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2006年 09月 28日

日露戦争 もう一つの戦い

出版社/著者からの内容紹介
日本の素晴らしさを堂々と伝えた 明治人の気骨と英語力! 岡倉天心(おかくらてんしん)…日本の伝統精神を、アメリカに広めた東洋美術の使徒 金子堅太郎(かねこけんたろう)…ニューヨークの社交界を、説得力溢れる演説で魅了した男爵 家永豊吉(いえながとよきち)…シカゴを中心に、社会人教育の場から日本の情報を発信し続けた法学者 ヨネ・ノグチ(野口米次郎 のぐちよねじろう)…英文詩人として英米で名声を高め、文芸誌を舞台に日本の芸術について発信。彫刻家イサム・ノグチの父 朝河貫一(あさかわかんいち)…不偏不党の精神を掲げ、徹底して謙虚に日本の正当性を主張した歴史学者 アメリカ世論を「ペン(論文)と舌(講演)」で親日へと動かした五人の英語名人 ■日露戦争勝利の陰に、五人の英語名人がいた 日本が国家存亡を賭して戦った日露戦争。戦費もままならない日本にとって、国際世論の行方、わけても新興の経済大国であるアメリカは外債募集先としても、休戦調停役としても重要な存在だった。そんな中アメリカに渡り、アメリカ世論を親日に導き続けた五人の日本人がいた。東洋美術の使徒、岡倉天心(おかくらてんしん)。社交界で活躍した男爵・金子堅太郎(かねこけんたろう)。社会人教育に邁進した法学者、家永豊吉(いえながとよきち)。英文詩人として名を馳せたヨネ・ノグチこと(野口米次郎 のぐちよねじろう)。不偏不党の歴史学者、朝河貫一(あさかわかんいち)。彼ら「明治の英語名人」は、「ペン(論文)と舌(講演)」でアメリカ世論を日本の味方にした。英語で戦われた日露戦争。この本は、もう一つの『坂の上の雲』である。

内容(「BOOK」データベースより)
日本が国家存亡を賭して戦った日露戦争。戦費もままならない日本にとって、国際世論の行方、わけても新興の経済大国であるアメリカは外債募集先としても、休戦調停役としても重要な存在だった。そんな中アメリカに渡り、アメリカ世論を親日に導き続けた五人の日本人がいた。東洋美術の使徒、岡倉天心。社交界で活躍した男爵・金子堅太郎。社会人教育に邁進した法学者、家永豊吉。英文詩人として名を馳せたヨネ・ノグチこと野口米次郎。不偏不党の歴史学者、朝河貫一。彼ら「明治の英語名人」は、「ペン(論文)と舌(講演)」でアメリカ世論を日本の味方にした。—英語で戦われた日露戦争。この本は、もう一つの『坂の上の雲』である。

Amazon.co.jp: 日露戦争 もう一つの戦い—アメリカ世論を動かした五人の英語名人: 本: 塩崎 智
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4396110413/ref=sr_11_1/250-7787573-8185016?ie=UTF8


日露戦争が最大の山場を迎えた一九〇五年五月最後の週末、金子堅太郎は、米国東海岸のリゾート地、アトランティック・シティに遊んでいた。しかし、内心は保養どころではなかった。日本の連合艦隊はロシアのパルチック艦隊の動向をつかめたのだろうか。史上最大規模の海戦の帰趨は世界中の耳目を集めていた。

 そんな金子の元に、五月二十八日深夜、ニューヨークにいる秘書から電報が届いた。長崎駐在米国領事からの電信によると、連合艦隊がパルチック艦隊を撃破したという。

 金子は、御前会議の決定により、隠密の「民間大使」として、日本政府から米国に派遣されていた。得意の英語とセオドア・ルーズベルト大統領をはじめとする米国政財界の人脈を駆使し、米世論を親日に導く命を受けていた。

 彼のただならぬ様子を見て、戦況に重大な異変ありと察したのだろう。滞在先のホテルのロビーにいた客たちは、金子が手にしていた電報の内容を知りたがった。促されるまま電報を読み上げると、あちこちから歓声があがり、シャンペンを抜いての大騒ぎになった。

 翌二十九日は、新聞で大々的に海戦結果が報道され、金子のみならず在米日本人にとって最高の一日となった。


 「列車に乗っている旅客は知ると識らざるとを問わず、私の座席に蛸集して皆私の手を握って、大勝利で目出度い、目出度いと言う。……通行人が私の顔を見るとわいわい言って万歳を唱えた。それから向こう河岸にボートで渡って馬車に乗った。左右のアメリカ人の家には日の丸の旗が立っている。又通行人が私の顔を見れば帽子を取って万歳万歳と言う。実にこの時の有様はえらいものであった」 (金子堅太郎『日露戦役秘録』)


 アメリカ人が日本戦勝の報に歓声をあげたのは、これが最初ではない。事実上の開戦となった旅順口と仁川沖海戦、さらに旅順陥落、奉天会戦など、日本が勝利を収めるたびに、アメリカ人は在米日本人と喜びを分かち合った。日露戦争中、米国世論はおしなべて親日であり、そのひいき振りは日本の同盟国イギリスを凌ぐほどだった。

 米国では開戦前からすでに日本を支持する声が高まっていた。ロシアの排他的満州進出により日米両国は締め出しをくい、利害関係が一致した。

 この、時ならぬ日米蜜月期には、実は「仕掛け人」たちがいた。

 大国ロシア相手に短期決戦を挑んだ日本は、ロシアに不意打ちを仕掛けたが、自らの正当性を主張しなければならない。欧米の新聞や雑誌で日本の立場や見解を説明しておかねば、極東の平和の破壊者というレッテルを貼られてしまう。国際世論に訴えるには、欧米のメディアを経由するしかない。しかし東洋の一小国の悲しさで、いくら日本の政治家やメディアが声を大にして叫んでも、世界レベルのメディアが好意的に取り上げてくれるとは限らない。

 しかも、圧倒的な日本ぴいきとはいえ、所詮、米国の 「異国」 日本に対する好意は不安定なもので、いつひっくり返るかわからない。

 この国家存亡の危機に、英語で自由に意思の疎通ができる、個性豊かな日本人たちが米国にいた。彼らこそが「仕掛け人」たちの正体である。

 太田雄三氏は『英語と日本人』で、「明治八(一八七五)年ごろからのほぼ一〇年弱の期間に高等教育を受けた人々」を「英語名人世代」と呼んでいる。英語を日本語並み、あるいはそれ以上に使いこなすエリート群だ。彼らは東京大学の前身大学南校や北海道大学の前身札幌農学校で、外国人教師により外国語のテキストを使い、外国語で講義を受け、外国語で答案を書いた。

 日露戦争当時、この英語名人たちは、まさに脂の乗り切る四〇~五〇代だった。

 本書は、日露戦争中、勃興期の米メディアを部隊に英語を武器として最前線で戦った、明治の英語名人五人の言論による格闘の記録である。

Let's Blow! 毒吐き@てっく: 海を渡った明治のサムライ達のお話
http://tech.heteml.jp/2006/09/post_760.html



■■ Japan On the Globe(464)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

地球史探訪: サムライ達の広報外交
〜 米国メディアにおける日露戦争
 彼らは卓越した英語力で、日本の立場を語り、
アメリカ国民を味方に引きつけた。
■転送歓迎■ H18.09.23 ■ 34,261 Copies ■ 2,227,386 Views■


■1.米国メディアを賑わせた日露戦争■

 1904(明治37)年2月、日露戦争が始まると、その戦況ニュ
ースがアメリカの新聞や雑誌を賑わした。TOGO(東郷連合艦隊
司令長官)、NOGI(陸軍第3軍司令官)、KUROKI(第2軍司令
官)など、英語らしくない名前が紙面を飛び交った。

 ニュースだけではない。開戦直後、3月2日付けの『ニュー
ヨーク・タイムズ』紙には、和服姿のKAKUZO OKAKURA(岡倉覚
三、天心)の写真とともに、記者の質問に答えた記事が掲載さ
れた。別のページには、BARON KANEKO(金子男爵)のインタビュ
ー記事が載っている。

 二日前の『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』誌には、
TOYOKICHI IYENAGA(家永豊吉)のカルチャー・センターでの
講義を取材した記事が掲載されていた。

 この年、10月に出版された岡倉天心の『日本の覚醒(The
Awakening of Japan)』は、半年間で全米売上第4位となった。
翌月に出た朝河貫一の『日露衝突(The Russo-Japanese
Conflict)』は、書評誌『サタデー・ブック・レビュー』で
「クリスマス・プレゼント本100選」の一冊に選ばれた。

 この時期ほど、日本人の言論が米国のメディアを賑わせた事
はなかったろう。そして達意の英文で語られた彼らの品格ある
教養と思想は米国民を魅了し、親日世論を湧き興して、日露戦
争での日本の立場を大いに強化したのである。

■2.金子堅太郎の米国世論工作■

 米国メディアで活躍した筆頭は、金子堅太郎男爵である。か
つてハーバード大学ロースクールで法律を学び、セオドア・ル
ーズベルト大統領とも同窓だったという縁で、日本政府からア
メリカでの世論工作のために送り込まれた人物だった。

 開戦1ヶ月後の1904(明治37)年3月に米国入りした金子
堅太郎は、かつての留学の地ボストンではなく、新聞や雑誌な
どの本社が集中するニューヨークに腰を据えた。

 ニューヨークでは、スチュワート・ウッドフォード将軍が金
子のために200人を超える政財界の大御所、軍高官、学者な
どを招待して盛大な歓迎パーティーを催してくれた。将軍はか
つて日本訪問中に金子の世話になり、急速な近代化や、勤勉で
礼儀正しい国民性に強い感銘を受けていた。

 日本は緒戦の勝利以降、大きな戦果を上げておらず、逆に、
ロシア海軍の名将マカロフが旅順に覇権され、予断を許さない
状況だった。そこにマカロフの乗る戦艦ペトロパブロフスクが
日本海軍の機雷に触れて爆沈したというニュースが飛び込んで
きた。ロシアに流れかけたムードを引き戻す絶好の機会である。

■3.「我が国は、その門戸開放のために戦っているのです」■

 食事と歓談の後、主催者ウッドワード将軍が金子を歓迎する
スピーチを述べると、金子は演説を始めた。

 私も我が国も、実に多くをアメリカに負っています。

 と切り出した金子は、ペリー来訪の後、日本は門戸開放政策
をとり、アングロ・アメリカン(英米)文明を採用した、と述
べた。「文明開化」をアメリカ人向けに説明すれば、こういう
言い方になるだろう。そしてその英米文明を中国と韓国に導入
しようとした過程で、ロシアと敵対することになった、と説明
した。

 私たちは、領土的な野心や好戦心のために戦っているの
ではありません。アングロ・アメリカン文明の極東への導
入のために戦っているのです。ペリー提督は、私たちに門
戸開放を授けてくれました。今、我が国は、その門戸開放
のために戦っているのです。[1,p84]

 会場から拍手が沸き起こった。「門戸開放」とはルーズベル
ト大統領やヘイ国務長官が対中基本政策としていた方針である。
その言葉を繰り返し使うことで、日本はアメリカと方針を共に
している、と印象づけたのである。

■4.「日本の貴族、マカロフを称える」■

 演説のクライマックスは、後半に訪れた。

 ここに御列席の多数の方々はマカロフ大将を御承知であ
ります。大将は世界有数の戦術家である。この人が死なれ
た。わが国は今やロシアと戦っている。併(ただ)し一個
人としては洵(まこと)に其(その)戦死を悲しむ。・・

マカロフ大将も国外に出て祖国のために今やまさに戦わん
とする時に望んで命を落としたことは残念であろうが、こ
の戦役において一番に戦死したことは露国の海軍歴史の上
に永世不滅の名誉を輝かしたことであろうと思う。私は茲
(ここ)に追悼の意を表してもって大将の霊を慰める。
[1,p85]

 戦死した敵将の霊を慰めることは武士の習いであった。当時
のアメリカの上流階級はイギリスの騎士道の気風を受け継いで
いたであろうから、金子のマカロフ哀悼は強い共感を呼んだ。

 翌日の新聞は「日本の貴族、マカロフを称える」(『ニュー
ヨーク・ヘラルド』紙)、「マカロフの賛辞を捧ぐ」(『ザ・
サン』紙)と伝えた。以後、金子には晩餐やパーティーへの招
待状が山のように届き、どれに出席するか取捨選択しなければ
ならないほどだった。

■5.「夜が明けても全部を聴かなければ帰らぬ」■

 4月28日では、母校ハーバード大学で講演を行った。留学
時代から演説の研鑽を積んでいたので、講演は得意だった。

 金子は三国干渉による遼東半島の返還から、ロシア軍の満洲
における不当な居座り、そして朝鮮半島進出までの経過を説明
した。ここまでで1時間半も経ってしまったので、講演を打ち
切ろうとすると、聴衆は総立ちになって「ノー、ノー」と叫び、
「今夜は貴下の演説を聴きに来たのだから夜が明けても全部を
聴かなければ帰らぬ」と言い出した。

 そこで、金子はさらに45分を費やし、ロシア側の主張を徹
底的に反駁した。日本の宣戦布告があまりに急で戦闘に備える
暇がなかったというロシア側の批判に対しては、前年4月以来、
ロシア海軍は戦艦3隻、巡洋艦5隻など19隻を増強し、ロシ
ア陸軍も歩兵2個旅団、砲兵2個大隊など40万人を増派して
いた、と詳細なデータを挙げて反駁した。

 日露戦争はキリスト教徒と異教徒の戦いだ、というロシア側
の宣伝に対しては、日本は仁川沖の海戦で損傷した軍艦「ワリャ
ーグ」の負傷者を日本の赤十字病院に収容し、死者は衣服を改
めて陸上でキリスト教の葬儀を行った。ところが満洲やウラジ
オストックでは、ロシア人官吏は在留邦人を抑留し、虐待した。
日本人とロシア人のどちらの行為がよりキリスト教主義に適っ
ているか、と聴衆に問いかけた。

 翌日の『ボストン・ヘラルド』紙は、金子の演説の内容を余
すところなく伝え、「彼の成功は真に驚嘆に値する」と述べて、
シーザーを追悼するアントニウスの歴史的演説に勝る、とまで
激賞した。

■6.「ロシアは文明のレベルで決定的に日本に劣っている」■

 ボストンでの講演の後、金子の広報活動は完全に軌道に乗っ
た。ボストン、ニューヨーク、ワシントンを往来しながら、講
演、晩餐会でのスピーチ、そして毎月のように新聞や雑誌への
寄稿と、まさに八面六臂の活躍を続けた。

 もともと判官贔屓で日本を応援していた米世論は、金子の冷
静かつ品位のある主張に触れて、ますます親日的になっていっ
た。当時の駐米ロシア大使カシニーの娘マーガレットはこう書
いている。

 ルーズベルト大統領、ヘイ国務長官、そして米国政府全
体が、公には中立だったにもかかわらず、すさまじいまで
に感情的に親日になっていました。父は怒りのあまり髪を
かきむしりながら、ジョン・ヘイや皆に言ったものです。
いつの日か米国は、この選択を後悔するだろう、と。
[1,p148]

 ロシアも金子の活動に対抗するように、広報外交官としてエ
スパー・ウフトムスキー公爵を派遣した。カシニー大使とウフ
トムスキー公爵は、日本人が勝てば、中国人を指導して近代的
軍隊を作り上げるだろうと、「黄禍論(かつてのモンゴルのよ
うに黄色人種が白色人種を侵略する)」を持ち出したが、その
受けははなはだ悪かった。ロシアが満洲を占領して、米国を占
めだしてきた経緯から見て、こういう言い分には説得力がまっ
たくなかった。

『ハーパーズ・ウィークリー』誌はロシア寄りの記事を載せる
数少ない雑誌の一つで、日本公使館はロシアに買収されている
と睨んでいた。そこに公爵の日本批判丸出しの一文が掲載され
ると、読者から次のような反論が寄せられた。

 試しに、貴誌の読者諸賢にウフトムスキー公爵の論評と、
ほぼ2、3日おきに新聞で報道される金子男爵の演説を比
べてみてもらいたい。金子男爵の慎み深さと真にキリスト
教的な奥床しさと、ウフトムスキー公爵の尊大な発言とを。
結局、少なくとも論理的思考力、判断、演説という点にお
いて、ロシアは文明のレベルで決定的に日本に劣っている、
と認めることになるだろう。[1,p164]

■7.「同じような克己心をもってフランクリンは、、、」■

 日本政府の意向を受けた金子堅太郎に対して、純粋に私人の
立場から、しかもきわめて学問的に日本を擁護したのが、ダー
トマス大学講師の朝河貫一であった。日露開戦の9ヶ月後に出
版された著書『日露衝突』では、ロシア側が最初から満洲を独
占するつもりであったことを編年的に明らかにし、そのうえで
日本は満洲における機会均等と清国の主権尊重を死守するため
にロシアに戦いを挑んだのであり、それは米国の外交方針と完
全に一致する、と主張した。

『日露衝突』は学問的な著作であったが、多くの新聞、雑誌の
書評欄で絶賛された。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評は
次のような賛辞を送った。

 日露戦争に関しては、様々な形で取り上げられてきたし、
今後さらに書かれるだろう。しかし、これまでのところ、
この戦争の原因と争点について、明白でしかも公平な態度
で論じたものはなかった。本書では、それが立派に成し遂
げられている。[1,p133]

『ネイション』誌の書評では、「作者の国籍は、もし明かさな
ければほとんど推測できないのではないか」とまで述べ、次の
ように結んだ。

 本書の特徴は、口論中の人がよく使う類の口調や表現を
抑制している点にある。そして悲しいかな、ロシア側には
このような姿勢は欠如している。本書を読むと、ある戦争、
そして自国の弁護のためになされたある主張に思い至る。
同じような克己心をもってフランクリンはアメリカ植民地
における実情を世界に示し、リンカーンは南部に対する北
部の真実を述べたのだった。[1,p136]

■8.岡倉天心の『日本の覚醒』■

 朝河貫一の『日露衝突』と前後して、岡倉天心の『日本の覚
醒』が出版された。その主張は、日露戦争は西洋物質主義と東
洋精神主義の戦いであり、ここで東洋が滅びるわけにはいかな
い、という西洋物質文明批判である。岡倉の英文処女作『東洋
の理想』はイギリスで出版され、ルーズベルト大統領も、日本
人の精神は偉大で素晴らしく高遠な面が見られる、と感想を述
べている。

 天心は講演で「あなた方は富を求めて狂奔するあまり、絵画
の前に長くたたずむ時間の余裕を持たなくなっています」と辛
辣な批判をしながらも、「私の言い方に立腹しないようにして
頂きたい。日本はあなた方の後を追って、芸術を大切にしない
ことを一生懸命学んでいるところなのです」といなしてしまう
話術で観衆を魅了した。

『日本の覚醒』は、全米の新聞15紙、雑誌10誌の書評でお
おむね好意的に取り上げられた。『クリティック』誌はこう評
した。

 もし出版社による序文で述べられていなければ、本書が
全編岡倉氏によって英語で書かれたということに、読者は
まず気がつかないだろう。それは単に英語で書かれている
だけではない。その英語は立派で、想像力が表現豊かに高
揚する時にのみ、日本芸術家の感覚が垣間見られる。
[1,p122]

■9.文明の利器と古武士の精神■

 シカゴ大学の社会人講座の講師だった家永豊吉は、シカゴを
中心に講演活動を行っていた。そのテーマも「なぜ日本には罵
り言葉がないか----女性の影響を受けた日本語の穏やかさ」な
ど、好戦的な日本人というイメージを払拭する内容を盛り込ん
だりした。機知に富んだ言い回しや、茶目っ気のある皮肉で、
聴衆の笑いと喝采を呼んだ。

 ヨネ・ノグチ、こと野口米次郎は英詩集を英米で出版し、
「東洋のホイットマン」との評判を得ていた。日露戦争が始ま
ると、戦争とは直接関係ないが、日本の出版文化に関する論評
を次々に発表した。こうした大衆文化の世界でも、日本が先進
国の仲間入りしつつある事をアメリカ人読者に印象づけた。

 金子堅太郎、朝河貫一、岡倉天心、家永豊吉、野口米次郎。
アメリカのメディアでこれほど日本人が登場した時期は、これ
以前も、これ以後もなかった。当時の日本人と接したあるアメ
リカ人は、金子堅太郎に次のように語っている。

 今日の日本というのは、維新前の封建時代の武士道とい
うもので訓練した精神がまだ残っている。それに欧米の文
明的の学術技芸を輸入して加味したから、精神は日本の古
武士である。それに文明の利器を与えたからこれは実に強
い人種である。一面には封建の武士であって、一面には二
十世紀の文明の利器を持った人種である。こういう人種は
世界にはない。[1,p54]

 彼らの英語力とは、文明の利器の一つであった。それを通じ
て語られた古武士の精神、すなわち彼らの品格ある教養、思想、
学問、芸術、歴史伝統がアメリカ人を魅了したのである。彼ら
こそ真の国際派日本人だった。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(218) Father Nogi
 アメリカ人青年は"Father Nogi"と父のごとくに慕っていた乃
木大将をいかに描いたか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog218.html
b. JOG(291) 高橋是清 〜 日露戦争を支えた外債募集
 莫大な戦費の不足を補うために欧米市場で資金を調達する、
との使命を帯びて、是清は出発した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog291.html
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by thinkpod | 2006-09-28 00:22 | Books
2006年 09月 23日

〜靖国は英霊の同窓会の場〜

第40回
「心情」から語る靖国論(3)
〜靖国は英霊の同窓会の場〜

靖国神社は宗教を問わない


 靖国神社について考えるとき、そもそも靖国神社はどんな宗教なのか、という話が取りざたされる。

 一般的に日本には、仏教もあれば神道もある。神道には実は、道教が入っている。日本人はそれら全部を混合して、自分にとって都合のいいものだけをとっている。

 「八百万(やおよろず)の神」などと言ったり、外国から渡来したプリンシプル(原理原則)で割り切るようなものも取り入れたり、そしてもっとリアリズムで考えた常識的なものも取り入れて、それらを適宜使い分けている。そうした日本人の宗教心を踏まえて考える必要がある。

 江戸時代が終わり、明治政府が出来て、国家として軍隊を持つようになり、日本は外国とも戦うようになった。

 軍隊では、兵士同士が会話の中で「もしかしたら今夜は最後で、明日は死ぬかもしれないな」などと語り合って「おまえは仏教徒か」「いや、おれは神道だ」となると、「じゃ、死んだらもう会えないね」となる。

 仏教徒は、阿弥陀仏のところへ行ったり、極楽へ行ったりする。行いの悪かった人は、犬畜生に生まれ変わる。ところが神道の人は、極楽には行かない。どこに行くか分からない。

 とにかく兵士たちが「もう会えないね、寂しいね」と話しているのを聞いて、こんなことでは強い軍隊にならないと思い、明治政府は「東京招魂社」をつくった。これが靖国神社の始まりである。

 招魂社、つまり「魂を招く社(やしろ)」をつくって、死んで故郷へ帰って祭られた人でも、「例大祭」という春と秋の大祭のときには、また靖国神社へ戻って、みんなで集まって同窓会をやれと、明治政府は言ったのだ。

 神道でも仏教でもキリスト教でも何でもいいから、死んだら一度ここへ集まれば、天皇陛下もお参りして、ねぎらってくれる。それが招魂社で、やがて靖国神社になっていく。

 だから「靖国神社は仏教か、神道か」などと問題にする向きもあるが、実はどちらでもない。「死んだらあそこへ集まってから解散しよう」とか、「解散してから、でもときどきは集まろう」という、同窓会の場なのである。



神社とお寺ではお参りの意味が違う

 「神社にお参りするのと、お寺で仏様にお参りするのとは、まるで意味が違うんだよ」と、子どものころ、おじいさんが教えてくれた。

 神社に祭ってある神は恨みを残して死んだ人だから、そういう人は祟る。それが怖いから、「神よ、鎮まりましてくださいよ」とお参りする。神社へのお参りは、たたり封じというのが本来の姿である。

 お寺のほうは、みんな仏様になって極楽へ行った人なんだから、祟ったりはしない。幸せな人たちなんだから、「その幸せを我々に分けてください」とお参りしに行く。だからお寺にはご利益があって、神社にはご利益はないのだそうだ。神社には、要するにマイナスがあるから、それをなだめに行くらしい。

 靖国神社も、やはり特別祟りそうな人たちがいるから、しっかりお参りしないといけない。では、英霊たちの希望は何か。どういうふうにすれば鎮まるのか。

 まず、お国のために死んだのだから、国から認めてもらいたい。それが、命令した人、戦って死ねと命じた人の負うべきことである。

 となると、明治22年に大日本帝国憲法(明治憲法)が制定されるまでは天皇の責任といえる。しかし、明治憲法制定後、翌明治23年に第一回帝国議会が開かれてからは立憲君主制となり、責任は首相および大臣に移った。

 内閣は輔弼(ほひつ)の責任を負うことになっていて、天皇が自分の意見を言ったのは内閣が機能を失ったときの2回だけ。二・二六事件のときと、太平洋戦争をやめるときである。したがって、明治憲法以降は首相および大臣の責任だ。



昭和天皇の大御心に反した東條英機

 とはいえ、天皇も内閣の決定に全面的に同意していたわけではないようだ。まず、総理大臣の任命では、やはり好きになれない人は任命したくはない。気に入った人を任命して、「頼むぞ、米国と戦争するなよ」というような内容のことは言っている。

 しかし、「戦争することに決めました」と言われたときには、もう反対していない。ということは、天皇にしてみれば「A級戦犯の連中はわたしに迷惑をかけた」と思っているはずだ。正確には分からないけれど。

 「東條内閣が戦争を始めたが、わたしはその前の御前会議でやめておけと伝えた」と天皇は言いたかったはずだ。

 周知の通り、天皇は御前会議で「明治天皇御製」という歌を読んだ。「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん」。地球の上はみんな同胞だと思うこの世になぜ波風が立つのかと、明治天皇が詠んだ歌であった。

 昭和天皇はそれを、1941年(昭和16年)9月の御前会議で読んでいる。東條英機もそのときは興奮して、参謀本部や陸軍省の中を「大御心は平和であるぞ」と大きな声で言って歩いた。

 わたしがこの話を聞いた相手は陸軍参謀本部の、対ロシア課にいた人である。

 実は、この東條英機の話はいろいろな文献に出てくる。東條が、1週間くらいは、「平和、平和、平和、何とか米国とまとめろ」といって歩いていたというのだが。

 そこへ「ハル・ノート」が出た。これは太平洋戦争の直前の日米交渉において米国から日本に提出された交渉案だが、ネーミングは米国側の当事者だったコーデル・ハル国務長官(当時)の名前に由来する。

 これの試案を書いたのはハリー・ホワイト財務次官補(当時)とされていて、彼はのちにソ連の二重スパイであったことが発覚している。つまり、ソ連のスパイが米国の国務省の中にいて、日本が怒って米国に立ち向かうようなことを書いた。

 それで、米国のルーズベルト大統領(当時)は、「それもよかろう」ということで、日本を決起させて戦争に持ち込んだ。日本は見事にはまったわけだ。



ハル・ノートを読み解く国語力が足りなかった日本政府

 ハル・ノートについては、戦後、評論家の山本七平氏は、「もっとよく読めばよかったのに」と書いている。「文章を読む力があれば、何も絶望して戦争を始めることはなかったのに」と。

 山本七平氏のようなリテラシーのある人が読めば、ハル・ノートには逃げ道があった。

 例えば「中国から兵隊を全部引け」という記述があったが、それまでの交渉で、そんな話は出ていなかった。日本は米国に「石油と鉄を売ってくれ、そのためにはこのぐらいは譲る」というような交渉をしていたのに、いきなりハル・ノートが来て、中国から全面撤兵せよと書いてあった。

 それで日本は、米国は話をまとめる気がないと即断したが、山本七平氏は「いつまでに撤兵をせよと書いてないじゃないか」と言う。期日が書いていないことは、それ自体、書いていないのと同じだと言うのだ。

 「はいはい、約束します」と言えばいい。中国は広いから、奥地の方から少しずつ撤兵して、港に全部集まるまでには1年や2年はかかる。それでもよかったわけだ。

 もし東條英機に国語力があれば、ハル・ノートをもらっても絶望せずに、むしろ「よかった、これでまた1年ぐらい時間稼ぎができる」となっていた。大御心は平和なんだから、あわててやけっぱちの戦争をしなくてもよかったのだ。

 しかし、「日本にはもう石油がない」という政府の思い込みもあって、1941年(昭和16年)12月8日に日本は太平洋戦争を始めてしまった。その責任者は、当時の憲法によれば、首相と内閣である。

 だから、英霊の希望として、「東條英機以下の大臣は、我々が許さん」ということなら分かる気がする。ただし、A級戦犯という言い方はしない。それは東京裁判の命名である。

 ともあれ、これは中国や韓国に言われる問題ではない。日本国内における、国民一般の気持ちと、憲法や宗教法人法とのすり合わせができていない問題である。


現実主義に目覚めよ、日本!(第40回)[日下公人氏]/SAFETY JAPAN [コラム]/日経BP社
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/40/index.html
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by thinkpod | 2006-09-23 19:11
2006年 09月 21日

李氏朝鮮、在日特集

司会者: こんばんは、日本の息吹の時間です。今、日本に風が吹きはじめています。この番組は今の日本を動かそうとしている人、あるいは動かしている人、あるいは動かしてきた人、そういう日本の息吹を感じさせる人をお招きしまして、お話を伺う番組です。今日は大変興味があるお二人にお出でいただきました。今日は朝鮮問題特集ということで、その専門家、研究家のお二人をお招きしました。ということで宜しくお願いします。では、早速、ご紹介したいと思います。まず、私の左側、みや東亜さんです。
みや東亜: みや東亜です。よろしくお願いします。
司会者: そして、右側がドロンパさんです
ドロンパ: ドロンパです。よろしくお願いします。
司会者: というわけで、なぜ変な名前とみなさんお考えになる人もいらっしゃるかもしれませんが、これは一種のペンネームというかですね、ということで発言しているんですけどもいろんなところで2人はインターネットのサイトでも発言なさっているということで、そういう意味でのハンドルネームということで考えていただければいいと思います。
みやさんはもう朝鮮問題というのはそうとう長いと聞いていますけれども・・・・
みや東亜: もう30年くらいやっておりますけども・・・
司会者: ということでですね、なまじっかの大学の先生などよりはるかに深いたくさん広い、知識と考え方、判断力、分析力をお持ちになっております。
そして ドロンパさんも結構もう(どのくらいやってますか?)
ドロンパ: はい、そうですね、本格的にこういう問題を研究しはじめたのは、だいたい4年前、5年前からなんですけども・・・
司会者: なんかきっかけがあったんですか?
ドロンパ: そうですね。うちが福岡が実家なものですから、やはり福岡というと距離的にものすごく朝鮮半島と近いと、ですからハッキリ言うと朝鮮jinが最初に日本に来るところは福岡なんですね。ほとんどの場合が、ですから、あちらでは 朝鮮学校、民族学校というのが非常に多くて、彼らと接する機会が多かったというのが事実ですね。
司会者: まぁ関心をお持ちになった。研究をおはじめになったという・・
みやさんは、もうずいぶん長いんですけどもきっかけはあったんですか?
みや東亜: きっかけはですね。岩波新書のですね。「韓国からの通信」ですね。
司会: あ、T・K生ですか、ま、インチキ本ですね。あたしらはあれ読みましたよ。ずいぶん。
みや東亜: だまされましたよ。

司会者: だまされましたねぇ~
朝日新聞と朝日ジャーナルとT・K生の岩波新書読んでるとほんとにすっかりあっちの世界に行ってしまってですね、  私も18くらいまで結構、うち朝日新聞読んでましてね。岩波新書なんて私、お恥ずかしい話っていうか、別に恥ずかしい話ではないんですが、毎月3冊くらい出てたんですよ、1960年代ですね。3冊ぐらい岩波新書でてましてね、私は少なくとも高校生のときは毎月出てる3冊、どんな分野でも岩波新書読みましたよ。うちの古いのは全部捨てましたけどね、岩波新書ずら~と並んでましたよ。で、朝日ジャーナル読んでましたしね。すっかり、戦後の教育をズボズボに教育受けてましたよね。大学入ってやっと騙されてたことがわかりまして、あれだったんですけども・・
まぁそういうキッカケだったんですね。

みや東亜: そうですね。ちょうどあの頃はまだあの朴正煕(パクチョンヒ)大統領がお元気だった頃だったので
とんでもない人権弾圧をしている大統領と完全に吹き込まれましたね。
司会者: 極悪非道の独裁大統領とね。
みや東亜: そうですね。
司会者: 私は大学卒業して映画・テレビの世界入ったんですけどもね。やっぱり行ったんですよ、ソウルなんかまだ戒厳令時代、やっぱりまだ貧しかったんですけどもね。ちょっと今、最近行く韓国とは違うある種の良き雰囲気があったというのはちょっと言いたい気がしますね。まぁその朝鮮半島ということなんですけども その60年代を席巻したT・K生の「韓国からの通信」でしたか、あれのような、つまり誤解と偏見というよりもむしろ、誤報がですね、満ち満ちてて、どうですか朝鮮の研究なさってて、そういうものは全部払拭されましたか?
みや東亜: いや、全然だめですね。最近、ようやくですよ。
司会者: ドロンパさんから見ても?
ドロンパ: そうですね。もうほとんどこのハッキリ言えば虚偽と捏造で、ずっーと韓国では歴史が教えられていて、またそれを日本が無条件に受け入れてきたところがあるんですね。
司会者: やっぱりそのそういうものを見ててまず、情報がまずやっと広がりはじめた。
これ、インターネットですかやはり・・?
みや東亜: そうですね。やはりあの2002年のワールドカップ、あれでですね。疑問に思った方というのがですね、インターネットで見てですね、韓国というのはこんな国だったのかと、でまず驚いたと、で、まぁあと小泉訪朝ですか、あれで決定的になったんでしょうね。
司会者: なるほど、関心が高まったと同時に現実の姿っていうのが見えてきたということですね。
ドロンパ: さっき私が言ったようにですね。ずーと日本のマスコミというのが韓国の本当の姿っていうのをなかなか伝えなかったんですね。それはみなさんご存知の通りだと思うんですけれども それがあの90年代の半ばすぎぐらいからですかね。ネットが一気に普及しましたよね。普及したことによって今まで伝える媒体っていうのがマスコミにほとんど限られていたわけですよ。それが一般の人でもネットを通じることによって本当の意味での情報っていうのを手に入れられるようになった。そこで、韓国とまぁ北朝鮮もそうですけども韓国との関わりというものを自分の目で見ることができるようになったわけですね。情報を生で。
その結果として韓国というのが、あまりにも虚偽・歪曲・捏造をやっていると。そういうのが今、一般国民に知れ渡っている段階じゃないかと私は思いますね。
司会者: そうですね。それとやっぱり戦後の教育というかですね。そういう意識が、ある種の全然、根拠のない贖罪意識とかそういうものであったり、朝鮮半島の人々、朝鮮jinに対する一種のなんと言うんですか、なんか言うと一種の腫れ物に触るようなね、感覚っていうのがね、マスコミも持っていただろうし、日本人自体も持ってたような気がしますね。
まだ、あると思いますけどもね。そういう意味で言えば、在日朝鮮の方、韓国に対するですね、まぁ特別の在外国人法人とは違う特例みたいなものをですね、特例措置が行われているということも含めてやっぱりかなり日本、我が国と朝鮮半島という関係というのは異常な形になっているという気がするですけども・・・
みなさんから見てですね、今一番問題なのは何ですかね。いろいろあるとは思うんですけども
みや東亜: まぁ特永問題が一つあるでしょうね。特永によって在日の外国人が犯罪を犯しても国外追放されないと、
司会者: 問題ですよね。それは・・
みや東亜: 実際ですね。組織犯罪(暴対法指定)の団体のトップの20団体のうち、3団体か4団体はですね、外国人なんですよ。(注1)
司会者: 外国人というのは在日・・
みや東亜: そうです。
司会者: いわゆる在日朝鮮半島系の・・
みや東亜: そうです。
司会者: なるほどね。結構、これは言われることですけども そういうの多いって言いますね。構成員も結構多いという。。
そういう意味でいうと今言ったその特別に待遇視されている、というのがまず一番問題になるというわけですね。
ドロンパさんから見てどうですか?
ドロンパ: 特永も当然、問題になってくるんですけども私が一番問題だなと思うのは朝鮮学校、民族学校ですね。あそこでこれまで行われてきた反日教育、コレに対して日本政府が何も言わないっていうのは明らかに間違ってますね。反日教育っていうのは何かって言ったら虚偽の歴史を教えて日本に対する憎しみを煽りたてていると・・・
そんな反日教育を受けてませんよと彼らは言うんですけども、実際に彼らの教科書見れば一目瞭然ですね。過去にずーと過去にさかのぼって韓国、朝鮮っていうのは日本に文化を伝えた大恩ある国家であると、それを秀吉にしても日帝36年にしても恩を仇で返すような真似をしてこんな酷いことばかりやりましたって、韓国の教科書、歴史教科書っていうのはほとんどそれに集中しているんですね。そういうものを今、韓国の教科書って言いましたけども在日朝鮮学校、民族学校ですね。同じものが使われてますからね、それをずーと教えてこられて、じゃぁ日本に対して愛着を持てるかっていったら持てるわけがないんですよ、そんなもの。そこをですね。日本の政府のほうがほったらかしにしていていいのかとそのように私は思いますね。
司会者: どうですか?そっちのほうは
みや東亜: えーとまず、教育に関していえば、入試ですね。例えば、日本の入試、外国語にですね、センター試験にはですね、五ヶ国語入っているんですけども韓国語が入っています。
それで、韓国の入試には外国語に日本語が入っていません。(注2)
司会者: なんででしょうね。普通は相互に入るっていうのが普通ですけどもね。
みや東亜: 一応、取り決めのときには相互でやるということになりまして、日本がスタートしましたけども韓国側は未だ、スタートしてないと・・
司会者: 結局、嘘ついてることになりますね。
う~ん、あのね、わたしね。別にね。殊更、狙い撃ちっていうか、そういうものはないんだけども例えば、山手線とかですね。なんだかしらないけどやたらと最近ね。駅の表示にね。ハングルが書いてあるんですよ。そんなね、例えば在日の人たちはですね。いるとしても日本語読める人、ほとんどですよね。ということは何でそんなね。韓国から観光客が多いからといっても 台湾だって多いし、他のとこだって、アメリカからだって多いわけですし、英語はまぁある種の共通語になってるからあれなんだけどもやたらととにかくそういうおもねるような感じのね。じゃ、日本の人が韓国行ったら書いてあるかっていったら書いてないですよね。ほんとに観光地のところにちょっと書いてあるだけってことなんですどもね。ちょっとやはり我々の日本国民の姿勢というのがいわゆる朝鮮半島の人々に対するのがですね、ちょっと異常な感じがするんですね。
教育の問題と今言った特別永住許可っていう措置ですね。一番よく言われるのが、我々少し分かっている部分があるんですけども見ている方のためにこの特別永住措置っていうのはですね。これはあれでしょ。迷惑かけたからといういわゆる何ていうですか?贖罪意識のほうから特別待遇ということになっているんでしょ。
みや東亜: いやそういうわけじゃないですよ
えーとあれは朝鮮戦争のですね避難民なんです。
司会者: あっそうでしたね。
みや東亜: 朝鮮戦争ってのは未だに終わってないんですよ、実は。
そのためにあの38度線にJSAというのがありまして国連軍がまだ頑張っている。
司会者: そうでしたね。
これも私ちょっとあれだったんですけどね、つまり難民なんですね
ドロンパ: いや難民とはいえその例えば誰も彼にも特永が与えられるわけではないですよね。
ですから私はまずこの特例措置はとにかく止めていただきたいと思います。
これ他の外国人に対する明らかな差別ですから。
司会者: いや全くその通り。いやそれなんですよ。
それがほんと正論でね。うちはフィリピンチャンネルもやってますから。
フィリピン人なんて酷いもんですよ。
ほんとに、あの人達今在日の方達あれも結構垣根低いんでしょあの帰化するの。
非常に低いし、例えば日本で商売する事も韓国で商売する事も両方ともできる。
非常にプラスになるわけですね。商売上も都合が良いいうことなんですけども。
あのー今、なぜその特例をはずされないからというといわゆるまだ北朝鮮と韓国が睨み合ってるからと、いうような理由なんですか?
みや東亜: 戦争継続状態ですね。
ドロンパ: それは昔の理由であって今はたぶん違いますね明らかに。
司会者: 全然違いますよね。
ドロンパ: はっきり言えばあの差別問題とかですね特別なその意識問題というところにかかってるんですよね。ですから今私が言ったような特例廃止しろと言うと必ずと言って良いほど
その在日の組織というのは騒ぎますから。お前の言ってるのは差別だと。(注3)
司会者: いやじゃなくてあれでしょうね、ほら、そうなんですね。
向こうは言うでしょうけど。現実に言ったらね、特別あのーね最高の状態にしてるわけですからね。あのあれですかそうするとちょっと私は詳しくないんで聞きたいんですけど38度線がなくなればそれがなくなるという規定なんですか?期間は設けられてないですか?
みや東亜: いや設けられてません。作ったその時点では一応難民であるという事で3代までという事だったんですけど実際もう4世が出てですねそれで改正なってるんですよ。
司会者: 恐ろしい・・あれですね。
それともう一つはあれですねもうノーベル賞もらっちゃってですね金大中とですね金正日がですねもう抱き合っちゃってねやってるくらいですから、もうそんなもちろん国境線はありますしね危険な状態であるかもわかりませんけどもう全然状況違ってますよね。それともう一つ私は素朴な質問したいんですけどよくまだまだ強制連行されて来たんだとこちらにいるまぁ在日朝鮮韓国の方は、そういう歴史的背景があるからそういうある優遇措置をしなけばいけないと、これにちょっと反論していただきたいんですけど。
みや東亜: はい、でまず強制連行の定義ですけども徴用と言った場合あのこれはですね日本はしました。あの国内徴用ということでしました。(注4)
司会者: まぁ日本人もみんなね。
みや東亜: あと女子挺身隊ということで朝鮮の女学校の方が日本にですね来ました。これも事実です。
司会者: これなんか売春させられたと言ってますね。
みや東亜: あのー韓国のですね慰安婦問題の協会名は挺身協というんですね。
司会者: 挺身協、はい挺身隊協会という・・
みや東亜: ようするにですね向こうでは挺身隊と俗に言うそういう従軍慰安婦に関して混同してしまってるんです。(注意5)
みや東亜: ということはあれですか挺身隊というのはいわゆる工場労働とかいろいろなところでそういうまぁ徴用ですよね。
司会者: いや徴用じゃないんですあれは全部志願なんです。
みや東亜: あ志願なんですかこれも大事な事ですよね。
ということはえーまず行った人たちが志願して来た人たちが実は従軍慰安婦と称されるあのこれもまたあとでお話聞きたいんですけど、この人たちと混同されている。挺身というと身を挺すと書くから売春の体を売るほうにずらしちゃってる。これは全く違うもんですよね、これ。
司会者: であの名古屋の訴訟がまぁ控訴審あのやってるんですけどもこれはようするに間違ったとそういうふうに韓国でそういうふうに間違われたのでそれの名誉回復してくれというのが主題になってるんですよね。
みや東亜: 間違ったのは我々のせいじゃないからね。韓国報道とかそっちの方ですからね。
結局挺身隊というのはそういうものだったという、なんかどっかで聞いたら訳し方がね
挺身隊が従軍慰安婦と出てくるとどっかで聞いたことあるんですけどね。
そういうふうになっちゃってるんですね、挺身隊即従軍慰安婦と。
これがまずそういう人たちは志願で来たと。それからまぁあれですねあの挺身隊は志願で来た。
みや東亜: ですから女性の徴用というのはないんですよ。でなおかつそういうまぁ挺身隊で来た方々は全てあのGHQのですね命令によっての無料帰国船で帰国されてますので国内にいるはずがないんですね。
司会者: 希望者は全員帰れたんですよね。
みや東亜: はい
司会者: これは間違いないことなんですよね。
ドロンパ: それがさっきの在日のと関わってくるんですけども要するにあの日本の敗戦を迎えた後朝鮮半島にどうぞお帰りくださいと、みなさんあのーねこっちに無理やり連れて来られたと言うんだったらどうぞお帰りくださいと言って帰還船まで出しているのに帰ってないんですよね。
司会者: 帰りたくないんですよね。
ドロンパ: はっきり言えばその通りですね。
みや東亜: 逆にですね日本国内は空襲で丸焼けなんですよ、朝鮮半島は空襲受けてないんですよね。
資産が丸々残ってますからそういう状態でいるにも関わらず帰ってないんですよ。
司会者: それはあえて聞きますけどなんでなんでしょう?
ドロンパ: やはりメリットがあると。
結局日本で働いてまぁある程度資産を作ったとその資産を丸々朝鮮半島に持っていけなかったという部分もあるとは思うけれどもやはり日本で暮らしやすかったというのが一番でしょうね。それしかないんですよ。
みや東亜: でも200円ですからね当時で持ち出し制限が、で強制連行されて奴隷的な扱いを受けてなんでそんなにお金残るんですかね。
司会者: それがまずそういう事なんですよ。
例えばねちょっとこれまぁもっときちんとやらないといけないんですけど例えば従軍慰安婦と言われるねあのーこれ前にドロンパさん言ってた従軍売春婦ですか?
ドロンパ: 売春婦ですねこれは。
司会者: 従軍売春婦と言った方が良いと思うんですね。あの慰安婦というといかにもなんかね慰安婦は確かにいたんですけどね従軍と付くのはいなかったんですけどもこの人たちがだいたいどこでもまるであの報道によるとたこ部屋に押し込められてとにかく毎日毎日男相手させられてお金一銭ももらってないというんですけどもそういうイメージで語られてる。ところがずいぶんお金もらってるんですね。私ねインドネシアで前に行った人に聞いたらえーと兵隊一円なんか下士官三円とかね将校五円とか聞いた事あるんですね。
てことはその当時三百円でですねそれなりの家が建ったと誰かこれ言ってましたね。
えっと渡部昇一先生か。渡部昇一先生は秋田の出身ですけどあのだいたいあの家がね三万円なんか請求したやつがいるとその時代のね従軍慰安婦として、そんなお金を取り戻せって言うんだけれど当事三万円あったら百軒だかなんだか家が建ったと言うんですね。
ドロンパ: あのー今の話繰り返しというか説明になっちゃうんですけども
結局この彼らがまず韓国人ですね、慰安婦という言葉をどういう意味で使ってるかって言うと軍用性奴隷なんですね。
司会者: 軍用性奴隷。
ドロンパ: そうです要するに軍人にもう奴隷化されたその性に対して奴隷化されたという意味で使ってるわけですね。ですから私はそれ絶対に違うと事実と照らし合わせてそれは違うだということで従軍売春婦という言葉を使ってるんですね。
で先ほど言われてたお金の件ですねこれ正確には26,145円ですね。
この返還請求っていうのは貯金返還請求ですね。でこれは従軍売春婦の方が一人やられてるんですね。でこの方の額を考えていただきたいんですけどもこの方がですね1943年からですか43年から45年の3年足らずの間にこの26,145円というのを売春料で溜め込んでるんですね。これは本人が言ってるわけだから間違いないわけですね。
で、当時の陸軍大将の給料、年収というのがだいたい6600円、3年やっても2万円届かないですよ。わずか3年足らずで2万6135円、今のお金に換算するとですね。まぁ、戦後のインフレーションがあったので難しいんですけども、だいたい8千万から1億くらい、まぁ、それ以上かもしれないですけども、それぐらいだと言われているんですよ。
それだけ金をもらうですね、まぁ言ってみればその使役する側より奴隷のほうがですね、金持ってるなんてことがありえるのかと、
司会者: 性奴隷っていうね、金持ち性奴隷っていうのも妙な感じですよね。
みや東亜: 左翼がですね、言葉創るのが得意なんですよね。性奴隷ですから「Sex Slave」、まぁ「Military Sex Slave」でいいんですかね、本当は「Comfort Woman」とかですね、「Camp Follower」っていうのが正しいですけどもそういう言葉のすり替えですね。
司会者: 「Slave」っていうのが言いたいんですね。
みや東亜: はい
司会者: いや、私もね、一応、文学部出で、物書きも関わっているからいうんだけどもなんかね、「性奴隷」とかっていうとね、昔、30年前の「ロマンポルノ」とかね、やってるようなね、非常に猥褻なね、汚らしい感じがね、つまり言葉自体が持ってるのを非常に感じますね。なんかそのためにやってるでしょうけどね。
みや東亜: あ、ナチスにはですね、実際、「性奴隷」いたんですよ。
肩にですね、刺青で番号入れられてですね、管理されたところに入れられて、そういう本当の「性奴隷」がいたのでそれと混同させたいんだと思います。
司会者: あ、ダブらせたいんだ。
みや東亜: そうです。
司会者: やっぱり、一番わかりやすいのは「従軍売春婦」ですね。
ドロンパ: そうですね。
司会者: まぁ、従軍ってつけなくてもいいんですけどね、でも本当に「従軍売春婦」ですよね、付いてまわったわけだから、
ただ、まぁこれもよく言われることなんですけども軍がどういうふうに関わったかということなんですけどもこれもちょっとお聞きしたいんですけども
えっとその前にいわゆる私は強制的にね、集めたっていうおじさんがいたじゃないですか?おじさんがね、朝日新聞が流行らせた、
いつの間にか口をつぐんじゃったけれども
あの済州島で集めたっていう、これもちょっとお話いただけますかね、
みや東亜: あれはですね、済州島でトラックでそこらじゅうから人間狩りやったっていう話ですよね。
司会者: それで集めて従軍慰安婦にしちゃったというような話で、私はとんでもないことをしてしまったという、それでみんなから良心的な人だと、よく言ってくれたと・・とかいうものを言ってくれた人ですよね。
ドロンパ: まぁこの従軍売春婦問題が韓国で大騒ぎになったのはまさにこの本なんですね。この本が出版されたのが1983年でして、この後から騒ぎが大きくなったと、
じゃ、ここで考えてほしいのはその前はどうだったのか、というと、
まぁ、韓国がアメリカ軍政庁から独立したのが1948年ですので、そこから数えて35年、そこから数えて35年、35年誰一人としてこの問題を取り上げていないんですよ、韓国では、政治家もマスコミもそして本人も、その家族も
こんなことが本当にありえるのかと、もしその性奴隷っていうのが事実だとして、
周りの人が誰も知らないと、そんなことあり得ないんですよね、
司会者: ありえませんね。それも韓国全土でね。
ドロンパ: そうですね。
司会者: それともう一つはちゃんと秦教授が行って調べてみたらとんでもないと
逆に怒られたとそんなことないよ。といったいなんなんだといったことらしんですけども
これに象徴されるようにはっきり売春婦だった人たちがなぜ、騒いだりするんですかね。
ドロンパ: まぁ、あのちょっと言葉は悪いんですけども当時は金欲しさにセックスをしてですね。今は年金欲しさに日本にゆすりたかりやっているとハッキリ言えばこれしか言い様がないんですね。
司会者: なるほどねぇ~ う~む。
ドロンパ: まぁ、さっきの付け加えなんですけども秦教授だけではなくてその従軍売春婦問題、この吉田清治の「私の戦争犯罪」というこの本ですね、この本に関しては済州新聞という韓国の新聞、自らがですね、検証を行っているんですよ、それで1989年の8月14日付けの署名記事で、これは実際に済州新聞が済州島に行って確認をして虚偽であるということを暴露しているんですね。自ら、そういう事実はなかったと、
司会者: 済州新聞っていうのは済州島の新聞?
ドロンパ: そうですね。
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by thinkpod | 2006-09-21 19:41 | 半島
2006年 09月 21日

李氏朝鮮、在日特集

司会者: 現地の新聞がそういうことを言ってるというわけなんですけども
いかにそういう意味では朝日新聞なんかがガンガンね、良心の人みたいな形でやっていましたから、この辺の認識というものの一つの例なんでしょうけども・・
実は朝鮮半島は、いわゆる彼らの言葉なんですけども併合なんですけども、
みやさんあれなんでしょ?植民地支配とかよく言われるけども実際は違うわけなんですよね。
みや東亜: 植民地支配と言われているのは、全くの間違いとは言いませんけども
植民地というなら、非常に幸福な植民地支配ですね。
司会者: う~ん。そうなんですよ。ここを言いたいのは北朝鮮も韓国もですね、なんか、「あの植民地支配」っていうね、「日帝の支配」のおかげでね、もう、全然、韓国は発展もできなかったっていうんですよね。この「痛み、苦しみ」いったいどうしてくれるんだというような言い方するわけなんですよ。それで、極端なやつだと辻元清美さんみたいなね人が言うように、あの苦しみに比べれば拉致問題も5人や6人ととんでもないことを言う女がいたんですけども、これ実際はどうだったのか、お二人いろいろ研究なさっているんでね、聞きたいと思うんですけども、まずどうですか?
みや東亜 例えばですね。まぁ植民地といえば人頭税、児童労働、モノプランテーション、プランテーションですね。それをやって、搾取すると・・・
司会者: 収奪しまくるというのが基本ですね。
みや東亜: そうですね。
児童労働、日帝、禁止しました。人頭税、実は朝鮮半島では、無税です。
司会者: 最高ですね。地上の天国ですね。
みや東亜: プランテーション造るにもそういうところではできないと・・・
司会者: できないですよね。あそこでは
と、いうことで別にね、ちょっと、いわゆる一般論でいう植民地支配というのとでは、まぁ、イギリスやフランスがやったものとでは全然違うことが行われてきた。
ということはですね、私は一番ハッキリ言って調べるのがいいのは、日帝支配といわれる時代のやったこととその前の時代はどうだったのか、
これはどうなんですか?
ドロンパ: あの~、それはですね、データでですね、一番わかりやすく示されるのは人口と寿命なんですよ。で、まぁ1910年の時点でだいたい1300万人ぐらいの朝鮮半島の人口が1944年、日本の敗戦の一年手前ですね。これでだいたい2500万人
司会者: 2倍ですね。
ドロンパ: 約2倍まで増えてるんですよ。ただ人口が増えたというだけではなくて寿命をみてみると1910年以前というとだいたい24歳、実はこの数字一つ見ても李朝というのがいかに酷い社会であったかというのがわかると思うんですよ。
24歳ですよ。これ、24歳というのがいかに低いかというと例えば安土・桃山時代ぐらいの日本というのを考えていただきたいんですよ。「敦盛」というの歌はご存知ですかね?
司会者: はい
ドロンパ: 「人生五十年、下天(天上界で四天王の住む部分。一昼夜が人間界の50年に当たる)の内とくらぶれば」ってありますけども、あの当時でさえ、人生50年なんですよ。
それが李朝、日本でいえば明治期ですよね。このあたりで24歳なんです。それが日本が併合した(併合末期の)1940年以降っていうのは、だいたい47歳くらいまで寿命が延びているんですよ。(注6)
司会者: だいたい、2倍ですね。
ドロンパ: 人口が延びて、なおかつ寿命が延びるということがどういうことっていうことが当然のことながら、人間っていうのは生きるためにはカロリーが必要なんですよね。
司会者: 食料ですよね。
ドロンパ: カロリーっていうのは人間の口からしか入れられませんから当然、食料が必要になってくる。その食料が当然のことながらこの人たちを養っていく食料っていうのは延びるわけですね。
司会者: 2倍以上、延びてますものね。
ドロンパ: 実際には3倍以上延びてるですね、穀物生産量というのは・・・
で、それだけじゃなくて医療ですね。まぁ、李朝時代というのは赤痢・チフス・コレラ・・ 実は今でもこれらっていうのは韓国でも結構流行るんですけども、李朝時代っていうのはこれが蔓延してたんですね。
それを日本が近代医療を取り入れることによって、まぁ併合後、たしか10年くらいで完全に抑えきっているんですよ。
でまた、日本が併合やめた後は赤痢・チフス・コレラが流行だすっていう皮肉な結果になってるんですけども、そういった医療、それから教育ですね、インフラ、ありとあらゆる
いろんな要素が組み合わさって人口も延びるし、寿命も延びるということなんですね。
司会者: そうですね。実際に、ただ単に延びただけではないですもんね、物が全部、こう
住む場所、着るもの、食べるもの、衣食住全部こう2倍以上の少なくともこうもっと豊かにきちんと育てないと育ちませんもんね。
ドロンパ: 工業だけ見ると、例えば李朝時代は一番主な産業というのは繊維とかあのあたりなんですね。で、その軽工業といわれているものが日本が併合した後、重工業に変わっている国内社会自体が、これ一つ見てもですね、日本というのが朝鮮半島にいかにですね、そのなんというか「搾取」とかですね、そういう意味ではなくて貢献してきたかというのがわかると思うんですよ。ただ、それに感謝しろとか言ってるわけではなくて、その功績は功績として認めなさいということなんですね。そうすれば一方的なですね、日本批判っていうのはそう起こらないと私は思うんですね。
司会者: 事実をまず、認めるということですね。
ドロンパ: そうですね。
みや東亜: 事実に関してですけども李朝時代っていうのがですね、どれだけ酷いかっていうのがですね、こういう本があるんですが。。。
司会者: これ、わりと有名な本ですよね。
みや東亜: イザベラ・バードのですね、「朝鮮紀行」というのがあるんですけども、この辺は日本語で訳されていますけども、原書は英語なんですけども、韓国ではハングル訳が出てないんです。

司会者: あ、そうなんですか。
みや東亜: はい、こういう貴重な資料というか当時を知る資料というのが全く出てないんですよね。
司会者: それは無理にねらって出してないということですか?
みや東亜: これはですね、やはりあの出してないというか。反発を恐れてるんでしょうね。
司会者: そうですね。
みや東亜: 例えばですね、他のダレ神父(「朝鮮教会史序論」「朝鮮事情」著者)とかですね、そういう、後、「韓国滅亡」とかいろいろあるんですけどもいっさい出てません。韓国では
司会者: なるほど、ということは、この朝鮮紀行というこの文庫本だと東洋文庫のと平凡社のと講談社の学術文庫ですね。それで出てるんですけども
これは、いろいろうちの掲示板とかでですね、評判になってる本なんですけども
これ、みやさんどういう本なのか一応簡単に説明いただけますか?
みや東亜: 簡単に言いますと、あの~いかにですね、
ソウルが世界最悪の都市であったかということが詳しく書いてあります。
司会者: そうですか。
みや東亜: あと、この方、日本から朝鮮半島に行ったんですけども
司会者: イギリス人なんですね。
みや東亜: はい、日本の風光明媚な自然と釜山に着いてですね、禿山だらけで愕然としてるんですね。その時点で、それで禿山の中に一部残ってるんですよ。樹林が。
それ何かっていうと、なんと加藤清正が植林した後なんですよ。(注7)
司会者: なるほどねぇ~。たとえ、まだ一応、みなさんのために確認すると、これはまだ併合前、李朝時代ですね。
みや東亜: そうです。1895年のことですから。
司会者: そしたら禿山だらけと、その様子はどうなんですか、実際の描写は?
みや東亜: ソウルの街角はですね、もう汚物だらけと、言うのがもうはばかる状態ということですね。
司会者: もう不潔だったと、
みや東亜: それで非常にイギリス人の女流の紀行作家で、非常に公平なんですよ。目が、
例えば他の沿海州ですとか、天津とかと見比べての話ですから・・
司会者: あっそうか、別にここだけ目の敵にしてっていうわけではないんですね。
みや東亜: はい、そういうことではないんです。
司会者: なるほど、まぁそういうとにかくハッキリ言うと悲惨な状況・・・
人々については書いてあるんですか?
みや東亜: はい、あとシャーマニズムについてですとか、あの閔妃の暗殺事件も書いてますし、
司会者: それとあれですか?人々の暮らしとかについては書いてあるんですか?
どんな程度っていうか・・・?
みや東亜: 中に写真もありますが、もう、ものすごいです。
司会者: ものすごいっていうと
みや東亜: たぶん、日本でいいますと私は見たことありませんが、黒澤明の「羅生門」の世界。
あれを想像していただければわかると思うんですよね。
司会者: なるほどね。すさまじいですよね。
みや東亜: すさまじいです。
司会者: 映画を見ていただかないと分からないですけどもまぁとにかく乱れきった、とにかく人を喰いというかですね、そのくらいの悲惨な状況ということですよね。
司会者: これはもう、もちろんお読みになったんですか?
ドロンパ: はい、読みました
司会者: どんな感じ持ってますか?
ドロンパ: もう、おっしゃった通りですね。
で、あのこれをですね、一度、ご覧になってるみなさんにもですね、読んでいただいてその上でですね、朝鮮併合が行われた後のことも知っていただきたいんですね。
それで見比べれば、どっちがましな世界だったかなんて子供でもわかることであって
わからないのは韓国人だけなんですけども
司会者: あの、まぁそういう、まぁちょっとそのある意味で失礼な言い方に聞こえるかもわかりませんけれども、ものを見たらとてもに嫌になっちゃうんじゃないかという、本当のことを知ったらね、逆に、というのは歴史的に、ちょっとまぁこれは民族、他民族を貶めるつもりないですけどもやっぱり朝鮮半島という非常に難しい場所に住む人たちにとって大陸の帝国、国家ですね、それとまぁ日本という国にはさまれた間になっているという、そうした時、一回もまともに私の記憶している限り、まともに自立したことのない国ですよね。非常にそういう意味では偉そうな言い方をさせてもらえばお気の毒な場所というか、人たちというかね。それで、また現実見ちゃったら、それはもうつらいんじゃないですか?
ドロンパ: 朝鮮紀行を読めばわかるんですが、もう国家としての体をなしてないんですね。
たとえば中に書かれてあるんですけれども
穴あき銭、だから、もう銭しかないわけですね。貨幣流通も小判もなければ紙幣もない、何にもない、ただの穴あき銭、それでイザベラ・バードが旅をするときに当然、お金を持たなくてはいけない。持って行くときに当然そのお金自体をこういう形(担いで)持って行く。とんでもない・・・
司会者: あぁ、穴あき銭をね。昔、原始家族ってあったけどね。石のあの・・
ドロンパ: ってことは逆に経済として見たときに明らかに機能してないわけですね。国家として、で、そういったものがずーと続いていてにっちもさっちも行かない状態になったときにイ・ワンヨン、まぁ李完用首相ですね。当時の、韓国では李完用首相っていうのは「乙巳(ウルサ)の五賊」とかですね。「逆賊」ですね。もう、一番の悪党扱いなんですけども、私は朝鮮史上、最高の名宰相だと思ってるんですけども、この方は当時としては2つしか選択肢はなかったと、ロシアのもう属州になるか、属国じゃない、属州ですよ、あれはもう、属州になるか日本と併合するか、どっちかしか選べなかったときに李完用首相は日本と併合するのを選んだわけですね。で、この結果として後の朝鮮半島っていうのは一気に近代化が進んでいった。その結果を見ればですね。併合というのは本当はどういうものであったのか、というのはですね。朝鮮jinの人たちが公平に見ないといけないんですね。なんにも日本人が好き好んでこんないいことやりました。こんないいことやりましたって言う必要はないんですけどもただ、彼らがあまりにも虚偽、捏造、歪曲で、「日本はこんな悪いことをしました。」「こんな悪いことをした」とだから、お前ら謝れ謝れとこれ60年やってるわけですよ。もう、いい加減にしろ、とそういうことですね。
司会者: そうですね。まぁある意味でいうとイメージとしては今の北朝鮮の300万人くらい餓死が出たりですね。自由もない、それから食べるものもない、まぁいわゆる国民経済というのはシステムももう崩壊してしまっているというあぁいうイメージなんですかね。
ドロンパ: あれより酷いですね。ハッキリ言えば
司会者: あれより酷かった?
ドロンパ: あれより酷い、今の北朝鮮を国家として機能してるかと見て、してます。と言う人は、まず、いませんよね。あれより酷い状況だったときに当時の最高権力者であった李完用首相が下した決断っていうのがどうであったかと、そこを考えてほしいんですよね。
司会者: そうですよね。
みや東亜: 実際、反対した人っていうのはいないんですよ。
例えば併合に関して言えば、反対運動、まったく起きていないんですよね。
で、賛成の運動はまぁ有名な100万人の一進会というのがありまして、そこが併合の前年に上奏文を高宗に上げてますんで、反対した人いないんです。
で尚且つですね。金玉均と言う人がですね、上海で暗殺されているんですけども、その暗殺した犯人が洪・・洪鐘宇とか言う人なんですけども。その人はもう完全に王党派なんですよね。
その人が、こんな国王を頂いて国が滅ばないのは僥倖(ぎょうこう)だ、と。幸せであると、日本に併合してもらっても、国は滅んでも、民族は滅ばないって言うことを言ってるんですよね。

司会者: なるほどね。まぁそういう意味では、こういう事実ですね。ということが知られたのが、よく巷でいわれる。ちょっと関連して言いますとですね、北朝鮮、我々ちょうど昭和30年代に小学校の教育受けたときは、韓国は農業国、北は工業国ってね、教わったんですよ。電気やダムもあってて教わったんですよ。我々は、日本の教育ですよ。戦後の教育で。ということはそれは全部、日本のインフラですよね。
みや東亜: そうです。
ドロンパ: 基本的に今の北朝鮮地域に工業が集中的に置かれたというのは間違いないんですよ。でも問題なのはそれを朝鮮戦争で勝手に両国同士で殺し合い、同族同士で殺しあって、自分たちで破壊してしまったっていう、まずそれだけなんですね。だからもし、あのまま残っていたらですね。ひょっとしたら日本への見方も少しは変わったんではないかと私は思うんですけどもね。
司会者: それと、あの~例えばよく言われるんですけどもサンフランシスコ平和条約のね、講和条約の条件で、もしですね。こんなことはないんでしょうけども北朝鮮と平和条約を結ぶなら約8兆9千億、返してもらわなくてはいけないということを言われるんですけどもあれは本当なんですか?
みや東亜: はい、そうですね。
司会者: と、いうことも知られてないんですね。
ドロンパ: ちょうどお金の話が出たのであれなんですけども崔 基鎬(チェ・ケイホ)さんという加耶大学の客員教授の方がいらっしゃいまして、その方があの「日韓併合」という本の中でですね、この朝鮮併合時の朝鮮半島にですよ。日本政府がですよ。民間ちょっと置いといて、政府がいったいいくらのお金を突っ込んだのかというのを出してるんですね。数字で、今のお金に直すとだいたい60兆円くらい
司会者: あぁ~それすごいお金になりますね。
ドロンパ: それ、韓国人の方が調べてですよ。で、さらにそこに民間というものを加えるとおそらく80兆円くらいだったんではないかと私はそのように計算しているんですけども。
司会者: 今年の日本の、81兆円でしょ。予算案が、現在のね。
ドロンパ: それをまるまる朝鮮半島に40年間、つっこんでしまったんですね。
つっこんでしまって当然のことながら返してもらえない。
返してもらえないどころか経済協力という形でさらにお金を渡している
司会者: う~ん、なんとかに追い銭みたいな。
ドロンパ: それは今ちょっと日韓基本条約の件で韓国では大騒ぎになっているんですけどもね。
その日韓基本条約っていうのが結ばれた経緯というのがやっとすこしずつ明らかになってきて今年の8月15日までに全部明らかにするってことに韓国政府が決めたみたいですけども
司会者: まぁそういう意味でもさっき言った、例えばハングルの問題ありますよね。日本がね、言葉を奪い、それから、みんな奪ったというね、ことになっているんですけども・・
教育の問題についてはどうなんですか?
みや東亜: はい、まず、ハングルですけども奪ったっていうのは大嘘で、近代ハングルを創った人っていうのは実は福沢諭吉なんですよ。
司会者: あっそうですか。
みや東亜: えぇ、福沢諭吉の弟子のですね、井上角五郎って人がですね、日本でハングルの活字を作ってですね。それを朝鮮半島、ソウルに持っていって新聞を創ったのが、近代ハングルの始まりなんですね。(注8)
司会者: あぁ、ということは日本の進めによって、そのまぁ取り戻したってことなんですね。どっちかって言うと民族的な文字をですね。
ドロンパ: それ、『漢城旬報』っていうですね。朝鮮半島で一番最初の漢字混じりハングル新聞なんです。
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by thinkpod | 2006-09-21 19:41 | 半島
2006年 09月 21日

李氏朝鮮、在日特集


司会者: なるほど、うぅん
ということも全然違いますね。
まぁそれからよく皇民教育を行ったっていうんだけどもそれも日本の国内だってみんな皇
民教育行っていたわけだからね、みんな同じだっていうね。ことなんだけれども・・・うぅん
ドロンパ: そのハングルっていうのは世宗大王が、まぁ400年くらい前に作ったといわれていまして、これは何のために作ったかというと漢字の読めない愚民のために作りました。って最初に書いてあるんです。実際に、愚民だと書いてあるんですよ。で、このハングルっていうのが作られて以降ですね、李朝で一度といえども公文書でこのハングル使われたことがありません。(注9)
みや東亜: あっ、あの公文書で出たのが最初はですね。1895年の断髪令なんですよ。
司会者: 大分、後ろいってからですね。
ドロンパ: あっ、あら
みや東亜: 断髪令のときに一応、要するに一般民衆にわかるようにということでですね。ハングルで出てますね。
ドロンパ: まぁ、そちらの部分だけでなくても本当の意味での公文書ですね。内部機関と言う形では、ないんですね。全部、必ず漢文になっているんですよ。で、ようやくあのぉ~、なぜそうなったかというと、当時の知識人たちがハングルというのは婦女子の文字、無識の文字であって、こんなもの恥ずかしくて使うべきではないと言ってるわけなんですね。で、それをはじめて朝鮮全土に広げたのは朝鮮総督府なんですね。
司会者: なるほどねぇ~
ドロンパ: で、それを韓国人たちは認識していないのか、認識してても言わないのか、どっちかなんでしょうけれども
みや東亜: あの最後の両班(ヤンパン)っていうのは安重根なんですよ。
安重根っていう方はですね。あの人はですね、ハングル書いた記録がないんです。(注10)
司会者: ・・・あっそうなんですか?
あぁ~
司会者: まぁ安重根ってみなさん、もちろんご存知だと思いますけれども
あの伊藤博文をですね。まぁ殺したというかですね。暗殺した人ですね。
みや東亜: それで彼の自叙伝、最後に旅順監獄で書いてあるんですけれども「安応七歴史」と言うのを書いてるんですけどもこれも全部漢文ですね。
司会者: そうなんですか?
みや東亜: はい
司会者: こういうの本当にいろいろ聞いてみたくなりますけども
ねぇ、どうなんだろう、こういう事実って
ドロンパ: その安重根にしても結局、伊藤博文をですね、暗殺したことによって併合加速させてしまっているんですね。で、伊藤博文っていうと韓国では悪人中の悪人で、あいつが併合を無理やりやったんだというふうに言われてますけれども、実際、逆ですからね、あの人は併合はするな。と反対だったんですね。もし、あの人は最初から併合だと言うんだったら1905年の保護条約なんて必要ないんですよ。いきなり、そのまま、何ていうんですかね、併合条約にしてしまって併合してまえばいいだけの話ですよね。
そうならなかったのは伊藤博文のおかげなんですね。そして伊藤公がなんでそういうことをしたかというと一言でいうと朝鮮半島なんか併合したらですね。日本がいったい金をどれだけ突っ込むかわからないと、貧乏国家の日本にそんな金、どこにあるんだっていうので反対したんですよ、あの人は最初ですね。それでその言葉が正しかったかどうかいうのはもう戦後見ればわかりますよね。80兆の金をつぎ込んでしまって、全部消えちゃいましたね。日本。
まぁこれは歴史のifであって言っても仕方がないことなんですけれども もし朝鮮半島というお荷物を日本が抱えてなかったらですね。ひょっとしたら第2次世界大戦、日本は戦わずにすんだかもしれないと、まぁそういうこともあるんじゃないかと言うぐらいですね、日本は金つっこんでるわけですね。
だから搾取された言うんであれば朝鮮jinでなくて日本人のほうなんですよ。逆に言えば・・・
司会者: なるほどね。そこがやっぱり同じ併合した台湾との違いが良く出ていますね。なるほど、まぁそういう形の知識の違いがあるんですけど、今例えばご覧になってですね、今韓国というのはかなりね経済的に上になって来ているということ。そして、これは日本が日韓条約に関わったという、相当かかったということがあるから、私たちにもちょっと思うところがあるんですけど、それに関わらなかった北朝鮮の今の悲惨さ、という一種の対比的に分かると思うんですけどね。実際、北の人も分かってるんじゃないですかね。
みや東亜: まあ、そうでしょうね。
司会者: そうすれば韓国並になれるとか。
みや東亜: 実際に、日本が日韓条約の時に協力金として都合8億ですか、8億ドル払ってますけれども、実はそれ以前にですね、アメリカは援助してるんですよ。毎年2億から3億ドル、これもう10年以上やってるから、莫大な金額をですね、援助してるんです。それでも要するにですね、Take Out(Take Offの誤り)しなかったんですよ。で、日本がその8億ドルで資本財を向こうに入れたと、アメリカの8億・・
司会者: 2億毎年・・
みや東亜: アメリカのそういう援助は食糧援助と軍事援助ですから、食って終わりですよ。で、日本の8億というのは要するに
司会者: 生産的なあれだったと
みや東亜: 生産的なものであると。それを突っ込んだおかげで「漢江(ハンガン)の奇跡」というのがある。
司会者: う~ん、なるほど。
ドロンパ: それはあの、朴正煕(パクチョンヒ)大統領が認めてますからね。韓国が近代化したのは、まぁ日本のおかげであると、はっきり言ってるんですけども、当然のことながら無茶苦茶言われてますね、韓国では親日派で
司会者: 今やひどいですね。つい最近の報道だと、朴正煕(パクチョンヒ)大統領が日本の歌謡曲歌手を置いて、日本語ばっかりで、それで飲んだくれて、それで女好きでって、もうボロクソですね。
ドロンパ: 気に入らない、自分たちと意見が合わない気に入らないものはみんなそうするんですよね、韓国の人っていうのは。
司会者: 当然やっぱり、はっきりこれはもう周りの皆が見ているのは、朴正煕(パクチョンヒ)大統領の所謂、開発独裁と言われてるけども、あのおかげでやっぱり離陸したというかですね、あの、日本の援助等を決断してですね、という風に言われていますよね。
ドロンパ: 今、日韓基本条約で韓国で大騒ぎになってるのは、結局その当時の韓国政府が日本政府と交渉した時に、本当は日本政府は「じゃ、個人に渡しましょう」って言ったお金を、「私たちがやるから全部ちょうだい」って言ったわけですね。で、本来だったら当然韓国政府の責任で個人に、韓国民に渡さなきゃいけないお金を いわゆるその生産性の方に回してしまったと。で、ここがもう大問題になってるんですけども、私はそうは思わないんですよね。結局、そのおかげで韓国ってのが発展して間接的にあの人たちは、みんなその
司会者: 全体をね、ボトムアップしたわけですから。
ドロンパ: 日本からの、言ってみれば補償金、経済協力金って言うのを受け取ってるわけですよ。間接的にですね。だから今騒いで、じゃあ韓国政府に「金くれよ」ってのは、これはもう間違いですね。
司会者: ええ、筋が通らない話ですけどね。まぁ、筋が通らないというのが、あの国のあれなんじゃないかって。残念なんですけどね。あの、まぁ、ああいう事なんですけど。大体もう、残りが少なくなって来たんで。あっと言う間でしょう?
ドロンパ: そうですね。
司会者: 休憩、飛ばしたんですけどね。えー、まぁ、ちょっとですね、今現在のね、やっぱり問題点と。まぁ、色々問題たくさんあると思うんですけど、これからのこともちょっと話してみたいんですけどもね。どうですか?みやさん。
みや東亜: ええ、私はですね、北朝鮮情勢で統一朝鮮が出来てしまった時にですね、韓国は崩壊しますから。そのあおりが来るのが心配ですね。
司会者: うーん、それは言えますねぇ。どうですか?
ドロンパ: あのー、現実問題としてですね、我々はもうその朝鮮半島と向き合って行かなきゃいけないわけですよ。で、その時に、やはりあのー、韓国の人たちが、まぁ我々に指してですね、「日帝36年、もうこの間に本当に日本はひどいことをしたんだ」と、「あーでも無い、こーでも無い」とわめき散らすと、で、「あなたたちのおじいさん、ひいおじいさんは、みんな強姦魔だ、殺人鬼だ」と言っているわけですね。で、これに対して無条件で、こう頭を下げることが友好だと思う人はですね、日本の中にいるわけですよ。
司会者: まだいますねぇ、たくさん。
ドロンパ: で、こういった人たちがですね、いることで、日本という国がですね、どれだけですね、負債を負って来たか。本来、負う必要が無い負債ですよね、これは明らかに。で、それを、まぁ、これから我々自身がですね、そういった問題、実際に韓国人が言ってくるですね、その日帝36年の問題と真正面から向き合う必要が絶対にあると思うわけですよね。
司会者: そうですねぇ。
ドロンパ: で、その真実をどうやってこれから、じゃあ我々が考えて行くかなんですね。思考停止しないこと、これが一番だと思いますね。
司会者: とにかく、あの、つらい事実だろうけども、朝鮮の人には事実っていうもの、現実ってものを、本当知ってもらう必要がありますね。それはきちっと言わないと、だめですね。
ドロンパ: 朝鮮の人たちだけじゃなくて、我々自身がそうですよね。
司会者: うん、ああそう、我々について。国民が変な教育を受けたりね、あれしていますから。だから本当に、そういう現実あるいは事実というものを、本当にお互いに、さらけ出し合わないとだめですね、これはね。そういう意味では、在日の問題ですね。この、今、約、韓国人だけでも60・70万人いるという。で、毎年2万ずつくらい、何か、あれをしてるんですね。何か、帰化してるらしいんですけど、人数が変わんないってことは韓国から来てるんですね?
みや東亜: ええ、ニューカマーが来てます。
司会者: 入管から。63万人くらい今、
みや東亜: はい。
司会者: ということになって、毎年その数字変わんないんで。つまり2万ずつ帰化している人たちと同時に、また、その、来てるわけですね。
ドロンパ: 韓国に帰還する人もいるんですよ。で、韓国に帰還、まぁ大体、数千人規模でいるんですけども、その人たちのほとんどが一年以内に韓国から日本に戻って来ちゃうんです。「とてもじゃないけど韓国で住めない」っていうので。やはり向こうの差別、もう、これの一言に尽きるそうですね。
司会者: なるほどねぇ。まぁ、それともう一つはやっぱり、「何で帰化しないんだ」と。もう長年ね、日本で生まれて、日本で、日本語しか出来ないっていう人も結構多いみたいなんですけど、これは何なんですかね。
みや東亜: あのー、えーとまず金額的な問題。大体あのー、頼むとですね、50万くらいかかるそうなんですよ、一人。
司会者: あー、あの、帰化するために。ああ。
みや東亜: はい。で、そういう問題もあるんですけども、他には、えーとですねぇ、後は外登証の問題ですね。
司会者: ガイトウショウ?
みや東亜: はい。あの、外国人登録証ですね。
司会者: あー、はいはいはい。
みや東亜: あの名前とですね、本籍の名前と違うんですよ。
司会者: あー、そうか。
みや東亜: それで取り寄せられないと。
司会者: なるほどねぇ。まぁ、でも何とかその辺はっきりさせないといけないですね、これ。まぁ今、在日外国人参政権法案なんていうね、とんでもない法案なんかもなってますしね。えーと、じゃあ、ちょっと最後にですね、これ、まぁ、さっきもちょっと言ってもらいましたけども、あのー、あそこの国とのですね、韓国・北朝鮮との。まぁ、北朝鮮はちょっと論外かも判りませんけれども。韓国との付き合い方、これからどういう風に考えたら良いのだろうって気がするんですけども。日本政府、あるいは日本人としてはですね。どうですか。(注11)
みや東亜: えーと、私はほんと、村八分がいいと思うんですけどもね。
司会者: 村八分?って言うのは、
みや東亜: 戦争以外はですね、あんまり相手にしない方がいいんじゃないかと。
司会者: なるほど。という事は、まぁ、よく、あの、村八分っていうのは、お葬式とか何かの時だけ、一応お付き合いをする。後はほとんど付き合いをしないっていう形ですね。それは、まぁ、村八分ですか。なるほど。どうですか?
ドロンパ: 私もですね、国交凍結っていう話を、
司会者: もっと凄いじゃないですか、それ。
ドロンパ: いえ、断絶では無くて凍結です。
司会者: あー、凍結ですか。
ドロンパ: で、そういうのがいいかなとは思うんですけど、やはり現実的に考えたらですね、今一番必要なのは、「言うべき事はきちんと言う」と。で、それをやらないから、今までズルズルズルズル60年間こんな風になって来てしまったわけですから。で、「60年間だめだったものだから」と言って諦めないで、ここできちんと我々自身も考えて、韓国人たちに対して「違うものは違う」と、はっきり言うことですね。
司会者: まぁね。私もね、ある意味で言うと本当に「クールな関係」っていうかね。あまりその、「友好だ」とか何とか気持ちの悪い言い方しないでですね、事実関係をきちっとして、その中である種の冷静な、何て言うんですか、あの、関係ね。「距離を置いた関係」でいると。まぁ、よく「隣の人は一番仲が悪い」とか言いますからねぇ。やっぱり、そういう「クールな関係というものがいいんじゃないかな」という気がいたします。それから、ほんとに、あのー、「外国人差別は止めてもらいたい」と。つまりは何を言いたいかっていうと、「他の外国人と、韓国・朝鮮の人との差別は止めてもらいたい」という、私は本当にそう言います。特永法ですか?特別永住許可の、こういう問題ももう撤廃すべき時期に本当に来てるんじゃないかと。もう現実的にこれは、あの、私は、拉致問題含めて、えー、スパイ防止法の無い時にですね、ある種の安全保障の問題としても、そういう事を考えるべきだと思います。特に犯罪者なんかは即強制退去ってのは、当り前だと思いますけどもね。はい、えー、という事で、今日はですね、朝鮮問題専門家のお二人に来ていただきましたけど、まだ全然言い足りないでしょ?底が深いですもんね。はい、という事で、またどこか、あの、ちょっとですね、機会をいただきまして、お出でいただきまして、更にお話をいただきたいと思います。えー、これは改めて申し上げますけれども、これはいわゆる、国家や民族を差別するつもりで言っているわけでは無い。我々は、現実を見なきゃいけない。現実を見た上で、いわゆるわが国の国益その他を考えて行かなきゃいけないっていう立場で、考えております。そして、これに反論のある、あるいは、あの、在日朝鮮あるいは韓国の方、いらっしゃいましたら、喜んでお迎えしまして、皆さん含めまして、討論会でも何でもやるつもりです。時間はたっぷり差し上げようと思います。えー、文句のある方は、ここに登場していただいて、ブツブツ文句言ったり、色んな事言うんじゃ無くて、ここに出て堂々と議論をしていただきたいと思うわけで御座います。えー、今日は本当にありがとう御座いました

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by thinkpod | 2006-09-21 19:39 | 半島
2006年 09月 10日

創氏改名

「創氏改名」発言、麻生・自民政調会長が陳謝

 自民党の麻生太郎政調会長は2日夕に記者会見し、東京大学の学園祭で講演した際に「創氏改名は朝鮮人が望んだ」との趣旨の発言をしたことについて「日韓関係の重要性が私の発言から齟齬(そご)をきたすのは誠に申し訳ない。韓国国民に対して率直におわび申し上げる」と陳謝した。6日に韓国の盧武鉉大統領の来日を控え、韓国メディアなどに反発が広がったことから、早期に事態の収拾を図ろうとしたものだ。

 発言の経緯について麻生氏は「学生にわかりやすく説明しようとして言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」と釈明。「朝鮮半島における過去の植民地支配に対する認識は、95年の村山首相談話、96年の橋本首相談話において『いかに多くの韓国の方々の心を傷つけたかは、想像に余りある』と述べている通りで、その認識はまったく変わらない」と説明した。

 ただ、発言そのものを撤回するかどうかについては「双方で色々な認識があり、学者等々で続いている話だ。その経過を見守らないと、きちんとした発言はできないということだと思う」と語るにとどめた。

 会見に先立ち、麻生氏はこうした考えを自民党の山崎拓幹事長に電話で伝え、山崎氏も「この回答でよろしいのではないか」と返答した。しかし、与党にも「創氏改名は深刻な日韓関係の中の歴史的な問題。大統領訪日直前のこの時期にどうされたのかな、という気は率直にする」(公明党・東順治国対委員長)などと疑問視する声も少なくない。野党各党も「いまだにこうした発言で日韓関係にマイナスの影響が出ることは残念」(民主党・岡田克也幹事長)、「事実と違い、重大な発言だ」(共産党・市田忠義書記局長)と一斉に反発した。

 また在日本大韓民国青年会中央本部は同日、自民党本部と麻生氏の事務所に対し、「韓日が新たな視点に立ち作り上げてきた友好関係を真っ向から否定する発言」として麻生氏の党役職の辞任と議員辞職、韓国政府と北朝鮮政府への謝罪を求める抗議文を提出した。

          ◇          ◇          ◇          ◇

 麻生太郎・自民党政調会長が31日に東京大学の学園祭で発言した「創氏改名」に関する内容の要旨は以下の通り。

 質問者: 中国や韓国と外交をするうえで、歴史問題をどうすればいいと思うか。

 麻生氏: 歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。たとえば朝鮮人の創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が出たことは一回もない。しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ。これを韓国でやりあったら灰皿が飛んできた。そのときに「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んでこい」と言ったら、おじいさんが現れて「あなたのおっしゃる通りです」と。ついでに「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、おたくらにそういう言葉はないのか、と言ってハングル文字が出てきた」と言ったら、もっとすごい騒ぎになった。その時もそのおじいさんが「よく勉強しておられる。あなたのおっしゃる通りです」と言って、その場は収まった。やっぱり、きちんと正しいことは歴史的事実として述べた方がいい。 (06/02 20:31)
http://www.asahi.com/politics/update/0602/009.html




創氏改名の正しい知識

創氏改名は、創氏=強制、改名=任意(本人の自由)です。
なぜなら、朝鮮には家族が共有する名前であるfamily nameが無かったからです。
金とか朴とかってのはfamily nameではなく、男系血族集団の名前であるclan name なんですね。だから、日本やアメリカと違って中国や朝鮮では夫婦で姓が異なります。

仮に、徳川家康さんを戸籍登録するとしましょう。
徳川さんは源氏なので、
clan name(氏族名) = 源 : family name(家族名) = 徳川 : given name(個人名) = 家康となります。
日本の戸籍制度で登録するのに使用するのは、家族名+個人名ですね。
ところが、朝鮮には家族名がありません。
それで、新たに家族名を作れというのが「創氏」です。
別に朴や金といった氏族名を廃止したわけではなく、氏族名に関しては国は関知しないから勝手にやってくれということですね。
強制なのはあくまでも「family name(家族名)を作れ」という点だけであって、どういう「family name(家族名)」にするかはあくまで当人の自由、当然のことながらそのfamily name(家族名)が金であろうが朴であろうがノープロブレム。
またfamily name(家族名)を考えるのがめんどくさく、役所に届出をせずほったらかしにしてあった場合は、それまでの世帯主の姓である金や朴がそのまま自動的に新しいfamily name(家族名)として戸籍登録されました。
これが、「創氏が強制だったのは明らか」の実際の内容です

現在では韓国にはfamily name(家族名)というものはありません。
だから、結婚しても夫婦はそれぞれ自分が所属している氏族集団の名称を
そのまま姓として名乗ります。夫が金さんで、奥さんが朴さんといったように。
これに対して、日本やアメリカの制度では結婚した夫婦は新たに一つの家族
を作った事になるので、その家族の名称を決め(たいていは旦那さんか嫁さん
のそれまでの姓をそのまま使います)、それ以降は夫婦はそれを姓として名乗る
わけです。
(もっとも、朝鮮にはそもそも姓すらない階層も多かったわけですが)

「創氏」が強制だったと言うのは、日本で言えば江戸から明治になって、それまで苗字を持たなかった階層の人たちもみな苗字を持つようになった、それを苗字強制と呼ぶようなものだと考えてください。

仮に田中さん一家があるとします。
そうすると、田中家の旦那さん奥さん、子供たちはみな「田中」が苗字ですね。
夫婦も同じ家族になるので、同じ苗字を名乗ります。
つまり、この場合、「田中」はこの家族全員が共有する、この家族固有の名称
= family name であることになります。
この場合の「田中」に相当するような、家族全員が共有する、その家族固有の
名前というものが、中国や朝鮮には無いんですよ。

http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?hibinomemo+475
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by thinkpod | 2006-09-10 15:57
2006年 09月 10日

親日派のための弁明

16年前、中曽根内閣の藤尾正行文部大臣が「(日韓併合は)形式的にも事実の上でも、両国の合意の上に成立した」(『文藝春秋』1986年10月号)と「放言」して、罷免されるというきわめて政治的な事件があった。野党のみならず、日本の言論界も藤尾発言を「妄言」とする韓国側の非難に唱和したため、中曽根首相は文相の首を切らざるをえなかったのだが、いらい「併合」を朝鮮半島の「侵略」「奴隷化」とする歴史認識は、韓国では反日イデオロギーとして、日本では「自虐史観」として、ゆるぎなく定着した観がある。
著者は反日歴史教育にどっぷりつかって育った人である。だから「日本語を使う人をみると不愉快になる」というほどの「日本嫌い」だった。それが、海外に出てから「国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できる」ようになった結果、朝鮮の開国期と日本統治についての「一方的に歪曲された歴史認識」から抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになったという。

日韓併合については、東アジアの不安定要因である脆弱な前近代的王朝国家を日本が統治するのは、欧米列強にとっても歓迎すべきことであったという見方がある。しかし、著者のいう「バランスのとれた認識」は、それをはるかに越えて革命的なのである。

「藤尾氏の発言中にある『日本が韓国を善意で統治した』というのは事実である」。しかし、「併合は悪いことであった」という前提で「よいこともした」式に論を展開するのはなぜだろう、と著者は首をかしげる。日韓併合は朝鮮の「ブルジョア革命」であり「文明開化」であった、そして日本の統治は朝鮮人にとって「祝福」であった。つまり、著者の認識では、併合は「形式的にも事実の上でも」正しかったのである。本書の扉に「金玉均 伊藤博文 朝鮮の文明開化のために殉じた 二人の霊前に本書を捧げる」とある。いうまでもなく、金玉均(キムオックキュン)は、日本維新政府の力を借りて朝鮮を近代国家にしようと奔走した若き革命家。閔妃の放った暗殺者に殺され、「親日売国奴」として五体をばらばらに刻まれさらされた。そして伊藤は朝鮮民族抑圧の首魁として、ハルビン駅頭で「愛国の志士」安重根に殺された。その2人を文明開化の殉難者とする巻頭の献辞に、著者の歴史認識が鮮やかに浮かび上がるのである。(伊藤延司)

出版社/著者からの内容紹介
韓国新世代の評論家が、抑圧的な旧体制を清算し、韓国を近代国家へと転換させた日本統治を高く評価。誤った歴史認識による反日教育を厳しく批判して韓国で事実上の「発禁(青少年有害図書指定)となった衝撃の書!

閉塞的な言論空間に風穴をあける「革命の書」!

韓国新世代の気鋭の評論家が、季氏朝鮮末期の歴史を公平な視点から検証し、抑圧的な旧体制の清算と朝鮮の近代化は日本の支援なくしてありえなかったとして日本統治を高く評価。韓国政府がおこなってきた反日教育をささえる歴史認識は誤っていると厳しく批判し、韓国で事実上の発禁処分となった革命的ともいうべき評論集である。
近代史をめぐって日韓双方にわだかまる閉塞的な言論空間は、本書の出現によって間違いなく風穴があくだろう。

親日派のための弁明  金 完燮
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479421152X



金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分

私は生粋の韓国人だ。でも,韓国人というものがあまりにも情けなく,えいっと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに,自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか? 日帝時代,朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多かった。ところが,和夫一家殺害事件のように,韓国人は自分たちの間違いを,日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し,事件を矮小化,隠蔽しようと躍起になっている。和夫の亡骸は,釜山に大切に移葬され,毎年,日本人の墓参りが絶えない。以下は,和夫夫婦が死んだ日,ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。
 和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。地主とはいうものの,和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって,乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。公務員だった和夫は,政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は,一種の軍事独裁体制で,政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。

 当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法の規定以上の小作料を取り立てる,怪しからぬ人々もいたが,ふだんから人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし,村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。自分たちの生活が困らなかったので,総督府の法令にしたがって,やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。貧しい小作人が食料がないと泣きつけば,喜んで食べるものを分けてやったし,村で誰かの葬礼があれば,家族総出で駆けつけ,食事の支度はもちろん,自ら慟哭して,悲しみを分かちあうこともあった。このように,和夫は人間への温かい愛情をもった,真の人間だった。

 また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。

その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 彼がわが子のように年たちが,斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。

和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は,つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。

A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?)

B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。

 間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て,彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで,ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら,自分も殺されただろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。

 和夫には,一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて,両親の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に,近隣住民たちは眠れなかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず,知らないふりをした。結局,彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の幼子だった。和夫の財産は,勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り,この事件は村人たちの沈黙の中,しだいに忘れられて行った。

この文章は,ある読者からの手紙にあったものだが,冒頭,韓国人が反省し作成したものと書かれているものの,「和夫君」,「和夫さん」などの日本的な呼び方が混じっており,最後の部分に朝鮮人に対する軽蔑に満ちた文章(削除した)が含まれていたことなどを勘案すれば,韓国語ができる日本人が書いたものではないかと思う。いずれにせよ,この事件について聞いたことがあるという韓国人も多いことを見れば,実際に釜山地方で発生した事件のようであり,また韓国による植民地被害の主張に対する,日本人の対抗論理をかいまみることのできる珍しい例として,決して重みが失われない文だといえよう。

 振り返って考えてみれば,日本の敗戦後朝鮮半島では,このような殺害劇がたくさん発生しただろうと思われる。日本の無条件降伏以後,北韓地域にはソ連軍がすばやく進駐し,軍政を敷いたが,南韓に米軍が上陸したのは9月中旬だった。したがって,約1カ月程度,南韓地域には無政府状態が続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由で日本人とそれに加担した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろうし,彼らは日本人を殺し,財産を強奪し,日本女性を強姦しただろうと思われる。

 そして,朝鮮人たちが8月15日,日本の降伏を喜んだいちばん大きな理由は,おそらく,日本の一部として敗戦国の暗澹たる未来をともにするのが嫌だったためではなかろうか。日本統治の最後の期間,特に大東亜戦争が始まった,最後の4年間は,日本人はもちろん,日本の統治を受けていた地域の住民たちも,大きな苦痛に見舞われた時期だ。それゆえ,朝鮮人たちにとって8月15日は,忌まわしい戦争の苦痛から脱することのできたという点で,また日本人たちを殺し,財産を奪える機会が与えられたという点で,とても喜ばしいことだっただろう。

問題は,韓国社会において,朝鮮人によってほしいままにされたこのような虐殺と残酷な行為はまったく知られておらず,また調査されたこともなく,われわれが受けた被害だけは,繰り返し強調されているという点だ。そして日帝統治の期間に受けたとされる被害なるものも,事実よりずっと膨らまされているだろうことは,容易に想像がつく。

朝鮮は日本の統治を受け,未開な農業社会から短期間に資本主義工業国へ発展し,高い生活水準を享受してきた。しかし,日本が戦争に負けるやいなや,素知らぬ顔で,まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのごとく,日本を呪詛し,彼らの財産を奪い,虐殺した行為は,明らかに人倫に悖る犯罪行為にほかならない。このようにして日本人をすべて追放したあと,南韓国と北韓国の政府は,強奪した日本人の土地と工場を「敵産」と呼び,堂々と山分けした。

もし日本が戦争で勝利したり,少なくとも領土を保全され,休戦にでもなったなら,はたして朝鮮人たちはこのように振る舞えただろうか。おそらく,前よりもっと自発的に日本人であることを主張しつつ,忠誠を尽くしただろう。ところが,戦争に負け,くっついていても別にいいことがないと判断した瞬間,彼らは態度を急変させ,日本に仇として接し始めたのだ。

http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?hibinomemo+316
http://chosonnews.txt-nifty.com/han/2004/06/post_49.html

JOG(254) 「親日派のための弁明」を読む
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by thinkpod | 2006-09-10 15:41 | Books
2006年 09月 07日

「従軍慰安婦」問題(上)

 〜日韓友好に打ち込まれた楔〜
13,135部 H11.09.25
Japan On the Globe(106) 国際派日本人養成講座

■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か
らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

 女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の
前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい
る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月
に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]

 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿
泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり
は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を
終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]

 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手
記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート
を裏付けている。

 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと
靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。

 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像
をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母
の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]

 ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万
6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故
郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在
の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め
たことになる。[2,p301]

 「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery
(軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から
強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひた
すら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。し
かし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されてい
る。一体、どちらが真実に近いのか?

■2.慰安婦問題の経緯■

 まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。

1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮
人連行強制記録」の中で、昭和18年に軍の命令で「挺身隊」と
して、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたとい
う「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌
年にかけ、4回にわたり、報道。

2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場
に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一
人が名乗り出た、と報道。

3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍
関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」
と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談
で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。

4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘
言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例
が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ
た」と発表。

 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴
集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機と
して、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記
述されることになっていった。

 今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけ
の事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4
点を検証する。

■3.吉田清治の慰安婦狩り■

 まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」
では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写して
いる。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がお
びえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわ
って行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはい
っせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い
娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打
ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人
であった。

 当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開
業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営
業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合
法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。

 「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、
軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、
吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家
的犯罪となる。

■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

 吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だ
が、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査
し、以下のような記事を書いている。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対
して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オク
タン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15
人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はな
かった」と語った。

 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年か
の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は
日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨
している。

 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が
目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮し
たという。[1,p232]

 この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、
4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつり
と起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉
見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。

■5.名乗り出た慰安婦■

 次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11
日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝
鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日
中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍
人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人
が」名乗り出たと報じた。

 しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行
などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291]

 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ
ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検
番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父
に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊
の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

 当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。

 そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され
たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して
いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札
係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未
満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。

 さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ
た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍
僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安
婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給
食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では
なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安
婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ
ると読者に思い込ませるための造語である。

 金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人
となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ
り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結
婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内
容はよく知っていたはずである。

 金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と
して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏
造記事である。その後の訂正記事も出していない。

■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

 韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対
策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可
能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検
証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を
出版した。

 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、
9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4
人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし
たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された
とは述べていない。

 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰
安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。[2,p275]

■7.軍の関与とは■

 次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ
3)の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。

 発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業
婦等募集に関する件」であり、その中では、

 民間業者が慰安婦を募集する際、①軍部諒解の名儀を悪用、
②従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、③誘拐に類する
方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているの
で、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ
[2,p267]

と命じている。すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による
「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なの
である。

 この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 
募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、
さらに次のような解説を載せた。

従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多
発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を
設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八
割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主と
して朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万
とも二十万ともいわれる。

 これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「日本軍が組織的
に強制連行に関与した」と思い込むであろう。まことに巧妙なひ
っかけ記事である。

 この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日
前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内で
は抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮
沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪
を繰り返した。(続く)

■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面


JOG(106) 「従軍慰安婦」問題(上)
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by thinkpod | 2006-09-07 17:10
2006年 09月 07日

「従軍慰安婦」問題(下)

   〜仕掛けられた情報戦争〜
13,284部 H11.10.02
Japan On the Globe(107) 国際派日本人養成講座

■1.強制を示す文書はなかった■

 宮沢首相は、盧泰愚大統領に調査を約束し、その結果が、4)
(前号)、翌平成5年8月4日の河野官房長官談話となった。政
府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して
集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこ
ともあった」と発表され、慰安婦強制連行があったことは、政府
の公式見解となった。

 この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦
への聞き込みを行った。前号冒頭に紹介した米軍の報告書も、こ
の文書調査で発見されたものだ。それでは、いかなる事実によっ
て「官憲等が直接に荷担した」と結論づけたのか?

 この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、平成9年1月
30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問
に対し、次のような答弁をしている。[3,p204]

 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしま
した。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の
今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限り
の文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すよ
うな記述は見出せませんでした。

 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるというこ
とで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、
そういうことでございます。

■2.総合的に判断した結果■

 資料はなかったが、「総合的に判断した結果」、強制性があっ
たという。この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だっ
た石原信雄氏は、次のように明らかにしている。

 強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連
れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしても
なかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六
名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是
非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得で
きる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。

 もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だっ
たら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠
を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。
元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていっ
たことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。
決断したのだから弁解はしない(櫻井よしこ「密約外交の代
償」「文塾春秋」平成9年4月)[3,p58]

 元慰安婦からの聞き取り調査は、非公開、かつ裏付けもとられ
ていないと明かされいるが、そうした調査の結果、「韓国側の強
い要請」のもとで「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を
認めた」ものなのである。

 聞き取りが終わったのが7月30日。そのわずか5日後の8月
4日、河野談話が発表された。同日、宮沢政権は総辞職をした。
まさに「飛ぶ鳥跡を濁して」の結論であった。

■3.日本の言論機関が、反日感情を焚きつけた■

 「強い要請」を行ったという韓国政府の態度について、石原氏
は国会議員との会合で次のように語っている。

 もう少し補足しますと、この問題の初期の段階では私は韓国
政府がこれをあおるということはなかったと。むしろこの問題
をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたんですけれど
も、日本側のいま申した人物がとにかくこの問題を掘り起こし
て大きくするという行動を現地へいってやりまして、そしてこ
れに呼応する形で国会で質問を行うと。連携プレーのようなこ
とがあって、韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけ
ないという、そういう状況があったことは事実です。[4,p314]

 この「いま申した人物」について、石原氏は「ある日本の弁護
士さん」として、名前は明かしていない。

 慰安婦問題は、日本の一部の人間が焚きつけた、という認識は、
韓国側の盧泰愚大統領の次の発言にも、見られる。

 日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反
日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。(文芸春
秋、H5.3 )[1,p302]

■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。

■5.慰安婦番組での仕掛け■

 ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出て
くるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、
日本語の字幕で

 戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私た
ちは無一文で置き去りにされたんです。

 と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、

 あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったん
です。私たちは無一文で置き去りにされたんです。

 と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦
争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。

■6.あなた方日本人の手で何とかしてください■

 この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたこ
とから、インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党によ
り、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したよ
うだ。

 スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を
明らかにした。

1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはな
い。
2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお
金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には
渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

 インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみ
は頓挫した。この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインド
ネシア閣僚から、次のように言われたという。

 今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我
々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部
ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関
係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。
あなた方日本人の手で何とかしてください。

■7.国内で急速に冷める関心■

 地道に調査を進める人々の努力により、奴隷狩りのような強制
連行の事実はないことが明らかになると、さすがに慰安婦問題を
糾弾する人々の間でも、強制性の定義を修正せざるを得なくなっ
てきた。たとえば、糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学
教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。

 その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択
の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がい
るはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだ
ように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何
らかの強制の結果なのだ。[6,p103]

 「強制性」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女
性たちも、貧困や失業など何らかの「強制の結果」であり、国家
が謝罪と補償をすべきだ、ということになってしまう。さすがに
このような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずもなく、
国内の慰安婦問題に関する関心は急速に冷めていった。

■8.国連での攻防■

 しかし国際社会では、事実の伝わりにくさを利用して、慰安婦
問題をスキャンダルに仕立てようとするアプローチが今も展開さ
れている。その最初は宮沢首相の訪韓直後の平成4年2月17日、
日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安
婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした事で
ある。

 平成8年3月にジュネーブで開かれた国連の人権委員会に提出
されたクマラスワミ女史の報告書は、家庭内暴力を主テーマにし
ているのに、その付属文書に「戦時の軍用性奴隷制問題に関する
報告書」と題して、半世紀以上前の日本の慰安婦問題を取り上げ
ている。

 戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員
(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。

 報告書は、やはり吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上
げている。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、

 仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を
言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉
を茹でて、食べさせろ」と命じた。

 などという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生
まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたという拉致された
というのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍
専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証
言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、
犯罪者の追及と処罰を勧告している。

 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作
成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマ
ラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フ
ィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。

 このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本
文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する
部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。
[1,p259]

■9.情報戦争から、いかに国益と国際友好関係を守るか■

 平成10年8月、今度は、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユ
ーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告
書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、
「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と「元慰安婦への
法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。

 慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。
しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政
府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。

 本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日
本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「日本政府はより明確
に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」とする決議を採択
した。この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」と
ならんで、「従軍慰安婦の強要」が含まれている。[7]

 カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「レイ
プ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。チャンの本につ
いては、本講座60号で紹介したように、中国政府の資金援助を
受けたシナ系米人の団体が支援している。

★ JOG(60) 南京事件の影に潜む中国の外交戦術

 南京事件と慰安婦問題は基本的に同じ構造をしている。チャン
の本は、日米関係に対する楔であり、慰安婦は日韓友好への楔と
して仕掛けられた。これらの問題について、米国や韓国の対応を
非難することは、友好関係を破壊しようとする狙いに乗ることに
なる。

 国家の安全を脅かすものは、テポドンや工作船のようなハード
の武力だけではない。一国の国際的地位を貶め、友好国との関係
に楔を打ち込むような情報戦争が、外国と国内勢力の結託により
次々と仕掛けられている。こうした攻撃から、いかにわが国の国
益と国際友好関係を守るか、ソフト面の自衛体制が不可欠となっ
ている。

■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 「従軍慰安婦」、吉見義明、岩波新書、H7.4
7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面

JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html
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by thinkpod | 2006-09-07 17:09
2006年 09月 07日

「普通の国」日本を歓迎する――米有力論客の論文の重み

 「日本は憲法第9条を改正しなければ、『普通の国』になる決意を放棄するという不満足な道にとどまることになる」

 こんな大胆な指摘が米国の有力論客ジョージ・ウィル氏によってなされたことには驚かされた。ウィル氏といえば米国の政治評論家のなかでも超大物とされ、その言論は連邦議員たちだけでなくホワイトハウスへもずしりとした重みを与えている。保守派の論客だが、ブッシュ政権のイラク政策を批判したこともあり、独立独歩の姿勢はリベラル派からも真剣な関心を向けられる。

 そのウィル氏が8月27日付のワシントン・ポストへの寄稿論文で、日本が憲法第9条を改正して、「普通の国」になることを勧め、「普通の国家」としての日本は米国の国益にも寄与するという見解を表明したのだった。この動きは米国の最近の対日観を把握するうえでも、重大に受け止める必要がある。


「第9条は日本の政策形成を混乱させる」

 コラムの形をとるウィル論文のポイントを紹介しよう。タイトルは「日本の軍事を解放する」となっていた。憲法第9条で軍事面に課された厳しい自己規制を解除すべきだ、という趣旨である。

 「今日の日本国民は、自国が、ペリーの黒船を派遣した国から1947年に押しつけられた国家アイデンティティーを放棄することなく、自国の防衛や国際安全保障システムでの適切な役割を果たすことができるかどうかを自問している」。

 「日本の自衛隊は今年はじめの3カ月だけでも中国軍のスパイ機が挑発的に日本領空に接近したのに対し戦闘機を107回も緊急発進させた。中国の潜水艦が日本領海に侵入し、日中両国は東シナ海で石油やガスの資源を巡り紛争している。こうした状況では日本は必要とされる行動と憲法による制約との間の不一致を終結させる時である。この矛盾は日本の政策形成を混乱させ、国家的まひを生み出すのだ」。

 ウィル氏は日本が憲法第9条の規定により集団的自衛権の行使ができず、自国領土外での戦闘も一切禁じられている現状と、中国などからの脅威への対応のために必要な行動との間の矛盾をなくさねばならない時機がきた、と説いているのだ。つまり日本が国際社会の他の普通の国家と同様、安全保障上の必要措置がとれるよう憲法改正に向かって進むべきときがきた、というのである。その結果、今の日本は戦後に米国から押しつけられた平和主義の国家アイデンティティーを問い直すところまできた、と論評するのだ。


「米国の利益にも合致する」

 さてウィル氏の論評もここまでであれば、それほど注視には値しない。同様の主張はすでにブッシュ政権で最近まで対日政策を担当していたリチャード・アーミテージ氏(元国務副長官)やマイケル・グリーン氏(前国家安全保障会議アジア上級部長)によって打ち出されているからだ。

 だがウィル氏は今回の論評で日本が憲法を改正して、「普通の国」になることが米国の利益に合致する、ときわめて明確に主張していた。

 「(日本が現行憲法の矛盾を解消することは)米国民にとっても重要である。なぜなら東アジアが米国にとって重要だからだ。さらには膨張する中国と錯乱したような北朝鮮がこの地域の安全保障を紛糾させているからだ。そのうえにこの地域で有害な反米主義がなく、米国への協力に意欲のある経済大国はきわめて少ないからだ。そうした国は日本だけともいえるのだ」。

 米国にとって東アジアで本当に頼れる大国は日本ぐらいだからこそ、日本が安全保障や軍事での例外的な自縄自縛を解いて、「普通の国」となることは米国への大きな利益となる、というのである。だから論文のタイトルも「日本の軍事を解放する」としたのだろう。この思考の背後には、日本がたとえ軍事面でいままでより強くなっても、成熟した民主主義国として米国の同盟国、友好国にとどまるだろう、という信頼感が存在するといえる。だから「より強い日本」は米国にとっては有益なプラスというわけである。

 ウィル氏がこうした日本信頼論を説くことは日本にとっても大きな意味がある。まず同氏はアジアや日本の専門家ではなく、米国の政治や外交の全般にわたり、強い発言力を持つからだ。そのうえにウィル氏はこれまで日本に対しては冷淡な態度をとってきた。1998年に例の日本糾弾の書『ザ・レイプ・オブ・南京』が米国内で出版されたとき、ウィル氏はその内容を全面的に擁護する論文を発表していた。そのうえで「日本は侵略を認めず、謝っていない」という中国側の主張にほぼ同調していたのだ。そうした人物が中国の膨張に備えるためにも日本にもっと軍事的な役割を担ってほしいと求めるようになったのだ。


賛否両論のなかで表明した論文の重み

 ただし、同じ米国でも当然ながらこうした日本観がすべてではない。

 安保や軍事で「より強い日本」「強い日本」は軍国主義の道を再び走るから危険だとする意見もある。民主党系リベラル派に多い日本不信論である。米国全体では少数派だとはいえ、今の日本研究学者の間にはこの不信が強い。

 その象徴がリベラル系のニューヨーク・タイムズがときおり載せる日本関連の社説である。日本がブッシュ政権の要請に応じ、日米同盟の共通利害に基づいて実施するミサイル防衛の構築に対しても、在日米軍基地の機能強化への同意に対しても、「危険な軍国主義志向」という非難を浴びせるのだ。

 だがその一方、ブッシュ政権や議会上下両院の多数派は「日本の『普通の国』化の支持」をますます明確に表明するようになってきた。こうした潮流の中で、米国政界に強い影響力を持ちながらも、対日観、対日政策となるとブッシュ政権などとは異なる立場だと思われてきたウィル氏のような論客が「普通の国」日本を歓迎するようになったわけである。だからこの動きは重視すべきだと思うのだ。

国家安全保障を考える(第30回)[古森 義久氏]/SAFETY JAPAN [コラム]/日経BP社
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/30/index.html
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by thinkpod | 2006-09-07 02:08 | 国際