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2007年 07月 01日

人口減少社会なんて怖くない

〜わが国本来の人口に戻っていくと考えるべき〜


人口が減ったからといって労働力が落ちることはない

 いささか旧聞に属するが、昨年12月22日に厚生労働省が発表した人口動態統計の年間推計によると、わが国の死亡数(自然減)が出生数(自然増)を上回り、予想よりも1年早く2005年から人口が減少に転じたことが明らかになった。

 この発表をきっかけにして、人口減少社会を迎えた日本の行く末を案じる議論が盛んになってきた。人口が減少することによって経済活動が停滞し、経済成長率が低下するというわけだ。

 しかし、私はそれほど暗い気持ちになることはないと思っている。

 人口が減少しても、一人当たりの所得が落ちるわけではない。社会全体の経済のパイが小さくなっても、一人あたりの所得が減らない限り、生活は維持できるのだ。

 人口が減っても、経済成長率はほぼ横ばいか、むしろ微増で推移するのではないかと私は考えている。

 なぜならば、人の数が減れば、それを補おうとする工夫がこらされるからだ。

 現に、OECD諸国で、労働力人口の伸び率と生産性の伸び率を比較してみると、労働力人口の伸びが小さい国ほど、生産性の伸びが高い。

 つまり、人が減ったことをきっかけにして、労働力の低下を補うために、機械化投資などが行われて生産性が上昇するのだ。機械でできることは、みな機械にやらせればいい

 むしろ、人口が減っていいこともある。

 現在の約半分――かつて日本の人口が6445万人だったのは、いつのころだかおわかりだろうか。

 それは、1930(昭和5)年である。人類の歴史、日本人の歴史から考えれば、“たった”75年前に過ぎない。

 思うに、その程度の人数が、日本の定員ではないだろうか。人口がその程度に減れば、さまざまな社会問題が解決される可能性がある。

 通勤の混雑が緩和され、車内で楽に新聞が読めるようになるだろう。

 交通渋滞もなくなり、お盆や年末年始の帰省ラッシュも緩和される。夏休みのレジャーで、お父さんがくたくたになることは、もうなくなる。

 住宅問題も完全に解決するはずだ。

 確かに、人口減は高齢化を伴うのでよくないという意見もある。

 2025年には、65歳以上人口比は28.7%になるというから、現在とくらべて8.8ポイントの上昇である。

 しかし、現在の時点でこの高齢化率を越えている自治体は、日本に山ほどある。私は、仕事でこうした市町村を訪ねることがあるのだが、けっして悲惨な暮らしをしているわけではない。ほとんどの街で、ゆったりとした幸せな暮らしが送られているのだ。

 もちろん、年金の問題は重要ではあるが、これはまったく次元の違うことがらである。

 年金については、方式を変えたり、富裕税をかけたりといった方法で解決を考えていく必要があるだろう。年金問題については、回を改めて考えることにしたい。


地方と都会の格差をなくし、グランドデザインを描き直すチャンス

 人口減少問題を考える際には、地方と都会の格差問題は避けて通れない。都会では人口減少がプラスの効果をもたらしたとしても、ただでさえ過疎で悩んでいる地方では、致命的なことになりかねないからだ。地方と都市の格差をそのままにしておくわけにはいかない。

 しかし、人口が減少に転じたいまこそ、日本という国のグランドデザインを描きなおすいいタイミングではないかと私は思う。それには、どうすればよいか。

 まずは地方の現状を見てみよう。

 私はよく講演で地方に行くのだが、経済停滞の悲惨さはひどいものだ。中心部の商店街は、ほとんどがシャッター通りと化している。

 鹿児島に講演に行ったとき、こんな経験をした。空港から講演会場までタクシーを利用したときのことである。確か金額は6000円ほどだったと記憶している。

 現地に着いて運転手さんが言うには、「ぜひ帰りも乗ってください。ここで待っていますから」

 だが、講演が終るまでは時間がある。私は「そんなことをしたら、ほかの仕事をできなくなるでしょう。講演が終るまで3時間もあるんですよ」と言った。

 ところが、運転手さんはそれでも待っているというのだ。理由を尋ねて私は驚いた。

 最近は、1日の売上が合計で2000円に満たない日があるのだそうだ。なるほど、それならば、3時間待っても6000円を取りにいくほうが確実だということになる。

 こんな話はほんの氷山の一角だろう。タクシーの運転手さんの廃業は続出しているというし、それよりも何よりも地方の経済そのものがボロボロになっているのだ。

 では、都会では誰もが幸せに暮らしているかといえば、けっしてそんなことはない。

 宝島社が出している「田舎暮らしの本」が30万部も売れていることからもわかるように、多くの人が都会暮らしにうんざりして、田舎で人間らしい暮らしをしたがっている。潜在的な希望者を合わせれば、おそらく百万人の単位で存在しているに違いない。

 私の周りにも田舎暮らしを望んでいる人が多いのだが、それが実現したという話はあまり聞かない。なぜか。それは、田舎に「行かない」のではなく「行けない」からだ。

 田舎に行っても雇用の場がないから、よほど金を貯めた人は別として、田舎で暮らしていくことができないのである。

 それでも田舎暮らしをしたければ、農業をすればいい――そう言いたいところだが、いまという時代は、専業農家では食えないのである。野菜を作っても中国や東南アジアからの輸入農作物に価格で太刀打ちできない。そして、それ以上に、日本の田舎は山も畑も荒れてしまっていて、農業を続けることのできない地域も多い。

 田舎暮らしをしたい都会人や、農業をやってみたい都会人が増えている。その一方で、田舎でも人がいたほうが望ましい。ところが、田舎では食っていけない。

 そんな地方と都会のミスマッチを、どうやって埋めればいいのか。

 こういう本質的なことがらを解決するためにこそ、税金を使うべきだろう。人が入らない音楽ホールだの、車がめったに通らない高速道路だのといった、くだらない公共事業などやめて、農家がきちんと働けるように金を使ったらいい。

 たとえば、低農薬、有機肥料で農作物を生産するために、研究費や補助金を捻出。都会から移住する新しい農民に、そうした農業を実行してもらうのはどうだろう。

 国土の均衡ある発展に役立つのではないか。

 ここでは思いついたままのアイデアを書いてみたが、こうした方策をいろいろと考え、日本のグランドデザインを描き直せば、人口減少時代はちっとも恐ろしいことはないのである。


外国人労働者受け入れは新自由主義者のわがまま
〜得をするのは受け入れ企業、コストをかぶるのは国民全体〜

 人口減少時代を迎えて、移民を受け入れよと主張している人がいる。いわゆる、新自由主義の立場にたった人たちだ。

 新自由主義というのは、評価の尺度を金に一本化するという単純な発想から成り立っている。

 その典型がホリエモンである。ライブドアの社長だったころの彼は、「社員がやめたら、またマーケットからとればいい」とうそぶいていた。

 彼らには、一人一人の労働者の顔が思い浮かぶことはない。

 彼らにとっては、鈴木さん、佐藤さん、田中さん……といった個人名はどうでもいい。あくまでも、労働力1、労働力2、労働力3……という存在に過ぎないのだ。

 彼らの発想の根源となっているが、いわゆる生産関数――つまり、経済の大きさが、労働と資本を投入した量で決まるという理論だ。

 ところが、人口が減少してしまうと、投入できる労働は減り、彼らの儲けも減ってしまう。そこで、経済成長を維持させるために、どこからか労働力を供給しなければならないと考えているわけだ。それが手っとり早い方法だからである。それが、外国人労働者を受け入れよという要求につながってくる。

 しかし、外国人労働者の受け入れには、私は絶対反対である。

 現に、ドイツやフランスをはじめとして、諸外国でも外国人労働者の受け入れは失敗の歴史であるといっていい。

 たとえば、ドイツでは1960年代、高度成長のもとでトルコから大量の労働者を受け入れた。

 ところが、高度成長が終わり外国人労働者の雇用調整をしようとしたところで、つまずいてしまった。すでにドイツ国内では労働者たちに二世が誕生。彼らはドイツで生まれ育ち、ドイツ語しか話せず、本国に返そうにも返すことができない。

 そこでドイツが何をやったかというと、トルコに家を建てるための資金を与え、子どもたちにはトルコ語を教えた。そうした莫大なコストをかけて雇用調整をしたのである。

 日本で外国人労働者を受け入れても、まず同じことが起きるだろう。

 外国人労働者のメリットというのは、雇った企業のみに現れる。

 ところが、そのコストは長期間にわたって全国民にはねかえってくるのだ。たとえば、小学校の教育一つとっても、外国人の生徒がいれば、コストは10倍はかかるだろう。外国人労働者本人も失業を頻繁に繰り返すことが予想され、失業保険のコストがかかる。

 公的な住宅費もかかるし、市役所のパンフレットも各国語で書くためにコストがかかる。

 そして、そうしたコストは雇った企業ではなくて、何の関係もない国民にかかってくるのだ。

 さらにいけないのは、外国人が入ってくるために、まじめな日本の若者がワリを食うことだ。その一例が、最近になって外国人の受け入れが検討されている介護士や看護師である。

 日本の若者のなかにも、最近では福祉分野で働きたいという、まじめな人がたくさんいる。ところが、そこに外国人介護士や看護師を受け入れたらどうなるか。起きるのは、外国人の賃金に合わせた劇的な賃金低下である。これでは、若者ならずとも勤労意欲を失ってしまう。

 これが、あらゆる分野で起きたらどうなるだろうか。若者はますます仕事につかなくなり、社会不安は拡大していくに違いない。

 さきほども述べたように、日本の人口が減っても経済成長率が落ちることは、ほとんどない。

 人口は減ってもいいのだ。本来の人口に戻っていくという気持ちで迎えようではないか。そして、人口の減少を前提にして、そのなかで、どうやって幸せに暮らしていけばよいかを考えたほうが建設的でないだろうか。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/o/25/index.html
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by thinkpod | 2007-07-01 16:17


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