の異見自在】 [1999年07月10日 東京夕刊] http://kaz19100.hp.infoseek.co.jp/tak/110710.html 「江戸人」の天衣無縫さ たまには異人と喧嘩もいい [1998年11月28日] 日露戦争前後に米国西海岸に入った日本人移民は結構な辛酸をなめている。 中心になって日本人排撃キャンペーンを張っていたのがデ・ヤング家のサンフランシスコ・クロニクル紙とあの新聞王ハースト家のエグザミナー紙だった。 ハースト家の方はただなじるだけだが、クロニクル紙の方は分析やデータにも力を入れて、例えば「中国人が月十一ドルの食費をかけるのに、彼らはわずか四ドルしかかけずに貯金や送金に回す」(一九〇五年三月十九日付)と、日本人の習性もよく観察している。 その辺が面白くて、同社の資料室をのぞいたことがある。 あれこれ見ているうち、一枚のポスターが目についた。「不思議の国のジャグラーたち」の大きな文字の下に綱渡りや独楽(こま)回しをする江戸町人風の男女がカラーで描かれている。 興味をもって調べてみると、これが江戸時代の末、欧米を旅興行した「幸八一座」のサンフランシスコ公演のポスターではなかろうかということになった。 実はこの一座の座長、高野幸八の日記が昭和五十二年、福島県飯野町で見つかっている。慶応二年に横浜を旅立った三年間の巡業記録はポスターの雰囲気とも年代ともぴったり合いそうだが、それ以上に日記の記述がいい。なかなかの味わいなのである。 例えば、そのサンフランシスコでは投宿したホテルの水道施設に素直に感嘆する。「ちょいとねじると水噴き出す。ねじ戻せば止まる」。ガス灯では面白がっていじりまわし、火事を起こしそうになるが、その辺は福沢諭吉が灰皿を頼むのをためらい、吸い殻をたもとに入れて火事にしてしまったのと大違いの素直さだ。 東海岸では新見豊前守と同じにワシントンの「アメリカ国王の御所」に招かれる。豊前守らは会見場の床に座って低頭するが、幸八は堂々、大統領と握手し歓談もしている。 会見のあと、幸八たちは、その足で「女郎買いを致し候」。何とも屈託がない。 彼女らの対応は「日本とは十層倍勝り…」と評価するが、ただ清潔感については、「ふろにも入らず、水につけた布にてふく。その手ぬぐいにてあくる朝、顔を洗い拭くなり。その国のならいとはいいながらまことにもってむさくるしく、いやなり」と衛生観念欠如を厳しく指摘している。 一座は欧州に渡り、パリ、リヨンと回るが、巡業の馬車には「日の丸の旗を打ち立て威勢よくまいり候」。日の丸に日本人の気概を託していた。 興行はどこでも当たり、日記には「大入り」の文字と、はねたあとの「女郎買い候」が続く。 オランダにもいくが、「この国は人わるし」とのっけに書いている。その言葉通り、街でオランダ人に取り囲まれ、「仁義わるければ、いろいろ悪態をいい」、奇妙な格好を笑って、「袖や裾を引っ張る。みな心外に思い、大喧嘩と相成り候」。 向こうは大勢だが、こっちは小勢。ついには「われ差しまいり候大刀を引き抜き、むにむさんと振り散らし候ところ、異人驚きて右左に逃げ散るなり」。 英国では枕探しに金を盗まれるが、幸八は泣き寝入りしない。警察に捜査させる。警察はそれらしい女を見つけては彼を呼び、「五人ならべおき、この中にいるか」と聞く。面通しである。その中にはいなかった。 二、三日後、別の五人の面通しがある。数回繰り返して犯人をやっと見つける。 この間、犯人と連れ立っていた仲間を見つけ、尋問するように警察にいうが、拒絶される。「彼女は無関係なのだから」と。 また手間暇かけた面通しが「冤罪を起こさないため」という理由を聞いて感動もしている。 刑事法については欧州視察の岩倉具視が「監獄では月に一度、洗浴を許す」「裁判には代言師(弁護士)あり」ぐらいの皮相な観察しかしていない。それに比べ幸八は法思想にも踏み込んでいる。 その岩倉はトイレに困って山高帽の中に小用する恥ずかしいエピソードをもつ。初代警視総監の川路利良もパリに向かう列車の中でやはりトイレに困り、新聞紙を広げて用を足し、丸めて窓から捨てる。これが保線作業員に当たり、大問題になったと司馬遼太郎は書いている。 幸八たち江戸人の天衣無縫さに比べると、だいぶ遜色のある“おずおず”ぶりだが、それでも立派に近代化を果たし、大国にも勝って明治人の気骨をみせた。 ◇ 立派な先祖をもつ平成人のもとに韓国の大統領がきたが、竹島を返せとはいえなかった。 ロシアの大統領にも北方四島はうやむやにされ、逆に巨額の援助を約束させられた。 そして中国のトップがやってきて、目いっぱいの謝罪と援助を要求されて、また頭を下げた。 草葉の陰で先祖たちがそろって泣いている。 【高山正之の異見自在】 [1998年11月28日 東京夕刊] http://kaz19100.hp.infoseek.co.jp/tak/101128.html 江戸芸人の予言 オランダは変わらなかった [2000年01月29日] 江戸時代末に欧米を巡業して歩いた高野廣八の曲芸師一座の話を以前、この欄で紹介した。 屈託などどこかに置き忘れたような廣八は興行が終わると、「女郎買いに参り候」。米国ではホワイトハウスに招かれ、時のA・ジョンソン大統領と握手もするが、その晩にはもう娼館に駆け込んでその様子がどうの、大統領接見の三倍ぐらいの分量を日記に書きつづっている。 欧州に渡っても同じで、ロンドンでもリヨンでもハネたあとの郭通いは欠かさなかった。 しかし、ただ一国、例外があった。オランダである。理由は書いていないけれど、この国の印象を彼はこう書く。「家作わるく、人わるし。国も同じく悪しく…」 ハーグではこの道中でただ一度の喧嘩もし、刀を抜いてオランダ人相手に大立ち回りを演じてもいる。飾り窓をのぞく気分にもならないほど、腹に据えかねる何かがあったことは十分うかがえる。 それが何なのか、ヒントらしいものが、廣八の時代から半世紀後の蘭領東インド(インドネシア)のオランダ人、ビンネルツの日記に書きとめられている。「日本人は背が低く不潔で、曲がり脚の猿のように醜く、動物の檻(おり)に漂う臭気と同じぐらい強烈な鼻をつく体臭がする」 ちなみにオランダ人評論家、R・カウスブルックは「日本人は毎日風呂に入り、臭いもない。むしろオランダ人の方が不潔で体臭は強い」(「西欧の植民地喪失と日本」)と訂正し、この発言がオランダ人の有色人種への観念的な蔑視に基づいていると指摘する。 同じ肌色の植民地の人々に対しても、この意識は同じで、スマトラのたばこ農場の様子を記録した「レムレフ報告書」には現地人を米国の黒人奴隷と同じように取り扱い、「鞭打ち、平手打ちは当たり前だった」と記録する。 ある農場では「粗相をした二人の女性を裸にして、オランダ人農場主がベルトで鞭打ち、さらに裂けた傷口や局部に唐辛子粉をすり込んで木の杭に縛り付けて見せしめにした」。 刑務所で過酷な労役を課せられる囚人が、「オランダ人の農場より食べ物がいいから」と出所を拒んだ例も伝えている。有色人種は家畜よりひどい存在だった。 オランダ出身のフランクリン・ルーズベルトもそういう意識が強かった、とニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国あてに書き送っている。 大統領がこのとき打ち明けたのは「劣等アジア人種」を牛や豚のように品種改良しようという計画で、「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる、というのがルーズベルト大統領の考えだった」 米大統領のアジア人蔑視、日本人敵視の気分は、蘭領東インドのオランダ人ともぴたり一致する。一九四一年七月、米大統領は日本人に中国大陸から撤退して「もとの島々」に戻るよう、いわゆるハル・ノートを出し、米国にある日本資産を凍結する。オランダもそっくりならって蘭領東インドの日本人資産を凍結、約六千人の在留邦人を追い出した。 その結果が五カ月後の太平洋戦争になる。そして戦争が終わった後、オランダ人は抑留中に「平手打ち」と「粗食」を食わせた旧日本軍兵士の裁判を行い、連合国の中では最多の二百二十四人を処刑した。なぜ、その程度の罪で極刑を宣告したのかというと、平手打ちも粗食もともにオランダ人が現地の人々に与えたもので、それを日本人から与えられた屈辱の報復といわれる。 またオランダ政府も戦時賠償金を日本政府に要求、日蘭議定書で多額の金銭賠償を取った。 その対日報復のさなかに、現地の人々が独立を求めて立ち上がった。オランダは「戦闘機、戦車など近代兵器と十万の兵士を送り込んで、女性子どもを含め八十万人を殺した」(福田赳夫首相とサンバス将軍の会談)。 四年間の戦争の末、オランダは渋々独立を承認するが、その条件は独立を容認した代償として六十億ドルを支払うこと、オランダ人が所有してきた農場などの土地財産の権利を保全すること、スマトラ油田の開発費を弁済することなどだった。もちろん植民地支配の償いや謝罪は一切なかった。 インドネシア側はこの条件をのんでやっと独立が認められた。 ◇ それから五十年たって、オランダ政府は日本軍が戦時中、オランダ人の資産を奪った疑いがあるとして調査を行った。今月十七日に発表された結果はシロだった。でも戦前、日本人資産を凍結の名で取り上げたことは調査の対象から外していた。 抑留者グループたちもまだ屈辱感が晴れないのか、その賠償を求める裁判を起こしている。 また、二十五日付のオランダ紙は五月に訪問を予定される天皇陛下に「謝罪を挨拶に入れるよう政府特使を派遣した」と伝える。 「人わるし、国同じく悪し」と廣八は書いた。昔の人はモノを見る目があった。 【高山正之の異見自在】 [2000年01月29日 東京夕刊] http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/120129.html オランダ人の歴史認識 自分のふりを見つめては? [2000年04月22日 ] この前、オランダの週刊誌記者というのが突然、訪ねてきた。何でもこの欄で書いたオランダ評が向こうの新聞に載り、それで結構な騒ぎになっているという。 江戸時代末、欧米を巡業した旅芸人一座の座長がオランダを評して「人わるし、国また悪しく」と書いた理由をその後のオランダ人の行動から分析してみたものだ。例えば、日本人を悪臭を放つ猿と表現する人種差別意識の強さ、植民地だったインドネシアの独立のさいに謝罪どころか逆にばく大な“独立許可金”を請求したあこぎさ、それに何度も日本から賠償と謝罪を繰り返させながら、日蘭交流四百年記念の今年、また同じ要求をするしつこさなどをあの座長は感じ取っていたのでは、というごく妥当な結論にしておいた。 だから、オランダ人が何で騒ぐのかわけが分からなかったが、それでもこの記事を書いた動機が知りたいというので、日本人は欧米の国々、例えばチューリップや風車で象徴されるような国も含めて、みんないい国、いい人ばかりと思いがちだけど、みんな結構したたかなんだよといったお知らせでもあると答えておいた。 その週刊誌、「エルセフィア」というのだけれども、それが出たあと、これで沈静化するかと思っていたら、大違いだった。駐日オランダ大使から本紙に電話があったり、向こうの新聞からテレビ局までやってきて、もう仕事にもならない騒動になってしまった。 それなら向こうではクオリティー紙という「NRC・ハンデルスブラット」に寄稿することにしてけりをつけることにした。 以下、要約になるが、日本軍とオランダ人の遭遇という一断面だけで、つまり自分たちがやった植民地支配などをさっぱり棚上げして、あのころの歴史を評価するのはいかがなものかと問いかけ、その意味でコック・オランダ首相がこの三月下旬、日本に何度目かの謝罪を求める一方で、インドネシアへの非道な行為を初めて認めて「わびる用意がある」と語ったことを高く評価してみた。 そうやって他人のあら探しだけでなく、自分のふりも見つめれば、おのずと歴史を正しく見ることができるじゃないか。そうすればお互いの理解も増すはずだ、と。 その辺でやめてもよかったけれど、ついでに日本には、いわれるように拡張主義、侵略主義を展開するほど資源や軍備に余裕はなかったことにも言及してみた。 そういう状況で、例えば日本には消耗でしかなかった「インド解放のため」のインパール作戦も遂行した。 自分の国の存続すら危ない時期に、二十万人の兵士を投入してよその国の自立を助けるという前代未聞の作戦は結局、全滅という悲劇に終わったが、それだからこそ、なおさら欧米列強からアジア諸国を解放しようとする思い入れがあったことを理解してもらえるのではないか、という期待もあった。 実際、そうした犠牲があったからこそ、英歴史学者クリストファー・ソーンも、「ある意味で慈悲深く、欧米のアジア植民地支配の終結を早めさせた」と、その著書「欧米にとっての太平洋戦争」の中ではっきり書いている。 しかし、これもまた逆効果だったらしい。この私見がハンデルスブラット紙に掲載されるや、同紙の投書欄に山のような反論が次々に載せられた。 いわく「タカヤマは日本の歴史をゆがめる唾棄すべき偽善者で、アジア諸国を植民地のくびきから解放したというとてつもない虚構をでっちあげようとしている」 「彼は傲慢にも日本軍が犯した重大な戦争犯罪と、オランダ人がインドネシア人に対してやった小さなミス(Lapse)を同じに扱おうとしている」 「インドネシアの占領は日本の拡張主義の最後の到達地で、彼らは抑留者にそのままでは食うこともできない大豆を食事に出し、オランダ人を淘汰しようとした。朝鮮や中国で日本軍が行った無慈悲さをもって」 以下、少なくとも八通の投書はいずれも本人が読んでいていやになるようなものばかりだが、もう一つ共通しているのが、三百五十年にわたって搾取を続けたインドネシアの植民地支配について、あるいは戦後、独立を求めて立ち上がったインドネシア人を近代兵器を総動員して八十万人も殺しまくった事実について「ささいなできごと」にしている点である。 ◇ 「Go Dutch」とは割り勘でいこうという意味だ。 「Be in the Dutch with」、直訳すれば「オランダ人的な間柄にある」という慣用句は、仲が悪いという意味に使われる。 ワーグナーは神をそしり、その罪ゆえに世界の海をさまよい続ける船長の国籍をオランダ人にしている。あの「フライング・ダッチマン(さまよえるオランダ人)」である。あるいはさまよう幽霊船の名ともいわれるが、いずれにせよ、そういう風に「Dutch」がつかわれるのが何となく分かるような気もする。 【高山正之の異見自在】 [2000年04月22日 東京夕刊] http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/120422.html ▲
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| 2007-10-10 22:14
2007年 07月 01日
〜わが国本来の人口に戻っていくと考えるべき〜 人口が減ったからといって労働力が落ちることはない いささか旧聞に属するが、昨年12月22日に厚生労働省が発表した人口動態統計の年間推計によると、わが国の死亡数(自然減)が出生数(自然増)を上回り、予想よりも1年早く2005年から人口が減少に転じたことが明らかになった。 この発表をきっかけにして、人口減少社会を迎えた日本の行く末を案じる議論が盛んになってきた。人口が減少することによって経済活動が停滞し、経済成長率が低下するというわけだ。 しかし、私はそれほど暗い気持ちになることはないと思っている。 人口が減少しても、一人当たりの所得が落ちるわけではない。社会全体の経済のパイが小さくなっても、一人あたりの所得が減らない限り、生活は維持できるのだ。 人口が減っても、経済成長率はほぼ横ばいか、むしろ微増で推移するのではないかと私は考えている。 なぜならば、人の数が減れば、それを補おうとする工夫がこらされるからだ。 現に、OECD諸国で、労働力人口の伸び率と生産性の伸び率を比較してみると、労働力人口の伸びが小さい国ほど、生産性の伸びが高い。 つまり、人が減ったことをきっかけにして、労働力の低下を補うために、機械化投資などが行われて生産性が上昇するのだ。機械でできることは、みな機械にやらせればいい むしろ、人口が減っていいこともある。 現在の約半分――かつて日本の人口が6445万人だったのは、いつのころだかおわかりだろうか。 それは、1930(昭和5)年である。人類の歴史、日本人の歴史から考えれば、“たった”75年前に過ぎない。 思うに、その程度の人数が、日本の定員ではないだろうか。人口がその程度に減れば、さまざまな社会問題が解決される可能性がある。 通勤の混雑が緩和され、車内で楽に新聞が読めるようになるだろう。 交通渋滞もなくなり、お盆や年末年始の帰省ラッシュも緩和される。夏休みのレジャーで、お父さんがくたくたになることは、もうなくなる。 住宅問題も完全に解決するはずだ。 確かに、人口減は高齢化を伴うのでよくないという意見もある。 2025年には、65歳以上人口比は28.7%になるというから、現在とくらべて8.8ポイントの上昇である。 しかし、現在の時点でこの高齢化率を越えている自治体は、日本に山ほどある。私は、仕事でこうした市町村を訪ねることがあるのだが、けっして悲惨な暮らしをしているわけではない。ほとんどの街で、ゆったりとした幸せな暮らしが送られているのだ。 もちろん、年金の問題は重要ではあるが、これはまったく次元の違うことがらである。 年金については、方式を変えたり、富裕税をかけたりといった方法で解決を考えていく必要があるだろう。年金問題については、回を改めて考えることにしたい。 地方と都会の格差をなくし、グランドデザインを描き直すチャンス 人口減少問題を考える際には、地方と都会の格差問題は避けて通れない。都会では人口減少がプラスの効果をもたらしたとしても、ただでさえ過疎で悩んでいる地方では、致命的なことになりかねないからだ。地方と都市の格差をそのままにしておくわけにはいかない。 しかし、人口が減少に転じたいまこそ、日本という国のグランドデザインを描きなおすいいタイミングではないかと私は思う。それには、どうすればよいか。 まずは地方の現状を見てみよう。 私はよく講演で地方に行くのだが、経済停滞の悲惨さはひどいものだ。中心部の商店街は、ほとんどがシャッター通りと化している。 鹿児島に講演に行ったとき、こんな経験をした。空港から講演会場までタクシーを利用したときのことである。確か金額は6000円ほどだったと記憶している。 現地に着いて運転手さんが言うには、「ぜひ帰りも乗ってください。ここで待っていますから」 だが、講演が終るまでは時間がある。私は「そんなことをしたら、ほかの仕事をできなくなるでしょう。講演が終るまで3時間もあるんですよ」と言った。 ところが、運転手さんはそれでも待っているというのだ。理由を尋ねて私は驚いた。 最近は、1日の売上が合計で2000円に満たない日があるのだそうだ。なるほど、それならば、3時間待っても6000円を取りにいくほうが確実だということになる。 こんな話はほんの氷山の一角だろう。タクシーの運転手さんの廃業は続出しているというし、それよりも何よりも地方の経済そのものがボロボロになっているのだ。 では、都会では誰もが幸せに暮らしているかといえば、けっしてそんなことはない。 宝島社が出している「田舎暮らしの本」が30万部も売れていることからもわかるように、多くの人が都会暮らしにうんざりして、田舎で人間らしい暮らしをしたがっている。潜在的な希望者を合わせれば、おそらく百万人の単位で存在しているに違いない。 私の周りにも田舎暮らしを望んでいる人が多いのだが、それが実現したという話はあまり聞かない。なぜか。それは、田舎に「行かない」のではなく「行けない」からだ。 田舎に行っても雇用の場がないから、よほど金を貯めた人は別として、田舎で暮らしていくことができないのである。 それでも田舎暮らしをしたければ、農業をすればいい――そう言いたいところだが、いまという時代は、専業農家では食えないのである。野菜を作っても中国や東南アジアからの輸入農作物に価格で太刀打ちできない。そして、それ以上に、日本の田舎は山も畑も荒れてしまっていて、農業を続けることのできない地域も多い。 田舎暮らしをしたい都会人や、農業をやってみたい都会人が増えている。その一方で、田舎でも人がいたほうが望ましい。ところが、田舎では食っていけない。 そんな地方と都会のミスマッチを、どうやって埋めればいいのか。 こういう本質的なことがらを解決するためにこそ、税金を使うべきだろう。人が入らない音楽ホールだの、車がめったに通らない高速道路だのといった、くだらない公共事業などやめて、農家がきちんと働けるように金を使ったらいい。 たとえば、低農薬、有機肥料で農作物を生産するために、研究費や補助金を捻出。都会から移住する新しい農民に、そうした農業を実行してもらうのはどうだろう。 国土の均衡ある発展に役立つのではないか。 ここでは思いついたままのアイデアを書いてみたが、こうした方策をいろいろと考え、日本のグランドデザインを描き直せば、人口減少時代はちっとも恐ろしいことはないのである。 外国人労働者受け入れは新自由主義者のわがまま 〜得をするのは受け入れ企業、コストをかぶるのは国民全体〜 人口減少時代を迎えて、移民を受け入れよと主張している人がいる。いわゆる、新自由主義の立場にたった人たちだ。 新自由主義というのは、評価の尺度を金に一本化するという単純な発想から成り立っている。 その典型がホリエモンである。ライブドアの社長だったころの彼は、「社員がやめたら、またマーケットからとればいい」とうそぶいていた。 彼らには、一人一人の労働者の顔が思い浮かぶことはない。 彼らにとっては、鈴木さん、佐藤さん、田中さん……といった個人名はどうでもいい。あくまでも、労働力1、労働力2、労働力3……という存在に過ぎないのだ。 彼らの発想の根源となっているが、いわゆる生産関数――つまり、経済の大きさが、労働と資本を投入した量で決まるという理論だ。 ところが、人口が減少してしまうと、投入できる労働は減り、彼らの儲けも減ってしまう。そこで、経済成長を維持させるために、どこからか労働力を供給しなければならないと考えているわけだ。それが手っとり早い方法だからである。それが、外国人労働者を受け入れよという要求につながってくる。 しかし、外国人労働者の受け入れには、私は絶対反対である。 現に、ドイツやフランスをはじめとして、諸外国でも外国人労働者の受け入れは失敗の歴史であるといっていい。 たとえば、ドイツでは1960年代、高度成長のもとでトルコから大量の労働者を受け入れた。 ところが、高度成長が終わり外国人労働者の雇用調整をしようとしたところで、つまずいてしまった。すでにドイツ国内では労働者たちに二世が誕生。彼らはドイツで生まれ育ち、ドイツ語しか話せず、本国に返そうにも返すことができない。 そこでドイツが何をやったかというと、トルコに家を建てるための資金を与え、子どもたちにはトルコ語を教えた。そうした莫大なコストをかけて雇用調整をしたのである。 日本で外国人労働者を受け入れても、まず同じことが起きるだろう。 外国人労働者のメリットというのは、雇った企業のみに現れる。 ところが、そのコストは長期間にわたって全国民にはねかえってくるのだ。たとえば、小学校の教育一つとっても、外国人の生徒がいれば、コストは10倍はかかるだろう。外国人労働者本人も失業を頻繁に繰り返すことが予想され、失業保険のコストがかかる。 公的な住宅費もかかるし、市役所のパンフレットも各国語で書くためにコストがかかる。 そして、そうしたコストは雇った企業ではなくて、何の関係もない国民にかかってくるのだ。 さらにいけないのは、外国人が入ってくるために、まじめな日本の若者がワリを食うことだ。その一例が、最近になって外国人の受け入れが検討されている介護士や看護師である。 日本の若者のなかにも、最近では福祉分野で働きたいという、まじめな人がたくさんいる。ところが、そこに外国人介護士や看護師を受け入れたらどうなるか。起きるのは、外国人の賃金に合わせた劇的な賃金低下である。これでは、若者ならずとも勤労意欲を失ってしまう。 これが、あらゆる分野で起きたらどうなるだろうか。若者はますます仕事につかなくなり、社会不安は拡大していくに違いない。 さきほども述べたように、日本の人口が減っても経済成長率が落ちることは、ほとんどない。 人口は減ってもいいのだ。本来の人口に戻っていくという気持ちで迎えようではないか。そして、人口の減少を前提にして、そのなかで、どうやって幸せに暮らしていけばよいかを考えたほうが建設的でないだろうか。 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/o/25/index.html ▲
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| 2007-07-01 16:17
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