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2005年 07月 30日

「日本海」19世紀には定着=呼称問題で韓国に反論−外務省

 「日本海」の呼称は植民地時代に定着した。もともとは「東海」が正しい−。
こうした韓国の 主張に反論するため、外務省は30日までに、米議会図書館所蔵の14—19世紀の地図を 対象に行った調査結果をまとめた。日本が鎖国していた19世紀には、欧米地図の8割超が 「日本海」としていたことが分かるなど、韓国の主張を真っ向から否定する内容だ。
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by thinkpod | 2005-07-30 02:54 | 政治経済
2005年 07月 25日

[人権擁護法案]「やはり一から作り直すべきだ」

 会期末まで残り少ない今国会に、これほど問題点の多い法案を無理に提出する意味は、もうないだろう。

 人権擁護法案については、自民党内でもまだ、意見集約ができていない。郵政民営化関連法案が順調に成立した場合、速やかに党内で法案了承手続きを進め、国会提出を目指す動きもあるが、取りやめるべきである。

 党内の反対派議員でつくる「真の人権擁護を考える懇談会」は、これまで法案の様々な問題点を指摘し、法務省などに条文の修正を迫ってきた。

 法案の問題点の一つは、人権侵害の定義があいまいなことである。

 「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」とされている。だが、この規定では、例えば拉致事件に関し、在日本朝鮮人総連合会の活動を批判する政治家の発言なども、「差別的言動」として「その他の人権侵害行為」に該当する、とされかねない。

 現に発生した人権侵害による被害だけでなく、これから発生する「おそれのある」ものまでが対象とされている。自由な言論・表現活動を委縮させる結果につながる恐れが大きい。

 二つ目は、法務省の外局に置かれる人権委員会の権限が強大すぎることだ。

 「特別救済手続」と称して、裁判所の令状なしに、関係者に出頭を求め、質問することができる。関係書類を提出させたり、関係場所に立ち入ったりすることも可能だ。

 正当な理由なく拒めば、過料が科される。これも運用次第では、言論・表現活動の場に、「弾圧」にも等しい権力機関の介入を招き、調査される側の人権が不当に侵される恐れがある。

 三つ目は、地域社会の人権問題に携わる人権擁護委員の選任資格の問題だ。法案には、現行の人権擁護委員法にある国籍条項がなく、外国人も委員になることができる。

 懸念されるのは、朝鮮総連など特定の団体の関係者が人権擁護委員になり、自分たちに批判的な政治家や報道内容について調査し、人権委員会に“告発”するようなケースだ。

 懇談会は、人権侵害の定義の明確化、人権委員会の権限抑制、国籍条項の導入などを求めた。法務省は一部を除き、根本的修正にはほとんど応じなかった。

 真に、かつ迅速に救済が図られるべき人権を守り、一方で、新たな人権侵害を生む余地のない法案を目指すべきだ。

 そのためには、一から作り直すしかないだろう。拙速な国会提出に、これ以上こだわるべきではない。

(2005年7月25日1時40分 読売新聞)
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by thinkpod | 2005-07-25 02:48 | 人権
2005年 07月 24日

沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損

 先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。

 訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。

 訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店。

 訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。

 沖縄戦の集団自決をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。

 疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。

 その後も、昭和史研究所(代表・中村粲元独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。

平成17(2005)年7月24日[日]Sankei Web
沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き






悪意の幻想 〜 沖縄戦「住民自決命令」の神話

「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要した」との神話が崩されつつある。
■ H18.11.19

■1.日本軍が『集団自決』を強要!?■

「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要した」との
「説」に関して、いま裁判が行われている。この「説」は高校
や中学の教科書にも登場する。[1,p336]

 犠牲者のなかには慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本
軍によって『集団自決』を強要された住民や虐殺された住
民も含まれており・・・(三省堂の高校日本史A)

 軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集
団的な自殺を強制した(日本書籍新社の中学社会)

 裁判というのは、集団自決が起こったとされる座間味島の守
備隊長だった梅澤裕・元少佐と、渡嘉敷村の守備隊長だった故
・赤松嘉次元大尉の弟・赤松秀一さんが原告となり、『沖縄ノ
ート』などで長らくこの説を流布してきた大江健三郎氏と岩波
書店に対して、出版停止と謝罪広告、慰謝料2千万円を求めた
ものだ。

■2.遺族援護のために「命令を出したことにしてほしい」■

 判決はこれからだが、この「説」が事実でないことを示す決
定的な証言がすでに出ている。

 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島
で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人
・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)
=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病
者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令とい
うことにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とす
る住民は1人もいなかった」と証言した。・・・

 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となって
いたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱
いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていし
ん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)
に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同
意を得たという。・・・

 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さ
なければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるた
びに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。[2]

■3.「全島民、自決せよ」■

「自決命令神話」を最初に世に広めたのは、昭和25年8月に
沖縄タイムス社から出版された『鉄の暴風』である。この本で
は、当時の状況を次のように描写している。

 昭和20年3月26日、米軍の一部が渡嘉敷島の海岸数カ所
から上陸を始めた。赤松大尉率いる守備軍は、渡嘉敷島の西北
端の西山A高地に移動した。

 ・・・移動完了とともに、赤松大尉は、島の駐在巡査を
通じて、部落民に対し、『住民は捕虜になる怖れがある。
軍が保護してやるから、すぐ西山A高地の軍陣地に避難集
結せよ』と命令を発した。さらに、住民に対する赤松大尉
の伝言として、『米軍が来たら、軍民ともに戦って玉砕し
よう』ということも駐在巡査から伝えられた。・・・

 住民は喜んで軍の指示にしたがい、その日の夕刻までに、
大半は避難を終え軍陣地付近に集結した。ところが赤松大
尉は、軍の壕入口に立ちはだかって「住民はこの壕に入る
べからず」と厳しく身を構え、住民達をにらみつけていた。
・・・

 二十八日には、恩納河原付近(JOG注:西山A高地の一帯)
に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松から
もたらされた。

『こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の
必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍
に出血を強いてから、全員玉砕する』というのである。

 住民には自決用として32発の手榴弾が渡されていたが、こ
の時さらに20発増加された。住民たちは各親族どうしが一塊
になって、その中心で手榴弾を爆発させた。

 手榴弾はあちこちで爆発した。轟然たる不気味な響音は、
次々と谷間に、こだました。瞬時にして----男、女、老人、
子供、嬰児----の肉四散し、阿修羅の如き、阿鼻叫喚の光
景が、くりひろげられた。死にそこなった者は互いに棍棒
で、うち合ったり、剃刀で自らの頸部を切ったり、鍬で親
しいものの頭を叩き割ったりして、世にも恐ろしい情景が、
あっちの集団でも、こっちの集団でも同時に起こり、恩納
河原の谷水は、ために血にそまっていた。[1,p51]

■4.「最後まで生きて、生きられる限り生きてくれ」■

 作家の曽野綾子氏は渡嘉敷島に渡り、当時の状況を直接見聞
した人たちの証言を丹念に集めた。

 上の引用で、赤松大尉から自決命令を伝えたとされる「島の
駐在巡査」安里喜順氏は、赤松大尉に部落民をどうするか相談
にいった時のことをこう語っている。

 そうしたら隊長さんの言われるには、我々は今のところ
は、最後まで(闘って)死んでもいいから、あんたたちは
非戦闘員だから、最後まで生きて、生きられる限り生きて
くれ。只、作戦の都合があって邪魔になるといけないから、
部隊の近くのどこかに避難させておいてくれ、ということ
だったです。

 しかし今は、砲煙弾雨の中で、部隊も今から陣地構築す
るところだし、何が何だかわからないまま、せっぱつまっ
た緊急事態のときですから、そうとしか処置できなかった
わけです。[1,p145]

『鉄の暴風』が言うような安全な「壕」など存在しなかった。
部隊は米軍の「砲煙弾雨」の下で、穴一つなく「今から陣地構
築する」という状況だったのである。

 そんな状態の部隊に、住民が混じれば、一緒に攻撃を受ける
ので、かえって危険である。少なくとも住民が部隊と離れて避
難していれば、米軍が非戦闘員への攻撃を禁じた戦時国際法に
従う限りは、かえって安全だ。赤松大尉の判断は軍人として適
切だった。

 恩納河原には、住民達がいざという場合のために作った避難
小屋があった。住民たちはそこに逃げ込んだ。

 しかし皆、艦砲や飛行機からうちまくる弾の下で、群集
心理で半狂乱になっていますからね。恐怖にかられて・・
・・この戦争に遭った人でないと、(この恐怖は)わから
んでしょう。[1,p147]

 その混乱の中で悲劇は起こった。

■5.「何でこんな早まったことするね、皆、避難しなさい」■

 曽野氏が赤松元大尉に、「自決命令は出さないとおっしゃっ
ても、手榴弾を一般の民間人にお配りになったとしたら、皆が
死ねと言われたのだと思っても仕方ありませんね」と問うと、
赤松・元大尉はこう答えた。

 手榴弾は配ってはおりません。只、防衛召集兵(JOG注:
部隊に招集された地元民の成年男子)には、これは正規軍
ですから一人一、二発ずつ渡しておりました。艦砲でやら
れて混乱に陥った時、彼らが勝手にそれを家族に渡したの
です。今にして思えば、きちんとした訓練のゆきとどいて
いない防衛召集兵たちに、手榴弾を渡したのがまちがいだっ
たと思います。[1,p153]

 村民達が自決を始めたなかに4人の女性がいた。手榴弾が不
発で死ねなかったので(多くの村民は手榴弾の扱い方を知らな
かった)、「敵に突っ込もう」と、4人は部隊の本部に行った。
彼女たちは曽野氏にこう語っている。

A 私は行ったわけですよ、本部に。赤松隊長に会いに。
B 本部のとこに、突っ込みに行ったから「何であんた方、
早まったことをしたなあ」
C 「誰が命令したねえ」
D 「何でこんな早まったことするね、皆、避難しなさい」
と言った。[1,p172]

 これが集団自決を知った赤松隊長の反応であった。4人はこ
の赤松隊長の言葉で気を取り直し、米軍の砲撃下を他の人びと
とともに避難して、無事生き延びたのである。

■6.「何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさい」■

 曽野氏が当時の多くの体験者から集めた証言から浮かび上がっ
てくる赤松隊長像は、『鉄の暴風』に描かれた全住民に自決命
令を下す悪魔的な人物とはほど遠い。

 古波蔵・元村長はこう語っている。

 (事件から)一週間経って軍陣地から恩納河原へ帰った
時は状況は安定していました。その頃からもう、衛生兵が
来ましてね。いろいろ治療もしてくれました。[1,p142]

 治療をした若山・元衛生軍曹は、それを赤松隊長と軍医から
の命令であった、と断言している。

 また女子青年団長だった古波蔵蓉子さんの証言では:

 私は(JOG注:終戦間近の)7月12日に、赤松さんのと
ころへ斬り込み隊に出ることを、お願いに行ったことある
んですよ。5、6人の女子団員と一緒に。そしたら、怒ら
れて、何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさ
いと言って戻された。[1,p270]

 この古波蔵蓉子さんたちも、衛生兵が治療した人々も、そし
て前節の4人の女性も、赤松大尉によって救われた人々である。
こうした証言を読めば、赤松大尉は自決命令どころか、地元住
民たちになんとか戦火の下で生き延びて貰いたいと、心底から
願っていた事が判る。

 それにしても『鉄の暴風』は何を根拠に、いかにも見てきた
ように正反対の赤松大尉像を描いたのか。曽根氏は著者の太田
良弘氏に会って、太田氏は渡嘉敷島に行っていないこと、証言
者二人に那覇まで来て貰って取材した事を聞き出している。

 この二人は渡嘉敷島の隣の座間味という島の助役と南方から
の帰還兵であった。助役の方は座間味での集団自決は目撃して
いたが、渡嘉敷島での事件は、人から聞いたのみであった。ま
た帰還兵は、事件当時まだ南方におり、当然、事件を直接目撃
していない[1,p63]。

 太田良弘氏はこの二人が周囲から聞き込んだ内容を又聞きし
て、想像を膨らませて、この「文学作品」を書いたのである。

■7.「もし本当のことを言ったらどうなるのか」■

 昭和45年3月26日、赤松元大尉と生き残りの旧軍人、遺
族十数名が、渡嘉敷島で行われる「25周年忌慰霊祭」に出席
しようと那覇空港に降り立った。

 空港エプロンには「渡嘉敷島の集団自決、虐殺の責任者、赤
松来県反対」の横断幕が張り出され、「赤松帰れ! 人殺し帰
れ!」とのシュプレヒコールがあがった。「何しに来たんだよ!」
と激高した人々に取り囲まれて、直立不動の赤松元大尉は
「25年になり、英霊をとむらいに来ました」と答えた。

 結局、赤松元大尉は渡嘉敷島に渡るのを自粛したが、部下達
は慰霊祭に参加し、地元の人々と手を取り合って往事を偲んだ。

 那覇から大阪に帰る前の晩、記者会見が開かれた。その席で
赤松・元大尉の責任を問う記者たちに、部下の一人はこう言っ
た。

 責任というが、もし本当のことを言ったらどうなるのか。
大変なことになるんですヨ。・・・いろいろな人に迷惑が
かかるんだ。言えない。[1,p38]

 冒頭で紹介したように、赤松元大尉が「遺族が援護を受けら
れるよう、自決命令を出したことにして欲しい」と依頼されて
同意した事実が明らかにされたが、赤松元大尉が真相を語らな
かったのは、それによって援護を受け取った遺族たちに迷惑が
かかるからだった。

 遺族たちのために、赤松大尉は「住民自決命令を出した悪魔
のような軍人」という濡れ衣を着せられながら、戦後ずっと弁
明もせずに過ごしてきたのだった。

■8.「悪意の幻想」と闘う裁判■

 赤松・元大尉が「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」
と語っていたという新聞記事を読んで、大江健三郎は『沖縄ノ
ート』にこう書いている。

 人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の
巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねが
う。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶に
たすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の
余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力を尽くす。
・・・

 このようなエゴサントリック(JOG注:自己中心的)な希
求につらぬかれた幻想にはとどめがない。「おりがきたら」、
かれはそのような時を待ち受け、そしていまこそ、そのお
りがきたとみなしたのだ。[3,p210]

 さすがはノーベル賞作家である。新聞記事を読み、「おりが
きたら」というたった一言から、自己弁護のために「過去の事
実の改変に力を尽くす」「幻想にはとどめがない」人物として
赤松・元大尉を描いて見せたのだった。しかし、「幻想にはと
どめがない」のは大江氏自身である。

 現地を訪れもせず、直接の体験者の話も聞かず、いかにも見
てきたように赤松元大尉を悪魔的な人物として描いた『鉄の暴
風』と、この大江氏の『沖縄ノート』は、赤松・元大尉を糾弾
することによって、日本軍を、ひいては日本国家を貶めようと
した「悪意の幻想」の産物なのである。

 この「悪意の幻想」から、赤松元大尉と日本軍、そして日本
国家全体の名誉を救い出すために、岩波書店と大江健三郎に対
する裁判が闘われているのである。[4]
(文責:伊勢雅臣)

1. 曽野綾子『沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実』★★★、
ワック、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898315453/japanontheg01-22%22
2. 産経新聞「『軍命令は創作』初証言 渡嘉敷島集団自決 
元琉球政府の照屋昇雄さん」、H18.08.27
3. 大江健三郎『沖縄ノート』★、岩波新書、S45
4. ブログ「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/107939180.html
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by thinkpod | 2005-07-24 04:11
2005年 07月 22日

日本海呼称問題(米議会図書館所蔵の地図に関する調査)

平成17年7月

 外務省は、平成16年12月から平成17年3月にかけて、米議会図書館が所蔵する14世紀から19世紀の間に発行された地図において、日本海海域の名称がどのように表記されているのか調査した。

 その結果、日本海海域に何らかの呼称を当てた地図1435枚のうち77%が「日本海」との呼称を用いていたことが明らかになった。また、今回調査した地図のうち19世紀に発行された地図の82.4%に当たる1059枚において日本海と表記されていることが明らかとなった。特に、19世紀の中でも、日本が鎖国下であった時代に発行された地図563枚のうち、74%に当たる417枚において日本海と表記されていることが明らかとなり、「『日本海』という呼称は、我が国が鎖国下にあって国際的影響力を行使できなかった19世紀初頭から、ヨーロッパにおいて定着してきたものである」という我が国の主張が改めて確認された。

 (注:韓国は、「『日本海』の名称が支配的になったのは20世紀前半の日本の帝国主義、植民地主義の結果である」と主張し、その根拠の一つとして、同図書館における独自の調査の結果、日本海海域を表記した古地図103枚のうち66%に当たる68 枚が「朝鮮海」または「東海」と表記しており、「日本海」と表記した古地図は14%に当たる14枚にすぎないと発表している。)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/usa/gaiyo.html
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by thinkpod | 2005-07-22 03:46
2005年 07月 15日

【コラム】日本の外交は誰が動かしているのか。

「日本で最も政治的にパワーのある人」を捜しだすためにやってきた宇宙人があちこちを歩き回ったが、徒労に終わり、帰ってしまったというおどけ話を耳にしたことがある。日本の政治構造は、伝統的に非常に分権的だ。天皇制という制度自体が、政治的にはその実体があい昧だ。ある学者はそれを、真ん中ががらんとあいている「ドーナツ型の権力構造」だとした。政治学者・丸山真男氏が語る「無責任の体系」でもある。

 日本の「右傾化」を考えるとき、こうした認識が必要なものと思われる。現在、日本の「平和憲法」体制が急速に変質する兆しを見せているのは事実だ。しかし、それが日本全体がひとかたまりになった体系的な動き、だと考えるのは「まだ」むずかしい。長期的な戦略のもと着々と進められる、統制され、計算された「野心」や「陰謀」を、客観的に確認するのも容易ではない。いま日本の問題は、一貫した戦略の「過剰」ではなく、全体的な外交戦略の「不在」にある、と判断すべきだろう。

 長い間、官僚が統制してきた外交が、脱冷戦の変化について行けず、右往左往する間に、部分的に各「特殊な利益」がばっこし、外交を乱れさせている。日本国民も漠然とした不安感のなか、客観的な利害関係よりは感情的なスローガンに動員されている。これまで、日本外交の行方を決めたものは、拉致(らち)、歴史(靖国神社参拝)、そして自衛隊にまとめられる。昨年11月の「にせ遺骨」事件以降、日本政府が「拉致被害者の一部は生存している」という前提のもと「早期の帰還」を正式に求めて以来、朝・日交渉は停滞している。

 日本内では経済制裁の発動を求める声が高まったが、ブッシュ米政権が「対北朝鮮交渉論」に転じる兆しを見せるにつれ、日本は悩みに陥った。北朝鮮への強硬姿勢が、北東アジア外交で日本をむしろ孤立させているからだ。靖国神社参拝と歴史教科書問題には、日本国内政治の計算、根深い保守的歴史観、日本の相対的な位相低下に対する保守右派の危機意識−−など諸要素が絡まっている。歴史問題が韓国や中国との関係を悪化させていて、民主党だけでなく執権自民党内でも、靖国神社の代案に対する模索や東アジア外交の再構築をめぐる議論が具体化しつつある。

 しかし、国内外的に窮地に追い込まれた小泉首相がむしろ「8月15日に靖国神社参拝」という、真向かいからの突破に踏み切る兆しさえあり、扶桑社版歴史教科書も5年前よりは採択率が大きく高まるもようだ。自衛隊も、米国の軍事戦略・北朝鮮の脅威などに支えられ、日本の軍事力行使に課された政治的かつ物理的な制約を一つずつ解消する「普通国家化」を進めてきた。しかし、これは、日米の軍事的一体化、つまり日本が軍事的に米国に統合される過程でもあり、日本としては「もろ刃の剣」のような選択だ。日本の国益に常に一致するとの保障がないという悩みが伴われる。

 複雑な構造を持った日本の「右傾化」を代える方法も多様に講じられるべきだろう。第一、圧力、すなわち「外圧」は肝要だ。靖国を含め歴史問題の原則を明確にするのは、日本への問題提起のため依然として必要とされる。韓国政府の「歴史問題提起」は、これまで便宜的かつ一時的な性格が強かったのも事実だ。

 第二に、「包容」の戦略も必要とされる。日本の大衆に迫る形と言語でもって批判的なメッセージを伝えること、「日本の良心勢力」だけでなく、政財界の指導層にも食い込むため努力すること、日本の将来の方向も視野に入れた「地域の安全保障協力体制」を多角的に試みること−−などが、それに含まれるだろう。

 第三に、在日韓国人の地方参政権獲得とともに、日本社会を内側から変化させる方法も進めなければならない。そうした点から、今回、韓国が先に、永住する外国人に地方参政権を付与する措置を取ったのは、高く評価されうる。日本が歩む道に韓国が及ぼす影響力は少なくない。



[略歴]1953年生れ。ソウル大中退。日本の国際基督教大学卒業。東大・大学院修了(法学博士)。専攻は東アジア国際政治。米プリンストン大学・客員研究員。著書に『東アジア冷戦と韓米日関係』など。

李鐘元(イ・ジョンウォン、立教大学教授、国際政治学)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65632&servcode=200&code=200
中央日報 2005.07.15 18:50:32



【在日参政権】てこに日本社会を内部から変えよ…李鐘元・立教大教授★3[07/15]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1121578098/l50
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by thinkpod | 2005-07-15 01:54 | 半島
2005年 07月 04日

対日観に異変、過半数が4島返還支持  

  プーチン大統領の11月の訪日を控え、日本の北方領土返還要求への反発が強まるロシアで、51%が4島の日本返還を支持する意外な世論調査結果が公表された。「プーチン政権の世論操作の陰で、親日的な潮流がロシア社会に確実に存在する」(外交筋)との見方もある。

 民間世論調査機関の国際社会学研究センターが6月、ロシア全土の40地域で3200人を対象に実施した。それによれば、北方領土問題の解決策として、「4島をすべて日本に返還」が51%、「ロシアがすべて領有」が24%、「2島返還」が6%、「共同統治」が5%、「国連信託統治」が4%、「日本に長期貸与」が3%だった。

 日ロ関係改善に何が必要かとの質問には、「領土問題解決」が34%、「平和条約締結」が31%、「経済協力拡大」が16%。プーチン大統領訪日で何を期待するかにも、「領土問題解決」が38%、「平和条約締結」が29%、「経済協力協定締結」が14%だった。

 北方領土を返還した場合のロシアの利点としては、「日ロ関係改善」が31%、「信頼と相互理解向上」が23%、「大規模経済協力進展」が20%だった。

 日本に何を期待するかとの質問では、「電子・電気製品」が56%、「自動車」が24%、「子供用品」が9%。日本を訪問したいかには、「イエス」が76%。日本のどんな対ロ投資に期待するかでは、「輸送網の近代化」が33%、「農業部門」が26%、「漁業」が16%だった。

 回答者は領土問題での日本側の主張に理解を示し、驚くほど親日的であることが分かる。日本の4島返還要求を「不当であり、歴史的正当性がない」と反発するプーチン大統領、「日本は第二次大戦の侵略の歴史を無視し、ロシアに対して被害者と振る舞っている」などと反日発言を繰り返すロシュコフ駐日大使らが知ると、腰を抜かすだろう。

 もっとも、昨年11月に世論調査基金が行った調査では、「2島返還にも反対」が66%、賛成は9%にすぎなかった。日本経済への羨望(せんぼう)が強かった旧ソ連崩壊前後の民主化時代には、世論調査で4島返還を支持する意見が比較的多かったが、民族愛国主義を掲げ、メディア操作を行うプーチン体制下では返還反対論が大勢であり、今回の調査は異例だ。

 国際社会学研究センターのカザコワ所長は「調査に当たったスタッフ自身が驚いている。過半数の回答者が4島返還を支持したことは、それだけ多くの国民が、重要な隣人である日本との関係改善を切望していることを意味する。領土問題を解決する潮時となり得る」と指摘した。

 ロシアはこの数年、日本ブームで、寿司バーや日本料理店はモスクワだけで200軒以上。作家・村上春樹の作品がベストセラーになるなど、日本文学ブームだ。ロシアの主要都市には、柔道や剣道、空手のクラブ、日本語教室、茶道、生け花、折り紙などのサークルが大抵活動している。自動車やハイテク製品といった日本製品信奉に加え、ソフト面での静かな日本ブームも、今回の調査結果を支えているかもしれない。

 一方、イズベスチヤ紙が最近行った世論調査では、中国を「ライバル」と答えたのは47%で、「友好国」としたのは7%にすぎなかった。中国の大国化への警戒感が極東・シベリア地域を中心に高まっていることも事実だ。

 7月初めの胡錦濤国家主席の訪ロで中ロ蜜月はピークに達しているが、プーチン政権の「親中・反日外交」は、一般大衆の心理と乖離(かいり)し、国民的支持を得ていない可能性がある。

ユーラシア新世紀
http://www.tbs.co.jp/newsi_sp/eurasian/050704.html


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by thinkpod | 2005-07-04 00:16 | 国際