2007年 10月 08日

アメリカの鏡・日本

Mirror for Americans: JAPAN

ヘレン・ミアーズ(Helen Mears)


概 要
1949年日本占領連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた衝撃の書。戦後50年記念出版(帯書きより)。
1.パールハーバーは青天の霹靂ではなかった。アメリカは、さしたる被害なしに日本に第一撃を仕掛けるように画策した。
2.原爆投下は必要なかった。それは日本に対して使ったのではなく、ソ連との政治戦争で使用したのだ。
3.終戦直後、「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と主張したアメリカの女性歴史家ヘレン・ミアーズ。日米関係が軋む今日、日本人必読の書!


目次

  日本語版刊行にあたって……………白子英城 13

第一章 爆撃機から見たアメリカの政策……………15
  1 フラッシュバック 17  7 クワジャリン環礁 42
  2 島伝いの旅 23     8 罪なき傍観者 44
  3 ヒッカム基地 27    9 グァム 47
  4 パールハーバー 30   10 誰のための戦略地域か 49
  5 ジョンストン島 36   11 戦略的占領 58
  6 戦争犯罪とは何か 36  12 アメリカの墜落 67

第二章 懲罰と拘束……………75
  1 なぜ日本を占領するか 77
  2 攻撃と反攻 83

第三章 世界的脅威の正体……………93
  1 つくられた脅威 96    5 降伏受諾 142
  2 日本はいつ敗れたか 110  6 リーダーの資格 149
  3 サムライ神話 114     7 日本は戦略地域か 150
  4 銃もバターも 128     8 飢餓民主主義 152

第四章 伝統的侵略性……………157
  1 神道からの解放 159   5 日本とアメリカ−その生い立ち 181
  2 誰のための改革か 165  6 武士階級 195
  3 「歴史的拡張主義者」 169 7 「間違い」の歴史 202
  4 「伝統的軍国主義者」 175 8 思想からの解放 205

第五章 改革と再教育……………213
   1 リーダーシップ 215  4 中途半端なカは引き合わない 226
   2 歴史の証言 216    5 理論と実践 230
   3 初めの占領 220    6 教育者の資格 237

第六章 最初の教科 「合法的に行動すること」……………243
   1 歴史の復活 246
   2 韓国の奴隷化 250
   3 全体主義 259
   4 改革か戦略か 262
   5 国際教育なるもの 265

第七章 鵞鳥のソース……………269
   1 満州事変 271      5 リットン報告 286
   2 中国の歴史 273     6 日本は合法的に行動している 291
   3 攻撃と反攻 277     7 確立された満州の秩序 296
   4 アメリカの役割 279

第八章 第五の自由……………305
   1 イデオロギーか貿易か 308 4 誰の不公正競争か 317
   2 誰のための門戸開放か 308 5 飢える自由 324
   3 誰のための自由経済か 314


第九章 誰のための共栄圏か……………339
   1 戦略の失敗 341
   2 倫理の失敗 344
   3 日華事変からパールハーバーヘ 349
   4 英語圏 357
   5 誰のための共栄圏か 366

第十章 教育者たちの資質……………381
   1 有罪か、無罪か 384    4 逆向きのリーダーシップ 396
   2 力は引き合う 386    5 脅威とは何か 406
   3 韓国の解放 389     6 パワー・ポリテイクスは逆境射する 411

付録 1 大西洋憲章 419
   2 パールハーバー 420
 国務省総括/上下両院合同調査報告 420

訳者あとがき 425



内容紹介

日本語版刊行にあたって(白子 英城[アイネックス社長])
 戦後50年のいま、われわれ日本人は、現代の歴史を日本中心の観点だけでなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカを同じ時間帯で見すえるグローバルな視点から、なぜそうなったのか、をもう一度考え、議論し、そして現代史を総括しなければならないと思う。それによって、われわれ日本人が、過去にやってきたことで、何が悪かったのか、何が正しかったのかをしっかりと理解しなければならない。


第1章 爆撃機からみたアメリカの政策 P.15
Bombsight View of Unanswered Questions of United States Foreign Policy
 [要約]
 著者が1946年占領政策に参画するために来日する際、真珠湾、グアムなど太平洋の島に立ち寄った折りに見聞きした事柄にふれながら、本書の基本的な考え方を示す導入部。10章のうち2番目に長い。
 [抜粋]
 1)パールハーバーは戦争の原因でなく、アメリカと日本がすでに始めていた戦争の一行動にすぎないようだ。したがって「なぜ日本がわれわれを攻撃したか」を考えるなら、「なぜわれわれは、すでに日本との戦争を始めていたか」について考えなければならない。
 2)第3次世界大戦を防ぐためには、まず、第2次世界大戦の事実を整理する必要がある。
 3)日本軍がフィリピンで犯した残虐行為は、日本の歴史にとって永遠の汚点となるだろう。日本兵が残酷で残忍であったことは明らかな事実だ。それでも、山下裁判とマッカーサー声明の根底にある考え方は受け入れがたい。戦争は非人間的状況である。自分の命を守るために戦っているものに対して、文明人らしく振る舞え、とは誰もいえない。ほとんどのアメリカ人が沖縄の戦闘をニュース映画で見ていると思うが、あそこでは、火炎放射器で武装し、おびえきった若い米兵が、日本兵のあとに続いて洞窟から飛び出してくる住民を火だるまにしていた。あの若い米兵たちは残忍だったのか? もちろん、そうではない。自分で選んだわけでもない非人間的状況に投げ込まれ、そこから生きて出られるかどうかわからない中で、おびえきっている人間なのである。戦闘状態における個々の「残虐行為」を語るのは、問題の本質を見失わせ、戦争の根本原因を見えなくするという意味で悪である。結局それが残虐行為を避けがたいものにしているのだ。
 4)追いつめられてヒステリー状態にあったとはいえ、2千人の非戦闘員を殺すことは、もちろん恐るべき犯罪である。しかし、絶体絶命の状況の下で戦っているわけでもない強大国が、すでに事実上戦争に勝っているというのに、1秒で12万人の非戦闘員を殺傷できる新型兵器を行使する方が、はるかに恐ろしいことではないのか。山下将軍の罪は、なぜ広島、長崎に原子爆弾の投下を命じたものの罪より重いのか。


第2章 懲罰と拘束 P.75
Punish and Restrain
 [要約]
 なぜ日本を占領するか。米国が罰しようとしている日本の犯罪とは何か。日本の立場からの反論も述べている。この本の中で一番短い章。
 [抜粋]
 1)占領の目的は1945年9月19日、D・アチソン国務長官代行が語った言葉に要約される。「日本は侵略戦争を繰り返せない状態におかれるだろう。戦争願望を作り出している現在の経済・社会システムは、戦争願望を持ち続けることができないように組み替えられるだろう。そのために必要な手段は、いかなるものであれ、行使することになろう」
 2)私たちの告発理由は「殺人」である。世界征服の一段階として、アメリカに対し「一方的かつ計画的攻撃」をかけたというパールハーバーの定義が告発の基礎なのだ。

第3章 世界的脅威の正体 P.93
Hindsight View of a World Menace
(Hindsight;目先の利かないこと[Forsightの対]、Menace;脅迫)

 [要約]
 日本が降伏した理由、日米の工業力・軍備の差、原爆投下の正当性に対する疑問など。第1章の英文タイトルとの対比に注意。この本の中で一番長い章。
 [抜粋]
 1)なぜ日本は降伏したのか。世界で「最も軍事主義的国家」であり、「ファナスティックな好戦的民族」がなぜ、武器をおいて占領を受け入れ、精いっぱい友好的な顔をして征服者に協力しているのか。
 日本民族は好戦的ではなかった。日本の戦争機関は、占領や原爆投下のずっと前に完敗していたのだ。
 2)1942年5月には、早くも私たちは日本軍の進撃をくい止めた。しかし、日本軍は別にアメリカ本土を目指していたわけではない。アメリカとオーストラリアの連絡路を切断するために前進していたのだ。1942年6月のミッドウェー海戦で、私たちは「海軍航空力の優位を確保し・・・その結果海軍力全体の優位」を確実にしていた。
 3)パールハーバーの時点で日本の陸海軍が持っていた飛行機は全部で2,625機だった。
アメリカと連合国が太平洋の基地に配置していた飛行機は1,290機にすぎない。一見して日本の方が圧倒的に有利に思える。しかし、日本の飛行機は満州から太平洋まで、広く薄く配備しなければならなかった。月間生産量はわずか642機で、9ヶ月間このままの数字で推移している。1944年9月に月間生産量は最高の2,572機に達したが、それからすぐ原材料不足のために落ち始める。私たちのほうは1941年6月には月間1,600機の飛行機を生産していた。以後生産量は急速かつ着実に伸びて、1943年には9千機に達していた。1945年には私たちの1年間の製造機数は、日本が1941年から降伏までに製造した飛行機の2倍にのぼっていた。その上日本はアメリカの一に対して十の割合で飛行機を失っていた。
 4)私たちはたった11日待った(ポツダム宣言の後)だけで、いきなり1発の原子爆弾を、そして2日後(原文のママ)にはさらにもう一発を、戦艦の上でもない、軍隊の上でもない、軍事施設の上でもない、頑迷な軍指導者の上でもない、二つの都市の約20万の市民の上に投下した。しかも犠牲者の半数以上が女子供だった。
 原爆が投下されなくても、あるいはソ連が参戦しなくても、また上陸作戦が計画ないし検討されなくても、日本は1945年12月31日以前、「あらゆる可能性を入れても1945年11月1日までに」無条件降伏していただろうという意見をつけている(米戦略爆撃調査の公式報告)。
 5)ソ連は中国領土内の一定領土及び財産を確保することを条件に、対日戦に参戦することを約束した(1945年2月7日のヤルタ会談における米ソの「最高秘密」合意)。


第4章 伝統的侵略性 P.157
Traditionally Agressive
 [要約]
 神道の意味、近代日本の変貌とその意味、日本と米国の生い立ちの違いなど。日本は伝統的な軍事主義国家かについても述べている。
 [抜粋]
 1)私たちの戦後対日政策には、神道と「天皇制」は本質的に戦争を作り出すものであるという考え方が組み込まれている。
 神道と天皇崇拝は日本人の民族感情にとって重要な文化と宗教の伝統を表すものだった。これは、他の民族が固有の文化、宗教の伝統を持っているのと同じ国民感情である。伝統の力が強ければ強いほど、国家存亡の時には、戦争計画への国民統合に利用される。しかし、伝統が戦争の大義なのではない。ひとたび戦争が決定されると、伝統は防衛という名の戦争計画の背後に国民を統合するための手段となる。そうすることによって、為政者は複雑な戦争理由をわかりやすくするのである。
 国家神道は、1868年、西洋の指導に応えて出てきたものだ。近代国家以前の日本では、神道は自然と祖先に対する信仰であり、習俗であった。
 2)私たちは、日本人の性格と文明を改革すると宣言した。しかし、私たちが改革しようとしている日本は、私たちが最初の教育と改革で作り出した日本なのだ。
 近代日本は西洋文明を映す鏡を掲げて、アジアの国際関係に登場した。私たちは日本人の「本性に根ざす伝統的軍国主義」を告発した。しかし、告発はブーラメンなのだ。日本の伝統的な発展パターンは、十九世紀半ば、アメリカを含む西洋列強の侵入と、ダイナミックな欧米文化の外圧的導入によって壊され、二つの異種文明が混在する日本が出現した。
 3)ペリーからマッカーサーまで一世紀足らずの間に、日本は農業、手工業を中心とする交換経済から、産業、貿易中心の資本主義経済に移行した。そして、半独立の藩からなる緩やかな連合体は高度に中央集権化された国家に変わり、孤立主義を守る小さな島は軍国主義的、帝国主義的大国に変貌した。
 近代日本は西洋の帝国主義列強に対抗するために帝国の伝統という虚像を身につけたのだった。


第5章 改革と再教育 P.213
Reform and Re-Educate---First lesons
 [要約]
 日本はもとは軍国主義的ではなかった。日本もかっては半植民地だった。欧米列強も日本の近代化を歓迎していた。米国に日本を教育する資格があるのかなど。
 [抜粋]
 1)ペリー以後の近代日本が、侵略的であり、拡張主義的であったのは確かだ。しかし近代以前の日本が平和主義であり、非拡張主義であったことも確かだ。
 2)日本人は生まれつき軍国主義者であり、拡張主義者であるという宣伝文句ほど、私たちを混乱させるものはない。
 15世紀、朝鮮に攻め入った孤独な将軍の遠征をとらえて、日本民族を生まれつきの軍事主義者と決めつけるなら、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ、フランス、ロシア、そして私たち自身のことはどう性格付けしたらいいのだろう。これら諸国の将軍、提督、艦長、民間人は十五世紀から、まさしく世界征服を目指して続々と海を渡ったではないか。
 3)日本の歴史を日本の立場から説明すれば、日本人は世界を征服する野望にとらわれていたのではない。世界のどこの国にも征服されたくないという気持ちに動かされてきたのだ。
 4)この時期(1854年頃)から、十九世紀末までの日本はいわば半植民地だった。欧米列強の代表たちは、貿易のすべてを管理し、税率と価格を決め、沿岸通航を独占し、日本の金を吸い取り、99年間の租借権と治外法権に守られて日本に住んでいたのだ。
 5)しかし、十九世紀後半になると、もはや外界と隔絶することも、時間をかけていることもできなくなった。日本は妥協を許さない欧米人を閉め出すことができなかった。欧米は自信を持った。科学と機械力で自信をつけた欧米人は、自分たちはアジア人やその他の「後れた」人種より本質的に優れていると確信して植民地に対していた。欧米の行動様式は欧米人が「正しい」と認めたものであり、それ以外の行動様式は「間違い」だった。欧米に順応すれば「進歩」であり、順応できなければ「反動」とされた。
 6)私たちが戦争戦後を通じて、日本を非難する理由は、この中央集権的経済体制の発展が「全体主義」的であり、「戦争願望」を作り出したというものである。しかし、当時の欧米列強はこの発展を歓迎していたのだ。文明の後れた韓国と中国に西欧文明の恩恵をもたらす国、近代的秩序と規律を持つ国家が必要だった。だから日本の近代化が求められていたのだ。


第6章 最初の教科書「合理的に行動すること」 P.243
First Lessons ---"Do It Legal"
 [要約]
 1854年当時のロシアなどの状況、韓国の奴隷化、日本が最初に学んだことなど。英語のタイトルにあるFirst Lessonsは前章のタイトルのFirst Lessonsを受けている。2番目に短い章。
 [抜粋]
 1)1854年、アメリカが他に先駆けて日本を国際潮流に引き入れることができたのは、イギリスとフランスがロシアの地中海進出を阻止するために、クリミア戦争でトルコ帝国の支援するのに忙殺されていたからだ。英仏両国にしてみれば、ロシアの地中海進出は、極東に展開する自分たちの帝国と勢力圏にいたる独占ルートを脅かすものだった。
 地中海で阻止されたロシアは、太平洋への出口となる不凍港を求めて、北東アジアへの進出をはかった。ロシアは英仏が中国から力で引き出した譲歩を利用して、日本と朝鮮北部に隣接する沿海州とウラジオストックを確保した。そして、日本本土の北に位置し、地理的には日本列島の一部である樺太と千島列島に入り込んだ。
 2)いまになってみれば、日本が韓国を「奴隷化した」ことは明らかだ。日韓相互防衛のため、自国を併合してほしいと日本に要請した韓国皇帝の請願は侵略を糊塗するための法的擬制(リーガル・フィクション)であることも明らかだ。
 3)日本と中国の関係は、全(九カ国)条約当事国と中国の関係がそうだったように、主権国家間の関係ではなく、大国と半植民地の関係だった。
 4)国際関係の問題を正しく理解しようとする人なら、日本に対する最初の教育が問題を見事に解明してくれることに気づくだろう。今日私たちは「法と秩序」「条約の尊重」「国家の平等」「領土保全」「個々の人間に対する人道的配慮」といった、誰も否定できない原則にたって日本を非難している。しかし、最初の教育で日本は、そうした原則は文字に書かれた教典ではなく、力の強い国が特権を拡大するための国際システムのテクニックであることを、欧米列強の行動から学んだのだ。
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by thinkpod | 2007-10-08 16:26 | Books


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