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カテゴリ:政治経済( 102 )


2007年 03月 31日

安倍政権の歴史認識

東京大空襲の見解で米国に毅然

 1905年3月1〜10日、清国の奉天(現在の瀋陽)で日露戦争最後の大戦闘が行われた。日本軍25万人、ロシア軍37万人が激突した奉天会戦である。3月10日、日本軍は奉天に突入、制圧し、勝利を不動のものにした。後にこの日が陸軍記念日となった。筆者の好きな軍歌「歩兵の本領」でも、「アルプス山を踏破せし/歴史は古く雪白し/奉天戦の活動は/日本歩兵の粋と知れ」と歌われている。

 45年3月10日、アメリカ空軍は300機を超える戦略爆撃機B29で東京を空襲する。筆者の父は、当時、江戸川区に住んでおり、この空襲に遭遇した。火の中を逃げまどう人々、メタンガスが腹にたまり膨れ上がった死体の山が打ち寄せる隅田川岸、小さな子供をおぶったまま炭素化している母子の死体の様子について、父から何度も話を聞かされた。父は「人の焦げるにおいはとても嫌で、記憶に焼き付く。このにおいが、平和ないまになっても、突然よみがえってくるんだ」とつぶやいていた。

 筆者は93年10月4日のモスクワで父のこの話を思いだした。その日、エリツィン露大統領が国会議事堂に戦車で大砲を撃ち込んだ。砲弾には火薬が詰められていなかったが、摩擦熱で火災が発生した。国会議事堂は白亜の大理石で建てられたので「ベールィー・ドーム(ホワイトハウス)」と呼ばれていたが、上部は火災で真っ黒になった。そこから、人の焦げたなんとも形容しがたい嫌なにおいがする。このにおいはいまでも、突然、筆者の記憶によみがえってくることがあり、その日は一日中憂鬱(ゆううつ)だ。

 社団法人日本戦災遺族会の調査によれば、45年3月10日の東京都区部の空襲による死亡者は8万3793人、負傷者は4万918人に上っている。軍事目標だけでなく、広範な民間人を巻き込む無差別爆撃は当時の戦時国際法に違反している。この点について、鈴木宗男衆議院議員が質問主意書で、「政府はアメリカ軍による東京大空襲は当時の国際法に違反して行われたものと認識しているか」とただした。

 これに対して、3月23日、政府は安倍晋三内閣総理大臣名で「当時の状況についてはさまざまな見方があり、お尋ねの東京大空襲は、当時の国際法に違反して行われたとは言い切れないが、国際法の根底にある基本思想の一たる人道主義に合致しないものであったと考えられる」という答弁書を閣議決定した。筆者はこの内容を高く評価する。安倍内閣が対米追従であるという見方は浅薄だ。アメリカ政府が東京大空襲について「国際法の根底にある基本思想の一たる人道主義に合致しないものであった」という認識を示すことはありえない。同盟国であっても完全に一致した歴史認識をもつことは不可能だ。

 マスコミは扱わないが、安倍内閣は過去の歴史についてもっと踏み込んだ見解も表明している。鈴木宗男氏が43年11月3日の大東亜宣言について、「大東亜宣言には、『米英は自国の繁栄のためには他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞うし、遂には大東亜の安定を根柢より覆さんとせり』との文言があると承知するが、政府はこの認識を現時点でどのように評価しているか」とただしたのに対し、政府は2006年10月6日の内閣答弁書で「御指摘の文言は、会議の参加国が当時における認識を示したものであると考える」と答えている。大東亜宣言に署名した、大日本帝国、中華民国(汪兆銘政権)、タイ国、満州国、フィリピン共和国、ビルマ国が米英は侵略国であるという認識をしていたと、現在の安倍内閣が確認しているのである。この歴史認識にアメリカが同意することは絶対にないと思う。

 現在、アメリカ議会で慰安婦決議が問題になっているが、事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。ただし、慰安婦を含む戦争に関連した歴史認識問題に日米共通の認識をつくることができるという幻想はもたない方がよい。筆者は安倍内閣は本格保守政権と認識している。それは、質問主意書に対して、ときにアメリカの基本的な歴史認識と衝突するような内容でも、ひるまずに答弁し、日本国家と日本人の歴史を取り戻すことに貢献しているからだ。この点についてマスコミが公平な評価をしないことに筆者は違和感を覚える。
FujiSankei Business i. 2007/3/29

ラスプーチンと呼ばれた男 佐藤優の地球を斬る/安倍政権の歴史認識
http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200703290005o.nwc




政府答弁書「東京大空襲は国際法基本思想に合致せず」
03/24 15:04
 政府は23日の閣議で、昭和20年3月10日の米軍による東京大空襲について「当時の国際法に違反して行われたとは言い切れないが、国際法の根底にある基本思想の一つたる人道主義に合致しないものだった」とする答弁書を決定した。鈴木宗男衆院議員の質問主意書に答えた。
 答弁書はまた、空襲による死傷者数について、日本戦災遺族会の調査に準拠して(1)死亡者8万3793人(2)負傷者4万918人-とした。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/44634/


一九四五年三月十日の東京大空襲に関する質問主意書
提出者  鈴木宗男

一 一九四五年三月十日の東京大空襲(以下、「東京大空襲」という。)による死者、負傷者、被災者の数を明らかにされたい。
二 政府は、アメリカ軍による「東京大空襲」は当時の国際法に違反して行われたものと認識しているか。
 右質問する。

平成十九年三月十五日提出  質問第一二〇号
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/166120.htm?OpenDocument




近聞遠見:外は一目置いている=岩見隆夫

 能登半島地震が発生した25日、石川県選出の森喜朗元首相に、真っ先に見舞いの電話をかけたのは民主党の長老、西岡武夫だった。森の国会事務所まで足を運んだのは自民党の青木幹雄参院議員会長である。
 「これがワセダなんだなあ」
 と森は言う。3人は同じ時期、早大に在学していた。慶大ならこうはいかないだろう、というニュアンスもこもっている。
 政界にかぎらず、早大出身者は結束が固い。慶大はクールと言われるが、小泉政権時代は慶大閥が取りざたされた。
 その点、安倍晋三首相と同学の成蹊大卒は与野党通じ古屋圭司元副経済産業相1人だ。学閥を作りたくても、作りようがない。安倍政権のまとまりが悪い理由の一つは、案外そんなところにもあるのかもしれない。
 昨年9月末、初組閣を終えたあとの記者会見で、人事方針を聞かれ、安倍は、
 「政治は結果が大切、結果を出せる方を選んだ」
 と述べた。しかし、政権発足から半年が過ぎて、結果を出すどころか、足を引っ張る閣僚が目立つのに驚く。それが支持率を下げている。
 世論調査の結果をみると、世間は安倍の指導力にも懐疑的だ。頼りない首相と映っている。だが、外の目は違う。
 ドイツの有力紙「フランクフルター・アルゲマイネ」は、先に安倍が訪独した際、
 <安倍首相は、内政では戦後最大のがんだった教育基本法の改正にメスを入れ、国際テロや極東アジアにおける緊張の高まりに備え、防衛庁の「省」への格上げを実現した。
 また、日本でもようやく現代の凄惨(せいさん)な情報戦に対応し、日本版NSC(国家安全保障会議)創設の筋道をつけた>
 などと報じ、外交面の活動も高く評価した。
 ドイツ在住のノンフィクション作家、クライン孝子は、そうした現地の空気を、
 <(安倍は)日本の新しい国家像を内外に印象づけたわけで、欧州では戦後の日本の首相としては珍しく大胆かつ斬新な政治家として、一目置かれている>
 と伝えている。(17日付「産経新聞」)
 また、パリでは、防衛省に昇格した時の式典あいさつで、安倍がドゴール将軍(第5共和制初代大統領)の著書「剣の刃」の一節を引用し、
 「難局に立ち向かう精神力の人は、自分だけを頼みとする……」
 と述べたことがニュースになり、すこぶる評判がいいという。
 アジアでも、ある財界首脳が、
 「昨年秋の安倍訪中の前と後に中国に行ったが、空気がガラリと変わっていた。幹部が口をそろえて安倍さんを激賞する。こんなに急変するものかとびっくりしましたね」
 と言うように、安倍は人気者だ。
 米国とは慰安婦問題がこじれているが、4月の安倍訪米で調整されるだろう。同盟関係が揺らぐようなテーマではない。
 総じて、国際社会での安倍は、好感度が高い。しかし、国内の目は厳しく、とても一目など置かれていない。この温度差は何に起因するのだろうか。かつて、
 <戦後、一国民主主義、一国繁栄主義、一国平和主義、まとめて一国とじこもり主義が日本の常識の主流であった>
 と批判したのは、政治学者の京極純一である。いまもその性癖が日本の世論を偏狭にしていないか。そろそろ、とじこもりでなく<世界のなかの日本>に開眼する時ではないか。(敬称略)

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/kinbun/news/20070331ddm003070165000c.html



「戦後体制からの脱却」を進める安倍首相
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by thinkpod | 2007-03-31 21:37 | 政治経済
2007年 03月 01日

【戦後60年 歴史の自縛】

(1)内閣改造直後に突然「村山談話」

少数で決めた「侵略」の謝罪

 戦後、六十回目の八月十五日がやってくる。「一億総懺悔(ざんげ)」から出発した日本人の戦争への反省は、いつしか謝罪へと変わった。

だが、中国と韓国は、歴史認識問題を対日カードとして使い続けている。終わりなき「謝罪」はどのようにして始まったのか。戦後六十年、日本を自縛してきた「亡霊」の正体を検証する。

                  ◆◇◆

四月十七日。元首相、村山富市は京都御所内に完成した京都迎賓館の完成披露式典で、首相の小泉純一郎と顔を合わせた。

 「インドネシアでAA会議(アジア・アフリカ首脳会議)があるので、今、『村山談話』を読んでいるところです」

 にこやかに声をかけてきた小泉に、村山は「ああ、そうですか」とだけ答えた。村山には、小泉の靖国神社参拝で日中関係が悪化しているとの思いはあったが、あえて口にはしなかった。

 五日後、小泉はAA会議で「村山談話」を引用して頭を下げ、多くの首脳を驚かせた。

 四月、中国全土で反日デモの嵐が吹き荒れた。国家主席、胡錦濤との日中首脳会談を前に、先の大戦について「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を盛り込んだ村山談話を踏襲する姿勢を明確にすることで、日中関係改善のきっかけをつかみたいとの思惑が、小泉にはあった。

 だが、AA会議翌日の首脳会談で、胡は、反日デモによる被害への謝罪はせず、逆に「歴史を正しく認識し対処するために、反省を実際の行動に移してほしい」と靖国神社参拝中止を求めた。先の大戦への謝罪を明確にした村山談話は何の効き目もなかった。

 平成七年八月十五日、村山はアジア諸国に向け日本の「侵略」と植民地支配に関する痛切な反省と謝罪を柱とした首相談話を発表した。

 この二年前の(1993年)八月十日、朝日新聞記者出身の細川護煕は首相就任後、初の記者会見で、日本の戦いを「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と発言、遺族会などから激しい反発を受けた。

細川以前の自民党政権は、戦時中の日本の行為について「深い反省と遺憾の意」を表明しても「お詫び」という表現は注意深く避け、欧米によるアジアの植民地支配に終わりを告げさせた側面をも否定する「侵略戦争」という用語は決して使わなかったからだ。

 熊本の旧陸軍教育隊で終戦を迎えた村山は、平成六年六月、自民、社会、さきがけ三党連立政権の首相に就任した直後から、「アジア各国に対する過去の清算」を「内閣に課せられた歴史的役割」と考えていた。

 「『戦後』は終わるもんか。一応のけじめをつけようという程度の話じゃ。戦後がこれで終わるなんておこがましいことは言わんよ」

 今年、八十一歳の村山は、大分市内の自宅で当時の心境をこう語る。

 談話発表まで村山と官房長官、故・野坂浩賢は周到に作戦を練った。日米安保条約堅持と自衛隊容認に踏み切り、支持層が離れた社会党にとって戦時中の日本の行為を非難する「五十年談話」は“社会党政権らしさ”を示す譲れぬ一線だった。

 七年六月、連立政権発足時の約束だった「謝罪・不戦」を柱とした戦後五十年国会決議が衆院本会議で採択されたが、自民党から大量の欠席者が出た。この轍(てつ)を踏まず、「植民地支配と侵略」の文言を盛り込むにはどうすればいいか。野坂は決意を秘めていた。

 「異議を申し立てる閣僚がいれば、内閣の方針に合わないということで即刻、罷免するつもりでいた」(野坂著「政権と変革」)

 八月十五日午前。閣議室の楕円(だえん)形のテーブルに着席した閣僚を前に、野坂は「副長官が談話を読み上げますので謹んで聞いてください」と宣言した。古川貞二郎は下腹に力を入れて読み上げ、閣議室は水を打ったように静まり返った。野坂が、「意見のある方は言ってください」と二度、発言を促したが、誰も発言しなかった。

 総務庁長官、江藤隆美は「閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した。(反対と)言っても始まらないと思って黙っとった」と振り返る。

 内閣改造から一週間しかたっていなかったことも村山に幸いした。

 運輸相として初入閣した平沼赳夫は、「事前の相談はまったくなく、唐突に出た。社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかな、と思った」と話す。「ちょっと問題のある文章だなと思ったが、あえて発言しなかった。今思えば率直に思ったことを言っておけばよかった」と悔やむ。

 こうして談話は異議なく閣議決定され、村山自身が記者会見して発表した。だが、記者の「『国策を誤った』政権とは具体的にどの政権を指すのか」という問いに村山は答えられなかった。談話は有識者による議論も経ず、ごく少数の政治家と官僚がかかわっただけで、歴史認識を内閣あげて討議して練り上げたものではなかったからだ。

                   ◇

≪中韓へ正当性与える結果に≫

 ◆「東京裁判史観を基に個人的な思い」

 村山談話について村山は、「みなさんと相談してつくった」と強調する。だが、実情は違う。

 当時、内閣副参事官として談話の原案を起草した民主党参院議員の松井孝治は、「政策的に思い切ったアイデアを企画する場合、官邸スタッフが『少数ならでは』の思わぬ効果を上げる場合がある」とした上で、「首相側近の大物官僚が村山の意向をくみとり、週末に親しい学者と相談して書き上げた」とごく少数の官邸スタッフが携わり、極秘裏に案文づくりが進んだことを認めている。

 大物官僚とは、内閣外政審議室長(現・内閣官房副長官補)で、後に駐中国大使となった谷野作太郎だ。

 谷野は、「(アジア諸国の人々に対し多大の損害と苦痛を与えたという)歴史の基本的ラインを曲げてはいけない、開き直ってはいけないと思った」と証言する。ただし、中国や韓国が「謝罪が十分ではない」と批判していることについては「謝罪は十分したし、卑屈になる必要はない」と語った。

 松井はこう振り返る。

 「自分が起草した文章が谷野さんに直されてガラリと変わった。賛否両論はあるが、『国策を誤り』などという表現は胆力がなければ書けないし、味も素っ気もない“官庁文学”では作成し得ない出来栄えだ」

 自民党で事前に案文を見せられたのは、通産相の橋本龍太郎、野中広務らごく一部。橋本は「『終戦』を『敗戦』にすべきだ」とアドバイスしただけだった。

 自社さ政権下で生まれた村山談話を、明星大学教授の高橋史朗(占領史研究)は、「明らかに『東京裁判史観』に基づくものだ」と批判する。「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」とする部分は、東京裁判の論理に合致すると分析。高橋は「東京裁判史観は、戦前の日本の歴史を抹殺しようとした連合国軍総司令部(GHQ)とマルクス主義歴史学者たちの合作。その延長線上に村山談話がある」と指摘する。

                   ◇

 村山談話の反響は大きかった。英BBCは「日本の首相が侵略におわび」とトップニュースで伝え、ニューヨーク・タイムズも一面トップで報じた。だが、村山が期待した中国、韓国の反応は「今後の日本の態度に注目する」といった冷淡なものだった。

 逆に、村山談話はその後の日本外交に大きな足かせとなった。当時の官房副長官、古川貞二郎は「過去だけでなく未来志向にも重点を置いたもので、その後の政権の基調となっている」と評価するが、「未来志向」は日本の片思いに終わった。

 村山談話によって日本が「侵略」を認めたとされ、中国、韓国の歴史認識カードに都合の良い「正当性」を与える結果を招いた。

 今年三月一日、韓国・ソウル市内で開かれた「三・一抗日運動」の記念式典。大統領の盧武鉉は、村山談話の「痛切な反省と謝罪」を引用、韓国政府が対日賠償請求権を放棄した昭和四十年の日韓基本条約を覆すかのように、「(日本は)賠償すべきは賠償しなければならない」と発言した。

 当時の外務官僚の一部が懸念していた「戦後補償問題はすでに解決済みなのに、個人的な思いだけで首相が謝罪すれば、補償問題が再燃しかねない」との指摘が現実のものとなった。

 それでも村山は言う。

 「『あんな談話を出したからいつまでも謝らなければいけない』という者があるかもしれんけどな、それは言う人の勝手じゃ。談話は読めば分かる。それ以外の何ものでもない。僕自身は誤ったことをしたとは思っていない。あれで良かったと思っている」(肩書は当時。敬称略)

                  ◇

 ■天皇陛下は「謝罪」に踏み込まず

 天皇陛下は平成四年、中国をご訪問された際、「わが国が中国国民に多大の苦難を与えた一時期」という踏み込んだ表現をされた。

 昭和五十三年、中国のトウ小平副首相が来日した際、昭和天皇は「一時、不幸な出来事もありました」と述べられたが、中国側は反発を示さなかった。中ソ対立が続いていた当時の世界情勢も大きく影響しており、冷戦崩壊後の平成四年の天皇陛下のお言葉とはニュアンスが大きく異なる。

 ただ、強い遺憾の意を表明しつつも直接的な謝罪の表現を避けたのは、天皇陛下のご訪中が国内の慎重論を押し切った上で実現した経緯から、「陛下にご負担をおかけしてはいけない」(宮沢喜一首相)という日本政府の方針があったからだ。

2005(平成17)年8月2日産経新聞
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050802jibaku_etc.html



【戦後60年 歴史の自縛】(2)総辞職前日の慰安婦談話

裏付けなく認めた強制連行

 日本の「謝罪外交」を決定的なものにした「村山首相談話」に至る道筋を開いたのが宮沢喜一政権だ。

 宮沢内閣が政治改革関連法案の処理に失敗し、最終的に総辞職する前日の平成五年八月四日。

 官房長官、河野洋平は慰安婦問題に関する談話を発表した。「慰安婦の募集は、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲などが直接これに加担したこともあった」とし、「総じて本人たちの意思に反して行われた」との内容で、募集段階で慰安婦の強制連行があったことを政府として認めたのだ。

 慰安婦問題に火がついたのは、宮沢政権発足間もない平成三年十二月、「従軍慰安婦」だったという韓国人女性が日本政府を相手取り、謝罪と損害賠償を求める訴えを起こしたのが発端だ。

 これを機に朝日新聞など一部メディアが「従軍慰安婦問題」キャンペーンを展開。吉田清治という人物が「済州島で軍の協力で慰安婦狩りを行った」と告白した。だが、この告白は後に、現代史家の秦郁彦らが現地調査し、「極めて疑わしい」ことが明らかになった。だが、当時は、真偽不明の慰安婦情報がマスコミをにぎわし、韓国政府も世論に押されて日本政府に元慰安婦からの聞き取りなど真相究明を求めてきた。

 元官房副長官の石原信雄は、「弁護士のTらが韓国で火をつけて歩いた。どうしてそういうことをやるのか、今でも腹が立って仕方がない」と振り返る。

 河野談話発表に至る調査はずさんだった。

 七月二十六日、元慰安婦十六人のヒアリングをソウルで開始した。

 「聞き取りの結果、自分の意に反して慰安婦にされたのは否定できない。その点は認めざるを得ないという結論に至った」(当時の関係者)

 だが、得られたのは証言だけ。物証はなく、裏付け作業もされず、聞き取り終了から五日後に河野談話が発表された。国会開会中を理由に取材に応じなかった現衆院議長の河野に代わって、石原はいう。

 「官邸内でも国の名誉がかかるだけに意見はいろいろ出たが、内閣としてまとめた以上、弁解しない。私にも責任がある」

 韓国側は談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗(しつよう)に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題であり、個人補償は要求しない」と非公式に打診してきた。日本側は「強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないか」との期待感を抱き、強制性を認めることを発表前に韓国側に伝えた。ジャーナリスト、櫻井よしこは、日本政府の対応を「韓国側とのあうんの呼吸以上の確信を日本側が抱いたのではないか」と推測する。

 「誠意を尽くす」という内閣の意思で発表された談話だったが、日本政府が募集に直接関与し、韓国人女性を強制的に慰安婦にしていたかのように国内外で都合よく利用され続けている。

 石原は「談話は日本政府の指揮命令の下に強制したことを認めたわけではない」と明言した上で、韓国政府の対応を批判する。

 「韓国政府の言い方は今ではまったく違った形になっている。心外だ」

                  □  □  □ 

 河野談話にも前段があった。

 平成四年一月十三日。慰安婦問題をめぐり、政府は初めて、慰安所設置に関して旧日本軍の関与を認める官房長官談話を発表した。主役は加藤紘一だった。

 「現に(当時の)軍が関与したんだから。それを否定しなければならないの? 事実をちゃんと認めるのは、やむを得ないのではないか」

 加藤は、慰安所で軍が関与した料金表などが資料として見つかったことを根拠にしたという。

 「私が長官の時はどうやって慰安婦を集めたか、危ない集め方はあったらしいというところまで。ただ、軍がある種の経営をしていたことは事実だ。石原副長官も私に『謝りましょう』と言ってきた」

 三日後に宮沢の韓国訪問が控えていた。関係者によると、外交問題となりつつあった慰安婦問題を首脳会談で主要議題としないため、先方への「手土産」として談話作成が決まったという。懸案を取り繕ったつもりが、問題はさらに増幅したのだ。

≪発端は教科書検定での譲歩≫

 宮沢と河野は、日中関係の節目で、中国に有利な決定を下してきた。

 歴史認識問題の発端になったのが、昭和五十七年の教科書問題だが、ここでも宮沢が大きな役割を果たした。

 同年十一月、文相の諮問機関が「教科書検定基準に近隣諸国との友好・親善に配慮した項目を新設する」との答申をまとめた。いわゆる「近隣諸国条項」だ。

 これは、八月二十六日、鈴木善幸内閣の官房長官だった宮沢が発表した四項目の「宮沢談話」がもとになっている。鈴木が訪中するちょうど一カ月前のことだった。

 「アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上で、日本の学校教育、教科書検定に対する中国、韓国の批判に十分耳を傾け、政府の責任において是正する」

 「今後の教科書検定に際しては、検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する」

 六月、教科書検定によって「侵略」が「進出」に書き改められたとマスコミが一斉に報じる誤報事件が発生。これに中国、韓国が反応、問題が一気に拡大した。

 宮沢談話が発表される三時間前の八月二十六日午後一時。自民党文教部会長だった石橋一弥は、自民党文教族の有力者、三塚博とともに、自民党本部に呼ばれた。

 幹事長室には幹事長の二階堂進ら党三役と官房副長官、池田行彦が待ち構え、池田が一枚のコピーを配った。

 「部会長、どう思われますか」という池田に、石橋は「『これではダメだ』と言ってもよろしいでしょうか」と応じた。

 だが宮沢談話はすでに外交ルートを通じて中国、韓国に通告したと、池田が明かした。納得のいかない石橋は、「是正とは何だ。今までの検定が悪かったと認めるようなものではないか」と食い下がったが、すべては後の祭りだった。

 文部省に向かった石橋は、事務次官、三角哲生の前で、「残念だが、時すでに遅しだ」と悔し涙を流した。

                  □  □  □

 河野は、旧日本軍が中国に残したとされる遺棄化学兵器の処理問題にも深くかかわった。遺棄化学兵器の処理は平成九年四月に発効した化学兵器禁止条約(CWC)に基づく処置だ。日本は五年一月に署名し、七年九月に批准した。CWCは化学兵器の使用や開発、製造や貯蔵を禁止する条約だが、中国の強い希望で遺棄化学兵器の「廃棄条項」(第一条三項)が盛り込まれた。中国での旧日本軍の残留兵器以外は世界で「遺棄」を認めている国はなく、事実上の「日本専用条項」といえる。河野が官房長官の時に署名し、外相時代に批准した。

 旧日本軍の化学兵器は、ソ連軍や中国軍に武装解除されて引き渡した武器の一部。所有権は中ソ両国にあり、中国のいう「遺棄兵器」には当たらないとの見方が政府内にもあった。

 だが、河野は武装解除で引き渡されたことを証明する書類がないことを理由に、日本による化学兵器の処理を推進した。

 十一年七月三十日に締結した日中の「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」では、日本が処理費用をすべて負担し、将来の事故も日本が補償する内容となった。日本側代表は駐中国大使の谷野作太郎。そして、中国の言い分をほとんど受け入れた外交のつけが今また、国民に大きな財政負担を強いようとしている。償還が前提の円借款と異なり、無償援助であり、総額も確定していないのだ。

 日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一は、遺棄化学兵器処理問題について、「日本の対中外交の典型だ。遺棄兵器の管理責任は本来、旧日本軍から武装解除で引き渡しを受けた中国、ソ連が負うべきであり、そういう議論をきちんとやるべきだった」と指摘する。さらに、「当たり前のことを協議で詰めもせずに『賠償金を払っていないから』ということで中国に巨額資金を垂れ流すのであれば、あまりに安易な外交だといわざるを得ない」と批判している。(敬称略)



◆「河野談話」作成の経緯 石原信雄元官房副長官に聞く どう利用されるか議論せず
 産経新聞は、「河野談話」作成の経緯などについて、石原信雄元官房副長官に聞いた。

                  ◇

 −−河野官房長官談話発表の経緯は

 慰安婦問題が出てきたのは、韓国で訴訟が起こり、続いて挺身(ていしん)隊という人たちが日本政府に謝罪と賠償を要求し、エスカレートした。意に反して慰安婦にされた人が存在したかどうかが一番の問題になった。当時は補償問題は一切、議論していない。日韓基本条約で済んでいることだから。個人の名誉の問題として強制にあたる募集があったかだけを確認した。

 −−政治判断として強制性を認めれば事が収まると思ったのか

 われわれは、いかなる意味でも、日本政府の指揮命令の下に強制したということを認めたわけではない。

 −−談話に反対しなかったのか

 議論の過程ではいろいろあった。国の名誉の問題があるから。政府として内閣としてまとめた以上は、私は全責任を負う。まとめた以上は逃げられない。

 −−国連は河野談話をもとに日本を「性奴隷の国」と呼んだ

 もちろん、そういうことに利用される可能性はある。訴訟している人たちは、すべてが強制だと主張しているわけだから、それを認めたことになるかもしれない。そういうリスクは当然、あの談話にはある。それは覚悟した。

 −−現在の評価は

 日韓の未来志向のためには、本人の意に反して慰安婦になったことを認めることが、その後の日韓関係を深める上で、必要だったという判断だったと思う。だが、韓国側が慰安婦はすべて強制だとか、日本政府が政府として強制したことを認めたとか、誇大に宣伝して使われるのは、あまりにひどい。韓国政府関係者の言い分は、(当時と)ぜんぜん違った形になっている。

 −−具体的には

 いろいろな国際会議で、日本政府が政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。談話には書いてないが、納得ずくで慰安婦になっていた人だっている。

 −−宮沢首相は政権末期で決着を急いだのか

 次の内閣に送ってしまうということは、すべきでないと。宮沢内閣の責任で締めくくろうという首相の決断だった。

 −−韓国にいい顔をしすぎたのではないか

 批判はいろいろあるだろう。ただ、それが、どう利用されるかは、当時、議論していない。談話とか、公文書は、いろんな立場でそれが使われる可能性が常にある。

 −−鈴木内閣の近隣諸国条項も問題だが

 内閣の方針として、周辺国に対する配慮はずっとしていた。内閣のとった行動は間違っていなかったと思う。一番いけないのは、いっぺん出た結果について、よそから言われて変えることだ。これは内政干渉そのものを受け入れることだ。これは国家としての体面を汚されることだ。日本政府が考えてとった行動について、よそから言われて変えるのは、日本の名誉、尊厳のためによくない。

                  ◇

 ■河野談話(慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話)要旨

 調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接、あるいは間接にこれに関与した。当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 (平成5年8月4日)

                  ◇

 ■加藤談話(慰安婦問題に関する内閣官房長官談話)要旨

 今回発見された資料や関係者の方々の証言やすでに報道されている米軍等の資料を見ると、従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できないと思う。この機会に改めて、従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい。

 (平成4年1月13日)

2005(平成17)年8月3日産経新聞
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050803jibaku_etc.html

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20060828/

検証朝日新聞従軍慰安婦問題①年表
http://www.geocities.jp/tamacamat/ianfu.html
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by thinkpod | 2007-03-01 20:38 | 政治経済
2007年 01月 05日

もはや消費税率を引き上げる必要はなくなった

 財務省によれば、今年度予算の税収見積もりは総額で50兆円。当初予算よりも4兆円の増額となることが明らかになった。その大きな理由として、景気の回復によって法人税収が好調となっていることが挙げられる。

 実は昨年度においても、当初予算より税額が増えている。昨年度は、補正予算の際に3兆円を上積みし、さらに決算の際に2兆円が加わり、合計5兆円も税収が増えたのである。

 財政状態が上向くのは喜ばしいことである。だが、これだけ財政がよくなっているというのに、不思議なことに消費税を引き上げようという声は、けっして小さくなることがない。それどころか、定率減税の全廃という実質的な増税が決定してしまった。これはおかしいのではないか。

 いつのまにか、国民の大多数は「消費税率の引き上げはやむを得ない」という考えを持たされてしまったようだが、それは本当なのだろうか。もう一度じっくりと検討する必要があるとわたしは思うのだ。


財政の黒字化、可能性は来年度にも

 ご存じのように、日本政府は大きな赤字を抱え、財政再建の真っ最中である。そして、「2010年代初頭までにプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化する」という目標を立てている。

 プライマリーバランスというのは、国の収入(歳入)と支出(歳出)の釣り合いを表した数字だ。この数字には、国債の発行や元利払いなどは含まれない。要するに、純粋な財政収支を示すものだ。この収支がちょうど釣り合っていれば、借金の対GDP比は増えも減りもしない。一般家庭に例えれば、借金の返済は進まないものの、毎月の収入によって生活はできるという状態である。

 現在、プレイマリーバランスは赤字であるが、財政再建によってこれを2010年代初頭までに黒字にしようというわけだ。

 黒字化する年度について、政府は当初2012年度を想定していたが、ここにきて税収が好調になったために、いつのまにか2011年度に繰り上げている。それを見ただけでも、ずいぶんいいかげんな計画であると分かるだろう。

 では、本当にプライマリーバランスの黒字が達成できるのか。具体的な数字を検証していくことにしよう。

 今年度当初予算のプライマリーバランスの赤字は11兆2000億円であった。ところが、冒頭に述べたように、税収が4兆円増える見込みなので、現時点での赤字見込みは7兆2000億円に圧縮されることになる。

 税収が増えることで、本来ならば自動的に地方交付税が増加するということになるはずだが、政府は地方交付税を抑え込もうとしていることは、すでにご承知の通りである。もし、全額を抑え込むことになれば、いま示したように7兆2000億円にまで圧縮できるのである。

 確かに、この赤字額は小さな数字ではないかもしれない。しかし、2004年度から2005年度にかけて、決算ベースで見たプライマリーバランスは、6兆4000億円改善したという実績がある。加えて、昨年度決算では1兆5000億円の予算の使い残しも発生している。こうした状況を考慮に入れれば、7兆2000億円などという額は、1年で解消できる金額に近いといってよい。

 現に、12月20日に内示された政府予算の財務省原案では、来年度における税収は53兆4670億円となり、税収増は7兆6000億円を予測している。

 そう、このまま景気回復が続き、不要な支出を抑えることができれば、実は破綻状態と言われた日本の財政は、早ければ来年度にも黒字化する可能性があるのだ。


日本の財政はけっして破綻していない

 ところが、日本の財政が来年度にも黒字化するという事実を、経済に携わる者を含めて誰一人として指摘しようとしない。誰もが、日本の財政は破綻状態と信じて疑わないのである。これは、実に奇妙なことではないか。

 けっして、わたしは好き勝手な妄想を口走っているわけではない。予算書に書いてある数字を見て、論理的に述べているだけなのだ。

 確かに、こういう反論もあるだろう。「プライマリーバランスが、ちょっとくらい黒字になっても、多額の借金はどうにもならないのではないか」。

 しかし、それは目先の借金の額にとらわれているに過ぎない。それを説明するために、まずプライマリーバランスがプラスマイナスゼロになったと仮定して話を進めてみよう。

 確かに、プライマリーバランスが釣り合えば、政府は新しく借金をする必要がない。一方で、借金の返済もできないので、過去の借金は残っている。その借金には金利が付くので、その分だけ借金の残高は増えていくわけだ。もし、金利が2%だとすれば、借金は年に2%ずつ増えていくことになる。

 それでは、借金は雪だるま式に増えていくように見えるが、そうではない。同時に、経済が成長していけばいいのだ。金利が2%ついても、名目経済成長率が2%以上伸びていれば、GDP全体に占める借金の比率は下がっていく。つまり、借金の比重が軽くなっていくわけだ。

 同じ100万円の借金であっても、年収300万円の人と年収1億円の人とでは、その比重は違っている。たとえ借金の返済が進まなくても、年収が増えていけば、借金の苦しさは低減するというわけだ。もちろん、年収を増やしていけば借金の返済も楽になる。

 それと同様に、現在の経済成長を維持していけば、あとはプライマリーバランスを黒字化することで、借金返済も楽にできるのだ。


企業減税・個人増税にただ黙って従うサラリーマン

 先ほども述べたように、プライマリーバランスは2007年度にも黒字化できる。これは、政府目標である2011年度よりも4年も早いわけだ。

 それならば、何も焦って消費税率をアップすることなど必要ないではないか。「安定的な歳入が必要だ」などと言う人たちがいるが、それならば法人税減税をやめればいい。

 ただでさえ、来年度は定率減税の廃止によって、さらに税収が1兆円伸びることになっている。もうこれ以上、一般国民に対する増税は必要ないではないか。少なくとも、財政再建を目的とした消費税率アップは、もはや必要がなくなっている。そんなことは、財政をやっている人ならば誰でも分かっているだろう。

 では、それなのになぜ消費税率を上げようという話が消えないのか。それは、減価償却の拡充や法人税率の引き下げといった法人減税を行うための財源として必要だからではないか。

 だが、いま救うべきなのは、空前の利益を上げている法人ではなくて、年収200万円程度で暮らさざるをえない庶民ではないのか。

 わたしは、なにも安っぽい正義感だけで、庶民のためになることをしろと言っているのではない。いくら景気が上向いたといっても、国民の所得を伸ばして消費を拡大しなければそれは続かないのだ。たとえ企業の投資が伸びて生産力が上向いても、庶民がモノを買うことができなければ、やがて景気は失速してしまうだろう。それをわたしは恐れているのだ。

 だが、わたしがいくら数字を挙げて、「消費税など引き上げなくてもいい」と論理的に説明しても、なかなかそれを理解してもらえないのが残念だ。それどころか、やれ財政が分かっていないだの、経済オンチだのとヒステリックな反応ばかりが返ってくる。揚げ句の果てには、非国民呼ばわりされる始末だ。マスコミにしても、借金の額ばかりを示して不安をあおっているばかりである。

 だが、もう少し冷静になって数字をチェックしようではないか。そうすれば、現在の日本の財政状態の本当の姿が見えてくるだろう。そして、一般の国民も、政治家やマスコミに言われるがままに信用するのではなく、さまざまな意見を聞いて判断するようにしてほしいのだ。

 わたしにとって、何よりもミステリーなのは、誰が見ても明らかな企業減税・個人増税という流れに対して、サラリーマンがただ黙って従っていることなのである。

[森永 卓郎氏]/SAFETY JAPAN
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/o/63/index.html



竹中前総務相「消費税引き上げ、必要なし」

 消費税論議が高まる中、竹中前総務相は4日、「引き上げる必要がない」との見解を示した。
 これは「日テレNEWS24」の番組収録で発言したもの。竹中前総務相は、「新年度の予算で重要なメッセージは、2010年代初頭に、プライマリーバランス(基礎的財政収支)を回復するために、消費税を上げる必要がなくなった。これは明らかです」と述べた。
 この4年間で、税収などの歳入から一般歳出を引いたプライマリーバランスの赤字幅が、増税なしで半分以下になったことを指摘。経済成長と歳出削減を4〜5年続ければ赤字が解消するとの考えを示した上で、「プライマリーバランス正常化のための消費税アップは必要なくなった」との考えを強調した。[5日13時35分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20070105/20070105-00000003-nnn-bus_all.html
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by thinkpod | 2007-01-05 18:23 | 政治経済
2006年 12月 26日

「戦後体制からの脱却」を進める安倍首相

外交、教育、防衛と、安倍政権は「戦後体制からの脱却」を着々と進めている。

■1.着々と進む「戦後体制からの脱却」■

 郵政民営化に反対して離党した「造反組」議員の復党問題で、
安倍首相に対する支持率が、発足直後の64パーセントから
47%に急落した、と伝えられている。安倍首相はこの問題を
中川秀直・自民党幹事長に一任したのだが、世論調査では、こ
の問題に対して首相が指導力を「発揮したとは思わない」との
回答が67パーセントに達した。その後も、タウン・ミーティ
ングでのやらせ質問や、政府税制調査会・本間正明会長の官舎
入居問題などで、逆風が強まっている。

 しかし、マスコミがこれらの問題に騒いでいる間に、今国会
に提出された21法案はすべて成立した。その中には約60年
ぶりの教育基本法改正、防衛庁の「省」昇格の重要法案が含ま
れていた。安倍内閣の掲げる「戦後体制からの脱却」は、内閣
発足わずか3ヶ月で大きな第一歩を記したと言える。

「戦後体制」と言えば、その代表は共産党や社民党、民主党左
派などの左翼政党、そして朝日新聞やTBSに代表される一部
の左翼的マスコミである。これら「戦後体制」を代表してきた
勢力が、「戦後体制の脱却」を掲げる安倍政権を目の敵にして
きたのも、けだし当然であろう。

 今回はこれら一部マスコミや野党と戦いつつ「戦後体制の
脱却」を進める安倍政権の足跡を追ってみよう。

■2.安倍憎しの「ゲリラ活動!?」■

 朝日新聞やTBSは、従来から何とか安倍政権の誕生を阻止
しようと、異様な熱意を燃やしてきた。

 朝日は昨年1月12日、NHKが4年も前に放送した従軍慰
安婦に関する番組で、中川昭・経産相(当時)と安倍・内閣官
房副長官(同)が圧力をかけて番組を改変させたと報じた。

 NHKは7時のニュースで「朝日の虚偽報道」と反撃し、中
川・安倍両氏も「事実無根」と訂正・謝罪を要求した。朝日は
何ら根拠を示せず、窮地に陥った[a]。朝日はその後も頬被り
を続けているが、この失敗以来、いよいよ安倍憎しの情を募ら
せたようだ。

 安倍氏が小泉前首相の後継として注目を集めると、朝日は対
抗馬・福田康夫氏に6月20日付け社説で『福田さん、決断の
時だ』と決起を促した。7月5日、福田氏が正式に出馬しない
と表明すると、23日付け社説では『安倍氏独創でいいのか』
と歯ぎしり。「福田がダメなら小沢だ」とばかり、9月11日、
民主代表選の前日に小沢ビジョンをスクープし、夕刊一面トッ
プで『民主、格差是正を全面、保守取り込み狙う』と派手に持
ち上げた。

 しかし朝日の怨念空しく、安倍首相が誕生すると、9月21
日社説では『不安一杯の船出』、同27日付社説では『果たし
てどこへゆく』と、不安をかき立てた。しかし、新首相への世
論支持率64パーセントという逆風の中では、「負け犬の遠吠
え」に過ぎなかった。

 一方、TBSはテレビならではのイメージ戦略で安倍氏を攻
撃した。7月21日の「イブニング・ファイブ」では、満洲で
の731部隊による細菌戦計画の番組中、何の関係もない安倍
氏の顔を大写しにして、「ゲリラ活動!?」のテロップを流し
た。

 安倍氏が不快感を示し、総務省も調査に入ると、TBSは
「偶然」と謝罪したが、報道局長の事前チェックも入るはずの
報道番組に、こんな「ミス」が見逃されるはずもない。安倍氏
の祖父、岸信介元総理が満州国の官僚だったことから、731
部隊との関係を示唆し、安倍氏のイメージダウンを図ろうとい
う卑劣な戦術だった。公共の電波を使うマスコミ機関が、ここ
までやるのは、無法な「ゲリラ活動!?」としか言いようがな
い。[1,p61]

■3.「侵略戦争」村山談話の継承と空洞化■

 一方、国会内では野党が、安倍首相に歴史観に関する集中質
問を続けた。なんとか安倍首相から問題発言を引き出して、足
下を掬(すく)おうという魂胆だろう。

 まず10月3日、共産党の志位和夫議員が平成7(1995)年の
村山談話について、「国策を誤り、戦争への道を歩んだという
認識を共有するのかどうか」と問い糾した。首相は村山談話を
継承する、としつつも、こう付け加えた。

 一方、先ほど申し上げましたように、政治家の発言は政
治的、外交的な意味を持つものであることから、歴史の分
析について政治家が語ることについては、やはり謙虚であ
るべきだと考えております。

 さらに社民党の福島みずほ議員が、翌4日の参院本会議で同
様な質問を繰り返すと、

 侵略戦争という概念については国際法上確立したものと
して定義されていない・・・

 村山談話を継承しつつも、「侵略戦争」の国際法上の定義は
なされていない、歴史について語ることは政治家は「謙虚」に
なるべき、と談話の内容自体を空洞化させる発言を行った。

■4.「従軍慰安婦」河野談話の継承と空洞化■

 さらに10月6日、志位議員が旧日本軍が「従軍慰安婦」の
強制連行に関わったという河野談話について質問すると、首相
は、それを継承すると答えつつも、

 いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。
つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていったのか、
また、そうではなくて、これは自分としては行きたくない
けれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういう
ことになったことについての関連があったということがい
わば広義の強制性ではないか。・・・

 今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づ
けるものは出てきていなかったのではないか。

 また、私が議論をいたしましたときには、吉田清治とい
う人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという
人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていた
のでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったと
いうことが後日わかったということもあったわけでありま
して、そういう点等を私は指摘したのでございます。

 ここでも河野談話を継承すると言いつつも、「家に乗り込ん
でいって強引に連れていった」というような「狭義の強制」は
事実として否定している。

■5.安倍首相の尻尾をつかめなかった野党■

 村山談話や河野談話は政府として公式に出してしまったもの
だから、それをいきなりひっくり返したら、それこそ一部マス
コミや野党が鬼の首をとったように大騒ぎし、そうなれば中韓
も首相を迎えるわけにはいかなくなったであろう。

 そこで、安倍首相は、両談話を継承するとしつつも、「侵略
戦争」の定義が確立していない、とか、強制と言っても狭義の
ものではない、として、実質的に空洞化を図ったのである。

 この巧妙なアプローチに、野党は安倍首相の尻尾を掴むこと
ができずに、集中攻撃も不発に終わった。

 その後、下村博文官房副長官が講演の中で、個人的見解とし
つつも、河野談話について「もう少し事実関係をよく研究し、
時間をかけ客観的に科学的な知識を収集して考えるべきだ」と
述べた。

 現実主義的なアプローチの中で、時間をかけて粘り強く自ら
の信念を貫くのが安倍流のようだ。今後も村山談話や河野談話
の見直しを徐々に進めることを期待したい。これも「戦後体制
からの脱却」の重要な一歩である。

■6.靖国に「行くか行かないか、は言わない」■

 政権誕生から2週間も経たないうちに、安倍首相は10月8
日に中国を訪問し、翌9日には韓国を訪れた。

「靖国参拝をやめない限り、中韓は首脳会談に応じない」とい
うのが、一部マスコミの決まり文句だったが、安倍首相は「靖
国神社に参拝したか、しなかったか、するか、しないかについ
て申し上げない」という態度で押し通した。それでも中韓が訪
問を受け入れたことで、この一部マスコミの決まり文句は誤っ
ていた事が明白になった。

 靖国に関しては小泉前首相が最後まで折れなかったことで、
中韓はこれ以上、靖国を外交カードにすることをあきらめたわ
けで、その機を逃さずに利用した安倍首相の政治的判断が奏功
したのである。

 これを一部マスコミは「曖昧戦術」と批判するが、「曖昧」
で悪いことはない。もともと「一国の首相が戦没者の追悼をす
るのを、他国がとやかく言うこと自体がおかしい」と言うのが
日本側の主張なのであって、安倍首相が参拝について曖昧にし
たまま、中韓が首脳会談を受け入れた、ということで、日本側
が主張を押し通した形となったわけである。

■7.靖国に「行くか行かないか、は言わない」■

 中国側は胡錦濤国家主席、呉邦国全人代委員長、温家宝総理
とトップが会談に応じた。会談後の記者会見では、冒頭から靖
国参拝に関する質問があったが、安倍首相はこう答えている。

 靖国神社の参拝については、私の考えを説明した。そし
てまた、私が靖国神社に参拝したかしなかったか、するか
しないかについて申し上げない、それは外交的、政治問題
化している以上、それは申し上げることはない、というこ
とについて言及した。その上で、双方が政治的困難を克服
し、両国の健全な発展を促進するとの観点から、適切に対
処する旨述べた。私のこのような説明に対して、先方の理
解は得られたものと、このように思う。

 中国側の要望も「政治的障碍を取り除いて欲しい」というこ
とで、さすがに「靖国参拝をやめよ」などとは言っていない。
「政治的障害」にさえならなければ、靖国参拝について、行っ
てもよいとも、いけないとも言わない。こちらも「曖昧戦術」
なのである。

 現時点では「曖昧」にしておくことが、双方の政治的利益に
適うわけで、「一国の首相が戦没者の追悼に行くことを、他国
がとやかく言うこと自体がおかしい」という国際常識にようや
く立ち戻ったわけである。

 来年の靖国参拝については、首相自身の胸算用にかかってい
るが、現実的な対応をしながらも原則を貫く安倍流に期待した
い。

■8.外交における「戦後体制の脱却」■

 靖国問題以外については、中韓に対して安倍首相が明確な主
張をしている点を見落としてはならない。中国側との会談の後
の日中共同プレス発表では、こう公表されている。

 日本側は、戦後60年余、一貫して平和国家として歩ん
できたこと、そして引き続き平和国家として歩み続けてい
くことを強調した。中国側は、これを積極的に評価した。

 首相は記者会見において、北朝鮮問題、拉致問題、東シナ海
資源開発問題などについても、首相から考えを説き、中国側か
ら理解が示された、と述べている。従来、日中間の最大の問題
とされていた歴史問題は、「歴史を直視し、未来に向かい」、
および「日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げる」
という2点だけで片付けられている。

 日中関係の正常化を必要としていたのはむしろ中国側であり、
小泉前首相への靖国批判で上げた拳の下ろし所を探っていた中
国が、首相交替という機会に素早く乗ったのである。中国の
「君子豹変」に、日本の一部マスコミは2階に上がったまま梯
子をはずされた形となった。

 一方、韓国との首脳会談では、「豹変」しない盧武鉉大統領
が、冒頭の40分以上も、慰安婦、歴史教科書、靖国神社に替
わる国立追悼施設など、従来通りの主張を繰り返したが、安倍
首相は一切取り合わず、そうした歴史認識を文書に表そうとし
た韓国側の要求を拒否した。かくて韓国とは共同の文書発表す
ら行われないという異例の事態となった。

 いずれにせよ、首相就任直後の電撃的な中韓訪問は、その内
容においても、従来の歴史問題への謝罪から始まる戦後の対中
韓外交を完全に脱皮し、主張する外交に転換した、という点で
画期的なものであった。これは外交面における「戦後体制から
の脱却」であった。

■9.着々と進む「戦後体制の脱却」■

 12月15日、改正教育基本法が成立。日教組は国会前のデ
モ行進などで組合員約1万5千人を動員した。平日の授業も放
り出しての教員のデモで、支出総額3億円というから、ただ事
ではない。

 日教組がこれだけしゃかりきになるのも理由がある。従来法
の「不当な支配に服することなく」という文言を、日教組は文
部科学省や教育委員会の施策や指導に反対する根拠としてきた
のだが、今回「教育は、、、この法律及び他の法律の定めると
ころにより行われるべきものであり」と追加されて、法律に基
づく教育行政は「不当な支配」に当たらない、と明記された。

 これでようやく教育が法の支配のもとに行われることとなっ
た。この当たり前のことが戦後60年も放置されてきたわけで
ある。

 さらに安倍首相は12月19日夜の記者会見で、憲法改正に
ついて「歴史的な大作業だが、私の在任中に何とか成し遂げた
い」と明言した。その改正手続きを定める国民投票法案に関し
ては、来年の通常国会で成立を目指す考えを示した。

 そもそも憲法改正には国民投票が必要だと現行憲法には書い
てあるが、その投票のための法律すら戦後60年間も制定され
ずに来ていたのは、どう見ても異常である。

 外交、教育、防衛、そして最終的には憲法へと、占領軍が残
した「戦後体制」の脱却に、安倍政権は着々と取り組んでいる。
来年の進展に期待したい。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(401) 北風と朝日
 ある朝日新聞記者が北朝鮮擁護のために でっちあげ記事を書
いたという重大疑惑。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog401.html
b. JOG(339) 安倍晋三 〜 この国を守る決意
 政治家は「国民の生命と財産を守る」という ことを常に忘れ
てはいけないと心に刻みました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog339.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 西村幸佑他『「反日マスコミ」の真実』★★、オークラ出版、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4775508385/japanontheg01-22%22

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108067739.html





日本は「日中歴史対話」で攻めに転じられるか

日本会議専任研究員 江崎道朗

 安倍首相の存在感が薄い、という批判が出ています。

 確かに小泉首相のようなワンフレーズを繰り返す手法をとっ
ていないので、「何をしているか判らない」という批判が出て
いるのです。確かにもう少しマスコミ受けした「発言」をした
方がいいのかも知れませんが、「開かれた保守主義」を掲げて
安倍首相はしっかりと政策の舵取りをしていると思います。

 例えば、マスコミはなぜかほとんど書きませんでしたが、安
倍首相は就任とともに、官僚のトップである二橋官房副長官を
異動しました。二橋副長官は、皇室典範問題で女系導入の急先
鋒だったのです。この安倍人事によって、女系の皇室典範改正
は少なくとも官僚レベルではぴたっと止まっています。

 私たちの国民運動のテーマであった「靖国神社に代わる国立
追悼施設」も、今年は調査費計上は話題にものぼりません。人
権擁護法案についても、長勢法相のもとでストップになってし
まっています。ここ十数年の国民運動は、政府の打ち出すマイ
ナスの政策をゼロに戻す戦いが多かったのですが、安部政権と
なり、今度はいかにプラスを積み上げていくか、というベクト
ルになっているのです。

 電撃的な訪中で合意された「日中歴史共同研究」についても、
このメンバーは12月1日に公表されましたが、少なくとも近代
史分野では、「正論」や「諸君」でお馴染みのメンバーが多く、
「謝罪」派は完全に排除されています。中国共産党側と激しい
やりとりを行うことを前提とした人選をしており、歴史分野で
は一歩も引きたくないという安倍首相の決意のほどが伝わって
きます。

 この「歴史対話」では、日本側は、中国側の反対を押し切っ
て、日本の戦後貢献や、自国民を数千万人も殺害した「文化大
革命」もテーマにするとしており、攻めの姿勢を見せています。
第一回の会合は年末に北京で開催されるそうですが、「歴史対
話」で攻めの姿勢を是非とも貫いてもらいたいし、そのために
も、大いに注目していきたいものです。
http://blog.mag2.com/m/log/0000013290/108084882.html



引き継ぎを守っていない!

 安倍と井上は公募スタッフに出身省庁の押さえ役を担わせる発想はゼロ。専門分野にお構いなくてんでバラバラな任務に就けた。官のプロフェッショナリズムなど脇に追いやり、「政の使用人」としか見ない。安倍は「霞が関のドン」と言われる事務担当の官房副長官だった二橋正弘を断りなく更迭、飯島の怒りの炎に油を注いだ。飯島は小泉退陣と同時に「安倍政権は小泉政権とはまるで違う。引き継ぎを守っていないじゃないか」と公言し始めたのだ。

飯島前秘書官が放つ『小泉官邸秘録』の凄み:FACTA online
http://facta.co.jp/article/200701043.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5b6f3da48e9be9c4ac7966471060c85c




日本の防衛省発足を望んだインドネシア国防相

 本年1月9日防衛庁が防衛省に昇格した。実は、東南アジア
諸国でこの動きを歓迎する向きもある。

 インドネシアのユウォノ国防相は昨年10月上旬のロイター
通信とのインタビューで次のように語っていた。[1]

 私は安倍政権下で、日本が“普通の国”になるためにも、
防衛庁を改めて防衛省に格上げすることを望む。地域的な
安全保障の役割を果たすために日本国憲法9条を改正する
ことにも賛成したい。

 日本は自国の防衛を強化して、米国に委ねる度合いを減
らしつつ、同盟関係を維持しながら前進してほしい。

 ユウォノ国防相のこうした発言の裏には、中国の覇権主義へ
の懸念がある。インドネシア科学院のイクラル研究員は「中国
が南シナ海のスプラトリー諸島を入手し、台湾を併合すること
になれば、経済動脈のシーレーンを支配する」と警告した。
[2]

 ベトナムのグエン・タン・ズン首相も昨年10月に訪日し、
安倍首相と「戦略的パートナーシップ」になることで合意した。
ズン首相は参院本会議で演説までしているのに日本では注目さ
れなかったが、米国の国務省や経済界は、中国の拡張主義に歯
止めをかけた「安倍外交の成功」と高く評価された。[1]

 日本から、台湾、東南アジア、オセアニア、インド、中東、
そして東ヨーロッパと、ユーラシア大陸の外縁を「自由と繁栄
の弧」で覆っていくという外交政策を昨年11月に麻生外相が
打ち出したが、その方向と合致する東南アジア諸国の動きとと
れるだろう。

 防衛省の発足は、「戦後体制からの脱却」の一ステップであ
るとともに、21世紀の自由で民主的な世界を構築する動きに、
わが国としても重要な役割を果たすための一歩である。

■参考■
1. 産経新聞「【湯浅博の世界読解】『アジアは憲法改正反対』の
ウソ」、H18.11.15、東京朝刊、6頁
2. 産経新聞「【湯浅博の世界読解】ユドヨノ政権とは組める」
H18.02.22、東京朝刊、6頁

http://blog.mag2.com/m/log/0000013290/108159223.html
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by thinkpod | 2006-12-26 03:51 | 政治経済
2006年 10月 05日

失われた5年-小泉政権・負の総決算

2006.07.21
第11回「失われた5年-小泉政権・負の総決算(5)」
 2003年5月17日にりそな銀行実質国有化方針が示された。小泉政権の政策方針が180度切り替わった瞬間である。「大銀行といえども破綻させないというわけではない」との米国ニューヨークタイムズ誌への竹中平蔵金融相のコメントが株価暴落を推進していた。小泉政権は「退出すべき企業を市場から退出させる」ことを経済政策運営の基礎にすえた。同時に「絶対に国債は30兆円以上発行しない」の言葉の下に超緊縮の財政政策運営を推進した。
 私は小泉政権がこの方針で政策を運営していくならば、日本経済は最悪の状況に陥ると確信していた。小泉政権が発足した時点からこの見解を示し続けた。小泉純一郎首相も竹中氏も私の存在と発言を非常にうとましく思っていたようである。私が所属する会社や私が出演していたテレビ局にさまざまな圧力がかけられた。それでも私は信念を曲げるわけにはいかないと考えて発言を続けた。
 2003年の春、来るべきものが到来した。大銀行破綻が現実の問題として浮上したのだ。大銀行破綻を容認するなら、日本経済は間違いなく金融恐慌に突入したはずだ。企業は連鎖倒産の嵐に巻き込まれただろう。金融恐慌が発生しなければ生き残れても、金融恐慌が発生するなら破たんしてしまうと考えられる企業が多数存在した。こうした企業の株主は、株価が売り込まれすぎていることを百も承知の上で、その企業の株式を投げ売りせざるを得なかった。その結果として日経平均株価7607円が記録されたのである。
ところが、金融法制には巧妙な抜け穴が用意されていた。預金保険法102条第1項第1号措置である。金融危機を宣言しながら、金融機関を破綻させずに金融機関に破綻前資本注入を実施できる規定である。最終的に鍵を握ったのが「繰り延べ税金資産」と呼ばれる会計費目であった。
 竹中氏と近く、この問題に造詣が深いといわれた木村剛氏は、5月14日付のインターネット上のコラムで、明らかにりそな銀行と読み取れる銀行の繰り延べ税金資産計上問題について、「1年を上回る計上は絶対に認められない。1年以上の計上を認める監査法人があるとすれば、その監査法人を破綻させるべきだ」と述べていた。ちなみにこのコラムのタイトルは「破たんする監査法人はどこか」であった。
 5月17日の政府案では、繰り延べ税金資産の計上が3年認められた。5年計上であれば、りそな銀行は自己資本比率規制をクリアしていた。1年計上の場合は自己資本比率がマイナスとなり、りそな銀行は破綻処理されなければならなかった。3年計上となると、ちょうど中間値で金融危機認定されるが、破綻とならない。
 法の抜け穴を活用するために人為的に決定された数値である可能性が濃厚である。木村氏が主張していた0年または1年計上では、りそな銀行は破綻だった。日本経済は間違いなく金融恐慌に突入したと考えられる。そうなれば、小泉政権は完全に消滅していたはずだ。
 りそな銀行の繰り延べ税金資産計上が3年認められたことについて、竹中金融相は「決定は監査法人の判断によるもので、政府といえども介入できない」ことを繰り返し訴えていたが、このような局面で監査法人が政府、当局とまったく連絡を取らずに独断で決定を下すことは考えられない。当時の監査法人関係者から細かな経緯を聞きだす必要もあるだろう。
 当時の公認会計士協会会長は奥山章雄氏だった。彼は竹中金融相と密に連絡を取っていたと考えられる。日本公認会計士協会、新日本監査法人、朝日監査法人、繰り延べ税金資産、りそな銀行、金融庁、竹中金融相、木村剛氏を結びつける「点と線」を綿密に洗い直して、真相を明らかにする必要がある。前回も指摘したが、木村剛氏は最終処理が繰り延べ税金資産3年計上であったにもかかわらず、最終処理案をまったく批判しなかった。その真意も明らかにされるべきだろう。
 政策責任者が「大銀行も破綻させるかもしれない」と発言すれば、株価は暴落する。だが、最終決定権を有する責任者が、銀行救済を決定すれば当然のことながら株価は猛反発する。大銀行破綻をちらつかせて株価を暴落させて、最後の局面で法の抜け穴を活用して銀行救済を実行する。銀行救済後には株価が猛反発する。このようなシナリオが練られていたとしても不思議ではない。
 2002年9月30日の内閣改造で竹中経財相が金融相を兼務することになった。この人事を強く要請したのは米国であるとの見解をとる政治専門家が多い。真偽は確認できないが、この竹中氏が10月初旬に米国ニューヨークタイムズ誌のインタビューで先述したように「大銀行が大きすぎてつぶせないとは考えない」とコメントしたのである。
 竹中氏は米国政策当局と密にコンタクトをとりつつ、日本の金融問題処理に対応していったと考えられるが、そのなかで先述したようなシナリオが描かれた可能性が高い。「大銀行も破綻」と言っておきながら最後は大銀行を税金で救済する。株価は猛反発に転じる。この経緯は容易に想定できる。
 この政策の最大の問題は、金融処理における「モラルハザード」を引き起こすことである。小泉政権は現実に最悪の不良債権問題処理の歴史を作ってしまった。
 前回述べたように、上述したストーリーが現実に展開されたとなると、国家ぐるみの「風説の流布」、「株価操縦」、「インサイダー取引」の疑いが生じてくるのだ。徹底的な再検証が必要である。
 もうひとつ忘れてならないエピソードがある。それは、竹中氏が2003年2月7日の閣議後の閣僚懇談会、および記者会見で株価指数連動型投信について、「絶対儲かる」、「私も買う」と発言したことだ。この発言の裏側で、りそな処理が動いてゆく。日本公認会計士協会は繰り延べ税金資産計上に関するガイドラインを定めていった。そして5月にりそな銀行「実質国有化」案が報じられ、結局、法の抜け穴規定を活用した銀行救済が実行され、株価が反発していったのだ。竹中氏の「絶対儲かる」発言とその後の金融処理策との関係も解明される必要があるだろう。
 小泉政権の経済政策は完全失敗に終わった。2003年5月、日本経済は危うく金融恐慌に突入するところだった。最悪の事態を回避できたのは、不良債権問題処理における第一の鉄則である「自己責任原則の貫徹」を放棄し、税金による銀行救済を実行したからにほかならない。
 そして、「国債を絶対に30兆円以上出さない」公約は、2001年度、2002年度のいずれも、実質5兆円補正予算編成というかたちで挫折した。2001年度は国債発行30兆円の公約を見かけの上だけ守った形にするために、国債整理基金からの繰り入れという一種の粉飾処理が施されたが、実質的には国債が5兆円増発されたことと同じ補正予算が編成された。最近話題になる「粉飾」の元祖がここにあったと言っても過言ではない。小泉政権が当初示した経済政策運営の路線は完全に失敗に終わったのである。
 それでは、他の改革はどうだったか。「道路公団」、「国と地方の関係にかかわる三位一体の改革」、「郵政民営化」の3つが小泉政権の目玉商品だろう。道路公団の形は変わるが、実態はほとんど変わらない。民営化されれば、国民の監視の目は著しく届きにくくなる。国と地方のお金のやり取りは少し変わるが、中央がすべてにおいて決定権を有し、地方が中央の下請けである現在の関係はまったく変わっていない。
 郵政民営化は米国の要求どおりに新しい仕組みが決められた。改悪になる可能性が大きい。中山間地の特定郵便局はいずれ消滅することになるだろう。銀行界にとっては邪魔者が消えたわけで歓迎であろうが、国民に利益と幸福をもたらす保証はどこにもない。
 小泉政権の時代に着実に進展したことがひとつある。それが「弱者切り捨て」だ。障害者自立支援法は、聞こえはよいが内容は障害者支援削減法である。高齢者の医療費自己負担額が激増している。今後、生活保護も圧縮される方針が伝えられている。義務教育の経費削減も強行されようとしている。
 一方で、小泉政権はとうとう最後まで「天下り」を死守した。私は小泉政権が発足した時点から、この問題を最重要問題だと位置づけてきた。「改革」は必要だし「痛み」も必要ならば耐えなければならないだろう。だが、小泉政権が本当に改革を進めようというなら、「隗より始めよ」ならぬ「官より始めよ」で、「天下り廃止」を示すべきである。小泉政権が「天下り廃止」を本格的に推進するなら、私は小泉改革を全面的に支援すると言い続けてきた。
 だが、結局小泉政権は最後の最後まで「天下り」を死守した。ここに、小泉改革の本質が示されている。官僚利権は温存し、経済的、政治的弱者を情け容赦なく切り捨てるのが「小泉改革」なのである。国民は目を覚ましてこの本質を見つめるべきだ。
 外交は「対米隷属」に終始した。アジア諸国との関係悪化などお構いなしである。イラク戦争もその正当性に重大な疑問が投げかけられているが、世界一の強国米国に隷属しておけば安心との、自国の尊厳も独立も重視しない姿勢が貫かれた。
 そして、政治手法は民主主義と相容れない独裁的手法が際立った。司法への介入、メディアのコントロールも露骨に展開されたように思う。経済政策の失敗、改革の目玉商品の内容の貧困さ、容赦ない弱者切り捨て、対米隷属の外交、独裁的傾向が顕著な政治手法。この5つが小泉政権5年間の総括である。
 小泉政権が終焉するこの機会に、広く一般に小泉政権5年間を総括する論議を広げていく必要がある。だが、それを権力迎合の大手メディアに委ねることはできない。彼らは政権にコントロールされ、政権に迎合する存在だからだ。草の根から、筋の通った芯のある論議を深めてゆく必要がある。

http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/07/11_4e5b_1.html


2006.09.06
第12回「失われた5年-小泉政権・負の総決算(6)」
 本コラムの執筆に大きなブランクが生じてしまいお詫び申し上げます。執筆を再開し、従来よりも高頻度で執筆してまいりますのでなにとぞご高覧賜りますようお願い申し上げます。
 小泉政権の5年半の期間に日本経済は最悪の状況に陥った。日経平均株価は7600円に暴落し、金融恐慌が目前にまで迫った。その後、日経平均株価は17000円台まで上昇し、日本経済も緩やかな改善を続けているから、小泉政権に対する国民の評価はさほど悪くない。
「改革」で膿を出し尽くし、日本経済を再浮上させたなどという、見当違いの説明を聞いて思わず納得してしまう国民も多数存在しているようだ。だが、事実はまるで違う。小泉政権が提示した経済政策は文字通り日本経済を破綻寸前に追い込んだのだ。2003年5月に日本経済が破綻せず再浮上したのは、小泉政権が当初示していた政策を全面撤回して、正反対の政策を実行したからにほかならない。
 この点については、本コラムで詳細に論じてきた。小泉政権は日本経済を破綻寸前にまで追い込んだのだが、そのことによって二つの副産物が生まれた。ひとつは多くの国民が本来直面せずに済んだはずの苦しみに巻き込まれたことだ。失業、倒産、自殺の悲劇がどれほどの国民に襲いかかったことか。彼らの苦しみは小泉政権の政策失敗によってもたらされたものである。「人災」と言って差し支えない。
 もうひとつは、外国資本が日本の優良資産を破格の安値で大量取得できたことだ。バブル崩壊の後遺症により、本邦企業、銀行は資本力を失い、安値の実物資産を取得することは不可能な状況に追い込まれた。その状況下で、豊富な資本力を備えた外国資本が日本買占めに向かった。小泉政権は「対日直接投資倍増計画」などに鮮明に示されるように、外国資本による日本買占めを全面支援してきた。
 小泉政権が2003年に金融処理における「自己責任原則」を放棄して税金による銀行救済に踏み切ったのは、米国の指導によった可能性が高い。米国の政権につながる金融勢力は、日本政府が金融恐慌をあおり、株価暴落を誘導しながら最終局面で銀行救済に踏み切ることを指導し、日本の優良資産を破格の値段で大量取得することに成功したものと思われる。
 この9月に小泉政権は終焉し、安倍政権が発足する見込みである。安倍政権は小泉政権を継承するとしているが、小泉政権とは明確に一線を画し、是々非々の姿勢で政策を運営してもらいたい。
 経済政策運営で小泉政権は「緊縮財政運営」を基本に置いた。財政赤字の拡大を回避するために、緊縮財政の路線を鮮明に提示した。小泉首相は「いまの痛みに耐えてより良い明日を」と絶叫した。緊縮財政で経済は悪化する。しかし、財政再建のためにはそれもやむなし。これが小泉政権の基本スタンスだった。
 公約どおり日本経済は激しく悪化した。しかし、それで財政赤字は縮小しただろうか。2001年度当初予算で28.3兆円だった財政赤字は2003年度に35.3兆円に急増した。国税収入は2000年度の50.7兆円から2003年度には43.3兆円に激減した。
 私は財政健全化のためには経済の回復が不可欠と主張し続けた。経済が回復すれば税収が増加する。経済成長による税収確保が財政健全化の王道であると主張し続けた。これに対して小泉政権は「経済が回復しても税収は増加しない。財政健全化には緊縮財政しかない」と真っ向から反論した。
 2003年夏以降、株価反発を背景に日本経済の改善が始動した。果たして経済回復に連動して税収が増加し始めた。2005年度決算での国税収入は49兆円を突破した。景気回復により国税収入はわずか2年間に約6兆円も急増したのだ。財政健全化には経済の回復こそ特効薬であることが事実によって立証されつつある。
 最近になって筆者の主張を小泉政権幹部が使用するようになった。竹中氏も従来の同氏の主張とは正反対であるにもかかわらず、「経済成長による税収増加により消費税増税を圧縮できる」と主張し始めている。正論への転向は歓迎するが、過去の不明についてはひと言添えるべきだろう。
 安倍晋三氏はもとより「経済成長の重要性」についてのしっかりとした認識を有していた。私は安倍氏との私的な勉強会を重ねていたが、小泉首相と異なり、経済政策運営については柔軟な発想を保持していた。
 2006年度の国税収入は50兆円を突破すると思われる。そうなると2006年度の財政赤字は25兆円に急減する。増税をしないのに、景気回復だけで財政収支は大幅に改善し始めているのだ。このことにより、大型増税の必要性が大幅に後退している。
 日本経済はバブル崩壊後、1996年と2000年の二度、本格浮上しかけた。浮上しかかった日本経済が撃沈された理由は政策逆噴射にあった。’97、’98年の橋本政権の政策逆噴射、2000、2001年度の森、小泉政権の政策逆噴射が日本経済を撃墜した。いま日本経済はバブル崩壊後、三度目の浮上のチャンスに直面している。三度目の逆噴射があるとすれば、過去二回同様の近視眼的な緊縮財政の発想に基づく消費税大増税の決定と考えられた。
 そうしたリスクは存在したが、折りしも景気回復による税収の増加という現実が経済成長による財政健全化誘導の考え方の正しさを誰の目にも明らかにし始めた。このことが、経済成長重視の経済政策の主張が広がりを持ち始めた背景でもある。安倍氏が政権発足のスタート台に立つタイミングでこの考え方をベースに置くことができたのは幸いであるし、望ましいことである。
 安倍政権発足に際してもっとも注目されることは、経済政策運営の要のポジションにどのような人物を配置するかである。小渕政権は堺屋太一氏を起用して成功を収めた。小泉政権は竹中氏を起用し、日本経済は最悪の状況に陥った。その後に巧妙に政策の大転換を実行して小泉政権は危機を回避したが、人材起用の巧拙が政権の命運を左右する。安倍政権がどのような布陣を敷くのかに強い関心が注がれる。

 なお、小泉政権の総決算については、日本ビデオニュース株式会社(代表取締役神保哲生氏)が主宰しているインターネット・ニュースサイト『ビデオニュースドットコムマル激トーク・オン・ディマンド第283回(2006年09月01日)』(9月1日収録)のトーク番組に筆者が出演し、現在、動画配信されているのでぜひご高覧賜りたい
http://web.chokugen.jp/uekusa/


2 :名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 00:16:21 ID:fymOxFKQ
さっきテレ朝の報道ステーションをみていて気になる事があったんだ。
それは竹中平蔵元大臣が、議員引退を発表したあと安倍現総理を呼び出して経済政策の勉強会をしたという事。
その会参加者には現安倍政権で経済財政政策担当大臣になった大田弘子内閣府政策統括官も含まれていた。
番組レポートによるとその勉強会で安倍総理は竹中元大臣とその息の掛かった参加者から経済政策を叩き込まれたと言う。
そして安倍総理の所信表明演説には竹中元大臣の意向が完全に反映されることになった。
ところが安倍総理の元々の政策ブレーンは実は植草元教授だったんだ。
それは彼の「失われた5年-小泉政権・負の総決算(6)」 http://web.chokugen.jp/uekusa/
を参照するとこの様に記されているところからもわかる。
>私は安倍氏との私的な勉強会を重ねていたが、
>小泉首相と異なり、経済政策運営については柔軟な発想を保持していた。
これはどういうことなのだろうか、つまり竹中元大臣が安倍総理を説得するに植草元教授は邪魔でしかないことになる。
そして竹中元大臣が安倍総理を説得するのに重なるように植草元教授は逮捕され安倍総理の前から姿を消した。
事実関係の精査が足りないので何ともいえないがあまりにもタイミングがよすぎると思うのは俺だけが感じる事か。



ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報:2007年02月
http://amesei.exblog.jp/m2007-02-01/#4681248
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by thinkpod | 2006-10-05 18:09 | 政治経済
2006年 08月 31日

政府が二年前に入手していた化学兵器引渡し文書

中国“遺棄化学兵器”問題 スクープ第4弾
本誌・喜多由浩

 中国“遺棄化学兵器”問題で、政府が『化学兵器』として処理の対象にしている「あか筒」「みどり筒」を、中国側に引き渡していたことを明記した引渡兵器目録が、防衛庁の防衛研究所に残されていることが分かった。しかも、この資料の存在は2年前に、政府側に伝えられていたのである。これまで政府側は、「日本軍が化学兵器を残置したことに、中国側が同意していたことを示す資料は見つかっていない」という趣旨の言い訳を繰り返してきた。さらに、そうした文書が見つかれば、「(処理の)基本的な枠組みが変わってくる」と国会答弁で明確にしている。早速、中国側と再協議し、支援の見直しを進めていただきたい。

●リストに明記された「あか筒」「みどり筒」


 この資料は、防衛研究所にある「陸軍・高雄(台湾)分廠考潭集積所・引渡兵器目録」。中華民国34年(昭和20年=1945年)12月18日の日付で、日本軍側が、中国・国民政府軍に引き渡した武器・弾薬の品目と数が約10ページにわたって、細かく記されている。受け取った中国側の責任者の署名・捺印(なついん)があり、間違いなく、引き渡しが行われた(所有権の移転)ことを示すものだ。この文書は極秘でも何でもない。防衛研究所に行けば、だれでも閲覧・複写ができる資料である。
 その引き渡しリストの中には、大あか筒 100▽小あか筒 2250▽みどり筒 点火具50▽催涙筒 1−などと日中両国が『化学兵器』として、日本側が処理する対象になっている兵器の名称がはっきり書かれているのだ。
 その意味は、内閣府の遺棄化学兵器処理担当室のホームページの資料を見るとよく分かる。「旧日本軍が保有していた化学兵器」の一覧表の中で、「有毒発煙筒」に分類されるものとして「あか筒」「みどり筒」が確かに入っている。そして、弾薬の化学剤として使われている「あか剤」はくしゃみ(嘔吐)剤、「みどり剤」は催涙剤であることが説明されているのだ。
 これらはいわゆる致死性の毒ガスではなく、本来、化学兵器禁止条約の対象にもなっていないのに、日中の「談合」によって、日本の責任で処理する『化学兵器』に含められてしまったことは、すでに『正論』で報じてきたところだ。
 台湾は終戦まで日本の領土だったため、日本軍は南京に司令部を置く支那派遣軍ではなく、台湾軍(後に第10方面軍)だが、武装解除を受けたのは、支那派遣軍と同じ、蒋介石総統の国府軍である。つまり、中国側が受け取っていることにはまったく変わりがない。

●公開されなかった報告


 今年2月、内閣府の高松明・遺棄化学兵器処理担当室長は、衆院内閣委員会において、「正式に中国やソ連に化学兵器が引き渡されたという文書が発見されれば基本的な枠組みが変わってくる」と答弁した。これは、明確な証拠となる文書があれば、総額で1兆円といわれる処理費用の支払い義務を、日本が背負う必要はない、ということだ。しかし、その同じ委員会の場で高松室長は、「政府として現在、中国、ソ連の同意の下に引き渡されたことを確実に裏付ける証拠、資料があるとは承知していない」という見解を示している。
 高松室長の答弁は、これまでの政府側の見解を踏襲したもので、つまりは、(1)中国は引き渡しに同意していないと主張している(2)日本側にそれをくつがえす資料や証拠はない−という極めて情けない論法である。さらに、「資料がない」と言い切っているのに、政府側に資料を探し出そうという意欲はほとんど感じられない。
 実はこの問題が日中間の懸案となり始めていたころ、防衛庁が防衛研究所に、この種の資料探しを非公式に命じたことがある。このときは、約2年間にわたって、担当者が研究所の資料を調べたが、あか筒などが明記された「高雄分廠考潭集積所・引渡兵器目録」についての報告はなかったという。元防衛研究所幹部は、「(高雄分廠考潭集積所・引渡兵器目録は)非常に意味のある文書だと思う」とした上で、「当時、なぜこの資料が見つからなかったのか、なぜ報告がなかったのかは、よく分からない」と話している。
 だが、この「高雄分廠考潭集積所・引渡兵器目録」は、その後に行われた別の調査で、発見されていたのだ。その内容は2年前の平成16年にまとめられた政府機関への報告にも盛りこまれていたが、その文書が公開されることはなかったのである。

●もはや言い逃れはできない


 本誌は6月号で、山形のシベリア史料館で約600冊の旧日本軍兵器引継書が発見されたスクープを報じて以来、3号にわたって、この問題の虚構性と中国の言いなりになっている媚中派の政治家、官僚の実態を再三にわたって、明らかにしてきた。シベリア史料館の兵器引継書は、化学弾とみられるものを含むすべての武器・弾薬を、中国側に整然と引き渡していた事実を証明する貴重な資料である。
 安倍晋三官房長官は国会で、「政府としてしっかり調査をしたい」と答弁し、内閣府や法務省の担当者が、作業を進めている、と伝えられているが、今回、明らかになった防衛研究所の資料についても、改めて精査することが必要だ。
 関係者によると、一部の政府関係者は、シベリア史料館の引継書についても、存在自体は知っていた、という。それなのに調べることさえしなかったのである。
 こうした兵器引継書が存在するのはシベリア史料館だけではない。復員時に、それこそ命がけで日本へ持ち帰った人たちは多数、いるのだ。実際、当編集部には、6月号以降、そうした人たちからのお便りがたくさん届いている。
 千葉県芝山町の伊藤正夫さん(54)からは、中国・青島の独立歩兵第18大隊の副官だった父・高夫さん(故人)が保管していた引継明細書が寄せられた。大隊長だった柏崎與三二氏(同)から託されたものだという。
 その引継書には、武器・兵器のほか、生活用品、食料、医薬品、軍馬、軍刀の由来に至るまで、39ページにわたり、事細かに書かれている。伊藤さんは、「まさに歯ブラシ1本、包帯1本まで細かくチェックして書いてある。日本軍は本当に生まじめだった。これを見れば、極めて整然と中国側にすべての兵器・物品を引き渡していたことがよく分かります」と話している。
 国民は中国の言い分しか聞こうとしない一部の政治家・官僚に怒り心頭なのだ。続々と編集部に届く、お便りがそれを示している。これだけの「証拠」が出てきたいま、もはや言い逃れはできないはずだ。一刻も早く、支援事業の見直しを行うべきである。

【正論9月号】

Web「正論」|Seiron
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0608/ronbun1-1.html



中国遺棄化学兵器問題 新資料発見か、政府が調査

≪結果次第では事業見直しも≫
 中国遺棄化学兵器問題で、「日本軍が中国に化学兵器を遺棄した」という中国側の主張を覆す可能性のある資料が見つかっています。この問題では、廃棄処理のために政府が負担する費用が数千億円規模に膨らみかねないことや、“遺棄兵器”の実態が不透明という指摘も出ています。政府首脳は詳しく調査、分析するとしています。(『正論』編集部 喜多由浩)

 この問題は、先の大戦で「旧日本軍が中国各地に化学兵器を遺棄した」として、平成2年に中国政府が日本政府に解決を要請してきたことが発端です。9年には、遺棄化学兵器の廃棄義務をうたった化学兵器禁止条約が発効し、日中両国が批准。11年には、日本側が廃棄処理費用を全額負担することなどを盛りこんだ覚書を交わしました。

 これに伴い日本政府が負担する総事業費は今後どれだけ膨らむか、見通しすら明確ではありません。

 中国側は、旧日本軍が遺棄した化学兵器が、吉林省のハルバ嶺などに約200万発残っている、と主張しています。しかし、その主張に疑問を持つ意見は当初から少なくありませんでした。終戦後、日本軍は旧満州(現・中国東北部)ではソ連軍(当時)によって、中国大陸部では主に中国国民党軍によって武装解除され、所持していた武器・弾薬は化学兵器も含めてソ連・中国軍に引き渡していた(遺棄したのではない)とされていたからです。

 しかし、日本政府は「中国、ソ連の同意の下に引き渡されたことを確実に裏付ける証拠、資料があるとは承知していない」などという消極的な理由で、中国側の主張をいわば“丸飲み”してきたのです。

 ところが最近になって中国側の主張を覆す可能性があるさまざまな資料が見つかりました。山形県のシベリア史料館には、中国で日本軍が武装解除の際に引き渡した武器・弾薬を詳細に記した「兵器引継書」が約600冊も残っていました。受け取った中国軍の責任者の署名・捺印(なついん)があり、化学兵器だけを除外した形跡も見られません。

 また、防衛庁の防衛研究所には、日中両政府が「遺棄化学兵器」として廃棄処理対象にしている『あか筒』『みどり筒』を台湾で中国軍に引き渡していたことを記した「引渡兵器目録」がありました。さらには、中国側が遺棄化学兵器が大量に残っていたと主張しているハルバ嶺近くの敦化で、化学兵器(毒ガス兵器)をソ連軍に引き渡したという元日本軍兵士の証言まで出てきたのです。

 安倍晋三官房長官は5月、衆院内閣委員会での答弁で「(シベリア史料館で見つかった資料などについて)政府としてしっかり調査したい」と述べました。政府は、新しい事実を示す資料などが見つかった場合、事業の「基本的な枠組みが変わってくる」としており、対応が注目されます。
(09/03 12:15)
Sankei Web 社会 中国遺棄化学兵器問題 新資料発見か、政府が調査(09/03 12:15)
http://www.sankei.co.jp/news/060903/sha043.htm


問題スクープ第5弾【中国“遺棄化学兵器”問題】
  <私は化学兵器を確かに引き渡した
   ――旧日本軍兵士の証言(聞き手/本誌 喜多由浩)>

 重要と思われる箇所を抜粋、要約してご紹介します。
 (太字は引用者によるものでなく、誌上でもともと強調されている箇所)

 内容紹介ここから_________________________________


【石頭の元予備仕官学校生(軍曹)、二本柳茂さん(81)=新潟市=の証言】

※二本柳さんは昭和19年9月に召集され、北海道・旭川の歩兵第26連隊に入隊(二等兵)。10月、満州へ渡り、佳木斯(チヤムス)の独立歩兵第266大隊へ。20年5月、甲種幹部候補生となり、牡丹江省石頭にあった予備仕官学校で訓練の日々を送っていた。そこは中国全土から最後の幹部候補生をかき集めた事実上の部隊で、3600人の6個中隊で編成されていた。

●終戦前には、満州の石頭にあった予備士官学校にいた。当時すでに、敗色が濃かった南方戦線などでの実戦部隊を作るために、中国全土から3600人がかき集められた。昼は、対ソ戦に備えて戦車攻撃の訓練、夜はジャングルの中での忍者戦術と自爆の訓練を毎日、繰り返していた。訓練を終えると、少尉に昇進して、南方へ行くという話だった。

●昭和20年8月9日のソ連軍の満州侵攻、その日の朝、中隊長からそのことを聞き、ハチの巣をつついたような騒ぎになり、出動準備に追われた。3600人の6個中隊は2つに分けられ、半分は牡丹江へ、我々は東京城へ徒歩で向かうことになった。後に、牡丹江へ行った1800人はソ連との戦闘で、ほぼ全滅したと聞いた。

●我々の行き先は吉林省の敦化だ、と聞かされていた。8月18日ごろ、山中で突然、ソ連軍のトラックに囲まれた。数日前に日本が負けたらしいことを聞き、敦化で武装解除になるということだった。そのころになると、他の部隊と合流して、1万人ぐらいになっていた。

●武装解除はその18日か19日に行われた。場所は敦化の近くだった。上官から全ての鉄砲、弾薬を集めておくようにという指示を受けた。夜通しの行軍で疲れ切っており、兵隊はみんな、武器を差し出して身軽になったことを喜んでいた。みるみるうちに武器は山のように積み上げられて、高さ2〜3メートルぐらいになった。

●その時、持っていた毒ガス兵器も含め全ての兵器をソ連軍に引き渡したのは間違いない。上官から、「毒ガス兵器(化学兵器)だけを隠せ」とか「捨てろ」というような指示が出たこともない。そんな暇も余裕もなかった。引き渡した毒ガス兵器だけで、数千発はあったと思う。

●その毒ガス兵器とは、対戦車用、対塹壕攻撃用の通称「ちび」という兵器。液体青酸を野球ボールぐらいの丸い容器に充填したもので、兵隊一人ひとりが袋に入れて、腰にぶら下げていた。小型の対戦車爆雷である「アンパン」(通称)というものも持っていた。

※「ちび」は、致死性の高い「ちゃ(剤)1号」(液体青酸=毒性は血液中毒性ガス)を丸いガラスに詰め込んだ「ちゃ瓶」のこと。致死性が低い「あか剤」(くしゃみ性・嘔吐性ガス)や「みどり剤」(催涙性ガス)とは違って、化学兵器禁止条約の対象となっている、紛れもない毒ガス兵器。

●「ちび」を使用したことは一度もない。犬を使って実験をした。かわいそうなことをした。

●上官から使用についての注意を受けたことは特にないし、武装解除の時も、通常兵器と区別なんてしない。「全ての武器・弾薬を出せ」といわれて、全部を差し出した。

●ソ連軍に引き渡したそれら化学兵器を含む武器・弾薬が、その後どうなったのかは分からない。中国側は、「旧日本軍が化学兵器を遺棄した」と主張しているが、それも私にはよく分からない。少なくとも、私たちは「(化学兵器を)隠せ」とか「捨てろ」という指示は受けなかった。

※ちなみに敦化は、中国側が大量の化学兵器が「遺棄されていた」と主張している場所である。

※二本柳さんは数年前、今回と同じ内容の証言を、政府側の電話による聞き取り調査に対して行っている。その内容は政府の担当部局にも伝えられているとみられるが、その後、二本柳さんに詳しい話を聞きにきた政府の担当者は皆無だという。旧日本軍による化学兵器の引き渡しについて、政府側はこれまで国会答弁などで、「中国やソ連が同意していたことを示す確実な証拠は見つかっていない」という趣旨の主張を繰り返してきた。だが、それをくつがえす証言や資料の存在を尻ながら、ある意図を持ってわざと無視を決め込んでいたとすれば、その責任は極めて重い。

※二本柳さんはその後、シベリアに抑留された。復員は昭和23年5月。


【元機動第1連隊中隊長(少尉)、米田誠次郎さん(83)=大阪府堺市=の証言】

※米田さんは、陸士56期。昭和18年5月、少尉に任官し、19年8月、関東軍の機動第1連隊中隊長に。20年6月、旧満州吉林省・杜荒(孔)子付近において、ソ連軍の攻撃に備えて戦闘準備を進めていたが、8月9日の突然の侵攻で、ゲリラ戦を行うために、中隊の約130人を率いて山中へ。しかし、28日ごろ、連隊命令として、停戦の指示を受けた。9月2日、杜荒(孔)子で武装解除に応じ、全ての武器・弾薬をソ連軍に引き渡した。

●8日28日ごろ、戦争が終わったことを知り、武装解除を行うために、ソ連軍が駐屯していた杜荒(孔)子でへ向かった。9月2日に着いたときは、すでに他の中隊は到着しており、我々が最後だった。他の中隊は武装解除され、倉庫に収容されていた。私の中隊の中には、「出ていかない」という人もいたが、満州の気候はとても厳しく、とても山中に冬は越せない。そういって説得し、中隊全員で武装解除に応じた。

●武装解除は極めて整然と行われた。到着後、真っ先に大隊長へ報告。最後の捧げ銃の敬礼を行い、部隊を解散した。そして、各兵隊が携帯していた三八式小銃を、ソ連兵の監視する前に並べて置いた。私は持っていた軍刀(備前長船の銘刀。現在の貨幣価値なら1000万円ぐらいになるかもしれない)やドイツ製の双眼鏡(8倍)まで、一緒に手渡した。武器解除に抵抗する者は、ひとりもいなかった。

●ソ連軍との間で、引継書のような書類は一切取り交わさなかった。ソ連軍から、領収書を受け取ることもなく、我々としても、そういったものを受け取る意思も、必要も認めなかった。満州における武装解除の状況は、おおむねこうしたものだったと思う。

●我々は機動連隊であり、装備は一般の歩兵連隊とほぼ同じだから、いわゆる化学兵器は持っていなかった。ほかの多くの部隊がそうだったと思う。いわゆる化学弾を所持していたのは、我が国では野砲兵連隊、山砲兵連隊、野戦重砲兵連隊など。しかも一会戦分の一個師団の弾薬数は400〜500発。もし、中国がいうように、本当に関東軍が200万発も化学兵器を持っていたのなら、降伏はしなかっただろう。

●“遺棄化学兵器”の問題では、発煙筒の一部まで、「化学兵器」とされているが、一般的に発煙筒とは、直径約5センチ、高さ約20センチ程度のもので、殺虫剤のようなものを想像すればいいと思う。戦時には、味方の行動を秘匿するために、煙幕として使用したもの。毒性もなく、これを化学弾と呼ぶのは誤り。

●仮に化学弾であったとしても、武装解除でソ連軍に引き渡している。全ての武器・弾薬を整然と引き渡している。だから所有権は日本にない。武器・弾薬は、ソ連軍の所有になり、その後の国共内戦などで兵器を必要とした毛沢東の共産軍に譲り渡したかもしれない。それは私には分からないが、いずれにしても武器・弾薬の所有権はソ連か中共のいずれかにあるはず。日本ではない。

●中国側の主張は、おかしい。引き渡したはずの武器・弾薬の所有権が日本にあるというのなら、私の備前長船の銘刀はどうなるのか。裁判でも起こしたら、返してもらえるんでしょうかね。現在、外務省がどれほど“売国奴的外交”をやっているか。数え上げれば、キリがない。

※米田さんは、武装解除後、シベリアに抑留された。昭和23年12月に復員。

ぼやきくっくり | “遺棄化学兵器”問題で旧日本軍兵士の証言
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid140.html#sequel
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by thinkpod | 2006-08-31 01:44 | 政治経済
2006年 08月 10日

不良債権解消に「第三の勢力」——ブッシュ・小泉連携の副産物(5/8)

 小泉改革路線が築いた日本の姿を代表するのは不良債権処理であり、それはブッシュ・小泉の連携プレーの産物である。
都心の青空駐車場の再開発急ピッチ
 連休に東京の都心をぶらりと散策すると、風景が一変していた。各所でいつの間にか雑居ビルが壊され、飲食店やゲーム・センターなどが立ち退き、数千平方メートル単位の用地に統合されて再開発が進んでいる。権利関係が輻輳して虫食い状態になっていたり、一部が青空駐車場になっていた地区が区画としてまとまり瀟洒なオフィス・ショッピングセンターに生まれ変わりつつある。
 いわば休眠状態にあるか、あるいは場所にふさわしい価値を生めなかった土地が効率のよい資産になる。新しい需要と雇用の場を作り出し、投資家はこのセンターを保有する外資系投資ファンドに投資し、収益を確保する。東京ではこれまで汐留、丸ノ内などもともとまとまっていた用地に集中していた都心ビル建設ラッシュが銀行不良債権関連用地に及んできた。この波は関西など他の大都市圏にまで広がる勢いのようだ。

ブッシュ大統領の投じた「決め球」とは
 2002年2月19日、来日したブッシュ米大統領は日本の国会で演説し、小泉首相を「アメリカの新しいベースボールスター、イチロー」にたとえ、「投げられた球をすべて打ち返すことができる」と持ち上げた。このときブッシュ大統領が小泉首相に投げた決め球とは自衛隊のイラク派遣のことではなかった。アメリカは過去に「不良債権を市場に出して、新たな投資を可能にした」とし、小泉首相の改革で日本経済に関しても同じ事が起こるだろう、と励ました。
 ブッシュ大統領は来日前に小泉首相に親書を送り、不良債権の市場での処理促進を強く求めていた。銀行の不良債権が帳簿上での処理にとどまり、不動産や事業など企業の不稼働資産が処理されていない状況に苛立ちを隠さず、「早期に市場に売却されないことに、強く懸念している」とかなり具体的、直接に問題解決を促していた。
 以来、小泉政権は金融機関の不良債権処理を加速させてきた。ことし1月の国会での施政方針演説で小泉首相は「揺らぐことなく改革の方針を貫いてきた結果、日本経済は、不良債権の処理目標を達成し、政府の財政出動に頼ることなく、民間主導の景気回復の道を歩んでいます」「主要銀行の不良債権残高はこの3年半で20兆円減少し、金融システムの安定化が実現した」と胸を張った。
 冒頭で挙げたような風景はまさしく「小泉改革」の戦果である。だがどうやってこの不良債権再生のビジネス・モデルが実現したのだろうか。第一に、大手の日本の金融機関は不良債権の最終処理(売却などによる処分)に手間取り、不動産融資を本格的に再開するゆとりがない。在来の大手不動産業者も手が出せない。該当地区の一部は裏社会がらみの利権がからんでいる。暴力団を使った荒技による「地上げ」は企業のイメージをそこなう。つまり、バブル期のような不動産開発のビジネス・モデルは通用しない。
 台頭しているのは、第三の勢力である。資金を持ち、地上げをやり遂げる組織力もある。ノンバンク系金融サービス、IT(情報技術)ネットのサービスなど新興企業への出資や経営により、キャッシュが手元にふんだんに入ってくるので、銀行融資に頼らなくてもよい。最終的には外資系などの投資ファンドに資産を売却して、投資を回収する。第三の勢力と外資をつなぐ全体のとりまとめを日本の有力な企業グループが引き受けると、このビジネス・モデルは完成し、表向きには第三の勢力の介在が目立たない。
「米軍の上陸戦略」まで動員したビジネススタイル
 前回のコラムでも指摘したが、ブッシュ政権は2001年の発足当時、日本の不良債権問題が深刻なのは不良債権になった不動産など資産の多くが組織暴力団系にからんで流動化できなくなっていることを調べ上げていた。米国系の投資ファンドはバブル崩壊により急落した日本の不動産への投資を強化していたが、裏社会の関与が障害になっていることに苛立っていた。
 不良債権の市場処理については、民間金融機関と情報機関、軍関係者までが緊密に連絡し合っていた。大手の米系投資銀行は日本の資産買いに際し、米軍の上陸戦略、占領手法を活用している。参謀格に米軍出身者を据え、情報収集、危機管理を迅速にこなす。これらの元軍人の多くは日本駐留の経験もあって日本の事情に通じているうえに、法律家の資格も持っている。不良資産を買い取り、優良資産に仕立て上げる過程ではさまざまなトラブルが発生する。米側関係者の居場所や電話番号などの連絡先から脅迫や誘拐対策まで完ぺきな危機管理マニュアルを備えている。
 「まるで対日再占領のようですね」と、米政府筋に水を向けても動じない。「われわれは直接投資により日本企業の改革や経営陣の世代交代を促し、日本経済を強くしたいのだ」と言っていたのを思い出す。
改革を後押しする「政治的余地」の根源
 だが、ここへきて、第三の勢力の台頭で不良債権のもつれがときほぐされ、外資系としてみずから裏社会と直に関与したり取引する必要もなく、投資できるビジネス・スキームが整った。日本経済は活性化し、虫食いになっていた都心の一等地も見事に再開発される。銀行は不良債権をめでたく最終処理できる。
 ブッシュ政権は共和党系のサーベラスやカーライルを含む米系投資ファンドによる対日投資機会の拡大を評価し、小泉首相は不良債権処理と日本再生の成果を誇る。日本の金融関係者などの間では、第三の勢力の一部はもとはと言えばいわゆる舎弟企業または、「表」のビジネス社会に参入・浸透しているとも言われる組織暴力団系企業との見方も根強い。
 それでも、結果よければすべてよし、ということか。経済学の教科書風に解釈すれば市場メカニズムによる資源の適正配分、つまり資本主義の合理性を実現するわけだが、きれい事だけでは現実の経済は理論通りの方向には動かない。そこに日本の首相が米国の大統領に背中を押される形でリードする政治的余地がある。

NET EYE プロの視点
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/tamura/20060507n1957000_07.html


ブッシュ・小泉と北朝鮮問題の深層(4/10)

 小沢一郎代表による民主党の巻き返し、自民党の「ポスト小泉」争いは表面的な話題としては結構だが、いったい何が今後の日本という国の姿形になるのかはぼやけている。それをはっきりさせるために今は何か、つまり、佐藤栄作、吉田茂に次ぐ戦後三番目の長期になった小泉純一郎政権とは何か、を考えてみた。ワンフレーズで最も簡潔に小泉首相の本質を表現しているのは、「日米関係が良ければ良いほど中国、韓国などと良好な関係が築ける」という首相の持論である。首相がそこまで信じる根拠は2001年4月の小泉政権発足まで遡らなければならない。
ホワイトハウス高官が小泉支持を表明
 筆者は同年6月に出張したワシントンでホワイトハウス高官から露骨とも異例とも言える小泉支持を聞かされた。「小泉改革路線をわれわれは全面的に支持する。改革は日本を強くするために実現しなければならない」「外圧はかけないが、小泉改革の抵抗勢力にはわれわれが直接ホワイトハウスまで招いて説得する」——。
 このとき、ホワイトハウスには日本の不良債権問題や北朝鮮問題に関する精緻な報告書が寄せられていた。その要点は(1)不良債権問題については日本の裏社会が深く関与しているうえに、一部の政治家、官僚、企業までが闇勢力に取り込まれている(2)日本の有力政治家の中で資金面を含め北朝鮮とのいかなるつながりもないと断言できるのは小泉純一郎だけだ——。
 ブッシュ政権には日本に張り巡らせている情報筋から、在日北朝鮮系業界を資金源とする裏金がどうやって一部の政治家に流されているかという報告も入っていた。裏金は裏社会出身で口が堅く絶大な信用のおける第三者の日本人がプロの協力者、つまり運び屋になっている。運び屋は「グルグル預金」と称して巨額の資金の足取りがつかないようにいくつかの銀行口座を短期間で転々と移す。運び屋はその現金を必要に応じて政治家に渡す。金正男(北朝鮮の金正日書記の長男)は2001年5月に成田空港の入国管理局に拘束されたが、それまでは成田空港で正規の入国手続きを経ずに何度も日本に出入りし、東京都内の高級マンションや赤坂に出没していた。航空会社乗務員専用の出入り口から入出国していた疑いがあるが、特殊な政治的はからいがなければ不可能だったはずだ。
 小泉改革は先の郵貯の改革の残像が強くて、今や不良債権処理問題は過去になった感があるが、バブル崩壊後の「空白の10年」とは、不良債権処理を店晒しにしただけで、小泉内閣が初めて本格的に着手し、現在の景気回復につながった。一部はハゲタカとも呼ばれる米国系の投資ファンドが活躍することで、米側は小泉改革で実利を稼いだとも言える。
 北朝鮮系とのダーティーなつながりの疑惑をもたれていない小泉首相が2002年9月に訪朝し、そのクリーンな手で金正日書記と握手できた背景には当然のようにブッシュ政権からの絶大な信頼があった。アフガニスタン、イラクの「反テロ戦争」で苦闘しているブッシュ政権にとって、北朝鮮の核疑惑問題に発する東アジアの不安な情勢の改善は不可欠だったが、小泉首相以外であれば日本の指導者をそこまで信用しなかっただろう。
 小泉首相の「靖国参拝」には中国と韓国が反発し、中国政府はワシントンでのロビイングで米側にも同調を工作しているが、ブッシュ政権はまともに応じない。2005年11月の日米首脳会談でブッシュ大統領は日中関係の改善を小泉首相にやんわりと促したが、小泉首相は冒頭で挙げた「日米関係が良ければ問題ない」と答えた。この小泉発言は思いつきではないどころか、政権発足以来の米側から小泉内閣に寄せられる信頼の積み重ねから生まれた。
小泉政権が代われば小沢民主党にはチャンスか
 問題はやはりポスト小泉である。後継最有力と目される安倍晋三官房長官を初め、全員が当然のように「親米」を競う。安倍官房長官はさらに拉致問題解決に深く関与してきたこともあって北朝鮮への強硬姿勢を崩さないし、対中外交も小泉路線を継承する構えだ。しかし小泉路線とは、あくまでも小泉・ブッシュの特別な関係を基礎にしている。安倍氏がいくら「小泉の後継者」らしく振る舞っても、小泉純一郎にはなりえない。
 ブッシュ政権と深く結びついた小泉政権が代われば、小沢民主党には確かにチャンスかもしれない。ポスト小泉がだれになろうと、最も重要な対米関係では独自路線を鮮明に打ち出して「ポスト小泉」政権と対等に競える。
 そこで最大の焦点になるのは対中関係でも北朝鮮情勢でもない。中長期的にみた日米関係そのものである。戦後の日米関係史でもきわめて異例なほど親密なブッシュ・小泉関係のゆえにか、「日米同盟」は表面上無風でも内面では空洞化が進んでいる。中国古代の思想家、荘子の格言「合則離、成則毀」(合えば離れ、成れば毀れる)にある通り、あらゆる物事には順調に見えるときにはすでに脆さをはらんでいる。
 決着を先延ばしにした在日米軍再編問題は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設、経費負担のからむ沖縄海兵隊のグアム移転問題が大詰めの局面にあるが、普天間飛行場の移設は基本合意から10年経った。在日米軍問題に深く関与してきた制服組の米軍幹部は言う。「ラムズフェルド国防長官はイラクでそれどころではないからよいようなものの、報告したらこれまで10年間いったい何をしていたのかと詰問するだろう」。キャンプ・シュワブ(沖縄・名護市)沿岸部への移転は米軍にとってみれば、日米が同盟関係であるなら日本の国内問題としてとっくに解決していなければならなかった、という強い不信感が国防総省内に渦巻いている。
 海兵隊のグアム移転経費の75%負担要求はもっと深刻である。米側要求に対しての日本側の失敗は、それを「言い値」と「値切り」の交渉にしてしまったことである。75%に対しては、50%以下でなければ駄目と公然と言い返したり、融資でなければ応じられない、と切り返す。米国人ならすぐわかることだが、安全保障のような国の威厳に関わる事柄では、米国人は他人から指図されることを極端に嫌う。上記の米軍幹部は「通商交渉のつもりで日本が臨むなら受けて立ちましょう。それでは日本国の安全をロンドンのロイズ保険に出すとしたら、日本はどれだけ保険料を支払わなければならないのか、計算できないほど巨額になるはずです」と本音を漏らす。
 与野党を問わず、米国との同盟関係とは無条件の信頼関係であると認識していないと、「ポスト小泉」、さらに2年後には「ポスト・ブッシュ」を迎える対米関係を改善できないだろう。

NET EYE プロの視点
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/tamura/20060409n1949000_09.html
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by thinkpod | 2006-08-10 02:29 | 政治経済
2006年 08月 09日

郵政改革と宗教戦争

特定郵便局の概略
昨年の郵政改革を巡る騒動が何であったのか、意見の別れるところである。先週号で述べたように、表面上は改革の賛成派と反対派の間でデマとも受取られるような議論の応酬であった。参議院で改革案は否決された後、衆議院は解散され総選挙が実施された。この選挙で改革推進派の候補者が多数当選し、一転して参議院で改革案は可決成立した。

この過程で、郵政改革に反対した有力議員は自民党を追われた。自民党の郵政部会の混乱あたりから、マスコミや世間はこの郵政を巡る騒動に関心を持ち始めた。しかし9月に小泉政権の内閣改造が行われ、郵政改革法案が参議院で可決すると、一転して皆の関心は薄れた。今日となっては、郵政改革に興味を持つ者など全くいないのではないと思われるほどである。

まず郵政の話を進める前に日本の郵便局の分類について簡単に説明する。大きく分けると郵便局には、日本郵政公社直営の普通郵便局と特定郵便局長が経営する特定郵便局がある(この他に簡易郵便局があるがここでは話を省略する)。先週号で取上げた問題は主に普通郵便局に関わるものであった。今週はもう一つの方の特定郵便局を取上げる。

特定郵便局は全国に約1万8千局ある。明治4年(1871年)に日本の郵便制度は発足した。明治政府は、この郵便制度の整備を急ぐため、局長に地域の有力な名士を据えた。多くの名主や庄屋と言われた人々が、私財を提供し郵便事業に携わり、日本の郵便事業は急速に発展した。今日の地方の特定郵便局長のは、これらの地方の名士の後継者ということになる。この点が郵便局員のOBが多い都会の特定郵便局長と異なる。

特定郵便局長は国家公務員であるが多くは世襲されてきた。これに対して国家公務員が世襲されるのはおかしいという話になり、一応特定郵便局長になるための任用試験の制度が設けられた。話によるとこの試験のポイントは特定郵便局長に相応しいかといった人物評価が中心になっている。他人の金を預かったり、信書を扱うということになれば、このようなことが重要になることに納得は行く。この結果、世襲ではない特定郵便局長の割合が段々と大きくなっている。

ところでこれまで地方の特定郵便局長の政治力というか、集票力は大きいとされてきた。ただし正確に言えば、特定郵便局長は公務員であり政治活動に携わることができないため、選挙の際に実際に選挙活動を行うのは特定郵便局長のOBである。しかし特定郵便局長だから集票力があるのではなく、地域で人望が篤い人々が局長になっているから集票力があるという解釈が成立つ。

民営化を進め採算を重視する郵政改革は、このような地方の特定郵便局の整理に繋がることがはっきりしており、特定郵便局長はこぞってこれに反対した。実際、郵政民営化に伴って、特定郵便局の整理と特定郵便局長の転勤制度という話が出ている。つまり特定郵便局長会の危惧していた事態が現実化しているのである。

地方は過疎化によって、市町村合併などによる行政の合理化が進んでいる。補助金や地方交付金のカット、さらに公共事業の削減が行われている。そしてこれに追討ちをかけるような特定郵便局の整理である。このような話は昨年の郵政改革論議でさんざん聞かされた。しかしこのような話は事実ではあろうが、あくまでも表向きの話である。郵政改革騒動で全く触れられてこなかった重要な部分があると筆者は見る。


平成の物部氏と蘇我氏の争い
一年ほど前、ある会合(飲み会)で二人の神主さんとお話する機会があった。二人とも神主であると同時に地方の特定郵便局長であった。お二人の話によると、地方の特定郵便局長には神主の方々が極めて多いということである。いわゆる「村の鎮守」の神主である。「村の鎮守」は地域住民のある意味で精神的なよりどころであり、地域共同体コミュニティーの中心である。しかし神社からの収入は知れており、まさに「村の鎮守」を維持するための経済的基盤が問題となっている特定郵便局ということになる。

過疎化や農業収入の減少によって、地域のコミュニティーはガタついている。そこに郵政改革によって、特定郵便局長という地域の取りまとめ役的人物の経済基盤が失われる事態が起ろうとしている。そして特定郵便局長に神主の方が多いということは、「村の鎮守」の行末が怪しくなったということを意味する。特定郵便局長会は、自民党の重要な集票組織であった。郵政改革はこの特定郵便局長会の意に反するものであり、普通なら自民党は特定郵便局長会の意向に反するような改革の進め方はしないものである。しかし何と自民党はこの大切な支持組織をバッサリと切って捨てたのである。当然、自民党の内部では議論が割れた。郵政改革反対派は、特定郵便局長会をバックに民営化推進派に異を唱えた。

これはあまり報道されていないが、自民党の改革派だけでなく、郵政改革を強く押し進めた一大勢力がある。公明党である。最終的に、公明党を取るのか特定郵便局長会を取るのかの選択を自民党の国会議員は迫られたのである。これによってそれまで優勢であった改革反対派が腰砕けになった。

特に都会の自民党議員は公明票に大きく依存しており、公明党のこの脅しが効いた。一方、特定郵便局長会をバックにした郵政票は年々小さくなっている。自民党全体としては、郵政票を捨て、公明票を取ったという図式になる。

しかし見逃してならないのは、公明党が巨大宗教団体をバックにしていることである。いや巨大宗教団体そのものが公明党と言った方が正確である。この新興宗教団体の特徴は日本的でない点である。そしてこの新興宗教団体は大都市で多くの信者を獲得しているが、どうしても入り込めないの地域がある。特定郵便局が配置されているような片田舎である。ちょうど06/6/5(第439号)「美しくない話」で取上げたような原日本人が住むような地方である。

このような地域の人々の精神面と文化・伝統面を支えいるのが神社(村の鎮守)である。そして多くの特定郵便局長が神主ということは、郵政改革を巡る争いは、巨大新興宗教と日本の古来からの伝統宗教との対決ということを意味する。ちなみに郵政改革反対派の首領、綿貫民輔元衆議院議長は自らが宮司であり、神道政治連盟国会議員懇談会の会長でもある。つまり今回の郵政改革騒動は、ある意味で宗教戦争という側面を持ち、まさに「平成の物部氏と蘇我氏の争い」のようなものと筆者は理解している。

自民党は公明党と連立を組むようになってから変質した。表面上は改革派の跋扈である。しかしそれは一面であり、本質は自民党の公明党化である。実際、公明党の選挙協力なしで当選できるのは、それこそ地方の有力議員候補だけである。

郵政改革などのように旧来の支持層を切捨てる構造改革政策が続き、自民党の公明票への依存度はますます強まった。このような大変な事態に気付いている自民党の政治家もいるが、既に手後れのような気がする。票を得るため支援者の名簿を公明サイドに渡している議員も多く、公明党の意向に逆らってはまず当選しない議員の集まりが今の自民党である。

日本では日本に古来からある宗教とは異質の新興宗教が周期的に流行り問題を起こしている。マインドコントロール系の宗教である。分りやすい例は霊感商法や合同結婚式で問題になった宗教団体である。数年前、文芸春秋にこのような宗教のルーツが朝鮮半島の北部にあることを指摘した記事が掲載された。

朝鮮半島には昔からこの種のマインドコントロール系の土俗的な宗教があったと言うのである。このような宗教群は、時おり他の宗教、例えばキリスト教や仏教の教義を取入れ、多くの熱心な信者を集める。仮にこのような宗教が日本の政治に食い込もうとしているとしたなら、我々としても大いに関心を示す必要がある。

経済コラムマガジン
http://www.adpweb.com/eco/
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by thinkpod | 2006-08-09 03:19 | 政治経済
2006年 08月 06日

Common Sense: 外交の極意は正心誠意にあり

 誠意に基づく気骨ある外交が、
国家の品格をもたらす
■転送歓迎■ H18.08.06 ■ 34,009 Copies ■ 2,162,392 Views■

■1.「日本初の主導」■

「ミサイル発射は日本の安全保障にとり直接の脅威だ」と大島
賢三・国連大使が、北朝鮮制裁決議案を提示した7月7日に安
保理非公式会議で明言すると、国連外交筋は「『直接の脅威』
という強い表現を日本の外交官から聞いたのは初めて。日本の
覚悟を感じた」と述べた。

 当初、中国は報道声明でことを済ませようとしたが、日本の
強い意思に押されて、議長声明へと後退し、さらに北朝鮮の説
得に失敗すると、非難決議案の提示へと譲歩を重ねた。

 最後には「制裁決議案が採決されるなら、(本国から)拒否
権行使の指示を受けている」とまで言ったが、「ここまで露骨
に(拒否権行使を)明言するのは異例だ」と周囲を驚かせた。
それは日本の強い姿勢に押された「中国の焦り」だと、国連外
交筋は見た。[1]

 元駐タイ大使・外交評論家の岡崎久彦氏は、「日本初の主導、
実る」と題して、次のように論評した。

 日本は初めて、国連安保理の場でイニシアチブを発揮し
たといってもいい。日本外交の従来の型では、事件が起こ
ると「まず状況を把握してから」と各国の出方を見る。そ
のうち米国が態度を決め、それに付き合うというパターン
だった。

 日本は今回、北朝鮮のミサイル発射後、迅速に制裁決議
案を安保理に示し、安保理で根回しを進めコンセンサスを
つくった。外交には「先(さき)んずれば人を制す」とい
うことがある。中露は日本案に反対したが、日本の最初の
根回しが基礎となり、そこを起点に妥協をしていったので、
良い“歩留まり”で決着がついたといえよう。[2]

■2.「あんたらは、けんかの仕方を知らないんじゃないか」■

 この「初のイニシアチブ」をとったのは、安倍晋三・官房長
官と麻生太郎・外相のコンビだった。二人は「日本外交の従来
の型」を踏襲しようとする外務省筋を叱りとばしながら、引っ
張っていった。

 15日午後、安倍氏の電話が鳴った。国連日本政府代表
部の北岡伸一次席大使だった。「英仏両国が(JOG注:制
裁などの根拠となる)7章を削除した妥協案を提示してい
ます。国際社会に強いメッセージを発する内容で、中国も
賛同の意を示しています。むしろ日本がまとめ役として…」

 安倍氏は「こちらはすでに第7章を40条(暫定措置)
に限定するところまで譲歩しているではないか」と不快感
をあらわにした。電話を切ると、ため息まじりにつぶやい
た。「日本が降りるにしても最後の最後。ギリギリまで妥
協に応じる素振りすら見せては駄目なのに、なぜ分からな
い」

 麻生氏も、とりわけ12日に中国とロシアが非難決議案
を提示して以降、妥協し「落としどころ」を探ろうとはや
る外務官僚に、堪忍袋の緒が切れた。14日、大臣室に幹
部を集め「こちらが突っ張ったから、中露は議長声明から
非難決議に譲歩したんだろ。あんたらは優秀かもしれない
が、けんかの仕方を知らないんじゃないか。成功するまで
報告はいらない」と叱責(しっせき)し、姿を消した。背
水の陣を促したのだ。[1]

 安倍−麻生ラインによる今回の国連外交は、わが国が主体的
な外交力を回復しつつある事を示した画期的な出来事である。
その主役となった安倍晋三が、北朝鮮問題でどのような姿勢を
とってきたのかを通じて、日本外交のあるべき姿を考えてみよ
う。

■3.拉致問題の発端■

 日本外交の再生は、北朝鮮の拉致問題がきっかけであった。
この問題が表面化して、はじめて日本国民は、日本国憲法が言
うような「平和を愛する諸国民」以外の国、その「公正と信義
に信頼」できない国、がある事に気づいたのである。

 その気づきをもたらしたのは、拉致被害者の家族会の粘り強
い活動であり、それを支えた少数の政治家たちだった。そして
早い時期からその中心にいたのが、安倍晋三だった。

 安倍晋三が拉致問題と関わるようになったのは、自民党幹事
長で次期首相候補であった父・安倍晋太郎の秘書をしていた昭
和63(1988)年であった。娘が北朝鮮に拉致されているという
情報を得た有本夫妻が、助けて欲しいと陳情に訪れたのに応対
したのである。[a]

 初めて話を聞いた時、安倍晋三は「独裁国家とはいえ、果た
してそんなことを国ぐるみでするのだろうか」と半信半疑であっ
た。気になった安倍は、自分なりの調査をして、北朝鮮の犯行
と確信した。自ら法務省と外務省を回り、担当者にかけあった
が、いずれも木で鼻をくくったような対応だった。

■4.「外務省は少しもやっていないじゃないか!」■

 平成9(1997)年2月、横田めぐみさんの拉致疑惑[b]が表面
化すると、亡父の跡をついで衆議院議員となっていた安倍は、
「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の発足を支
援した。4月には超党派の国会議員63人による「北朝鮮拉致
疑惑日本人支援議員連盟」が設立され、安倍は1回生議員なが
ら事務局次長に就任した。

 この年の10月、日本政府が北朝鮮に対し、約33億円のコ
メ支援などを行う方針を固めると、安倍は猛然と反対した。し
かし、政府の方針が変わらないと知ると、安倍は「家族会」の
人々を小渕恵三・外相に会わせようと動いた。その面談を外務
省が渋ると、安倍は食ってかかった。

 おれは、父親が自民党幹事長だったころから、拉致問題
に関わっているんだ。外務省は少しもやっていないじゃな
いか!

と、論破して、安倍は家族を小渕外相と会わせた。

 安倍はさらに衆議院外務委員会に、「日朝問題小委員会」を
作り、自らは事務局長に座った。この小委員会に、北朝鮮を訪
問して国交正常化を図ろうとする野中広務幹事長代理を招いて、
「日本人拉致疑惑をうやむやにして、国交正常化などすべきで
はない」などと議論した。

 この小委員会では、拉致問題を活発に議論したが、加藤紘一
幹事長や山崎拓政調会長から、「小委員会は開かないでほしい」
と安倍に圧力がかかった。党幹部からの圧力に逆らえばどのよ
うな仕打ちを受けるか分からなかったが、安倍はそれを跳ね返
し、小委員会を開き続けて、朝鮮銀行問題[c]に詳しい野村旗
守らを招いて議論を続けた。

■5.「政治は命がけでやるものだ」■

 平成11(1999)年2月、安倍は石破茂、山本一太ら、超党派
議員とともに「北朝鮮に対する戦略的外交を考える会」を結成
した。拉致問題を重大な「人権侵害」ととらえ、関係家族など
の提訴により国連人権委員会の議題とすることが目的である。

 同年5月、安倍は山本一太ら3人の国会議員とともに、訪韓
し、前年12月に韓国軍によって撃沈された北朝鮮の潜水艇を
見学した。その潜水艦の部品の2割は日本製だった。

 安倍は有志らとともに、北朝鮮が前年にミサイル発射[d]を
行った事を受けて、弾道ミサイルを再発射した場合に日本独自
で北朝鮮への送金停止を可能にする外為法改正案をまとめた。
だが、野中広務など、北朝鮮にパイプを持つ自民党実力者に止
められた。

 平成14(2002)年3月、横田めぐみさんの父親・滋さんら
「家族会」は、石原慎太郎・東京都知事の口利きで、小泉首相
に面会し、その後、官房副長官を務めていた安倍晋三にも会っ
て、「どうか不審船を引き揚げてください」と頼んだ。

「不審船」とは前年12月に鹿児島県奄美大島沖で海上保安庁
の巡視船と銃撃の末、沈没した北朝鮮工作船のことである。社
民党の一部からは、北朝鮮への遠慮から、引き上げに反対する
声もあったが、安倍は「引き揚げた方が良い」と判断。引き揚
げられた工作船は、地対空ミサイルなどの本格的な武器を積ん
でおり、それが国民に公開されて、改めて北朝鮮の対日工作の
実態が明らかになった。

 首相官邸では、安倍副長官を中心に、外務、法務、国土交通
省の副大臣による「拉致疑惑に関するプロジェクトチーム」が
発足した。さらに4月には衆議院と参議院で、「拉致疑惑の早
期解決を求める決議」が採択された。

 安倍の妻・昭恵は、北朝鮮問題に取り組む夫を不安に思って、
「万が一、北朝鮮問題に関わったばかりに、危険な目に遭った
ら、どうするの?」と聞いた 安倍の答えはこうだった。

 政治は命がけでやるものだ。そのときは、とにかく立派
なコメントを出してくれ。

■6.田中均・外務省アジア大洋州局長との激突■

 平成14(2002)年9月、小泉首相は北朝鮮を訪問した。安倍
官房副長官は、拉致問題の責任者として同行した。昼休みの時
に、安倍は控え室で盗聴されている可能性を意識して、「拉致
したという白状と謝罪がない限り、調印は考え直した方がいい
のでは」と述べた。これが決め手となって、午後の会談で金正
日が「拉致」の事実を認め、謝罪した事は、[e]で述べた。

 安倍とともに拉致問題に取り組んできた中川昭一・衆議院議
員は、こう述べている。

 北朝鮮での日朝首脳会談でも、安倍さんが同行していな
ければ、とんでもないことになっていた。小泉首相に同行
した外務省のチームは、放っておけば何をするかわからな
いチームだった。小泉首相にとっても、日本にとっても、
大変な汚点を残すところだったのではないか。[3,p399]

 この「外務省のチーム」の中心が田中均・外務省アジア大洋
州局長であった。10月15日に拉致被害者5人が帰国すると、
5人を北朝鮮に返すかどうかについて、安倍は田中と激突する。

「5人を返さないよう、考えなおしてくれ」と安倍が言うと、
田中は「それは困るといっている。わたしと先方の信頼関係は、
どうなるのか」と食い下がった。

 安倍は一気にたたみかけた。

 田中さん、5人の帰国はあなたの「信頼関係」のおかげ
かもしれないが、もはやソフトランディングは成立しない。
まさか、外務省が(JOG注: 日本に残ることを希望してい
る5人を)勝手に連れ出すわけにはいかないでしょう。

 田中は怒りに顔を赤く染め、口を結んだ。

 もし安倍ではなく、田中均らが拉致問題を取り仕切っていた
ら、金正日は拉致を認めず、謝罪もせず、5人は北朝鮮に戻さ
れる、という「大変な汚点」を残していたろう。

 本年7月にめぐみさんの夫だったと言われる韓国人拉致被害
者・金英男が、母や姉と面会した際にも、北朝鮮側の拉致を否
定し、海水浴場から沖合に流された所を北朝鮮船に救助された
などと述べた。韓国人拉致被害者に対しては、北朝鮮は拉致も
認めず、謝罪もせず、被害者も帰国させていない。田中均らの
「ソフトランディング」路線では、同様の結果に終わった事は
想像に難くない。

■7.田中均・外務審議官の小細工を粉砕■

 安倍の特徴は、主張すべき時に主張する剛直さである。平成
15年の元日の朝日新聞社説の「拉致問題は原則論を言うだけ
でなく落としどころを考えろ」という主張に対して、次のよう
に批判した。

 (死亡したとされる)被害者8人のことは忘れろという
のと同じ事をいっている。こういう論調が、われわれが主
張を通す障害となっている。[1,p413]

 田中均とは、再度の激突があった。平成15年5月、小泉首
相はアメリカで日米首脳会談を行った。同行した安倍は北朝鮮
に対しては「対話と圧力」が必要だと主張し、小泉首相は同意
した。

 首脳会談後、田中均・外務審議官は記者会見では「圧力」と
いう言葉を使わないよう、安倍に要求したが、安倍は「それは
おかしい。総理はあんなにはっきりと『対話と圧力』とおっしゃっ
たのに。・・・アメリカも、非常に不信感を招くのではないで
すか」と真っ向から反論した。

 その後、田中が日本大使館員に指示して作成された記者会見
のまとめ資料には、「圧力」という言葉が入っていなかった。
資料を読んだ安倍はそれに気づいたが、黙って、記者会見に臨
んだ。資料に構わず、安倍が「今後は、『対話と圧力』の姿勢
で対応していくことを確認しました」と言明すると、同席した
田中は、びっくり仰天していた。

■8.「外交の極意は、正心誠意」■

 京都大学の中西輝政教授は、「日本の政界では安倍がダント
ツの一位であり、2,3位はおらず、4位、5位あたりによう
やく次の名が上がってくる」と評価している。

 そして安倍晋三が断トツに際だっているのは、人間として、
政治家としての「誠実さ」であるという。安倍晋三には裏表が
ない。時流に乗ろうという打算もない。拉致問題のような、当
初、票になりそうになかった問題でも、大切な問題として真剣
に取り組む。その誠実さが、嘘で固めた北朝鮮外交や、それに
おもねる国内勢力を打ち砕いてきたのである。

 勝海舟は『氷川清話』で、「外交の極意は、正心誠意にある
のだ。ごまかしなどをやりかけると、かえって向こうから、こ
ちらの弱点を見抜かれるものだョ」と、述べている。

 今回、国連安保理で中国の小細工を再三はねつけて、初めて
日本主導の国連決議を実現させたのも、この「正心誠意」に基
づく安倍外交の芯の強さであろう。

 安倍晋三が次の首相になったら、この「誠実さ」をもとにし
た気骨ある日本外交を展開して貰いたい。それは同時に敗戦後
に失われた国家の品格を取り戻すことにつながっていくだろう。
(文責:伊勢雅臣)

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by thinkpod | 2006-08-06 01:19 | 政治経済
2006年 02月 04日

【国外元ハンセン病患者への補償再考を】 元サハリン再開支援会 新井佐和子

産経新聞2月1日付け朝刊、読者アピールより
【国外元ハンセン病患者への補償再考を】 元サハリン再開支援会 新井佐和子

  一月二十日付の産経新聞記事によると、韓国、台湾など国外のハンセン病療養所の元入所者に対し、国内の入所者並みの一人あたり八百万円の補償金を支給する改正案を、通常国会に提出することになったと報じている。

 すでに国内では、「元ハンセン病患者の隔離政策は憲法違反」とする判決に基づいて施行された「ハンセン病補償法」によって補償が行われているが、台湾人、韓国人についてはそれぞれの提訴によって、一審は台湾が勝訴、韓国が敗訴となっている。

 そもそも隔離政策を不当とするこの法案そのものに、私は違和感を覚えるのだが、それはさておき、韓国が台湾と同等の権利を有すると考えるのは間違っている。

 なぜなら日韓の間では一九六五年の日韓基本条約によって、すべての補償は清算ずみだからである。ところが、この条約はまず「サハリン」で破られ、以後、「被爆者」「慰安婦」などの補償実現に続いて、いままたこの補償法案が成立しようとしていて、いまや反故同然となっている。

 そして、この後に待ち受けているのは、朝鮮半島統一後に必ず起きるであろう“一千万人強制連行”の補償要求である。

 ところで、ハンセン病患者の救済には歴代の皇后さまが格別の配慮を示され、内帑金(ないどきん)の御下賜、親しく入所者を見舞われるなど、今でも財団(ハンセン病について正しい啓蒙活動を行うという趣旨で設立)初代総裁の故高松宮さまおよび妃殿下の故喜久子さまを神様のように思っている入所者がたくさんいる。このような「隔離」とは、こういう高貴な方々の啓蒙活動によって、世間の人々が偏見を持たなくなるまでの保護対策であったといえる。当然、併合時代の朝鮮においても日本の皇族から嫁がれた李方子妃の庇護の下で過酷な差別の目から逃れて暮らすことができたと考えられよう。

 ところが解放後はどうなっただろうか。「解放後から一九五七年まで、ハンセン病患者集団虐殺事件が十件発生した」と、最近韓国の人権委員会が報告している。



 ☆編集者へ=つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)から。

 四月号、豊中市の辻孝次さんへ。

 一月二十五日のNHKニュースの報道についての御質問に対し、僣越ながら参考意見を述べさせていただきます。

 私は、この報道は聞いておりませんが、これは、サハリンにいる韓国人の一部が、韓国に集団永住帰国するというニュースのなかでの解説とおもわれます。

 ところで、ご質問の、(一)日本軍の朝鮮半島の占領、(二)ハバロフスクへの強制労働のための移住、という首を傾げるような報道を、公共放送が疑問を持たずに行うようになってしまった背景には、つぎのようなことがあると考えております。

 それは、一部の日本の知識人たちが、ある政治目的のために在サハリン韓国人の歴史を捏造してしまったことが原因です。

 その人たちは、「四万三千人のサハリン残留韓国・朝鮮人は戦争中日本国によって強制連行されて行った人々で、戦後日本人だけを引き揚げさせて朝鮮人は置き去りにしてきた」と主張し、その責任として日本政府から多額(数十億円)の補償金を拠出させています。今回、その補償金で韓国に建てた居住施設に、永住帰国するサハリン残留韓国人一世夫婦約千人が三月までに入居することになりました。

 しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人)は、前記一部の知識人が言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦中を通じて好景気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労働者とその家族です。なかには戦争末期に徴用というかたちで強制労働に就かされた人もいますが、それは百人にも満たない数です。

 終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領されてから彼らは日本人と区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時に大陸部からロシア系の朝鮮人や、現北朝鮮からの労働者を移入させたので、サハリンの朝鮮族の人口は、二年後には四万三千人にふくれあがりました。

 それとは別に、ロシアの大陸部には五十万ほどの朝鮮族がいますが、その人々の大部分は一九三〇年代にスターリンによって沿海地方から中央アジア地方に強制移住、強制労働させられてきた人たちの子孫です。

 ところで、日本政府が全面的に援助しているサハリン韓国人帰国支援事業ですが、その対象となる人は、終戦時樺太にいた韓国人のみでなく、前記のように戦後移入してきてそのまま居ついた人や、サハリン以外の地にいた人でも一九四五年以前に生まれた人なら皆含まれているようです。永住帰国とは別に十年前からこれも日本政府が毎年一億円以上の予算をつけて行われている韓国への一時帰国(里帰り)事業には、明らかにロシア大陸に一九三〇年代に強制移住させられた人が含まれていたことを、私は数年前、韓国の新聞記事で確認しています。

 そこで、ご質問の(二)について考えられることは、現在、大陸に居住している朝鮮族のために置かれているとみられる「ハバロフスク離散家族会」というのがありますが、そこで扱った帰国者のなかに、ソ連による沿海地方から大陸への「強制移住者」が含まれていたことから、このような誤報がなされたのではないかということです。

 (一)についていえば、以上のようにサハリン在住韓国・朝鮮人の由来が意図的に歪められたり、また他でも韓国には謝罪と補償を繰り返していることから、朝鮮半島は条約によって日本と併合されたという基本的な認識がだんだん薄れてきているからなのでしょう。NHKに限らず、あらゆる報道機関で、この「サハリン韓国人問題」を正しく理解し報道しているところは、いまのところ産経新聞以外にありません。

 長い間彼らが帰れなかった理由は、冷戦時代の国際情勢によるもので、日本国にはなんら責任はありません。とはいえ、戦中戦前から樺太にいた韓国人でいま身寄りもなく、故郷に帰りたいという人がいるならば、人道的な見地から援助の手をさしのべるのにやぶさかではありませんが、実際は、その他の人たちにも無制限に日本の国費で援助しているというのが現実で、そのためいろいろな弊害が出ています。

 以上「サハリン韓国人問題」の間違った解釈は、困ったことに「広辞苑」などの辞典や教科書にも書かれて、既に定着しています。

 詳しくは拙著「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」(草思社)をご参照頂ければ幸いです。

 ☆編集者から=新井さん、お久し振りです。じつは新井さんのコメントを心待ちしていました。ありがとうございました。

月刊「正論」
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2000/reader/05-r1.html

特集「こんなものはいらない」
果てしなき韓国への補償——ハンセン病患者にも
「正論」2006年5月号
http://hansentoa.genin.jp/sr0605.html

「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援





目撃談・サハリン残留韓国人VS的場官房副長官
  
 昨日、たまたま本屋で的場順三官房副長官の著書「座して待つのか、日本人」が目にとまり、買いました。平成12年7月に初刊発行なので新しい本ではないのですが、的場氏が安倍内閣の官房副長官に抜擢されたこともあり、再びクローズアップされたようです。

 安倍首相は、事務方の官房副長官(全官僚のトップ)は厚生省や自治省など旧内務省から出すというこれまで連綿と続いてきた霞ヶ関のルールを打ち破り、大蔵省出身で元国土庁長官、民間経験の長い的場氏を副長官につけました。

この人事には、安倍首相が女系天皇実現を強引に進めようとした古川元副長官(旧厚生省出身)や、中国にハニートラップをしかけられた上海総領事館員の自殺を小泉前首相に知らせなかった二橋前副長官(旧自治省出身)に不信感を募らせていたという背景があります。一方、的場氏は安倍首相の父、晋太郎元外相時代からの付き合いとあって、気心が知れていたということもあるでしょう。

それでここからが本題ですが、今回、的場氏の本を読んでいると、サハリン(樺太)でのエピソードが紹介されていました。「朝鮮系ロシア人の言いがかり」という見出しがついていて、次のように書かれています。

《カムチャッカとサハリンの視察に行った折、朝鮮系ロシア人と出会った。このとき、彼らがサハリンに置き去りにされたのはすべて日本政府の責任で、いまでも日本政府は彼らに対して責任を負うべきだと高圧的な感じで迫ってきた。一緒に行った人たちに著名な評論家が多かったためか、雑誌や新聞に彼らの主張を掲載して、そのコピーを送れと要求された》

実は、私はそのときの視察団(日本財団主催)の末席に連なっていました。著名な評論家とは、田久保忠衛氏、屋山太郎氏、日下公人氏らのことです。ですから、この朝鮮系ロシア人との会話もだいたい覚えています。私は平成10年8月に書いた連載記事「日露共生(5)」の中で、こんな風に書いています。

《一方、日本サハリン州経済開発促進協会の趙応奎さん(六五)によると、韓国人は南樺太が日本領となった日露戦争後の一九〇五年ころからサハリンに移り住み始めたという。「戦前の樺太は豊かで、うちは祖父が自分で樺太に渡り、養狐場をやっていた。戦後は、ソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」

 この地に来た韓国人には、(1)戦前戦中の出稼ぎや自由募集、または日本による徴用(2)戦後、友好国の北朝鮮からの労働力募集(3)スターリンの命令で沿海州から中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタンに強制移住させられていて、共産主義指導のため再び移された-の三通りがある。

 南部の港湾都市、コルサコフ(旧大泊)の市場で働く韓国人女性(七〇)は、日本名「山下花子」と名乗り、話しかけてきた。

 「来年三月、五百世帯が韓国に引き揚げるんだよ。今、日本の援助で韓国に家を建てているんだ。一時帰国で見に行ったけどなかなかいい家で、私もここ生まれだけど引き揚げる」

 「山下さん」がいう一時帰国とは、日本政府が平成元年から毎年、一億二千万円前後の支援をしている事業を指す。また、政府は「自社さ」連立の村山内閣時代の平成七年、“人道的見地”から二十七億円以上かけて韓国・ソウル郊外に永住帰国者のため五百戸のアパート建設を計画、今年十二月に完成する予定だ。居住の条件では、日本の徴用でサハリンに来たかどうかは問われない。

 ただ、こうした善意の支援は「日韓基本条約で補償問題は解決済みというが、支援は日本政府が不十分だと認めているからだ」(サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長)と受け止められ、新たな要求の根拠とされている。

 二世であるパク会長は、「ロシア経済は悪く、裕福な韓国に戻りたい人が増えている。日本が何もしていないとは言わないが、もっと帰国支援をすべきだ」と憤まんをぶつけた。》

ここにも村山内閣の後遺症が…という感じですね。的場氏がいう朝鮮系ロシア人とは、このケーレン氏のことです。私は現場で、的場氏が顔を真っ赤にして、ケーレン氏を相手に正論を力説する姿を見ています。そのときに私は、この人は割と信用できるなと感じたのを覚えています。的場氏は著書の中で次のように書いていますが、ケーレン氏にも同様の説明をしていました。

《少なくとも韓国との話し合いはすでに済んでいる。1965(昭和40)年に日韓基本条約を結び、外貨準備が少なく、まだ日本人がそれほど豊かではなかった時代に8億ドル以上(政府無償贈与3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル以上)もの実質的な賠償を払っている。今の経済力でみれば小さい金額と言えようが、払った時代から言えば大変な額を払った。》

《また、ソ連と北朝鮮政府との間で協定を結んで、労働力不足のために送り込んだ人たちに関しては、われわれには何の責任もない。それは北朝鮮とロシア政府が責任を負うべきものである。いわんや、スターリンが中央アジアで共産主義教育をして送り込んできた人たちに対しては、日本が負うべき義理はまったくない。》

こうした的場氏を中心とする視察団の反論に対し、日本人たちからの反論が珍しかったのか押され気味のケーレン氏が繰り出してきたのが、「でも、日本の著名な弁護士であるT氏がもっと日本政府から賠償を取れると話していた」という内容の言葉でした。T氏は、人権派弁護士として慰安婦訴訟などにもかかわっているある種の有名人です。

私はその数年前、インドネシアで慰安婦問題の取材をしている際にも、現地の人から「T弁護士の指示に従った」と聞いたことがあったので、「ここでもTか!」と驚きました。インドネシアでのエピソードについては、拙ブログの7月9日のエントリ「火のないところに火をつける人たち」に書いていますので、関心のある方はご笑覧ください。

ちなみに、われわれはケーレン氏にお茶に招かれ、彼の自宅マンションも訪問したのですが、かなり広い部屋を二つぶちぬいた2世帯仕様になっており、サハリンの中ではかなり裕福な部類だったようです。的場氏はケーレン氏について、こうも書いています。

《一番問題なのは、スターリン時代に、北朝鮮の隣の沿海州シベリアにいたロシア語のわからない朝鮮人を再教育する目的で中央アジアに強制移住させ、その人たちがサハリン州政府の要職に就いたことである。(中略)実は、日本政府に責任を取れと言ってきたのは、サハリンの局長クラスをリタイアした後、顧問として残っている彼らの一人だったのである》

ともあれ、日本は国外だけではなく、国内にもたくさんの反日勢力を抱えている内憂外患の状態にあると思います。本来なら、心ある保守陣営が相互に批判しあったり、足を引っ張りあったりしている場合じゃないと思うのですが、現実はあまり芳しい状況にはないようです。

この的場氏にしても、私はこのサハリンでの会合以来、「事なかれ主義が多い並のお役人とは違うな」という印象を持っていますし、安倍政権のスタッフの一人ひとりはなかなかたいした人物だと思っています。それでも、歯車がうまく回転しないときがあるのを見るにつけ、「百鬼夜行、魑魅魍魎の跋扈する永田町」というフレーズが思い浮かびます。

すっきりと、小気味よくうまくいくことなんてあまりないなあ。最近、つくづくとそう感じています。

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/91573





火のないところに火をつける人たち

 きょうは前回ブログの続きです。10年前、中京テレビが放映した慰安婦特集番組の不自然な字幕について書いた私は、さらに事実関係を検証するためにインドネシアに向かいました。

 インドネシアでは、空港からホテルへと向かう際に、早くも華僑の白タクに引っかかって相場の数倍の料金をとられたりもしましたが、幸運なことに中京テレビの番組で取材協力者と紹介されていた男性通訳、ワヒューさんと接触することができました。

 彼は日本語が堪能で、中京テレビの取材人と20日間にわたって行動をともにしていたそうです。番組は、ジャワ島西部の町、スカブミに元慰安婦たちが日本からの補償を求めて結集した-というシーンから始まるのですが、ワヒューさんによると、実態はこうだったそうです。

 「慰安婦集会はテレビ局の要請で特別に集めたもので、交通費もテレビ局が負担した。奥さんたち(元慰安婦とされた女性たち)はこのとき、『集まるのはもう3回目になるのに、まだお金がもらえない。もういやだ』と怒り出しました」
 「それ以前にも2回、同じような集会が開かれましたが、それは日本人のライター(戦後補償実現市民基金代表)らが『補償問題で日本政府を追及します』と集めたものでした」

 また、首都ジャカルタでニューズ・レターを発行し、現地事情に詳しい元日本兵の石井サトリアさんにも話を聞くことができました。石井さんは、こう証言しました。

 「インドネシアで慰安婦問題が浮上したきっかけは、3年前にやってきた日本の弁護士。彼らは地元紙に『補償のために日本から来た。元慰安婦は名乗り出てほしい』という内容の広告を出した。それまでは、インドネシア人の間で慰安婦について話題になることはなかった」

 当時、元慰安婦女性の登録作業を行うなどの実働部隊を務めていた「元兵補中央協議会」のラハルジョ会長も訪ねて話を聞きました。兵補とは、日本軍政時代に補助兵として採用されたインドネシア人のことです。

 元兵補中央協議会の活動は、もともとは戦時中の兵補の強制貯金の未支払い分に対する賠償要求が目的で、慰安婦とのかかわりは薄かったといいます。そんな彼らがなぜ慰安婦問題に取り組むようになったのか聞くと、ラハルジョさんははっきりとこう答えました。

 「東京のT弁護士の指示を受けて始めた。『早く』と催促も受けた。われわれは元慰安婦に対するアンケートも行っているが、これもT弁護士の文案で作成した」

 T弁護士は有名な方で、当時、「従軍慰安婦訴訟」にかかわり、戦後補償関係の著書もある人です。

 T弁護士に帰国後、電話でコメントをいただこうとしたところ、いきなり「産経には日頃から不満がある。訴えてやろうか」と脅かされました。ただ、私がラハルジョさんに直接会って話をしてきたと言ったところ、慌てた様子で「えっ…。一度会ってお話がしたい」と下手に出てきました。不思議ですね。

 それはともかく、元兵補中央協議会はT弁護士らの指導に従い、実際には慰安所で働いていない女性も含め、2万人近くもの元慰安婦女性の登録を行い、「1人当たり200万円の補償を要求する」としていました。

 しかし、実際は「登録したら、日本から補償がもらえる。金額がすごいというので盛り上がったが、それまでほとんどの人が慰安婦の存在すら知らなかった」(スカブミでインタビューした青年)というのが本当のようでした。

 2万人という登録者の数について、戦時中のことをよく知る老舗英字紙「インドネシア・タイムズ」の会長に聞いたところ、「ばかばかしい。1人の兵隊に1人の慰安婦がいたというのか。われわれは中国とも韓国とも違う歴史とプライドがある。『お金をくれ』などとは、360年間わが国を支配したオランダにだって要求しない。日本大使館は何をしているのか。日本を理解させようとしていないのではないか」と吐き捨てました。

 日本軍政時代、インドネシアにいた日本人は民間人を含め、多いときで4万5000人ぐらいだったそうです。

 この世の中には、日本を悪者にして、日本を困らせるためには、どんな手段も厭わないという日本人がいる。本当にわけのわからない話ですが、これは確かなようです。そして、世界各地で反日運動を煽っているのも、何割かは日本人自身なのかもしれません。

 実は、このインドネシアで有名だったT弁護士の名前を、それから3年後の平成11年に遠く離れた樺太(サハリン)の地で耳にし、驚いたことがあります。

 ユジノサハリンスクで、サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長と話していた際に、パク氏は「日本はもっと韓国への帰国支援をすべきだ」と言い出しました。

 実はサハリン残留韓国人は、日本が徴用で連れてきたというよりも、自分の意思で来た人の方が多いようですが、それはそれとして日本は村山内閣時代に、ソウルに27億円かけて永住帰国者のためのアパートを建てるなど、帰国支援を続けています。

 「韓国人は日韓併合前から、サハリンに移り住み始めていた。戦後は、労働力がほしかったソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」と現地の残留韓国人が教えてくれました。

 ところが、パク氏はこうした善意の支援についても「日韓基本条約で補償問題は解決済みというが、支援は日本政府が不十分だと認めているから行われているのだ」と受け止めていました。

 そして、さらなる補償を求める論拠として、パク氏の口から飛び出したのが、またしてもT弁護士の名前でした。

 「東京で、すばらしく大きな弁護士事務所を開いているT弁護士が、日本政府にもっと要求しなさいと教えてくれた。T弁護士のいうことだから、間違いないはずだ」

 なんという反日にかけるエネルギーでしょうか。そら恐ろしい思いがしました。インドネシアとサハリンで私が同じ名前を聞いたということは、このほかの国でもどうようの活動をしている可能性が高いということでしょう。敵は強大です。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/12174/#cmt




news archives : 「従軍慰安婦」問題(下)
■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。

JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html
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by thinkpod | 2006-02-04 03:55 | 政治経済