「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:国際( 36 )


2008年 03月 15日

洞爺湖サミットで日本は“不平等条約”京都議定書の愚を繰り返すな

 CO2(二酸化炭素)などの温室効果ガスについて、拘束力のある削減目標を一部の先進諸国に課した京都議定書は、大変な“不平等条約”である。目標達成のために、日本の産業界は、世界随一の製造技術・設備を持ちながら、排出権購入のコスト負担を強いられて競争力を低下させつつあるという。

 そこで注意したいのが、ポスト京都を論じる7月の洞爺湖サミットだ。このサミットでは、京都議定書を採択した「地球温暖化防止京都会議」(国連気候変動枠組み条約締約国会議、以下は京都会議)と同様、再び、日本に議長国の役割が巡って来る。準備不足のまま会議に突入し、大盤振る舞いによって成功を収めようとすると、京都会議と同じ轍を踏みかねない。ポスト京都は、2050年までという長丁場の枠組みとなるだけに、福田康夫政権は、周到に戦略を構築してサミットに臨む責任がある。

実は日本は
温暖化ガス排出量の優等生

 昨年2月、最優秀ドキュメンタリー部門など2部門で第79回アカデミー賞に輝いた映画『不都合な真実』の中で、主演のアルバート・ゴア米元副大統領が明かした衝撃的なデータをご記憶の読者もいるのではないだろうか。

 そのデータは米エネルギー省の調査によるもので、日本の「地球温暖化への寄与度」は、わずか3.7%と、米国の30.3%、欧州の27.7%、ロシアの13.7%などに比べて格段に小さい。世界のGDPに占める日本の割合は約1割。つまり、日本は米国や欧州の半分に匹敵する経済規模を持ちながら、温暖化ガスの排出量は米国、欧州の1~2割に過ぎないというのだ。このデータは、日本の優等生ぶりをくっきりと浮き彫りにした。

 ゴア元副大統領は映画の中で、自動車の燃費効率の向上がCO2の排出削減に役立つことも指摘した。この面で、日本が現在、1リットルあたり19キロメートル以上という世界で最も効率的な燃費の達成を義務付けていることを紹介したうえで、2005年の2月から9ヵ月の間に、株式の時価総額で、トヨタ自動車が11.86%、ホンダが3.28%それぞれ上昇したのに対し、米フォードが33.20%、ゼネラル・モータースが38.84%下落した事実を示して、日本企業が優れた技術を開発することで、収益的にも成功してきたと強調した。

 ところが、日本企業は、温暖化ガスの排出削減が十分でなかったとして、海外から排出権を購入する必要に迫られている。3月9日付けの日本経済新聞は、電気事業連合会や日本鉄鋼連盟が、今後、海外から取得するCO2の見込み額を日本経団連に報告したと報じた。それらをまとめると、産業界は、京都議定書の温暖化ガス削減目標を達成するため、2012年までの5年間に、合計で2億~3億トンあまりの排出権の購入が必要と予測している。そして、新日鉄の試算によると、それらのコストは、最低でも5000億円と巨額になるという。

 別の報道によれば、こうした日本の産業界の足許をみて、海外ではすでに排出権を買い占める動きが活発になっており、実際に産業界が負担する費用は、その何倍にも膨らんだとしておかしくないとの見方もある。

 なぜ、あまり温暖化ガスを出さない日本の企業が、そんな理不尽なコスト負担を強いられる破目に陥ったのだろうか。

 ここで避けて通れないのが、京都議定書の内容をきちんと分析することだ。マスメディアでは、「環境」といえば、何でも推進せよという感情的な盲従派が多く、客観的な分析があまり見られない。が、実は、京都議定書は、日本にとって、大変な不平等条約なのだ。

 不平等条約と聞くと、京都議定書が採択された1997年12月の京都会議の報道を注意深く見ていた人は、温暖化の防止を「途上国の経済大国化にブレーキをかけようとする先進国のエゴの現れ」と決め付けて、中国やインドといった途上国が温暖化ガス削減の数値目標の受け入れを拒んだことを連想するかもしれない。あるいは、中国に網をかけられなかった点を理由にして、米国が京都議定書を批准しなかったことを想起する人もいるだろう。だが、そういったことは、実は、京都議定書が日本にとって不平等条約である理由のほんの一面に過ぎない。

EUに有利なルール作りが
日本に理不尽を強いる

 まず重要なポイントとして指摘したいのは、温暖化ガスについて、1990年を基準として、2008年から2012年の5年間に、ロシアが0%、日本、カナダが6%、米国が7%、欧州が8%それぞれ削減することで合意した、「削減率のマジック」である。

 1990年という時期は、1970年代の2度の石油危機、1980年代の円高不況の直撃を受けて、日本の産業界は、燃料節約、コスト削減の観点からスタートして製造工程を見直し、その結果として温暖化ガスの大幅な排出削減も達成した後にあたる。つまり、1990年を基準にすることは、日本勢にとって、乾いた雑巾をさらに絞れというような無理を求めるものに他ならない。

 さらに、削減率のマジックが追い討ちをかけることになる。1990年を基準として、ロシアが0%、日本、カナダが6%、米国が7%、欧州が8%それぞれ削減するという、いわば表向きの削減率は、実質的な削減率と大きな隔たりがあるからだ。実は、京都議定書が採択された1997年12月段階で、日本の温暖化ガスの排出量は2000年に1990年比で13%増の13億4000万トンに膨らむと見込まれていた。つまり、1990年比の6%削減には、2000年比で19%の削減が必要だからである。同様に、米国の実質的な削減率は22%、カナダのそれは25%と膨大だ。

 対照的なのは、ドイツ、イギリスの欧州勢と、ロシアである。温暖化ガスを垂れ流し放題だった東ドイツを統合したドイツは排出削減が容易で、2000年に19%の削減を達成しており、実質的には11%も増やすことができたのだ。同様に、1990年代に効率的な発電所への転換を進めたイギリスも実質的には5%拡大できた。景気後退が著しかったロシアに至っては、実に38%もの増大が可能だったのである。

 以上の実質的な削減(増加)率データの検証は、中部大学の武田邦彦教授が文藝春秋の2008年3月号で示したものであるが、京都議定書が、いかに日本、米国、カナダの3国にとって不平等かつ過酷なものであるか、一目瞭然だ。そして、京都議定書を米国が批准せず、カナダも離脱したのは、その内容が理不尽だったからだとの指摘もある。日本では、両国の行為をエゴと決め付ける報道が罷り通ってきたが、不平等条約の内容を直視せず、甘んじて受け入れ、ツケを自国の産業に押し付けるような先進国は日本しかないというのが真相なのである。

 付け加えると、欧州が京都議定書に盛り込んだ欧州優位のマジックはこれにとどまらない。例えば、「共同達成」というEUに認められた方式もそうだ。ざっくり言えば、イタリアやスペインといった国が温暖化ガスをそれほど減らせなくても、ドイツやイギリスの削減分を回してもらうことみよって、目標をクリアーしたと見なすというものだ。EUは自陣に有利な体制の構築を成し遂げたと言える。

 さらに、ポスト京都に向けて、EUは加盟国を15カ国から27カ国に増やし、より削減余地の大きい旧共産主義国を取り込むことで、見た目には厳しい目標を掲げながら、実は容易に達成できる体制作りを狙っているという。

 こうした京都議定書の実態について、これこそ「EUの陰謀だ」との見方は少なくない。前述の武田教授は、EUの狙いが「石油枯渇後の世界における覇権」にあるという。

京都会議の戦犯は
国益を蔑ろにした官僚

 それにしても、いったいなぜ、このような不平等条約が罷り通ったのだろうか。

 「Kei(経)」2008年1月号(ダイヤモンド社刊)の『「ポスト京都」に向けた環境問題の新たな取組』で、当時の官僚たちの準備不足を指摘したのは、立命館大学の佐和隆光教授である。佐和教授は当時、NGOの一員として京都会議に参加していたが、旧通商産業省の担当者が議定書の内容を会議初日になってもよく知らなかった事実や、外務官僚が「排出権取引」を理解していなかった様子を描いたうえで、「議長国日本は、終始一貫、蚊帳の外に置かれっぱなしだった」と述べている。

 筆者が改めて取材したところ、たしかに、京都会議において、旧通産官僚や外務官僚は、京都会議や京都議定書の意味をほとんど理解していなかったようだ。旧通産省は、産業界の守護神的存在として振る舞うことに躍起で、交渉全体の行方に責任を持つ姿勢が乏しかった。外務官僚も、京都議定書の採択さえできればよく、中身が国益にかなっているかどうかは二の次という態度だったという。

環境官僚が不平等と知りつつ
確信犯的に条約批准に暗躍

 だが、「ミスター温暖化」の異名をとり、現在、環境省の最高幹部の一人に昇進している人物が、当時、確信犯的に暗躍していたことは見逃せない。この人物は、京都議定書が不平等条約であることを承知しながら、京都会議以降、日本の産業構造が大きく転換し、削減目標が足かせになることはないと判断して、鷹揚に不平等条約を受け入れたというのである。例えば、発電は、1990年代の欧州で進んだように、急ピッチで温暖化ガスを出さない原子力に移行し、鉄鋼は生産の海外シフトが進んで日本から主要な生産設備は無くなると予想していたという。

 関係者によると、この環境官僚は当時、鉄鋼会社の経営幹部に会って、「高炉をひとつかふたつ閉鎖すれば、排出権取引で巨額の利益が見込めるから文句はないでしょう」などと発言、むしろ鉄鋼会社に恩を売ろうとしていたという。

 これに対し、当の鉄鋼会社は、「バブル経済崩壊に続き、タイ発のアジア経済危機に直面しており、その後の中国特需や鉄の復権など予想もできない時期だった」と洩らす。換言すれば、鉄鋼会社として反論する元気がなかった時期であるということによって、ミスター温暖化とのやりとりにおいて反論をしなかった、とまで認めているのである。要するに、産業界は、これほど景気が回復して生産増強が実現し、排出権の購入というコストが必要になるなどと考えていなかったというわけだ。

 余談だが、鉄鋼などの世界市場では、米国を中心に反ダンピング提訴が横行し、自由貿易が機能していない問題がある。これこそ、より本質的な問題かもしれない。というのは、本来、自由貿易が機能しており、高品質低価格の日本製品の輸出が拡大していれば、海外メーカーは生き残りのため、先を争って日本製の製造技術や設備を購入せざるを得ず、日本並みに温暖化ガスの削減も進むはずだからである。ところが、反ダンピング提訴の横行によって、そうした市場メカニズムが機能しておらず、「排出権取引」という擬似的な市場メカニズムを導入する必要が出たうえ、その設定の不合理から、遅れた設備を使う他国メーカーでなく、日本勢が排出権の購入を迫られているというのは、なんとも理不尽と言えるのではないだろうか。

政府はサミット成功のために
日本の競争力を殺ぐ拙速を避けよ

 福田政権は、経済界と協力して戦略構築するステップを踏まずに、最近になって、洞爺湖サミットのアジェンダ作りのため、突然、環境問題を前面に押し出した。というのは、政府は、昨年12月のバリ会議で、温暖化ガス削減のための国別の上限枠の設置に猛反対しておきながら、福田首相が今年1月のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)に出席。突然、サミット最大のアジェンダとして環境問題を取り上げて、国別目標を導入する考えを表明したからである。

 環境問題は、本来、長期的視点で取り組む必要のある課題だ。ところが、昨年のハイリゲンダム・サミットで、安倍晋三前首相が唐突に「美しい星50」構想を提案し、2050年までに世界の排出量を現状の半分に削減する目標を掲げた。あの拙速ぶりには、首を傾げざるを得なかった。温暖化ガス半減といえば、先進国がまったく温暖化ガスを出さず、発展途上国が現状で凍結してようやく達成できる過酷な目標だからである。

 今回の福田政権も、それに劣らず、拙速との印象を免れない。日本経団連の奥田硯前会長を急きょ、内閣特別顧問や「地球温暖化問題に関する有識者会合」座長に担ぎ出し、その発言力で、産業界の押さえ込もうとするかのような対応も、反発を呼んで逆効果になりかねない。

 むしろ、政府は、世界規模で産業セクターごとに効率化を目指す目標を掲げて、日本勢の競争力を損なわない配慮をするべきだ。製造業に比べて、対応が遅れている分野の戦略作りも急ぐ必要がある。環境省によると、2002年度までの過去12年間に、製造業など産業部門のCO2排出量は0.7%減っているのに対して、逆に、一般のオフィスと家庭をあわせた業務部門は7.3%、運輸部門が3.6%も排出量が増えているからだ。

 まずはセクターごとの削減目標を積み上げて、足りなければ、きめ細かく追加努力を要請して、日本としての国別目標を構築することが、洞爺湖サミットへの第一歩であるべきなのだ。そうしたコンセンサスや戦略がないまま、本番に挑んだのでは、したたかな欧州に再びまんまとしてやられかないリスクを肝に銘じる必要がある。

町田徹(ジャーナリスト)
【第20回】 2008年03月14日
http://diamond.jp/series/machida/10020/
[PR]

by thinkpod | 2008-03-15 22:47 | 国際
2007年 06月 30日

一枚の写真が語る「アメリカと北朝鮮との間にだけあって日本にはない」関係

—— 日米間に“すれ違い”の危機、静かに漂う緊張感  ——

 このブログを読んでいただいている方に、1月末に硫黄島訪問の報告をして以来、約2ヶ月もお休みをしたお詫びをしなければならない。その一番の理由は、私が二月初め2週間のアメリカ取材旅行を終えて帰国した直後から、拙著「銃を持つ民主主義—アメリカという国のなりたちー」の英訳原稿をチェックする作業に忙殺されているためだ。
 拙著は日本在住のアメリカ人翻訳家、デービッド・リース氏の手で全文が英訳され、この夏に、「 Democracy with a Gun — America and the Policy of Force —」というタイトルで、カリフォルニア州バークレーの出版社、Stone Bridge Press社から出版される。多くの方々の支援のおかげで、日本人によるアメリカ論を直接アメリカ国民にぶつけるという珍しい機会を得たわけで、感謝している。まだ四月一杯、校正作業は続く。
 しかし、それを中断しても、是非報告しておかねばならないと思う状況が生まれてきた。2月13日に北朝鮮の核兵器放棄に向けた「初期段階の措置」で六カ国協議が合意に達し共同文書が採択された段階で、はっきりしてきたアメリカと北朝鮮との特別な関係についてである。
 より正確にいえば、現在、日本が拉致問題をめぐる対立によって世界の国々の中で唯一敵対的な関係にある北朝鮮とアメリカとの間にだけ存在する関係を、きちんと捉えておかねばならないと思うからである。
 突き詰めていくと、最近の従軍慰安婦問題での安倍首相以下の発言に対するアメリカ国内での反発とも連動して、日本とアメリカの関係は、日米同盟全体の強度を試す重要な局面となってきている。緊張感が静かに漂っている状態だと思う。

〇アメリカ外交の転換点に遭遇

 北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議の行方は、まだ定かではない。本稿執筆中の4月上旬現在、アメリカが凍結を解除したマカオの銀行バンコ・デルタ・アジア( BDA )の北朝鮮資金の中国銀行経由の送金問題が技術的に解決せず、休会状態が続いている。 BDA資金の凍結解除と引き換えに、北朝鮮がミョンビョンの核再処理施設の作業を停止、封印し、五カ国側もその代償として「すべての核計画の完全な申告とすべての既存の核施設の無能力化」を条件にコミットした重油100万トン供給の、いわば手付けとして5万トンを支援する——との「初期段階の措置」のシナリオは、宙に浮いている。
 しかし、はっきりしていることもある。
 一つは、アメリカが「テロ国家との直接対話には応じない」とのブッシュ政権発足以来の立場をあっさり変え、1月16日から3日間、ベルリンで行われた北朝鮮との直接会談で、2月の再開六者協議での共同文書合意の原型となる実質的な取引をまとめ、その内容をメモにしたMOU (覚書)まで作っていたという事実である。
 私はたまたまアメリカ旅行中の1月末、この米朝急接近の動きを肌で感じる経験をした。
 1月27日、ニューヨークで会った東アジア問題専門のベテラン学者はこういった。「どうやら1月のベルリンでのクリストファー・ヒル国務次官補と、金桂寛外務次官との会談で、大きな前進があり、MOUまでできたようだ。しかし、ワシントンでのブッシュ政権内での対北朝鮮強硬派との調整が済んでおらず、球は90%アメリカサイドにある」。 要するに、まだ様子眺めの慎重な態度だった。
 それが4日後の31日、又同じこの友人に会うと、「強硬派の抵抗は排除されたようだ。ジョセフ国務次官辞任の発表がその証拠だ。中国による六者協議再開の発表は、ブッシュ大統領緒がライス国務長官の説得を受け入れて、ヒル次官補の交渉結果を承認したことを意味する。
 2006年の年頭からDBD資金問題を糸口に、北朝鮮側から直接会談での取引を執拗に持ち掛けられ、アメリカ側も六者会議の枠内だとの建前論でこれを受け入れた。ベルリン会談の開催は、2006年末六者会議が中断した段階から決まっていたようだ」と語ってくれた。
 つまり、アメリカは、はっきりと対北朝鮮政策を転換したのである。イラク戦争の泥沼化による2006年の中間選挙での敗北後、ブッシュ政権内でネオコン勢力が力を失い、ライス国務長官の主導権の下で、核実検やミサイル発射は不問にして、とにかく北朝鮮の核開発に歯止めをかけることを優先する現実主義路線が実行に移されたというわけである。ヒル次官補がその立役者であった。
 私が接したのはこのアメリカ外交の転換点だった。

○どこまでいけるか「アメリカ頼み」

 もう一つはっきりしているのは、日本が置かれている立場である。安倍政権は、このアメリカの変身の中でも、あえて「拉致問題が進展しないかぎり、北朝鮮支援は行わない」として、「拉致問題は解決済みだ」とする北朝鮮と真正面から対決する基本政策を打ち出し、北朝鮮以外の五カ国がこの日本の特殊事情に理解を示すことを取り付けた上で、共同文書に同意した。
 問題はこの「理解を示す」内容である。中国、韓国、ロシアの場合は交渉をまとめるうえでのレトリック、実質的にはいわゆる外交辞令の枠を出ていないことを確認しておかねばならない。
 中国の温家宝首相が4月11日からの日本訪問前の記者会見で、拉致問題について「私たちは理解と同情を示し、必要な協力を提供するとも表明してきた」と述べているのが、精一杯といったところである。温家宝首相は「日朝国交正常化協議は解決に資するものと考えている」とも述べて、ハノイでの日朝作業部会の決裂を知ったうえでも、仲介の労をとるそぶりもみせていない。
 少なくともこれまでのところ、アメリカだけは違う。同盟国としてこの日本の立場に協力し、日朝間での拉致問題の進展がない限り、北朝鮮側が強く望むアメリカによる「テロ国家支援指定」の解除、「敵国通商法」の適用終了措置などには応じないとの姿勢を明らかにしている。4月末のワシントンでの安倍—ブッシュ会談でも、原則的には、米側から、このコミットメントが示されるとみられる。
 しかし、いま安倍外交につきつけられているのは、最後は「アメリカ頼み」となるこうした北朝鮮強硬路線が、どこまでうまく機能するのかどうかという課題である。ライス国務長官—ヒル次官補のコンビによって、アメリカの対北朝鮮外交の現実主義路線への切り替えが実行に移される中で、当面はともかく最後には、北朝鮮とアメリカの取引のなかで日本が取り残され、裏切られるような結果になる可能性がないとはいえないのではないか・・・といった不安が付きまとうぎりぎりの状況である。3月19日、事前の予想に反して、ヒル次官補が総額24億ドルにのぼるBDA 資金全額の全額凍結解除という北朝鮮の要求に実質的に応じる発表を行った夜、先に触れたアメリカの友人に電話を入れてみると、「ベルリン会談で合意済みだったようだ」とこともなげだった。
 こうしたアメリカの譲歩にもかかわらず、実際の送金が確認されるまで「初期段階の措置」はとれないと、金桂寛次官が平然と六者会議の場を去るのを見て、「(アメリカは)ここまでコケにされて、よく北朝鮮に付き合っている。あり得ない話だ」と、日本の協議関係者があきれて語った(3月23日朝日新聞朝刊)といわれるように、安倍外交もアメリカの「敵前逃亡」を覚悟しておくことが必要かもしれない。
 確かに、ベルリン会談でアメリカ側が日本の拉致問題解決を北朝鮮との取引のなかで持ち出していた、という情報は何一つない。
 この点を捉えて、今度の米朝急接近を、1971年、日本の頭越しに始まった米中和解、つまりニクソン・ショックの再来だとして、日本外交孤立の可能性を指摘することはたやすい。
 しかし、私は冒頭にも述べたように、いまそれ以上に重要な、ほとんど知られていない北朝鮮とアメリカとの関係について、報告しておくことが大切だと思う。表面的な激しい対立にもかかわらず、そして時系列的に言えば、ブッシュ政権が北朝鮮をイラク、イランともに「悪の枢軸」と決めつけた後でも、両国間には水面下で、日本には無い接触、つまり独自の民間レベルでの友好的な関係を維持して来ているという現実である。

○IT技術英語の研修

 ここで一枚の写真を掲載させてもらう。
 すべてを物語ってくれると思うからである。



 この写真(*写真を直接クリックすると拡大表示される)は、2006年8月1日、北京の漁陽(Yu Yang)飯店玄関前で撮られた。撮影者は1870年にメソディスト教会の手で創立された長い歴史を持つニューヨーク州北部の名門大学、シラキュース大学のスチュアート・ソーソン教授。 今回の掲載では、同教授自らの許可を得た。
 写っているのは、アメリカと北朝鮮の学者、研究者27人。ソーソン教授が中心となって、2003年以来、平壌にある北朝鮮を代表する理工系大学、金策工業綜合大学とシラキュース大学との間で続けられているIT技術の基礎研修プロジェクトに参加した双方の学者、研究者ら全員の記念撮影である。
 金日成バツジをつけた北朝鮮参加者は20人、女性4人が含まれている。残りがシラキュース大学から派遣された講師陣ら。研修はこの日から三週間続けられた。ソーソン教授の報告によると、テーマは「コンピューターと情報技術における基礎的なアメリカ英語の取得とその水準の向上」で、英語の力に応じて北朝鮮参加者を2グループに分けて行われた。
 建前上は、両大学間の「双務的研究協力」と銘打たれている。しかし、実際は、シラキュース大学側が、東アジア地域での相互の信頼関係に基づく学術科学協力の基盤を築くことを目標にかかげ、すでに中国その他での実績を持つ「地域研究者、指導者セミナー」(RSLS)の一部として、資金も人も投入して行っている教育プログラムである。その根っこには、「世界のあらゆる人々との信頼関係の構築」、「閉ざされた社会を開くことへの挑戦」—という19世紀末のシラキュース大学建学当時までさかのぼるアメリカ型使命感がある。

○ミサイル発射後も開催

 注目しておかねばならないのは、このタイミングである。昨年8月といえば、北朝鮮が7月にミサイルの連続発射を強行した直後で、アメリカや日本との緊張状態がピークに達していた時期である。日本では制裁論などが声高に叫ばれていた。その時に、北京では、北朝鮮のエリート学者がアメリカ人教授からIT英語の研修を受けていたわけである。しかもこのセミナーには積み重ねの歴史がある。2006年が初めてではない。2005年も同じ北京の漁陽飯店でほぼ同じ時期に、北朝鮮側から22人が参加して開かれている。
 それだけはない。最初の研修は、2003年4月、つまりブッシュ大統領がその年の年頭教書で北朝鮮、イランとともに「悪の枢軸」のひとつに上げたイラク攻撃に踏み切った同じころ、シラキュース大学キャンパス内で、はるばるピョンヤンからやってきた金策工業総合大学の6人を迎えて行われた。アメリカ国務省から正式にビザを得ていた彼らは、三週間も滞在、ナイヤガラの滝観光やウオール・ストリートのニューヨーク証券取引所見学などの接待も受けた。
 ソーソン教授によると、2004年は「両国間の政治関係の悪化」の影響を受け、中断され、以後、経費節約と金策工業総合大学側の参加者を増やせる利点もあって北京での開催に切り替えたという。2005年11月には、金策工業総合大学のホング・ソ・ホン総長がシラキユース大学を訪問、ナンシー・カンター総長との間で、RSLS参加の文書に調印している。ホン総長は、これまでアメリカを訪問した北朝鮮の学者としては最高位の人物。
 外部からの資金提供者には、週刊誌「タイム」の創業者で、かつては反共の闘士としてならしたヘンリー・ルースの遺産で運営される「ヘンリー・ルース財団」が最初から名を連ねている。最近では、強力な資金力を持つキリスト教高等教育アジア合同委員会も加わった。仲介役としては、朝鮮戦争直後に韓国とアメリカとの友好親善団体として設立され、ニューヨークに本部があるコリア・ソサエティー。
 インターネットがまだ接続していない金策工業総合大学側との連絡はニューヨークの北朝鮮国連代表部が受け持っている。韓国からも政府、民間の双方から資金が提供されており、北京の研修には中国のRSLS経験者も参加している。
 要するに、アメリカ、北朝鮮、韓国の三者一体、さらに中国も陰に陽に加わった立派な民間交流が粛々と進行しているということである。2006年には、1947年創立のコンピューター機械協会(ACM)が主催する国際カレッジプログラムコンテストへの北朝鮮のチームの参加が、これら関係国、団体の協力で実現した。現在、コリア・ソサエテーの幹部は、アメリカのフルブライト留学制度の対象に北朝鮮の学者も加えるべきだとの運動を展開しており、すでに韓国フルブライト委員会は全面的に賛成しているという。
 こうした「アメリカだけにあって日本にはない関係」、あるいは「日本だけになくてアメリカ、韓国、中国にはある関係」は、今際限なく広がっていく形勢である。1994年に故金日成主席との間で、核凍結での「枠組み合意」をまとめ上げた実績を持つ民主党がアメリカ議会で多数派の地位に返り咲いた中で、この動きはますます加速する気配である。
 拉致問題という日朝間のトゲを取り去るためにも、しっかりと目も向いておかねばならない動きである。そしてその底には、日本とアメリカとの間の、朝鮮戦争3年間の敵対関係と、35年間にわたる朝鮮半島植民地化の傷跡との違いに始まる歴史的、構造的な“すれ違い”—という根源的な課題が横たわっている。
 一枚の写真が語るものは重い。

(注) 私は米朝間の民間レベルでの接触については、中央公論2004年3月号に アメリカがにらむ「危機」後の統一朝鮮 ー水面下でつながる米朝関係ー と題して報告して以来、追い続けており、1年前のこのブログ開始時にも二回にわたり、「アメリカにあって日本にない関係」と題して、書いております。いずれもこのブログの『図書館』に収録してあります。今回はその続編といったところです。  松尾文夫
  (2007年4月10日記)

松尾文夫「アメリカ・ウォッチ」
http://homepage.mac.com/f_matsuo/blog/fmblog.html





平成18年11月27日

     米側で同時進行した日本本土奇襲開戦計画

 クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作が話題になっている。一つの戦闘局面を日米双方から公平に描くという発想が、戦後60年を経て、ようやく米国民にも抵抗なく受け入れられるようになったのだろう。

 時代がここまで進んできたのだとしたら、次はぜひとも「パールハーバー」を2部作で映画化してほしいものだ。日本側の真珠湾奇襲計画と、米側の日本本土奇襲計画を同時進行で描く。2部作でなく、1本の作品で交互に双方の作戦を進行させていくのもいいだろう。

 ルーズベルト政権の秘密作戦については、当コラムで5年前に書いているのでバックナンバーを探していただきたい(「アメリカ伝統の秘密戦争(続き)」01/10/10)。

 米国では今年になって『予防攻撃〜真珠湾を防ぎ得た秘密計画』というタイトルの研究書が出版され、同時に著者が映画化の脚本まで完成して売り込み中だという。惜しむらくは無名の航空マニアのようで、レベルのほどは分からない。

http://www.preemptivestrikethemovie.com/

 1991年12月6日の米ABCテレビ「20/20」では専門家の歴史学教授が「本物の政府計画だ」とコメントしている。オリジナルの映像14分が2分割で見られるので、ご紹介しておく。専用ソフトがあればダウンロードもできる。

(前半)http://www.youtube.com/watch?v=C1cX_Fr3qyQ
(後半)http://www.youtube.com/watch?v=2Uf_3E4pn3U
 
 時系列に事実を箇条書きにしておこう。

1937年7月   米陸軍航空隊シェンノート大尉が退役して中国空軍を指揮。  同年12月   南京陥落
1940年12月21日 モーゲンソー財務長官、シェンノートらが米軍人による日本爆撃を立案。「木と紙でできている日本家屋には焼夷弾が効果的」と意見一致。
1941年5月   統合参謀本部(JB)が対日奇襲作戦「JB355」を策定。
同年7月23日 ルーズベルト大統領がゴーサイン。2日後に在米資産凍結。
   8月下旬 シンガポールに米人パイロット等三百人が集結。計画では9月下旬に奇襲爆撃決行。しかし機体の到着が遅れた。
   12月7日 日本側の真珠湾奇襲計画決行。

 「20/20」のスクープでは、戦闘機の護衛がなくて目的が果たせるかと疑問が出されていたが、後に出版された『ルーズベルト秘録』(産経新聞社、2000年12月)では、カーチス戦闘機350機がロッキード・ハドソン長距離爆撃機150機を護衛する計画だったと新しい情報を記している。

 アメリカ政府がこんなに堂々と対日奇襲作戦を計画し、実行に移していたというだけでも知らない人は驚くだろう。日本側の奇襲作戦と同時進行なのだから、映画的な題材としてこれほど魅力的な事実はないと思うがどうだろうか。

 しかし、これだけは付け加えておきたい。同じ奇襲作戦といっても、日本側は真珠湾の「海軍力」のみが攻撃目標であり、しかも直前に宣戦布告をする計画だった。
 これに対して米側の計画は、初めから民間の日本家屋を焼き払い、しかもそれを中国軍の攻撃に偽装しようというものだった。

 どちらが「sneak attack」(卑怯な騙し討ち)と断罪されるべきか、答えは明らかであろう。(06/11/27)(追補12/15)

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5562/column/column088.html
[PR]

by thinkpod | 2007-06-30 17:12 | 国際
2007年 04月 03日

利用され、悪用される歴史

オピニオン 慰安婦問題を国際社会が批判するほど日本は態度を硬化させて強く反発するだろう
加瀬英明(外交評論家)

Newsweek日本版 平成19年4月11日号

 このところ、日本では過去をめぐって熱い論争が繰り広げられている。戦時中の日本の行いが、いまだに国民を悩ませている。
 米連邦議会下院が第二次大戦中の慰安婦問題について日本政府に公式謝罪を求める決議を可決するという見通しに、多くの日本人は落胆している。日本政府にとっても意外な展開だ。日本がイラク戦争や対テロ戦争など、アメリカに惜しみない協力をしてきたことに照らすと、なおさらだ。
 国際社会は、日本があらためて気やすく陳謝することを渋る理由が理解できないでいる。しかし多くの日本人は、慰安婦や南京虐殺といった問題がどうして蒸し返されるのかが理解できない。
 第二次大戦以後、日本はアメリカ占領軍によって押しつけられた平和主義に従ってきた。日本のマスコミや知識人は平和主義を謳歌するため、再武装を阻むために日本が好戦的で危険な国だというイメージを作り上げてきた。そして日本軍が行ったとされる残虐行為を誇張したり、でっちあげた。

 1945年に日本が降伏してから間もない頃まで、国民の間に屈従を強いられることを阻む空気が強かった。
 国会は52年に、戦勝国が裁いた東京裁判を含む戦争犯罪裁判の被告を、戦争で戦死や負傷した名誉ある人々と同等に扱うことを全会一致で決めた。また当時の日本の総人口の半分が服役中の戦争犯罪者の即時釈放を求める請願書に署名し、主要政党が戦争犯罪という概念そのものを認めなかった。
 しかし70年代ごろになると、そうした抵抗感が弱まった。戦争の記憶が風化し、経済が急速に成長したからだった。多くの国民が未曾有の豊かさに浮かれ、商売のためなら近隣諸国に許しを請うことをいとわなかった。
 93年に、河野洋平官房長官は日本が戦争中に女性を軍のために強制的に売春させたことを謝罪した。その3年後、終戦50周年の記念日に社会党(当時)の村山富市首相は、戦争中の日本の侵略行為が近隣のアジア諸国に「多大の損害と苦痛」を与えたことを詫びた。

謝罪のメリットがない

 だが最近、長年にわたって影を潜めていたナショナリズムがいくつかの理由によって台頭している。
 まず2000年代初めまで続いた経済不況に見舞われると、謝罪する見返りが明確でなくなった。また、保守本流の安倍晋三首相は53歳で、閣僚や補佐官のほとんどが40~50代だ。この世代にとっては、生まれる前に起きた出来事についてなぜ詫びなければならないのか、実感できない。
 日本のナショナリズムが復活している。中国の異常な軍事力拡張と、北朝鮮の核の脅威によるものでもある。近隣諸国が目先の利益のために、過去の出来事に悪乗りしていると思えることへの反発もある。
 韓国政府は1965年に日本との国交を正常化した際に、慰安婦問題にまったく触れなかった。日本の左翼が、80年代に入ってからこの問題を創りあげたのだ。
 慰安所も、その実態は商業施設だった。米陸軍の報告書によると、慰安婦は「売春婦」であり、日本の官憲による「拉致」の例についてはひとつも見つからなかった。慰安婦の4割が日本人だったことにも注目すべきだ。
 多くの日本の政治家は、南京虐殺は中国が捏造したもので、中国がこれを使って政治経済などの領域で日本から利益を引き出そうとしているとみなすようになった。今年2月と3月には延べ60人以上もの国会議員による勉強会が3回催され、事件を否定する多くの証拠が提示された。

日本の姿勢が劇的に変化

 例えば、中国国民党中央宣伝部は南京陥落後11カ月にわたって300回以上記者会見を開いたが、虐殺について一回すら言及しなかった。蒋介石や毛沢東も、駐日戦争1周年記念日の演説で南京で虐殺があったと言っていない。
 日本の国会議員は最近、「南京事件の真実を検証する」議連を立ち上げた。今後どうあれ、これ以上謝罪することはなかろう。
 日本の姿勢は70年代と劇的に変わった。ここ数十年の間、日本の大半の歴史教科書に日本軍が南京で20~30万人の中国人民間人を虐殺したと記述されていた。現在、このような記述があるのは一つだけだ。
 公立学校では日の丸の掲揚と君が代の斉唱が義務化された。こうした些細にもみえる多くの兆候が、日本の空気が変わったことを示している。
 日本は常識的な防衛力と外交政策を兼ね備えた普通の国として、世界における地位を回復することを願っている。近隣諸国やアメリカが謝罪を迫れば迫るほど、日本の反発が激しくなろう。
(筆者は福田赳夫、中曽根康弘両首相の特別顧問として訪米した)



論評: 不公平に悪口を言われた日本--ニューズウィーク: 国際版

世界観: Hideaki Kase


客論評
加瀬英明
日本人の作者、歴史家

同国の戦時中の振る舞いがその国民を恐れ慄(おのの)かせるべく甦り、日本では最近、歴史が物議を醸している。(歴史問題が喧(かまびす)しい)
多くの日本人は、アメリカの下院議員が近々、第二次世界大戦中に帝国軍が「慰安婦」もしくは性奴隷を利用した、との嫌疑で日本政府に正式な謝罪を要求する、との可能性に失望している。
特に日本のイラクやテロとの戦争でのアメリカ政府に対する前代未聞の支援を考えて、この協議は日本政府を仰天させた。

世界は何故日本がもう一度「ごめんなさい」と言いたがらないか、という理由を理解出来ない。
だが、ほとんどの日本人は、何故慰安婦や南京大虐殺のような問題が再浮上したのか、という理由を全く理解出来ない。
第二次世界大戦以来、同国はアメリカ占領軍によって押し付けられた平和主義を守ってきた。
このような平和さを推進する為に日本のメディアや学識者達は、何が何でも再軍備させてはならない戦闘的な場所として、日本のイメージを作り上げた。
この危険を高める為に、メディアも誇張したり、更には日本帝国軍によって行われたと言われている、卑劣な行為をでっち上げさえした。

1945年の日本の降伏後数年間、多くの国民は、この押し付けられた穏和さを受け容れがたいと考えていた。
例えば1952年国会は、連合軍の戦争犯罪裁判で有罪判決とされた人々が、戦場で殺されたり負傷したりした人々と同様に扱われるよう、全会一致で求めた。
当時の日本の総人口の半数が、投獄されていた戦争犯罪者の即時釈放を求める請願書に署名し、当時の主要政党はいかなる戦争の罪悪感を受け容れる事を拒絶した。
しかしながら1970年代までに、戦争の記憶が薄れ、経済が好況になり始めた中、この抵抗は縮小し始めた。
前代未聞の豊かさに毒され、これが商売に良いと分かれば、日本は喜んで近隣諸国の許しを求めた。
1993年、河野洋平官房長官は、日本が戦争中に女性を強制的に売春させていたと、謝罪した。
3年後、日本降伏50周年に、社会党出身の村山富市総理大臣は、戦争中の日本の侵略行為が多くのアジアの国々に「著しい損害と苦痛」を生じた、と認めた。

しかし近年、長い間姿を顰めていたナショナリズムが、いくつかの要素の為に再び頭をもたげ始めた。
第一に、この10年間の初頭にまで及んだ経済不況の間、謝罪する事の利益は明確さを失った。
第二に、保守派の安倍晋三総理大臣は53歳であり、彼の閣僚と側近のほとんどは40代と50代である。
そのほとんどは、何故彼らが、自分達が生まれる前に起こった事件の贖罪をしなければならないのか、理解していない。

日本のナショナリズムは、中国の憂慮すべき軍事増強と未だ初期段階の北朝鮮の核兵器の脅威によっても、復活させられている。
またそれは、日本の近隣諸国が現在の利益の為に悪い歴史を利用している、と見受けられる事に応じて急増した。
例えば、南朝鮮政府は、同国が1965年に日本政府と国交正常化した時には、慰安婦問題を取り上げすらしなかったのだ。
このトピックを1980年代に最終的に持ち出したのは、日本の左翼主義者達だった。

売春宿は商業施設であった、というのが事実である。
慰安婦達が売春婦であり、日本当局による「拉致誘拐」の例は一件として発見しなかった、とアメリカ軍の記録は明らかに宣言している。
また、これらの女性達の40%が日本人である事も、注記に値する。

多くの日本の政治家達も南京大虐殺は、他の分野で譲歩させるべく日本に圧力をかける為にこれを利用している、中国側のでっちあげだと考えるようになった。
60人以上の国会議員達が、2月と3月に研究会を数回開催した。
虐殺が誤りである事を証明する多くの証拠が提示された。
例えば、中国国民党情報省が南京陥落後11ヶ月に渡って、300回以上の記者会見を実施しているにも関わらず、虐殺については一度も一言も発していない。
蒋介石も毛沢東も、最初の終戦記念日の声明でそれに言及しなかった。

議員達は現在、事実を研究すべく、新たな会を設立している。
彼らが何を発見しても、更なる謝罪は有り得ない。
日本の態度は1970年代以来、劇的に変わったのだ。
例えばこの数十年間、多くの日本の歴史教科書は、日本軍が南京で20万人から30万人の中国人民間人を虐殺した、と非難した。
今日、このような事件に触れている教科書は一冊だけである。
日の丸に敬意を表し、国歌(題名は『君が代』と訳される)を歌う事は、公立学校では義務になった。
これらは些細ではあるが、どのように日本の感情が変わったか、という明らかなサインだ。
この国は普通(ごく当たり前)の国防政策と外交政策を持った、普通の国として、世界にその地位を再び得たいと心から願っている。
近隣諸国やアメリカがより厳しく謝罪を迫れば迫るほど、日本はますます抵抗し始めるかも知れない。

加瀬は福田赳夫総理大臣と中曽根康弘総理大臣の相談役を務めた歴史家であり作家である。


Newsweek誌での加瀬先生の反論-慰安婦問題
http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/5b392ea093103f5c060776dd3cd277e9/#comment



World View: Hideaki Kase


Guest Commentary
By Hideaki Kase
Japanese Author, Historian

April 2, 2007 issue - History is a hot topic in Japan these days, with the country's wartime behavior returning to haunt its citizens. Many Japanese are dismayed by the possibility that the U.S. House of Representatives will soon demand a formal apology from Tokyo for the imperial military's alleged use of "comfort women," or sex slaves, during World War II. This talk has taken the Japanese government by surprise, especially given its unprecedented support for Washington in Iraq and the war on terrorism.

The world can't comprehend why Japan is reluctant to say sorry once more. But most Japanese can't understand why issues like the comfort women or the Nanking Massacre have resurfaced at all. Since World War II, the country has abided by the pacifism forced on it by the U.S. occupation. To promote such peacefulness, the Japanese media and intellectuals created an image of Japan as a warlike place that had to be prevented from rearming at all costs. To heighten the danger, the media also exaggerated or even invented wretched acts supposedly committed by Japan's imperial forces.
 
In the first years after the nation's surrender in 1945, many of its citizens found this imposed meekness hard to take. In 1952, for example, the Diet unanimously called for the men convicted by the Allied war-criminal trials to be treated the same as those honorably killed or injured on the battlefield. Half of Japan's then population signed petitions calling for the immediate release of incarcerated war criminals, and the major political parties of the day refused to accept any war guilt.

By the 1970s, however, this resistance began to diminish as memories of the war faded and the economy began to boom. Intoxicated by its unprecedented affluence, Japan was willing to ask forgiveness of its neighbors if this proved good for business. In 1993, Chief Cabinet Secretary Yohei Kono apologized for Japan's having coerced women into prostitution during the war. Three years later, on the 50th anniversary of Japan's surrender, the Socialist Prime Minister Tomiichi Murayama acknowledged that Japanese aggression during the war had caused "tremendous damage and suffering" to many Asian countries.

In recent years, however, long-dormant nationalism has begun to rise again due to several factors. First, during the economic slump that extended into the early part of this decade, the benefits of apologizing became less clear. Second, the conservative prime minister, Shinzo Abe, is 53, and the bulk of his cabinet and aides are in their 40s and 50s. Most don't understand why they should do penance for events that occurred before they were born.


Japanese nationalism has also been revived by China's alarming military buildup and North Korea's nascent nuclear threat. And it has spiked in response to the way Japan's neighbors seem to be exploiting bad history for present gain. Seoul did not even raise the comfort-women issue, for example, when it normalized relations with Tokyo in 1965; it was Japanese leftists who finally broached the topic in the 1980s.


The fact is that the brothels were commercial establishments. U.S. Army records explicitly declare that the comfort women were prostitutes, and found no instances of "kidnapping" by the Japanese authorities. It's also worth noting that some 40 percent of these women were of Japanese origin.

Many Japanese politicians have also come to believe that the Nanking Massacre was a fabrication of the Chinese, who are using it to pressure Japan into granting concessions in other areas. More than 60 Diet members conducted several study sessions in February and March. Much evidence disproving the massacre was presented; for example, although the Chinese Nationalist Ministry of Information conducted more than 300 press conferences over 11 months after the fall of Nanking, it never breathed a word about any massacre. Nor did Chiang Kai-shek or Mao Zedong refer to it in statements on the first anniversary of the war.

Diet members are now forming a new caucus to study the facts. Whatever they find, further apologies are unlikely. The country's attitude has changed dramatically since the 1970s. In recent decades, for example, many Japanese history textbooks blamed Japanese forces for massacring 200,000 to 300,000 Chinese civilians in Nanking. Only one textbook mentions such events today. Saluting the rising-sun flag and singing the national anthem (the title of which translates as "Your Noble Reign") have become mandatory in public schools. These are small but telling signs of how Japan's sentiments have changed. The country is eager to resume its place in the world as a normal nation, with a normal defense and foreign policy. The harder its neighbors or the United States push it for apologies, the harder Japan may start pushing back.

Kase is a historian and author who served as an adviser to Prime Ministers Takeo Fukuda and Yasuhiro Nakasone.

Commentary: Japan Unfairly Reviled - Newsweek: International Editions - MSNBC.com
http://www.msnbc.msn.com/id/17770834/site/newsweek/
[PR]

by thinkpod | 2007-04-03 23:22 | 国際
2007年 03月 16日

世界一の債権国、日本に味方はいない

 日本は現在、世界一の債権大国である。GNP(国民総生産)が500兆円だが、それと同じ500兆円ほどを世界中に貸している。

 GNPと同じ規模の債権ということは、それを債務国が返してくれたら、日本人は丸1年間、働かなくてもいいということだ。もし10%ずつの利息をくれたら、年間50兆円も入ってくる。そうなれば、日本国民は税金をいっさい納めなくてもよくなる。

 このように、日本は気前よく貸したり投資して、世界一の債権国になっているが、それなのにあらゆる議論でその自覚がなく、日本は貧乏だとか、輸出をして金を稼がなければ生きていけないとか、相変わらずそうした話ばかりが聞こえてくる。

 それから、世界各国に金を貸したり投資したり援助したりしているから、みんな感謝しているはずだと日本人は思っているが、これは大間違いで、本当はみんな日本の敵なのだ。金を貸すと嫌われる。そんなことは当たり前であり、どうして日本人は忘れているのだろう。

 多くの日本人は、他人に金を貸すときの気持ちがあまり分かっていない。日本人には「何とかお金を借りて、それを真面目に返しました。わたしは立派な人間です」という感覚の人がとても多い。だから、金を貸せば感謝されるだろうと思っているが、外国でそんな感覚を持っている国はない。そのことを日本人は知らなすぎる。

 政策研究をしたり、日本国家の将来を考えたりする会合はいろいろなところで開かれている。それらに参加すると、「根本が抜けているな」とわたしはいつも感じる。つまり「金を貸す国はどうあるべきか」という議論がまったくない。貸したら真面目に返してくれる国を想定して議論を進めるのは、根本的に間違っている。


債権取り立てで頼りにならない日本政府

 世界一の債権国として、日本は外国に対してどういう態度をとればよいのか。それを考えるには、いくつもの段階を踏んで論理を積み上げていかなければならない。

 まず最初の段階は、世界の常識と日本の常識が、まるで違っていることを認識することである。国際金融において、「借りた金はなるべく返さない」のが世界の常識で、「死んでも返そう」が日本の常識だ。外国は返さないのが当たり前だと思っている。

 さらに、なるべく返さないだけではなく、国際金融では、外国は踏み倒そうとする。理由は、国際社会には警察も裁判所もないからで、国際金融にはそういう危険があることを、日本は認識する必要がある。

 それから、日本政府は外国政府に対して交渉をしない。特に民間債権の取り立てに関しては逃げてしまう。「民間のことは民間でやってください」と、大使館や領事館が逃げてしまう。

 そんな政府は世界では珍しい。外国の政府は民間の債権だろうと、一生懸命取り立てに励んでくれる。しかし日本政府は民間債権をかばってくれない。だから民間企業は政府を頼りにしてはいけない。


債務国には軍隊を出すのが国際常識

 第二に、債務を踏み倒す国に対しては軍隊を出すのが国際常識である。国家対国家はそれぞれ主権を持っているから、軍事力に対してだけは言うことを聞く。本当に軍隊を出すか出さないかは別として、まずそれが常識である。

 それでも債務国が債務を果たさなければ、軍隊が駐留することになる。「返すまでずっとそこいるぞ」と。実際、世界中でそうしたことが行われている。

 ずっと金を借りている国では、やがてどこかの国の軍隊が軍事基地を持つことになる。日本も昔は米国から金を借りていたから、その名残で今も軍事基地がある。

 本来なら、今は米国に金を貸しているのだから、「帰れ」と言えばいい。そして「ちゃんと返済するかどうか心配だ」といって、逆に日本が米国に軍隊を駐留させていいのだ。

 そんなことは国際関係論のイロハの「イ」である。だが日本でそれを言っても、だれも賛同しない。ワシントンで言えば、「それはそうだ」と賛同してもらえる。

 かつて日米貿易摩擦のころに、わたしはワシントンで米国人にこんな話をした。「米国は日本に国債を売りつけている。とめどもなく日本から借金をしている。やがて米国がその金を返さなくなったら、日本は取り立てるために、ホワイトハウスの横に日本の「債権取立回収機構」というビルを建てるだろう。そのビルの名前は“イエローハウス”になるだろう」と。

 そんな話を聞いても、米国人は怒らなかった。ユーモアも通じたのだろうが、「理屈で言えばそうだ」と言って、笑っていた。

 その“イエローハウス”が建ったとき、日本の軍隊が米国に駐留すると言うと、これは無用な制裁になるが、しかし、相手が米国ではなくもっと小さい国であれば、そういうことになるだろう。


債務国から「保障占領」という担保を取る

 金を借りている国が「軍隊の駐留を認めない」と言えば、日本は自然に、もう金を貸さなくなる。返してくれるかどうか心配だから、当たり前のことだ。

 すると相手国は困って、結局、「どうぞ駐留してください」となる。だから国際金融をやっていると、必ず軍事交流になってしまう。債務国は軍事基地を提供し、債権国は軍隊を海外派遣するようになる。これは当たり前のことで、世界では珍しくもなんともない。

 もしそれを避けようとするならば、「保障占領」という前例がある。つまり担保を取る。例えば、第一次世界大戦が終わったとき、ドイツはフランスに対して弁償金を払う約束をした。しかし、ちゃんと払うかどうか分からない。そこでフランスは、ルール地方の工業地帯に軍隊を入れて占領した。

 これは侵略でも占領でもない。担保に取っただけ。ドイツがちゃんと払えば、いずれ軍隊は引き上げると、フランスは約束した。これが保障占領という制度である。

 だから米国がもっと金を貸せと言うのなら、日本は米国のどこかを保障占領しなければいけない。これは全然おかしくも何ともない。

 日本の会社は世界各国で、担保も取らずに数千億円も投資して石油を掘ったり、プラントを造ったりして、没収された。日本人は大変お人よしだという例だが、そういう前例は枚挙にいとまがない。


戦争になったら周辺国は債務国に味方する

 次に、債権国と債務国の仲が悪くなって戦争になったとき、周辺の関係国や利害関係国はどちらの味方をするのだろう。これについても日本と外国では、常識がまったく違う。

 日本では、関係国は当然、債権国である日本に味方をしてくれると思っている。しかし現実はまったく逆である。

 今、日本が中国に「貸した金を返せ」と言い、中国は返さないと言って、戦争が始まったとしたら、周辺国はどちらに味方するだろう。日本が正しいのだから周辺国は日本に味方をしてくれると、日本人は思っている。だがわたしはその逆だと思う。周辺国はみんな中国の側について、日本に宣戦布告すると思う。日本から金を借りている国は、全部中国について、日本に宣戦布告する。

 それはなぜか。どうやら中国が勝ちそうだからだ。もしも中国が勝つなら、中国に味方しておけば、自分たちの日本からの借金をチャラにしてもらえる。それだけでなく、日本の財産をみんなでもらって山分けしてしまおうというわけだ。


債権国である日本は世界一立場が弱い

 前例はたくさんある。例えば、第一次世界大戦のときに、ドイツと英国・フランスが戦争をした。そのときに米国は英国・フランスの方に付いた。その理由の一つは、米国が英国とフランスにたくさん金を貸していたからだ。

 米国はドイツには金を貸していなかった。だから米国中の財閥や銀行、資本家は、英国とフランスに勝ってほしかった。ドイツが勝ったら、自分が英国やフランスに貸していた金がパーになる恐れがある。それは困るから、財閥や銀行、資本家は当時の大統領に英国・フランスの側に付けと、強力な圧力をかけた。

 つまり、みんな自分が投資した国がかわいい。そう動くのがお金の世界の論理だ。だから周辺国はまず武力が強くて勝ちそうな側に付く。それから、自分が金を貸している方に付く。金を借りた国には付かない。正義なんかは後回しである。

 日本は今、世界中に一番たくさん貸している国である。それは、世界で一番立場が弱い国ということだ。世界中から「日本が負けて借金がパーになってほしい」と思われている。

 中国の側について日本に宣戦布告して、中国が勝ったら自分たちも戦勝国だと乗り込んで来て日本から財産をぶんどる。それが国際常識である。これからの日本について考えるなら、現在のそうした状況を大前提としなければいけない。

現実主義に目覚めよ、日本!(第52回)
[日下公人氏]/SAFETY JAPAN [コラム]/日経BP社
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/52/index.html
[PR]

by thinkpod | 2007-03-16 02:04 | 国際
2007年 01月 17日

[アメリカ]共和・民主大逆転のアメリカ議会で「反日」「親日」勢力図はこう変わる

           古森義久     SAPIO 1/4号

アメリカの新議会のスタートとともに、「議会や政府では親日派が減って、反日派が増えるのでは?」という観測が日本側のあちこちで語られるようになった。議会のメンバーのこれまでの日本や日米関係に対する姿勢が全体として「反」方向に変わるだろう、という予測でもある。結論を先にいえば、こうした観測はやや皮相かつ短絡だといえよう。
 まずアメリカの議員の色わけをするにあたっての「親日」「反日」という区分が誤解を招きやすい。とくに「親日」という言葉には、アメリカ政治の現実からやや離れた思いこみがにじんでいる。極端な表現をすれば、アメリカの議会にも、政府にも、親日派というのは存在しない。親日というのは、普通の意味で日本に対し好意を抱いている、あるいは日本が好き、ということだろう。
親日議員というと、その政治言動も日本への好意や好感情に基づいて展開する政治家のイメージがわいてくる。だが残念ながら、そういう議員はアメリカ連邦議会にはいない。単に日本が好きだから、議会での立法活動もそれに合わせるというのでは、アメリカの議員としては失格である。
 その一方、日本を大切に扱い、日本との同盟を重視することが自国の国益に資すると考え、その考えに合わせた言動をとるアメリカ議員は存在する。そうした議員の活動を表面だけでみれば、親日と映るかもしれない。だがそれら議員の思考としては、あくまでの自国の国益が最優先の指針なのだ。
 同時に知日派の議員も存在する。日本に在住したことがある。留学したことがある。あるいは学術研究の対象としたことがある。そういう経験から日本についての知識や理解が豊かな議員たちである。だが単純な意味での親日議員がいないとの同様に、知日派だからいつも日本にとって好ましい政治の選択をするわけではない。
 
 こんな前提条件を強調したうえで、アメリカ新議会を改めてみまわすと、まず「親日派」が後退したように感じる最大の理由は、一九九八年から下院議長だった共和党のデニス・ハスタート議員が議長ポストを降りることであるのに気づく。ハスタート議員は一九七〇年代に日本の大阪に在住し、英語を教えた体験があり、それ以来、日本には親しみを示すことが多かった。たとえば二〇〇三年に北朝鮮に肉親を拉致された横田早紀江さんら「家族会」の一行がワシントンを訪問して、ハスタート議長を訪れたとき、同議長が「よくいらっしゃいました」などと、日本語で挨拶をしたという話は広く知られている。
 ハスタート氏が下院議長として法案の審議や公聴会の開催のプロセスで日本を重視し、対日同盟を堅持する姿勢を保ってきたことも事実である。同氏が議長から一議員になったことは、日本を重視するパワーも減るということだろう。
 しかし上下両院にはなお日本との関係を大切にする議員は少なくない。共和党にそうした議員が多いのは、共和党のブッシュ政権がそうした日本重視政策をとっているからだといえよう。上院共和党サム・ブラウンバック議員も、とくに拉致問題で日本への同情や理解を長年、示してきた。公聴会や記者会見にのぞむ姿勢も日本の人道上の苦痛に十二分に配慮するという構えだった。同議員は日米関係全般をも重視し、日本をいつも前向きの表現で語っている。なおブラウンバック議員は二〇〇八年の大統領選挙への出馬の意欲をもちらつかせている。
ハスタート、ブラウンバック両議員のような共和党保守派の政治家たちは、みな日米同盟をきわめて重視する。同じように安全保障政策から入ってきて、日米同盟堅持の重要性のために日本を大切にすべきだという立場を鮮明にするのは、共和党上院議員のジョン・マケイン氏である。同議員は二〇〇八年の大統領選挙での共和党側の最有力候補とされる。
民主党側でも日米同盟保持という点ではコンセンサスに近い支持がある。日本をよく知っており、日本について語ることの多い政治家といえば、上院のジェイ・ロックフェラー議員である。一九八〇年代から九〇年代にかけての貿易問題では日本を非難することも多かったが、安保面では一貫して対日同盟の紅葉を説いてきた。こうした面での上下両院議員たちの対日観について、議会調査局のベテラン専門官のラリー・ニクシュ氏は次のように語った。
「いまの議会には議員の賛否両論を激しく分けるような切迫した日本関連の摩擦案件がない。だから議員たちの間でも『親日』か、『反日』か、というような単純なレッテル区分はつけがたい。一九八〇年代の日米貿易不均衡、日本のFSX(次期主力戦闘機)問題などがその実例だった。日米貿易摩擦では日本の製品やマネーのアメリカへの流入に対し、日本を非難して、その規制にあたるか、あるいは日本市場の閉鎖性を非難して、懲罰的な措置をとるか、それとも安保面での日本の重要性を考慮して、そうした反日政策を自制すべきかどうか、である。だがいまは議員たちの意見が明確に二分されるという日本関連のケースはない」
日米貿易摩擦のころでも、アメリカ側の議員たちは地元選挙区が日本との貿易競争で被害を受けた鉄鋼企業とか自動車産業を抱えていれば、積極果敢に日本非難を表明していた。
日本の経済進出のために雇用が脅かされるという米側の労働組合も伝統的に民主党支持である。だから労組に日本非難が強ければ、その労組に支持された民主党議員たちは「反日」の立場をとるわけだ。
 だがこの種の摩擦がほとんどない現在、民主党議員たちの「反日」も大幅に薄まったといえる。好例は民主党の大ベテランのダニエル・イノウエ上院議員である。イノウエ議員は日系米人であるにもかかわらず、貿易摩擦で米側一般に日本非難の風潮が強かった時期は、単に日本に冷たいだけでなく、積極的に日本の「不公正貿易」などの糾弾の先頭にも立った。日本の市場閉鎖性などへの激しい非難をむしろ他の米側議員よりも早く、強く表明することが多かった。
 ところが最近ではイノウエ議員は日本大使館との交流にも快く応じ、日米関係の緊密化のために、多様な領域で日本への建設的な提言さえするようになった。九〇年代後半まではまったくそうした対日姿勢はうかがわれなかったのである。
 最近のイノウエ議員とは対照的に、同じ日系米人の議員でありながら、いまの議会では珍しく、はっきり「反日」と呼べるような言動をとるのは下院民主党リベラルのマイク・ホンダ議員である。同議員は日本の「従軍慰安婦」への賠償要求や第二次大戦中の米人元捕虜の強制労働への補償要求など、日本の政府や大手企業を相手取っての訴訟をプッシュする法案や決議案を次々に出してきた。選挙区のカリフォルニア州サンノゼ地区には中国系住民が多く、そこからの圧力で日本非難の動きへと走っているようだ。
一方、共和党でありながら日本関連のケースで唐突に、あるいは散発的に日本を糾弾してきたヘンリー・ハイド下院国際関係委員長の軌跡もおもしろい。ハイド議員は共和党保守派であり、日本との安全保障関係の強化にも積極的なのだが、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝には控えめながら、留保をつけた。なるべくなら参拝しないほうがよい、という意見だった。この一点だけで即「反日」と断ずるのは不正確だが、八十二歳のハイド氏が第二次世界大戦で日本軍と戦った体験があることも大きな要因のようだった。
 しかしハイド議員は今期でもう引退となった。上下両院の議員の間で日本軍との戦歴ありという人は数年前までなら二十人をも数えたが、いまではこのハイド氏を最後に対日戦争従軍体験者は両院から完全に姿を消すことになるという。
 下院国際関係委員会で日本の首相の靖国参拝をさらに激しく非難したのは民主党リベラルのトム・ラントス議員である。いま七十八歳の同議員はハンガリー生まれのユダヤ系で、アメリカ議会全体でただ一人のホロコースト生き残りである。十代の少年のころ、ナチス・ドイツの強制収容所に入れられ、脱出して一命を取りとめた経歴を有する。
 ラントス議員の靖国非難だけをみれば、日本に対し冷たく厳しいともうけとれるが、人権擁護派の同議員は中国の独裁政権に対してはさらに強硬な非難を明示する。そして日本との同盟関係には無条件の支持を表明するのだ。アメリカの議員の「親日」、「反日」という直線的な色分けが難しいことの例証がここにもある。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/102462/




アメリカ議会の女性議長は「反中」なのか。ペロシ議員にみる対中語録
2007/01/23 10:17

アメリカの政治への関心が高まっているようです。そのなかでも新しい民主党多数の議会の動向は日本側にとってもとくに気になるところです。
前回のコメントでは新議会の対日姿勢について報告しました。では中国に対する姿勢はどうでしょうか。
ここにアメリカ新議会の対中姿勢、対中認識に関して興味ある語録があります。女性で初めて下院議長となったナンシー・ペロシ女史の中国に対する種々のコメントです。
私はこのテーマについてこれまで産経新聞本紙その他で報道してきましたが、改めて詳細を以下に紹介します。

一月はじめに幕を開けたアメリカの第百十会期新議会では年来、中国を激しく糾弾し、「反中」とさえみなされてきた民主党議員たちが大きな役割を演じることになった。この事実は日本のマスコミではほとんど報じられていない。
その筆頭は下院議長となったナンシー・ペロシ議員である。
中国糾弾ということではペロシ議員のこれまでの言動は下院全体でも突出してきた。サンフランシスコを選挙区とするペロシ議員はそもそも自由や人権の擁護を信条とする超リベラル派であるうえに、選挙区内には全米でも最大規模のチャイナ・タウンを抱えている。この中国街には台湾系や香港系も含めて中国共産党の独裁態勢を批判する中華系住民が多い。
「胡錦濤は中国住民とチベット住民の自由、民主主義、宗教上の表現を残酷に粉砕した政権のリーダーである。そんな指導者が米国民の税金による赤い絨毯や二十一発の礼砲での大歓迎をブッシュ大統領から受けるのだ」
「この胡政権はイランや北朝鮮を含む国際的安全保障を脅かす諸国に軍事技術を提供するのだ。しかも台湾に軍事攻撃の脅しをかけ、政治や宗教の信条を表明する中国民を拷問にかけ、ダライラマの肖像画を持参するチベット住民を逮捕するのだ」
以上はペロシ議員がつい二〇〇六年四月、ロサンゼルス・タイムズに寄稿した一文の記述である。胡錦濤国家主席がワシントンを訪れ、ブッシュ大統領と会談する直前に、当時、民主党の下院院内総務だったペロシ議員は中国をこのように激しく非難し、ブッシュ政権の対中政策をも「苛酷な独裁政権に寛容すぎる」として糾弾したのだった。
一九八七年に下院に初当選したベロシ議員は八九年の天安門事件以後、中国糾弾を鮮明にするようになった。中国共産党による民主派弾圧を厳しく批判して、中国民主活動家たちが天安門広場に作った「自由の女神」のレプリカを自分の議員事務所に堂々と飾って、中国当局への抗議の意思を表明した。
九一年九月に中国を訪問したペロシ議員は天安門広場で中国の民主化を呼びかける政治スローガンを記した横断幕を掲げて、警官に阻止された。中国当局は同議員の言動を「反中の茶番」と断じて、公式に非難した。ペロシ議員は以来、中国政府首脳を指して「北京の殺戮者たち」という表現までを使うようになった。
ペロシ議員はさらに九二年に時の先代ブッシュ大統領が中国の当時の李鵬首相と会談した際には「米国大統領がなぜ殺戮者と握手するのか」と糾弾した。同議員は自分と同じ民主党のクリントン大統領に対してさえ、九七年十月の江沢民国家主席(当時)をホワイトハウスに招いての国賓ディナーに抗議して、「国無しディナー」を催し、「ブッシュ大統領は独裁者を甘やかせたが、クリントン大統領は独裁者の宣伝に努めた」と批判した。
ペロシ議員はそのうえに中国非難を単に人権の領域に留めず、中国の世界貿易機関(WTO)加盟や北京オリンピック開催にも強い反対を表明し、議会での投票でもその反対を体現してきた。要するに米国議会全体でももっとも過激な反中派と目されてきたのだ。
ペロシ議員は前述の昨年四月の寄稿論文では、中国による大量破壊兵器のパキスタンや北朝鮮への拡散、人民元レートの操作、貿易の不公正慣行などを非難し、ブッシュ政権の対中政策を「宥和的すぎる」と断じていた。ブッシュ政権が対中政策のキーワードの一つとする「ステークホルダー(利害保有者)」という用語をも「単なる楽観的な考え」と一蹴したほどだった。
こうした厳しい対中言辞の実績を持つペロシ議員が下院議長になるという見通しは中国側にも懸念を生んだ。北京の中国側の米国専門家たちやワシントンの中国大使館の館員らはペロシ議員が年来の反中姿勢を新議会での議事運営に反映させるという展望への警告をしきりに表明するようにもなった。
ただしペロシ議員は昨年十一月の中間選挙で民主党が進出し、下院議長に選ばれることが確実となってからは、中国を糾弾する言葉をとくに発していない。しかし同議員の補佐官は米国大手紙記者に対し「ペロシ議員は議長になっても中国の人権や自由への弾圧に対する見解は変えはしないだろう。だから下院本会議での審議法案の選択では議長として中国に対して強硬な法案を優先させるかもしれない」と語っている。

 ただしペロシ議員は中国非難をブッシュ政権への攻撃にも使ってきた。議会での多数党だった共和党を攻撃する手段に中国を使うという側面があったのだ。その野党側議員たちが議会での多数政党となると、立場はかなり異なってくる。ただ攻撃のための攻撃として、中国批判を展開することは難しくなるだろう。だからこれまでの激烈な中国非難の言辞も、レトリック過剰を差し引いて、受けとめる必要もあるようだ。
 だがなおそれでも、中国に対して年来、これほどの厳しい批判を浴びせてきた民主党有力議員が下院の議長という要職に就いたのである。民主党多数の新議会が中国にことさら甘くなったり、中国に踊らされるようなことにはならず、むしろ人権や経済という領域では中国をこれまで以上に強く、激しく、批判していく見通しが強いといえるのだ。

http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/105873
[PR]

by thinkpod | 2007-01-17 04:01 | 国際
2006年 09月 07日

「普通の国」日本を歓迎する――米有力論客の論文の重み

 「日本は憲法第9条を改正しなければ、『普通の国』になる決意を放棄するという不満足な道にとどまることになる」

 こんな大胆な指摘が米国の有力論客ジョージ・ウィル氏によってなされたことには驚かされた。ウィル氏といえば米国の政治評論家のなかでも超大物とされ、その言論は連邦議員たちだけでなくホワイトハウスへもずしりとした重みを与えている。保守派の論客だが、ブッシュ政権のイラク政策を批判したこともあり、独立独歩の姿勢はリベラル派からも真剣な関心を向けられる。

 そのウィル氏が8月27日付のワシントン・ポストへの寄稿論文で、日本が憲法第9条を改正して、「普通の国」になることを勧め、「普通の国家」としての日本は米国の国益にも寄与するという見解を表明したのだった。この動きは米国の最近の対日観を把握するうえでも、重大に受け止める必要がある。


「第9条は日本の政策形成を混乱させる」

 コラムの形をとるウィル論文のポイントを紹介しよう。タイトルは「日本の軍事を解放する」となっていた。憲法第9条で軍事面に課された厳しい自己規制を解除すべきだ、という趣旨である。

 「今日の日本国民は、自国が、ペリーの黒船を派遣した国から1947年に押しつけられた国家アイデンティティーを放棄することなく、自国の防衛や国際安全保障システムでの適切な役割を果たすことができるかどうかを自問している」。

 「日本の自衛隊は今年はじめの3カ月だけでも中国軍のスパイ機が挑発的に日本領空に接近したのに対し戦闘機を107回も緊急発進させた。中国の潜水艦が日本領海に侵入し、日中両国は東シナ海で石油やガスの資源を巡り紛争している。こうした状況では日本は必要とされる行動と憲法による制約との間の不一致を終結させる時である。この矛盾は日本の政策形成を混乱させ、国家的まひを生み出すのだ」。

 ウィル氏は日本が憲法第9条の規定により集団的自衛権の行使ができず、自国領土外での戦闘も一切禁じられている現状と、中国などからの脅威への対応のために必要な行動との間の矛盾をなくさねばならない時機がきた、と説いているのだ。つまり日本が国際社会の他の普通の国家と同様、安全保障上の必要措置がとれるよう憲法改正に向かって進むべきときがきた、というのである。その結果、今の日本は戦後に米国から押しつけられた平和主義の国家アイデンティティーを問い直すところまできた、と論評するのだ。


「米国の利益にも合致する」

 さてウィル氏の論評もここまでであれば、それほど注視には値しない。同様の主張はすでにブッシュ政権で最近まで対日政策を担当していたリチャード・アーミテージ氏(元国務副長官)やマイケル・グリーン氏(前国家安全保障会議アジア上級部長)によって打ち出されているからだ。

 だがウィル氏は今回の論評で日本が憲法を改正して、「普通の国」になることが米国の利益に合致する、ときわめて明確に主張していた。

 「(日本が現行憲法の矛盾を解消することは)米国民にとっても重要である。なぜなら東アジアが米国にとって重要だからだ。さらには膨張する中国と錯乱したような北朝鮮がこの地域の安全保障を紛糾させているからだ。そのうえにこの地域で有害な反米主義がなく、米国への協力に意欲のある経済大国はきわめて少ないからだ。そうした国は日本だけともいえるのだ」。

 米国にとって東アジアで本当に頼れる大国は日本ぐらいだからこそ、日本が安全保障や軍事での例外的な自縄自縛を解いて、「普通の国」となることは米国への大きな利益となる、というのである。だから論文のタイトルも「日本の軍事を解放する」としたのだろう。この思考の背後には、日本がたとえ軍事面でいままでより強くなっても、成熟した民主主義国として米国の同盟国、友好国にとどまるだろう、という信頼感が存在するといえる。だから「より強い日本」は米国にとっては有益なプラスというわけである。

 ウィル氏がこうした日本信頼論を説くことは日本にとっても大きな意味がある。まず同氏はアジアや日本の専門家ではなく、米国の政治や外交の全般にわたり、強い発言力を持つからだ。そのうえにウィル氏はこれまで日本に対しては冷淡な態度をとってきた。1998年に例の日本糾弾の書『ザ・レイプ・オブ・南京』が米国内で出版されたとき、ウィル氏はその内容を全面的に擁護する論文を発表していた。そのうえで「日本は侵略を認めず、謝っていない」という中国側の主張にほぼ同調していたのだ。そうした人物が中国の膨張に備えるためにも日本にもっと軍事的な役割を担ってほしいと求めるようになったのだ。


賛否両論のなかで表明した論文の重み

 ただし、同じ米国でも当然ながらこうした日本観がすべてではない。

 安保や軍事で「より強い日本」「強い日本」は軍国主義の道を再び走るから危険だとする意見もある。民主党系リベラル派に多い日本不信論である。米国全体では少数派だとはいえ、今の日本研究学者の間にはこの不信が強い。

 その象徴がリベラル系のニューヨーク・タイムズがときおり載せる日本関連の社説である。日本がブッシュ政権の要請に応じ、日米同盟の共通利害に基づいて実施するミサイル防衛の構築に対しても、在日米軍基地の機能強化への同意に対しても、「危険な軍国主義志向」という非難を浴びせるのだ。

 だがその一方、ブッシュ政権や議会上下両院の多数派は「日本の『普通の国』化の支持」をますます明確に表明するようになってきた。こうした潮流の中で、米国政界に強い影響力を持ちながらも、対日観、対日政策となるとブッシュ政権などとは異なる立場だと思われてきたウィル氏のような論客が「普通の国」日本を歓迎するようになったわけである。だからこの動きは重視すべきだと思うのだ。

国家安全保障を考える(第30回)[古森 義久氏]/SAFETY JAPAN [コラム]/日経BP社
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/30/index.html
[PR]

by thinkpod | 2006-09-07 02:08 | 国際
2006年 07月 29日

シェル石油について

■■第4章:イギリスのユダヤ人マーカス・サミュエルの成功物語

●イギリスに、下層階級の上くらいに属する生活をしていた、ユダヤ人の一家があった。この一家は、東ヨーロッパのポグロム(ユダヤ人迫害)を逃れて移住してきた。両親は、車に雑貨品を積んで売って歩く、引き売りの街頭商人として暮しを立てていた。
子どもが11人おり、その10番目の息子は、大変頭がよく活力に満ちあふれていた。しかし、学校では成績が非常に悪く、どの学校に行っても、悪い点ばかりとっていた。といって、彼は頭が悪いというわけではなく、学校の授業システムにうまく合わなかったからである。
 

 
●この息子が高校を卒業したとき、父親は彼に、極東へ行く船の三等船室の片道切符を一枚、お祝いとして贈った。
そのとき父親は、息子に2つの条件をつけた。1つは、金曜日のサバス(安息日)が始まる前に、必ず母親に手紙を書くことだった。というのは、母親を安心させるためである。2つ目は、父親自身、年をとってきたし、また10人の兄弟姉妹がいるのだから、一家のビジネスに役立つことを、旅行中に考えてほしいということだった。

●この息子は、1871年、18歳でロンドンからひとり船に乗り、インド、シャム、シンガポールを通って、極東に向かった。彼は途中、どこにも降りず、船の終点である横浜まで、まっすぐやってきた。
彼は、懐(ふところ)に入れた5ポンド以外には、何も持っていなかった。5ポンドといえば、およそ今日の5万円かそこらのカネである。日本には、もちろん知人もいないし、住む家もなかった。また、この時代には、日本にいる外国人といっても、おそらく横浜、東京あたりで数百人にすぎなかった。
 

 
●彼は湘南の海岸に行き、つぶれそうな無人小屋にもぐり込んで、初めの数日を過ごした。そこで彼が不思議に思ったのは、毎日、日本の漁師たちがやってきて、波打ち際で砂を掘っている姿だった。よく観察していると、彼らは砂の中から貝を集めていた。手に取ってみるとその貝は大変美しかった。
彼は、こうした貝をいろいろに細工したり加工すれば、ボタンやタバコのケースなど、美しい商品ができるのではないかと考えた。
そこで彼は、自分でもせっせと貝を拾い始めた。その貝を加工して父親のもとに送ると、父親は手押し車に乗せて、ロンドンの町を売り歩いた。
当時のロンドンでは、これは大変珍しがられ、飛ぶように売れた。
 

貝がらの作品

ロンドンでは、これは大変
珍しがられ、飛ぶように売れた
 
●やがて父親は手押し車の引き売りをやめて、小さな一軒の商店を開くことができた。この商店が2階建てになり、次には3階建てになり、そして最初はロンドンの下町であるイーストエンドにあった店舗を、ウエストエンドへ移すなど、この貝がらをもとにした商売は、どんどん発展していった。
そのあいだにも日本にいた彼の息子は、かなりのカネをためることができた。
この青年の名前はマーカス・サミュエル、ヘブライ語の名前がモルデカイであった。
 

マーカス・サミュエル
(1853〜1927年)

日本の海岸で拾った貝がらの
商売で大成功をおさめた
 
●サミュエルは1886年(33歳の時)に、横浜で「マーカス・サミュエル商会」を創業し、日本の雑貨類をイギリスへ輸出した。
輸出だけでなく、日本に工業製品を輸入したり、日本の石炭をマレー半島へ、日本の米をインドへ売るなど、アジアを相手にして、商売を大きく広げていった。



●ところで、この時代、世界中のビジネスマンのあいだで一番話題になっていたのが、石油だった。ちょうど内燃機関が登場し、石油の需要が急増しつつあった。ロックフェラーが石油王となったきっかけも、この時代だったし、ロシアの皇帝もシベリアで石油を探させていた。
貝がらの商売で大成功をおさめたサミュエルも、この石油の採掘に目をつけ、1万ポンドを充てる計画を立てた。彼自身、石油についての知識は何もなかったが、人にいろいろ相談したりして、インドネシアあたりだったら石油が出るのではないかと考え、インドネシアで石油を探させた。
これが、勘がよかったのか、幸運であったのか、とにかくうまく石油を掘り当てることができた。

●当時のインドネシアは、石油を暖房のために使う必要もないし、また暗くなってからも活動するといった生活を送っていたわけではなかったので、石油の売り先はどこか他に求めなければならなかった。
そこで彼は、「ライジング・サン石油株式会社」をつくって、日本に石油を売り込み始めた。このころ日本において、ケロシン油で暖房したり、あるいは照明したりすることは革命的なことだった。
この商売もまた非常に成功した。



●石油をインドネシアから日本までどのように運ぶかということは、頭の痛い問題だった。初めのうちは2ガロン缶で運んでいたが、原油を運ぶと船を汚すために、後で洗うのが大変だった。それに火も出やすいということで、船会社が運ぶのをいやがったし、運賃がべらぼうに高かった。
そこでサミュエルは造船の専門家を招いて、世界で初めてのタンカー船をデザインした。
そして彼は、世界初の「タンカー王」となった。
※ サミュエルの新造タンカー「ミュレックス号」がスエズ運河を通過し、シンガポールに航路をとったのは、1892年8月23日のことであった。(「ミュレックス」は「アッキ貝」である)。

●彼は自分のタンカーの一隻一隻に、日本の海岸で自分が拾った貝の名前をつけた。
彼自身、このことについては、次のように書き残している。
「自分は貧しいユダヤ人少年として、日本の海岸で一人貝を拾っていた過去を、けっして忘れない。あのおかげで、今日億万長者になることができた」
 

マーカス・サミュエル

1892年に石油業界に参入した彼は、
世界で初めてのタンカー船を生み出した。
当時の世界で最大のタンカー船隊の持ち主
となり、世界初の「タンカー王」になった。
 
●1894年に「日清戦争」が勃発すると、サミュエルは日本軍に、食糧や、石油や、兵器や、軍需物質を供給して助けた。
そして戦後、日本が清国から台湾を割譲されて、台湾を領有するようになると、日本政府の求めに応じて、台湾の樟脳の開発を引き受けるかたわら、「アヘン公社」の経営に携わった。
日本が領有した台湾には、中国本土と同じように、アヘン中毒者が多かった。日本の総督府はアヘンを吸うことをすぐに禁じても、かえって密売市場が栄えて、治安が乱れると判断して、アヘンを販売する公社をつくって、徐々に中毒患者を減らすという現実的な施策をとった。
サミュエルは、これらの大きな功績によって、明治天皇から「勲一等旭日大綬章」という勲章を授けられている。
 

勲一等旭日大綬章

1894年に「日清戦争」が勃発すると、
サミュエルは日本軍に、食糧や、石油や、
兵器や、軍需物質を供給して助けた
 
●ところで、彼の石油の仕事が成功すればするほど、イギリス人の間から、ユダヤ人が石油業界で君臨していることに対して反発が強まり、ついにこの会社を売らなければならなくなった。というのは、当時イギリスは大海軍を擁していたが、その艦隊に、サミュエルが石油を供給していたからだ。
サミュエルは、会社を売らなければならなくなったとき、いくつかの条件を出した。その一つは少数株主たりといえども、必ず彼の血をひいた者が、役員として会社に入ること。さらに、この会社が続く限り、貝を商標とすることであった。
というのも、彼は常に自分の過去を記念したかったからである。この貝のマークをつけた石油会社こそ、今日、日本の津々浦々でもよく見られる「シェル石油」である。
 


1897年、サミュエルは「シェル運輸交易会社」を設立し、
本社を横浜の元町に置いた。彼は湘南海岸で自ら「貝(シェル)」
を拾った日々の原点に戻って、「シェル」と称したのだった。
こうして横浜が「シェル石油会社」の発祥の地となった。

1907年、オランダの「ロイヤル・ダッチ石油会社」と
イギリス資本の「シェル石油会社」が合併して、
「ロイヤル・ダッチ・シェル」が誕生した。

(※ このイギリス・オランダの2社の
合併を推進したのはイギリスの
ロスチャイルド財閥だった)

ちなみに、このイギリス=オランダ連合の
「ロイヤル・ダッチ・シェル」の子会社的存在が、
イギリスの「ブリティッシュ・ペトロリアム」
(英国石油:略称BP)である。



現在、シェルグループの
企業は145の国に広がり、全体で
12万人以上の従業員がいる
 
●サミュエルは、イギリスに戻ると名士となった。そして1902年に、ロンドン市長になった。ユダヤ人として、5人目のロンドン市長である。
彼は就任式に、日本の林董(はやし ただす)駐英公使を招いて、パレードの馬車に同乗させた。
この年1月に「日英同盟」が結ばれたというものの、外国の外交官をたった一人だけ同乗させたのは、実に異例なことだった。この事実は、彼がいかに親日家だったかを示している。
(ちなみに、2台目の馬車には、サミュエルのファニー夫人と、林公使夫人が乗った)。
 

明治期の外交官、政治家
林董(はやし ただす)

駐英公使としてロンドンで「日英同盟」に調印した。


※ 「日英同盟」は、1902年1月30日に結ばれた日本とイギリス
との間の軍事同盟である。林董(はやし ただす)駐英公使と
イギリスのアーサー・ラウズダウン外相により調印された。

「日英同盟」は、戦前日本にとって最高の同盟関係
だったといえる。この同盟関係を守りきれなかった
ことが戦前日本の犯した最大の失敗だろう。

 
 
●サミュエルは1921年に男爵の爵位を授けられて、貴族に列した。その4年後には、子爵になった。
サミュエルは「どうして、それほどまでに、日本が好きなのか?」という質問に対して、次のように答えている。
「中国人には表裏があるが、日本人は正直だ。日本は安定しているが、中国は腐りきっている。日本人は約束を必ず守る。中国人はいつも変節を繰り返している。したがって日本には未来があるが、中国にはない。」

●その後、ロンドンに、サミュエルの寄付によって「ベアステッド記念病院」が作られ、彼は気前のよい慈善家としても知られるようになったが、1927年に、74歳で生涯を閉じた。

※ 現在、「ロイヤル・ダッチ・シェル」はロスチャイルド系列企業群の中心になっている。

イギリスのユダヤ人
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe200.html#04




シェルについて
シェルの歴史

1. シェルの歴史
2. 在日シェル年表

1) シェルの歴史
 シェルの起源は、1833年にマーカス・サミュエルがロンドンに開いた小さな店にはじまります。この店で東洋から輸入した貝殻を販売したところ、きらびやかな装飾品を好むビクトリア朝の博物学者たちの人気を集め、サミュエルの事業はたちまち貿易業として栄えました。
 父親から貿易業を引き継いだサミュエルの息子は、仕事でカスピ海岸を訪れた際に、極東へのランプなどの家庭用オイルの輸出に着目しました。1892年、初めてタンカーを手配し、ロシアから 4千トンの灯油をシンガポールとバンコクへ輸出しました。
 一方、オランダではアジアにおける石油開発のため、ロイヤル・ダッチ社が設立されました。同社は、1896年には自社タンカーを持ち、石油業界においてサミュエルのシェル・トランスポート・アンド・トレーディング社と競合関係にありました。
 しかし、業務提携を行うことを有利と考えた双方の歩み寄りの結果、1907年、ロイヤル・ダッチ/シェルグループは誕生しました。
 自動車の大量生産が始まり、新規マーケットが誕生した 20世紀前半は、石油業界にとって激動の時代でした。第一次世界大戦中、多くの操業施設を押収され、閉鎖を余儀なくされながらも、シェルグループはヨーロッパ、アフリカと南北アメリカ、特に北アメリカにおいて石油の利権を確保し、事業を拡張しました。
 1919年には、世界初の無着陸大西洋横断を成功させたアルコックとブラウンの飛行機に燃料を供給し、シェル・アビエーション・サービスを設立しました。1920年代、30年代はシェルにとって更なる拡張の時代であり、1929年の石油化学製品分野参入など、積極的に新規ビジネスを展開しました。
 第二次世界大戦に突入すると、シェルは再びタンカーや利権を失いましたが、燃料や石化製品の供給を続け、連合国政府を支援しました。

 戦後急増した需要に応えるべく、シェルは失った生産・輸送・精製設備を取り戻し、拡充していきました。
 1950年代・60年代には、石油の生産量および販売量を増やし、世界の石油製品の7割を占めるまでになりました。この頃から、石油業界では代替エネルギーとしての天然ガスの開発が始まりました。
 70年代、世界的不況と原油価格高騰が重なり、人々の目は天然ガスに向けられるようになりました。石油業界が大きな打撃を受けている一方で、シェルは北海のスコットランド沿岸において石油・天然ガス田を発見し、ヨーロッパで使用されていた天然ガスの約半分を供給しました。当時、ヨーロッパの消費エネルギーの15%が天然ガスで賄われていました。その中で、シェルは長期的展望から、石炭と鉱物の研究開発を行っていました。
 1980年代、環境問題への取組みとして、最新テクノロジーを導入し、新製品や新サービスを次々と発案し、中でも、無鉛ガソリンの先駆者としての地位を獲得しました。
 1990年代に入り原油価格が下がると、シェルはコアビジネスである石油、天然ガスと石油化学製品分野に重点を置きました。90年代半ばには、21世紀におけるエネルギー会社の果たすべき役割を考え、持続可能な発展のためにシェルの事業を通じて貢献することを確約しました。

 シェルグループは、常に競争において優位であるために、変化を続けてきました。それは時には根底からの変革であり、2005年7月、2つの親会社ロイヤル・ダッチ社とシェル・トランスポート社の、ロイヤル・ダッチ・シェル ピーエルシーへの統合もその一つです。創業より 100年以上にわたりエネルギー会社として成功を収めましたが、これらの変革により、今後も将来にわたりエネルギー会社として成功し続ける事ができるものと確信しています。


2) 在日シェル年表

 年           トピックス
1833天宝 4年 マーカス・サミュエルがロンドンに東洋の貝殻を用いた骨董・装飾品店を開店
1876明治 9年横浜にサミュエル商会を設立し、貿易業を開始
1897明治 30年 シェル・トランスポート&トレーディング社設立
1900明治 33年サミュエル商会の石油部門が独立、ライジングサン石油株式会社の誕生
1907明治 40年 ロイヤル・ダッチとシェル・トランスポートが合併し、ロイヤル・ダッチ/シェルグループが誕生
1912明治 45年-大正元年現昭和シェル船舶、帝国船舶株式会社設立
1914大正 3年ライジングサン石油、日本軍への最大の重油提供者となる
1923大正 12年関東大震災によりライジングサン石油の社屋が倒壊し、本社を一時横浜から神戸に移転
1941昭和 16年ライジングサン石油、敵産管理下に置かれる
1942昭和 17年早山石油株式会社、旭石油株式会社、新津石油株式会社 3社の合併により、昭和石油株式会社が誕生
1948昭和 23年ライジングサン石油、会社機能が回復しシェル石油に改称
1951昭和 26年シェルグループと昭和石油の間で資本提携が調印される
1955昭和 30年シェル石油本社を東京丸の内に移転
1958昭和 33年昭和四日市石油株式会社の四日市製油所が完成
1963昭和 38年後のシェル興産、シェル化学製品販売株式会社設立
1964昭和 39年新潟大地震により昭和石油新潟製油所のタンク火災
1967昭和 42年シェル化学株式会社設立、シェル石油中央研究所開所
1968昭和 43年シェル石油本社、霞ヶ関に移転
1971昭和 46年原油タンカー「ユリアナ号」が新潟港外で座礁
1981昭和 56年昭和石油、ソーラービジネスに進出
1985昭和 60年シェル石油と昭和石油が合併し、昭和シェル石油株式会社として発足
1988昭和 63年情報サービスシステム会社、株式会社ソーティスを設立
1992平成 4年シェル興産、シェル化学などを統合し、シェルジャパン株式会社として発足
1996平成 8年昭和シェル石油本社を臨海副都心のお台場に移転
1999平成 11年ソーティスをシェル・サービス・インターナショナルに譲渡し、シェル・サービス・インターナショナルジャパン株式会社として発足
2000平成 12年シェルガス&パワージャバン株式会社設立
2001平成 13年シェルジャパン、シェル ケミカルズ ジャパン株式会社に改称



シェル石油は日本の横浜が創業地である。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/db29e2571db1f42830a561fafd7884d8
[PR]

by thinkpod | 2006-07-29 19:43 | 国際
2006年 07月 26日

地球史探訪:操られたルーズベルト

■1.米国が日独と戦ったのは間違い■

 2000年の米大統領選に名乗りを上げている保守派の元
テレビ・コメンテーター、パット・ブキャナン氏(60)が、
最近刊行した米国の外交政策に関する著書「帝国でなく共和
国を」で、「第二次大戦で米国がドイツや日本と戦ったのは
戦略的に間違っていた」と主張したことが波紋を広げている。

・・・日本に関しては、当時の仏領インドシナに進駐した後、
米国のルーズベルト大統領が極めて厳しい経済制裁を発動し
たことが、日本にとって「のど元をつかまれた」形になり、
真珠湾攻撃を決意させたと指摘。開戦には米国の政策が大き
な役割を果たしたとしている。

 ブキャナン氏は、・・・日独敗北の結果、旧ソ連に対する
歯止めがなくなったことで、共産中国の誕生や、朝鮮、ベト
ナム両戦争での米軍の犠牲など「苦い結末を得た」ともして
いる。[1]

 第2次大戦で米国は「敵を間違えた」という主張は、今もくす
ぶっている。本誌96号「ルーズベルトの愚行」では、当時の政治
家や米軍幹部の証言に基づいて、ルーズベルト大統領がソ連に異
常な肩入れをして、ドイツとの参戦を果たすために、日本を開戦
に追いつめたプロセスを紹介した。

 その後、当時の公文書公開が進み、ルーズベルトの背後でソ連
スパイの暗躍があったことが明らかにされた。このニュースは、
わが国の現在の国際情報戦略にも重大な警告を投げかけている。

■2.真珠湾の7ヶ月前に日本爆撃計画■

 第一のニュースは、日本の真珠湾攻撃の7ヶ月も前に、米軍が
蒋介石軍に荷担して、日本爆撃を計画し、陸軍長官、海軍長官、
そしてルーズベルト大統領自身が承認のサインを与えていた書類
が明るみに出たことである。

 この作戦には350機のカーチス戦闘機、150機のロッキー
ド・ハドソン爆撃機を使用するとし、また大阪、神戸、京都、東
京、横浜の爆撃には木造住宅の多い日本民家に効果のある焼夷
(しょうい)弾を使用すべきであるなどとする内容もあった。後
の本土空襲の原形がすでに考えられていたのである。

 実際には、欧州戦線への爆撃機投入を優先したため、この計画
は実施が遅れて、その前に真珠湾攻撃となった。[2]

 しかし、この案が突飛なアイデアでない証拠として、すでに米
軍の最新鋭戦闘機とパイロット約100名、地上要員約200名
のフライング・タイガーと呼ばれる一隊が、義勇兵を装って、蒋
介石軍に参加していた事実がある。上記の爆撃計画は、この戦闘
機部隊に爆撃機を加えて、日本本土を直接攻撃しようという拡張
案なのである。[3]

 これは完全な中立義務違反で、こんなことが国際法上許される
なら、たとえば台湾が中国に攻撃された場合、自衛隊を台湾に義
勇兵として送れば、日本は中立と平和憲法を維持したまま、実質
的に参戦できることになる。

■3.日本爆撃計画推進者はソ連のスパイ■

 さらに、この空爆計画の推進者だったロークリン・カリー大統
領補佐官(当時)は、実はソ連と極秘情報のやりとりをしていた
ことが、当時の米暗号解読機関によって確認されていた。

 この文書はVENONA資料と呼ばれ、1940年代後半、ニュー
ヨークとワシントンにあるソ連代表部とモスクワ間の交信記録を
米特殊機関(戦後の国家安全保障局=NSA)が暗号解読したも
のだ。

 カリー補佐官はカナダ生まれの経済学者で、39年から45年まで
大統領補佐官(経済担当)をつとめた。41年初頭には対日戦略を
調整するため米国の中国支援担当特使に任命され、ルーズベルト
大統領と中国国民党の蒋介石主席(当時)の橋渡し役をしていた。

 48年にソ連スパイだったことを告白した政府職員、エリザベ
ス・ベントレーによる「カリー氏もスパイだ」という訴えをきっ
かけに、カリーは米下院・非アメリカ委員会の追及を受けた。
しかし最後まで容疑を否定し、50年に米国市民権を放棄し、南米
コロンビアに移住、93年に死亡している。

 ソ連がスパイを送り込んで、日本と蒋介石軍との戦いをアメリ
カに支援させていた動機は容易に理解できる。両者が戦えば、毛
沢東軍が漁夫の利を占めることになり、中国共産革命が近づく。

 さらに日米戦争ともなれば、ソ連にとっても日本からの軍事的
脅威はなくなり、ドイツと日本から挟撃されるという最悪の事態
を避けられる。まさに一石二鳥の見事な謀略なのである。[4]

■4.ソ連スパイが作成したハル・ノート原案■

 日本爆撃計画は不発に終わったが、実際に日米戦争の引き金を
引いたのが、41年11月26日、ハル国務長官が提示したハル・ノー
トであった。

 このノートで米政府は

・ 中国、仏領インドシナからの日本軍の全面撤退
・ 蒋介石国民党政府以外の政府の否認
・ 日独伊三国同盟の死文化

 などを要求した。これを最後通告と解釈した日本は、翌日、米
国との交渉の打ち切りを決定した。

 実際には、ハル国務長官は90日間の停戦を骨子とする緩やか
な妥協案を作成していたのだが、ルーズベルトは、財務次官ハリ
ー・デクスター・ホワイトが41年6月に作成していた対日強硬提
案の方を採用した。

 今回のVENONA資料では、このホワイトも、ソ連に米国政
府の極秘情報を通報したり、現金をもらっていた事を示しており、
カリー補佐官と同様、ソ連のスパイであることが判明した。

 さらに当時のソ連人民内務委員部の工作員だったパブロフが41
年5月にワシントンでホワイトと密会し、日本と米国が交戦する
よう仕向ける外交案の作成を要請していたことが、ソ連崩壊後の
同氏の回顧録で明らかになった。

 パブロフによると、ホワイトに与えた指示書では、日本軍の中
国および満州からの完全撤退要求など日本側が到底受け入れられ
ない内容を含んでおり、ほぼハル・ノートと同じ内容になってい
る。ホワイトが試案を作成したのはその翌月で、パブロフの指示
を忠実に守ったことをうかがわせている。

 さらに、ホワイトは41年に成立したソ連と中国への米軍事支援
を合法化した武器貸与法を強く推進したことがわかっている。

 ホワイトは、カリー補佐官と同様、エリザベス・ベントレーら
による告発で米下院・非アメリカ活動委員会に召喚されたが、ス
パイ容疑を否定したあと、3日後に心臓まひで死亡している。ホ
ワイトの直接の部下だったコーら二人の財務省高官も同様のスパ
イ容疑をかけられたあと、中国に亡命し、そこで客死した。[5]

■5."恥ずべき"最後通牒■

 ハル・ノートによって、日本政府は米国には交渉意思がないと
最終判断を下し、12月7日(現地時間、日本では8日)にパー
ルハーバー攻撃に踏み切った。翌日、ルーズベルト大統領は下院
議会上で、次のように演説を始めた。

 昨日すなわち、1941年12月7日は、恥ずべき行いの日と
して永遠に残るでしょう。合衆国は、突如、しかも故意に攻
撃されたのであります。[6,p164]

 当時の共和党指導者ハミルトン・フィッシュ議員は、下院での
日本に対する宣戦布告決議の最初に演説し、「米国内で論争、対
立をすべき時は過ぎた。今や行動をとるべき時である」と述べ、
ルーズベルト大統領のもとに団結するよう訴えた。立場の違いを
乗り越え、祖国の危機に立ち上がろうという憂国の至情あふれた
演説であった。

 しかしハル・ノートの内容を知った後で、フィッシュ議員は次
のように憤る。

 今日私は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後
通牒を送り、日本の指導者に開戦を強要したということを知
っており、この演説を恥ずかしく思う。[6,p47]

 この最後通牒に言及するにあたっては、ルーズベルトがパ
ールハーバー攻撃を"恥ずべき行いの日"と呼んだことにちな
み、"恥ずべき"最後通牒と呼ぶことが適切かと思われる。
[6,p38]

■6.日本が米国世論に訴えていたら?■

 このフィッシュ議員に代表される議会勢力と米国世論を味方に
つけていれば、わが国は日米戦争を回避できたのではないか? 
たとえば、日本政府が、フライング・タイガーの中立義務違反を
米国世論に広く訴えていたら、どうなっていただろう。

 ルーズベルトは3選をかけた大統領選挙1週間前の1940年10
月30日、ボストンで次のような演説をしている。

 私は、母であり、あるいは父であるあなたがたに話すにあ
たって、いま一つの保証を与える。私は以前にもこれを述べ
たことがあるが、今後何度でも繰り返し言うつもりである。
「あなたがたの子供たちは、海外のいかなる戦争に送り込ま
れることもない」[6,p82]

 39年の9月に行われた世論調査では、米国民の97%が欧州戦争
参戦に反対していた。ルーズベルトは決して参戦しないという公
約を武器に当選していたのである。

 これに対して、米国民の知らないうちに、フライング・タイガ
ーとしてすでに300名もの兵員を中国戦線に送りこんでいる事
実が暴露されたら、選挙公約違反であることは誰の目にも明らか
である。このような卑劣なうそほど、米国民を激高させるものは
ない。

 同様にハル・ノートを「恥ずべき最後通牒」として、全世界に
公開していたらどうなっていたか。戦争に反対するフィッシュ議
員の非介入主義は、共和党議員の90%、民主党議員の半数の支
持を受けていた。その議会に内緒で戦争を挑発しようとするハ
ル・ノートのアプローチは、米議会のみが宣戦布告の決定をなし
うるという米国憲法を大統領が自ら踏みにじったものであるとフ
ィッシュ議員は主張している。

 真珠湾前にこの点があきらかにされれば、大統領は議会と国民
の信任を失い、「米国は簡単に日本との間で和平条約を締結でき
たであろう」というフィッシュ議員の主張が勢いを得て、米国政
府の方針転換につながっていた可能性が高い。
 
■7.欧米資本を味方にひきつけた高橋是清■

 アメリカの中にも、フィッシュ議員のような信頼し得る陣営が
あり、また米国民の世論も、説き方によっては味方につけること
ができた。戦わずして、スターリンとルーズベルトの陰謀を粉砕
し、日米戦争を避けることができたかも知れない。

 しかし、現実には日本政府はそのような対米世論工作は検討す
らしなかったようだ。米国が一丸となって戦争をしかけていると
判断し、真っ正直に一か八かの全面戦争に突入した。我々日本人
は伝統的にこの種の世論工作に弱いのだろうか。

 しかし見事な例外もある。たとえば、日露戦争中に欧米で公債
による戦費調達を担当した高橋是清である。ロシアの黄禍論(黄
色人種の白色人種侵略)に対して、日露戦争は日本の生存をかけ
た自衛戦争であることを主張し、さらに、日本政府は過去、元利
支払いを一度たりとも遅らせたはないとして、信用を訴えた。

 こうした高橋の主張に納得したユダヤ資本は、同胞を迫害する
ロシア政府を倒すためにも、日本を支援しようと、巨額の公債を
引き受けてくれた。戦争前の日銀の正貨保有額が1億17百万で
あったのに対し、合計13億円にのぼる戦費調達に成功したので
ある。日露戦争は、まさにユダヤ資本、欧米資本を味方につけて
初めて戦うことができたのである。それを引き出したのは高橋是
清の欧米世論への働きかけであった。[7]

 明治時代にはこのように日本の主張を堂々と国際世論に訴えう
る人材が少なくなかった。しかし、その後、昭和に入り、そのよ
うなセンスは次第に失われ、戦後はさらにひどくなったように見
える。慰安婦問題(JOG106,107)やアイリス・チャンの南京事件
告発(JOG60)に見られるような国際的謀略に、一方的に攻撃され
ている。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と
生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)という他者依
存の姿勢では、国際世論工作の必要性すら理解できないであろう。
ことは一国の独立心、自立心の問題であって、語学の問題ではな
いのである。

■参考■
1.「ブキャナン氏の著書、波紋呼ぶ『日独との戦争、誤りだった』
  産経新聞、H11.09.28、東京朝刊、4頁、国際2面
2.「米『真珠湾』直前 日本爆撃を計画」、産経新聞、H11.07.15、
  東京朝刊、1頁総合1面、関連記事が国際2面に2件
3.「発覚したルーズベルトの”だまし討ち計画”、前田徹、
  正論、H11.10
4.「ルーズベルト政権 日本爆撃計画立案者はソ連のスパイ」、
  産経新聞、H11.08.04、東京朝刊、5頁、国際面
5.「『ハル・ノート』はソ連指示で作成?」、産経新聞、H11.08.22
  東京朝刊、1頁、総合1面、関連記事が国際に2件
6.「日米・開戦の悲劇」、ハミルトン・フィッシュ、PHP文庫、H4.12
7.「高橋是清自伝・下」、中公文庫、S51.8

謝辞:本稿は、佐々木さん、および、ほそかわかずひこさんのお二
人の姉妹誌JOG Wingへの投稿をもとに再編集したものです。
改めて御礼申し上げます。
 ほそかわさんのJOG Townでのホームページ
 
■リンク■
JOG(96) ルーズベルトの愚行 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。

© 1999 [伊勢雅臣]. All rights reserved.

JOG(116) 操られたルーズベルト
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html
[PR]

by thinkpod | 2006-07-26 16:19 | 国際
2006年 07月 15日

アーミテージ氏が語る新しい日米安全保障体制

去る6月27日、東京渋谷にある国連大学ウ・タントホールにて、NPOセキュアなデジタル社会を推進する会主催による「デジタル社会推進シンポジウム2006」が開催された。
前米国国務副長官のリチャード・アーミテージ氏をはじめ、前米国政府重要インフラ担当高官のジェイソン・ヒーリー氏などが登壇し、今後心配されるサイバーテロやサイバー戦争などの危険を指摘、米国におけるインフラ防御の対策などを語った。
テロリストによるサイバーテロは現在のところ、まださほど顕在化していないが、今後、テロリストがコンピューターやネットワークなどに習熟してくると、世界の経済や体制を揺るがしかねない事態に陥るおそれがあると語った。
なお、次回は佐藤英明氏(インターナショナル・ネットワーク・セキュリティ代表取締役社長兼CEO)、3回目はジェイソン・ヒーリー氏の講演内容を紹介する予定。

リチャード・アーミテージ氏/前米国国務副長官
文/吉村 克己、写真/いずもと けい
7月12日公開




 前米国国務副長官のリチャード・アーミテージ氏は昨春までブッシュ政権下で国務副長官を務め、日本の事情にも詳しい親日家として知られている。

 アーミテージ氏は1983年から89年までレーガン政権で国防次官補代理、国防次官補を歴任、2000年に対日戦略文書「アーミテージ・レポート」をまとめるなど、日米の安全保障問題について当事者としてかかわってきた。

 この日、「新しい日米安全保障体制について」と題して、2020年に向けて日米を巡る世界事情がどのように変化するか予測を交えて語り、その中で日本がどのような対応をするべきか示唆に富んだ講演を行った。

 同氏は2020年に向けて七つの確実なことと、それに付随する不確実な問題があるという。


七つの確実なことと不確実な問題

前米国国務副長官
リチャード・アーミテージ氏
 第1に「グローバル化の進行」は確実だが、競争激化の下で破たん国家が生まれる不確実性も高まると警告した。

 第2に「世界経済のさらなる成長」は確実だが、一方で「経済格差が広がる」不確実性もある。格差が拡大するようならば、難民や移動民族の問題は世界的な課題となるだろう。

 第3に「高齢化」。日本や欧米で確実に高齢化が進む一方、中国やインド、ブラジルなど人口が増加する国の平均年齢は若さを保つ。

 高齢化の中で、先進諸国は社会保障や市民との契約を満たせるのか。もし、コストがかかって満たせなくなれば、防衛費などを削らざるを得なくなり、米国と同盟国との連合も関係が変化するおそれがあるとアーミテージ氏は不確実性を指摘した。


中国の台頭で世界が不安定に

 第4に「中国の台頭」。21世紀における中国の台頭は19世紀のドイツ、20世紀の米国と同じ意味をもつとアーミテージ氏は強調した。だが、既存の超大国が次の超大国を迎えるに当たっては自ずと不安定さが増す危険性も指摘した。

 第5に「石油資源」。同氏は2020年までの段階に限っていえば石油資源が枯渇することはなく、確実に世界に供給できると語ったが、一方で、産油国の不安定性が増し、1バレル70ドル前後の現在の水準から高くなる可能性もあると述べた。

 第6に「都市化の進行」。地球上ではじめて都市部に住む人々の数が農村部に住む人の数を上回ったと、同氏は重要な事実を指摘し、メガシティが今後、増え続ける人口を受け入れ、インフラの供給や人々のニーズを満たすことができるのか不確実さが増していると語った。

 第7は「超大国たる米国の存在」だ。米国は2020年までは依然として超大国として存在し続ける。その米国に取って代わる国家や国家集合体はあるか。その綱引きが不確実性の要因となる。

前米国国務副長官 リチャード・アーミテージ氏



北東アジアにナショナリズムの危険

 アーミテージ氏はこの後、アジアにフォーカスを当て、その課題について、いくつか指摘した。

 まず第1に、北東アジアにおいてナショナリズムが台頭している危険。ナショナリズムといってもいい意味と悪い意味のナショナリズムがある。

 「先日、王貞治監督率いる野球チームがWBCで活躍したときの日本の盛り上がりぶりはすばらしいナショナリズムだが、国同士の不和を生じさせるようなナショナリズムは危険です」。

 第2に中台関係の緊張。第3に朝鮮半島を巡る問題(※)。

※ このシンポジウムが開催されたのは、北朝鮮のミサイル発射(7月5日)の前の6月27日。アーミテージ氏は個人的な見解と前置きしながら、「北朝鮮はミサイルを発射しないと思う。中国の高官が平壌に行き、米国もこの問題に関心を示したことで北朝鮮政府は目的を果たしたからだ」と語った

 また、同氏は日本と韓国を巡って、竹島などの領土問題があることも付け加えた。

 第4に、フィリピン、タイ、インド、中国などにおける抵抗や反乱の動きも注視すべきと語った。第5にエネルギー資源を巡る競争。そして、混乱が続く東ティモールでアルカティリ前首相が辞任に追い込まれた問題を取り上げ、「破たん国家になりかねない」と警告を発した。


軍事大国化する中国の課題

 アーミテージ氏が講演の中で、多くの時間を割いたのが中国問題だ。27年間、めざましい経済成長を続ける中国は軍事費も14〜15%程度の割合で増やしており、かなりの軍事規模に達したと警告した。同国は宇宙にも人を送り、2008年にはオリンピックも開催する。だが、その中国にもいくつかの問題があると述べた。

 第1に政府が経済政策を握っていることによる経済上のリスク。第2に環境問題。洪水、大気汚染などが深刻化し、疫病が中国から広がるおそれもある。

 第3に安全保障。インド、キルギスタン、ロシアとの安全保障はうまく結んだが、国内の安定、北朝鮮の内部崩壊が不安定要因となる。同氏はもし北朝鮮の崩壊と共に、「外国が部隊を派遣すれば、中国も派遣するだろう」と語った。

 そして、第4に最も大きな問題が沿岸から内陸部への所得移転である。党大会でも指摘されたが、中国国内では多くの反乱が起きており、その原因は地元指導者の腐敗にあるという。

 「1949年当時、共産党が国民から支持されたのは、経済格差の解消にあったが、現在は49年より格差が大きくなった」と同氏は語った。今後、中国が幹部の腐敗を撲滅し、沿岸部と内陸部の経済格差を解消する努力をしないと、不安定さが増すだろう。

 第5に日中関係悪化の問題だが、「靖国問題は一つの症状であり、悪化の原因ではない」と語った。真の原因について同氏はこう分析する。

 「ほとんど同時に北東アジア地域に日本と中国という同じ力を持ったプレーヤーが存在していることこそ原因だが、先日、麻生(太郎)外相と中国の外相が予定より30分も長く会談を行ったことで、靖国問題もいい方向に進んでいくのではないでしょうか。日中関係には前向きの進化が見られる。次期首相が誰かという問題は関係ないでしょう。

 それよりも中国における最大のフラストレーションは米国の存在なのです。中国にとって一番重要な国は米国だが、米国にとって一番重要な国は日本です。これが中国人にとってはフラストレーションになるわけです」。


韓国問題は日米共に対処が難しい

前米国国務副長官
リチャード・アーミテージ氏
 日韓の関係悪化においても同氏は日本と韓国と米国の関係が背後にあると分析した。1905年に日本はポーツマス条約(日露講和条約)において、米国の仲介を得て、ロシアと講話、大韓帝国に対する排他的指導権などを獲得したが、この行為は「韓国からすると米国に背後から刺されたようなもの」と語る。

 「日本にとって韓国問題は対処が難しいが、米国にとっても韓国問題は難しい。というのも、韓国は米国がいつも日本の味方をすると思っているからです。北朝鮮も本質的には同じです」とアーミテージ氏は言う。

 一方、インドは日本に悪い感情を持っておらず、政策的にも「ルックイースト」を採用していると同氏。

 「1週間前にワシントンで米国、インド、日本3国の会議がありましたが、インドの外交官はわたしに『(第2次世界大戦において)日本がインドの一部を占領したが、それによって結果的には植民地から脱するのが早まった』と言いました。彼らは日本に悪い感情を持っていない。日本もインドも民主主義国家ですし、中国とは違い、東南アジア諸国に対して安心できるモデルを示しています」。


中国の透明性を高めることが重要

前米国国務副長官
リチャード・アーミテージ氏
 アーミテージ氏は講演の締めくくりにおいても中国の問題に触れた。米国はニクソン政権下で中国との国交樹立を果たしたが、それ以来、「中国が孤立しないように、内向きにならないように米国は行動してきたし、中国を封じ込めようとは思っていない」と明言した。

 「日本も対中投資を続けてきた。中国が今後、どのような方向に向かうのか米国も関心があるし、中国は透明性を高める必要があると思います。防衛の方向性もどうなるのか、中国指導層もまだ決めていないのではないでしょうか」。

 同氏は中国が北朝鮮問題に対して努力していることを評価しながらも、エネルギー確保のため、スーダンやベネズエラなどで「よくない動き」をしているとも語った。

 最後にアーミテージ氏は日本へのエールとしてこう語った。

 「世界でどの国が優れているか聞いた調査によると、アジアの人々の82%が『日本』と回答しました。彼らは(第2次世界大戦の)日本軍による占領は独立への機会になったと考えています。日本は文化、政治、安全保障の面でも優れた模範を提供でき、その役割は高まっているのです。日本はこの現状をゆったりと構えてとらえ、もっとアジアに関わっていくべきです」。


日本は自信と大局観を持て

 アーミテージ氏は日本が自信と大局観を持ち、アジアに対してかかわっていくべきだと説く。

 「『中国に対してどのように適切に対応するべきか』とよく日本で聞かれるのですが、この質問そのものが適切ではありません。中国ではなく、アジアに対してどう適切に対応するかということが重要なのです。

 現在、日米関係はうまくいっており、提携や協力関係が進んでいます。国家同士の付き合いは結婚のようなもので、維持するにはお互いの努力が必要です。日米はもっと政治的議論を増やすべきでしょう。

 今後、日米間でFTA(自由貿易協定)を結ぶ可能性もあります。農業問題が障害になるという人もいますが、農業はGDPにおける割合は小さい。2国間のさらなる関係強化が必要でしょう」。


北朝鮮への先制攻撃はあり得ない

 講演後、会場から質問が相次いだが、ここでは、その一部を抜粋する。

Q.先日、ペリー元国防長官が北朝鮮のミサイル発射基地を先制攻撃することを提言したようですが、どのように思われますか。

A.あの発言にはわたしも驚きました。米国は北朝鮮に対して単独で行動しているわけではないので、勝手な先制攻撃などできないでしょう。しかも、もし攻撃したら反撃によってソウルや東京が被害を受けるおそれもあります。我々が先制攻撃の能力を持っていることは証明できますが、日本や韓国の友人を危険にさらすようなことは起こりえないでしょう。

Q.中国は現在、共産党の一党独裁ですが、今後、民主化するでしょうか。

A.中国でも一部、選挙が行われるようになりましたが、日米のように指導者を選べるわけではありません。近年、NGO(非政府組織)の活動も活発になっており、NGOが政治運動に移行する可能性もあります。舞台裏ではいろいろと起こっているようですが、なかなか見えないですね。

イラクは第2のベトナムになる危険も


Q.新しい日米安保体制はどのように築くべきでしょうか。

A.日本の政治家は日米安保の実像についてあまり語りませんね。米国は日本に核兵器の脅威が迫れば、核の傘を提供するだけでなく、犠牲を出しても日本を防衛すると考えています。

Q.国連における米国の役割は今後どうなるでしょうか。

A.これまで旧ソ連が拒否権を連発したことで、国連において実現できなかったことが多い。その結果、国連事務総長に権限を集中するようになり、事務総長がかつてないほどの力を持つようになりました。米国が国連にもっとかかわるためには、事務総長の権限を縮小するべきだと思っています。

Q.イラクは、このままでは第2のベトナムになるという意見がありますが、いかがですか。

A.わたしはかつて6年間、ベトナム戦争に従軍しました。イラクが間違った方向に進むと、ベトナムより大変なことになるでしょう。ベトナム戦争は間違いだったという人もいますが、東南アジア諸国の発展には必要だったとわたしは思います。イラクは今後も難しい問題であり続け、戦いは続くでしょう。今回、はじめて正式政権がイラクに生まれたことはいいことです。スンニ派とシーア派の間で何とかやろうとしている人たちがおり、米国国民も忍耐強く対処していくべきでしょう。



アーミテージ氏が語る新しい日米安全保障体制/SAFETY JAPAN [特集]/日経BP社
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/special/150/index.html
[PR]

by thinkpod | 2006-07-15 17:30 | 国際
2006年 02月 04日

世論調査「世界に最も良い影響与えている国」日本が1位に

 世界に最も「良い影響」を与えている国は日本—。米メリーランド大が世界の約4万人を対象に実施した英BBC放送との共同世論調査で、こんな結果が出た。同大が3日発表した。逆に最も悪影響を与えている国は、核問題が国際社会の反発を招いているイランで、次いで米国だった。

 調査は昨年10—12月に米州、欧州、中東、アフリカ、アジア各地域の33カ国で行われた。質問の対象となった国は日本、米国、中国、イランなど。

 調査結果によると、日本が世界に「好影響」を与えているとの回答は、33カ国中31カ国で「悪影響」を上回り、平均すると好影響が55%、悪影響が18%だった。具体的に何が判断材料となったかについては触れられていない。

 日本との関係が悪化する中国では16%対71%、韓国では44%対54%で、いずれも日本が悪影響を与えているとの回答が好影響との回答を上回った。半面、好影響との回答が多かったのはインドネシア(85%)やフィリピン(79%)。米国では66%が好影響と答えた。

 一方イランに対しては、悪影響との答えが33カ国中24カ国で好影響を上回った。昨年ワースト1だった米国は、昨年と同じく20カ国で悪影響が多数派。中国は20カ国で好影響が多数だったが、平均すると9ポイント下落した。(共同)

(02/04 12:29)
世論調査「世界に最も良い影響与えている国」日本が1位に
[PR]

by thinkpod | 2006-02-04 22:36 | 未分類