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2008年 07月 26日

日本の国家基盤があぶない

【正論】評論家・西尾幹二 日本の国家基盤があぶない
2008.7.24 03:17

≪米国の道義的な裏切り≫

 拉致問題は今では党派を超えた日本の唯一の愛国的テーマである。拉致を米政府にテロ指定させるまでに関係者は辛酸をなめた。北朝鮮の核の残存は日本にとって死活問題である。

 完全核廃棄の見通しの不明確なままの、米政府の45日という時間を区切ったテロ支援国家指定解除の通告は、悪い冗談でなければ、外交と軍事のお手伝いはもうしないという米政府の見切り宣言である。それほどきわどい決定を無責任に突きつけている。

 そもそも北朝鮮を悪の枢軸呼ばわりして寝た子を起こし、東北アジアを一遍に不安定にしたのはブッシュ大統領であった。核脅威を高めておきながらイラク介入前に北朝鮮には武力解決を図る意志のない手の内を読まれ、翻弄(ほんろう)されつづけた。

 今日の米国の体たらくぶりは予想のうちであったから、日本政府の無為無策と依存心理のほうに問題があることは百も分かっているが、それでも米国には言っておかなくてはならない。

 核不拡散条約(NPT)体制は核保有国による地域防衛の責任と道義を前提としている。米国は日本を守る意志がないのなら基地を日本領土内に持つ理由もない。

 テロ支援国家指定解除の通告は、第一に米国による日本への道義的裏切りであり、第二に日本のNPT体制順守の無意味化であり、第三に日米安保条約の事実上の無効消滅である。

 ≪半島関与に及び腰対応≫

 日本は以後、拉致被害者の救済を米国に頼れないことを肝に銘じ、核武装を含む軍事的独立の道をひた走りに走る以外に自国防衛の道のないことを米国に突きつけられたに等しい。それほどの情勢の変化に政府がただ呆然(ぼうぜん)として、沈黙するのみであるのもまた異常である。

 問題は誰の目にも分かる米国の外交政策の変貌(へんぼう)である。米国の中国に対する対応は冷戦時代の対決から、対決もあり協調もある両面作戦に変わり、次第に協調のほうに軸足を移しつつある。

 いつまで待っても覇権意志をみせない日本を諦(あきら)め、中国をアジアの覇権国として認め、台湾や韓国に対する中国の外交攻勢をも黙認し始めた。戦火を交えずして中国は台湾海峡と朝鮮半島ですでに有利な地歩を占めた。
 最近の米朝接近が中朝不仲説を原因としているか、それとも半島の管理を米国が全面的に中国に委ねた結果なのか、いま論点は割れているが、どちらにせよ米国の半島関与が及び腰で、争点回避の風があるのは否めない。

 中東情勢と米国経済の推移いかんで、米軍のアジアからの撤退は時間の問題かもしれない。そうなれば台湾は中国の手に落ち、シーレーンは中国によって遮断され、日本はいや応なくその勢力下に置かれることになる。それは日本の技術や資本が中国に奪われることを意味する。

 ≪日本の核武装を封じる≫

 これほど危険な未来図が見えているのに、日本の政界は何もしない。議論さえ起こさない。ただ沈黙である。分かっていての沈黙ではなく、自民党の中枢から権力が消えてしまった沈黙である。

 ワシントンにあった権力が急に不可解な謎、怪しい顔、恐ろしい表情をし始めたので手も足も出なくなった沈黙である。

 もし日本が国家であり、政府中枢にまだ権力があるなら、テロ支援国家指定の解除は北朝鮮に世界銀行その他の国際金融機関を通じて資金の還流を許すことだから、ただちに日本から投資されているそれらの機関への巨額資金の引き揚げが用意され、45日以内に宣言されなければならないだろう。

 6カ国協議は日本の核武装を封じるための会議であると私は前から言ってきた。米中露、それに朝鮮半島までが核保有国となる可能性の発生が北朝鮮問題である。太平洋で日本列島だけが核に包囲されるのを指をくわえて見ていていいのか。

 日本はこれに対しても沈黙だとしたら、もはや政治的知性が働いていない痴呆(ちほう)状態というしかない。

 海辺に砂山を築いて周囲から水を流すと、少しずつ裾野の砂が削られる。水がしみこんでしばらくして、ボコッと真中が陥没する。そこへ大きな波がくるとひとたまりもない。

 今の日本はボコッと真中が陥没しかけた段階に来ているのではないか。国家権力の消滅。国家中枢の陥没。

 折しも自民党から日本を移民国家にし1000万人の外国人を導入する案が出された。日本列島に「住民」は必ずいる。しかし日本民族はいなくなる。自民党が国家から逃亡した証しだ。砂山は流され、消えてなくなるのである。(にしお かんじ)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080724/plc0807240320002-n1.htm




イスラム教徒のインドネシア人を大量に受け入れる政府の政治的無知
大量失業、国情不安定化を防ぐために「労働鎖国」を敷くべきである
2008年7月22日(火)0時0分配信 SAPIO
掲載: SAPIO 2008年7月9日号

文=西尾幹二 評論家

たとえ限定的なかたちであっても、外国人労働者の受け入れは、やがて日本に悪影響をもたらす。こう語るのは20年以上も前から移民容認に異を唱えてきた評論家の西尾幹二氏である。折しも日本は今年から海外からの看護師・介護士の受け入れをスタート。氏のいう「限定的な受け入れ」が始まっている。さらに与党からは「移民1000万人受け入れ案」が飛びだすなど、移民国家への流れが急加速している。はたして氏が警鐘をならす「悪影響」とは。

 インドネシア人の看護師と介護士の日本への受け入れが、昨年の八月に決まっていたそうである。われわれは迂闊であった。

 安倍前首相とインドネシアのユドヨノ大統領との間の首脳会談で署名がなされていた。当初二年間で一〇〇〇人を上限とする旨の約束であったようだ。というわけで、今年七月下旬に最大五〇〇人が早くも来日するといわれているのは、この協定に基づく話だということがわかる。

 報道によると、フィリピンとの間でもすでに一昨年に協定が結ばれていて、インドネシアと同様にやはり二年間で計一〇〇〇人を受け入れる予定だそうだが、フィリピン側がまだ批准していないために、開始時期は未定のままになっているという。

 官僚がさっさと決めて、政治家がろくに考えもしないで簡単に署名する。その結果が日本に長期にわたって大きな災いをもたらすことに気づいてもいない。民族文化の一体性を損なう災いだけではない。経済的にも政治的にも日本は深い痛手を負うだろう。

 厚生労働省が示したインドネシアとの契約内容を読んでいて、私は啞然とした。彼らインドネシア人は資格取得後、日本国内の病院や介護施設で就労するのだが、「在留期間上限三年、更新回数制限なし」と書かれてあるのである。在留は事実上の無期限である。日本は帰化が容易な国だから、何年か滞在すればみな日本国籍が得られる。インドネシアはイスラム教国、フィリピンはカトリックの国で、日本とは異文化である。

 いわゆる期限付き就労許可ということでさえ、昔から厳格に維持できるかどうかは疑問視されていた。期限をかぎってもたぶん守られない。いったん先進国に正規の許可を得て入国した外国人労働者は帰国しない。不法滞在者なら強制退去も不可能ではないかもしれない。不法滞在者だって簡単に帰国させることが難しいのはようやく日本でも分かってきているが、まだしも退去させることが可能なのは不法の場合である。しかし正規に法的に入国許可を一度でも与えた場合には、期限をかぎっても、先進国側が強い退去命令をだすことはできない。その国に寄与した労働者を、約束の期限が来たからといって、追い返すことは人権問題になる。

 ところが、インドネシアの今度の件は、事実上の「無期限」である。これには驚いた。厚生労働省に問い合わせたところ、最初二年で一〇〇〇人だが、評判がよければ三年目以後には人数も増やしていくという。

 いったいいつ日本は「移民国家」になったのだろうか。ここで述べられているのは外国人労働者受け入れの話ではない。「移民国家日本の宣言」にほかならない。

日本人の職、教育に波及する悪影響

 これまで世界各国の何処でも同じ軌跡を辿ったが、外国から先進国に労働に来た人々は、入国直後は「仕事にありつけさえすればありがたい」とへりくだっているが、少し長くいると必ず新しい社会での上昇のチャンス、地位と生き甲斐を求め始める。人間だから当然である。

 日本に来れば日本人と恋愛もするし、結婚もする。個人の自由だからこれはやめろといえない。既婚者は必ず故国から家族を呼ぶ。これも人道上拒めない。家族が来れば住宅や教育や医療の負担が日本の自治体に襲いかかってくる。しかも言語の違う子弟の教育には特別に手がかかる。そこまで考えないで安易に受け入れに賛成した、と言っても後の祭りである。

 民族国家においては少数派の移民は必然的に被害者の位置に自らを置く。移民がどんなに優秀でも、エリートにはなれないからだ。インドネシアの看護師や介護士も将来そう簡単に病院のリーダー、施設の長にはなれないだろう。そのことはやがて彼らの不満と怒りを引き起こす。

 フランスのアルジェリア人、ドイツのトルコ人はみなヨーロッパに自分の運を開く新天地を求めてやって来た。フランス人やドイツ人にすればこれは困る。運を開きたいならどうかアルジェリアやトルコでチャンスを作って欲しい。ヨーロッパの大国は自由と寛容を建前とするから初めは忍耐しているが、景気後退の時期にでもなると、たちまち摩擦が始まる。

 アメリカのような移民国家は事情が少し違う。フランスやドイツのような非移民国家、日本もその一つだが、そこでは多数派の国民が少数派の移民に対しまず最初は加害者となるが、次にそこから生じる葛藤で多数派もまた被害者になる。

 先進国側は労働者提供国に対し富を「与える」立場だと最初思っているが、前者が後者のパワーに依存し、自由を「奪われる」という事態に襲われたことにすぐ気がつくだろう。日本でもレストランなどのサービス産業で皿洗いや台所仕事に外国人を使っていないところはないといわれるぐらいだが、仮に今入管が厳しい措置をとって彼らを全員強制退去させてしまったら、レストランなどたちまち困ってしまうだろう。ドイツではかつて、トルコ人に帰国されたら洗濯屋さんがいなくなって立ち往生するからやっぱり彼らにいてもらわなければならない、という認識になったことがある。

 同じことが今度日本で正規導入するインドネシアやフィリピンの看護師や介護士の例でも起こるだろう。彼らの給与が悪くなく十七万円から二十万円くらいだそうである日本で失業者が巷にあふれ、「外国人よ帰れ」という怨嗟の声がわき上がるときがきたとしても、技術と経験をつんだ看護師や介護士は急にはつくれない。彼らに帰国されたら日本の病院や施設が成り立たなくなる。「ぜひ日本に居続けて欲しい」、そういう話になるに相違ない。日本人看護師や介護士の養成に手を抜いたつけが回るのである。

 いいかえれば外国人に日本側が自由を「奪われる」事態を迎えることとなる。何とも情けない話だが、必ずそういうことになる。

 しかも移民が一般化してくると、外国人がいないと工場が成り立たない、町が成り立たない、国家が成り立たないという、より広範囲な状況を引き起こすだろう。日本人失業者が増えてなおそうなる。フランスやドイツの例でいうと、大体人口の七〜八%まで外国人単純労働者を吸収する収容力が先進国にはある。そのラインを越えると政治的に異質な事件が多発する。二〇〇四年のオランダ、二〇〇五年のフランスはイスラム系住民と事実上の内乱に近い情勢となった。

 二〇〇五年の統計ではドイツは人口約八二〇〇万人のうち移民は約六七〇万人、フランスは人口約六二〇〇万人のうち約四三〇万人、イギリスは約五八八〇万人のうち約四六〇万人。以上は概数だが、移民はイスラム系が多数を占め、宗教的民族的対立を高めている。

 キリスト教とイスラム教の積年の宿敵関係がヨーロッパの移民問題の底流にあるのに対し、日本にはそれがない代わりに、韓国人、中国人がすでに大挙して移住してきて、新しい移民同士、日本国民とは関わりないところで人種間抗争を繰り広げる可能性はある。それが日本の小中学校に影響してくれば、教育の現場は今まで経験したことのない混乱に見舞われるだろう。

 パリにはイスラム系住民だけが住む特定街区がある。ヨーロッパの各大都市にもそれはある。自民党議連が移民一〇〇〇万人を受け入れる提言案をまとめたが、仮に日本に移民が一〇〇〇万人入ってきて、そのうちインドネシア人が一〇〇万人だとすると、彼らは在日韓国・朝鮮人の民団や総連よりも閉鎖的な「国内国家」をつくるだろう。パキスタン人も、バングラデシュ人も、その他中東系諸国の人々も、不法労働者としてではなく正規移民として入ってくれば、それぞれ強力な「国内国家」に立て籠もるだろう。日本の警察権の手が入りにくい複数の民族集団が形成される。

「国内国家」の乱立で日本社会が変質

 日本は今度インドネシアとフィリピンからの受け入れを認めたが、他のアジア、中南米、アフリカの各国からの労働者受け入れの要請を拒めるのだろうか。日本政府は摩擦を好まないので、いったん入れた外国人にフランスのように露骨に不平等を強いる冷酷な対応をしないため、二〇〇五年のパリの暴動のような反乱は起きないかもしれない。だが、その代わり日本人社会が妥協し、無理をして彼らに特典を与え在日朝鮮人に与えているように自分の利益を奪われ、屈辱を強いられるまでに市民権を後退させないだろうか。

 日本のような民族国家が受ける最大の被害は、社会が移民の受け入れで変質することである。固定した階級のない、移動性の高い柔軟な社会体質が日本の特徴である。外国人の定住化で、下層カーストや「国内国家」型集団が生まれると日本人の側は受け身になり、防衛的になり、日本人社会が知らぬ間に階層化し、保守的に固定化し、自由な流動性を失いはしないだろうか。

 それに人口問題とも密接な関係がある。人口減少が進んでいる時期に外国人を入れると、不思議なことに減少を加速する力にこそなれ、増加させる力にはならない。近年フランスは思いきって気前のいい額の助成金で若干の出生率の上昇をみたが、助成金の恩恵を受けているのはもっぱら移民労働者の家庭で、純粋なフランス人の人口は増えていないとも聞く。

 日本が今度、看護師と介護士の「無期限」労働許可に窓を開いたことはいわば蟻の一穴で、ここから水が漏れ、やがて堤防が決壊し、移民の大群に日本が襲われる日の近いことを私は恐れる。政策当局者の考えは甘いし、無制限に移入枠を増大させるのは許せない。

 世界の状況がすでに明示しているように、外国人労働者問題と難民問題とは同じ次元のことなのである。難民というものはあらかじめ存在するのではなく、発生するのである。誘因の存在するところへ向かって人の波が動き出す。

 何といっても厄介なのは国境を越えてすでに八方へ溢れだしている中国人の問題である。加えて、イスラム教徒は世界の人口の五分の一、十億人といわれているが、半世紀以内に人類の二人に一人はイスラム教徒になるという予測もあり、中国人より恐れられている。

 この点に関連して、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、カナダなどで心配されているのは白人の人口減である。ことにアメリカでは黒人とヒスパニックと中東イスラム教徒に白人が呑みこまれる日の到来への恐怖は、黒人奴隷の歴史をもつ国だけあって、想像以上に強い。オバマ大統領候補の出現はすでに微妙な何かを物語っている。

 アメリカ人はかつて日系移民を憎んだ。しかし今日本から労働者は行かない。日本を民主化させることに成功したからだと自惚れのアメリカ人は信じている。中東を民主化させればイスラム教徒は北米大陸にやって来ない。日本の先例からそう思ってイラクを攻撃したのだという説もある。

 こういう世界情勢下でイスラム教徒のインドネシア人に「労働開国」する日本の行政府の鈍感さと政治的無知には開いた口が塞がらない。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20080722-01/1.htm
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by thinkpod | 2008-07-26 17:43 | 政治経済
2008年 07月 22日

政府の莫大な補助金が支える欧米農業の実態と、その買い手に成り下がっている日本の無能政策

国民の負担なくして自給率は上がらない
政府の莫大な補助金が支える欧米農業の実態とは
食料危機は最大の好機――今こそ作れ、儲かる農業
2008年7月22日 火曜日  篠原 匡

 世界を襲った食料価格の高騰。日本でも食料自給に関する関心がにわかに高まっている。確かに、1960年に79%だった日本の食料自給率(カロリーベース)は食生活の変化や農業政策の失敗もあり、低下の一途をたどる。生産国の輸出規制や穀物価格の高騰を前に、危機感を募らせるのは当然と言えば当然だろう。

 だが、耕地面積が狭く、気候的に大豆や小麦の栽培に向かない日本で自給率を上げるにはそれ相応のカネがかかる。

 現実に、自給率を向上させている欧米各国は農業に対して相当の補助金を投入している。食料自給率100%オーバーの米国やフランス、オーストラリアはもとより、ドイツや英国で70%を超える自給率を達成しているのは国を挙げての保護の結果。国民も食料自給について、それなりの覚悟と負担をしている。国民負担の議論なくして自給率を論じてもあまり意味がない。

 今回、世界を襲った食料価格の高騰。日本でも食料自給は大きな関心を集めている。欧米各国がどのように農業を成り立たせているのか。工業と農業のバランスをどのように取るべきか。世界の農業政策に詳しい東京大学大学院の鈴木宣弘教授に聞いた。(聞き手は日経ビジネス オンライン記者 篠原匡)

――先日、閉幕した洞爺湖サミットでは、各国の首脳が原油や食料価格の上昇に強い懸念を表明しました。生産国の輸出規制や穀物価格の高騰など、食料問題は地球規模の問題となっています。この食料を巡るここ最近の動きを、鈴木教授はどのように見ていますか。

■ 食料輸出規制という“有事”に備えるべき

鈴木 今回の食料価格高騰で問題視しなければならないのは、「輸出規制が簡単に行われる」という事実でしょう。価格高騰の要因には、投機マネーの流入が広く指摘されています。ですが、今回の食料価格の高騰では需給要因以上に価格が高騰した。本来は物があるのに、貿易市場に食料が出てこなくなったためです。

 コメが顕著ですが、トータルで見ると、コメの在庫率は全然減っていない。だけれども、小麦やトウモロコシ、大豆が高騰した結果、コメの暴騰を心配して生産国がコメを囲い込んだ。そのせいで、物がないわけではないのに市場に出なくなった。カネを出しても買えないという状況が発生したわけです。それで、世界の市場で食料を調達しようと考えていた国が、特に貧しい国が仰天してしまった。

 現実に、穀物は生産量の十数%しか貿易に回りません。もともと貿易に回る量が少ない特殊な市場ですから、ほんのわずかな貿易量の変化が価格の急騰を招きやすい。1国でも輸出規制をしてしまうと、すぐに影響が出てしまう。

 では、生産国に輸出規制を課せばいいか、というと、これもそう簡単な話ではない。どこの国も自分の国民の食料を確保する責任と権利を持っているわけですから、それをやめろとは言えないでしょう。食料に関しては、市場が十分に機能しない状況が生じ得る。日本はまだ、カネがあるからいいと言っていますが、こういった事態を想定して、有事を乗り切れるように国内での食料生産を維持すべきです。

――国はカロリーベースの自給率で50%を目指すと打ち出しています。今回の食料価格の高騰をきっかけに、自給率に関心を持つ人々も増えてきました。ただ、自給率を上げると言っても、口で言うほど簡単ではありません。海外の輸出国を見ても、かなりの財政負担で農業生産を維持していると耳にします。

鈴木 食料輸出国の多くは、手厚い保護によって自給率や輸出競争力を維持しています。米国を見ると、穀物の市場価格は安く、自由に形成されている。その一方で、生産者に対しては再生産が可能になるような水準の目標価格が設定されて、低い市場価格との差額を生産者に補填する仕組みになっている。コメや小麦、トウモロコシ、大豆、綿花などがこういう形で支援されています。

■ 農家には差額を補填、国内需要を超えた分を輸出する米国

 この補填が、実は米国を食料輸出国たらしめている。生産者に支払う目標価格が十分に高ければ、生産者は需給に関係なく作りますから、国内需要を上回る生産が生じる。しかし、農作物の価格は市場メカニズムに基づいて決められており、価格そのものは低い。価格が低ければ、外向けにどんどん輸出できますよね。

 このために、米国はかなりの資金を投入しています。今は穀物価格が高騰しているため、補填する差額は減っていますが、1999年や2000年頃を見ると、輸出に向けられたコメと小麦、トウモロコシの差額補填で約4000億円を使った。コメや小麦、トウモロコシの生産者の農業所得では政府からの支払いが5割を占めている。これは、実質的な輸出補助金ですね。

 WTO(世界貿易機構)は2013年までに輸出補助金を全廃するという方針を打ち出しています。本来であれば、米国の差額補填は輸出補助金に分類されるべきでしょうが、「国内も輸出もすべて補填しており、輸出だけに特定した補助金ではない」と米国は主張していますね。まあ、話が逸れましたが、自給率が100%を超えて、結果的に輸出国になっているのはこうした政策の結果です。

 まとめると、米国の農家は競争力があるから増産して輸出国になっているのではなく、差額の補填が十二分にあるために国内需要を上回る生産が生じ、それが輸出に回っている。こういう理解ができるのではないでしょうか。

■ フランスもスイスも、政府の直接支払いが農家を支えている

 農業所得に占める政府からの支払い割合という点では欧州はもっと極端です。フランスは大変な農業大国ですが、農業所得の8割が政府からの直接支払いです。ほかのEU(欧州連合)諸国も同じような割合でしょうか。EUではありませんが、スイスのような山岳国ではほぼ100%、政府からの支払いで農家の生活が成り立っている。

――生産調整で高い米価を維持しようとする日本のコメ政策と似たようなものですか。

鈴木 高米価維持の場合は消費者が差額を負担していることになります。EUの場合は政府の直接支払いですから、消費者の負担を減らして、税金の負担を増やすということ。このように、世界の農業政策は消費者負担から納税者負担に移りつつあります。ただ、その中で消費者負担の部分が大きいのが牛乳や乳製品の世界でしょう。

 牛乳や乳製品は圧倒的にオーストラリアとニュージーランドが強い。これを、自由市場に任せると、欧米といえども負けてしまう。ですから、今でも200%、300%の関税を課しています。もちろん、消費量の5%は安い関税で輸入するというミニマムアクセスは設定しています。ただ、米国のチーズ輸入量は消費量の2%ほど。ほかの国々もミニマムアクセスの枠いっぱいを輸入しているわけではありません。

■ 余っているコメを律儀に輸入し続ける日本

 日本では、ミニマムアクセスを「最低輸入義務」と訳していますが、WTOの条文にはそんなことはどこにも書いていません。とにかく低関税の枠を設定しろ、と言っているだけ。国内に需要がなければ入れなくても構わない。

――日本だけが律儀にコメを輸入しているわけですね。

鈴木 もう、そこは米国との約束でやらざるを得ない、ということのようですけれども…。

 欧米のほとんどの国では、牛乳や乳製品の自給率は今でも100%近い。これは、政府が国内で相当高い価格で買い入れているためです。ただ、そうすると、必ず余りますよね。今度はそれを輸出補助金で安い価格にして、あるいは援助という形で外に出していく。

 この援助というのは、見方を変えれば輸出価格をゼロにする究極の輸出補助金とも言えます。援助は人道的な側面が強いですが、戦略的に考えれば輸出補助金と区別がつかないところがありますね。米国などは、多い年で援助だけでも1200億円の予算を使っている。こういった単純な援助のほかに、輸出信用という手段もよく取ります。

 例えば、ソマリアのように、カネがなくほとんど払えないと分かっている国に対する輸出に政府が輸出信用をつける。ほとんど焦げ付くわけですけど、輸出の保証人は米国政府。穀物商社のカーギルがソマリアにコメを売って、代金が回収不能になると米国政府がカーギルにカネを払う。初めから分かっていてやっているわけですが、こういう輸出信用が多い年で4000億円はある。

■ 欧米の農業政策は「攻撃的な保護」

 先ほど、コメや小麦、トウモロコシだけの差額補填に米国政府は4000億円を投入していると申し上げましたね。それと、食料援助の1200億円、輸出信用の4000億円。ほかにも、牛乳や乳製品でも輸出補助金を使っていますが、それを入れなくても、実質的な輸出補助金だけで、多い年で1兆円近くの金額を農業に投入している。

――国内で作るだけ作らせて、輸出や援助などの「出口」を作る。それが、欧米の農業国の戦略ということですか。

鈴木 そもそも米国でバイオ燃料と言い出したのは穀物の出口を作るという意味合いもありました。今でこそ価格が高騰していますが、トウモロコシや大豆、小麦価格は長い間、低迷していました。低い市場価格と目標価格の差額を負担するのは米国にとっても重荷だったわけです。

 何か新しい需要が必要という時に、原油価格が値上がりし、国民的な大義名分ができた。バイオ燃料を推進したのはこういった背景があったためです。これはEUも同じですよ。EUでは砂糖の輸出補助金をやめた結果、ビートがだぶつきました。それで、ビートを使ったバイオ燃料の生産を始めた。

 様々な形で増産が図られて、その結果として出てくる物を外に吐かせる――。こういった体制を整えて、自給率100%を達成しているわけですね。日本のようにコメを生産調整し、何とかしようという非常に内向きの、選択肢の少ない世界とは明らかに違う。いわば「攻撃的な保護」と言うべきスタイルです。

 まあ、今のような穀物価格の高騰を招くとは思っていなかったのでしょうが、穀物価格を上げるという意味では、米国の目論見通りになりました。これまで、どんどん増産し、貧しい途上国には「非効率な基礎食料の生産はやらなくてよろしい」と、「私が売って上げるから、商品作物を作って、そのカネで買いなさい」と言ってきた。にもかかわらず、価格が低すぎると思ったらつり上げてしまう。自己の利益で世界を振り回している感がありますね。

――「攻撃的な保護」。コメの生産調整に行き詰まっている日本の農業政策とはまるで違いますね。この現状、日本は食料自給をどう考えていけばいいのでしょう。

■ 食料安全保障のためには水田の最大限の活用を

鈴木 日本には今、465万ヘクタールの農地があります。ただ、この農地だけでは今の日本人の食生活を満たすことができません。穀物や飼料の輸入などを考えると、1250万ヘクタールの農地を海外に借りているのと同じこと。今の食生活を前提に、自給率を引き上げることはとんでもなく大変なことです。

 そう考えると、トータルの自給率はあまり上がらない。だから、考え方としては、輸出規制などで食料が入手できなくなった時に、しのぐ体制を準備しておくことです。小麦や大豆、トウモロコシを自給するんだ、と言ったところで、耕地そのものが限られており不可能に近い。

 では、どうするか。現在、コメ作りを抑制するために、相当のカネと時間、労力をかけている。コメ政策で年4000億円ぐらいを投下していると私は見ています。でも、この間の2008年産米の作付け面積を見ても分かるように、生産調整がうまくいっていないわけでしょう。過剰生産が解消されないのであれば、そこにかけている金を有効活用すべきです。

 日本には水田の生産能力が豊富に存在しています。世界的に見ても、国内的に見ても、日本が食料の安全保障に貢献するには、この水田を最大限に活用し、できるだけ自由にコメを作る方がいいのではないでしょうか。その代わり、欧米各国のように出口の部分をもっと調整していく。

 よく言われていますが、米粉を作ったり、飼料用米を作ったり、というのは出口戦略の1つ。ほかに、日本の場合はバイオ燃料という選択肢もあるでしょう。それと備蓄。フィンランドは主食用小麦を消費量の1年分、備蓄しています。それに比べれば、日本は1.5カ月分に過ぎません。

 備蓄は援助にもつながります。今回のようにコメが暴騰した時、日本の援助が常に発動しますという体制を整えておけば、それがメッセージになって価格の暴騰を抑えることができる。日本の食料の確保にも、そして世界の食料安全保障にも貢献できる。まあ、備蓄増については国民が納得するかどうかです。

■「ばらまき」でない有効な補助金の使い方を

――米粉、飼料用米、備蓄増。いずれにしてもカネがかかりますね。

鈴木 WTOに申告している農業の国内補助金を見ると、日本は6400億円です。それに対して、米国が公式に出している金額は1兆8000億円。実際は、3兆円ぐらいあると言われています。EUは4兆円ですね。

 こうして見ると、総額では日本は少ない。ただ、総額以上に、農業所得に占める政府の支払い割合が低い。どう計算しても、せいぜい2割というところ。補助金が農家に届いてないんですよ。

 もちろん、土地条件が悪い日本では基盤整備という土木事業も必要です。ただ、今みたいに、農家が疲弊している状況では、所得を形成できる支援がないと、農業が成り立ちません。相当、カネを出しているのに、どこに行ったか分からない、ということのないように、効率的な予算作りをする必要がある。

――食料の自給、農業の再生を考えるのであれば、国民もある程度の負担を覚悟しなければならない、ということでしょうか。

鈴木 そうですね。それが、国民として必要なカネと納得できるかが問題なわけで、単にばらまきと受け取られるような形ではね。農家が困っているから、では理由になりません。欧州では農家への直接支払いが充実していますが、それを国民に納得してもらうためにいろいろと理由づけをしています。

■ 欧州では棚田の機能を重視しカネをかける


 その1つが、食料生産における多面的な機能の評価です。農村があって、食料が生産されている。これは、食料確保はもちろんだけれども、それ以外に様々な役割を果たしています。それを様々な指標で具体化し、国民に見せている。

 例えば、日本で言えば、山間部の棚田は非常に非効率です。日本では、ああいう非効率な田にカネを出すという議論は受け入れられそうもない。ところが、北イタリアの水田地帯では、棚田での稲作についてはほかの作物より上乗せされたカネが直接、支払われている。

 その上乗せの理屈の1つは、水田による水の浄化作用。そしてもう1つがオタマジャクシや赤トンボ。生物多様性に効果があるということですね。あとは、ダムとしての洪水防止機能です。こうした水田の機能はコメの価格には反映されません。

 でも、生産者に市民が対価を支払うべきもの、と彼らは理解されている。日本でこういった考え方が理解されるかは分かりませんが、小規模で非効率な棚田を維持するには、対価を払わなければならない。

――下手をすると、予算のばらまきになりかねない。

鈴木 効率性のように目に見えて金額換算できる部分、市場で取り引きされる部分ばかりが議論されますが、山林などのように、金額換算されずに対価が支払われないままになっている価値がいろいろあります。もちろん、すべてが金額で換算できるわけではありませんが、様々な指標を総合的に勘案し、最適な解を導き出すのが本来の経済学の議論でしょう。

■「農家が困る」からでなく、将来の国の姿を描くために議論を

 自給率の問題にしても、今回のような穀物価格の高騰で発生するリスクを計算し、それに対してどのくらいのコストを支払うか、という議論が欠かせません。実際に計算するとなると難しい面はありますが、こういう方向で議論していくことは必要です。

 これまで農業サイドは様々な運動をしてきましたが、「農家が困る」というところばかりが目立ったような気がします。だから、農業サイドの主張を多くの国民は「農家のエゴ」と判断したのではないでしょうか。

 その一方で、経済界は経済界で工業製品の輸出拡大がすべて、というイメージで物事を語ります。両方とも両極端でかみ合っていない。

 農業と産業。将来の国の姿として、どの辺りでバランスを取るか。冷静な議論が十分になされてきたとは言えませんし、それを議論するだけの客観的な指標も十分に提示できていなかったと思います。今回の食料問題は良い機会ですから、客観的なデータを基にして、納得できるまで議論すべきです。


鈴木宣弘(すずき・のぶひろ)
東京大学大学院・農学生命科学研究科 農学国際専攻 国際環境経済学研究室教授。1958年生まれ。1982年農林水産省に入省、九州大学教授を経て、2006年より現職。専門は農業経済学

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080718/165787/?P=1
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by thinkpod | 2008-07-22 15:31 | 政治経済