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2006年 11月 29日

「郵政改革」の真相を明かす一通の手紙

アメリカの郵政は国営が基本だ。
なのに何故、日本に民営化を迫るのか

 郵政民営化は誰のためか? 何のための解散・総選挙か? 小泉純一郎首相と竹中平蔵のコンビはいう。
 「小さな政府をつくる。郵政改革はその第一歩だ。この改革なくして日本の明日はない」
 騙されてはいけない。真相を暴露する手紙が、参院の特別委員会で披露された。宛名は竹中平蔵。差出人は前アメリカ通商代表部のボス、ロバート・ゼーリック(現国務副長官)だ。
 日付は二〇〇四年十月四日。竹中が経済財政担当に加えて、郵政民営化担当大臣を兼務することになった時点だ。
 この手紙を民主党の櫻井充が読み上げた。全文を読んでみたいと思い、翌日、新聞五紙を見たがゼーリックの「ゼ」の字も出ていない。完全無視。人を介してコピーを入手した。全文を引きたいところだが、紙幅の関係で要約する。

 -竹中さん、オメデトウございます。金融大臣としてよいお仕事をされた。それが新しい任務を招きました。この任務を小泉首相が貴方に託したことは、われわれにとって心強い。貴方に前と同様の決意とリーダーシップを期待します。
 保険、銀行、速配業務において、競争条件を完全に平等にすることは、私たちにとって根本的に重要です。郵貯と簡保を、民間とイコールフッティング(同じ条件)にすること、すなわち民間と同様の税制・セーフティネットを義務化し、政府保証を廃止するよう望みます。ついては以下の点で、貴方を後押しいたします。

 ①民営化の開始(〇七年)から、郵貯・簡保業務に(民間と同様に現行の)保険業法、銀行法を適用すること。
 ②競争条件の完全な平等が実現するまで、郵貯・簡保に新商品や商品の見直しは認めてはならないこと。
 ③新しい郵貯・簡保は相互扶助による利益を得てはならないこと。
 ④民営化の過程において、いかなる新たな特典も郵便局に与えてはならないこと。
 ⑤その過程は常に透明なものにし、関係団体(筆者註、アメリカの業者を含む)に意見を表明する機会を与え、これを決定要因とすること。

 この間題について、今日まで私たちの政府が行った対話を高く評価します。貴方がこの新たな挑戦に取りかかる時に、私が助けになるなら、遠慮なくおっしゃって下さい……
 末尾に手書きで「Takenaka-San」と呼びかけ、次のように結ぶ。
 「貴方は立派な仕事をされました。困難な挑戦の中で進歩を実現された。新たな責務における達成と幸運を祈念いたします。貴方と仕事をするのを楽しみにしております」
 手紙が読み上げられる問、議場から「へぇー」とか「ホォー」の驚嘆しきり。その間、当の竹中は居心地悪そうに、しきりに手で顔を撫でまわす。
 毎年十月、アメリカ通商代表部は日本政府に 「年次改革要望書」を突き付ける。毎年三月、代表部はその成果を議会に報告する。議会のさらなる要望を受けて、代表部は日本を督励・監視する。日本の「諸カイカク」は、そのシナリオに沿って行われて来た。
まさに手紙は郵政民営化担当大臣・竹中を督励する内容だ。櫻井は訊く。

 「竹中大臣、貴方はこれまでアメリカの要人と民営化について話し合ったことはありますか」
「いや、一度もございません」

 ならばと、櫻井はこの手紙を読み上げた。
それにしても私信が公の場で暴露されるのは、尋常一様ではない。民主党議員に訊いてみた。
「どうやって入手したんです?」
「竹中の周辺に、こい奴はおかしいと腹に据えかねている良心的な人間がいるんですよ」

三百四十兆円を売り渡す

 手紙は郵便・窓口についてはほとんど触れない。郵貯・簡保についてのみアレコレと指示する。狙いは明らかだ。
郵貯・簡保に貯えられた三百四十兆円 - 日本人の最後の貯金、それが狙いだ。手紙はそれを露骨に物語る。
 すでに商法改正は、株式交換による会社の買収・合併を可能にしている。これまた例のシナリオに従った。それによって株式時価総額の大きい会社は、小さい会社を容易に買収・合併できる。日本の株式時価総額は、アメリカの格付け会社によって不当に低く抑えられている。格付け会社はアメリカ大手資本の「別働隊」だ。ために株式時価総額における日米の比率は一対八だ。
三菱東京銀行の中堅社員がいう。
「ウチの株式時価総額は四兆円かそこらです。くらべてシティバンクは三十兆円。TOBを仕掛けられたら、ひとたまりもない」
 郵貯・簡保を民営化させ、郵貯銀行と保険会社とする。これをゼーリックいうところの「完全な競争原理」に晒せばどうなるか。
アメリカの大手資本が併呑する。櫻井もいう。
「これが乗っ取られるのではないか。すでにアメリカの大手資本が、ゴールドマン・サックスでしたかな、一兆円の資金を準備したとも聞いている」
 元郵政相・自見庄三郎(山崎派)は衆院の採決に先立ち、反対の「撤文」を全議員に配布した。
「財政赤字に苦しむアメリカは、日本の郵政民営化に期待する。
三百四十兆円の郵貯・簡保資金は、アメリカによる日本買い占め資金に回す結果となるのだ」
 つまりは国民の資産三百四十兆円をアメリカに売り渡す法案だ、というのだ。どうあっても民営化するなら、郵貯銀行、保険会社につき、事前に防衛策を講じる必要がある。修正案に盛り込もうとする主張もあったが、小泉・竹中のコンビが最後までこれを拒否した。理由はくだんの手紙で明らかだ。ボスの指示とあれば拒めない。

 堀内光雄が配布した文書がある。
説明に訪れた竹中とのやり取りが記してある。

 堀内 この法案にはビジョンが出ていない。結果はどうなる、それが出ていない。
 竹中 そうなんですよね。
 堀内 そこが問題なんです。
 竹中 これはわれわれとしても大変悩ましいものがあるんですが、それをお決めになるのは次の経営者なんですね。その経営者を差し置いて、われわれ政治家や役人がビジネス・モデルをつくるのは、若干、恥じらうところがあります。
 堀内 それはちょっと違うのでは?改革というのは、目標とするところの姿を示すことに意義があると思うんです。革命は、やればできるといってアトのことは示さない。革命になったら困るんですよ……。

 郵貯銀行、保険会社の未来は経営者が決める。アトは野となれ山となれ。これでは革命でもなければ改革ですらない。郵政を国営とするアメリカが、なぜ日本には民営化を望んで圧力を加えるのか。コトは郵便や窓口の話ではない。そんなことはアメリカにとってはどうでもいい。

 それかあらぬか参院で法案が否決された翌日、ウォール・ストリート・ジャーナルは書いた。
「これでわれわれが待ち望んだ三兆ドルは、しばらくの間お預けだ。しかし小泉は頑張るだろう」
 この新聞はアメリカ大手資本の「広報紙」だ。それがはからずもアメリカの本音をあらわにした。

ブレア首相の皮肉

「郵政」 の名に隠れているが、今国会の本質は「金融国会」だった。
竹中が金融担当を経て経済財政担当を兼務しながら郵政民営化担当大臣に就いたこと自体が、それを示している。
郵貯・簡保三百四十兆円の扱いが、アメリカにとっても、その意を受けた小泉・竹中にとっても、文字通り「本丸の本丸」だった。
郵便・窓口など二の次、三の次だ。
 アメリカは官民一体となった 「金融攻勢」を仕掛けて来ている。郵貯・簡保三百四十兆円の行方は金融に大きな変化をもたらす。ましてこれが乗っ取られるとなれば、なおさらだ。
 郵貯・簡保三百四十兆円は、うち二百兆円を財務官僚が運用し、一説にはすでに百兆円が不良債権化しているとされる。
百兆円の国債を発行してこれを身奇麗にする。
キレイにした三百四十兆円を民営化して、ハゲタカの前に晒す。これが旧長銀よろしく買収された場合、百兆円の日本国債はアメリカの手に落ちる。日本の公的機関が抱える米国債は七十五兆円とされる。アメリカにすればお釣りが来る。アメリカは日本に米国債を売らせない。永遠に塩漬けとする。一方、日本国債を大量に売ればどうなるか。暴落は必至。切羽詰まればアメリカは何でもやる。
 国債とは国民からの借金だ。百兆円の借金は、いずれは税金で賄うしかない。とどのつまりは国民の負担となる。八兆円を注ぎ込んだ旧長銀の買収事件と同様だ。ハゲタカのリップルウッドは十億円の投資で一兆円の利益を上げた。これの再現にならないとは限らない。首相は櫻井に答えた。
「外国の資金が入って来る。結構なことじゃないですか。私は外資歓迎論です。棲井さん、いい加減、島国根性は捨ててもらいたい」
 外資歓迎? 日本にカネはダブついている。それが塩漬けになってまわらない。これをまわすようにする政策こそが急務だ。それを首相はやろうとしない。ひたすら 「官のものを民へ流す」 と叫ぶだけで、実行が伴わない。第一、郵貯・簡保のカネは「官のもの」ではなく「民のもの」 だ。
 たしかに郵貯・簡保の「カネの出」について問題はある。財政投融資を廃止するなり(事実そう決められた)、カネの出を厳重管理すれば足りる。
「カネの入り」 はきわめて健全なものだ。偽名による多重口座の問題もあるが、「名寄せ」をする等して、これまた厳重管理すれは足りる。ひっくるめて 「カネの出入り」を健全管理することは可能だ。これを民営化して大手外資の攻撃に晒するのは、たらいの水ごと赤児を流すに似ている。
 ちなみにイギリスは郵便貯金を国営としている。ニュージーランドは民営化して外資に乗っ取られ、慌てて郵貯を国営に戻した。ドイツの国営化は失敗、Uターンを始めている。分割したドイツポストとドイツポストバンクを再び統合させる等混乱が続いている。アメリカの郵政は国営を基本とする。
だから最近、イギリスのブレア首相は訪れた笹森消・連合会長に皮肉った。
「日本だけが逆行しているようですね」
 日本人の最後の貯金を「お預け」としたのは、反対派議員の職を賭けた起(けっき)だ。その彼らをいまや首相は「刺客」を放って追い詰める。メディアも「守旧派」として冷ややかに扱う。話が全く逆だ。善玉と悪玉を取り違えてはいけない。

月刊リベラルタイム
2005/09/03発売号 (10月号)
永田町仄聞録
「郵政改革」の真相を明かす一通の手紙
ジャーナリスト◎堤 堯
http://www.fujisan.co.jp/Product/1276354/b/76638/
堤堯
東大法学部卒、文藝春秋編集長、出版総局長、常務を経て退社。

http://tech.heteml.jp/2005/09/post_85.html
http://tech.heteml.jp/2006/11/1_2.html
http://tech.heteml.jp/2006/11/2_3.html

石原知事定例記者会見録 平成17(2005)年7月29日(金)

【記者】国会の方で、もうすぐ郵政民営化の法案が参議院で採決される見通しで、もし否決されると、即、解散総選挙になるんじゃないかという話もあって、その中で政界再編の動きとして、新党結成などという声も言われておりまして、まあこれはいつもの話でもありますが、知事が新党に参画するのではないかという声も、また最近いろいろ出ていますが、政界再編の見通しについてどうお考えになるかと、知事がそれについてどう参画するか、今の考えを聞かせてください。

【知事】私は基本的に民営化賛成なんですよ。ほかの国の例なんかを見てもね。ただ、一部の人たちが心配し反対しているように、諸君はご存じかどうか知らないけども、私が国会議員のころ、小沢一郎(衆議院議員)が幹事長のときに、私は絶対反対したんですが、アメリカが日本に経済構造協議っていうものを持ちかけてきた。これはGATTとか、そういった国際貿易を論ずる機関が、当然そこの場所で議論すべきことだけど、相手が日本なんで、ヨーロッパがそっぽ向いて勝手にやれということで、日本は押しつけられた。

 それで、非常に理不尽な二百数十項目の要求を突きつけられてね、我々それに反発して、私が主宰している勉強会で、日本側で百五十項目ぐらいのカウンタープロポーザル(逆提案)を出しましたが、それそのものが党議に、総務会に持ち出すつもりだったけど、かかることが嫌いで、小沢君は意識的に会期末だったけど、3回総務会を流してこれを葬ったけども、私たちはほかのところで、例えば英訳したものを外人記者クラブで発表したりして、当然ほかで記者会見もして伝わりました。

 あのとき、日経連の会長をしていた鈴木永二さんが「何でこんないいものをもっと早く発表しないんだ。怠慢だ」と言って、私、叱られたんですけどね、先輩なんで。言いわけをしたんですがね、「ああ、自民党もそんな体たらくになったか」という慨嘆(がいたん)を鈴木さんがされたけども。あのときから、日本は一方的に強いられて、小沢と金丸(故金丸信 元副総理)の裁断で、日本は皆さん、400兆のやらなくていい公共事業ってのを、金がダブってたかもしらんけど、8年間でやったの。

 合計430兆というめちゃくちゃな金を、浪費するために使ったんですよ。その影響がいまだに生きていて、アメリカは日本に年次改革要望書ってのを毎年送ってきてる。これには例えばアメリカの弁護士が参加して、日本の法律を弁護士がこう変えろとか、建築をこう変えろとかああ変えろとか、全部アメリカの都合でやる。そういう傾向ってものを国会議員、どれだけ知ってるか知らないけども、反発しないね。しかし、一部の人たちは陰でぼそぼそ、こんな形でいくと、簡保にしろ郵貯にしろ、国が持ってるもう1つのお財布が結局、民営化されると、日本の銀行が軒並みやられたみたいに、アメリカの膨大な金融力ってものに収奪されて、日本の金が日本の金じゃなくなるんじゃないか、そういう懸念はあり得るかもしれない。長銀なんかの例を見ても。

 まあ、そこまで竹中君(竹中平蔵 内閣府特命担当大臣(経済財政政策)・郵政民営化担当)が考えて、アメリカの太鼓をたたいているとは思いませんがね。しかし、そういう憂慮をするような大きな背景があるってことをメディアの諸君も心得てもらいたいし、国民の皆さんも知っといた方がいい。アメリカは実に勝手なことをしています。勝手な事を要求してる。ほとんど日本はこれを聞いてきた。そして、やがて日本にウィンブルドン現象が起こるかもしれない。つまりウィンブルドンという華々しいテニスのコートで競い合ってるのは、全部外国人。提供しているのはイギリスということでね。

 そうならないように私も期待してるし、そういったものがどこまで国民の意識にとまって、仮に郵政の民営化云々の問題で選挙になったとしたときに、もうちょっと国会の議論というものをわかりやすく、賛成派も反対派も国民に伝える必要があるね。

 この島、この田舎には1軒しか郵便局がない。これは消えちゃうことはありませんよ。ニーズがあるんだったら残しますよ。要するに、合理的っていうのは、要るものまでつぶすということじゃないんだから。だから、そういう議論を国会が行わなくちゃいけないけど、何か知らないけど、政局絡みで上っ面のことばっかりで。青木(青木幹雄 自民党参議院会長)だとか片山(片山虎之助 自民党参議院幹事長)が参議院でどうこうああこうする、そんな本当に見えない部分の話ばっかり出てきてね。

 私はやっぱり非常に今の国政のあり方ってのは、運営そのものを含めて、それは片一方は強引にやるでしょう。自分のかねての懸案だから。それを承知でみんな総裁に担いだんだろうからね。その後どうなるか知らないけど、私は基本的に郵政の民営化は賛成ですから。それで解散されて、小泉反対というわけにはなかなかいかんでしょうな。

 あとはご賢察ください。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2005/050729.htm


石原知事定例記者会見録 平成17(2005)年8月5日(金)

【知事】ただもう非常に浅薄で、コップの中の嵐でね。与党も野党も言っていることが薄っぺらくてね。私は基本的に、郵政の民営化って賛成ですよ。離島に郵便局がなくなるみたいな、そういうセンチメンタルなことを言っているけど、それはなくなるわけはない。ただ、都会では、既存の郵便局を含めてのそういう組織が必要かどうかということになれば、亡くなったヤマト運輸の小倉さん(小倉昌男 元ヤマト運輸会長)が言っていたけども、ああいうところの宅急便なんていうのは、取扱所というのは郵便局の数よりも多いわけですからね。そういうところに頼めば、もっと早く届くケースもある。しかし、それだけの問題じゃない。大事なことは、その郵便貯金、それに簡易保険、そういったもののお金がどうなるか。私は、環境庁の大臣をしているときに、福田内閣で四国みたいなちっぽけな島に橋を3本架けるというから、私だけが反対したんだ。こんなのは儲かりっこないから。役人が鉛筆をなめていいかげんな数字をつくって、そうだそうだとみんな賛成したの、政治家は。どうですか。あれは財政投融資でね、郵便貯金を使ってつぎ込んだけど、全部不良財産だよ。あんなもん金が返ってくるわけはないよ。ほかにいろんなケースがあるでしょう。そういうときに、一体その郵貯というものを民営化するときに、実態はどれだけの金融資産があるかということをはっきりさせないとね。どれだけの不良債権化しているかということをはっきりさせなかったら、これは非常に、民営化も結構だけど、危ないことをやることになるし。それから反面ね、本四架橋は困るんだけども、もうちょっと合理的な、国家的なインフラの整備、プロジェクトなどのときに、政府は財政ピンチだからね、郵貯とか簡保のお金を財投で使ったわけですよ。やっぱり政府は、隠したお財布を持っているみたいで、そういう意味ではあった。ただ、それを本四架橋のように勝手気ままに使って不良債権化するというのは、一種の社会主義的な金融行政でね、これは好ましくない。そこら辺のところをどう歯止めするか、どう有効にするかということを、国会でわかりやすく議論してくれたらいいのに、全然そういう議論が出てこないんだ。

 それで竹中(竹中平蔵 内閣府特命担当大臣(経済財政政策)・郵政民営化担当)はアメリカの手先だとかね。アメリカの言いなりになって民営化したら、全部向こうに乗っ取られちゃう。それはアメリカの金融資本力というのは日本の数十倍ありますから、怖いですよ。そういうものにどう歯止めをかけていくかという話は全然出てこない。まあお粗末だね。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2005/050805.htm

http://amesei.exblog.jp/1708133/
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by thinkpod | 2006-11-29 03:28
2006年 11月 27日

「日本人は確かに児童問題を解決している」 と、明治初期に来日したモースは言った。

■1.「日本人は確かに児童問題を解決している」■

 最近、親の子殺しや、いじめによる子どもの自殺といった痛
ましいニュースが相次いで報道されているが、我々の先人は子
育てをもっとうまくやっていたようだ。

 明治初期の東京大学で生物学を講じたエドワード・S・モー
スは『日本その日その日』に、当時の日本の親子の姿をこう描
いている。

 世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子
供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている
所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらし
い。彼等は朝早く学校へ行くか、家庭にいて両親を、その
家の家庭内の仕事で手伝うか、父親と一緒に職業をしたり、
店番をしたりする。彼等は満足して幸福そうに働き、私は
今迄に、すねている子や、身体的の刑罰は見たことがない。
・・・

 小さな子供を一人家へ置いていくようなことは決してな
い。彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけら
れて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして
行われつつあるもののすべてを見物する。日本人は確かに
児童問題を解決している。また、日本人の母親程、辛抱強
く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。だが、日本
に関する本は皆、この事を、くりかえして書いているから、
これは陳腐である。[a,1,p103]

 それが、どうして現代日本のような有様になってしまったの
か。旭川市で40年も小児科医として多くの子供や親と接して
きた田下昌明氏は近著『真っ当な日本人の育て方』で、戦後ア
メリカから輸入されたジョン・デューイの教育思想やスポック
博士の育児論が、現代日本の子育てを崩壊させてしまった事を、
最新の母子関係の理論から説き明かしている。

 そして、最新の育児理論の説くところは、日本の伝統的な子
育てのあり方と驚くほど似通っているのである。

■2.反体制的な『スポック博士の育児書』■

『スポック博士の育児書』の日本語版が出たのは、昭和41
(1966)年だった。全国の大学で学園紛争が広がる3年前であっ
た。この本は『育児書』と銘打ちながら、反戦・平和、フェミ
ニズムの擁護、資本主義への懐疑など政治的主張が書かれてお
り、当時の反体制的雰囲気にアピールしたのである。

 スポック博士の育児論は、ジョン・デューイの教育思想を具
体化したものだが、デューイ自身がスターリン独裁化のソ連を
旅して、浮浪児たちが収容学校で共産主義を叩き込まれる姿に
感銘を受けるような人物だから、その思想的素性は推して知る
べしなのである。[b]

『スポック博士の育児書』では、たとえば、次のような主張が
展開されている。

・育児にばかり集中はできない。・・・こどもも人間なら、
親だって人間なのです。

・常識のある父親(あるいは母親)なら、自分を犠牲にし
てまで、こどもにつき合おうとは、おもわないはず。

・3ヶ月になったら、・・・たとえば寝る時間がきたら、
やさしく、しかしはっきりと、もう寝なければいけない。
そして、お母さんはそばにいられない、ということをわ
からせ、すこしぐらい泣いていても、放っておきます。

・2才ぐらいになると、ひとりでベッドから出てきて、親
のベッドへきたがる子です。こんなときは、・・・運動
具店からバドミントンのネットを買っていらっしゃい。
・・・こどもを(ベッドに)入れたらネットをかぶせて、
こどもの手のとどかないベッドの下で、数カ所を、これ
もテープか紐でスプリングにしっかり結びつけられるよ
うにしておきます。

 伝統的な育児法を権威主義的で親を縛るものとして否定して
おいて、結局、「親が楽をしようと思ったとおりやってもいい
んだ。子供は自然に育つ」と説いたのである。

■3.「母子は乳房と食物によって結ばれている」?■

 スポック博士の育児論は、心理学者のシアーズらが主張した
「依存理論」に依っていた。この理論は、母親が子どもにミル
クや食べ物を与える事で、母子の絆が成り立つという、いかに
も唯物的な見方である。

 しかし、この依存理論は間違っていることを決定的に実証す
る実験が行われた。そこでは、生まれたばかりの子猿に、二つ
の人工的な「母親」を与えた。二つとも金網を筒状にしたもの
だが、一方は金網を露出したままで、ミルク瓶がつけられ、
もう一方はミルク瓶はなしで、柔らかいタオル地で覆われた。

「母子は食物を与えることで結ばれる」という依存理論が正し
いなら、子猿はミルク瓶のないタオル地の母親など見向きもし
ないはずだ。しかし、実験に用いた8匹の子猿全部が、タオル
地の母親に一日平均15時間以上も接触し、ミルクをくれる金
網の母親に一日1時間12分以上接触した子猿は一匹もいなかっ
た。この実験から、子が母親に愛着を示すのは、食べ物ではな
く、快適な接触であることが明らかになった。

■4.刷り込み現象■

 依存理論に替わって発展したのは、ジョン・ボウルビィの
「愛着理論」である。この理論は「比較行動学の父」と呼ばれ
るノーベル賞受賞者・コンラート・ローレンツが確立した「刷
り込み(インプリンティング)」理論に基づいている。

「刷り込み」の判りやすい例は、鳥が卵からかえった直後に、
自分のそばで音のするものを親だと思いこんでしまうという現
象である。ローレンツはガンのヒナが目の前でかえった時、うっ
かり声をかけたばっかりに、親だと思われてしまい、ヒナを育
てなければならないという大変な目にあった。

 この刷り込みは、昆虫、魚、哺乳動物一般にも広く見られる
現象で、人間の赤ちゃんにも存在する事が明らかになってきた。

 人間の赤ちゃんの場合は、動物ほど単純でも、短期間でもな
い。生後6ヶ月ぐらいまでの間に、母親に抱きつき、その乳首
を吸い、また母親とじっと見つめ合い、微笑み合ったり、母親
が話しかけたりする過程で、「この人が自分のお母さんだ」と
確認する。

 この過程でよく抱かれて、母親との一体感をしっかり育てた
赤ちゃんほど、笑ったり、「あー、うー」と話し始める時期が
早い。愛と言葉という人間性の特質は、母子の一体感の中から
育っていくのである。

 何の事はない。昔から日本で行われていた「抱き癖」をしっ
かりつける事が、赤ちゃんを健全に育てる早道なのであった。

■5.母親は赤ちゃんの「安全基地」■

 生後半年ほどして、刷り込みが完了すると、赤ちゃんは時々、
母親の膝を離れて、つかまり立ちに「挑戦」してみたり、ハイ
ハイしながら隣の部屋に行ってみようと「冒険」を始める。挑
戦や冒険をしばらく行うと、いったん母親の膝もとに戻って、
一安心をした後、次の挑戦と冒険を始める。

 こうした行動から、バージニア大学教授で児童心理学者のメ
アリー・エインズワースは、「母親は子どもに『安全の基地』
を提供する」という概念を確立した。母親という「安全の基地」
があるからこそ、赤ちゃんは安心して冒険と挑戦ができるので
ある。

 赤ちゃんが育つにしたがって、「安全の基地」を離れて、冒
険と挑戦を行う時間はしだいに伸びていく。3歳くらいになる
と、半日から一日母親から離れていることもできるようになる。

 この冒険と挑戦によって、赤ちゃんは精神的に成長していく。

■6.母親から引き離された子供は見捨てられたと感じる■

 心理学者のJ・ピアスは、赤ちゃんが母親から遠ざけられて
「安全の基地」を得られなかった場合の心理を次のように記述
している。

 子どもにとって、母親との「きずな」は、成長において
不可欠な条件である。しかし、不幸にも母親と子供が引き
離されると、深刻な問題が生ずる。まず、そのような子供
は、見捨てられたと感じ、絶望的な孤独感にさいなまれ、
この世界を危険で非情な場所として体験する。子供の最初
の世界体験は否定的なものになる。

 そして、そのような子供は母親の代理となるものを捜し
求めることに全エネルギーを注ぎ込む。最初はベビー毛布
が母親代わりとなり、それ以降も物質的な満足に執着する
ようになる。しかし、いずれにせよ、それらが完全に母親
代わりになることはないので、欲求不満は残り、さらに悪
いことに、母親を求めることのみにエネルギーが費やされ
るので、成長の妨げになる。[2,p107]

 このように不幸な環境で育ったこどもの性格と行動形態を、
ボウルビィは次のようにまとめている。

・浅い人間関係
・生活感情の不足(人間関係において無能)

・気むずかしさ(協力者に不快感を与える)
・正常な事態に対する情緒的反応の不足(物事に対する無
関心)

・うそ、および弁解(無意味なことが多い)
・盗癖
・学校における、注意力の不足

 ひきこもり、非行、いじめなど、現代日本の青少年問題の多
くは、ここから生じているようだ。

■7.「おんぶ」の効用■

 これらの最新の育児理論から見れば、冒頭のモースが描いた
明治初期の親子関係は、いかにも理に適っている。たとえば
「彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて」
と日本人の「おんぶ」を珍しそうに記述しているが、おんぶは
いかにも、合理的な子守の手段である。

 母親が家事をしながらでも、赤ちゃんは母の体のぬくもりや、
声の響きを直接感じとることができる。同時に、赤ちゃんは常
に母親と同じ方向を向いているので、母が今、何をしているの
かが分かる。「安全の基地」に密着しながら、いろいろな見聞
ができるのである。

 田下氏は、その他にもおんぶの優れた点を列挙している。
[2,p180]

・赤ちゃんの体温や汗ばんだ状態を母親は背中に感じるの
で、赤ちゃんの健康状態が分かる。

・母親が両手を使えるので、転んだ時でも安全である。
(田下氏は、前抱きの母親が転倒して、赤ちゃんが頭蓋
骨を骨折した例を経験している)。

 おんぶは赤ちゃんをがに股にする、という批判があるが、寝
ている赤ちゃんを見れば、常に股を開いている。これが赤ちゃ
んにとって自然な姿勢なのであり、赤ちゃんはその楽な姿で母
親に密着し、安心できるのである。

■8.「母親は家族の中で一番先に起きる人」■

 モースは「日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供に
つくす母親はいない」と語っているが、その象徴的な例が、朝
早く起きて、家族のために朝ご飯を作る母親の姿である。子供
の頃、母親が台所で朝ご飯を作る音で目が覚めた、という懐か
しい思い出を持っている人も多いだろう。田下氏は、こう言う。

 母親というものは、その家庭で「一番先に起きる人」で
なくてはならないのです。しかもその上、いかに家の中が
暖かくても、外から見えなくても、朝食の用意やお掃除を
する時には、ねまきや、パジャマや、ネグリジェのままで
やるのはいけません。

「お母さんはボクが何時に起きても、いつもきちんと身支
度をしている」、このことが子供にとってどれほど頼もし
い母親として映るか、また「毎朝本当に大変だろうな。ご
苦労様」と思う気持ち、それは計り知れない良い結果を子
供にもたらすのです。このことだけでも子供は母親を尊敬
し、言うことを聞く気になります。[2,p139]

 スポック博士が「常識のある父親(あるいは母親)なら、自
分を犠牲にしてまで、こどもにつき合おうとは、おもわないは
ず」と言ったのとは、正反対の姿が日本の伝統的な母親像であっ
た。

■9.母親への感謝と尊敬の念■

 モースの言うように我々の先祖は「確かに児童問題を解決し
て」いたのである。それは、最新の育児理論から見ても、理に
適ったものであった。その先人の知恵を見失って、スポック博
士のような浅知恵に目を奪われた所から、現代日本の青少年問
題が始まった。だから、それを解決するには、まずは先人の持っ
ていた知恵に立ち返る所から始めれば良い。

 たとえば、3歳以下の乳幼児の保育園を作る事は、母子を分
離して、「見捨てられた」と感ずる子供を量産することである。
そんな金があるなら、その分を乳幼児の母親が家庭で育児に専
念できるよう、育児手当の充実に使った方が良い。専業主婦な
らぬ、「専業母親」への支援策である。また、職業を持つ女性
でも、出産後3年間は家庭で育児に専念した後、もとの職場に
戻れるような制度づくりも有益だろう。

 こうした経済的な支援策と共に、何よりも必要なのは、自ら
を犠牲にしても子供のために尽くす母親の尊さを国家社会全体
で再認識することだろう。田下氏は言う。

 妊娠・出産・育児という一連の仕事は、その国(民族)
の将来の根幹を育成することです。ですから、本来ならば
それを実践している女性は社会から称賛され、感謝と尊敬
の念で見守られなければなりません。[2,p5]

 日本の子育て再建は、ここから始めるべきではないか。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(452) 幸福なる共同体を創る知恵
 幕末から明治初期に来日した欧米人たちが見た日本人の幸せ
な生活。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog452.html
b. JOG(442) 「科学から空想へ」 〜 現代日本の教育思想の源流
 「子供の権利」「自己決定権」「個性尊重」など の教育思想
の源泉にある「空想」。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog442.html


1. 齋藤孝『ハイライトで読む美しい日本人』★★★、文藝春秋、
H17
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163671706/japanontheg01-22%22
2. 田下昌明『真っ当な日本人の育て方』★★★、新潮選書、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106035669/japanontheg01-22%22

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/107964036.html
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by thinkpod | 2006-11-27 05:04 | 社会
2006年 11月 18日

高校教科書は変わったか

家庭科 家族否定思想が浸透
元東京女子大教授・林道義 
 
 家庭科の教科書や授業が、偏ったフェミニズムによる宣伝と洗脳の場になってきたことは以前から指摘されてきた。来春から使われる高校の家庭科教科書で、その点がどう改善されているか調べてみたが、まだまだ改善とはほど遠い。問題点は特に「家族」と「子育て」の個所に集中している(以下引用の中で出版社名のみを示す場合には「家庭基礎」を指す)。

 第1の特徴は「家族」の定義が欠けていることである。定義を書いている場合にも「家族とは血縁者を中心に共同生活する集団」と考えられてきたが、近年では「家族形態が多様化し変化している」ので「家族の定義は難しくなっている」としている。

 定義ができないのは「それぞれの人が家族と考える範囲は、人によって異なっている」「だれを家族と考えるかは主観的なもの」だからと述べられている(東京書籍「家庭総合」などすべての教科書に共通)。

 「家族」を客観的にとらえ考えるかわりに、自分が思うものが「家族」だと言っているに等しい。ペットを家族とするなどの記述は検定で阻止されているが、近代家族を否定する「多様な家族」論の根っこは残ったままなのだ。

 第2の特徴は「固定的性別役割分担」や「性別役割分担」そのものを否定する記述が多い点である(東京書籍、大修館書店、開隆堂、教育図書)。例えば大修館書店には「男は仕事、女は家庭」という「性別役割分業意識にとらわれることは、家庭においても社会においても、そして女性にとっても男性にとっても充実した生活を実現する妨げとなる」と書かれている。

 男女の自然な区別とそれに合った分業を否定する、偏向した思想の押しつけ以外の何物でもない。

 第3の特徴は「子供は3歳くらいまでは母親の手で育てなければ、その後の成長に悪影響を及ぼす」という「3歳児神話」には「科学的根拠はない」という記述がいくつか見られる点である。そう断言する科学的根拠は何かと言えば、きわめて特殊なフェミニズム公式主義によって書かれた平成10年の「厚生白書」一点張りである(実教出版、大修館書店)。白書の記述自体の科学的根拠はまったく示されていないのに、政府の「白書」だという権威をかさにきて、真理のごとくに扱っている。

 第4の特徴は「女性差別撤廃条約」「子供の権利条約」(児童の権利に関する条約)などの条約や国際会議の決議を多く引用して権威づけ、特定のイデオロギー(フェミニズム)に基づく偏向した内容であることを隠蔽(いんぺい)している点である。日本人の国連神話、国連信仰を利用して特定のイデオロギーを注入しようとしている。

 特に子供の権利条約の紹介の仕方がきわめて偏っている。「意見表明権」「思想信条の自由」「結社・集会権」ばかりが強調され、それらの権利は「成熟した人格を前提としている」ことが条約の中にうたわれていることにはどの教科書もまったく触れていない。

 夫婦別姓について扱っている教科書は、すべて賛成論だけを紹介し、反対論にはまったく触れていない。

 中には、構成の点でも客観性の点でもバランスのとれた第一学習社や教育図書のような教科書もある。ところが残念なことに、教育図書の場合には「家族」についての記述の中にフェミニズムの公式が無批判に並んでいる。

 例えば「家事労働は無償労働(アンペイド・ワーク)ともいわれる」と説明しているが、家事はお金に換算できるようなものではなく、愛情が基礎にあって初めてできる、無限の価値のある仕事であることを教えるべきだろう。

 最も妥当だと思われる構成や記述をしている教科書にして、このありさまである。教科書の世界でも、いかに偏ったフェミニズムが浸透しているかを示しているといえる。

   ◇   
 来春から使用される高校教科書のうち、家庭科、歴史、公民について識者の分析を掲載します。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060721text.html



歴史 占領軍“洗脳”の呪縛、いまも
明星大戦後教育史研究センター・勝岡寛次 
 
 今年検定に合格し来春から使用される高校歴史教科書は19冊。日本史Aが3冊、日本史Bが1冊、世界史Aが8冊、世界史Bが7冊である(日本史・世界史とも、Aは近現代史中心の教科書、Bは全時代を均等に扱った受験用教科書)。

 高校の歴史教科書といえば、山川出版社の「詳説日本史」「詳説世界史」が圧倒的シェアを誇り(平成18年度は前者が58・1%、後者が55・7%)、受験生の大半はこの2冊の教科書で歴史を勉強する。

 しかし「詳説日本史」の近現代の扉のページにはこう書かれている。

 「19世紀中ごろ、欧米の圧力によって開国を余儀なくされた日本は(略)対外的には台湾の領有、韓国の併合、満州事変・日中戦争と東アジアへの侵略を進め、ファシズム国家群にくみして第二次世界大戦をたたかい、敗北した」

 徹頭徹尾、日本の近現代史を“悪”と見なす「侵略戦争」史観で書かれており、それは「詳説世界史」も同様だ。「二つの世界大戦」の章の扉のページにはこうある。

 「日本・ドイツ・イタリアの後発資本主義国はファシズム・全体主義体制をとって、他国への侵略による危機克服に向かい、第二次世界大戦をおこした」

 戦前の日本をナチズムやファシズムと一緒くたにしたこんな教科書でいくら勉強しても、大東亜戦争を戦わざるを得なかった父祖の歴史は理解できない。いや、真面目(まじめ)に勉強すればするほど、“日本は間違った戦争をした”という誤ったメッセージが、高校生の脳裏に深くインプットされる仕組みになっている。特に中国・韓国の関係する記述にこの傾向が強く、将来の“謝罪病”患者の予備軍が、歴史教育を利用して意図的に養成されているとしか思えない。

 具体的事例をもう少し挙げておこう。清水書院「日本史A」は最後の章でこう書いている。

 「アジア諸国を侵略して大きな惨禍をもたらした日本は(略)戦争責任に対する自覚のもとに近隣諸国との友好を深め、世界平和の実現と核兵器の廃絶に力をつくさねばならない」。実教出版「高校日本史A」の最後にある次の記述は、ある意味でもっと露骨だ。

 「従軍慰安婦問題など日本の侵略加害の事実を記述してきた教科書を『自虐的』と非難するうごきも生まれ、そうした主張にもとづく中学校歴史・公民教科書があらわれた。これらのうごきや首相の靖国神社参拝には、アジア諸国から強い批判がおこった」

 南京事件の犠牲者をめぐって「さまざまな説があるが、そのなかでは20万人以上とする説が有力」(三省堂「世界史A」)などと学説状況を無視した誇大な数字がまかり通っていることは、3月30日付産経新聞が報じた通りだ。

 これらの教科書がどういうスタンスで書かれているかは自明であろう。日本に「侵略」された「アジア諸国」の視点から書かれており、日本の立場から書かれていない。これは来春から使われる高校歴史教科書すべてに共通する傾向である(今回の検定とは関係ないが、明成社「最新日本史」だけが唯一の例外)。これでは「A級戦犯」合祀(ごうし)を理由に、首相の靖国参拝を強く批判する中国に対して、将来の日本は太刀打ちできない。

 自国ではなく他国の立場で歴史を教えている国が、日本以外のどこにあるだろうか。こんな倒錯した歴史教育がいまだに幅をきかしているのは、はっきりした理由がある。それは「最新日本史」以外のすべての高校歴史教科書が「太平洋戦争」というパラダイムの中で書かれているからである。

 産経新聞の読者の方はよくご存じのことと思うが、それは占領軍が実施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に起因する。大東亜戦争の呼称を禁じ、日本人に戦争の贖罪(しょくざい)意識を植え付け、東京裁判の判決を受け入れさせることがその目的だった。

 今年はその東京裁判開廷から60年。もう2世代も前の占領軍の“洗脳”に日本人はいつまで呪縛(じゅばく)されているのだろうか。

 歴史教科書は根本的な書き直しが必要である。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060722text.html



公民 「左翼市民運動」の手引書?
高崎経済大教授・八木秀次 
   
 扶桑社を除く中学公民教科書を左翼市民運動の手引書のようだと指摘したことがある。来春から使用される高校の公民(現代社会、倫理、政治経済)教科書を通覧して同様の感想を持った。

 例えば明治憲法の扱い方だ。ほぼすべての教科書が「天皇制絶対主義」の立場に立ち、「天皇が統治権をもち、天皇の地位は『神聖ニシテ侵スヘカラス』とされた(天皇主権)」(実教出版「新版現代社会」)、「天皇を絶対的な主権者とする絶対主義的な色彩の濃いものであった」(同「高校現代社会」)と、マルクス主義講座派の古いイデオロギーに基づいて記述している。「神聖不可侵」は天皇の政治的法的無答責を示す優れて立憲主義的な規定であり、「大臣責任制」によって天皇は名目的な政治主体に過ぎなかったが、そこに言及はない。

 日本国憲法の制定はGHQの押し付けであったという公然の事実が語られず、鈴木安蔵ら社会主義・共産主義者による憲法研究会の主張が制定に影響を与えたかのように書く政治経済の教科書も多い。これは現行憲法が自前の憲法であると考えたい護憲派の方便に過ぎない。

 「平和的生存権」という学界でも支持の少ない概念を現行憲法が保障しているかのように書く教科書も多い。現代社会12冊中7冊、政治経済6冊中5冊もあるのは異常だ。

 首相の靖国神社参拝についても、主文で原告の訴えを退けながらも判決としての拘束力のない傍論で違憲と述べた昨年9月30日の大阪高裁判決だけを取り上げ、「違憲と認定した高裁判決も出ている(2005年)」(実教出版「新版現代社会」)と書く。同時期の一連の判決には触れず、違憲との印象を持たせようとしている。

 男女共同参画についても、「ジェンダーフリー」の言葉は消えたが「ジェンダー」は大手を振っている。現代社会12冊中10冊、政治経済6冊中2冊は予想できたが、倫理5冊中4冊に登場しているのは驚きだ。「みずからのうちにひそむジェンダー意識をつねに点検する」ことを求め、中絶容認にもつながる「女性の自己決定権」「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」を称揚するのは第一学習社「倫理」。教育出版も同様だが、フェミニズムを詳述する。夫婦別姓を肯定的に取り上げるのは現代社会では三省堂、数研出版、実教出版「新版現代社会」。差別問題として取り上げている。

 三省堂「現代社会」はいわゆる従軍慰安婦問題で昭和天皇を裁いたことで問題視された「女性国際戦犯法廷」を取り上げた。この教科書には「先の大戦下では、『慰安婦』とよばれる女性たちが日本軍兵士の性の相手をさせられた。なかには十代前半の少女も交じっていた」と背景を抜きにして慰安婦問題を書く。

 「元慰安婦の人々への謝罪と補償の問題がある」とするのは清水書院「現代社会」。数研出版「政治経済」はわが国の「これからの課題」として北朝鮮との「早い時期の国交正常化が期待される」とし、「戦時中の日本への強制連行や従軍慰安婦などに対するつぐないなど、さまざまな戦後補償問題が提起されている」と拉致という国家犯罪を相殺する。

 国家主権との関係で疑問視される永住外国人の地方参政権付与の問題についても、取り上げる教科書は差別の問題ととらえ、付与すべしとの立場に立つ(帝国書院「現代社会」)。これまた傍論で参政権付与は憲法で禁止されていないと述べたに過ぎない平成7年の最高裁判決を強調する(清水書院「現代社会」、実教出版「高校現代社会」、清水書院「政治経済」、実教出版「政治経済」)。

 今回の大きな特徴は「住民投票」を盛んに持ち上げていることだ。特集を組む教科書もある。「議会制民主主義に反するとの意見もある」と書くのは桐原書店「政治経済」だけ。左翼市民団体が議会を無視し、直接地方行政に関与できる道筋を作る「自治基本条例」を持ち上げる教科書もある(帝国書院「現代社会」、実教出版「高校現代社会」)。

 国民の常識ではなく彼らの運動の方向性が記述されるのは、やはり異常だ。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060723text.html
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by thinkpod | 2006-11-18 16:30 | 社会
2006年 11月 12日

日韓併合、戦中、戦後の朝鮮人

韓国・朝鮮と日本人—韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人

1、日本渡航の由来

底辺の労働力
 日韓併合の前年(1909年末-明治42年)、日本にいた朝鮮人は790人で、これらの人々の大部分は留学生であった。その頃は、ロシアに勝ったアジアの先進国日本の声望は高く、1906年には清国からの在日留学生は7,000余を数え、フランス統治下のヴェトナム留学生も200名以上(1908年)といった時代であるから、朝鮮からも官費、私費の留学生が東京に集まっていたのである。これら留学生たちは、いわば在日朝鮮人前史にあたり、在日朝鮮人問題は1910年の併合に始まった。

 併合により一応日本国民となった朝鮮人には、外国人としての居住や職業の制限がなくなった。
朝鮮における、農民の貧困による労働力排出のプッシュ力と、日本内地の方が雇用の機会と高い賃金を得られる可能性があるというプル力から、第一次大戦終了間もない頃(一九一九年)在日朝鮮人は急速に増大し、その人数はこの年には1万5千人に迫った。しかし同年の3・1独立運動直後の4月、総督府は治安上の顧慮から「朝鮮人ノ旅行取締リニ関スル件」を制定し、渡航には所轄警察署の旅行証明書を要することとした。

 だがこの取締まりは、「日韓一体の原則に反する」として、1922年早くも廃止された。それにともない、翌年から再び朝鮮人の渡航は激増したので、折から内地の失業も深刻化していた時代であるから、この問題は内務省、総督府(後に拓務省も加わって)の頭を痛めることとなった。その後若干の変遷はあったが、日本政府は間接的に各種の手段を尽くしてその流入を防ごうとした。しかし絶対禁止という厳しい方法をとらない限り、「人は所得の高いところへ流れる」という移住の原則を止めることはできなかった。

 特に満州事変による軍需景気以後その数は急増の一途をたどった。内務省警保局の調査によれば、1936年に70万余、大戦末期の1944年には193万6,843人とあり、終戦の年の1945年には30万人、あるいは220~240万にのぼったとも見込まれている。朝鮮人は日本資本主義経済をになう底辺の労働者として渡航し、最後には、戦争経済を支える必須の労働力として酷使されたのである。


取締まりの対象

 朝鮮からの渡来者は労働者以外に、朝鮮人の有産階級の子弟の留学生も多数在留していた(1932年には約5千名、1942年には約3万名)。この留学生というのは、大学、高専在学生だけでなく中学生も含んでおり、その生活水準は日本人並みであったが、多くの場合、彼らもただ朝鮮人という理由だけで、しばしば屈辱的な思いをさせられた。

 日本政府は朝鮮人の子弟が日本で高等教育を受けることには好感をもっておらず、彼らが釜山の港を出発するときからすでに警察の許可を必要としたし、その後も、朝鮮人労働運動の指導者とともに、彼らの多くは〝要視察者″であり、常に警察の取締まりの対象であった。1939年から終戦までの6年間、在日朝鮮人の知識層で治安維持法違反として検挙されたものは1,220名にも及んでいる。

 1938年以降(ことに40年以後)には、学生のみならず、全在日朝鮮人が警察の監視統制下におかれることになった。朝鮮人に対する〝皇民化″のための指導を目的とする〝協和事業〟なるものが、内務・厚生両省の共管のもとに発足し、在日朝鮮人は一人残らずこの協和会に加入させられたのである。協和会は日本語の普及、家庭に神棚奉斎、女性に和服奨励なども行なったが、実際には、あるいは結果的には、その主要な仕事は特高警察を中心とした朝鮮人の取締まりであった。
在日朝鮮人の全員は 「協和会手帳」 の常時携帯を義務づけられたのである。


強制連行

 朝鮮人労働者渡日の最終段階において、悪名たかい〝強制連行″が登場する。このことについては第二章ですこし触れたが、強制に先立ち、自由募集は1939年に始まった。この年7月、内務、厚生両省は 「朝鮮人労務者の内地移住に関する件」 の両次官通達を発し、朝鮮各道から労働者を募集することを許可した。やがて太平洋戦争突入とともに、ますます労働力が枯渇した結果、1942年には、従来より組織的かつ迅速に募集するため、民間の募集から「官あっせん」に切りかえた。
そしてさらに1944年終戦の前年には国民徴用令を発動して、その徹底を期したのである。

 朝鮮半島から多くの朝鮮人が、職と食を求めて故郷を捨てて日本に流亡することを余儀なくされたのは、統治者である日本政府の責任であることはいうまでもないし、二十世紀の奴隷狩りともいわれる強制連行の事実に対しては、われわれは今次大戦における各地の残虐行為とあわせて、日本人の持つ非人道性を改めて自認せざるを得ない。

誤っている議論

 しかし、このことをめぐる議論のいくつかの誤りは正しておく必要を感ずる。まず第一に、「韓国人がその先祖の時代から住み慣れてきた故郷を追われて、日本、満州、シベリア等へ流浪してゆかねはならなくなった歴史は、その起点を1910年(日本の朝鮮統治開始の年) に置くことができ……」(在日韓国青年同盟中央本部編著『在日韓国人の歴史と現実』)とあることであって、この叙述の少なくとも半分は正しいとはいえない。

 朝鮮人農民は十九世紀の早い時期から、朝鮮と中国が接する中国の間島地方に流入していた。もともとこの地域は清朝政府にとっては王朝の出身地であったため、中国人にも移住は禁止されていた地域であった。そのため無断入植した朝鮮人の問題は、清朝政府と大韓帝国政府、ひき続いて総督府との長い間の外交上の懸案となったのである。
                                              
 シベリア方面の移住も十九世紀にさかのぼることができる。1858年清朝とロシアの王愛琿(アイグン)条約、および1860年の北京条約によって黒龍江の北方一帯がロシア領となり、豆満江をへだてて朝鮮とロシアが直接国境を接した頃から、朝鮮人のシベリアへの移住は始まった。ちょうどそのころ北鮮に干ばつがつづき、食べていけなくなった農民はロシア領へと流出した。ロシアも新領土開拓のためこれを歓迎したので、数年ならずしてたちまち朝鮮人移民は万をこえたと推定されている。ロシアは間もなく移民防圧政策に転じたが、なおその数は年々増えつづけた。日韓併合の1910年には、黒龍江以北および沿海州のロシア領に約10万、間島をはじめ満州各地におよそ二八万の朝鮮人が移住していたのであって、「1910年が朝鮮人の海外流亡の元年」というのは明らかに間違っているといわねばならない。

 誤りの第二点は、朝鮮人の日本への渡航を「日本の植民地政策がうみ出した〝間接的強制″だ」と主張し、〝強制連行″と同一視しようとする議論である。(『韓日会談白書』) だがこのような主張は〝強制連行″という言葉の乱用であろう。資本主義の農村への浸透により伝統的農村共同体が崩壊し、農村から多数の労働力が流出するのは、いずれの国においても見られた現象であり、朝鮮の農村人口の大量移動もその一例にすぎない。この経済的理由による農村からの人口流出を〝強制連行″ のカテゴリーに入れるのはあまりに乱暴である。

 明治中期以降日本でも農村から都会へ大量の人口が流れ、あるいはアメリカやブラジルへ、さらには南太平洋の離島から西インド諸島の孤島まで移民が流亡していった。これらの人びとを〝強制移民″と名づけるなら、海外移民だけでなく、日本の大都市住民の大半は国内への強制移民の子孫となろうし、ヨーロッパ各国の困窮化した農村から押し出されたアメリカの開拓者も、ヨーロッパから強制連行されたことになろう。

 趙確溶(徐龍達訳)の『近代韓国経済史』には、「十九世紀になって農民に対する過重な租税賦課のために離村現象もはなはだしく、農業生産高は減少していたのである」と、農村からの人口移動がすでに十九世紀の前半に始まっていることを証言しており、伊泰林氏も、次のように農民の離村が李朝時代きわめて盛んであったことを記している。農民の故郷からの流出が日本の総督政治だけの責任でないことが理解できよう。


 李朝時代の農民たちがどんな状態にあったかは、彼らが懐かしい故郷や土地よりも搾取なき無人島を望んだことから充分に推察できるであろう。隷農が悲惨な境遇にあったことは言うまでもないが、自分の土地を自分の手で耕作する一般農民の中からも、過重な収奪のゆえに逃亡、離散するものが生じた。そうなればひとつの家が他の多くの家の分まで賦課を負担するようになるため、残った家もすべて逃亡するのが普通であった。無人島を求めて集まった農民が定着して有人島になれば、再び流浪の途にのぼることになり、結局は餓死するか、さもなければ群盗となった。


現在の在日韓国・朝鮮人の大部分は強制連行と無関係

 さらにここで指摘しておきたいことは、在日韓国・朝鮮人(その父祖を含め) と、強制連行との関係である。朝鮮大学校編『朝鮮に関する研究資料(第四集)』によれば、「日本に住んでいる大きな部分を占める朝鮮人は太平洋戦争中に日本の官憲によって強制徴用され……」とあり、在日韓国・朝鮮人は口を開けば必ずのように、「われわれは日本政府によって強制連行されてきたものだ」と主張する。だがこの表現は正確ではなく、むしろ事実に反するというべきだと思われる。



 1974年の法務省編『在留外国人統計』によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸年は上の表のようになっている。

 この表によると、日本政府が朝鮮人の来日をむしろ取締まっていた昭和十年までに渡来したものが全体の53.7%と、半分以上になる。昭和11~15年はまだ民間の自由募集の期間だし、次の16~19年の中でも、国民徴用令による徴集は19年の9月以降のわずか四月間であるから、単純に計算すると、この期間に徴用されたものは16~19年間の14,514人の21分の1、つまり2210人(全体の1.46%)にすぎないことになる。これに、次項「昭和20年9月1日以前」の679名(0.8%) を加えた
概算1,889人(2.3%) ほどが、真に強制連行の名に値する在日朝鮮人
だということになる。


 かりに「官あっせん」を強制徴用の概念の中にいれ、官あっせんが行なわれていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても、約2,300人余(14%)にすぎない。この推定は、昭和16~19年間の月間来日数を均等として考えたものであるが、実際には、関釜連絡船の運行は終戦が近くなるにつれ次第に困難になりつつあったから、19年後半の来日徴用者も減少しているはずである。すなわち、どんなに強制連行の概念を広く解釈しても10%を大きく超えることはまずあるまい。

 

民団も韓国青年会も自認
 この数字は在日韓国人自体の調査によっても裏付けられている。一九八八年二月に発刊された
『〝我々の歴史を取り戻す運動″報告書』(在日本大韓民国青年会中央本部)には、全国千百余人の一世から直接聞きとりした調査結果が収録されている。これによると、渡日の理由として「徴兵・徴用」は22.3%にすぎず、経済的理由(39.6%)、「結婚・親族との同居」(17.3%) に次いで三番目である。この22.3%のうち、徴兵は0.5%で、残りが徴用ということになる。しかし、「渡日年度別にみた渡日理由」によると、徴用は1926~30年に6人、1931~35年に9人、1936~40年に51人とある。国民徴用令が公布されたのは1939年7月であって、これが朝鮮に適用されたのは前述のように1944年9月であるから、この 「徴用による渡日という」回答は思い違いによるものと考えられる。従ってこの人数は除かねばならない。

 1941~45年の徴兵、徴用と答えた76人も、その大部分は記憶違いというよりほかはない。
徴用が実施されていた1944年9月以降終戦までの1年分だけを前記の方法で算出すれば16人、すなわち全体の1.5%にしかならない。また、法務省の数字のアンケート調査の場合と同様、官あっせんを徴用と考えても(1942年2月以降) 59人-5.4%となり、徴兵を加えて5.9%である。

 民団発行の『法的地位に関する論文集』(1987)にも「一世の大半が一九三〇年代初期に渡航して永住するに至った経緯からすると………」と、みずから、徴用による渡来が僅少であることを認めている。

 このことは理屈の上から考えても当然のことであろう。着のみ着のままで徴集され、人里離れた炭坑や鉱山で虐待酷使されていたものが、日本に残ろうと考えることは想像しがたいことである。
彼らは日本の一般社会とほとんど関係なく生活してきたのであって、言葉もろくにできず、日本で生活していく基盤ももっていない。彼らは日本に来て、一番長いものでも - 官あっせんを徴用とみなしても ー 五年そこそこなのであるから、故郷とのつながりは充分持続しているはずである。

 特に彼らは、妻子をおいて一人だけで徴用されており、その移動はきわめて容易であった。これら徴用された人々の大部分は終戦直後早々に、この〝恨みの島″から故郷へと飛ぶようにして帰ったものと思われる。

 いずれにしても在日韓国・朝鮮人が 「自分たちは 〝強制連行″ によって日本に連れてこられたのであるから、現在自分たちが日本に住んでいる理由、責任は全面的に日本政府にある。したがって、われわれの移住の歴史的経緯にかんがみ………」 という常に用いる言葉は、おそらくは数%、最大に見つもっても10%ほどの人にしかあてはまらないことであって、在日韓国・朝鮮人について語るときの修飾語としては事実に反するということである。

韓国・朝鮮と日本人—韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人
若槻 泰雄
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4562020733


news archives : 大半、自由意志で居住--外務省、在日朝鮮人で発表--戦時徴用は245人


戦後日本に居残った朝鮮人の中に共産党系の者が多数いた。
「韓国・北朝鮮総覧1984」 1983年 原書房
(戦後間もない時期、朝鮮人半島引き揚げ者が次第に減少していったことについて)
この原因について篠崎氏は「朝鮮内における政治上、経済上の不安定から帰国後の生活が不安であること、コレラ病流行、これらの情勢が誇大に朝鮮人間に伝えられたこと、携行金品に制限があったこと」などをあげている。

さらに日本赤十字社では「その大部分は日本共産党が扇動したものである。日本共産党は戦時中完全に弾圧されていたが、連合軍の進駐とともに解放され、当時の社会事情を利用して急激にその勢力を増していった。1946年2月、金天海日本共産党中央委員(在日朝鮮人)は、その機関誌「前衛」第1号に、"在日朝鮮人は日本に定住し革命に参加せよ" という指令を載せ、日本政府が引き揚げの努力をしている最中にこれに反対する態度をとった。」(一部在日朝鮮人の帰国問題)と、その引揚げ者減少の理由を指摘している。

http://mirror.jijisama.org/sangokuzin.htm#boudou


敗戦による北鮮引揚げ

「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 89年 原書房
惨憺たる北鮮引揚げ
日本の連合国への降伏により、日本軍は38度線を境に、南鮮はアメリカ軍、北鮮はソ連軍へ降伏するように指令された。南鮮の日本人は終戦の年の暮れまでにほとんどすべて引揚げたが、北鮮では約31〜2万の日本人がそのまま残っていた。もともと北鮮に住んでいた27〜8万と、満州から戦火をさけて逃げてきた4万人である。北鮮にはいってきたソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、暴行、強姦をほしいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。反抗したもの、暴行を阻止しようとしたものは容赦なく射殺された。

「各地の凄惨な記録は読むにたえない」と、『朝鮮終戦の記録』の著者森田芳夫氏は書いている。それらは主としてソ連軍兵士によって行なわれたことであり、また占領地の住民の保護にあたるべきソ連軍当局の責任であることは明らかだが、ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かったし、ソ連軍を背景に行政権を掌握した北鮮の人民委員会も、その責任はまぬかれない。たとえば3000名中、その半数が死亡した富坪の避難民の情況を調査するため派遣された咸鏡南道人民委員会検察部、李相北情報課長自身、次のように報告している。
…かれら(在留日本人)の大部分は、途中において衣類、寝具等を剥奪され、零細なる金銭と着衣のみにて感興市内に殺到したるも…
われわれは36年間の日帝の非人道的支配に反発し、立場が逆になった日本人全般に対する民族的虐侍という、ごく無意識のうちにファッショ的誤謬をおかしたことを告白せざるを得ない。…
駅前に雲集せる三千余名の避難民を空砲と銃剣を擬して、即時感興市外脱出を強要し、市外に追放した。その結果、断え間なく降りつづいた雨中の川辺と路傍に野宿し、極度の困憊と栄養不良を激成し、…
富坪避難民の宿舎は実にのろわれたる存在である。それは実に煤煙と、あまりの悲惨さに涙を禁じ得ない飢餓の村、死滅の村なり。襲いくる寒波を防ぐため戸窓はたらず、かますで封鎖され、白昼でも凄惨の気に満ちた暗黒の病窟なり、それは避難民を救護する宿舎ではなく、のろいを受くる民族のまとめられた死滅の地獄絵図にして、老幼と男女を問わず、蒼白な顔、幽霊のようにうごめくかれらは皮と骨となり、足はきかず、立つときは全身を支えることもできず、ぶるぶるふるい、子供たちは伏して泣す。無数の病める半死体はうめきながらかますのなかに仰臥しており、暗黒の中にむせびつつ、……そこに坐しているのは実に地獄の縮図以外の何ものにもあらず…
(森田芳夫『朝鮮終戦の記録』)
一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。こうして在留日本人社会では「38度線さえ越えれば」というのが唯一の悲願となった。やせこけた身体に乞食のようなボロをまとい、山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾にたおれ、そして時には泣き叫ぶ子供の口をふさいで死にいたらしめるまでして、人々は南にたどりついたのである。38度線は朝鮮民族にとっては何十万の血の流れた同胞争闘の境界線となったが、20万を超える日本人にとってもまた、血と恨みにいろどられた『天国と地獄の境』となったのである。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/7398/higeki.htm#hikiage

http://tech.heteml.jp/2006/11/post_854.html
http://tech.heteml.jp/2006/11/post_862.html


■Tama大学学長 G・クラーク氏の言葉

元オーストラリア軍人の捕虜の殆どは、収容所の監視員だったChosun人に対する憎悪がある。日本人は捕虜を殴る程度だった。
しかしChosun人は全ての陰湿で執拗な残虐行為を行なっていた。

これらのChosun人BC戦犯を擁護する行動を、日本の左翼がしていた事が信じられない。
Choson人が日本人に比べて、ずっと残酷だったことは、連合国の捕虜の間では常識だった。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=68269
http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/3dc8d8203cc1df110c03f227136a2644
http://blog.livedoor.jp/baiding/archives/50366339.html
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/bcd5231b44273901892e8bc4f3d38fa9
http://meinesache.seesaa.net/article/7821046.html



日本軍の捕虜政策−多くの犠牲を出した管理体制−
内海 愛子

 戦争裁判で何が問題だったのか
 戦後日本が戦争裁判で多くの戦犯を生んだということはご存じだと思います。私がいま、戦後補償の裁判で関わっているのは、韓国・朝鮮人BC級戦犯といわれた人たちの補償の問題です。なぜ韓国人・朝鮮人、台湾人が戦犯にならなければいけなかったのか、ここに日本軍の捕虜政策がきちっと反映しているということです。このシステムが理解できないと、例えば朝鮮人が、なぜオーストラリアやイギリスで評判が悪いのか分かりません。

 捕虜収容所の管理体制
 収容所にに捕虜を配置した時、食べさせたり医療の面倒も見なければいけない。ものすごい人手がかかるんですね。東南アジアの場合には、それを朝鮮人と台湾人で補填したのです。だから捕虜収容所というのは、具体的には朝鮮人部隊だといわれるくらい、トップに日本人将校が一人いて、その下に下士官が一人か二人いて、あと全員が朝鮮人軍属なんです。
http://www.ksyc.jp/kobeport/news09.htm(cache)


朝鮮軍司令部 1904‐1945: 本: 古野 直也

朝鮮人は李朝末期以降、髪に近い特権を持った白人を見た歴史をもっていたがここへ来て、心理的にも白人崇拝の観念は消えたらしい。消えたのはいいのだが、困ったことも起きて戦後まで尾を引いている。東南アジアから超銭まで捕虜収容所の警備員として朝鮮人三千五百人が従事していた。弱者に残虐性を発揮する民族性のゆえか、軽蔑ついでに相当な白人苛めを隠れてやっていたらしい。敗戦後、個人的恨みで戦犯に問われ、死刑その他重刑を受けた例が少なくない。白人こそ報復と復讐の大家だったのだから。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336031940/sr=1-4/qid=1163458859/ref=sr_1_4/503-4945355-3425536?ie=UTF8&s=books
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坂本俊雄著「沈まぬ太陽」

昭和20年8月、ソ連は日ソ中立条約を破棄して満州に乱入し、瀕死の日本の背後を襲いかかった。
そして当時在満日本人のうち30万人がソ連兵、中国人、朝鮮人の襲撃で満州の荒野に命を落としたといわれる。その過半数は女子供である。それ以外に財産を奪われ、病苦と飢餓に襲われ、女は陵辱され、あるいは子供を奪われたり売ってきたきた人の数はかぞえ切れない。
亡国の民は哀れなり、いまなお荒野には無数の死骸がうもれ、赤い太陽に照らされて鬼哭啾々。
坂本俊雄氏は八王子に住む医師であるが、当時12才の少年。満州奥地の鶴岡炭鉱から新京(現長春)まで悲惨な流浪の旅で数々の惨状と悲劇を目撃してきた。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4286020746/ref=sib_rdr_dp/250-5622358-3851423


67 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2007/02/10(土) 18:56:59 ID:tmTovKE5
http://www.jca.apc.org/nashinoki-sha/textbook/kyoukasyo49.htm
この本、左翼系の出版社が出してる本だけど結構良いよ。

笑えるとこはね、捕虜になったオランダ人に日本人を恨んでますか?
って聞くと、俺は日本人に恨みは無い。今でも憎んでるのは、朝鮮人だ!!
ってところかな。

なんでも、看守していた朝鮮人が、捕虜の時計を盗んでモメてたところを
日本人の上司が見つけ、看守をぶん殴って時計を取り戻してくれたんだと。


植民地朝鮮での志願兵制度
http://www10.ocn.ne.jp/~war/siganheiseido.htm
朝鮮兵について
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/tyousenhei.html
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by thinkpod | 2006-11-12 04:08 | Books
2006年 11月 04日

世界がさばく東京裁判

85人の外国人有識者が語る連合国批判

佐藤和男/監修
青山学院大学名誉教授・法学博士
多くの人が、あたかも厳正な司法裁判であるかのごとく錯覚している東京裁判は、実際には実定国際法に違反した軍事行動に過ぎず、本質的に連合国の政治的措置であった。
東京裁判なるものが、いかに国際法上の根拠を欠いた不法なもので、戦勝国の偽善的かつ恣意的な政治的措置であったのか、世界の識者による批判を紹介。


主な内容>>
○ ベルト・レーリンク判事(蘭)の東京裁判への総括的批判
○ 「いかさまな法手続だ」(ジョージ・ケナン米国務省政策企画部長)
○ ウィリアム・ローガン東京裁判弁護人(米)の「アメリカの戦争責任」論
○ 「山下裁判」を批判したエドウィン・O・ライシャワー元米駐日大使
○ 管轄権なき「見せ物」裁判に反対したウィリアム・ウェッブ東京裁判裁判長(濠)
○ 「インド政府はパール判決を支持する」(P・N・チョップラ インド教育省次官)
○ 「東京裁判は国際法を退歩させた」(ロバート・ハンキー元英内閣官房長官)
○ 講和会議で東京裁判を批判したラファエル・デ・ラ・コリナ駐米メキシコ大使

目次

第一章 知られざるアメリカ人による<東京裁判>批判
     …なぜ日本だけが戦争責任を追及されるのか
第二章 戦犯裁判はいかに計画されたか
     …国際法違反の占領政策
第三章 追及されなかった「連合国の戦争責任」
     …裁判の名に値しない不公正な法手続
第四章 蹂躙された国際法
     …国際法学者による「極東国際軍事裁判所条例」批判
第五章 <東京裁判>は、平和探求に寄与したか
     …残された禍根と教訓
第六章 戦後政治の原点としての<東京裁判>批判
     …独立国家日本の「もう一つの戦争史」
付録Ⅰ 誤訳としての「侵略」戦争
     …アグレッションの訳語には「侵攻」が適当
付録Ⅱ 日本は東京裁判史観により拘束されない
     …サンフランシスコ平和条約十一条の正しい解釈
http://www.meiseisha.com/katarogu/sekaigasabaku/toukyosaiban.htm


佐藤和男監修『世界がさばく東京裁判』(明成社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 サンフランシスコ講和条約第十一条が問題になっている。
 「判決」の訳語が正しく「裁判」は誤訳というが、この原点は佐藤和男教授が書いた『憲法九条、侵略戦争、東京裁判』(原書房、昭和62年)にちゃんと出ている。
 早くから佐藤教授が、あれの訳語は「判決」が正しいと孤軍奮闘して主張し続けてきた。
 この問題を自虐史観に立つ加藤紘一やら、保坂、半藤,秦らがゴチャゴチャ言っているが、「保坂が豪傑だとすれば半藤は狸である」(大沢正道氏、『知的インフラ通信 ガラガラへび』(2006年10月15日号)。

 さて本書は85人の外国人識者が連合国裁判を鋭利に批判した歴史的証言の集大成。
東京裁判を批判していたのはパール判事だけではなかった。「いかさま」と言ったのはジョージ・ケナンだった。ライシャワーは「山下裁判」を批判した。「見せ物」裁判にはウェッブ裁判長さえが批判的だった。
 ロード・ハンキー元英国内閣官房長官は、「東京裁判は国際法を退歩させてしまった」と嘆じた。
 これらの原文をあらためて照合された佐藤和雄名誉教授は自信にあふれた訴えを続ける。
 「裁判」ではなく「判決」であり、さらに「侵略」というアグレッションの訳語も、正しくは「侵攻」である、とされる。詳しくは本書にあたって頂きたい。
 日本政府は一日も早く、この誤訳を訂正し、さらに国をあげて東京裁判批判を世界に向けて発信せよ。
http://www.melma.com/backnumber_45206_3412718/



「 東京裁判や“A級戦犯”は見せしめとしての日本断罪だ 今そのことを世界に説くとき 」
『週刊ダイヤモンド』    2005年7月23日号
ぜひ読んでほしい一冊がある。10年近く前に出版された『世界がさばく東京裁判』(佐藤和男監修、終戦五十周年国民委員会編、ジュピター出版)である。

佐藤氏は青山学院大学名誉教授で、法学博士である。「終戦五十周年国民委員会」副会長として「戦後、日本社会に巣食ってその骨髄をむしばみ、健全な国民精神を頽廃させてやまない」東京裁判史観の見直しと、東京裁判について世界の専門家の評価をまとめたのが同書である。同書は、国際社会の識者八五人に上る錚々(そうそう)たる人びとの東京裁判批判によって構成される。

ソ連封じ込め政策の立案者で、国際政治の権威、ジョージ・ケナンは1948年に来日し、マッカーサーの占領行政に驚愕し、「一見して、共産主義の乗っ取りのために、日本社会を弱体化するという特別の目的で準備されたとしか思えないものだった」(前掲書62ページ)と書いた。

彼はまた、東京裁判を厳しく批判した。「(東京裁判を成立させる)このような法手続きの基盤になるような法律はどこにもない。(中略)公僕として個人が国家のためにする仕事について国際的な犯罪はない。(中略)戦争の勝ち負けが国家の裁判である」(同62ページ)。

マッカーサーのアドバイザーを務めたウィリアム・シーボルド総司令部外交局長は、「本能的に私は、全体として裁判をやったこと自体が誤りであったと感じた。……当時としては、国際法に照らして犯罪ではなかったような行為のために、勝者が敗者を裁判するというような理論には、私は賛成できなかったのだ」と書いた。

役職上は東京裁判を支持し遂行しなければならない立場の人物でさえ、このように批判したのだ。彼は、同裁判が終わるまで再び法廷には戻らなかったのだ。

そして、このことはつとに知られているが、マッカーサー自身、東京裁判は誤りだったと告白している。それは50年10月15日、ウェーキ島でトルーマン大統領と会見した際の述懐である。また51年5月3日には、米議会上院の軍事外交合同委員会で、日本が戦争に突入した動機は「大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」とも述べている。『世界がさばく東京裁判』に集められた証言の数々は、東京裁判について国際社会、就中(なかんずく)、専門家は、「東京裁判こそ国際法違反である」と断じていることを示している。

ところが、同書の「あとがき」では心痛むことが指摘されている。同書をまとめるために日本の国会図書館などで文献に当たったところ、「意外なほど多くの外国人識者が国際法擁護の立場から東京裁判を批判し、世界的な視野に立って『連合国の戦争責任』を追及している一方、日本人研究者の多くが東京裁判を肯定し、日本の戦争責任だけを追及するという極めて自閉的な姿勢に終始していることを知った」というのだ。日本全体が東京裁判史観に染め上げられているのだ。佐藤氏らは、当初は日本の戦争をすべて侵略戦争として断罪した東京裁判批判によって、日本を精神的につぶした東京裁判史観を払拭したい、戦犯の汚名を着せられた一千余人の名誉回復を図りたいと考えていたという。しかし、東京裁判のあまりの無法ぶりを痛感するにつれ、「東京裁判によって貶(おとし)められた国際法の権威を取り戻すためにも、東京裁判は批判されなければならない」と考えるに至ったそうだ。

中国も韓国も、“A級戦犯”の合祀されている靖国神社に参拝してはならないと言う。私たち日本人は歴史を根幹から見つめ、東京裁判の無法と無効を論点整理し、今はむしろ、世界の法秩序と平和を守るためにこそ、東京裁判や“A級戦犯”が見せしめとしての日本断罪であったことを彼らに説いていかなければならない。

http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2005/07/a.html




【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 「パール判決」の意味は今も重い
2007.11.2 03:49
 ■東京裁判の不公正を国際法で切る
 ≪戦犯全被告の無罪主張≫
 安倍晋三首相が退陣し、福田康夫政権がスタートした。私が新政権に希望することの一つは、先の大戦を「侵略戦争」と決め付けた東京裁判史観を排し、インドのパール判事の示した観点によって日本の主張をはっきりと内外にしめしてもらいたいということである。
 安倍前首相が在任中インドを訪問したときに、同判事の息子さんに面会したという報道があった。「時代が変わったな」という印象を受けたのは私一人ではないと思う。パール判事は、日本を裁くために行われた国際極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)のインド代表の判事だったが、裁判自体のあり方にも重大な疑問を呈し、判決には「全被告の無罪」を主張した。それは少数意見として、裁判所で読み上げられることなく、出版も自由ではなかったのである。
 しかし現在、国際法の立場からみると、唯一の価値ある意見であると国際法学者たちは言っているそうである。元首相の岸信介−いわゆるA級戦犯容疑者の一人−も、全面的にパール判決支持者であった。彼の孫の安倍前首相が判事の息子を訪ねたことは、安倍氏の歴史観を示すものとして興味深かった。
 パール判決文の意味は今日も大きい。というのは、あの大戦は過去の話ではなく、日本にとって依然として時事問題であるからである。
 ≪原爆投下は大量虐殺と同じ≫
 パール判事は、東京裁判は連合国軍総司令官マッカーサーの命令で行われ、裁判規定もその名で作成されたにしても、国際法に従うべきだとの立場から、検事側の主張を片っ端から破壊してゆく。不戦条約といわれるケロッグ・ブリアン条約についても、ケロッグ(当時のアメリカ国務長官)自身が「自衛戦を禁止するものではない。自衛か否かは各国に決める権利がある。自衛の概念は広範で、経済的脅威に対するものまで含められる」という趣旨のことを議会で述べていたことを指摘し、不戦条約を破ったとして日本を断罪することはできないとした。
 また裁判の対象となる時期も不戦条約締結の時まで広げることを嘲笑(ちょうしょう)的に批判した。つまり東京裁判の眼目である共同謀議など成り立つわけがないことを、田中義一内閣についで浜口雄幸内閣ができ…という政変からも述べた。
 パール判決でさらに重要なのは、正式の国際条約で決着したことを、この裁判に持ち込んではならないとしたことである。満州国は独立し、中国政府と国交を結ぶ条約を締結したことや、ソ連軍と国境をめぐって戦われた張鼓峰事件やノモンハン事件が正式に平和条約で決着していることを指摘した。さらにソ連軍が日本の敗戦直前に満州に侵攻したことは、ソ連の自衛権の発動とはいえない、ともいっている。アメリカが戦争を早く終結させ、人員の損害を少なくするために原爆を使ったという主張に対しては、同じようなことを第一次世界大戦ではウィルヘルム2世が言っていることを示し、ナチスのホロコーストに近いとまで指摘している。
 日本兵の捕虜虐殺については、証言者が法廷に出ないものが大部分であり、同じようなことがアメリカの南北戦争の時、北軍が、敗れた南軍に対して行った捕虜虐待裁判にもあった、という意外な史実も示した(「文芸春秋」9月号で牛村圭氏が詳説)。
 ≪裁判の「内容」を受諾せず≫
 パール判決書を読めば、日本人が東京裁判の「内容」を受諾する必要がないことは明らかである。しかし敗戦国としては、戦勝国の下した「判決」には従わなければならなかった。裁判の「内容」を受諾するか、「判決」を受諾するかは、絶対に混同してはいけない。戸塚ヨットスクール事件で裁判を受けた戸塚宏氏は、監禁致死という裁判「内容」には服しないが、法治国家の人間として「判決」には服した。だから刑期を短縮する機会が与えられても受けなかった。裁判の「内容」を受諾すると、「恐れ入らなければならない」からである。
 東京裁判の「内容」受諾と「判決」受諾の違いが、いつの間にか日本ではごっちゃにされている。その悲しい例を最近では山崎正和・中央教育審議会会長の発言の中に見る。氏は言う。「『東京裁判』の描いた戦争の姿はまさに法的真実であって…サンフランシスコ講和条約の条文のなかに、日本は『東京裁判』の判決を否定しないという誓約を明記した…」。東京裁判の「内容」と「判決」を混同したまま日本の教育を論じてもらっては困るのではないか。外務省筋も混同していた。これでは日本外交の姿勢がくずれるだろう。(わたなべ しょういち)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071102/trl0711020350001-n1.htm
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by thinkpod | 2006-11-04 15:10 | Books
2006年 11月 02日

在日のメンタリティー

在日外国籍市民の参政権を考える連続講座 第3回
演題:在日韓国・朝鮮人と国籍
 講師:李敬宰さん
日時:2001年12月14日18時30分〜 場所:京都YWCA
【講演記録】の[質疑応答]より抜粋

ただ、在日が日本国籍をとるということになると、天皇制の問題をどうするのかという人がいますが、外国人がたくさん日本国籍を取ったほうが、早く天皇制は潰れると思います。というのは、この先もどんどん外国系市民が増えます。ある統計では、一〇〇年後には五人の内三人が外国系になるといいます。そうなれば、日本で大和民族がマイノリティーになるのです。だから、私はあと一〇〇年生きて、なんとしても日本人を差別して死にたいです。これが夢です(笑)。そういう社会が来たら、その時に天皇なんていうのは小数民族の酋長さんみたいなものになります。

こうした素晴らしい戦術があるのに、それを、今の左派のように、日本国籍を取ったらダメだということをやっていたら、いつまでたっても天皇制は温存されたままではないですか。

国籍問題を考える・資料集
ttp://members.jcom.home.ne.jp/j-citizenship/siryousyuu7.htm

※「外国人がたくさん日本国籍をとったほうが、早く天皇制は潰れる」「なんとしても日本人を差別して死にたい」等がある質疑応答はHPより、既に削除されている。

以下は、質疑応答の全文。


[質疑応答]

○参加者

 いくつかお聞きしたいことがあるんですが、一つは「国籍取得緩和法案」が自民党などによって準備されましたけれど、その狙いは何かということです。日本の政府は以前は、在日韓国・朝鮮人を外国人であるということで、いろいろな権利から排除してきました。けれど、やはり歴史的な責任もあるし、八〇年代の指紋押捺反対闘争などの運動もあって、今ではそれが通らなくなってきている。外国人として排除するわけにもいかないし、さりとて日本人でもない。そういう、言葉は悪いかも知れないけれど、中間的な存在としての在日韓国・朝鮮人が掛け橋となって、国民という枠が揺らいできているように思うんです。参政権の問題なんかはそうですね。だから、扱いにくい在日韓国・朝鮮人を国民の中に入れてしまうことによって、国民という枠を立直そうということがあるんではないかと思うんです。それで、やはり国民と外国人との間を峻別し続けていきたいんじゃないか。

 もう一つは、それとも関連するんですけれど、国民国家というものをどう考えるかということです。確かに、現状で国民国家を解体して、市民国家というんですか、そういうものに変えるということはできないと思います。ただ、一言に国民国家といっても、不変のものではないんではないか。例えば、昔ある法務官僚が「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」とかいうことを言いましたが、さすがに今ではそういうことは言えない。国際人権の一定の発展とかいうこともあって、外国人の人権ということも、少なくとも建て前としては言わざるをえない。だから、不変固定のものとしての国民国家と市民国家の二者択一ではなくて、その中間的なもの、移行的なものを目指していくということもあるんではないかというふうにも考えるんですが。その辺りのことについて、どういうふうに考えたらいいのか、話していただきたいのですが。

●講師

 「国籍取得緩和法案」の狙いというのは、たぶん、日本に住んでいる人間を国民か外国人かで明確に線引きしようとするところに狙いがあると思います。良いか悪いかは別にして、その線引きが一番分かりやすい。ところが今日本の社会は、在日がいるからその線が引けない状態になっていると思います。在日に外国人としての処遇をしようとすると、それは余りにもひどいのではないかという議論になります。在日に内国民待遇を与えていくと、それに伴って在日以外の外国人にも内国民待遇を与えなければならなくなります。日本政府にとって在日は非常に困った存在であると思うのです。それで、国民と外国人の間に明確に線が引けるようなことをやりたがっている側面も否定できません。しかし、在日韓国・朝鮮人の処遇として在日韓国・朝鮮人が簡単に日本国籍を簡単に取れるようにすることが、良いか悪いかを、皆さんが、主体的にどう考えるかということも問われています。

 例えばニューカマーの人達の処遇をどう考えるかと言ったときに、私は彼らにも日本国籍を与えたら良いと思っています。ニューカマーの処遇問題は国籍法を生地主義に改めれば問題はほぼ解決すると思っています。日本で生まれてきた子供は、民族や出身がどこであろうと全部日本の国籍が取れる。渡日一世の人達は外国籍で残りますけれど、渡日一世と国民との間で一定の差異があってもしかたがないでしょう。ただ、渡日一世についても五年や一〇年ぐらい経てば、地方参政権ぐらい与えるとか、国籍を取れるようにするとか、そういう議論を進めていけばいいんじゃないかと思っているのです。あとは、その人達の多様な民族や人種の教育保障や、就職差別を許さない社会システムをどう作っていくのかとか、そういうソフトの部分に力を注いでいけばいいのではないでしょうか。

 ところが現状は、在日がこの六〇年間苦労して改善してきたにもかかわらず、ニューカマーの人達がまた同じ苦労をしています。その意味では、日本社会は何も変化していなかったのです。これまで、在日にも権利があるように言われてきたのですが、それは全部恩恵だったのです。あれが権利として本当に確定しているのだったら、ニューカマーの人達が来たときにも、医療や福祉などの今日的な問題は起こらなかったはずです。

 こうした状況に対して、どう取り組んでいくのが一番良いのか、私たちの側もしっかりと具体案を持たなければなりません。政府・自民党は持っています。今、考えられている「国籍取得緩和法」が、その一例です。彼らは、これで外国人と日本人の間に明確な線引きをし、在日韓国・朝鮮人を日本人側に取り込んで、それでおしまいにしたがっていると思います。だけど、だからといって「国籍取得緩和法」はおかしいとだけ言っても、問題は解決しません。そう主張するなら在日韓国・朝鮮人の処遇について当事者や国民が納得するような対案が必要です。しかも、現実的な対案です。理想的すぎて非現実的な対案では意味がありません。「国籍取得緩和法案」の狙いは、外国人と国民の間に明確に線を引こうとしているのは、確かにその通りだと思いますが、しかし、すべて否定的に見るのではなく、その方向の中に、新しく創造的なものを追求すれば、在日韓国・朝鮮人次第で、もっと良い社会が実現できる可能性も含まれていると、私は思います。それは自民党とは目標なのですけど、そういうふうにできるか、できないかは、こちら側の問題でもあるわけです。

○参加者

 二つ質問したいんですけど、一つは、今の在日の若い世代がどういうふうに考えているかということです。もう一つは、日本の歴史的責任と在日の権利ということをどう考えたら良いかということです。

●講師

 まず、あなた方と同じくらいの在日の若い世代が何を考えているかということは、私にもよく分からないのです(笑)。たぶん、日本人の若者と同じ感覚だと思います。ただ、在日の青年は自分が韓国人や朝鮮人であることがばれたら嫌だと思いながら生きている人が結構いるということはいえます。それは非常に大きな問題だと思います。自分の持っているものをそのまま出すことができ、社会がそのまま受けとめてくれればそれでいいのですが、やはり差別的な社会ですので、差別を受けるわけです。在日韓国・朝鮮人側にそのことへの恐怖感が強くあることは事実だと思います。だから、日本人の若者と在日韓国・朝鮮人の若者は、日常の生き方の中では考え方なんかは同じように見えても、内心のところではちょっと違うのです。それは、外から見ていてもよく分かりません。我々の時代は、差別がもっと厳しくて社会との緊張した関係があったので、韓国人とか朝鮮人であることを必死で隠すということが外から見てもわかりやすかったのですが……。

 それから、歴史の責任という話ですけれど、これは難しい。ちゃんと歴史的な総括をすべきであるとか、戦後補償をすべきであるとか、これは正しい意見であると思うのですが、正しくても日本社会にはなかなか受け入れられていません。戦後補償もなかなかやらないし、過去の歴史については謝ったではないか、何回謝ったらいいのか、という形になっていると思います。昨今、また教科書問題もでてきました。歴史の問題は今の六〇とか七〇歳の政治家の人達では解決できないのではないでしょうか。若い世代が政治家でもなって、もう少し客観的に歴史を見て、また、韓国のほうも世代交代して、ちょうど同じ世代が侵略の当事者性のない、直接侵略したり、されたりしていない関係性の中議論すれば、共通した歴史観が生まれてくるのではないかと思います。

 戦後補償についても、引き続き訴えていかなければならないと思いますが、かといって過度にそれを主張するのもどうかなと思います。時間をかけて解決するしかないでしょう。本当は、野中さんみたいな人物が総理大臣になって、20世紀末に戦後処理を全部やってしまう。21世紀からは新しい未来関係で行くんだというふうにしないかなと期待していましたが、そうはなりませんでした。やはり21世紀も、地道に時間をかけて解決していくしかありません。

 在日韓国・朝鮮人の権利の問題ですが、今在日韓国・朝鮮人の中で一つの流れとして、日本社会に自分たちはどう貢献していけるのか、こういう言い方をする人達が出てきています。民団や総連は、今まで祖国には貢献しても日本社会に貢献するなんてことは考えてきませんでした。ダーティーな言い方をすれば、日本でお金を儲けてそれを祖国に注ぎ込んだらいいというぐらいのスタンスだったのです。それがある意味では日本社会の不信かった側面があったのではないかと思います。ところが、在日韓国・朝鮮人の事業家たちは、二世や三世がオーナーになってきていて、この人たちが在日韓国・朝鮮人は日本社会にどう貢献していくかということを言い始めているのです。在日の社会にも変化が起こってきています。権利だけを主張するのではなく、権利を持った分どうして日本社会に貢献していったらいいのかを考え始めているのです。

○参加者

 僕は普通の大学院生で、これまであまりこういう問題に直接関わりを持ったことはありません。「国旗・国歌」が問題になったときに、YWCAで「国旗・国歌を考える会」みたいな形で集まりがあって、それを覗かせてもらったぐらいなんです。だから、いろいろ知らないこともあって、お話はすごく勉強になりました。

 それで、一つ聞きたいんですけれど、国籍をとった上で韓国系市民として、どう社会に提言していけるのかということについてなんです。「国旗・国歌」の時もそうだったんですが、日本の公立の中学校なんかは日本の政府ー文部省が直接指導力を持っている学校で、政府の意志が直接反映されていく。それで、在日韓国・朝鮮人の人達が「国旗・国歌」を強制されたときに、自分たちは日本人ではないのにそれを強制されているという意見が非常に多かったんですね。それが「国旗・国歌」に反対する声をあげていた在日の人達の主張の拠所になっていることがあったと思うんです。しかし、韓国系市民として日本国籍をとってしまうと、例えば「国旗・国歌」の問題についてはどうしていくのか。

 それからもう一つ僕が思ったのは、在日の人達は、在日韓国・朝鮮人という枠で自分たちのことを考えてしまい、外国人という枠では自分たちのことを考えていない。ある在日の両親の方が言っていたのは、学校の先生は自分の息子に対して「お母さん」と呼ばせようとしている。でも、私は子供に「オモニ」と呼ばせてきたから、学校の先生のやり方はどうしても納得できない、と言っていたんですね。でも、そんなことを言ったら、ペルー人の子供もいれば、フィリピン人の子供もいるわけですね。それじゃあ、学校の先生はペルー人の子供にはペルー語で、フィリピン人の子供にはフィリピン語でしゃべらないといけなくなるじゃないですか。つまり、在日という枠だけで考えてしまって、どうして他の外国人と連携をとっていかないのかというのが、一つ大きな疑問なんです。さきほどのお話で、ニューカマーの人達は、在日が被ってきたのと同じ苦労をしていると言われたと思うんですが、在日という枠を取っ払って、外国人の連合体という方向性に動いていくということは考えていないんですか。

●講師

 「国旗・国歌」の話で、在日の拠所が、そういう所ではちょっと情けないと思います。日本人でも「国旗・国歌」は嫌だという人はいます。逆のことを言えば、在日の中でも「日の丸」掲げて軍艦マーチかけて走っている人もいるわけです。在日が右翼団体をやっているケースも少なくありません。だから、個人個人の意見ということでいいと思うのですけども。日本人にしても韓国人にしても、それぞれがどういう理由で反対するのかということを、自分の中にしっかり持っていれば、それでいいんじゃないかと私は思います。

 もう一つ、外国人の連合ということですが、私は今大阪の方で多民族共生人権教育センターという研究啓発団体の理事長をやっていますけれど、それは基本的には在日の問題をベースにしながらニューカマーの問題にも取り組んでいけるようにしています。こうした新しい動きが出てきています。ただ、私は外国人としての連携だとか連合だとかいうよりも、コリア系市民、あるいはフィリピン系市民、何々系市民というマイノリティーの連合のようなものを考えています。

 外国人というのを漢字で書いたら、外の国の人となりますが、日本人の外国人に対するイメージと言えば、「害国人」となります。日本の国に害を与える人というイメージです。その外国人のイメージを変えるためにも、例えばフィリピン人は「外国人」ではないようにしたいです。そのためには国籍法を生地主義に改めて、二世以降は○○系日本人になるように、日本人の概念を拡大して、日本人イコール大和民族にならないようにしたいです。繰り返しになりますが、渡日一世については三年ぐらいで市民権的な権利を持てるようにしていくのがいいのではないかと思っています。

 ただ、在日が日本国籍をとるということになると、天皇制の問題をどうするのかという人がいますが、外国人がたくさん日本国籍を取ったほうが、早く天皇制は潰れると思います。というのは、この先もどんどん外国系市民が増えます。ある統計では、一〇〇年後には五人の内三人が外国系になるといいます。そうなれば、日本で大和民族がマイノリティーになるのです。だから、私はあと一〇〇年生きて、なんとしても日本人を差別して死にたいです。これが夢です(笑)。そういう社会が来たら、その時に天皇なんていうのは小数民族の酋長さんみたいなものになります。

こうした素晴らしい戦術があるのに、それを、今の左派のように、日本国籍を取ったらダメだということをやっていたら、いつまでたっても天皇制は温存されたままではないですか。

○参加者

 天皇制の問題も、「日の丸・君が代」の問題もそうなんですけど、一番嫌な議論というのは、在日や部落の人達をどうするんだといって批判するやり方だと思うんです。そんなやり方をするんなら、反対するのを止めといたらと思うんです。やっぱり自分の問題として考えていかないといけないんじゃないかと思って。

 例えば、国籍取得の問題で僕が今一番不安なのは、国籍取得したら今度は徴兵制が敷かれるかも知れないじゃないですか。「テロ対策特措法」なんかできちゃって、自衛隊なんか入る人間いなくなってくるわけですよね。それで、国籍取ったとたん徴兵制なんか出てきちゃったり、九条が改憲されたりしてしまうかもしれない。だから、やっぱり問われているのは日本人だなと思うんです。

 さっき話が出たオールドカマーとニューカマーの問題もそうなんですけど、在日がもっとニューカマーのことを考えなきゃいけないというよりは、日本人がもっとニューカマーのことを考えないとどうしようもないと思うんです。在日が日本国籍を取っている人を含めて一〇〇万人として、純然たる日本人というのは一億人を超えているわけですよね。その一億が変わらないとやっぱり変わらないと思うんです。ただ、一億の人間が全部同じ方向を向くわけはないから、やっぱりどうやって主体的に変えていくのかということを考えていかないといけないと思います。

○参加者

 「国旗・国歌」のことについてなんですけれど、僕は「国旗」についてはやはり必要なんじゃないかと思うんです。どの国民国家もいろんな悲惨な歴史を持っているわけですね。どの国もそうだからといって、別に良いというわけじゃないんですが、やはり国家がある以上、一つの記号として「国旗」というものは必要なんじゃないかと思います。「君が代」の問題については、天皇賛美の歌を全国民に歌わせるというのは、宗教の自由というところから、おかしいと思うんですが。

●講師

 「国旗」が必要だという考えですね。

例えばドイツの国旗が、ナチス時代の「卍」型のものだったら、日本人はドイツの国旗は「ひどいなぁ」と思うはずです。けれども、日本の国旗になると、アジア侵略の象徴であった「日の丸」であっても、それで良いという人が結構いるのです。この感覚は他者(アジアなど)から見たら鈍感としか言いようがありません。でも、文句を言えないのです。なぜかといえば、日本がアジアにいっぱいお金を撒いている(援助)からです。アジアから日本に文句を言って、日本が経済援助してくれなくなったら、たちまち困るのです。文句を言いたくても言えない関係があるのです。

そこで、今、中国がどんどん力をつけています。中国の力が本物になったとき、アジアで日本は孤立するのではないかと心配します。日本ももうちょっと過去の歴史に誠実になって、昔とは違う日本(国民性)を尊敬してもらえるようにならないといけないと思います。でも、金持っている限り誠実にはならないでしょう。近所の成金のおっさんは、やっぱり誠実にはならないですから………。(笑)。

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李敬宰(い・きょんじぇ)
大阪・高槻むくげの会 会長、在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会 会長



高槻市が在日団体を提訴へ 中学校の一室不法占拠

 大阪府高槻市は5日、市立第一中学校の一室を1年以上、不法占拠しているとして、同市の在日韓国・朝鮮人団体「高槻むくげの会」に対し明け渡しを求めて大阪地裁に提訴する方針を明らかにした。9月定例市議会に関連議案を提出する。

 市教委によると、昭和60年度に「在日韓国・朝鮮人教育事業」をスタート。市教委は同会と日本語の識字学級や地域子供会などを共同で行い、「便宜供与」として同中学校青少年課分室の一部、約30平方メートルの使用を認めてきた。

 しかし、市教委はこの事業を平成13年度から「多文化共生・国際理解教育事業」に変更。在日韓国・朝鮮人だけでなく、ブラジル人やフィリピン人などにも部屋を開放することになったが、同会が占有した状態が続いた。このため昨年1月、同年3月末までに部屋を明け渡すよう求めたが、「差別、弾圧だ」などと拒否したという。

 同会は4月以降も明け渡しに応じず、部屋を無断で使用して日本語講座などを有料で開催。光熱費は中学校が負担しているという。

 市教委青少年課は「他の市民に説明がつかない」。同会の李敬宰会長は「提訴は非常に遺憾。断固戦う」としている。
(2006/09/06 7:40)
http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya090602.htm
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by thinkpod | 2006-11-02 02:08 | 半島