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2008年 06月 01日

中国人の恐ろしい「医食同源」信仰

【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(3)
    台湾人医師の直言

(転送転載自由)


第一章 台湾人から見た中国及び中国人
    お人好しの日本人に中国人の凄さは理解できない

 二、中国人の恐ろしい「医食同源」信仰

■ 中国人が猿の脳味噌を食べるのに理由がある

 中国の料理がおいしいというのは、今やほぼ世界共通の評価になっている。とことんおいしい料理を追及するという面もさることながら、中国の食文化にはもうひとつの思想が入っていて、その中に中国人独特の哲学がある。それはなにかというと、「医食同源」という考え方である。

 この「医食同源」という言葉は日本でも以前から使われていて、プラスの価値観を伴って使われている。しかし、日本で使われる「医食同源」と、中国で使われている「医食同源」とはまったく違った考えに基づいている。

 日本人は栄養学的な観点から「医食同源」を考えている。口から入れるものは体にとって大切なもので、病気も、食べるものによって引き起こされたり、治すこともできると考えられている。つまり、病気を治すのも食事をするのも本質は同じで、生命を養う栄養学的な面から医食同源を捉えている。しかし、中国人が考えている医食同源とは、日本人が考えていることと次元が違うのである。

 私も台湾の医学部時代、中国の漢方薬や漢方医学について勉強させられたことがある。というのも、私の出身大学ではこの漢方薬や漢方医学は必修科目であって、どうしても勉強しなければならなかったからである。

 私たち学生に漢方について教えていたのは中国からやってきた先生で、彼らが強調する漢方医学の概念は、科学よりも哲学ということだった。この哲学の概念で人を治したり、薬を処方したりする。陰と陽、実と虚の概念を使うが、この薬の組成は金に属するか、土に属するか、水に属するかなど、陰陽五行の概念でものごとを判断する。

 これはこれでいいのだが、恐ろしいことに漢方医学には、例えば「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」「心臓を食べると心臓にいい」という考え方が厳然としてある。どうしてもそのようなものが手に入れられなければ、似たような形のものを食べると体にいいと教える。科学的な根拠はないが、中国人は実際そう信じているのである。

 そこで、中国の市場をのぞいて見たことのある人にはお分かりだろうが、よく売られているのは精力剤としての「狗鞭」で、犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっと効くと信じられているのが虎のペニスで「虎鞭」である。犬よりも虎が強いという発想からだ。

 このような概念に基づけば、根本的な医食同源とは、その臓器を食べるということになる。それも、できるだけ人間に近い方がよいとされ、また新鮮なものほどよいとされている。例えば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べるという食習慣がある。では、どのようにして猿の脳を食べるかというと、真ん中に丸い穴が開いているテーブルの下に生きた猿を縛りつけ、頭の部分だけを穴から出す。そこで、金槌でその頭を割り、脳味噌をスプーンですくって食べるのである。

 中国人は平気でこのような残酷な食べ方をする。私には猿の脳がおいしいかどうか知る由もないが、単においしいというばかりでなく、脳にいいということで食べているのである。
 実は、私も高校のときよく筋緊張性頭痛に悩まされたため、豚の脳を薬として飲まされたことがある。この時は台北のある中国人の漢方医にかかり、ある処方をされた。処方には条件があって、漢方薬は必ず豚の脳と一緒に煎じなければならないというのだ。そのため、高校三年間、週に一回のペースでその豚の脳と漢方薬を服用させられた。頭痛なら豚の脳だという発想に基づいた処方のようだが、今もって苦々しい思い出である。

 これが実は、中国人の医食同源の発想なのである。つまり、人間に近ければ近いほど、その臓器に近ければ近いほど、体にいいと考えているのである。だから中国人は、好んで犬や虎のペニスを食べ、猿の脳味噌を食べるのである。

 では、究極的な医食同源とはどういうものかといえば、もう読者はお分かりだろう。そう、人間の臓器そのものを食べることなのだ。だから、中国では胎児を食べたりすることもあるのである。

 このように、中国人は体にいいという理由だけで、大自然にあるもの、命のあるものをすべて食材や「健康食品」にしてしまう。これが中国における医食同源の基本的な発想なのである。この発想の下では、医学よりも科学よりも一つの哲学が大事にされる。中国人の哲学として大事にされる。その哲学とは、人間の体をも部品としてみなし、それを食べるという考え方なのである。

■ 饅頭を持って処刑場に集まる中国人

 中国の漢方医学の中でもっとも権威のある書物は、明時代の一五七八年に李時珍が執筆した『本草綱目』である。本草とは基本的に薬用になる植物を指すが、薬物として役に立つ動植物や鉱物の総称でもある。

 この『本草綱目』では、綱目別に、金石部、草部、火部、木部、虫部、鱗部、獣部と分けてあり、その下に処方した漢方薬を説明している。
なんとその最後の部が「人部」、つまり人間が入っていて、人体を薬剤として扱っているのである。そこでは細かく、人間の髪の毛、尿、唾、汗、骨、生殖器、肝臓などが何々に効くということが書いてあり、さらにその処方についても次のようい細かく書いてある。「再三、連年にわたる瘧(おこり、マラリア)、食にむせんで飲み込めないとき。生の人肝一個、もち米を十分に用意し、麝香を少々入れ、陰干しする。人肝の青い半分は瘧を治す。黒い半分は、むせる病を治す」。
生の人肝をどうやって手に入れるのかを考えるだけでぞっとする。しかし、その処方は中国人にしてみれば、四千年間積み重ねた経験による賜物のようだ。
 
 要は、手に入れられるものは何でも使って人の病気を治すということなのだが、しかし、中国人は病気になる前に食べてしまう。だから、これが体にいいと知れば、手に入るものはすべて食べてしまう。それでよく中国人は「四本足で食べないのは机だけ」とも揶揄されるのである。だが、揶揄ではない。これが中国人の本当の姿であり、医食同源の本当の意味なのである。

 日本人は「医食同源」は中国の素晴らしい文化だと、中国人を美化しているが、自らの体のためには、人間を含む他の生命を平然と犠牲にする中国人の哲学はいたって恐ろしいものなのである。
 
 この医食同源の概念は中国の医学分野に止まらず、一般庶民の生活にも浸透している。例えば、日本でも有名な魯迅の『薬』の中にも、実は医食同源を表した描写がある。
 
この作品の中に、公開処刑の場面が出てくる。これは実際に行われた女性革命家、秋瑾の処刑の情景をモデルにしたものだ。作中では、処刑場の周りに人垣ができているが、その人々は手に手にお饅頭を持っている。なぜ人々は処刑場にお饅頭を持っていっているのか。実は処刑された瞬間に血が噴出するが、その血をお饅頭に染み込ませるためである。なぜそんなことをするのかというと、新鮮な人間の血は体にいいという発想があるからだ。

 人々には処刑者に対する同情心も恐怖感もない。ただただ自分の体にいいからということで、手に饅頭を持って処刑場に走り、我先にと飛び散る血を待っているのである。この『薬』には、人肉を漢方薬として売っている場面も出てくるのである。

■ 親孝行として人肉を奨励する中国人

 また、中国には昔から『二十四孝』という子供の教材がある。二十四の親孝行の例を著した本で、そのひとつに「割股療親」がある。つまり、自分の太腿をえぐって病気の親に食べさせて病気を治すことを親孝行として奨めているのだ。中国ではこのようなことを平気で子供に教えているのである。

 さらに、中国の南宋時代の有名な将軍である岳飛がつくった「満江紅」という漢詩がある。この中に「壮志飢餐胡虜肉」、つまり、お腹が空いたら胡人の俘虜の肉を食え、「笑談渇飲匈奴血」、談笑して喉が渇いたら匈奴の血を飲め、というフレーズがある。中国ではこの漢詩に曲を付け、今でも小学校の唱歌のひとつとして教えている。

 このように中国では、子供の教育の中でも、人の肉を食えとか人の血を飲めと奨め、親孝行として人肉を食べさせることを、教材として子供たちに教えているのである。

■人間の皮膚から作った化粧品を最高とする中国人

 二〇〇五年九月十三日付のイギリスの「ガーディアン」という新聞に、次のような記事が掲載された。中国の化粧品会社が処刑された死刑囚の皮膚を利用して化粧品を開発し、ヨーロッパに向けて輸出しているという内容だった。

 これもまさに皮膚なら肌にいいという考え方をする「医食同源」から出た商売で、人間の皮膚から作った化粧品なら最高最善とする考え方に基づいて作られたものだ。このように、死んだ人間の皮膚まで商品化してしまうのが中国人の考え方なのである。

 恐らく日本人にはショッキングな内容の記事かと思われる。しかし、日本ではまったくといっていいほど報道されなかった。日本人には見たくないものから目をそむける国民性があり、信じたくないものを信じないようにする傾向があるので、非常にショッキングな記事にもかかわらず報道されなかったのかもしれない。

 因みに、中国での死刑数は明らかにされていないが、二〇〇四年に世界で執行された死刑数は約五千五百件であり、その中の少なくとも三千四百件は中国だ。非公開で処刑されるケースもあるから、実際にはもっと多いかもしれない。

 中国ではなぜこんなに死刑数が多いのかというと、実は死刑囚の人体は役人の収入源だからである。役人の収入源とはどういうことかというと、死刑囚の人体は商品であり、臓器売買が行われているということだ。

■中国人医師が語った恐ろしい話

中国ではまた、子供の誘拐も頻繁にある。その中の一部は商品として臓器の売買が行われている。その数こそ定かではないが、かなりの件数に上るものとみられている。それを証言する話を実際に中国人から聞いたことがある。

 十九年前、日本に来て東大で研究していたとき、たまたま同じ第三内科に中国の蘭州大学で血液学を教えていた教授が留学にきていた。彼の日本語はあまり通じないので、日本人の医師たちとうまくコミュニケーションをとれず、そのためか北京語のできる私とよく雑談をしていた。その雑談のなかでのことである。

 当時は骨髄移植がはじまって数年しか経っていない時期で、白血病や骨髄の癌に冒された患者さんはわざわざ放射線で骨髄を破壊して、他人の骨髄を移植する。当時としては最先端の医療技術だった。しかし、なぜか蘭州大学のその教授は日本で行われた骨髄移植手術を軽蔑していた。彼は私に「このようなことは、中国ではとっくにやっている」と言うのだ。
しかし、骨髄移植というのは、日本ならまず骨髄バンクをつくり、そこに集めた骨髄の中から患者さんと遺伝子的に合っているようなタイプを探し、マッチングしたものしか使えないので、骨髄バンクを持たない中国がそのような最先端の医療技術を持つ日本よりも優れているとはとても考えられなかった。

 そこで彼に「中国ではすでにこのような移植をやっているのか」と聞くと、彼は、胎児の肝臓を使うのだと答えた。確かに肝臓というのは血液の再生能力がある臓器で、骨髄と似たような機能を持っている。
そこで、「どうやって胎児の肝臓を患者さんの体に入れるのか」と問うと、彼は「胎児の肝臓を取り出してすりつぶし、メッシュで濾過したものを点滴すれば、骨髄移植と同じような効果がある」と強調するのだった。「では、どこから胎児の肝臓を手に入れるのか」と聞くと、彼は笑いながら「あんなものは、いくらでも手に入る」と言い放ったのである。

 その時に私は、さすが中国は世界一人口の多い国だから、胎児を手に入れることはたやすいことなのかもしれないが、「あんなもの」として命を軽んじ、恐ろしいことを平気でやるのが中国人だということを改めて認識した。その教授が「いくらでも手に入る」といったときの乾いた笑い声は、未だ耳朶から離れない。

(次回の連載は2008年5月12日)

『台湾の声』 
http://www.emaga.com/info/3407.html

日本よ、こんな中国とつきあえるか? 林 建良
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by thinkpod | 2008-06-01 21:48 | 中国
2007年 03月 19日

地球史探訪 : 中国の覚醒(上) 〜 中国共産党の嘘との戦い

「毛主席の小戦士」から「民主派闘士」へ、
そして「反日」打破の論客へ。

■1.「毛主席の小戦士」■

 石平(せき・へい)氏は、1980年に北京大学に入学した。そ
こで人生最大のショックに打ちのめされた。物心ついて以来、
「人民の幸福を願う慈悲の救世主である毛主席」の小戦士とし
て育てられてきたのに、その毛主席がどんな悪事でも平気でや
り通す権力亡者だ、と非難する人が大学には大勢いたのである。

 石少年の学んだ四川省成都市の中学校は「思想教育の重点模
範校」に指定されていて、「毛沢東思想の徹底した教育によっ
て毛主席の忠実な戦士を作ること」を基本方針としていた。

 学校の玄関から入ったところには、毛沢東の石像が聳え立ち、
至る所に毛沢東語録を書いた看板が立てられていた。毎朝一時
限目の授業では、クラスの全員が起立していて毛沢東の顔写真
に敬礼した後、さらに3人の生徒を立たせて、毛沢東思想を勉
強したことによる「収穫」を述べさせるのが日課であった。

 担任の女性教師は、教室の中で毛主席や共産党の「温情の深
さ」を語る時、いつも喉を詰まらせながら泣き出してしまうの
だった。そして毎週一度、生徒全員が「毛主席への決心書」を
書かされるのだが、石少年は文章が上手だったので、時々模範
文に指定され、クラス全員の前で朗読させられた。その一つは
「敬愛なる毛主席は私たちの心の中の赤い太陽」というタイト
ルだった。

■2.やり場のない怒り■

 ところが、北京大学のキャンパスには、敬愛する毛主席を非
難する人間がたくさんいた。誤った大躍進政策で数千万の人民
を餓死させ、自分の地位が危うくなると文化大革命という争乱
状態を作り出して、多くの罪もない人びとを死に至らしめた独
裁者だった、と彼らはいう[a,b]。

 最初は勿論、絶対に信じたくはなかった。私は小柄であ
るにもかかわらず、「毛主席の悪口を言うやつ」に対して
は、何度も食ってかかって、殴り合いの喧嘩をした。しか
し、徐々に信じざるを得なくなった。示された根拠は、あ
まりにも説得力のあるものであり、被害者とその家族たち
の訴えは、あまりにも切実であった。

 大学の学生寮で同じ部屋に住むC君は、お祖父さんが無
実の罪で処刑されたのも、お父さんが無実の密告で自殺に
追い込まれたのも、お母さんがそれで気が狂って精神病院
に入っていることも、C君自身は帰る家もなく夏休みも冬
休みもずっと、この学生寮で暮らしていたことも、紛れも
ない事実であった。[1,p32]

 そう言えば、と石氏は思い出した。中学生の頃、近所に乞食
のお婆さんがいた。通りかかる生徒たちにいつも笑顔で「勉強
がんばってね」と声をかけてくれた。そのお婆さんが、トラッ
クで市中を引き回された後に、処刑場で銃殺されたのである。
その罪は、毛主席の顔写真が掲載されている新聞紙を使って、
拾った大根を包んだ事だという。今になって思えば、これこそ
毛沢東政治の狂気と残虐性を示す一例だったのだ。

 自分が子供の頃から完全に騙されて育ってきた、と知ったの
は、19歳の青年にとっては、あまりにも過酷な体験であった。

 石氏はやり場のない怒りに、毛沢東の肖像を何度もずたずた
に引き裂いて、両足で力一杯踏みつけた。一人、大学構内の雑
木林の中に入って、狂ったように木を蹴ったり、揺すったりし
た。天に向かって「馬鹿やろう!」と大きな声で叫んだ。

■3.中国共産党の一党独裁の政治体制そのものが問題の根源■

 このような苦しみを味わったのは、石氏だけではなかった。
程度の差こそあれ、周りの同級生たちも、皆このような受難を
味わっていた。学生寮の狭い部屋で、安酒を酌み交わしながら、
一緒に涙を流した。その中から、連帯感が生まれてきた。

 冷静になって考えてみると、毛沢東一人に怒りをぶつけてい
れば済む問題ではない。確かに毛沢東は自分一人の権力欲のた
めに、国家と人民とを地獄に陥れた。しかし、国全体がなす術
もなく、一人の人間の横暴と狂気を十数年も許してきたのは、
一体なぜなのだろうか。

 結局、中国共産党の一党独裁体制そのものが問題の根源なの
だ。毛沢東のような暴君が二度と現れてこないようにするため
にも、一党独裁の政治体制を打破し、国家の法制を整備して、
人民に民主主義的権利を与えなければならない。

 そういう理念を確立し、信ずべき道を定めたことによって、
石氏らの世代は、心の再生を味わい、未来への希望を得た。彼
らは民主化運動の推進に、青春の情熱を傾けるようになった。

■4.日本へ■

 石氏は大学卒業後、地元四川省の大学講師となり、学生寮に
入り浸っては、自由と民主化について、学生たちと語り合った。
しかし、そうした活動が、共産党支部から「厳重注意」を受け
た。教授からも、「僕の立場もあるから、もっと研究に専念し
て欲しい」と言われた。

 こうして石氏の活動が封じ込めらているうちに、北京で政変
が起こった。若者たちの民主化運動に一定の理解を示し、共産
党内の開明派の代表格であった胡耀邦が党総書記を解任された
のだった。それによって、民主化運動も低調期に入った。

 そんな時に、一通の手紙が日本から届いた。学生時代に民主
化の理想を語り合った親友が、政府派遣の留学生として日本に
渡り、石氏にも「日本に来ないか」と誘ってくれたのである。

 石氏は心を動かした。民主化を志す者として、実際の民主主
義国家とは一体どういうものであるかを、自分の目で見てみた
かった。また、どうしてアジアの中で日本だけが近代化に成功
したのか、という問題には以前から興味を持っていた。

 こうして1988年、石氏は日本にやってきた。1年間、居酒屋
で皿洗いのバイトをしながら、日本語学校に通い、「あいうえ
お」から勉強した。そして翌年、神戸大学の大学院に入った。

■5.運命の6月4日■

 大学院に入って、指導教官のゼミが始まった4月15日、胡
耀邦前総書記の死去のニュースが祖国から伝わった。それを機
に、民主化運動は一気に蘇った。北京の仲間たちから、「今度
こそ、いっせいに立ち上がって長年の夢を実現するぞ」という
檄文が寄せられた。

 石氏も京阪神地方の中国人留学生の連帯組織を立ち上げて、
日本において、中国国内の民主化運動に呼応する活動を開始し
た。やがて、あの運命の6月4日がやってきた。[c]

 そして、毛沢東時代ですら見たことのない恐ろしい光景
が現実のものとなった。共産党が、中華人民共和国政府が、
兵隊と戦車を出動させて自らの首都を「占領」して、丸腰
の学生や市民に手当たり次第に銃撃を浴びせ、次から次へ
と倒していった。[1p49]

 あの日に、トウ小平の凶弾に倒れて、若い生命と青春の
夢を無残に奪われたのは、自分たちの同志であり、自分た
ちの仲間なのだ。後で知ったことだが、自分がかつて一緒
に飲んで、一緒に語り合ったことのある仲間の数名が、そ
の犠牲者のリストに含まれていた。

 彼らはかつて、この私の目の前に座っていて、この私に
向かって夢と理想を語り、この私に、青春の笑顔の明るさ
と、男同士の握手の力強さを感じさせた。彼らは確かに生
きていて、存在していた。

 そしてあの日突然、彼らは殺された。[1,p47]

■6.「もう一度騙されていた」■

 この時になって、石氏は、自分がもう一度騙されていた事を
知った。7、8年前に毛沢東時代の洗脳教育から覚めた時でも、
トウ小平と彼の率いる党内改革派によって、共産党も生まれ変
わっていくだろうと、信じて疑わなかった。

 しかし、民主化運動が共産党の独裁体制を脅かすような事態
になると、トウ小平も共産党も、すぐさまその本性を剥き出し
にした。そこには主義も哲学もない、法律も道理もない。ある
のはただ、共産党が自らの独占的権力を何としても守りたい、
という赤裸々な党利党略と、そのためには、手段を選ばない卑
劣さと残酷さであった。

 ここまできて、私自身は完全に目が覚めた。自分の心の
中で、中国共産党と中華人民共和国に決別を告げたのであ
る。・・・

 この中華人民共和国にも、もはや用がない。何の愛着も
義理もない、共産党の党利党略のための道具と成り下がっ
たこの「共和国」は、もはや「私たちの国」ではない。そ
れはただの「北京政府」であって、ただの「あの国」となっ
たのだ。[1,p50]

■7.80年代の親日、90年代の反日■

 石氏はその後、6年間の大学院生活を終えて、日本の民間研
究所に就職した。そこでは中国国内の大学や研究所と学術的交
流を進めていたので、石氏も頻繁に中国に出張するようになっ
た。

 久しぶりに見た中国社会で衝撃を受けたのは、すさまじい反
日感情が蔓延しているということだった。食事の場などでも、
かならず「原子爆弾でも使って、日本を地球上から抹殺すべき
だ」「いや恨みを晴らすには一人ずつ殺した方がいい。東京大
虐殺だ」などと、日本への罵倒合戦が始まる。

 石氏は何でこんなに中国人が反日になったのか、理解できな
かった。自分が学生だった80年代の「改革開放」時代には、
官民を挙げて日本との交流を全面的に推進することが国策とな
り、「日中友好」「日本に学ぼう」が合い言葉として流行って
いた。高倉健や山口百恵などは、中国人にとっての「国民的」
アイドルになっていた。

 90年代の「反日青年たち」は、日本を憎むのは、過去の日
本軍の「無道」や「虐殺」に原因があるというが、それなら、
戦争の記憶がより鮮明な80年代の私たちの方が、もっと日本
を憎んでいるはずだ。しかし、事実は正反対で、私たちの世代
は日本に対して好感と親しみを持っていた。おかしいではない
か、と石氏は思った。

■8.「おじさんは歴史を忘れたのか」■

 そのナゾがやっと解けたのは、2000年8月に夏休みを利用し
て、四川省の実家に帰省した時である。大学1年生の甥が遊び
に来ていたので、小遣いをやろうとした。しかし、甥は「要ら
ない」と断った。「おじさんのお金は、日本人から貰った給料
だろう。そんな金、僕は要らない!」ときっぱりした口調で言っ
た。

 そして「今度、日本が攻めてきたら、僕は最前線へ行って、
小日本を徹底的にやっつけるのだ」と気迫を込めて言った。石
氏は「もう一人の反日青年の誕生か」と心の中で呟いた。

 さらに甥は誇らしげに、大学で共産党への入党申請書を出し
た、と言った。石氏が「共産党はそんなによいのか」と聞くと、
甥は少々、興奮状態になって、こう答えた。

 当たり前じゃないか。共産党の指導があるから、中国は
日本の侵略を防げるんじゃないか。昔、日本侵略軍をやっ
つけたのは共産党じゃないか。おじさんは歴史を忘れたの
か。

「そうか。やはり歴史か。それなら聞く。今から11年前、北
京で起きた『6・4事件』(天安門事件)、あれも歴史だけど、
君はどう思うのか」と、石氏は反撃に出たが、甥は冷笑しなが
ら答えた。

 党と政府の措置は正しかったと思います。おじさんたち
のやっていたことは、外国勢力の陰謀じゃないか。鎮圧し
ないと、この中国は外国勢力の支配下に入ってしまうじゃ
ないか。鎮圧してどこが悪いのか。

 丸腰の学生を虐殺した政府を正しい、と言われて、石氏は怒
り心頭に発した。甥は「殺人と言えば、何千万の中国人を殺し
た日本人こそ殺人者じゃないか」と言い捨てて、出て行った。

■9.「反日」とは世紀の大ペテン■

 甥が帰ってから、石氏は自分の気持ちが収まるのを待って、
甥の言葉を吟味していった。甥はかつての民主化運動を「外国
勢力の陰謀」と信じ込み、丸腰の学生たちを虐殺した共産党を
全面的に擁護した。そして、「日本が再び中国を侵略してくる」
という荒唐無稽な作り話を完全に信じて、それを防ぐために
「共産党の指導」に従って、身を挺して「戦う」つもりなのだ。

 すべてが分かった。「反日」とは結局、中国共産党の党利党
略から仕掛けられた世紀のペテンなのだ。80年代の親日と
90年代の反日との間にあるのが、89年の天安門事件である。

 中国共産党は丸腰の若者たちを虐殺した「殺人政府」だと非
難されて、窮地に陥った。そこから抜け出すために、日本を憎
むべき「悪魔」に仕立て、国民の怨念を自分たちではなく「外
敵」に向かわせようとした。その「外敵」がもう一度「侵略」
してくるだろうというウソ偽りの危機感を煽り立てることで、
「共産党の指導体制」に新たな正当化の根拠を、与えようとし
たのである。

 人を馬鹿にするにもほどがある。子供時代の私たちを洗
脳した時と同じ手口を使って、もう一度人を騙そうとする
のか。私たちの世代だけでなく、私の甥の世代までもこの
ような洗脳教育の犠牲者にする気なのか。そうはいかない、
と思った。

 そして何よりも許せないのは、中国共産党政権はまさに、
この反日教育という名の汚いマジックを用いることによっ
て、私たちの世代の起こした、民主化運動への記憶を抹殺
して、私たちの仲間に対する、彼らの殺人的犯罪を覆い隠
したことである。[1,p89]

 石氏は、殺された同志のためにも、将来の中国のためにも、
「反日」という世紀の大ペテンを打ち破らなければならない、
と決心した。ここから『日中宿命』などの力作が次々と生み出
されていく。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(109) 中国の失われた20年(上)
 〜2千万人餓死への「大躍進」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog109.html
b. JOG(110) 中国の失われた20年(下)
 〜憎悪と破壊の「文化大革命」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog110.html
c. JOG(162) 天安門の地獄絵
 天安門広場に集まって自由と民主化を要求する100万の群
衆に人民解放軍が襲いかかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog162.html
d. JOG(461) 中国反日外交の迷走
 中国の靖国反日外交は迷走を続けつつ、国際社会にその無理
無体ぶりをさらけ出してきた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog461.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 石平『私は「毛主席の小戦士」だった』★★★★、飛鳥新社、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4870317613/japanontheg01-22%22
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by thinkpod | 2007-03-19 18:20 | 中国
2007年 03月 19日

地球史探訪 : 中国の覚醒(下)

〜 日本で再発見した中国の理想

 孔子の理想は中国では根絶やしに
されたが、日本で花開いていた。

■1.「そういう深いことを最初に考えたのは君の祖先じゃないのか」■

 中国共産党の「反日」政策打倒を決心した石平氏には、もう
一つの転機があった。神戸大学大学院で社会学を学んでいた時、
フランスの近代社会学者エミール・デュルケームの「社会儀礼
論」がゼミのテーマとなった。それは、人々が共に儀礼を行う
ことによって、社会的所属意識を確認して、集団としての団結
を固める、という理論であった。

 儀礼など単なる形式でしかない、と考えていた石氏にとって、
ディルケームの考え方は新鮮で、「さすがにフランスの社会学
者ですね。深いところを見ていると思います」と感想を述べた。

 それを聞いて、指導教官は口許に含み笑いを浮かべながら、
言った。「何を言っているのか君、そういう深いことを最
初に考えたのは君の祖先じゃないのか」

 意表をつかれて戸惑った石氏に、先生は「『礼の用は和を貴
しと為す』という言葉、君は知らないのかね」と言って、メモ
用紙に「礼之用、和為貴」と書いた。

 そうか、分かった。あの論語の言葉じゃないか。20数年前
に祖父に叩き込まれたこれらの文字が、鮮明に浮かんできた。

■2.祖父の不思議な教育■

 石氏の祖父は、中国成都市から遠く離れた田舎の村に住む漢
方医であった。石氏が4歳の時に文化大革命が始まり、大学の
教師であった両親は成都近郊の集団農場に追放されたので、や
むなく石少年を田舎の祖父母に預けたのである。

 竹林に覆われた穏やかな丘、斜めに広がる一面の田んぼ、点
在する農家。7歳になって小学校に通うようになった石少年は、
天気の良い日には、仲間と午後の授業をさぼって、里山の中で
遊んだ。小学5年生で成都市の小学校に移って「毛沢東の小戦
士」として洗脳教育を受けるのとは正反対の、なつかしい「故
郷」がそこにはあった。

 石少年が小学校4年生になった頃から、祖父は奇妙な教育を
始めた。一枚の便せんにいくつかの短い文言を書いて、ノート
に何百回も書き写せと言う。それらは「君子和而不同(君子は
和して同ぜず)」などと、明らかに現代語とは違った言葉であっ
た。誰の言葉か、どういう意味かも、祖父はいっさい教えてく
れない。ただ「書き写せ」との一言のみである。

 さらに祖父は、学校ではこの事を絶対言ってはならない、ま
た書き写したノートは家の外に持ち出してはならない、と厳重
に注意した。そして、便せんと石少年が書き写したノートをす
ぐに回収してしまう。まるで悪いことでもしているような祖父
の行動が、石少年には不思議でならなかった。

 ある夜、トイレに起きた石少年は、祖父が台所でしゃがんで
何かを燃やしているのを見つけた。目をこすってよく見ると、
それは自分が書き写したノートではないか。どうしてそんな事
をしなければならないのか、石少年にはまったく分からなかっ
た。

■3.祖父の「大罪」■

 そのナゾが解けたのは、大学生になって、文化大革命の実態
を知った時だった。文化大革命は中国の伝統文化に対して「反
動的封建思想」のレッテルを貼って、徹底的に弾圧した。祖父
の行為は、もし見つかったら「反動思想をもって青少年の心を
毒する」大罪として、命にもかかわる糾弾を受けていただろう。

 なぜ、そんな危険を冒してまで、祖父は自分に論語を教えよ
うとしたのか。大学の夏休みに田舎の村に帰った時、祖父はす
でに亡くなっていたが、その理由をようやく祖母から聞き出す
ことが出来た。

 祖父は孫の石少年に、自分の医術をすべて伝授して、立派な
漢方医に育てるつもりだった。そして祖父の世代の医術は「仁
術」でなければならなかったので、その基礎教育として論語を
石少年に叩き込んだのである。

 祖父の夢は叶わなかったが、何百回も書き写すことで、論語
の多くの言葉は石氏の記憶の中に刻まれた。論語の一節を耳に
しただけで、一連の語句は次から次へと、湧くように口元に上っ
てくる。

 17年ぶりに日本人の指導教官から「礼之用、和為貴」と指
摘された時も、論語の言葉が即座に脳裏に蘇ったのである。

■4.驚きと感激の発見■

 日本に来たばかりの頃、神戸の大きな書店で「中国古典」と
表示されている一角を見つけた。それは目を見張るほどの光景
だった。

「論語」「孟子」「荀子」「墨子」「韓非子」「史記」「春秋
左史伝」などのタイトルの本が、いかにも気品高くずらりと並
んでいるのである。論語に関する本だけでも書棚数段を占めて
いる。遠い昔の時代に、わが祖国に生まれた孔子様の思想と心
は、数千年の時間と数千キロの距離を超えて、この異国の地に
生きていたのだ。まさに驚きと感激の発見であった。

 その時はまだ天安門事件の直後だったので、論語を手にとっ
て読もうという気は起こらなかった。しかし、指導教官の指摘
から、幼い頃に祖父に叩き込まれた論語の言葉を思い出し、よ
うやく石氏は「論語を一度、ちゃんと読んでみよう」と決心し
たのである。

 最初は金谷治や宇野哲人などの碩学の訳釈を頼りに、原文を
何回も繰り返して読んだ。そこから徐々に日本の儒学研究の大
家たちの「論語論」へと広がっていった。諸橋轍次の『論語三
十講』、吉川浩次郎の『論語のために』、安岡正篤の『論語の
活学』など、大学の図書館にある「論語」関係の本をほとんど
読んだ。

 それは驚嘆と感激の連続であった。日本の研究者たちは、こ
れほどの深さで論語を理解していたのか。論語の言葉一つ一つ
が、様々な角度からその意味を深く掘り下げられて、平易にし
て心打たれる表現で解説されていた。

 しかも、それらの先生方の論語を語る言葉の一つ一つには、
孔子という聖人に対する心からの敬愛と、論語の精神に対する
全身全霊の傾倒の念が込められていた。

 言ってみれば、わが孔子とわが論語は、まさにこの異国
の日本の地において、最大の理解者と敬愛者を得た感じで
あった。

 特に、本場の中国において、孔子と論語が、まるでゴミ
屑のように一掃されてしまった、「文化大革命」の時代を
体験した私には、この対比はあまりにも強烈なものであっ
た。私に論語の言葉を書き写させた例のノートブックを、
夜一人でひそかに燃やしたわが祖父の姿を思い出す時、隣
の文化大国の日本で広く親しまれて敬愛されていることが、
孔子様と論語にとってどれほど幸運であるのか、感嘆せず
にはいられなかったのである。[1,p151]

■5.「やさしい」日本人に見た「忠恕」の道■

 こうして論語を再発見して、改めて日本での生活を省みると、
孔子や論語が学問の世界だけでなく、日常生活にも生きている
ことに石氏は気がついた。

 たとえば、孔子の思想の中核をなす「仁」と「如」。「仁」
とは「人を愛すること」、「如」とは「まごころによる他人へ
の思いやり」。この二つをあわせれば、それはそのまま日本で
いう「やさしい心」になるのではないか。

 ところが現代の中国語には、この「やさしい」という日本語
にそのままぴったりと当てはまる表現がないことに、石氏は気
がついた。

 大学で学んでいる頃、同じ四川省出身の女子留学生のCさん
から電話があり、中国語で話していた時の事である。彼女は
「我覚得他還是一個很ヤサシイ的人(彼はやっぱりやさしい人
間であると思う)」と、「やさしい」という所だけ日本語をつ
かった。そして、石氏も同様に「やさしい」という所だけ日本
語を使って、「そうだ。僕も彼はやさしい人間だと思う」と相
づちを打った。

 中国人同士で中国語で話しているのに、どうして「やさしい」
という一カ所だけ日本語を使わなければならないのか。中国の
一流学者グループによって編纂された上海商務印書館の『日中
辞典』では「やさしい」という一語の意味を、「善良」「慈悲」
「懇切」「温情」「温和」「温順」など10以上の単語を並べ
て説明している。

 しかも、これらの中国語の単語一つ一つは、「もっとも良い
人間」を褒め称えるのに用いる最上級の言葉である。それらを
10以上も集めて、ようやく日本語の「やさしい」という一つ
の言葉の意味を伝えることができるのだ。それほど、現代中国
人の社会では「やさしい」人は希なのである。

 しかし、日本では「やさしい人間」はどこにでもいる。石氏
が出会っただけでも、大学のやさしい先生、ボランティアのや
さしいおばさん、学生寮のやさしい管理人、八百屋のやさしい
おやじさん、、、

 現代中国ですでに死語となっている「仁」と「如」は、今や
形を変えて「やさしい」という日本語の中に生きている。そし
て論語の中でもっとも大切にされている「仁」と「如」の心は、
「やさしい」心として、多くの現代日本人の中で息づいている
のである。

「孔子の道」も「論語の精神」も、格別に難しい道ではない。
ごく普通の日本人のように「やさしい心」を持って生きていけ
ばそれで良いのだ。こうして石氏は、自分の祖先の古の道を、
日本語と日本人とのつきあいを通じて再発見したのである。

■7.日本語を通して学んだ「礼の心」■

 もう一つ、孔子と論語がこの上なく強調しているのが「礼」
である。そして、石氏が日本に来て早々、大いに感心したのが
日本人の礼儀正しさであった。

 今でも鮮明に覚えている場面の一つだが、日本留学の身
元保証人になっていただいた日本人の家に、初めて招待さ
れた時、玄関に入ると、この家の初老の奥様は何と、玄関
口に正座して私たちを迎えてくれたのである、私がお世話
になる一留学生の身であるにもかかわらず!

 その時に受けた「カルチャーショック」は、まさに「ショッ
ク」というべき衝撃であった。孔子様のいう「礼譲の国」
とは、ほかならぬこの日本であると、心の底から感激した
のである。[1,p153]

 特に、文化大革命以来の、紅衛兵流の荒々しさと「無礼講」
が社会的流儀となった中国から来た石氏にとって、これはあま
りに美しく、あまりに優雅に見えた。

 さらに、日本語の勉強が進むにつれ、日本語こそまさに「礼
譲の国」にもっとも相応しい言葉であることが分かってきた。
中国語では漢方医の祖父の世代までは、たとえば、相手の両親
のことを「令尊・令堂」などと尊称を使うが、日本語の敬語は
それだけでなく文法まで規則正しく変えなければならない。

「ご両親は元気ですか」ではダメで、「お元気でいらっしゃい
ますか」である。逆に自分のことに関しては「ご両親の世話に
なっている」ではなくて、「ご両親のお世話になっております」
と言わねばならない。石氏は苦労してこうした「尊敬語」や
「謙譲語」をマスターした。

 今から考えてみれば、結局、私が「礼」というものを学
んだのは、まさに日本語の勉強を通してである。

 敬語としての日本語から入ることによって、私はいつの
まにか、尊敬と謙譲の姿勢をごく自然に身につけることが
できるようになっていた。

「礼語」としての日本語を学び、それを実生活の中で使い
こなしていくことによって、私は知らず知らずのうちに、
まさに「礼の心」というものを、自分自身の内面において
育てることができたのだった。[1,p159]

■8.儒教の理想は日本で花開いた■

 孔子の教えは、古代中国で生まれたが、そこでは根付かなかっ
た。随の時代に導入された科挙制度によって、儒学の知識は官
僚になるための国家試験の対象とされ、言わば出世栄達の道具
と化した。さらに毛沢東の文化大革命によって、儒教を含めた
中国の伝統思想と文化は根こそぎにされた。

 そして、今の中国の大地で生きているわが中国国民こそ、
論語の心や儒教の考え方からは、もっとも縁の遠い国民精
神の持ち主であると、多くの中国人自身が認めざるを得な
い厳然たる現実なのである。

 少なくとも、私自身からみれば、世界にも希に見る、最
悪の拝金主義にひたすら走りながら、古の伝統とは断絶し
た精神的貧困の中で、薄っぺらな「愛国主義」に踊らされ
ている、現在のわが中国国民の姿は、まさに目を覆いたく
なるような醜いものである。[1,p178]

 儒教はその生地では枯渇したが、その種子は日本において花
開いた。儒学の思想と精神を受け継いだのは、中江藤樹[a]や
石田梅岩[b]などの求道者を輩出した江戸時代の日本である。
そして、その精神は明治の指導者たちに受け継がれ[c]、特に
教育勅語に取り入れられて、近代日本の建設の指導的精神となっ
た。

 儒教とは、まさに近代日本によって再生され、近代の日
本と共に輝いたのである、と言えよう。[1,p177]

 そういう意味では、私自身は一人の中国人でありながら、
むしろ日本という国と、この国に受け継がれてきた伝統と
文化に、親近感と安らぎを感じていて、一種の精神的な同
一感を持つようになったわけである。[1,p178]

 現代の多くの中国人が、石平氏のように、中国共産党の「反
日愛国教育」の欺瞞に気がつき、そして自国の伝統思想・文化
に目ざめた時、彼ら自身の理想が結実した日本社会に「精神的
な同一感」を覚えるだろう。それが真の日中友好のスタートと
なるのではないか。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(324) 中江藤樹 〜 まごころを磨く学問
 馬方や漁師を相手に人の生き方を説く中江の学問が、ひたひ
たと琵琶湖沿岸から広がっていった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog324.html
b. JOG(406) 石田梅岩〜「誠実・勤勉・正直」日本的経営の始祖
 それは経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさへの道で
もある。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog406.html
c. JOG(279) 日本型資本主義の父、渋沢栄一
 経済と道徳は一致させなければならない、そう信ずる渋沢に
よって、明治日本の産業近代化が進められた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog279.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 石平『私は「毛主席の小戦士」だった』★★★★、飛鳥新社、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4870317613/japanontheg01-22%22


石 平『私は“毛主席の小戦士”だった』
中国の“微笑”を信じるなかれ 強硬策から転換した対日外交の企み
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by thinkpod | 2007-03-19 18:19 | 中国
2007年 02月 13日

中国の“微笑”を信じるなかれ 強硬策から転換した対日外交の企み

「 『日本支配』を目指す中国の野望 」

中国は着実に超大国への道を歩みつつある。が、その前に地域大国として盤石の基盤を固めなければならない。その際の唯一最大の障害が日本の存在である。

日本をどのように無力化していくのか。他国を従わせたいとき、大国は往々にして圧倒的軍事力を行使した。または米国のセオドア・ルーズベルト大統領のように、“大きな棍棒片手に優し気な声で”要求を突きつけてきた。だが、現在の中国は驚くほどの変身を遂げた振りをするだろうと中西氏は予測する。

「中国は日本を賢く分析してきました。その結果日本取り込みに最も有効な手を打つでしょう。我々が驚くほど態度を変えてくるという意味です。日本はそれほど悪い国ではなかった、戦争時は仕方なかったとまで歴史認識で譲歩するはずです。そうして、日本人に中国の支配下に入っても悪くはないという気持を持たせようと考えているのです」

日本よ、勁くなれ

これから中国が働きかける相手はもはや朝日新聞に象徴される古い左翼ではない。自民党のなかの保守派、経済界など、日本の主流を構成する人々である。彼らのなかに親中派を作っていこうとすると中西氏は予測する。田久保氏も指摘した。

http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_498.html


「 『大軍拡』中国の微笑外交に『操られる人たち』 」
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_503.html
「 中国の“微笑”を信じるなかれ 強硬策から転換した対日外交の企み 」
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_501.html
安倍政権に期待すること
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/102810/



「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

平成19年(2007年) 2月13日(火曜日)   
通巻第1703号  

(読者の声4)昨年末の石平氏の日本工業倶楽部での講演録(日本有数の歴史あるエスタブリィシュ組織が主宰する、なんと1271回を数える長寿講演会)を読み返して、つくづく思うのは、DNA由来の外交に長けたシナ(英語でチャイナ、仏語でシィン、伊語でチーナ)人の組織する中共勢力に小泉時代の日本外交が勝利したことです。

石さんは、講演の中でつぎのように述べています。
(引用開始)「小泉さんの靖国参拝を道義的に解釈しますと、正当かどうかの評価は分かれるだろうと思います。しかし少なくとも私から見れば、靖国問題を政治問題化し、しかも外交問題として持ち出した北京の方が悪かったんじゃないか。と言うのは、ある意味で靖国問題は日本人の心の問題であるにもかかわらず、そこまで踏み込んだことが中国政府の失敗であったと思います。
靖国問題という日本の国内問題を、その問題が解決できなければ日中関係は改善できないというような形で完全にリンクさせたところに問題があったわけです。
靖国に行くかどうかは結局小泉さんが決めることです。従ってこのことを日中関係を改善できるかの大前提にしてしまったために、結果的には主導権は小泉さんに持たれてしまいました。(引用止め)」。

実のところ、シナ政府はこの間違いに臍を噛んでいますが、戦後初の赫々とした外交の勝利をあげた日本にはそれに気付く者がほとんどいないのです。
外交とは仲良くすることにあるのではなく、喰うか喰われるかの熾烈な国際間をしのぐことなのです。 
外交交渉の場は戦場で、ネクタイを締め背広を着てする戦闘です。
日本の“害交官”はへたればかりですが、シナの政治家・外交官は自らが戦士であるとの気構えを持って交渉の場に臨んできます。
だって、落ち度があれば更迭・左遷どころか何かの罪をおっかぶされて、本人は刑務所に送られ、家族・郎党は甘い利権を奪われ栄耀栄華からつき落されるのですから。     
 石平氏は、先月も学生たちの組織する「ポーツマス・ネットワーク」の講演会で、以下の趣旨を語っていました。
 「中国政府が怒っているときはぜんぜん怖くないんです。どうにも遣りようがなくて仕方がない、そんなときに怒るのです。そんな中国は放っておけばいい。
ほんとうに怖いのは、にっこり微笑んでいる、下心いっぱいのときです。
中国政府が何かを企んでいて、それを静かに進めている時にとる態度が、安部政権になってからの微笑外交です。これは本当に怖いから注意しなければいけない」と。
石平氏の打ち鳴らす警鐘に日本人は気を引き締めるべきでしょう。
    (HN生、神奈川)


(宮崎正弘のコメント)いつぞやも書きました。おなじコメントを繰り返します。
「石平さんの登場で、莫邦冨も葉千栄も朱建栄も急速に色褪せた」



平成19年(2007年) 2月16日(金曜日)  貳
通巻第1708号  

吉岡健『中国人に絶対負けない交渉術』(草思社)

 世間的に無名の著者なので略歴を拝見すると、元“安宅マン”(安宅産業社員)、48歳でコンサルタントとして独立され三十年、ひたすら中国とのビジネス交渉の最先端にたって、現場の苦労をともにした人物。
 言ってみれば中国ビジネスのベテランである。
 こういう経歴をみると現場での奮闘と実践から貴重な体験談が聴けるだろう。
 汗をかいて、現場の失敗の苦渋を体験した者でなければ知らない、知り得ない深層が、いっぱいあるからだ。
 まともに交渉したら中国人に勝てるはずがないという、まことに正しい前提にたって、筆者はまず「先に意見をいうな」「会議以外では考えを漏らすな」「無理に結論をださず逃げろ」という三原則を掲げる。
 それはそうだろう。中国人には誠意というものが通じない。だから世界のビジネス現場の常識が通用しない。
「中国とのトラブルは(世界の常識とは)異質なもの」と筆者は永年の経験を通して鋭く指摘している。

 評者(宮崎)も或るコラムに次のように書いたことがある。
 嘘と屁理屈と牽強付会と論理のすり替えで成り立っている中国人社会では最低限度、“三重思考”が常識であり、言うこととやること、考えていることは違う。少なくとも三種の思考を同時に行える特技は中国人エリートに共通。
しかし、どうしてそうした体質が産まれたのか。
 それは歴代王朝が「私」の利益しかなく、公の観念に欠乏している。皇帝とその眷属と、それを守る傭兵と、あとの国民は奴隷という社会構造が、いまの中国にすら歴史的体質として染みこんでいるからだ。つまりだれもが「私」の権利と利益にしか眼中にはなく、騙し、すり替え程度の嘘は常態。商業においてすら「三重帳簿」が常識なのだ。ひとつは銀行用、ひとつは税務所用、そして三冊目が自分用。
 逆に言えば、この三原則を知って臨めば中国人に交渉でまけることもない、と。

 さて本書で参考になったユニークな比較表がある。
それは“南船北馬”とも言われる中国人の気質を南と北に分けて、性善説とか、逞しさなどを南北比較するもの(評者は華南、華中、華北とおおまかに三つにわけるので、この二分化には異論があるが、それはそれとして)。。。
 北は「保守的で」「権力志向が強く」「頑固だ」が、南は「実利的」「冒険的」「勘定高い」特質がある。
そうした対比のなかでも南北の中国人に共通の特質が四つあり、「自己本位」「羞恥心の欠如」「狡猾」「図々しさ」という指摘は正鵠を得ており、心底から苦笑した。
 


   ♪
青木直人『中国に食い潰される日本』(PHP研究所)

 いささか激しい題名である。
本書の帯にも「なめられ放題の日本企業、戦略なき対中援助の危険性」と銘打たれ、これだけでも内容が推察できるのだが、いざ、本書をよむと驚き桃の木山椒の木の連続である。
 ハニー・トラップに引っかかった日本人は外交官、自衛官、政治家ばかりではなかった。
 ヤオハンは李鵬をたよりすぎて失敗、また17年前に失脚した北京書記の陳希同をたよった某社は、ホテル経営で痛い目にあった。
 政治権力の汚職構造と日本企業の癒着ぶりがズバッと抉られている。
中国共産党幹部との政治コネクションに全幅の信頼をおく方法も前提が間違っている。あのくにの権力はいつ消えるか分からないという特質があるからだ。
 ところで江沢民に一億円を送った、と噂される日本の某商社は、そのおかげで例外中の例外として中国での全国チェーン展開が認められた。
 イトーヨーカ堂のパートナーである伊藤忠の顧問の某は「日本は中華世界の一員として生きていけば良い」と暴言を吐く人でもある。外務省のチャイナ・ロビーにだって、それほどの低脳売国奴的人物はいないだろうに。
 なによりも青木氏は、執念の塊のような取材力、それも足で稼いで中国の裏道を、じっと観察しているばかりか、どうやら情報源を日本の商社、メーカー、金融機関、政府関係者にも多く持っているようだ。
というのも文章の端々から、その情報の出所がおおよそ想像できるのだが、随所に「アッ」と驚かされる仰天の事実が、さりげなく、しかも何回も挿入されている。
 いつぞやテレビ番組で一緒だったおりに、青木氏から上海・森ビルの内幕を聞いた。
 なぜ浦東の陸家嘴という、もっとも地盤の弱いところに101階建ての金融センターを建てるのか。
しかも、基礎工事から六年間も放置され、その間に六センチも地盤が沈下していたにもかかわらず誰かの命令一下、2008年めがけて工事は再開されたのだ。
そのプロセスの内幕話にいたっては驚きの連続だ。
途中、台北に101階建ての「金融センター」が立って、上海トップのあせりが突貫工事をせかせることになり、しかも高層部分は設計変更になり、蜂の巣をつついた大騒ぎに発展した。また完成の曉でも最上階展望台からは目の前の金茂ビルに景観を妨げられ、上海の全景を展望することはできない、と予測する。
そうした無理な工事の背景やら「上海ヒルズ」の呼称はまかりならんと言われた森ビル側の焦燥など、内部の情報協力者がいないと知り得ないことを含めて、あますところなく描かれている。
上は本書に紹介された裏話のホンの一例である。



平成19年(2007年) 2月15日(木曜日)  貳 
通巻第1706号  
 
銭基深著・浜本良一訳『銭基深回顧録』(東洋書院)


 中国の外交を十年に亘って司った銭元外相の回想録である。
 歴史的な証言という意味でたいそう意義が深い。この本の中国語の原文が出たのが2003年で、当時、小生も香港あたりで入手して、主要箇所をだけ読んだ記憶がある。
 なぜなら銭の在任中の天皇皇后両陛下の御訪中を、かれらは天安門事件以降、国際社会に孤立していた中国の立場を世界に広める政治或いは広報カードとして活用し、まさに「成功した」と自慢話がかかれていたからだ。
そういう表現には腹が立った。
 さて友人でもある訳者の浜本良一氏は、歳月をかけて、とうとうこの外交文書としては歴史にのこる書籍を全文翻訳した。翻訳文はやさしく訳注も随所に丁寧に施されていて読みやすい。
 1989年2月に先帝陛下が薨去され、東京に世界の指導者があつまる大喪の礼が粛々と行われた。
 米国からブッシュ大統領、フランスはミッテラン大統領、英国からはサッチャー首相。しかしながら中国は国際常識に逆らって二段階も格下の銭基深外相を「特使」として送り込んだ。
 銭外相はかれなりに張り切って日本にやってきた。
 しかも銭は日本の政治家と会見で「天皇の戦争責任」を政治的意図を十二分に含んで意図的に持ち出し、同時に北京での外交部談話は「軍国主義」「侵略戦争」を獅子吼した。
 失礼千万な話だが、銭外相の回顧録は、これさえも自慢話となる。
 嗚呼、共産党社会で出世しようとすれば、世渡りは難しい!
 しかも、この回想録を読んで分かるのは、銭は大喪の礼そっちのけで、この外交的機会に実にすばやく、ぬけめなく便乗して、インドネシア代表との国交回復交渉を東京の場で繰り広げていたのだった。

 興味深いはなしは他にもいろいろとあるが、89年天安門事件を「政治的風波」と言ってのける感性に、なにやら名状しがたい政治主義を感得する。
しかし、本書の中でも大きな関心のひとつは天安門事件直後にあれほど北京を攻撃してやまなかったブッシュの米国が密使を送り込んでいたことだった。
この箇所は外交史上でも十分に価値がある。中国の考え方をしる上で。
 キッシンジャーのパキスタン経由での北京秘密訪問よりも、このときのスコウクラフト補佐官(ブッシュ政権で安全保障担当大統領補佐官)の北京訪問は機密行動が徹底していた。
 だから「国籍不明機が上海上空に近づいたとき、撃墜命令の問い合わせが楊尚昆(当時、国家主席)にあった」とも言う。
 スコウクラフト補佐官の北京訪問は、北京にある米国大使館にさえ知らせず、通信は専門の要員をわざわざワシントンから二人帯同し、しかもリリィ大使の不在時を狙った。
米国が身内を騙したのである。
そのうえC141輸送機を「標識を塗り替えて一般商業機に偽造」させ、「連続二十二時間の飛行中を空中給油し、どこにも途中給油しなかった」という逸話まで興味津々と語られている。
 当時の会談の中身は、その後、スコウクラフト補佐官自身も、当時の上司ベーカー国務長官の回想録にも大筋が披露されているので、内容は旧聞に属するとはいえ、中国側の味方がこうも露骨に出たことも珍しいだろう。

 さて本書を通読したあとに残る最大の疑念とは何か?
 それは中国の積極外交を十年にもわたって司った銭自身が、殆ど外交戦略の最終決定権を保持していないという恐るべき真実ではないだろうか。
本書にたびたびでてくる「中央」というのは誰のことなのか? 逐一、裁断を「中央」に仰がなければいけないという中国の外務大臣って、操り人形。ピエロ?
決断のプロセスが曖昧模糊、青木湖の霧の樹海のごとし。
要するに中国外交は、本当はいったい誰が最終的に政策決定しているのか、闇の存在がそれとなく分かるだけで、読後感は「やはり闇の部分を銭基深が殆ど語っていない」というポイントだったのである。

(注 銭基深外相の「基」は下の「土」をとる。「深」は王編。)
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by thinkpod | 2007-02-13 21:44 | 中国
2007年 02月 01日

The Globe Now: 中国、太平洋侵出の野望

〜 西太平洋を「中国の海」に

日本を「中国の海」に浮かぶ孤島列島にするのか。

■1.「海からの包囲網」「海からの脅威」■

 中国側から太平洋を望むと、どんなふうに見えるだろうか。
北から見ていくと、黄海は対岸を韓国にブロックされている。
その南の東シナ海は、九州から沖縄、そして台湾に阻まれてい
る。その先は南シナ海だが、フィリピン群島が遮っている。中
国には太平洋への出口はない。「海からの包囲網」に取り囲ま
れているのである。

 中国が半植民地化された「屈辱の150年」は、19世紀中
葉のアヘン戦争から始まったが、その敵イギリスは海から中国
を攻撃した。その後の日清戦争も日中戦争でも、日本軍は海か
ら来襲した。「屈辱の150年」は「海からの脅威」によって
もたらされた。

 現代中国は、経済的な躍進を続けているが、その原動力は上
海や広東省に代表される沿岸地域だ。しかし、そのすぐ目と鼻
の先には沖縄、佐世保、横須賀に米軍基地があり、台湾にも強
力な空軍がある。対潜水艦作戦能力では世界トップクラスの日
本の海上自衛隊の力も無視できない。いざという場合に、沿岸
地域が日・米・台湾軍によって攻撃されるという怖れを、中国
が抱いていたとしても不思議ではない。

 それに対抗する中国海軍は、北海・東海・南海の3つの艦隊
からなるが、北海・東海が台湾の北、南海が南と、幅わずか1
31キロの狭い台湾海峡によって分断されている。台湾はあま
りにも大陸に近く、中国から見ればピストルを腹部に押しつけ
られているようなものだ。

 中国の抱えるもう一つの懸念は、経済成長を支えるエネルギ
ー輸入の問題である。石油の対外依存度は30パーセントを超
え、2004年には一億トンもの石油を輸入している。この石油は
中東からインド洋を通り、南シナ海を経由して入ってくる。さ
らに沿岸の北半分に石油を送るには、台湾海峡を通らねばなら
ない。中国にとって見れば、この大動脈も「海からの脅威」に
曝されているわけである。

■2.「屈辱の150年」は終わっていない■

「海からの包囲網」「海からの脅威」は、決して過去の記憶や、
妄想の産物ではない。1996年3月、台湾の総統選挙で李登輝再
選を阻止しようと、中国は台湾周辺海域で大規模な軍事演習を
行った。短距離弾道ミサイルの台湾近海に向けての発射実験、
台湾海峡における海軍と空軍による実弾射撃訓練、中国沿岸の
島への渡海・上陸作戦と、台湾侵攻の手順を見せつけたもので
あった。

 これに対し、アメリカのクリストファー国務長官が「中国の
演習は無謀な威嚇であり、危険な威圧だ」と警告し、横須賀か
ら原子力空母「インデペンデンス」率いる第7艦隊を出動させ、
台湾北部海域に展開した。同時に中東にいた原子力空母「ニミッ
ツ」を中心とする艦隊を台湾南部海域に派遣した。

 中国はこの軍事的圧力に屈した。彼らは改めて「海からの包
囲網」「海からの脅威」に阻まれ、「屈辱の150年」はまだ
終わっていない、と感じたろう。

■3.「中国の海」■

「屈辱の150年」を完全に終わらせ、中国が真に世界の大国
としての地位を取り戻すには、台湾を我が物にしなければなら
ない。それは「中華世界の復興」というような歴史的イデオロ
ギーだけの問題ではなく、現実の地政学的な要請である。

 かりに中国が台湾を領有できたとしよう。平和的な統一であ
れ、武力占領であれ、結果は同じである。「海からの包囲網」
も「海からの脅威」もまるでドミノゲームのように一挙にひっ
くり返って、西太平洋は「中国の海」となる。

 台湾には巨大な中国海軍の基地が築かれる。台湾海峡は完全
に中国の内海になり、台湾の東側海域も制海権内に入る。そこ
に中国の原子力潜水艦が出没し、機雷を自由に敷設できる。

 横須賀を母港とするアメリカの第7艦隊も、容易に中国沿岸
に近づけなくなる。アメリカの制海権は日本列島-台湾-フィリ
ピンをつなぐ第一列島線から、小笠原諸島-硫黄島-グアム島を
結ぶ第二列島線に後退するだろう。

 台湾の東側海域は日本が年間2億トン以上もの石油を輸入す
るシーレーンである。その海域の制海権を得ることで、中国は
日本の首根っこを抑えることができる。石油輸入を止められた
くなかったら、在日米軍を出動させるな、あるいは追い出せ、
と威嚇できる。

■4.南シナ海と東シナ海は「中国の海」になりつつある■

 中国はこのシナリオを目指して、着々と布石を打ってきた。
現代中国の軍事・外交を専門とする平松茂雄氏は、こう語る。

 中国は1949年の建国以来、一貫して国家目標を掲げ、
それを達成するために国家戦略を持ち、国家の総力をあげ
て、国家目標を達成してきた国だった。[1,p22]

 建国当初、何度もアメリカから核兵器で威嚇され、「たとえ
ズボンをはかなくとも」核兵器を開発する、と決意して、開発
を進め、いまや世界第三位の核兵器大国となった経緯は、弊誌
186号「貧者の一燈、核兵器〜中国軍拡小史」[a]で紹介した。

 この姿勢は海洋侵出についてもまったく同様である。73年ベ
トナム戦争からアメリカが手を引いた途端に、ベトナム沖のパ
ラセル(西沙)諸島をベトナム軍を武力排除して実効支配した。
南シナ海の中ほどに浮かぶスプラトリー(南沙)諸島には87年
頃から侵出を始め、米軍がフィリピンから引き揚げた92年以降、
恒久的な軍事施設を建設した。

 68年に尖閣諸島付近の大陸棚に膨大な海底油田が発見される
と、中国は、突如、尖閣諸島は自国領土だと主張を始め、70年
代から海底探索を行い、80年代にはボーリング調査を実施し、
90年代にはガス田開発を開始した。2004年に日中中間線のすぐ
中国側で採掘施設が姿を現すと、中川昭一経済産業大臣が、日
本側の石油資源も吸い取られてしまうと抗議をして、ようやく
日本国内がこの問題に注目した。以後、日本政府の抗議に対し
て、中国政府は共同開発などの提案をして時間を稼ぎながら、
その間に着々と工事を進めている。[b]

 ちなみに尖閣諸島は、台湾と沖縄の中間地点にあり、ここに
軍事基地を作れば、台湾、および沖縄の米軍基地を威圧するに
は絶好の位置にある。さらに沖縄本島と宮古島の間を通って太
平洋に出るルートを開くことにもつながる。

 南シナ海と東シナ海はその名の通り、着々と「中国の海」に
なりつつある。

■5.太平洋海域における中国の海洋調査■

 中国海軍は、日本列島-台湾-フィリピンをつなぐ第一列島線
の内側は片付いたとして、小笠原諸島-硫黄島-グアム島を結ぶ
第二列島線までの西太平洋海域の調査を始めた。2001年末から
03年にかけて、東は沖縄本島から西は小笠原諸島まで、北は種
子島から、南は沖ノ鳥島までの広大な海域を海洋調査船で綿密
に調査した。経度で言えば小笠原諸島は房総半島よりも東であ
り、また緯度では沖ノ鳥島は、台湾よりさらに南である。その
大半は日本の排他的経済水域である。

 その目的は、海洋資源調査のみならず、水深や潮流に関する
データを集め、将来、アメリカの空母機動部隊がやってきた時
に、潜水艦隊を展開し、機雷を敷設する準備をしたものと見ら
れている。

 日本国民はわが国太平洋海域におけるこうした調査活動を知
らされていなかった。外務省中国課が、国連海洋法条約に規定
されている「科学調査」と解釈し、かつ「許可」を求めてきて
いるから合法的であり、したがって公表する必要はないという
理屈であった。平松氏はいくつかのメディアを通じて、中国の
海洋調査活動に関して警鐘を鳴らしたが、大半の国民も無関心
のままであった。

 拉致問題と同様で、政府とマスコミの意識的、あるいは無意
識的な怠慢が、ここまで事態を悪化させたのである。

■6.沖ノ鳥島を狙う中国■

 2004年には、わが国最南端の領土である沖ノ鳥島周辺海域で、
中国海軍の測量艦や海洋調査船が事前通報なしの調査活動を行っ
た。この年だけで34回もの不法調査が確認されている。[2]

 沖ノ鳥島は満潮時に海面下に水没しそうな小さな二つの岩か
らなっている。しかし、この島を中心に半径200カイリの円
を描くと、わが国の陸地国土面積に匹敵する広大な排他的経済
水域となる。そして、この海域の海底にはコバルト、マンガン
などの希少金属が埋蔵されているとみられている。

 日本政府はさすがに通報なしの違法調査に対して抗議をした
が、中国は取り合わなかった。「人間が居住または独自の経済
生活を維持することのできない岩は排他的経済水域や大陸棚を
有しない」との海洋法条約の規定を中国は援用して、沖ノ鳥島
周辺海域を日本の排他的経済水域と認めず、従って同島周辺海
域での調査活動に際して日本政府の許可を得る必要はないと主
張したのである。

 中国はベトナムに近い南沙諸島海域の岩礁に掘っ立て小屋を
立てて人を住まわせ、周辺の排他的経済水域の権利を主張した。
同様に日本政府も沖ノ鳥島の排他的経済水域を守ろうと、灯台
を建設したり、サンゴ育成を行う計画を発表した。

 中国が沖ノ鳥島を狙う理由は、海洋資源だけではない。沖ノ
鳥島からグアム島までは約1千キロ。そこには米国海軍の原子
力潜水艦の基地がある。

■7.グアム島近海にまで出没した中国原潜■

 海洋調査船の調査が終われば、次は潜水艦による調査である。
2004年10月中旬には、中国海軍の原子力潜水艦が青島の基地
を出航し、東シナ海を南下、10月下旬に沖縄本島と宮古島の
間の海域を通って太平洋に出た後、11月初旬にはグアム近海
150キロまで接近して周囲を一周し、北上して日本の種子島
近海に達した。この際に石垣島近辺の日本の領海を侵犯したた
め日本政府が抗議し、中国政府も反中感情の盛り上がりを心配
したのか、めずらしく遺憾の意を表明した。

 この原潜は米軍の対潜哨戒機が発見、その後、海上自衛隊が
追尾したが、それを逃れるために「海底すれすれの状態」で潜
行しており、海上自衛隊は「海底を熟知している証拠で、練度
は高い」と分析している。

 ワシントンのシンクタンクで中国人民解放軍の研究を専門と
するラリー・ウォーツェル氏は、産経新聞のインタビューに答
えて、中国政府の意図として、海図調査以外に、日本側の対応
のテストがあった、と述べている[3]。「具体的には日本のど
んな対応をみるのか」との質問に:

 自衛隊がどれほど早くその潜水艦の動きを探知し、どん
な追尾や防衛の手段をとってくるか。日本の対潜能力をみ
るわけだ。また日本の政治指導部の対応も観察される。そ
の背後には中国側のさらに大きな戦略的な意図がある。

「戦略的な意図とは」の質問に対しては、こう答えた。

 中国海軍の近代化の中心人物となった劉華清提督(元党
中央軍事委副主席)が十数年前に言明したことだが、中国
軍の長期の戦略目標は太平洋海域では千島列島から日本列
島の東、パラオ、ミクロネシアへと南下する諸島連鎖の線
までをコントロールすることだという。そのためには航空
戦力とともに潜水艦の能力も大幅に増強せねばならない。
中国の原潜が日本列島のすぐ南を経て、太平洋海域へと進
出していくという構図はこのきわめて野心的な長期戦略の
一端であり、今回の侵犯もそういう背景でみるべきだ。

■8.米空母は中国の潜水艦に撃沈されかねない■

 この時の中国原潜の動きは、米軍や海上自衛隊によって探知
されていた。しかし、昨年10月末には、沖縄近海の太平洋上
で、米空母「キティホーク」が中国海軍の通常型潜水艦の追跡
を受け、魚雷などの射程圏内に接近されても探知できなかった
という事件が起こった。後方約8キロの水上に浮上した潜水艦
を哨戒機がようやく発見したのである。

 この2年ほどで、中国の潜水艦の内部騒音に関する技術的改
良が進み、それだけ発見しにくくなっているのであろう。この
型の潜水艦は、ロシア製の誘導型魚雷のほか、対艦ミサイルを
搭載している。実戦であれば、空母キティホークは中国潜水艦
からの魚雷かミサイルにより撃沈されていた可能性もある。

 1996年3月の李登輝再選の際には、中国はアメリカの二つの
空母機動部隊に威圧されて引っ込んだが、今は空母が台湾近海
に近づく事すら大きな危険を伴う。

 中国の軍事政策研究で知られるリチャード・フィッシャー氏
は、産経新聞のインタビューで「中国は2010年までに50隻か
ら60隻の近代的で、精鋭の潜水艦を保有するようになる」と
予測した。米国が世界中に展開している原潜が55隻なので、
それに匹敵する潜水艦部隊を中国は西太平洋に展開できるので
ある。[4]

■9.日本を「中国の海」に浮かぶ孤島列島にするのか■

 台湾に中国の潜水艦基地が作られ、西太平洋に数十隻もの中
国の原潜がうようよする「中国の海」となれば、日本はその中
にポツンと浮かぶ孤島列島となる。大陸本土からの核ミサイル
ばかりでなく、太平洋沿岸に潜行する原潜からも核弾頭付き巡
航ミサイルが撃ち込まれる脅威にも曝される。そしてシーレー
ンを握る中国は、いつでも日本の石油輸入をストップできる。
あえて武力に訴えなくとも、日本は中国の一服属国に成り下が
るだろう。親中派の政治家とマスコミが国内をリードして、経
済援助や対中投資という形で、世界第二の経済大国からの朝貢
は思いのままとなる。

 1995年、当時の首相であった李鵬は、オーストラリア首相と
の会談で、「日本などという国はこのままで行けば、20年後
には消えてなくなる」との発言をしたと伝えられている。これ
は単なる予言ではなく、日本を上述のような服属国にしようと
いう中国の国家意思を表したものと考えられる。

 我々の子どもや孫の世代に、中国の服属国民という悲哀を味
あわせないためには、今のうちに我々が国家の独立と安全を維
持すべく努力しなければならない。日米同盟が世界第1位と2
位の経済大国、技術大国の結びつきである事を思い起こせば、
中国の国家意思を打ち砕くだけの体力は十分にある。あとは自
分たちの独立と自由を維持しようという国家意思の問題である。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(186) 貧者の一燈、核兵器〜中国軍拡小史
 9回の対外戦争と数次の国内動乱を乗り越えて、核大国を目
指してきた中国の国家的執念。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog186.html
b. JOG(152) 今日の南沙は明日の尖閣
 米軍がフィリッピンから引き揚げた途端に、中国は南沙諸島
の軍事基地化を加速した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog152.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 平松茂雄『中国は日本を併合する』★★★、講談社インターナ
ショナル、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4770040318/japanontheg01-22%22
2. 産経新聞「EEZ内 中国船 34回目の侵入 沖ノ鳥島周辺
海域 激増、昨年の4倍超」、H16.12.11、大阪朝刊、3頁
3. 産経新聞「中国原潜、領海侵犯の狙い 潜水艦戦力を増強 日
本、海上安保へ投資拡大必要」、H16.11.20、大阪朝刊、6頁
4. 産経新聞「中国潜水艦が追跡、射程に 米空母気づかず 沖縄
近海」H18.11.15、東京朝刊、1頁

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108181813.html



_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「中国、太平洋侵出の野望」に寄せられたおたより

yoshieさんより
 日本外交のあまりにも弱すぎる面々に時々不安を感じていま
したが、今回の「20年後に日本などという国はない」という
極端な中国首相の発言には寒気がし、また怒りで数日このこと
が頭から離れませんでした。

 私は外国に永住して数年が経ちますが、日本を出て思うこと
は、日本特有の「協調性」「親切」「無言実行」「誠実」「謙
遜」などの道徳観と「争いを好まない」習性は、外国では格好
の餌食になりやすいという現実です。

 いろいろな民族と接していると、どこまで、自分の主張や利
益にそって生活できるかと、自分の人生の目標を達しうるうる
かに最大の焦点がおかれ、日々「生きることが戦い」であるこ
とを思い知らされます。顔色をうかがいながら、使える奴はと
ことん使うのです。またどのような状況下でも自分が他の下に
なることを嫌い、能力がなくとも口達者に常に自分が上であろ
うとします。実際、能力のある者を従える力があれば自分に能
力はなくてもいいのです。

 この人間関係の延長が国の外交で、今回の日本の反応をため
しながら、事を成し遂げようとする中国の様は私が日頃から目
の当たりにしている人間関係とまったく同じです。

 謙虚で勤勉な日本人は能力や金といった貴重な財産を惜しげ
もなく他に与え続け、恩知らず、礼儀知らずの諸外国はその上
にあぐらをかき、中国首相の発言のように恩を仇で返す結果を
招くのです。

 最近のニュースでも「日本技術の協力を隠して中国の新幹線
始動」とありましたが、一体日本はいつまで慈善事業を続ける
のでしょうか。それとは裏腹に自国の利益のみを追求し、日本
が中国の従属国となるような構想を抱かせている愚かな現実を
いつまで見過ごすのでしょうか。

 外国では日本でいう「親切・優しさ」という概念はときに
「弱さ」といい、「ずるい」という概念は「賢い」といわれて
いることを私たちは肝に銘じるべきです。中国はずるいのでは
なく、彼らの概念では「賢い」のです。日本が「愚か」なだけ
で、そこには罪悪感が生まれるわけがありません。私たちが
「ずるい行動」と捉え物事を躊躇している間に、諸外国は「賢
い行動」と正当化し、迅速に事を成しとげてみせるのです。

 日ごろから、戦う術を知らない平和な日本人は脅しや情に弱
いということを外国人たちのほうがよく心得ています。諸外国
の道徳観や価値観を知り、世界から見た日本人という民族性と
日本人は世界でどう振舞うべきかを学び、国民一人ひとりのレ
ベルで外交を考える教科があってもよいのではとさえ思う昨今
です。外国のいうところの「賢い」日本外交はいつ実現しうる
のでしょうか。世界レベルではまだまだ腰が低すぎます。

 国際社会の中で日本はトップであり続けてほしいと願ってや
みません。
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by thinkpod | 2007-02-01 16:15 | 中国
2006年 12月 07日

「南京大虐殺」の創作者たち

中国の中央宣伝部に協力した欧米人記者たち

■1.中国のプロパガンダ機関の協力者だった欧米記者たち■

 1937(昭和12)年12月18日、ニューヨーク・タイムズ
に次のような記事が載った。

 南京における大規模な虐殺と蛮行により・・・殺人が頻
発し、大規模な略奪、婦女暴行、非戦闘員の殺害・・・
南京は恐怖の町と化した。・・・恐れや興奮から走るもの
は誰もが即座に殺されたようだ。多くの殺人が外国人たち
に目撃された。[1,p106]

 日本軍の攻撃により、中華民国の首都・南京が陥落したのが
12月13日未明。その二日後、15日に南京を脱出したアメ
リカ人記者ティルマン・ダーディンが発信した記事である。事
件当時、現地にいた中立的なアメリカ人記者が書いた記事なら、
誰でもが事実だと信じてしまうだろう。実際に、現在の日本の
中学校歴史教科書でも次のように書かれている。

 1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の廬構橋で日本
軍と中国軍との衝突がおこり、宣戦布告もないまま、日本
軍は中国との全面戦争をはじめた(日中戦争)。年末には
日本軍は首都南京を占領したが、そのさい、20万人とも
いわれる捕虜や民間人を殺害し、暴行や略奪もあとをたた
なかったため、きびしい国際的非難をあびた(南京事件)
[日本書籍、平成13年版]

 しかし、事件から70年近く経って、ダーディン記者をはじ
めとする、当時の南京にいた欧米人のジャーナリストの一部は、
実は中国側のプロパガンダ機関の協力者であったことが明らか
にされたのである。[a]でも紹介した亜細亜大学教授・東中野
修道氏による『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』が明
かした事実を追ってみよう。

■2.二人のプロ編集者■

 東中野教授は、台北の国民党党史館で『中央宣伝部国際宣伝
処工作概要 1938年〜1941年4月』という資料を見つける。蒋
介石の国民党は軍事的に劣勢であったため、南京陥落の直前か
ら宣伝戦に総力を挙げていた。そのための機関が「中央宣伝部」
であり、その中の一部門で特に国際宣伝を担当していたのが
「国際宣伝処」である。この「国際宣伝処」が、南京陥落前後
の3年間に行ってきた工作を記録したのが、この資料なのであ
る。冒頭のダーディン記者の名は、この資料の中で工作の対象
として何度も登場する。

 中央宣伝部で、国際宣伝の中心を担っていたのが、宣伝部副
部長の薫顕光と、国際宣伝処の処長・曽虚白の二人であった。
薫顕光はアメリカのミズーリ大学とコロンビア大学大学院に留
学し、『ニューヨーク・イブニング・ポスト』などの記者を経
験した後、中国に戻って『北京英文日報』などの編集長を長ら
く務めた。薫顕光も米国のセント・ジョンズ大学を卒業し、南
京大学教授を経て、上海の『大晩報』の編集長に転じた。

 二人とも欧米のジャーナリズムに明るく、またプロの編集者
であった。欧米のマスコミを通じた国際宣伝には、まさに格好
の人材であった。

■3.「国際友人」による「われわれの代弁者」■

 薫顕光は「宣伝という武器は実に飛行機や戦車と同じく重要
だ」と考え、1937年11月中旬に、従来の組織を大幅に再編強
化して、曽虚白を処長とする国際宣伝処を発足させた。

 曽虚白は、その自伝の中で「われわれは目下の国際宣伝にお
いては中国人みずから決して前面にでるべきではなく、われわ
れの抗戦の真相と政策を理解してくれる国際友人を探し出して、
われわれの代弁者となってもらうことを話し合った」と述べて
いる。

「国際友人」とは、主に中国に在住する欧米の記者や学者であっ
た。特に新聞は雑誌や書籍に比べて発行部数が多く、それだけ
多くの人々の目に触れる。上述の資料では「各国新聞記者と連
絡して、彼らを使ってわが抗戦宣伝とする」として、

 われわれが発表した宣伝文書を外国人記者が発信すれば、
最も直接的な効果があるが、しかしそのためには彼らの信
頼を得て初めてわれわれの利用できるところとなる。この
工作は実に面倒で難しいが、決して疎かにしてはならない。
[1,p45]

 ジャーナリストとしての良心を持つ人間なら、「われわれが
発表した宣伝文書」をそのまま自分の記事であるかのように発
信したりはしないだろう。逆に、国際宣伝処の存在やその工作
自体を報道されたら、ぶち壊しになってしまう。薫顕光と曽虚
白が「実に面倒で難しい」というのは、一人一人の外国人記者
が、「われわれの代弁者」になってくれる人物かどうか、慎重
に見極める点にあったのだろう。

■4.「外国人記者を指導した」■

 そのための工作として、国際宣伝処が行ったのは、頻繁な記
者会見や、講演会、お茶会を開くことだった。『工作概要』で
は、その実績をこう記録している。

 1937年12月1日から38年10月24日まで、漢口で
行った記者会見では、軍事面については軍令部より報告し、
政治面は政治部が担当し、外交面は外交部(外務省)が発
言して、参加者は1回の会見で平均50数人であった。会
見は合計3百回開いた。[1,p47]

 また「1938年度は毎日1回お茶会を開く」とあり、外国人記
者たちとの間で、親密な会話が行われた模様だ。

 通常及び臨時会議のほか、外国人記者は民衆文化団体、
国民外交協会、反侵略会、新聞同業者の集会などに参加す
るよう、毎週平均2回、外事課(JOG注:国際宣伝処の一部
門)から外国人記者に通知し、外国人記者を指導した。各
集会に参加した外国人記者と、外国駐在公館の職員は、毎
回平均35人であった。[1,p47]

「外国人記者を指導した」という表現に、本音が出ているよう
だ。こうした工作の効果はどうだったのか。

 外国人記者たちは、平素は当処(国際宣伝処)が誠心誠
意宣伝指導にあたっていることから、そうとうに打ち解け
た感情を持っている。そのほとんどはわが国に深い同情を
寄せてくれてはいるが、・・・[1,p53]

 頻繁な接触を通じて、外国人記者たちは中国に「深い同情」
を寄せてくれるようになったのである。

■5.検閲と洗脳■

 前項の引用文はこう続く。

しかし新聞記者は何かを耳にすると必ずそれを記録すると
いう気質を持っているので、噂まで取り上げて打電するこ
とにもなりかねない。含蓄をこめた表現で、検査者の注意
を巧みに逃れることにも長けている。中国駐在記者が発信
した電報を各国の新聞が載せれば、極東情勢に注目してい
る国際人士はそれを重視するものであるから、厳格に綿密
に検査する必要がある。妥当性に欠けるものは削除または
綿密に検査する必要がある。妥当性に欠けるものは削除ま
たは差し止めにしたうえで、その理由を発信者に説明し、
確実に了解を得られるようにして、その誤った観点を糺
(ただ)した。[1,p53]

 外国人記者たちが本国に打電する内容で「妥当性に欠ける」
ニュースは「削除または差し止め」とされ、「その誤った観点
を糺」した。これはもう完全な検閲と洗脳である。その検閲は
次のような方法で行われた。

 あらゆる電報は初級検査を受けたのち、問題がなければ、
検査者が本処(国際宣伝処)の「検査済みパス」のスタン
プを押し、電信局へ送って発信する。もし取り消しがある
場合は「○○の字を取り消してパス」のスタンプか、ある
いは「全文取り消し」のスタンプを押す。[1,p54]

 電信局は国民党政府に管理されているので、外国人記者たち
は国際宣伝処の検閲を通った記事しか本国に打電できなかった
のである。

■6.「竇奠安(ダーディン)が私のオフィスに駆け込んできて」■

 国際宣伝処に「そうとうに打ち解けた感情」を持った記者の
一人が上述のダーディンであった。薫顕光は次のように記して
いる。

 11月19日になると、私の『大陸報』時代の同僚で、
現在は『ニューヨーク・タイムズ』の中国大陸駐在記者で
ある竇奠安(ダーディン)が私のオフィスに駆け込んでき
て、すでに蘇州は陥落したという悪いニュースをもってき
た。その翌日、私は蒋(介石)委員長から直ちに南京を離
れて漢口へ行くようにという命令を受け、蒋委員長は私と
曽虚白の乗るその夜の船を予約してくれた。ところが、突
然、蒋委員長から、竇奠安(ダーディン)に渡して『ニュ
ーヨーク・タイムズ』へ発表する電報文の内容を翻訳して
ほしいという要請があった。[1,p42]

 ダーディンは薫顕光のオフィスに駆け込んできたり、蒋介石
から直接指名を受けるなど、いかにも緊密な連携関係であった
事が窺える。

 ダーディンは南京陥落2日後の12月15日に南京を脱出し
たのだが、その際に冒頭の記事を書いた。いかにも自らの実体
験のような描写であるが、よく読むとこの部分は「殺されたよ
うだ。多くの殺人が外国人たちに目撃された」と、伝聞を書い
ているに過ぎない。

 実はダーディンのこの記事は、南京大学教授で著名な宣教師
だったマイナー・ベイツが書いてダーディンらに送ったレポー
トを下敷きにしたものである。ベイツは中華民国政府顧問だっ
た。

■7.ベイツのレポートを下敷きにしたダーディンの記事■

 ベイツのレポートと、ダーディンの記事を比べてみよう。

ベイツ: 恐怖と興奮にかられて駆け出すもの、日が暮れてか
ら路上で巡警につかまったものはだれでも即座に殺さ
れたようです。

ダーディン: 恐怖のあまり興奮して逃げ出す者や日が暮れて
から・・・巡回中のパトロールに捕まった者は誰でも
射殺されるおそれがあった。

ベイツ: 市内を見まわった外国人は、このとき通りには市民
の死体が多数ころがっていたと報告・・・

ダーディン: 市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの
通りでも民間人の死体を目にした。

 ダーディンの記事がベイツのレポートを下敷きにしている事
は、一目瞭然であろう。そのベイツのレポートも、「即座に殺
されたようです」「死体が多数ころがっていたと報告」と伝聞
体でしか、記述していない。

 もしベイツやダーディンが実際に市民が虐殺される様を見て
いたら、間違いなく自ら見た事実をそのままに伝えていただろ
う。しかし、実際に陥落後の南京にいたベイツもダーディンも
伝聞でしか、書けなかったのである。

■8.「お金を使って頼んで本を書いてもらい」■

 ベイツは中華民国政府の顧問であり、薫顕光とも交友があっ
た。薫顕光の宣伝に協力して、ダーディンらに記事を書かせよ
うと、このレポートを送ったのである。

 ベイツのレポートは、南京陥落の翌1938(昭和13)年7月に
出版された『戦争とは何か −中国における日本軍の暴虐』に
も掲載された。『工作概要』には、中央宣伝部がこの本を対敵
宣伝物として出版したという記述がある。

 この本の編者は、英国『マンチェスター・ガーディアン』紙
中国特派員ハロルド・ティンパーリ記者であったが、戦後出版
された『曽虚白自伝』では、中央宣伝部がティンパーリ記者に
「お金を使って頼んで本を書いてもらい、それを印刷して出版」
したという証言が記されている。[b]

 この本は、現在でも「南京大虐殺」を主張する人々が典拠と
しており、70年近くもプロパガンダとしての影響力を発揮し
ている。

■9.ベイツへの二つの勲章■

 東京裁判で「南京大虐殺」が裁かれた時、3人の欧米人が証
人として出廷した。ウィルソン医師は「2万人からの男女子供
が殴殺された」と述べたが、実際に彼が見たのは病院内の患者
だけで、「2万人殴殺」の確証は示せなかった。マギー師も日
本軍の殺人、強姦、略奪を証言したが、自分自身ではどれだけ
見たのか、と反問されると、「ただ僅か一人の事件だけは自分
で目撃しました」と述べたに留まった。

 もう一人の証人がベイツであった。ベイツは4万人の不法殺
害を証言したが、それはベイツ自身がレポートに書いた内容と
同じであった。しかし、彼は自分が中華民国のアドバイサーで
あったことも、ダーディンらにレポートを送ったことも、そし
て『戦争とは何か』の分担執筆者であったことも秘密にしてい
た。

 一方、「南京事件」を世界に告発したダーディンやティンパ
ーリは、東京裁判に出廷しなかった。出廷して反対尋問を受け
たら、彼らの記事が何らの事実に基づいていないことが露見し
てしまう恐れがあったからであろう。

 ベイツは1938年と1946年、「日本との戦争中の人道的奉仕」
に対して中華民国政府から勲章を授与された。1938(昭和13)
年は、ベイツが分担執筆した『戦争とは何か』が中央宣伝部か
ら出版された年でであった。1946(昭和21)年は、ベイツが東
京裁判に出廷して「日本軍4万人不法殺害」を証言した年であっ
た。

 その後、中共政府は被害者数を30万人にまで膨らませて、
プロパガンダとして使い続けている。「南京事件」は戦時プロ
パガンダとしては、史上最高の傑作であった。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(079) 事実と論理の力
 南京事件をめぐる徹底的な学問的検証、あらわる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog079.html
b. JOG(229) 国際プロパガンダの研究
 文書偽造から、外国人記者の活用まで、プロパガンダ先進国
・中国に学ぶ先端手法。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog229.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
(まぐまぐ版では、httpのあとに「:」を補ってください)

1. 東中野修道『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』★★、
草思社、H18
http //www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479421488X/japanontheg01-22%

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/107511148.html?page=2
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by thinkpod | 2006-12-07 02:25 | 中国
2006年 10月 28日

北朝鮮への制裁の一環として「送金停止」に踏み切った中国

   でも本当の狙いは「制裁」ではなく、「人民元経済圏」に組み込むのが狙い
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 日本の新聞を読んでいると、まるで中国が北朝鮮を制裁しているかのごとき、である。
 弊紙1600号で伝えたように、中国の対北朝鮮制裁はジェスチャー、現場では制裁前となんら変わりない交易、貿易、交流風景が展開されている。

 吉林省南坪ではトラックが対岸の茂山鉱山とのあいだを、いつものようにコンボイを組んで往復し、丹東の荷物検査は好い加減であり、長白山、図門の国境も人の出入りは変わらず、そもそも石油輸送のパイプラインは停止されていない。

 「送金停止」?
 ドル送金だけで、人民元は自在である。

 要するに中国の狙いは、この機に乗じて、北朝鮮を「人民元経済圏」に組み込むことであり、制裁は口実にすぎない。以前にも紹介したと思うが、中国人は(公然と文章化してはいないが)、最近、「東北四省」という呼び方をする。

 つまり黒龍江省、吉林省、遼寧省が「東北三省」(旧満州)。これに北朝鮮を勝手にくわえて、「東北四省」。貿易港、鉱山、石炭鉱区を買い取った中国にとっては、すでに北朝鮮は「中国の」“経済植民地”という潜在意識であり、どうして、この地域の発展をさまたげるような制裁に手を貸すであろうか?

 (やっぱり日本の国際情勢の舞台裏を読む力は弱いですねぇ。ま、周辺は平和を希求する国ばかりであると教唆した、連合国原作の“ヘイワ憲法”をまだ墨守しようとしている国ですから、謀略は存在しない、という基本認識なのでしょうか)。
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(読者の声1)防衛庁防衛研究所主任研究官・武貞秀士氏は北朝鮮による核実験を予想していた数少ない識者ですが、彼の分析によると北朝鮮は北主導で南北朝鮮を統一するという政策目標に向かって行動しており、その目標に照らして現在は格好の時期であると見なしている。
具体的には、
 ●韓国に親北朝鮮の政権がある
 ●韓国の世論の大勢も親北朝鮮である
 ●中国は欧米に向けては北朝鮮に強硬な姿勢を示しても実態としては融和措置を続ける
 ●アメリカは韓国から手を引きつつあるし、韓国の政権も、それを促進させている
 ●アメリカにとってはイランのほうが重要で、核兵器を拡散しない限り北朝鮮の核武装を黙認する可能性が高い。
 ●アメリカでは次の政権が北朝鮮融和的な民主党政権になる可能性が高い。ブッシュ政権とは2カ国間交渉ができる余地はないので、できるだけ時間稼ぎをして、その間に核兵器と長距離弾道ミサイルを完成させる。そうして北主導で南北統一をする際に、アメリカ軍の介入を抑止する。
以上のように分析されています。
日本人にはにわかには信じられない話ですが、韓国の政権は確かに北朝鮮に国ごと売りかねない勢いで様々な政策を実行したり、しなければならないことをサボタージュしています。
日本も戦前、民主主義の体制でしたが、ナショナリズムのほうに価値をおいて実質的に民主主義を放棄しました。韓国も同じような過ちに進む可能性があるように思います。
中国は北朝鮮制裁に踏み切ったように日本からは見えます。
しかし実態としては北朝鮮に対して外貨送金は禁止したが人民元での送金は禁止していないとか、国境で検査はしているが取り締まりはしないとか、世間を欺いているだけの可能性も高そうです。
こうした武貞さんの分析についてどうお考えになりますか?
  (A生、東京)


(宮崎正弘のコメント)断片的な回答になりますが、武貞氏の分析はとても客観的で、イイ線をいっているな、と何時も感心しております。
二十年近く前、韓国でのセミナーで小生と高坂正堯先生、黒田勝弘特派員らが講演したおりに当時駐韓大使館勤務だった氏も参加されていて、ソウルの会場で初めてお目にかかりました。
 とくに次の米国政権は民主党に転ぶ可能性が高く、あと二年間時間稼ぎをすれば良いと考えているのが金正日でしょうし、これに呼応する韓国の左翼政権も、親米路線の野党を封じ込めて、北の核保有を拡大したい、と考えている。なぜなら「北の核」は統一後、日本向けに使えるからです。これが韓国国民の大半の潜在的欲求です。
 とはいえ、シナリオはシナリオであって、どういう展開になるかを予測することは、それに対応するシナリオをつねに用意するのが国家であり、この対応策がきわめて杜撰な日本の惨状のほうが、より深刻でしょう。
 中国の制裁ジェスチャーに関しては1600号(27日付け)小誌でもすでに分析済みですし、後者の送金停止のホンネはこの号の冒頭に書いたとおりです。

http://www.melma.com/backnumber_45206_3404179/


平成18年(2006年)10月27日(金曜日) 
通巻第1600号

北朝鮮制裁は中国の裏切りで早くも「ザル法」
 鉄鉱石を運ぶトラックが45台、毎日、吉林省南坪と茂山鉱山を行き来している
************************************

 ヘラルド・トリビューンが現場の写真をすっぱ抜いている(10月25日付け、16面)。

 北朝鮮北部の茂山鉱山は鉄鉱石の宝庫、日本時代から開発は進んでいた。
 鉄鋼需要が著しい中国は鉄鉱石の輸入を豪州やブラジルの他に、この北朝鮮鉱区にも依存し、大量の鉄鉱石を輸入している。

 40噸トラックが毎日45台、吉林省南坪(図面江に添って延吉の南南西およそ50キロ、和龍市南坪鎮に位置する)から向かい側10キロの茂山鉱山との間を往復している。
 日量にして1800噸!

 国連の北朝鮮制裁決議に同調した「そぶり」を見せて、中国は巧妙な二枚舌外交を展開し、実質的制裁をしていない。
「荷物検査を強化している」と中国は言う。
 ところが『タイム』(10月30日付け)は鴨緑江に面した丹東市へ飛んで検査現場を取材した結果、「検査は体裁だけ強化されたかにみえ、事実上は(西側への)ショーにすぎない」とのルポを掲げている。
 [inspections are a little stricter、but it’s really just for show]と。

 中国の鉄鉱石輸入は昨年二億七千五百万噸と前年比32%もの急増を示した。
 98年比で北朝鮮と中国との貿易は三倍となり金額にして44億ドル。北朝鮮からの輸出の三分の二が、この鉄鉱石と石炭によるのである。
 
 とくに茂山鉱山からの鉄鉱石は3500万ドルの外貨を北朝鮮にもたらしており、オリンピックと不動産建設ブームに湧く華北の鉄鋼製品の需要を満たしている。

 南坪には真新しい三階建ての税関が完成。
ここで毎日トラックの積み荷を検査しているが、取り扱いは国有企業の「延辺天地工業貿易」が一手に引き受け、ここで製錬され吉林省の「東風製鉄」などに売却される。
同社が茂山鉱区の開発権(三十年から五十年といわれる)を五億ドルで買ったのだ。
 しかも東風製鉄は2007年度に現在の二倍、550万噸の生産拡大を目指しており、制裁なんぞどこ吹く風である。

 「金正日体制の存続は中朝国境貿易にかかっており、なぜ中国が北朝鮮制裁を嫌がるかは現場をみれば判る」とタイムは続けて言う。
 「日量原油の90%と食糧の半分を中国に依存している北朝鮮だけに中国が制裁を厳格に実施すれば崩壊は明らか。だが国境を越えて流れ込む難民を恐れ、また繁栄する人口240万の丹東市民も、現状維持をのぞんでいるからだ」。

 米国、日本、露西亜、韓国が国連制裁を支持し、経済制裁をつよめるなか、中国はジェスチャーとしての送金停止措置などで繕ったが、「南坪通関で目撃する限り、制裁前となんらの変化もない」(同ヘラルド紙、24日付け)。

 ま、そんなことだろうと想像はしておりましたが。。。

http://www.melma.com/backnumber_45206_3402067/



北朝鮮核実験後、中国から北朝鮮に、毎日四千トンの貨物を輸送

 【大紀元日本10月17日】国際社会の反対を顧みずに核実験を行った北朝鮮に、中共当局は、強い反応を示しているが、制裁を実施していない。中国から北朝鮮に、未だに毎日4000トン近くの貨物が輸送されており、その貨物にはあらゆる物が含まれているという。

 香港“文匯報”の報道によると、北朝鮮が労働党成立61周年の祝賀会を終えた11日、遼寧省丹東と北朝鮮との間を行き来する貨物車の流れが、再び活発になった。11日午前9時20分より、北朝鮮から丹東へ向かう車が相次いで現れ、車両の数は午前10時前後にピークに達した。車列は、通関から橋まで列をなしており、10時40分までに、合計で90台余りの2、30トン車が港を通過していった。

 当地運輸会社の責任者の話によると、現在、毎日170台余りの中国側車両が丹東市の国境を越えており、朝鮮側の車両も7、80台ある。朝鮮側からやってくる車は、基本的には全て中身が空であるが、車内に鉱産物、漢方薬の材料等を積んでいるものもある。一方、中国側車両の搭載貨物には全てが揃っており、果物、建材、プラスチック製品、ペンキ、電器、パン、ビスケット、大豆油、食料等、あらゆる物が含まれていた。

 この責任者の指摘によると、各車両に平均で25トンの貨物が搭載されているとして計算すると、毎日中国から北朝鮮に輸送される貨物の量は、4000トン近くになるという。

大紀元時報−日本
http://jp.epochtimes.com/jp/2006/10/html/d86825.html



「イラク石油利権と中国」
                    宮崎正弘
  

 世界に石油鉱区獲得に狂奔する中国だが、米国の苦戦を尻目にイラク北部のクルド自治区でも石油利権を確保した。
 スーダン、ベネズエラ、イランといった、米国が目の色をかえて警戒する重要拠点に対して中国は武器供与と交換で石油利権を片っ端から獲得してきた。
 要するに中国は世界石油市場における不安定要因、すなわち軍事のみならず経済的にも”脅威”である。
 昨今、石油価格は50ドル台に下降したとは言え、サウジは原産体制に入っており、中国の乱獲と爆発的消費により石油代金はまたまた一バーレル=80ドル台を窺うかも知れない。
 表向き、イラクと北朝鮮問題で、ブッシュ政権は北京を持ち上げ「戦略的パートナー」などと褒めそやしているが、他方、中国はその期待を裏切るかのように米国の世界戦略の要を、石油絡みの経済的側面から奇襲しているわけで米国の猜疑心はますます強まっている。
 米国が後ろ盾の新生イラクは、クルド、スンニ、シーアの三つ巴で泥沼化したままだが、クルド自治区が準独立国家となっていることは既成事実である。
 だからこそリアリスティックな計算を得意とする中国は電光石火の早業でクルド族に接近し、多くの利権を獲得したのだ。
 クルド自治区の最高幹部タラバニ議長が北京を訪問したのは2003年8月だった。 
 タラバニ「クルド愛国連盟」議長は、その後、イラク大統領になった。
 つづいて中国はタラバニのライバルでもある「クルド民主党」に急接近しマスード・バルザニ党首とも友好関係を結んだ。
「クルドの言いしれぬ過去の艱難に同情し、今後の“イラク連邦”の再建は重要である」とした北京のリップサービスに対して、バルザニは、「クルドスタンとして独立することに中国が前向きの努力をかたむけることを望みたい」と発言している(05年五月16日)。
 これまで中国は「独立分子」を「分離主義者」として一括して批判しつつ、過去にクルド族の独立に一貫して反対してきた。
もし少数民族の分離独立を認めると、中国は台湾問題ばかりか、チベット、ウィグル、蒙古族の独立を弾圧してきた過去の政策に整合性を失い、外交原則の基盤を自ら崩しかねない。
 それが分離独立運動の親玉をニコニコ薄ら笑いを浮かべながら受け入れたのだから矛盾も甚だしいのである。
「クルドの主張を尊重し、自治は保護されるべきである」と言いだしクルドのナショナリズムを前向きに評価し始めた。
 これまでのアジアアフリカ運動の主導権をとってきた中国は口を開けば「民族自決」を標榜してきてはいたが、クルド族幹部には「地域の安定が重要である」と都合の良い口上を付け加えたのである。
 この露骨すぎる変心の理由は極めて簡単かつ明瞭である。
 石油利権が目の前にあるからだ。
 中国はクルド独立の闘いを真剣に理解したり、同情を寄せたりした証拠は、これまで一度もなかった。
 1966年のクルドの叛乱を中国はバグダッドへの独立の闘いと言ってのけ、イラク政府との間が冷却した。ところが1975年の叛乱では一転してバグダッドについた。理由はサダムのイラクが膨大な中国製武器を買ってくれる巨大マーケット、フセイン前大統領は大事な顧客だったからだ。
 サダム・フセイン独裁政権は嘗てクルド族自治区の叛乱に手を焼いて、毒ガスをドラム缶ごと、当該居住区に空から投下し、五千人を殺した。
この残虐行為は世界中からの非難を浴びた。
トルコも、クルド族との長年に亘るゲリラ戦争に手こずり、国内クルドを弾圧してきた。シリア、イランしかり。
 クルドは世界中に散らばる。トルコに1450万人、イランに460万人、イラクに430万人。そしてシリアに100万人。そのほかを加算すると世界中で2300万ものクルド族が居て(ユダヤ人より多い)、しかも自分の国がないのだ。
サラディンはクルド族出身で、アラビア大帝国を築いた。クルド族は誇り高く勇猛果敢な砂漠の民である。
 しかもイラク北方、クルド自治区は91年の湾岸戦争以来、事実上の独立を達成しており、いまや石油開発は自治区の権限である。
この高原砂漠地帯にイラク石油の半分近く、およそ1300億バーレルが眠る。
第二の理由はトルコへの牽制である。
 トルコ国内にはウィグル独立を唱える分離独立グループが十数、アンカラやイスタンブールに本部を置いている。
かれらの代表は昨年、ワシントンに集合してウィグル独立憲法を制定している。
 ウィグル独立を目指すイスラム教徒過激派のなかには中国国内でいくつかのテロをおこない、北京を震え上がらせたグループもある。
 ウィグル人の悲願である「東トルキスタン独立」(現在の新彊ウィグル自治区)を武力で封じ込める北京は、血の弾圧をつよめる一方で後方支援ルートの根源がトルコ国内の独立派諸団体にあると見ており、トルコとの外交には激甚なすきま風が吹いている。
従前はクルド弾圧のための武器を当該諸国に輸出してきたのも中国だったが、それはそれ、これはこれ。外交原則なるものは朝令暮改の国であるだけにトップの鶴の一声で、いかようにも変わるのだ。
 2000年四月にアンカラを訪問した江沢民主席(当時)は、
「中国とトルコ両国は領内に互いに分離主義者を抱え、安定を欠いているが、国家の統一、テロリストとの闘いは共通している」と発言してアンカラ政府に牽制球をなげた。
 イラク北方クルド自治区の北部、山岳地帯を支配するのはバルザニ率いるクルド民主党である。この領域で04年にノルウェイのDNO社と発掘リグの試掘契約に同意しており、その発掘リグ操業の下請け企業は「長城発掘石油公司」(中国のコングロマリット)だ。僅か90日間で6000メートルの地下まで試掘できるリグを当該地域に建てた。
 またアルアダブ開発地区では、すでに中国のCNPCとノリンコ(中国北方工業集団)が一日8万バーレル、22年もの長期契約を12億ドル余で締結済みである。
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by thinkpod | 2006-10-28 06:37 | 中国
2006年 09月 05日

長野 郎『支那の将来と太平洋』 

(昭和二年七月(『拓殖文化』二八号)

四億の人口と廣大なる土地と無限の資源、それに四千年来特有の文化と社会とを有った支那は、世界殊に太平洋の将来に偉大なる役割を演ずるだろう。支那が太平洋に影響を及ぼす方面は大体三つある。第一は政治的影響であり、第二は経済的、第三は民族発展である。

欧洲大戦後アジアに起つた一つの大きな運動は民族解放である。エジプトの独立運動、トルコの復活、ペルシャ、アフガンの改革、インドの独立運動等皆それである。支那も亦その例に漏れず、数年前から解放運動が盛んに行われることになった。殊に孫文の率いる國民党は、その標語として、軍閥の打破と国家の解放とを掲げている。
その國民党が北伐の成功に伴って、殆んど南北支那を支配するに至ったため、解放の運動は更に一層の進捗を見せた。列國も原則としては支那の独立自由を認め、また不平等條約の撤廃にも賛成している次第であるから、支那の解.放が行はれ、完金なる独立と自由とを恢復することもあまり遠くないと思う。

ただ今日支那解放の最大障碍は外部に存在するに非ずして、かえって支那自身にある。即ち不統一混乱がそれである。例えば治外法権の撤廃にしても、かの不秩序無警察状態と、法律の保護、正式の裁判所及監獄の不備を以てしては、治外法権を捨てたくても捨てられない状況にある。

日本がアジアで最も早くこうした桎梏を脱し得たのは、日本が官民協力して国内の整備に努めたからである。この点では支那は大に日本に学ばなければならぬ。しかしそれはそれとして、支那が完全なる独立と自由とを得て、国内の統一と;秩序とを恢復し得た際、その東洋における地位は、非常に重きを加えて来るだろう。

支那には人口と土地と資源からして、世界を畏れしむる底力がある。日本のアジアにおける指導的位置は、新しき支那の出現によって余程変わってくるのだと思う。もしその際、日本が依然たる呉下の旧阿蒙であったならば、日本從来の拉置は支那に奪われ、日本は支那と協力してアジアのために尽すだけの力も無くなっているだろう。
支那人がこれに就いてどれだけの自負心を有っているかは、孫文の三民主義を見ても明らかである。孫文は言う、支那は人口において日本に六七倍し、土地において二三十倍しているから、吾人にして日本に学んで真に強盛になったならば、日本を十倍した程の強い國になるだろうと。

また曰く、支那は自ら解放を行った上は、世界における非圧迫民族の解放のために尽さねばならぬと、人種の平等と民族の解放とを達成して人類に寄与することが、支那民族の責任であると論じている。孫文がそう論じているだけで広く、國民党の宣言にも度々現われているし、また実際的にも、弱小民族聯合會等を國民党の一分派として造って見たり、たとえロシヤの指図に基いているとはいえ、極東労働會議を開催していることは、決して軽視するを許さない。

殊に支那の隣邦にはアジア未解放の諸民族がいるから、支那の解放は此等の諸國に甚大の影響を与えずにはいない。日本の決起によって黎明の曙光を仰ぎ見たアジア諸國は、さらに老大國支那の覚醒に依て一層解放の道に精進することになるだろう。その際日本が依然たる.旧態を存じ、因循姑息の方法を繰り返していたならばどうか、日本從来の地位と信望は一挙に葬られ去るだろう。支那の解放は大に喜ぶべきことで、吾人は之に謝して萬腔の同情と援助とを惜まないものであるが、同時に日本も現状に止まることなく、解放されたる支那と協同するためには、日本自身の実力を向上させ、相共に手を携えてアジヤ民族の解放に尽さなければならぬ。

次には支那の経済的方面の発展である。今日の支那は、混乱に次ぐに混乱を以てし、産業は建設よりも寧ろ破壊に向っているが、明日の支那は前途大に有望である。支那の経.済価は今日に非ずして将来にある。殊に藏されたる偉大なる底力にある。四億萬の労力、氣候温和にして地味豊かなる廣大なる土地、豊富なる鑛産物、これ等が真に利用され活用された場合には、世界の経済界に大なる影響を及ぼすだろう。

土地にしても今日の幼稚な農法が改良され、肥料、深耕、種子の選択、害虫駆除等が行われ、更に灌漑と排水の方法が巧くつけば、水害と旱災から免れ、更に広大なる新耕地が得らるるから、農業生産の量を現在の二三倍に増加することは敢て難事ではあるまい。かくて支那は原料としての綿、麻から羊毛絹絲に至るまで大なる供給國となるだろう。それに鑛山が探掘さるることになれば、今まで埋れていた無尽蔵の石炭、鐵、石油等の近代工業に必要な原料が幾らでも供給さるることになるから、支那には大に新式工業が興ることになるだろう。

支那の産業が大発展を遂げた場合、支那がいかなる経済的の行き方をするかは、太平洋全般に大きな影響を与えるものである。国民の方針はもちろん三民主義中の民生主義によって行われることと思うが、それによれば、一の国家社会主義党である。主要生産機関の国家管理を断行し、國際貿易についても国家がある程度の統制を加えんとするものである。
従って支那の産業の発達した場合、原料はまづ自国工業の用に供し、余りあれば他国に輸出するというのであるから、日本のごとき原料に乏しい国が、支那から十分に原料を得らるるかどうかは疑問である。
しかし支那の社会経済の組織から見ても、国民性から見ても、国家資本主義や国家社会主義が支那で成功しようとは思われない。支那は自由主義の経済組織を採って進むことに自然落ち着くだろう。その際問題になるのは二つの事項である。第一は極東に大資本國の出現することであり、第二は太平洋両岸における米支二大資本國の關係である。

今日の経済組織では、大資本は逐次小資本を圧迫併合していく、これ大量生産に比して万事好都合だからである。ところが大量生産を行うためには広大なる販路が必要であり、潤沢なる原料と資本労力の供給を要する。ところが支那には四億の民衆がいるから、もし将来支那の産業が発達してくれば、四億民衆の購買力は大に増加するだろう。その四億萬人の購買力を相手に産業を興せば、どんな大規模の生産でも出来る。即ち全欧羅巴が一の経済単位に帰したようなものである。
その場合この大量生産の波が太平洋の西岸を洗えば、日本が支那に発展する所ではなく、日本の太平洋岸一帯における販路も全く破壊され終るであろう。支那が真に統一され、産業が隆々として発展してきた場含には、日本の立場が苦しくなることは明かな現象だから、日本としては、それ以前に現在のような経済的不独立の地位から脱け出して、國民生活の自立を講じて置くことが刻下の急務だと思う。

第二の支那とアメリカとの關係はこれまた重視すべきものである。支那が大産業國になるために備へている要素は労力と土地と原料と販路とであるが、その欠けているところのものは資本と技術とである。その中技術は自国で何んとか都合が付くにしても、資本だけは外國に仰がねばならぬ。孫文もこの点については繰り返して説いている。

ところが支那の産業開発となれば、並大低の資金では追い付かない。数萬哩に亘る鐵道の敷設、築港、農事改良、鑛山の探掘、工場の設立等それ等に要する莫大なる資本を供給しうる國は米国を除いては他にない。今日支那がロシヤの勢力を引いて列強勢力の駆逐を試みているが、明日は米国の資金を仰いで大産業国にならないとも限らぬ。その場含米国資本の支那流入は當然覚悟しなければならぬ。もし支那が外国資本を嫌うことになれば、支那の産業開発は遅々として進まないからである。

従って日支経済提携の将来の如きもどうなるか分からない。
日本は大資本がなく、且つ工業が幼稚で支那の新興工業と多少競争的立場にあるが、米国は大資本を有し、その工業は進歩しているから、幼稚な支那工業と衝突するおそれがない。米貨排斥が起こらずして日貨排斥のみが起こったのも、こうした経済的理由に基づいた点もある。
従って支那産業の勃興に伴って太平洋の経済関係に種々の変化を示してくるだろう。或いはまた支那が一大資本国になった場合には、ここに米支の太平洋上における経済的争覇戦が起こらないとも限らぬ。とにかくその中間に挟まった日本の立場は、現在のままであると益々苦しくなるばかりである。

第三は漢民族の発展と太平洋の将来である。
漢民族は現在すでに四億の人口を有しているが、その増殖率は極めて著しいのにかかわらず、近年増加を見ないのは、支那における産業の不振から来ている。年々繰り返されている天災と戦争、産業の未開発は人民の道を塞ぎ、一度飢饉に見舞わるれば数十万に人民は流浪して餓死するもの数知れず、水害一度至ればたちまち数十県を浸して年を越うることが珍しくない。戦争の結果は全国の民生を安んぜず、かくて産業興らず農業廃れ、無職の徒は天下に溢れている。彼らは雇われて兵となり、流れては土匪に堕し、或いは.乞食の群に入って支那騒乱の因をなしている。支那の人口が増加し得ない原因はそこにある。

しかしもし一度支那がいかなる形式でか甦った場合、支那の産業は盛んとなり、四億の民はいたるところに職を得るようになるだろう。そうなれば、支那人の人口増加率は驚くべきものがあろう。欧州近代の人口増加は産業革命の結果である。産業革命後その人口は約三倍した。それと同じく、もし支那にも産業革命が行われた場合、支那は数十年にして現在の二倍する人口をもつことは予想し得られる。

太平洋の西岸に八億の人口を擁する國家の出現は、それが何等かの影響を与えずには置かない。殊にその人種が非常な発展力を有っているにおいておやだ。漢人種の國内外に対する発展は素暗しいものがある。国内では五族共和の支那は漢民族の支那に変りつつある。漢民族は他民族から力を以て征服されたが、今では逆に経済力を以て他を征服しつつある。

第一は満洲だ。
今日の満洲は満人の満洲でなくて漢人の満洲である。満洲にある満人二百萬人に対して漢人二千萬人、凡ての政治産業の機關は漢人に握られているではないか。
したがって満洲は最早民族自決による満人の満洲を造ることは出来ない。満人が支那を支配すること三百年、彼等は四億の漢人を統治するために満民族の全精カを傾けた。

その間に漢人種はじりじりと満民族の故土を侵しつつあったのである。満人が漢民族統治の夢から醒めて帰った時には、自分の古巣には漢人が居座っていた。丁度放蕩息子が女に迷うて夢が醒めた時には、家も田地も入手に渡つていたと同じ結果であった。

かくて五族共和は四族共和になったが、漢人の蒙古人に対する侵略もまた浸々として進んで行った。内蒙古は京綏鉄道の敷設と共に漢人種に侵略され、蒙古人は至るところで漢人種の圧迫を受けながら之に抵抗して民族戦を試みつつある。漢人種が外蒙古に侵入し得ないのは、外蒙古がロシヤ人の手中にあって、漢人種の侵入を防止しているからである。もしこの障壁が撤廃さるれば、漢人の商人隊は続々として外蒙に雪崩れ込むだろう。

回教徒も又同じことで、今日でもすでに回教徒と漢民族の混淆はかなり行われているが、
将来鉄道で新疆の辺境まで引き伸ばされた場合には、漢民族は忽ちにして殺到し、回族の新疆は漢民族の新疆と化すであろう。今日でも新疆はすでに漢民族によって統治されている。

次は西蔵(チベット)であるが、これも英国勢力が及んだり、交通が不便であったために漢民族の侵入は行われていないが、将来支那が統一されて強大な国家となり、鉄道でも敷設された場合には、漢民族の西蔵侵入はやはり行われるだろうと思う。かくて五族共和は表面だけで、漢民族専制の共和政治が行われ、五族を現す民国旗が青天白日旗に変わりつつあるように、支那も漢民族の支那に変わりつつある。

以上述べたような国内的発展と同様に海外に向かっても発展している。満洲方面に発展した漢人はさらに北進してシベリヤに進み、着々として成功しつつあるではないか。また南方支那の漢人種は安南シャムから海峡植民地一帯、さらに南洋諸島にかけて移住しほとんど土地の経済的実権を握っている。支那人全部が罷業すれば、一週間にして島民は飢餓に陥るといわれているところである。

今や南洋一帯における彼ら華僑の勢力は牢として抜くべからざるものがある。彼らはまたかって豪州にも発展したが間もなく排斥された。アフリカにもかなり出掛けた。こうして一度彼らの前に進路が開かれんか、彼らは潮のごとく進入して深く奥底にまで食い込んで行く。
太平洋の東岸アメリカにも支那人は大分発展した。しかしここでも至るところ排斥されているから、大したことは出来ない。漢人はまた日本にも大分入り込んでいる。もし日本が支那労働者の自由入国を許したならば、その結果は果たしてどうだろう。今日でさえも支那人はかなり入り込んで種々な仕事をやっているが、皆相当に成功している。もし無制限に許したならば、日本の労働者の生活は少なからず脅かされるだろう。

漢人種の発展力はとにかく偉大だ。彼等が発展し得ない所は人爲的に入國を禁止しているところに過ぎない。もし一度白人濠洲主義が破れ、米國の移民禁止が解かれたとしたならば、漢人は太平洋上到るところに進入し、太平洋を化して漢人種の太平洋となすかも知れない。今日のように支那が混乱している時代には、自國内で安全に生活し得ないために海外発展を求め、将来支那の産業が発達して人口が大増加を来した場合には、その余勢を以て海外に押し出すだろう。この太平洋沿岸一帯における漢人種発展の現状は、大に注目すべきものだと思う。

殊に日本の立場から見れば、日本も海外に発展すべき使命を有っているから、将来日本民族と漢民族とはその発展の途上において競争者の位置に置かるるだろう。そうした場合、結果は果たしてどうなるだろうか。今日までの実例を見て、吾人は日本民族の前途について愁えざるを得ぬ。日本の支配下にある旅順、大連でさえも、実勢力はどしどし漢人に占められつつあるではないか。

あの漢人種独特の社会組織、國民牲に対して、日本人の不組織乱雑と、國民性と、國家の援助のみを期待して自治力なき不ざまさでは、とても太刀打ちが出來そうにもない。満洲に根拠を得て二十年、この間日本は何をしたのか。広い満洲の平野に一本のレールを引っぱっただけで威張っている民族では、たとえ将来白人濠洲主義が撤廃され、米國が東洋移民を歓迎しても、日本人は漢民族の発展に圧せられて、全く手も足もでないようになりはしないか、ここに日本人一大奮発を要する。

http://www.melma.com/backnumber_45206/
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by thinkpod | 2006-09-05 01:24 | 中国
2006年 08月 31日

中国経済・社会の実像と虚像

              杉本信行

(前日本国際問題研究所主任研究員・前上海総領事)

1. 変化と不変化

 (1)  ここ数年来、上海を訪問する外国人は、異口同音に上海の急
激な変化に驚嘆の声をあげる。東京には20階建て以上の高層建築が1
00棟位しかないが、上海には既に4,000棟近く建っていると言わ
れている。しかもここ5年の間にである。

 (2)  しかし、問題はこれら高層ビルが立ち並ぶ表通りを一歩奥に
入った所にある。表通りに聳える巨大な建築群の裏には、延々と昔なが
らのレンガ作りの石庫門が続いている。

これは1920年代に大量に建てられた長屋形式の共同住宅である。こ
こで繰り広げられている生活は、表通りとは全く違う。一昔も二昔も前
の上海と殆ど変わらないものである。

そこに住む人々の服装は、世界の一流都市並みの颯爽とした表通りのそ
れとは全く異なり、多くが未だに30年〜40年前と同じ人民服である。

日々の生活も、およそ近代的生活とは無縁のありさまで、狭く暗く、水
道も共用、トイレも一定の間隔で設置されている公衆便所のみである。
風呂が有る家はまず無い。

朝早く訪れると、朝靄が立つ家の前の側溝で「馬桶」と呼ばれる室内用
便器を洗っている光景が見られる。勿論、最近ではこれらの長屋も至る
ところで取り壊され、跡地に高層マンションが雨後の竹の子のように建
てられている。元の住民は郊外の高層アパートに「強制移住」させられ
ている。

 (3)  この表通りの東京も顔負けの超近代的一面と、裏通りに存在
する夥しく非近代的な面の同居は、中国全体の縮図である。上海中心部
から1時間程車を走らせると、そこには都市と全く違う農村の生活が繰
り広げられている。

何とか電気は来ているが、それを除くと19世紀の生活とそんなに差が
ないといっても過言ではなかろう。中国の統計では、1人当たりのGDPは
1,300ドル程度である。

しかし、内陸部の最も貧しい貧困地帯に住む人々の実際の生活は、1人
当たりのGDPが示す数字とは全くかけ離れた生活、およそ貨幣経済とは無
縁に近い原始的な暮らしである。

 (4)  中国が実体より遥かに強大で強力に見えてしまうのは、我々
の尺度をそのまま中国に当て嵌めてしまうからではなかろうか。中国の
大都市の急成長振りを目の当たりにし、中国全体の発展のレベルを日本
の70年代或いは80年代レベル位ではないかと判断してしまう。

しかし、中国の大都市、地方都市、農村部、砂漠地帯等を夫々実際に観
察すると、日本の現在と同じレベルから、50年代のレベル、更にはパ
ールバックの「大地」の世界が厳然と同居しているのである。

 (5)  敢えて極端なことを言えば、中国で急激に豊かになり、発展
の恩恵を受けているのは、都市部に住む4億6千万の住民のその又一部
に過ぎない。

残りの9億人近くの主に農村部に住む人々の生活の変化は、革命以来遅
々として進んでいない。具体的例をあげると、首都北京から僅か2百数
十kmしか離れていない大同市の周辺の農家(一家4人)の1年間の収
入は僅か2,000円程度しかない。

ピンポン玉ぐらいの大きさのジャガイモを生産し、澱粉を絞った残り滓
を固めて冬用の予備の食糧にしている。主食のトウモロコシも発育が悪
く、日本では家畜も食べないような貧相なものである。大都市の近郊の
農家ですらこの様な状況である。

更に奥地の外国人立ち入り禁止の未開放地域における貧しさは推して知
るべしである。かって広西自治区の貧困地帯に出張した際、そこの郷長
(末端の行政単位の長)に対し、

何が一番苦労かと質問したところ、少数民族の村を戸別訪問して食糧備
蓄の瓶を覗き、食料が少なければ補給して回る。そうしなければ飢え死
にしてしまい、責任を取らせれてしまうので大変だとこぼしていた。

確かに、13億を越える人口を飢え死にさせずに養うことは中国の歴史
でも稀有のことであり、それを実施している中国政府の苦労は我々の想
像を絶するものがある。

2. 地大物博の真実

 (1) 中国人は何かと「中国は『地大物博』ですから」と自慢する。
土地が広大で資源が豊かだという意味である。確かに面積は日本の26
倍ある。 

しかし、国土の58%は海抜1,000メートル以上の山地か高原で、
そのうち3,000メートル以上の山地が26%を占める。平野は12%
に過ぎない。又、国土の20%近くが砂漠である。

チベット自治区や青海省の面積は日本の3・3倍及び2倍であるが、人
口は夫々250万、500万に過ぎず過疎状態である。このように、人
口の大半は僅かな平野部に集中し、超過密状態である。

1人当たりの耕地面積は日本より僅かに上回る程度である。更に、中国
は世界人口の21%を占めているが、資源的に見れば、保有する淡水資
源は全世界の7%、耕地は7%、森林は3%、石油は2%を占めるに過ぎな
い。この数字から見ても、1人当たりに換算すると、基本的資源の極め
て乏しい国であると言える。

 (2)  とりわけ深刻なのが水不足である。毎年発表される政府活動
報告で指摘されているように、水不足は、中国の持続的経済発展にとっ
て最大のボトルネックである。それを数字で表せば次の通り。

  (イ) 1人当たりの水資源量は2,300m3で、世界平均の
1/4

  (ロ) 平均年降雨量は660mm

  (ハ) 耕地の2/3は北部にあるのに対し、降雨の4/5は南部に
集中

  (ニ) 夏の4ヶ月の降雨量が年間降雨量の70%を占め夏季に集中、
冬と春の降雨量が非常に少ない

 (3) この絶対的な水不足に加え、地域的・季節的偏在のため、大
量の水を消費する都市部における水不足は、より深刻である。中国では、
617都市のうち300都市が水不足に悩まされている。

とりわけ北部に有る首都北京及び天津は深刻である。北京市民の平均水
使用量は、イスラエル市民より少ない。

北京では、近郊県の僅か18kmの所まで砂漠が迫って来ている。また、
地下水の水位が下がり続けており、地盤沈下は0・6m,天津市に至って
は2・6mに達している。

この様な首都圏の水不足に対処するため、第10次5ヵ年計画では、揚
子江の水を首都圏に流し込む「南水北調」と言う膨大なプロジェクトが
計画されている。これを早く軌道に載せないと、2008年の北京オリ
ンピック開催も覚束ない。

 (4) 中国では2030年頃には人口が16億人に達すると予測さ
れている。その頃には沿岸部に住む数億人の都市住民の生活は今より遥
かに裕福になっている。

当然今日より頻繁に風呂に入り、水洗便所を使い、多くの食肉を消費す
るようになるであろう。中国の食糧生産は98年、99年2年連続で5
億tを越え、余剰を生じるようになった。

しかし、2003年には生産調整や耕作地の経済開発区における工業用
地への転換により、穀物生産が4億3千万tにまで減少してしまった。
今後予想される人口の圧力に加え、生活の向上により1人当たりの水の消
費量が増加すると、膨大な人口を養うのに必要な穀物生産のため水を確
保することが益々困難となる。

現在、世界穀物市場で取り扱われている総量が2億t余りにしか過ぎな
いことと考え合わせると、中国が食糧問題は、世界の食糧安全保障問題
と切り離しては考えられない深刻な問題であると言えよう。

3. 統計の魔術

 (1) 03年の経済成長率は9・1%と発表された。しかし、各省が
発表した経済成長率は、雲南省を除き全てこれを上回っていた。各省の
発表した数字を単純に足し、全国平均を出すと、15・1%の成長を遂
げたことになる。

中央の統計局が調整を行なった結果が、9・1%であるが、1年後、こ
れが9・3%であったと訂正された。これも、04年の成長との差が大
きすぎると、経済の過熱を抑えるとした中央の政策との整合性が取れな
いので、03年の成長を上方修正したためである。

統計局のさじ加減で、数字が政策的に変更されることが見え見えであっ
た。

 (2)  中国の経済の実態或いは社会の実体を把握しようとする場合
常に「統計」の信憑性に疑念を持っておく必要があろう。04年、中国
のGDPは1兆6千億ドル余りに達した。

しかし、実際はこれより遥かに大きいかもしれない。どの国の経済にも
必ず地下経済が存在する。密輸等の非合法経済。道端で散髪や按摩をよ
く見かけるが、事業そのものは本来合法であっても実際には登録されな
い未登録経済。

農村部で自給自足的に行なわれている統計に計上されない未計上経済等
である。これらに鑑みると、制度の未整備や国土の広大さによる漏れ、
腐敗汚職による意図的隠蔽によって、中国の地下経済は、先進国の標準
より遥かに大きいものと考えざるを得ない。

正確な所は誰もわからないが、地下経済を専門に研究するある学者は、
GDPの40%近くに上る可能性があることを示唆している。

 (3)  1994年にワールド・ウォッチ研究所が「誰が中国を養う
のか」との論文を発表し、中国の食糧不足に警告を発した。ところが現
実には、中国は食糧生産を伸ばし、94年の4億t余りから98年には
5億1千万tに達し、余剰生産とまで言われるようになった。

同研究所の予測が現実的なものとならなかった主な原因は、同研究所が
予測の基礎とした耕地面積のデーターが大幅に違っていたからである。
96年までの中国統計年鑑によると、中国の耕地面積は9,500万h
aであるが、84年から96年にかけて50万人を動員して調査した結
果、実際にはその1・37倍の1億3千万haであることが判明した。

しかし、このデーターも、その後の環境対策のため、又、沿岸部の経済
開発区のために膨大な耕地が失われている実態を踏まえ、絶えず修正し
ていく必要がある。

 (4)  昨年、中国の人口は13億人を越えたと発表され、13億人
目の赤ん坊に認定証が渡された。中国は80年より国家計画生育委員会
を中心に農村を含め1人っ子政策を実施してきた。

しかし、農村部においては将来の不安から、 1人っ子政策を守らず、罰
金を恐れて登録もしない無戸籍児童が多数発生している。現在では第1子
が女子の場合、第2子の出産を認めるなど多くの省で事実上1人っ子政策
の緩和が行なわれている。実際にはどの程度の無戸籍児童が存在するの
か正確に把握するのは困難であろう。

しかし、ポリオ撲滅の為に10年に亘り農村部でのワクチン投与に携わっ
た日本の医療関係者の話は、参考になるところが多い。農村部では当該
地の計画生産委員会が把握している児童数の2〜3割余分に持参しない
と不足するそうである。

今日では、全国に流動人口が1億5千万人いると言われており、戸籍制
度そのものが急速に弛緩している。このような状況の下で、最近発表さ
れた人口統計の誤差は、千万単位で収まらず、統計の信憑性を揺るがし
かねない程大きい可能性が有る。

 (5)  以上のエピソードは夫々断片的なものに過ぎない。しかし、
草の根無償協力プロジェクト視察のため何度も中国各地の貧困地帯を訪
問し、30年近く前の研修生時代に東北地方で見た農民の生活より更に
貧しい農民が、21世紀の今日にも厳然と存在している。

その現実を見る度に、中国がこの20年間平均9%の成長を続けてきた
との統計数字は、飽くまで統計上のものに過ぎず、益々深刻化する各地
の格差の実態を何ら描写するものではないことが見えてくる。

共産党の規律が最も厳格に守られていた60年初めに、豊作と発表され
ていたにも拘らず何千万人も餓死した大飢饉が発生したのも、中国全体
を統計数字により正確に把握することが如何に困難かを象徴的に示して
いよう。

改革と開放によりソフト的にもハード的にも統計の信頼度が高まってい
るのは否定できない。しかし、中国全体の動向を分析するに当たっては、
様々な形で発表される統計数字を鵜呑みにすることなく、常にその誤差
の幅を勘案し、数字の裏に隠された個々の現実をもって「実態」を補正
して行く必要がある。さもなくば、中国の本当の「実像」を見失ってし
まう。

4.我が国がなすべきこと

 (1) 大国の中で中国のみがこの20年間高度成長を持続している。
これを目の当たりにして中国の急激な政治的、経済的及び軍事的台頭に
対し、世界の警戒心が強まっている。

しかし、中国が抱える食糧・エネルギーの確保、環境保全、貧富の格差
是正問題等の根深さと深刻さ、更にそれが内外に与える影響は、そのど
れをとってみても中国一国のみで処理するには手に余るほどである。

隣国である我が国の安全保障にとり、中国が安定的に発展していくこと
は決定的に重要である。しかし、現在中国の国内は、20年以上にわたる
急成長の陰で貧富の格差が拡大し、良好な生活環境が脅かされ、腐敗汚
職が蔓延し、これに対し国民の各層の間で不満が累積している。

そして、極めて広範な国民各層から、共産主義のイデオロギーを事実上
放棄した共産党による独裁的統治の正当性に対し、様々な形で疑問が投
げかけられている。04年1年だけで6万件近くの騒乱が発生したと報告さ
れるほど、国内が不安定化している。

 (2) このため共産党は、イデオロギーの空白を埋め、自己の正当
性を強調し、国内的な安定を確保する必要に迫られている。

その手段として1930年代の日本軍国主義による対中侵略に関する歴
史教育を徹底して行い、絶えず国民の民族感情を奮い立たせ、ナショナ
リズムに訴えることで、国民の目をそらし、共産党への求心力を維持し
ようとしている。

その反作用により、国民の間に反日感情が醸成され、昨年4月には、特
別のきっかけがないにも拘らず暴力的な反日デモが全国各地で発生した。
これら反日デモをテレビの映像を通して目撃した多くの日本国民の中に
嫌中感情が生まれ、72年の日中国交正常化以来、両国民感情は最も冷
え込んでいる。

 (3)  昨年10月17日小泉総理が5度目の靖国神社参拝を行った。
これにより、これまで計画された各種交流事業が縮小されるなど悪影響
が出ている。

今後とも日中関係が冷え込み、日中経済関係に悪影響が及び、「政冷経
冷」状態に陥ってしまうのであろうか。そうなると、対外投資、対外貿
易に大きく依存する中国経済の持続的発展が阻害され、国内の矛盾が一
層先鋭化し、国内不安が広がってしまうのか。

中国の中長期的な動向を的確に見極めることは、我が国にとってのみな
らず、アジアひいては世界の平和と安定にとって極めて重要である。

 (4)  上述の通り、中国は部分部分が余りに大きく、全体を捉える
ことが困難で、郡盲象を撫でる愚を犯す危険が常にある。近い将来、中
国ではEU加盟諸国の人口に匹敵する人達の生活が先進国並みの水準に達
するかもしれない。

しかしながら、これらの人達は、自国民としてサブサハラ以南のアフリ
カの人口に匹敵する貧しい人々を養わなければならない。中国の成長の
陰には、この様な巨大なハンディキャップを背負い続けなければならな
い現実が潜んでいる。

それに加え、図体が大きいだけに、発展の過程で沿岸部の豊かな地域内
と沿岸部と内陸部との間に2重の貧富の格差が拡大し、様々な、矛盾が発
生することも避けがたい。中国の現在の指導者にとり最大の課題は、発
展と安定のバランスを取ることである。

引退した江沢民主席が内々の席で中国に取り最大の問題は「配分」の問
題であると吐露したのも、その実現の困難さを一番深く認識していたの
に他ならない。

 (5) 日中関係が冷え込んでしまっている今日こそ、我が国は、これ
まで以上に中国の発展している部分のみならず、発展から取り残されて
いる部分により注目し、全体が安定して発展するよう側面的に支援する
努力を継続する必要があろう。

にもかかわらず、現在、日本国内における対中感情が冷え込んでしまっ
たがゆえに、これまで20年以上も継続してきた対中ODA供与が困難にな
ってきている。それに止まらず東シナ海における資源開発問題に係わる
対立は、間違えれば軍事対立まで引き起こしかねないほど先鋭化してき
ている。

 (6) 双方の国民感情がこれほど冷え込んだ状況の下では、極端な
言い方をすれば、日中間の諸懸案を、日中のコンテキストの中で解決す
ることが、益々困難になりつつある。

他方、両国の政治的、経済的、軍事的存在がこれほど大きなものになる
と、世界の何人も、日中関係の安定的発展がアジアのみならず世界の平
和と安定に欠くことのできない重要要因になっていることを否定できな
い。

従って、日中間に存在する様々な矛盾を解決するには、先ず両国の最高
指導者が、アジア乃至世界の安定と発展に対する責任を十分認識する必
要がある。即ち、日中関係は、今や両国にとってのみならずアジア及び
世界の平和と安定にとって極めて重要であるとの自覚である。

この自覚と責任感が双方の国民レベルで共有されるようになると、これ
まで何度も繰り返し提起され、今や両国民の感情問題にまでもつれてき
た過去の認識問題等日中間では克服できなかった問題についても、日中
双方からこれを必ず克服しなければならないとの決意が自然に生れてく
ると信じている。

(「霞関会報」平成18年1月号より転載 )。

杉本氏は2006年8月3日早朝、肺癌のため逝去された。享年57。ご冥
福を祈ります。


http://www.melma.com/backnumber_108241_3330893/


大地の咆哮(杉本信行著、PHP社刊)についてhttp://nishiokanji.com/blog/2006/08/post_369.html
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by thinkpod | 2006-08-31 22:22 | 中国
2006年 07月 24日

【「友好」の舞台裏】中国の対日宣伝工作(上) 党中央、戦略的に活動一元化

 北朝鮮のミサイル乱射を受けた国連安全保障理事会での日本と中国の攻防は、熾烈(しれつ)を極めた。中国首脳は靖国神社参拝の姿勢を変えない小泉純一郎首相とは国際会議の場でも会おうともしない。その一方、胡錦濤国家主席は首相との対決姿勢を鮮明にする民主党の小沢一郎代表と会談、自民党に揺さぶりをかける。「日中友好」の裏側で活発化している中国の対日宣伝工作の実態を探った。

 ■いきなり排除

 PHP総合研究所の江口克彦社長はこの7年、中国の地を踏んでいない。それ以前の25年間は、頻繁に中国で講演していた。きっかけは、PHPが平成11年、当時の李登輝台湾総統が書いた「台湾の主張」を出版したことだった。

 「以前は中国へ行くというと、中国の学術機関から招待状が届いた」と江口氏は振り返る。

 中国は、彼が松下電器出身で「経営の神様」といわれた松下幸之助氏を長くサポートしてきたことから、経済界とも太いパイプを持っていると判断していたようだ。

 「松下幸之助は『経済の井戸』を掘った人として、中国でも尊敬されている。近くにいた私から話を聞きたいという人が、中国には非常に多い」と江口氏は語る。

 しかし、「台湾の主張」を出版したことでその関係は切れた。その年の秋、日本の某大学教授から「あなたは北京で石原慎太郎さんとともに『悪のオピニオンリーダー』と話題になってますよ」と忠告された。

 その後も中国の大学などから口頭で講演依頼が7、8件あったが、招待状は一度も届かなくなった。江口氏は「大学が中国政府に申請しても却下していると思う。『台湾の主張』を出した江口はけしからん、ということなのだろう」と語る。

 ■本国では抗日

 昨年夏、東京・六本木ヒルズで中国政府主催の写真展「ともに築こう平和と繁栄−中国と日本60年の歩み」が開かれた。日本の政府開発援助(ODA)が中国の経済発展に役立ったことをPRするコーナーもあり、会場は友好ムード一色。中国国務院新聞弁公室の趙啓正主任(閣僚級)は記者会見で、写真展の前に中国で起きた大規模な反日デモによる日本人の対中感情悪化に触れ、「日中関係が難しい時期だからこそ、お互いのいいところを見なければならない」と述べた。

 しかし、同様の写真展は中国国内では開かれなかったという。趙主任の言葉と裏腹に、同じころ、中国では日中戦争での中国空軍の業績をたたえる「抗日航空烈士記念館」が南京で着工され、米国など連合軍の元兵士約200人を北京の「抗日戦争勝利式典」に招待、「反日イベント」が頻繁に開かれていた。

 元公安調査庁調査第2部長の菅沼光弘氏は「中国は対外宣伝活動を統一方針の下、理論的、組織的にやっている」と話す。

 中国は数多くの対日交流機関や窓口を設け、日本の政党、民間団体、学術機関、マスコミなどに常時働きかけている。

 中国事情に詳しい専門家によると、対日情報収集や宣伝工作で、最も強い影響力を持つのが国家安全省。全国各地に下部組織の安全局があり、日本に「工作員」を派遣する実行部隊となる。日本の政治、経済などの情報を収集しながら、日本に住む民主化運動家や台湾の協力者らを監視するのが主な業務だ。

 人民解放軍の情報部も重要な役割を担っている。日本の軍事、産業情報などを収集するプロ集団であり、大使館に武官を派遣している。

 関係者によると、この2つの部署から中日友好協会などに出向するケースは少なくない。また、人民解放軍総政治部の下にある国際友好連絡会が創価学会など宗教団体や海外援助活動に熱心な財団をカバーしており、活動範囲は広くきめ細かい。

 菅沼氏は「一見バラバラに見えるが、活動方針はすべて共産党中央で決められており、一つの組織としてみた方が妥当だ。中国のやり方は巧妙なだけに日本にとっては脅威だ」と指摘する。

                   ◇

 ≪「アメとムチ」戦術使い分け≫

 ■政界工作

 中国が対日工作で最も重視しているのは政界への働きかけだ。

 昨年11月、日中友好議連の中国訪問が突然中止になった。関係者によると、訪中団の人選に中国側からクレームがついたという。

 訪中団名簿には町村信孝元外相の名前があった。その半年前、中国各地で激しい反日デモが起き、外相だった町村氏が緊急訪中したのだが、外相会談の冒頭、テレビカメラの前で抗議したことが怒りを買った。

 中国側は日中友好議連に、間接的に「胡錦濤国家主席と会える」との好条件をちらつかせながら、町村氏をメンバーから外すよう求めた。しかし、日本側が拒否したため、訪中そのものが中止となった。

 自民党関係者によると、一昨年9月、北京で開かれたアジア政党国際会議でも同様の騒動が起きた。自民党は棚橋泰文氏らを派遣しようとしたが、在京の中国大使館参事官が「棚橋先生では困る。直近に自民党員として台湾に行った人は中国として迎えられない」と激しく抗議。メンバー変更を強く求めたが、この時も党執行部の判断で、代表派遣を見送った。

 一方、中国は7月4日、訪中した民主党の小沢代表に対し、胡主席との会談をセット、友好ムードを演出した。日中関係筋は「現在の対日政策の基本的な柱は民主党や与党内の親中派勢力と交流を深めることだ」と語る。小沢氏に秋波を送ったのも、自民党内で野中広務元幹事長ら「親中派」とされた大物議員が相次いで引退したことが大きく、野党第一党である民主党を押さえておきたいとの思惑からだという。

 中国は「親中派」とみなした議員には、要人との会談を設定、熱烈な歓迎ぶりをみせ、地方都市の名誉市民や大学の名誉博士といった「称号」を与えて歓心を買う。逆に「反中派」とみなした議員には訪中拒否などで冷遇するといった「アメとムチ」の戦術を使い分ける。

 京都大学大学院の中西輝政教授は、国連安保理の対北朝鮮決議の日本提案に中国が強く反対したことを「アジアのもう一つの大国である日本が国際政治の舞台で一人前のプレーヤーになってほしくないからだ」と分析する。同時に「中国の対日工作の攻勢をはねつけるには、国民がしっかり団結して対応しなければならない」と語る。

 組織的かつ戦略的な中国の対日宣伝工作にいかに対応するか。「ポスト小泉」政権にとって重要な課題といえる。


Sankei Web 産経朝刊 【「友好」の舞台裏】中国の対日宣伝工作(上) 党中央、戦略的に活動一元化(07/24 05:00)
http://www.sankei.co.jp/news/morning/24iti003.htm


3.地方や大学へ浸透狙う 中国が対曰宣伝工作で力を入れているのは、政界や言論界だけでない。米軍基地や尖閣諸島を抱える沖縄へのアプローチや東西の有力私大への働きかけも活発化させている。 

■自衛隊訓練中止 
今月16曰、台湾と国境を接する沖縄県与那国島で、防災訓練の一環として実施されるはずだった陸上自衛隊第1空挺団(千葉県船橋市)の隊員によるパラシュート降下が中止された。 これに先立つ6月28曰、与那国町役場に町長を訪ねた八重山地区労働組合協議会の代表は「いたずらに近隣諸国を刺激し、友好的な発展を阻害する」として中止を求める要請文を手渡した。要請文には「明らかに与那国町民への宣撫工作であり、想定されている中台問題や尖閣問題を視野に入れた瀬踏みだ」と書かれ、開係者によると、町長も同調するかのような発言をしたという。 陸上自衛隊は「町長からの要請やめたのではなく、パラシュート訓練は天候に影響されやすいのでやめた。代わりにヘリコプターによる負傷者救出訓練を実施した」(広報室)と説明する。しかし、同じ八重山地方の石垣市は4月、自衛隊が計画していた演奏会開催のための市民会館使用を「混乱が起きるのは好ましくない」と不許可にした。相次ぐ自治体の自衛隊への厳しい対応に中国の影をみる向きもある。 「中国は戦略的に重要な地域である沖縄で、盛んに『中国人観光客が沖縄の観光業を救う』と宣伝している。他の地域でも同じことを言って浸透をはかっている」 在京のある外交官はこう指摘する。 沖縄の本土復帰後、曰中友好関係の組織がほとんどなかった沖縄に平成16年、「新しい沖縄と中国の友好交流を推進する会」が発足した。これに呼応する形で、中国は、中国から伝来した沖縄の伝統競漕「那覇ハーリー」に広東省からチームを派遣するなど急速に交流を深めている。 沖縄在住のジャーナリスト、恵隆之介氏はこう警鐘を鳴らす。 「沖縄では戦後、米陸軍第8心理作戦部隊が県民に本土復帰の気持ちが起こらぬよう反曰宣伝を徹底した。その影響で、中国に朝貢していた時代が美しく語られている。県民に国家帰属意識が薄いことに中国はつけ込み、ここぞとばかりに浸透している」

■孔子隠れみの? 
京都市の立命館大学。その本部近くに「立命館大学国際平和ミュージアム」があり、「わだつみ像」が玄関に立つ。戦後、「きけわだつみのこえ=曰本戦没学生の手記」地方や大学へ浸透狙うの収益金を基金にして発足した「曰本戦没学生記念会(わだつみ会)」の事業としてミュージアムはつくられた。その2階に「立命館孔子学院」がある。 孔子学院は、世界での中国語教師育成や中国文化普及を目的とする教育機関。中国政府が世界各国の大学、研究機関と運携、世界中に100力所創設しようという一大プロジェクトだ。一昨年12月にソウルに第1号が開校されて以来、現在では米国の10力所を最多に世界80力所に設置されている。 曰本では、立命館大に昨年10月、設置されたのが最初。その後、愛知大、北陸大、桜美林大とわずか半年で4私立大学に開設された。中国大使館によれば、北海道や東北、九州など国内各地に開校の予定がある。 学校法人立命館の鈴木元総長・理事長室長は、「立命館は戦前から、中国の留学生を受け入れ、戦後も国交のないころから交流を進めてきた歴史がある。自国語の教育施設を一気に数年で世界につくろうというのは中国の明確な国家戦略だと思う。それを分かったうえで『曰本で一番初めに』とアプローチした」と語る。 設立から半年、立命館大の孔子学院では中国語講座や講演会などを行っている。周イ生立命館孔子学院長は「孔子学院の設立は、言語教育と文化交流の促進が狙い。世界への宣伝戦略ではないし、政治的なことはやらない」と語る。 しかし、中国の国内事情に詳しい上村幸治・独協大学教授は疑問を投げかける。「『孔子』というのは共産党色がないから、カムフラージユにはちょうどいい。大きな枠組みでいえば対外宣伝工作だろう」と分析する。

■「腫れ物触るな」
 早稲田大では今年4月から7月まで「中国総合講座」を開催した。1回目に中国の王毅駐曰大使が「中国の発展と中曰関係」と題して講演、10回にわたって、大使館の参事官クラスが講師となり、外交や貿易、科学技術、文化、中曰関係などについて講義を行った。早稲田大学広報室では「政治的な内容はなかった」としているが、中国大使館がこうした講座を開くのは初めてだ。 平成14年11月、慶応義塾大学で行われた学園祭「三田祭」。その期間中に台湾の李登輝前総統の講演を、学生サークルが企画していた。が、大学側は自粛を要請、最終的に学生組織の三田祭実行委員会が却下し、中止となった。当時、大学側は「一切関与していない」と説明したが、慶大の執行部内では李登輝氏講演に消極的な意見が多数を占めていたという。慶大教授の一人は「李登輝氏の講演は、脈々と実績を培ってきた慶応と中国の関係に殴りこんできたようなもの」と明かす。 早慶だけではない。複数の大学で教鞭を執っていた国際関係研究者は、中部地方の大学で講演した際、大学側から「中国人留学生が多いから中国との問題には触れないでほしい」と頼まれたことがあると証言する。この研究者は「今や地方の私立大学はどこも中国人留学生がいないとやっていけない。中国人教員は中国人留学生のリクルーターでもある。自然と中国人の発言力は大きくなるし、大学側も『腫れ物に触るな』となる」と語っている。


4.メディア使い世論操作
 中国の対日宣伝工作で最大の効果をあげているのが、「南京事件」に関する宣伝戦だ。さらに宣伝工作の対象は在日中国人にも広がっている。

■大虐殺記念館
 中国・南京の「南京大虐殺記念館」(侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館)は1985年に建設され、現在は拡張工事が行われているため閉館中だ。2年後に敷地面積7.32ヘクタール、建築面積2万3000平方メートルの大規模施設に生まれ変わる。 「300,000」 記念館の前面に掲げられた数字は中国が主張する虐殺者数だ。「30万人虐殺」は、当時の南京市の人□や軍事常識では不可能で、誇張された数字であるのは研究者にとって“常識”。しかし、この記念館を訪れた日本人修学旅行生や政治家は、凄惨な展示内容に絶句し、贖罪意識を植えつけられるという。 (過去を忘れず末来を大事にするという)中国側の姿勢に心の豊かさを感じた」 17日、記念館を訪れた自民党の古賀誠元幹事長はこう語った。中国側は、休館中の記念館を古賀氏のために特別に開いた。 だが、展示物には、偽造写真や事件と関係のないものも少なくないという。日本政府も6月、「『記念館』に対し、写真パネルで用いられている写真の中に、事実関係に強い疑義が提起されているものが含まれている旨を指摘している」 (河村たかし衆院議員の質問主意書に対する答弁書)との見解を示した。 記念館を訪れたことのある河村氏は、「あんな展示を見たら、中国人は日本に復讐心を持つ」と語る。

■歴史力−ド
 中国事情に詳しい国際政治学者によると、対日歴史力ードの扱いや、宣伝工作の基本方針を決めるのは中国共産党中央政治局。実行に移すのが党中央宣伝部だという。 ことに南京事件の宣伝工作は、1930年代に国民党が生み、共産党が1980年代に育てた“国共合作”といえる存在だ。 東中野修道・亜細亜大教授によると、1937年12月の南京陥落から7ヵ月後に出版されたハロルド・ティンパーリ編「戦争とは何か 中国における日本軍の暴虐」が宣伝戦に大きな役割を果たしたという。 「私の調査で『戦争とは何か』は中国国民党の宣伝本だったことが百パーセント確認された」と、東中野氏は指摘する。ティンパーリは英国紙の中国特派員で、司書は南京在住の欧米人(匿名)の原稿を編集、38年にロンドンやニューヨークで出版された。この本をもとに「残虐な日本」のイメージが定着していった。 実はティンパーリは、中国国民党の「顧問」だった。東中野氏が台北で発見した極秘文書「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」 (1941年)には、「国際宣伝処が編集印刷した対敵宣伝書籍は次の2種類」とあり、そのうち1冊が「戦争とは何か」だった。 国民党で宣伝活動を担当していた作家の郭沫若は著書「抗日戦争回想録」で「宣伝は作戦に優先し、政治は軍事に優先する」との当時のスローガンを紹介している。 「中国共産党は、『アジプロ』を重視していた。アジテーション(扇情)とプロパガンダ(宣言という意味だ。日本人は『扇情』『宣伝』というと後ろ暗く感じるが、彼らは公然とやっている」と、現代史家の秦邦彦氏は指摘する。秦氏は「最大限で4万人」との立場だが、かつて中国人学者に30万人説について聞いたところ、「『たくさん』という意味だ」との答えが返ってきた。 秦氏は「中国は『30万人』は絶対に譲らない。つじつまが合おうと合うまいと、情報戦の世界では『たくさん』というイメージを作るのは当たり前。中国がカードを切れば、日本国内で何倍も大騒ぎしてくれる。こんなに安くつく情報宣伝工作はない」と指摘する。

■コントロール
 在日中国人向けの中国語新聞や雑誌は現在、約20も発行されている。 そのうち公称部数8万部の「中文導報」は20日付の1面トップで、台湾の馬英九中国国民党主席の訪日を「3つの誤算があった」と報道。「国民党は政権を目指すなら、自分に対する認識と世界に対する認識を改めるべきだ」と厳しく批判した。 その一方、2面では「日本は靖国の代替施設建設について政権中枢で熱心に議論、胡錦濤国家主席訪日のため道をつくろうとしている?」との記事を掲載。さらに中国側が歓迎した民主党の小沢一郎代表の訪中を「昔を思い、今を大事にし、未来をとらえる。小沢は丁寧に中国の旅を作り上げた」と持ち上げた。 記事の内容は中国政府の方針に近い立場をとっているようにみえるが、同級の楊文凱編集長は「本国政府や大使館から編集方針で圧力はない」と語る。 だが、日本国内で発行されている中国語新聞・雑誌の大多数は中国政府を批判する記事を載せないのが特徴だ。 ある日中関係筋は、「中国人向けマスコミの中には経営者や記者が定期的に大使館に呼び出され、指導を受けているところがある。本国の意向に反する記事を掲載したら、バスポート更新をはじめ、嫌がらせを受ける可能性があるからだ。逆に意向に沿った記事を載せれば広告の便宜や事業で大使館に後援してもらいやすいのでメリットがあると明かす。 在日中国人の活動を紹介する情報誌「日本僑報」を創刊し、出版活動やメールマガジンを運営する段躍中・日中交流研究所長は「政府の息がかかっている媒体もある」と関係筋の話を裏付ける。段氏によれば、「中国政府はインターネットを自分の意見を述べる道具に使おうとしている。それは中国政府開連のホームページで日本語表記が充実しつつあることなどをみれば分かる」という。日本国内向け中国系マスコミの中には「北京週報」の日本語版などがインターネット版を開始、対外宣伝機能の強化をはかる動きが出ている。 こうした指摘に、在京中国大使館の李文亮報道部参事官は、「中国の広報活動はまだまだ非常に足りていない。どこの国でも同じことで相互理解のためには、まだ努力しなくてはならないと思っている」と語っている。

  この企画は高橋昌之、阿比留瑠比、小島優、比護義則、矢板明夫が担当しました。

Depot(ディポ): 中国の対日宣伝工作(本文)
http://wildhorse-depot.seesaa.net/article/21514595.html
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by thinkpod | 2006-07-24 18:11 | 中国