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2005年 08月 02日

沖縄の日本帰属に疑義=戦後の返還、根拠欠く-中国誌 について

「沖縄の主権帰属は未確定」 中国誌に研究者論文

 1日発売の中国誌「世界知識」は、沖縄が日本の領土になったのは琉球王国に対する侵略の結果であり、第2次世界大戦後の米国からの返還も国際法上の根拠を欠き「主権の帰属は未確定」とする研究者の論文を掲載した。

 筆者の北京大学歴史学部の徐勇教授は、江戸時代まで琉球は独立王国であり、日本側も対朝鮮と同様の「外交関係」を結んでいたと指摘。1879年に日本が琉球を廃止し沖縄県を設置した際も、清朝は承認しなかったとした上で、第2次大戦後米国はポツダム宣言に基づく権利のないまま沖縄を管理下に置いたと説明している。

 論文はさらに、台湾の学者の意見を引用する形で、1972年に米国が日本に沖縄を返還したのは「2国間の授受であり、第2次大戦の連合国各国が共同で認めたものではない」として、「琉球の地位は未確定」と結論づけている。(共同)

(08/01 22:38)


沖縄の日本帰属に疑義=戦後の返還、根拠欠く−中国誌

 【北京1日時事】中国の国際問題専門誌・世界知識の最新号は、沖縄の日本帰属をめぐる歴史的経緯を紹介した専門家の論文を掲載。この中で、「戦後の日本による米国からの琉球接収は国際法上の根拠を欠き、その地位は未確定のままだ」と主張した。
 中国のメディアに沖縄の日本帰属に疑問を呈する論文が登場するのは異例。中国は沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権などを日本と争っている。日本側主張の基礎となる沖縄の帰属についても問題点を指摘し、日本側を揺さぶることが狙いとみられる。 
(時事通信) - 8月1日19時1分更新

265 名前: マンセー名無しさん  Mail: sage 投稿日: 05/08/02(火) 14:46:08 ID: PuVAqyEe

【報告】
沖縄の日本帰属に疑義=戦後の返還、根拠欠く-中国誌 について
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050801-00000108-jij-int
【電凸先】
沖縄県庁 098-866-2333
【内容】 "超"要約
私:上のような記事を見たのですが、県としてどのような対応をするおつもりでしょうか?
沖:特に対応する事はありません。
私:それはちょっと危機感が足りないのではないでしょうか?
沖:この手の事はちょくちょくありまして、いちいちかまっていられない
  というのが現状ですね。
私:そうなんですか?
沖:それよりも、米軍の地位協定とか演習場とか基地問題が・・・
私:そういう沖縄の反米感情が中共に利用されているという危機感が無いように
  本土からは見えるのですが。
沖:それはマスコミの流したい情報しか本土では流れないからですよ。
私:どういう事でしょう?
沖:たとえば今、沖縄の西海岸に中国からの物と思われる大量のゴミが流れているのは
  ご存知でしょうか?
私:え?初めて聞きました。

266 名前: マンセー名無しさん  Mail: sage 投稿日: 05/08/02(火) 14:47:40 ID: PuVAqyEe

>>265 のつづき
沖:ボランティアの方々にお願いしようにも中には危険な廃棄物も含まれているので
  簡単にはいかないのです。東海岸では周辺を航行するタンカーからの物と思われる
  バラスト水からの油の流出による汚染も問題になっています。
  タンカーの問題では船籍だけでは判断出来ないのでどこに責任を求めたらいいのか
  対応に苦慮しています。海上保安庁の方々には日々努力していただいていますが、
  対処療法のような事しか出来ないのでなかなか問題解決には至っておりません。
私:・・・
沖:沖縄で起きているのは米軍問題だけではなく、このような事もあるわけですね。
  地元の方々はもちろん反米感情も高いのですが、中国にも悪感情はありますし、
  政府にも不信感を抱いている方もいます。
私:お話をまとめますと、様々な問題が閉塞感を生んでいるのに、反米感情ばかりが
  強調され報道されているような状態のようですね。
沖:一度こちらへいらしてみて下さい。ウィークリーマンションとかで一週間ほど
  生活していただければ地元の新聞・TV・住民とのふれあいとかでそのような
  雰囲気は感じていただけると思います。本土のマスコミが流す沖縄ではなく。
私:今日は私の知識不足で失礼な電話をしてしまって申し訳ありませんでした。
  しかし、中共も覇権国家をめざして硬軟交えて工作してきているというのは
  忘れずにいて欲しいとは思います。
沖:ぜひ生の沖縄を感じていただければと思います。
【感想】
担当の方はとても丁寧に対応していただきました。
本土で暮らしているとなかなか現地の方のご苦労はわからないのだなと
複雑な気持ちになりました。

もし沖縄の方でこのスレを見ている方がおられたらぜひご意見をお聞かせ願います。
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# by thinkpod | 2005-08-02 03:54 | 中国
2005年 08月 02日

【戦後60年 歴史の自縛】

(1)内閣改造直後に突然「村山談話」
少数で決めた「侵略」の謝罪

 戦後、六十回目の八月十五日がやってくる。「一億総懺悔(ざんげ)」から出発した日本人の戦争への反省は、いつしか謝罪へと変わった。だが、中国と韓国は、歴史認識問題を対日カードとして使い続けている。終わりなき「謝罪」はどのようにして始まったのか。戦後六十年、日本を自縛してきた「亡霊」の正体を検証する。
                  ◆◇◆

 四月十七日。元首相、村山富市は京都御所内に完成した京都迎賓館の完成披露式典で、首相の小泉純一郎と顔を合わせた。

 「インドネシアでAA会議(アジア・アフリカ首脳会議)があるので、今、『村山談話』を読んでいるところです」

 にこやかに声をかけてきた小泉に、村山は「ああ、そうですか」とだけ答えた。村山には、小泉の靖国神社参拝で日中関係が悪化しているとの思いはあったが、あえて口にはしなかった。

 五日後、小泉はAA会議で「村山談話」を引用して頭を下げ、多くの首脳を驚かせた。

 四月、中国全土で反日デモの嵐が吹き荒れた。国家主席、胡錦濤との日中首脳会談を前に、先の大戦について「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を盛り込んだ村山談話を踏襲する姿勢を明確にすることで、日中関係改善のきっかけをつかみたいとの思惑が、小泉にはあった。

 だが、AA会議翌日の首脳会談で、胡は、反日デモによる被害への謝罪はせず、逆に「歴史を正しく認識し対処するために、反省を実際の行動に移してほしい」と靖国神社参拝中止を求めた。先の大戦への謝罪を明確にした村山談話は何の効き目もなかった。

 平成七年八月十五日、村山はアジア諸国に向け日本の「侵略」と植民地支配に関する痛切な反省と謝罪を柱とした首相談話を発表した。

 この二年前の八月十日、朝日新聞記者出身の細川護煕は首相就任後、初の記者会見で、日本の戦いを「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と発言、遺族会などから激しい反発を受けた。細川以前の自民党政権は、戦時中の日本の行為について「深い反省と遺憾の意」を表明しても「お詫び」という表現は注意深く避け、欧米によるアジアの植民地支配に終わりを告げさせた側面をも否定する「侵略戦争」という用語は決して使わなかったからだ。

 熊本の旧陸軍教育隊で終戦を迎えた村山は、平成六年六月、自民、社会、さきがけ三党連立政権の首相に就任した直後から、「アジア各国に対する過去の清算」を「内閣に課せられた歴史的役割」と考えていた。

 「『戦後』は終わるもんか。一応のけじめをつけようという程度の話じゃ。戦後がこれで終わるなんておこがましいことは言わんよ」

 今年、八十一歳の村山は、大分市内の自宅で当時の心境をこう語る。

 談話発表まで村山と官房長官、故・野坂浩賢は周到に作戦を練った。日米安保条約堅持と自衛隊容認に踏み切り、支持層が離れた社会党にとって戦時中の日本の行為を非難する「五十年談話」は“社会党政権らしさ”を示す譲れぬ一線だった。

 七年六月、連立政権発足時の約束だった「謝罪・不戦」を柱とした戦後五十年国会決議が衆院本会議で採択されたが、自民党から大量の欠席者が出た。この轍(てつ)を踏まず、「植民地支配と侵略」の文言を盛り込むにはどうすればいいか。野坂は決意を秘めていた。

 「異議を申し立てる閣僚がいれば、内閣の方針に合わないということで即刻、罷免するつもりでいた」(野坂著「政権と変革」)

 八月十五日午前。閣議室の楕円(だえん)形のテーブルに着席した閣僚を前に、野坂は「副長官が談話を読み上げますので謹んで聞いてください」と宣言した。古川貞二郎は下腹に力を入れて読み上げ、閣議室は水を打ったように静まり返った。野坂が、「意見のある方は言ってください」と二度、発言を促したが、誰も発言しなかった。

 総務庁長官、江藤隆美は「閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した。(反対と)言っても始まらないと思って黙っとった」と振り返る。

 内閣改造から一週間しかたっていなかったことも村山に幸いした。

 運輸相として初入閣した平沼赳夫は、「事前の相談はまったくなく、唐突に出た。社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかな、と思った」と話す。「ちょっと問題のある文章だなと思ったが、あえて発言しなかった。今思えば率直に思ったことを言っておけばよかった」と悔やむ。

 こうして談話は異議なく閣議決定され、村山自身が記者会見して発表した。だが、記者の「『国策を誤った』政権とは具体的にどの政権を指すのか」という問いに村山は答えられなかった。談話は有識者による議論も経ず、ごく少数の政治家と官僚がかかわっただけで、歴史認識を内閣あげて討議して練り上げたものではなかったからだ。

                   ◇

≪中韓へ正当性与える結果に≫

 ◆「東京裁判史観を基に個人的な思い」

 村山談話について村山は、「みなさんと相談してつくった」と強調する。だが、実情は違う。

 当時、内閣副参事官として談話の原案を起草した民主党参院議員の松井孝治は、「政策的に思い切ったアイデアを企画する場合、官邸スタッフが『少数ならでは』の思わぬ効果を上げる場合がある」とした上で、「首相側近の大物官僚が村山の意向をくみとり、週末に親しい学者と相談して書き上げた」とごく少数の官邸スタッフが携わり、極秘裏に案文づくりが進んだことを認めている。

 大物官僚とは、内閣外政審議室長(現・内閣官房副長官補)で、後に駐中国大使となった谷野作太郎だ。

 谷野は、「(アジア諸国の人々に対し多大の損害と苦痛を与えたという)歴史の基本的ラインを曲げてはいけない、開き直ってはいけないと思った」と証言する。ただし、中国や韓国が「謝罪が十分ではない」と批判していることについては「謝罪は十分したし、卑屈になる必要はない」と語った。

 松井はこう振り返る。

 「自分が起草した文章が谷野さんに直されてガラリと変わった。賛否両論はあるが、『国策を誤り』などという表現は胆力がなければ書けないし、味も素っ気もない“官庁文学”では作成し得ない出来栄えだ」

 自民党で事前に案文を見せられたのは、通産相の橋本龍太郎、野中広務らごく一部。橋本は「『終戦』を『敗戦』にすべきだ」とアドバイスしただけだった。

 自社さ政権下で生まれた村山談話を、明星大学教授の高橋史朗(占領史研究)は、「明らかに『東京裁判史観』に基づくものだ」と批判する。「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」とする部分は、東京裁判の論理に合致すると分析。高橋は「東京裁判史観は、戦前の日本の歴史を抹殺しようとした連合国軍総司令部(GHQ)とマルクス主義歴史学者たちの合作。その延長線上に村山談話がある」と指摘する。

                   ◇

 村山談話の反響は大きかった。英BBCは「日本の首相が侵略におわび」とトップニュースで伝え、ニューヨーク・タイムズも一面トップで報じた。だが、村山が期待した中国、韓国の反応は「今後の日本の態度に注目する」といった冷淡なものだった。

 逆に、村山談話はその後の日本外交に大きな足かせとなった。当時の官房副長官、古川貞二郎は「過去だけでなく未来志向にも重点を置いたもので、その後の政権の基調となっている」と評価するが、「未来志向」は日本の片思いに終わった。

 村山談話によって日本が「侵略」を認めたとされ、中国、韓国の歴史認識カードに都合の良い「正当性」を与える結果を招いた。

 今年三月一日、韓国・ソウル市内で開かれた「三・一抗日運動」の記念式典。大統領の盧武鉉は、村山談話の「痛切な反省と謝罪」を引用、韓国政府が対日賠償請求権を放棄した昭和四十年の日韓基本条約を覆すかのように、「(日本は)賠償すべきは賠償しなければならない」と発言した。

 当時の外務官僚の一部が懸念していた「戦後補償問題はすでに解決済みなのに、個人的な思いだけで首相が謝罪すれば、補償問題が再燃しかねない」との指摘が現実のものとなった。

 それでも村山は言う。

 「『あんな談話を出したからいつまでも謝らなければいけない』という者があるかもしれんけどな、それは言う人の勝手じゃ。談話は読めば分かる。それ以外の何ものでもない。僕自身は誤ったことをしたとは思っていない。あれで良かったと思っている」(肩書は当時。敬称略)

                  ◇

 ■天皇陛下は「謝罪」に踏み込まず

 天皇陛下は平成四年、中国をご訪問された際、「わが国が中国国民に多大の苦難を与えた一時期」という踏み込んだ表現をされた。

 昭和五十三年、中国のトウ小平副首相が来日した際、昭和天皇は「一時、不幸な出来事もありました」と述べられたが、中国側は反発を示さなかった。中ソ対立が続いていた当時の世界情勢も大きく影響しており、冷戦崩壊後の平成四年の天皇陛下のお言葉とはニュアンスが大きく異なる。

 ただ、強い遺憾の意を表明しつつも直接的な謝罪の表現を避けたのは、天皇陛下のご訪中が国内の慎重論を押し切った上で実現した経緯から、「陛下にご負担をおかけしてはいけない」(宮沢喜一首相)という日本政府の方針があったからだ。
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# by thinkpod | 2005-08-02 02:56
2005年 08月 01日

世田谷の一家殺害、韓国人犯行説消える

 東京都世田谷区で2000年暮れ、会社員の宮沢みきおさん(当時44歳)一家4人が殺害された強盗殺人事件で、警視庁成城署特捜本部が、犯行は韓国人によるものではないと断定し、犯人像を「事件当時、京王線沿線で生活していた若者」と絞り込んだことが、31日分かった。発生から4年7か月が経過し、捜査は大きな転換点を迎えた。

 また犯人が現場に残したものと同じトレーナーのうち、都内販売分は10枚で、うち9枚分の購入者が特定されていないことも判明。特捜本部は1日、都内でこのトレーナーを販売した4店の場所を初めて公開し、購入者の割り出しを急ぐ。

 この事件では、宮沢さん方に残されていた足跡から、犯人がはいていたのは韓国製テニスシューズ「スラセンジャー」で、サイズは28センチだったことがわかっている。このサイズの同製品は、国内では販売されていなかったことから、特捜本部は当初、韓国人による犯行の可能性も視野に入れて捜査を進めてきた。

 しかしその後、現場に残された犯人の生体情報などの捜査資料をもとに、韓国警察当局と情報交換を進めた結果、特捜本部は最近になって、「韓国で生まれ育った人物の犯行ではない」ことを確認した。

 一方、犯人が宮沢さん宅2階に脱ぎ捨てていったトレーナーと同じものが、事件当時、宮沢さん一家や周辺住民らが普段から利用していた京王線沿線の、若者向け衣料品店2店でも売られていたことがわかった。

 このトレーナーは灰色地で、両袖と丸首部分が紫色になっている「ラグランシャツ」と呼ばれるもので、テレビドラマで人気タレントが着ていたことから当時、若者の間で流行。00年8月から事件発生までの5か月間に、中国から国内に約2200枚が輸入されていたが、現場に脱ぎ捨てられたものと同じ色で同じサイズ(Lサイズ)は、全国で約130枚しか販売されていなかった。

 このうち都内では、京王線京王八王子駅、同線聖蹟桜ヶ丘駅、JR荻窪駅、京成線青砥駅の近くのテナントビルに入居する衣料品店4店で、計10枚しか販売されていなかったことが判明。特捜本部は現在までに購入者1人を特定。購入者が特定できていないトレーナーを9枚にまで絞り込んだ。

 これらの捜査状況について、特捜本部は〈1〉犯人は流行のトレーナーを着ていた〈2〉トレーナーは宮沢さん方から最寄りの京王線の沿線で売られていた〈3〉宮沢さん宅の2階風呂場の高窓から侵入しており、運動能力が高いと考えられる——ことなどに着目。犯人像を「事件当時15歳以上」で「当時、京王線沿線に住んでいた」若者と絞り込んだ。

 特捜本部は1日から、都内でトレーナーを売っていた4か所をホームページなどで公開するとともに、京王線の車内にも広告を出して情報提供を求める。

(2005年8月1日9時4分 読売新聞)


世田谷区一家殺害 犯人特定か

 東京都世田谷区の一家4人が00年12月30日に殺害された事件で、
18日発売の月刊誌「新潮45」(新潮社)が、

ソウル在住の韓国人男性(33)の指紋と事件現場に残された
実行犯の指紋が合致したとの記事を掲載する。

犯人の指紋という決定的証拠がありながら事件の捜査は難航。
2年以上が経過し、事件の風化が指摘される中、
報道をもとに捜査が急展開する可能性もある。

韓国内で入手されたこの男性の指紋と、
世田谷の指紋とを警察の鑑識OBに照合してもらった結果、
「同一の可能性が高いと言って差し支えない」と判断されたという。
男性は、事件の10日前に来日し、事件翌日に台湾に出国している。

01年11月に韓国国内で同誌のインタビューを受けた後、男性は姿を消したという。
02年秋に台北市内で地元経済人や宗教関係者、政治家と会っていたとの目撃情報
があるが、 行方は分かっていない。
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# by thinkpod | 2005-08-01 23:16 | 半島