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2007年 02月 17日

日韓の近代・現代史問題

日本の歴史教育については、中国や韓国などから歴史教科書問題として大きな批判を受けています。日本の歴史教育が古代史から始まり、最も重要な近代・現代史の歴史教育を避けてきたことは皆さんも良くご存知のとおりです。第二次世界大戦の日本に対する中国や韓国からの批判も半世紀以上も続き、一方で日本では高校生が第二次世界大戦で日本がどの国と戦ったかも知らない現状も顕著になっています。中国や韓国の批判が今後も継続する中、第二次世界大戦の同盟国や対戦国の知識は、日本の若者にはすでに遠い過去の事になりつつあります。日本の歴史教育が、なぜ古代史から始まり近代史を避けているのかは、何かの意志が感じられます。なぜ、現在に最も関係ある近代・現代史から教えないのか、文部科学省の意図が理解できません。何か都合が悪いことでもあるのでしょうか?
あらためて、日本の教科書では教えない日本と韓国の近代・現代史を特集しました。


1910年に日本は「日韓併合条約」で1945年まで朝鮮半島を日本に併合しました。朝鮮併合によって、朝鮮半島から日本への渡航が自由になり、朝鮮人の日本居住も許されました。内務省の調査によれば、正式な日本国内の朝鮮人居住者は、1917年で14,502人、1920年で30,189人が記録にあります。1920年には日本国内の朝鮮人居住者の増加と日本人との衝突が激化し、「朝鮮人内地渡航制限」を日本政府は実施します。1925年に朝鮮人居住者は129,870人で、1930年に日本国内の朝鮮人居住者は298,091人まで増加しました。これら朝鮮からの移住者は、その後に言われる「強制連行」とはまったく関係がありません。


そして、日本の教科書には載っていない「桜田門事件」が1932年に起きました。昭和天皇に朝鮮人の李奉昌が桜田門で爆弾を投げつける事件が起き、当時の首相犬養毅は責任を取って辞表を提出しましたが、天皇に留任することを要請され、首相を続けました。李奉昌はソウルの満鉄見習い所に入所しましたが退職し、日本でしばらく暮らしました。1926年に中国上海の愛国団に参加し、韓国独立のために日本の天皇暗殺を考え、1931年に手榴弾を持って日本に入国し、1932年1月8日に桜田門外の閲兵式から帰る昭和天皇の乗った馬車に手榴弾を投げつけました。幸い昭和天皇に危害は及ばず、天皇護衛の近衛兵が負傷しました。この桜田門事件で、李奉昌は逮捕されて大逆罪の死刑判決を受けます。1932年10月に市ヶ谷刑務所で処刑された李奉昌は、在日朝鮮人によって遺骨が発掘され、ソウルで国民葬が行われて「義士」として埋葬されました。1909年に初代朝鮮総督府統監であった伊藤博文が中国のハルピンにおいて、朝鮮人の安重根に暗殺されますが、韓国の教科書で「処断」という言葉を使い、安重根は朝鮮人の「義士」として李奉昌と同様に韓国の教科書で教えられています。韓国の教科書では「韓人愛国団員の李奉昌は日本の東京で、韓国侵略の元凶である日本国王を処断するため国王の馬車に爆弾を投げつけた。」愛国の義士ということになっています。
昭和天皇は当時の大日本帝国皇帝の地位にあり、昭和天皇の暗殺を計画・実行することは朝鮮人民にとって危機的な状況を生むはずでしたが、昭和天皇はテロリストの犯行として李奉昌個人の犯罪として処理しました。朝鮮人民全体に対するに暗殺の対価を払わすことはありませんでした。オーストリア皇太子暗殺によって、第一次世界大戦がはじまったことを考えれば、朝鮮人民には壊滅的な処断が想定されたのですが、朝鮮人民に対する大規模な日本の報復措置はありませんでした。そして、1935年に日本国内の朝鮮人居住者は625,678人と増加しています。

1939年には、韓国でも悪名高い「朝鮮民事令」の改正があり1940年に「創氏改名」が始まります。この頃は、すでに日本は第二次世界大戦に突入し、多くの日本人が徴兵されていきます。当然、朝鮮人も「朝鮮人内地移送計画」による国家戦争の協力を日本人と同様に強要されます。第二次世界大戦で日本人が徴兵され、国内で労働者が不足し、32万人の朝鮮労働者が徴兵された日本人労働者の補充として日本に移送されました。
1944年からは日本でも子育ての主婦が工場に徴用され、日本国内の労働者の確保に限界が生じ、朝鮮半島での本格的な「徴用」が始まります。1945年からは日本人男子がほとんど徴兵され、兵隊の確保のために徴兵の範囲を拡大して朝鮮半島での「徴兵」が始まります。日本人の徴兵や徴用は日本人の問題で、朝鮮人の徴兵や徴用は「強制連行」というのは、当時を考えればおかしなことです。日本人は徴兵や徴用という「強制連行」によって戦地で死んでいっても、朝鮮人の徴兵や徴用はするべきでなかったという主張など不可能な話です。第二次世界大戦の当時に、朝鮮だけは特権的に世界的な大戦の中で平和に暮らす権利があったかのような韓国の主張には納得できない心境です。


第二次世界大戦が終戦を迎え、朝鮮人民は戦勝国だと日本国内でも騒ぎました。戦勝国は朝鮮を戦勝国とは考えていなかったようですが、1946年には「首相官邸デモ事件」で、朝鮮人2,000人が首相官邸にデモ行進して、官邸に進入しようとし警官隊と大乱闘しました。朝鮮半島が分割の危機に直面した1946年には、朝鮮から21,420人が密入国して来ました。その後も、朝鮮半島からの密入国は1947年に6,888人、1948年には8,500人が密入国しています。朝鮮人民と日本国民との衝突はその後も続き、1948年には「4.24阪神教育事件」が起きます。大阪市・神戸市、朝鮮人学校問題で在日朝鮮人2,500人が府県庁を包囲して、知事等を軟禁します。
米国進駐軍は非常事態の宣言をして取り締まりました。首謀者は軍事裁判にかけられ、朝鮮人検挙者は1800人に上りました。1948年は大韓民国と朝鮮民主主義共和国が独立します。そのこともあって、朝鮮半島からの密入国者は警視庁の記録で、1949年に1,642人、1950年には3,612人と再び増加することになります。1950年には朝鮮戦争が勃発し、1951年には密入国朝鮮人50人が強制送還の反対を叫び警察と衝突し、滋賀県で「日野事件」を起こしました。警察側の重軽傷者25人を出し、35人が検挙されました。1951年は朝鮮密入国者4,847人で、1952年には在日朝鮮統一戦線系学生1100人が警官隊と衝突する「吹田事件」が起きます。警察官を襲い拳銃2丁奪い、交番2ヶ所や工場を襲撃して朝鮮人113人の検挙者を出しました。1952年と1953年で朝鮮密入国者は4,667人となり、1953年の朝鮮戦争休戦で朝鮮密入国者は激減します。1954年には旧朝連系900人が警官隊と衝突する「第二神戸事件」が起きます。長田区役所、税務署などを破壊して、188人が検挙されます。1977年には「五箇条の御誓文」によって、日本の国税庁と朝鮮商工連間で所得税法で定められた税金を支払わなくて良いなどの取り決めが交わされます。この取り決めによって朝鮮総連系の企業は税金の特別特権を得ることになります。


米国GHQ参謀第二部公安課の資料によれば、在日朝鮮人の戦後の日本国内における戦勝国という振舞いは多くの犯罪者を出しました。米国GHQが犯罪として処理した在日朝鮮人は1947年から1950年までの4年間で、殺人532件、強盗4,124件、放火57件、強姦224件、傷害17,552件、窃盗44,494件など合計104,055件の犯罪が記録されています。戦後いかに多くの朝鮮人民と日本国民との衝突があったかは、日本の教科書では教えていません。当然、韓国でもこのような日本国内の衝突については教えていません。
韓国からの大規模で危険な「スリ窃盗団」や中国からの「パワーシャベル強盗」や「一般住宅集団強盗団」などは本国ではほとんど報道もされませんし、問題にもされていないのと同様です。


私は、韓国の良き理解者ですが、盲目的な韓国信仰者ではありません。どんな国家にも悪人がいますし、善人もいます。私は韓国の知識層の中に、多くの日本理解者がいることを知っています。韓国の国内で日本擁護者は非難され、日本批判者が評価される現状も知っています。韓国人の日本批判者は呆れるくらい自分に都合の良い論理を展開しますが、国民性なので日本人は同じように自分の立場を主張しなければいけません。大声を張り上げて議論することが日本の習慣にはありませんが、韓国人との議論は韓国式の議論方法も考えておく必要があります。韓国は日本を知っているように思っていますが、実は都合の悪いことは全く教えていないのです。韓国国民と議論する時は、歴史の事実をしっかり確認して教えてやればいいのです。納得いくまで徹底的に議論する忍耐が日本人には必要です。どんなに呆れることを言われても、正々堂々と対話する覚悟が日本人には必要です。


在日朝鮮人の皆さんも、日本人に強制労働で連れてこられた子孫だということには、大きな疑問があることを考えて欲しいと思います。日本人も強制連行されて、戦地で死んでいきました。強制連行も慰安婦も韓国人や日本人という区別はなかった時代があったという認識が、韓国の人々にはありません。日本人が苦労する時代に、朝鮮人を特別扱いすることが不可能であったことが朝鮮の人々には理解できません。朝鮮併合と朝鮮人への扱いが問題であると言うのであれば、日本には日本の言い分があります。日本人や朝鮮人を強制連行して戦地に送り込んで、自分達は戦争に関係のないところで贅沢な生活をしていた日本と朝鮮の特権階級がいたということです。日本と朝鮮という国家や民族間の問題ではなく、自国民を戦地に送り込んだ日本と朝鮮の支配階級と強制的に戦地で死ぬ運命を負わされた日本と朝鮮の被支配階級の問題が歴史にはあります。

日本政府のように遠慮した態度では、永遠に両国間の国民に不満が残ります。戦争や侵略による占領や併合が許されないのであれば、世界中で許されないことが現在も横行しています。韓国が他国の侵略と占領は関係ないことで、人類理念の問題ではなく、自国に対する日本の行為が問題であるとするならば、二国間で納得いくまで話し合う以外に方法はないのです。両国が歴史的な同一認識に至るまで徹底的に議論し、協議した内容を今後の学校教育で両国が責任を持って同じ内容を教育するということができない限り、朝鮮問題は永遠に続きます。そろそろ、両国の自分勝手な認識を統一する時期が来ていると思います。日韓両国の未来を考えると、誤解と偏見と嘘による歴史的な憎しみの再生産は終わりにしなければなりません。韓国では「親日派」や「知日派」ということがいまだ非難の対象になっているとは日本人には考えられないでしょう。政治家が「親日派」であるというだけで、その政治家は政治生命を絶たれるのが韓国の現状です。公式に「親日」を公言できない韓国の状況も知らずに、韓国国民は日本人に友好的であると思っている日本人も多いのですが、現実は韓国が豊かになるために日本の資金が必要なだけです。「親日」を公式の場で表明することは韓国では致命的な結果を生む現状も日本人は理解しなければなりません。公式に「親日」を表明できず、「犯罪輸出」の現実に目をつぶり、ひたすら自分の都合だけを叫びつづける韓国もかわらねばなりません。事実を真剣に受け止めていく両国国民の勇気と覚悟が試されています。


臥龍通信第60号/日韓の近代・現代史問題
http://www.nakajima-msi.com/mzbox/mz060.htm

by thinkpod | 2007-02-17 03:18 | 半島


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