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2008年 05月 05日

人口減少社会なんて怖くない〜外国人労働者の受け入れは、社会構造改革のチャンスを逃す〜


人口高齢化で日本の労働力は不足するのか(1)
〜外国人労働者の受け入れは、社会構造改革のチャンスを逃す〜

法政大学経営学部 佐野 哲 教授

少子高齢化が進む日本。昨年暮れの厚生労働省の発表によると、2005年の日本の人口は、1899年に統計を取りはじめて以来、初の減少となった。
こうしたなか、移民や外国人労働者に広く門戸を開き、労働力不足を補うべきだという議論が高まっている。
はたして、労働市場を外国人に開放すべきか否か。この問題について、法政大学経営学部・佐野哲教授にお話をうかがった。佐野教授の専門は、経営社会学、企業・労働者調査、労働需給システム研究。今回を含めて3回に分けて、インタビューの内容を紹介したい。
今回は、移民や外国人労働者を受け入れる前提となっている「少子高齢化による労働力不足問題」について、教授の持論を語っていただいた。
聞き手/吉田 直人、文/二村 高史

2006年3月13日

有効求人倍率の数字は労働市場の実情を反映していない

 少子高齢化が進み、とうとう人口の絶対数が減少する時代に突入しました。今後、「不足する労働力を海外から導入せよ」という議論がありますが、本当に労働力不足は深刻なのでしょうか。

佐野:
 確かに、有効求人倍率は上昇傾向にあり、今年に入って1倍を超えるところまで上昇。労働市場開放を訴える人たちは、この数字を取り上げて、近い将来の人手不足を心配しているようですが、私はそうは思いません。

 というのも、バブルの時期の有効求人倍率は3?4倍??つまり、1人の労働者に4人分もの求人があったほどの人手不足でした。それが、一時は0.5?0.6倍にまで落ち込み、それがやっと1倍に戻ってきたと考えれば、労働力が足りないと心配するほどのレベルではありません。

 しかし、有効求人倍率の上昇傾向が続けば、労働力不足の時代がやってくるのではないでしょうか。

佐野:
 そもそも、職業安定所の発表する有効求人倍率の数字自体に問題があると、私は考えます。その理由は2つあります。

 1つは、職安の事情です。現在、職安は独立法人化、民営化の波にさらされていて、とにかく業績をかせがなくてはなりません。厚生労働省からもノルマが言い渡されており、求職者と企業とのマッチングを、少しでも早く、多くしなければならない状況なのです。

 その結果、以前ならば、職業訓練校などでじっくりと訓練するべきだと担当者が判断したようなケースでも、いまでは素早く紹介状を書いて「就職件数1件」という実績をつくろうとするわけです。

 かつては、「人材ビジネスは紹介料ほしさで人を押し込むが、行政が運営する職安はじっくりと相談に乗ってくれる」というのが一般的な認識でしたが、いまでは、むしろその逆が実情です。

 よかれ悪しかれ、いったん仕事を得れば、もう求職者ではありません。こうして、次々に仕事が紹介されていくために、求人倍率を算出する基準となる「求職者」の数は減っていくわけです。

 もう1つ、いわゆるニートや引きこもりを、求職者としてカウントしていないという点にも問題があります。

 ニートや引きこもりの人たちの中にも、条件が整えば労働市場に出ていく人は少なくないでしょう。潜在的な求職者としてカウントすれば、求職者の数はもっと増えるはずです。

 こうして、求職者の数が現実よりも少なく算入されている一方で、景気自体は上昇傾向にあるために、企業からの求人自体はそこそこ出ています。これが、このところの有効求人倍率上昇のからくりなのです。実際には、数字で見るほど人手は不足していないと考えるべきでしょう。


人口減少時代を迎えても労働力は不足しない

〜それでも、求人件数自体が増えていけば、労働力は不足しませんか。

佐野:
 実は、企業側の状況を見ると、ここにも求人数が増えるからくりがあります。成果主義に走る企業が増え、労働力が流動化していくなかで、求人数もまた実際の感覚よりも多い数字になっているのです。ちょっとわかりにくいので、順を追って説明しましょう。

 まず、1990年代の「失われた10年」という不況を経験することで、正社員を採用する人事部の目が肥えてきたというのが大きな要素です。これに加えて、派遣やアルバイトという労働形態も定着。その結果、どの企業も正社員を厳選して採用するという方針をとるようになってきました。

 現に、求人を出してはいても、実際にとるかどうかは本人を見てから決めるという企業が増えています。

 そのうえに、若い人たちの定着率がどんどんと低下しているという現状があります。いまでは、優良企業に就職した一流大学の新卒者でも、1年で5%が退職といいます。

 大量に退職者を出した企業は、その穴埋めとして大量に求人を発注。結果として求人件数は上がっていくわけです。

 成果主義をとる会社が増えてノルマがきつくなってきたため、新卒者に限らず、中途退職者の数はさらに増えていくことでしょう。

 こうして、求人件数は増加。でも、採用するかどうかはわからない。仮に採用しても、社員はすぐにやめていく。そこで新たに求人を出す……こうした循環によって、求人件数の数字は実情以上に多くなってしまっているのです。

 要するに、社会の構造が変化しているのにもかかわらず、有効求人倍率という数字の出し方が変化していないのが問題です。こうした数字は、もはや時代遅れであり、それを根拠にして議論することは、あまり意味がないのです。

〜では、人口減少時代になっても労働力は不足していないと考えていいのでしょうか。

佐野:
 少なくとも、当分は労働力が不足するということはないでしょう。たとえ、労働者の数が減っても、省力化や合理化によって生産効率を上げる努力が行われるはずですし、そうしなければなりません。労働者が減っても十分にまかなえるようになります。

 そもそも、労働力の不足を嘆く前に、女性や高齢者がもっと活躍できる場を確保すべきでしょう。そして、若い人の就業意欲を高める努力も必要です。そうした有能な人たちが働けないでいる現在の構造を変化させれば、労働力が不足しているということはけっしてありません。

 外国人を労働力として受け入れるかどうかというのは、その次の段階です。女性、高齢者、若年層に対する雇用開発をしてもなお、労働力が不足した場合に、はじめて議論すべきことだと思います。

 安易に外国人を導入して労働力不足を解消しようというのは、雇用構造の改革という根本的な治療をおこなわずに、モルヒネを打ってその場しのぎで痛みをとめるようなものといっていいでしょう。

女性、高齢者、若年層が
きちんと働ける環境にすることを優先せよ

〜いわゆる3K職場のように、職種によっては日本人の働き手がいないため、外国人労働者に頼らざるをえないという意見もありますが。

佐野:
 1990年に出入国者管理法が改正されるに当たって、外国人の単純労働者受け入れを求めたのは、賃金の低い3K職場の中小・零細企業経営者でした。当時、こうした職場は人手不足に悩まされ、存続の危機に見舞われていたのです。

 もちろん、そうした企業の経営者の方々の気持ちは、痛いほどよくわかります。しかし、本来ならば、技術革新や省力化によって克服すべき危機でした。言葉は悪いのですが、それができない企業は市場で淘汰されるというのが、あるべき姿なのです。最終的には、そのほうが日本企業や社会全体にとってプラスになるからです。

 ところが、そうしないで、外国人の力を借りて倒産をまぬがれるという方向に向かおうとしたのが16年前でした。そのままいくと、どうなるかといえば、劣悪な労働環境が残り、イノベーションが滞る原因となってしまいます。

 このように、淘汰される企業が残るから、安易な外国人導入はダメというのが当時の議論でした。そうした企業レベルでの議論が、いまでは日本社会全体を対象にして論じられていると考えるといいかもしれません。

 つまり、女性、高齢者、若年層がきちんと働けない社会というのは、淘汰されるべき社会なのです。そうした人たちが自己実現できるような雇用構造、社会構造に変えていくべき時期に来ているのに、ここで安易に外国人労働者を導入すれば、従来の社会が淘汰されずにそのまま残ってしまうことなります。

 現在の日本全体が、当時の劣悪な環境の中小企業と同様な状態であり、外国人労働者を受け入れることは、外国人の力を借りることによって日本の社会の崩壊をまぬがれようとしているわけです。これは、けっして建設的なことではありません。

 将来の日本において、本当に労働力が不足してしまったら、外国人の力を借りる場面も出てくるかもしれません。しかし、その前にまず、女性、高齢者、若年層が就業できるようにするべきだというのが私の考えです。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/interview/59/index.html





人口減少社会なんて怖くない

~わが国本来の人口に戻っていくと考えるべき~

経済アナリスト 森永 卓郎氏
2006年4月3日

人口が減ったからといって労働力が落ちることはない

 いささか旧聞に属するが、昨年12月22日に厚生労働省が発表した人口動態統計の年間推計によると、わが国の死亡数(自然減)が出生数(自然増)を上回り、予想よりも1年早く2005年から人口が減少に転じたことが明らかになった。

 この発表をきっかけにして、人口減少社会を迎えた日本の行く末を案じる議論が盛んになってきた。人口が減少することによって経済活動が停滞し、経済成長率が低下するというわけだ。

 しかし、私はそれほど暗い気持ちになることはないと思っている。

 人口が減少しても、一人当たりの所得が落ちるわけではない。社会全体の経済のパイが小さくなっても、一人あたりの所得が減らない限り、生活は維持できるのだ。

 人口が減っても、経済成長率はほぼ横ばいか、むしろ微増で推移するのではないかと私は考えている。

 なぜならば、人の数が減れば、それを補おうとする工夫がこらされるからだ。

 現に、OECD諸国で、労働力人口の伸び率と生産性の伸び率を比較してみると、労働力人口の伸びが小さい国ほど、生産性の伸びが高い。

 つまり、人が減ったことをきっかけにして、労働力の低下を補うために、機械化投資などが行われて生産性が上昇するのだ。機械でできることは、みな機械にやらせればいい

 むしろ、人口が減っていいこともある。

 現在の約半分――かつて日本の人口が6445万人だったのは、いつのころだかおわかりだろうか。

 それは、1930(昭和5)年である。人類の歴史、日本人の歴史から考えれば、“たった”75年前に過ぎない。

 思うに、その程度の人数が、日本の定員ではないだろうか。人口がその程度に減れば、さまざまな社会問題が解決される可能性がある。

 通勤の混雑が緩和され、車内で楽に新聞が読めるようになるだろう。

 交通渋滞もなくなり、お盆や年末年始の帰省ラッシュも緩和される。夏休みのレジャーで、お父さんがくたくたになることは、もうなくなる。

 住宅問題も完全に解決するはずだ。

 確かに、人口減は高齢化を伴うのでよくないという意見もある。

 2025年には、65歳以上人口比は28.7%になるというから、現在とくらべて8.8ポイントの上昇である。

しかし、現在の時点でこの高齢化率を越えている自治体は、日本に山ほどある。私は、仕事でこうした市町村を訪ねることがあるのだが、けっして悲惨な暮らしをしているわけではない。ほとんどの街で、ゆったりとした幸せな暮らしが送られているのだ。

 もちろん、年金の問題は重要ではあるが、これはまったく次元の違うことがらである。

 年金については、方式を変えたり、富裕税をかけたりといった方法で解決を考えていく必要があるだろう。年金問題については、回を改めて考えることにしたい。



地方と都会の格差をなくし、グランドデザインを描き直すチャンス

 人口減少問題を考える際には、地方と都会の格差問題は避けて通れない。都会では人口減少がプラスの効果をもたらしたとしても、ただでさえ過疎で悩んでいる地方では、致命的なことになりかねないからだ。地方と都市の格差をそのままにしておくわけにはいかない。

 しかし、人口が減少に転じたいまこそ、日本という国のグランドデザインを描きなおすいいタイミングではないかと私は思う。それには、どうすればよいか。

 まずは地方の現状を見てみよう。

 私はよく講演で地方に行くのだが、経済停滞の悲惨さはひどいものだ。中心部の商店街は、ほとんどがシャッター通りと化している。

 鹿児島に講演に行ったとき、こんな経験をした。空港から講演会場までタクシーを利用したときのことである。確か金額は6000円ほどだったと記憶している。

 現地に着いて運転手さんが言うには、「ぜひ帰りも乗ってください。ここで待っていますから」

 だが、講演が終るまでは時間がある。私は「そんなことをしたら、ほかの仕事をできなくなるでしょう。講演が終るまで3時間もあるんですよ」と言った。

 ところが、運転手さんはそれでも待っているというのだ。理由を尋ねて私は驚いた。

 最近は、1日の売上が合計で2000円に満たない日があるのだそうだ。なるほど、それならば、3時間待っても6000円を取りにいくほうが確実だということになる。

 こんな話はほんの氷山の一角だろう。タクシーの運転手さんの廃業は続出しているというし、それよりも何よりも地方の経済そのものがボロボロになっているのだ。

 では、都会では誰もが幸せに暮らしているかといえば、けっしてそんなことはない。

 宝島社が出している「田舎暮らしの本」が30万部も売れていることからもわかるように、多くの人が都会暮らしにうんざりして、田舎で人間らしい暮らしをしたがっている。潜在的な希望者を合わせれば、おそらく百万人の単位で存在しているに違いない。

 私の周りにも田舎暮らしを望んでいる人が多いのだが、それが実現したという話はあまり聞かない。なぜか。それは、田舎に「行かない」のではなく「行けない」からだ。

 田舎に行っても雇用の場がないから、よほど金を貯めた人は別として、田舎で暮らしていくことができないのである。

 それでも田舎暮らしをしたければ、農業をすればいい――そう言いたいところだが、いまという時代は、専業農家では食えないのである。野菜を作っても中国や東南アジアからの輸入農作物に価格で太刀打ちできない。そして、それ以上に、日本の田舎は山も畑も荒れてしまっていて、農業を続けることのできない地域も多い。

 田舎暮らしをしたい都会人や、農業をやってみたい都会人が増えている。その一方で、田舎でも人がいたほうが望ましい。ところが、田舎では食っていけない。

 そんな地方と都会のミスマッチを、どうやって埋めればいいのか。

 こういう本質的なことがらを解決するためにこそ、税金を使うべきだろう。人が入らない音楽ホールだの、車がめったに通らない高速道路だのといった、くだらない公共事業などやめて、農家がきちんと働けるように金を使ったらいい。

 たとえば、低農薬、有機肥料で農作物を生産するために、研究費や補助金を捻出。都会から移住する新しい農民に、そうした農業を実行してもらうのはどうだろう。

 国土の均衡ある発展に役立つのではないか。

 ここでは思いついたままのアイデアを書いてみたが、こうした方策をいろいろと考え、日本のグランドデザインを描き直せば、人口減少時代はちっとも恐ろしいことはないのである。


外国人労働者受け入れは新自由主義者のわがまま
~得をするのは受け入れ企業、コストをかぶるのは国民全体~

 人口減少時代を迎えて、移民を受け入れよと主張している人がいる。いわゆる、新自由主義の立場にたった人たちだ。

 新自由主義というのは、評価の尺度を金に一本化するという単純な発想から成り立っている。

 その典型がホリエモンである。ライブドアの社長だったころの彼は、「社員がやめたら、またマーケットからとればいい」とうそぶいていた。

 彼らには、一人一人の労働者の顔が思い浮かぶことはない。

 彼らにとっては、鈴木さん、佐藤さん、田中さん……といった個人名はどうでもいい。あくまでも、労働力1、労働力2、労働力3……という存在に過ぎないのだ。

 彼らの発想の根源となっているが、いわゆる生産関数――つまり、経済の大きさが、労働と資本を投入した量で決まるという理論だ。

 ところが、人口が減少してしまうと、投入できる労働は減り、彼らの儲けも減ってしまう。そこで、経済成長を維持させるために、どこからか労働力を供給しなければならないと考えているわけだ。それが手っとり早い方法だからである。それが、外国人労働者を受け入れよという要求につながってくる。

 しかし、外国人労働者の受け入れには、私は絶対反対である。

 現に、ドイツやフランスをはじめとして、諸外国でも外国人労働者の受け入れは失敗の歴史であるといっていい。

 たとえば、ドイツでは1960年代、高度成長のもとでトルコから大量の労働者を受け入れた。

 ところが、高度成長が終わり外国人労働者の雇用調整をしようとしたところで、つまずいてしまった。すでにドイツ国内では労働者たちに二世が誕生。彼らはドイツで生まれ育ち、ドイツ語しか話せず、本国に返そうにも返すことができない。

 そこでドイツが何をやったかというと、トルコに家を建てるための資金を与え、子どもたちにはトルコ語を教えた。そうした莫大なコストをかけて雇用調整をしたのである。

 日本で外国人労働者を受け入れても、まず同じことが起きるだろう。

 外国人労働者のメリットというのは、雇った企業のみに現れる。

 ところが、そのコストは長期間にわたって全国民にはねかえってくるのだ。たとえば、小学校の教育一つとっても、外国人の生徒がいれば、コストは10倍はかかるだろう。外国人労働者本人も失業を頻繁に繰り返すことが予想され、失業保険のコストがかかる。

 公的な住宅費もかかるし、市役所のパンフレットも各国語で書くためにコストがかかる。

 そして、そうしたコストは雇った企業ではなくて、何の関係もない国民にかかってくるのだ。

 さらにいけないのは、外国人が入ってくるために、まじめな日本の若者がワリを食うことだ。その一例が、最近になって外国人の受け入れが検討されている介護士や看護師である。

 日本の若者のなかにも、最近では福祉分野で働きたいという、まじめな人がたくさんいる。ところが、そこに外国人介護士や看護師を受け入れたらどうなるか。起きるのは、外国人の賃金に合わせた劇的な賃金低下である。これでは、若者ならずとも勤労意欲を失ってしまう。

 これが、あらゆる分野で起きたらどうなるだろうか。若者はますます仕事につかなくなり、社会不安は拡大していくに違いない。

 さきほども述べたように、日本の人口が減っても経済成長率が落ちることは、ほとんどない。

 人口は減ってもいいのだ。本来の人口に戻っていくという気持ちで迎えようではないか。そして、人口の減少を前提にして、そのなかで、どうやって幸せに暮らしていけばよいかを考えたほうが建設的でないだろうか。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/25/index.html
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by thinkpod | 2008-05-05 19:36 | 社会