カテゴリ:半島( 44 )


2005年 11月 15日

永住外国人に地方選挙権 韓国

 【ソウル20日共同】韓国で、永住外国人に地方選挙権を付与する公職選挙法改正案が成立した。外国人の権益保護のほか、日本で地方選挙権を求める在日韓国人の動きに対応する意味もありそうだ。
 6月末に韓国国会で成立した同改正案は、永住資格の取得後3年を経た19歳以上の外国人に、大統領選挙と国会議員選挙を除く地方自治体の首長や議会選での選挙権を付与。中央選管によると対象者は1万人余りで、多くは華僑だが日本人も10数人含まれる。
 韓国政府が永住外国人の地方選挙権付与に乗り出した背景には、日本で地方選挙権付与を求める在日韓国人の動向もある。法案提出にかかわった野党議員は外国人の権益と人権保護以外に「在日同胞の権利向上を後押しする目的もある」と語る。
[7/20]
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=YNS&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2005072001004980
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by thinkpod | 2005-11-15 04:58 | 半島
2005年 11月 15日

韓国に「嫁入り」した日本女性たち

韓国のNHKにあたるKBS(韓国放送公社)のテレビ番組に「全国歌自慢」というのが
ある。NHKの「のど自慢」をモデルにしたもので、こちらも毎週日曜日の昼食時にやっ
ている。相当の長寿番組である。

 日曜ということもあって韓国における筆者のお好み番組の一つだが、この「全国歌自
慢」に近年、地方在住の日本女性がよく登場する。
 「韓国のあんな田舎に日本女性がなぜ?」と不思議に思っていたら、そのうち事情が
分かった。統一教会のいわゆる集団結婚式などで韓国に「嫁入り」した日本女性た
ちだった。

彼女らは南部の島嶼(とうしょ)から山奥にまで住んでいる。たまたま地方にいて彼女ら
と接触したことのある人類学研究の日本人研究者の話によると、田舎では「日本の嫁」
が人気で、日本女性を嫁にしようとその宗教に入った男性もいるという。
ところで韓国に日本人は何人くらい住んでいるのだろう。旅行者を除く居住者だが、ソ
ウルの日本大使館によると現在、韓国全体で約一万七千人となっている。

ところが一九九〇年はわずか五千八百人だった。十年そこそこで三倍に増えたことに
なる。この急増の原因が彼女ら宗教団体の日本人女性というのだ(日本大使館筋)。
年によっては千人、二千人単位で日本女性が韓国の地方に住みつき現在にいたるという。

そういえばソウル近郊であったことだが昨年、教科書問題で韓国に反日感情が高まっ
ていたとき、「日本女性の集まり」だとして韓国民に謝罪する風景が韓国マスコミで紹介さ
れた。この時も不思議に思ったのだが、やはり統一教会系の日本女性たちだった。

産経新聞 「日韓新考」 (2002年)
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by thinkpod | 2005-11-15 01:25 | 半島
2005年 11月 15日

在韓日本人2万1000人 10年で倍 半数は統一教会関係者

 【ソウル=黒田勝弘】韓国在住の日本人が急増している。この十年ほどの間で
倍増しており、しかも在韓日本人の半数以上は、集団結婚などで韓国にやってきた
統一教会(世界基督教統一神霊協会)の関係者とその家族といわれる。韓国居住
日本人の中心を占めるようになった統一教会関係者の存在が今後、韓国社会や
日韓関係にどのような影響を与えるのか関心が集まっている。

 在韓日本人の数が大きく増えだしたのは、一九九〇年代に入ってから。在韓日本
大使館の統計(在留届基準)によると、それまで六千人ほどだったのが一九九五年
には初めて一万人台になり、今年は約二万一千人と十年間で倍増した。

 関係筋によると、その背景にあるのは、統一教会の集団結婚で韓国にきた
日本女性と、その子供の急増だという。特に近年、出産で子供が増えており、
日本大使館では、新たな旅券の発行に追われるはどだという。

 在留邦人の職業など詳しい内訳は不明だが、日本大使館筋によると現在、長期
滞在の在留邦人二万一千人のうち、半分以上にあたる約一万一千人が統一教会
関係者ではないかと推定している。

 統一教会関係者は韓国人と結婚してもほとんど日本国籍を維持し、子供も日本
国籍にしているという。このため、新たに生まれた子供にも日本旅券が必要なため、
日本大使館は定期的に地方に職員を派遣し、臨時の旅券発給業務をしているほどだ。

 女性を中心にした統一教会関係の日本人の多くは韓国の地方に在住し、日本語
通訳など社会活動もしている。

 ただ日韓関係で問題が起きると記者会見をし、「独島(日本名・竹島)は韓国のモノ!」
と叫んだり、教科書問題では「韓国国民に謝罪する」と声明を発表するなど反日行動が
目を引く。

九月九日 産経新聞朝刊より
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by thinkpod | 2005-11-15 01:18 | 半島
2005年 11月 05日

「日帝被害者数103万人は適当に算出」

「韓日会談当時、日本に提案した103万人余の強制徴用、徴兵被害者数は適当に算
出した数だった」

 1960年10月から2年間、国際法を専攻したソウル大教授として韓日会談に参加し、
翌年外務次官に抜擢された鄭一永(チョン・イルヨン/79)元次官は20日、聯合ニ
ュース記者と会ってこのように述べた。

ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/01/21/20050121000009.html
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by thinkpod | 2005-11-05 04:09 | 半島
2005年 10月 29日

李栄薫教授「国史教科書、日本収奪を膨らませ過ぎ」

日本の教科書歪曲問題で韓日間の葛藤が最高潮に達した中、韓国内の学者が逆に、韓国の国史教科書が日本の収奪像を過度に誇張しているという主張を提起し、論議となっている。

こうした主張をしているのは、経済史学者であり国内の代表的植民地近代化論者である李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大経済学科教授。 彼は特に、植民地時代の経済的収奪だけでなく、歴史教科書歪曲問題の最大争点の一つである慰安婦問題についても、国史教科書の記述は「事実」でない「神話」だとして強く批判しており、波紋が広がっている。

李教授は23日、ウェブジン「ニューライト」(www.new-right.com)に寄稿した文「北朝鮮外交官と韓国の教科書がはまっている虚数の罠」で、教科書などで通用してきた慰安婦・強制連行者の数字は、正確な検証なく膨らんできた、と主張した。

彼はこの文で、北朝鮮国連代表部のキム・ヨンホ書記官が最近、ジュネーブ国連人権委員会で慰安婦の数が20万人、強制連行された人が840万人と述べた事実と、韓国の高校教科書が慰安婦の数を「数十万」、強制的に連行された人を650万人と記述している事実に触れ、「この数字には賛成できない」と明らかにした。

慰安婦の数が20万人という主張が初めて取り上げられたのは、1969年の国内の日刊紙であり、「挺身隊として動員された朝鮮と日本の女性は概略20万人で、うち朝鮮女性は5万~7万人と推算される」と書かれていたと、彼は主張した。

しかしこれが、宋建鎬(ソン・ゴンホ)氏の「日帝支配下の韓国現代史」(1984)という本で、「日本が挺身隊という名目で連行した朝鮮人女性は、ある記録によると20万人で、うち5~7万人が慰安婦として充員された」に変わったという。

徴用・徴兵に強制動員された男性が「650万人」または「840万人」だったというのも、同じ見解で批判している。

彼は、60年代にある在日史学者が「強制動員された人は約600万人」と主張したが、40年間引用が繰り返されながら、韓国では650万人、北朝鮮では840万人に膨らんだ、と主張した。

?旻槿(チョ・ミングン)記者


2005.04.26 16:59:47


71 名前: マンセー名無しさん  Mail: sage 投稿日: 05/10/28(金) 23:15:48 ID: y2xkelq3

>>49
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=62917

1969年の韓国内の日刊紙
「挺身隊として動員された朝鮮と日本の女性は概略20万人で、
うち朝鮮女性は5万~7万人と推算される」

1984年,宋建鎬(ソン・ゴンホ)著,『日帝支配下の韓国現代史』
「日本が挺身隊という名目で連行した朝鮮人女性は、ある記録に
よると20万人で、うち5~7万人が慰安婦として充員された」

現在
従軍慰安婦の数を北朝鮮は20万人と主張。韓国の高校教科書は
「数十万」と記述。

20万人なんて伝言ゲームみたいなもの
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by thinkpod | 2005-10-29 02:03 | 未分類
2005年 10月 08日

脚本家が語る誕生秘話(2)

▲『大長今』は100%脚本家の想像力
—長今が王の主治医だっただろうという感だけで、この長いストーリーを作り上げたのですか?

「はい。残りは100%、私の想像力です。実は許浚に関する記録もそれほど多くはありません。小説『東医宝鑑』のために許浚についての記録がとても多いと思われていますが、そうではありません。許浚は中人ですので、両班ではない人々の記録は実録には登場しないのです」

—歴史的事実に基づいてストーリーを組み立てるのは難しかったと思いますが、参考にした史料などがありましたか?

 「史料というもの自体が存在し得ません。2002年4月に李局長と初めてお会いしてから、しっかりした原作のあるドラマを手がけようと努めました。新人の脚本家が50回のドラマを原作なしで手がけるのは大きな冒険だからです。『商道』や『茶母』はすべて原作を脚色したものです。2002年11月に女医の話を扱うことを最終的に決めて、原作なしで4か月後に全50回のストーリーを完成させました


〈朝鮮史を駆け抜けた女性たち⑥〉 実在の医女、李朝実録に10回登場、長今

 宮女—王の私生活が営まれる九重宮闕に囚われの身同然で衣食住に使役される女性を主人公にすえたドラマが話題である。

 「大長今」。10歳で宮女として入内し、宮中一の料理人を目指し努力の末その実力を認められるが、権力闘争に巻き込まれ官婢として済州島に流される。が、医術を学び再び入内、医女になり、李朝11代王中宗の主治医になる。その名声は轟き、李朝実録に「大」の字を冠された「大長今」として記録されるに至る。これが、ドラマの大筋である。
 はたして「長今」は、実在の人物なのだろうか。

 「長今」という名前は、中宗実録に10回ほど登場する。ほとんどが賞を受けた記録で、米や豆を王が下賜したという内容である。それ以上「長今」という宮女については、詳しいことは分かっていない。

 王の主治医であったかどうかはもちろん謎だが、中宗39年(1544年)に「余の病については女医が知っている。お前たちは退出せよ」と大臣達に言ったという記録から、このドラマの脚本家は「長今は王の主治医になったんだと思った」と、雑誌のインタビューに答えている。この解釈について、専門家は懐疑的である。王の「女医が知っている云々」は、「細かいことは余に聞くな、面倒くさい」という意味で、長今を主治医として認めていると解釈するには無理があるという。元来医女は公奴婢から選ばれ、王室の女性達の医療と出産のために養成されたのである。

 また医療関係の仕事がないときには、女性の犯罪者を取り調べたり、宮中の宴に歌舞を披露して見せなければならなかった。そういったことから、中人階級の家からは医女を出すのを渋る傾向があり、そんな事情で特に妓生の娘が選ばれる傾向が強かったという。宮女には大きく、尚宮と内人という種類があり、医女は内人にも属さない「其の他の宮女」という身分で、宮女にも貴賤があったのだ。

 また、「大長今」の「大」の字は、並外れて素晴らしいという意味ではなく、同姓同名の混乱を避けるため、「体の大きいほうの長今」と、漢字で記録したのであろうというのが専門家の意見である。実際、先のインタビューで脚本家は「100%創作です」と、言い切っている。

 宮女の実際は、わからないことが多い。朝鮮王朝最後の皇后であった尹妃に仕えた宮女であった朴昌福、金命吉、成玉艶尚宮は、それぞれ1981年、83年、2001年にこの世を去った。

 また彼女らの証言を元に書かれた資料は淑明女子大教授の「朝鮮朝宮中風俗研究」があるだけで、正史にはほとんどその記録が残っていない。宮女は宮中の秘密に通じているからである。もちろん「經國大典」や、「推安及鞫案」という法廷記録に宮女の片鱗を見ることはできるが。

 だがドラマは、実在の「長今」という宮女を掘り起こし、一般的にはほとんど知られていなかった「医女」の存在を知らしめ、「死体になって初めて宮殿の外に出られる」と言われた宮女の非人間的な境涯に、人々が思いを馳せるきっかけを作ったのである。

 数多の宮女達と同じく、過酷な運命に翻弄されたであろう「大長今」は、自らの医術を磨き、中宗19年(1524年)には「医女大長今の医術が他より少々優れており宮廷に出仕し看病している。一人分の俸給を与えるように」とその生の記録が、李朝実録に記されている。私たちは、つい現代の視点で「偉業」を成し遂げた女性にばかり目を向けがちだが、名もなく、身分もなく、当時の権力者に背いた女性たちをも含めて、「歴史を駆け抜けた女性たち」と呼ぶべきなのだろう。(趙允、朝鮮古典文学研究者)

[朝鮮新報 2004.11.29]
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by thinkpod | 2005-10-08 18:33 | 半島
2005年 09月 09日

在韓日本人2万1000人 10年で倍 半数は統一教会関係者

 【ソウル=黒田勝弘】韓国在住の日本人が急増している。この十年ほどの間で
倍増しており、しかも在韓日本人の半数以上は、集団結婚などで韓国にやってきた
統一教会(世界基督教統一神霊協会)の関係者とその家族といわれる。韓国居住
日本人の中心を占めるようになった統一教会関係者の存在が今後、韓国社会や
日韓関係にどのような影響を与えるのか関心が集まっている。

 在韓日本人の数が大きく増えだしたのは、一九九〇年代に入ってから。在韓日本
大使館の統計(在留届基準)によると、それまで六千人ほどだったのが一九九五年
には初めて一万人台になり、今年は約二万一千人と十年間で倍増した。

 関係筋によると、その背景にあるのは、統一教会の集団結婚で韓国にきた
日本女性と、その子供の急増だという。特に近年、出産で子供が増えており、
日本大使館では、新たな旅券の発行に追われるはどだという。

 在留邦人の職業など詳しい内訳は不明だが、日本大使館筋によると現在、長期
滞在の在留邦人二万一千人のうち、半分以上にあたる約一万一千人が統一教会
関係者ではないかと推定している。

 統一教会関係者は韓国人と結婚してもほとんど日本国籍を維持し、子供も日本
国籍にしているという。このため、新たに生まれた子供にも日本旅券が必要なため、
日本大使館は定期的に地方に職員を派遣し、臨時の旅券発給業務をしているほどだ。

 女性を中心にした統一教会関係の日本人の多くは韓国の地方に在住し、日本語
通訳など社会活動もしている。

 ただ日韓関係で問題が起きると記者会見をし、「独島(日本名・竹島)は韓国のモノ!」
と叫んだり、教科書問題では「韓国国民に謝罪する」と声明を発表するなど反日行動が
目を引く。

九月九日 産経新聞朝刊より
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by thinkpod | 2005-09-09 17:47 | 半島
2005年 08月 29日

在日韓国人選挙権で決議案 韓国国会に提出

【ソウル29日共同】韓国の野党ハンナラ党の鄭文憲議員は29日、永住権を持つ在日韓国人に対して地方選挙権を付与するよう日本政府に求める決議案を韓国国会に提出することを明らかにした。与野党の計39議員による共同提出になるという。
 日本では永住外国人の地方選挙権が実現していないが、韓国では今年6月、日本人も含む永住外国人に地方選挙権を付与する改正公職選挙法が成立。鄭議員らは「日本の国会に対し、相応する立法措置を求めたい」としている。
(共同通信) - 8月29日12時7分更新
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by thinkpod | 2005-08-29 17:27 | 半島
2005年 08月 27日

韓国、ベトナム参戦で米に「キムチを」 外交文書公開

2005年08月27日11時36分
ベトナム戦争に韓国が派兵していた67年3月、当時の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領がジョンソン米大統領に親書を送り、韓国軍兵士のためにキムチの缶詰の調達を切望、韓米間の「重要問題」に発展していたことが分かった。

 26日、日韓会談文書と併せて韓国外交通商省が公開したベトナム戦争史料7400ページの中に含まれていた。朴大統領の親書は訪米した丁一権(チョン・イルグォン)首相に託され、米大統領に渡された。兵器の近代化を要請する内容の後で「韓国人であれば、だれもが毎日、毎食欠かすことのできない、特異で伝統的な副食、キムチ。一日でも早く我が軍人の口に入れば、士気が格段に高まる」と補給を要請した。

 キムチへの言及は親書の3分の1を占め、丁首相は米国務省や国防総省トップとの会談でもキムチを取り上げた。約1週間後、韓国外務省局長が次官に「米大統領もキムチ供給の必要性を認め、さっそく国防当局に指示した」と伝え、その3日後、丁首相から朴大統領に報告が上がった。「キムチ問題は、間もなく解決するようです」

       ◇

 韓国が68〜69年、米軍基地を日本から、韓国南端の済州島に移転するよう打診していたことが同文書公開で明らかになった。68年5月、ワシントンで開かれた米韓国防閣僚級会談で、崔栄喜(チェ・ヨンヒ)国防相が「日本で米軍基地撤去要求が出ている。韓国への移転を歓迎し必要な土地も提供する」と発言。翌年のソウルでの同会談で任忠植(イム・チュンシク)国防相が「済州島に空、海軍基地を」と提起。米側は韓国へ謝意を表しつつ、日本政府との関係や予算面で考慮が必要と保留し、結局、実現しなかった。
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by thinkpod | 2005-08-27 15:28 | 半島
2005年 08月 18日

英国紙、織原城二(ルーシーブラックマンさん殺人事件)報道

209 名前: 名称未設定  Mail: sage 投稿日: 05/08/18(木) 15:45:46 ID: Dz5iQLL6

610 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/08/18(木) 15:01:58 ID:hNQGxh2W0
●英国紙、織原城二(ルーシーブラックマンさん殺人事件)が在日と初報道!

1 名前:依頼794@ぴろりψ ★ 2005/08/18(木) 07:48:42 ID:???0 ?###
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,7-1737805,00.html
He was born Kim Sung Jong in 1952 to Korean parents in Osaka.
His father was a poor immigrant who built himself a fortune in taxis,
property and pachinko At 15, Kim Sung Jong was sent to the preparatory
school for the private and prestigious Keio University in Tokyo.
It was at this time that he underwent surgery on his eyes to make them
larger and less oriental, and he took on a new, Japanese name, Seisho Hoshiyama.
英THE TIMES紙の8月17日記事で、織原城二(金聖鐘)が在日である事が
英国紙では初めて報道された。この記事には、金聖鐘は、親がパチンコと
タクシー会社の経営で築いた多額の遺産を相続、15歳で東京に出てきて慶応に
通い、この時期に整形手術をし、金聖鐘を使うのを止め通名の星山聖二を名乗り
だす、96年にカナダ人女性のドナさんに薬を盛りレイプ、ドナさんは六本木警察
署に被害届けを出すが、在日の圧力とパチンコ・マネーで警察が動かず、と記載。




August 17, 2005

Reportage

How the bubble burst for Lucie's alleged killer


Richard Lloyd Parry
Five years ago Lucie Blackman, a British bar hostess, was missing in Japan. As the trial of Joji Obara, the man accused of her murder, continues, our correspondent profiles the ‘playboy’ with a dark past and £122m of debt

THROUGHOUT his strange life, and the various identities that he created for himself, Joji Obara fled from cameras; even today, four years into his interminable trial, there are only two images of him in public circulation. The first is from the early 1970s when he was a university student in Tokyo: a shy smile, youthful skin, a young man poignantly uncorrupted. The second is the sketch by the courtroom artist of Obara as he was seen in the Tokyo District Court last month: thinning black hair, patchy goatee, crumpled charcoal suit, flanked by two unsmiling guards.
Thirty years separate the two images, a period in which Joji Obara left few public traces. In Britain, he is known as the man accused of killing the young British woman Lucie Blackman, the Tokyo bar hostess whose dismembered body was dug up from a Japanese beach near his apartment in 2001. Japanese remember that he is charged with six other rapes and one other count of “rape leading to death”. Newspaper accounts refer to him without elaboration as a “property developer” and “playboy”. But these vague terms hardly begin to do justice to his extraordinary career.

It reads like a metaphor for Japan’s bubble economy, the period between the 1980s and early 1990s when the country’s economy went up like a rocket only to crash down like an anvil. In the three decades between university and criminal prosecution, Joji Obara inherited a fortune; today he has debts of £122 million. He went from being the despised son of an immigrant to a member of the elite; now he is on trial as a serial rapist. And in an age of extravagant, excessive consumption, he lived his life on the basis that anything could be bought, and that those who had money were entitled to everything they wanted: pleasure, status, immunity from the law and, above all, the bodies of women.

He was born Kim Sung Jong in 1952 to Korean parents in Osaka. His father was a poor immigrant who built himself a fortune in taxis, property and pachinko, the addictive Japanese version of bagatelle. At 15, Kim Sung Jong was sent to the preparatory school for the private and prestigious Keio University in Tokyo. There he studied politics and law. It was at this time that he underwent surgery on his eyes to make them larger and less oriental, and he took on a new, Japanese name, Seisho Hoshiyama.

When Seisho was 17, his father died in Hong Kong in murky circumstances, possibly connected to the yakuza or Japanese mafia. Seisho shared the vast inheritance with his two brothers and, at the age of 21, underwent another shift of identity, taking on Japanese nationality and the name of Joji Obara.

Those who know him are convinced that his strange upbringing played a part in forming his personality. But how exactly? A child of exiles who loses his father suddenly, while still young, who cuts himself off from his family, changes his name and even his face, and who becomes so rich that he never has to work . . . the potential for dislocation and maladjustment is obvious. But there are many people who have suffered more, and few of them have become half as maladjusted as Joji Obara.

Japanese magazine reports suggest that Obara began to show signs of a sexually predatory nature in the early 1980s. He was arrested in October 2000, and the videos of his sexual escapades are said to number 200; for nearly 20 years he is believed to have raped women at an average rate of more than ten a year — possibly more, as these are just the ones that he filmed.

His modus operandi is set out in court documents concerning a Canadian woman named Donna whom he is alleged to have raped in 1996. Donna worked as a hostess in Roppongi, a cramped half-square mile of Central Tokyo containing a concentration of bars, pubs, cabarets, nightclubs, karaoke bars, lap-dancing joints and hostess bars.

The court documents say that Obara met Donna in March 1996 at a club in Roppongi, and introduced himself as “Kazu” (he had a roster of pseudonyms, including “Yuji” and “Koji”). He took her to his apartment in the seaside town of Zushi, south of Tokyo, and gave her a drink which he described as “a very rare herb wine from the Philippines”. After one sip she fell unconscious. When she had come to, feeling dizzy, nauseous and lethargic, Obara told her that she had passed out after drinking a bottle of vodka. Five years later, after Obara’s arrest, the police found a large number of home videos of the suspect having sex with unconscious women, foreign and Japanese. Among them was Donna.

According to the prosecution, he took her to his bedroom, removed her trousers and underwear, and raped her in front of his video camera; Obara appeared in many of the videos naked, or wearing a Zorro mask.

To ensure the women’s compliance, the prosecution alleges, he pressed over their faces a rag soaked in chloroform, a poison which damages the liver. In 1992, an Australian woman named Carita Ridgway fell unconscious and died of liver failure a few days after being raped by Obara. With remarkable composure, Obara checked her into hospital, consoled her distraught parents and succeeded in convincing the doctors that her illness had been caused by hepatitis and a bad oyster.

It was in the summer of 2000 that he met Lucie Blackman, a former British Airways stewardess, who was working in a Roppongi bar called Casablanca. On July 1, the two went to the apartment in Zushi together.

For seven dismal months, nothing more was heard of Lucie. Her father, Tim, flew out repeatedly to Tokyo, accompanied by his younger daughter, Sophie. They produced missing-person posters and set up a telephone hotline. They consulted detectives and bar girls, journalists and psychics, and even engineered a meeting with a sympathetic Tony Blair while he was on a visit to Japan.

As a result of the publicity surrounding the case, three foreign women, including Donna, came forward to describe waking up, sore and sick, in Obara’s bed, with no memory of the night before. (Several of them, it turned out, had reported him to the Roppongi police, but had been ignored.) The police arrested Obara in October 2000 and raided his properties, where they found decades worth of accumulated clutter.

Court evidence reveals that his cars included a Ferrari, an Aston Martin, a Bentley and a Rolls-Royce. There were piles of diaries and documents, and in the refrigerator the body of Obara’s beloved pet, a German shepherd dog, accompanied by frozen dog food and roses. (He later explained that he was waiting for biotechnology to advance so that he could have the animal cloned.) They also found the rape videos, date- rape drugs and chloroform, and blonde hairs belonging to Lucie. Finally, the following February, her body was recovered from a seaside cave, 200 yards from one of Obara’s apartments, cut with a chainsaw into ten pieces.

Obara and his lawyers argued last month that Lucie was a drug user who died of an overdose, a claim dismissed as ludicrous by her father, Tim. The prosecution claims that the drugs that killed her were Rohypnol and chloroform, administered by Obara. Unlike the other girls, there is no video of Lucie and Obara and, because of the state of the body, no decisive DNA evidence. But even ignoring the mass of circumstantial evidence amassed by the prosecution, Obara’s defence team faces one inescapable fact: in criminal cases such as that of Obara, fewer than 1 per cent of defendants are acquitted.
But few battle so hard to prove their innocence. At the detention centre where he lives, documents relating to the trial stand in piles almost to the ceiling of his small cell. One of his team of ten lawyers visits him almost every day. Apart from the eight criminal charges against him, he is involved in litigation involving his companies. Last year he was declared personally bankrupt, with debts of 23.8 billion yen (£122 million).

Apart from his lawyers, only his mother, now in her eighties, is allowed to visit him; for the past few months she has been too unwell to make the journey from Osaka. He gets on fine with the guards at the detention centre, but rarely smiles or makes a joke. He seldom speaks of the past or of his family, and never about friends.

“My impression is that he is totally sane,” says one who knows him. “There’s nothing crazy about him except the way he treats women. He’s very, very clever but very selfish, totally convinced that he is right, and he never listens to the opinions of other people. But I don’t think he ever had a true friend he could rely on, and he doesn’t now. He is a very lonely person. Apart from his lawyers, there’s no one he can rely on or consult.”

In court, he follows the proceeding with concentration, scribbling notes and whispering with his lawyers. But at the two hearings last month, as he hunched in the dock, another middle-aged man sat a few feet away — Tim Blackman, whose campaign to find his daughter led directly to Obara’s arrest. He sat with his daughter, Sophie, and his partner Josephine, listening calmly while the man in the dock tried to convince the court that his daughter was a drug user.

I asked Tim Blackman what it was like to see face-to-face the man accused of killing his daughter. “I could be a bit odd,” he said. “I’m prepared to admit that. But I see somebody who is the same age as me, who has, by his actions, produced the most terrible situation for himself by doing something so heinous to somebody else’s life. And in a very strange way there’s a pathos that neutralises the more natural anger. I feel sorry for him. I do feel sorry for him.”
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by thinkpod | 2005-08-18 18:53 | 半島