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カテゴリ:Books( 27 )


2006年 08月 03日

戦争プロパガンダ 10の法則:

1.われわれは戦争をしたくはない。
2.しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ。
4.われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う。
5.われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる。
6.敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。
7.われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。
8.芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。
9.われわれの大義は神聖なものである。
10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である。


内容
東京裁判でただ1人、日本無罪論を展開したインド人のラダ・ビノード・パール判事は、パワーポリティクスの世界では「戦争は犯罪」ではないと言ったが、本書の著者アンヌ・モレリに言わせれば、戦争は犯罪どころかいつだって「正義」なのだ。
あのヒトラーだって「虐げられているドイツ民族を救う」ために、ポーランドに侵攻した。ゲーリングは1939年8月、ライン・メタルの労働者にこう言っている。「ドイツは戦争を望んではいない。たが、欧州を戦火にまきこもうとする者があれば、われわれドイツは防衛のために立ち上がるだろう」

1910年代、自国政府の戦争プロパガンダを批判し続けたイギリスの政治家、アーサー・ポンソンビー(1871-1946)によれば、イギリス政府は国民に「義憤、恐怖、憎悪を吹き込み、愛国心を煽り、多くの志願兵をかき集めるため、『嘘』をつくりあげ、広めた」。彼は労働党議員だったが、イギリスの参戦に反対して労働党を脱退、イギリスの外交政策を監視する超党派の組織を作って「戦時の嘘」(1928年出版の著書)を暴き続けた。この活動から導き出されたのが、戦争プロパガンダの基本的メカニズムを読み解く10項目の「法則」である。

一国の政府が戦争を準備するときは、まず「われわれは戦争をしたくない」「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」ことを国民に訴え、「敵の指導者は悪魔のような人間」であることを信じ込ませる。そして、「われわれの戦争」は領土的野心によるものでなく、「自由」と「民主主義」を守るための「聖戦」であることを、芸術家、思想家、小説家、知識人、およそ文化の担い手とされている人々を動員して、国民の脳裏に焼き付け、最後には「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」というファナティックな信仰心を抱かせる。

モレリは、この「衝撃的」法則を用いて、2つの大戦から湾岸戦争、NATOのコソボ爆撃、アメリカのアフガニスタン空爆までの嘘をあぶり出している。なるほど「善玉」も「悪玉」もよくぞうまい嘘を考えつくものだ、と感服するほど呆れ果て、やがてウソ寒くなる本である。(伊藤延司)

出版社/著者からの内容紹介
第一次大戦からアフガン空爆まで、われわれは政府発表やメディアにいかに騙されたか。気鋭の歴史家が戦争当事国による世論操作・正義捏造の過程を浮き彫りにする。

われわれはこうして騙された——

第一次大戦から冷戦、湾岸戦争、ユーゴ空爆、アフガン空爆まで、あらゆる戦争において共通する法則がある。それは、自国の戦闘を正当化し、世論を操作するプロパガンダの法則だ。
「今回の報復はやむをえない」
「ビンラディンは悪魔のようなやつだ」
「われわれは自由と平和を守るために戦う」
・・・・・正義はこうして作られる。

これまでに戦争当事国がメディアと結託して流した「嘘」を分析、歴史のなかでくり返されてきた情報操作の手口、正義が捏造される過程を浮き彫りにする。ブリュッセル大学で教鞭をとる気鋭の歴史学者が読み解く、戦争プロパガンダの真実。


内容(「BOOK」データベースより)
これまでに戦争当事国がメディアと結託して流した「嘘」を分析、歴史のなかでくり返されてきた情報操作の手口、正義が捏造される過程を浮き彫りにする。ブリュッセル大学で教鞭をとる気鋭の歴史学者が読み解く、戦争プロパガンダの真実。

内容(「MARC」データベースより)
時々刻々と、メディアはアフガニスタンから情報を伝えた。だが、どこまで信用できるのか? 戦争当事国の情報操作、正義捏造の過程を歴史的に検証し、浮き彫りにする衝撃の論考。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
モレリ,アンヌ
歴史学者。ブリュッセル自由大学歴史批評学教授。歴史批評を近代メディアに適用し、世論を特定の方向に誘導するからくりを体系的に分析してきた

永田 千奈
1967年東京生まれ。翻訳家。早稲田大学第一文学部仏文専修卒業後渡仏。フランス国立東洋文化言語研究所修士課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです


目次
第1章 「われわれは戦争をしたくはない」
第2章 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
第3章 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
第4章 「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
第5章 「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
第6章 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
第7章 「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
第8章 「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
第9章 「われわれの大義は神聖なものである」
第10章 「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
ポンソンビー卿からジェイミー・シェイへ

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794211295/249-3023952-4654757?v=glance&n=465392


http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060721#1153438650
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by thinkpod | 2006-08-03 17:32 | Books
2006年 08月 01日

ユダヤ製国家日本—日本・ユダヤ封印の近現代史

◆西洋諸国ではなく日本がユダヤ難民に扉を開いてくれた

関東軍司令部は一九三八(昭和十三)年一月に、「現下二於ケル対猶太民族施策要領」を定めていた。これは、東條参謀長が決裁したものであった。要領は日本がユダヤ人を差別しないことについて、「独逸其ノ他ノ列国二対シテハ我民族協和、八紘一宇ノ精神並二防共ノ大義二遵由スルヲ諒解セシメ誤解ナカラム」(第四項)と、述べていた。当時、日本とドイツは、防共協定を結んでいた。東條と、樋口と、安江が二万人以上のユダヤ人難民を窮状から救ったのは、〃日本のシンドラー"として有名になった、杉原千畝リトアニア駐在領事代理が首都のカウナスで一九四〇(昭和十五)年七月から九月にかけて、"生命のビザ〃を発行して、六千人以上のユダヤ人難民を救った、その二年以上も前のことである。三人の日本軍将校と、杉原が、ユダヤ人を救った時には、アメリカや、イギリスをはじめとする諸国が、ユダヤ人難民に対して扉を閉じていた。もし、このころにこれらの西洋諸国がユダヤ人難民を受け入れていたとしたら、その後、数百万人のユダヤ人が、ナチスによって虐殺される運命から逃れることができたことだろう。ところが、日本は扉を開いたのだった。

◆ドイツの抗議を一蹴した東條
オトポールに集結したユダヤ人難民の大多数が、ドイツ旅券を持っていた。旅券には赤い字で大きく、ユダヤ人の"J〃を示すゴム印が、押されていた。ドイツ政府はユダヤ人は子供にいたるまで、衣服にユダヤの象徴である、黄色の"ダビデの星〃の縫い取りをつけることを、義務づけていた。難民たちはドイツから出国した時に、この屈辱的な縫い取りをいっせいにはぎ取って、捨てていた。すると、ドイツ外務省が日本政府に対して、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行った。この抗議は、東京から新京の関東軍司令部へ、すぐに伝えられた。すると、東條参謀長は難民を受け入れたのは、「当然なる人道上いつしゆうの配慮によって行ったものだ」として、一蹴した。この時、東條参謀長が樋口に許可を与えなかったとすれば、ユダヤ人難民が救われることはなかった。樋口は有能な軍人であり、その後、東京の参謀本部で部長などを歴任し、中将に昇進した。太平洋戦争の末期には、千島列島と北海道の防衡を担当する北部軍司令官となっていた。樋口がこのように軍人として順調に出世したのは、規則を忠実に守ったからだった。樋口がオトポールに殺到したユダヤ人難民を入境させるのに当たって、参謀長の許可を仰がないはずがなかった。

◆明治以来の日本も、西洋人によるおぞましい人種差別の対象
日本は明治に西洋の列強の威嚇のもとに、開国と近代化を強いられて以来、列強によって屈辱的な不平等条約を結ばされていた。幕末から海外を旅した日本人は、西洋の帝国主義諸国が同じアジアの民を、家畜同様に扱っていたのをみて、深く憤るとともに、人種平等の世界を創ることを、強く願った。日本が最後の不平等条約を改正することができたのは、日本が日露戦争に勝った後のことだった。日本人も、傲る西洋人によるおぞましい人種差別の対象となっていた。日本が日露戦争に勝つと、その直後からアメリカのカリフォルニア州において日本人移民排斥運動が起こった。このことは、日本国民をいたく憤慨させた。サンフランシスコ市は日露戦争が終わった翌年に、日本人児童の小学校就学を禁じて、全市の小学校から追放した。全市で二万人以上の小学生がいたなかで、日本人児童は僅か百人にみたなかった。東條も、樋口も、日本人だったのだ。当時の日本人は、誰もが西洋の列強が公然ともと人種差別を行っていたのを、正義に悖るとみなしていた。東條や、樋口はこのような国民精神にもとづいて、ユダヤ人難民を救ったのだった。一日本人とユダヤ人は、正義をことさらに愛する民である。ここにも両民族のあいだに、もう一つの共通点がある。


◆東條の名が『ゴールデン・ブック』に載らなかった理由
だが、どうして東條英機の名が、『ゴールデン・ブック』に刻まれることがなかったのだろうか。東傑は最高責任者として、樋口や、安江とともに、称えられるべきだった。しかし、『ゴールデン・ブック』に名を載せるためには、複数のユダヤ人か、あるいはユダヤ人団体が推薦する必要があった。そして、かなりの金額だった五十スターリング(イギリス)ポンドを、ユダヤ民族基金に寄付しなければならなかった。樋口と安江は、ユダヤ人の逆境に同情して、好意を寄せていただけではなく、特務機関の幹部として、ハルビンのユダヤ民族協会と頻繁に接触していたから、ユダヤ人社会と個人的な交流があった。しかし、東條はオトポールのユダヤ人難民を救う鍵を握っており、その鍵を使って、難民を救うために、満州国の門扉を開いたものの、ユダヤ人と親交を結ぶ機会がなかった。その時にハルビンにあった極東ユダヤ民族協会の会長は、医師のアブラハム・カウフマン博士だった。ロシアのウラル地方のパウムの出身だったが、一九二一年に満州へ移ってきたのだった。

◆鍵を握るカウフマンを訪ねる
私はカウフマン博士の息子のセオドア・カウフマンと、親しくしている。セオドアは一九二四年にハルビンで生まれ、そこで育った。今日、八十歳になるがイスラエルのテル・アビブの郊外に住んでいる。多くのユダヤ人が、ハルビンに住んでいた。第二次大戦後、ソ連軍が満州を占領した後に、ソ連はユダヤ人を嫌ったロシアと体質が変わらなかったからカウフマン一家は苦労したが、しばらく後にイスラェルに安住の地を見出した。セオドア・カウフマンはテル・アビブの市庁に三十六年問勤めた。今日では、イグット・ヨッエイ・シン(中国在住体験者の会)の会長をつとめている。自宅には、数千枚にのぼる満州時代の写真が保存されている。樋口や、安江の姿もある。私はイスラエルでセオドア・カウフマンと会って、「どうして東條が『ゴールデン・ブック』入りをしなかったのだろうか」と、たずねた。すると、カウフマンは「もし、東條参謀長が、父や、ユダヤ民族協会の幹部と会っていたとしたら、その名が樋口と安江とともに、一九四一年の夏に、問違いなく『ゴールデン・ブック』に刻まれたはずだ」と、語った。もしも、そうなっていたとすれば、その後の東條の国際的なイメージが、大きく変わっていたにちがいない。東條は日本の敗戦後に、連合国が行った一方的な東京裁判によって、"A級戦犯"として絞首刑に処せられたが、全世界のユダヤ人たちから助命嘆願書が、マッカーサー元帥のもとに寄せられたことだったろう。そして連合国を、ひどく困惑させたにちがいない。(P44−P54)

◆アメリカの黒人差別がやんだのは日本がアジアを解放したため
当時、アメリカは国内で、黒人を法的に差別していた。黒人に対する差別は、当然のこととして、全国でひろく行われていた。野球はアメリカの国技であるが、黒人が野球選手となれるようになったのは、第二次大戦後のことである。第二次大戦によって日本がアジア諸民族を解放すると、アメリカも国内で黒人を差別することができなくなった。今日では、西洋諸国において第二次大戦はアメリカや、イギリスをはじめとする「民主主義勢力」とドイツや、日本などの「ファシスト勢力」の戦いだったと信じられている。ドイツはソ連と同じファシスト国家だった。しかし、いったい国の内外で有色人種を差別して、人権を踏みにじっていたアメリカや、イギリスなどの連合諸国を「民主主義国」と呼ぶことができるものだろうか?日本が第二次大戦を戦った結果として、数世紀にわたって白人の覇権支配のもとに置かれていたアジア・アフリカ諸民族が、鎖から解き放たれた。アジア・アフリカ諸民族は、はじめて陽光をみることができて、自由を回復した。アメリカもそのために、黒人を差別し続けることが、できなくなったのだった。今日、タイガー・ウツズがゴルフ界のスーパースターとして活躍しているのも、第二次大戦が人種平等の世界をもたらしたからである。黒人がゴルフ競技や、テニスの選手権に参入できるようになったのも、日本の力によるものだった。

◆日本は人種平等の原則に基づいてユダヤ人を応援し続けてくれた!
日本は人種平等の原則に基づいて、ユダヤ民族を一貫して応援してきた。この記録は、日本の国の勲章である。先の"バルフォア宣言"が発せられると、ベルサイユ講和会議で日本代表団の一員として加わっていた、珍田捨巳駐英大使が、「日本政府はユダヤ人が自分の国家をパレスチナに建設しようとするシオニストの願望を支持し、その要求が実現されることを望む」という書簡を発表している。 (P80−P81)

◆その時、アメリカは民主国家だったのだろうか
アメリカは日本を「民主化」することを大義名分として掲げて、強引に日本を改造することをはかった。これも、歴史の一幕の笑劇だったのかもしれない。いったい、その時のアメリカは、民主国家だったのだろうか。アメリカでは、黒人はアメリカ国籍を持つアメリカ人でありながら、一九六〇年代にキング師の公民権運動が歴史的な勝利を収めるまでは、アメリカの多くの州において、白人の洗面所や、便所をともに使うことが許されず、白人専用のバスに乗ることも、白人だけに限られた待合室や、食堂に入ることもできなかった。日本とアメリカのどちらが、「封建的」だったのだろうか。二〇〇四年にニューヨーク大学出版局から、ノース・カロライナ大学のジェラルレイス・ウオード・ホーン教授による、『人種戦争1』と題する第二次世界大戦についての本が、出版された。この本は、いまや歴史によって埋め去られるようになっている真実に、光を投げかけている。この労作は、日本がアジアの民衆の広範な支持をえて、アジア・アフリカを解放したことを、証している。著者はインドを一つの例にとって、かつてインド人は「イギリス人の奴隷でしかなかった」のだったと記し、したがって「白人はインド人が何をしても、礼をいうことすらなかった」と、述べている。そして、白人による不条理な覇権に対する日本の戦いは、第一次大戦後のベルサイユ講和会議から始まったと、論じている。ベルサイユ会議はパリ会議としても知られているが、ここで今日の国際連合の前身となった国際連盟が、創設された。この時に、日本全権団が国際連盟規約のなかに、「人権平等の原則」を盛り込むことを、強く主張した。ところが、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領が先頭に立って、イギリス、フランス、イタリアなど、アジア・アフリカにわたって植民地を支配していた列強を誘って、日本の提案を拒んだ。アメリカのウィルソン大統領はベルサイユ会議において、"諸民族"の「セルフ・ディターミネイション」(民族自決)の理想を主張した。そのことによって、歴史に名をのこしている。第一次大戦後、「民族自決」は東ヨーロッパにおいて合い言葉となった。だが、世界の大半を占めるアジア・アフリカは除外された。ウィルソン大統領が提唱した「民族自決」は、白人の諸民族だけに限られていた。当時、アメリカは国内で、同じアメリカ人だった黒人を、法によって厳しく差別していたのだった。ホーン教授はアメリカの黒人の多くが、「日本が傲るヨーロッパ人や、アメリカ人の命令に従うことを拒んだ、最初の有色人種であることを、大いに誇りにしていた」と、述べている。教授によれば、一九四〇年代にアメリカ黒人運動のリーダーであった、W・E・B・デュボイスが、西洋の帝国主義について「ヒトラーが百年生きたとしても、それよりもはるかに大きな惨禍を人類におよぼした」と、説いていた。そして、アメリカ人や、イギリス人が「日本人も、野蛮な劣等民族として見下していた」といい、アメリカは第二次大戦に当たって白人の部隊と、白人が同席してはならない黒人だけの部隊に差別して分けていたと、記している。アメリカは白人至上主義のイギリスとともに、「民主主義」を旗印として、戦った。教授はそのかたわらで、人種平等の理想を求めて戦った日本が、ナチス・ドイツと同盟していたのは、歴史の大きな皮肉だったと、観察している。

◆日本が戦った結果、アジア・アフリカが解放されたのは歴史の事実
西洋諸国は第二次大戦前まで、あるいは大戦が終わるまで、アジア・アフリカの植民地の人々を劣等な人間として蔑んで、家畜と同様に扱っていた。日本が先の大戦を戦った結果として、これらのすべての植民地が解放されて、人種平等の理想の正義の世界が、地上にあまねく招致された。これは、誰も否定することができない、歴史の事実である。人種を肌の色や、宗教によって差別することは、それまで西洋諸国が日常的に行ってきたことだった。だが、今日ではまったく許されないことになっている。ユダヤ人も、人種平等が普遍的な規範となった世界の恩恵を、大いに蒙っている。

株式日記と経済展望:「ユダヤ製国家日本」 ラビ・マーヴィン・トケイヤー (著)
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7f7148f64ad2b9f3545a8fbe7705f58f



ユダヤ製国家日本—日本・ユダヤ封印の近現代史
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4198621217/503-6457296-7708753?v=glance&n=465392&s=books

目次
第1章 ユダヤ人の第一級の恩人は、A級戦犯とされた東條英機!
第2章 全世界がユダヤ人を見捨てていた時、救いの手を差しのべてくれたのは日本人だけだった
第3章 日露戦争を勝たせてくれたユダヤ人シフと明治天皇の知られざる交流
第4章 シェル石油創業者は、横浜のユダヤ人マーカス・サミュエル
第5章 種子島に鉄砲を伝えたのは、マラノだったユダヤ人ピントである!
第6章 白人・キリスト教徒の世界で「日本人とユダヤ人」だけが例外的に成功できた理由
第7章 ユダヤ製国家「日本」!
第8章 新生ユダヤ国家「イスラエル」は日本製!
第9章 日本国憲法作成の七日間に参加したユダヤ人


商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
日露戦争/忘れられた日本の大転機。杉原千畝だけが、ヒーローなのではない!など、『ユダヤ5000年の知恵』のベストセラー著者が日・中・英・米・フィリピン等丹念な取材と調査で集めたニュー・インフォメーションの数々。

内容(「MARC」データベースより)
日本は「ユダヤ製」の国家であると説き、また、ユダヤ国家イスラエルはその精神が日本製であるとして、埋もれた歴史を発掘する。日・中・英・米・フィリピン等丹念な取材と調査で集めたニュー・インフォメーションの数々。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
トケイヤー,ラビ・マーヴィン
1936年、ニューヨークに生まれたユダヤ人。イェシヴァ大学を卒業後、1968年に来日、日本ユダヤ教団のラビ(教師)となる。滞日十年。現在ニューヨーク州グレートネックに住む。古代日本と古代イスラエルの関わりについて論じた『ユダヤと日本・謎の古代史』(産能大学出版部刊、初版一九七五年)および『日本・ユダヤ封印の古代史』(徳間書店)は様々な本の中で引用され、古代史に興味ある者の間では必読書になった。そのほか、ユダヤ思想、教育論、日本人論等に関する多数の著書がある

加瀬 英明
昭和11年12月22日東京生まれ。慶應大学経済学部、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長を経て、外交評論家として活躍。シカゴ大学、ペンシルバニア大学などより安全保障問題の講師として招かれるなど、海外での講演活動も多い。現在、(社)日本文化協会会長、(財)松下政経塾相談役、拓殖大学客員教授、(社)日本文化フォーラム理事、海上保安庁政策アドバイザーなどを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



人道主義を貫いた「北満機関」
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060928/1159401844#c
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by thinkpod | 2006-08-01 02:23 | Books
2006年 07月 31日

情報鎖国・日本—新聞の犯罪

内容(「BOOK」データベースより)
いわれなきバッシングに孤立する在米日本企業、蒸し返される戦後賠償、日本の窮地を報じない日本人海外特派員—。経済大国として蘇った日本と旧植民地・アジアに対する欧米の敵視政策、日本を情報鎖国に陥れたマスコミの犯罪をベテラン新聞人が告発する。


高山 正之
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4331507432/503-6457296-7708753?v=glance&n=465392



強制されなくても日本名を名乗った社会背景
「日本は先の戦争で悪いことをしましたね。日本語を押しつけたり、日本名に変えさせたり」。ロサンゼルスに赴任して、ジャーナリストや弁護士など知識階級の人たちと付き合いを始めてしばらくすると、そういう人が結構多かった。

「なんだ、こいつはケンカを吹っかけているのか」と最初は思ったが、つきあいが広がってみるとみんなが同じように言う。要するに日本人への挨拶言葉で、それを受けて、こちらが「申し訳ない。今は十分反省しています。アメリカの民主主義にならって、それでここまで来ました」というような返事がほしいらしい。しかし、このステレオタイプ的なご挨拶には腹が立つ。

 で、そういうあいさつには必ずきっちりと回答するようにした。まず創氏改名問題だが、これは強制をしたのではなく、朝鮮半島では応募方式だった。だから名前を変えたくない者は、名前を変えなかった。大日本帝国陸軍にあって朝鮮名を通した洪思翊中将は、捕虜虐待をでっち上げの罪で東京裁判の犠牲となった。

 とくに韓民族にとって、かつては蔑視の対象だった満人が清朝をたて、その支配下でいじめられていた屈折した感情があったから、日本名を名乗ることでいわれなきいじめから逃れられるという微妙な力関係もあった。

 ずっと後、司馬遼太郎氏の台湾での朋友・蔡焜燦氏から聞いたことだが、同じ日本統治下の台湾では創氏改名は許可制で、なかなか許可が下りず、「朝鮮と差をつけられた」とみんな怒っていた。
 ともかく強制というニュアンスはなく、その当時の時代風潮だった。アメリカに留学中の僕の娘が、「今度、キャサリンとドロシーが遊びに来る」という。どんな碧眼金髪娘かと思っていると、外見も中身も百パーセント韓国娘が登場する。ロサンゼルスに在住する六十万の韓国人が、喜んでメアリーだのジョンだのマイケルだのと名乗るのとそう違いはなかったのだ。


日本は世界に開いた文化の窓

 アジアの国々に日本語を押しつけたという非難はもっと当っていない。歴史がそれを証明している。
 日本は二十世紀まであと三十年という時に、明治維新つまり近代化に着手した。そして、積極的に欧米の文物を取り込んでいった。医学、薬学から鉄道、建設、経済、歴史、思想の万般にいたるもの、を欧米から取り入れた。
 それは、先にノーベル経済学賞を受賞したインドのアマティア・セン氏の言葉にもある。彼は九九年、シンガポールでの講演で、日本の教育問題に触れ、「国の経済は貧しかったが、時には予算の四〇%以上を教育につぎ込んだ。そして二十世紀の入り口ではほとんど文盲はいなかった」という趣旨のことを話していた。

 図書出版についても、十九世紀末の日本は、当時の大国・英国にほとんど肩を並べる量の本を印刷、出版し、二十世紀に入った段階では、「アメリカの二倍も本を出していた」と。

 ひるがえって当時の周辺アジア諸国はどうか。

 中国は今と同じ尊大さだけで、近代化に乗り遅れ、香港も中国東北地方も遼東半島も上海の税関に至るまで列強に牛耳られていた。

 仏印(インドシナ半島)はフランス植民地下にあって、宗主国のために石炭を掘らされ、多額の税金を払い、専売制のアへンを売りつけられていて、教育どころではなかった。ちなみにフランスが作った高校(リセ)は、仏印にたった三校だった。英国植民地下のビルマに至っては、就学率三%というありさまだった。

 その時代、植民地下の人々が独立を志し、あるいは近代化への道を歩むための教育を受ける機会は皆無だった。そうした背景から、日本に留学するアジア人は多かった。

 すでに一八八一(明治十四)年、朝鮮から六人の留学生が訪れ、その六年後には一ケタ増えて六十人が来ている。一八九六年には中国から、最初の留学生十三人が訪れ、以降、日露戦争の終わった一九〇五年には東京だけで八千六百人、日本全土で一万人をはるかに超える数の中国近隣の留学生であふれた。その中には孫文もいた、魯迅もいた。

 さらに一九〇五年には仏印から三人のベトナム人が日本に留学し、その数は数年で三百人まで増えた。一九一〇年、ビルマからは僧侶が留学に来た記録もある。

 「なぜアジア各地から日本をめざす留学生がいたか」の理由について、中国・張之洞の勧学篇に詳しく記している。

 彼は言う。アジアで近代化を成し遂げた日本には、中国には得られない世界の文献が揃っている。日本に行き日本語を学べばそういった文献はすべて習得できる。

 つまりこの時代、日本はアジア諸国にとっての図書館だった。日本語を学ぶことが、すなわち世界の思想、文学、そして独立に必要な教育のすべてを得ることのできる手段だった。戦後も、日本人が台湾に置いてきた大量の文献・書籍が、台湾人の教育と教養に大きく貢献したと、その時代を生きた台湾の知識人が証している。

 ちなみに前述した朝鮮、中国、ベトナムなどからの留学生はいずれも密出国した非合法の留学生だったが、日本では彼らを温かく迎え入れた。この流れはその後も続き、一、二の例を挙げると、一九三五年、アジア航空学校が日本に開かれるとビルマから二人の留学生を迎えている。さらに一九三七年には、タイとモンゴルから逓信省飛行乗員養成所に留学生が来ている。

徹底した愚民政策下では向上心は悪

 アジア植民地の宗主国だった欧米は、学問はおろか、技術、とくに航空技術などというものについては一切門戸を閉ざしたままだった。
 今、山梨に実験線を持つリニアモーターカーの生みの親と言われる元国鉄副技師長・京谷好泰氏の体験がそれを雄弁に語る。
 彼は、パキスタンのラホールに一九六〇年代、技術指導に赴いた。その時、指導したパキスタン人技官から次のような話を聞いている。技官の父は英国植民地時代、鉄道技師のアシスタントをしていたが、ある日、英国人に「おまえらにはこんなものは作れまい」と蒸気機関車を示された。
 それで仲間と語らい、機関車の修理の折に図面を引き、細部に至るまで観察して、一ヵ月がかりで十分の一の機関車を作って見せた。英国人技師は苦い顔をした。
 インドの独立が決まり英国が引き揚げる最後の晩に、機関車を作った彼の父親とその仲間すべては銃殺された。重大なスパイ行為、という罪名だった。

戦争に敗れ、教養語の日本語も悪者に

 話を戻して、日本は第二次大戦に至るまで、あらゆる意味でアジアの図書館、アジアの技能研修所としての機能を果たしてきた。アジア人にとって日本語は、唯一アジアの人々が世界を知るチャンネルであった。

 しかし、第二次大戦に日本は敗北した。その時、ルーズベルト米大統領の下で財務長官を務めたモーゲンソーはアジアについて「三つの通貨、即ち、円ブロック、スターリング(英国貨幣)ブロック、ドルブロックの三つ巴の戦いだった」(ロイド・ガードナー著『日米関係史』)と語っている。

 これは取りもなおきず、円を日本語、スターリングを英語、ドルを米語と置き換えることもできる。要するに三つの勢力が経済、それに伴う言語を通してせめぎ合ったことを示している。そして、日本は負けた。

円は負けた、日本語は負けた。これが歴史である。

 だから、戦争に敗れるまでは、円ブロック圏に入っていた国々が日本語を使うのは当たり前だったが、日本が敗れて五十年が経つと、冒頭のアメリカ人の挨拶同様、いつのまにか悪いことにすりかえられている。

 安易に日本非難に乗るアメリカ人に対して「では、フィリピンで米語を教えるのは、悪いことではないのか。あるいはシンガポールで英語が公用語として根づいているのは、英国が悪いことをしたということなのか」と質問すると、それに対する答えは返ってこない。

 なかには困惑した顔で、「それは趣旨が違う」という言い方をしたり、「あなたには反省がない。普通の日本人ではない」と言う者もいる。そこで重ねて、「では、あなた方が言いたいことはこういうことなのか。白人でなければ植民地を持ってはいけない。植民地は白人の特権だと認めろ、ということか。自分の国の言葉を押しつけることが、白人なら許されるということなのか」。これでたいがい話し合いは、ケンカで終わる。


 戦後、ほぼ五十五年経った先日の朝日新聞を読んでいたら、「教え子に日本語強制/誤り、敗戦で気づいた」という見出しが飛び込んできた。

 その記事の中で、かつて朝鮮半島南部・慶尚北道の国民学校で日本語教師をしていた日本人女性の言葉でこう語らせている。「朝鮮半島の人たちは、日本語を強いられた。日本語教育の最前線にいた私は、償いきれない間違いを犯したのです」。

一体、朝日新聞は何を言いたいのだろう。日本語を教えるというのは、かつては知識を教えるという重要な意義を持っていた。戦後五十年経って、日本語を教えるなどということは、天にも恥じる浅ましい行為だったと言いたいのだろうか。

 こういう新聞があるから、日本の歴史は正しく伝わらない。


日本が憎い米紙と朝日

ソ連こけたらみなこけた

 北朝鮮の食糧危機は、最大の援助国ソ連が崩壊したあと、援助が受けられないまま事態が深刻化してきたといわれる。せいぜいこの十年ぐらいだと。いや、それは謙遜で、北朝鮮は、金日成がまだ元気な首領さまだったかなり昔から飢える独裁国家だった。はっきりと食糧不足の証拠を見せたのが一九七〇年代後半、もう四半世紀昔だ。

 そのころカンボジアは、ポル・ポト派が都市人間を下放してコメの大増産をやらせていた。ポル・ポトは、毛沢東や金日成が掲げた食糧倍増計画の上をいく三倍増を公言していた。だが結果からいうと、二倍もいかない。だから下放した都会人には、食うものも食わせなかった。

 今はカンボジア外務省で働いているシバス・サンタン女史は、あの〝キリング・フィールド″で両親も兄弟も失った一人だが、彼女自身、「薄いコメの粥が朝晩二回出るだけで、生きるために犬も蛇も食べました」と語る。カンボジア人はベトナム人が心底嫌いで、彼らが犬や蛇を食べるのを軽蔑し切っていた。しかしそれらを食べざるを得ないところまで、ポル・ポト派は人々を追い込んだということだろう。

 ポル・ポト派が、国民を飢え死にさせても確保した増産米は、では一体、どこにいったのか。これは、実は長い間、謎のままだった。そしてフン・セン政権がポル・ポト派を追って、やっと国を立て直し始めた八〇年代末、プノンペン周辺の調査をしてみたら、ポチエントン空港周辺などあちこちの倉庫から、油紙に包まれたままの北朝鮮製の工作機械が山のように見つかった。

 総額にして数百万ドル分ともいわれる。これが、百七十万人もの人命と引き換えに増産されたコメの使途だったわけだ。皮肉なことに、輸入した機械を操作できるような人たちはとっくに頭をかち割られていて、文字どおりの宝の持ち腐れになってしまった。

 フン・セン政権は、九〇年代に入ってこれを国際競売したが、買い手はポル・ポト派を支援してきた中国の手先、香港資本だったという。

 そんな年季の入った食糧不足を、何とか支えてきたソ連が崩壊したのだから、北朝鮮の食糧事情が危機的な状態に陥るのは、当たり前といえば当たり前だった。


北朝鮮はアジア分断のドラゴンの歯

 で、北朝鮮は「記録的な天候不順」と「干ばつ」「洪水」の三つの単語を適当に並べ換えながら国際社会に人道的支援、つまり食糧援助を求めてきた。

 アメリカの、例えば国務省や国防総省はこのころ北朝鮮を「Rogue State」と表現していた。ならず者国家という意味で、記者会見でもごく当たり前に使われていた。

 大韓航空機の爆破テロ、偽ドル作り、覚せい剤の密輸、それも外交官が運び屋になって、世界中にばらまいていた国である。あるいは人さらいもやる。ならず者以外の何者でもなかった。

 ではアメリカ的正義で、叩けばいいではないか。現にアメリカは、コカイン密輸に一枚噛んでいたパナマのノリエガ将軍を、軍を出動させてパナマに乗り込み逮捕したことがある。パナマの主権も国際法も、アメリカの正義の前には無力なのだから。

 でも、アメリカには明確なポリシーがあって、それに従うならば、北朝鮮問題は解決の必要がなくなる。むしろ放置して、このならず者を助長する方向に傾くのだ。

 どういうポリシーかというと、アジア諸国が、どういう組み合わせにしろ協調体制を取ることは好ましくない、とくに日本を軸とした友好関係は認めない、というものだ。

 そのためにアメリカは、さまざまなドラゴンの歯(Teeth of Dragon=不和の種)をアジアに埋め込んできた。北朝鮮はその意味では、アメリカが手を貸さずとも勝手に根付いた「ドラゴンの歯」だった。

 この国は何より日本、韓国と仲が悪い。放っておいても協調、連携などありえない。おまけにもっと重要なのは、北朝鮮の地政学的位置だ。中国のほとんど軒先にあるこの国が、中国寄りのならず者国家であり続ければ、中国に自由市場経済とか民主化の波や激がじかに届きにくくなる。

 クリントン政権下、コーエン国防長官の諮問機関 - 「21世紀安全保障委員会」が、九九年秋にまとめた二十一世紀のアジア展望でも、この日中韓の三国がつくる 「地政学的三角形」が「今は中国、韓国の日本に対する憎しみで機能してはいない」が、それでもアジアにとってもアメリカにとっても「最も重要な意味をもち、この三角形の将来が二十一世紀のアジアの命運を決める」と書いている。

 現状をいえば、まさに北朝鮮が存在するがゆえに、日中の接近もない、日韓も今一つしっくりといかない。アメリカにとって望ましい「バラバラ状態」が続いているのである。


日本孤立化で共同戦線張る米政府とマスコミ

 ところが、ここにきてソ連崩壊のボディーブローが利きだし、いまや北朝鮮は国家消滅の可能性も出てきた。それはアメリカにとってまずいことだ。前述の地政学的三角形が、アメリカの思惑の逆に動き出せば、とんでもないことになる。

 むしろ、北朝鮮に食糧援助をして、生き永らえさせる方が得策ではないか、という意見が国務省の中に出てきた。一九九五年頃の話だ。

 それはまず、ニューヨークタイムズの社説(Ed-Op)欄に載った。わずか二百字ほどの短い論評で、まずスウェーデンなどが、世界食程計画(WFP)を通して援助を決めたほか、人道的な立場から韓国、日本もすでに援助を行っている。

「確かにどうしようもない政府だけれど、苦しんでいるのは罪のない市民たちだ。アメリカも人道上の問題として捕らえるべきだろう」と。

 実にもっともな意見だが、さて、問題は記事中、「日本」に言及した部分で、「かつてここ(北朝鮮)を植民統治した」という修飾フレーズが付けられていた。短い文章である。

しかも日本の過去の統治と食糧危機の原因という、「干ばつと洪水」には直接関係もないフレーズだ。何のためにそういうフレーズを入れたのか、記事からでは判然としない。

 そこで、ニューヨークタイムズの論説委員室に電話した。向こうの社説も一応、匿名が原則で、応対に出たウイリス女史に、匿名論説委員にその辺を聞きたいと伝えた。

 何の関係もない文章で、そういう過去を付け加えるなら、では「フィリピン」と書くとき、「かつて米国が植民地解放を口実にして、そのまま半世紀も植民地化した」とか、「ハワイ」には「米国が砲艦で脅して王朝をつぶして乗っ取った」とか書くのか、と。

 彼女は「早速、聞いておきます」と約束したが、それきり。何度か督促し、彼女も本人にその都度伝えるが、「彼、答えないんです」という。

 答えられないのは、察しがつく。アメリカは政府もマスコミも、国益という点では常に共同戟線を張ってきた。「常に日本を悪者にして孤立化させる」、そういう宣伝を忘れずにいつまでも、そして折に触れやることが暗黙の了解になっている、それが「アメリカの方針だ」とはとても回答できない。アメリカのジャーナリストの努めなんだから。

 実際、この暗黙の了解は戟後、一貫してとられてきた。ワシントンポスト紙もニューヨークタイムズ紙も、ともかく「日本」に関する記事で、韓国とくれば、とたんにメキシカン・ピーンズのように飛び跳ね出す「植民地」の三百を入れる。中国なら「南京」だ。


何が何でも日本軍は悪逆非道

 九六年十二月七日、アメリカ司法省が突然、お触れを出したのも同じコンテクストだろう。
「戦争中、慰安婦の強制連行に携わった者、及び、旧石井細菌部隊メンバーに対して司法省は彼らの米国への入国を認めない」という内容だった。

 慰安婦問題は、河野洋平外相が旧軍の責任を勝手に認めたが、実態として不存在だからその関係者といわれてもだれを指すのか、日本当局もましてアメリカ当局も知らない。

 石井部隊については、ユダヤのホロコースト問題で常に先頭に立ってきたサイモン・ウイゼンタール・センターのクーパー師が親切にも調査してくれているが、この関係者-十六人(司法省)はほとんどが鬼籍に入っているか、生存していても八十歳代のご老体である。

 アメリカにぶらぶら出掛けるような人たちでもなく、この司法省声明が一体、何のため、誰のために出されたのか、ほとんどの者は分からない。ロサンゼルスタイムズも十二月十三日付で「五十年経って飛び出した戦争犯罪人リストに日本、キョトン」という見出しで、表向き、その唐突さぶりを報じている。

 ただ、この新聞もクリントン政権も、この時期にこの話題という趣旨は理解している。十二月初めというのは毎年恒例、リメンバー・パールハーバーだ。これを盛り上げて日本の卑劣さ、残虐さを訴える。日本は悪いと。

 でも、これだけではさすがにマンネリになって能がない。それで日本の新たな攻撃材料を探した。教科書問題もある、中国との連携もある。とくに韓国は最近、日本化が著しい。呉善花なんていう日本の理解者まで出てきた。「真珠湾」に加えてこの際、石井細菌部隊と慰安婦を上乗せしよう、というのが司法省のアイデアだったと思われる。

 例の第二次大戟時のPOW強制労働訴訟で、人権団体と称するNGOや米メディアがわんわん騒ぎたてた二〇〇〇年夏、ウォールストリート・ジャーナル(八月三十日付)が「すでに国家間で決着をつけ、日本も二百七十億ドルを払っている。それを小金になりそうだからと、訴訟弁護士が群がって問題を蒸し返し、正義の訴訟を装って日本企業を食い物にしようとするのは、みっともないだけでなく、日本人に不要な敵慢心を植え付ける。さらにはアメリカの訴訟に対する信頼さえ奪いかねない」といった趣旨の論評を載せた。

 実に正鵠を得た意見で、実際、あれだけ大騒ぎした訴訟は、この論評から間もない同年九月二十二日、カリフォルニア連邦地裁で門前払いを食ったことはすでに触れた。

 ただ、このそれほど長くないこの社説の中で、「こうした訴訟が、戦時中に起きた忌まわしくも目を背けたくなるような日本軍の悪行を思い出させ……」「一九三〇年代、四〇年代の日本の残虐さを忘れないことは重要だ」「日本の行った不正義の数々を知ることは決して無駄ではない」のフレーズが、きちんとちりばめられている。

 時効も法的管轄権も無視しためちゃくちゃな訴訟をたしなめる正論を吐く一方で、「日本は残虐で悪いことばかりした」という宣伝だけは忘れない。

 ちなみに日本軍の残虐さがどこから来ているかというと、そのときの南京の人口より多い「三十万人虐殺」といった類いの実に根拠薄弱な事件などを指す。そうした事柄が、こういう正論の中にちりばめられれば、だれだって「あっ、それも本当のことなんだ」と思い込む。実に巧みな宣伝なのだ。「ウォールストリート・ジャーナルよ、おまえもか」と言いたくなる書き方だ。


日本非難の天才児・朝日新聞

 こういう狡猾な手法は、実はアメリカの新聞だけではない。れっきとした日本の新聞もそれをやる。
 二〇〇〇年六月、金大中韓国大統領と北朝鮮の金正日総書記が歴史的な会談をした。その会談の成果として、八月十五日、約一千万人と推定される南北朝鮮の離散家族のうち、限定二百人が再会を果たした。ソウルと平壌の会場で五十年ぶりの再会に泣き叫ぶ親子、兄弟の姿は、テレビなどで多くの人々が見たことと思う。

 東西冷戦による国の分断はいたましいかぎりだが、その冷戟が終わって十年も経っても、まだ分離を続けるこの国の度し難い感覚に驚かされるが、それはともかく、これを報じた朝日新聞の記事は異様だった。

 前文で、この離散家族の再会は 「日本支配からの解放後の米ソ分割占領と、朝鮮戦争による南北朝鮮の分断固定から半世紀ぶりである」ときた。

 それ以外の新聞は、「東西冷戦の南北分断後」といった書き方だ。歴史的に見ても、南北朝鮮の分断は、ソ連が日露戦争以来、ずっとねらっていた朝鮮半島進出を、例の火事場泥棒のようなテクニックで実現したことは明らかだ。そしてソ連と毛沢東・中国の後押しで、金日成が三八度線を越えて朝鮮戦争が起きたことも周知の事実だ。

 南北分断が銃弾によって決定づけられたのは、日本の植民統治が終わって少なくとも五年は経っている。三八度線を敷いたときだって、ソ連と連合国が、旧宗主国の日本に意見を聞きにきたこともない。米ソで勝手に三八度線に線を引いただけのことでしかない。

 強いて言えば、日本は植民統治とはいうけれど、この国から搾取もしないどころか、逆に今も北朝鮮の電力をまかない続ける水豊ダムを作り、そこで発電された電気を南にまで運ぶ送電線も作った。南北に通じる鉄道も敷設した。統治政策で言えば、毒も南北分割など考えていなかった。

 しかし、朝日新聞が「日本支配からの解放後」をわざわざ挿入して書くと、あれ、分断されたのは日本の責任だったのだろうか、と思ってしまう。朝鮮半島の人々をここまで苦しめたのはやっぱり日本だったのかと。

 朝日新聞のすごいところは、この記事の前にそういう日本の責任を灰めかすような記事をいくつか掲載していることだ。例えば、八月三日付けで、「京義線」の復旧に「日本の投資に期待」という記事が載った。平壌を経由しソウルと北朝鮮・新義州を結ぶ京義線は、三八度線で途切れ、北朝鮮側の破壊距離は七Kmに及ぶ。当たり前だ。双方が呪み合っている非武装地帯を縦断しているのだから。日本はこの鉄道は作ったが、分断したのはソ連でありアメリカであり、南北朝鮮だ。

 しかし、朝日はこう書く。「京義線は日本による植民地時代に敷かれたが、北朝鮮側では単線で傷みも激しいため、(再開されたとしても)時速40Kmほどでしかない」。巨額の費用がかかるが、結局、「日米などに支援を要請するのは、避けられない模様だ」。

 ここでも「日本の植民地時代」を挿入する。実に手の込んだ意図的な記事だ。そして日本政府、とくに朝日新聞の論調に沿って行動する河野外相の周辺からは、「喜んでカネを出しましょう」という声も聞かれる。

 アメリカのメディアがやる日本を孤立化させる手法を、当の日本のメディアがお手本にする、救い難い現実がここにもある。


http://tech.heteml.jp/2006/07/post_659.html
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by thinkpod | 2006-07-31 03:11 | Books
2006年 07月 20日

驕れる白人と闘うための日本近代史

近代史を見れば、白人が野蛮だったのは明らかだ! 欧米人の優越意識を覆すためにドイツで刊行され、あまりにもはっきりと「日本の優越」を展開したため、大きな物議をかもした書


内容(「BOOK」データベースより)
欧米においては、自分たちの歴史こそ世界史であり、自分たちの生き方にこそ文明の名にもっとも相応しく、地球上のあらゆる民族は欧米文明の恩恵に浴することによって後進性から救われたと教えられてきた。だから彼らの潜在意識の奥深くには、確固たる優越感が入り込んでいる。これに対し、著者は、江戸期の鎖国日本は経済的社会的にみごとなまでのバランスのとれた「小宇宙」社会を形成しており、人間と自然の共生に心を砕いていたと史実を示す。それは同時代ヨーロッパの、すべてを侵略征服せんとする拡張謳歌精神とは正反対だと指摘する。ヨーロッパの世界侵略は、その「小宇宙」を壊したのであり、それを「文明開化」と解釈するのは大間違いだと言う。この、ヨーロッパのほうが野蛮だった、とういう主張は、ドイツで大きな物議をかもしたが、同時に今や、世界人口の急増と資源の枯渇を前にして、欧米でも「小宇宙」日本の共生思想に目覚め始めている。欧米人の優越意識を覆すためにドイツ語で刊行された書を、今度は日本人の劣等感を打ち破るために、邦訳出版する。大航海時代の到来以後、全世界を発見、征服した「偉業」に対する欧米人たちの誇りを根底から覆す書。

目次
「西洋の技術と東洋の魅力」
世界の端で—「取るに足らない国」だった日本
劣等民族か超人か—「五百年の遅れと奇跡の近代化」という思い込み
草の根民主主義—江戸時代の農民は「農奴」ではなかった
税のかからない商売—商人は独自の発展を遂げていた
金と権力の分離—サムライは官僚だった
一人の紳士—初代イギリス駐日公使・オールコック見た日本
誰のものでもない農地—欧米式の「農地改革」が日本に大地主を生んだ
大砲とコークス—日本はなぜ「自発的に」近代化しなかったのか
高潔な動機—「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出
通商条約の恐ろしさ—日本はなぜ欧米との「通商関係」を恐れたか
茶の値段—アヘンは「中国古来の風習」だと信じている欧米人
ゴールドラッシュの外交官—不平等条約で日本は罠に陥った
狙った値上げ—関税自主権がなかったために
頬ひげとブーツ—欧米と対等になろうとした明治政府
猿の踊り—日本が欧米から学んだ「武力の政治」
たて糸とよこ糸—今なお生きる鎖国時代の心

Amazon.co.jp: 驕れる白人と闘うための日本近代史: 本: 松原 久子,田中 敏
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163669809/249-4242987-4686719?v=glance&n=465392



地球史探訪:「大航海時代」の原動力

「知識欲と探検への情熱」や「キリスト教布教の
志」が「大航海時代」をもたらしたのか?

■1.「全ては欲得だけだった」■

「大航海時代」とは、いかにも勇壮な響きを持つ。15世紀、
ポルトガルはアフリカ南端の喜望峰を回ってインドに到達し、
さらにマレー半島を回って、マカオに拠点を作った。負けじと、
スペインはジェノバ商人クリストファー・コロンブスの提案を
採用し、西回りにインドに到達しようと大西洋を横断し、アメ
リカ大陸を発見する。この後、オランダ、イギリス、フランス
とヨーロッパ諸国の世界進出が続いた。

「大航海時代」にヨーロッパ人が全世界に進出して行った本来
の動機は「知識欲と探検への情熱」であった、と語られる。あ
るいは、「欧州の優れた文明を他の未開民族に普及するために
海を渡った」と言う人もいる。「キリスト教を布教して、異教
徒の魂を救済するためだった」という説もある。

 これらは「美しいお伽噺」であって、「全ては欲得だけだっ
た」と言い切るのが、『驕れる白人と闘うための日本近代史』
[1]を書いた松原久子氏である。

 この本はもともと日本人向けに日本語で書かれた本ではない。
原著は『宇宙船 日本』というタイトルで、ヨーロッパ人のた
めにドイツ語で書かれた。そのヨーロッパ人に向かって、彼等
の「大航海時代」は、「全ては欲得だけだった」と言い切るの
である。

 氏の『言挙げせよ日本』は、弊誌で紹介したことがある[a]。
その「言挙げ」を自ら実践したのが、この『驕れる白人と闘う
ための日本近代史』なのである。この中で松原氏は、白人が自
らの歴史を飾るために考え出した様々な「美しいお伽噺」を木っ
端微塵に粉砕している。本号ではそのいくつかを見てみよう。

■2.ヨーロッパの輸出商品「奴隷」■

 当時、酷寒の地ヨーロッパは貧しかった。そこにアラブ商人
が、オリエントの豊かな商品を持ち込んできた。砂糖や香辛料、
絹織物、宝石、珊瑚、真珠、陶磁器、、、豊かなオリエントの
物産は、ヨーロッパの上流階級のあこがれだった。

 しかし、交易のためにヨーロッパがアラブ商人に提供できる
ものは限られていた。羊毛、皮革、毛皮、蜜蝋などである。不
足分は、金・銀で支払うしかなかった。莫大な金銀がアラブ商
人の懐に流れ、ヨーロッパの金銀の貯蔵量は減少していった。

 金銀の払底を防ぐために、ヨーロッパからアラブ商人に特別
な商品が提供された。白人奴隷である。

 中世初期に、北部のヴァイキングがロシアの川筋に沿って南
下してきた時、彼らは、ポーランドからロシアのウラル山脈に
いたる平原で、スラブ人の男女を捕らえては、アルメニアの黒
海沿岸で、胡椒、砂糖、絹織物、宝石と交換した。奴隷は毛皮
に次いで主要な商品だった。ここからスラブが「奴隷(スレイ
ブ)」の語源となったのである。

■3.アラブ人に対する激しい怒り■

 アラブ商人と取引をしていたヴェネチアやジェノバの商人た
ちは、クロアチアやペロポンネソス半島、クレタ島など、東地
中海沿岸の住民をさらっては、奴隷としてシリアやレバノンで
売りさばいた。奴隷は、そこからダマスカスやバグダッドの奴
隷市場に運ばれた。

 ヨーロッパ内部での戦争に負けた都市の住民も奴隷として売
られた。1501年、フランス軍とスペイン軍が南イタリアを攻撃
した際には、占領されたカプアの男は全員殺され、女はローマ
の奴隷市場で売買された。

 1550年頃、地中海のアフリカ大陸北岸にあるチェニスの街に
は、約3万人のヨーロッパ人奴隷がいたことが記録に残ってい
る。

 しかし、ヨーロッパ人はアラブ商人相手に、大人しく奴隷輸
出で満足しているような人間ではなかった。

 今日、ヨーロッパ人のダイナミズムとよくいわれるもの
は、元を正せば彼らの絶望と怒りの産物である。彼等が渇
望している香辛料、絹、染料、薬、陶器、そしてインドや
遠いアジアの国々の宝石や珊瑚と引き替えに、彼らから金
・銀、そして白い肌の女性を奪い取ったアラブ人に対する
激しい怒りの産物なのである。[1,p127]

■4.アラブ商人を駆逐したポルトガル■

 こうしてヨーロッパ人のインド進出の先鞭をつけたポル
トガル人は、アフリカの海岸に沿って拠点を次々と確保し
ていった。コンゴの河口からアンゴラと喜望峰を経て東ア
フリカ海岸へと進み、そこで彼らは、何世代にもわたって
商売を続けていたアラブ商人たちと遭遇した。

 ヨーロッパの歴史書は、当時インドでヨーロッパ人が成
功したのは、それまでその地域を支配していたアラブの商
人たちが自ら手を引いたからであると、美しい言葉でさら
りと触れている。もちろんアラブ商人たちは自ら手を引く
ことなどしなかったので、ヨーロッパ人はアラブの商船を
見つければ、予告することなく攻撃し、沈めた。

 こういったことを可能にした決定的な要因は、ヨーロッ
パ艦隊の圧倒的な軍事力と乗組員たちの確固たる目的意識
であった。・・・ポルトガル人は20年ほどでインド洋西
側のアラブの商船をほとんど壊滅させ、攻撃して来たトル
コの全艦隊を打ち破ってしまった。[1,p122]

 オリエントとの交易を独占してきたアラブ商人をポルトガル
が駆逐すると、スペイン、オランダ、イギリス、フランスも負
けじと参入してきた。最大の成功者はイギリスで、海の大国ス
ペインを破り、ポルトガルの商船狩りをし、オランダ船を見つ
け次第、攻撃した。

「大航海時代」とは、「欲得」に駆られたヨーロッパ諸国が、
世界中を「戦争の海」にした時代だったのである。

■5.「欲得」がもたらした産業革命■

 アラブ商人を駆逐すると、ヨーロッパでは以前より格安の値
段で、オリエントの商品を入手できるようになった。綿織物や
絹織物、砂糖、香辛料、宝石などが大量に流れ込んだ。彼らの
消費は増大の一途を辿った。

 ここでヨーロッパ人は新しい問題に直面する。イギリスでは、
インドの綿織物の輸入増加によって、毛織物が売れなくなり、
1700年頃、手織物業者たちは、インドからの綿製品の輸入を禁
止する法律を議会で無理やりに通してしまった。

 同時に、綿製品をなんとか国産化しようと、木綿を織る技術
の習得が盛んになり、それに成功すると、今度は紡織機の開発
が始まった。決定的な成功は1760年前後のジェームズ・ワット
による蒸気機関の発明だった。石炭を焚いた蒸気機関が、十数
台の紡績機を同時に動かせるようになったのである。

 10年ほどのうちに、イギリスで最初の本格的な紡績工場が
誕生した。こうして始まったのが産業革命であるが、これも
「大航海時代」と同様、「欲得」がもたらしたものであった。

■6.大英帝国の原動力■

 しかし、イギリス人の欲得は、綿織物を国産化するだけでは
満足させられなかった。インド・ムガール帝国の内部抗争に乗
じて、イギリスは、フランスと競争しながら、それぞれの土候
を買収し、勢力を広げていった。そして1757年のプラッシーの
戦いでフランスを破り、ベンガル地方を獲得した。これがイギ
リスのインド支配の始まりとなった。

 肥沃な北部インドのベンガルとビハールを支配したイギリス
の東インド会社は、この地の農民にイギリス輸出用以外の綿花
を栽培することを禁じた。会社の命令を聞かない農民は追放さ
れ、その土地は「合法的」に没収された。そのために、かつて
楽園のような田園風景と謳われたベンガルやビハールの広大な
土地は、10年足らずの間に単なる綿畑とされてしまった。自
由で豊かな農民たちは日雇い労働者に身を落とした。

 次に東インド会社がやったことは、何百年の伝統を持つ全イ
ンドの繊維産業の手工業をつぶすことだった。これは一石二鳥
の効果を上げた。繊維産業がつぶされた事で原綿の需要が激減
し、イギリスはほとんど無限の供給を受けられるようになった。
同時に、インドはイギリスの繊維製品を購入する一大市場となっ
たのである。こうして植民地から安価に原料を調達し、商品を
売りつけるという地球規模の搾取システムが構築された。

 また新大陸アメリカで綿花が栽培できるようになると、アフ
リカから大量の奴隷をアメリカに連れ込み、綿花を栽培させて、
それをイギリスに持ち込み、綿布にしてアフリカに売る、とい
う「大西洋の三角貿易システム」も作り上げた。[b]

 数千万人規模の奴隷をアフリカから調達し、アメリカの農園
で使う、などという、日本人から見れば気の遠くなるような壮
大なアイデアは、前例のない独創ではない。奴隷輸出とはヨー
ロッパ人にとっては、なじみの深い手段だったのである。

 こうした地球規模の搾取システムを作り上げた大英帝国の原
動力は、まさに「欲得」であった。

■7.アヘン戦争■

 イギリスの発明したもう一つの三角貿易が、中国の茶を買う
ために、インドに工業製品を売り、その金で購ったインドのア
ヘンを中国に売りつけるというものであった。[c]

 多くの欧米人は、中国がかつてアヘン中毒の国であった、と
記憶しているが、それが彼らの先祖の仕業であったことは、都
合良く忘れている。それどころか、中国がアヘンの悪習に終止
符を打つことができたのは、自分たちのお陰だと信じ込んでい
る人が少なくない。

 1664年前後に、東インド会社はイギリスの国王チャールス2
世に茶を贈った。国王は茶の風味と気分を高揚させる効果に魅
了され、お茶はやがて宮廷や議会、そして富裕階級のお気に入
りの飲み物となった。1720年頃には、英国のお茶の需要は、絹
と木綿を抜くほどになった。

 そして、またかつてと同じ問題が再浮上した。イギリスには
中国が欲しがる商品は何もなかったので、銀で支払わなければ
ならなかった。中国向けに特別に作らせた儒教や道教の奉納画、
あるいは、ポルノ画集を売ろうとしたがうまく行かなかった。

 そこで東インド会社は、インドで栽培させたアヘンを、ポル
ノと同様の非合法販売ルートを通じ、中国の役人たちを買収し
て、売り込むようにした。これは爆発的な成功を収め、東イン
ド会社は200年におよぶ中国貿易で初めて黒字を達成した。

 しかし、その成功も長くは続かなかった。アヘン販売の成功
を嗅ぎつけたフランスやアメリカの商人たちが、続々と参入し
てきたからである。

 一方、中毒患者の激増に手を焼いた清朝政府は、アヘン輸入
を禁じたが、これがきっかけとなって、イギリスとのアヘン戦
争が始まった。戦争に負けた清国は、多額の賠償金と香港を奪
われた。そして、イギリスは中国に自由にアヘンを輸出する権
利を得た。

■8.「先住民をタスマニア島の狼のように撃ち殺した」■

 インドや中国のように、住民が多く、ある程度の経済規模を
持っている土地では、ヨーロッパ人は原材料の供給基地、およ
び彼らの商品の輸出先として、グローバルな搾取システムに組
み込んだ。しかし、北米やオーストラリアなど、原住民が搾取
の対象にもならない土地では、どうしたのか。

 アメリカの子供たちは学校で、1620年に180トンのメ
イフラワー号に乗って、イギリスから男女合わせてほぼ百
人の清教徒がアメリカにやってきたことを教えられる。清
教徒たちは、11月の半ばに今日のマサチューセッツ近郊
に上陸した。すぐに最初の冬を過ごすことになったが、大
陸の北東に位置するこの地域は、雪が非常に多く、冬が厳
しい。もし先住民たちが持てる力の全てを傾けて彼らを助
けてくれなかったなら、彼らはこの冬を生き延びることは
できなかったであろうと、彼ら自身の記録が伝えている。

 それなのに、その半世代の後には、この地方にはもう一
人の先住民も住んでいなかった。病死し、あるいは撲殺さ
れ、射殺され、また追い払われたのだった。[1,p130]

 オーストラリアでも同様の事が起こった。松原氏は、オース
トラリア大陸発見200年の式典の際に、現地の友人が、次の
ような発言をした事を紹介している。

 この大陸に入植してきた開拓民たちは、先住民をタスマ
ニア島の狼のように撃ち殺したのです。毎日曜日、牧師は
開拓民たちに、オーストラリアの先住民は神が自分の姿に
似せて造ったのではなく、悪魔の姿に似せて造ったのだと
説教したのです。そのことを考えると心が痛むのです。
[1,p130]

■9.黒船のもたらした不安■

 1853年、ペリー率いるアメリカ艦隊が江戸湾に入り、通商の
要求をした。「太平の眠りを覚ます蒸気船たった4杯で夜も眠
れず」という当時の狂歌を引いて、幕府の慌てぶりをからかう
向きがある。

 今日から見れば、当時の日本人は、欧米諸国と通商関係を持
つことをなぜ不安に思ったのか、理解できないだろう。しかし、
それは幕末の日本人が、上述の欧米諸国の世界進出の実態を、
今日の我々以上に正確に捉えていたからである。

 通商関係を持つ、ということを、我々は双方に利益をもたら
す、良きものという先入観で捉えている。しかし、インドが植
民地にされたのも、まずいくつかの沿岸都市に白人が現れ、慇
懃に「アラブ人に代わって、インドから何かを買わせていただ
きたい」という申し入れをした処から始まった。そして、それ
からちょうど300年経って、白人は全インドを手中に収めた
のだった。その一貫した欲得への執念には、驚かざるを得ない。

 通商関係を足がかりにインドは全国土を奪われ、中国はアヘ
ン禁輸を口実に戦争を仕掛けられ、半植民地状態に陥った。こ
うした白人の「欲得」の牙が日本に向かわない、と考える方が
愚かだろう。

 黒船を迎えた我が先人たちの不安をあざ笑うような人々は、
「大航海時代」というようなヨーロッパ人自身の創作による
「美しいお伽噺」に目くらましをされているのである。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(172) 言挙げの方法〜松原久子氏に学ぶ
 国益貫徹の冷たさを美しく包む言語を豊かに発達させてきた
国際社会を生き抜く方法とは。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog172.html
b. JOG(090) 戦争の海の近代世界システム
 海洋アジアの物産にあこがれて、ヨーロッパと日本に近代文
明が勃興した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog090.html
c. JOG(173) アヘン戦争〜林則徐はなぜ敗れたのか?
 世界の中心たる大清帝国が、「ケシ粒のような小国」と戦っ
て負けるとは誰が予想したろう。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog173.html
d. JOG(149) 黒船と白旗
 ペリーの黒船から手渡された白旗は、弱肉強食の近代世界シ
ステムへの屈服を要求していた
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog149.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
(まぐまぐ版では、httpのあとに「:」を補ってください)

1. 松原久子『驕れる白人と闘うための日本近代史』★★、文藝春秋、H17
http //www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163669809/japanontheg01-22%22

Japan on the Globe−国際派日本人養成講座[まぐまぐ!]
http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/107488115.html
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by thinkpod | 2006-07-20 19:29 | Books
2006年 07月 19日

『日本の反論 戦勝国の犯罪を検証する』

東京裁判史観からの脱却。大東亜戦争で日本が支払った代償は、不当な東京裁判だけではない。杜撰なBC級戦犯裁判による大量の刑死者、無差別空襲による民間人の大虐殺、避難民に対する暴行…等々、戦勝国の戦争犯罪は未だに裁かれていない!日本再建のために何をすべきか?安倍晋三vs米田建三対談収録。


目次
巻頭特別対談 我々はこの危機をどう乗り越えるか?(安倍晋三と米田建三が熱く語る日本の将来)
第1章 米軍検察官が泣いた本間中将夫人の法廷証言
第2章 「殉国七士廟」に秘められた東京裁判の非道
第3章 BC級戦犯という名の報復虐殺
第4章 戦勝国が頬被りするジェノサイド「本土空襲」
第5章 引揚げ民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
第6章 歴史の闇に葬られた日本人捕虜虐殺終章 国家の呪縛を取り払う

著者名:米田建三(著)
出版社:並木書房

日本の反論: 紀伊國屋書店BookWeb
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980966211

並木書房: 日本の反論
http://spn05670.co.hontsuna.com/article/1733527.html


(今週の書棚)
 大東亜戦争で、日本に物量作戦で挑みかかった連合軍、とくに米国は原爆を投下したほかに無辜の民を絨毯爆撃で殺戮し、あげくに無罪のひとびとを見せしめに裁判で死刑などにした。とくにBC級裁判の不当性は歴史を冒涜する行為だった。これらの連合軍側の残虐行為は今日的な後智慧ではなくとも、当時の国際法の常識にしたがっても犯罪である。東京裁判が、いかに不当であったかを私たちは繰り返し、繰り返し唱え続けていかなければ、われわれの子孫は日本人に生まれてきたことを恥と錯覚し続けるであろう。げんに若者がなぜ結婚したがらないか。結婚しても子供を産みたがらないか。それは、この国の未来に夢が無いからである。夢がないのは、この国の歴史が悪いと教わったからである。教えたのは日教組、それを吹き込んだのは左翼の組合とその背後にいるコミンテルンの黴菌におかされたしれ者たちだったが、それを容認し、それを奨励し、それを背後で操作したのがGHQに巣くった社会主義の陰謀家達だった。 一日も早く「東京裁判史観」、所謂「太平洋戦争史観」の呪縛から脱却し、日本の戦争が無造作に戦勝国の勝手な論理で裁かれたこと自体が戦勝国の犯罪であったというただしい歴史観に立ち返らなければならない。 本書はそうした方面へ投げかけられた貴重な試金石である。 また敗戦後、各地でうけたBC級裁判の出鱈目ぶりを余すところ無く列挙し、さらには旧満州で日本人が引き上げるに際してロシア人、中国人、満州、蒙古および朝鮮人から何をされたのかを克明に記している。これらは、民族の屈辱の記憶としてながく記憶にとどめ、後世に残しておかなければならないだろう。

http://www.melma.com/backnumber_45206_3270209/
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by thinkpod | 2006-07-19 20:11 | Books
2006年 07月 08日

別冊宝島 嫌韓流の真実! ザ・在日特権

朝鮮人タブーのルーツから、民族団体の圧力事件、在日文化人の世渡りまで!

戦後60年......もう誰も幸福にしない聖域!
キーワード解説で徹底解剖!

帰化の増加、日本人との通婚......。在日はやがて消滅するのに、なぜ“聖域”だけが残ったままなのか?

contents

第1章
在日特権の真相●在日と脱税(1)民族系金融機関の架空口座●在日と脱税(2)商工人団体と国税庁との五項目合意●通名と本名●公務員への登用●朝鮮銀行への公的資金投入●指紋押捺制度の廃止と復活●教育面での優遇措置●総連、民団、プロ市民の圧力事件●外国人地方参政権●韓国人ビザ免除恒久化●生活保護と在日●人権擁護法案......ほか

第2章 
「在日」に憑かれた人々●辛淑玉と姜尚中●朴一●柳美里●在日犯罪を隠蔽する朝日、TBSって何?●韓国・創価学会インタナショナルと在日●戦後進歩派メディアが在日を「聖域」にした!●在日文学が描いた祖国、その実像と虚像......ほか

第3章 
ザ・在日裏面史●ザ・在日裏面史!朝鮮人タブーのルーツから新・在日問題まで●日本共産党が作った「朝鮮人は怖い」●民族産業と在日マネー●マチ金と在日●産廃業者と在日●ITベンチャー企業家につきまとう噂●在日系芸能人&スポーツ選手とカミングアウト●暴力団、右翼団体に在日が目立つのはなぜか?......ほか

第4章
 在日神話の崩壊へ●常識的在日論のすすめ●在日三世が語る「帰化」と「民族団体」の壁●「在日」問題の永続化は、日本にとってなぜ有害なのか?


http://tkj.jp/book/book_12138501.html
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by thinkpod | 2006-07-08 18:35 | Books
2006年 07月 07日

日本よ、こんな中国とつきあえるか?

『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』 林建良

● 内容
日本は中国と国交を回復して以来、あらゆる面で中国を支援しつづけた。援助すれば日本の誠意が通じると期待したが、その当ては大きく外れ、中国は反日政策をさらに強めている。日本人はいつになったら気がつくのか。中国人は話して分かる相手ではない。日本の常識が全く通用しない国なのである。日本人が知らない「医食同源」の本当の意味や死刑囚が提供する「臓器」売買の実態、中国人民解放軍の犯罪…等々、中国人化教育を受けた台湾人だから分かる中国の本質を余すところなく描く。
(「BOOK」データベースより)


● 目次
第1章 台湾から見た中国および中国人—お人好しの日本人に中国人の凄さは理解できない(中国人はすべてお金に換算して考える 本当は恐ろしい「医食同源」の思想 ほか)
第2章 台湾から見た日本および日本人—争いを避けたがる日本人に平和は守れない(日本人は中国のペットになりたいのか? 台湾で教えられた正反対の日本像 ほか

第3章 台湾から見た台湾および台湾人—台湾は中国の一地方に過ぎないと自ら教育する矛盾(台湾人は漢民族ではなかった 台湾人と中国人の対日観の決定的な違い ほか)
第4章 悪の元凶・中国帝国主義はこう潰せ!—真実を中国人に教えれば中国は内部崩壊す(中国への甘い期待を捨てる アジアの覇権をめぐる日本・台湾vs中国の戦い ほか)
第5章 台湾の独立は日本の国益につながる—国民党政権の誕生は日本の悪夢の始まり(反日派を助け、親日派を挫く日本 国民党政権なら台湾は中国に傾く ほか)
(「BOOK」データベースより)

並木書房: 日本よ、こんな中国とつきあえるか?
http://spn05670.co.hontsuna.com/article/1733528.html
http://www.amazon.co.jp/dp/4890632018



(今週の書棚)
林建良『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』(並木書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 日本に留学して、そのまま医師となって栃木県に居着いてしまった林建良医師は、正義の人であり、熱血漢だ。
台湾独立、台湾正名運動の提唱者にして、台湾の独立運動を全国的に繰り広げ、李登輝友の会、台湾の声編集長としても大活躍中である。
 その林さんが流暢な日本語を駆使して、中国人と決定的にちがう台湾人の性格などとの比較、日本人との比較検証によって中国人の本質をぐさりと抉る。
それも冒頭から、きまじめな日本人なら卒倒しそうになる事実が所狭しと並んでいて、驚かされること夥しい。
 第一の衝撃は、これまでにも噂として聞こえてきた中国の臓器売買の実態だ。
それも死刑囚の臓器を執行現場に待機している医師がたちまち摘出手術をおこない、待機している外国人患者には国内患者の二倍から三倍で売りつける。
 その手術を中国のどこでおこなっているか、70ヶ所の病院名一覧もついている。

なかには生きている死刑囚から臓器を摘出した医師がおり、その後、西側に亡命して証言したことから中国の驚嘆すべき凶々(まがまがし)さが、世界に曝された。日本のマスコミはあまりこのことを触れたがらない。
 中国の漢方薬の店に行けば、たちどころに中国人の性欲のえげつなさがわかるのは狗鞭(ゴウベン)、虎鞭(フーベン)という動物の生殖器が精力剤で売られていることだ。
 バイアグラの偽物も行き交う中国だが、セックスに強いという信仰が窺える。

「このような考え方(医食同源)は「その臓器を食べるということになる。それも、出来るだけ人間に近い方がよく、また新鮮なものほどよいとされている。たとえば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べる」。
 そうそう、広東の女性は広東料理の目玉=ハトの丸焼きばかりか、梟も食べる。眼が良くなるという信仰があるからだ。
 死刑囚の皮膚をはがして美容薬にしていることも広く知られる。SARSの根本原因は愛玩動物のハクビシンを食べるからである。
 死刑場へ饅頭をもって集まるのは中国人にとって「公開処刑が娯楽」であるばかりか、飛ぶ血を饅頭に吸収し、長生きしようとするからで、この実話は魯迅の小説『薬』にも、ちゃんとでてくる。
 女性革命家秋謹がまさに処刑される場へ庶民は饅頭をもって現れた。魯迅はそれを書いた(拙著『中国よ、反日ありがとう』も参照あれ)。

 岳飛の「満江紅」という漢詩では「壮志飢餐胡虜肉」(おなかがすいたら外人捕虜の肉を食え)、「笑談渇呑兇奴血」(談笑して喉がかわけば「きょうど」の血でも飲め)。
 林さんによれば「中国では、この漢詩に曲をつけ、今でも小学校の唱歌のひとつとして教えている」という。
 このようなショッキングな実例が夥しく網羅されながらも、本書は決して猟奇をもとめてのものではなく、つまり、騙しが好きで人を食うおそるべき中国人に、うぶな日本人が対応できるのか、という危惧の現れが全編の基調である。
にもかかわらず日本人が下手に付き合うと、いずれ中国に隷属することになる、と不気味な近未来を予測している。
 そうならないためにどうするのか。まず本書を読んで対策を考えるしかあるまい。


   ♪
(読者の声2)宮崎哲弥とか宮崎正治(つくる会の前事務局長)を宮崎正弘先生と勘違いしている人は以外と多いのですね、と過日、(TK生、佐賀)の投書。
じつは私も(ブッシュ大統領なみに)物を知らない人間でして、「新ゴーマニズム宣言」で「従軍慰安婦」が話題になつてゐた頃、書店で池東旭氏と宮崎正弘先生の対談本をパラパラと立ち読みし、「ナンだ、この爺さん、こんな問題にも首を突つ込んでゐるのか」と意外に感じて本を書棚にもどした記憶があります。
(宮崎市定と勘違ひしてたんですね)
 その本のオチは池先生の「いやいや、竹島は韓国領ですよ」でした。(金美齢先生の尖閣同様、ナショナリストなんですね、池先生)

 さて些細な事を御うかがひ致したいのですが… 先生はシナで現地の人から「普通の日本人もオマエと同じくらゐ普通話を話すのか?」と聞かれたと、以前お書きです。
さういふ経験は北方・南方・辺境、いづれで多くありましたでせうか?
(また漢族・非漢族、いづれで多くありましたでせうか?)
現在の普通話は民国時代の「国語」であり、それは更に清朝時代の官話(宮廷用語)が基礎になつてゐると想像いたします。
現地人の、普通話を話す人(先生)への反問は畏敬の念の表明であり、それは直接的には清朝宮廷への尊崇、長い目で見ればシナ文明の「官尊民卑」の伝統(価値観)に由来するものではないかと想像するのですが、先生の御意見は如何でせうか?
   (showa78)


(宮崎正弘のコメント)ご質問の趣旨はよくわかります。しかしいまの中国はおっしゃるような言語空間ではないのです。
 新彊ウィグル自治区へ数年前にいったおり、ウィグル人の若い女性が中国語のテキストで、懸命に「漢字」を覚えていた。国家公務員の試験を受けるのだから、と言っておりました。ウルムチは人口200万人。すでに八割が漢族です。
 二十年前、香港の人は普通語を喋らなかった。いや、喋れなかった。
 いまも香港の新聞の半分は広東語です。高卒以上でないと普通語は喋れなかったのですが、いまや「狼の乳をのんだ子供たち」(北京の洗脳だけで育った世代)は広東語を田舎のコトバと認識するまでになり、普通語を喋るのです。
 香港が北京語(普通語)に浸食され、台湾はずぅっと昔から普通語です。台中から台南、高雄まで行って台湾語の世界が拡がりますが。。
 で、この現象はハルピンのずぅっとさきの黒河(ロシア国境)でも満州里やノモンハン、ホロンバイルでも同じ。南は雲南省のシーサンバンナあたりでも同じです。
 先日、四川省の山奥にいたとき、チベットの美人に足裏マッサージをして貰いました。
そのときに彼女と話して最大の衝撃は「わたしチベット語、喋れない」とあっけらかんと発言したことです。
少数民族の言語は小学校三年生から教室では使えない。全部、強制的に普通語(北京語)であり、クルマの免許も大学の入学試験も普通語です。
 つまり、おっしゃる意味での北京語への反発的な感情は二世代ほど前の感情。いまは新しい段階に突入した、と考えるべきでしょう。
 ウィリー・ラム(香港CNNのチャイナウォッチャー)が「青蔵鉄道はチベット民族への同化政策が本当の狙いだ」と言っておりました。
状況はそれ以上に現場では進んでおり、官尊民卑は、一世代前の話になってしまいました。恐るべき実態が進んでいます。

平成18年(2006年)7月7日(金曜日)貳
通巻第1503号  特大号
http://www.melma.com/backnumber_45206_3266865/





国柄探訪: 樹を植える日本人、樹を伐る中国人
    日本人と中国人の決定的な違いは死生観にある。

■1.日中でまったく異なる「医食同源」■

 台湾で中国医学を学んだ後、東大で医学博士号をとり、現在
は栃木県で地域医療に携わっている林建良医師は、「医食同源」
の理解が、日本と中国ではまったく異なる、と指摘している。
[1,p16]

 日本人が考える「医食同源」とは、健康を保つためには、ま
ず食事から正していかねばならない、というものだ。最近流行
語となった「メタボリック症候群」に関しても、甘いものや濃
い味付けの料理を食べ過ぎると内臓に脂肪がたまって、動脈硬
化による心筋梗塞などの病気にかかりやすくなるので、野菜を
しっかり食べよう、などと説かれる。

 しかし、林氏が台湾の医学部で学んだ漢方医学では、たとえ
ば「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」
「心臓を食べると心臓によい」と考える。

 中国市場で精力剤として売られているのは「狗鞭(ごうべん)」、
犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっと効くとされている
のが「虎鞭(フーベン)」虎のペニスである。犬よりも虎の方
が強いからだ。

 林氏も高校時代によく頭痛に悩まされたので、台北の中国人
の医師にかかり、漢方薬とともに豚の脳を煎じて飲まされた。

 病んだ臓器に近い臓器ほど、そして人間に近い動物ほど、体
に良いとする。これが中国人の考える「医食同源」である。そ
の究極は何か、と言えば、人体そのものということになる。

■2.人体も薬■

 中国医学で最も権威ある書物とされているのは、明時代の
1578年に執筆された『本草綱目』である。「本草」とは基本的
に薬用になる植物をさすが、薬とされる範囲は、鉱物や動物に
も及ぶ。そして、最後に出てくるのはなんと「人部」、すなわ
ち人体を薬剤として扱う章である。そこでは、髪の毛、尿、唾、
汗、骨、生殖器、肝臓などの効用が細かく書かれ、たとえば
「瘧(おこり、マラリア)は、生の人の肝臓1個を陰干しにし
て、その青い部分が効く」などと説かれている。

 この「医食同源」の概念は、専門の医学書だけではなく、広
く一般庶民の生活にも浸透している。昔から子供向けの教科書
として使われていた『二十四孝』は、24種類の親孝行の例を
示したもので、その一つに「割股療親」がある。子供が自分の
太ももをえぐって、病気の親に食べさせて、療養することを、
親孝行として勧めているのである。

「医食同源」の考えは近代になっても根強く残っていた。日露
戦争中に日本に留学し、その後作家として活躍した魯迅の作品
『薬』の中には、女性革命家が公開処刑される際に、民衆が手
に手に饅頭を持って集まる、というシーンが出てくる。処刑さ
れた瞬間に吹き出る血を、饅頭に染みこませて食べる。新鮮な
血は体によいという「医食同源」の発想である。

 中国人は「四つ足で食べないのは机だけ」と揶揄されるほど、
何でも食べ物にしてしまう。そして「医食同源」だから、何で
も薬と考える。自らの体のためには、人間を含む他の生命はす
べて食べ物や薬として見なすのが、中国人の哲学なのである。

■3.『共産党の慈善事業』(Communist Charity)■

 人体を薬にするのが、内科的「医食同源」なら、外科的「医
食同源」が臓器移植だろう。金儲けの天才である中国人は、死
刑囚から臓器をとりだして売買するビジネスを発明した。

 アメリカに移住した中国人・呉宏達(ハリー・ウー)氏は、
自分の家族に臓器移植を希望しているとの触れ込みで、数度、
中国に潜入し、臓器売買の実態を調査して、レポートを出版し
た。その題名がふるっていて『共産党の慈善事業』(Communist
Charity)という。

 ウー氏は、1995年にアメリカのパスポートで中国に入国した
際に、スパイ容疑で逮捕されたが、アメリカ政府の圧力で釈放
された。この事件をきっかけに、中国における臓器売買はアメ
リカの国会でも注目され、数度にわたる公聴会が開かれた。国
会の提案により、江沢民主席が1997年に訪米した際に、クリン
トン大統領が問題提起している。同時期に、アメリカのABC
テレビが『血なまぐさい金』(Bloody Money)という題名で、ゴ
ールデン・アワーに全米に放送した。

 ウー氏の調査によると、臓器売買は次のようなシステムで行
われている。まず死刑は祝日の前日に予定される。中国では
80年代以前までは公開処刑が一般的で、国民がお祭り気分で
見る娯楽の一種であったからだ。

 次に刑務所では、肝炎やエイズなどの事前チェックを行い、
病院側が注文した臓器に合った死刑囚を選ぶ。さらに臓器は
新しいほどよいので、刑場には医者が待機していて、死刑執行
されるや臓器を取り出し、病院に運んで、移植手術を行う。

 死刑執行前に臓器を取り出してしまうケースもよくあるとい
う。ウー氏のレポートでは、ハンブルグに脱出した中国人医師
が実名と写真入りで、死刑執行の前日に何度も肝臓を取り出し
たと証言している。その犠牲者のひとりは、思想問題で死刑と
された19歳の女性で、死刑執行する前に、待機する車の中に
彼女を強引に押し込み、麻酔無しで腎臓を取り出したという。

■4.政府と軍のビッグ・ビジネス■

 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの調査によ
れば、2004年の世界における死刑執行件数は約5500件で、その
うちの3400件、62パーセントが中国である。そのうちのかな
りの件数で、臓器が取り出され、役人の収入源になっていると
思われる。

 病院が処刑された死体に支払う値段は、300元(4500円)か
ら600元(9000円)。そこから取り出された臓器は、12万元
(180万円)から15万元(225万円)に跳ね上がる。外国人相手に
売られるときは、その倍になるという。仮に200万円で3千
件の臓器売買が行われたとすれば、総額60億円のビッグビジ
ネスということになる。

 林医師は、糖尿病の治療を専門としているが、患者の中には
腎不全から人工透析を余儀なくされている人も少なくない。そ
のうちの一人が「臓器移植を中国で受けたい。紹介してくれな
いか」と頼んできたことがあるという。なぜ中国なのかと訊く
と、「すぐに移植できるし、若くて健康な腎臓だと聞いている」
と答えた。このように、中国に渡って臓器移植手術を受ける日
本人患者も少なくない、という。

 臓器移植をする病院は、ほとんどが人民解放軍や政府機関の
病院である。中国司法部(法務省に相当)は、1981年6月13
日付で「死刑囚の臓器摘出に関する注意事項」という秘密文書
を出し、その中で「医者が車を使う場合は、医療機関のマーク
を隠すこと」「摘出した死体は速やかに処理するため火葬に付
すこと」などと指示している。臓器売買は、政府と軍が深く絡
んだビジネスになっているのである。

■5.「あんなものは、いくらでも手に入る」■

 林医師自身も、こんな体験をしている。20年ほど前、東大
で研究していた時、中国の蘭州大学で血液学を教えていた教授
が留学に来ていた。当時は、骨髄移植が始まって数年しか経っ
ていない時期で、最先端の医療技術だったが、彼は「こんなこ
とは、中国ではとっくにやっている」と言った。

 林医師がすぐには信じられずにいると、彼は「胎児の肝臓を
使うのだ。胎児の肝臓を取り出してすりつぶし、メッシュで濾
過したものを点滴すれば、骨髄移植と同じような効果がある」
と説明した。

「では、どこから胎児の肝臓を手に入れるのか?」と訊くと、
彼は笑いながら「あんなものは、いくらでも手に入る」と言い
放った。

 そのときに私は、さすが中国は世界一人口の多い国だか
ら、胎児を手に入れることはたやすいのかもしれないと思っ
たが、「あんなもの」として命を軽んじ、恐ろしいことを
平気でやるのが中国人だということを改めて認識した。

 その教授が「いくらでも手に入る」と言ったときの乾い
た笑い声は、いまだに耳から離れない。[1,p23]

■6.実験動物の慰霊祭を行う日本人■

 林医師は台湾の学校で、日本人が残酷で残忍であると教えら
れてきた。国民党政権下での反日教育の一環であった。ビデオ
ショップで借りたヤクザ映画を見て、指を詰めるシーンや喧嘩
の場面が出てくると、日本人はやはり残忍なのだと自分なりに
納得していた。

 その後、東大に留学すると、実験材料としてしばしばマウス
やラットを使うことがあった。その最初の時に先生から教わっ
たのは、いかに実験動物を苦しませず処置するかということだっ
た。

 また日本では、年に1回、必ず実験動物の慰霊祭を営むが、
台湾の大学ではやらないことだった。林医師は、日本人の命に
対する畏敬の念がこのような実験動物までにも及んでいること
を知って感銘を受けた。

 胎児を「あんなもの」と言い切る中国人と、実験動物の慰霊
祭を行う日本人と、その生命観の違いは対照的である。

■7.「いかにしてきれいに死ぬのか」を考えている日本人■

 林医師が栃木県の片田舎で開業してから、改めて感じたのは、
日本人の生活では死に直面する機会が多いということだった。
病院の職員が近隣の葬式の手伝いに行くので休みをとる。台湾
では、葬式で休むのは、家族が亡くなった時だけだ。

 地方の新聞では、有名人に限らず庶民に至るまで亡くなった
人が紹介されている。葬儀の日時、場所も書かれているので、
故人と多少なりとも縁のあった人は誰でも参列できる。台湾で
は、葬儀に参列できるのは、遺族から招待された人だけだ。

 林医師は、日本の葬式は質素で整っており、美しいと感じた。
そして、最後のお別れということで、すべての参列者に顔を見
せ、触らせもする。そして「ああ、いいお顔ですね」と言って
慰める。これも台湾にはない習慣である。

 苦悶せず、従容として死んでいった様を確かに拝見しました、
と遺族に伝え、それが遺族にとっては最高の慰めになる。この
事から、林医師は、日本人がきれいに死ぬことを大切にしてい
るのだと感じた。武士の切腹はその延長にあるものだ。

 こうした経験から、林医師はこう考える。

 日本人は死を意識しながら生きている民族であり、日常
的に経験する死の場面を文化にまで昇華させているように
思われる。そのせいか、世界第2位の経済力を持ちながら
も、日本人一人ひとりの現世に対する執着心はそれほど強
くないように見受けられる。日本人は常に無常観を抱えて
生きているようだ。・・・

 日本人は生きているうちに一生懸命に仕事をして世界最
高レベルの技術を創出しつつ、一方では、自然の摂理に融
け込みながら、死を生活の一部として淡々と取り入れ、自
分が人生の最終局面に向かい合うときにはいかにしてきれ
いに死ぬのかを考えているようである。[1,p97]

■8.日本人と中国人の決定的な違いは死生観にある■

 林医師は、日本人と中国人の違いを次のように捉える。

 日本人と中国人の決定的な違いはどこにあるのかといえ
ば、それは死生観にあるといってよい。死に対しての考え
方や死に直面したときの態度は明らかに違う。日本人はき
れいに死のうとし、中国人はいかにして死なないようにす
るか、という考え方に歴然と現れている。[1,p91]

 その昔、秦の始皇帝は3千人の男女を東の島「蓬莱」に派遣
して、不老不死の仙薬を求めたという伝説がある。その「蓬莱」
とは日本の事だという説があるが、逆に日本人からしてみれば、
それほどまでして不老不死に執着する気持ちは理解し難い。

 現世に執着する中国人は、自分の生命と金を最も大切なもの
と考える。自分の健康のためには他人の人体を薬にしたり、金
儲けのために平気で死体から臓器を取り出す。こうした姿勢か
らは、他の生命への畏敬は生じない。

 中国人とは対照的に、日本人は絶えず死を見つめ、このはか
ない命をいかに美しく生きるか、と考える。財産や権力など死
んでしまえば、何にもならない。それよりも世のため人のため
に多少なりとも尽くして満足して死に、葬式にはたくさんの人
に来て貰い、「ああ、いいお顔ですね」と言って貰うほうが、
はるかに意味のある人生だと考える。

 また生命のはかなさを感ずる所から、他の人や動植物の生命
への思いやりが生ずる。さらには人の生命を守るために、自ら
の生命を捧げる、という自己犠牲の精神もそこから生まれる。
特攻隊員たちの自己犠牲は、その最も純粋な形であった。[a]

■9.樹を植える日本人、樹を伐る中国人■

 日本の台湾統治は明治28(1895)年に始まるが、明治39
(1906)年から造林事業を奨励し、毎年100万本余の苗木を無
償で配布し、補償金まで交付した。日本統治前の清朝時代に、
ほとんどの樹木が伐採されて、ちょっとした雨でも大水や山崩
れが起こっていたためである。計画的に整備された都市の道路
は、樹を植えられて美しい並木道となった。[b]

 しかし、戦後、蒋介石の軍隊が台湾に入った時、都市道路の
並木はすべて切られてしまった。木の陰に誰が隠れているか分
からないので危険だ、というのと、伐った並木は薪にできるか
ら一石二鳥という理由だった。

 樹木の生命は人間より長い。植林したところで、自分が
生きている間に利用できるとは限らない。それでも日本人
は百年後、千年後のために黙々と樹を植える。ところが、
中国人は樹齢何千年の巨木であろうと、美しい並木であろ
うと、自分が薪として使いたいとなれば平気で伐ってしま
うのである。

 われわれ台湾人は、そのような日本人と運良く50年間
を暮らし、そのような中国人と不幸にして60年間付き合
わされ、併呑の危機にもさらされているのである。[1,p90]

(文責:伊勢雅臣)

1. 林建良 著『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』 並木書房

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108042793.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog476.html
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by thinkpod | 2006-07-07 21:51 | Books