2006年 08月 06日
誠意に基づく気骨ある外交が、 国家の品格をもたらす ■転送歓迎■ H18.08.06 ■ 34,009 Copies ■ 2,162,392 Views■ ■1.「日本初の主導」■ 「ミサイル発射は日本の安全保障にとり直接の脅威だ」と大島 賢三・国連大使が、北朝鮮制裁決議案を提示した7月7日に安 保理非公式会議で明言すると、国連外交筋は「『直接の脅威』 という強い表現を日本の外交官から聞いたのは初めて。日本の 覚悟を感じた」と述べた。 当初、中国は報道声明でことを済ませようとしたが、日本の 強い意思に押されて、議長声明へと後退し、さらに北朝鮮の説 得に失敗すると、非難決議案の提示へと譲歩を重ねた。 最後には「制裁決議案が採決されるなら、(本国から)拒否 権行使の指示を受けている」とまで言ったが、「ここまで露骨 に(拒否権行使を)明言するのは異例だ」と周囲を驚かせた。 それは日本の強い姿勢に押された「中国の焦り」だと、国連外 交筋は見た。[1] 元駐タイ大使・外交評論家の岡崎久彦氏は、「日本初の主導、 実る」と題して、次のように論評した。 日本は初めて、国連安保理の場でイニシアチブを発揮し たといってもいい。日本外交の従来の型では、事件が起こ ると「まず状況を把握してから」と各国の出方を見る。そ のうち米国が態度を決め、それに付き合うというパターン だった。 日本は今回、北朝鮮のミサイル発射後、迅速に制裁決議 案を安保理に示し、安保理で根回しを進めコンセンサスを つくった。外交には「先(さき)んずれば人を制す」とい うことがある。中露は日本案に反対したが、日本の最初の 根回しが基礎となり、そこを起点に妥協をしていったので、 良い“歩留まり”で決着がついたといえよう。[2] ■2.「あんたらは、けんかの仕方を知らないんじゃないか」■ この「初のイニシアチブ」をとったのは、安倍晋三・官房長 官と麻生太郎・外相のコンビだった。二人は「日本外交の従来 の型」を踏襲しようとする外務省筋を叱りとばしながら、引っ 張っていった。 15日午後、安倍氏の電話が鳴った。国連日本政府代表 部の北岡伸一次席大使だった。「英仏両国が(JOG注:制 裁などの根拠となる)7章を削除した妥協案を提示してい ます。国際社会に強いメッセージを発する内容で、中国も 賛同の意を示しています。むしろ日本がまとめ役として…」 安倍氏は「こちらはすでに第7章を40条(暫定措置) に限定するところまで譲歩しているではないか」と不快感 をあらわにした。電話を切ると、ため息まじりにつぶやい た。「日本が降りるにしても最後の最後。ギリギリまで妥 協に応じる素振りすら見せては駄目なのに、なぜ分からな い」 麻生氏も、とりわけ12日に中国とロシアが非難決議案 を提示して以降、妥協し「落としどころ」を探ろうとはや る外務官僚に、堪忍袋の緒が切れた。14日、大臣室に幹 部を集め「こちらが突っ張ったから、中露は議長声明から 非難決議に譲歩したんだろ。あんたらは優秀かもしれない が、けんかの仕方を知らないんじゃないか。成功するまで 報告はいらない」と叱責(しっせき)し、姿を消した。背 水の陣を促したのだ。[1] 安倍−麻生ラインによる今回の国連外交は、わが国が主体的 な外交力を回復しつつある事を示した画期的な出来事である。 その主役となった安倍晋三が、北朝鮮問題でどのような姿勢を とってきたのかを通じて、日本外交のあるべき姿を考えてみよ う。 ■3.拉致問題の発端■ 日本外交の再生は、北朝鮮の拉致問題がきっかけであった。 この問題が表面化して、はじめて日本国民は、日本国憲法が言 うような「平和を愛する諸国民」以外の国、その「公正と信義 に信頼」できない国、がある事に気づいたのである。 その気づきをもたらしたのは、拉致被害者の家族会の粘り強 い活動であり、それを支えた少数の政治家たちだった。そして 早い時期からその中心にいたのが、安倍晋三だった。 安倍晋三が拉致問題と関わるようになったのは、自民党幹事 長で次期首相候補であった父・安倍晋太郎の秘書をしていた昭 和63(1988)年であった。娘が北朝鮮に拉致されているという 情報を得た有本夫妻が、助けて欲しいと陳情に訪れたのに応対 したのである。[a] 初めて話を聞いた時、安倍晋三は「独裁国家とはいえ、果た してそんなことを国ぐるみでするのだろうか」と半信半疑であっ た。気になった安倍は、自分なりの調査をして、北朝鮮の犯行 と確信した。自ら法務省と外務省を回り、担当者にかけあった が、いずれも木で鼻をくくったような対応だった。 ■4.「外務省は少しもやっていないじゃないか!」■ 平成9(1997)年2月、横田めぐみさんの拉致疑惑[b]が表面 化すると、亡父の跡をついで衆議院議員となっていた安倍は、 「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の発足を支 援した。4月には超党派の国会議員63人による「北朝鮮拉致 疑惑日本人支援議員連盟」が設立され、安倍は1回生議員なが ら事務局次長に就任した。 この年の10月、日本政府が北朝鮮に対し、約33億円のコ メ支援などを行う方針を固めると、安倍は猛然と反対した。し かし、政府の方針が変わらないと知ると、安倍は「家族会」の 人々を小渕恵三・外相に会わせようと動いた。その面談を外務 省が渋ると、安倍は食ってかかった。 おれは、父親が自民党幹事長だったころから、拉致問題 に関わっているんだ。外務省は少しもやっていないじゃな いか! と、論破して、安倍は家族を小渕外相と会わせた。 安倍はさらに衆議院外務委員会に、「日朝問題小委員会」を 作り、自らは事務局長に座った。この小委員会に、北朝鮮を訪 問して国交正常化を図ろうとする野中広務幹事長代理を招いて、 「日本人拉致疑惑をうやむやにして、国交正常化などすべきで はない」などと議論した。 この小委員会では、拉致問題を活発に議論したが、加藤紘一 幹事長や山崎拓政調会長から、「小委員会は開かないでほしい」 と安倍に圧力がかかった。党幹部からの圧力に逆らえばどのよ うな仕打ちを受けるか分からなかったが、安倍はそれを跳ね返 し、小委員会を開き続けて、朝鮮銀行問題[c]に詳しい野村旗 守らを招いて議論を続けた。 ■5.「政治は命がけでやるものだ」■ 平成11(1999)年2月、安倍は石破茂、山本一太ら、超党派 議員とともに「北朝鮮に対する戦略的外交を考える会」を結成 した。拉致問題を重大な「人権侵害」ととらえ、関係家族など の提訴により国連人権委員会の議題とすることが目的である。 同年5月、安倍は山本一太ら3人の国会議員とともに、訪韓 し、前年12月に韓国軍によって撃沈された北朝鮮の潜水艇を 見学した。その潜水艦の部品の2割は日本製だった。 安倍は有志らとともに、北朝鮮が前年にミサイル発射[d]を 行った事を受けて、弾道ミサイルを再発射した場合に日本独自 で北朝鮮への送金停止を可能にする外為法改正案をまとめた。 だが、野中広務など、北朝鮮にパイプを持つ自民党実力者に止 められた。 平成14(2002)年3月、横田めぐみさんの父親・滋さんら 「家族会」は、石原慎太郎・東京都知事の口利きで、小泉首相 に面会し、その後、官房副長官を務めていた安倍晋三にも会っ て、「どうか不審船を引き揚げてください」と頼んだ。 「不審船」とは前年12月に鹿児島県奄美大島沖で海上保安庁 の巡視船と銃撃の末、沈没した北朝鮮工作船のことである。社 民党の一部からは、北朝鮮への遠慮から、引き上げに反対する 声もあったが、安倍は「引き揚げた方が良い」と判断。引き揚 げられた工作船は、地対空ミサイルなどの本格的な武器を積ん でおり、それが国民に公開されて、改めて北朝鮮の対日工作の 実態が明らかになった。 首相官邸では、安倍副長官を中心に、外務、法務、国土交通 省の副大臣による「拉致疑惑に関するプロジェクトチーム」が 発足した。さらに4月には衆議院と参議院で、「拉致疑惑の早 期解決を求める決議」が採択された。 安倍の妻・昭恵は、北朝鮮問題に取り組む夫を不安に思って、 「万が一、北朝鮮問題に関わったばかりに、危険な目に遭った ら、どうするの?」と聞いた 安倍の答えはこうだった。 政治は命がけでやるものだ。そのときは、とにかく立派 なコメントを出してくれ。 ■6.田中均・外務省アジア大洋州局長との激突■ 平成14(2002)年9月、小泉首相は北朝鮮を訪問した。安倍 官房副長官は、拉致問題の責任者として同行した。昼休みの時 に、安倍は控え室で盗聴されている可能性を意識して、「拉致 したという白状と謝罪がない限り、調印は考え直した方がいい のでは」と述べた。これが決め手となって、午後の会談で金正 日が「拉致」の事実を認め、謝罪した事は、[e]で述べた。 安倍とともに拉致問題に取り組んできた中川昭一・衆議院議 員は、こう述べている。 北朝鮮での日朝首脳会談でも、安倍さんが同行していな ければ、とんでもないことになっていた。小泉首相に同行 した外務省のチームは、放っておけば何をするかわからな いチームだった。小泉首相にとっても、日本にとっても、 大変な汚点を残すところだったのではないか。[3,p399] この「外務省のチーム」の中心が田中均・外務省アジア大洋 州局長であった。10月15日に拉致被害者5人が帰国すると、 5人を北朝鮮に返すかどうかについて、安倍は田中と激突する。 「5人を返さないよう、考えなおしてくれ」と安倍が言うと、 田中は「それは困るといっている。わたしと先方の信頼関係は、 どうなるのか」と食い下がった。 安倍は一気にたたみかけた。 田中さん、5人の帰国はあなたの「信頼関係」のおかげ かもしれないが、もはやソフトランディングは成立しない。 まさか、外務省が(JOG注: 日本に残ることを希望してい る5人を)勝手に連れ出すわけにはいかないでしょう。 田中は怒りに顔を赤く染め、口を結んだ。 もし安倍ではなく、田中均らが拉致問題を取り仕切っていた ら、金正日は拉致を認めず、謝罪もせず、5人は北朝鮮に戻さ れる、という「大変な汚点」を残していたろう。 本年7月にめぐみさんの夫だったと言われる韓国人拉致被害 者・金英男が、母や姉と面会した際にも、北朝鮮側の拉致を否 定し、海水浴場から沖合に流された所を北朝鮮船に救助された などと述べた。韓国人拉致被害者に対しては、北朝鮮は拉致も 認めず、謝罪もせず、被害者も帰国させていない。田中均らの 「ソフトランディング」路線では、同様の結果に終わった事は 想像に難くない。 ■7.田中均・外務審議官の小細工を粉砕■ 安倍の特徴は、主張すべき時に主張する剛直さである。平成 15年の元日の朝日新聞社説の「拉致問題は原則論を言うだけ でなく落としどころを考えろ」という主張に対して、次のよう に批判した。 (死亡したとされる)被害者8人のことは忘れろという のと同じ事をいっている。こういう論調が、われわれが主 張を通す障害となっている。[1,p413] 田中均とは、再度の激突があった。平成15年5月、小泉首 相はアメリカで日米首脳会談を行った。同行した安倍は北朝鮮 に対しては「対話と圧力」が必要だと主張し、小泉首相は同意 した。 首脳会談後、田中均・外務審議官は記者会見では「圧力」と いう言葉を使わないよう、安倍に要求したが、安倍は「それは おかしい。総理はあんなにはっきりと『対話と圧力』とおっしゃっ たのに。・・・アメリカも、非常に不信感を招くのではないで すか」と真っ向から反論した。 その後、田中が日本大使館員に指示して作成された記者会見 のまとめ資料には、「圧力」という言葉が入っていなかった。 資料を読んだ安倍はそれに気づいたが、黙って、記者会見に臨 んだ。資料に構わず、安倍が「今後は、『対話と圧力』の姿勢 で対応していくことを確認しました」と言明すると、同席した 田中は、びっくり仰天していた。 ■8.「外交の極意は、正心誠意」■ 京都大学の中西輝政教授は、「日本の政界では安倍がダント ツの一位であり、2,3位はおらず、4位、5位あたりによう やく次の名が上がってくる」と評価している。 そして安倍晋三が断トツに際だっているのは、人間として、 政治家としての「誠実さ」であるという。安倍晋三には裏表が ない。時流に乗ろうという打算もない。拉致問題のような、当 初、票になりそうになかった問題でも、大切な問題として真剣 に取り組む。その誠実さが、嘘で固めた北朝鮮外交や、それに おもねる国内勢力を打ち砕いてきたのである。 勝海舟は『氷川清話』で、「外交の極意は、正心誠意にある のだ。ごまかしなどをやりかけると、かえって向こうから、こ ちらの弱点を見抜かれるものだョ」と、述べている。 今回、国連安保理で中国の小細工を再三はねつけて、初めて 日本主導の国連決議を実現させたのも、この「正心誠意」に基 づく安倍外交の芯の強さであろう。 安倍晋三が次の首相になったら、この「誠実さ」をもとにし た気骨ある日本外交を展開して貰いたい。それは同時に敗戦後 に失われた国家の品格を取り戻すことにつながっていくだろう。 (文責:伊勢雅臣) Japan on the Globe−国際派日本人養成講座[まぐまぐ!] http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/107559963.html
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| 2006-08-06 01:19
| 政治経済
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