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カテゴリ:社会( 26 )


2009年 01月 25日

 ホントは怖い「多文化共生」

【正論】埼玉大学教授・長谷川三千子 ホントは怖い「多文化共生」
2009.1.12 03:02

 ≪意味不明な内閣府の提言≫

 ちかごろ「共生」という言葉をよく目にします。内閣府では、平成16年に「共生社会政策担当」という部署ができて「共生社会」の実現を推進中ですし、総務省では平成18年に「多文化共生推進プログラム」の提言がなされて、目下、各地方自治体に多文化共生推進の大号令が下っている−どうやら「共生」はこれから流行(はや)りのスローガンになりそうな勢いです。

 しかしそれにしては、この「共生」という言葉、いまひとつ意味がはっきりとしません。ただ単に「共に生きる」というだけの意味だとすると、われわれ人間は大昔から集団を作って共に生きる生物として暮らしてきたのですから、いまさら共生社会の実現を叫ぶというのも妙な話です。たしかに戦後の日本ではやたらと「個人」の尊重ばかりが強調されてきて、日本文化の特色をなしてきた人と人との間柄の尊重ということが崩れてしまった。これをなんとか建て直そう、というのなら話は分かります。しかし内閣府のホームページを見ると、そういうことでもないらしい。「国民一人ひとりが豊かな人間性を育み」「年齢や障害の有無等にかかわりなく安全に安心して暮らせる」のが共生社会なのだという。いささか意味不明です。

 ≪日本文化は単なる一文化?≫

 これに対して、総務省の「多文化共生推進プログラム」の方は、きわめて狙いが明確です。要するにこれは、近年の外国人定住者の増加という現象にともなって出てきた話だというのです。このプログラム提言の立役者、山脇啓造先生は、多文化共生の発想は、外国人をいかにもてなすかという従来の「国際交流」とは違うのだと言って、こう説明しています−「今求められているのは、外国人を住民と認める視点であり」「同じ地域の構成員として社会参加を促す仕組みづくりである」。

 なるほど、これまで日本人は外国人のすることはみな「お客様」のすることとして大目に見てきたけれど、「住民」だとなればキッチリ地域のルールを守ってもらいましょう。日本語もしっかり覚えてもらって、「ニホンゴワカリマセーン」の逃げ得を許さない、ということですね、と思うとさにあらず。今後外国人の定住化がすすめば「『日本人』と『外国人』という二分法的な枠組み」それ自体を見直す必要が出てくるだろうという。その上で、「国籍や民族などの異なる人々が」「互いの文化的違いを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと」が多文化共生だと山脇先生はおっしゃるのです。

 つまり、これから外国人定住者がふえつづければ、やがて日本文化は日本列島に存在する多くの文化の一つにすぎなくなる。そしてそれでよい、というのが「多文化共生」の考えだということになります。なんともどうも、怖ろしい話です。

 ≪「棲み分け」の回復こそ≫

 どうしてこんな話がまかり通ってしまったのか。おそらくその鍵は「共生」という言葉にあります。生物学では、異種の生物同士が同一の場所で互いに利益を与えたり害を与えたりしながら生きてゆくことを総称して「共生」と言うのですが、「共生」と聞くとわれわれはすぐ、アリとアリマキのような共利共生を思いうかべてしまう。だから「共生」イコールよいこと、というイメージが出来上がってしまうのです。

 しかし、実際の生物世界の共生は、互いに害を与え合うことすらある苛酷(かこく)な現実そのものです。そして、それにもかかわらず、なんとか多種多様の生物たちがこの地球上を生き延びてこられたのは、そこに或(あ)る平和共存のメカニズムが働いているからであって、それが「棲(す)み分け」なのです。

 これは、かつて今西錦司さんが、同じ一つの川の中でも、流れの速いところ遅いところ、住む場所によってカゲロウの幼虫が違う体形をしていることから思い至った理論です。つまり生物たちはそれぞれ違った場所に適応し、棲み分けて、無用の争いや競争をさけているということなのです。実は人間たちも(カゲロウのように体形自体を変えることはできなくとも)多種多様な文化によって地球上のさまざまの地に適応し、棲み分けてきました。

 それぞれの土地に合った文化をはぐくみ、そこに根づいて暮らす−これが人間なりの棲み分けシステムなのです。ところがいま、この平和共存のシステムは世界中で破壊されつつあります。日本に外国人定住者が増加しつつあるのも、そのあらわれの一つに他なりません。この事態の恐ろしさを見ようともせず、喜々として多文化共生を唱えるのは、偽善と言うほかないでしょう。(はせがわ みちこ)

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090112/acd0901120303000-n1.htm
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by thinkpod | 2009-01-25 21:31 | 社会
2008年 06月 22日

加害者天国、被害者地獄

Common Sense: 加害者天国、被害者地獄

 なぜ被害者よりも加害者の人権ばかり守ろうとするのか。

■1.加害者と被害者の人権格差■

 昭和44(1969)年、神奈川県の高校一年生が同級生のAに殺
害されるという事件が起きた。Aは少年院に収容されて無償の
教育を受け、出所後、大学を卒業して弁護士になり、現在は裕
福に暮らしている。一方、殺された高校一年生の母親は年金頼
みの苦しい成果を強いられているが、Aからは謝罪も賠償もな
い。Aは母親に対して、「お金がないのなら貸してやる。印鑑
証明と実印を持って来い」と言い放ったという。[1,p157]

 人権を十二分に保護されている加害者と、人権を無視されて
いる被害者との矛盾を端的に表している実話である。このほか
にも加害者と被害者の人権格差には、様々なものがある。

1) 加害者は少年院や刑務所で衣食住を保証され、病気に
なったら、治療もただで受けられる。被害者は犯罪被
害の治療でさえ、自分で支払わねばならない。

2) 加害者は刑事裁判で有罪となっても、被害者から民事
訴訟で訴えられない限り、慰謝料支払いや損害賠償を
しなくとも良い。

3) 加害者は国の費用で弁護士をつけて貰い、法廷で被害
者に責任を押し被せるような発言もできる。被害者は
何の発言権もなく、傍聴席でじっと聴いていなければ
ならない。

4) 加害者はマスコミでの氏名や写真などの公開をプライ
バシーの侵害として拒否できる。被害者にはプライバ
シーもなく、実名・写真報道される事が多い。

5) 刑期を終えた加害者は出所しても、前科者として周囲
に知らされることがない。逆に、被害者の方は加害者
の出所も住所も知らされないので、いつお礼参りに来
られるのか、怯えていなければならない。

 幸い、犯罪被害者たちの運動により、こうしたひどい状況は
是正されつつあるが、人権派と呼ばれる抵抗勢力が加害者の人
権のみを守ろうとして、被害者の人権を踏みにじっているとい
う傾向はまだまだ根強い。こういう不正義を少しでも無くして
いくためには、一般国民がこの問題をよく知ることが必要であ
る。今回は、この問題を掘り下げてみよう。

■2.犯罪加害者のための完璧な福祉社会■

 まず経済面での加害者天国ぶりを見てみよう。

 我が国の犯罪加害者への支出は年間354億円に上る。それ
に対して被害者への支出は11億3千万円と、30分の1に過
ぎない。

 354億円の内訳は以下の通りである。[1,p27]

・国選弁護士費用 75億7千万円(平成17年度決算)

 矯正収容費(平成18年度予算)として

・食料費   165億7千万円
・代用監獄内での被告人の食料費等 85億2千万円
・被服費    12億2千万円
・入浴費用    5億円
・医療費     9億6千万円
・受刑者就労支援 1億7千万円

 この他に刑務所や少年院の施設費を「住居費」として考えれ
ば、「衣食住・医療・教育」までの完璧な福祉社会が犯罪加害
者には約束されているのである。

■3.国費を食い物にする人権派弁護士たち■

 国選弁護士費用は、トンデモない弁護士への報酬も含まれて
いる。オウム真理教の松本智津夫の審理では、国選弁護士が重
箱の隅をつつくような枝葉末節の尋問を繰り返して訴訟を意図
的に遅延させ、第一審判決が出るまでに8年近くかかった。こ
の間に弁護士たちは国から4億円以上の報酬を得ている。[a]

 また山口県光市母子殺害事件は、18歳の加害者が若い母親
の首を絞めて殺した上でレイプし、11カ月の乳児を床に叩き
つけて、用意していた紐で絞殺するという残忍な犯罪だった[b]。
加害者は一度は「生涯かけて償いたい」と涙ながらに述べてい
たが、最高裁では一転して「被害者を姦淫したのは、生き返ら
せるためだった」などと荒唐無稽な供述を展開した。これも弁
護人らの差し金だろう。

 この弁護人2名は、弁論期日に「日本弁護士連合会の裁判劇
のリハーサルがある」ことを理由に裁判を欠席して延期までさ
せている。被害者の遺族7人は、裁判に出席するために、仕事
を休み、旅費・宿泊費を払って、上京していたのである。遺族
の本村洋さんは「弁護人のとった行動は被害者遺族を侮辱して
いるだけでなく、法を信じている国民をも侮辱していることだ
と思います」と述べた。

 もちろん国選弁護士の大部分は職務に忠実な人たちだろうが、
ごく一部の人権派弁護士たちは好き勝手に裁判を引き延ばして、
国費を食い物にしつつ、加害者の刑を少しでも軽くしようと画
策しているのである。

■4.加害者の衣服費よりも少ない犯罪被害者等給付金■

 一方、被害者が受け取れるのは、犯罪被害者等給付金11億
3千万円(平成17年度支給裁定額)で、加害者の衣服費にも
満たない金額である。

 一家の大黒柱が殺されても、遺族に支払われるのは最高でも
1573万円で、平均は4百万円余り。特に被害者が20代、
30代の場合には子どもがいても、5百万円程度しか給付され
ない。自動車事故での死亡には遺族給付として3千万円が支払
われるが、これに比べれば、あまりにも低い。

 加害者の医療費は9億6千万円。被害者を襲った際に怪我し
ても、警察は病院に連れて行ってくれて、ただで治療してくれ
る。さらに留置所や刑務所で病気をすれば、これまた全額無料
の治療を受けられ、入院が必要な場合は、医療刑務所に入るこ
とができる。

 これに対して、被害者の方はどうか。平成11年9月、東京
の池袋で娘さんが通り魔に殺された事件が起こった。娘さんは
救急車で病院に運ばれ、4時間後に亡くなったが、その間の治
療に要した費用約170万円の請求書が遺族に送付された。娘
さんを奪われた上に、こんな請求書を受け取った遺族の気持ち
はいかばかりだったろう。

 平成9(1997)年に神戸で起こった児童殺傷事件では、加害者
の「少年A」には、精神科医たちがチームを作り、莫大な費用
をかけて「更正」に向けた取り組みがなされた。その一方で、
被害児童の兄は、大変なショックを受け、医師による治療を必
要としたが、その莫大な費用は自前で払わねばならない。

 しばらく前から、被害者の治療費は国から給付されることに
なったが、それも一年が限度であり、後遺症が残っても、リハ
ビリ費用や介護費用は被害者の自己負担である。

■5.加害者の損害賠償はわずか10%■

 現代日本における刑事裁判とは、法を犯した加害者の「更正」
のために刑期を課すという「教育刑」の思想[c]に立っている
ので、そこに被害者の救済という発想はない。

 だから被害者が加害者に賠償を求めようとすると、自ら別の
民事裁判を起こすしかなかった。そのための証拠は自分で集め
なければならず、また刑事裁判での公判記録を使うためには、
裁判所に申請して、自分でコピーしなければならない。

 さらに、裁判所に提出する訴状の作成や、裁判での相手方へ
の尋問などは、弁護士に依頼せざるをえないので、多額の費用
がかかってしまう。

 加害者の中には、刑事裁判の法廷では「被害者には大変申し
訳ないことをしました。深く反省しております。必ず賠償いた
します」などと言いながら、その後の民事裁判では、責任を否
定して損害賠償を拒否する人間も少なくない。

 この費用と手間に、民事裁判を諦めて、泣き寝入りする被害
者がほとんどである。平成11年犯罪白書によれば、殺人、傷
害致死等で生命を奪われた被害者の遺族が、加害者から損害賠
償を受けた割合はわずか10%に過ぎない。

■6.「損害賠償命令制度」■

 平成18(2006)年に成立した「損害賠償命令制度」は、この
点の改善を狙ったものだ。これは被害者が申し立てを行えば、
刑事裁判の有罪判決言い渡し後、同じ裁判官が引き続き、刑事
裁判での証拠を利用して損害賠償の審理を行い、賠償額を決定
する。

 しかし、裁判所はあくまで「賠償命令」を出すだけで、取り
立てまではやってくれない。人を殺傷するような加害者が賠償
命令に素直に従わないケースは少なくないだろうし、そんな
恐ろしい加害者に対して、取り立てに立ち向かえる勇気ある被
害者がどれだけいるだろう。

 振り込め詐欺などでは、犯人の収益を国が没収、追徴し、被
害者に支給する「被害回復給付金制度」が創設されたが、一般
犯罪についても同様に「賠償命令」を国が実行して取り立てて
くれる制度が必要だろう。

 こうした制度が成立すれば、冒頭に紹介した息子を亡くした
母親も、弁護士Aから相応の賠償を受け取ることができる。そ
れが社会正義というものではないか。

■7.法廷で黙って聞いているしかない被害者■

 犯罪被害者の人権が無視されていた、もう一つの重大な点は
裁判で被害者は自ら意見を言えないことだ。

 加害者は国民の税金で弁護士がつき、黙秘権もあれば、被害
者に責任を追わせるような発言もできるが、被害者やその遺族
は傍聴席で黙って聞いているか、「証人」として聞かれたこと
だけに答えるしかない。

 平成9(1997)年10月、山一証券を恐喝して有罪判決を受け
た男が、山一証券の代理人だった岡村勲弁護士を逆恨みして、
殺害しようと自宅を訪れ、応対に出た夫人をサバイバルナイフ
で殺害する事件が起きた。

 この加害者は、法廷で「(殺された)夫人が突然、飛び掛かっ
てきた。1メートルくらい吹っ飛ばされた。それでとっさに刺
してしまった」「殺さなければこっちがやられると思った」な
どと発言した。傍聴席でこんな発言を黙って聞いていなければ
ならない被害者遺族の思いは察するに余りある。

 平成12(2000)年10月、横浜市で女性が元同級生に殺害さ
れた事件では、被告人が法廷で遺族に向かって「お前ら(家族)
が娘(被害者)を迎えに行かなかったから娘は殺されたんだよ」
と言い放ち、被害者の母親が自殺するという事件も起きている。

■8.被害者の裁判参加■

 平成19(2007)年6月に成立し、本年12月までに施行され
ることになっている「被害者参加制度」で、この点は大きく改
善されるだろう。被害者は裁判長の許可を得た上で「被害者参
加人」として、検察官に並んで座り、被告人に質問したり、最
終意見陳述ができるようになった。

 これによって被害者遺族が加害者に「なぜ自分の妻を殺した
のか」などと質問することができる。また自分たち遺族が事件
をどのようなつらい思いで受け止めたのか、語ることによって、
加害者に自分の犯した罪の重さを実感させることができる。加
害者の真の更正のためにも、これは効果的だろう。

 ただ充分な法律知識のない被害者が法廷に参加したとしても、
有効な質問や陳述ができるとは限らない。そこで被害者の代理
人として弁護士が隣に座って、被害者に代わって質問したりす
ることができる。

 しかし弁護士を雇う経済的余裕のない被告人も多いので、公
費で国選弁護士をつけられるよう改正案が出されている。加害
者側に国選弁護士をつけている以上、被害者側にも同様の措置
をすることが公正だろう。

■9.加害者天国を守ろうとする抵抗勢力■

 賠償命令制度や被害者参加制度は、従来の加害者天国の有り
様を改善する一歩であるが、これらは「全国犯罪被害者の会
(あすの会)」の活動によって実現したものである。

 同会の岡村勲代表(前述の夫人を殺害された弁護士)が、平
成15年7月に小泉首相に面会し、犯罪被害者の置かれている
悲惨な現状を説明したところ、小泉首相は「そんなにひどいの
か。すぐ政府と党で検討する」と約束し、議員立法のうえ、安
倍首相のリーダーシップで成立した。

 この法案には、共産党と社民党が反対し、日本弁護士連合会
が積極的な法案阻止のロビー活動を行った。反対理由として
「法廷が復讐の場になる」とか「被告人が萎縮する」「被告人
の防衛の負担が増える」などが挙げられている。

 被告人が裁判長の許可を得て、質問や発言をすることが「復
讐」になるとは、「被告人をいかに守るか」という視点でしか
考えていないからではないか。「萎縮する」「防衛の負担が増
える」も同様である。

 こうした反対について、[1]の著者・後藤啓二氏は次のよう
に述べている。

 刑事司法に携わる弁護士や刑法・刑訴法学者の多く、あ
るいは裁判官の一部は、刑事司法を国家権力と加害者の対
峙と捉え、不当な国家権力の行使から加害者を守ることを
超えて、加害者の権利擁護のみを声高に叫び、ただひたす
らに加害者の責任や刑を軽くするのが任務であるとでも考
えているとしか思えないような行動をとり、被害者をない
がしろにしてきました。・・・イデオロギー的な偏りによ
るものか、恐るべき知的怠慢によるものか、どちらかでしょ
う。[1,p5]

 このような一部専門家の「イデオロギー的な偏り」や「恐る
べき知的怠慢」を国民の健全な常識を持って、糺していくこと
が、公正で安全な国家を実現していくために必要である。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(334) オウム裁判と床屋の怒り
 「人権派」の新聞や弁護士によって、国民の人権は危機にさ
らされている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog334.html
b. JOG(420) 裁判官がおかしい
 反省もしない殺人犯たちに同情し、被害者遺族を無視するお
かしな裁判官たち。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog420.html
c. JOG(512) 「教育刑」という空想
 占領下に押しつけられた「教育刑」思想は、 すでにアメリカ
でも完全に否定されている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog512.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)

1. 後藤啓二『なぜ被害者より加害者を助けるのか』★★、
産経新聞出版、H20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/486306053X/japanontheg01-22%22

http://archive.mag2.com/0000000699/20080615061000000.html
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by thinkpod | 2008-06-22 16:18 | 社会
2008年 05月 05日

人口減少社会なんて怖くない〜外国人労働者の受け入れは、社会構造改革のチャンスを逃す〜


人口高齢化で日本の労働力は不足するのか(1)
〜外国人労働者の受け入れは、社会構造改革のチャンスを逃す〜

法政大学経営学部 佐野 哲 教授

少子高齢化が進む日本。昨年暮れの厚生労働省の発表によると、2005年の日本の人口は、1899年に統計を取りはじめて以来、初の減少となった。
こうしたなか、移民や外国人労働者に広く門戸を開き、労働力不足を補うべきだという議論が高まっている。
はたして、労働市場を外国人に開放すべきか否か。この問題について、法政大学経営学部・佐野哲教授にお話をうかがった。佐野教授の専門は、経営社会学、企業・労働者調査、労働需給システム研究。今回を含めて3回に分けて、インタビューの内容を紹介したい。
今回は、移民や外国人労働者を受け入れる前提となっている「少子高齢化による労働力不足問題」について、教授の持論を語っていただいた。
聞き手/吉田 直人、文/二村 高史

2006年3月13日

有効求人倍率の数字は労働市場の実情を反映していない

 少子高齢化が進み、とうとう人口の絶対数が減少する時代に突入しました。今後、「不足する労働力を海外から導入せよ」という議論がありますが、本当に労働力不足は深刻なのでしょうか。

佐野:
 確かに、有効求人倍率は上昇傾向にあり、今年に入って1倍を超えるところまで上昇。労働市場開放を訴える人たちは、この数字を取り上げて、近い将来の人手不足を心配しているようですが、私はそうは思いません。

 というのも、バブルの時期の有効求人倍率は3?4倍??つまり、1人の労働者に4人分もの求人があったほどの人手不足でした。それが、一時は0.5?0.6倍にまで落ち込み、それがやっと1倍に戻ってきたと考えれば、労働力が足りないと心配するほどのレベルではありません。

 しかし、有効求人倍率の上昇傾向が続けば、労働力不足の時代がやってくるのではないでしょうか。

佐野:
 そもそも、職業安定所の発表する有効求人倍率の数字自体に問題があると、私は考えます。その理由は2つあります。

 1つは、職安の事情です。現在、職安は独立法人化、民営化の波にさらされていて、とにかく業績をかせがなくてはなりません。厚生労働省からもノルマが言い渡されており、求職者と企業とのマッチングを、少しでも早く、多くしなければならない状況なのです。

 その結果、以前ならば、職業訓練校などでじっくりと訓練するべきだと担当者が判断したようなケースでも、いまでは素早く紹介状を書いて「就職件数1件」という実績をつくろうとするわけです。

 かつては、「人材ビジネスは紹介料ほしさで人を押し込むが、行政が運営する職安はじっくりと相談に乗ってくれる」というのが一般的な認識でしたが、いまでは、むしろその逆が実情です。

 よかれ悪しかれ、いったん仕事を得れば、もう求職者ではありません。こうして、次々に仕事が紹介されていくために、求人倍率を算出する基準となる「求職者」の数は減っていくわけです。

 もう1つ、いわゆるニートや引きこもりを、求職者としてカウントしていないという点にも問題があります。

 ニートや引きこもりの人たちの中にも、条件が整えば労働市場に出ていく人は少なくないでしょう。潜在的な求職者としてカウントすれば、求職者の数はもっと増えるはずです。

 こうして、求職者の数が現実よりも少なく算入されている一方で、景気自体は上昇傾向にあるために、企業からの求人自体はそこそこ出ています。これが、このところの有効求人倍率上昇のからくりなのです。実際には、数字で見るほど人手は不足していないと考えるべきでしょう。


人口減少時代を迎えても労働力は不足しない

〜それでも、求人件数自体が増えていけば、労働力は不足しませんか。

佐野:
 実は、企業側の状況を見ると、ここにも求人数が増えるからくりがあります。成果主義に走る企業が増え、労働力が流動化していくなかで、求人数もまた実際の感覚よりも多い数字になっているのです。ちょっとわかりにくいので、順を追って説明しましょう。

 まず、1990年代の「失われた10年」という不況を経験することで、正社員を採用する人事部の目が肥えてきたというのが大きな要素です。これに加えて、派遣やアルバイトという労働形態も定着。その結果、どの企業も正社員を厳選して採用するという方針をとるようになってきました。

 現に、求人を出してはいても、実際にとるかどうかは本人を見てから決めるという企業が増えています。

 そのうえに、若い人たちの定着率がどんどんと低下しているという現状があります。いまでは、優良企業に就職した一流大学の新卒者でも、1年で5%が退職といいます。

 大量に退職者を出した企業は、その穴埋めとして大量に求人を発注。結果として求人件数は上がっていくわけです。

 成果主義をとる会社が増えてノルマがきつくなってきたため、新卒者に限らず、中途退職者の数はさらに増えていくことでしょう。

 こうして、求人件数は増加。でも、採用するかどうかはわからない。仮に採用しても、社員はすぐにやめていく。そこで新たに求人を出す……こうした循環によって、求人件数の数字は実情以上に多くなってしまっているのです。

 要するに、社会の構造が変化しているのにもかかわらず、有効求人倍率という数字の出し方が変化していないのが問題です。こうした数字は、もはや時代遅れであり、それを根拠にして議論することは、あまり意味がないのです。

〜では、人口減少時代になっても労働力は不足していないと考えていいのでしょうか。

佐野:
 少なくとも、当分は労働力が不足するということはないでしょう。たとえ、労働者の数が減っても、省力化や合理化によって生産効率を上げる努力が行われるはずですし、そうしなければなりません。労働者が減っても十分にまかなえるようになります。

 そもそも、労働力の不足を嘆く前に、女性や高齢者がもっと活躍できる場を確保すべきでしょう。そして、若い人の就業意欲を高める努力も必要です。そうした有能な人たちが働けないでいる現在の構造を変化させれば、労働力が不足しているということはけっしてありません。

 外国人を労働力として受け入れるかどうかというのは、その次の段階です。女性、高齢者、若年層に対する雇用開発をしてもなお、労働力が不足した場合に、はじめて議論すべきことだと思います。

 安易に外国人を導入して労働力不足を解消しようというのは、雇用構造の改革という根本的な治療をおこなわずに、モルヒネを打ってその場しのぎで痛みをとめるようなものといっていいでしょう。

女性、高齢者、若年層が
きちんと働ける環境にすることを優先せよ

〜いわゆる3K職場のように、職種によっては日本人の働き手がいないため、外国人労働者に頼らざるをえないという意見もありますが。

佐野:
 1990年に出入国者管理法が改正されるに当たって、外国人の単純労働者受け入れを求めたのは、賃金の低い3K職場の中小・零細企業経営者でした。当時、こうした職場は人手不足に悩まされ、存続の危機に見舞われていたのです。

 もちろん、そうした企業の経営者の方々の気持ちは、痛いほどよくわかります。しかし、本来ならば、技術革新や省力化によって克服すべき危機でした。言葉は悪いのですが、それができない企業は市場で淘汰されるというのが、あるべき姿なのです。最終的には、そのほうが日本企業や社会全体にとってプラスになるからです。

 ところが、そうしないで、外国人の力を借りて倒産をまぬがれるという方向に向かおうとしたのが16年前でした。そのままいくと、どうなるかといえば、劣悪な労働環境が残り、イノベーションが滞る原因となってしまいます。

 このように、淘汰される企業が残るから、安易な外国人導入はダメというのが当時の議論でした。そうした企業レベルでの議論が、いまでは日本社会全体を対象にして論じられていると考えるといいかもしれません。

 つまり、女性、高齢者、若年層がきちんと働けない社会というのは、淘汰されるべき社会なのです。そうした人たちが自己実現できるような雇用構造、社会構造に変えていくべき時期に来ているのに、ここで安易に外国人労働者を導入すれば、従来の社会が淘汰されずにそのまま残ってしまうことなります。

 現在の日本全体が、当時の劣悪な環境の中小企業と同様な状態であり、外国人労働者を受け入れることは、外国人の力を借りることによって日本の社会の崩壊をまぬがれようとしているわけです。これは、けっして建設的なことではありません。

 将来の日本において、本当に労働力が不足してしまったら、外国人の力を借りる場面も出てくるかもしれません。しかし、その前にまず、女性、高齢者、若年層が就業できるようにするべきだというのが私の考えです。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/interview/59/index.html





人口減少社会なんて怖くない

~わが国本来の人口に戻っていくと考えるべき~

経済アナリスト 森永 卓郎氏
2006年4月3日

人口が減ったからといって労働力が落ちることはない

 いささか旧聞に属するが、昨年12月22日に厚生労働省が発表した人口動態統計の年間推計によると、わが国の死亡数(自然減)が出生数(自然増)を上回り、予想よりも1年早く2005年から人口が減少に転じたことが明らかになった。

 この発表をきっかけにして、人口減少社会を迎えた日本の行く末を案じる議論が盛んになってきた。人口が減少することによって経済活動が停滞し、経済成長率が低下するというわけだ。

 しかし、私はそれほど暗い気持ちになることはないと思っている。

 人口が減少しても、一人当たりの所得が落ちるわけではない。社会全体の経済のパイが小さくなっても、一人あたりの所得が減らない限り、生活は維持できるのだ。

 人口が減っても、経済成長率はほぼ横ばいか、むしろ微増で推移するのではないかと私は考えている。

 なぜならば、人の数が減れば、それを補おうとする工夫がこらされるからだ。

 現に、OECD諸国で、労働力人口の伸び率と生産性の伸び率を比較してみると、労働力人口の伸びが小さい国ほど、生産性の伸びが高い。

 つまり、人が減ったことをきっかけにして、労働力の低下を補うために、機械化投資などが行われて生産性が上昇するのだ。機械でできることは、みな機械にやらせればいい

 むしろ、人口が減っていいこともある。

 現在の約半分――かつて日本の人口が6445万人だったのは、いつのころだかおわかりだろうか。

 それは、1930(昭和5)年である。人類の歴史、日本人の歴史から考えれば、“たった”75年前に過ぎない。

 思うに、その程度の人数が、日本の定員ではないだろうか。人口がその程度に減れば、さまざまな社会問題が解決される可能性がある。

 通勤の混雑が緩和され、車内で楽に新聞が読めるようになるだろう。

 交通渋滞もなくなり、お盆や年末年始の帰省ラッシュも緩和される。夏休みのレジャーで、お父さんがくたくたになることは、もうなくなる。

 住宅問題も完全に解決するはずだ。

 確かに、人口減は高齢化を伴うのでよくないという意見もある。

 2025年には、65歳以上人口比は28.7%になるというから、現在とくらべて8.8ポイントの上昇である。

しかし、現在の時点でこの高齢化率を越えている自治体は、日本に山ほどある。私は、仕事でこうした市町村を訪ねることがあるのだが、けっして悲惨な暮らしをしているわけではない。ほとんどの街で、ゆったりとした幸せな暮らしが送られているのだ。

 もちろん、年金の問題は重要ではあるが、これはまったく次元の違うことがらである。

 年金については、方式を変えたり、富裕税をかけたりといった方法で解決を考えていく必要があるだろう。年金問題については、回を改めて考えることにしたい。



地方と都会の格差をなくし、グランドデザインを描き直すチャンス

 人口減少問題を考える際には、地方と都会の格差問題は避けて通れない。都会では人口減少がプラスの効果をもたらしたとしても、ただでさえ過疎で悩んでいる地方では、致命的なことになりかねないからだ。地方と都市の格差をそのままにしておくわけにはいかない。

 しかし、人口が減少に転じたいまこそ、日本という国のグランドデザインを描きなおすいいタイミングではないかと私は思う。それには、どうすればよいか。

 まずは地方の現状を見てみよう。

 私はよく講演で地方に行くのだが、経済停滞の悲惨さはひどいものだ。中心部の商店街は、ほとんどがシャッター通りと化している。

 鹿児島に講演に行ったとき、こんな経験をした。空港から講演会場までタクシーを利用したときのことである。確か金額は6000円ほどだったと記憶している。

 現地に着いて運転手さんが言うには、「ぜひ帰りも乗ってください。ここで待っていますから」

 だが、講演が終るまでは時間がある。私は「そんなことをしたら、ほかの仕事をできなくなるでしょう。講演が終るまで3時間もあるんですよ」と言った。

 ところが、運転手さんはそれでも待っているというのだ。理由を尋ねて私は驚いた。

 最近は、1日の売上が合計で2000円に満たない日があるのだそうだ。なるほど、それならば、3時間待っても6000円を取りにいくほうが確実だということになる。

 こんな話はほんの氷山の一角だろう。タクシーの運転手さんの廃業は続出しているというし、それよりも何よりも地方の経済そのものがボロボロになっているのだ。

 では、都会では誰もが幸せに暮らしているかといえば、けっしてそんなことはない。

 宝島社が出している「田舎暮らしの本」が30万部も売れていることからもわかるように、多くの人が都会暮らしにうんざりして、田舎で人間らしい暮らしをしたがっている。潜在的な希望者を合わせれば、おそらく百万人の単位で存在しているに違いない。

 私の周りにも田舎暮らしを望んでいる人が多いのだが、それが実現したという話はあまり聞かない。なぜか。それは、田舎に「行かない」のではなく「行けない」からだ。

 田舎に行っても雇用の場がないから、よほど金を貯めた人は別として、田舎で暮らしていくことができないのである。

 それでも田舎暮らしをしたければ、農業をすればいい――そう言いたいところだが、いまという時代は、専業農家では食えないのである。野菜を作っても中国や東南アジアからの輸入農作物に価格で太刀打ちできない。そして、それ以上に、日本の田舎は山も畑も荒れてしまっていて、農業を続けることのできない地域も多い。

 田舎暮らしをしたい都会人や、農業をやってみたい都会人が増えている。その一方で、田舎でも人がいたほうが望ましい。ところが、田舎では食っていけない。

 そんな地方と都会のミスマッチを、どうやって埋めればいいのか。

 こういう本質的なことがらを解決するためにこそ、税金を使うべきだろう。人が入らない音楽ホールだの、車がめったに通らない高速道路だのといった、くだらない公共事業などやめて、農家がきちんと働けるように金を使ったらいい。

 たとえば、低農薬、有機肥料で農作物を生産するために、研究費や補助金を捻出。都会から移住する新しい農民に、そうした農業を実行してもらうのはどうだろう。

 国土の均衡ある発展に役立つのではないか。

 ここでは思いついたままのアイデアを書いてみたが、こうした方策をいろいろと考え、日本のグランドデザインを描き直せば、人口減少時代はちっとも恐ろしいことはないのである。


外国人労働者受け入れは新自由主義者のわがまま
~得をするのは受け入れ企業、コストをかぶるのは国民全体~

 人口減少時代を迎えて、移民を受け入れよと主張している人がいる。いわゆる、新自由主義の立場にたった人たちだ。

 新自由主義というのは、評価の尺度を金に一本化するという単純な発想から成り立っている。

 その典型がホリエモンである。ライブドアの社長だったころの彼は、「社員がやめたら、またマーケットからとればいい」とうそぶいていた。

 彼らには、一人一人の労働者の顔が思い浮かぶことはない。

 彼らにとっては、鈴木さん、佐藤さん、田中さん……といった個人名はどうでもいい。あくまでも、労働力1、労働力2、労働力3……という存在に過ぎないのだ。

 彼らの発想の根源となっているが、いわゆる生産関数――つまり、経済の大きさが、労働と資本を投入した量で決まるという理論だ。

 ところが、人口が減少してしまうと、投入できる労働は減り、彼らの儲けも減ってしまう。そこで、経済成長を維持させるために、どこからか労働力を供給しなければならないと考えているわけだ。それが手っとり早い方法だからである。それが、外国人労働者を受け入れよという要求につながってくる。

 しかし、外国人労働者の受け入れには、私は絶対反対である。

 現に、ドイツやフランスをはじめとして、諸外国でも外国人労働者の受け入れは失敗の歴史であるといっていい。

 たとえば、ドイツでは1960年代、高度成長のもとでトルコから大量の労働者を受け入れた。

 ところが、高度成長が終わり外国人労働者の雇用調整をしようとしたところで、つまずいてしまった。すでにドイツ国内では労働者たちに二世が誕生。彼らはドイツで生まれ育ち、ドイツ語しか話せず、本国に返そうにも返すことができない。

 そこでドイツが何をやったかというと、トルコに家を建てるための資金を与え、子どもたちにはトルコ語を教えた。そうした莫大なコストをかけて雇用調整をしたのである。

 日本で外国人労働者を受け入れても、まず同じことが起きるだろう。

 外国人労働者のメリットというのは、雇った企業のみに現れる。

 ところが、そのコストは長期間にわたって全国民にはねかえってくるのだ。たとえば、小学校の教育一つとっても、外国人の生徒がいれば、コストは10倍はかかるだろう。外国人労働者本人も失業を頻繁に繰り返すことが予想され、失業保険のコストがかかる。

 公的な住宅費もかかるし、市役所のパンフレットも各国語で書くためにコストがかかる。

 そして、そうしたコストは雇った企業ではなくて、何の関係もない国民にかかってくるのだ。

 さらにいけないのは、外国人が入ってくるために、まじめな日本の若者がワリを食うことだ。その一例が、最近になって外国人の受け入れが検討されている介護士や看護師である。

 日本の若者のなかにも、最近では福祉分野で働きたいという、まじめな人がたくさんいる。ところが、そこに外国人介護士や看護師を受け入れたらどうなるか。起きるのは、外国人の賃金に合わせた劇的な賃金低下である。これでは、若者ならずとも勤労意欲を失ってしまう。

 これが、あらゆる分野で起きたらどうなるだろうか。若者はますます仕事につかなくなり、社会不安は拡大していくに違いない。

 さきほども述べたように、日本の人口が減っても経済成長率が落ちることは、ほとんどない。

 人口は減ってもいいのだ。本来の人口に戻っていくという気持ちで迎えようではないか。そして、人口の減少を前提にして、そのなかで、どうやって幸せに暮らしていけばよいかを考えたほうが建設的でないだろうか。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/25/index.html
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by thinkpod | 2008-05-05 19:36 | 社会
2008年 02月 14日

杜撰な沖縄集団自決論

 昭和二十年四月にアメリカ軍が沖縄に上陸して、日米両軍が激戦を展開した時に、日本軍が沖縄住民に集団自決を「強要」したということが教科書に記載されていたのが、その証拠がないことになると、文科省が介入して集団自決に「関与」したという表現に改められた。その是非をめぐって、論争がたたかわれている。

 何とも、奇怪なことだといわねばならない。
このような政府と文科省に、教育という国家の大事を委ねてよいものだろうか。
それよりも、どうして住民の集団自決の議論を沖縄に限定するのか、私には理解することができない。

 アメリカ軍は沖縄に上陸した十ヶ月前の昭和十九年六月に、サイパン島に来攻した。
サイパン島には二万人の邦人住民が、居住していた。アメリカ軍が来攻する前に、老幼婦女子の内地送還が実施された。
しかし、第一船目のアメリカ丸、第二、第三船の千代丸、白山丸がアメリカ潜水艦によって撃沈されたので、中止された。三回の疎開船とも、生存者がなかった。

 サイパン島の面積は、東京二十三区の四分の一弱に当たる百八十五平方キロである。わが軍はアメリカ軍が上陸してから、三十一日間にわたって、他のアメリカ軍を迎え撃った島嶼と同じように敢闘したが、武運つたなく島を敵手に委ねた。

 南雲忠一長官以下、高級将官が自決した後に、残存していた将兵と、在郷軍人、警防団員、青年団員などの邦人を合わせて、三千人あまりが最後の突撃を行った。多くの邦人女性が迫るアメリカ軍を前にして、最北端のマッピ岬の断崖から、母は乳児を抱いて、あるいは親族や、友と手をつないで、南の海へ身を投げた。

 集団自決だった。アメリカ軍が海上から、望遠レンズを用いて撮影した、痛ましい動画の映像がのこっている。悲劇のマッピ岬は今日、〃バンザイ・クリフ〃(クリフは断崖)と呼ばれて、知られている。サイパン島を訪れる日本人観光客がかならず訪れる、不謹慎なことだが、観光スポットの一つとなっている。

 だが、沖縄住民の集団自決については、「日本軍による強制」とか、「関与」を問題にしてきたのに、いったい同じ集団自決であったのに、どうしてサイパンにおける邦人住民の集団自決が取りあげられることがないのだろうか。

 年末に、イギリス人の畏友が新年の休暇のために、『ネメシス 日本との戦い 一九四四—四五年』(マックス・ヘイスティングス著、ハーパース・プレス社、ロンドン)と題する本を贈ってくれた。「ネメシス」はギリシア神話の復讐、あるいは天罰を降す女神である。対日戦争を一九四四年から克明に記録した、六百七十四ページにわたる大著である。著者はイギリスでよく知られた、歴史作家である。

 沖縄本島には、千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。先の本から引用しよう。
「一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。とくに沖縄戦がそうだった。

(アメリカ軍兵士の)クリス・ドナーは、こう記録している。
『地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった』
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、『あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!』と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった」
アメリカ軍は戦闘中に、しばしばこのような残虐行為を働いた。こうした戦慄すべき事実は、目撃した住民によって、わが軍戦線の背後にいた住民に伝わったはずである。

 ヘイスティングスは本書のなかで、アメリカ兵が日本人を人間だと思わなかったので、故国への土産(スブニール)として、日本人の頭蓋骨を蒐集したが、ヨーロッパ戦線においてドイツ兵については、頭蓋骨をそのように扱うことはなかったと、述べている。日本人の頭蓋骨を飾り物として、珍重したのだった。

 私はこれまでアメリカ人による太平洋戦線の記録のなかで、アメリカ兵が残虐行為を働いたという、多くの記述を読んでいる。

 教科書の沖縄戦中の住民の集団自決についての記述から、アメリカ軍の存在がなぜなのか、すっぽりと抜けている。沖縄戦はいうまでもなく、アメリカ軍が沖縄を侵攻したことによってもたらされた。なぜ、アメリカ軍が不在なのか。当然、アメリカ軍が「関与」していたはずである。

 教科書の執筆者や、文科省の担当官は、沖縄住民がアメリカ軍を恐れていたことに、頭が回らなかったのだろう。どうしてアメリカ側の記録を調べる熱意が、欠けていたのだろうか。杜撰(ずさん)なことだ。教科書は正確な記述を期さねばならない。

 サイパン島が失陥した十二日後に、アメリカ軍がテニアン島に来攻した。
テニアン島には、一万五千人あまりの邦人住民が居住していた。ここでも、一般邦人は国軍によく協力して、勇戦した。沖縄と同じように、男子住民も祖国の弥栄を祈念して、最後の突撃に加わった。そして、多くの婦女子が自決している。
 (2008.2)

加瀬英明のコラム
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

reference archives : 集団自決と検定






【詳説・戦後】沖縄の言論 異論認めぬ画一的報道
12/27 09:53更新
 沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定をきっかけに、異論を認めない沖縄における画一的な報道のあり方が注目されている。主催者が参加者数11万人と発表した教科書検定を批判する県民大会をめぐっては、沖縄県警が「約4万人」としており、ある警備会社の独自調査では2万人以下という見解もある。しかし、県内で九十数%という圧倒的なシェアを持つ琉球新報、沖縄タイムスの地元2紙が、それを報じることはない。その背景に、激しい地上戦が繰り広げられ、多数の犠牲者を出した沖縄の歴史的事情があるとしても、地元紙の報道姿勢に疑問を投げかける人も少なくない。

                   ◇

 ■黙殺された当事者証言
 「沖縄タイムスの記者が私に取材を申し込んだり、話を聞きに来たりしたことは全然なかった。きっと、知らんぷりしている方が都合よかったということだろう」
 こう話すのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風』に実名で登場する知念朝睦氏(85)。知念氏は、渡嘉敷島守備隊長として島民に自決命令を出したと同書に記述された赤松嘉次氏(故人)の副官代理を務め、赤松氏とずっと行動をともにしていた人物だ。
 『鉄の暴風』は、赤松隊長の自決命令を聞いた知念氏の様子を次のように描写している。
 《これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭(どうこく)し、軍籍にある身を痛嘆した》
 だが、知念氏は実際には「そんな隊長命令はなかった。渡嘉敷島の人からも、戦友からも聞いたことがない」と証言し、軍命令の存在を明確に否定している。
 また、『鉄の暴風』によると、知念氏は自決命令を地下壕内で開かれた将校会議で聞いたことになっているが、「当時、渡嘉敷には将校会議が開けるような広い壕はそもそもなかった」と語る。
 この証言によれば、沖縄タイムスは現場を知る生き証人である知念氏を一度も取材しないまま、知念氏が軍命令を聞いたと決めつけ、その心中まで推し量って本を書いたことになる。
 「沖縄の新聞やテレビは、私のような体験談や意見は全く流さない」と、知念氏は指摘する。
 取材を受けないまま、地元メディアに一方的な記事を書かれた点では、戦後の琉球政府で旧軍人軍属資格審査員として軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄氏(83)も同様だ。
 照屋氏は昨年8月、産経新聞の取材に対し、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類をつくった」と証言し、当事者として軍命令説を否定した。
 それに対し、沖縄タイムスは今年5月26日付朝刊で、慶良間諸島の集団自決をめぐり、当時の隊長らが作家の大江健三郎氏らに損害賠償などを求めている裁判での被告側主張を引用。「『捏造(ねつぞう)』証言の元援護課職員 国の方針決定時 担当外 人事記録で指摘」などと、4段見出しで大きく報じた。証言を否定する趣旨の記事で、名指しこそしていないが、すぐに照屋氏だと分かる書き方だ。
 しかし、照屋氏は当時の琉球政府辞令、関係書類などをきちんと保管している。被告側が提示した記録について、照屋氏は「人名の上にあるべき職名が伏せられていたり、全員、庶務係となっていたり不自然だ」と指摘するが、こうした反論は地元メディアには取り上げられない。
 照屋氏は渡嘉敷島に1週間滞在して住民の聞き取り調査を実施しており、「隊長命令があったと言った人は1人もいない。これは断言する」と述べている。「捏造」と決めつけた沖縄タイムスから謝罪や訂正の申し入れは一切ないという。

                   ◇

 ■「集団自決を削除」と誤解
 「この記述をなくそうとしている人たちは、沖縄戦を経験したおじい、おばあがウソをついていると言いたいのか」
 「次の世代の子供たちに真実を伝えたい」
 9月29日の県民大会で、高校3年生の2人が集団自決に関する教科書検定を批判するシーンは、繰り返しテレビ各局で放映された。
 また、同日付の沖縄タイムスは「県議会の意見書が指摘するように『日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実』である」、30日付の琉球新報は「いかなる改竄(かいざん)、隠蔽(いんぺい)工作が行われたにしても、真実の姿を必死に伝えようとする県民の意志をくじくことはできない」と、それぞれ社説で主張している。
 だが、検定意見は「軍が(自決を)命令したかどうかは明らかといえない」と指摘したにすぎない。
 また、検定決定後の記述でも、軍の関与自体はそのまま残っている。
 甲南大、熊本大などの学生有志が11月、沖縄県で実施した興味深いアンケート調査(723人回答)結果がある。
 それによると、検定意見がついた背景に、元琉球政府職員の照屋昇雄氏らの新証言があったことを知っていたのはわずか17%。8割の人が「知らない」と答えた。県民大会に「参加した」または「参加したかった」と答えた人にその理由を聞くと、「集団自決を伝えたい」が48・1%に上り、「軍命令を記述してほしい」は25・7%にとどまった。
 「多数の県民は報道を通じ、集団自決そのものが抹消されたと誤解している。地元紙は、検定対象が軍命令の有無であることをストレートに報道してこなかった」
 歴史評論家、恵忠久氏(82)はこう指摘する。恵氏らは県民大会の場で、「検定意見では、集団自決の記述は従前どおりであり、変更はない」「沖縄の新聞などの異常な報道ぶりは、誤報でしかない」などと訴えるビラを配布した。すると翌日から「これは事実か」と約100件の問い合わせ電話があったほか、「本当のことを聞かせてほしい」と直接訪ねてきた人も数人いたという。
 ただ、沖縄ではこうした意見を表立って論じにくい空気がある。元宜野湾市議の宮城義男氏(83)は「軍命令はなかったという話をすると、『非県民』扱いされる。だから本当のことは言えない」と語る。

                   ◇

 ■沖縄と地元メディアの変遷
明治
 5年 明治政府が琉球藩設置
12年 廃藩置県
26年 琉球新報創刊(昭和15年廃刊)
昭和
20年 6月、沖縄戦終結
    7月、米軍の要請で現在の琉球新報前身、ウルマ新報創刊
    8月、政府がポツダム宣言受諾
23年 沖縄タイムス創刊
24年 政府が沖縄への旅券発行開始
25年 沖縄タイムス社編「鉄の暴風」出版
26年 日本復帰促進期成会発足
27年 琉球政府が発足
35年 沖縄県祖国復帰協議会発足
44年 沖縄時報創刊(2年もたずに廃刊)
47年 沖縄が日本に復帰
48年 曽野綾子氏が集団自決の軍命令説に疑問を投げかけた「ある神話の背景」出版
61年 沖縄タイムス紙上で「鉄の暴風」著者の大田良博氏と曽野氏が論争
平成
7年  米兵による少女暴行事件発生
19年 3月、文部科学省が沖縄戦での集団自決について「日本軍に強いられた」との趣旨の記述があった教科書7点に「日本軍が命令したかどうかは明らかといえない」との検定意見
    9月、教科書検定意見撤回を求める県民大会開催

                   ◇

【用語解説】『鉄の暴風』と軍命令説
 沖縄戦の集団自決を日本軍の「命令」と最初に書いたのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風‐沖縄戦記』(朝日新聞社刊、昭和25年)だ。この本の記述がノーベル賞作家の大江健三郎著『沖縄ノート』(岩波書店)などさまざまな書籍に孫引きされ、「軍命令説」が広く流布されていった。「鉄の暴風」は渡嘉敷島での集団自決についてこう書いている。
 《恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた。「こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍に出血を強いてから、全員玉砕する」というのである》
 赤松とは、慶良間列島・渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次氏(故人)のことだ。大江氏は『沖縄ノート』で赤松氏らを念頭に「慶良間の集団自決の責任者は罪の巨塊」と断罪している。これに対し、赤松氏の弟、秀一氏らは平成17年8月、「誤った記述で多くの読者に非道な人物と認識される」として、大江氏と岩波書店に、出版差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こしている。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/112198/



【詳説・戦後】沖縄の言論 「軍命令説」矛盾する記述
12/27 09:55更新
 沖縄の地元メディアは、沖縄戦の集団自決に関する「軍命令説」を自明のことであるかのように報じる傾向があるが、沖縄県公文書館に所蔵された書物の中には、これと矛盾する記述がみられる。琉球政府と沖縄県教育委員会が編集・発行した「沖縄県史」第10巻は、元渡嘉敷郵便局長の徳平秀雄氏の次のような手記を掲載している。
 《そこでどうするか、村の有力者たちが協議していました。村長、前村長、真喜屋先生(元渡嘉敷小学校校長)に、現校長、防衛隊の何人か、それに私です。敵はA高地に迫っていました。後方に下がろうにも、そこはもう海です。自決する他ないのです》

 また、沖縄県警察本部発行の「沖縄県警察史」第2巻では、渡嘉敷駐在所勤務だった比嘉(旧姓・安里)喜順巡査がこう記している。
 《村の主だった人たちが集まって玉砕しようという事になった。私は住民を玉砕させる為にそこまで連れて来たのではないし、戦争は今始まったばかりだから玉砕することを当局として認めるわけにはいかないと言った》
 現場にいた徳平、比嘉両氏の手記は、いずれも村の有力者たちが自決を決めた過程を克明に記録している。

                   ◇

 ■編集局長が率先して「一坪反戦地主」に
 琉球新報、沖縄タイムスの地元2紙は戦後、ともに米施政権下に機材提供など米軍の後押しを受けて出発した。米軍基地問題では反基地の姿勢を貫いているが、沖縄戦など歴史問題では、米軍による加害より、旧日本軍による住民危害を強調する傾向もみられる。
 2紙は基地問題について専門記者を置き、米軍兵士による事件・事故や騒音問題をめぐるキャンペーンを展開する。特に駐留軍用地特別措置法(特措法)改正時、法案の閣議決定を伝えた平成9年4月4日付朝刊では、「苦痛を強いる改正」(新報)、「がまんできぬ改正」(タイムス)と題する社説を掲載した。
 このときは、反戦地主・平和団体による反対運動や県内識者の反対談話をほぼ連日、大きく取り上げたが、賛成意見はほとんど取り上げなかった。また、当時の嘉手納、普天間両米軍基地内にある土地の「一坪反戦地主」として、新報の三木健編集局長(当時)が名前を連ね、反基地の姿勢を編集責任者が率先して対外的に示した。
 今年9月の県民大会参加者数の「11万人」(主催者発表)の信憑(しんぴょう)性について、新報の嘉数武編集局長は「6万人入ると聞くグラウンドがいっぱいで周りにあふれていたから、それも妥当だと(判断した)」と12月9日付朝刊の対談で述べた。タイムスも主催者発表の妥当性を紙面で主張した。

                   ◇

 ■2紙とも本紙の取材拒否
 産経新聞社は今回の特集記事掲載にあたり、沖縄県の有力地元紙、「沖縄タイムス」「琉球新報」の2社の編集局長に対して取材を申し入れた。取材内容は、(1)沖縄の戦後復興に両社が果たしてきた役割の評価(2)米軍基地問題や歴史問題に対する報道姿勢(3)9月29日に開かれた教科書検定意見撤回を求める県民大会の参加者数の報道をどう考えるか‐などについてで、インタビュー形式または文書での回答を要請した。
 これに対し、沖縄タイムス社は「貴社の取材要請について、対応できかねます。日々の新聞報道が弊社の姿勢だとご理解ください」(諸見里道浩編集局長)と文書で取材を拒否した。
 琉球新報社は「インタビューも文書の回答もしない。あとで(新聞記事を)拝見させていただきます」(嘉数武編集局長)と電話で答えたのみで、両社の具体的な見解を直接、取材することはできなかった。

                   ◇

 ■幻の保守系第3紙、記者クラブ加盟に地元紙反対
 「保守の言論は存在しない」といわれる沖縄だが、琉球新報、沖縄タイムス両紙を真っ向から批判する保守系の「第3の日刊紙」が一時期、存在した。昭和44年に創刊され、県内経済界などの期待を集めたものの、2年もたずに廃刊に追い込まれた「沖縄時報」だ。
 「琉球新報と沖縄タイムスは左派系労組に支配され、もっぱら反米基地闘争ばかりしていた。両紙の主張は、本来の沖縄人の考え方ではない。沖縄時報が今も続いていたらとは思うが…」
 沖縄時報の社長を務め、社説執筆も担当した崎間敏勝氏(85)はこう振り返る。崎間氏はうるま新報(琉球新報の前身)の記者を経験し、琉球政府では法務局長の要職に就くなど顔が広く、「地元2紙の左派連中を筆でやっつけよう」との意気込みだった。
 しかし、沖縄時報は見切り発車的なスタートとなったため、営業、販売態勢が整っておらず、すぐに資金難に陥った。また、地元紙の反対で県政記者クラブにも加入できず、紙面作りにも苦労するようになり、あっけなく短い歴史を閉じることになった。

                   ◇

 ■ジャーナリスト・櫻井よしこ氏『沖縄県民の知る権利守る対策を』
 新聞をはじめメディアの基本的役割は、入手した情報をできるだけ事実に沿って伝え、読者の理解を助けることにある。「李下に冠を正さず」という姿勢が必要で、記事の編集など重要なポジションにいる人は、賛否の分かれる問題について、どちらのサイドにも加担しないようにするのが当たり前だ。
 ところが、沖縄では過去に、沖縄米軍基地の「一坪反戦地主」が琉球新報編集局長(当時)を務めた。明確に反基地、反日米安保の政治目標を持つ勢力ということになる。報道する立場から、運動する立場になるということは、新聞社の政治部の派閥担当記者が、派閥の正式メンバーになるようなもので、異常だ。
 また、地元紙が教科書検定意見の撤廃を求める県民大会の参加者数を誇張するのと、中国政府が発表する日中戦争の犠牲者数が膨れあがっていくのは同じ構図といえる。
 地方紙による寡占支配は、読者に対してプラスよりもマイナスの影響をもたらす。当然の権利として、沖縄県民が正しい情報にアクセスできるようにしないといけない。県民の知る権利をもっと守る対策を、国民としても考えるべきだろう。(談)

                   ◇

 ■3つの恨み・反感 表現の場
 国旗・国歌が不当に扱われていた戦後の日本とは逆に、米施政権下の沖縄では、沖縄県教職員組合(沖教組)の前身である沖縄教職員会が率先して日の丸掲揚運動を推進するなど、国旗を象徴に掲げた祖国復帰運動が盛んだった。しかし、昭和47年の日本復帰が近づくにつれて様相が変わっていく。背景には、過激な左派勢力の流入と、沖縄の特殊な歴史事情、それに呼応した地元紙の報道などがあった。
 昭和44年から約1年間、時事通信社の沖縄特派員を務めた田久保忠衛・杏林大客員教授は「日本復帰にめどがついたら、琉球独立論が噴出した。沖縄の右派も左派も、沖縄は薩摩藩による琉球征伐、廃藩置県、沖縄戦の3つの犠牲になったという『恨み』と『反感』は共通していた。そして、左右双方がその思いを表現する手段として地元紙を使った」と振り返る。
 田久保氏は現在も、琉球新報、沖縄タイムス2紙の購読を続け、記事内容をチェックしており、「僕がいたときから40年近くたっても変わらない。2紙とも同じ紙面をつくっている」と話す。
 同時期に、総理府の那覇南方連絡事務所法務係長として沖縄に駐在していた大森義夫・元内閣情報調査室長は「沖縄に真正保守はなく、警察もそうだった。米軍による反日宣伝の効果も確実にあっただろうが、琉球警察は本土復帰派をマークしていた。私の前任者も尾行されていた」と明かす。
 復帰直前の沖縄には、鹿児島経由で革マル派など左翼過激派が流入し、反米・反基地闘争を繰り広げていた。大森氏は「70年安保闘争は結局、沖縄闘争になった。その中で、本土との系列化が進み、穏健な地元勢力は本土の過激な勢力と同化していった」と話し、こう指摘する。
 「現在の沖縄では中国、韓国、北朝鮮、台湾…。いろんな国・勢力が活動し、マスコミだけでなく各界各層に浸透している」
 一方、沖縄問題研究家の春日井邦夫氏は、復帰1周年時の地元紙の論調に着目している。48年5月16日付の沖縄タイムスは1面トップで「復帰一年“屈辱の日”実感 県民の不満が増大」と報じ、同日付の琉球新報も「五月十五日を“屈辱の日”に 返還は県民意思を無視」と書いている。
 春日井氏は「復帰後の沖縄では物価が高騰し、相当暮らしにくかった。だが、これは沖縄に限られた状況ではない。それなのに、沖縄だけが復帰したために屈辱的で悲惨な状態に置かれたと言わんばかりの報道には、首をかしげたくなった。何でも本土のせいにしているようだ」と話す。

                   ◇

 ■沖縄県内の新聞各紙発行部数
 沖縄タイムス 20万5066部
 琉球新報   20万2221部
 日経新聞      4141部
 朝日新聞      1522部
 読売新聞       531部
 毎日新聞       373部
 産経新聞       244部
 ※部数は19年1~6月の販売店朝刊部数平均(社団法人日本ABC協会調べ)。沖縄タイムスは19年10月現在の公称部数
 
                  ◇

 阿比留瑠比、比護義則が担当しました。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/112199/



何を目指すか、沖縄タイムス
http://archive.mag2.com/0000000699/20080302060000000.html
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by thinkpod | 2008-02-14 01:44 | 社会
2007年 11月 02日

集団自決と検定

【正論】集団自決と検定 作家・曽野綾子 それでも「命令」の実証なし
2007.10.23 03:42
■戦争責任と曖昧な現実に耐えること
 ≪大江氏の『沖縄ノート』≫
 1945年、アメリカ軍の激しい艦砲射撃を浴びた沖縄県慶良間列島の幾つかの島で、敵の上陸を予感した島民たちが集団自決するという悲劇が起きた。渡嘉敷島では、300人を超える島民たちが、アメリカの捕虜になるよりは、という思いで、中には息子が親に手をかけるという形で自決した。そうした事件は、当時島にいた海上挺進第3戦隊隊長・赤松嘉次大尉(当時)から、住民に対して自決命令が出された結果だということに、長い間なっていたのである。
 1970年、終戦から25年経った時、赤松隊の生き残りや遺族が、島の人たちの招きで慰霊のために島を訪れようとして、赤松元隊長だけは抗議団によって追い返されたのだが、その時、私は初めてこの事件に無責任な興味を持った。赤松元隊長は、人には死を要求して、自分の身の安全を計った、という記述もあった。作家の大江健三郎氏は、その年の9月に出版した『沖縄ノート』の中で、赤松元隊長の行為を「罪の巨塊」と書いていることもますます私の関心を引きつけた。
 作家になるくらいだから、私は女々しい性格で、人を怨みもし憎みもした。しかし「罪の巨塊」だと思えた人物には会ったことがなかった。人を罪と断定できるのはすべて隠れたことを知っている神だけが可能な認識だからである。それでも私は、それほど悪い人がいるなら、この世で会っておきたいと思ったのである。たとえは悪いが戦前のサーカスには「さぁ、珍しい人魚だよ。生きている人魚だよ!」という呼び込み屋がいた。半分嘘(うそ)と知りつつも子供は好奇心にかられて見たかったのである。それと同じ気持ちだった。
 ≪ないことを証明する困難さ≫
 これも慎みのない言い方だが、私はその赤松元隊長なる人と一切の知己関係になかった。ましてや親戚(しんせき)でも肉親でもなく、恋人でもない。その人物が善人であっても悪人であっても、どちらでもよかったのである。
 私はそれから、一人で取材を始めた。連載は文藝春秋から発行されていた『諸君!』が引き受けてくれたが、私はノン・フィクションを手掛ける場合の私なりの原則に従ってやった。それは次のようなものである。
 (1)愚直なまでに現場に当たって関係者から直接談話を聴き、その通りに書くこと。その場合、矛盾した供述があっても、話の辻褄(つじつま)を合わせない。
 (2)取材者を怯(おび)えさせないため、また発言と思考の自由を確保するため、できるだけ一人ずつ会う機会をつくること。
 (3)報告書の真実を確保するため、取材の費用はすべて自費。
 今日はその結果だけを述べる。
 私は、当時実際に、赤松元隊長と接触のあった村長、駐在巡査、島民、沖縄県人の副官、赤松隊員たちから、赤松元隊長が出したと世間が言う自決命令なるものを、書き付けの形であれ、口頭であれ、見た、読んだ、聞いた、伝えた、という人に一人も会わなかったのである。
 そもそも人生では、「こうであった」という証明を出すことは比較的簡単である。しかしそのことがなかったと証明することは非常にむずかしい。しかしこの場合は、隊長から自決命令を聞いたと言った人は一人もいなかった稀(まれ)な例である。
 ≪もし手榴弾を渡されたら≫
 この私の調査は『集団自決の真相』(WAC社刊)として現在も出されているが(初版の題名は『或る神話の背景』)、出版後の或る時、私は連載中も散々苛(いじ)められた沖縄に行った。私は沖縄のどのマスコミにも会うつもりはなかったが、たまたま私を探して来た地元の記者は、「赤松が自決命令を出したという神話は、これで否定されたことになりましたが」と言った。私は「そんなことはないでしょう。今にも新しい資料が出てくるかもしれませんよ。しかし今日まで赤松が自決命令を出したという証拠がなかったということなんです。私たちは現世で、曖昧(あいまい)さに冷静に耐えなきゃならないんです」と答えた。この答えは今も全く変わっていない。
 戦争中の日本の空気を私はよく覚えている。私は13歳で軍需工場の女子工員として働いた。軍国主義的空気に責任があるのは、軍部や文部省だけではない。当時のマスコミは大本営のお先棒を担いだ張本人であった。幼い私も、本土決戦になれば、国土防衛を担う国民の一人として、2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオを納得していた。
 政治家も教科書会社も、戦争責任を感じるなら、現実を冷静に受け止める最低の義務がある。(その あやこ)

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071023/edc0710230343000-n1.htm


【正論】集団自決と検定 拓殖大学教授・藤岡信勝 “トリック報道”で世論誘導
2007.10.24 04:06
 ■「軍の関与」も認めてはならない
 ≪一点の瑕疵もない検定≫
 高校日本史の教科書検定で「沖縄集団自決」に日本軍の「命令」「強制」があったとの記述を修正させた問題で、政府・文科省は修正前の記述の趣旨の復活を認める方針に大転換した。検定意見の撤回はしないが、もとの記述を何らかの表現で回復しようとする教科書会社の訂正申請があればこれを「真摯(しんし)に検討」するというのである。今ごろは10月末の申請をめどに教科書執筆者と文科省の間で水面下のすりあわせが行われているはずである。重大な局面にあたり改めて問題の原点から考えたい。
 従来、「軍命令説」の根拠とされてきたのは、座間味島と渡嘉敷島のケースだった。しかし、どちらのケースについても、当時島に駐留していた日本陸軍海上挺進(ていしん)隊の隊長は、住民に集団自決を命令していなかった。それどころか、集団自決のための武器・弾薬を求めに来た住民に対し、隊長は「決して自決するでない」と押しとどめ(座間味島)、集団自決が起こったことを知ったあとは「何という早まったことをしてくれたのか」と嘆き悲しんだ(渡嘉敷島)。
 こうした事実が明らかになった近年の動向を反映して検定意見がつけられ、例えば「日本軍の配った手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自決と殺し合いをさせ」という「命令」「強制」を含意する表現を改め、「日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いがおこった」(実教出版・日本史B)と修正された。文部科学省の今回の検定は、国会の定めた法律に基づく法秩序と手続きに従って、実証された史実を根拠に適切に行われたものであり、その内容を見ても少しも行き過ぎたところはなく、一点の瑕疵(かし)もない。これをひっくり返すいかなる道理も存在しない。
 ≪防衛隊と日本軍の混同≫
 日本軍が無辜(むこ)の住民に自決を強要するほどの悪逆非道な存在であったことにしたい一部マスコミは、正面から「命令」「強制」を論証できないので、住民の証言を持ち出して世論誘導を図っている。その際、トリックの材料として用いられているのが防衛隊の存在である。
 米軍来襲時、島には(1)陸軍の正規部隊たる将兵(2)防衛隊(3)一般住民−の3種類の人々がいた。防衛隊とは昭和19年7月に帝国在郷軍人会沖縄支部が市町村の集落単位で中隊を編成したもので、法令的な根拠はなく、住民の義勇隊という性格のものだ。中国戦線から帰還した、村長など村の顔役が隊長を兼ねて行政と一体化し、日常の生活は家族と起居をともにしていた。
 手榴弾は防衛隊に米軍上陸の際の戦闘用に支給したものであり、自決用に一般住民に配布したのではない。集団自決を主導したのは防衛隊で、時には手榴弾を軍陣地から持ち出して住民に配布した。「兵隊さんから手榴弾を渡された」という住民の証言は、防衛隊を日本軍と混同しているのだが、マスコミはこの事実をよく知りながらイメージ操作のため確信犯的にこの混乱を利用しているのである。
 ≪「軍命令説」と同じ虚構≫
 もう一つのトリックは、「軍の関与」という言葉である。これはマスコミの世論操作であると同時に、政府の「落としどころ」として喧伝(けんでん)された経過がある。すでに8月段階で伊吹文科相(当時)は、「『軍の関与』という表現であれば、次回の検定で問題とはならないだろう。出版会社にお願いしてはどうか」と沖縄選出の自民党議員に水を向けていた。
 しかし、プレゼントに送った果物ナイフが殺人に使われたからといって送り主が殺人に「関与」したとはいえないという事例を分析すればわかるように、集団自決への「軍の関与」を認める必要はない。「軍の関与のもとに集団自決が起こった」という文を作ってみればわかるように、これは結局「軍命令説」や「軍の強制」と同じ虚構を教えることになる。
 集団自決は悲しい出来事だが、当時の日本人の心理状態では米軍が上陸すれば日本中どこでも起こった可能性がある。現に沖縄で日本軍不在の地でも集団自決は起こっている。
 そもそも「関与」という定義曖昧(あいまい)・伸縮自在の概念の導入は事態を紛糾・悪化させるだけである。「従軍慰安婦」問題で「軍の関与」がいかに国益を損なう混乱をもたらしたかを一考すればその危険は明らかだ。なぜ政治家は同じ轍(てつ)を踏むのか。
 あの戦争で国と国民のために命をかけて戦った軍や軍人を虚偽に基づいてはずかしめるようなことをする国は滅びる。沖縄の県民感情を利用した反軍反国家反体制運動に屈して教科書検定制度を崩壊させてはならない。(ふじおか のぶかつ)

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071024/edc0710240315000-n1.htm



【正論】集団自決と検定 高崎経済大学教授・八木秀次
2007.10.25 03:27
■「正確さ」犠牲にはできない 
 ■沖縄への配慮は検定撤回とは別に
 ≪数を頼んだ政治的圧力≫
 文部科学省は今春、来年4月から使用される高校日本史教科書の検定で、沖縄戦での「集団自決」について、日本軍の「命令」や「強制」によるものとした記述に検定意見を付け、修正を求めた。最近、これを不服として、検定意見撤回を求める動きが沖縄を中心に全国に広がりつつある。特に9月29日に開催された沖縄県民集会に多数が集まったことにより、政府もこれに動かされる形で、各教科書会社による自主訂正を容認する形での、「事実上の検定意見撤回」を実現させ、「集団自決」が日本軍の「命令」や「強制」によるものとする記述を復活させようとしている。
 しかし、教科書検定は第一次家永教科書訴訟最高裁判決(平成5年3月16日)が示した通り「教育内容が正確かつ中立・公正で、地域、学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準」を保つためのものだ。教科書記述として最も重要なのは教育内容として「正確」であることだが、「集団自決」については、日本軍の「命令」や「強制」によるものとする見解に有力な異論が近年提出されるに至っており、検定意見もそのような意見に配慮し、「正確」を期そうとしたものだ。数を頼んだ政治運動で「正確」さを犠牲にしてはならない。
 また、教科書検定は学習指導要領や教科書検定基準などすべて法令に基づいて行われている。数を頼んだ政治運動によって、法令に基づいた検定結果が捻(ね)じ曲げられるのであれば、教育基本法の趣旨に大きく背馳(はいち)する。昨年12月に改正された教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」(第16条第1項前段)と規定している。教育が、教育行政を含めてすべて法令に基づいて行われるべきものであるという法治国家として当然のことを規定したものだが、政府が教科書会社の自主訂正を容認する形であれ、事実上、検定意見を撤回するのであれば、明らかにこの規定に反する。政府が率先して法令を無視する形で「政治決着」をするのであれば、教職員に法令遵守(じゅんしゅ)を求めた教育基本法同条はもはや死文と化し、教育界を再び無法状態とする第一歩となろう。
 ≪県民の不満も軽視できず≫
 さらに仮に検定意見の撤回を許せば、検定制度は形骸(けいがい)化してしまう。後述するように沖縄の県民感情に配慮することは必要だが、そのことと検定に例外を設けることは別物だ。「県民感情」に配慮した形で検定意見撤回という事態に至った場合には、将来に大きな禍根を残す。近隣諸国から同じような動きが起こった場合にも、その国の「国民感情」に配慮して検定意見を撤回する事態を招きかねないからだ。
 ただ、参加人数1万3000人とも11万人とも言われる集会に集った沖縄県民の思いは、一部政治勢力に扇動されたところがあるとはいえ、それはそれとして真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
 多くの沖縄県民の胸中には、自身や身内が犠牲になった沖縄戦について、本土側の無理解があるとの不満が渦巻いている。今回の動きも、「集団自決」に検定意見が付けられたことを契機に、「集団自決」という歴史的事実自体が教科書で否定的に扱われるのではないか、沖縄戦における犠牲も軽視されるのではないか、との不安が背景にあると思われる。もちろんそのような不安は杞憂(きゆう)だが、これまでその種の不満をすくい上げてきたのは特定の政治勢力であり、その点、保守派は深く反省しなければならない。
 ≪保守派にも反省すべき点≫
 昭和20年6月6日、沖縄地上戦の海軍部隊司令官を務めた大田實少将が海軍次官宛(あて)に「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と打電し、後に自決したことはよく知られた事実だが、凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦における沖縄県民の尊い犠牲に対して果たして本土の側に「特別の御高配」があったかどうか、振り返ってみる必要がある。例えば、教科書記述においても、本土防衛の盾となった沖縄戦の犠牲について、感謝と共感を示す表現があったかどうか。左派の執筆した教科書が“犠牲”と日本軍の責任を強調する一方で、その裏返しとなって記述が極端に少なく、冷淡にさえ映る教科書もある。これでは沖縄県民の共感は得られないし、改善が必要だ。拳(こぶし)を振り上げる前にその点を考え直すべきだろう。
 沖縄の県民感情に配慮すべきはこのような点であり、決して「集団自決」を軍の命令や強制によるものとして史実を捻じ曲げることではない。
 (やぎ ひでつぐ)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071025/edc0710250311000-n1.htm



【正論】集団自決と検定 現代史家・秦郁彦
2007.10.26 03:07
□沖縄集会「11万人」の怪
 ■「1・9万〜2万人」の推定数も
 ≪産経と朝日の応酬に端緒≫
 福田首相の人柄もあってか、何となく堅苦しい気分が漂う昨今だが、久々に笑いを誘ったのが教科書検定に抗議する沖縄県民大会(9月29日)の参加者をめぐる産経新聞と朝日新聞の応酬であった。
 かいつまんで要点を紹介すると、まず10月3日の産経抄が「(県民大会で)沖縄11万人抗議」の大見出しで1面トップの大半を埋めた朝日の特大報道をとりあげる。そして11万人は主催者発表の数字で「関係者によると、参加者は最大で4万3000人だそうです」「規模を2・5倍も誇大に報道する姿勢は、戦時中に大本営発表を垂れ流し続けた貴紙の過去とだぶってしまいます」と切りつけた。
 朝日も黙ってはいない。翌日夕刊の「論説委員室から」というコラムで、産経も9月30日朝刊の第一報では「撤回求め11万人」と報じ、2日の産経抄でも「11万人が参加した」と書いているから「何だ、同じではないか」「やはり11万人(主催者発表)と書いた朝日をたたく。自己矛盾…」と切り返した。
 そのころ、ネット上では参加者の実数をめぐる論戦がヒートしていた。2万人とか3万5000人とかの数字が乱れ飛んだが、沖縄県警が当局側調べの数字を発表していたら、こんな論争は起きなかったろう。
 そもそも大型の集会やデモの参加者は主催者発表と警察発表の2種類があり、新聞は両方を併記するのが慣例になっている。たとえば戦後最大のデモとされる60年安保騒動の数字を朝日の縮刷版で調べると、「空前のデモ 国会を包む」の見出しがついた5月26日は17万5000(主催者)対6万人(警察)、6月19日は33万対13万人というぐあいで、2〜3倍の開きがある。
 ≪県警が公表を拒んだ理由≫
 今回に限って沖縄県警が公表を拒んでいるのは「ある種のマグマが爆発寸前」(仲井真弘多知事)とされる県民の怒りを買えば、一般犯罪の捜査に差しつかえると判断したのかもしれない。
 それにしても、高速道路の通過車両をカウントするに似た調査法はないものかと思案していたら、やはりあった。テイケイという中堅の警備会社(高花豊会長)が、県民大会の拡大空中写真をタテ8コマ(A〜H)、横13コマ(1〜13)に分割して1Cは124人、10Eは620人というぐあいに1人ずつカウントして集計した視認可能の合計が1万8179人、別に建物、木陰、写真外などを推定で加えた総数を1・9万〜2万人と算出したのである。
 区画ごとのカラー写真も添付してあり信頼性は高いと思うが、他にも熊本で似た手法を用い3日かけてほぼ同じ数字を算出した人がいると聞く。
 どうやら主催者発表は実数の5倍前後になるようだが、このうち無料バスまで出した官民合同の組織的動員や本土からかけつけた人がどのくらいいるのかは知るすべがない。
 しかし6月9日の県民大会とデモの参加者が3500人(主催者発表)とか、10月15日東京沖縄県人会などが開いた総決起集会に集まったのが650人(琉球新報、うち170人は沖縄から上京した要請団)のような規模からおよその見当はつく。もっとも10月14日、那覇市内での大綱引き大会には20万5000人(主催者発表)が集まったそうだから、県民のお祭り好きは理解できるというもの。
 ≪すりかえ闘争戦術が奏功≫
 では県民12人に1人の「11万人」を集めた県民大会は何をめざしたのか。朝日の報道によると、採択された決議は「“集団自決”が日本軍による関与なしに起こりえなかったことは紛れもない事実」だとして、文科省に検定意見の撤回を求めたのだという。また大会の最後に、2人の男女高校生が声をそろえて「教科書から軍の関与を消さないでください」(赤旗)と宣言したよし。
 ところが福田首相は10月4日の国会での代表質問で「(検定意見は)軍の関与を否定するものではない」と答弁した。念のため今年春の検定意見を読み直し、その通りであることを確認したので、筆者はキツネに化かされたような気分になった。
 察するに、なかった軍の命令、強制と、ありえた軍の黙認、制止を「関与」の一語に集約した沖縄の闘争戦術が、すれちがいを生んだのではあるまいか。このすりかえはそれなりに成功した。
 「沖縄11万人の抗議」の大合唱にたじろいだ政府は、教科書会社の訂正申請という姑息(こそく)な便法で切り抜けようとしているが、数のトリックに屈してはならない。(はた いくひこ)

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071026/edc0710260307001-n1.htm
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by thinkpod | 2007-11-02 17:23 | 社会
2007年 10月 19日

地球温暖化問題に仕組まれた「偽装」

 政府やマスコミは情報をコントロールしている

■1.「首都に迫る海」■

 今を遡ること23年前、昭和59(1984)年の元日朝刊で、朝
日新聞は「海面上昇で山間へ遷都計画」と題した記事を掲載し
た。「6兆円かけて20年かかり」「脱出進み人口半減」とい
う見出しが躍る。「首都に迫る海。警戒水域まであと1メート
ルに」というコメントのついた架空の航空写真まで掲載されて
いた。

 世界の平均気温は50年前の15度から18度に上がり、
この結果として極地の氷の融解が加速度的に進むことによっ
て海岸都市の一部が水没する。

 実は、この記事は「50年後の2043年1月1日の新聞にこの
ような記事が載るだろう」という但し書きがついたシミュレー
ション記事なのだが、それが架空の物語であるという記載はど
こにもない。だから、多くの読者は現実的な予想と捉えただろ
う。

 これが「地球温暖化問題」のはしりとなった記事だった。

■2.北極の氷が溶けても海面の高さは変わらない■

 朝日新聞は、事実を正確に報道したり、相対立する見解の両
方を公平に紹介することよりも、自らの考えで読者を説得(時
には扇動)することに熱心ではないか、という印象をかねてか
ら持っていた。慰安婦募集で悪徳業者を取り締まろうとした陸
軍省の文書を「慰安所、軍関与示す資料」と報じて、さも陸軍
が「関与」したかのように見せかけた記事などが、その例であ
る。[a]

 この「首都水没」記事も、その類である。武田邦彦・中部大
学教授の最近のベストセラー『環境問題はなぜウソがまかり通
るのか』には、地球温暖化説のあちこちに仕組まれたウソが暴
かれている。

 最も単純なウソは、北極の氷が溶けても海面は上昇しないこ
とだ。中学生が学ぶアルキメデスの原理で簡単に説明がつく。

 たとえば、いま、1トンの氷の塊が海に浮かんでいるとしよ
う。アルキメデスの原理から、その1トンの重量は、氷が沈ん
で排除している水1トン分の浮力で支えられる。1トン分の水
の体積は1立米である。氷の比重は0.9168なので、1トンの氷
は1.09立米である。差し引き0.09立米の氷が水面上に浮
かぶ。

 しかし、この1トン、1.09立米の氷が溶けると、1トン、
1立米の水になって、ちょうど水面下に沈んでいた体積と同じ
である。だから水面の高さは変わらない。

 逆に言えば、水が凍って容積が膨らんだ分だけが水面上に浮
かんでいるのであり、水面の高さは、氷が溶けても、固まって
も変わらないのである。北極の氷とは、まさにこのように海面
上に浮かんでいる氷であり、それがすべて溶けても海面の高さ
は変わらない。

■3.南極の氷は増える■

 一方、南極の氷は陸地の上にあるので、それが溶けたら確か
に海面は上昇する。南極の氷がすべて溶けると、単純計算では
海水面は60メートルもあがるそうだ。

 しかし、世界の平均気温は上昇していても、南極の気温は逆
に下がっている。1950年頃にはマイナス49.0度だったが、
1984年頃にはマイナス49.5度に下がり、最近ではマイナス
50度に近づきつつある。

 その一方で南極周辺の海域の気温があがると、南極の氷はか
えって増える。海水面の温度上昇により、蒸発する水蒸気が増
え、それが冷たい大陸の方に吹く風で運ばれて、凍って大陸側
に積もる。

 南極大陸の気温が下がり、周辺の海洋の気温が上がることで、
南極の氷が増え、その分、わずかに海面を下げる方向に働く。

■4.環境省の正反対の誤訳■

 国連には「気候変動に関する政府間パネル(IPCC:
Intergovernmental Panel on Climate Change)という研究機関
が設けられている。世界有数の科学者が参加して、地球の温暖
化がどう進んでいるのか、その原因は何か、どのような影響を
与えるのか、を検討している。

 そのIPCCの結論は、北極の氷は当然ながら「関係ない」
とし、南極の方は平均的な予測としては「南極の周りの気温が
高くなると、僅かだが海水面が下がる」となっている。

 ところが、IPCCの報告書を日本語に訳している環境省の
環境白書は「地球が温暖化すると極地の氷が溶けて海水面が上
昇する」と書いてある。

 武田教授の研究室の一人の学生が、環境省の係官に電話して、
なぜ逆の訳をしたのか、と聞いた所、「IPCCの報告書が長
かったので、それを短い文章にしたらこうなった」と答えたそ
うだ。意図的な誤訳なら、悪質な世論操作である。

■5.海面上昇は100年で数十センチ■

 実は、IPCCは、様々な要因を検討して、温暖化によって
海面が上昇するとの結論を出している。それによると、極地の
影響は上述の通り、ゼロ、またはマイナスだが、陸地より海水
の方が膨張率が高いために、温暖化により水位が上がる、とし
ている。

 しかし、その程度は、最も悲観的なシナリオでも、21世紀
末までの100年間で、2.4度から6.4度ほど気温が上昇し、
海面が26センチから59センチ上昇するというものだ。最も
楽観的なシナリオは、温度上昇が0.3−0.9度、海面上昇が
18−38センチである。[2,p13]

 朝日新聞の記事のように、海面が何メートルも上昇して、首
都の移転まで必要になるという状況にはほど遠い。

 しかし、朝日の記事は商業的には大ヒットだった。この年
から、地球温暖化と海面上昇に関する各紙の報道が急増し、記
事数は年約500件のレベルとなった。マスコミ業界としては
それだけ読者の不安を煽る記事で、紙面を賑わせることができ
た。しかし、購読者の方も、毎日1.4件ほども、こんな記事
を読まされていたら、誰でもが真実だと信じてしまうだろう。

■6.現代は寒い時代■

 温暖化の影響として深刻なのは、海面上昇による首都水没と
いうSF的なものよりも、地域的な豪雨による洪水・地崩れ、
旱魃、異常高低温、局地的な台風増加といった異常気象の方だ
ろう。

 ただ「異常気象」というのも、あくまで人間から見たもので
あり、生物全体の歴史から見れば、現代はかつてない寒い時代
なのである。

・3億5千年以上前の古生代では、地球の平均気温は35度ほ
どで、現在よりも20度も高かった。そのために、この時
代は生物が大いに繁栄した。

・3億5千年前から2億5千年前には、第一氷河期を迎え、地
球上の生物の95%が死に絶えたとされる。しかし、この時
期でも平均気温は22度で、現在よりも7度高い。

・2億年前から、25度に気温が上昇し、恐竜全盛の中生代と
なった。

・6700年前から第2氷河期に入り、15度にまで急降下す
る。恐竜を含め、多くの生物が絶滅した。

 多くの生物にとっては、温暖化の「最悪」のシナリオが実現
して平均気温が20度くらいまで上がった方が生存しやすくな
る。ただ、人間だけがこの異常に寒い時期に合わせた文明を築
いてしまったので、「異常な温暖化」と騒いでいるわけである。

 その人類にとっても、気温が上昇した方が緑地面積も広げや
すく、作物も多く取れるようになるので、暮らしやすい面も出
てくる。ただ、その変化があまりにも急激だと、環境変化に急
いで適応できないので、様々な被害が増える、というのが問題
の本質である。

■7.京都議定書の気温抑制効果は最大でも0.05度■

 急激な温暖化の主要因は、やはり石油石炭から排出される二
酸化炭素などによる温室効果である。そこで、各国で協力して
二酸化炭素の排出量を削減しようと約束し合ったのが、京都議
定書である。先進国が「1990年に出していた二酸化炭素の量を
基準として、2010年までに6%削減する」というものである。

 この京都議定書を各国が守れば、地球温暖化はストップでき
るような認識を多くの人々は抱いているが、実際はどうなのか?

 まず、地球温暖化を招いている要因には、太陽の活動や地軸
の傾きなど他にもあり、温室効果ガスの影響は全体の60%程
度と仮定してみよう。

 温室効果ガスには、メタンなどいくつかの種類があり、二酸
化炭素の寄与度は全体の60%程度である。人類が排出してい
る二酸化炭素の総量のうち、先進国が排出している量は全世界
の約60%である。さらに、そのうち京都議定書を批准した国
は60%である。最後に、数値目標としては1990年を基準とし
て、その6%削減である。

 とすると、京都議定書による温暖化の抑制は:

0.6x0.6x0.6x0.6x0.06=0.00777

 と0.777%に過ぎない。ということは、IPCCの最も
悲観的な気温上昇が100年間で2.4度から6.4度だったが、
その最悪値の6.4度でも6.35度へと、0.05度抑制され
るだけである。海面上昇もそれに比例して抑制されると仮定す
ると、最悪値の59センチが58.5センチと、5ミリ下がる
だけである。常識的な判断力を持つ人なら、これを「焼け石に
水」と呼ぶだろう。

■8.森林では二酸化炭素の削減策にならない■

 京都議定書には、もう一つ大きな「偽装」が仕組まれている。
それは「森林が二酸化炭素を吸収する」という前提から、二酸
化炭素の吸収対策として森林を認めている点である。

 林野庁のホームページの「こども森林館」というコーナーに
は、次のような説明がある。

人間1人が呼吸により排出する二酸化炭素は年間約320kg
ですから、・・・およそスギ23本の年間吸収量と同じにな
ります。[3]

 たしかに成長しているスギは二酸化炭素を吸収するが、それ
は成長している間だけである。やがて木材として最終的には燃
やされるか、あるいは枯死して微生物に分解されて二酸化炭素
を排出する。だから森林は同じ本数のまま世代交代を続けても、
二酸化炭素の貯蔵庫に過ぎず、23本のスギ林が、一度、人間
1人分の二酸化炭素を吸収したら、それで満杯になってしまう。

 日本の現在の二酸化炭素排出量3.43億トン/年の6%を
スギ林で吸収しようとしたら、毎年15億本ほどの植林をしな
ければならず、1本4平米として6千平方キロ、すなわち毎年
国土の1.6%づつ森林面積を増やさねばならない。

 日本の森林面積はすでに国土の67%を占めており、世界トッ
プクラスの森林国である。残りすべての33%の国土を毎年、
1.6%ずつ森林にしていっても、20年しか持たない。だか
ら森林を維持する事は大切だが、造林は二酸化炭素吸収策とし
てはほとんど意味がない。

 ヨーロッパの国々は、森林が二酸化炭素を吸収する対策にな
るという論理が破綻していることを知っていたので、京都議定
書の対策方法の一つに入れるのには反対だった。しかし、日本
が強硬に対策として認めることを要求したために、政治的配慮
からこれを受け入れたという。

「こども森林館」には、「この(京都)議定書では、森林が二
酸化炭素の吸収源として重要であることが改めて認識されまし
た」とPRしているが、日本の森林関係者が圧力をかけて、偽
装の対策として「認識」させたのだろうか。

■9.「政府やマスコミが情報をコントロールしている」■

 朝日新聞は、本年5月5日付社説で「温暖化防止 一刻の猶
予もならない」と題して、こう述べた。

 先進国に温室効果ガスの排出削減義務を課した京都議定
書の第1期は来年始まり、12年まで続く。ところが最近、
カナダが目標達成の断念を表明、米豪両国はすでに離脱し
ており、枠組みが揺らぎかけている。日本は目標を追求し
続けることで逆行の流れを阻むべきだ。[4]

 朝日新聞は京都議定書を金科玉条のように絶対視しているよ
うだが、その議定書が守られたとしても、上述のように気温を
せいぜい0.05度下げる程度の効果しかない。

 それよりも、この社説のように、京都議定書を「死守」する
ことが、地球温暖化にさも効果的であるかのような「幻想」を
ふりまいている事の方が、マスコミ報道として問題なのではな
いか。地球温暖化に対して、我々はほとんど実効を期待できる
方策を持っていない、という冷厳な事実を覆い隠しているから
である。

「温暖化で首都が水没する」というSF記事、環境庁の「極地
の氷が溶けて海面上昇」という誤訳、林野庁の「森林が二酸化
炭素を吸収する」という虚構、そして効果のほとんど期待でき
ない「京都議定書死守」の主張、、、

 ある東大の若手の先生が、武田教授に「現代の日本は民主主
義ではない」と言ったそうだ。その理由は「民主主義ならば国
民が主人公である。従って、国民が最初にすべての情報に接し
なければならないが、日本では政府やマスコミが情報をコント
ロールしている」面が大きいからだと言う。

 この情報コントロールを打破するには、我々が日頃からマス
コミや政府の「定説」を批判する「異論」に注意を払っていく、
ということが大事だろう。この武田教授の著作のように。
(文責:伊勢雅臣)


a. JOG(106) 「従軍慰安婦」問題(上)
 日韓友好に打ち込まれた楔。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
b. JOG(350) ダイオキシン騒動〜 「魔女狩り」騒ぎのメカニズム
 事実はいかにねじ曲げられ、煽動に使われたか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog350.html
c. JOG(415) 情報鎖国の反原発報道
 世界が第2の原発発展期に入ろうとしている中で、日本では
非科学的な「反原発」報道が続いている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog415.html


武田邦彦『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』★★★、洋泉社、H19
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862481221/japanontheg01-22%22

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108805071.html



ゴア氏の映画「不都合な真実」、英裁判所が是正措置要求

 【ロンドン=森千春】英高等法院は10日、アル・ゴア前米副大統領が地球温暖化について警告した映画「不都合な真実」について、政治的に偏向し、部分的に誤りがあるとして、学校での上映に際して是正措置をとるよう求める判決を下した。
 判決言い渡しで裁判官は、グリーンランドを覆う氷が溶けて「近い将来に」水面が7メートル上昇するかもしれないというくだりは、「科学的な常識から逸脱している」と指摘。地球温暖化でアフリカ最高峰キリマンジャロの雪が後退しているという主張も科学的裏付けがないとの判断を示した。ただ、「地球温暖化が人為的な原因で起きている」という全体のメッセージについては、妥当だと認めた。
 英国では、教育省が環境教育の一環として、「不都合な真実」のDVDを学校に配布。英南部ケント州に住む2児の父親が、学校での政治宣伝を禁じた教育法に反するとして、上映禁止を求めて、裁判を起こしていた。
(2007年10月12日0時9分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071011i312.htm
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by thinkpod | 2007-10-19 15:00 | 社会
2007年 05月 06日

コドモは「子供」と書くべきだ

【週の初めに】塩原経央 コドモは「子供」と書くべきだ
1998年11月23日 産経新聞 東京朝刊 その他

 共同通信社が加盟社を対象に出している新聞の用字用語についての情報冊子『用語委員会だより』四十七号に、同社社友の上田融氏が「『コドモ』の表記をどうするか」という論説を寄稿している。

 コドモは「子供」ではなく「子ども」と書くのが望ましいというのが上田氏の提案である。最近は文部省が出している『教育白書』でも、「子ども」という表記が採られているとのことだ。

 書店に行った折、コドモについて書かれた本のタイトルを気をつけて見てみたが、「子供」と「子ども」は相半ばしていて、なるほど「子ども」の表記が増勢にあるのだなという印象を持った。

 「子供」と「子ども」と、どこがどう違うのか。「子ども」の表記の源流の一つは上田氏の推論では「『供』という字は『お供』の『供』、付属物の扱いみたいだ」という羽仁説子さんの所説にあるらしい。“コドモの人権”をズームアップする人々はコドモを「子供」と書かないことに自らの良心を見ているのである。それはそれで立派な見識と思うが、私には少々異論がある。

                  ◇

 コドモは万葉仮名では「古騰母」「胡藤母」などとともに「子等」とも書かれ、ドモは複数を表す接尾語と説明される。ドモを「供」と書くのは当て字なのだ。

 また、コドモのドモは、ばか者どもとか、虫けらどもとか、上接する語を低く遇するときに用いられるから、「子ドモ」という語には彼らへの軽侮の念が込められていることも否定はできない。が、だからコドモは「子ども」と書くべきなのか。よくよく考えてみれば、ドモが付く限り「子供」を「子ども」と書き換えたところで、子供の人権を尊重することにはなり得ないではないか。

 一方、「子供たち」「子供ら」のような複数表現に私たちは何の違和感も抱かないように「子供」を子の複数の意ばかりには使っていない。こう考えると、むしろコドモは「子供」と書かれることによって初めて、「子・ドモ」の構造から、語としての「子供」へと自立を果たしたのだということができるのだ。

                  ◇

 「子供」は、字の形の通り“人”と“共”にいることなしには生きてはゆけない未熟な存在だ。大人や社会の付属物であるがゆえに、まさに保護され、教育され、しつけられて、人となるべき対象なのである。比ゆ抜きに言えば、永遠に「子供」である者などいない。だれもが親や世間にもみしだかれ磨き上げられて「供」たる身の上を通過してゆくのである。

 本紙連載の「教育再興」の報ずるところによれば、今や学級崩壊は小学校低学年にまで及んでいるという。先生を先生とも思わない、人権の被膜に保護されたアナーキーな子供たちの現出に、結果的に「子ども」と書いて子供を持ち上げた人権派の錯覚が手を貸した部分は小さくない。

 子供の人権などという言わずもがなを文にせずにいられないのは、日本人の流儀ではない。戦後の、人権という観念の根拠はなべて占領軍お仕着せの憲法にある。憲法を源とするアメリカ民主主義は、経済合理主義とともに戦後日本の再生に相応の役割を果たしたことは否定しない。が、その流儀が抱える二律背反性の影の部分が日々に子供の風景をむしばむ危機的な現在を思えば、今こそコドモは「子供」と書かなくてはならないのである。(校閲部長)






【続・国語断想】(8)子供再論 「子ども」こそが差別的表記
2002年10月02日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 平成十年十一月二十三日付の本紙朝刊で「コドモは『子供』と書くべきだ」という一文をしたためて、「子ども」などという表記は採るべきでないと警鐘を鳴らしたが、見ているとその愚かな表記がじわじわ広がり、増えこそすれ減る様子を見せていないのはまことに嘆かわしい限りだ。

 ただ一人、児童文学者の矢玉四郎氏がご自分のウエブサイトで「子ども教信者は目をさましましょうと、「子ども」という表記の不可なるゆえんを説いて、孤軍奮闘されている。

 日ごろ、わが国固有の伝統文化を重んぜよと説かれている側の知識人の中にすら、無警戒に「子ども」と書いている人がいて、その所論の尊敬すべきであればなおさら泣きたい気持ちになる。この問題を矢玉氏だけに丸投げしておくわけにはいかない。

 意識的に子供を「子ども」に書き換えようとしている戦後民主主義というバイアスのかかった人権派や、彼らにくみする言論機関ならいざ知らず、保守陣営の人々までが深い考えもなく「子ども」と書く近ごろのなりゆきを見て取れば、私もまた矢玉氏の驥尾(きび)に付し弓矢を取って参戦しないわけにはいかない。再論す、子供は「子ども」と書いてはいけないと。

 私たちは長い年月をかけて漢字仮名交じり文という洗練された国語の表記法を作り上げてきた。これを可能にしたのは、漢字を受け入れたときに、私たちの祖先が漢字という圧倒的な先進文化が用いている言葉の中にのみ込まれず、わが国語の中に漢字を取り入れる工夫をして、それに成功したからにほかならない。

 その工夫の一つは仮名の発明である。これによって、漢語にはない用言の活用語尾、助動詞、そして“てにをは”を書き表すことができるようになったのだ。それも平仮名と片仮名の二つの体系を発明したことが、どれほど国語を分析的にし、近代的観念行為に堪えられる言語にしたか思い返してみるべきである。

 工夫の二番目は、漢字語彙(ごい)を国語の文の構造の中に大量に取り入れて活用したことである。それは今日の外来語と同じで、漢語の字音そのものつまり外国語のまま取り入れたのではなく、わが国で識別できる字音に換えて受け入れたため、漢字語彙を容易に国語語彙として定着させることができたのだ。国語語彙の増大がまた、国語を近代的観念行為に堪えられる言語にしたのである。

 工夫の三番目は、わが国の言葉を漢字を用いて表記すること、つまり字訓を発明したことである。これが漢字の持つ表意性をそのまま国語に反映させることができた秘訣(ひけつ)なのだ。

 国語のハという音節が表す「端」や「歯」、また「葉」や「羽」や「刃」は、そうした漢字を用いることによって語としての分節を安定的にすることができたのである。これが仮に「ハ」または「は」のような音節を表す書き方しかできない言語であったとしたら、ハは未分化のまま容易には分節することができなかったに違いない。歯も葉もハと呼んで区別できない。それが未分化ということだ。

 国語の和語を漢字で表すということは、つまりはそうした知の進化の営みなのだ。子供を「子ども」に書き換えるのは、「子供」と書いて成立したチャイルドもしくはチルドレンの意を表す語の分節を「子」と接尾語「ども」に還元して、知を退化させてしまう行為にほかならないのである。しかも、この接尾語ドモは、女ども、ばか者ども、貧乏人どもなどと用いるように、侮蔑(ぶべつ)感が込められているから、「子ども」と書くのは「ガキメラ」同様、子供をさげすむ差別的表記でさえある。

 矢玉氏のウエブサイト「子ども教信者は目をさましましょう」には、氏の日本共産党への質問状に対する党中央委員会の回答というものが載っている。それによると「しんぶん赤旗」で七〇年代後半から「子ども」という表記をしているのは、「民主主義と人権の運動のなかで子どもは、戦前のように、おとなの『お供』でも、神仏の『お供え』でもない、人権を持った人間だという考えにもとづいています」ということだ。

 「子供」の供が「お供」の供だというのは難癖もいいところだ。「子ども」と書いた方がよっぽど子供をばかにした書き方ではないか。

 「子供」の供は「お供」の供でもなければ、「お供え」の供でもない。訓の一致することをもって借りた当て字に過ぎない。国語の漢字表記には当て字など珍しくもないし、当て字ではあれ漢字で書くことによって語として自立し安定化するのだから、子供を「子供」と書くのは国語の知恵というものだ。矢玉氏も指摘しているが、「大人も当て字で、大(おと)人(な)でも、大(お)人(とな)でもない」。子供を「子ども」のように書くのは、大人を「大な」や「おと人」と書くのと同じだと認識すべきである。

 日本文化の伝統を愛する諸氏に言いたい。「子ども」などと書くのは空虚な“人権派”の流儀にくみする愚行であると。

 (校閲部長 塩原経央)

http://tech.heteml.jp/2007/05/post_957.html


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「心のきれはし 教育されちまった悲しみに魂が泣いている」ポプラ社刊より
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by thinkpod | 2007-05-06 03:13 | 社会
2006年 11月 27日

「日本人は確かに児童問題を解決している」 と、明治初期に来日したモースは言った。

■1.「日本人は確かに児童問題を解決している」■

 最近、親の子殺しや、いじめによる子どもの自殺といった痛
ましいニュースが相次いで報道されているが、我々の先人は子
育てをもっとうまくやっていたようだ。

 明治初期の東京大学で生物学を講じたエドワード・S・モー
スは『日本その日その日』に、当時の日本の親子の姿をこう描
いている。

 世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子
供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている
所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらし
い。彼等は朝早く学校へ行くか、家庭にいて両親を、その
家の家庭内の仕事で手伝うか、父親と一緒に職業をしたり、
店番をしたりする。彼等は満足して幸福そうに働き、私は
今迄に、すねている子や、身体的の刑罰は見たことがない。
・・・

 小さな子供を一人家へ置いていくようなことは決してな
い。彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけら
れて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして
行われつつあるもののすべてを見物する。日本人は確かに
児童問題を解決している。また、日本人の母親程、辛抱強
く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。だが、日本
に関する本は皆、この事を、くりかえして書いているから、
これは陳腐である。[a,1,p103]

 それが、どうして現代日本のような有様になってしまったの
か。旭川市で40年も小児科医として多くの子供や親と接して
きた田下昌明氏は近著『真っ当な日本人の育て方』で、戦後ア
メリカから輸入されたジョン・デューイの教育思想やスポック
博士の育児論が、現代日本の子育てを崩壊させてしまった事を、
最新の母子関係の理論から説き明かしている。

 そして、最新の育児理論の説くところは、日本の伝統的な子
育てのあり方と驚くほど似通っているのである。

■2.反体制的な『スポック博士の育児書』■

『スポック博士の育児書』の日本語版が出たのは、昭和41
(1966)年だった。全国の大学で学園紛争が広がる3年前であっ
た。この本は『育児書』と銘打ちながら、反戦・平和、フェミ
ニズムの擁護、資本主義への懐疑など政治的主張が書かれてお
り、当時の反体制的雰囲気にアピールしたのである。

 スポック博士の育児論は、ジョン・デューイの教育思想を具
体化したものだが、デューイ自身がスターリン独裁化のソ連を
旅して、浮浪児たちが収容学校で共産主義を叩き込まれる姿に
感銘を受けるような人物だから、その思想的素性は推して知る
べしなのである。[b]

『スポック博士の育児書』では、たとえば、次のような主張が
展開されている。

・育児にばかり集中はできない。・・・こどもも人間なら、
親だって人間なのです。

・常識のある父親(あるいは母親)なら、自分を犠牲にし
てまで、こどもにつき合おうとは、おもわないはず。

・3ヶ月になったら、・・・たとえば寝る時間がきたら、
やさしく、しかしはっきりと、もう寝なければいけない。
そして、お母さんはそばにいられない、ということをわ
からせ、すこしぐらい泣いていても、放っておきます。

・2才ぐらいになると、ひとりでベッドから出てきて、親
のベッドへきたがる子です。こんなときは、・・・運動
具店からバドミントンのネットを買っていらっしゃい。
・・・こどもを(ベッドに)入れたらネットをかぶせて、
こどもの手のとどかないベッドの下で、数カ所を、これ
もテープか紐でスプリングにしっかり結びつけられるよ
うにしておきます。

 伝統的な育児法を権威主義的で親を縛るものとして否定して
おいて、結局、「親が楽をしようと思ったとおりやってもいい
んだ。子供は自然に育つ」と説いたのである。

■3.「母子は乳房と食物によって結ばれている」?■

 スポック博士の育児論は、心理学者のシアーズらが主張した
「依存理論」に依っていた。この理論は、母親が子どもにミル
クや食べ物を与える事で、母子の絆が成り立つという、いかに
も唯物的な見方である。

 しかし、この依存理論は間違っていることを決定的に実証す
る実験が行われた。そこでは、生まれたばかりの子猿に、二つ
の人工的な「母親」を与えた。二つとも金網を筒状にしたもの
だが、一方は金網を露出したままで、ミルク瓶がつけられ、
もう一方はミルク瓶はなしで、柔らかいタオル地で覆われた。

「母子は食物を与えることで結ばれる」という依存理論が正し
いなら、子猿はミルク瓶のないタオル地の母親など見向きもし
ないはずだ。しかし、実験に用いた8匹の子猿全部が、タオル
地の母親に一日平均15時間以上も接触し、ミルクをくれる金
網の母親に一日1時間12分以上接触した子猿は一匹もいなかっ
た。この実験から、子が母親に愛着を示すのは、食べ物ではな
く、快適な接触であることが明らかになった。

■4.刷り込み現象■

 依存理論に替わって発展したのは、ジョン・ボウルビィの
「愛着理論」である。この理論は「比較行動学の父」と呼ばれ
るノーベル賞受賞者・コンラート・ローレンツが確立した「刷
り込み(インプリンティング)」理論に基づいている。

「刷り込み」の判りやすい例は、鳥が卵からかえった直後に、
自分のそばで音のするものを親だと思いこんでしまうという現
象である。ローレンツはガンのヒナが目の前でかえった時、うっ
かり声をかけたばっかりに、親だと思われてしまい、ヒナを育
てなければならないという大変な目にあった。

 この刷り込みは、昆虫、魚、哺乳動物一般にも広く見られる
現象で、人間の赤ちゃんにも存在する事が明らかになってきた。

 人間の赤ちゃんの場合は、動物ほど単純でも、短期間でもな
い。生後6ヶ月ぐらいまでの間に、母親に抱きつき、その乳首
を吸い、また母親とじっと見つめ合い、微笑み合ったり、母親
が話しかけたりする過程で、「この人が自分のお母さんだ」と
確認する。

 この過程でよく抱かれて、母親との一体感をしっかり育てた
赤ちゃんほど、笑ったり、「あー、うー」と話し始める時期が
早い。愛と言葉という人間性の特質は、母子の一体感の中から
育っていくのである。

 何の事はない。昔から日本で行われていた「抱き癖」をしっ
かりつける事が、赤ちゃんを健全に育てる早道なのであった。

■5.母親は赤ちゃんの「安全基地」■

 生後半年ほどして、刷り込みが完了すると、赤ちゃんは時々、
母親の膝を離れて、つかまり立ちに「挑戦」してみたり、ハイ
ハイしながら隣の部屋に行ってみようと「冒険」を始める。挑
戦や冒険をしばらく行うと、いったん母親の膝もとに戻って、
一安心をした後、次の挑戦と冒険を始める。

 こうした行動から、バージニア大学教授で児童心理学者のメ
アリー・エインズワースは、「母親は子どもに『安全の基地』
を提供する」という概念を確立した。母親という「安全の基地」
があるからこそ、赤ちゃんは安心して冒険と挑戦ができるので
ある。

 赤ちゃんが育つにしたがって、「安全の基地」を離れて、冒
険と挑戦を行う時間はしだいに伸びていく。3歳くらいになる
と、半日から一日母親から離れていることもできるようになる。

 この冒険と挑戦によって、赤ちゃんは精神的に成長していく。

■6.母親から引き離された子供は見捨てられたと感じる■

 心理学者のJ・ピアスは、赤ちゃんが母親から遠ざけられて
「安全の基地」を得られなかった場合の心理を次のように記述
している。

 子どもにとって、母親との「きずな」は、成長において
不可欠な条件である。しかし、不幸にも母親と子供が引き
離されると、深刻な問題が生ずる。まず、そのような子供
は、見捨てられたと感じ、絶望的な孤独感にさいなまれ、
この世界を危険で非情な場所として体験する。子供の最初
の世界体験は否定的なものになる。

 そして、そのような子供は母親の代理となるものを捜し
求めることに全エネルギーを注ぎ込む。最初はベビー毛布
が母親代わりとなり、それ以降も物質的な満足に執着する
ようになる。しかし、いずれにせよ、それらが完全に母親
代わりになることはないので、欲求不満は残り、さらに悪
いことに、母親を求めることのみにエネルギーが費やされ
るので、成長の妨げになる。[2,p107]

 このように不幸な環境で育ったこどもの性格と行動形態を、
ボウルビィは次のようにまとめている。

・浅い人間関係
・生活感情の不足(人間関係において無能)

・気むずかしさ(協力者に不快感を与える)
・正常な事態に対する情緒的反応の不足(物事に対する無
関心)

・うそ、および弁解(無意味なことが多い)
・盗癖
・学校における、注意力の不足

 ひきこもり、非行、いじめなど、現代日本の青少年問題の多
くは、ここから生じているようだ。

■7.「おんぶ」の効用■

 これらの最新の育児理論から見れば、冒頭のモースが描いた
明治初期の親子関係は、いかにも理に適っている。たとえば
「彼等は母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて」
と日本人の「おんぶ」を珍しそうに記述しているが、おんぶは
いかにも、合理的な子守の手段である。

 母親が家事をしながらでも、赤ちゃんは母の体のぬくもりや、
声の響きを直接感じとることができる。同時に、赤ちゃんは常
に母親と同じ方向を向いているので、母が今、何をしているの
かが分かる。「安全の基地」に密着しながら、いろいろな見聞
ができるのである。

 田下氏は、その他にもおんぶの優れた点を列挙している。
[2,p180]

・赤ちゃんの体温や汗ばんだ状態を母親は背中に感じるの
で、赤ちゃんの健康状態が分かる。

・母親が両手を使えるので、転んだ時でも安全である。
(田下氏は、前抱きの母親が転倒して、赤ちゃんが頭蓋
骨を骨折した例を経験している)。

 おんぶは赤ちゃんをがに股にする、という批判があるが、寝
ている赤ちゃんを見れば、常に股を開いている。これが赤ちゃ
んにとって自然な姿勢なのであり、赤ちゃんはその楽な姿で母
親に密着し、安心できるのである。

■8.「母親は家族の中で一番先に起きる人」■

 モースは「日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供に
つくす母親はいない」と語っているが、その象徴的な例が、朝
早く起きて、家族のために朝ご飯を作る母親の姿である。子供
の頃、母親が台所で朝ご飯を作る音で目が覚めた、という懐か
しい思い出を持っている人も多いだろう。田下氏は、こう言う。

 母親というものは、その家庭で「一番先に起きる人」で
なくてはならないのです。しかもその上、いかに家の中が
暖かくても、外から見えなくても、朝食の用意やお掃除を
する時には、ねまきや、パジャマや、ネグリジェのままで
やるのはいけません。

「お母さんはボクが何時に起きても、いつもきちんと身支
度をしている」、このことが子供にとってどれほど頼もし
い母親として映るか、また「毎朝本当に大変だろうな。ご
苦労様」と思う気持ち、それは計り知れない良い結果を子
供にもたらすのです。このことだけでも子供は母親を尊敬
し、言うことを聞く気になります。[2,p139]

 スポック博士が「常識のある父親(あるいは母親)なら、自
分を犠牲にしてまで、こどもにつき合おうとは、おもわないは
ず」と言ったのとは、正反対の姿が日本の伝統的な母親像であっ
た。

■9.母親への感謝と尊敬の念■

 モースの言うように我々の先祖は「確かに児童問題を解決し
て」いたのである。それは、最新の育児理論から見ても、理に
適ったものであった。その先人の知恵を見失って、スポック博
士のような浅知恵に目を奪われた所から、現代日本の青少年問
題が始まった。だから、それを解決するには、まずは先人の持っ
ていた知恵に立ち返る所から始めれば良い。

 たとえば、3歳以下の乳幼児の保育園を作る事は、母子を分
離して、「見捨てられた」と感ずる子供を量産することである。
そんな金があるなら、その分を乳幼児の母親が家庭で育児に専
念できるよう、育児手当の充実に使った方が良い。専業主婦な
らぬ、「専業母親」への支援策である。また、職業を持つ女性
でも、出産後3年間は家庭で育児に専念した後、もとの職場に
戻れるような制度づくりも有益だろう。

 こうした経済的な支援策と共に、何よりも必要なのは、自ら
を犠牲にしても子供のために尽くす母親の尊さを国家社会全体
で再認識することだろう。田下氏は言う。

 妊娠・出産・育児という一連の仕事は、その国(民族)
の将来の根幹を育成することです。ですから、本来ならば
それを実践している女性は社会から称賛され、感謝と尊敬
の念で見守られなければなりません。[2,p5]

 日本の子育て再建は、ここから始めるべきではないか。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(452) 幸福なる共同体を創る知恵
 幕末から明治初期に来日した欧米人たちが見た日本人の幸せ
な生活。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog452.html
b. JOG(442) 「科学から空想へ」 〜 現代日本の教育思想の源流
 「子供の権利」「自己決定権」「個性尊重」など の教育思想
の源泉にある「空想」。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog442.html


1. 齋藤孝『ハイライトで読む美しい日本人』★★★、文藝春秋、
H17
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163671706/japanontheg01-22%22
2. 田下昌明『真っ当な日本人の育て方』★★★、新潮選書、
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by thinkpod | 2006-11-27 05:04 | 社会
2006年 11月 18日

高校教科書は変わったか

家庭科 家族否定思想が浸透
元東京女子大教授・林道義 
 
 家庭科の教科書や授業が、偏ったフェミニズムによる宣伝と洗脳の場になってきたことは以前から指摘されてきた。来春から使われる高校の家庭科教科書で、その点がどう改善されているか調べてみたが、まだまだ改善とはほど遠い。問題点は特に「家族」と「子育て」の個所に集中している(以下引用の中で出版社名のみを示す場合には「家庭基礎」を指す)。

 第1の特徴は「家族」の定義が欠けていることである。定義を書いている場合にも「家族とは血縁者を中心に共同生活する集団」と考えられてきたが、近年では「家族形態が多様化し変化している」ので「家族の定義は難しくなっている」としている。

 定義ができないのは「それぞれの人が家族と考える範囲は、人によって異なっている」「だれを家族と考えるかは主観的なもの」だからと述べられている(東京書籍「家庭総合」などすべての教科書に共通)。

 「家族」を客観的にとらえ考えるかわりに、自分が思うものが「家族」だと言っているに等しい。ペットを家族とするなどの記述は検定で阻止されているが、近代家族を否定する「多様な家族」論の根っこは残ったままなのだ。

 第2の特徴は「固定的性別役割分担」や「性別役割分担」そのものを否定する記述が多い点である(東京書籍、大修館書店、開隆堂、教育図書)。例えば大修館書店には「男は仕事、女は家庭」という「性別役割分業意識にとらわれることは、家庭においても社会においても、そして女性にとっても男性にとっても充実した生活を実現する妨げとなる」と書かれている。

 男女の自然な区別とそれに合った分業を否定する、偏向した思想の押しつけ以外の何物でもない。

 第3の特徴は「子供は3歳くらいまでは母親の手で育てなければ、その後の成長に悪影響を及ぼす」という「3歳児神話」には「科学的根拠はない」という記述がいくつか見られる点である。そう断言する科学的根拠は何かと言えば、きわめて特殊なフェミニズム公式主義によって書かれた平成10年の「厚生白書」一点張りである(実教出版、大修館書店)。白書の記述自体の科学的根拠はまったく示されていないのに、政府の「白書」だという権威をかさにきて、真理のごとくに扱っている。

 第4の特徴は「女性差別撤廃条約」「子供の権利条約」(児童の権利に関する条約)などの条約や国際会議の決議を多く引用して権威づけ、特定のイデオロギー(フェミニズム)に基づく偏向した内容であることを隠蔽(いんぺい)している点である。日本人の国連神話、国連信仰を利用して特定のイデオロギーを注入しようとしている。

 特に子供の権利条約の紹介の仕方がきわめて偏っている。「意見表明権」「思想信条の自由」「結社・集会権」ばかりが強調され、それらの権利は「成熟した人格を前提としている」ことが条約の中にうたわれていることにはどの教科書もまったく触れていない。

 夫婦別姓について扱っている教科書は、すべて賛成論だけを紹介し、反対論にはまったく触れていない。

 中には、構成の点でも客観性の点でもバランスのとれた第一学習社や教育図書のような教科書もある。ところが残念なことに、教育図書の場合には「家族」についての記述の中にフェミニズムの公式が無批判に並んでいる。

 例えば「家事労働は無償労働(アンペイド・ワーク)ともいわれる」と説明しているが、家事はお金に換算できるようなものではなく、愛情が基礎にあって初めてできる、無限の価値のある仕事であることを教えるべきだろう。

 最も妥当だと思われる構成や記述をしている教科書にして、このありさまである。教科書の世界でも、いかに偏ったフェミニズムが浸透しているかを示しているといえる。

   ◇   
 来春から使用される高校教科書のうち、家庭科、歴史、公民について識者の分析を掲載します。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060721text.html



歴史 占領軍“洗脳”の呪縛、いまも
明星大戦後教育史研究センター・勝岡寛次 
 
 今年検定に合格し来春から使用される高校歴史教科書は19冊。日本史Aが3冊、日本史Bが1冊、世界史Aが8冊、世界史Bが7冊である(日本史・世界史とも、Aは近現代史中心の教科書、Bは全時代を均等に扱った受験用教科書)。

 高校の歴史教科書といえば、山川出版社の「詳説日本史」「詳説世界史」が圧倒的シェアを誇り(平成18年度は前者が58・1%、後者が55・7%)、受験生の大半はこの2冊の教科書で歴史を勉強する。

 しかし「詳説日本史」の近現代の扉のページにはこう書かれている。

 「19世紀中ごろ、欧米の圧力によって開国を余儀なくされた日本は(略)対外的には台湾の領有、韓国の併合、満州事変・日中戦争と東アジアへの侵略を進め、ファシズム国家群にくみして第二次世界大戦をたたかい、敗北した」

 徹頭徹尾、日本の近現代史を“悪”と見なす「侵略戦争」史観で書かれており、それは「詳説世界史」も同様だ。「二つの世界大戦」の章の扉のページにはこうある。

 「日本・ドイツ・イタリアの後発資本主義国はファシズム・全体主義体制をとって、他国への侵略による危機克服に向かい、第二次世界大戦をおこした」

 戦前の日本をナチズムやファシズムと一緒くたにしたこんな教科書でいくら勉強しても、大東亜戦争を戦わざるを得なかった父祖の歴史は理解できない。いや、真面目(まじめ)に勉強すればするほど、“日本は間違った戦争をした”という誤ったメッセージが、高校生の脳裏に深くインプットされる仕組みになっている。特に中国・韓国の関係する記述にこの傾向が強く、将来の“謝罪病”患者の予備軍が、歴史教育を利用して意図的に養成されているとしか思えない。

 具体的事例をもう少し挙げておこう。清水書院「日本史A」は最後の章でこう書いている。

 「アジア諸国を侵略して大きな惨禍をもたらした日本は(略)戦争責任に対する自覚のもとに近隣諸国との友好を深め、世界平和の実現と核兵器の廃絶に力をつくさねばならない」。実教出版「高校日本史A」の最後にある次の記述は、ある意味でもっと露骨だ。

 「従軍慰安婦問題など日本の侵略加害の事実を記述してきた教科書を『自虐的』と非難するうごきも生まれ、そうした主張にもとづく中学校歴史・公民教科書があらわれた。これらのうごきや首相の靖国神社参拝には、アジア諸国から強い批判がおこった」

 南京事件の犠牲者をめぐって「さまざまな説があるが、そのなかでは20万人以上とする説が有力」(三省堂「世界史A」)などと学説状況を無視した誇大な数字がまかり通っていることは、3月30日付産経新聞が報じた通りだ。

 これらの教科書がどういうスタンスで書かれているかは自明であろう。日本に「侵略」された「アジア諸国」の視点から書かれており、日本の立場から書かれていない。これは来春から使われる高校歴史教科書すべてに共通する傾向である(今回の検定とは関係ないが、明成社「最新日本史」だけが唯一の例外)。これでは「A級戦犯」合祀(ごうし)を理由に、首相の靖国参拝を強く批判する中国に対して、将来の日本は太刀打ちできない。

 自国ではなく他国の立場で歴史を教えている国が、日本以外のどこにあるだろうか。こんな倒錯した歴史教育がいまだに幅をきかしているのは、はっきりした理由がある。それは「最新日本史」以外のすべての高校歴史教科書が「太平洋戦争」というパラダイムの中で書かれているからである。

 産経新聞の読者の方はよくご存じのことと思うが、それは占領軍が実施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に起因する。大東亜戦争の呼称を禁じ、日本人に戦争の贖罪(しょくざい)意識を植え付け、東京裁判の判決を受け入れさせることがその目的だった。

 今年はその東京裁判開廷から60年。もう2世代も前の占領軍の“洗脳”に日本人はいつまで呪縛(じゅばく)されているのだろうか。

 歴史教科書は根本的な書き直しが必要である。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060722text.html



公民 「左翼市民運動」の手引書?
高崎経済大教授・八木秀次 
   
 扶桑社を除く中学公民教科書を左翼市民運動の手引書のようだと指摘したことがある。来春から使用される高校の公民(現代社会、倫理、政治経済)教科書を通覧して同様の感想を持った。

 例えば明治憲法の扱い方だ。ほぼすべての教科書が「天皇制絶対主義」の立場に立ち、「天皇が統治権をもち、天皇の地位は『神聖ニシテ侵スヘカラス』とされた(天皇主権)」(実教出版「新版現代社会」)、「天皇を絶対的な主権者とする絶対主義的な色彩の濃いものであった」(同「高校現代社会」)と、マルクス主義講座派の古いイデオロギーに基づいて記述している。「神聖不可侵」は天皇の政治的法的無答責を示す優れて立憲主義的な規定であり、「大臣責任制」によって天皇は名目的な政治主体に過ぎなかったが、そこに言及はない。

 日本国憲法の制定はGHQの押し付けであったという公然の事実が語られず、鈴木安蔵ら社会主義・共産主義者による憲法研究会の主張が制定に影響を与えたかのように書く政治経済の教科書も多い。これは現行憲法が自前の憲法であると考えたい護憲派の方便に過ぎない。

 「平和的生存権」という学界でも支持の少ない概念を現行憲法が保障しているかのように書く教科書も多い。現代社会12冊中7冊、政治経済6冊中5冊もあるのは異常だ。

 首相の靖国神社参拝についても、主文で原告の訴えを退けながらも判決としての拘束力のない傍論で違憲と述べた昨年9月30日の大阪高裁判決だけを取り上げ、「違憲と認定した高裁判決も出ている(2005年)」(実教出版「新版現代社会」)と書く。同時期の一連の判決には触れず、違憲との印象を持たせようとしている。

 男女共同参画についても、「ジェンダーフリー」の言葉は消えたが「ジェンダー」は大手を振っている。現代社会12冊中10冊、政治経済6冊中2冊は予想できたが、倫理5冊中4冊に登場しているのは驚きだ。「みずからのうちにひそむジェンダー意識をつねに点検する」ことを求め、中絶容認にもつながる「女性の自己決定権」「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」を称揚するのは第一学習社「倫理」。教育出版も同様だが、フェミニズムを詳述する。夫婦別姓を肯定的に取り上げるのは現代社会では三省堂、数研出版、実教出版「新版現代社会」。差別問題として取り上げている。

 三省堂「現代社会」はいわゆる従軍慰安婦問題で昭和天皇を裁いたことで問題視された「女性国際戦犯法廷」を取り上げた。この教科書には「先の大戦下では、『慰安婦』とよばれる女性たちが日本軍兵士の性の相手をさせられた。なかには十代前半の少女も交じっていた」と背景を抜きにして慰安婦問題を書く。

 「元慰安婦の人々への謝罪と補償の問題がある」とするのは清水書院「現代社会」。数研出版「政治経済」はわが国の「これからの課題」として北朝鮮との「早い時期の国交正常化が期待される」とし、「戦時中の日本への強制連行や従軍慰安婦などに対するつぐないなど、さまざまな戦後補償問題が提起されている」と拉致という国家犯罪を相殺する。

 国家主権との関係で疑問視される永住外国人の地方参政権付与の問題についても、取り上げる教科書は差別の問題ととらえ、付与すべしとの立場に立つ(帝国書院「現代社会」)。これまた傍論で参政権付与は憲法で禁止されていないと述べたに過ぎない平成7年の最高裁判決を強調する(清水書院「現代社会」、実教出版「高校現代社会」、清水書院「政治経済」、実教出版「政治経済」)。

 今回の大きな特徴は「住民投票」を盛んに持ち上げていることだ。特集を組む教科書もある。「議会制民主主義に反するとの意見もある」と書くのは桐原書店「政治経済」だけ。左翼市民団体が議会を無視し、直接地方行政に関与できる道筋を作る「自治基本条例」を持ち上げる教科書もある(帝国書院「現代社会」、実教出版「高校現代社会」)。

 国民の常識ではなく彼らの運動の方向性が記述されるのは、やはり異常だ。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060723text.html
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by thinkpod | 2006-11-18 16:30 | 社会
2006年 07月 20日

平成16年末現在における外国人登録者統計について(概要)

 外国人登録者数は,197万人を超え,過去最高を更新。
 我が国総人口の1.55パーセントを占める。
1 総数及び推移
  平成16年末現在における外国人登録者数は197万3,747人で,前年に引き続き過去最高記録を更新している。この数は,平成15年末現在に比べ5万8,717人(3.1パーセント)の増加,10年前(平成6年末)に比べると61万9,736人(45.8パーセント)の増加となっている。外国人登録者の我が国総人口1億2,768万7,000人(総務省統計局の「平成16年10月1日現在推計人口」による。)に占める割合は,平成15年末に比べ0.05ポイント増加し,1.55パーセントとなっている。
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2 国籍(出身地)別
  −外国人登録者の国籍(出身地)数は188か国。韓国・朝鮮の構成比は年々低下し30.8パーセント。中国は引き続き増加−

  外国人登録者の国籍(出身地)の数は,平成15年末に比べ2か国増加し,188か国(無国籍を除く。)となっている。韓国・朝鮮が60万7,419人で全体の30.8パーセントを占め,以下,中国,ブラジル,フィリピン,ペルー,米国と続いている。
 (1)韓国・朝鮮は,特別永住者数の減少を受けて,平成3年末の69万3,050人をピークに毎年減少を続けている。
 (2)中国は,昭和50年代から増加を続けており,平成16年末は同15年末に比べて,5.4パーセント増加している。
 (3)ブラジルは,平成元年から平成3年末に大幅に増加した以降,平成10年末を除き,毎年増加を続けている。
 (4)フィリピンは,平成8年末の8万4,509人から毎年増加を続けている。
 (5)ペルーは,平成元年から平成3年末に大幅に増加した以降,毎年増加を続けている。



平成16年末現在における外国人登録者統計について(概要)
http://www.moj.go.jp/PRESS/050617-1/050617-1.html

(cache) 平成16年末現在における外国人登録者統計について(概要)
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by thinkpod | 2006-07-20 15:24 | 社会