2007年 11月 11日

沖縄集団自決訴訟の詳報−2

【沖縄集団自決訴訟の詳報(3)】赤松さん「タブーのような状態」
2007.11.9 19:00
 《午後1時半に審理を再開。当事者席に大江健三郎氏が座ると、傍聴席の画家らがいっせいに法廷スケッチの似顔絵を書き始めた。まず、渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟の秀一さん(74)への本人尋問が行われた》
 原告側代理人(以下「原」)「あなたは赤松隊長の弟さんですね」
 赤松さん「そうです。兄とは年が13歳も離れているので、常時、顔を合わせるようになったのは戦後になってから。尊敬の対象だった。父が年をとっていたので、家業に精を出してくれた」
 原「沖縄タイムス社の『鉄の暴風』は読んだか」
 赤松さん「読んだ。大学の近くの書店で手に入れた」
 原「戦争の話には興味があったのか」
 赤松さん「戦争は中学1年のときに終わったが、陸軍に進むものと思っていたくらいだから、よく読んだ」
 原「『鉄の暴風』にはお兄さんが自決命令を出したと書かれているが」
 赤松さん「信じられないことだった。兄がするはずもないし、したとは思いたくもない。しかし、329人が集団自決したと細かく数字も書いてある。なにか誤解されるようなことをしたのではないかと悩み続けた。家族で話題にしたことはなかった。タブーのような状態だった」
 原「お兄さんに確認したことは」
 赤松さん「親代わりのような存在なので、するはずもない。私が新居を買った祝いに来てくれたとき、本棚で見つけて持って帰った」
 原「ほかにも戦争に関する本はあったのか」
 赤松さん「2、3冊はあったと思う」
 原「『鉄の暴風』を読んでどうだったか」
 赤松さん「そりゃショックだ。329人を殺した大悪人と書かれていた。もう忘れていたが、最近になって、ショックで下宿に転がり込んできたと大学の友人に聞かされた」
ー 1/4−
原「最近まで忘れていたのはどうしてか」
 赤松さん「曽野綾子さんの『ある神話の背景』が無実を十分に証明してくれたので、安心できたのだと思う」
 原「『ある神話の風景』は、どういう経緯で読んだのか」
 赤松さん「友達が教えてくれた。無実がはっきり証明され、信頼を取り戻せた」
 原「集団自決を命じたと書いた本はどうなると思ったか」
 赤松さん「間違った書物は削除、もしくは訂正になると思っていた」
 原「大江氏の『沖縄ノート』の引用を見て、どう思ったか」
 赤松さん「大江さんは直接取材したこともなく、渡嘉敷島に行ったこともない。それなのに兄の心の中に入り込んだ記述をしていた。人の心に立ち入って、まるではらわたを火の棒でかき回すかのようだと憤りを感じた」
 《大江氏が身を乗り出すようにして赤松さんの話を聞く》
 原「誹謗(ひぼう)中傷の度合いが強いか」
 赤松さん「はい」
 原「訴訟を起こしたきっかけは」
 赤松さん「3年前にある人から話があり、とっくの昔に解決したと思っていたのに『鉄の暴風』も『沖縄ノート』も店頭に並んでいると聞かされたから」
 原「実際に『沖縄ノート』を読んでどう思ったか」
 赤松さん「難しい本なので飛ばし読みしたが、兄が誹謗中傷されているのはよく分かった」
 原「悔しい思いをしたか」
 赤松さん「はい。沖縄で極悪人と面罵(めんば)されたのですから。兄は自決命令を出していないと無実を訴える手記を出していたが、ペンも凶器になるということだ。兄は手記の中で、『沖縄ノート』の資料の質を問い、証人を示すのがジャーナリストの最低限の良心と問うていた」
 《原告側代理人の質問が終了》
ー2/3−
被告側代理人(以下「被」)「集団自決命令について、お兄さんから直接聞いたことはありますか」
 赤松さん「ない」
 被「お兄さんは裁判をしたいと話していたか。また岩波書店と大江さんに、裁判前に修正を求めたことがあったか」
 赤松さん「なかったでしょうね」
 被「『沖縄ノート』が店頭に並んでいると教えてくれた人が、裁判を勧めたのか」
 赤松さん「そうなりますか」
 被「お兄さんの手記は読んだか」
 赤松さん「読んだ」
 被「『島の方に心から哀悼の意を捧(ささ)げる。意識したにせよ、しなかったにせよ、軍の存在が大きかったことを認めるにやぶさかではない』と書いているが」
 赤松さん「知っている」
 原「裁判は人に起こせと言われたのか」
 赤松さん「確かにそうやけど、歴史として定着するのはいかんと思った。そういう気持ちで裁判を起こした」
 《赤松さんへの質問は30分足らずで終了した》
−3/3−
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711091900010-n1.htm

【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」
2007.11.9 20:11
 《午後1時50分ごろ、大江健三郎氏が証言台に。被告側代理人の質問に答える形で、持論を展開した》
 被告側代理人(以下「被」)「著書の『沖縄ノート』には3つの柱、テーマがあると聞いたが」
 大江氏「はい。第1のテーマは本土の日本人と沖縄の人の関係について書いた。日本の近代化に伴う本土の日本人と沖縄の人の関係、本土でナショナリズムが強まるにつれて沖縄にも富国強兵の思想が強まったことなど。第2に、戦後の沖縄の苦境について。憲法が認められず、大きな基地を抱えている。そうした沖縄の人たちについて、本土の日本人が自分たちの生活の中で意識してこなかったので反省したいということです。第3は、戦後何年もたって沖縄の渡嘉敷島を守備隊長が訪れた際の現地と本土の人の反応に、第1と第2の柱で示したひずみがはっきり表れていると書き、これからの日本人が世界とアジアに対して普遍的な人間であるにはどうすればいいかを考えた」
 被「日本と沖縄の在り方、その在り方を変えることができないかがテーマか」
 大江氏「はい」
 被「『沖縄ノート』には『大きな裂け目』という表現が出てくるが、どういう意味か」
 大江氏「沖縄の人が沖縄を考えたときと、本土の人が沖縄を含む日本の歴史を考えたときにできる食い違いのことを、『大きな裂け目』と呼んだ。渡嘉敷島に行った守備隊長の態度と沖縄の反応との食い違いに、まさに象徴的に表れている」
 被「『沖縄ノート』では、隊長が集団自決を命じたと書いているか」
 大江氏「書いていない。『日本人の軍隊が』と記して、命令の内容を書いているので『〜という命令』とした」
 被「日本軍の命令ということか」
 大江氏「はい」
 被「執筆にあたり参照した資料では、赤松さんが命令を出したと書いていたか」
 大江氏「はい。沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』にも書いていた」
 −1/3−
 被「なぜ『隊長』と書かずに『軍』としたのか」
 大江氏「この大きな事件は、ひとりの隊長の選択で行われたものではなく、軍隊の行ったことと考えていた。なので、特に注意深く個人名を書かなかった」
 被「『責任者は(罪を)あがなっていない』と書いているが、責任者とは守備隊長のことか」
 大江氏「そう」
 被「守備隊長に責任があると書いているのか」
 大江氏「はい」
 被「実名を書かなかったことの趣旨は」
 大江氏「繰り返しになるが、隊長の個人の資質、性格の問題ではなく、軍の行動の中のひとつであるということだから」
 被「渡嘉敷の守備隊長について名前を書かなかったのは」
 大江氏「こういう経験をした一般的な日本人という意味であり、むしろ名前を出すのは妥当ではないと考えた」
 被「渡嘉敷や座間味の集団自決は軍の命令と考えて書いたのか」
 大江氏「そう考えていた。『鉄の暴風』など参考資料を読んだり、執筆者に会って話を聞いた中で、軍隊の命令という結論に至った」
 被「陳述書では、軍隊から隊長まで縦の構造があり、命令が出されたとしているが」
 大江氏「はい。なぜ、700人を超える集団自決をあったかを考えた。まず軍の強制があった。当時、『官軍民共生共死』という考え方があり、そのもとで守備隊は行動していたからだ」
 被「戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』という教えも、同じように浸透していたのか」
 大江氏「私くらいの年の人間は、子供でもそう教えられた。男は戦車にひき殺されて、女は乱暴されて殺されると」
 被「沖縄でも、そういうことを聞いたか」
 大江氏「参考資料の執筆者の仲間のほか、泊まったホテルの従業員らからも聞いた」
 被「現在のことだが、慶良間(けらま)の集団自決についても、やはり軍の命令と考えているか」
 大江氏「そう考える。『沖縄ノート』の出版後も沖縄戦に関する書物を読んだし、この裁判が始まるころから新証言も発表されている。それらを読んで、私の確信は強くなっている」
 −2/3−
 被「赤松さんが陳述書の中で、『沖縄ノートは極悪人と決めつけている』と書いているが」
 大江氏「普通の人間が、大きな軍の中で非常に大きい罪を犯しうるというのを主題にしている。悪を行った人、罪を犯した人、とは書いているが、人間の属性として極悪人、などという言葉は使っていない」
 被「『(ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の中心人物で、死刑に処せられたアドルフ・)アイヒマンのように沖縄法廷で裁かれるべきだ』とあるのは、どういう意味か」
 大江氏「沖縄の島民に対して行われてきたことは戦争犯罪で、裁かれないといけないと考えてきた」
 被「アイヒマンと守備隊長を対比させているが、どういうつもりか」
 大江氏「アイヒマンには、ドイツの若者たちの罪障感を引き受けようという思いがあった。しかし、守備隊長には日本の青年のために罪をぬぐおうということはない。その違いを述べたいと思った」
 被「アイヒマンのように裁かれ、絞首刑になるべきだというのか」
 大江氏「そうではない。アイヒマンは被害者であるイスラエルの法廷で裁かれた。沖縄の人も、集団自決を行わせた日本軍を裁くべきではないかと考え、そのように書いた」
 被「赤松さんの命令はなかったと主張する文献があるのを知っているか」
 大江氏「知っている」
 被「軍の命令だったとか、隊長の命令としたのを訂正する考えは」
 大江氏「軍の命令で強制されたという事実については、訂正する必要はない」
 《被告側代理人による質問は1時間ほどで終わった》
 −3/3−
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711092043013-n1.htm

【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」
2007.11.9 20:49
 《5分の休憩をはさんで午後2時55分、審理再開。原告側代理人が質問を始めた》
 原告側代理人(以下「原」)「集団自決の中止を命令できる立場にあったとすれば、赤松さんはどの場面で中止命令を出せたと考えているのか」
 大江氏「『米軍が上陸してくる際に、軍隊のそばに島民を集めるように命令した』といくつもの書籍が示している。それは、もっとも危険な場所に島民を集めることだ。島民が自由に逃げて捕虜になる、という選択肢を与えられたはずだ」
 原「島民はどこに逃げられたというのか」
 大江氏「実際に助かった人がいるではないか」
 原「それは無目的に逃げた結果、助かっただけではないか」
 大江氏「逃げた場所は、そんなに珍しい場所ではない」
 原「集団自決を止めるべきだったのはいつの時点か」
 大江氏「『そばに来るな。どこかに逃げろ』と言えばよかった」
 原「集団自決は予見できるものなのか」
 大江氏「手榴(しゅりゅう)弾を手渡したときに(予見)できたはずだ。当日も20発渡している」
 原「赤松さんは集団自決について『まったく知らなかった』と述べているが」
 大江氏「事実ではないと思う」
 原「その根拠は」
 大江氏「現場にいた人の証言として、『軍のすぐ近くで手榴弾により自殺したり、棒で殴り殺したりしたが、死にきれなかったため軍隊のところに来た』というのがある。こんなことがあって、どうして集団自決が起こっていたと気づかなかったのか」
 原「(沖縄タイムス社社長だった上地一史の)『沖縄戦史』を引用しているが、軍の命令は事実だと考えているのか」
 大江氏「事実と考えている」
 −1/3−
原「手榴弾を島民に渡したことについては、いろいろな解釈ができる。例えば、米英に捕まれば八つ裂きにされるといった風聞があったため、『1発は敵に当てて、もうひとつで死になさい』と慈悲のように言った、とも考えられないか」
 大江氏「私には考えられない」
 原「曽野綾子さんの『ある神話の風景』は昭和48年に発行されたが、いつ読んだか」
 大江氏「発刊されてすぐ。出版社の編集者から『大江さんを批判している部分が3カ所あるから読んでくれ』と発送された。それで、急いで通読した」
 原「本の中には『命令はなかった』という2人の証言があるが」
 大江氏「私は、その証言は守備隊長を熱烈に弁護しようと行われたものだと思った。ニュートラルな証言とは考えなかった。なので、自分の『沖縄ノート』を検討する材料とはしなかった」
 原「ニュートラルではないと判断した根拠は」
 大江氏「他の人の傍証があるということがない。突出しているという点からだ」
 原「しかし、この本の後に発行された沖縄県史では、集団自決の命令について訂正している。家永三郎さんの『太平洋戦争』でも、赤松命令説を削除している。歴史家が検証に堪えないと判断した、とは思わないか」
 大江氏「私には(訂正や削除した)理由が分からない。今も疑問に思っている。私としては、取り除かれたものが『沖縄ノート』に書いたことに抵触するものではないと確認したので、執筆者らに疑問を呈することはしなかった」
 −2/3−
 《尋問が始まって2時間近くが経過した午後3時45分ごろ。大江氏は慣れない法廷のせいか、「ちょっとお伺いしますが、証言の間に水を飲むことはできませんか」と発言。以後、ペットボトルを傍らに置いて証言を続けた》
 原「赤松さんが、大江さんの本を『兄や自分を傷つけるもの』と読んだのは誤読か」
 大江氏「内面は代弁できないが、赤松さんは『沖縄ノート』を読む前に曽野綾子さんの本を読むことで(『沖縄ノート』の)引用部分を読んだ。その後に『沖縄ノート』を読んだそうだが、難しいために読み飛ばしたという。それは、曽野綾子さんの書いた通りに読んだ、導きによって読んだ、といえる。極悪人とは私の本には書いていない」
 原「作家は、誤読によって人を傷つけるかもしれないという配慮は必要ないのか」
 大江氏「(傷つけるかもしれないという)予想がつくと思いますか」
 原「責任はない、ということか」
 大江氏「予期すれば責任も取れるが、予期できないことにどうして責任が取れるのか。責任を取るとはどういうことなのか」
 《被告側、原告側双方の質問が終わり、最後に裁判官が質問した》
 裁判官「1点だけお聞きします。渡嘉敷の守備隊長については具体的なエピソードが書かれているのに、座間味の隊長についてはないが」
 大江氏「ありません。裁判が始まるまでに2つの島で集団自決があったことは知っていたが、座間味の守備隊長の行動については知らなかったので、書いていない」
 《大江氏に対する本人尋問は午後4時前に終了。大江氏は裁判長に一礼して退き、この日の審理は終了した》
 −3/3−
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071109/trl0711092049014-n1.htm



【産経抄】11月13日
2007.11.13 03:51
 沖縄戦について書かれた本の記述をうのみにして、大戦末期、当時の守備隊長らが、住民に集団自決を命令したと、決めつけただけではない。会ったこともない元隊長の心の中に入り込んでしまう。

 ▼「戦争犯罪人」であり「屠殺者」は、「あまりにも巨きい罪の巨塊」の前で「なんとか正気で生き伸びたいとねが」い、「かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめた」とまでいう。三十数年ぶりに『沖縄ノート』を読み返して、あらためてノーベル賞作家の想像力のはばたきに脱帽した。

 ▼もっとも、書かれた方はたまらない。個人名がなくても、隊長は島に1人しかいないのだから特定は容易だ。そもそも「軍命令などあり得ない」と、元守備隊長らが、著者の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償などを求めた訴訟を起こしている。

 ▼先週大阪地裁であった口頭弁論で、大江氏側から提出された陳述書を読んでまた驚いた。大江氏は元隊長ら個人に対してというより、当時の日本軍を貫いていた「タテの構造の力」、あるいは「日本人一般の資質に重ねることに批判の焦点を置いて」いるそうだ。

 ▼具体的な命令がなくても、皇民教育を受けていた住民が、最終的にはほかに道がないとの考えを、日ごろから植え付けられていたことも強調する。「すでに装置された時限爆弾としての『命令』」とは、いかにも“純文学的な”言い回しだが、元隊長のコメントに共感を覚えた。「要点を外し、なんとくだらん話をダラダラするのかといやになった」。

 ▼この裁判の意味は、原告の名誉回復にとどまらない。著名作家の想像力によって歴史がつづられ、政治的な圧力で教科書の検定結果が覆ろうとしている。歴史とは何かを問う裁判でもある。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071113/edc0711130351002-n1.htm
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by thinkpod | 2007-11-11 16:25


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