reference archives

hogetest.exblog.jp
ブログトップ

<   2007年 04月 ( 5 )   > この月の画像一覧


2007年 04月 27日

日本は世界で一番株式を使った買収がしやすい 国になる

「三角合併」来月解禁:海外企業にM&A新手法-魅力増す日本企業(3)

4月27日(ブルームバーグ):「日本は世界で一番株式を使った買収がしやすい 国になる」――国内外の合併・買収(M&A)に詳しい西村ときわ法律事務所の太田 洋弁護士は「三角合併」解禁の意義についてこう語った。海外企業が日本企業買収の 対価として自社株を活用できるこの新たな手法は、表裏一体として日本企業の経営者 に企業価値への意識を強めさせ、日本企業の魅力が増すことにもつながる。

三角合併は海外企業が日本企業を買収する際の新制度。海外企業の日本の子会社 が親会社株を取得、日本企業と合併契約を結ぶ。日本企業の株主は保有株を差し出す 対価として海外企業の株式を子会社から受け取ることになる。

日本企業の取締役会決議と株主総会特別決議(議決権の過半数が出席、うち3分 の2以上賛成)が成立には必要。これまで海外企業による日本企業買収は実質的に現 金での株式取得しかなく、合併対価は存続会社株式しか認められていなかった。

この三角合併を可能にする「合併等対価の柔軟化」が5月1日施行される。条項 自体は2006年5月1日施行の会社法に盛り込まれたが、日本企業が買収防衛策を導入 する期間を確保するためなどとして、1年間の経過措置が設けられた。

三角合併は「現金なしでの買収が可能」というのが要諦。成立条件を踏まえると 敵対的(取締役会が賛同しない)買収には不向きだ。独立系M&A助言会社GCAの 福谷尚久パートナーは「三角合併を恐れた顧客大企業からの相談は実はない」と明か す。敵対的買収急増といったいわゆる外資脅威論は、証券会社の投資銀行部門が事業 機会拡大を狙って喧伝したり、メディアが煽っている影響が大きい。

GCAは米シティグループが株式公開買い付け(TOB)を仕掛けた日興コーデ ィアルグループの財務アドバイザー(FA)。創業者の渡辺章博、佐山展生の両パー トナーは内外のM&Aに詳しい。

ブルームバーグ・データによると1-3月期のFA関与額は、野村ホールディン グスやみずほ、ゴールドマン・サックスといった内外の強豪を抑えて首位になった。

有効性増す買収・合併提案

とはいえ5月1日をもって海外企業は三角合併という新たな日本企業の買収手法 を手に入れることは確かだ。特に時価総額が大きい企業には財務へのインパクトが少 なく、活用の余地が大きい。敵対的買収にはそぐわないが、買収・合併提案自体は三 角合併解禁によって有効性を増す。

これまでの現金のみの買収提案から、株式による買収提案、株式と現金の組み合 わせというミックス提案が可能になるからだ。株式と組み合わせることで現金部分の プレミアム(上乗せ)が付けやすくなる。

株主にとっては現金を受けるか株式と交換するかの選択肢が広がり、取締役は買 収提案に反対しにくくなる。例えば外国人株主や機関投資家が多いソニーに米GEが ミックスによる三角合併を提案した場合、個人株主は現金を受け取り、外国人や機関 投資家はGE株を受け取るといった例が想定できる。

これは同時に、日本企業の株主や経営陣がM&Aのボーダレス化加速を望むと望 まざるとにかかわらず意識せざるを得なくなることを意味する。この反応として企業 経営者は買収防衛策を導入したり、株主の支持を集めようと増配をしている。経済産 業省によると防衛策導入企業は200社を超えた。

さらに最強の買収防衛策であるMBO(経営陣による企業買収)、非公開化に踏 み切る企業も出ている。2007年だけでもテーオーシー、サンスター、明光商会、ツバ キ・ナカシマといった企業がすでに発表した。抜本的事業再編や上場デメリット排除 がMBOの主要因だが、結果的に非公開化は買収防衛にもつながる。

敵対的買収の誘因?

三角合併は敵対的買収の誘因となる可能性がある――日本経団連はこうした考え を打ち出した。そして株主保護や技術流出防止の観点から、日本企業の株主が対価と して国内取引所非上場の海外株を受け取る場合は総会要件を特別決議より厳しい特殊 決議(総株主の過半数、かつ議決権の3分の2以上の賛成)にするよう提言した。

友好的な買収のみに本来有効な三角合併で経団連が懸念しているのは、いわゆる 「強圧的二段階買収」。海外企業がTOBを実施、過半数または3分の2超の株式を 取得したうえで取締役を入れ換えて三角合併に賛成させるというもの。

三角合併予定を宣言してTOBを仕掛けると、本来は手持ち株を手放したくない 株主も海外企業の株よりは現金のほうがいいとしてTOBに応じるとの見方だ。とは いえ、これはTOB制度の問題。TOBの段階で現金拠出が伴い、三角合併の利点は 損なわれる。証券取引法改正で3分の2超取得には全部買い付け義務も伴う。

米ベル・ヒューズは株式6%を保有していた東光に三角合併による統合を提案し た。これに対して東光取締役会は2月までに提案拒否を伝え、話は立ち消えになって いる。ベルは4月中旬から東光売却を始めて保有比率は現在2%を下回っている。

東光株の保有目的も「政策投資や経営参加」から「純投資」に戻しており、事実 上統合提案を白紙撤回、利益を確保して撤退したことになる。三角合併が敵対的買収 に不向きな証左といえる。

グローバルスタンダードより一歩前

ドイツとフランスに三角合併の制度はない(複雑な仕組みにより実施は可能)。 英国には制度はあるが成立要件が極端に厳しい。三角合併発祥の地である米国にはも ちろんある。しかも、米国企業が日本で日本企業を買収する場合、新株発行といった 手続きに必要な諸書類は日本語訳するだけで通用するという。

逆に米国内で三角合併により日本企業が米国企業を買収する際には、必要書類を 米国会計(SEC)基準で作成する必要がある。このため、実質的に三角合併で米国 企業を買収できる日本企業は、ニューヨーク証券取引所(NYSE)やナスダック上 場でSEC基準導入企業にほぼ限られるのが実情だ。

日本での三角合併施行を前に懸案になっていた課税措置についても、繰り延べが 認められることになった。繰り延べが認められないと、日本企業の株主は海外企業の 株式を受け取った段階、日本企業自体は合併の段階で納税負担が発生することになる。

在日アメリカ商工会議所(ACCJ)や欧州ビジネス協会(EBC)は、課税繰り延 べが認められないと三角合併が事実上できなくなるとして容認を働きかけていた。

英アレン・アンド・オーベリー外国法共同事業法律事務所の中田順夫・弁護士は、 一連の法制面の手当てと会計制度を踏まえて「日本は世界でも三角合併がやりやすい 国になったといえる」と述べた。

「小が大を呑む」

「小が大を呑む合併」――高視聴率を記録して3月に終わったTBSドラマ「華 麗なる一族」(原作:山崎豊子)で阪神銀行オーナー頭取の万俵大介(北大路欣也) は都銀上位行との合併を画策して何度もこうつぶやいた。現金が要らない三角合併を 活用すると小が大を呑む合併も容易になる。

日本企業が主体だが、実際に似た案件が最近あった。東証1部上場の旭テックは 2006年秋、米自動車部品のメタルダイン買収を発表した。有利子負債返済などを含め 総額は1373億円。旭テック全額出資の米買収子会社がメタルダインと合併する。

売上高はメタルダインが2212億円(05年12月期)、旭テックは580億円(06年 3月期)で4倍弱の開きがあり、小が大を呑む合併になった。メタルダインの普通株 と優先株の株主は現金を受け取り株主の権利を失った。そのうえで主要な株主はその 現金で旭テック新株を引き受けた。

最終形としては旭テックが買収対価として自社株を活用したことになる。合併存 続会社がメタルダインだったことで「逆三角合併」(三角合併は買収子会社が存続会 社)ともいえる案件になった。

こうした取引が海外企業にも日本で可能になる。ただ、三角合併での小が大を呑 む合併には制約がある。相手先の規模が大きすぎると、合併後に相手先株主が買収主 体の主要株主に登場するからだ。実際に旭テックの案件ではメタルダイン株主が旭テ ック株11.4%(3月払い込みの増資を含む)を保有する第3位株主に登場した。

発行済み株式が増えたためRHJインターナショナル(旧リップルウッド)の持 ち株比率は37.1%に低下、旭テックはRHJの子会社ではなくなった。

日本企業にも活用余地大きい

海外企業ばかりでなく、三角合併は日本企業にも活用の余地が少なくない。経営 コンサルティングやM&A助言を手掛けるアビームM&Aコンサルティングの岡俊子 代表取締役は、三角合併は買収防衛策にも活用できると語った。買収防衛を手助けし てくれるホワイトナイト(友好的な第三者である白馬の騎士)に現金確保・調達が必 要ないのがメリット。

仕組みとしては、例えば投資ファンドに株式を買い占められた企業が買収子会社 を設立、買収子会社がホワイトナイトと合併する。企業はホワイトナイトの株主に新 株を対価として割り当てる。この新株発行により発行済み株式が増えて投資ファンド の持ち株比率が低下するというもの。

この三角合併の買収防衛策としての利用について岡代表は「まだアイディアの段 階」としながら注目すべき枠組みと強調している。

また、持ち株会社形態の企業が他社と合併する場合も三角合併のしくみを活用す ると、従来よりも円滑に事業統合ができるとしている。さらに株式を持ち合っている 企業同士が共同持ち株会社で経営統合・合併する場合、保有することになる自己株の 処分にも三角合併制度は有効と想定している。

さらに合併等対価の柔軟化により「現金交付合併」も可能になる。合併時の対価 は条文上何でも可能で、もちろん現金でも可。現金でTOBを仕掛ける場合は事前警 告型買収防衛策の手続きに従う必要があるが、現金交付合併ではその必要がない。手 続きに要する期間もTOBよりは短い。税制面での問題がネックになっているが、日 本企業にはこうした三角合併、合併等対価の柔軟化の活用方法がある。

魅力増す日本企業

三角合併解禁を前に日本の企業経営者は、本業強化はもちろんのこと買収防衛策、 増配、自社株買い、株式持ち合いなどさまざまな対応策を打ち出した。鉄鋼世界最大 手の蘭アルセロール・ミタルの攻勢にさらされる鉄鋼業界では、新日本製鉄やJFE ホールディングスがこのすべての策を打ち出した。

ブルームバーグ・データによると、日経平均採用銘柄で過去1年間の上昇率順位 は2位に新日鉄、7位にJFEが入った。企業価値を高める施策が奏功して、すでに 株主の利益拡大に結びついていることになる。

この順位には商船三井が3位、川崎汽船が5位、日本郵船が14位と海運大手3社 がそろって入った。海運業界では世界最大手デンマークのAPモラー・マースクが買 収攻勢をかけている。日本勢が巻き込まれる気配はいまのところないが、日本の経営 陣が自社の企業価値を意識するうえでAPモラーの動向は見逃せない。

企業価値向上策として今後は、日本では珍しい積極的な「身売り提案」も出てく るかもしれない。好まざる企業から買収提案されるよりも、好ましい企業の傘下に積 極的に入ることで勝ち残りを目指すという考えだ。身売り提案時には条件を自ら指定 できるという主導権も握れる。1984年だが万有製薬が米メルク傘下に入った例はある。

M&Aに詳しい長島・大野・常松法律事務所の井上広樹弁護士は、三角合併施行 を直前に控えて国内外の企業からの三角合併についての相談は増えていないとの現状 を示した。実務上のニーズは言われているほど多くないとしている。同時に三角合併 により「日本企業の買収対象としての魅力が増し、海外企業が日本企業に興味を持つ 契機にはなり得る」と指摘した。

日本企業にも事業機会

税務上の問題は一応クリアされたが、三角合併には海外企業が新株を使う場合の 発行や開示方法をはじめとした諸手続きが必要。このため「しばらくは上場企業でな い閉鎖会社をターゲットとした買収制度の1つに位置づけられる」(アンダーソン・ 毛利・友常法律事務所の小舘浩樹弁護士)公算も大きい。同時に現在の日本のM&A 案件で重要な役割を演じている投資ファンドを含めた当事者の行動様式に与える影響 は小さくない。

三角合併はあくまでM&Aの一手法。独ダイムラー・ベンツは米クライスラーを 三角合併により98年に買収した。現在は不振のクライスラー部門を売りに出している。

アーンスト・アンド・ヤング(E&Y)トランザクション・アドバイザリーサー ビスの杉原敦マネジングディレクターは、三角合併解禁を前に「重要なのはM&A自 体ではなく統合を成功させることであり、ダイムラーは統合効果を描いた青写真を実 現できなかった」と述べた。

三角合併をめぐり企業経営者が自社の価値を強く意識して行動することは、株主 価値やステークホルダー(利害関係者)の増大につながる。三角合併自体が買収対象 としての日本企業の魅力を浮き彫りにすると同時に、対応策を打ち出した日本企業は 確実に地力を増している。

「海外企業による三角合併を使った日本企業買収が今年度に実現しても不思議で はない。同時に日本企業が三角合併も選択肢に米国企業の買収を狙う案件が進行して いる」と中田弁護士は指摘した。三角合併は日本企業にも事業機会をもたらしており、 利点を見極めた活用が重要だ。

◎三角合併:英語の「Triangle merger」の直訳。州ごとに会社法が違う米国で州をま たぐ企業合併に活用されており、日本企業に対して国をまたぐ海外企業との合併にも 適用されることになる。会社法(2006年5月1日施行)749条1項2号「合併等対価 の柔軟化」で、合併に際しては存続会社の株式、社債、新株予約権、新株予約権付社 債や株式等以外の財産を消滅会社の株主に交付することが可能になった。

この株式等以外の財産には現金や存続会社の親会社株式が含まれ、存続会社の親 会社株式の場合に三角合併になる。この部分の施行は、経済界などの要請を受けて1 年先送りされた。日本企業が三角合併で外国企業を買収することは現在でも可能。


【国内、海外企業のクロスボーダーM&A手法の推移】
――――――――――――――――<旧商法下>――――――――――――――――
○日本企業が海外企業を合併・買収
・現金で株式を取得
・新株予約権を海外子会社に発行して、それを対価として買収
(2004年にNTTドコモが米AT&Tワイヤレス買収で検討、実現せず)
・海外上場のADRを使い三角合併
(1990年に京セラが米AVXを買収、この京セラ方式は違法性の疑いあり)
・新株発行による事実上の国際株式交換
(2005年にそーせいが英アラキスを買収、相手が未公開=閉鎖=企業のみ可能)
○海外企業が日本企業を合併・買収
・現金で株式を取得
――――――――――――<会社法施行、2006年5月1日>―――――――――――
○日本企業が海外企業を合併・買収
・上記に加えて三角合併が可能(京セラ方式が明示的に許容)
○海外企業が日本企業を合併・買収
・従来の手法と変化なし
――――――――――<合併等対価の柔軟化、2007年5月1日>―――――――――
○日本企業が海外企業を合併・買収
・従来の手法と変化なし
○海外企業が日本企業を合併・買収
・上記に加えて三角合併が可能
【三角合併の過去の主な例】 京セラによるNYSE上場米国預託証券(ADR)を活用した米AVX買収(1990年) 独ダイムラー・ベンツによる米クライスラー買収(98年) 英ボーダフォンによる米エアタッチ・コミュニケーションズ買収(99年) 米ファイザーによる米ワーナー・ランバート買収(2000年) 英HSBCによる米ハウスホールド・インターナショナル買収(2002年) 米グーグルによる米ユーチューブ買収(06年10月)


【日米同業企業の時価総額比較】(兆円、日本時間26日時点でブルームバーグ集計)
武田薬品工業 6.92-22.6 ファイザー
7&i 3.38-24.0 ウォルマート・ストアーズ
みずほFG 8.49-31.4 シティグループ
日立 3.07-44.0 ゼネラル・エレクトリック(GE)
花王 1.81-23.7 プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)
【日本企業による外国企業の買収・出資上位5位】 発表日 買い手 買収・出資先 形態 金額 06.12/15 JT 英ガラハー 買収 2兆2500億円 06.3/17 ソフトバンク 英ボーダフォン日本 買収 1兆8000億円 00.11/30 NTTドコモ 米AT&Tワイヤレス 出資 1兆 792億円 99.3/10 JT 米R.J.レイノルズ 買収 9420億円 90/11/27 松下電器産業 米MCA 買収 7800億円

【外国企業による日本企業の買収・出資上位5位】 07.3/14 米シティグループ 日興コーディアル 買収 9200億円 99.1/23 米GEキャピタル 日本リース部門と子会社 買収 8700億円 01.5/01 英ボーダフォン 日本テレコムと子会社 追加出資 6520億円 99.3/17 仏ルノー 日産自、日産ディ 出資 6430億円 00.5/13 米プルデンシャル 協栄生命保険 買収 4140億円 (レコフ資料から作成)


【2007年1-3月FAランキング】(日本企業関係で集計、百万ドル)
順位 社 名 関与総額 件数
1. GCA 21533 6
2. シティグループ 16482 9
3. 野村ホールディングス 9905 38
4. メリルリンチ 9486 7
5. KPMGコーポレートファイナンス 7677 7
6. 三菱UFJフィナンシャル・グループ 7138 23
7. モルガン・スタンレー 4571 6
8. みずほ 3523 20
9. 大和証券SMBC 2357 27
10. ゴールドマン・サックス 1749 5
JT株の午前終値は、前日比1万円(1.7%)安の58万7000円。

更新日時 : 2007/04/27 16:06 JST
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003015&sid=aEtxjoaCEguA
[PR]

by thinkpod | 2007-04-27 15:57
2007年 04月 12日

日本の危機

 万人普遍の権利として人権に対することの出来ない人
権専門家が日本には余りに多いのではないか。このよう
な人が、実は、自らも実現に努力している人権を、意識
せず蝕んでいるのではないか。
 この点について日本全体を見るとき、日本の知性を代
表すると言われる大新聞でさえも、心許ないことがある。
 作家の柳美里氏は、小説『石に泳ぐ魚』で、「友人の
プライバシーを承諾なしに小説化した」とされ、名誉毀
損で訴えられた。小説に登場する友人は、留学先、経歴、
苦しんできた顔の障害など彼女の属性をなぞって描かれ
ている。
 柳氏は「作品は、顔の障害を障害と感じさせない賛歌」
として書き換えも行ったが、裁判となり、結果として同
書を出版差し止めとする判決が下された。その時、朝日
新聞の記者が取材に来て、次のように語ったという。
「貴女が日本人だったら、もっと貴女を叩いただろう。
原告が日本人だったら、記事にしないかもしれない」
 名指しされた『朝日』の記者は否定したが、柳氏はあ
くまでも主張した。
「『朝日』が私を擁護するのも、私が在日韓国人だから
というのは否めない。それこそが差別です」
 守るべき人権に、差がつけられているのだ。特定の人
々の人権は、他の人々の人権よりも重んじられるという
実態がある。人権論のダブルスタンダードである。

罷り通る“悪平等”

 人権は、どんな状況下でもどんな人に対しても、断固
として守るべき最重要の価値観である。思想、信条も、
政治観も、言論表現の自由も、立場によって制限されて
はならない。しかし、現実はどうか。人権の実現を目指
しつつかえって人権を損ねている事例が目につく。
 やや特殊な例かもしれないが、「人権教育」で知られ
る広島県をみてみよう。
 広島県議会で、熱心に教育問題をとりあげてきた石橋
良三議員が語った。
「広島県では、学校教育全体が人権によって仕切られて
います。『道徳』の授業が『人権』と名称変更されてい
る程、熱を入れています」
 広島県福山市の関係者が語った。
「福山の人権教育を一言でいうなら、平等と権利の過剰
教育です。人間には個性があり、能力の差がある。それ
はだれもが分っている。ところが教育がそれらを奪い取
り、かえって没個性となっています」
 広島市の元PTA役員も言う。
「人権教育の柱は、“差別・選別をしない”です。結果
として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければな
らない。ですから、普通にあるような授業の始め方“起
立、礼”さえもありません。“はい、静かにして”“席
について”と何となく始まり“ここまで”と何となく終
わるんです。
 朝礼でも、“前へならえ”“気をつけ”“休め”は軍
国主義だとしてやりません。うちの子は“回れ右”も出
来ないんです」
 別の元PTA役員も述べた。
「最も顕著なのが運動会です。入場は“行進”ではなく
ただ歩くだけ。ラジオ体操もダメ、徒競走は、あらかじ
め全員のタイムを計り、タイムの近い子同士で走らせる
ので、一人だけ飛び抜けて一着になる、或いは大きく離
されることはありません。選手のリレーなどもっての外
です。差をつけることは差別だというのです。見ていて
これほどつまらない運動会もありませんよ」
 広島市議会の児玉光禎議員が述べた。
「“結果としての平等”を作り出す悪弊が横行していま
す。その結果なにがおきたか。学力の低下です。広島に
は約三万人の高校生がいて、内二万人が公立、一万人が
私立です。広島大学への進学率は県全体で二三%、公立
からはわずか一一・九%です。特に公立高校の学力の低
下がひどい。地元からの進学率が低いので、近県からは
“草刈り場”と言われるくらいです」
 九五年の国公立大のセンター試験をみると、かつて教
育県といわれた広島県は、今、総合平均で四十七都道府
県中、四十二位だ。
「県北部のある高校では、進路指導でセンター試験を受
けるなという所もあると聞いています。“選別につなが
るから”というのが理由です。広島の子供たちは他県の
子供に較べ、それだけ、教育権を奪われているというこ
とです」
 と児玉議員。
 福山市のある親が訴えた。
「公立学校の学力低下で、県内外の私学や国立大学付属
校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが
人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は“
なぜ私学か”“なぜ県外か”と苛めるのです。
 私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望
し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、
一週間食事もできない程になりました」
「大切」にされているはずの人権が、「差をつけない」
「選別しない」という価値観によって踏みつけられてい
るのだ。子供も親も自分の望む学校に行く権利や選ぶ自
由をも奪われている。ここまでくると「差をつけない」
「選別しない」ことは、人権とは似て非なるものになる。
 こうした点について、現場の先生の意見をきくため広
島県教職員組合に取材を申し込んだが、応じられないと
のことだった。そこで実際の「人権教育」の内容をみて
みる。
 広島市のある中学校で使用されている「人権学習」の
教材「国際社会に生きる私たち」は、一頁目に日本国内
の外国人登録者数の推移をみせて、続く頁で、在日外国
人の国籍別人数を答えさせている。
 同じ教材の他の頁の「日本が支配した36年間の歴史」
の質問が目をひいた。生徒が空欄に答えを入れる仕組み
だ。

 (  )を奪う―土地調査
 (  )を奪う―産米増産計画
 (  )を奪う―関東大震災での虐殺
 (  )を奪う―朝鮮教育令
 (  )を奪う―創氏改名
 (  )を奪う―強制連行
 (  )を奪う―徴兵制

 答えは、右から土地、米、生命、民族、名前、労働力、
生命である。
 元PTA役員の父親が語った。
「子供の学校の人権教育で『アジアを学ぼう』というの
があるんです。一見すると近隣諸国について学ぶと思い
ますよね。ところが学校内の『アジア交流の部屋』には、
朝鮮のお金や民俗玩具、チマ・チョゴリなどを展示して
います。小学校四年生でキムチの漬け方の授業まである
のです。でも殆どの親は、学校でそんな授業が行われて
いるのを知りません。授業が終わると、教材は先生が回
収しますから」
 広島県内各地で教えられている「人権」の特徴のひと
つが朝鮮民族の人権や民族性を強調するものであること
がみえてくる。
 この種の人権教育で授業時間がとられ、福山市内の学
校では、文部省で決められた授業時間の八割しか実際の
授業は行われていない。
 元PTAの役員が言った。
「これこそ、人権に名を借りた子供たちへの逆差別です」
 広島市の主婦も訴える。
「何も知らない母親にとって、人権、平和、民族という
のは水戸黄門の印籠のようなものです。全てよいもので
疑義を唱えることもできない。もし本当にそれがよいも
ので、教育によって行き届いているならば、目上目下の
区別もなく何かというと権利ばかりを主張する子供たち
を作り出す、今のようなひどい学校になっていないはず
です。
 私たち母親は悪平等を子供に教えてほしいとは思いま
せん。代わって道徳教育を望んでいます」

http://www.shinchosha.co.jp/books/html/127221.html


Amazon.co.jp: 日本の危機: 本: 櫻井 よしこ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101272212/lesbl-22/ref=nosim/



学校で「キムチ」を売る大阪の小学校

『学校』が児童に以下のようなプリントを配布した。
キムチ販売のお知らせ
http://shingomatrix.jp/images/kami901.JPG

■その1http://shingomatrix.jp/2007/01/deep_2.html
■緊急報告 性教育http://shingomatrix.jp/2007/01/deep_1.html
■キムチ登場http://shingomatrix.jp/2007/02/deep_5.html
■キムチ登場 おかわり編http://shingomatrix.jp/2007/02/deep_4.html
■おはようhttp://shingomatrix.jp/2007/02/post_254.html
■本名&通名http://shingomatrix.jp/2007/02/post_258.html



オヤジたちの教育改革
 オヤジたちが教育の正常化のために、連帯して 立ち上がった。

 今週は、広島県で教育改革に取り組んでいる各地域の「オヤ
ジの会」会長3名に新春放談の形で、これまでの活動ぶりを語
ってもらった。広島・尾道市では昨年3月に民間出身の校長が
自殺、そして7月には教育次長の自殺と続き、4年前に世羅高
校校長が自殺に追い込まれた異常事態[a]は今も残っているよ
うだ。

 しかし、多くの地域ではオヤジたちによる教育改革への奮闘
が続き、成果も出始めている。そのアプローチは、地域の父兄
の関与が、偏向教育の是正のためだけではなく、学校や家庭で
の教育をより良いものにするうえで、不可欠の要素であること
を示している。全国のオヤジたちの参考に供したい。

■1.「学校の教育現場をなんも知らんかった」■

A: 僕が始めてPTAの会長になって痛感したのは、今まで
父親として、学校の教育現場をなんも知らんかったという
ことです。

B: ワシもそう思った。卒業式でも君が代どころか、校歌す
ら歌わん、などとは思いもよらんかった。以前、校歌の作
曲者が来賓で来とったが、「こりゃ、どこの国の卒業式じゃ」
ちゅうて怒って帰ってしまったそうじゃ。

C: うちの学校では、国際教育と言って、朝鮮の服を着せて
みたり、家庭科でキムチの作り方を教えてました。東京か
ら転勤してきて、向こうではそんな事は教えてなかったの
で、はじめは国際的でいいじゃないか、と思ってましたが、
しばらくすると、なんで北朝鮮のことばっかり教えるのか、
他の国のことはなぜ教えないのか、と思うようになりまし
た。別にうちの地域は在日の人が多いというわけでもない
のに。

B: 運動会でも、万国旗が飾られとったが、そのなかに日の
丸がない。所々、豚や猫の旗があったが、わざわざ日の丸
をはずして、豚や猫の絵にしとったんじゃね。それに遊技
とか集団演技ばかりで競争種目がほとんどないから、父兄
が見ていてもぜんぜん面白うない。徒競走だけはあったが、
ゴールしても順番もつけん。なんじゃ、これは、と思うた
わ。

A: クラスを参観しても、混合名簿で男子女子がごちゃまぜ
になっとりました。男の子もわざわざ「さん」づけで呼ん
どって気色悪い。先生も時々間違えて「田中君」とか呼ん
で、あわてて直しとりました。まあ、学校のことは先生と
母親に任しておけば、ちゃんとやってくれとると思っとり
ましたが、自分で学校に行って見てみると、こりゃ放っと
けんなと思いましたね。

JOG(327) オヤジたちの教育改革
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog327.html


【広島オワタ】運動会のリレーは差別、軍国主義的だから回れ右も駄目、アジア学習でキムチ漬け
http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1176243059/
[PR]

by thinkpod | 2007-04-12 02:11 | Books
2007年 04月 09日

国際世論を操る広告代理店

セルビア人勢力は、米国の広告代理店によって
国際的な敵役に仕立てあげられた。


■1.凱旋した将軍■

 1992年8月、カナダの首都オタワ空港に到着した飛行機から、
一人の軍人がタラップを降りた。ゲートには数多くの市民が出
迎え、歓迎の声が渦巻いた。彼はそれに手を振って答えた。ブ
ルーのベレー帽は、国連防護軍サラエボ司令官の任務を終えた
きた証しだった。

 この軍人、ルイス・マッケンジー将軍は2ヶ月余り前に、セ
ルビア人とモスレム人の内戦が続くボスニア・ヘルツェゴビナ
のサラエボ空港にカナダ軍部隊を率いて乗り込んだ。彼らの活
躍によりサラエボ空港の安全が確保され、毎日20機ほどの輸
送機が200トンの援助物資を積んで到着した。セルビア人勢
力に包囲されていた38万人のサラエボ市民は、将軍の活躍に
よって餓死から救われたのである。

 将軍はその軍歴の大半を世界各地の国連平和維持活動に捧げ
てきた。そして世界の注目を集めるサラエボでカナダ軍の名声
を高めた英雄として凱旋したこの時が、将軍のキャリアの絶頂
期であった。カナダ政府の国防相に、という声も出始めていた。

 しかし、将軍にはひとつ気がかりな事があった。果たして、
それが将軍のキャリアを暗転させる躓きの石となるのだが、こ
の時は、まだそこまでは気がつかなかった。

■2.「おかしい。タイミングがよすぎる」■

 その気がかりとは、将軍がカナダに戻る前に、ニューヨーク
で国連の幹部に挨拶をした後、記者会見やテレビ出演を行った
時の事だった。サラエボでの状況をあれこれ聞かれるだろうと
いう将軍の予想を完全に裏切って、記者たちの質問は「強制収
容所」に集中した。

 将軍は答えた。「強制所については、何一つ知らない。私が
知っているのは、モスレム人とセルビア人の双方が、相手の側
にこそ、そういう収容所があると言って互いに非難していると
いう事だけです。」 将軍はニュース番組にも何度か出演した
が、そのたびに同じ答えを繰り返した。

 カナダに戻った後、マッケンジー将軍はアメリカの連邦議会
上院の公聴会での証言を求められて、ワシントンに赴いた。そ
の公聴会の前日、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府のシライジッ
チ外相からカナダのマクドゥガル外相に宛てた書簡が、プレス
に緊急公開された。

 その公開書簡では、将軍が「セルビア側が設けた強制収容所
については何も知らない」とテレビで何度も語っている事に対
して、「将軍自身が司令部を置いたサラエボ空港の滑走路脇に
も強制収容所があるのに、これはいったいどうしたことなのか」
と非難していた。「おかしい。タイミングがよすぎる」という
思いが心をよぎった。

■3.将軍を追いつめる計画的な意思■

 翌日行われた公聴会では、公開書簡の影響があったのか、同
盟国カナダの将軍に対するものとは思えない詰問調の質問が続
いた。「収容所についての報道を知っていたなら、たとえば国
連部隊として赤十字の査察をバックアップすることは考えなかっ
たのか?」

 そう聞かれると将軍は「それはそうですが、しかし、それを
しようと思ったら、全体状況を斟酌しなければなりません」と
苦しい答弁をするしかなかった。サラエボ空港の安全を確保し
て38万人の市民を餓死から救う事が任務であった将軍にとっ
て、そんな義務も余力もなかったのである。

 同時に将軍への様々な中傷が湧き起こった。「妻がセルビア
人だから、将軍はセルビア人の味方をしているのだ」というの
が、その一つだった。実際には将軍の妻はスコットランド人で、
根も葉もない中傷だった。さらには「将軍はサラエボで収容所
に入れられたモスレム人の女性をレイプした」というひどいも
のまであった。

 こうした誹謗中傷を受けながら、将軍は自分を追いつめる何
か計画的な意思が働いているとは感じた。しかし、それがある
広告代理店の仕業だと気がつくまでにはしばらくかかった。そ
して、気がついた時にはもう後の祭りだった。

「国防相に」という声は、はたと途絶え、退役を迫る有形無形
のプレッシャーが強まった。結局、将軍は定年の数年前に軍を
去ることを余儀なくされた。

■4.国家を顧客とする広告代理店■

 将軍を追いつめたのは、アメリカの大手広告代理店ルーダー
・フィン社の幹部社員ジム・ハーフであった。普通の広告代理
店は企業と契約し、その知名度やイメージを高めることが仕事
である。しかしジム・ハーフは特殊な広告分野の開拓者だった。
それは国際紛争を戦う一方の国家を顧客として、国際世論を味
方につけるようなPRをするという仕事である。

 ジム・ハーフがこの仕事に携わるようになったのは、ボスニ
ア・ヘルツェゴビナ政府外相ハリス・シライジッチの依頼を受
けた事が発端だった。シライジッチはこの1992年の4月に単身、
ニューヨークに乗り込んできて、国連関係者に祖国の窮状を訴
えたのだが、誰にも相手にされなかった。東欧の片隅の小国で、
人口も少なく、石油や核兵器があるわけでもない。そんな国の
紛争に構っている暇は誰にもなかった。

 何とかアメリカ国務省のジェームズ・ベーカー長官と会うこ
とができたが、国民の支持無しにアメリカの国益にまったく関
係ない国の救援をすることはできない、とにべもなく断られた。
しかし、ベーカー長官は、アメリカの世論を動かすには、メディ
アを通じて訴えるのが良い、とだけ、アドバイスをしてくれた。

 そこでシライジッチは、つてを辿ってジム・ハーフにボスニ
ア・ヘルツェゴビナ政府の広告代理店業務を依頼したのだった。

■5.シライジッチ外相の「改造」■

 ハーフはまずシライジッチをテレビ・ニュースのトークショ
ー向けに「改造」する事に取り組んだ。シライジッチのテレビ
写りの良いアラン・ドロンばりの風貌と、正確で知的な英語は
なによりの武器だった。

 しかし欠点もあった。シライジッチは歴史学者出身であった
ため、ボスニア紛争の経緯を長々と説明したがるのである。ア
メリカの視聴者はそんな話にはすぐに飽きてしまう、大切なの
は今何が起こっているのかだけだ、とハーフは教えた。

 ある程度「改造」が進んだ段階で、ハーフは全国ネットであ
るABCの報道番組「ナイトライン」にシライジッチを出演さ
せる段取りをつけた。番組の冒頭、司会者の第一問は「なぜ、
アメリカがボスニア・ヘルツェゴビナなどに関係を持たなくて
はいけないのか、アメリカのメリットはいったいどこにあるの
か」という厳しいものだった。実際、ほとんどのアメリカ人は
ボスニアがどこにあるのかさえ知らなかった。

 シライジッチは計算し尽くされた名演技を見せた。まず怒り
の表情で2秒あまりの間、押し黙った。テレビでの2秒の沈黙
は長い。「なぜか、ですって」とようやくシライジッチは口を
開いた。何という不適切な質問なのか、と言わんばかりの口調
だった。

 サラエボでは、毎日無実の市民が殺され、血を流してい
るからです。怪物のような連中がはびこっているのです。
こういう人道に背く行為を、決して傍観して見過ごしたり
はしないというのが、アメリカという国の責任と誇りだか
らです。

 そして「Enough is enough, that's why.(もうたくさんな
んだ。それが理由だ)」と怒気を込めて結んだ。

 結局、この演技で、番組司会者の仕掛けた冷静な「アメリカ
のメリット」論議は吹っ飛んでしまった。あとはシライジッチ
が独演でサラエボでどんな悲劇が起きているのかを語り続けた。
シライジッチの「改造」は大成功だった。

■6.「民族浄化」■

 しかしハーフはこの成功だけでは十分ではない、と考えてい
た。無実の市民が殺されるような悲劇は世界中で毎日のように
起こっている。それらとは違うということを、人々の心の奥底
にまで訴えかけるパワフルなキャッチ・コピーが必要だ。

 そこで考え出されたのが「ethnic clensing(民族浄化)」
だった。"clensing"とは台所のクレンザーのように、汚れをご
しごしと洗い流す、という言葉である。それに"ethnic"(民族)
とつけた事によって、異民族を「汚れ」扱いし、それを力で
「洗い流す」という、ぞっとさせる語感を生み出した。

 このキャッチ・コピーは、欧米のメディアで一気に広まった。
『ニューズウィーク』誌の表紙を飾り、『ニューヨーク・タ
イムズ』『ワシントン・ポスト』『ウォール・ストリート・ジャ
ーナル』といった有力紙に連日登場した。

 政治家たちも、この強力なキャッチ・コピーをスピーチの中
で使うようになった。たとえばカナダの外務大臣バーバラ・マ
クドゥガルは「民族浄化は、ナチスの行為の再来である」と記
者会見で語った。

■7.半面の真実■

ハーフは言う。

「民族浄化」というこの一つの言葉で、人々はボスニア・
ヘルツェゴビナで何が起きていたかを理解することができ
るのです。「セルビア人がどこどこの村にやってきて、銃
を突きつけ、30分以内に家を出て行けとモスレム人に命
令し、彼らをトラックに乗せて、、、」と延々説明するか
わりに、一言 "ethnic clensing(民族浄化)"と言えば全
部伝わるんですよ。[1, p119]

「マクドナルド」と言えば誰でもハンバーガーを連想するよう
に、"ethnic clensing"と言えば、ナチスがユダヤ人にやった
事が、今ボスニアで起きているのだな、と人びとは連想したの
である。

 しかし、この言葉は半面の真実しか伝えていない。イギリス
の元外相キャリントン卿は、この言葉の不公平さをこう指摘し
ている。

 セルビア人も、クロアチア人も、モスレム人も、誰もが
同じ事をしていたのだ。にもかかわらず、セルビア人が被
害者となり、他の民族に追い出された場合には「民族浄化」
とは呼ばれなかった。[1,p121]

■8.「強制収容所」という神をも恐れぬ蛮行■

 ナチスと言えば、次に連想されるのは「強制収容所」である。
"ethnic clensing"がこれだけ流行語になったので、その一環
で「強制収容所」が見つかれば、大変な特ダネとなる。実際に
それが存在するという噂も現地から伝えられていた。英国の
『ザ・タイムズ』紙は、取材チームを現地に送り、「収容所の
取材をし、ネタを見つけるまでは、他の記事はいっさい送る必
要はない」と命じた。

 チームはセルビア人勢力の許可を得て、一つの捕虜収容所を
訪れたが、さすがに「強制収容所」と言えるほどの代物ではな
かった。ただ夏の暑い時期で、野外で上半身裸で過ごしている
捕虜が多かった。その中にひどく痩せてあばら骨が浮き出てい
た男がおり、チームのカメラマンはその男の写真をとった。そ
の男の前にはたまたま有刺鉄線が映っていたが、それは捕虜た
ちを閉じこめておくためのものではなかった。

 しかしその写真の「有刺鉄線の中の痩せさらばえた半裸の男」
という構図は、ナチスの強制収容所のイメージそのものだった。
この映像はイギリスに送られ、ニュースで流された。

 ハーフがこの機会を見逃すはずもなかった。翌日、ファック
スで全米の放送局、新聞、雑誌社にこのニュースを知らせた。
各社は争ってこの映像を購入し、自らのメディアで流した。繰
り返し流される「有刺鉄線の中の痩せさらばえた半裸の男」の
映像に米国の世論は沸騰した。

『ニューヨーク・タイムズ』誌は「何千人もの人々が強制収容
所に捕らえられている」と論じ、「セルビア人を甘やかしては
ならない」と社説で主張した。

 ブッシュ大統領も記者会見で「セルビア人たちに捕らえられ
た囚人の映像は、この問題に有効な対処が必要なことを示す明
らかな証拠だ。世界は二度とナチスの『強制収容所』という神
をも恐れぬ蛮行を許してはならない」と述べた。

 冒頭で述べたマッケンジー将軍の帰国は、まさに「強制収容
所」が盛んに取りざたされていた時だったのである。「強制収
容所を知らない」とメディアで繰り返し証言する将軍は、せっ
かく盛り上がった世論に冷や水をかける厄介な邪魔者だった。
そこでハーフは米議会で証言する前日に狙いを定めて、カナダ
外相への抗議の公開書簡を出し、邪魔者を葬り去ったのである。

■9.仮想現実の勝利■

 セルビア人たちは、真実はほうっておいてもやがて自然に知
れ渡る、と素朴に信じていたが、「民族浄化」というキャッチ
・コピーや「強制収容所」の映像によって、メディア上に確固
たる仮想現実が構築されては、もはやなすすべもなかった。彼
らも広告代理店を雇って対抗しようとしたが、すでにナチス並
みの烙印を押された悪役のために働くような危険な仕事を引き
受けるPR企業はなかった。

 国際世論は反セルビア一色となり、この年の9月に開催され
た第47回国連総会で、セルビア共和国が所属するユーゴスラ
ビア連邦の追放が決議された。加盟国の追放は国際連合の歴史
上、前例のない事である。

 紛争当時のセルビア共和国大統領スロボダン・ミロシェビッ
チは、2001年にセルビア共和国によって逮捕され、ハーグの国
際法廷で人道に対する罪を問われた。セルビア共和国はかつて
の大統領を「罪人」として差し出すことで、自分たちは「罪」
から逃れようとしたのである。

 しかし容疑事実の立証がなされなかったため、裁判は延々5
年間も続いたが、ミロシェビッチが収監中の独房で死亡したこ
とで、中断された。

 一方、この仕事で、国家や政府を顧客とするPR活動がビジ
ネスとなることを実証したジム・ハーフは全米PR協会から
1993年のシルヴァー・アンビル賞を受賞している。ハーフはこ
れを足がかりに独立し、国際世論を動かす仕事を続けている。
(文責:伊勢雅臣)


a. JOG(350) ダイオキシン騒動〜 「魔女狩り」騒ぎのメカニズム
 事実はいかにねじ曲げられ、煽動に使われたか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog350.html
b. JOG(455) 「南京大虐殺」の創作者たち
 中国の中央宣伝部に協力した欧米人記者たち
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog455.html

1. 高木徹『戦争広告代理店』★★★、講談社文庫、H17
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062750961/japanontheg01-22%22


http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108406639.html
[PR]

by thinkpod | 2007-04-09 15:05 | メディア
2007年 04月 05日

「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援

産経新聞特集部次長 喜多由浩


 戦後、冷戦のために長くサハリン(旧樺太)から出られなかった朝鮮半島出身者(サハリン残留韓国人)のために、日本がいまだに支援を続けていることを、いったいどれだけの国民が知っているだろうか。これまでの日本の拠出総額は六十億円以上。「人道的支援」がいつの間にか「戦後補償」にすりかわり、相手方の要求はとどまることをしらない。日本の支援が膨らんだのは、一部の日本人たちが、「四万三千人を強制連行した」「日本が置き去りにした」などと事実とかけ離れたことを触れ回ったからである。そのツケはあまりに重い。

発端は「誤解」

「サハリンの残留韓国人」とは、日本時代に朝鮮半島から、企業の募集や徴用で、サハリン(当時は樺太)に渡り、戦後も韓国などへの帰国が許されなかった約一万人のことである。当事者の一人で、昭和三十三年に日本へ帰還した朴魯学氏(故人)と妻の堀江和子さん(七七)らが民間人の立場で帰還運動を続け、五十年代後半以降、日本での家族との再会(一時帰国)、韓国への永住帰国が順次、実現したが、それまで数十年間、異郷の地であるサハリンにとどまらざるを得なかった。

 長く家族と引き裂かれ、祖国に帰れなかった人たちには、本当に同情を禁じ得ない。ただ、彼らが、サハリンから出られなかった最大の理由は、冷戦の対立が続くなかで、当時のソ連が、国交のない韓国への帰国を認めなかったからである。友好関係にあった北朝鮮への配慮もあったという。また、ソ連、韓国、日本などの関係各国が関心を示さず、当初は積極的に対応しなかったことも、この問題の解決を遅らせる要因となった。

 この問題に対する日本政府の見解は一貫して、「法的責任はない」というものであった。だがやがて、主として、日本人の側から、日本の責任を問う声が上がり始める。それは「日本が強制連行で四万三千人を無理やりサハリンに連れて行き、過酷な労働につかせた。だから、日本の責任で帰国させねばならない」「日本人だけがさっさと引き揚げ、朝鮮半島出身者だけを置き去りにした」などという批判であった。

 もちろん、これらは事実ではない。まず、再三、マスコミなどで登場した「四万三千人」という人数だが、これは戦後、ソ連や北朝鮮地域から、派遣労働者などとして、サハリンに渡ってきた約二万人の朝鮮族などを加えた数字が“ひとり歩き”してしまったものである。意識的か、無意識か、この混同はずっと続き、“日本糾弾キャンペーン”で使われた。戦後になってサハリンに来た人たちが日本と何の関係もないことは言うまでもない。

 戦時中、企業の募集や官斡旋、徴用によって、朝鮮半島からサハリンに渡った人数は、明確ではないが、終戦前後の朝鮮半島出身者数の各種統計(約七千八百−二万三千人)から判断すれば、二万人前後とみられている。しかも、強制力をともなう徴用が、朝鮮半島で実施されたのは、昭和十九年九月からで、ほとんどの人は企業の募集や官斡旋によるものであった。

 当時の樺太は内地(日本)よりもはるかに賃金が高く、それにひかれて新天地を目指す人が後を絶たなかった。一度行っても、「もう一度行きたい」と希望する人も少なくなかったという。これは朴氏らが帰還運動を進めるにあたって、サハリン残留韓国人から聞き取り調査を行った結果、明らかになった事実である。もちろん、「強制」ではなく、「自分の意思」であった。

 朴氏自身は、今の韓国の地域で理髪師をしていた昭和十八年に、新聞広告でみた樺太人造石油の募集に応じた。給料は理髪師の三倍以上だったという。貯金などによって給料の全額が支払われたわけではなかったが、それでも朴氏は数年の間に、家一軒建つぐらいのまとまったお金を故郷(韓国)の家族に送金している。妻の和子さんによると、朴氏は戦後、何が何でも“強制連行”を主張しようとする仲間たちに対して、「そうじゃなかっただろう」とたしなめることがあったという。

 もちろん、戦時下のことであり、徴用による朝鮮半島からサハリンへの戦時動員がなかったわけではない。募集などでサハリンに渡った人が、現地で徴用されたケースもある。しかし、どう大げさに見積もってみても「四万三千人」という数字にはなり得ないのだ。

『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか』の著者、新井佐和子氏は、日本やサハリン側の公文書を調べたうえで、「正式な徴用で(サハリンに)行った人は数百人に過ぎないだろう。徴用でも内地より高い給料がもらえたし、強制的に連行するようなものではなかった。そもそも、残留韓国人自身が“強制連行”という言葉を知らなかった」と指摘している。

 一方、「朝鮮半島出身者だけを置き去りにした」という批判も事実ではない。

 終戦時に四十万人以上いた日本人は、二十一年十一月に締結された「米・ソ引き揚げ協定」によって、二十四年までに、そのほとんどが帰国した。だが、終戦後、ソ連が実施した人口調査によって「無国籍者」と分類された朝鮮半島出身者は、引き揚げの対象に含まれていなかった。その理由は必ずしも明確ではないが、当時、米占領下にあった日本は「この決定」に関与していない。というより、関与できなかったのである。


目的は「日本の糾弾」

 サハリン残留韓国人問題が政治問題化したのは、昭和五十年十二月に東京地裁に提訴された「サハリン残留者帰還請求訴訟」がきっかけだった。裁判は、残留韓国人四人を原告にし、日本国を相手どって、「日本へ帰還させること」を求めたものである。原告側は総勢十八人の大弁護団を結成。その“仕掛け人”は、後に「従軍慰安婦」訴訟などで中心的な役割を果たす人物であった。

 訴状の「請求の原因 原告らの身の上」の項にはこう書いてある。

「被告国(日本)は一九三八年、国家総動員法を制定し、人道無視の政策をとり、『聖戦完遂』の美名の下に大量の市民をかり立て、強制労働に従事させた。原告らは当時、日本の領土であった韓国の地を故郷とする一農民に過ぎなかったところ、被告国の政策の犠牲者として『南樺太』の地に強制連行され、日本の敗戦後は同地に置き去りにされて、被告国のなんら外交的保護も受けられないまま、同地にとどまることを余儀なくされている…」(一部省略)。

 また、「原告らの法的地位」の項では、こうあった。「『内地人』は、一九四六年から逐次日本領土内に引き揚げることができたにもかかわらず、被告国は不法にも原告らの引き揚げの機会を奪い、日本国に帰国させない措置をとってきた」。さらに、「日本人として日本領土であった『南樺太』に連行され、出身地の主権国のなんら法的保護も直接受けられないままに放置された原告らは、法律的には少なくとも本邦に帰国するまでは、いまだに日本国籍を喪っていないものと認めざるをえない。日本国籍を喪ったとして原告らを引き揚げの対象から除外した被告国の行為は違憲、違法のそしりを免れない」(同)。

 つまり、「日本が“強制連行”で連れて行ったのに、終戦後、朝鮮半島出身者だけを置き去りにした。日本の責任で帰せ」と主張しているのだ。訴状は、まさに日本糾弾のオンパレードだが、これらが事実でないことはすでに述べた通りである。

 さらに、奇妙なことがいくつかある。残留韓国人が帰りたいのは「韓国」であるはずなのに、原告側は「日本へ帰せ」と訴えていた。その後、どうしようとしていたのか。また、原告が本当に「日本国籍を喪っていないこと」を争おうとしていたのか…。どう考えても無理がある。当時、この裁判にかかわっていた関係者によると、「原告として“選ばれた”残留韓国人の中には、帰国の意思がない人すらいた」という。原告の意思など、そっちのけで、裁判を起こすこと自体が目的だったことがうかがえるエピソードだ。

 この裁判で、原告側はさまざまな証人を法廷に立たせている。日本に帰還した残留韓国人や原告の韓国人妻、家族などだ。ある妻は、法廷で「夫を返せ」と絶叫し、裁判官にコップを投げつけた。ナイフで指を切り、血を流してみせる人もいた。国会議員や報道陣のカメラの前でも同じようなパフォーマンスが繰り返され、ある国会議員は、自分の足にすがって絶叫する韓国人妻の姿を見て、「本当に悲惨なことだ。何とか解決してあげたいと思った」と振り返っている。

 ところが、そのうちに、妻たちのみんながみんな、心底から夫の帰国を望んでいるわけではない、ということが分かってくる。「夫を返せ」とさんざん泣きわめいた女性が、いざ夫の帰国が実現する段になって、会いに来なかったり、「日本に来られるから(泣きわめいた)」とこっそり本音を漏らす人もいた。年月がたち過ぎたゆえの「悲劇」ともいえるのだが、こうしたパフォーマンスは、間違いなく日本糾弾キャンペーンに一役買っていた。先の関係者によると、証言する人たちには必ず、「強制連行でサハリンに連れて行かれた」と主張するように“指導”が行われていたという。

 そして、極め付きが五十七年に二度にわたって証言台に立った“慰安婦狩り”の捏造証言で有名な吉田清治氏である。

 この裁判で、吉田氏は、「昭和十八年に済州島で二百四人の若い女を狩り出し、女子挺身隊として軍に提供した」などと証言した。吉田氏とサハリン残留韓国人問題とは何の関係もない。“強制連行”を印象づけるために証言台に立たせたのである。このことだけを見ても、この裁判の目的が透けて見えるようだが、実際、「吉田証言」を機にこの問題は、“強制連行”や日本の責任が一気にクローズアップされることになってしまう。

 裁判は提訴から十四年後の平成元年六月、原告の四人が死亡または帰国を果たしたことで、訴えの理由がなくなり、原告側が訴えを取り下げることで終了した。だがこの間、こうした事実ではない証言や過剰なパフォーマンスが繰り返されることで、「すべて日本が悪い」という論調ばかりが印象づけられる結果となった。そういう意味では、この裁判の「日本糾弾キャンペーン」は確かに成功したのである。


弱腰になった日本外交

 朴・堀江夫妻らの努力によって、サハリンの残留韓国人が日本で韓国の家族と再会する道が開かれ始めていた昭和六十二年七月、超党派の衆・参国会議員約百二十人によって「サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員懇談会」(議員懇)が結成された。議員懇の事務局には、「サハリン残留者帰還訴訟」の原告側弁護士も加わっていた。

 もちろん、議員らは問題の解決を願って議員懇に参加したのであろう。ただし、一部の議員の主張は、裁判で展開された“日本糾弾キャンペーン”そのままであった。「四万三千人の強制連行」など、誤った認識を前提とした質問を繰り返し、政府の対応をやり玉にあげた。日本が支援を行っても、「まだ足りない」「責任をどう感じているのか」などと再三にわたって、突き上げた。こうした一部議員の行動が、後に日本の支援を野放図に膨らませる一因となるのである。

 この問題で日本政府が最初に支援を行ったのは六十三年のことだ。日本での再会は実現したものの、日本での交通費や滞在費は朴氏らが負担するしかなかった。それを国庫からの補助金で少しでも肩代わりしようという趣旨で支援が始まったのである。ところがその後、日本を経由せず、サハリンから直接韓国へ行けるようになったのに、日本の支援は減るどころか、逆に増額された。その背景に議員懇の一部議員の働きかけがあったことは間違いない。

 日本が支援を始めたころに、議員懇の中心メンバーだった社会党代議士(当時)が、家族との再会のために来日していたサハリン残留韓国人たちの前で「来年から補助金の額をアップさせる」と不用意な発言をしてしまったことがあった。お金の話にはみんな敏感だ。この話はたちまち、サハリン側に伝わり、その結果、それまで関心がなかった人が来日の申請をしてきたり、一度来た人が二度、三度と申請してくるケースが相次いだ。そのうちに、本来の家族再会はそっちのけで、日本での買い物ばかりに熱心な人たちが目立つようになるのである。

 平成元年には、日韓の赤十字によって支援を行う「在サハリン韓国人支援共同事業体」が設立されている。共同事業体といっても、資金を拠出するのはもっぱら日本側だった。当時の事情を知る国会議員によると、「日本政府が直接お金を出すのはまずいので共同事業体の形をとった。最初から韓国側に資金を出してもらう計画はなかった」という。

「日本が悪い」という声が身内から上がるのだから、日本政府の外交姿勢も弱腰にならざるを得ない。平成二年には国会での答弁で、当時の中山太郎外相がサハリン問題で韓国に謝罪。四年には、宮沢喜一首相(当時)が日韓首脳会談において「従軍慰安婦」問題で謝罪している。六年には、河野洋平官房長官(同)が「従軍慰安婦の強制連行」を認める発言をした。

 そして、七年、「戦後五十年記念事業」として、周辺国への謝罪や補償問題ばかりに熱心だった村山富市内閣のもとで、サハリンから韓国への永住帰国者が入居する五百戸のアパートや療養院の建設など、計約三十三億円にも及ぶ巨額の日本の支援(韓国側は土地や年金などの形で永住帰国者の生活費を負担)が決定されるのである。

 サハリン残留韓国人問題に対して、「法的責任はない」としている日本の支援は、あくまで「人道的な支援」のはずだった。そして、一時帰国(家族再会)や韓国への永住帰国が実現したのだから、「問題は解決した」と主張しても良かった。ところが、一部の政治家・勢力はこれを、まるで「戦後補償」のように位置付け、どんどん日本の支援を引き出そうとした。そして、政府の答弁も「歴史的、道義的責任」と微妙に変化し、韓国側やサハリンの残留韓国人側からも、日本の支援強化を求める声が強まっていくのである。「(一部の)日本人が責任を認めているのだから…」というわけだろう。彼らもまた日本の支援を、はっきりと「補償」と位置付けていた。

 四年にサハリンの残留韓国人の団体が日本政府宛てに提出した要求書にはこう書いてある。「一、過去、日本から受けた肉体的、精神的な損害の補償を日本政府に対し、強く要求する。二、在サハリン韓人の永住帰国を韓国政府に促し、帰国に対しての一切の費用を日本側が負担する。(略)」。まるで、「すべては日本が悪いのだから、日本側が費用を負担するのは当たり前だ」と言っているかのようではないか。


至れり尽くせり

 日本の支援は現在も続いている。その内容は別項の通りだが、まさに至れり尽くせりといえるものだ。

 一時帰国(家族再会)は、「何らかの理由で韓国への永住帰国はできないが、韓国にいる家族・親族と会いたい」という人たちのために、サハリン・韓国の民間定期便を使って行われている。平成元年のスタート以降、希望者が一通り、一時帰国したため、数年後には二回目が、そして現在は三回目が実施されている。往復の渡航費、滞在費はすべて日本側の負担だ。逆に、韓国への永住帰国者がサハリンに残る家族・親族を訪問する「サハリン再訪問」も三年前から始まった。

 韓国への永住帰国者の住居から、たびたび行われる一時帰国の交通費、果ては療養院のヘルパー代まで、日本側が負担しているのだ。今年八月末には、サハリンの韓国人のために日本の費用で建てられる文化センターの起工式が行われた。総工費は約五億円。「サハリンの朝鮮民族の伝統保存のため」として、要望が出されていたものだが、センターにはホテルの機能やレストランも設けられるという。

 共同事業体への日本の拠出額はこれまでに約六十四億円に達している。だが、政府内に支援を見直す動きはないようだ。支援事業を行っている日赤国際救援課は、「『支援を見直した方がいい』という声は聞いていない。日本政府が人道的見地から始めた支援であり、『帰りたい』という人がいる以上、今後も続けていきたい」と話している。

「当事者はもういない」

 日本の支援については、もうひとつ大きな問題がある。支援の対象者が極めてあいまいになっていることだ。

 サハリンに渡った朝鮮民族には、大きく分けて三つのグループがある。(1)戦前の早い時期に、新天地での成功を夢見て渡り、そのまま住みついた(2)戦時に、企業の募集、官斡旋、徴用によって渡った(3)戦後、派遣労働者などとしてソ連や北朝鮮地域から渡ってきた−の三つだ。

 いうまでもなく、(1)、(2)、(3)のうち、日本政府がかかわっているのは(2)の一部だけである。当初、日本側には、「税金を使って支援を行う以上、対象者をはっきり区別すべきだ」という意見もあったが、結局はうやむやになった。共同事業体で設定している支援対象者の条件は、「一九四五(昭和二十)年八月十五日以前にサハリンに移住し、引き続き居住している者」というだけである。

 

 この条件なら、終戦までに誕生していれば、一歳でも二歳でも対象者に含まれることになる。実際、韓国へ永住帰国した人たちのなかには、「本当に祖国へ帰りたかった」一世だけでなく、当時、幼児だった子供たちが多く含まれている。彼らの多くはサハリンで結婚し、新たな家族が出来ていた。韓国には長年待っている家族など、ほとんどおらず、父祖の土地でしかない。その永住帰国まで日本が支援しなければならないのだろうか。

 一時帰国者の中にも、韓国に縁者がいない「無縁故者」が数多く含まれていたことが分かっている。数年前にサハリンを訪れた産経新聞記者は、ある韓国人から「私たちは戦前、毛皮の商売をするためにサハリンに来た。なぜ、日本が韓国へただで連れて行ってくれるのか」と不思議そうに尋ねられたという。支援の対象者が(1)、(2)、(3)のどのグループに所属するのかは問われないのだ。しかも、昨年からは、「終戦前サハリンへ渡り、残留を余儀なくされ、終戦後、ロシア本土などに渡った韓国人」にも支援の対象が拡大されることになった。こうした複雑な経歴を、だれが、どうやってチェックしているのだろうか。

 また、六十歳以上の一時帰国者については、付き添い一人が認められている。このため、かなり前から、本来の家族再会の趣旨は隅っこに押しやられ、付き添いの二世、三世が主体となった韓国への“買い物ツアー化”が指摘されている。新井佐和子氏は平成七年にサハリンへ行ったとき、八十歳を超える一世の老人から、「一度一時帰国したので、もう十分なのだが、子供たちが韓国へ行きたがるので二度目の申請をした」といわれた。「飛行機の座席の権利を数百ドルで売る人がいる」といった話も聞いたという。運賃がかからないため、「一回、韓国へ行き、買いこんだ商品を(サハリンで)売ればいい商売になる」という人もいる。それなのに、支援の対象者を選ぶのは韓国やサハリン側に任されており、日本側はチェックする手段もない。

 間もなく戦後六十年になる。夫とともに長く帰還運動を続けてきた堀江和子さんは、「本当に祖国に帰りたかった一世たちはもうほとんど残っていない。支援は打ち切るべきだ」と訴えている。実際、現在、支援を求めているのは二世や三世が主なのだ。

 サハリン残留韓国人への日本の支援に対して、ある官僚が「元々、それほど大きな予算ではない」と漏らしたことがある。“大きな額ではない”予算を出し惜しみして韓国などから、反発を招くのを心配しているのか、それとも、一度獲得した予算を手放すのが嫌なのか…。六十四億円はもちろん、小さな額などではない。そして何よりも、「理由のない支援」を許していいのか。

 サハリン残留韓国人問題について、「日本の責任はゼロだった」というつもりはない。本当に支援が必要だった一世たちへの「人道支援」まで否定しているわけでもない。だが、「すべて日本が悪い」などと“あしざまにののしられた”あげく、日本とほとんど関係のない人たちが支援を受けるのでは、国民も納得しないだろう。

【略歴】喜多由浩氏 昭和三十五(一九六〇)年大阪府出身。立命館大学産業社会学部卒。五十九年、大阪新聞社入社、その後、僚紙・産経新聞に転じ、社会部で運輸省(当時)、国会、警視庁などを担当。ソウル支局、横浜総局次長などを経て平成十二年、社会部次長、十五年から現職。現在の主な関心分野は朝鮮半島情勢、旧満州など。著書に『満州唱歌よ、もう一度』(扶桑社)。

「正論」平成17年1月号
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2005/0501/ronbun1-1.html



reference archives : 【国外元ハンセン病患者への補償再考を】 元サハリン再開支援会 新井佐和子
[PR]

by thinkpod | 2007-04-05 14:36
2007年 04月 03日

利用され、悪用される歴史

オピニオン 慰安婦問題を国際社会が批判するほど日本は態度を硬化させて強く反発するだろう
加瀬英明(外交評論家)

Newsweek日本版 平成19年4月11日号

 このところ、日本では過去をめぐって熱い論争が繰り広げられている。戦時中の日本の行いが、いまだに国民を悩ませている。
 米連邦議会下院が第二次大戦中の慰安婦問題について日本政府に公式謝罪を求める決議を可決するという見通しに、多くの日本人は落胆している。日本政府にとっても意外な展開だ。日本がイラク戦争や対テロ戦争など、アメリカに惜しみない協力をしてきたことに照らすと、なおさらだ。
 国際社会は、日本があらためて気やすく陳謝することを渋る理由が理解できないでいる。しかし多くの日本人は、慰安婦や南京虐殺といった問題がどうして蒸し返されるのかが理解できない。
 第二次大戦以後、日本はアメリカ占領軍によって押しつけられた平和主義に従ってきた。日本のマスコミや知識人は平和主義を謳歌するため、再武装を阻むために日本が好戦的で危険な国だというイメージを作り上げてきた。そして日本軍が行ったとされる残虐行為を誇張したり、でっちあげた。

 1945年に日本が降伏してから間もない頃まで、国民の間に屈従を強いられることを阻む空気が強かった。
 国会は52年に、戦勝国が裁いた東京裁判を含む戦争犯罪裁判の被告を、戦争で戦死や負傷した名誉ある人々と同等に扱うことを全会一致で決めた。また当時の日本の総人口の半分が服役中の戦争犯罪者の即時釈放を求める請願書に署名し、主要政党が戦争犯罪という概念そのものを認めなかった。
 しかし70年代ごろになると、そうした抵抗感が弱まった。戦争の記憶が風化し、経済が急速に成長したからだった。多くの国民が未曾有の豊かさに浮かれ、商売のためなら近隣諸国に許しを請うことをいとわなかった。
 93年に、河野洋平官房長官は日本が戦争中に女性を軍のために強制的に売春させたことを謝罪した。その3年後、終戦50周年の記念日に社会党(当時)の村山富市首相は、戦争中の日本の侵略行為が近隣のアジア諸国に「多大の損害と苦痛」を与えたことを詫びた。

謝罪のメリットがない

 だが最近、長年にわたって影を潜めていたナショナリズムがいくつかの理由によって台頭している。
 まず2000年代初めまで続いた経済不況に見舞われると、謝罪する見返りが明確でなくなった。また、保守本流の安倍晋三首相は53歳で、閣僚や補佐官のほとんどが40~50代だ。この世代にとっては、生まれる前に起きた出来事についてなぜ詫びなければならないのか、実感できない。
 日本のナショナリズムが復活している。中国の異常な軍事力拡張と、北朝鮮の核の脅威によるものでもある。近隣諸国が目先の利益のために、過去の出来事に悪乗りしていると思えることへの反発もある。
 韓国政府は1965年に日本との国交を正常化した際に、慰安婦問題にまったく触れなかった。日本の左翼が、80年代に入ってからこの問題を創りあげたのだ。
 慰安所も、その実態は商業施設だった。米陸軍の報告書によると、慰安婦は「売春婦」であり、日本の官憲による「拉致」の例についてはひとつも見つからなかった。慰安婦の4割が日本人だったことにも注目すべきだ。
 多くの日本の政治家は、南京虐殺は中国が捏造したもので、中国がこれを使って政治経済などの領域で日本から利益を引き出そうとしているとみなすようになった。今年2月と3月には延べ60人以上もの国会議員による勉強会が3回催され、事件を否定する多くの証拠が提示された。

日本の姿勢が劇的に変化

 例えば、中国国民党中央宣伝部は南京陥落後11カ月にわたって300回以上記者会見を開いたが、虐殺について一回すら言及しなかった。蒋介石や毛沢東も、駐日戦争1周年記念日の演説で南京で虐殺があったと言っていない。
 日本の国会議員は最近、「南京事件の真実を検証する」議連を立ち上げた。今後どうあれ、これ以上謝罪することはなかろう。
 日本の姿勢は70年代と劇的に変わった。ここ数十年の間、日本の大半の歴史教科書に日本軍が南京で20~30万人の中国人民間人を虐殺したと記述されていた。現在、このような記述があるのは一つだけだ。
 公立学校では日の丸の掲揚と君が代の斉唱が義務化された。こうした些細にもみえる多くの兆候が、日本の空気が変わったことを示している。
 日本は常識的な防衛力と外交政策を兼ね備えた普通の国として、世界における地位を回復することを願っている。近隣諸国やアメリカが謝罪を迫れば迫るほど、日本の反発が激しくなろう。
(筆者は福田赳夫、中曽根康弘両首相の特別顧問として訪米した)



論評: 不公平に悪口を言われた日本--ニューズウィーク: 国際版

世界観: Hideaki Kase


客論評
加瀬英明
日本人の作者、歴史家

同国の戦時中の振る舞いがその国民を恐れ慄(おのの)かせるべく甦り、日本では最近、歴史が物議を醸している。(歴史問題が喧(かまびす)しい)
多くの日本人は、アメリカの下院議員が近々、第二次世界大戦中に帝国軍が「慰安婦」もしくは性奴隷を利用した、との嫌疑で日本政府に正式な謝罪を要求する、との可能性に失望している。
特に日本のイラクやテロとの戦争でのアメリカ政府に対する前代未聞の支援を考えて、この協議は日本政府を仰天させた。

世界は何故日本がもう一度「ごめんなさい」と言いたがらないか、という理由を理解出来ない。
だが、ほとんどの日本人は、何故慰安婦や南京大虐殺のような問題が再浮上したのか、という理由を全く理解出来ない。
第二次世界大戦以来、同国はアメリカ占領軍によって押し付けられた平和主義を守ってきた。
このような平和さを推進する為に日本のメディアや学識者達は、何が何でも再軍備させてはならない戦闘的な場所として、日本のイメージを作り上げた。
この危険を高める為に、メディアも誇張したり、更には日本帝国軍によって行われたと言われている、卑劣な行為をでっち上げさえした。

1945年の日本の降伏後数年間、多くの国民は、この押し付けられた穏和さを受け容れがたいと考えていた。
例えば1952年国会は、連合軍の戦争犯罪裁判で有罪判決とされた人々が、戦場で殺されたり負傷したりした人々と同様に扱われるよう、全会一致で求めた。
当時の日本の総人口の半数が、投獄されていた戦争犯罪者の即時釈放を求める請願書に署名し、当時の主要政党はいかなる戦争の罪悪感を受け容れる事を拒絶した。
しかしながら1970年代までに、戦争の記憶が薄れ、経済が好況になり始めた中、この抵抗は縮小し始めた。
前代未聞の豊かさに毒され、これが商売に良いと分かれば、日本は喜んで近隣諸国の許しを求めた。
1993年、河野洋平官房長官は、日本が戦争中に女性を強制的に売春させていたと、謝罪した。
3年後、日本降伏50周年に、社会党出身の村山富市総理大臣は、戦争中の日本の侵略行為が多くのアジアの国々に「著しい損害と苦痛」を生じた、と認めた。

しかし近年、長い間姿を顰めていたナショナリズムが、いくつかの要素の為に再び頭をもたげ始めた。
第一に、この10年間の初頭にまで及んだ経済不況の間、謝罪する事の利益は明確さを失った。
第二に、保守派の安倍晋三総理大臣は53歳であり、彼の閣僚と側近のほとんどは40代と50代である。
そのほとんどは、何故彼らが、自分達が生まれる前に起こった事件の贖罪をしなければならないのか、理解していない。

日本のナショナリズムは、中国の憂慮すべき軍事増強と未だ初期段階の北朝鮮の核兵器の脅威によっても、復活させられている。
またそれは、日本の近隣諸国が現在の利益の為に悪い歴史を利用している、と見受けられる事に応じて急増した。
例えば、南朝鮮政府は、同国が1965年に日本政府と国交正常化した時には、慰安婦問題を取り上げすらしなかったのだ。
このトピックを1980年代に最終的に持ち出したのは、日本の左翼主義者達だった。

売春宿は商業施設であった、というのが事実である。
慰安婦達が売春婦であり、日本当局による「拉致誘拐」の例は一件として発見しなかった、とアメリカ軍の記録は明らかに宣言している。
また、これらの女性達の40%が日本人である事も、注記に値する。

多くの日本の政治家達も南京大虐殺は、他の分野で譲歩させるべく日本に圧力をかける為にこれを利用している、中国側のでっちあげだと考えるようになった。
60人以上の国会議員達が、2月と3月に研究会を数回開催した。
虐殺が誤りである事を証明する多くの証拠が提示された。
例えば、中国国民党情報省が南京陥落後11ヶ月に渡って、300回以上の記者会見を実施しているにも関わらず、虐殺については一度も一言も発していない。
蒋介石も毛沢東も、最初の終戦記念日の声明でそれに言及しなかった。

議員達は現在、事実を研究すべく、新たな会を設立している。
彼らが何を発見しても、更なる謝罪は有り得ない。
日本の態度は1970年代以来、劇的に変わったのだ。
例えばこの数十年間、多くの日本の歴史教科書は、日本軍が南京で20万人から30万人の中国人民間人を虐殺した、と非難した。
今日、このような事件に触れている教科書は一冊だけである。
日の丸に敬意を表し、国歌(題名は『君が代』と訳される)を歌う事は、公立学校では義務になった。
これらは些細ではあるが、どのように日本の感情が変わったか、という明らかなサインだ。
この国は普通(ごく当たり前)の国防政策と外交政策を持った、普通の国として、世界にその地位を再び得たいと心から願っている。
近隣諸国やアメリカがより厳しく謝罪を迫れば迫るほど、日本はますます抵抗し始めるかも知れない。

加瀬は福田赳夫総理大臣と中曽根康弘総理大臣の相談役を務めた歴史家であり作家である。


Newsweek誌での加瀬先生の反論-慰安婦問題
http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/5b392ea093103f5c060776dd3cd277e9/#comment



World View: Hideaki Kase


Guest Commentary
By Hideaki Kase
Japanese Author, Historian

April 2, 2007 issue - History is a hot topic in Japan these days, with the country's wartime behavior returning to haunt its citizens. Many Japanese are dismayed by the possibility that the U.S. House of Representatives will soon demand a formal apology from Tokyo for the imperial military's alleged use of "comfort women," or sex slaves, during World War II. This talk has taken the Japanese government by surprise, especially given its unprecedented support for Washington in Iraq and the war on terrorism.

The world can't comprehend why Japan is reluctant to say sorry once more. But most Japanese can't understand why issues like the comfort women or the Nanking Massacre have resurfaced at all. Since World War II, the country has abided by the pacifism forced on it by the U.S. occupation. To promote such peacefulness, the Japanese media and intellectuals created an image of Japan as a warlike place that had to be prevented from rearming at all costs. To heighten the danger, the media also exaggerated or even invented wretched acts supposedly committed by Japan's imperial forces.
 
In the first years after the nation's surrender in 1945, many of its citizens found this imposed meekness hard to take. In 1952, for example, the Diet unanimously called for the men convicted by the Allied war-criminal trials to be treated the same as those honorably killed or injured on the battlefield. Half of Japan's then population signed petitions calling for the immediate release of incarcerated war criminals, and the major political parties of the day refused to accept any war guilt.

By the 1970s, however, this resistance began to diminish as memories of the war faded and the economy began to boom. Intoxicated by its unprecedented affluence, Japan was willing to ask forgiveness of its neighbors if this proved good for business. In 1993, Chief Cabinet Secretary Yohei Kono apologized for Japan's having coerced women into prostitution during the war. Three years later, on the 50th anniversary of Japan's surrender, the Socialist Prime Minister Tomiichi Murayama acknowledged that Japanese aggression during the war had caused "tremendous damage and suffering" to many Asian countries.

In recent years, however, long-dormant nationalism has begun to rise again due to several factors. First, during the economic slump that extended into the early part of this decade, the benefits of apologizing became less clear. Second, the conservative prime minister, Shinzo Abe, is 53, and the bulk of his cabinet and aides are in their 40s and 50s. Most don't understand why they should do penance for events that occurred before they were born.


Japanese nationalism has also been revived by China's alarming military buildup and North Korea's nascent nuclear threat. And it has spiked in response to the way Japan's neighbors seem to be exploiting bad history for present gain. Seoul did not even raise the comfort-women issue, for example, when it normalized relations with Tokyo in 1965; it was Japanese leftists who finally broached the topic in the 1980s.


The fact is that the brothels were commercial establishments. U.S. Army records explicitly declare that the comfort women were prostitutes, and found no instances of "kidnapping" by the Japanese authorities. It's also worth noting that some 40 percent of these women were of Japanese origin.

Many Japanese politicians have also come to believe that the Nanking Massacre was a fabrication of the Chinese, who are using it to pressure Japan into granting concessions in other areas. More than 60 Diet members conducted several study sessions in February and March. Much evidence disproving the massacre was presented; for example, although the Chinese Nationalist Ministry of Information conducted more than 300 press conferences over 11 months after the fall of Nanking, it never breathed a word about any massacre. Nor did Chiang Kai-shek or Mao Zedong refer to it in statements on the first anniversary of the war.

Diet members are now forming a new caucus to study the facts. Whatever they find, further apologies are unlikely. The country's attitude has changed dramatically since the 1970s. In recent decades, for example, many Japanese history textbooks blamed Japanese forces for massacring 200,000 to 300,000 Chinese civilians in Nanking. Only one textbook mentions such events today. Saluting the rising-sun flag and singing the national anthem (the title of which translates as "Your Noble Reign") have become mandatory in public schools. These are small but telling signs of how Japan's sentiments have changed. The country is eager to resume its place in the world as a normal nation, with a normal defense and foreign policy. The harder its neighbors or the United States push it for apologies, the harder Japan may start pushing back.

Kase is a historian and author who served as an adviser to Prime Ministers Takeo Fukuda and Yasuhiro Nakasone.

Commentary: Japan Unfairly Reviled - Newsweek: International Editions - MSNBC.com
http://www.msnbc.msn.com/id/17770834/site/newsweek/
[PR]

by thinkpod | 2007-04-03 23:22 | 国際