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2006年 02月 08日

漢字が表す二つの世界

                 文  中国社会科学院文学院 李兆忠


 四角い小さな漢字の中に、二つの異なる世界が存在している。

 一つはもともと中国で造られた中国製、もう一つは日本で改造された日本製である。この二つの世界は、「あなたの中に私がいて、私の中にあなたがいる」ようなもので、コミュニケーションにはとても便利だ。しかし多くの場合、この両者は、うわべは親しそうに見えて実は心が通わず、似て非なるものなのである。

 日本語の中の多くの語彙は、見た目では中国語とまったく同じだが、実は意味が非常に違う。中国から来たある代表団が日本の工場を見学したとき、工場内に掲げられている「油断一秒、怪我一生」というスローガンを見て、その文字面だけから「これは油が大切だと言っているのだな」と憶測した。中国語では「一秒でも油が切れれば、生涯自分が悪いと思う」という意味になるからである。

 しかし実は日本語では、これは安全生産のスローガンなのだ。「油断」は「不注意」、「怪我」は「傷を負う」という意味だとわかって大笑いになった、という。

 中国人と日本人がつきあうとき、この種の誤解は避けることができない。私の友人に「猪木さん」という人がいるが、彼はよく私に文句を言う。それは、彼の中国の友人たちがいつも「猪」と「豚」を混同し、日本人はどうして「豚」という姓を好むのかと不思議がるからだ。おかげで彼は、泣くにも泣けず、笑うに笑えない心境に陥るのだという。

 中国語では、「猪」と「豚」の二つの漢字が同じ意味で使われていることを彼は知らない。もっとも、古代漢語では少し違いがあり、「豚」は子ブタを意味していたのだが……。

 日本語の中で使われる漢字の語彙には、中国人の想像を超えるものがほかにもたくさんある。たとえば、中国語での「無理やり」を意味する「勉強」は、日本語では「学習」の意味で使われる。中国語で「夫」を意味する「丈夫」は、日本語では「頑丈」の意味だ。このように、表面の「毛皮」を傷つけることなく、中身の「肉」をすっかり「すり替え」てしまう日本人の知恵と想像力に、感心せざるを得ない。

 しかし、われわれ中国人は、これに驚く必要はない。率直に言えば、現在の中国で使われている中国語の語彙の多くは、20世紀初めに日本から導入されたものだからだ。たとえば、「金融」「投資」「抽象」など、現代中国語の中の社会科学に関する語彙の60〜70%は、日本語から来たものだという統計がある。
 漢字文化圏に属する多くの国家や民族を見回して見ると、漢字をこのように創造的に「すり替え」、もう一つの漢字王国を樹立し、かつまた中国語へ「恩返し」しているのは、日本だけだ。

 日本のすごいところは、中国の漢字に対して、受動的にそのまま受け入れるのでもなく、愚かにも高慢にそれを拒否するのでもない、自発的にそれを手に入れ、徹底的にそれを消化した後、自分の必要に応じて大胆な改造を行い、自分の言語にしてしまうところだ。だからこそ漢字は、日本にしっかりと根を下ろし、西洋文化の猛烈な襲来に耐えることができたのである。

 客観的に見れば、この奇跡は、かなりの程度、日本が島国であるという特殊な地理的環境によっている。広大な太平洋が天然の要害となり、異民族の鉄騎兵の侵入を阻止したばかりでなく、文化的に異民族に同化される運命から逃れることができた。大陸とも適当に離れているため、日本は必要に応じて、自分より先進的な中国の文化を摂取し、ゆっくりとそれを咀嚼し、消化して改造することができた。異文化をどう受け入れるか、その主動権は完全に自らの手中にあったのである。

 これと同時に、1200百年前、日本は漢字を大規模に導入するとともに、「ひらがな」を発明した。ここで日本は自分の文字言語を持った。「ひらがな」は完全に漢字の草書体に啓発されて造られたものではあるが、大和民族の魂の深いところにある必要性から発したものでもある。

 日本人から見るとおそらく、基本的に一つの漢字に一つの音がちゃんと対応している四角い漢字は、柔らかくて滑らかな日本語の感覚や、長さにこだわらない語彙とは多少隔たりがあり、曲線が美しく、簡潔な「ひらがな」こそが、日本人の発想や言語感覚により合致すると映るのだろう。

 「ひらがな」は日本語の形を完成させた。それを用いて発音を表記することができ、漢字の発音を日本化させた。また、直接、日本固有の語彙を書き表すこともでき、助詞として用いてセンテンスを構造することもできる。まさに一石三鳥とも言うことができる。

 「ひらがな」の創造は、日本語が自分の「形」と「心」を探し当てたことを意味する。これによって漢字は第一線から退き、一つの重要な材料として日本語の構造の中に組み入れられた。この時、漢字の固有の意味は、時間の流れとともにひっくり返されたり、「すり替え」られたりすることが必然的に発生した。全体からいえば、漢字の語彙の意味が厳格で重厚な歴史の含蓄を持っているのに比べ、日本語の漢字の語彙は明らかに軽く、生き生きとしている。使い方もそれほど厳格ではなく、通常、いくつかの異なる漢字を使って一つの日本固有の語彙に表している。それによって人々はさらに、一種の遊びの味を感じるのである。

 漢字に対する違った考え方が、二つの異なる漢字の世界をもたらした。その優劣は、一概に論じられない。しかし、西洋文明が東側に浸透してきた「近代化」の歴史背景の中で見れば、その優劣ははっきりと示されている。当時、激しく湧き起ってきた近代化の流れと西洋の科学文化に直面した中日両国の学者たちは、まったく異なる姿勢と反応を示したのである。

 たとえば、西洋の科学に関する著作を翻訳する際、清朝末期の中国の学者は「中学為体、西学為用」(中国の学問を「体」とし、西洋の学問を「用」とする)という文化的な信念を堅持し、中国の古典を引用して西洋科学の概念を既存の語彙に置き換えようとした。例えば現在の「経済学」を、「計学」あるいは「資生学」と翻訳したり、「社会学」を「群学」と訳したりしたのである。しかし結局は、どうにもならなくなってしまった。

 しかし日本の学者は、実用的で柔軟なやり方で、「文字本位制」の制限を受けずに、意訳の方法によって、数多くの多音節の語彙を作り出し、みごとに西洋の概念を置き換えることに成功した。これによって、日本が西洋に学び、「近代化」の道を歩んでいくうえで、言語の面で道路が舗装されたのだった。

 もし日本が、漢字を借用して西洋の概念を置き換えることをしなかったら、現代の中国語はいったいどのようになっていただろうか。おそらく今よりも寂しいものになっていたのではないだろうか。多分、強い刺激や栄養に欠けているため、すばやく「近代化」することが難しくなったに違いない。

 こうした角度から見れば、日本語の中国語への「恩返し」の功績を、われわれは決して忘れてはならないのである。

http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200303/fangtan.htm



第79回 中国語の中の日本語

今回は、現代の中国で中国語として使われているメイド・イン・ジャパンの漢語の語彙についてです。上海外国語大学日本語学部の教授をされていた陳 生保先生が著書「中国と日本——言葉・文学・文化」(麗澤大学出版会2005年)の中でこの問題を取り上げておられますが、私の知る限りでは最も体系的で優れた研究と思うので、その内容を紹介します。

陳先生によると「共産党、社会、主義、幹部、経済、共和、手続、場合、解放、哲学、物理、出口、入口、癌」などは皆、日本製だそうです。日本と中国の双方で同じ漢字で意味も同じという語彙はたくさんありますが、その多くは中国から伝来した漢字を日本人が中国と同じ意味で使っている、というものです。しかし反対に、日本で作られた漢語が中国で日常語として使われているものも結構多い、ということは案外知られていない事実でしょうね。

一.例として陳先生は、毛沢東の論文「実践論」の日本語訳を挙げています。下線の語彙は日本から輸入された漢語で、原文でも同じです。

「マルクス以前の唯物論は、人の社会性を無視し、人の歴史的発展を無視したもので、認識問題を観察した。それがために、認識と社会実践との依存関係、すなわち、生産と階級闘争にたいする認識の依存関係を了解することができなかった。
まず第一に、マルクス主義者は、こう思う・・・人類の生産活動は、最も基本的な実践活動であり、その他のすべての活動を決定するものである。人の認識は主として、物質の生産活動に依存し、しだいに、自然の現象・自然の性質・自然の法則性・人と自然との関係を了解する、その上、生産活動をとおして、各種の、ことなる程度で、しだいに人と人の一定の相互関係を認識する。
これらの一切の知識は、生産活動をはなれては得ることができない。階級のない社会では、どの人も社会の一員という資格でその他の社会のメンバーと協力し、一定の生産関係を結び、生産活動に従事して人類の物資生活の問題を解決する。いろいろな階級社会では、各階級社会のメンバーは、やはりいろいろ違った方式で一定の生産関係を結び、生産活動に従事して人類の物資生活の問題を解決する。これが人の認識発展の基本的なみなもとである。

この論文の語彙の内、四分の一くらいが日本製のものです。社会、歴史、生産、階級、主義、自然、知識、物質、関係、問題、活動、現象、闘争、解決、方式など見慣れたものばかりですね。中国語に入ってきた日本語は、主として社会科学と自然科学の用語です(生活用語には殆ど入っていない)。その理由として陳先生は、次のような時代背景を指摘しています。

二.日本は明治維新以後、近代化を進めるため西洋の学問や技術を積極的に吸収したが、その際、西洋の語彙を日本語に移し変える必要があった。これらの概念はそれまでの日本語にはないものであったので、当時の日本人は漢字のもつ意味を組み合わせて新しい語彙を作っていった。

一方、清朝末期の中国では明治維新に成功した日本に学ぶため、多く知識人や若者が来日した。最初の留学生の来日は1896年で、盧溝橋事件勃発の1937年までの42年間に中国人の留学生の数は6万人以上に上る。これらの知識人や留学生は、日本で学んだ西洋文明を中国に伝えようとしてこれらの語彙を持ち帰った。

勿論、中国においても西洋の語彙を独自の方法で中国語に移し変える試みも行われた。例えば「Economics」という英語は日本語では「経済学」と訳されているが、当初、中国では「計学、資生学、富国学、平準学」などと訳されていた。また、「Philosophy」は日本語の「哲学」にたいし、中国語では「理学、智学」、「Sociology」は「社会学」にたいして「群学」と訳されていた。日本の訳語と中国の訳語が共存していた時代もあるが、日本製語彙の「経済学、哲学、社会学」の方が人気が高く、いつの間にか中国社会に住み着いていった。今ではこれらが日本から逆輸入された語彙であることを知らない人のほうが多い。

三.中国語になった日本語の特徴について、陳先生の研究の要点は次の通りです。

1.近代になって中国語に入った新語の殆どは日本語からである(西洋から直接入ったものも少しはあったが、現在はあまり使われないものが多い)。その数は大体、千語程度であるが、現代中国語における使用頻度は非常に高い。そして、二つまたは二つ以上の文字で作った語彙である。中国語の古代語では、殆ど一つの文字で一つの語彙が作られている。このような語の複音化によって語義が細かくなり、表現がいっそう緻密になり、正確になった。

ある調査によると、現代中国語の二音節基本語のなかで使用頻度が高いものは、約三分の一が日本製である。日本製の漢語の大部分は、中国から来た漢字を使って日本で新しく組み合わせたものであるが、一部には古代漢語を利用して西洋語を訳したものもある。これらは、本来の意味とは異なっている。例えば、組織(本来は紡績)、雑誌(本来はさまざまな事を書きしるすこと)、労働(本来は運動)、社会(本来は集会)、経済(本来は経世済民)など。

2.中国語になった日本語には、次のようなものがある。

(1)自然科学や社会科学の基本概念———哲学、心理学、論理学、民俗学、経済学、社会学、財政学、物理学、衛生学、解剖学、病理学、下水工学、土木工学、河川工学、電気通信学、建築学、機械学、簿記、冶金、園芸、和声学、工芸美術など。

(2)古代漢語に新しい意味を与えたもの(上記以外)———人道、革命、索引、意味、共和、形而上学、憲法、唯心、唯物、地主、知識、保険、生産、権利、歴史、民主、作用、積極、絶対など。

(3)現有の漢字を使って日本で新しく組み合わせてできたもの———高潮、低潮、直接、間接、広義、狭義、主体、客体、主観、客観、肯定、否定、時間、空間、理性、感性、右翼、左翼、直流、交流、暖流、寒流、動脈、静脈、優勢、劣勢、長波、短波、内在、外在、予算、決算、決議、否決、動態、静態、質量、数量、熱帯、寒帯、温帯、動産、不動産、上水道、下水道、地上水、地下水、内分泌、外分泌、重工業、軽工業、陽極、陰極、債権、債務、抽象、具体、流通資本、固定資本など(以上は相対的な、または相反の意味の言葉であるが、ほかに次のような語もある)

石油、出版、法案、方針、正当、政策、保健、保証、理事、幹事、系統、伝統、闘争、協定、協会、協議、社交、社団、批判、企業、投資、広告、景気、法則、範疇、道具、劇場、象徴、前提、揚棄、活動、運動、講座、典型、版画、計画、派遣、細胞、電流、電池、電波、結核、科学など。

(4)日本語だが、中国に入ってから意味が変わっているもの———労働者(はじめは本来の意味で使われたが、のちに「工人」にとってかわられ、今では「働く者」の意味)、弁護士(「律師」にとってかわられ、いまでは法律用語ではなく、ただ弁護する人の意味)、組合(はじめは「労働組合」がそのまま使われたが、今では「工会」にとってかわられた。「組合」は組み合わせの意で使われている)

3.中国語になった日本語には、上記のような語彙の他、造語力を持つ接尾語のような語が23もある。これらの接尾語を付けた語も現代中国語で巾広く活躍している。

(1)化———一元化、多元化、大衆化、自動化、現代化、機械化、長期化、理想化など。
(2)式———問答式、方程式、恒等式、西洋式、日本式、旧式、新式など。
(3)炎———肺炎、胃炎、腸炎、関節炎、脳炎、気管支炎、肋膜炎など。
(4)力———生産力、消費力、原動力、想像力、労働力、記憶力、表現力、支配力など。
(5)性———可能性、現実性、必然性、偶然性、周期性、放射性、必要性など。
(6)的———歴史的、科学的、必然的、相対的、絶対的など
(7)界———文学界、思想界、学術界、金融界、新聞界、出版会、宗教界など。
(8)型———新型、大型、中型、小型、標準型など。
(9)感———美感、好感、情感、優越感、敏感、読後感、危機感など。
(10)点———重点、要点、焦点、注意点、観点、出発点、終点、着眼点、盲点など。
(11)観———主観、客観、悲観、樂観、人生観、世界観、直感、概観など。
(12)線———直線、曲線、抛物線、生命線、戦線、警戒線など。
(13)率———効率、使用率、利率など。
(14)法———弁証法、帰納法、演繹法、表現法、選挙法、方法、憲法、民法、刑法など。
(15)度———深度、強度など。
(16)品———作品、食品、芸術品、記念品など。
(17)者———作者、読者、訳者、労働者、著者など。
(18)作用———同化作用、心理作用、精神作用、副作用など。
(19)問題———人口問題、土地問題、社会問題、民族問題、教育問題、国際問題など。
(20)時代———旧石器時代、新石器時代、原子時代、新時代、旧時代など。
(21)社会———原始社会、奴隷社会、封建社会、資本主義社会、中国社会など。
(22)主義———人文主義、人道主義、資本主義、帝国主義、社会主義など。
(23)階級———地主階級、資産階級、中産階級、農民階級、無産階級など。

四.西洋の語彙を漢字を使って日本語に訳す際、明治の日本人は次のような造語法に従っていた。これは中国語の造語法のルールでもあったことが、日本製の新語がひろく中国で受けいれられた一因と考えられる。

1.修飾語+被修飾語
 (1)形容詞+名詞———特権、美学、背景、化石、環境、人権、哲学、金庫など。
 (2)副詞+動詞———互恵、独占、交流、高圧、特許、否定、肯定、表決、歓迎など。
2.同義語の複合———解放、供給、説明、方法、共同、主義、階級、闘争、法律など。
3.動詞+目的語———断交、動員、投票、休戦、作戦、投資、抗議、脱党、処刑など。
4.前述の語による複合語———社会主義、治外法権、土木工程、自然科学、防空演習、唯物史観、動脈硬化、神経衰弱、国際公法、経済恐慌など。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上に紹介した語彙は今では日本語の語彙の一部として深く根を下ろしており、これらを使わないで自分の考えを表現することは出来ないと言って過言ではない。そしてこれらが、わずか100余年前に造られたものであるとは、とても信じられない思いがする。また、これらが留学生などによって中国に持ち帰られ、中国でも常用語として広く活用されているという事実は、両国を結ぶ漢字の意義について再認識させられる。

http://www12.plala.or.jp/nihongo73/iriguti/d79/d79.htm


【明解要解】中国語を支える日本語
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by thinkpod | 2006-02-08 21:44
2006年 02月 08日

   続・憂慮すべき韓国の夢想自大主義

  韓国民が「なんでもかんでもウリジナル(我国起源)」を信じ込むようになったのは、中年以下の世代が漢字を読めなくなったからだという見方がある。おそらく正しいと思われる。

 黄禹錫教授の虚偽論文事件を大々的に報じる韓国紙をテレビで見たが、黄の字(つまり姓)を漢字で書いたのが1紙だけ。あとは皆、一面全部がハングル文字で埋め尽くされていた。

 あくまで画面に映った範囲に限られるが、一字も漢字のないハングル新聞を読んでいる韓国民は、問題教授の姓名すら「ファンウソク」という音で「聞いて」いることになる。実際、若い世代になると、自分の名前さえ漢字で理解していないといわれ、いわんや他人の名前を漢字の「意味」で理解するという習慣は、もはや廃絶したといっていいだろう。
 
 昨年、韓国の公文書館(National Archives)にあたる国家記録院で、1948年制定の韓国憲法の原本を紛失していることが分かった。監査でさらに、52〜62年にわたる改正憲法の原本も、重要書類でない一般書類に分類されて保管されていた一方、大統領関連の重要書類として保管されていた文書の74%が、資料として価値のないクズだったことが分かった(読売、05/10/29)。

 これが実態である。いまや公務員が漢字を読めないのだ。だから歴史的文書の重要さが分からず、ウリナラ(我国)憲法の原本さえ「見えなく」なってしまうのである。

 ここで重要なのは、「読めないなら誰かに聞けばいい」。日本人ならそう考える。韓国民、なかんずく公文書館の職員でさえ、そういう習性がないらしいということがいちばんの問題である。

 歴史を自分で検証することができないだけでなく、それが歴史への関心を希薄にしているのではないだろうか。

 日本人は、大新聞の主筆が今頃になって「東条はヒトラーと同じだ」などと曰(のたま)えば、その当時の文献を誰でも探して読めて、本当かどうか検証することができる。60年前どころか、2千年も昔の漢文資料を読みあさって、邪馬台国はどこだったと熱中する古代史マニアも掃いて捨てるほどいる。

 しかし、韓国民の大多数は(おそらくノムヒョン大統領を含めて)、漢字の混じった文書を読むことができないので、自分たちの過去が分からなくなってしまった。
 それなら作ってしまえ。日本との歴史的な条約等は誰も読めない、読まない、読みたくないので、それならいっそ不平等条約だったからすべて無効だ、政府は再交渉せよ、というように飛躍する。

 戦後、韓国では日本からの独立を強調するあまり、ハングルを公用語として採用し、70年からは義務教育で漢字教育を全廃してしまった。その後、社会生活の不都合から約900字だけを教えるように是正されたが、新聞の実例に見るように実際にはほとんど使われていない。

 ハングルは15世紀半ば、李朝の4代世宗が漢字の読めない庶民のために考案させ公布したとされるが、漢字を敬う支配層の事大主義に抑え込まれ、あまり普及しなかった。それをよみがえらせたのは明治の日本人である。漢字かな(カナ)混じり日本文に似た「漢字ハングル混じり文」を考案し、朝鮮に持ち込んだ。朝鮮王国はそれを公用語(国文)として受け入れた。
 
 日本に併合された後、ハングルは国文ではなくなったものの(公用語は日本語)、準公用語として認められ、学校教育をはじめ社会生活で堂々と使われていた。朝鮮総督府はハングル教育のための辞書も編纂している。

 したがって、反日、克日の目的で漢字を追放しハングルに切り替えたのは、大いに矛盾した政策だったことになる。3年前、麻生太郎・自民党政調会長(当時)が講演で「ハングルは日本人が広めた」と言ったとたん、韓国から「何という妄言か、取り消せ」と強い抗議が寄せられた。
 韓国民が怒る「妄言」のうちでも、これは特A級の妄言ということになるだろう。無条件に全否定しないと、自己矛盾で動きがとれなくなってしまうからだ。韓国民はハングルを世界に誇れる最も優れた文字だと信じている。

 日本としては、そういう矛盾をやんわりと突くのが、うまい外交ではないだろうか。もういちど漢字を取り入れてハングル混じり文に変えていきませんか、と提案する。その漢字は、日本、中国、韓国、台湾で統一化を図ろうではありませんか。中国の漢字も、簡略化しすぎて「感字」から離れてしまったから、、。

 漢字という名称も換えて、「共通文字」と呼んだらいい。共通文字があれば、どの国民も歴史上の文献を自分で検証することが容易になる。「文献がない」「全部、秀吉が浚っていったから」と片づけて独自の「過去史」を夢想することもなくなる、、、はずだ。

 日米中の共同歴史研究よりも、また日中韓の教科書研究よりも、このほうがよほど現実的で未来志向ではないだろうか。外交には上策、中策、下策、がある。
(06/01/27)
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by thinkpod | 2006-02-08 21:36 | 半島
2006年 02月 08日

爆笑!w朝鮮日報は知っていた!!韓国人と議論が成り立たない理由wwwwwwwww

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=1829823

「我々が漢字の廃止により失った中で最大のものは「概念を用いて抽象度の高い思考を展開すること」である。

例えば「至高の存在」の「至高」、「賢人に学ぶ」の「賢人」、「水防対策」の「水防」がわからない。「存在」「学ぶ」「対策」は一般に使われるからわかるが「至高」「賢人」「水防」は日常的に使われることがないためわからない。

我が国では先のような意味のわからない言葉を 、ハングル専用世代はしかたなく読み飛ばす。実にいい加減な読み方しかできていないのが実情である。

読み飛ばしが習慣となること、自分の知らない漢字語がちょくちょく出てくるような書物や雑誌を読まなくなってしまうことである。

メディアは読者に合わせて語彙を選択するようになり、その悪循環から概念語や専門語に乏しい、通俗的な文章ばかりが蔓延していくのである。

訓民正音専用のおかげで、「世界一読書率の低い国民」になってしまった。

朝鮮では深遠な哲学や思想の議論は成り立たない。訓民正音だけで世界的な水準を持った論文を書くこともほとんど不可能である。ご老人の中には朝鮮語で難しいことは考えられない。考えようとすれば


どうしても日本語になる。

と言われる方が何人もいる。



崇實大学名誉教授・安秉煜氏は「ハングルは表音文字であるため表意性が無いから意味把握が不確実な場合が多い」と言う。

田舎へ行った時、ハングルで「소주 밀식」と書いてあったが意味が分からなかった。「焼酎を秘密に作って飲みなさい(焼酎密食)」かと思ったが、農業組合の人に聞いてみると「小株密植」だった。

朝鮮語で「全」と同じ発音をする漢字は150あり、それらを用いた熟語は2500程ある。専、田、前、典、展、電、戦、転、伝 は全く違う意味を持つがハングルでは同じ表記(전)。

1995年に話題になった「竪穴式石室発掘」「高速道路慶州駅舎予定地」について、一般的に知られているはずの この2つの漢字語をハングルだけで書いて、意味がどれだけ理解できるかを一般人140人を対象に調査したところ、まともに理解できている者は一人も居なかった。

回答例「竪穴式石室発掘」→「人を殺してその血を墓の中に入れる事」「高速道路慶州駅舎予定地」→「慶州にある歴史遺物を一箇所に集めて保管する予定地」(「朝鮮日報」1999年2月11日付)」(以上引用)

http://ameblo.jp/rockingcurry/entry-10004840324.html
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by thinkpod | 2006-02-08 21:26 | 半島
2006年 02月 04日

世論調査「世界に最も良い影響与えている国」日本が1位に

 世界に最も「良い影響」を与えている国は日本—。米メリーランド大が世界の約4万人を対象に実施した英BBC放送との共同世論調査で、こんな結果が出た。同大が3日発表した。逆に最も悪影響を与えている国は、核問題が国際社会の反発を招いているイランで、次いで米国だった。

 調査は昨年10—12月に米州、欧州、中東、アフリカ、アジア各地域の33カ国で行われた。質問の対象となった国は日本、米国、中国、イランなど。

 調査結果によると、日本が世界に「好影響」を与えているとの回答は、33カ国中31カ国で「悪影響」を上回り、平均すると好影響が55%、悪影響が18%だった。具体的に何が判断材料となったかについては触れられていない。

 日本との関係が悪化する中国では16%対71%、韓国では44%対54%で、いずれも日本が悪影響を与えているとの回答が好影響との回答を上回った。半面、好影響との回答が多かったのはインドネシア(85%)やフィリピン(79%)。米国では66%が好影響と答えた。

 一方イランに対しては、悪影響との答えが33カ国中24カ国で好影響を上回った。昨年ワースト1だった米国は、昨年と同じく20カ国で悪影響が多数派。中国は20カ国で好影響が多数だったが、平均すると9ポイント下落した。(共同)

(02/04 12:29)
世論調査「世界に最も良い影響与えている国」日本が1位に
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by thinkpod | 2006-02-04 22:36 | 国際
2006年 02月 04日

植民地時代に教育水準向上 麻生外相、台湾に触れ

 麻生太郎外相は4日午後、福岡市で講演し、日本が植民地支配下の台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるがゆえに、今の時代に追いつけている」と述べた。
 日本と関係の深い地域として台湾に言及する中での発言。
 麻生氏は「これは台湾の偉い方から教えてもらった話で、年配者は全員知っていた。われわれの先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直その時思った」と述べた。
 また、当時の日本の政策について「最初にやったのは義務教育。(台湾の家族が)子どもを学校に出したら1日の日当を払う大英断を下した」と強調した。
(共同通信) - 2月4日20時21分更新
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by thinkpod | 2006-02-04 22:12
2006年 02月 04日

「ヤルタの記念碑を」 四島返還反対派がユジノで集会

2006/02/03 08:57 
【ユジノサハリンスク2日山野辺享】ロシア・サハリン州の州都ユジノサハリンスクで二日、北方領土の返還反対派が住民集会を開き、「(北方領土を含む)千島列島は一九四五年二月のヤルタ協定でロシア領になることが決まった」として、協定に署名した米英ソ首脳の記念碑建設を州政府などに求める決議を採択した。

 二月二日は北方領土を管轄するサハリン州が六十年前に行政組織になった記念日。州議会議員や学者らでつくる「ロシア東部の領土保全のために」が主催し、会場のレーニン広場に政党や民族団体のメンバーら約二百人が集まった。

 北方領土問題で強硬派として知られるポノマリョフ州議会議員は「記念碑はロシアの国土保全と世界秩序の安定のために建てたい」と説明し、連邦政府にも働きかける方針。ヤルタ協定は旧ソ連が千島列島獲得と引き換えに対日参戦を約束した協定で、日本政府は「日本が参加していない協定には拘束されない」としている。

<写真:「私たちの国、私たちの島」と書かれたプラカードを掲げる参加者たち(山野辺享撮影)>
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by thinkpod | 2006-02-04 21:58
2006年 02月 04日

【国外元ハンセン病患者への補償再考を】 元サハリン再開支援会 新井佐和子

産経新聞2月1日付け朝刊、読者アピールより
【国外元ハンセン病患者への補償再考を】 元サハリン再開支援会 新井佐和子

  一月二十日付の産経新聞記事によると、韓国、台湾など国外のハンセン病療養所の元入所者に対し、国内の入所者並みの一人あたり八百万円の補償金を支給する改正案を、通常国会に提出することになったと報じている。

 すでに国内では、「元ハンセン病患者の隔離政策は憲法違反」とする判決に基づいて施行された「ハンセン病補償法」によって補償が行われているが、台湾人、韓国人についてはそれぞれの提訴によって、一審は台湾が勝訴、韓国が敗訴となっている。

 そもそも隔離政策を不当とするこの法案そのものに、私は違和感を覚えるのだが、それはさておき、韓国が台湾と同等の権利を有すると考えるのは間違っている。

 なぜなら日韓の間では一九六五年の日韓基本条約によって、すべての補償は清算ずみだからである。ところが、この条約はまず「サハリン」で破られ、以後、「被爆者」「慰安婦」などの補償実現に続いて、いままたこの補償法案が成立しようとしていて、いまや反故同然となっている。

 そして、この後に待ち受けているのは、朝鮮半島統一後に必ず起きるであろう“一千万人強制連行”の補償要求である。

 ところで、ハンセン病患者の救済には歴代の皇后さまが格別の配慮を示され、内帑金(ないどきん)の御下賜、親しく入所者を見舞われるなど、今でも財団(ハンセン病について正しい啓蒙活動を行うという趣旨で設立)初代総裁の故高松宮さまおよび妃殿下の故喜久子さまを神様のように思っている入所者がたくさんいる。このような「隔離」とは、こういう高貴な方々の啓蒙活動によって、世間の人々が偏見を持たなくなるまでの保護対策であったといえる。当然、併合時代の朝鮮においても日本の皇族から嫁がれた李方子妃の庇護の下で過酷な差別の目から逃れて暮らすことができたと考えられよう。

 ところが解放後はどうなっただろうか。「解放後から一九五七年まで、ハンセン病患者集団虐殺事件が十件発生した」と、最近韓国の人権委員会が報告している。



 ☆編集者へ=つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)から。

 四月号、豊中市の辻孝次さんへ。

 一月二十五日のNHKニュースの報道についての御質問に対し、僣越ながら参考意見を述べさせていただきます。

 私は、この報道は聞いておりませんが、これは、サハリンにいる韓国人の一部が、韓国に集団永住帰国するというニュースのなかでの解説とおもわれます。

 ところで、ご質問の、(一)日本軍の朝鮮半島の占領、(二)ハバロフスクへの強制労働のための移住、という首を傾げるような報道を、公共放送が疑問を持たずに行うようになってしまった背景には、つぎのようなことがあると考えております。

 それは、一部の日本の知識人たちが、ある政治目的のために在サハリン韓国人の歴史を捏造してしまったことが原因です。

 その人たちは、「四万三千人のサハリン残留韓国・朝鮮人は戦争中日本国によって強制連行されて行った人々で、戦後日本人だけを引き揚げさせて朝鮮人は置き去りにしてきた」と主張し、その責任として日本政府から多額(数十億円)の補償金を拠出させています。今回、その補償金で韓国に建てた居住施設に、永住帰国するサハリン残留韓国人一世夫婦約千人が三月までに入居することになりました。

 しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人)は、前記一部の知識人が言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦中を通じて好景気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労働者とその家族です。なかには戦争末期に徴用というかたちで強制労働に就かされた人もいますが、それは百人にも満たない数です。

 終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領されてから彼らは日本人と区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時に大陸部からロシア系の朝鮮人や、現北朝鮮からの労働者を移入させたので、サハリンの朝鮮族の人口は、二年後には四万三千人にふくれあがりました。

 それとは別に、ロシアの大陸部には五十万ほどの朝鮮族がいますが、その人々の大部分は一九三〇年代にスターリンによって沿海地方から中央アジア地方に強制移住、強制労働させられてきた人たちの子孫です。

 ところで、日本政府が全面的に援助しているサハリン韓国人帰国支援事業ですが、その対象となる人は、終戦時樺太にいた韓国人のみでなく、前記のように戦後移入してきてそのまま居ついた人や、サハリン以外の地にいた人でも一九四五年以前に生まれた人なら皆含まれているようです。永住帰国とは別に十年前からこれも日本政府が毎年一億円以上の予算をつけて行われている韓国への一時帰国(里帰り)事業には、明らかにロシア大陸に一九三〇年代に強制移住させられた人が含まれていたことを、私は数年前、韓国の新聞記事で確認しています。

 そこで、ご質問の(二)について考えられることは、現在、大陸に居住している朝鮮族のために置かれているとみられる「ハバロフスク離散家族会」というのがありますが、そこで扱った帰国者のなかに、ソ連による沿海地方から大陸への「強制移住者」が含まれていたことから、このような誤報がなされたのではないかということです。

 (一)についていえば、以上のようにサハリン在住韓国・朝鮮人の由来が意図的に歪められたり、また他でも韓国には謝罪と補償を繰り返していることから、朝鮮半島は条約によって日本と併合されたという基本的な認識がだんだん薄れてきているからなのでしょう。NHKに限らず、あらゆる報道機関で、この「サハリン韓国人問題」を正しく理解し報道しているところは、いまのところ産経新聞以外にありません。

 長い間彼らが帰れなかった理由は、冷戦時代の国際情勢によるもので、日本国にはなんら責任はありません。とはいえ、戦中戦前から樺太にいた韓国人でいま身寄りもなく、故郷に帰りたいという人がいるならば、人道的な見地から援助の手をさしのべるのにやぶさかではありませんが、実際は、その他の人たちにも無制限に日本の国費で援助しているというのが現実で、そのためいろいろな弊害が出ています。

 以上「サハリン韓国人問題」の間違った解釈は、困ったことに「広辞苑」などの辞典や教科書にも書かれて、既に定着しています。

 詳しくは拙著「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」(草思社)をご参照頂ければ幸いです。

 ☆編集者から=新井さん、お久し振りです。じつは新井さんのコメントを心待ちしていました。ありがとうございました。

月刊「正論」
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2000/reader/05-r1.html

特集「こんなものはいらない」
果てしなき韓国への補償——ハンセン病患者にも
「正論」2006年5月号
http://hansentoa.genin.jp/sr0605.html

「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援





目撃談・サハリン残留韓国人VS的場官房副長官
  
 昨日、たまたま本屋で的場順三官房副長官の著書「座して待つのか、日本人」が目にとまり、買いました。平成12年7月に初刊発行なので新しい本ではないのですが、的場氏が安倍内閣の官房副長官に抜擢されたこともあり、再びクローズアップされたようです。

 安倍首相は、事務方の官房副長官(全官僚のトップ)は厚生省や自治省など旧内務省から出すというこれまで連綿と続いてきた霞ヶ関のルールを打ち破り、大蔵省出身で元国土庁長官、民間経験の長い的場氏を副長官につけました。

この人事には、安倍首相が女系天皇実現を強引に進めようとした古川元副長官(旧厚生省出身)や、中国にハニートラップをしかけられた上海総領事館員の自殺を小泉前首相に知らせなかった二橋前副長官(旧自治省出身)に不信感を募らせていたという背景があります。一方、的場氏は安倍首相の父、晋太郎元外相時代からの付き合いとあって、気心が知れていたということもあるでしょう。

それでここからが本題ですが、今回、的場氏の本を読んでいると、サハリン(樺太)でのエピソードが紹介されていました。「朝鮮系ロシア人の言いがかり」という見出しがついていて、次のように書かれています。

《カムチャッカとサハリンの視察に行った折、朝鮮系ロシア人と出会った。このとき、彼らがサハリンに置き去りにされたのはすべて日本政府の責任で、いまでも日本政府は彼らに対して責任を負うべきだと高圧的な感じで迫ってきた。一緒に行った人たちに著名な評論家が多かったためか、雑誌や新聞に彼らの主張を掲載して、そのコピーを送れと要求された》

実は、私はそのときの視察団(日本財団主催)の末席に連なっていました。著名な評論家とは、田久保忠衛氏、屋山太郎氏、日下公人氏らのことです。ですから、この朝鮮系ロシア人との会話もだいたい覚えています。私は平成10年8月に書いた連載記事「日露共生(5)」の中で、こんな風に書いています。

《一方、日本サハリン州経済開発促進協会の趙応奎さん(六五)によると、韓国人は南樺太が日本領となった日露戦争後の一九〇五年ころからサハリンに移り住み始めたという。「戦前の樺太は豊かで、うちは祖父が自分で樺太に渡り、養狐場をやっていた。戦後は、ソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」

 この地に来た韓国人には、(1)戦前戦中の出稼ぎや自由募集、または日本による徴用(2)戦後、友好国の北朝鮮からの労働力募集(3)スターリンの命令で沿海州から中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタンに強制移住させられていて、共産主義指導のため再び移された-の三通りがある。

 南部の港湾都市、コルサコフ(旧大泊)の市場で働く韓国人女性(七〇)は、日本名「山下花子」と名乗り、話しかけてきた。

 「来年三月、五百世帯が韓国に引き揚げるんだよ。今、日本の援助で韓国に家を建てているんだ。一時帰国で見に行ったけどなかなかいい家で、私もここ生まれだけど引き揚げる」

 「山下さん」がいう一時帰国とは、日本政府が平成元年から毎年、一億二千万円前後の支援をしている事業を指す。また、政府は「自社さ」連立の村山内閣時代の平成七年、“人道的見地”から二十七億円以上かけて韓国・ソウル郊外に永住帰国者のため五百戸のアパート建設を計画、今年十二月に完成する予定だ。居住の条件では、日本の徴用でサハリンに来たかどうかは問われない。

 ただ、こうした善意の支援は「日韓基本条約で補償問題は解決済みというが、支援は日本政府が不十分だと認めているからだ」(サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長)と受け止められ、新たな要求の根拠とされている。

 二世であるパク会長は、「ロシア経済は悪く、裕福な韓国に戻りたい人が増えている。日本が何もしていないとは言わないが、もっと帰国支援をすべきだ」と憤まんをぶつけた。》

ここにも村山内閣の後遺症が…という感じですね。的場氏がいう朝鮮系ロシア人とは、このケーレン氏のことです。私は現場で、的場氏が顔を真っ赤にして、ケーレン氏を相手に正論を力説する姿を見ています。そのときに私は、この人は割と信用できるなと感じたのを覚えています。的場氏は著書の中で次のように書いていますが、ケーレン氏にも同様の説明をしていました。

《少なくとも韓国との話し合いはすでに済んでいる。1965(昭和40)年に日韓基本条約を結び、外貨準備が少なく、まだ日本人がそれほど豊かではなかった時代に8億ドル以上(政府無償贈与3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル以上)もの実質的な賠償を払っている。今の経済力でみれば小さい金額と言えようが、払った時代から言えば大変な額を払った。》

《また、ソ連と北朝鮮政府との間で協定を結んで、労働力不足のために送り込んだ人たちに関しては、われわれには何の責任もない。それは北朝鮮とロシア政府が責任を負うべきものである。いわんや、スターリンが中央アジアで共産主義教育をして送り込んできた人たちに対しては、日本が負うべき義理はまったくない。》

こうした的場氏を中心とする視察団の反論に対し、日本人たちからの反論が珍しかったのか押され気味のケーレン氏が繰り出してきたのが、「でも、日本の著名な弁護士であるT氏がもっと日本政府から賠償を取れると話していた」という内容の言葉でした。T氏は、人権派弁護士として慰安婦訴訟などにもかかわっているある種の有名人です。

私はその数年前、インドネシアで慰安婦問題の取材をしている際にも、現地の人から「T弁護士の指示に従った」と聞いたことがあったので、「ここでもTか!」と驚きました。インドネシアでのエピソードについては、拙ブログの7月9日のエントリ「火のないところに火をつける人たち」に書いていますので、関心のある方はご笑覧ください。

ちなみに、われわれはケーレン氏にお茶に招かれ、彼の自宅マンションも訪問したのですが、かなり広い部屋を二つぶちぬいた2世帯仕様になっており、サハリンの中ではかなり裕福な部類だったようです。的場氏はケーレン氏について、こうも書いています。

《一番問題なのは、スターリン時代に、北朝鮮の隣の沿海州シベリアにいたロシア語のわからない朝鮮人を再教育する目的で中央アジアに強制移住させ、その人たちがサハリン州政府の要職に就いたことである。(中略)実は、日本政府に責任を取れと言ってきたのは、サハリンの局長クラスをリタイアした後、顧問として残っている彼らの一人だったのである》

ともあれ、日本は国外だけではなく、国内にもたくさんの反日勢力を抱えている内憂外患の状態にあると思います。本来なら、心ある保守陣営が相互に批判しあったり、足を引っ張りあったりしている場合じゃないと思うのですが、現実はあまり芳しい状況にはないようです。

この的場氏にしても、私はこのサハリンでの会合以来、「事なかれ主義が多い並のお役人とは違うな」という印象を持っていますし、安倍政権のスタッフの一人ひとりはなかなかたいした人物だと思っています。それでも、歯車がうまく回転しないときがあるのを見るにつけ、「百鬼夜行、魑魅魍魎の跋扈する永田町」というフレーズが思い浮かびます。

すっきりと、小気味よくうまくいくことなんてあまりないなあ。最近、つくづくとそう感じています。

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/91573





火のないところに火をつける人たち

 きょうは前回ブログの続きです。10年前、中京テレビが放映した慰安婦特集番組の不自然な字幕について書いた私は、さらに事実関係を検証するためにインドネシアに向かいました。

 インドネシアでは、空港からホテルへと向かう際に、早くも華僑の白タクに引っかかって相場の数倍の料金をとられたりもしましたが、幸運なことに中京テレビの番組で取材協力者と紹介されていた男性通訳、ワヒューさんと接触することができました。

 彼は日本語が堪能で、中京テレビの取材人と20日間にわたって行動をともにしていたそうです。番組は、ジャワ島西部の町、スカブミに元慰安婦たちが日本からの補償を求めて結集した-というシーンから始まるのですが、ワヒューさんによると、実態はこうだったそうです。

 「慰安婦集会はテレビ局の要請で特別に集めたもので、交通費もテレビ局が負担した。奥さんたち(元慰安婦とされた女性たち)はこのとき、『集まるのはもう3回目になるのに、まだお金がもらえない。もういやだ』と怒り出しました」
 「それ以前にも2回、同じような集会が開かれましたが、それは日本人のライター(戦後補償実現市民基金代表)らが『補償問題で日本政府を追及します』と集めたものでした」

 また、首都ジャカルタでニューズ・レターを発行し、現地事情に詳しい元日本兵の石井サトリアさんにも話を聞くことができました。石井さんは、こう証言しました。

 「インドネシアで慰安婦問題が浮上したきっかけは、3年前にやってきた日本の弁護士。彼らは地元紙に『補償のために日本から来た。元慰安婦は名乗り出てほしい』という内容の広告を出した。それまでは、インドネシア人の間で慰安婦について話題になることはなかった」

 当時、元慰安婦女性の登録作業を行うなどの実働部隊を務めていた「元兵補中央協議会」のラハルジョ会長も訪ねて話を聞きました。兵補とは、日本軍政時代に補助兵として採用されたインドネシア人のことです。

 元兵補中央協議会の活動は、もともとは戦時中の兵補の強制貯金の未支払い分に対する賠償要求が目的で、慰安婦とのかかわりは薄かったといいます。そんな彼らがなぜ慰安婦問題に取り組むようになったのか聞くと、ラハルジョさんははっきりとこう答えました。

 「東京のT弁護士の指示を受けて始めた。『早く』と催促も受けた。われわれは元慰安婦に対するアンケートも行っているが、これもT弁護士の文案で作成した」

 T弁護士は有名な方で、当時、「従軍慰安婦訴訟」にかかわり、戦後補償関係の著書もある人です。

 T弁護士に帰国後、電話でコメントをいただこうとしたところ、いきなり「産経には日頃から不満がある。訴えてやろうか」と脅かされました。ただ、私がラハルジョさんに直接会って話をしてきたと言ったところ、慌てた様子で「えっ…。一度会ってお話がしたい」と下手に出てきました。不思議ですね。

 それはともかく、元兵補中央協議会はT弁護士らの指導に従い、実際には慰安所で働いていない女性も含め、2万人近くもの元慰安婦女性の登録を行い、「1人当たり200万円の補償を要求する」としていました。

 しかし、実際は「登録したら、日本から補償がもらえる。金額がすごいというので盛り上がったが、それまでほとんどの人が慰安婦の存在すら知らなかった」(スカブミでインタビューした青年)というのが本当のようでした。

 2万人という登録者の数について、戦時中のことをよく知る老舗英字紙「インドネシア・タイムズ」の会長に聞いたところ、「ばかばかしい。1人の兵隊に1人の慰安婦がいたというのか。われわれは中国とも韓国とも違う歴史とプライドがある。『お金をくれ』などとは、360年間わが国を支配したオランダにだって要求しない。日本大使館は何をしているのか。日本を理解させようとしていないのではないか」と吐き捨てました。

 日本軍政時代、インドネシアにいた日本人は民間人を含め、多いときで4万5000人ぐらいだったそうです。

 この世の中には、日本を悪者にして、日本を困らせるためには、どんな手段も厭わないという日本人がいる。本当にわけのわからない話ですが、これは確かなようです。そして、世界各地で反日運動を煽っているのも、何割かは日本人自身なのかもしれません。

 実は、このインドネシアで有名だったT弁護士の名前を、それから3年後の平成11年に遠く離れた樺太(サハリン)の地で耳にし、驚いたことがあります。

 ユジノサハリンスクで、サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長と話していた際に、パク氏は「日本はもっと韓国への帰国支援をすべきだ」と言い出しました。

 実はサハリン残留韓国人は、日本が徴用で連れてきたというよりも、自分の意思で来た人の方が多いようですが、それはそれとして日本は村山内閣時代に、ソウルに27億円かけて永住帰国者のためのアパートを建てるなど、帰国支援を続けています。

 「韓国人は日韓併合前から、サハリンに移り住み始めていた。戦後は、労働力がほしかったソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」と現地の残留韓国人が教えてくれました。

 ところが、パク氏はこうした善意の支援についても「日韓基本条約で補償問題は解決済みというが、支援は日本政府が不十分だと認めているから行われているのだ」と受け止めていました。

 そして、さらなる補償を求める論拠として、パク氏の口から飛び出したのが、またしてもT弁護士の名前でした。

 「東京で、すばらしく大きな弁護士事務所を開いているT弁護士が、日本政府にもっと要求しなさいと教えてくれた。T弁護士のいうことだから、間違いないはずだ」

 なんという反日にかけるエネルギーでしょうか。そら恐ろしい思いがしました。インドネシアとサハリンで私が同じ名前を聞いたということは、このほかの国でもどうようの活動をしている可能性が高いということでしょう。敵は強大です。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/12174/#cmt




news archives : 「従軍慰安婦」問題(下)
■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。

JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html
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by thinkpod | 2006-02-04 03:55 | 政治経済