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2006年 09月 23日

〜靖国は英霊の同窓会の場〜

第40回
「心情」から語る靖国論(3)
〜靖国は英霊の同窓会の場〜

靖国神社は宗教を問わない


 靖国神社について考えるとき、そもそも靖国神社はどんな宗教なのか、という話が取りざたされる。

 一般的に日本には、仏教もあれば神道もある。神道には実は、道教が入っている。日本人はそれら全部を混合して、自分にとって都合のいいものだけをとっている。

 「八百万(やおよろず)の神」などと言ったり、外国から渡来したプリンシプル(原理原則)で割り切るようなものも取り入れたり、そしてもっとリアリズムで考えた常識的なものも取り入れて、それらを適宜使い分けている。そうした日本人の宗教心を踏まえて考える必要がある。

 江戸時代が終わり、明治政府が出来て、国家として軍隊を持つようになり、日本は外国とも戦うようになった。

 軍隊では、兵士同士が会話の中で「もしかしたら今夜は最後で、明日は死ぬかもしれないな」などと語り合って「おまえは仏教徒か」「いや、おれは神道だ」となると、「じゃ、死んだらもう会えないね」となる。

 仏教徒は、阿弥陀仏のところへ行ったり、極楽へ行ったりする。行いの悪かった人は、犬畜生に生まれ変わる。ところが神道の人は、極楽には行かない。どこに行くか分からない。

 とにかく兵士たちが「もう会えないね、寂しいね」と話しているのを聞いて、こんなことでは強い軍隊にならないと思い、明治政府は「東京招魂社」をつくった。これが靖国神社の始まりである。

 招魂社、つまり「魂を招く社(やしろ)」をつくって、死んで故郷へ帰って祭られた人でも、「例大祭」という春と秋の大祭のときには、また靖国神社へ戻って、みんなで集まって同窓会をやれと、明治政府は言ったのだ。

 神道でも仏教でもキリスト教でも何でもいいから、死んだら一度ここへ集まれば、天皇陛下もお参りして、ねぎらってくれる。それが招魂社で、やがて靖国神社になっていく。

 だから「靖国神社は仏教か、神道か」などと問題にする向きもあるが、実はどちらでもない。「死んだらあそこへ集まってから解散しよう」とか、「解散してから、でもときどきは集まろう」という、同窓会の場なのである。



神社とお寺ではお参りの意味が違う

 「神社にお参りするのと、お寺で仏様にお参りするのとは、まるで意味が違うんだよ」と、子どものころ、おじいさんが教えてくれた。

 神社に祭ってある神は恨みを残して死んだ人だから、そういう人は祟る。それが怖いから、「神よ、鎮まりましてくださいよ」とお参りする。神社へのお参りは、たたり封じというのが本来の姿である。

 お寺のほうは、みんな仏様になって極楽へ行った人なんだから、祟ったりはしない。幸せな人たちなんだから、「その幸せを我々に分けてください」とお参りしに行く。だからお寺にはご利益があって、神社にはご利益はないのだそうだ。神社には、要するにマイナスがあるから、それをなだめに行くらしい。

 靖国神社も、やはり特別祟りそうな人たちがいるから、しっかりお参りしないといけない。では、英霊たちの希望は何か。どういうふうにすれば鎮まるのか。

 まず、お国のために死んだのだから、国から認めてもらいたい。それが、命令した人、戦って死ねと命じた人の負うべきことである。

 となると、明治22年に大日本帝国憲法(明治憲法)が制定されるまでは天皇の責任といえる。しかし、明治憲法制定後、翌明治23年に第一回帝国議会が開かれてからは立憲君主制となり、責任は首相および大臣に移った。

 内閣は輔弼(ほひつ)の責任を負うことになっていて、天皇が自分の意見を言ったのは内閣が機能を失ったときの2回だけ。二・二六事件のときと、太平洋戦争をやめるときである。したがって、明治憲法以降は首相および大臣の責任だ。



昭和天皇の大御心に反した東條英機

 とはいえ、天皇も内閣の決定に全面的に同意していたわけではないようだ。まず、総理大臣の任命では、やはり好きになれない人は任命したくはない。気に入った人を任命して、「頼むぞ、米国と戦争するなよ」というような内容のことは言っている。

 しかし、「戦争することに決めました」と言われたときには、もう反対していない。ということは、天皇にしてみれば「A級戦犯の連中はわたしに迷惑をかけた」と思っているはずだ。正確には分からないけれど。

 「東條内閣が戦争を始めたが、わたしはその前の御前会議でやめておけと伝えた」と天皇は言いたかったはずだ。

 周知の通り、天皇は御前会議で「明治天皇御製」という歌を読んだ。「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん」。地球の上はみんな同胞だと思うこの世になぜ波風が立つのかと、明治天皇が詠んだ歌であった。

 昭和天皇はそれを、1941年(昭和16年)9月の御前会議で読んでいる。東條英機もそのときは興奮して、参謀本部や陸軍省の中を「大御心は平和であるぞ」と大きな声で言って歩いた。

 わたしがこの話を聞いた相手は陸軍参謀本部の、対ロシア課にいた人である。

 実は、この東條英機の話はいろいろな文献に出てくる。東條が、1週間くらいは、「平和、平和、平和、何とか米国とまとめろ」といって歩いていたというのだが。

 そこへ「ハル・ノート」が出た。これは太平洋戦争の直前の日米交渉において米国から日本に提出された交渉案だが、ネーミングは米国側の当事者だったコーデル・ハル国務長官(当時)の名前に由来する。

 これの試案を書いたのはハリー・ホワイト財務次官補(当時)とされていて、彼はのちにソ連の二重スパイであったことが発覚している。つまり、ソ連のスパイが米国の国務省の中にいて、日本が怒って米国に立ち向かうようなことを書いた。

 それで、米国のルーズベルト大統領(当時)は、「それもよかろう」ということで、日本を決起させて戦争に持ち込んだ。日本は見事にはまったわけだ。



ハル・ノートを読み解く国語力が足りなかった日本政府

 ハル・ノートについては、戦後、評論家の山本七平氏は、「もっとよく読めばよかったのに」と書いている。「文章を読む力があれば、何も絶望して戦争を始めることはなかったのに」と。

 山本七平氏のようなリテラシーのある人が読めば、ハル・ノートには逃げ道があった。

 例えば「中国から兵隊を全部引け」という記述があったが、それまでの交渉で、そんな話は出ていなかった。日本は米国に「石油と鉄を売ってくれ、そのためにはこのぐらいは譲る」というような交渉をしていたのに、いきなりハル・ノートが来て、中国から全面撤兵せよと書いてあった。

 それで日本は、米国は話をまとめる気がないと即断したが、山本七平氏は「いつまでに撤兵をせよと書いてないじゃないか」と言う。期日が書いていないことは、それ自体、書いていないのと同じだと言うのだ。

 「はいはい、約束します」と言えばいい。中国は広いから、奥地の方から少しずつ撤兵して、港に全部集まるまでには1年や2年はかかる。それでもよかったわけだ。

 もし東條英機に国語力があれば、ハル・ノートをもらっても絶望せずに、むしろ「よかった、これでまた1年ぐらい時間稼ぎができる」となっていた。大御心は平和なんだから、あわててやけっぱちの戦争をしなくてもよかったのだ。

 しかし、「日本にはもう石油がない」という政府の思い込みもあって、1941年(昭和16年)12月8日に日本は太平洋戦争を始めてしまった。その責任者は、当時の憲法によれば、首相と内閣である。

 だから、英霊の希望として、「東條英機以下の大臣は、我々が許さん」ということなら分かる気がする。ただし、A級戦犯という言い方はしない。それは東京裁判の命名である。

 ともあれ、これは中国や韓国に言われる問題ではない。日本国内における、国民一般の気持ちと、憲法や宗教法人法とのすり合わせができていない問題である。


現実主義に目覚めよ、日本!(第40回)[日下公人氏]/SAFETY JAPAN [コラム]/日経BP社
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/40/index.html
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by thinkpod | 2006-09-23 19:11
2006年 09月 10日

創氏改名

「創氏改名」発言、麻生・自民政調会長が陳謝

 自民党の麻生太郎政調会長は2日夕に記者会見し、東京大学の学園祭で講演した際に「創氏改名は朝鮮人が望んだ」との趣旨の発言をしたことについて「日韓関係の重要性が私の発言から齟齬(そご)をきたすのは誠に申し訳ない。韓国国民に対して率直におわび申し上げる」と陳謝した。6日に韓国の盧武鉉大統領の来日を控え、韓国メディアなどに反発が広がったことから、早期に事態の収拾を図ろうとしたものだ。

 発言の経緯について麻生氏は「学生にわかりやすく説明しようとして言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」と釈明。「朝鮮半島における過去の植民地支配に対する認識は、95年の村山首相談話、96年の橋本首相談話において『いかに多くの韓国の方々の心を傷つけたかは、想像に余りある』と述べている通りで、その認識はまったく変わらない」と説明した。

 ただ、発言そのものを撤回するかどうかについては「双方で色々な認識があり、学者等々で続いている話だ。その経過を見守らないと、きちんとした発言はできないということだと思う」と語るにとどめた。

 会見に先立ち、麻生氏はこうした考えを自民党の山崎拓幹事長に電話で伝え、山崎氏も「この回答でよろしいのではないか」と返答した。しかし、与党にも「創氏改名は深刻な日韓関係の中の歴史的な問題。大統領訪日直前のこの時期にどうされたのかな、という気は率直にする」(公明党・東順治国対委員長)などと疑問視する声も少なくない。野党各党も「いまだにこうした発言で日韓関係にマイナスの影響が出ることは残念」(民主党・岡田克也幹事長)、「事実と違い、重大な発言だ」(共産党・市田忠義書記局長)と一斉に反発した。

 また在日本大韓民国青年会中央本部は同日、自民党本部と麻生氏の事務所に対し、「韓日が新たな視点に立ち作り上げてきた友好関係を真っ向から否定する発言」として麻生氏の党役職の辞任と議員辞職、韓国政府と北朝鮮政府への謝罪を求める抗議文を提出した。

          ◇          ◇          ◇          ◇

 麻生太郎・自民党政調会長が31日に東京大学の学園祭で発言した「創氏改名」に関する内容の要旨は以下の通り。

 質問者: 中国や韓国と外交をするうえで、歴史問題をどうすればいいと思うか。

 麻生氏: 歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。たとえば朝鮮人の創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が出たことは一回もない。しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ。これを韓国でやりあったら灰皿が飛んできた。そのときに「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んでこい」と言ったら、おじいさんが現れて「あなたのおっしゃる通りです」と。ついでに「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、おたくらにそういう言葉はないのか、と言ってハングル文字が出てきた」と言ったら、もっとすごい騒ぎになった。その時もそのおじいさんが「よく勉強しておられる。あなたのおっしゃる通りです」と言って、その場は収まった。やっぱり、きちんと正しいことは歴史的事実として述べた方がいい。 (06/02 20:31)
http://www.asahi.com/politics/update/0602/009.html




創氏改名の正しい知識

創氏改名は、創氏=強制、改名=任意(本人の自由)です。
なぜなら、朝鮮には家族が共有する名前であるfamily nameが無かったからです。
金とか朴とかってのはfamily nameではなく、男系血族集団の名前であるclan name なんですね。だから、日本やアメリカと違って中国や朝鮮では夫婦で姓が異なります。

仮に、徳川家康さんを戸籍登録するとしましょう。
徳川さんは源氏なので、
clan name(氏族名) = 源 : family name(家族名) = 徳川 : given name(個人名) = 家康となります。
日本の戸籍制度で登録するのに使用するのは、家族名+個人名ですね。
ところが、朝鮮には家族名がありません。
それで、新たに家族名を作れというのが「創氏」です。
別に朴や金といった氏族名を廃止したわけではなく、氏族名に関しては国は関知しないから勝手にやってくれということですね。
強制なのはあくまでも「family name(家族名)を作れ」という点だけであって、どういう「family name(家族名)」にするかはあくまで当人の自由、当然のことながらそのfamily name(家族名)が金であろうが朴であろうがノープロブレム。
またfamily name(家族名)を考えるのがめんどくさく、役所に届出をせずほったらかしにしてあった場合は、それまでの世帯主の姓である金や朴がそのまま自動的に新しいfamily name(家族名)として戸籍登録されました。
これが、「創氏が強制だったのは明らか」の実際の内容です

現在では韓国にはfamily name(家族名)というものはありません。
だから、結婚しても夫婦はそれぞれ自分が所属している氏族集団の名称を
そのまま姓として名乗ります。夫が金さんで、奥さんが朴さんといったように。
これに対して、日本やアメリカの制度では結婚した夫婦は新たに一つの家族
を作った事になるので、その家族の名称を決め(たいていは旦那さんか嫁さん
のそれまでの姓をそのまま使います)、それ以降は夫婦はそれを姓として名乗る
わけです。
(もっとも、朝鮮にはそもそも姓すらない階層も多かったわけですが)

「創氏」が強制だったと言うのは、日本で言えば江戸から明治になって、それまで苗字を持たなかった階層の人たちもみな苗字を持つようになった、それを苗字強制と呼ぶようなものだと考えてください。

仮に田中さん一家があるとします。
そうすると、田中家の旦那さん奥さん、子供たちはみな「田中」が苗字ですね。
夫婦も同じ家族になるので、同じ苗字を名乗ります。
つまり、この場合、「田中」はこの家族全員が共有する、この家族固有の名称
= family name であることになります。
この場合の「田中」に相当するような、家族全員が共有する、その家族固有の
名前というものが、中国や朝鮮には無いんですよ。

http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?hibinomemo+475
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by thinkpod | 2006-09-10 15:57
2006年 09月 07日

「従軍慰安婦」問題(上)

 〜日韓友好に打ち込まれた楔〜
13,135部 H11.09.25
Japan On the Globe(106) 国際派日本人養成講座

■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か
らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

 女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の
前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい
る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月
に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]

 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿
泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり
は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を
終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]

 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手
記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート
を裏付けている。

 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと
靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。

 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像
をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母
の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]

 ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万
6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故
郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在
の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め
たことになる。[2,p301]

 「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery
(軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から
強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひた
すら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。し
かし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されてい
る。一体、どちらが真実に近いのか?

■2.慰安婦問題の経緯■

 まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。

1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮
人連行強制記録」の中で、昭和18年に軍の命令で「挺身隊」と
して、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたとい
う「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌
年にかけ、4回にわたり、報道。

2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場
に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一
人が名乗り出た、と報道。

3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍
関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」
と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談
で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。

4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘
言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例
が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ
た」と発表。

 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴
集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機と
して、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記
述されることになっていった。

 今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけ
の事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4
点を検証する。

■3.吉田清治の慰安婦狩り■

 まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」
では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写して
いる。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がお
びえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわ
って行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはい
っせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い
娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打
ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人
であった。

 当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開
業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営
業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合
法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。

 「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、
軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、
吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家
的犯罪となる。

■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

 吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だ
が、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査
し、以下のような記事を書いている。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対
して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オク
タン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15
人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はな
かった」と語った。

 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年か
の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は
日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨
している。

 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が
目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮し
たという。[1,p232]

 この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、
4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつり
と起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉
見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。

■5.名乗り出た慰安婦■

 次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11
日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝
鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日
中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍
人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人
が」名乗り出たと報じた。

 しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行
などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291]

 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ
ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検
番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父
に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊
の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

 当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。

 そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され
たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して
いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札
係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未
満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。

 さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ
た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍
僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安
婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給
食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では
なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安
婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ
ると読者に思い込ませるための造語である。

 金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人
となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ
り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結
婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内
容はよく知っていたはずである。

 金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と
して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏
造記事である。その後の訂正記事も出していない。

■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

 韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対
策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可
能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検
証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を
出版した。

 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、
9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4
人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし
たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された
とは述べていない。

 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰
安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。[2,p275]

■7.軍の関与とは■

 次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ
3)の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。

 発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業
婦等募集に関する件」であり、その中では、

 民間業者が慰安婦を募集する際、①軍部諒解の名儀を悪用、
②従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、③誘拐に類する
方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているの
で、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ
[2,p267]

と命じている。すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による
「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なの
である。

 この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 
募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、
さらに次のような解説を載せた。

従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多
発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を
設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八
割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主と
して朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万
とも二十万ともいわれる。

 これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「日本軍が組織的
に強制連行に関与した」と思い込むであろう。まことに巧妙なひ
っかけ記事である。

 この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日
前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内で
は抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮
沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪
を繰り返した。(続く)

■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面


JOG(106) 「従軍慰安婦」問題(上)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
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by thinkpod | 2006-09-07 17:10
2006年 09月 07日

「従軍慰安婦」問題(下)

   〜仕掛けられた情報戦争〜
13,284部 H11.10.02
Japan On the Globe(107) 国際派日本人養成講座

■1.強制を示す文書はなかった■

 宮沢首相は、盧泰愚大統領に調査を約束し、その結果が、4)
(前号)、翌平成5年8月4日の河野官房長官談話となった。政
府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して
集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこ
ともあった」と発表され、慰安婦強制連行があったことは、政府
の公式見解となった。

 この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦
への聞き込みを行った。前号冒頭に紹介した米軍の報告書も、こ
の文書調査で発見されたものだ。それでは、いかなる事実によっ
て「官憲等が直接に荷担した」と結論づけたのか?

 この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、平成9年1月
30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問
に対し、次のような答弁をしている。[3,p204]

 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしま
した。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の
今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限り
の文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すよ
うな記述は見出せませんでした。

 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるというこ
とで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、
そういうことでございます。

■2.総合的に判断した結果■

 資料はなかったが、「総合的に判断した結果」、強制性があっ
たという。この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だっ
た石原信雄氏は、次のように明らかにしている。

 強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連
れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしても
なかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六
名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是
非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得で
きる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。

 もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だっ
たら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠
を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。
元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていっ
たことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。
決断したのだから弁解はしない(櫻井よしこ「密約外交の代
償」「文塾春秋」平成9年4月)[3,p58]

 元慰安婦からの聞き取り調査は、非公開、かつ裏付けもとられ
ていないと明かされいるが、そうした調査の結果、「韓国側の強
い要請」のもとで「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を
認めた」ものなのである。

 聞き取りが終わったのが7月30日。そのわずか5日後の8月
4日、河野談話が発表された。同日、宮沢政権は総辞職をした。
まさに「飛ぶ鳥跡を濁して」の結論であった。

■3.日本の言論機関が、反日感情を焚きつけた■

 「強い要請」を行ったという韓国政府の態度について、石原氏
は国会議員との会合で次のように語っている。

 もう少し補足しますと、この問題の初期の段階では私は韓国
政府がこれをあおるということはなかったと。むしろこの問題
をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたんですけれど
も、日本側のいま申した人物がとにかくこの問題を掘り起こし
て大きくするという行動を現地へいってやりまして、そしてこ
れに呼応する形で国会で質問を行うと。連携プレーのようなこ
とがあって、韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけ
ないという、そういう状況があったことは事実です。[4,p314]

 この「いま申した人物」について、石原氏は「ある日本の弁護
士さん」として、名前は明かしていない。

 慰安婦問題は、日本の一部の人間が焚きつけた、という認識は、
韓国側の盧泰愚大統領の次の発言にも、見られる。

 日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反
日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。(文芸春
秋、H5.3 )[1,p302]

■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。

■5.慰安婦番組での仕掛け■

 ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出て
くるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、
日本語の字幕で

 戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私た
ちは無一文で置き去りにされたんです。

 と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、

 あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったん
です。私たちは無一文で置き去りにされたんです。

 と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦
争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。

■6.あなた方日本人の手で何とかしてください■

 この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたこ
とから、インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党によ
り、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したよ
うだ。

 スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を
明らかにした。

1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはな
い。
2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお
金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には
渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

 インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみ
は頓挫した。この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインド
ネシア閣僚から、次のように言われたという。

 今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我
々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部
ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関
係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。
あなた方日本人の手で何とかしてください。

■7.国内で急速に冷める関心■

 地道に調査を進める人々の努力により、奴隷狩りのような強制
連行の事実はないことが明らかになると、さすがに慰安婦問題を
糾弾する人々の間でも、強制性の定義を修正せざるを得なくなっ
てきた。たとえば、糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学
教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。

 その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択
の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がい
るはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだ
ように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何
らかの強制の結果なのだ。[6,p103]

 「強制性」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女
性たちも、貧困や失業など何らかの「強制の結果」であり、国家
が謝罪と補償をすべきだ、ということになってしまう。さすがに
このような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずもなく、
国内の慰安婦問題に関する関心は急速に冷めていった。

■8.国連での攻防■

 しかし国際社会では、事実の伝わりにくさを利用して、慰安婦
問題をスキャンダルに仕立てようとするアプローチが今も展開さ
れている。その最初は宮沢首相の訪韓直後の平成4年2月17日、
日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安
婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした事で
ある。

 平成8年3月にジュネーブで開かれた国連の人権委員会に提出
されたクマラスワミ女史の報告書は、家庭内暴力を主テーマにし
ているのに、その付属文書に「戦時の軍用性奴隷制問題に関する
報告書」と題して、半世紀以上前の日本の慰安婦問題を取り上げ
ている。

 戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員
(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。

 報告書は、やはり吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上
げている。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、

 仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を
言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉
を茹でて、食べさせろ」と命じた。

 などという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生
まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたという拉致された
というのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍
専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証
言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、
犯罪者の追及と処罰を勧告している。

 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作
成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマ
ラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フ
ィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。

 このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本
文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する
部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。
[1,p259]

■9.情報戦争から、いかに国益と国際友好関係を守るか■

 平成10年8月、今度は、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユ
ーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告
書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、
「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と「元慰安婦への
法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。

 慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。
しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政
府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。

 本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日
本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「日本政府はより明確
に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」とする決議を採択
した。この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」と
ならんで、「従軍慰安婦の強要」が含まれている。[7]

 カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「レイ
プ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。チャンの本につ
いては、本講座60号で紹介したように、中国政府の資金援助を
受けたシナ系米人の団体が支援している。

★ JOG(60) 南京事件の影に潜む中国の外交戦術

 南京事件と慰安婦問題は基本的に同じ構造をしている。チャン
の本は、日米関係に対する楔であり、慰安婦は日韓友好への楔と
して仕掛けられた。これらの問題について、米国や韓国の対応を
非難することは、友好関係を破壊しようとする狙いに乗ることに
なる。

 国家の安全を脅かすものは、テポドンや工作船のようなハード
の武力だけではない。一国の国際的地位を貶め、友好国との関係
に楔を打ち込むような情報戦争が、外国と国内勢力の結託により
次々と仕掛けられている。こうした攻撃から、いかにわが国の国
益と国際友好関係を守るか、ソフト面の自衛体制が不可欠となっ
ている。

■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 「従軍慰安婦」、吉見義明、岩波新書、H7.4
7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面

JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html
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by thinkpod | 2006-09-07 17:09
2006年 09月 04日

人物探訪: 広田弘毅 〜 黙して逝った「A級戦犯」

 広田の死刑宣告に、キーナン首席検事も、
「なんというバカげた判決か」と慨嘆した。

■1.「なんというバカげた判決か」■

 昭和23(1948)年11月12日、極東国際軍事裁判(東京裁
判)の法廷で、ウェッブ裁判長が各被告に対する刑の宣告を行っ
た。アルファベット順で広田弘毅は6番目に呼ばれた。憲兵に
連れられ、入廷して被告席に立つ。イヤホンをつけ、うすく目
を閉じて聞く。

「デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」 広田はイヤホンをは
ずし、いつものように記者席の隅の二人の娘に微笑を送って立
ち去った。法廷内は一瞬、異様な緊張に静まりかえったあと、
ざわめきだした。

 絞首刑の判決を受けた7人中、6人までが軍人で、文官は広
田のみだった。そして6人の軍人は判事団の票では7対4で死
刑判決を受けたが、広田は6対5のわずか一票差による死刑判
決だった。有罪の理由は、訴因第1(東アジア、太平洋、イン
ド洋等支配のための一貫せる共同謀議)、第27(対中国戦争
の実行)、第55(戦争犯罪および人道に対する罪の防止の怠
慢)であった。

 広田をすべての訴因において無罪としたオランダ代表の判事
は、「文官政府は軍部に対しほとんど無力であった」ことを認
め、その限られた枠の中で広田が十分な努力をしたと主張した。

 広田の死刑は、検事団にとってさえ意外であり、キーナン首
席検事は「なんというバカげた判決か。絞首刑は不当だ。どん
な重い刑罰を考えても、終身刑までではないか」と慨嘆した。

■2.新任外相の意外な健闘■

 昭和8(1933)年9月、広田は斉藤実首相に強く要請されて、
外務大臣に就任した。前年の五・一五事件で陸海軍士官などが
犬養首相以下を射殺し、またこの年3月には日本は国際連盟を
脱退するという内外多難な時期であった。

 福岡の石屋の息子として生まれた広田弘毅は、郷里の人々の
援助を受けながら、東京帝国大学を卒業し、外交官生活に入っ
た。その実直な人柄と仕事ぶりには定評があったが、オランダ
公使、ソ連大使を務めたあと、引退を希望し、待命休職の扱い
になって、湘南海岸に隠棲していた。広田は外相就任を辞退し
たが、斉藤首相の強い要請に腰を上げねばならなくなった。

 斉藤内閣では、国防や外交の重要国策について、首相、蔵相、
外相、陸相、海相だけで協議する五相会議が開かれていた。斉
藤首相、高橋是清蔵相とも70歳を越す長老であるのに対し、
陸相の荒木貞夫、海相の大角岑生(おおすみみねお)とも血気
盛んな軍人で、特に荒木は対外的には戦争の危機が迫り、国内
では国民生活の不安が高まっていると、口角泡をとばす勢いで
論じ立てた。

 その五相会議に、ほとんど無名の外相として広田がぽつねん
と出席した。しかし、広田は黙ってはいなかった。

 開戦の危機というが、いったいどこに戦争の危険性があ
るのか。軍部は最悪の場合のみを考えすぎる。むしろ問題
は、どうしたら、最悪の場合を来たせずにすむかに在る。
つまり、外交が先決であり、何より外交努力に力を傾注し
なくてはならない。

 こう言われると、陸海相とも反対のしようがない。じわじわ
と理を尽くして語る広田のペースに二人は押されていった。斉
藤首相と高橋蔵相は、新任外相の意外な健闘に目を細めた。

 荒木が外交問題を避けて、国内不安を口に出すと、広田はこ
れに対しても、追い打ちをかける。

 不安の根源は、満洲問題によって日本がひき起こした国
際的波瀾にある。従って、国民の不安を解消するには、各
国と親善関係を確立し、対外関係を静穏なものにすること
が肝要である。軍の望むような国防力強化は、各国に好戦
的印象を与え、マイナスでしかない。

■3.「私の在任中に戦争は断じてない」■

 広田は、諸外国との協調の実を上げるべく、積極的に動いた。
米国の駐日大使グルーは友人への手紙にこう書いている。

 この数ヶ月、広田は間断なく、また私の見るところでは
真摯に、中国、ソ連、英国、および合衆国と取引する友好
的な基礎を建設することに務めました。彼の打った手は、
新聞の反外国主義の調子が即座に穏やかになったことや、
日ソ間の諸懸案を一つ一つ解決しようという努力が再び取
り上げられたことに現れ、また広田が私との会談で、日米
関係を改善に導く何らかの可能的通路を見いだそうとする
熱心さを見せたことによって、強調されました。広田が本
心からの自由主義者で、小村(寿太郎)、加藤(高明)以
来の名外相だと考える人もいました。[1,p143]

 昭和10(1935)年1月の議会では、広田はこう断言した。

 日本としては今日、世界いずれの国とも最も緊密な関係
を保っていくべきで、一言にしていえば、万邦協和という
ような気持ちで、外交を進めるべきであると思う。
[1,p149]

 その国際情勢の認識が楽観的に過ぎないか、という質問に対
しては:

 私は日本の前途を楽観はしていない。むしろ楽観するこ
とはできない。・・・各国が巨大なる費用を使って、軍備
の拡張に努めている今日の現状では、日本が如何に平和の
方針をもって進むとしても、やはり根本において軍備の充
実は必要であると私は確信している。しかし、将来戦争の
恐れがあるかと申すに、少なくとも私が今日の信念をもっ
て申せば、私の在任中に戦争は断じてないことを確信して
いるものである。[1,149]

 広田は空想的平和主義者ではなかった。いざという場合に備
えて軍備の充実は図りつつも、地道な外交努力により極力、戦
争を避ける。それが外交官の使命だと考えていた。

■4.「これで両国は東亜の大道を手をとって歩けるのです」■

 広田の演説に敏感に反応したのが、中国の国民政府主席・蒋
介石であった。1週間も経たぬ間に、日本記者団と会見し、
「広田外相の演説に誠意を認め、十分にこれを了解する」と語っ
た。そして、日本の中国に対する優越態度と、中国における排
日感情が共に精算されるのが、親善の道であり、自身も反日運
動を押さえることに努力する、と述べた。この後、国民政府は、
全中国の新聞通信社に、排日的な言論活動を慎むよう、厳重な
命令を出した。

 日本の対中姿勢も、それまでの高圧的な態度から一変して、
融和的となった。満洲問題については、気長に解決を待つこと
として、その他の懸案についても、中国側に同情的な立場をとっ
て折衝するようになった。

 こうした協和外交を決定的な形で示したのは、昭和10年5
月、在中国の日本公使を大使に格上げしたことであった。大使
を置くということは、相手国を重要な国交関係にある大国とし
て遇することである。当時、英米独などの列強は、中国を軽視
して公使しか置いていなかったが、それを出し抜いて、日本が
いきなり大使昇格に踏み切ったのであった。

 この知らせを受けた王(*)兆銘・行政院長は興奮を隠し得な
い面持ちで、「これで両国は東亜の大道を手をとって歩けるの
です」と語り、直ちに中国も同様の措置を約束した。
(* 「さんずい」に「王」)

 各国は驚き慌てて、日本の後を追い、大使への昇格を行った。
中国としては、一気に外交上の地位が高まったので、国民政府
は広田外交を大いに徳とした。

■5.「この内閣は粛軍だけでいいんだ」■

 広田は、次の岡田啓介内閣でも外相に留任した。昭和11
(1936)年2月、二・二六事件で陸軍将兵が反乱を起こし、首相
官邸などを襲った。この混乱を立て直すべく重臣たちが後継首
相として選んだのが、広田であった。外相時代の協和外交の実
績、軍部に対する毅然たる態度、安定した政治姿勢などが高く
評価されたためである。

 広田は「自分は外交官として、一生を終わるつもりでいる」
と固持したが、元老・西園寺公の度重なる要請に恐懼して、引
き受ける他はない、と覚悟した。

 組閣の過程で、軍部から再三注文がついて、ついには政党出
身者は民政・政友両党から1名づつに限る、などとまで言われ
て、広田は「そこまで軍部に注文をつけられる筋合いはない」
と憤慨した。陸軍省に電話して、「軍部が組閣を阻止した」と
明日新聞に発表する、と伝えると、陸軍は大あわてで撤回した。

「この内閣は粛軍をやり、正邪のけじめをつける。この内閣は
それだけでいいんだ」と広田は決心していた。早速、首謀者の
迅速な軍事裁判を実施させ、将校15名が死刑に処せられた。
これまでにないきびしい処罰であった。また全軍の責任を負う
として、寺内陸相など若手3大将を除く全員を退役させ、合計
3千人に及ぶ大規模な人事異動を行った。

■6.「庶政一新」■

 粛軍が済むと、広田は「庶政一新」に取りかかった。青年将
校たちの決起は、政党政治の腐敗堕落、大衆生活の窮乏に端を
発していた。この根本の問題にメスを入れなければならない。

 そのために7大国策・14項目と呼ばれる重点課題を整理し
た。トップは「国防の充実」だが、それに続いて「教育の刷新
改善」「税制の整備」「国民生活の安定(災害防除対策、保険
施設の拡充、農漁村経済と中小商工業の振興)など、いかにも
地道な項目が続く。

 教育の刷新としては、義務教育年限を6年から8年に伸ばし、
産業振興のために発送電事業を国営にする。農村負債整理計画、
災害共済保険制度、母子保護法など、下積みの人々の生活安定
のための具体的な政策を次々と打ち出した。外交官としてスタ
ンドプレーではなく、ねばり強く各国との問題を調整し、地道
に友好を積み上げていく、という広田の姿勢が、そのまま現れ
ている。

「国防の充実」に関しては、陸海軍の個別要求を聞いていては
きりがないので、外務省も含めて、「国策の基準」を制定し、
軍備整備の目安とした。たとえば、「南方海洋・・・にわが民
族的経済発展を策し、努めて他国に対する刺激を避けつつ漸進
的平和的手段によりわが勢力の進出を図り、、、」と定めた。
南進論の海軍の顔を立てつつ、「漸進的平和的手段により」と
釘をさしている。

 まさかこの「国策の基準」が、東京裁判において「東アジア、
太平洋、インド洋等支配のための一貫せる共同謀議」の証拠と
されるとは、当時の日本人は誰一人として考えもしなかったろ
う。

■7.戦争への流れに抗して■

 昭和12(1937)年1月、第70議会が開催された。政友会の
浜田国松代議士が軍部を痛烈に批判する演説を行い、これを軍
人への侮辱と見た寺内陸相が、国会の解散をしなければ辞任す
る、と息巻いた。広田は国会を解散する理由はないとして、内
閣不統一を理由に総辞職した。

 後継首相は近衛文麿となったが、複雑な国際情勢に対応しう
るのは広田しかいない、というのが衆目の一致した所で、広田
はまた腰を上げざるを得なかった。首相から外相へとポストが
下がっても、国が必要とする以上は応ずべきだ、というのが広
田の姿勢だった。

 7月8日、北京郊外の廬構橋で日中両軍の衝突が起こった。
陸軍は内地の3個師団を派遣したいと提案したが、広田は事変
不拡大・現地解決の方針を強く主張し、閣議もこの線でまとまっ
た。同時に、中国大使にもこの線に沿って、現地解決を妨害し
ないよう要請した。

 11日の閣議では、「万一事態が悪化する場合に備えて、動
員準備の心組みをしておく」という案を杉山陸相が提案して、
長時間の議論の末、承認された。ところが、これを近衛首相は
「政府は本日の閣議において重大決定をなし、北支出兵に関し、
政府として執るべき所要の措置をなすことに決せり」と発表し
た。毅然とした対決の姿勢を示すだけのスタンド・プレーであ
る。あるいは、ソ連スパイ尾崎秀實に踊らされていたか。[a]

 そのほぼ同時刻、現地では停戦交渉が合意に達していたが、
近衛の強硬声明が流れると、国民政府軍は大挙して北上を開始
した。

 中国共産党の暗躍もあって、戦線は上海に飛び火し[b]、そ
の後も広田はあきらめずに和平への努力を続けたが、その甲斐
もなく、日本は事変の泥沼に引きずり込まれていったのである。

■8.「ただ、黙していったと伝えてください」■

 昭和20(1945)年12月、終戦の混乱が醒めやらぬうちに、
広田を含む59名の戦犯逮捕令が出された。それを聞いた時、
広田は無言で頷くだけだった。

 広田は学生の頃に世話になった玄洋社について、しつこく尋
問された。その関係団体である黒竜会をナチスのような陰謀団
体と見なし、広田をその黒幕と見なしたいようだった。「いろ
いろ他を調べてみたが、どうもこの大戦争を起こしたと見られ
る者がいない。あなたが黒幕になって、みんなを操っていたの
ではないか」とも聞かれた。

「この戦争で文官の誰かが殺されねばならぬとしたら、ぼくが
その役をになわねばなるまいね」と広田は他人事のように言っ
た。文官の責任第一と言えば近衛文麿だが、近衛は逮捕命令が
出た際に、服毒自殺を遂げている。

 広田は裁判では自分の弁護はいっさいしなかった。事情はと
もあれ、外交官として戦争を防止できなかった責任を痛感して
いた。「絞首刑」の判決を淡々と受け入れたのも、この気持ち
からだろう。

 昭和23(1948)年12月23日午前零時。処刑の前に、教誨
師・花山信勝が面談を行い「なにか、最後にご家族の方にお伝
えすることがございましょうか」と聞いた。広田は「身体も元
気です。ただ、黙していったと伝えてください」と答えた。

 今も広田弘毅の霊は靖国神社の緑陰で、黙して国の行く末を
見守っているだろう。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日
の「赤い東亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog263.html
b. JOG(446) スターリンと毛沢東が仕組んだ日中戦争
 スターリンはソ連防衛のために、毛沢東は政権奪取のために、
蒋介石と日本軍が戦うよう仕組んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog446.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
(まぐまぐ版では、httpのあとに「:」を補ってください)

1. 城山三郎『落日燃ゆ』★★★、新潮文庫、S61
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101133182/japanontheg01-22%22
2. 北川晃二『黙してゆかむ』★★★、講談社文庫、S62
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061840959/japanontheg01-22%22



Japan on the Globe−国際派日本人養成講座[まぐまぐ!]
http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/107628347.html
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by thinkpod | 2006-09-04 01:34
2006年 08月 31日

マッカラム・メモ

━━━━━━━━━━
「日本をおびき出せ!」
━━━━━━━━━━


            平井修一(投稿)

「日本をおびき出せ!」マッカラム・メモが語る真珠湾攻撃の真実

勉強不足で「マッカラム・メモ」の存在を知らなかった。ググったら英語
の以下のサイトがあったので、翻訳してみた。

http://www.whatreallyhappened.com/McCollum/

真実はこうだ!

政府があなたに学んで欲しくない歴史 「マッカラム・メモ」

1940〔昭和15〕年10月7日、米国海軍諜報部のアーサー・H・マッカラ
ム少佐(Lieutenant Commander Arthur McCollum)は、海軍提督のウ
ォルター・アンダーソン(Navy Captain Walter Anderson)と提督ダ
ドリー・ノックス(Navy Captain Dudley Knox)に、ひとつのメモを
提出した。アンダーソンとノックスは、ルーズベルト大統領が最も信頼
を寄せる軍事顧問の一員である。

マッカラム・メモは、日本に米国への攻撃を挑発するための8段階のプ
ランを詳述している。ルーズベルト大統領は1941年においてメモに記載
されている8つの推奨プランのすべてを実行した。

8番目の挑発のあとに日本は(米国を)攻撃した。国民は(政府から日本
の攻撃は)驚天動地、諜報の失策と聞かされていた。そしてアメリカは第
2次世界大戦へ参戦した。

このメモは、米国政府が日本の攻撃を引き出したかったことを証明して
おり、1994〔平成6〕年に機密扱いを解除された。真珠湾の真実が明ら
かにされるまで50年もかかった。我々は9・11の真実が明らかにな
るのにそれくらい待たなければならないのだろうか。

マッカラム・メモ

0p-16-F-2 ON1 7 October 1940

指揮官のための覚書

タイトル:太平洋における情勢予測と米国のとるべき行動

 1)米国は、現在ヨーロッパにおいてドイツ、イタリアと敵対的な関
係にあり、同様に東洋においては日本と敵対している。(東西で)敵対的
な陣営に挟まれたロシアは現在は中立的であるが、日・独・伊の枢軸国に
傾斜する可能性があり、ロシアの枢軸国に対する友好的な態度は、欧州
戦線における枢軸国の戦争遂行に有利に働く可能性がある。

独・伊は欧州において有利に戦争を展開しており、全欧州は彼らの軍事支
配下にあるか、ないしは卑屈な態度を強いられてきた。

大英帝国のみが実際的に戦争により、独・伊およびその衛星国の支配の拡
大に対抗している。

 2)米国は当初より欧州の衝突に対しては冷静なスタンスをとってき
た。それは、独・伊が、欧州の戦いの成り行きについて米国民の無関心が
続くように可能な限り努めるだろうという見方が根拠にある。

逆説的には、独・伊の軍事的な成功は、英国に対する米国の同情と物資の
支援を拡大することにつながってきた。現在まで米国政府は戦争を短期
化するためのあらゆる支援をするという政策を採っているが、情勢は緊
迫しており、ごく近い将来に英国を全面的に支援することになるだろう。

米国に、利害関係のない傍観者という役割を演じさせようという独・伊の
外交の失敗により、独・伊は欧州以外での米国の安全保障に脅威を与える
政策をとらざるを得なくなった。

枢軸国のグループによる中南米での革命の脅威や、極東における活動的
な日本の攻勢が顕著である。これらのことから米国は迷い、自国の安全
保障に脅威を覚え、それが結果的に純粋に防衛的な見地から、英国を守
るということになった。

この結果、独・伊は最近、米国に対抗するため日本と軍事同盟を結んだ。
この条約及び3国の指導者の言を信じれば、全体主義の3国は疑う余地
なく米国への戦争に合意したと思われ、米国をして英国への支援、ある
いは東洋における日本の狙いの阻止へ向かわせた。

さらに独・伊は、米国の英国支援は戦争を引き起こすから反対、あるいは
英国敗戦後にしろと決定する権利を持っていると主張している。

つまり、英国が敗れた後に、3国は米国を早期に攻撃するかどうかを決
めることになる。地理的に見ると、独・伊はいずれも日本に物資を支援す
る位置にはない。

一方で日本は英国支配地、さらにオーストラリア、インド、蘭領東イン
ドからのルートに脅威を与え、攻撃することに力を発揮できる。こうし
て欧州における枢軸国に対する英国の戦いを物理的に弱めるだろう。

この貢献と引き換えに日本はアジア全域でのフリーハンドを得て、アジ
アを獲得することが可能だと見ている。さらに独・伊が全力で米国の注意
をひきつければ、米国の対日攻勢を防げるということになる。

ここで再度、枢軸国・日本の、米軍を移動不能にするという外交のもう
ひとつの例を見ることになる。脅威と警告は米国の考えを困惑させ、迅
速な行動をとることを阻害してきた。

欧州における枢軸国あるいは極東における日本が望む最終目標は、両地
における米国による迅速かつ軍事的な行動であることはあまり強調され
てはならない。

 3)ヨーロッパ情勢分析のなかには、いま米国ができることはほとん
どないが、即座に英国を支援すべきだ、という結論に導くものがある。
我々は英国支援に派遣できるほど訓練をつんだ軍隊もないし、少なくと
も1年はかかるだろう。

現在は英国への物資の流入を増やそうと努めており、実践的なあらゆる
方法で英国防衛を支えており、この支援は疑いなく拡大していくだろう。

一方で独・伊は、英国が戦争を継続し、英国海軍が大西洋を支配している
限り、米国に対してできることはほとんどない。米国にとって危険があ
るとすれば、大英帝国が早々と敗退し、艦船が枢軸国に渡ることである。

万一にもそのようなことにならぬよう、英国との同盟、少なくとももう
ひとつの地域(太平洋)での英国に対する圧力の排除が必要になる。要約
すれば、英国艦船が大西洋で制海権を維持し、米国に対し友好的である
限り、大西洋における米国の安全に対する脅威は小さい。

 4)太平洋において、独・伊と同盟した日本は英国の安全保障にとり明
確な脅威である。英国が撤収すれば日・独・伊のパワーは米国に向けられ
る。バルカン半島、北アフリカ、スエズ運河に対する独・伊の力強い攻撃、
日本によるシンガポールへの脅威あるいは攻撃は、大英帝国に深刻な結
果をもたらすだろう。

日本を方向転換あるいは中立化させることができれば、スエズ運河攻撃
の成果は枢軸国にりそれほどのメリットはないだろう。そうした成功は、
インド洋から英国の海軍力を事実上排除しなければ得られないからだ。

そうして日本へのヨーロッパからの供給ルート、アジアから独・伊への資
源輸送ルートを開くことは、英米がヨーロッパ封鎖(を放置しなければ)、
おそらく日本にとっての効果は部分的だろう。

 5)第3の項目で指摘したが、欧州情勢を即座に回復させるために米
国ができることはほとんどないが、日本の攻撃的な活動を効果的に無力
化することはできる。英国への米国物資支援を減らすことなくできるこ
とだ。

 6)米国に敵対する日本の現状分析は以下のとおりである。
有利な点 不利な点

1:地理的な強調点  アジアでの戦争に日本列島から150万人が出
  て従事している。
2:集中的な強調点  国内経済、食糧供給は非常に厳しい。
3:経済統制      戦争のための資源、特に原油、鉄、綿が非 
 常に不足している。
4:苦労に慣れた国民 全体的に供給不足。欧州戦争の影響。
5:強い軍隊  基本的な供給は長距離の海上輸送に依存している。
6:技術力のある海軍は3分の2
  米国海軍の力を強めるためには軍需物資の製造・供給の自由な移動が
  不可欠
7:原材料の備蓄   主要都市と工業地帯は極端に空襲に弱い。
8:日本付近は4月まで気象条件により海からの作戦が難しい。
7)太平洋において米国は非常に強力な防衛位置にあり、現時点で海軍
と海軍航空隊は長距離の攻撃作戦能力を持っている。現時点での我が方
の有利な点は、すなわち、

A)フィリピン諸島は依然として米国が保有している。
B)蘭領インドには友好的かつ同盟関係にある政府が支配している。
C)英国は依然として香港とシンガポールを保有しており、両地とも我
  々に友好的である。
D)重要な支那軍は支那の戦場で日本と対峙している。
E)小さな海軍力で日本の南方支援ルートに重大な脅威を与えることが
  でき、既に実行している。
F)ある程度のオランダ海軍力も東洋にあり、米国と同盟すれば価値が
  ある。

 8)以上を考察すると、米国海軍による日本への迅速な攻撃により、
日本は独・伊の英国攻撃にいかなる支援も送ることができないこと、日本
自身も海軍がもっとも不利な時期での戦争を強いられることになり、経
済封鎖により国家の早急な崩壊を強いられることになる、との結論に至
る。

英国とオランダと調整に入ったら、早急に宣戦布告し、それが日本の早
急な崩壊に最も効果的だろう。独・伊が我々を効果的に攻撃する前に、太
平洋での我々の敵を殲滅することができる。

さらに日本殲滅は独・伊に対する英国の地位を強化することは確かであり、
我が方に友好的な国々の自信と支援を拡大することにもなるだろう。

 9)現時点での政治的な意見は、米国政府はこれ以上の苦心をしなく
ても対日宣戦布告ができる、というが、これは信じられない。

我々の役割に応じた精力的な行動により日本人をして彼らの態度を変え
させていくことはかろうじて可能だろう。ゆえに、以下の行動をとって
いくことを提言する。

A)英国と、太平洋における英国基地、とりわけシンガポールの使用に
つ いて協議せよ。

B)オランダと、蘭領インドの基地施設使用、物資獲得について協議せ
  よ。

C)蒋介石の支那政府にすべての可能な支援を与えよ。

D)ひとつの長距離重艦隊を東洋、フィリピン、あるいはシンガポール
  へ派遣せよ。

E)2つの潜水艦隊を東洋へ派遣せよ。

F)主力艦隊を太平洋ハワイ諸島に維持せよ。

G)オランダに、日本の不当な経済要求、とりわけ原油要求には拒否す
  るよう主張すべし。

H)米国は英国との連携のもと、対日貿易を完全にやめる。

 10)これらの手段により日本が明白な戦争行為へ導くことができれ
ば、それが重大であればあるほどよい。我々はすべての事態に対して、
戦争の脅威を受け止めるべく完璧に備えなければならない。

0p-16-F-2 ON1 7 October 1940
要約

1)米国は大西洋と太平洋において敵対的なパワー連合に直面している。

2)英国海軍は大西洋を制しており、この地域における米国に対する敵
  対行動を抑止している。

3)日本は敵対性が高まっており、英国のインド洋航行ルートを攻撃す
  ることにより日本〜地中海の海路を拓こうとしている。
 
4)欧州において英国の反抗が有効であり続ければ日本は進路を転換せ
  ざるを得ない。

5)太平洋における米国海軍は、日本を包囲し反復攻撃し、独・伊への支
援を無効にする能力がある。

6)日本に対して迅速かつ攻撃的な行動をとることで、早い機会に太平
洋における日本の脅威を除去することは米国の国益である。

7)米国が政治的攻勢に出られない間は、東洋に海軍力を増派し、オラ
ンダ、英国と謀って東南アジアにおける日本の侵攻を効果的に阻止すべ
きである。

ノックス提督のコメント

疑いもなく重要な関心事は、英国が敗退しないことである。英国は今、
手詰まり状態で、おそらく善戦はできない。我々がすべきは、少なくと
も手詰まりの状態を確かなものとすることである。

このために英国はさらなる駆逐艦と航空戦力を米国に求めるだろう。可
能性がある限りは、これ(軍事支援)をなすための能力を我々は削ぐべ
きではなく、東洋においては何事にも速攻すべきではない。

英国が安定し続ければ、日本は東洋において慎重になるだろう。こう考
えれば、大西洋における我々の英国支援は、東洋における英米の保護に
なる。

しかし、私はあなた(マッカラン)の段階的行動計画に同意する。両面
(大西洋と太平洋)で準備し、両面で十分強力であることが求められてい
る。

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「マッカラム・メモ」と日本
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               古澤 襄

ブッシュ米大統領の共和党政権から民主党に政権が移るとすれば、米国
のアジア政策がクリントン政権時代のように”中国重視政策”にスイッ
チ・バックするのだろうか。共和党政権が続く可能性もあるのだから、
今から心配しても始まらないというのが、大方の能天気な日本人の感覚
であろう。

出たとこ勝負が戦略的思考に欠ける日本人の感性だから、何となくうま
く立ち回るかもしれない。もっというならブッシュが退場して、ヒラリ
ー・クリントンでも登場すれば拍手喝采、ヨン様人気ならぬヒラリー人
気で日本中が沸き立つのかもしれぬ。

最近、平井修一氏の「マッカラム・メモ」翻訳で、その全容を知ること
ができた。「マッカラム・メモ」・・・昭和十五年十月七日に米海軍諜
報部のアーサー・H・マッカラム少佐が海軍提督のウォルター・アンダ
ーソンと提督ダドリー・ノックスに提出した戦略メモのことである。

アンダーソンとノックスは、ルーズベルト米大統領が最も信頼を寄せた
軍事顧問の一員。メモは機密扱いで私たちは知るよしもなかったが、平
成六年に五十年ぶりに機密扱いが解除されている。

あらためて読んでみるとルーズベルトは「マッカラム・メモ」のステッ
プ通りに政略を展開し、挑発された日本は無謀な日米戦争に突入した歴
史が明らかにされた。

このメモは読む人によって価値判断が違うのかもしれない。多くの日本
人はルーズベルトが仕掛けた罠に、日本がはまり真珠湾奇襲攻撃をかけ
たということであろう。

マスコミが取り上げるとしたら、この視点になる。オーソドックスなの
だが”ルーズベルトの罠”は、これまでも言われてきた。その補強材料
にはなるが、目新しいものではないともいえる。

私が注目したのは、同盟国である英国に対する分析と支援計画である。
この戦略思想は民主党大統領であろうと共和党大統領であろうが英国支
援で一貫している。米国は建国以来、自国の国益を最優先に考え、時に
はモンロー主義の様に孤立政策も厭わなかった。

第1次世界大戦でも第2次世界大戦でも米国は最初から参戦していない。
途中から参戦して、双方の交戦国が疲弊したのをよそにして戦後一人勝
ちの繁栄を手中にしている。悪くいえば”火事場泥棒”的な戦略思想を
とった。

私は、この戦略思想を!)多民族国家からくるコンセサスの遅れ!)英国に
対してはアングロサクソンの連帯感・・・と理解していた。だが「マッ
カラム・メモ」は、優勢なナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアに
対し英国が戦争を継続し、英国海軍が大西洋を支配している限り、米国
には影響は及ばない。

米国にとって危険があるとすれば、大英帝国が早々と敗退し、その艦船
が枢軸国に渡ることである・・・と言い切っている。

ヨーロッパが独伊枢軸国の支配下に置かれ、英国海軍の艦船がナチス・
ドイツの手に渡れば、大西洋は米国にとって安全な海ではなくなる。そ
れは米国の安全を危うくするから、米兵の犠牲を覚悟で参戦するという
選択になる。アングロサクソンの連帯感などという甘い思考など微塵も
ない。

ひるがえって今日的にいうと、太平洋をはさむ日本と米国の同盟関係に
ついて、米国は「マッカラム・メモ」的な思考をとっているのではない
か。

すでに日本海軍(海上自衛隊)は、アジアで最強の艦艇を保有している。
この艦艇が米国の仮想敵国に渡らないために、米兵の犠牲を覚悟のうえ
で日本防衛に当たるという脈絡になる。すべては米国の国益を守ること
が優先している。

これは共和党大統領であろと民主党大統領であろうと変わるまい。日本
と英国は超大国アメリカの戦略拠点になったというのが厳しい現実であ
る。アジアでいうなら韓国は戦略拠点ではなくなっている。

米ソ冷戦時代には朝鮮半島において共産主義の防波堤として韓国の存在
意義があった。冷戦崩壊後は米兵の犠牲を冒してまでも在韓米軍が駐留
する意義が薄れている。

その現実の中で日本がどう強かに生きるか、米国から押しつけられた日
本国憲法を逆手にとって、日米同盟を維持しながら、自立の道を歩む難
しい道が前途にある。米国の方が日本を必要としているという観点を持
つ時代にさしかかったのではなかろうか。
頂門の一針 | melma!
http://www.melma.com/backnumber_108241_3330893/
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by thinkpod | 2006-08-31 22:20
2006年 08月 15日

プライド

     「プライド 運命の瞬間」 主演・津川雅彦 
              迫真の東條英機 [1998年04月28日 夕刊]

 日本人の誇りを回復したい−。そんな思いを込めた一本の映画が完成した。
戦後日本の原点ともいうべき極東国際軍事裁判(東京裁判)を検証する「プラ
イド 運命の瞬間」(五月二十三日から全国東映系で公開)。社会派作品には
定評のある伊藤俊也監督がメガホンを取り、津川雅彦が圧倒的な存在感で東條
英機元首相の実像に迫る。結審から五十年目に当たる今年、大きな意義を持つ
作品になりそうだ。(田中宏子)

 東映京都撮影所最大の十一ステージ内に、東京裁判市ケ谷法廷を模した実物
大(約一千平方メートル)のセットが建てられていた。当時の写真や資料をも
とに、いすやヘッドホンまで忠実に再現してある。法廷シーンは全編の半分近
くを占めるが、中でも山場の撮影はピーンと張り詰めた空気が漂う。 戦勝国
の十一人で構成する判事グループ、キーナンを筆頭にした検事団、清瀬一郎や
ブレークニーらの弁護団、A級戦犯として判決を受ける東條ら被告たち、通
訳、MP…。総勢百五十人の俳優やエキストラが実在の人物にふんしてズラリと
並ぶ。
 初めから死を覚悟しながらも、日本の名誉だけは守ろうと、自衛のための戦
争であったことを主張し、勝者が敗者を一方的に裁く東京裁判のあり方を批判
した東條。一九四八年十一月十二日、ついに刑が宣告される。「Tojo Hideki
 sentence you to death by hanging」(東條英機、絞首刑に処す)。
取り乱すこともなく静かにうなずく彼は、ほほ笑んでいるようにも見える−。
 この重いシーンを、津川が入魂の演技で決める。八キロ減量、細かいしぐさ
まで入念に役作りしたという彼は、まるで東條が乗り移ったかのようだ。ライ
トが次々に消されていき、ステージ内は真っ暗になった。同時に伊藤監督のOK
が出ると、スタッフや俳優の間から大きな拍手が沸き起こった。クランクアッ
プでもないのに拍手が起こるのは珍しい。

               ×  ×  ×

 クライマックス・シーンを撮り終えた伊藤監督は「劇映画ではあるけど、何
ものをも付け加えていません。一切のニュースフィルムも使わず、すべて忠実
に再現しました」と胸を張る。一方、津川も満足そうな笑みを浮かべて熱っぽ
く語り出した。

 「僕はこれまで悪役を好んで演じてきた。今回は大変な極悪人ということ
で、役者みょうりに尽きると思いました。ところが、台本を読めば読むほど、
東條について調べれば調べるほど、彼のイメージは変わってしまった。葉隠の
精神というか、日本人的なたたずまいが好きにさえなった。そして、どうもわ
れわれはこれまでずっと操作されてきたような、イヤ〜な感じがしてきたんで
す」
 五十八歳の津川は、いわゆる戦後民主教育の第一期生だ。イヤ〜な感じの原
因は「その偏った民主教育のせい」だとし、「東條を百パーセント正当化する
つもりはないけど、一方的に一つの意見だけが出回るのは健康的じゃない」と
力を込める。
 「自らの死刑を淡々と受け止めるこのシーンで、僕は東條に昔の日本人の美
しさを感じた。あれから五十年がたって、多くの日本人はそういう精神土壌を
なくしてしまい、自分の国を愛そうともしない。西洋コンプレックスの裏返し
として、日の丸や君が代を疎んじている。この映画で日本人の誇りを取り戻し
たい。もっと大きく言えば、日本の文化を取り戻したいですね」

               ×  ×  ×

 小林正樹監督のドキュメンタリーをはじめ、東京裁判はこれまでにもさまざ
まな映画で取り上げられてきた。今年は東京裁判が結審し、東條ら七人のA級
戦犯が処刑されてから五十年という節目の年に当たる。そこでもう一度、この
裁判を見直そうと、「プライド 運命の瞬間」が企画された。
 東京映像制作と東映の提携作品で、製作費は十五億円。十一人の判事の中で
ただ一人、国際法に照らして日本の無罪を主張し続けたインドのパール判事、
インド独立運動の指導者チャンドラ・ボースにもスポットを当てる。東條夫人
のいしだあゆみ、清瀬弁護人の奥田暎二らが共演。キーナン首席検事のスコッ
ト・ウィルソン、ウェッブ裁判長のロニー・コックスもハリウッドから駆けつ
けた。

 「アメリカの戦後戦略に、東京裁判と新憲法があったと思うんです。日本人
は東京裁判で徹底的に断罪されて委縮してしまい、押しつけられた憲法を持っ
て今を生きている。そして、東京裁判と最もよく向き合い、最もよく闘ったの
が東條だったと思う。その亡霊を立ち上がらせて、くっきりと東條像を提出し
たのも、戦後の原点を正しく把握してほしかったから。外野からあれこれ言わ
れそうな作品ではあるけど、僕は右でも左でもありません」

 「誘拐報道」「花いちもんめ」など、骨太の作品を得意とする伊藤監督。妥
協を嫌う寡作の人で、劇映画のメガホンは九年ぶりとなる。だが「事実をもっ
て語らしめた」と言い切るあたり、手ごたえは十分と見た。



     【正論】ノンフィクション作家 上坂冬子 
           命で償った真実を知ろう [1998年05月18日 朝刊]

 ◆卓抜、公平な映画

 とりたてて親友というほどの人もなく、特定の活動や運動体には一切関与せ
ずに生きている私は、時として思いがけない情報不足にあわてることがある。
 東条英機元首相を主人公とする映画「プライド」がそれだ。すでに二年も前
から企画されていたというのに、私は最近までこういう映画が製作されたこと
すらしらずにいた。試写会にかけつけたのは、一刻も早く情報不足を補いたい
と思ったからである。
 それにしても、この時期に東条と東京裁判を映画化するとは、何と卓抜な発
想であろう。謝罪と補償がしきりに取り沙汰された戦後五十年の喧騒の中で上
映されていたとすれば、あるいは雑音の一つとして扱われたかもしれぬ。
 民主主義とはタブーのない社会であるはずだが、東条を論ずることはこれま
で一種のタブーであった。靖国神社が特に論議の対象とされるようになったの
も、東条はじめA級戦犯が祀られてからだという気がする。いわば極悪人扱い
されている人間を「プライド」というタイトルで白日のもとにさらすというの
だから、関心を持たずにはいられない。

 映画は、まず東条の演説からはじまっている。私はつくづく俳優という職業
に脱帽したのだが、演説の口調といい姿勢といい津川雅彦の演じる東条は、ま
さに生き写しであった。裁判の場面では奥田瑛二が見事に清瀬一郎弁護人にな
りきっている。大柄で甘いマスクの奥田に、小柄で渋い表情の清瀬が乗り移っ
たかのようであった。

 二時間四十分の大作を見おえて、まず言えることは、私の案じた点が杞憂に
終わったという思いである。東条をとりあげたというだけで製作会社東映の労
組から反発がおきたほどだから、この種のテーマの常として賛否両論が手ぐす
ねひいていたにちがいない。右寄りだ、いや左寄りだという論議に終始しかね
ないと案じたが、そういう低次元な論を封じ込める公平さで貫かれている。

 ◆見直そう、単純な図式を

 裁判の冒頭の場面で、アメリカの弁護人が、国際法では戦争による殺人は罪
にならない。それを原爆を投下した者たちが裁くとは!という意味の発言を
し、そのとき日本人の通訳が仕事の中断を命ぜられていた。つまり戦勝国が敗
戦国を裁くということ自体、裁判の名に値しない不公平な設定だというところ
から、映画ははじまっているのである。これはアメリカのインテリ層の間です
でに通説とされており、たとえば一九八六年から八年にかけてアメリカ各地で
上演された「横浜戦犯裁判」で、脚本家のコーニッシュは「敗戦国にだけ戦犯
が存在して、戦勝国に存在しないのはおかしい」という台詞をアメリカ兵の一
人にいわせていた。

 これまで日本人は東条=極悪人という単純な図式で切り捨ててきたが、半世
紀にわたってこの判断だけでよかったのか。映画の一場面として小学校の教室
で教師が東条の孫を指さして、
 「皆さん、東条クンのお祖父さんは泥棒よりもっと悪いことをした人です」
と伝える場面がある。指さされた少年が、無邪気に微笑んでいたのが涙をさ
そったが、これは実話に近いだろう。当時、東条家には非難の手紙が殺到し、
娘たちは身の安全のために一時、東条の姓を変えて過ごしていた。いまどきの
イジメどころではない。
 日本人のみならず、もちろんアメリカ人も東条を敵視しており、巣鴨プリズ
ンの教誨師としてよく知られている花山信勝師によると、プリズン内の歯科医
は東条の治療を終えたあと金歯にRPHと刻んだという。RPHとはリメンバー・パ
ール・ハーバーの略で、
 「遺品として残された入れ歯にその文字があるかどうか、あるとき勝子夫人
に電話で確かめたことがあります。夫人は、わざわざ見に行って『書いてあり
ます』と答えてくださいました」
 とのことだ。

 ◆戦後を論じる良き教材

 また花山師は、東条が獄中にあって常に兵の身を案じていたとも語ってい
た。巣鴨プリズンに拘置されている兵たちは様々な労働に従事させられたが、
東条は彼らの労働賃金を留守家族宛てに支払うようアメリカ側に申し入れをし
ていたのである。いくつもの事実を握っていた教誨師もすでにこの世になく、
絞首刑という野蛮な方法で日本人が謝罪を強いられて五十年が過ぎた。

 戦争が終わってからほぼ五年にわたって、国内外で千人を越える日本の指導
者や兵たちの命が奪われたことすら知らない世代が、いまでは社会の中堅と
なっている。また、敗戦のころすでに成人していた日本人たちも、当時はその
日の食糧を求めることに精一杯で、命をもって償いをさせられた人々の真実に
疎かった。その意味でこの映画が時宜を得て提示されたことを高く評価した
い。
 今後、日本の戦後処理に関する謝罪や補償を論じる場合は、理不尽な裁判に
よって命を奪われ謝罪を強いられた日本人がいたことを、誰しも念頭におくだ
ろう。
                        (かみさか ふゆこ)




   【イブニングマガジン】映画「プライド」
              論説委員 皿木喜久 [1998年05月08日 夕刊]


 Nさんという毎日新聞のOBから、東条英機の話をうかがったことがある。Nさ
んは戦前から政治記者をつとめた、戦後政治の生き字引のような方である。駆
け出しは今の政治部記者と同様、首相官邸での首相番、いわゆる番記者だった
が、そのときの首相が東条だった。大変気さくな首相で、Nさんたちともよく
話をしてくれた。
 やがてNさんにも赤紙が舞い込み、東京近郊の部隊に入隊した。そこから東
条首相に「お世話になりました」という手紙を書いた。もう生きて会えないか
もしれないと思ったからだ。さっそく東条から丁重な返礼がきた。軍隊での私
信は差出人を検閲された。上官はNさんへの手紙の差出人を見て驚いた。何し
ろ軍人にとっては雲の上の人の陸軍大将である。
 「貴様、東条閣下を知っておるのか!」
 「ハイ。親しくさせていただいていました」
 おかげで、外地の激戦地にいかなくてすんだのかもしれません、とNさんは
苦笑していた。要するに、常識あふれる普通の軍人であり官僚であり、また政
治家であったのだ。少しばかり秀才だったけれども。
 ただ、あまりに常識的な人物であっただけに、開戦時にも普通の判断しかで
きず、開戦を阻止できなかったのかもしれない。             
     

                     ◇

 東条英機は陸軍士官学校十七期卒業生、いわゆる陸士十七期である。彼の一
年上の陸士十六期に永田鉄山という軍人がいた。陸軍きっての秀才、国際派と
して知られた。陸軍内の同じ「統制派」に属していた一期下の東条も、永田が
いる間はほとんど目立たない存在だった。
 永田は軍事課長、軍務局長として国家総動員体制の確立を目指したが、いわ
ゆる「皇道派」の反発を買った。昭和十年八月、局長室で相沢三郎中佐に斬殺
される。これが相沢事件であり、その裁判が二・二六事件のひきがねのひとつ
となったとされる。

 永田の死後、東条は押し出されるように頭角を現し、陸軍次官、陸相などを
へて首相となる。だが、大秀才であった先輩の永田が生きていたら、果たして
どうだったのか。
 「東条が首相になるのだったら、その前に永田がなっていたのは間違いな
い」とする歴史家もいる。もし昭和十六年当時の首相が東条でなく永田だった
ら日本はどうなっていたのか。開戦はあったのか。当然、東条の運命も変わっ
ていたに違いない。むろん歴史にイフはありえないのだが、このケースだけ
は、どうしても考えてみたい気がするイフなのである。          
        

                     ◇

 戦争が終わった直後、東条の家の近くの店は「東条の家族には何も売りたく
ない」と日常品の販売さえ拒否したという。また、東条の孫は転校した小学校
ですべての教師から担任になるのを拒否されたという(『教科書が教えない歴
史2』)。 何とももの悲しく、情けなくなる話である。



   【イブニングマガジン】映画「プライド」 東条英機最後の闘い
               主演 津川雅彦 [1998年05月08日 夕刊]

 東条英機ら七人の「A級戦犯」に絞首刑の判決が下された「東京裁判」終結
から今年で五十年。その裁判の全容をリアルに再現した映画「プライド 運命
の瞬間(とき)」(東映系)がついに完成、二十三日から公開されます。日本
中の憎悪を一身に集め、死を覚悟しながら「最後の戦い」に挑む東条英機を演
じた津川雅彦さんをはじめ、東条の孫娘などゆかりの人々のインタビューを通
し、「五十年後の東京裁判」を特集します。(大川聡美)

 東条英機の役の依頼を受けたとき、あれほどイメージの悪い方ですから、彼
を演じるのは身震いするくらい魅力的だった。悪人をその人間的側面にスポッ
トを当てて、逆に観客に共感を覚えさせることは役者にとって大きな楽しみで
す。
 しかし、台本を読むうちに東条という男は東京裁判で、連合軍の不正に立ち
向かった「正義の人間」だと感じた。日本が何も主張しないから、誤りが正さ
れないままになってしまっている。「この裁判は不正なものだった」−この真
実で、一点突破だな、と。

 この作品が戦後五十年でなく、三年ずれて、東条が亡くなって五十年の今
年、発表されるのは非常に意義がある。キレたら刺す中学生、接待官僚、金融
腐敗…この三年間に、さまざまな社会問題が花火のように打ち上げられた。東
京裁判はこれらの問題を現出している元凶のひとつだと思う。なぜなら五十年
前、重大な敗戦体験を自らの手で貴重な経験として生かすことができず、日本
は無責任な敗戦処理をしてしまったから。それが東京裁判なんだ。

 頭を剃って、ヒゲとメガネをつけたら、自分でもびっくりするぐらい簡単に
東条さんに似たのはラッキーだった(笑い)。僕はオバケは苦手だけど、東条
さんは絶対化けて出てこないと思うよ。それくらいキチッと演じられた。
 キーナン検事とウェッブ裁判長を演じたスコットとロニーの腕前は光ってい
たね。「役者がよければ映画は文句なくおもしろくなる」というのが実証でき
た。彼らも所属しているアカデミーの外国映画部門に出品しろって、熱意を
もってすすめてくれた。これから邦画関係者たちが、キャスティングにもっと
神経を使ってくれるようになるとうれしいね。
 伊丹十三さんをなくしたショックや寂しさを、この映画にかけることによっ
てまぎらわすことができた。逆にパワーになった。彼を失った穴はとても大き
いけれど、この映画と伊藤俊也監督との出会いは、私の今後の人生のうえで、
貴重な体験となったね。                   

                      ◇

 つがわ・まさひこ 昭和15年京都生まれ。父は沢村国太郎、母は女優のマキ
ノ智子、母の父が“日本映画の父”牧野省三、妻は朝丘雪路、兄が長門裕之の
芸能人一家。31年「狂った果実」でデビュー。ブルーリボン賞など多数の映画
賞受賞。                  

                      ◇

 【映画ストーリー】 昭和20年にポツダム宣言を受諾し、連合国の占領下と
なった日本。元首相、東条英機は、戦犯容疑で逮捕される寸前、ピストル自殺
を図るが、未遂に終わる。命を取りとめた東条は、A級戦犯として、巣鴨プリ
ズンに収監される。
 死を覚悟する東条にとって、裁判は無意味なものに思えたが、独立国家の主
権すらも否定し、戦争の原因のすべてを敗戦国に負わせようとする連合国の意
図を知り、無罪を主張し、戦い抜く決心をする。 21年5月3日、東京裁判が開
廷した。11カ国で構成され、内部に対立の芽を内包する判事団、国家戦略を胸
に戦犯を追及する検事団、国際法に基づき懸命の論陣を張る弁護団、そして戦
前、戦中の歴史の舞台に登場した証人たち…。それぞれの思惑がぶつかり合
い、裁判は緊迫する。
 そして、ついに東条が証言台に立つときがきた。

 【主なキャスト】

  東条英機…津川雅彦
  キーナン首席検事…スコット・ウィルソン
  ウェッブ裁判長…ロニー・コックス
  立花泰男(ホテル客室主任)…大鶴義丹
  新谷明子(ホテル客室係)…戸田菜穂
  パール判事…スレッシュ・オビロイ
  チャンドラ・ボース(インド独立の指導者)…アンヌパム・ケール
  赤松貞雄(元首相秘書官)…前田吟
  重光葵(A級戦犯、元外相)…寺田農
  大川周明(A級戦犯、国家革新運動指導者)…石橋蓮司
  田中隆吉(元陸軍省兵務局長)…島木譲二
  溥儀(元満州国皇帝)…金士傑
  清瀬一郎(東条担当弁護人)…奥田瑛二
  東条かつ子(東条の妻)…いしだあゆみ


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by thinkpod | 2006-08-15 03:15
2006年 08月 15日

 朝日新聞紙面における映画「プライド」に関する記事

 掲載日:1998年01月27日 夕刊 

 ■違和感超え、東京裁判を映画化 「プライド 運命の瞬間」  

 第二次世界大戦の戦犯として絞首刑となった東條英機が主役の映画「プライ
ド 運命の瞬間」の撮影が進んでいる。東映の京都撮影所に極東国際軍事裁判
(東京裁判)の実物大のオープンセットを作り、「この裁判で最もよく戦った
日本人」として東條を描いていくという。監督・主演とも「戦後民主主義で
育ったこともあり、当初、違和感があった」と語る企画だ。

 伊藤俊也監督に企画が持ち込まれた当初、主人公は、戦犯の無罪を主張した
インドのパール判事だった。しかし「東京裁判を舞台にした日本映画なら、主
役は日本人でなければ」と考え、企画を練り直したという。

 「日記や裁判記録などを調べ直すうちに、少なくとも東京裁判に限って言え
ば、死刑になることを運命付けられた中で、最もよく戦ったのは東條だったと
思うようになった。東條は軍国主義を体現したイメージがどうしても強かった
が、それでも主役は彼以外にありえないと思った」 東條を演じるのは伊藤監
督と同世代の津川雅彦。役になりきるために髪の毛をそった。

 「見る人がいかに東條に感情移入できるかが肝心。役者として真に試されて
いる。五十八年の生涯で最も身震いのする、一番といっていいほどやりがいの
ある役」と意欲満々だ。

 三月中に撮影を終え、五月に全国公開を予定している。

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 掲載日:1998年04月10日 夕刊

 ■製作者側労組「シナリオ問題」と批判 東条英機描く映画「プライド」

 第二次大戦で日本の戦争責任を問われて絞首刑となった東条英機元首相が
主役の映画「プライド 運命の瞬間」(伊藤俊也監督)が、五月の全国公開を
前に、製作者側の労組から「シナリオに問題がありすぎる」と批判を浴びてい
る。

 「プライド」は総製作費十五億円。住宅販売の東日本ハウス(本社・盛岡
市)の創立三十周年記念事業として、同社の元役員が社長を務める東京映像制
作が八割以上を出資。残りは東映が負担した。津川雅彦さんが東条を演じてい
る。

 映画は昨年十二月から三月にかけて東映の京都撮影所などで撮影され、五月
二十三日から全国東映系で公開される予定。シナリオでは、南京事件について
東条が「国家の意志として無差別な虐殺を命じたことなどあろうはずもない」
などと発言している。

 こうした内容を、全東映労連が加入する映演総連の杉崎光俊委員長は「創造
の自由は認めるが、戦争に対する見方が偏り過ぎている。シナリオ通りの映画
ができあがるとしたら問題だ」と批判。「批判する会」を二十日午後六時四十
五分から、東京都文京区の文教区民センターで発足させる予定だ。 

 映画のプロデューサーである東映の佐藤雅夫取締役企画部長は「東京裁判の
記録を参考にしながら、東条が裁判でどう戦ったかを描いた。シナリオの言葉
が即、映画の主張というわけではない。映画を見てドラマを感じ取ってもらい
たい」と話している。

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 掲載日:1998年04月30日 朝刊 

 ■「映画『プライド』は戦争美化」 市民団体が公開抗議 /岩手

 第二次世界大戦後の東京裁判で戦争責任を問われ、絞首刑になった東条英
機元首相を描いた映画「プライド 運命の瞬間」(五月二十三日から全国東映
系で公開)に対し、県内の二つの市民団体が、「戦争を美化、侵略戦争を免
罪、歴史をわい曲している」と、公開に抗議する声明を発表した。映画は東日
本ハウス(本社・盛岡市)の創立三十周年記念作品で、市民団体は声明の賛同
者を募り、公開前に東映と東日本ハウスに公開中止を要望する。

 声明を発表したのは、いわて労連などで作る県革新懇(渥美健三代表)と、
教員や教員OBらで作る県歴史教育者協議会(宮手毅会長)。

 声明は「プライド」について、

 (1)東条が「大東亜戦争は自衛戦争」と主張して「日本の名誉」を守った
と称揚されている     
 (2)東条の言葉として南京大虐殺を否定している
 (3)日本の戦争をアジア解放の戦争のように印象づけている

——と指摘し、「歴史のわい曲、偽造にほかならない」としている。記者会見
で宮手会長は「戦争への反省、謝罪なしにプライドを持つとは、どういうこと
か」と述べた。

 これに対し、東映は「戦後日本の原点とも言うべき東京裁判を真摯(しん
し)に描いた人間ドラマ。作品の正否は観客の判断にゆだねたい」としてい
る。

 「プライド」は総製作費十五億円。東日本ハウス元役員が社長を務める東京
映像制作と東映が出資している。

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 掲載日:1998年05月11日 夕刊

 ■東条主役に東京裁判描く 映画「プライド 運命の瞬間」公開(見る)

 第二次世界大戦で日本の戦争責任を問われて死刑となった東条英機が主役
の映画「プライド 運命の瞬間」が完成した。二十三日から東映系で全国公開
される。南京虐殺事件を東条が否定する内容に東映の労組などが反発して集会
を開いたのをはじめ、上映前から波乱ぶくみの問題作だ。
                             (秋山亮太)

 映画は終戦後、東条が極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受け、執
行されるまでを描く。裁判での東条の証言や行動を丹念に追っているのが特徴
だ。

 今年一月、京都撮影所での撮影現場を見た。法廷のオープンセットは原寸大
で、リアルだった。髪の毛をそって東条役にのぞんだ津川雅彦が熱演してい
た。
 映画中盤で、検察側証人が日本軍の南京虐殺を証言する。バルコニーから見
た一件以外は伝聞証拠であることがわかる。その後の接見室で東条が弁護士に
かみつく。
 「国家の意志として無差別な虐殺を命じたことなどあろうはずもない」「見
境なく手当たり次第に殺しまくったなどと、だれが信じられよう」
 このくだりに、最も労組が反発した。

 全東映労連の高橋邦夫副執行委員長は「映画を作った意図があからさま過ぎ
る。これまでの歴史的経緯を無視して、戦争責任を免罪している」と非難す
る。

 これに対し、脚本を共同執筆した伊藤俊也監督は「私自身は、虐殺は『おそ
らくあったろうな』と思っています。ただ、映画は登場人物に語らせるしかな
い。虐殺が『まぼろし』とは思わないが、東条なら『信じられない』と言うは
ずです」と話す。

 作品の企画を東映に持ち込んだのは、住宅販売の東日本ハウス(本社・盛岡
市)。同社の中村功前会長は、教科書の従軍慰安婦の記述に疑問を投げかけて
いる「漁火会」の生みの親でもある。東日本ハウスの元役員が社長を務める東
京映像制作が製作費十五億円の八割以上を出資した。

 東京映像制作は当初、東京裁判で無罪を主張したインドのパール判事が主役
の映画を期待していた。南京事件には触れなくて構わないということになって
いた、という。
 そこを踏み越えたのは東映側だ。 伊藤監督は「ハリウッドがガンジーを主
役にすることはあっても、日本映画がパールを主役にすることは難しい。そこ
で資料を洗い直したら、東京裁判を最もよく闘ったのは東条ということがわ
かったんです」と力説する。
 東条を主役にしたために、南京事件に対する監督の認識に反してまでも、ド
ラマとしての必然を優先せざるをえないところに苦渋がにじむ。
 巨額な製作費だけでなく、東京映像制作は前売り券を九十万枚引き受けた。

 東映は昨年、「幸福の科学」が製作したアニメ映画「ヘルメス 愛は風の如
く」を配給した。映画業界に詳しい関係者によると、「幸福の科学」が約百万
枚の前売り券を引き受けた。今年の作品では、「蓮如物語」を製作した真宗大
谷派(東本願寺)が、やはり五十万枚前後の前売り券をさばいている。

 映画ジャーナリストの大高宏雄さんは、こう解説する。
 「企業が前売り券を大量に買うという手法はバブル経済の一九九〇年ごろが
ピークでした。その後の不況で企業が離れていったんですが、宗教団体や政治
的なバックグラウンドがある資金力のある団体がスポンサーとして残ったんで
す。その仕組みに最も乗っかっているのが東映です」 「プライド」はプロ
デューサーの当初の計画を大幅に超えて、二時間四十一分の長編になった。出
資者が主役に望んだパール判事の人物像やインド独立の場面にも多くのフィル
ムが費やされている。そのことがかえって、あえて東条を主役にした「野心
作」のドラマとしてのテンポを損なってしまっている。 

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 掲載日:1998年05月19日 朝刊

 ■海外からも批判の声続々 映画「プライド 運命の瞬間」

 第二次大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として死刑に
なった東条英機が主役の映画「プライド 運命の瞬間(とき)」の上映を前
に、国内外から批判が相次いでいる。東映の労組などは「映画『プライド』を
批判する会」を結成した。一方、映画を支援する団体もでき、論争を広げてい
る。

 「批判する会」が十八日開いた会見によると、全東映労連は昨年秋、脚本で
内容を知った。「戦争を肯定し、最高責任者の東条を美化する映画だ」と反発
して四月二十日、映画演劇労働組合総連合(映演総連)を中心に「批判する
会」を結成。今月十五日、東映に公開中止を申し入れた。
 「批判する会」の会見には、外国の報道機関が詰めかけた。

 中国外務省は九日、「東条賛美の内容に衝撃と憤りを覚える」と述べ、人民
日報は「戦犯美化は許さない。映画は日本の右傾思潮拡大の産物」と批判。米
国ロサンゼルス・タイムスも十二日付で「米国人の反日感情をあおる映画だ」
と論評している。
 韓国日報は四月二十二日付で「侵略戦争美化の映画」と紹介。朝鮮日報も五
月十三日付で「戦犯東条を英雄視し、映画で歴史をわい曲」と非難している。

 ○戦争を美化、史実と違う

 映画評論家で「映画『プライド』を批判する会」代表委員の山田和夫氏の話
あからさまな戦争美化の映画で、インド独立と太平洋戦争を強引に結びつけて
いる。「自衛戦争だった」という主張も説得力がない。一九四一年十二月八日
(真珠湾攻撃の日)にすべての戦争が始まったとすれば東条の「自衛戦争論」
も成り立ちうるが、日本はその前に、アジアに何百万人という軍隊を送ってい
る。南京虐殺についても、弁護側の反論だけが強調されている。個々の場面に
「事実」をちりばめながら、全体として史実とまったく違った映画になってい
る。

 ○闘った東条再評価した 伊藤俊也監督の話

 東京裁判は「日本を二度と対抗できない国にする」という米国の戦略から、
日本を断罪する目的の「継続された戦争」だったと思う。その裁判で、死刑が
予定されながら、最もよく闘った東条こそ、主役にふさわしい、と判断した。
 南京事件については、虐殺行為はやっぱりあったでしょう。だが、検察側証
人が数多くの殺人行為を証言した中で、目撃したのは一件だけだったという事
実もある。東条を、東京裁判という「戦争」を闘った男として再評価したが、
美化したとは思わない。  

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http://www2.nkansai.ne.jp/users/minoru2/yomoyama/ojisan/pride/asahi.html


Let's Blow! 毒吐き@てっく: 極東軍事裁判
http://tech.heteml.jp/2006/08/post_689.html
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by thinkpod | 2006-08-15 02:12
2006年 08月 13日

ユダヤ・フリーメーンンは明治新政府に確固たる人脈を構築した

 慕府は安政条約締結後、続々と留学生およぴ外交使節団を欧米に派遺した。
じつに、これらの初期留学生こそ、ユダヤ・フリーメーンンが日本民族のなかから選抜した最初の工作員である。
イギリス・フリーメーンンのグラバーは−討幕派の雄である長州の志士・伊藤俊輔(博文)志道聞(井上馨)を一八六二年(文久二年) ひそかにイギりスに送り出し、同地を視察させている。
グラバーにもっとも深く抱きかかえられたのは、あの坂本龍馬である。龍馬の海援隊は、グラパー戦略の別動隊のようなものではなかったか。さらに、特に注目しなけれはならない人物として、藤原一族につながる名門中の名門、西園寺公望(のちの公爵)があがろう。彼は若年にして明治早創のとき.新政府の命によりパリに留学、十一年の長きにわたり同地に滞在している。
 また、彼は岩倉具視の死後(明治十六年)、公家のトップに立って、明治末年には内閣首班となり、昭和十五年 の死去の年まで天皇直近の重臣、元老であり続けた。
この西園寺公望に、フリーメーソン色がきわめて濃い。
薩摩閥の元老松方正義(そ一族の娘がライシヤワと結婚している)にも、ユダヤとの関連が云々されている。
明治六年、洋行帰りの学者たち(西周ら)が設立した「明六社」は、日本の中心地に確立されたユダヤ・フリーメーンンの最初の傀儡機関とみてよいようだ。
なお、同じ明治六年、政府は欧米列強の強い要求に屈して、切支丹解禁に踏み切っている。ほか、フランス・フリーメーソンとフランス海軍の支持を得た幕府海軍の榎本武楊は、箱(函)
館で蝦夷共和国独立(これはフリーメーンンの傀儡となるほかないが)の旗を掲げるともに、切支丹禁制の高札を破棄させている。榎本も有力な親ユダヤ人脈の一人であることは疑いない。
王政復古と新政権登場の直後から、十数年にわたって続いためまぐるしい政局の転変は、ことごとくユダヤ・フリ−メーソンの仕掛けによる。つまりユダヤに同調しない国枠派、民族派、日本精神派、穣夷派を、入念な計画で罠にはめて陥れ、排除してゆく過程ではなかったか。
そして彼らが日本民族を操作する手品の種は、安政不平等条約であり、それを改正するためには、日本がより欧米化=国際化(ユダヤ化)することが必要だ、というエサを投げ与え、どこまでもユダヤ化し、ユダヤ的欧米白人の忠実な番犬となるようにおぴきよせる手口である。
こうしてつくられた明治新政府、なかでもフリーメーソンに誘導された五人組(岩倉具視、三条実美、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文)が、日本をどこに導びいてゆくのだろうか

 東アジアには世界の人口の約四分の一が住んでおり、数千牛の歴史をもつ農耕文明の伝統が蓄えられている。
ユダヤにとって、東アジアを完全に掌握することは、彼らの世界征服の最終目標となるだろう。
 しかし、人口わずか千数百万人にすぎないユダヤにとって、この目標はなかなか容易ではない。
そこで、彼らはまず、東アジア三国(日韓中)の離間、相互の反目と憎悪をかきたてる戦略をたてたはずである。
 このように仮定して一九世紀後半からの、百数十年の東アジアの歴史を振り返ってみると、目からうろこが落ちるように、すべてがよく見えてはこないか。
 我々東アジアの黄色人種は、見えざるユダヤ・フリーメーンンの謀略の綱にからめ取られ、鼻面を引きずり回され、互いに憎み合い、殺し合い、非難し合ってきた。我々はなんと愚かであったことか。
背後で糸を引いているのは国際ユダヤだ。ディヴァイド・アンド・ルール(分割して支配せよ)
これは、インド征服のためのイギリスの手口といわれるが、もともとのアングロサクソンに、それほどの悪賢い知恵があったわけではない。アングロサクソンの陰に隠れているユダヤの知恵だ。
インドは大きい。したがって、これをヒンドウとイスラムに分断し、両者をケンカさせるように仕向ける。さらに、ヒンドウをいくつもに分裂させる。言語集団とに分裂させる。ヒンドウのカーストごとに憎悪をかきたてる。
そして上流階級をフリ−メーンンに入会させ、イギリスに留学させてユダヤアングロサクソンの仲間にしてしまう。
この手口で、わずか数万人のイギリス人(の仮面をかぶったユダヤ)がインドを統治する機構をつくりあげる。ユダヤは、中国(清)にもこの手口を応用したのではないか。
満漢両族を分断する。チベットと漢族のケンカをけしかける。
麻薬で中国国民を麻痺させる。麻薬売買の巨利の一部で中国の官史商人を買収する。
やりたい放題の悪魔的謀略で、彼らはいつの間にか、上海をユダヤの金城湯池とした。
遺憾ながら、わが明治新政府(岩倉、大久保)は、このユダヤの謀略に乗せられ、中国(清)、韓国(李氏朝鮮)を見下し、蔑視する態度をとりはじめた。ユダヤの思うツポではなかったか。
 

 おう兆銘(しょう介石に次ぐ中国国民党の有力指導者、戦時中脱出して日本と協調)は、清朝末期に東京に留学、日本の明治維新に学び、特に勝海舟と西郷隆盛の人物に深く感動し、感銘を受けた、といわれている。
にもかかわらず彼は、その後の生涯でいくたぴも日本側から裏切られた、とされている。
このエピソードは、じつに多くのことを物語っている。
西郷隆盛は征韓論政変(明治六年)で失脚したというのが、西南の役以後に大久保利通政権によって流布され、日本国民のなかに定着した歴史である。つまり西郷は、征韓=韓国の征討を主張し、大久保は内治重視、征韓反対を唱えたとするのである。
しかし、この説は歴史の歪曲、歴史の偽造もいいところだ。
大久保と西郷の対立は立ったく別の次元のものである。この幼ななじみであり、幕末・維新をともに戦い抜いてきた二人の指導者は、このとき、日本民族の進路をどこに向けるか、についての、抜き差しならない相克関係に入り込んだ。
大久保には、ユダヤ・フリーメーソンのヒモがついており、日本は欧米の番犬となってアジアを叩くしか道かない、さもなければインドのように日本も欧米に食われてしまう、と腹を決めていた。
                    
 これ以外に日本の進む道はない、と彼は確信していた。「穣夷」の旗じるしは、破れ草履のように捨てるのだ。
しかし西郷は、死んでもそんな道はとることができなかった。
彼は東アジアの三国日中韓)は、欧米列強の侵略に対して生きるも死ぬも一緒、死なばもろともの運命共同体でありたい、と固く念じていたのではないか。
だから、韓同へ李氏朝鮮)が欧米に対する開国を忌避し、日本の新政府との通交をも拒否したとき、決死の覚悟でこの道理をもって、韓国を説こうと欲したのである。
つまり、ことは対韓外交問題ではない。ユダヤ(欧米)の奴隷になるか、死を賭してこれと戦い続けるか、という根幹に触れる問題が、大久保と西郷の二人に表現されていたのだ。
一方、勝海舟は徳川幕府が瓦解するや、その慕引き役をつとめたあと、表舞台には立たなかったが、心情的には、彼の位置は西郷を理解し、西郷の側にあったのではなかろうか。
明治天皇においても、西南の役以降も深く西郷の意とするところを評価していたようだ。
西郷はユダヤの謀略を知らなかったが、いわば一種の悪感をもってそれを見抜いていたのではなかろうか。

明治新政府に突きっけられた″切支丹解禁″の実際

明治四年の使節団(岩倉具視、大久保利通ら〉が、安政不平等条約改止を議するために欧米諸国と交渉するや、日本側の案に相違して、改正は問題外と一蹴されたのみならず、列強から強硬に切支丹解禁を要求された。
新政府はこれを容れて、やむをえず明治六年、キリスト教(最初はプロテスタント、のちにカトりックも)を解禁した。
欧米列強の要求は、「信仰、宗教の自由」である。

「尊皇嬢夷」の大義はいまや、ゴミ箱に投げ捨てられる運命となった。欧米渡来のキリスト宣教師は、大手を振って布教と、日本人信者の獲得をはじめる。
しかし、このとき・日本に流れ込んだキリスト教は、すでに十二分にユダヤ化していたことを日本人は誰一人知らなかった。
 いや、その前に、日本民族はあの切支丹が戦国末期から徳川初期にかけて、ユダヤの仕掛けた策略で真二つに割れ、血で血を洗う惨たんたる宗教戦争が行なわれたことについて、何ひとつ情
報をもっていなかった。
 まして、二分された切丹升の新派プロテスタントは、出発点からユダヤに浸透され、年とともにユダヤ色が濃くなり、一九世紀にはほば完全にユダヤの道具、外郭団体の一つになり果てていた、などという事実を知るものは、日本には存存しなかったのだ。
 フロテスタント・キリスト教は、外見はイエスをたてつつ、内実はイエスの教えを抹殺して、信者をユダヤ教(タルムード教、カバラ教、パリサイ教)に回収・改宗させる″トンネル会社となつていたのだった。そして事実上、全世界のプロテスタント教会の指導機関は、そっくりフリーメーソンに乗っ取られていたのだった。
 プロテスタント教会というかたちで、日本列島にはじめてユダヤ教(タルムート教、悪魔の権化教)が上陸してしまった。しかも、そのことを当時の日本人は、何ひとつ知らなかった。したがっ
て、ユダヤ教に対して無防備、無警戒であり、免疫もなかった。
 そもそも、この明治新政府は、幕末の尊皇穣夷・王政復古の幾多の志士たちの捨て身の犠牲・献身によってのみ樹立されたのではなかったか。
 このころ伊勢神宮の神官たちは、日本全国民がアマテラスオホミカミ(天照大神)の神名を奉唱する運動を起こそうとして大いに意気込んでいた。しかし、すでにユダヤ欧米のヒモつきとなってしまった大久保以下の新政府首脳は、神道復興と神道国教化の政策を捨てた。
 これはつまり、ユダヤ教の攻撃の前に、わが日本民族を精神的に武装解除したことを意味するのではなかろうか。

 安政条約に基づいて、欧米列強は江戸直近の戦略的要地・横浜港とその一帯を、治外法権地域として日本から強奪した。
イギリスはそこに一個連隊の軍を派遣した。フランスも同様に、イギリスよりやや規模が小きいものの軍隊を出した。この英仏駐留軍は、日本列島周辺の制海権を米英仏露らの列強が押さえている状況のもとでは、いつ何時でも日本占領軍に変わりうる。
幕末の日本の地位は、薄氷を踏むような危うさであった。
横浜に、そして長崎に早々とフり−メーンンのロッジ(支部)が設立された。当時の日本人は、坂本龍馬などごくひと握りの関係者以外、誰も知らなかったことだが、在日欧米列強の官民の動きのすべてが、このフリ−メーンンによって指導されていたのだ。
消息通によれは、グラバーは幕末の動乱時に坂本龍馬、伊藤博文、井上馨、五代友厚、森有礼、寺島宗則ら(いずれも明治新体制の有力な人材だ)と特に親交が深かったといわれる。
フランス・フリーメーンンの系列では、福沢諭吉の名があげられている。坂本竜馬は、グラバーとほとんど一体とみられるが、その後が維新政権の船出の直前に暗殺されたのは不思議な事件だ。
 下手人は幕府方新選組の手の者という説が一般的だが、岩倉具視が龍馬暗殺の主役、という説もある。あるいは、龍馬がフリーメーソンの内幕を知りすぎたために、メーンンの謀略で消され
たのかもしれない。
西周、津田真道(ともに幕府によってオランダ留学を命ぜられた明治期の学界の立役者)が、留学先で日本人最初のフリーメーソン(イギリス系メーソンか)会員となったことは公表されている。
この両者が軸となり、フランス系メーソン人脈の福沢諭吉と組んで誕生した明」ハ社が、フり−メーンンの出先機関とならなければピうかしている。
岩倉と大久保利通については、欧米団覧旅行中にフリ−メーソンの系列下に組み込まれたのではなかろうか。
         
 切り捨てられた尊皇複夷派の反撃は、熊本神風達(ちなみに、三島由紀夫はそれを強く支持した)となり、西南の役で爆発したのみならず、岩倉も命を狙われ、大久保は実際に暗殺された(明治十一年)。明治新政権は薩長閥と総称されるが、これは著しく不正確だ。なぜなら、訂幕維新の主力・長州閥も薩摩閥も、穣夷を貫くか欧米の番人となるかの岐路にたって真二つに分裂し、流血の内乱を経ているからである。維新主体の下級武上集団自体も分裂し、ユダヤに魂を売った勢力が権力を握った、とみなければならない。

 日清・日露両戦争は、かつての「大日本帝国」時代の日本人の自慢の種であり続けたか、残念ながら、真相はおめでたい日本人の考えていたようなものではない。
それほ、フリーメーソンが日本に公的認可を与えた戦争であったようだ。このときの日本に割り当てられた役目は、ユダヤ・フリーメーソンの東アジアにおける番犬として働くことである。
なるほど、たしかに日清戦争の勝利のあと、日本に学びたいという中国(清)の青年が何万人も日本の大学・各種学校に押し寄せたことは事実だ。
また、日本海海戦で日本海軍がロシアの大艦隊を撃滅したという報道が、インドをはじめ白人に支配されていた全世界の有色人種を勇気づけたというのも間違いではない。
ところで、日清・日露の両戦争の中間に、いわゆる義和団事件が起きている。
没落寸前の清朝末期の北京に、中国を植民地化する欧米列強を排撃する義和団が反乱に立ちあがり、これを鎮圧するために欧米列強は北京に出兵した。日本も欧米に要求されて軍を出している。この構図がすべてを物語っている。
ユダヤ欧米は、中国をズタズタに寸断し、米英仏独露の五列強で分割するつもりであった(ついで韓半島侵略も、もちろん彼らの計画に入っていた)。彼らは日本に、そのための露払いをさせただけなのだ。
  
 勝海舟は日清戦争に反村であったらしい。日清は協力して西洋に当たるべきであった、というのだ。
 けれども、すでに満州と韓半島にはロシアが入り込み、清国にも李氏朝鮮にもロシアの軍事圧力を押し返す力はなかった。
そのまま放置すれば、満州と韓半島はロシア領となり、楊子江以南はイギリスが押さえ、北京・黄河一帯は米英仏独列強が管理する、というような結果とならぎるをえなかった。
日本が手をこまねいていれぱ、安政条約改正どころか、逆に列強による日本分割に進むであろうし、一歩出て韓半島、満州で戦えばユダヤは日清韓の反日を煽り立てるだろう。
一九世紀末の日本は、進むも退くもをらず、前途は暗黒に閉ぎされていた、といわぎるをえない。こんな状況下の日本に、ユダヤは 「日英同盟 のエサを投げ与えたのである。
腹をすかした日本はこのエサに喰いつかぎるをえない。当時のイギリスの新聞には、この日英同盟を諷刺する漫画(ヴィクトリア女王が犬の姿をした日本にエサを与えている)が出たそうだ。まさにこれは図星だ。

西国寺公望にみるフリーメーンンの宮中侵入

 西園寺公望は維新と王政復古のとき、二十歳になるかならないかの若年の公脚であるが、岩倉具視にその人物を見込まれ、官軍東進の際に北陸征討軍の大将に任じられている。
新政府ができるや、早々にパリに留学し、十一年問パリに滞在している。そして帰同後は、オーストリア公使、ドイツ公使、フランス公使をつとめ、伊藤博文の憲法調査」団の一員にも加えられている。この経歴をみて注意しなければならないことは、維新政府の分裂(西郷、大久保の村立)政争の時期に、パリにいてこの抗争とまったく関与せず、それをパリから眺めていた、という事情であ
ろう。つまり、この人物は当時の日本人としては例外的に、西洋の色にどっぷりと染められていたのである。
  
 事実、西園寺公一氏(公望の篠にあたる)の証言によれば、公望の邸宅には神棚も仏壇もなかったというから、これはもう当時としてはあまりに度を過ぎたハイカラぶりで、まるで日本人とは
思えないくらいだ。
西園寺公望が内閣を組織した明治三十九年から大正元年(一九〇六〜一二)にかけて(中間に桂太郎内閣が入るが)、日本の国家の中枢に異変が生じたのではなかろうか。つまり、明治末年にフリ−メーンン人脈が、日本の国家の枢機を奪取してしまったのではなかろうか。明治憲法制定とともに、天皇側近の顧問団として、枢密院が設置された。
西園寺公望は明治三十三年から三十六年まで、枢密院議長もつとめている。     
西園寺公望が国家の頂点をきわめたこのころから、日本の国家機密はユダヤ・フリーメーンン につつ抜けとなり、日本の・国策はユダヤの思うがままに操作されるていたらくとなったのではな
かろうか。そしてその結果として、日本の伝統を一掃する目的をもった、あの大正デモクラシーの狂乱が開幕したのではなかろうか。
しかも不運にも、明治天皇の皇太子は幼少のころよりはなはだしく病弱であり、このことについて、宮中も日本の政府指導層も深く憂慮した。唯一の望みは、皇太孫であった。
この皇太孫の教育方針をどうするか? これこそ、宮中浸透を企図するユダヤ勢力にとって中心テーマでなければならない。
そして、明治天皇の意思に反して、西園寺公望は、皇太孫を親英的に(イギリス王室を模範として)教育するように導いたのではなかろうか。イギリス王室がクロムウェル以来、とことんまでユダヤ化され、フリーメーンン化されていることは自明のことだ。
       
 皇太孫の教育を命じられていた学習院長(当時)乃木希典大将の殉死は、何を意味していたのだろうか。
明治三十八年(一九〇五)、純粋で馬鹿正直、お人よしで浅慮な日本国民(そして大衆に迎合する新聞社は、日露戦争大勝利と、浮かれに浮かれ、舞い上かった。
しかし、ユダヤは戦争が終結するや、即刻、南満州鉄道をユダヤ国際金融資本の手に収めるべく行動を開始した。つまり、「佼兎死して走狗にらる」ということわぎを絵に描いたような展開だ。
これがユダヤの冷酷な意志だったのだ。
小村寿太郎外務大臣は、この介入を断然はねつけた。しかも小村はさらに、フリーメーソンの日本での活動に厳重な制限を加え、日本人がこの結社に参加することを禁止する措置をとった。
 小村外交は、「魂の外交」とも呼ばれる。小村には、明らかに西郷隆盛の血か流れていたようだ。
ユダヤからすれば、この小村外交はユダヤ・フリ−メーソンに対する宣戦布告以外のなにものでもない。この小村外交は陸海軍の大部分と、軍出身の元老級政治家(桂太郎、山懸有朋ら)の一部に支持された。

 したがって、この時点から日本の国家中枢部で、親ユダヤ・フリーメーソンと国粋派の激烈な路線闘争が噴出せぎるをえなかったであろう。
そして焦点は、「満州問題」に設定された。なぜなら、欧米列強は、日本が日露戦争に勝利した以上、日本の朝鮮併合は容認せぎるをえなかったので、ひとまず満州から日本を追放し、欧米白人列強の手に奪還することに目標を定めたからである。
さらにユダヤは、日本民族の内部の攪乱に乗り出した。
                                                           
 すなわち、上流貴族階級のなかにユダヤの手先を育成した。この謀略に踊ったのが、白樺派(武者小路実篤、志賀直哉ら)であろう。        
 中流知識層には「大正教養主義」が注入され、日本の伝統文化を蔑視する、欧米のユダヤ化された文化に中毒したインテリ学生が大量に生み出された。
下層の労働者農民階級には、ユダヤ得意の賎民デモクラシーと、ユダヤ共産主義のイデオロギーが与えられた。
反戦平和が大義名分として掲げられ、国民と軍を離反させるユダヤの謀略が仕掛けられた。
朝鮮と中国のなかに植えつけられた欧米列強ヒモつきのユダヤ・フリーメーンンは、キリスト教や共産主義などのかたちをとりながら、反日・排日・憎日の煽動に着手した。
戊申詔書(明治四十一年)には、明治天皇と日本の国家の一部国粋派指導者の、こうした状況にしかし漠然寸とした不安が表現されているといってよい。

民族を震撼させたロシア革命とドイツ帝政の崩壊

 日本は第一次世界大戦を「日英同盟」の枠、つまり、ドイツを敵国としたわけだ。       
そしてその間、未曾有の戦時景気でうるおい、軍需成金が輩出したのみでなく、日本独白の重工業システムが芽を出すきっかけともなった。
これもひとえに「日英同盟」のおかげ、というアングロサクソン礼賛論が世論の主流となったのも不思議ではない。
けれども、ロシア帝政の崩壊と共産政権の登場、ドイツ帝政〈オーストリアのハプスブルク朝も)の崩壊という思いもかけないかたちの結末を突きつけられてみると、日本民族は震撼した。
この事態を真剣に考慮する者は、なにがなにやら、五里霧中にならざるをえない。
明治維新と明治憲法で設定された日本の国体、政体が根幹からゆすぶられ、否定されるようにしかみえないのだ。
国論は四分五裂せぎるをえない。国家指導層も軍も政界も民間も、ことごとく分裂、分化、相克する。

 日本丸は、あてどなく漂流しはじめたのである。
大正六〜十年)は、日本が繁栄と希望と幸運の絶頂から、突如として不安 と暗黒のドン底に突き落とされるような、激変の時点であったろう。
しかも、大正天皇の病状が悪化する。日本国家の中枢部は、深い憂いに包まれたことであろう。
このとき、出るべくして、『シオン長老の議定書(プロトコール)』の最初の日本語版が公刊された(大正九年)。
日本民族の先覚者は、ついに、国際ユダヤの謀略という、長い間、日本民族から隠されていた秘密解明の糸口にたどりついたのだ。 伊藤博文はドイツ帝政を日本の国家設計のモデルとした。このモデルが消失してしまった。
英米にくっついてゆこうとしたのに、夢想だにしなかったアメリカの排日、反日、日本敵視の政策が出現した。米英に煽動された中国の反日運動が激化した。
ソ連共産政権は、コミンテルン日本支部=日本共産党を組織して、日本赤化を呼号しはじめた。
気がついてみると、周り中が敵となり、しかも敵は日本国内に無数の手先=工作員=売国奴を育成している。
憲法がとたんに機能しなくなったのだ。
しかも、ユダヤは軍の中枢部に魔の手を伸ばしていた。     
しかもこの当時の陸海軍のトップ山梨半造陸軍大将、山本権兵衛海軍大将は、フリーメーソンのメンバーとみなされてさえいる。
ユダヤが日本崩壊、乗っ取りは近いと予期したとしても不思議ではない。


ゴルゴ14 田中角栄を殺したのは誰だ
http://m00m.blog1.fc2.com/blog-entry-21.html


ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報
http://amesei.exblog.jp/d2006-08-12
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by thinkpod | 2006-08-13 17:35
2006年 08月 13日

日本や韓国は東アジアのバランサーになれるのか

 太平洋戦争終戦六十年を迎えた昨年、竹島や靖国、歴史教科書問題等で、日韓関係はこれまで以上に悪化した。歴史認識や領土については、中国とも感情の対立が絶えない。加えて、北朝鮮とは拉致問題で具体的な進展を見出すことができないでいる。日本の東アジアに対する外交のあり方について、国も国民一人ひとりも、問われ直された一年だった。
 そもそも日韓関係の歪みはどこから生じたのか。日韓が対立することにどんな意味があるのか。日本と韓国の事情に詳しい、韓国人ジャーナリスト池東旭氏にうかがった。

日韓関係の歪みは十四世紀から

 現在、日韓関係が芳しい状況にありませんが、その背景には何があるのでしょうか。
池 今に限らず、昔から日韓関係は良くありませんでした。十四世紀半ば、倭寇と呼ばれる日本人を中心とした海賊が、朝鮮半島や中国大陸沿岸を荒らし回りました。当時の韓国人は倭寇を非常に怖がったのです。日本に対する現在のような感情が芽生えたのは、倭寇の頃からだと私は思います。もっとも、倭寇には、韓国人海賊も含まれていたようですが。
 古代において、朝鮮半島の百済と倭国はひとつであったと私は思います。唐と新羅により滅ぼされた百済に、倭国は援軍を送りますが、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れます。当時の日本はどうして百済に梃入れしたのか。百済と倭国は、百済を本家、倭国を分家とする二重王朝だったのではないでしょうか。
— 古代の日本は朝鮮半島経由で大陸の文化を学んでいましたから、その可能性もありますね。
池 その後、日本では律令国家が誕生して、韓国との接点を持たなくなりました。通商も朝鮮半島を介さず、唐と直接行いました。以来関係が希薄になった日韓間に元寇と倭寇があったことで、両者の関係は歪み始めたと思います。
— 両者の関係には、長い歴史的経緯が影響しているわけですね。
池 倭寇後も、秀吉の朝鮮出兵があり、近代には植民地化されました。倭寇で生じた日本に対する怨恨や憎悪、嫉妬といった感情が、徐々に醸成されていったのでしょう。
 古代の文化・文明に関しては、韓国が日本の兄貴分でした。その文化・文明も元は中国のもので、韓国の産地直送ではないのですが、韓国人の中には、日本はもともと自分たちの弟分であったとの記憶が強いわけです。
— その弟分が増長し、兄貴に対し拳をあげるのは失礼だと言うのですね。
池 しかし、日本人は自分たちのことを弟分だとは思っていない。そこから両者の認識の相違が始まっていると思います。
 昨年は日韓国交正常化四十周年でした。同時に、日本では終戦六十周年、韓国では開放六十周年にあたり、さらに日露戦争終戦百周年でもありました。日露戦争に対する認識も日韓で違います。日本は日露戦争に勝利後、韓国を保護国にし、外交権を剥奪しました。韓国人はこちらを問題視する。そんな折、竹島問題も浮上しました。私は、竹島は韓国の領土だと考えます。しかし、証拠主義の国際法上で争えば、韓国は敗訴すると法学者は言います。だから、韓国が自ら事を荒立てる問題ではないのです。

韓国ナショナリズムが孕む矛盾

— では、なぜ韓国政府は、竹島問題を俎上に載せたのでしょう
池 現在、盧武鉉政権の支持率は下がっています。歴代政権がそうしたように、支持率が下がった際に日本と事を構えると、支持率が上がるのです。盧武鉉政権もこれを狙ったのでしょう。
— 反日こそ、韓国の人心が最も一つになり易いテーマなのですね。
池 そう。朝鮮戦争以降、韓国のナショナリズムの旗印は反共でした。しかし、ポスト冷戦で反共の意義がなくなった。これに代わったのが反米反日です。
— では北朝鮮に対して、今韓国国民はどんなスタンスなのですか。
池 北に対する感情には、非常に微妙な矛盾を孕んでいます。まずジェネレーションギャップがあります。朝鮮戦争が起きたのは一九五〇年ですから、戦争の体験あるいは記憶があり、共産主義に対する拒否反応のある人は、現在六十歳以上です。五十代以下の人は、戦争の記憶もなく、韓国の経済成長の中で育ちました。だから、共産主義の恐ろしさを知りません。韓国の若い世代は、共産主義に対し、憧れに似たナイーブな感情を持っています。そこへ民族意識も加わります。
 かといって統一に諸手を挙げて賛成かといったらそうでもない。韓国のある世論調査で、「もし北朝鮮とアメリカが戦った場合どうするか」という問いに対し、六二%の若者が「我々は北の味方をしてアメリカと戦う」と答えました。ところが「北へ行って住みたいか」という問いには、誰一人イエスと答える者がいませんでした。韓国のナショナリズムが抱える矛盾のゆえんです。
— 盧武鉉政権は北朝鮮に対し、融和政策をとっていますね。
池 いわゆる「太陽政策」は金大中大統領時代からですね。金前大統領は、国内支持率を上げるために、五億ドルを北朝鮮に送り、トップ会談を実現させました。金大中はそれを評価されノーベル平和賞を受賞します。これ以降、韓国では北との協調路線を取るべきだとの世論が盛り上がりました。その流れに乗って当選した盧武鉉大統領が、「太陽政策」を継承するのは当然でしょう。しかし、こうした政策自体も、韓国国民すべてが支持しているわけではありません。

北朝鮮の体制崩壊は時間の問題

— 北朝鮮の現体制が欲しているのは、やはり金でしょうか。
池 金のためならなりふり構わぬ体制です。金日成のルーツは馬賊です。その手口は拉致して身代金をとる。日本人の拉致ばかりじゃない、偽札もつくる、アヘンや武器の密売もやる。ゆすりたかり専門の連中の集まりだと、私は思っています。そもそも北朝鮮を建国した金日成が、抗日ゲリラとして活躍した同名の英雄の名を騙り、北朝鮮の歴史そのものを捏造したという説も事実でしょう。
— 北朝鮮建国時には、当時のソ連が金日成の後ろ盾となったようですが。
池 ええ。金日成はソ連が押し立てました。スターリンの神格化が否定された後にも、彼が権力の座に居られたのは、主体思想を打ち出して、自分の独裁体制の正当化に成功したからです。その思想の構築者こそ、一九九七年に韓国に亡命した朝鮮労働党書記黄長です。
— あの事件は、韓国のみならず、日本や世界にも衝撃を与えました。ところで、今後の北朝鮮はどんな道を歩むのでしょうか。
池 北朝鮮の崩壊は今や可能性の問題ではなく、時間の問題だと考えます。金正日は体制の継続のために経済改革を進めていますが、これは絶対に成功しません。金正日は、韓国で漢江の奇跡と呼ばれる経済成長を遂げた、朴正熙大統領の手法を真似ようとしています。ちなみに、朴大統領が経済開発に成功したのは、日本との国交が正常化し、日本から五億ドルの金が入ったからです。だから金正日は、日本との国交正常化をなした暁に、韓国が手にした当時の五億ドル、現在の価値に換算して百億ドル以上の金を、日本から巻き上げるつもりでいます。
 しかし、金正日の目論見は絶対に成功しません。韓国の経済成長の現場を私はこの目で見てきました。その成功要因は日本からの五億ドルだけではありません。韓国は軍隊六十万人に及ぶ国防費の大部分を、アメリカの援助に頼っていました。対して金正日は百十五万の軍隊を抱え、GNPの三割以上を国防費につぎ込んでいます。これを維持しようとするなら、たとえ日本から百億ドル得ようと経済開発はできません。
— 金正日政権に軍備縮小する気はないのですね。
池 北の強大な軍備は、国内の不満を抑えるためです。縮小すれば、体制への不満が反乱につながりますから、金正日は軍備を縮小できません。また、彼は核も放棄しません。これほど有効な外交カードはないからです。核を持たない北に援助する国などありません。約束を守らない人間は、自分以外の人間が約束を守るとは考えないものです。金正日が韓国を訪れないのも、暗殺を恐れるからで、それは自身が裏切り者であるがゆえに知る恐怖ですよ。

南北統一を困難にさせている課題

— たとえ現体制が砂上の楼閣でも、北朝鮮人民は立ち上がることはしないのでしょうか。
池 北では厳しい連座制を敷いているため、一人でも反体制運動をやれば、家族全員皆殺しになりますから。北の工作船が日本の領海を侵犯し、海上保安庁の船に沈められた時も、最後まで抵抗して死にました。生きて捕まれば、家族は収容所送りになります。しかし、抵抗して死ねば、本人は国で英雄視され、家族も年金暮らしができます。北の人々も韓国人同様、家族愛が強烈ですからね。
— 確かに、韓国の方は皆、家族思いのようですね。
池 イタリアと並んで世界で最も家族思いの民族だと思います。韓国人は、国も信用しませんし、自分が属す組織も信用しません。儒教の伝統もあり、最終的に頼れるのは、家族しかないと思っています。
— ある日突然、北朝鮮が崩壊した時、韓国は経済的に北朝鮮を抱え込むことになると思いますが。
池 ですから、韓国国民も統一に対して、本音では冷めた見方をしているのです。統一にはさまざまな課題があります。第一にコスト問題です。経済力は南と北で三十対一ですから、統一により韓国の経済は大きく減退します。第二に難民問題です。現在でも中国経由で脱北者が年間千人ほど韓国に入国し、累計一万人を超えています。彼らに対し、韓国政府はアパートと定着資金三千万ウォンを提供しました。北の人々は資本主義に適応できません。彼らは住居も職場も政府から割り当てられて暮らしてきたので、自己責任の社会の中では生きていけないのです。第三に、心の三八度線はなくならない。同じ韓国語を使っていますが、すでに北と南では言葉がずいぶん違っています。
 脱北者が一万人の現在でも、こうした問題が山積しています。統一したらどうなるか。ソウルから南北休戦ラインまで三十キロほどです。歩けば一日の距離です。南へ行けば乞食をしても生きていけると考える北の人々が、大挙してソウルに押し寄せます。今、ソウルの人口は一千万人です。全国人口の四割が首都圏に集中している異常な状況です。交通渋滞や大気汚染などさまざまな都市問題を抱えています。さらに北の難民を抱えたら、ソウルは都市として機能しなくなるでしょう。

韓国経済の光の部分、陰の部分

— 北朝鮮に対し、中国はただその崩壊を見守るだけでしょうか。
池 中国は朝鮮半島に、中国寄りの政権を残すことをメリットと考えますから、北朝鮮に梃入れするでしょう。ただし、金正日に対しては別問題です。中国にとってより利用価値のある政権交代を望んでいるはずです。
— 現在、経済の好調な中国も、北京五輪後、不況に陥るのではないかと危惧する声もあります。
池 確かに五輪の後は必ず反動があります。六八年メキシコ五輪、七二年ミュンヘン五輪、七六年モントリオール五輪、いずれもその後、大会開催国は深刻な不況に陥っています。近年経済的にさしたる影響を受けなかったのは、八四年のロサンゼルス大会だけです。当時ロスには既存の五輪施設があり、追加投資をせずに済んだので救われたのでしょう。
 韓国で起きた九七年の経済危機も、八八年の五輪の後遺症だと、私は見ています。五輪の際、大規模なスタジアムや室内プールを建造しましたが、以後使い道もあまりなく、莫大な維持費が掛かるため、これらを持て余している状況です。宴の後の後始末ほど、たいへんなものはないのです。中国が同じ轍を踏まないとは言えません。中国経済は、今物凄い勢いで伸びているように見えますが、二桁の成長率がいつまでも続くと考えたら大間違いです。日本のマスコミも、中国経済に対してもっと冷静に見た方がいいですね。
— 韓国経済は、今立ち直っているように見えますが。
池 日本のマスコミによると、韓国は経済危機以降、構造改革に成功したと高く評価しています。しかし、これは誤解です。立ち直ったかに見えますが、実のところアメリカをはじめとする外資に乗っ取られているような状況です。現在、韓国株式市場の時価総額の四八%を外資が持っており、そのほとんどが優良銘柄です。つまり、一部優良企業が、国外市場を開拓して得た利潤の多くは、外資を潤しているのです。一方で、中小企業は辛酸を舐めています。結果、韓国では貧富の格差が広がっています。また、五百万人にものぼる多重債務者の存在も、韓国経済の足かせになりかねません。韓国経済にも、光の部分があれば、陰の部分もあるのです。
 問題は経済ばかりではありません。先ほど韓国人は家族愛が強いと申し上げましたが、そうした伝統も徐々に風化しつつあります。誰にも面倒を見てもらえない高齢者の自殺が増加しています。核家族化が進行したことで、子どもが親の面倒をみることが少なくなりました。韓国では住宅の六割がアパート、マンションです。都市の場合はこの状況がさらに顕著です。二世帯三世帯は住めません。高齢者たちは田舎に残ったまま、孤独な生活を送っています。
— 都市部に労働人口が集中し、農村部の人口が減少すると、農地が荒れる等の問題も起きませんか。
池 農業も韓国経済に大きな影を落としています。朝鮮戦争の勃発や、その後のアメリカによる政策の影響を受け、韓国の農村農業は、自立できないまま今日に至っています。歴代政権も農業に膨大な国家予算をつぎ込んでいますが、焼け石に水です。農村が自立できないために、内需も拡大しない。その状況は日本以上に深刻です。

大国の論理に踊らされる小国

— 日本にとって、韓国、中国との関係は、重要なテーマです。しかし、たやすく友好が成り立たない、葛藤の歴史が過去にありました。私たちは今後、どんな道を探ればいいでしょうか。
池 まず、日韓がどんな世界勢力の中に位置づけられているか、冷静に判断することが重要でしょう。今後の世界情勢は、海洋勢力つまりアメリカと、大陸勢力つまり中国との対峙になります。中国はすでに政治的に北朝鮮を飲み込んでいます。韓国企業も市場を国外に求め、人の流れも金の流れも中国にシフトさせています。韓国は中国の引力圏の中にも入りつつあるのです。韓国の反米反日は裏を返すと、親中親北です。二十一世紀、日本と韓国が、アメリカと中国の睨み合いの中で、代理対決をすることを私は懸念しています。韓国の諺に、「鯨の喧嘩で海老の殻が剥ける」というのがあります。強い者同士の喧嘩で、割を食うのが弱い者であるとの喩えです。この状況下でどう生き抜くのか、韓国も思案を巡らせているところです。
— 日本も同じ逡巡の中にいると思います。二大強国米中が対立する際、現時点ではアメリカに与するつもりでも、中国があまりに強大になった時、それでいいのかという議論は必ず起るはずです。
池 韓国で反米反日の声はありますが、反中の声は上がりません。中国に対して、韓国は「恐中」なのです。日本が韓国を支配したのは、たった三十五年です。アメリカは五十年です。しかし、中国は千五百年の間、支配を及ぼしました。韓国は中国に対して、潜在的に恐怖心を抱いています。日本に対し、あれほど「謝れ謝れ」と言う韓国が、中国に対しては一言も文句が言えません。
— 裏を返せば、反日とは、日本を怖がっていない証なのですね。
池 そうそう。アメリカも怖いのですが、反米と言ったところで、自信の強い米国は歯牙にもかけません。しかし、中国は違います。反中の声が上がればすぐに反応するでしょう。
— 日本と韓国は隣人として友好関係を築けるのでしょうか。
池 まず、経済力が日韓で均衡になることが条件でしょう。また、日本と韓国が争えば、得をする第三国があることを、私たちは認識しなければなりません。朝鮮半島をとりまく米中ロは、本音では日韓がいがみあっている方が御し易いのです。靖国問題や歴史教科書問題についてもそうです。たとえ戦犯であっても、日本人が自分の先祖の墓参りをすることは当然だと、自国の教科書に自国を悪く書く国などあるはずもないというのが韓国人のホンネです。しかし、積年の想いは消えずに反日を唱える。中国、韓国で起こる反日運動の状況を、一度よく観察してみてください。韓国でデモが盛んになっている最中、いつの間にか中国のデモは下火になっています。中国は、靖国問題や歴史教科書問題をとりあげることで、日本に謝罪させ、これまでに日本から五百億ドル以上のODAを得ています。中国は韓国にけしかけ反日運動をすることで、確実に自国の国益を満たしているのです。中国の前で、日本も韓国も踊らされているようにも映ります。
— マスコミも含め、日本人はその点に関して認識不足ですね。弱小国を手駒のように操ることは、強大国にとっては当然の論理でしょう。
池 韓国人も同様です。国際政治は強大国がしかけるパワーゲームで成り立っていることを、日本も韓国も認識すべきですね。
— 大局的視点を持つことが、日韓双方にとって、コミュニケーションの契機になるかもしれませんね。本日はありがとうございました。



池 東旭 ジャーナリスト
週刊韓日ビジネス代表理事。1937年韓国慶尚北道大邱生まれ。58年「韓国日報」に入社し、外報、経済部記者、海外巡回派遣員を経て、経済部長に就く。81年「週刊韓日ビジネス」創刊。韓国の経済問題、日韓の国際問題などの分野で論評を展開する。
著書に『朝鮮半島「永世中立化」論』(中央公論)、『韓国大統領列伝』『韓国の族閥・軍閥・財閥』(中公新書)、『コリアン・ジャパニーズ』(角川oneテーマ21)、『軍靴を脱いだ韓国』(時事通信社)、『どうなる?朝鮮半島と日本』(草思社)など多数。



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by thinkpod | 2006-08-13 15:47