カテゴリ:未分類( 88 )


2007年 03月 11日

駐留軍軍人の子女及び警察官に対する暴行事件と売春行為対策に関する緊急質問

参議院会議録第二十八号
昭和二十八年二月二十七日(金曜日)
  
○藤原道子君 私はこの際、駐留軍軍人の子女及び警察官に対する暴行事件と売春行為対策に関する緊急質問の動議を提出いたします

~

○藤原道子君 私はこの際、駐留軍軍人の子女及び警察官に対する暴行事件と売春行為対策に関する件につきまして御質問申上げたいと存じます。吉田総理初め各所管大臣より責任ある御答弁をお伺いいたしたいと存じます。
 政府は、総理を初めといたしまして、事ごとに道義の高揚をやかましく主張されておりまするが、一体、道義の頽廃の根源はどこにありとお考えでありましようか。各地における青少年の特に性犯罪、学童の桃色遊戯等の取調べの際、彼らは係官に対して、アメリカ兵の真似をしたことがなぜ悪いかと反問し、大人の世界に精一杯の抗議をいたしておるのであります。自由の国、民主主義の国、野蕃国日本を指導し、併せて日本の安全を守るために駐留していてくれるのだと教えられ、信じている彼らのこの言葉を、総理を初め大臣方は何とお聞きになるでございましよう。次代の責任を負うてくれる大切な青少年を蝕みつつある不幸な原因を取去ることこそが、先ず絶対に大事なことではないかと存ずるのでございます。悪夢のような戦争によつて、占領下の苦しい生活への移行も、吉田政府の言うところの信頼と和解と友愛の講和条約の締結となり、昭和二十七年四月二十八日、いよいよ日本は独立国となつたのでございます。ところが、安全保障条約による行政協定によつて日本の全土は端から端まで米軍の駐留基地と相成り、これら基地を中心といたしまして、国民の想像も付かないところの歓楽街は出現する。経済的貧困から、戦争の傷手から、生活を破壊され、或いは米軍の擬装恋愛、結婚予約不履行等から、乙女の純情を裏切られたり、これらによつて自暴自棄となつて転落した、かわいそうな娘たち、これを食いものにするボスの出現等、全く風紀の紊乱は極度に達しております。勤勉を世界に誇つた青年たちも、基地附近におきましては、勤労意欲の頽廃となり、性病はその若い肉体を蝕み、学童は学ぶべき学校さえも失うというような実情にあります。
 それから、米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後八カ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになつておりまする件数は厖大な数であろうと想像されております。宮城県某基地附近におきましては、夜中にキヤンプから飛出して来た米兵が、民家の一軒々々を、女はいないか、女はいないかと、戸を叩いて叫び起すとか、いつやつて来るかとの不安は、男子所用の外出さえもできず、日夜不安に駆られているという事例さえあります。これが一体独立国と言えるでしようか。紳士国を以て任ずる米国民のなすべき所業でありましようか。過日衆議院におきまして我が党の長谷川保氏が沼津事件を中心に質問されましたとき、政府は、実情を調査し、厳重に抗議をすると言明され、又、米兵の他の頻発したる事件等につきましては、その都度、行政協定によつて処罰されているとの言明でありましたが、私はこの際、これらの暴行事件が如何に取扱われたか、議会を通じて国民の前に曲かにすることを要求いたします。このことは、米軍に裁判権があることによつて、どうせ闇から闇へ葬られているのであろうと、最近とみに米軍に対して不信的に反米的に傾きつつある日本国民に、その公平なる処置が示されることこそ、米軍にとつても、その信頼を高め、且つ日米友好に役立つものと信ずるが故にお伺いいたすのであります。即ち、今日まで何件が起訴され、如何なる判決をされたかを明かにされたいのであります。昨年の西多摩における女教師に対する米軍兵士二名の強姦事件の判決は、日本側から見まするとき、明かに強姦であるにもかかわらず、凶器を以て脅迫しなかつたとか、或いは又相手方に傷を付けなかつたとか、脣を許したではないかとか、暴力で大男の米兵が口を蔽うたことが明かであるにもかかわらず、これらの理由によりまして和姦と見ての無罪の判決でございました。これらについては、アメリカの習慣から罰するのではなく、又敗戦国の女性だからというわけでもなかろうが、日本の国民感情を無視し、教師としての立場から、日本女性として必死の勇気を以て抗議したことに対し、明らかに勝者の横車のような感じのする判決に対しましては、何らかの申入れをすること等はできないものでございましようか。独立国らしい道が少しは認められなければ、今後もしばしば問題が起り、その都度日本の民心が米国を離れるのではなかろうかと案じられるのであります。この危険多き弱い女性の立場を思いますとき、特にお伺いいたすのでございます。なお、警官が逮捕に際しまして万一発砲したとき、不幸にして射殺等の事態が起りました場合、この責任はどうなるかを、この際、明かにしておきたいと存じます。
 曾つてアメリカは、第一次欧州大戦のとき、三百万の青年を動員いたしました。国内におきましては五マイル・ゾーン、十マイル・ゾーンを設定し、五マイル以内には酒場を置かない、十マイル以内には売笑婦を許さないという規定を設けまして、この際、逮捕されました私娼は一万五千名に上つたと言われております。かくて米軍は、その母の手から託されました青年を、その家庭を離れている間、決して墮落させない方針で、彼らを預かつて来たのでございます。更に、彼らが仏国の戦線に向いましたとき、フランス当局は米軍司令官に向いまして、貴軍は幾ばくの女子を必要とせらるるかとの問に対しまして、事、米軍に限りその必要なしと言明し、終始それで一貫しております。私は、米軍の日本進駐に対し、この尊い母に代つて青年の純潔と健康と堕落から青年を守つた米軍をこそ、信頼し、期待していたのであります。併しこの期待はみごとに裏切られました。基地附近の百鬼夜行の有様は、学童の勉学する所まで荒され、幼児さえ米兵の行為の真似をして遊ぶ状態は、ひとり日本の母を悲しませるのみならず、遠く我が子の上を思うアメリカの妻が、母たちが、若しこの実情を知りましたならば、その歎きと、当局に対する不信と憤りは、どのような結果を招くでありましようか。それとも、アメリカの婦人尊重、正義人道とは、アメリカ国内だけであつて、ヨーロツパではそれは紳士道を守るが、アジアの国々においては、その国内法を無視し、何をしてもよい、軍紀も何も通用しないことになつているので、ございましようか。(「それが植民地ですよ」と呼ぶ者あり)婦人解放の立場からも、外国事情に明るい外務大臣に特にお伺いいたしたいのでございます。
 一九五二年七月二十四日の朝日新聞は、オハラ米国上院議員がラヴエツト国防長官に対し、日本で陸軍要員を対象とする売春行為が盛んに行われ、これを米憲兵が傍観している旨の日本の苦情文を提出して実情調査を要求したのでございます。陸軍当局は七月二十三日、オハラ議員に対し、次のような回答をいたしております。
 一、日本は売春は数百年来行われており、政府はこれを黙認しておる。
 一、若干の地方を除いて、日本の取締法規は売春禁止よりは性病予防を目的としておる。
 一、米軍当局においては売春を行つたり又はこれに関係ある日本人を取締る管轄権はない。
 と言明いたしておるのでございます。売春国である旨を世界に向つて闡明されたのでありますが、日本政府はこれに対して何らか抗議されたかを伺いたいのでございます。
 なお、アメリカ国内においてかかる答弁をしておる米軍当局が、日本において真に何らの介入をしていないのでございましようか。昭和二十七年六月二十八日附で第二十四歩兵師団司令官ジヨージ・W・スマイズ少将は宮城県知事に対し、昭和二十七年八月十二日附で第三十四連隊司令部司令官グレン・A・フアリス大佐は静岡県知事に対しまして、売春問題に対し性病の責任を一方的に日本側に押付け、その対策の強化を双方協議の上で樹立することを指示し、なお、その手紙の中におきまして、極東軍最高司令官クラーク大将及び第二十四歩兵師団司令官スミス将軍が、深く個人的関心を寄せ、積極的処置を示唆いたしておる旨を伝え、「師団予防医、民事部代表、県渉外部、公衆衛生、予防各課長、国警代表等が集まつて調査的会合を持ち、積極的手段によつて」云々と、その手紙はなお最後におきまして、本件に対して最大の援助を信じてくれと結んでおるのでございます。これが単なる個人的手紙で、果して強制力を持たないで、自由なものかどうかは、言うまでもなく明かなことでありまして、その結果、驚くべき方針がとられて国内法規は無残にも無視されて打ち破られておるのでございます。即ち、接客婦と売春常習者に対しましては、二色の、白色と青色の写真貼付の「健康の栞」という売春パスポートが発行されまして……(実物を示す)このようなパスポートが発行されておるのでございます。(「誰が出したのだ」と呼ぶ者あり)或いは又、米軍の協力の結果、このようなパスポートが発行され、而もその業者の家の軒下におきましては、こういう英文と和文による「健康の家」なるものの表示が貼付され、而もそれには、性病の検診が終つておる旨、A子、B子等の女性の名前が明示されておりますることは、明かに人権躁躙であり、国内法無視と言わざるを得ないのでございまするが、(「その通り」と呼ぶ者あり)これらに対しまして、或いは行政協定等によつて何らかの申合せをされたのか、(「閣僚諸公よく聞け」と呼ぶ者あり)これらにつきまして、米軍当局と地方長官の協議で行われておることに対し、政府は如何に考え、処置をされるかを伺いたいのでございます。それとも表面に現われていない秘密協定でもあるのか、はつきりした御答弁が伺いたいと思います。殊に、行政協定事項ならば、検診等に要する莫大な費用の点でも助かるのでございますが、表面我れ関せず、裏面において弱い者をいじめるようなこれらのやり方は、実に非道と言うべく、たださえ不足の県財政はいよいよ苦しく、基地のある地方自治体の苦しみは実に大なるものがあるのであります。米国は他国においてもかかる行為をされているのでしようか。米国会の答弁では、日本が売春国であり、我れ関せずと声明し、而もフランス進駐当時の態度と併せ考えるとき、日本に対しての侮辱として実に堪えがたい。これでも植民地でないと言い切れるのでございましようか。(「そうだ」と呼ぶ者あり、拍手)日本にも関係法規はあるはずでございます。七つの法規がある。都道府県古町村の四十一の条例があります。これら日本の法律は、如何に守られ、如何に適用されておるかを、はつきり伺わなければなりません。
 今日、独立の日本といたしまして、その独立と安全を守るために駐留しておるはずの米軍が一日八件以上の暴行事件を起し、なお漸増の傾向である、検察当局は言つておるのでございます。国内法規を無視して、基地設定で、農地、海岸等の接収、生活権は脅かされ、学校も病院もその所在を無視され、学童の勉学も病者の療養もできず、時に病院に演習用の弾丸が飛び込んだり、多くは生活難と自暴自棄から転落し、米兵の獣慾の餌食となる哀れな日本娘は、その上、混血児を抱えて一層転落の途を辿つておるのでございます。(「その通り」と呼ぶ者あり)日本娘が病毒をうつすという抗議を受けることを聞くが、一体、佐世保菌というがごとき従来日本に絶対なかつた病菌は、どこの誰がどこから運んでくれたのでございましようか。かかる世相において、道義の高揚が修身科の復活など生やさしいことで実現するほど甘いものではないと信ずるが、大臣の御所見は如何でございますか。青年、子供を、家庭の純潔を守るために、政府は如何なる売春対策を実行される用意ありや。それから、国連加入が問題となつているとき、若し加入したとして、第二百六十四回国連総会決定事項に対しどのように対処されるか。米兵に対する売春問題はどう解決されるかを伺いたいのでございます。
 我々が日本の娘と青年の上を案ずると同じように、アメリカの母も又遠く息子の上を気遣つていることと思う。アメリカ軍当局は、仏国進駐のときと同様、真に青年を母に代つて守るべく軍紀の励行を望みたい。どうしてもそれができないならば、日本の女性をこれ以上蹂躙することなく、この際、本国から対象となるべき必要数の女性を呼び寄せて、自国の女性によつて性の解決をされるよう切に要望したいのであります。(拍手)敗戦国とは言え、独立国の女性をいつまでも「おもちや」にしていては、紳士の国の体面にもかかわることでございましよう。外相のこれに対する御所見を伺いたいと存じます。
 一面、日本におきまして女性転落の原因も多くあるが、生活難と自暴自棄が特に多いと思う。女子労働者の低賃金、手内職に対する中間搾取による余りにも過少な収入等々も挙げられると思いますが、転落婦人の保護更生施設と併せ、これについて労働問題等も十分考えられなければならないと思いますが、労働大臣は如何にお考えでございましようか。
 なお、米軍基地、保安隊用地として、狭隘な領土が、食糧難の耕地が有無を言わさず取上げられているとき、前述の司令官の命令と見る手紙によつて生れた協議会対策要綱中には、県の部局長は申すに及ばず、教育長や県会議員、又国会議会までが顧問として名を連ね、業者のために土地の斡旋、業者の誘致に協力する旨等が規定され、歓楽街設置業者の家屋建築のために、農業委員会の議も経ずに耕地はどんどん潰され、供出米の割当に対しましては闇米を買つて納めているという実情でございますが、これらに対して農林大臣は如何なる見解の下に如何なる処置をとられているかを伺いたい。
 以上の点につき適切なる対策を今にしてとらざる限り、国民はますます萎縮するか、又は自暴自棄となり、いよいよ道義はすたれ、必然的に反米的にならざるを得ないと思う。日本の法律は厳然として日本人の手で守る。アメリカは又、言うごとく民主主義の国、自由の国として、世界人権宣言を実践されてこそ、真に世界平和は実現されると信ずるものでございます。
 私は、以上、心からこれを念じつつ、責任ある御答弁を期待いたしまして質問を終りたいと存じます。(拍手)
   〔国務大臣緒方竹虎君登壇、拍手〕

http://kokkai.ndl.go.jp/

http://tech.heteml.jp/2007/03/2_2.html
[PR]

by thinkpod | 2007-03-11 03:09
2007年 03月 10日

地球史探訪: 経済封鎖に挑んだ日本

 保護主義と植民地主義に屈することなく、戦前の日本は輸出市場を求めて苦闘を続けた。

■1.新興工業国・日本の台頭■

 1932(昭和7)年、日本の総輸出のなかで綿製品が25%に達
し、それまでの輸出の柱であった生糸の21%を超えた。同時
に日本の綿製品の輸出量は、それまでの覇者英国を追い抜いて
世界一となった。日本が原材料輸出国から、工業製品輸出国に
成長した記念すべき年であった。

 日露戦争が近代戦争において黄色人種が初めて白色人種を打
ち破った戦いだとすれば、日本が綿製品の輸出で世界一になっ
たという事は、近代工業において黄色人種が白色人種を追い抜
いたという世界史に残る出来事であった。

 新興工業国・日本の台頭は、綿製品ばかりではない。世界の
工業製品輸出の中でのシェアを見ると、1926-29年の平均3.6
%から、1936-38年には7.0%へと、ほぼ倍増している。同時
に英仏米の合計が48.8%から40.9%へと落ちている。先
進国が失ったシェアの半分ほどを日本が独り占めした形となっ
ている。

 しかし、当時の国際環境は、新興工業国・日本にとって、あ
まりにも厳しかった。米国は1930年に貿易収支をバランスさせ
るために、スムート・ホーレイ法を制定して、外国製品に極め
て高額の関税をかけた。これをきっかけに各国での関税引き上
げ合戦が始まり、世界貿易は縮小していく。その中でも特に日
本製品は高関税と輸入制限で狙い打ちされた。

 英国は1932年にオタワ会議を開き、英連邦内外からの輸入に
関して高額の関税をかけた。世界経済は、このオタワ協定で
「自由貿易」の幕を閉じ、保護主義の時代に入った。

 さらに重要な輸出市場であった中国においては、その数年前
から国民党が反日デモと日本商品ボイコット運動を展開してい
た。

 日本が近代工業国家として世界市場に登場した時には、すで
にその力を自由に発揮できる舞台は、なくなっていたのである。

■2.対米輸出の急減■

 ペリー来航から始まった日米貿易は着実に拡大し、米国は日
本の最大の輸出市場となっていた。1926年には日本の総輸出の
42%が米国向けであった。しかし、わずか8年後の1934年に
は、18%まで落ち込み、その後いくらかは改善したが、もと
に戻ることはなかった。その原因として以下の3つが挙げられ
る。

 第一に、米国経済が未曾有の大恐慌に見舞われたことである。
米国は国内の失業対策として、スムート・ホーレイ法により、
輸入品に極めて高率の関税をかけた。これは交易相手国からの
手厳しい反発を招き、米国の貿易量は1934年には1929年の水準
の約3分の1まで減少した。

 第二に、日本の対米輸出の8割以上を占めていた生糸が、ア
メリカでのレーヨン(絹に似せて作った再生繊維)の普及によっ
て、価格急落に見舞われたことである。最高品質の繭でも市価
は生産費の6割にしか達しなかった。このために、1932年秋ま
でに日本の養蚕農民の1300万人が大打撃を受け、破産者が
続出した。特に養蚕が盛んだった長野県では、約20万人の小
学児童が昼の弁当を持って来られなかった。

 第三に、スムート・ハーレイ法の反省から、1933年以降は、
ルーズベルト政権は関税軽減の方針をとったが、日本に対して
は、逆に関税引き上げや数量制限が加えられた。たとえばシャ
ープペンシルの平均的な関税は58.3%だったのに、日本製
品のみは86%だった。こうした差別的関税により1934年には
日本製シャープペンシルが米国市場の81%ものシェアを押さ
えていたのに、1937年には0%となってしまう。

■3.日本を狙い撃ちにした差別的関税■

 ルーズベルト政権が日本を狙い撃ちにするような関税政策を
とったのは、関税引き下げに反対する勢力の批判をかわすため
に、特定国への関税を引き上げるポーズを取る必要があったか
らだ。そして、その対象として、米国からの輸出の3%を占め
るに過ぎない日本が選ばれた。また日本製品が集中豪雨的に輸
出を伸ばした分野での米国内生産者の反発に応える面もあった
であろう。

 さらに、非白人国として世界でただ一国、工業製品でアメリ
カに挑戦してくる「小生意気」な国、という人種差別的感情も、
あったと推察される。

 それでも陶器や白熱電球など、他国よりも10%から20%
も高い関税をかけられながらも、米国市場でのシェアを守った
製品もある。必死の思いでコストダウンに取り組んだ我が先人
の姿が思い浮かぶ。

■4.英連邦からの日本製品の締め出し■

 1932年に日本の綿製品の輸出量は世界一となったが、これは
当然、それまでの覇者・英国との間で様々な軋轢を引き起こし
た。カナダ、オーストラリアなど、英連邦諸国では公然と対日
貿易差別の圧力をかけた。

 英連邦の中でも、インドは、英国の産業革命以来、綿花を輸
入し、綿製品を輸出するという重要な市場であった[a]。この
インド市場で、日本製綿布は強い競争力で急速にシェアを伸ば
した。1925-26年のシェア14%から、1931-32年には44%に
達した。それとともに、英国製綿布は82%から46%へと後
退した。

 1932年に結ばれたオタワ協定では、英連邦全体から外国商品
を閉め出すことを目的として、外国商品に対しては高関税を課
し、連邦内の商品に対しては無税または低関税とした。それま
でもインド市場において日本製品は英国製品より5%高い関税
をかけられていたが、1932年秋には、英国製品25%に対し、
50%もの関税を課せられた。

 これにより日本製綿布の輸入拡大は止まったが、そのシェア
を下げるまでには至らなかった。そこで1933年6月、インド政
庁は英連邦諸国以外からのすべての綿製品の輸入関税を75%
に引き上げた。「英連邦以外」としながらも、実質的にはシェ
ア45%を持つ日本製綿布をターゲットとしたものであった。
この極端な差別的関税により、日本製綿布の輸出は急減した。

 日本からインドへの輸出の柱は綿製品であったので、これに
よって、インドへの輸出全体が大きく落ち込んだ。日本の輸出
全体の中で、インド向けは1932年には13.6%を占めていた
が、1937年には9.4%へと縮小した。

■5.オランダ領インドネシアでの日本製品輸入制限■

 オランダの植民地であったインドネシアは、当時、蘭印と呼
ばれ、日本にとって、アメリカ、中国、インドと並んで、重要
な輸出市場であった。インドネシアの全輸入の中で、日本のシェ
アは1913(大正2)年にはわずか1.6%に過ぎなかったが、
1929(昭和4)年には10.6%、そして1937年には25.4%と
なった。同時期に宗主国オランダからの輸入は、33.3%か
ら19.1%と減少した。

 日本からの輸入の半分が、やはり綿布であった。1933年には
日本製綿布がオランダ製や英国製、米国製を退けて、綿布輸入
量の8割を占めるに至った。オランダは緊急輸入制限を発動し、
各国に割当量を課した。オランダ当局は割り当ては平等に行っ
たと説明したが、許可が与えられる貿易会社はヨーロッパの
商業組合の会員でなければならず、この条件にかなう日本の輸
入業者は三井物産など、わずか3社だけだった。また輸入割当
量は1930年の輸入高によって決められたため、日本からの輸入
は半分に落ち込んだ。

 興味深い点は、日本からの輸入は落ち込んだが、オランダか
らの輸入はさほど増えなかった点である。実は、廉価な日本製
品は現地人の需要を開拓していた。その日本製品が制限されて
も、現地人には高価なオランダ製品には手が届かなかったので
ある。

■6.日本製品の差別的規制は、「国際的に了解ずみの事実」■

 インドネシアにおける日本製品の急成長ぶりに関して、1933
年に英国外交官が本国に送った報告書がある。そこでは「日本
人はダンピングしている」「彼らのやり方は汚い」「日本政府
は繊維産業に補助金を与えている」と非難していた。

 しかし、東京の英国大使館からは、それに反駁する数通の報
告書が送られた。その報告書は、日本ではいかなる輸出産業に
も日本政府の補助金交付という違反行為を発見したことがなかっ
た、と言明し、続けてこう述べていた。

 もし日本綿製品の輸出の成長が、ダンピングとか不法な
補助金とか、また日本人の押しの強さだけを原因としてい
るのであるならば、英国は日本の(綿工業の)強さを忘れ
てもよいのである。そうではなくて、私達が心配している
のは、日本が本当の競争力を身につけてしまったことなの
である。[1,p186]

 オランダ政府は、綿製品以外にも、化繊、陶磁器、セメント、
タイヤ、ガラス製品、ビールなど、次々と輸入制限を広げ、日
本からの輸入を抑え込んでいった。

 日本政府はオランダ政府との交渉を行ったが、オランダ代表
はその席上で、日本製品を差別的に規制することは、「国際的
に了解ずみの事実」であり、「正当化」された仕打ちである、
とまで述べた。すでにアメリカや英連邦が公然と行っているこ
とを、オランダが追随して何が悪いのか、と言うのである。

■7.対中輸出の急減■

 中国は、1926年以前の20年間、日本の輸出の約20%を占
める重要な市場だった。しかし、その後の対中輸出は急減し、
1937年には5.6%に落ち込んでしまった。その最大の理由は
日貨排斥であった。

 中国ではしばしば外国製品のボイコット運動が起きていた。
その根底にはアヘン戦争後に西洋諸国と結ばれた不平等条約が
あった。この条約のために、外国人には治外法権と租界が認め
られ、対外貿易の関税率も5%に固定されていた。半植民地状
態になった中国において、民族主義の高まりが、外国製品に対
するボイコット運動として現れたのである。

 1926年頃までのボイコット運動は英国が対象であった。しか
し、1915年の21カ条の要求、日本の満洲への勢力伸長に伴い、
その矛先は日本に向けられていった。特に1926年以降は、国民
党が対日ボイコット運動のリーダーシップをとり、日貨排斥が
組織的に進められていった。

 1928年、長江中流の中心的都市・漢口において日本海軍兵士
が中国人クーリー(苦力、天秤棒で荷を担ぐ労働者)をオート
バイ事故で死亡させるという事件が起こり、それをきっかけに
して、漢口は激烈な対日ボイコット運動の中心となった。

 多くの「抗日協会」が組織され、協会員は日本の商品を「敵
国の品物」として保留し、罰金を科して、抗日協会や救国組織
への献金とした。同時にストライキを指導して、日本の貨物の
運搬、荷下ろし、運送、積み出しを拒否し、日本人のために働
いた中国人を処罰した。日本商品の郵便小包さえも没収された。
このため、漢口港への日本からの輸入は途絶えてしまった。

 1929年に入ると、綿花、麻、穀物などの対日輸出についても、
50%の額を救国基金に献金することが決められたため、対日
輸出もストップした。

 中国に進出していた日本の紡績企業の製品もボイコットの対
象となった。日本商品のディーラーも店を閉めていった。大勢
の中国人が失業し、日本のために働く中国人は食料の販売を拒
否された。29年1月末には、日本商品は漢口の倉庫に溢れかえっ
ていた。その大部分は砂糖と綿布であり、市中は中国の新年を
控え、これらの商品は品不足で価格は高騰した。

■8.暴力的な日貨排斥■

 1931(昭和6)年、満洲事変が勃発すると、日貨排斥運動の波
は中国全土に広がっていった。抗日協会は日本とのすべての経
済関係を打ち切る事を決定し、日本人の工場、企業、および家
庭で中国人が働くことをすべて禁じた。これに背く者には、死
刑と私有財産の没収をも含む厳罰をもって当たった。

 さらに中国人は、日本船への乗船、日本の貨幣・銀行・保険
会社を使うこと、日本の新聞雑誌を読むこと、私的にも公的に
も日本人を訪問したり、招待することを禁じられた。

 こうして日本からの中支(上海を中心とするシナ中部)向け
輸出は、1931年10月からの半年間で、前年同期の16%の水
準に落ち込んだ。南支(広東を中心とするシナ南部)では、最
も激しいボイコット体制が敷かれ、この地域向けの日本からの
輸出はほとんど停止した。そのために地元経済は深刻な不況に
陥った。日本人居住者は安全な地域へと避難した。

 1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の蘆溝橋で日本軍と国
民党軍の衝突が起きると、日貨排斥はもっと暴力的なものとなっ
た。日本商品を扱った中国人の商店や職業組合には、恐喝の手
紙と爆弾が送られ、実際に死傷者まで出た。

 日本からの綿布や機械類の輸出が激減するにつれて、英米か
らの輸入が激増していった。

■9.二度の経済発展■

 こうして中国から暴力的に排斥され、米国には高関税の狙い
撃ちをされ、英領インドやオランダ領インドネシアからも閉め
出された日本は、中近東や南米にまで輸出市場を見出そうとす
るが、いずこにおいても、先進欧米諸国のシェアを荒らす新参
者として、差別的な取り扱いを受けた。

 それでもあきらめずに、地球の裏側までも出かけていった我
が先人たちの労苦は報われることなく、最後には満洲を新天地
として、そこに王道楽土の夢をかけるしかなかったのである。
[b]

 わが国は戦前と戦後と、二度にわたって奇跡的とも言える経
済発展を成し遂げた。その一度目は、非白人国家で初めての工
業化に成功した国として、欧米諸国の植民地主義と保護主義に
阻まれた。二度目はたまたまソ連との冷戦を戦うアメリカによっ
て自由貿易体制が実現され、その中でようやく花開くことがで
きた。

 戦後の高度成長も、ゼロからスタートしたものではない。そ
の技術基盤は戦前の植民地主義と保護主義の厳しい国際環境の
中で叩かれても叩かれて屈することなく工業化を進めた当時の
先人たちに多くを負っているのである。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(454) 「大航海時代」の原動力
「知識欲と探検への情熱」や「キリスト教布教の 志」が「大
航海時代」をもたらしたのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog454.html
b. JOG(239) 満洲 〜 幻の先進工業国家
 傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以
上の中国人がなだれ込んだ理由は?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog239.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 池田美智子『対日経済封鎖』★★、日本経済新聞社、H4
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532160324/japanontheg01-22%22

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108308257.html



日本の陰謀—官民一体で狙う世界制覇:
竹村 健一,Marvin J. Wolf,マービン・J・ウルフ,マーヴィン・J・ウルフ

内容(「BOOK」データベースより)
「日本経済における世界制覇は」、あながち極論だとは言えない。世界市場における日本の力は、われわれが想像する以上に強大である。西欧諸国をはじめ、世界中がその力に脅威を感じている現実を、われわれ日本人は認識しなければならない。(訳者後記より)日米貿易不均衡がもたらした危険な歪みと反日感情。驚くべきアメリカ人の本音を知る、全日本人必読の書、ついに文庫化!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334704409/lesbl-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334960022/lesbl-22/ref=nosim/
[PR]

by thinkpod | 2007-03-10 18:10
2007年 03月 08日

日本の前途と歴史教育を考える会の提言全文

自民議連、慰安婦問題で再調査を提言

 自民党の有志議員で作る「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は8日午前、党本部で会合を開き、慰安婦問題について、(1)再度の実態調査と結果の公開(2)現在、米下院に提出されている対日非難決議案の採択防止を含めた、正確な理解を広める外交努力−を政府に求める提言を取りまとめた。近日中に首相官邸を訪れ、同会員約130人の署名を添えて安倍晋三首相に提出する。

 提言は、決議案を「客観的史実に基づかない一方的な認識」と批判した上で、「(決議案などの)誤った認識は、平成5年の河野官房長官談話が根拠となっている」と間接的に河野談話の修正を求めている。

 同会では昨年12月以降、有識者を招くなどして河野談話の修正について検討してきたが、「実態調査をした上で問題があれば当然、直してもらいたいが、それは政府の仕事だ」(中山氏)として、再調査を重視することとした。

 米下院決議案は「若い女性を帝国軍隊が強制的に性奴隷化」などと軍による強制連行を前提に、日本政府に謝罪を要求。安倍首相は5日の参院予算委員会で河野談話の「継承」を改めて表明する一方、「官憲による強制的連行があったと証明する証言はない。米下院の決議案は事実誤認がある」と反論している。
(2007/03/08 12:56)
http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070308/skk070308001.htm


日本の前途と歴史教育を考える会の提言全文

 本日、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(中山成彬会長)が慰安婦問題で、政府に再調査を求める提言をまとめました。この件はすでにイザのニュースでも流れているので、私は、提言の全文を紹介しようと思います。明日の朝刊各紙もこの件を報じるでしょうが、それらの記事と、この提言そのものとを見比べてみてもいいかもしれません。

 《「慰安婦」問題に関し「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、「慰安婦問題に関する小委員会」を立ち上げ、昨年12月より有識者、歴史研究者等からの資料の提供、聞き取り等を踏まえ、調査、検証を重ねてきた。

 我々としては、歴史の事実に対し、常に誠実、謙虚でありたいと考える。同時に事実ではない、あるいは証左に基づかない非難に対しては明確に正当な主張、反論を行う必要があると考える。

 以上を踏まえ、我々は政府に対し、次のように提言する。

 1.「慰安婦」問題に関し、今、米国下院に提出されている決議案は、「若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性奴隷化」、「輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴行が含まれるかつて例のない」、「20世紀最大の人身売買」などの客観的史実に基づかない一方的な認識により、日本政府に対して謝罪を求めている。日本の名誉のためにも米下院関係者を含め、「慰安婦」問題に関して内外に正確な理解を求め、決議案が採択されないよう、引続き外交努力を行う。

 2.今回の慰安婦決議案も含めた数々の「慰安婦」問題に対する誤った認識は、平成5年の河野官房長官談話が根拠となっている。当時は公娼制度が認められており、慰安婦の中には不幸な境遇の方々がおられたことは認識している。この点に関しては同情を禁じえないし、遺憾の意を表する。しかし、我々の調査では、民間の業者による本人の意思に反する強制連行はあっても、軍や政府による強制連行という事実はなかった。1件だけ、ジャワ島における「スラマン事件」があったが、これは直ちに処分されており、むしろ軍による強制連行がなかったことを示すものである。政府として本問題の根本的解決のため、再度の実態調査を行い、関連する資料等の結果を全面的に公開することを求める。》

 さて、この提言に関する中山成彬会長の記者ブリーフの中で、一部、興味深いやりとりがありました。社のスタンスがうかがえます。いかにも、というか。ここ数年、サヨク・リベラルの人たちが、以前は忌み嫌っていた「国益」という言葉をよく使うので面白いなあ、と思います。

 《朝日記者 提言をまとめるまでの間、国内外からも反発があり、色々、影響があったかと思うが、この間の活動を総括して、国益上のメリット、デメリットはどういうものがあったか。

 中山氏 反発?反発だけじゃなかったですよ。支援の声も多かったですよ。私どもは日本の、日本人の名誉のため、先の戦争でお国の犠牲になられた旧日本兵の方々、沢山の日本人の方々がいらっしゃるので、その方々の名誉のためにも事実は事実としてはっきりと世界に示して、日本人の誇りを取り戻すべきだと思いますよ。そういう観点からやったんであって、一部のマスコミから批判があったことは事実ですけど、ほとんどのマスコミの方々からはむしろ支持の声が強かったと、私はそういう認識をしております。

朝日記者 (吐き捨てるように)特にデメリットはなかったということでよろしいんですね。

 中山氏 デメリットって何ですか?

朝日記者 いや、つまり国益上のですね…。

中山氏 我々は国益を守るためにやってるんですよ。今日も申し上げたんですけどね、これは国家的ないじめだと。黙っていると、日本の子供達は黙っているといじめられちゃうんで。私は教育再生の委員長もやってますが、いじめはなくさないといけませんが、いじめに屈しない強い子供達を育てていかなきゃいけないと思いますよ。ですから国際的にも日本人は大人しいから黙ってるんですけどね。黙ってるといじめられることが多いんでね。やはり、反論すべき事は反論していくと。こういう姿勢を貫いていかないと、これからの国際社会において日本の存在感は薄れていくと思いますよ。そういう意味で、私たちは国益のためにやってるんです。国益を損ねようとしている、損なっているとは全く思っていません。

 TBS記者 国益のためにやっているというが、米国人等の感情を刺激するのは良くないと、かえって悪い方向に行かないように、という意見はなかったか。

 中山氏 私は最初からこの問題は非常に微妙な問題、国内的にも国際的にも非常に微妙なので、非常に慎重にして行かなきゃいけないと思っておりました。しかし、あらぬ誤解とか、曲解に基づく批判に対しては、はっきりと反論していかなきゃいけない。降りかかる火の粉は払わなければ、日本の存在そのものが危ういと。そこが国益じゃないかと思ってます。だから、日本の若い留学生達が例えばアメリカとかカナダに行って、中国の留学生から「あんたの祖先は悪いことばっかりしたんだ」と批判されてね、それに対して反論も出来ずに小さくなっているという人もいる。そういう意味で、歴史教育についてもしっかりやっていかなければならないということじゃないかと思います。》

 まずはご一報まで。この問題は、引続きフォローしていきたいと思います。でも、中山氏が言っているように、現在の日本は国際的ないじめられっ子のようですね。たとえかなわなくても、死に物狂いで立ち向かってくる子をいじめようなんて、だれも思わないものですが…。
2007/03/08 15:55
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/129848



平成19年(2007年) 3月8日(木曜日)  
通巻 第1728号  (3月7日発行)

(読者の声1)アメリカの議会に「従軍慰安婦問題」をまた、何を考えて持ち出すのか。それは弁護士が日本政府から謝罪を勝ち取って、カネを巻き上げようと言うのがホンネだろう、とする分析があります。
 へたにカントの恒久平和論など抽象論を学んだ人からは出ない発想です。しかし、アメリカでは、これがビジネスマンの普通の発想です。
小生は、どちらかといえば親米派ですが、アメリカの嫌らしさ、醜さを誰よりも身に沁みて感じている。
アメリカを特徴づけるいくつかのコトバで表現できるが、その第一は、「小さなことはamicable(友好的に)謝っても、大きいことは絶対に謝ってはいけない、認めてはいけない」ということです。
 日本には免許取り立ての運転者の車に若葉マークなどというものをつけますね。
これは「私は運転が下手だから周りの人は注意してください」と意思表示しているのですが、なんという甘えの構造でしょう。
もしこの車が事故を起こせば100%責任を取らされます。
というのは、事故を起こす前から「事故を起こす可能性がありますよ、運転技術が下手だから」と言っているようなもので、これで事故を起こせば、責任を逃れるわけには行きません。一発でアウトです。
最近、アメリカのどの州だったか黒人奴隷の問題を謝罪しました。
しかしこんな謝罪は アメリカの白人にとって人畜無害、痛くも痒くもありません。白人(あるいはアメリカ政府、州政府)がそのことで膨大な補償金を黒人に出す羽目になるような環境なら、アメリカ人は絶対に謝罪などしない。自分には類が及ぶことなく、しかも人道の(偽善の)カッコよさをPRできるので、ドンドン謝罪しちゃう。アメリカ人の謝罪にはTPOがあるのです。
すなわちどんな補償や弁償の支払いが身に降りかかるか否かが判断の鍵です。戦争中の在留日本系米国市民の収容所についても補償したとはいえ、大したカネでもないのに、いかにも正義の装いで格好(=偽善と自己満足)をつけることが出来るのです。
いつか将来広島・長崎の原爆投下を謝罪する日が来るかもしれませんが、人畜無害の確信が得られたときでしょう。
 中国の問題にせよ、アメリカの問題にせよ、日本人はあまりに自分の「非」の痕跡を文書で残しすぎてきた。河野談話もその一例ですが、この「非」の痕跡こそが、後世に、子孫にとんでもない災害を及ぼすことになります、いや既になってしまっている!!! ましてや、韓国からはその追及はこれが最後といわれたからとか、諸般の状況からそれで収まると思ったとか、アメリカ人なら幼稚園児も言わない言い訳です。
 私の国際経験の一つの結論は、「国際」には、上半身と下半身がある。性善部分と性悪部分がある。上半身は国際親善、国際友好、国際貢献、外交プロトコールの部分。下半身は警戒、猜疑、弱みを見せない、尻尾をつかませない・・・ことです。
前者は相手を信用する部分、後者は相手を疑う部分です。
この上半身、下半身が一体となって初めて平和が維持できるのです。かのレーガン大統領は、trustにはvigilance (警戒、自警団)をセットで使っていたように記憶します。前者は上半身、後者は下半身です。世界の主要な国々はみな T&Vのバランスを保っています。Trustを言いながらvigilance も忘れないしたたかさに感心したものです。
北朝鮮はさしずめ下半身オンリーの国と言っていいでしょう。
真偽のほどは分かりませんが、レーガンは宮中晩餐会にもタキシードの下に防弾チョッキを着けていたという話を聞いたことがあります。根も葉もない話なら私ごときにそんな話が入ってこないでしょう。文字通りtrust & vigilance です。
外務省は(いや日本人全体に)、自国を守るために相手国の弱点やアラを組織的に把握しておいて、いざ鎌倉に発動できるようにしておく危機管理の発想が欠けていると思います。インテリジェンスの問題です。
野中広務が当選回数が少ない割に自民党内で権勢を振るえるようになったのは、野党党員はもとより自民党員のスキャンダルを徹底的に収集していざ鎌倉の事態には、小出しにして相手の発言を封ずる「国際的常道」を実行していたからだと聞きます。
民主党に移った石井一議員が何かの追求をしたとき、「あなたはそんな偉そうなことがいえるのか?・・・・・・・あんたも叩けばホコリの出るカラダ・・・」という趣旨で反撃して物議をかもしたことがありましたが、自民党員は野中には逆らえなかったのです。
加藤紘一も野中に脅されたことがありましたね。尻尾をつかまれていることの弱みで平伏すのです。
前回の大統領選挙で、民主党の副大統領候補のエドワードは産婦人科の誤診追及で巨万の富を築いた弁護士です。普通の日本人の感覚から言うと、本当に嫌な野郎です。しかしそういうルーでやっているアメリカ人には違和感はないようです。
従軍慰安婦といえば、終戦直後に進駐軍が入ってきたとき、当時の遊郭の女性を進駐軍兵士用にリクルートしたことがありました。旧制中学一年生の小生の耳にもそんな話が入ってきたのですが、これは多分アメリカ側の要請によるものだったと思いますが、良家の子女を守るために日本側から提供したという可能性もあります。何れにせよ、国家間でこの種の議論がされたことは事実です。ホンダ議員はご存じないと思います。
この場合は狭義の強制ではありませんが、女性提供要請はアメリカの恥であることは間違いありません。日本が「良家の子女の防波堤の大義」のために積極的に提供したとしても、それを受け容れたアメリカは公式には恥です!
・・・・・・・(余談ですが、そういう女性と結婚して、アメリカで幸せな生活をしている夫婦も結構います。昔のアメリカでの隣人がそういう夫婦でした。そういえば曽我ひとみさんも拉致されなければジェンキンスと知り合えず、いまの幸せはなかったはずだと多分北朝鮮は言うでしょうが、それはいう屁理屈というものです・・・)
また敗戦後、満州や中国から還ってきた日本人人女性は、ロシア人や中国人に犯されて妊娠していないかどうか、下関港の施設で全員が検査されたそうです。妊娠中の女性は直ちに堕胎に回されたということで、私の知人はその悲惨さについて涙ながらに語っていました。
こういうことも厚生省に資料があるはずです。私の知人の姉は、満州で夫が虐殺され、自分も強姦(?)されたか、帰国後一切外出もせず密室に閉じこもり、友人も当時の事情を聞くに聞けない悲惨な生活を送っているという話でした。
羽田元総理や高橋哲哉・東大教授などはが「謝って、謝って謝りぬく・・・」などとバカことを言っていますが、冗談じゃありませんよ。一歩後退すれば二歩押し込んでくるのが「国際」の現実です。宗教の世界なら「謝って、謝って謝りぬく・・・」で結構ですが、ナマミの国際社会にはありえないことです。
日本が国際社会で名誉ある地位を占めたいのであれば「したたかに」上半身・下半身を使いこなす能力を身につけることです。
アメリカは怪しからんといっていても始まりません。
アメリカはそれでもイギリスやフランスに比べて分かりやすい国です。原理原則がハッキリしているので、英・仏に比べて対応は楽です。嫌な時代になったものです。
しかしそれこそが国際化というものです。それを会得しなければケツの毛まで抜かれてしまいます。
上半身で日本的な価値観を維持しつつ、下半身で悪徳弁護士と闘えるしたたかさを持つ人士がいまの時代の理想の日本人像です。すくなくとも小生の価値観から言えば・・・・・。
小生の友人で、アメリカ、イギリス、フランスに駐在したことのある人たちは、おおむねおなじ認識を持っています。それでも世界のどの国よりもアメリカはましです。
   (TK生、世田谷)


(宮崎正弘のコメント) じつは、小生も、いまから二十二年ほど前に拙著『アメリカンビジネス常識の嘘』(日新報道)のなかで、この問題を書いたことがあります。
タイミングが早すぎたのでしょうか。この本、いま出すと、すこしは注目を集めるかも(苦笑)。



平成19年(2007年) 3月8日(木曜日)  貳
通巻 第1729号  

(読者の声2) 貴誌1728号(3月7日発行)の「読者の声1」は、正に急所ついています。
私もどちらかといえば親米派ですが、アメリカの嫌らしさ、醜さを感じています。
免許取り立ての運転者の車の若葉マークですが、あれは行政が付けさせているものです。かならずしも、自由意志で「私は運転が下手だから周りの人は注意してください」と意思表示しているわけではありません。
1980年頃英国に住んでいたときある友人が、「若葉マーク」に相当するもの(日本の若葉マークとは多少用途が違いますが)をつけるようにアドバイスしてくれました。日本の若葉マークは、英国の風習の真似なのかもしれません。
かといって英国流「甘えの構造」というわけではないと思います。
英国では、細くて曲がりくねっていてせいぜい時速30マイルしかだせない道でも人が飛び出してくる可能性がなければ、制限時速60マイル、見通しがよくて平らなまっすぐな道路でも歩行者がいるところでは制限時速30マイルだったりして、制限時速は運転者以外を守るもの、自分の責任で危険を冒すのは本人の勝手という観念が徹底していることに驚きました。
米国で歩行者など絶対いない急カーブのハイウェーで制限時速20マイルというところを見つけて、むしろ米国人はあそこまで徹底できず「甘え」があるのではと思ったりしました。
「終戦直後に進駐軍が入ってきたとき、当時の遊郭の女性を進駐軍兵士用にリクルートしたことがありました。旧制中学一年生の小生の耳にもそんな話が入ってきたのですが、これは多分アメリカ側の要請によるものだったと思います」
とありますが、「多分」ではありません。
実際に進駐軍が日本政府に要求したものです。
それより涙ぐましいのは、少しでも日本に対する処遇がよくなるようにと貴族への憧れの強い米軍将校に対して性的サービスを提供した華族の未亡人たちがいたことです。
なかには未亡人ではあるいは成人女性では飽き足らなかった米軍将校たちもいたことでしょう。
「ホンダ議員はご存じないと思います」といわれましたが、そう思うことこそ甘えでしょう。知っていても知らないふりをする、自らに都合の悪いことには目を瞑る、これが人間の普通の姿です。
神の国の住人と同じ考えや反応をしないからといって、非難しても有効ではありません。
   (ST生、神奈川)


(宮崎正弘のコメント) 三島由紀夫の『金閣寺』に、米兵に連れられた日本女性が金閣寺に現れ、僧に命じてお腹を蹴らせ、中絶させる場面があります。占領当時の米軍兵士の横暴。あの時代、日常茶飯の出来事でした。
 日本政府の対応は、ようするに喧嘩の仕方を知らないのです。


米国議会が「慰安婦」問題にご執心の理由
http://blog.mag2.com/m/log/0000063858/108319669.html
[PR]

by thinkpod | 2007-03-08 18:14
2007年 03月 06日

小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」

 首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。

 戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。

 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。

 野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従堰慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。

 淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。

 では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。

◆漢口の「慰安所」を見学

 商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。

 日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。

 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。

 私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。

 ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。

 私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も○人も中国人もいた(現在、鮮○は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。

 群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。

 半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」、「精神決めてトットと上がれネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働げば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。

◆どこにもいなかった「性的奴隷」

 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。

 私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。

 彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。

 先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。

 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。

 当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。

 一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約4円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。

 サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。

 以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。

 私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。

 「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。

◆問題にして騒ぎ出す者たちの狙い

 次に、軍関与の暴論について証言する。私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。

 だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。

 南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。

 「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。

 私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。

 考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。

 「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。

 私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。

 もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。

 戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。

 軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。

 「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。

 現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。

 「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが存在するからだ。

 「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

「正論」平成十六年一月号
[PR]

by thinkpod | 2007-03-06 17:57
2007年 03月 02日

竹島の日

反日宣伝拡大阻止を
ビーバーズ氏「竹島の日」寄稿

韓国で竹島問題を研究する米国人英語教師のゲーリービーバー氏が山陰中央新報社へ寄せた投稿文には、韓国側の主張を覆す古地図のほか、反日感情が浸透する韓国の現状を懸念する内容も盛り込まれていた。22日の島根県の「竹島の日」を契機に竹島に関する真実を発信するように、日本側に呼びかけている。(以下投稿文の要約)

島根県が「竹島の日」を定めたことは、その島は独島と呼ばれる韓国領である」と主張してきた韓国で猛烈な抗議を引き起こす結果となったが、韓国の主張にはおかしな点がある。歴史的文書や地図から根拠が見いだせないからだ。

竹島は隠岐島から北西157キロ、韓国 欝陵島の南東92キロの日本海に突き出た形の二つの岩からなる小島だ。周囲の海域は豊かな漁場で、だからこそ、この小島が日韓両国の漁民にとって重要になっている。
 
日本はこの小島のことを認識していて、1905年に公式に日本領とした。だが現在は韓国海上警察派遣隊が占拠し、50年代から常駐部隊を配置している。
 
日本では日韓両国の小島をめぐる紛争を国民が知らないか、無関心であるようだが、韓国では紛争のことはほぼ全国民が熟知し、韓国の訴えの正当性を擁護している。日本は対抗策を講じるべきだ。

問題の本質は韓国が日本領をと日本の漁場を占拠していることではない。韓国政府やメディア、教育システムが小島をめぐる紛争を利用し、韓国内ばかりか世界中に反日感情を蔓延させていることにある。
にほんがその島の領有権を要求するのは再び韓国領をかすめとろうと画策しているからだ、と韓国の人々は世界の国々に向かって宣伝している。

日本の人たちに理解してほしいのは、日本側が韓国主張に強く反論していかないことをいいことに、反日団体が韓国側のプロパガンダ(宣伝)を広めている事実だ。

歴史的な証拠を見る限り圧倒的に日本側の主張に軍配があがる。韓国が独島のことを言う干山島が竹島でないことは、韓国の地図が証明している。日本側が証拠を勉強し絵真実を世界に伝えれば、反日プロパガンダの広がりを阻止できる。

私は日本の皆さんが竹島独島紛争にもっと興味を寄せることを願っている。知識を得て、広めていくことがあふれ出している反日プロパガンダを押しとどめる手段になるからだ。 どうか島根県の「竹島の日」を大切にしてほしい。竹島に関する真実を世界に向かって伝えることができる絶好の機会なのだから

山陰中央新報、2007年2月22日号
http://www.occidentalism.org/?p=522


山陰中央新報 - 竹島問題で韓国側主張覆す古地図見つかる
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=345809006
山陰中央新報 - 「古地図」報道裏付ける韓国史料発見
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=346535006
Lies, Half-truths, & Dokdo Video, Part 7 » Occidentalism
http://www.occidentalism.org/?p=445



「竹島は日日問題」
 記念式典 黒田ソウル支局長講演

日本固有の領土・竹島の早期領有権確立を目指し、島根県が制定した「竹島の日」(22日) の式典と記念行事「領土問題を考えるフォーラム」が24日、松江市の県民会館で行われ、 県民ら約500人が参加した。黒田勝弘・本紙ソウル支局長が講演し、「竹島問題は日韓 問題でなく日日問題」と主張した。

式典では澄田信義知事が竹島の早期領有権確立を訴え、竹島関係資料の提供者に 感謝状を贈呈した。

フォーラムでは、黒田支局長が「韓国は何故、竹島/独島に熱狂するのか」と題して講演。 韓国政府は日本国内の良心的な市民勢力と手を結ぶ事を外交方針としているとした上 で、「この勢力は朝日新聞のこと。教科書と靖国神社の問題も朝日新聞のおかげで勝った と思っている。竹島問題も含め、日韓問題と思われているが、実は日日問題だと肝に銘 ずる必要がある。」と力を込めた。

日本が竹島領有権を主張すると、韓国が強く抗議する原因については「融和政策によって、 北朝鮮への脅威意識がなくなり、新たに竹島を使って国民の意見をまとめだした」などと 指摘。「日本が抗議しなかったこともあり、好き放題された」と述べ、「韓国は大変な闘志 を燃やしているが、それに比べると地元(島根県)の静けさはどうしたことか。もっと頑張 ってほしい」と話した。 
産経新聞07.02.25朝刊



「韓国は、何故、竹島/独島に熱狂するのか」
 産経新聞論説委員・ソウル支局長 黒田勝弘 氏

 島根県へ来たのは40年ぶり。ソウルから福岡経由で昨日着いた。このイベントに来るに当たって韓国メディアから「何を話すのか?」「また日本の極右記者、黒田が妄言を吐くはずだ。」と変な期待をされているが、まあ再入国禁止はないでしょう(笑)。しかし、松江駅に着いたら拍子抜け。どこにも竹島は日本の領土...などの看板が無い文が無い。これが竹島問題の地元なのか?静か過ぎる。まあ、昨日今日は右翼団体の街宣カーが雰囲気を盛り上げてくれたようだが(笑)。日本人の成熟度というか、いや所詮ローカルな話題でしかないのか。(韓国メディアの皆さん、日本ってこんなもんなんですよー(笑)) 韓国では国を挙げての大騒ぎ。独島問題への関心は100%です。今日、「県民の7割が関心を持つようになった。関心は高まっている。」との話があったが、「エッ! 地元で7割り!」というのが正直な気持ちだ。これじゃあ全国ではどうなることか。韓国に負けるぞー。
 松江駅で観光用パンフレットを貰った。もちろん韓国向けのハングルのものもありました。観光で稼ぐのも大事、理解しますが、こういうのに竹島問題を書いてください。外国の人にも日本の他地域から来た人にも何も伝わりません。お土産屋も見てみましたが、「竹島まんじゅう」が無い。竹島は全国区になり得る商品ブランドなんだからもっと商品開発をして売り出しましょう。竹島竹輪とかどうですか(笑)。私は、韓国の討論番組などに出る事もありますが、日本の立場、地元の気持ちなどを伝え、韓国人の気持ちを和らげる様に頑張っているつもりだ。不用意な発言をすると叩かれるので、「独島は韓国のもの、竹島は日本のもの」などと言って、逃げてはいるが。しかし、日本では醒めているというのだと、頑張り甲斐が無い。
 今、韓国は国際的に大きな位置を占めるようになってきている。国連事務総長にも選ばれた。ならば、もっと冷静な対応は出来ないのか?2年前、駐韓大使の高野氏が記者からの質問に答えて「竹島は日本領土。これが我が国の公式見解である。」と発言し、大騒ぎになって、外出も出来ない状態になった。しかし、高野氏は続けて、「但し、これは国家間の微妙な問題であるから、これが日韓関係の悪化に繋がらない様に慎重に取り扱う必要がある。」と断っている。私は、韓国メディアに「日本の大使が自国の立場を表明して何が悪い。」「発言に配慮もしている。」と反論した。しかし、日本はその後、あからさまにはこの問題に触れないという残念な対応をした。「その問題に関しましては、ご承知の通りで御座います。」などという逃げの答弁に終始した。風穴は開いていたのに残念だ。なさけない。 外務省は配慮しすぎだ。「竹島の日」もローカルな問題に留めたい様だ。
 韓国では独島がすっかり愛国のシンボルになってしまった。昔は韓国の政治家も「独島問題は厄介だ。いっそ爆破してしまいたい。」と冗談を飛ばしていたが、今はそんな話も出来ない。韓国は大きな国になり国際化したが、それで心の余裕ができたという状況にはない。過剰な自信を持ってしまったようだ。そして若い世代が愛国に熱狂し陶酔している。過去には北の恐怖があり、反共,反北で国論が統一されていた。しかし、国力の増大により「北は怖くない」という気持ちになり、また、宥和政策により「北は同胞」となった。国論統一のテーマが独島に変わってきたのだ。韓国では季節の大型の祝日にみんなが休んでいるときも、国境警備の兵隊さんは頑張っているという形で宣伝し、自国の安全保障を国民に浸透させていた。それが今は独島となった。独島で皆が一体となり熱狂し、それが快感となっている。
 また、その背景には「日本は何を言っても許される、日本は怒らない、損はしない」という甘えもある。外務省もそれを許してきた。ノムヒョン政権は竹島を利用し、社会がまとまりを無くしそうになると強硬姿勢を打ち出し、一時的だが繫ぎ止めを図った。堂々たる愛国政権である事を示したのだ。しかし、最近では独島問題で韓国政府は少し静かになってきた。あまり騒ぎ立てたので日本国民に反感が出てきてやばいのではないか。」と思い始めたのだ。そして、政府自ら「今後は日本の良心的な勢力と協力して...」などと言い出した。一国の政府が、他国の市民と協力すると正式に表明するなど聞いたこと無い。この良心的勢力とは、端的に言って”朝日新聞”である。朝日新聞は最初、「竹島は韓国に譲って、平和の島にすれば良い。」と言って猛反発を受け、韓国はやり過ぎだと言う論調に変えた。韓国側も頼みの良心的勢力までも敵に回すと慌てたのだ。
 産経,朝日は確かに考えは異なるが、国内の言論の分裂は付け込む隙を与える。国内では良く話し合って外からやられない様にすべきだ。外国の動きを利用して「アジアの国々もこう言ってますよー」などと、自らの主張を通そうとする輩が多い。怪しからん。

ここでもう時間が来てしまった。まだ半分ぐらいしか話していないんだけど(笑)。

要はこういうことだ、
「一足早く近代国家としてスタートした日本が、竹島を一足早く日本の領土して固めた。韓国は解放後、日本が敗戦で外交権も軍隊も無い状態なのをねらって掠め取った。」全て仕方が無い事だったのだ。
日本人がみじめな引き上げをしていた時に言われていた言葉がある。
「やっぱり戦争はしてはいけない。しかし、やるなら負けてはいけない。」負けたら何もかも取られてしまうのだ。竹島問題の解決には今後何世紀もかかるかも知れない。しかし、この失敗を教訓としなくてはなりませんよ。

http://fiorina.blog24.fc2.com/blog-entry-263.html#comment



【ソウルからヨボセヨ】シネマ県?

 先ごろ松江市で島根県主催の「竹島の日」(2月22日)記念行事があり、島をめぐる韓国側の様子を紹介してほしいと頼まれ、出かけてみて驚いた。日韓の外交問題としてあれだけ大騒ぎになっており、さらに「竹島の日」で記念行事が行われているのに地元で“竹島”が見あたらないのだ。

 JR松江駅では土産物店をはじめどこにも“竹島”の文字が出ていない。観光案内所の各種パンフレットや地図にも“竹島”はまったく見あたらない。韓国人観光客向けにハングル書きのパンフレットもあるのに“タケシマ”は出ていない。街でも「竹島の日」を知らせる表示物は行事会場以外では見あたらなかった。竹島問題は韓国が国を挙げて日本を刺激してくれているにもかかわらず、地元でもこの程度の関心なのだ。

 澄田知事は全国的な無関心の中で「やっとここまできたことを評価してほしい」と語っていたが、残念ながらいまだローカル行事にとどまっている。関係者は「だから韓国にもっと騒いでもらうしかない」と苦笑していた。その後、韓国のテレビが今回の行事のことを放送しているのを見たが、しきりに「シネマ県」といっていたのには笑った。韓国マスコミはその程度の日本理解(?)で騒いでいる。(黒田勝弘)
(2007/03/10 08:43)
http://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070310/kra070310002.htm





【米国人講師の闘い】
「日本の領土」と主張し解雇

 「君は独島が日本の領土だと思っているのか」

 韓国の嘉泉医科大学で6年間英語講師を務めていた米国人、ゲーリー・ビーバーズさん(51)は昨年11月、学長室に呼ばれ、『嘘(うそ)、半分の真実と独島ビデオ』と題した自身のインターネットへの書き込みを印刷した紙を見せられ、こう尋ねられた。

 「そうです」と答えると、学長は「『人間性・奉仕・愛国心』をモットーとする本学に、こういう講師はふさわしくない、という声がある」と言い、「もう書くな」と指示した。折しも大学が雇用契約の継続を1年ごとの再雇用に切り替えると通知してきた時期。「もう書きません」と誓ったが翌月、再雇用はしないと告げられた。

 学部長からは「君は評価が高いから心配ないよ」とお墨付きをもらっていた。学科長から「解雇は独島問題が原因だと思う」と打ち明けられたビーバーズさんは納得できず、「言論の自由を規制し、別の意見を持つ者を罰することが愛国心なのか」と抗議したが、決定は変わらなかった。

 韓国でこの“解雇事件”を取り上げたマスコミは1社だけ。ビーバーズさんは島根県の地元紙にも投稿し、「日本はもっと世界へ主張すべきだ」と訴えた。中断していた書き込みも再開した。

 ビザが切れるのを心配していたが今年3月から、別の大学で再び英語講師の職を得た。「私は専門家でも何でもないが、竹島(韓国名・独島)問題は今後も調べ続けたい」という。



 竹島問題に関心を持ったのは、島根県が「竹島の日」条例を制定した反動で、韓国内で反日感情がピークに達していた2年前。1977年に米海軍にいた際に韓国を訪れて以来、通訳などとして韓国で働いてきたビーバーズさんは「独島は韓国領」という韓国の主張をそのまま信じていたが、あまりの過熱ぶりを不思議に思い、ネットや文献や地図を調べ始めた。

 丹念に史料を読み込むうち、ふと気づいた。「1905年以前の韓国のどの文献・地図にも、独島を示すものがない」。議論を交わしたいと思い、オーストラリア人が開設している英語のブログに昨年8月から私見を書き込み始めた。「(韓国の古地図に書かれている)于山島は独島ではなく竹嶼(ちくしょ)のこと」「1905年以前に韓国が独島の存在を知っていたと示すものはない」―など、結果的にたどり着いた「私見」は日本の主張と同じだった。

 「史料を少し調べれば、すぐに竹島は日本の領土だと分かる。韓国の学者も99.99%は日本領だと思っているはずだ。でも、そんな発言をすると私のように職を失うから、誰も何も言えない。日本の研究はとても緻密(ちみつ)で正直だが、それが一般の人や世界に日本の主張を分かりにくくしているのではないか。日本はもっと声高に主張すべきだ」



 日本の竹島の領有権主張は、韓国では「再侵略」と表現される。1910年の日韓併合の5年前に日本が領土編入を告示した竹島は、植民地化の「最初の犠牲の地」とされる象徴的存在だからだ。日本に対する強烈な反発と国を挙げた「独島を守れ」の大合唱は、この歴史的背景に負うところが大きい。

 取材を終えて別れた約1分後、ビーバーズさんから電話が入った。「あなたと別れて30秒後、国の情報機関の人物から名前と住所、勤務先を聞かれた。何のためかと聞くと『麻薬捜査』と言うが、身体検査も所持品検査もなかった。長年韓国で暮らしているが、こんなことは初めてだ。あなたも気をつけた方がいい」。思わず息をのみ、周囲に人の気配を探した。

 ビーバーズさんは最近、日本語の勉強を始めた。「日本の見方について英語で書かれたものが少ないから」という。もともと日本側の論拠を知らなかったのに、なぜ日本と全く同じ主張になったのか不思議だと言うと、こう断言した。

 「真実は一つで、曲がることはないからね」

=第2部おわり
(竹島問題取材班)

産経新聞朝刊大阪版07年5月19日付1面掲載
波頭を越えて−竹島レポート−第2部(5)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid295.html#sequel
[PR]

by thinkpod | 2007-03-02 21:54
2007年 03月 01日

【戦後60年 歴史の自縛】(中)

(3)GHQ「ウォー・ギルト・プログラム」
刷り込まれた「罪の意識」

 さきの大戦を日本の「侵略戦争」ととらえ、指導者が諸外国に謝罪を繰り返すのもやむを得ないと考える日本人が少なくないのはなぜか。その出発点に、占領期の連合国軍総司令部(GHQ)による検閲と「戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(文芸評論家の江藤淳)であるGHQ指令「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の存在がある。検閲は、極東国際軍事裁判(東京裁判)に関して徹底的に行われ、「リベラル派」の雑誌『世界』(岩波書店)も論文の全文掲載禁止処分を受けていたことが、三日、わかった。GHQにより、同盟通信や朝日新聞なども発行停止や掲載禁止などの処分を受けているが、『世界』への検閲処分が判明したのは初めてだ。

 掲載禁止になったのは、東京裁判開廷直前の昭和二十一年四月、『世界』第四号に掲載予定だったS・Kによる「文明の審判−戦争犯罪人裁判」。理由は、「連合国の戦犯裁判政策の批判」にあたるとされた。

 論文は、連合国がニュルンベルク裁判や東京裁判を実施するに当たり、それまでの国際法の概念になかった「平和に対する罪」「人道に対する罪」を創出、戦争を計画・遂行した「個人」の責任を問おうとしていることに疑問を示し、次のように記していた。

 「日米開戦直後、国防安全の必要からアメリカ政府がとった日本人の奥地強制移住措置の如きも、そのアメリカ国内法上の合法性如何にかかわらず、もしも我々が、これを人道に対する犯罪と看做(みな)した場合には、ルーズヴェルト大統領の責任を訴追することができるといふことになる」

 結局、論文は日の目を見なかった。資料を発掘した明星大戦後史教育センターの勝岡寛次は、処分後の『世界』について「これに懲りて占領軍にすり寄り、二度とこのような論調で東京裁判を論じようとはしなくなった」と指摘する。

 GHQ総司令官のマッカーサーは昭和二十一年元日、「いまやすべての人が、不当な規制を受けることなく、宗教の自由と表現の権利を享受できる」との声明を出したが、実態は違う。

 GHQは二十年九月十日、検閲のスタートとなる「新聞報道取締方針」を発令。同月二十一日には「新聞条例」を発令してGHQ批判を禁止。六日後には、「新聞と言論の自由に関する新措置」によって、日本の新聞をマッカーサーの管理下に置いた。

 GHQは検閲で日本側の主張を封じ込める一方、日本人に米国の「歴史認識」を植え付けた。

 まず用語狩りを徹底した。特に「大東亜戦争」は、検閲で日本軍部を非難する論文で使われても例外なく削除を命じた。代わって「太平洋戦争」の呼称を定着させた。

 二十年十二月八日。GHQは、真珠湾攻撃から四周年にあたるこの日、全国の新聞に連載記事「太平洋戦争史」(GHQ民間情報教育局提供)を掲載させた。

 連載は十回にわたり、満州事変から終戦に至るまでの「日本の悪行」を強調する内容で、「真実なき軍国日本の崩壊、奪う『侵略』の基地、国民の対米憎悪をあおる」(八日付朝日新聞)、「隠蔽(いんぺい)されし真実、今こそ明らかに暴露 恥ずべし、南京の大悪虐暴行沙汰(さた)」(読売新聞)といった見出しが躍った。

 この間の事情を研究している政党職員の福冨健一が「二十年十二月八日は東京裁判史観が始まった日だ。『太平洋戦争史』は進歩主義や左翼思想と結びついて次第に日本に定着し、堂々と教科書に記述されるまでになった」と指摘するように、「侵略」という用語も周到に盛り込まれた。

 放送も大きな役割を担った。GHQの指導下、九日からNHKラジオは「真相はかうだ」を開始。「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにしたもので、週一回、日曜午後八時から十回放送された。

 少年の素朴な問いに、反軍国主義思想の文筆家が答える形式のドラマだ。「日本を破滅と敗北に導いた軍国主義者のリーダーの犯罪と責任を日本の聴取者の心に刻ませる」(民間情報教育局ラジオ課)目的で、内容は一方的なものだった。

 「原子爆弾の投下は、戦いをなお続けようとするなら、日本は迅速かつ徹底的な破壊を被るという連合国側の予告を、日本の指導者が無視し、何ら回答しなかったため」「戦時中の軍指導者たちが戦争犯罪人の指名を受けるのは当然」…。

 「真相はかうだ」は問答形式の「真相箱」に改められ、さらに四十一週間続く。一方、「太平洋戦争史」は翌年四月に単行本として出版されベストセラーとなる。出版前に、文部省が「各学校は各々これを購入の上、教材として適宜利用せらるべきものとす」という通達を出していた。

 GHQが実施したメディアと、公教育を通じた宣伝工作は、六十年後の今も日本人の歴史認識を縛っている。(敬称略)

                   ◇

≪検閲知らなかった国民≫

 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、二十年十月二日付のSCAP(連合国軍総司令官)の一般命令第四号に基づくもので、GHQ民間情報教育局が主体となって実施した。同命令の趣旨は「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」。「太平洋戦争史」連載も「真相はかうだ」放送も命令に沿ったものだった。

 ノンフィクション作家の保阪正康は、これらのGHQ製記事や番組について、「日本政府が国民に知らせず、隠蔽していた歴史事実を明らかにした『功』の部分もある」としつつ、こう言う。

 「そこで示された史観の発想やトーンは東京裁判の起訴状や判決文と見事に符合する。戦後のさまざまな昭和史記述の本もこの史観を下敷きに、なぞっている」

 戦時中の言論統制もあって「情報」に飢えていた日本人は、GHQが計画的に与えた米国製の歴史認識を吸収し、これが「歴史の真実」として定着していった。

 二十一年にGHQの諮問機関メンバーとして来日し、日本の労働基本法策定に携わったヘレン・ミアーズは著書『アメリカの鏡・日本』(GHQにより日本では発禁)の中で、占領軍による検閲に疑問を呈している。

 「私たち自身が日本の歴史を著しく歪曲(わいきょく)してきた。だから、政治意識の高い日本人から見れば、日本の教科書の『民主的改革』は、私たちが意図しているようなものではなく、単に日本人の国家意識とアメリカ人の国家意識を入れ替えるにすぎない」

 GHQは「東京裁判批判」「検閲制度への言及」「占領軍が憲法を起草したことに対する批判」など三十項目もの掲載発行禁止対象を定めた検閲指針を定め、厳しくメディアを取り締まった。国民は検閲を受けていることすら知らされなかった。

 検閲は発禁・発行停止を恐れる側の自主規制へとつながっていく。原爆投下への批判や占領政策への注文を掲載していた朝日新聞は、二十年九月十八日に二日間の発行停止を命じられた。

 民間のシンクタンク、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫によると、朝日は二十二日付の社説では、それまでの報道姿勢を一変させ、「今や我軍閥の非違、天日を蔽(おお)ふに足らず。(中略)軍国主義の絶滅は、同時に民主主義化の途である」と書くようになった。

                   ◇

 明星大教授の高橋史朗は、GHQのプログラムの目的について「東京裁判が倫理的に正当であることを示すとともに、侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし、戦争贖罪(しよくざい)意識を植えつけることであり、いわば日本人への『マインドコントロール計画』だった」と指摘する。

 むろん、GHQによる「罪の意識」の刷り込みがいかに巧妙であっても、二十七年四月の独立回復以降は日本人自らの責任であり、他国のせいにはできないという意見もある。

 「だました米国とだまされた日本のどっちが悪いか、という話。だいたい、歴史観の問題で、だまされたという言い分が通用するのか」

 現代史家の秦郁彦は、占領政策を過大視することに疑問を示す。

 一方、ジャーナリストの櫻井よしこは、日本人が戦後、自らの責任で東京裁判史観を軌道修正できなかったことを反省しつつ、こう語る。

 「二度と他国の謀略に敗北し、二度と自国の歴史、文化、文明、価値観、立場を理由なく否定されたり、曲げられたりすることのないように、しっかりと歴史を見ていくことがこれからの課題だと思う」(敬称略)

                   ◇

≪GHQの検閲指針(検閲対象となった主な事例)≫

 ・連合国軍総司令官(司令部)に対する批判

 ・極東国際軍事裁判(東京裁判)批判

 ・GHQが憲法を起草したことへの批判

 ・検閲制度への直接・間接の言及

 ・米、ソ、英、中国に対する批判

 ・朝鮮人に対する直接・間接の一切の批判

 ・他の連合国に対する批判

 ・連合国の戦前の政策に対する批判

 ・ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及

 ・戦争擁護、軍国主義、ナショナリズムの宣伝

 ・神国日本、大東亜共栄圏の宣伝

 ・戦争犯罪人の一切の正当化および擁護

 ・占領軍兵士と日本女性との交渉

 ・占領軍軍隊に対する批判

2005(平成17)年8月4日産経新聞
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050804jibaku_etc.html



◆【戦後60年 歴史の自縛】(4)生き続けるGHQ宣伝計画
「ひどくて、ひきょうな国」

 占領期に連合国軍総司令部(GHQ)が実施した「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は、今も形を変えて教育現場に生き続けている。

 東京・九段北の靖国神社にほど近いある千代田区立中学では、女性教員が指導し、「紙上討論」と称する授業を行っている。

 三年生の授業では、さきの大戦について日本に謝罪と賠償を求めた韓国の大統領、盧武鉉の演説や、原爆、戦争責任などを取り上げ、感想を書かせた。

 生徒たちは、教員の指導と助言を受けて書いた感想文に「日本政府の人たちは頭、悪いんじゃないかと思いました。本当に賢い人は『真実を、きちんと徹底的に教える』と私は考えるからです」「盧武鉉大統領、日本の過去の事実を教えてくださって、ありがとうございました」「国のために死ぬのは右翼の人だけでいい」「(天皇は)最後まで自分のことしか考えられず、心の弱さゆえか、『武力』のみでしか、人々を動かすことができなかった」−などと記している。

 教員自身は「大統領への手紙」という形式で「民族差別・女性差別・人権蹂躙(じゅうりん)の極致とも言うべき日本軍性奴隷いわゆる『従軍慰安婦』についても、(中略)私は、できる限り事実を提示する努力をし、生徒たちに考える時間を与えてきたつもりだ」とつづっている。

 東京・瑞穂町のある公立中学校では今年二月、社会科の授業中に「中国の戦争は進歩的で、正義の戦争である」と主張する『毛沢東選集』の一部や、元朝日新聞記者、本多勝一の著書『中国の旅』を引用、日本人が中国労働者の心臓と肝臓を煮て食べたという信憑(しんぴょう)性が疑われているエピソードなどを抜粋したプリントが配布された。

 このプリントを配った教員は別のテスト形式のプリントで、日ソ中立条約について「北方の安全を確保し、南方への侵略を進める目的で結んだ」と記述。日本語ではなく中国語の口語とされる「三光作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす作戦)を日本軍が華北地方の村々で行ったとした。

 東京・墨田区では、平成十六年度の教育委員会の事業として実施された中学一年社会の学習到達度調査テストで、南京事件について「武器をすてた兵士や女性・こどもを含む中国人が日本軍によって多数殺害されました」などと説明。

 そのうえで「中国の人々は日本の行動についてどう思っていたと考えますか。あなたが思うことを書きましょう」と出題し、生徒側から「ざんこくすぎる」「人殺し」「すごくひどくて、ひきょうな国だと思っていたと思う」−などの回答を引き出している。

 一方、十年には、小学校社会科教科書の日本史部分について「ほとんど戦争に対する贖罪(しょくざい)のパンフレット」と雑誌で語った教科書調査官が、正当な理由なく更迭されている。

 十二年度の中学歴史教科書の検定では、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を取り上げた扶桑社の教科書に、「一般的に広く認識されているとは言えない語句を用いている」と検定意見がつき、この部分は削除された。同プログラムは、文部科学省にとって、触れられたくない過去なのだ。

 文芸評論家の江藤淳は著書『閉された言語空間』の中で次のように書いている。

 「いったんこの(GHQの)検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、(中略)日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る」

 六年前に自死した江藤の「予言」は、不幸にも現実のものとなろうとしている。

                   ◇

≪教育基本法も“米国製”≫

 「国を愛する心」と「国を大切にする心」のどちらが教育基本法にふさわしいのか−。自民、公明の両党は、「教育の憲法」といわれる教育基本法改正に関する検討会を設けて協議を重ねているが、「愛国心」をどのような表現で盛り込むかをめぐって決着が付かず、今国会でも改正案提出は見送られた。

 中央教育審議会が平成十五年三月に「国や郷土を愛する心」を「教育基本法で新たに規定すべき理念」と答申してから、すでに二年半。教育基本法改正案は国会提出の見通しさえたっていない。

 「国家主義的、全体主義的、戦前への復古主義的な考えを盛り込むことは断固反対だ」

 公明党代表の神崎武法は今年一月、こう強調した。神崎は「教育基本法を改正したからといって、教育現場の問題が解決するものではない」とも言い切った。

 実は、教育基本法改正をめぐっては、公明党だけでなく、文部科学省の幹部や、内閣法制局からも「『愛国心』の盛り込みは内心の自由を損ねる」「自民案は教育基本法になじまない」といった反対・慎重論が出ている。

 就任当初は、目の前の利益よりも将来につながる教育を優先する「米百俵の精神」を掲げ、教育改革に熱意を示した首相の小泉純一郎は今、教育基本法改正にほとんど関心を示していない。

 現行の「どこの国の基本法なのか全く分からない」(自民党幹事長代理の安倍晋三)という条文を改め、「国を愛する心」を盛ることがなぜ警戒され、抵抗を受けるのか。

 ここにもGHQの占領政策の「後遺症」が影を落としている。

                  ◇

 GHQは教育政策を特に重視し、昭和二十一年二月に「教科書検閲の基準」を発令。次の五点を検閲対象として挙げ、徹底的に排除した。

 (1)天皇に関する用語 現人神(あらひとがみ)、上御一人(かみごいちにん)、天津日嗣(あまつひつぎ)、大君(おおきみ)など

 (2)国家的拡張に関する用語

 八紘一宇(はっこういちう)、皇国の道など

 (3)愛国心につながる用語

 国体、国家、国民的、わが国など

 (4)日本国の神話の起源や、楠木正成のような英雄および道義的人物としての皇族

 (5)神道や祭祀(さいし)、神社に関する言及など

 日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥が、平成四年に“復活”するまで、ながらく小学校教科書から消えていたのもこの基準が大きく影響したといえるが、「愛国心」もまた大きな被害を受けた。

 麗澤大客員教授(国際政治文化論)の西鋭夫によると、GHQの検閲で教科書に記載されていた「愛国心」は赤ペンで消され、黒鉛筆で「国を思うこと」に書き換えられた。

 GHQの検閲基準と、教育基本法に対する公明党の主張には、奇妙に符合する部分がある。

 GHQは教育基本法案の原案にあった「伝統の尊重」「宗教的情操の涵養(かんよう)」などを削除・修正したが、こうした部分は現在の基本法論議で“復活”が議論されている焦点でもある。

 西は、「教育基本法は新憲法の理想を学校教育で補強するために、GHQの指導のもとつくられた。憲法と同じように米国製だ。このことを忘れてはならない。日本人は米国が与える民主主義という甘い蜜の中に、『日本弱体化』という毒が入っていることを知らなかった」と強調する。(敬称略)

                   ◇

 【盧武鉉大統領が「3・1独立運動記念式典」で行った演説】「日韓の関係発展には、日本政府と国民の真摯(しんし)な努力が必要だ。過去の真実を究明し心から謝罪し、反省し、賠償することがあれば賠償し、和解しなければならない。これは全世界がしている歴史清算の普遍的な方法だ。私は拉致事件による日本国民の憤怒を十分に理解する。同様に日本も逆の立場に立って考えなければならない。強制徴用から『従軍』慰安婦問題に至るまで、36年間の数千、数万倍の苦痛を強いられたわれわれの国民の憤怒を理解しなければならない」(要旨)

2005(平成17)年8月5日産経新聞
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050805jibaku_etc.html
[PR]

by thinkpod | 2007-03-01 20:35
2007年 03月 01日

【戦後60年 歴史の自縛】(下)

(5)中国に全面譲歩した後藤田談話
首相靖国参拝の足かせに

 八月十五日が近づいてきた。郵政民営化法案の動向とともに注目を浴びているのが、首相、小泉純一郎の靖国神社参拝だ。

 「日本が実際の行動で問題を解決しなければ、われわれは常に『歴史カード』を手に日本をたたける。このカードは相当長期にわたって使えるだろう。日本がなぜ徹底的に反省とおわびをし、このカードを使えないようにしないのか分からない」

 小泉が首相として初めて靖国神社を参拝した翌日の平成十三年八月十四日。中国共産党機関紙「人民日報」のネット「強国論壇」に、政府系の現代国際関係研究所東北アジア研究室研究員、馬俊威はこう書き記した。

 靖国問題で中国に「歴史カード」を持たせたのは、中曽根康弘政権だ。昭和六十一年八月、前年に靖国神社を公式参拝した中曽根は、参拝を見送った。

 官房長官の後藤田正晴は、談話で元首相の東条英機ら「A級戦犯」の合祀(ごうし)に言及、「(前年の参拝は)近隣諸国の国民にA級戦犯に対して拝礼したのではないかとの批判を生んだ」「近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない」と中国に全面的に譲歩した認識を表明した。後に中曽根は、参拝中止の理由について靖国問題で窮地に陥った親日派の中国共産党総書記・胡耀邦を「救おうとしたため」と述懐したが、胡はほどなく失脚した。

 現・中国大使、王毅は今年四月二十七日の自民党外交調査会で、中国政府と中曽根政権が「首相、外相、官房長官は今後、靖国に参拝しない」との“密約”を結んでいたと暴露した。中曽根は即座に否定したが、後藤田談話が足かせとなり、首相の参拝が長らく絶えたのは事実だ。

 後藤田の中国寄りの行動は鮮明だった。六十一年六月に朝日新聞などが「復古調」と批判した検定合格前の高校教科書「新編日本史」に対する申請取り下げ工作にかかわり、「新編日本史」は検定に合格した後、修正を余儀なくされた。

 日中友好会館会長だった平成十二年九月には、同館副会長で教科用図書検定調査審議会委員だった元駐インド大使、野田英二郎に、検定合格前の扶桑社の教科書について「外交問題になれば厄介だから、審議会で議論して(不合格の)結論を出すのがいい」と指示していた。

 一連の経緯について本人に真偽を確かめようとした産経新聞記者に、後藤田は「おたくの社是は分かっているから取材は断る」と述べ、取材に応じなかった。

                      ■□■ 

 日中の歴史認識に関する摩擦の本質について、京大総合人間学部教授の中西輝政は、「国際政治の現実をめぐる争い」と喝破する。経済成長と軍備増強を続ける中国は、歴史問題をアジアの盟主の座をかけた日本とのヘゲモニー争いの道具にしているという。

 経済界の一部に中国に同調、首相の靖国神社参拝に反対する動きがあるのも事態を複雑にしている。

 日本IBM会長で経済同友会代表幹事の北城恪太郎は、昨年十一月、「首相が靖国に参拝することで、日本に対する否定的な見方、日系企業の活動にも悪い影響が出ることが懸念される。小泉首相に今のような形で靖国参拝することは控えてもらった方がよいと思う」と言い切った。

 こうした経済界の動きに中西は「日本が世界の大きな趨勢(すうせい)の中で圧倒的に有利な立場にあるという気持ちが大事なのに、日中二国間関係だけで考えてしまうから、戦後の惰性で謝罪したり、おもねったりしてしまう」と指摘する。さらに中西は言う。

 「進歩派ではない外交評論家といった有識者が、『国益からいって、首相の靖国神社参拝はやめるべきだ』と言い始めた。戦後日本の現実主義という考え方が、主権国家としての自立というものを踏まえないことがはっきりした」

 歴史の自縛の根は深い。

 ■「戦後」終わらせるとき

 昭和四十七年九月、首相の田中角栄が訪中し、日中共同声明に署名した。

 「過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」

 このとき活躍したのが高島益郎だ。田中訪中に同行し、外務省条約局長として日中共同声明作成の実務に当たった。中国側は交渉で、「台湾は中国の不可分の一部であること」を声明に盛り込むよう強く要求した。

 だが、高島はこの要求を突っぱねた。共同声明では、「中国政府は台湾が中国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明し」、日本は、「中国政府の立場を十分理解し、尊重する」との意向を示すにとどめるよう田中を説き伏せた。

 国益のため頑強に法律論を展開する高島を、中国首相の周恩来は「法匪(ほうひ)」と非難した。だが、後に「高島のような立派な部下を私も持ちたい」と言わしめている。

 「外務省に高島益郎のような国士が最近、いなくなってきた。外務事務次官も首相官邸の方ばかりみて、空気ひとつでどうにでも変わるようになってきた」

 元外交官で評論家の日本国際フォーラム理事長、伊藤憲一はいう。

 伊藤は、「高島という外交官がいたから最低限、抑えるところは抑えた。だが、もし、彼がいなかったら(中国におもねった)おかしな文章が入りかねない日中交渉だった」と語る。

                     ■□■

 衆院本会議場から自民党幹事長代理の安倍晋三、元経産相の平沼赳夫らが次々と退場した。

 今月二日、共産党を除く自民、公明、民主、社民四党の賛成多数で採択された「戦後六十年決議」の採決直前だった。

 村山富市政権下の十年前、大量の欠席者が出た末に採択された「戦後五十年決議」。今回の決議では、十年前の決議に盛り込まれた日本の「侵略的行為」や「植民地支配」といった文言こそなかったものの、民主党元代表、菅直人らの主張をいれて「十年前の戦後五十年決議を想起し」という文言が入った。

 積極的に動いたのは、議長の河野洋平だった。河野は「会期内に広島、長崎の原爆の日を迎えるので、衆院として平和への決意を示したい」と意気込んだ。

 だが、中国の態度は厳しかった。外務報道官の孔泉は決議をこう切り捨てた。

 「歴史問題を逆戻りさせる行為に未来はない。日本は軍国主義による侵略の歴史を深刻に反省し、歴史問題を妥当に処理すべきだ」

                     ■□■

 ここまでこじれた中国との関係を今後、どう再構築すべきか。

 「戦後和解」(中公新書)を著した山梨学院大学法学部助教授の小菅信子は、日本と中国の地理的近さによる近親憎悪の感情ゆえに「英国が抱えるアイルランド問題と同様に戦後和解は難しい」とみる。

 弁解の余地のないユダヤ人に対する組織的なホロコースト(虐殺)を行って戦勝国の「正義」を受け入れざるを得なかったドイツ。それに比べ、日本では、米国による原爆投下や大空襲で非戦闘員を大量に殺害されたこともあり、「加害と被害の線引きとバランスが不明確になり、日中間の戦後和解を難しくさせている」と分析する。

 それでも、戦後長く日英間のわだかまりとなった英軍人捕虜問題が、平成十年、首相の橋本龍太郎が英政府の非公式のアドバイスを受け、大衆紙に謝罪のメッセージを送ったことがきっかけで、融和に向かったことがヒントになるという。

 「首相には中国だけでなく世界にメッセージを発信する老獪(ろうかい)さを身に付けてほしい」と注文する。

 一方、中西は根本的な問題の解決が先決だと言う。

 「いい加減に謝罪外交をやめ、日本人を罪の意識で縛り続ける憲法を変えることから始めなければならない」

 ジャーナリストの櫻井よしこは「この十年ぐらいで、新しい歴史の事実、国民の意識を覚醒(かくせい)するためのさまざまな事実関係が次々と明らかになってきた」としたうえで、こう語った。

 「私はこのごろ希望を持っています。まもなく私たちの手で『戦後』を終わらせることができるでしょう」(敬称略)

 =おわり

                   ◇ 

 この企画は佐々木類、阿比留瑠比、加納宏幸、安藤慶太、乾正人が担当しました。

2005(平成17)年8月6日産経新聞
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050806jibaku_etc.html



<エディトリアルスペシャル>
憲法問題連続インタビュー
第2回 石原慎太郎東京都知事

1 現憲法は「日本解体の道具」 ——日本が真の国家戦略を持つには、やはり憲法の基本から改めなければならないという議論が高まってきた。
「アメリカのためには非常に都合のいい憲法なんだよ。それはやはり怖かったからね、日本のような黄色人種の国があれだけの軍事力をつけて、下手したらアメリカが負けていたかもしれない。だから原爆を日本に落として、進駐軍が最初にやったことは、原爆を研究していた仁科研究所の施設を壊して海に捨てた。彼らにとって日本人というのはエイリアンなんですよ。
 村松剛がカナダに交換教授で行っていたとき、日本が降伏した日の『ニューヨーク・タイムズ』の論説と、ドイツが降伏した日のものを比べてみた。そうしたら全然違う。ドイツの方の主旨は『ヒトラーが悪かった。ドイツ人は優秀だから皆で手助けして復興させよう』。ところが日本の場合には、ばかでかいナマズの化け物みたいな怪物が引っくり返っていて、その口の中で米国のGIが鉄兜を被ってその牙を抜いている絵があって、『この怪物は倒れはしたが死んではいない。我々は永久にかかってもこの怪物を完全に骨抜きしなければならない。それは戦争に勝つよりも難しい仕事かもしれないが、アメリカのために、世界のためにこの仕事を遂行しなければならない』と書いてある。
 日本はその結果見事に解体された。その作業のために作られたのが現憲法です。国民の生命、財産を国家が守らず、外国人に守ってもらうための憲法の下で誰が責任をとろうとしますか」
——あなたの憲法との出会いは政治家になってからか。
「最初に憲法を読んだのは学生のとき。『なんと醜い文章だ。日本語になっていない』と思ったよ。私は(憲法の翻訳に携わった)白洲次郎(しらす・じろう)さんに可愛がられていたけれど、次郎さんに食ってかかったら、『俺は日本語より英語の方がうまいんだが、あんなもの2晩くらいで翻訳したんだ。間違いだらけに決まっているし、日本語の責任なんて俺は持てない。すぐに直すと思っていたら日本人というのは馬鹿だね、まだ後生大事にしている』と。その通りだよ。前文だって間違いだらけだ。例えば、<全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ>というのは助詞の間違いだ。あくまで『恐怖と欠乏を免かれ』ですよ。そういう間違いが随所にある。あれが英文和訳だったら70点くらいですよ」
——憲法はどうあるべきか。
「中曽根(康弘・元首相)さんのいうように、まず民族性、日本の伝統をすべて踏まえた、日本人の感性に訴えた格調ある日本語で作ってもらいたい。
 前文で謳われている理念については間違っているとは思いません。人の不幸は願わないというのは当たり前だし、平和に暮らしたいというのは誰でも思っている。だから、それを表現するのは正統な日本語でやってほしい。
 ただし、9条というのは話にならない。国家が主権を持って国民の生命と財産を守るというのは国政の大眼目でしょう。それをしなくていい、アメリカがやってやるから余計なことは考えなくていいと牙を抜かれたのが9条だよ。
 で、おかしいのは朝鮮戦争が起きてしまって、わざわざ改正しにくくした憲法をすぐに直すわけにはいかない。だから解釈論でずっとやってきた。その期間が長すぎて結局、国をダメにしてしまった。
 だから現憲法は破棄した方がいいんです。破棄というと乱暴そうだけど、これはいかん、直そうということになったら一応、憲法そのものを否定する。今あるこのままの形の憲法は破棄して捨てようという決議なら51対49でも国会を通る。その際に、2年のうちに新憲法を考えるといった付帯決議をすればいいんだよ」
——新憲法の理念は何か。
「自主独立、自分のことは自己決定するということだよ。国が滅びる一番の理由は自己決定できないことだ。ローマを例に挙げると、国防という一番大事なところを外国人にやらせたでしょう、傭兵に。その傭兵の反乱でローマは簡単に潰れた。日本だってそうだ。自己決定できず、アメリカに防衛を頼んでいるつもりでいるが、彼らは本気で日本を守るつもりなんかないよ」

週刊ポスト/2000.1.14・21
http://www.weeklypost.com/jp/00011421jp/edit/edit_1.html

http://k-mokuson.at.webry.info/200508/article_3.html
[PR]

by thinkpod | 2007-03-01 20:30
2007年 02月 22日

【正論】評論家・西尾幹二 日本は米中に厄介で面倒な国になれ

評論家・西尾幹二氏
 ■拉致解決は日本の核議論の高まりで

 ≪国際社会は新しい情勢に≫

 米国はイラクに対し人的、物的、軍事的に強大なエネルギーを注いだのに、北朝鮮に対しては最初から及び腰で、一貫性がなかった。その結果がついに出た。このたびの6カ国協議で米国は朝鮮半島の全域の「民主化」を放棄する意向を事実上鮮明にした。

 中国は台湾に加え朝鮮半島の全域が「民主化」されるなら、自国の体制がもたないことへの恐怖を抱いている。米国は中国の体制護持の動機に同調し、米中握手の時代を本格化させ、日本の安全を日本自身に委ねた。この趨勢(すうせい)にいち早く気づいた台湾には緊張が走り、李登輝氏と馬英九氏が新しい動きをみせたのに、いぜんとして事態の新しさに気がつかないのは日本の政界である。拉致問題でこれ以上つっぱねると日本は孤立するとか、否、拉致についての国際理解はある、などと言い合っているレベルである。

 国際社会はイラクの大量破壊兵器開発の証拠がみつからないのに米国がイラクを攻撃したと非難した。一方、北朝鮮は大量破壊兵器を開発し、やったぞと手を叩いて誇大に宣伝さえした。それなのに米国は攻撃しない。それどころか、エネルギー支援をするという。国際社会はこのダブルスタンダードを非難しない。

 イラクのフセイン元大統領は処刑され、彼と同程度の国際テロ行為を繰り返した北朝鮮の金正日総書記は、処刑されるどころか、テロ国家の汚名をそそいでもらい、金品を贈与されるという。米大統領はその政策を「良い最初の一歩」と自画自賛した。目茶苦茶なもの言いである。ここまでくるともう大義も道義もなにもない。

 ≪危うい依頼心を捨てよう≫

 私は米国を政治的に非難しているのではなく、もともと目茶苦茶が横行するのが国際政治である。米国に道理を期待し、米国の力に一定の理性があると今まで信じていた日本人の依頼心を早く捨てなさい、さもないと日本は本当に危ういことになりますよ、と訴えているのである。

 北朝鮮の核実験の直後に中川昭一自民党政調会長が日本の核武装について論議する必要はある、と説いた。しかし、例によって消極的な反論をマスコミが並べて、国民はあえて座して死を待つ「ことなかれ主義」に流れた。核武装の議論ひとつできない日本人のよどんだ怠惰の空気は米国にも、中国にもしっかり伝わっている。

 もしあのとき日本の国内に政府が抑えるのに苦労するほどの嵐のような核武装論が世論の火を燃え立たせていたなら、今回の6カ国協議は様相を変えていたであろう。

 もともと6カ国協議の対象国は北朝鮮ではない。米国を含む5カ国が狙っているのは日本の永久非核化であり、国家としての日本の無力化の維持である。日本は6カ国協議という罠にはまっているのである。加えて、イラクで行き詰まった米国は中国に依存し、台湾だけでなく日本を取引の材料にしている可能性がある。日本の軍事力を永久に米国の管理下に置き、経済力は米中両国の利用対象にしよう。その代わり中国は「石油」と「イスラエル」と「ユーロに対するドル防衛」という中東情勢に協力せよ、と。

 ≪もし核武装論議容認なら≫

 世界政治の大きなうねりの中で日本は完全にコケにされている。日本の安全保障は今や米国の眼中にない。自分を主張する日本人の激しい意志だけが米中両国に厄介であり、うっとうしい困難である。日本に面倒なことを言ってもらいたくないから抑えにかかる。好き勝手に操れる人形に日本をしたい。

 中川氏の核武装論議発言に対し、ライス国務長官が「日本は米国の核で守られている。心配しないように」と応答し、ブッシュ大統領は「中国が心配している」とどっちの味方か分からない言い方をした。安倍首相はそれに迎合してアジア太平洋経済協力会議(APEC)の会見場で中川発言を抑止した。しかしもしあのとき、首相が「日本政府は核武装する意志を当面もたないが、与党内の自由な論議を抑えるつもりはない」くらいのことを言っていたならば、局面はかなり変わったろう。

 6カ国協議で拉致だけ叫んでいても、バカにされるだけで拉致だって解決しない。米中両国がいやがる日本の自己主張だけが日本を救う。防衛のための武力の主張は今の憲法にも違反はしない。核武装論が日本の国内の王道になれば、米中は態度を変え、北朝鮮を本気で抑えるだろう。さもなければ核国家の北に日本は巨額な資金援助をする耐え難い条件をのまされることになろう。(にしお かんじ)

(2007/02/22 05:25)
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070222/srn070222000.htm
[PR]

by thinkpod | 2007-02-22 16:46
2007年 02月 20日

南京虐殺はホロコーストではない

米歴史学者の『ザ・レイプ・オブ・南京』批判
アイリス・チャンが依拠するバーガミニは定評ある歴史家によって退けられているのだ
(『アトランティック・マンスリー』98年4月号より転載 塩谷紘訳)

デビッド・M・ケネディ
スタンフォード大学歴史学部長


 「残虐行為は、傷付いた獣を追うジャッカルさながらに、常に戦争につきまとうものである」

 マサチューセッツ工科大学(MIT)の歴史学者、ジョン・W・ダワー教授は、太平洋における第2次世界大戦史を論じた自著、『War without Mercy』(1986年、邦訳『人種偏見』TBSブリタニカ)でこう述べている。
 非人間的行為は、第2次世界大戦を戦ったあらゆる軍隊の背後に、死骸に飢えた悪霊のように忍び足でついて回った。
 状況は連合国側も枢軸国側も同じだった。
 独ソ戦にみられた残虐行為は全世界の知るところであり、ヒトラーによるユダヤ人の組織的な抹殺作戦はなかでも最も極悪非道の行為だった。
 ホロコーストは、人類が悪魔的所業を犯す能力の象徴として、われわれが生きるこの時代の恐怖に満ちたシンボルとして定着している。
 ホロコーストの記憶は今なお世界の人々の想像力の中で生きのび、人類の未来を予言する哲学者たちの確信を揺るがせ、教会を司る人々の言行の正当性を問い、芸術や文学に暗い影を落とし、この問題について熟慮するあらゆる人々の心胆を寒からしめている。
 そして、半世紀以上を経た今日、ホロコーストの記憶はまた、諸政府の政策に影響を及ぼし、国家間の関係を決定付けたりさえしているのである。
 事実、ホロコーストをめぐる現代の論議は、残虐の政治学を理解したいと願う人類の近代的衝動の発露であると同時に、人間を残虐行為に導く本能を分析し、そして可能なことならその本能そのものを制御することを目論んだ一時代前の文化的プロジェクトに、規模と熱烈さの点で匹敵する作業なのである。
 現代においては、苦難の政治学をコントロールしようとする努力は、悪の心理学を理解しようとする努力に取って代わりさえしつつあるのかもしれないのだ。
 アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』のサブ・タイトルは『The forgotten Holocaust of World War II(第2次世界大戦の忘れられたホロコースト)』とある。
 これは、世界がアジアにおける戦争をヨーロッパにおける戦争と同一視し、日本軍のサディズムの犠牲者となった中国人にホロコーストの犠牲者と同等の資格を与えよと主張する著者の意図を示すものである。
 確かに、日本軍による1937年12月の南京陥落後に同市で起きた惨事に記録は、冒頭に引用したダワー教授の言葉の正しさを証明するものだ。
 しかし、南京における出来事が果たしてホロコーストと比較するに相応しいかどうかは、別の問題だろう。
 また、日本人によって完全に忘れられてしまったかどうかは、疑わしい。
 日本の中国侵略は、1931年の満州占領から始まった。
 この事件は、上海在住の日本人に対する中国側の報復を招いた。
 これに対し、日本側は上海出兵で応じたのだった。
 日中両軍の激烈かつ戦闘地域が限定された戦いが、1932年の大半を通して繰り広げられた。
 戦火はその後下火になり、数年間の小康状態が続いた。
 その間、日本は満州支配体制の強化を進め、一方中国は、次第に激化しつつあった蒋介石の国府軍と毛沢東の共産軍との内戦に大きく揺れ動いていた。
 西側社会は、大恐慌と増大しつつあるヒトラーの脅威に気を奪われ、アジアで湧き上る危機に対してほとんど打つ手はなく、ただ傍観するのみだった。
 1937年7月、北京郊外の盧溝橋付近で起こった中国軍と日本軍との小規模な衝突が、日中間の本格的戦争に拡大した。
 日本側は中国と公然と戦うことは、救いようのないほど無力と見なしていた中国政権を懲らしめる絶好の機会と考えていたようだ。
 イギリスのある外交官が見た当時の日本の中国観は、次の様なものだった。

上海、そして南京へ

 「中国は文明国ではなく、定形を欠く民族集団に過ぎない。
 その政府は秩序の維持が不可能なほど無力である。
 共産主義の嵐が荒れ狂い、国家は競い合う軍閥の率いる軍隊や共産軍、そして盗賊の群れによる略奪の餌食となっている」
 一方、国府軍の将軍たちや中国共産主義者たちの圧力下にあった蒋介石は、日本の侵略者たちと対決して決着をつける機会を待ち兼ねていた。
 しかし蒋総統は、北京周辺で日本軍の主力と戦うよりも1932年のシナリオを再現させることによって戦闘の舞台を中国南部に移すことをもくろんだのである。
 蒋は、上海の約3万人の在留邦人に脅威を与えることによって、北支の日本軍を、蒋介石の主たる政治基盤であり最も安全と考えられていた揚子江下流の地域におびき出せると読んだのである。
 この囮(おとり)作戦は成功した。
 日本軍部は目を南に向け、8月23日、当時の日本軍司令官、松井石根大将は上海攻撃を開始した。
 松井大将は中国側の激烈ながら散発的な抵抗(当時蒋の将軍たちは、臆病だという理由で数百名の国府軍兵士を処刑している)に遭いつつ、ジグザグのコースをとりながら上海に向かって前進した。
 兵士の3割死傷者を出した後の11月上旬、ついに上海を占領した。
 蒋にとってこれは深刻な軍事的敗北であったと同時に、その後直ぐに起こることになった、それ以上に規模の大きい惨劇の序曲だったのである。
 日本軍は猛烈な絨毯爆撃の後、揚子江流域に向かい、国府軍の首都南京へと進撃を続けたのだった。

南京を捨てた国府軍

 血の揚子江・・・・・・。
 それより1世紀弱前のことになるが、14年の長きに及んで続き、合計2千万人の犠牲者を出した太平天国の乱(1850−64年)でも壮烈な戦闘のいくつかが、揚子江のこの豊かな流域で繰り広げられた。
 日本の侵略が始まる前の10年間に、蒋の軍隊は揚子江下流地域で共産主義者や労働組合員たちを情け容赦なく皆殺しにした。
 彼らは同時に、イギリス、アメリカ、日本などの領事館を襲撃して略奪を行い、数名の外国人を殺害している。
 松井大将麾下の兵士たちは、煮えたぎるような憎悪と頻発する暴力に満ちた“歴史のボイラー”の中で前進を続けたのだった。
 主戦場である南京城の城門に近づくにつれて、大混乱の中で敗走を始めた蒋の兵士たちはパニック状態に陥り、散り散りになって行った。
 日本軍が接近すると国民政府の役人たちは南京を捨てて逃亡した。
 蒋介石自身も、12月8日、自ら制定した首都から退散している。
 後に残されたのは、可能な限りの後衛を託された唐生智将軍指揮下の、体裁ばかりの部隊だった。
 唐将軍は抵抗する気配すら見せなかった。
 12月12日の夕刻、日本軍の進軍のペースを落とす策として南京市の城壁の外にある家屋に放火することを命令した後、唐は大型ボートに乗って逃亡し、揚子江上流に向かった。
 南京防衛隊の残兵と、揚子江下流地域から南京市に退却してきた兵士たちは、指揮官たちに見捨てられ、市を包囲する火の海に行く手を封じられることを恐れて、可能な限りの安全を求めて暴走した。
 何千もの兵士たちは揚子江の凍て付くような流れの中に身を投じたが、遠い対岸に安全を求めたこの行動が自殺行為だったことは、たちまち証明されたのだった。
 さらに多くの兵士たちは変装して、包囲された市内に潜入することを目論んだ。
 彼等は接近しつつある侵略者の追及をかわすために狂気の争奪を繰り広げた。
 軍服をかなぐり捨て、民間人用の衣服を求めて商店の略奪や市民の襲撃を行い、戦友を踏みにじり、手斧で襲い、機関銃で撃ったのである。
 12月13日、信じ難いほどの混乱現場に、日本軍の先発部隊が侵入してきたのだった。
 当時の南京の中国人居住民たちは、10年にも及ぶ民生の混乱、国府軍による略奪、反政府的暴動、そして本来なら自分達を守ってくれるべき中国人兵士たちによる際限なき暴威に痛め付けられていた。
 だから市民の多くは、流血と火炎の地獄と化した混乱の都市南京に少なくとも一応の秩序をもたらしてくれるかもしれない規律ある軍隊として、日本軍を歓迎したのだった。
 だが、日本軍は南京市民のそのような期待を断然かつ冷酷にふみにじったのである。
 日本軍は南京市内でただちに、国府軍指導部に見捨てられ地下に潜入した中国人兵士の徹底的な捜索を開始した。
 この措置は、国際的に承認された戦争のルール下で認められるものだったが、松井大将の軍隊はそれを目を覆わんばかりのどう猛性をもって実行したのである。
 兵役の年齢に達したすべての青年を一斉検挙して、大規模な機関銃掃射や、連続的な首切りによる処刑を行ったりした。
 こうした処刑は、ときには恐怖に怯えた傍観者の眼前で行われた。
 さらに悪質な行為が続いた。
 市内を徘徊する日本兵の群れは、民間人を手当たり次第に殺害し始めた。
 老若男女のみならず、妊婦の胎内にいる胎児までもが、棍棒、銃剣、小銃、松明(トーチ)、そして日本刀などで無差別に襲撃されたのである。
 松井大将配下の兵士たちは、銃剣訓練のために生身の中国人や、その死体を使っている。
 彼等は数え切れないほどの中国人を拷問にかけ、手足を切断するなどして、不具にしているのだ。
 著者チャンの記述によると、日本兵は中国人の舌に鉤(かぎ)をかけて宙吊りにしたり、酸に漬けたり、手足を切り離したり、手榴弾で殺害したり、刺し殺したり、焼き殺したり、革を剥いだり、凍死させたり、生き埋めにしたりした。
 また、日本兵は無数の婦女子を強姦することによって、南京虐殺のこの不名誉なエピソードに「ザ・レイプ・オブ・南京」という、この事件が以後永遠に知られるようになった名前を授(さず)け、それがチャンの著書にタイトルとしても使われたのである。

俗説に加えてセンセーショナル

 血なまぐさく、ぞっとするような話を好む読者は、この本に決して失望すまい。
 著者はあからさまな残虐行為の多くを堪(た)え難いほどの詳細さで描写しており、グロテスクな光景を言葉だけでは表現出来ない一連の写真を掲載することで、記述を補足している。
 南京大虐殺は、いかなる尺度で考えても破局的な恐怖の事件だが、著者はその恐怖の度合いを計る自分なりの尺度を読者に提供している。
 例えば、中国人の死体を積み上げたらどれ程の高さに達しただろうかを詮索し、日本軍の狼藉によって流された中国人の血の総重量まで紹介しているのだ。
 しかし、俗説を信じ込む傾向と相まって、センセーショナルな表現に走る傾向が、残虐行為に関する記述を特徴付けてはいるものの、著者が引用する証拠の数々が、日本軍の振る舞いに対する決定的な告発であることに疑いの余地は無い。
 南京大虐殺、戦争と戦争犯罪の悲しむべき記録の中で、極端に悪質な怪異的事件として突出している。
 当時の日本の外相、広田弘毅ですら、1938年の南京視察旅行のあとでこう述べている。
 「日本軍は、フン族の王アッチラ大王とその部下を思わせるように(残虐に)振舞った。少なくとも30万人の中国人市民が殺害されたが、多くは冷酷な死を遂げた」(末尾注・参照)
 当時、南京市には、皮肉にも「安全地帯」と名付けられた一角があった。
 これは、同市在住の20数名の外国人によって慌しく結成された「国際委員会」のいささかな頼りない保護の下で運営されており、何万人もの難民が避難しいていた。
 しかし、残虐行為はこのゾーンでさえ繰り広げられたのである。
 委員会はこの暴虐の饗宴について日本当局に繰り返し抗議し、委員達が表現をいくぶん和らげて“無秩序の事例”と呼んだ暴虐を正式に文書にまとめる作業を開始した。
 1939年、同委員会は南京虐殺の425件の事例をまとめた、厳粛かつ法的手続きに基づく記録を発表した。
 委員会によるこの証言に、チャンはさらにその他の事件を加えている。
 それらのうちのいくつかは、戦後行われた極東国際軍事裁判の記録、1937年に南京に取り残された数名のアメリカ人宣教師が帰国後エール大学神学校の図書館に保管した書類、さらにチャン自身が発掘した驚くべき文書・・・・つまり、南京の「安全地帯」を管理した国際委員会の委員長、ジョン・H・D・ラーベが残した日記・・・などから引用されている。
[PR]

by thinkpod | 2007-02-20 23:27
2007年 02月 20日

「南京虐殺」はホロコーストではない(下)

チャン本の根拠はあのバーガミニ

 ラーベはあらゆる点で特筆に値する人物だったが、思いがけず英雄の役割を演ずることになった。
 南京が修羅場と化している真っ只中で、日本人将校がラーベに尋ねた。
 「君はなぜここに留まったのか。ここで起こっていることは、お前にとってどのような意味があるのだ。」
 これに対してラーベは、「私の子供たちも孫たちも、全員ここで生まれた。私はここに住んでいて楽しいし、成功もしている」と答え、次のようにくけ加えている。
 「私は中国の人々にいつも大切にしてもらってきた」と。
 ラーベはドイツ人のビジネスマンで、1882年にハンブルグで生まれている。
 中国には1908年から住み、主としてシーメンス社に勤務していた。
 中国語を学び、中国を愛するようになり、中国人の社員を非常に丁寧に扱った。
 また、ラーベはナチ党員でもあった。
 自分の監督下で働いていた数名の外国人と共に、ラーベは数え切れないほどの中国人を日本軍の絶対的な権力から守ったが、時には自分の権威を誇示するためにハーケンクロイツを描いた腕章を日本兵の方に押しやったり、ナチの勲章をちらつかせたりした。
 著者がラーべを“中国のオスカー・シンドラー”と呼ぶのも、理由が無いわけではないのである。
 普通では有り得ないようなこの話は、確かに人間性の持つ善悪両面と、計り知れない神秘について読者に考えさせるものではある。
 しかし、南京大虐殺がなぜ起こったかについて説明するチャンの努力には、事件の裏に潜む、ラーベの場合と同じように複雑な背景を理解しようとする意識は感じられない。
 日本軍の規律がどのような形で乱れ、あのように信じ難いほど堕落することになったか。
 日本軍の行動は、中国人を恐怖に陥れるために高度のレベルで下された意図的な政策決定の結果だったのか。
 日本帝国陸軍が犯した残虐行為は、日本人の民族的性格に見られる何らかの道徳的欠陥に起因するのか。
 それとも、中国人に対する民族的憎悪を掻き立てた、陸軍の計画的な教化のせいか。
 あるいは、正気を失った現地司令官たちの屈折した心情の産物なのか。
 教育不十分で酷使され続けた兵士たちの、上官たちに対する大規模な不服従の結果か。
 または、揚子江のそれまでの長い歴史と環境・・・・、特に上海から揚子江流域上流に向けて展開され、1937年12月13日の南京の悪夢で頂点に達した日本軍の血塗られた作戦・・・・これらが、人間の心に宿る悪魔を偶然解き放ったということなのだろうか。
 チャンはこれらの解釈のいくつかについて考察するものの、いずれも厳密に探究していない。
 南京虐殺は日本政府の最高首脳部が下した正式な政治的決断だと主張したがっているのは明らかだが、この議論の事実唯一の支持者が、彼女が文中で頻繁に引用しているデビッド・バーガミニである。
 バーガミニは、明らかに奇抜な論点に基づいて書かれた自著、『天皇の陰謀』(1971年)で、南京虐殺とその他の残虐行為を正面から天皇ヒロヒトの責任であると決め付けようとした。
 しかしチャンは「不幸にして、バーガミニの著作は定評ある歴史家たちの痛烈な批判を浴びている」点を認めざるを得なかった。
 だが、これは控えめな表現というものだ。
 現に評者の1人は、バーガミニの記述は、「歴史ドキュメンタリー作成のあらゆる基準を無視した場合にのみ信用できる」と述べているのである。
 歴史家のバーバラ・タックマン女史は、バーガミニの主張は、「ほぼ完全に、著者の推論と悪意ある解釈を好む性向の産物である」と述べている。
 だが、それでもチャンは、少なくとも「ヒロヒトは南京虐殺について知っていたに違いない」との結論を下すことを自制できなかった。
 天皇が南京事件を起こしたと言っているわけでは無い。
 だが、それでもこの主張には、長期にわたって信憑性を否定されてきたバーガミニの主張に対するチャンの心酔の度合いの、わずかではあるが決して疑う余地のない残滓(ざんし)が見られるのだ。
 別の箇所でチャンは、「本書は日本人の性格について論評するために書かれたものではない」と宣言しているが、その直後、千年の歳月を経て培われた「日本のアイデンティティ」の探索を始めているのである。
 彼女の判断では、それは軍人たちの巧妙争い、サムライの倫理、そして、武士道というサムライの行動を律する恐ろしい規範からなる、血なまぐさい所業であり、先の否定宣言にもかかわらず、彼女は明らかに「南京への道」は日本文化のまさに核心を貫いているに違いないと推論しているのである。
 結論を言えば、この著作は南京虐殺がなぜ起こったかについての解説よりは、虐殺事件の描写の点ではるかに優れた作品である。
 こうした欠陥の一部は、チャンが依存した情報に起因する。
 いくつかの例外を除けば、チャンは南京の中国人犠牲者と「安全地帯」に残った白人たちの観点からのみ事件を語っているのだ。
 彼女が引用する証拠は、加害者達の精神性に関するいかなる洞察の根拠も、ほとんど提供していない。
 また、日本陸軍の研究に取り組む2人の研究者が「帝国陸軍が中国人に加えた残虐な行為の海に残した最高水位点の1つに過ぎない」と表現した、南京を中心としに繰り広げられた残虐行為に焦点を絞ったことは、日本軍の振る舞いに関して包括的な解明を施そうとする彼女の努力に水をさすことになっている。
 彼女は、クリストファー・ブラウニングの『Ordinary Men(普通の男たち)(1922年)』や、オマー・バートフの『The Eastern Front, 1941-1945(東部戦線、1941-1945年)』(1985年)のような作品に読者が見る、ナチの残虐性の動機に関するニュアンスに富んだ慎重な分析に匹敵する考察はほとんど行っていない。
 また、結果的にドイツ民族全体にホロコーストの犯罪があるとした、ダニエル・ゴールドハーゲン著の平板ながら挑発的な『Hitler's Willing Executionaers(ヒトラーの意欲的な死刑執行人たち)』(1996年)のように広い視点でドイツ人をとらえた議論に匹敵する考察さえも行っていないのだ。
 そのようなわけで、南京虐殺のショッキングな描写にもかかわらず、南京で起こった事件はホロコーストに見られる組織的な殺戮と同一視されるべきであると結論を下す理由を、チャンは読者に与えていないのである。
 ホロコーストがヒトラーの意図的政策忌まわしい所産として発生したエピソードであることには議論の余地がない。
 それは、戦争につきもののありきたりの事件でも、個人による残虐行為の異常形態でもなかったし、規律の不徹底な軍隊が血に飢えて荒れ狂った結果として起こった事件でもなかったのだ。
 ホロコーストでは、近代的官僚国家のあらゆる機構と最先端を行く殺しのテクノロジーが、冷酷な大量殺戮に応用されたのである。

「誤っている」より「誇張」

 チャン本の主要なモチーフは、分析と理解というよりは、むしろ非難と憤激である。
 そして、憤激は南京虐殺に対して道義的には確かに必要だが、知的には不十分な対応なのである。
 チャンの怒りはどのような目的に向けられているのだろうか。
 要するに、日本を「国際社会の世論という審査の場」に引き立てて、戦争犯罪を認めさせることなのだ。
 彼女は南京虐殺に関する西側社会の無知と主張する状態と、数名の日本の政治家が虐殺事件を否定した事実を、手厳しく非難する。
 日本は「今日に至るも変節的国家であり続ける」と彼女は書き、その理由を「(日本は)ドイツがあの悪夢の時代のおぞましい行為の責任を取るために認める事を余儀なくされた、文明社会による道徳的審判をうまく回避しているからである」、と述べている。
 南京虐殺に関する西側の無関心と日本による否認は、「(南京の)2度目のレイプ」であり、死者の尊厳を汚し、歴史の主張を冒涜する行為だと彼女は言う。
 『シンドラーのリスト』に匹敵するものが南京にないのはなぜか、と彼女は問う。
 『「No」と言える日本』の著者の石原慎太郎のような日本の国粋主義者が、なぜ南京虐殺を「中国人がでっち上げた・・・嘘」と言ってのけられるのか、と言うチャンは、次のような結論を下している。
 「日本政府は、少なくとも犠牲者に対して正式な謝罪を表明し、日本軍の狂奔の最中に生活を破壊された人々に補償金を支払い、そして最も重要なこととして、次の世代の日本人に虐殺に関する真実を教えることが必要である」、と。
 彼女の要求は誤っているというよりは、むしろ誇張されているのである。
 同様に、現代日本に対する彼女の諸要求は、正当ではないというよりは、むしろ少なくとも部分的にはすでに満たされているという点で“言い過ぎ”なのである。
 事実、西側社会は当時もその後も、南京虐殺事件を無視していない。
 1937年12月、アメリカの関心は揚子江下流地域に集中していたが、これは単に南京攻撃中の日本軍航空機がアメリカの砲艦「パネー」号を撃沈したことだけが理由ではなかった。
 避難民を満載した450トンで2階建てのこの砲艦は当時、南京のすぐ近くに停泊中であり、艦首と艦尾のデッキ、そしてすべてのマストに取り付けた大型の米国旗から、アメリカ艦籍であることは一目瞭然だった。
 アメリカの大衆は当時は知らなかったことだが、実は「パネー」号は、衰退の一途にあった南京市の守備隊と南京脱出を果たした蒋介石との間の電波通信の中継地点という、あまり潔白とは言えない役割を果たしていたのである。
 撃沈をめぐるアメリカ国内の騒ぎは、国際的に大いに宣伝された日本の外務大臣による一連の謝罪、事件を起こした飛行士達の上官の更迭、攻撃で命を失った犠牲者に対する礼砲発射を伴う日本海軍の謝罪、日本政府による合計220万ドルの賠償金の支払いなどが行われた後、漸(ようや)く下火になった。
 これらの行為はすべて、熟慮の結果なされたものであり、日本側の公式な自責の念と、中国各地の日本軍司令官ならびに個々の兵士たちを統率する能力に関して日本政府関係者が抱いていた深刻な懸念の証だった。
 同じ頃、アメリカの新聞は南京虐殺について、身の毛もよだつような報道を広範に行っている。
 ニューヨーク・タイムズの中国特派員、F・ティルマン・ダーディンは、1937年12月17日、同紙一面に大見出し付きで掲載された記事の中で、「大規模な略奪、婦女暴行、民間人の殺害、住居からの住民の追い立て、そして健康な男性たちの強制的徴用は、南京を恐怖の都市に変貌させた」と報じている。
 その後、南京虐殺は戦時反日プロパガンダの中核となり、特にフランク・キャプラ監督が製作し、全米の軍事教練基地にいる百万人ものアメリカ兵や一般映画館に詰め掛ける何百万人ものアメリカ市民のために上映された『我々はなぜ戦うか』シリーズの1つ、『バトル・オブ・チャイナ(中国における戦闘)』はその顕著な一例である。
 また、日本政府は戦時中の犯罪を認めることを頑強に拒否しているとのチャン氏の主張は、丸ごと正しいとは言えないし、日本は戦争犯罪に対して遺憾の意を表していないという指摘も誤りである。
 こうした非難は近年における西側の対日批判の常套句(じょうとうく)になっているが、それが恐らく最も如実に示されているのが、ドイツと日本における戦争の記憶に関する研究書として1994年に発表された、作家イアン・プルーマの『Wages of Guilt』(1994年、邦訳『戦争の記憶』TBSブリタニカ)だろう。
 同著の総合的な主張は、「(戦争犯罪を)記憶に止める度合いは、ドイツは過度であり、日本は過少である」という点に要約できよう。
 1980年代の前半、日本の文部省は中学校の教科書が南京虐殺や戦時中のその他の不祥事を取り上げることを阻止しようとしたし、1988年には日本の映画配給会社がベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラスト・エンペラー』の中の、南京虐殺を描いた30秒間にわたるシーンを削除しようと試みたが、これは現実には不首尾に終わっている。
 また、戦犯を含む戦没者を祀る東京の靖国神社への参拝は、右翼政治家たちにとっては今もって義務であるのは確かだ。
 しかし、日本の左翼は事件について声高に語る事によって、南京虐殺の記憶を長いこと絶やさずにきているのである。
 そして、ジョン・ダワー教授が最近指摘した通り、1995年6月9日、衆議院は第2次世界大戦中に日本が他民族に及ぼした苦痛に対して“深い反省”の意を表明し、2人の総理大臣が他国に対する帝国日本の侵略についてはっきりと謝罪していることもまた、事実なのである。
 ダワー教授はさらに、「戦争責任・・・に関して民衆のレベルで日本人が話すことの内容は・・・国外で一般的に理解されている以上に多岐にわたるもの」であり、「日本以外のマスコミは、保守的な文部省が承認する現在の教科書は、1980年代末までの状態と比較すれば、日本の侵略や残虐行為についてより率直に記述している点を報道することを総じて怠っている」と指摘している。
 残虐行為が戦争を追いかけるように、歴史もまた、戦争を追いかける・・・・チャン本はこの教訓を執拗に立証するものである。
 しかし、日本ほどに無言を美徳とする文化の中にあっても、悪事はいつか必ず露見するのだ。
 だが、南京虐殺事件の背景について万人が納得するような説明はいまだなされていないのであり、チャン本も極めて不完全な説明しか施していないのである。

(編集部注 著者が引用しているこの文書は、1938年1月17日付で外務省からワシントンの日本大使館に広田外相の名前で発信された暗号電報を解読したものとして、1994年にアメリカ公文書館によって解禁され、以来中国側は同文書を「広田電」として宣伝している。
 しかし、広田外相は当時国内におり、南京視察は行っていない。
 実はこの文書は、イギリスの「マンチェスター・ガーディアン」紙中国特派員、H・J・ティンパーリーが書いた記事を現地の日本当局が検閲・押収したものであり、「アッチラ大王」や「フン族」などへの言及からしても日本人らしからぬ発想であり、「広田電」では無いとみられている。)

『諸君!』平成10(1998)年8月号より転載
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_shokun9808.html
[PR]

by thinkpod | 2007-02-20 23:26