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2007年 08月 06日

朝鮮戦争における性暴力

戦時慰安婦はこうして銃後の平安を守った


村に共産軍がやってきた

  崔さんのご出身は、北朝鮮との軍事境界線近くの村だそうですね。それで小学生のころに朝鮮戦争が勃発し、村にやってきたアメリカや韓国の兵士たちが村の女性たちに対して性的な暴力をはたらいたということ、それに対して売春婦たちが村に入ってきて村人たちの防壁の様な役割を果たしたということ、そうしたことを直接ごらんになった体験を、ご著書のなかでお書きになっています。
 そのあたりのことは、まったく別次元の問題かもしれませんが、私が日本で仕事をする韓国人ホステスの問題について書いたことと、なにか通じるようなものがあると思うのですが。
  そうなんです。呉さんと私の接点はそこにあるように、私も感じています。
  たいへん興味深いお話なので、ここでお話いただけるとありがたいのですが。
  当時私は一〇歳で戦争を体験したわけですが、半分は怖くて、半分は非常に楽しかったという思いもあるんです。ホラー映画もそうでしょう? 怖いけど楽しい、あの感じなんんです。爆撃を受けて、みんな必死で隠れたりしたんですが、そのときはもう死ぬんじゃないかという恐怖に震えていて、それが過ぎると、すごく楽しい感じがあるんです。
 たとえば、ヘリコプターなんか、かっこいいなぁ、という感じで見ていました。ヘリコプターは韓国ではヘルギと言うんですが、おそらく学校教育がはじまる前はヘルギという言葉がなかったと思います。我々は、ジャムジャリビヘンギと呼んでいました。
 、ああ、ジャムジャリはトンボでビヘンギは飛行機ですね。そう言えば、私も子どものころはヘリコプターをトンボの飛行機と言っていました。
  それから、戦闘機はセクセキと言いました。
  セ〜ク! といった飛行音で名前をつけたんですね。
  ええ。そういう感じで、みんな自然に名前をつけていました。セクセキというのも、そのころはかなり広く用いられていたんです。ジェット機とか戦闘機なんていう言い方はずいぶん後のことです。この戦闘機が見られるのも楽しかったんです。
 まあ、そんなふに、戦争が怖くて楽しいという体験だったわけですが、ここでお話ししたいことは、さっき呉さんが言った、軍隊と性暴力のことです。
 戦争が起きれば、どんな戦争にも性暴力はつきものなんですね。最近ではユーゴスラビアの紛争で性暴力がありましたし、あるいはロシアの紛争でもそういうことがありました。そうであるのに、なぜか戦前日本の「従軍慰安婦」問題だけが取り上げられるんです。慰安婦制度がいいというわけじゃないんんですが、なぜ明らかな犯罪である性暴力が問題にならないのでしょうか。こっちのほうがより大きな問題だと思うんです。
 とくに、アメリカ人が朝鮮戦争のときにひどい性暴行を働いたということが、なぜ問題にならないのか、なぜ取り上げようとしないのか、私はまったくおかしなことだと思うんです。
  崔さんが体験されたことによれば、朝鮮戦争時の中国軍はきわめて紳士的だったけれども、アメリカ軍と韓国軍はひどかったということですね。
  そうです。アメリカ軍人がひどくて中国軍人が親切でおとなしかったということは、だれに言っても信用してくれないんです。でもそれは、私たち村の人たちすべてが体験した、疑いもない真実なんです。ですから、いくら米軍がいいと言ったって、村の人たちはまったく聴く耳をもちませんね。
  彼らは若い娘たちがいるところへどんどん入っていっって……。
  いや、もう入っていくなんてもんじゃなくて、強引に乱暴に引っ張っていっちゃうんです。私は一〇歳でしたから、偏見もなにもあるわけじゃないんです。私が一四歳くらいになっていたら、たぶん戦争に引っ張られていて、そんなことを目にすることもなかったかもしれません。そういう意味では、アメリカ人もひどいことをするもんだ、ということを体験できてよかったと思うんです。
 私の村は三八度線から四キロ以内のところにありました。南から攻撃をしかけたとか北から侵入したとか言われましたが、私の体験では、北から攻撃を受けてそのへんの人たちがみんな逃げてきて、私たちも村から出て避難したんです。約四〇日間避難していて、それから村にもどったんです。もどったら金日成の時代になっちゃていて、私たち子どもはわけもわからず「偉大なる金日成は……」といった歌を歌ったりしていました。この歌はいまでも忘れませんが、北朝鮮では現在でも歌われているそうです。
 そのときが一九五〇年の六月で、翌年の一月に中国軍が入ってきましたから、半年以上、私たちの村は北朝鮮の時代だったんです。
 そのころ、人民共和国内務省というものができて、村のある女性に、そこへ事務員として出向しなさいという命令がきたんです。彼女は、自分の恋人が北朝鮮に関係している人だったこともあって、断れなかった。それで彼女は事務員として出たわけですが、内務省は彼女を含む事務員となった人とともに、その年の穀物や果物の収穫量を調べるなどしましてね、これは日本の植民地時代以上の厳しさだと、村の人たちは不安な気持ちになっていました。
 そういうことはあったんですが、そのころはまだ、北朝鮮がいいのか、それとも韓国がいいのか、農民たちには判断ができなかったんです。
  それは全国的にそうだったと言えるんでしょうか。
  少なくとも、田舎はみんなそうだったと思います。そのときには北朝鮮の残酷さも知りませんでしたし、とにかく平和な時代がくればいいと思うばかりで、民主主義もなにもどういうものか知りませんでした。ただ、韓国では李承晩のイメージが強くありました。そのため、李承晩大統領が解放してくれるんじゃないか、というウワサが口コミでどんどん入ってきて、民主化の可能性がある、ということが言われていました。
 それで九月に国連軍の介入がすることになるわけです。ソウルから私の村は四〇キロのところですから、折るにソウルの方を見るとパアーッと明るく見えました。遠くで鳴る雷の酔うな音が聞こえて、空が真っ赤に染まっているんです。それを見て、やはり解放されるんだろうな、という期待を抱いて、ずっとずっと待っていました。
 そうして翌年の一月、とても寒いときでしたが、中国共産党軍がやってきたんです。そのころ、中国軍といえばとても残酷で、女性の鼻に穴をあけて牛みたいに引っ張るとか、そんなことが言われていました。そういう人たちが来るということで、もう村の人たちは恐怖心でいっぱいになっていたんです。
 夜になると、中国軍のラッパの音が聞こえて、民謡みたいなものが流れてくるんです。まあ心理作戦なんでしょうね。どうなることかと、とても寝られませんでしたが、夜中になって中国軍が村にやってきました。
 彼らは変な発音の韓国語で「ヨ〜ボセヨ〜」(もしもし)と大きな声を出しているんです。それで、これは大変なことになると思っていたら、そのまま家の前を通りすぎていくんです。軍隊だったらみんな家のなかに入ってきて悪さをするはずなのに、おかしいなと思っていました。
 朝になって家の外に出てみますと、山のあたりが真っ白になっているんです。中国軍は夏は草色の軍服ですが、冬は白い軍服となります。その白い軍服を着た中国軍が山の中腹にいっぱい陣取っていて、それで真っ白になっているんです。
 そのときから解放されるまでの三ヶ月間の間、我々は中国軍といっしょに生活しました。村は完璧に中国軍に占領されたわけです。
 昼間は飛行機が飛んでくるので、我々はみんな防空壕へ避難しているんですが、その間、中国軍の兵隊さんたちが家の中に入っているんです。そういうわけで、我々は昼はほとんど外へでないんですが、夕方からは自由に外へ出て、中国人とも交流しました。
 中国人とは言葉は通じなくても、とても親しくできました。彼らの軍隊にも一四、五歳の少年たちがたくさんいるんです。ですから、わりとおもしろく遊んだりしました。非常におとなしい軍隊でしたね。

国連軍・米兵と韓国兵の性暴力

  それから国連軍による仁川上陸となるわけですね。
  はい。このときの戦争というのは激しいものでしたね。
 間もなく米軍が村にも入ってきました。みんな大歓迎です。背の高いスマートなアメリカ兵たちにみんな手を振ってね。だいたい車なんて見たこともないわけで、そこへ大きな部隊がジープやらなんやらできたので、村中が大喜びしたんです。また、ろくな食べ物も食べてないところへ、彼らはチョコレートやビスケットをバラまくんですよ。彼らにもらったカンヅメなんかを腹いっぱい食べて、嬉しかったですねえ。
 しかし、そういう期間は非常に短くて、彼らは間もなく女性たちの略奪をはじめたんです。それはひどいものでした。
 私の姉は六歳上の一六歳でしたので、父はすぐに遠い親戚のところへやって隠したんです。それでも若い奥さんたちも狙われますから、みんな年寄りみたいなかっこうしてごまかそうとしました。手拭いなんか被ってね。でもそれは韓国式の年寄りのかっこうなんで、アメリカ人からはそうは見えなかったみたいです。
  かえって、若い人がスカーフなんか被った、おしゃれなかっこうに見えたかもしれませんね。
  ええ、そうだったかもしれません。また子どもがいない人はよそから借りてきて、背中におぶって仕事をしたりしていました。そのほうが襲われにくいですから。
 彼らは、昼間は村をぶらぶらしながら、女の目星をつけておくんです。それで夕方になると、坂道などの村を見渡せるところにジープを止めておいて、望遠鏡で目当ての女性を捜すんです。それで見つけると、猛然とジープを走らせてくるんです。そうして強奪していくんですが、我々はそういうジープを見ると、大声で「軍人! 隠れろ!」と叫んだものです。
 ところが、アメリカ軍人たちは軍用犬のセパードを連れていて、それに探させるんです。女たちは積んである黍のワラの中なんかに隠れるんですが、たちまち犬に見つけられてしまいます。我々が気がついて彼らを取り巻いたりしますと、何か捜査をしているみたいなふりをして行ってしまうんですが、目を離したスキに連れていかれた女性はたくさんいます。
  家のなかには入ってこないんですか?
  それが入ってくるんです。ある日、私の隣の家、数メートルほど離れた家ですが、その家で家族が夕食を食べていたときに国連軍の軍人がやってきたんです。そのときの軍人はアメリカ人ではなくイギリス軍のMPでした。
 その家には一五歳の女の子がいて、彼らはその娘を目当てにやってきたんです。その娘はギョクチャという、天井のほうにある家具などを入れておくところに隠れていました。私はその家のそばまでいって、彼らがなにをするのかをずっと見ていました。一人が障子戸のところに銃を持って立っていて、一人が探すんです。その娘は見つかりそうになって怖くなったんでしょうね。ギョクチャからパッと出て逃げようとしたところをつかまってしまいました。
 彼らは戸を閉めると一人が歩哨みたいにして外に立ち、一人が中で娘に暴行を働きはじめたんです。そのとき、私の親族に耳が聞こえない老人がいまして、その老人が熊手みたいな金属のスキがあるでしょう、あれをもって家に押し入るや、いきなり床をそれでバンと叩いたんです。もう死んでもいいと思ったと言っていましたが。それでイギリス人はびっくりして、ものすごい勢いで外へ飛び出したんです。で、エンジンをかけっぱなしにしてあったジープに二人して飛び乗り、行ってしまいました。
 その晩、そのまた隣の家でアメリカの黒人兵が殺されたんです。
  村人に?
  そうです。性暴行を働いたので村人が殺したのです。それで憲兵がきて捜査をはじめたのですが、殺した本人はもう逃げていましたからつかまりません。そうなると戦時中は、もう捜査を打ち切るんですね。そんなことに労力を使っていられませんから。
 死人が出たとなると、彼らも懲りたろうから性暴行がおさまるかと思ったんですが、それから一週間もたたないうちに、またやりだしたんです。
 女性だけではなく少年も襲われたんです。私より一つ上の一一歳の少年でしたが、おばあさんと一緒にサツマイモを洗っていたんです。そこにアメリカ兵がジープでやってきて、彼をおさえて性器を口に入れるんです。そばでおばあさんが大声で泣いているんですが、平気でそういうことをやっているんです。
 また、ある結婚したばかりの女性は、畑に肥やしをやっているところをアメリカ兵にジープでさらわれました。彼女は一カ月近く行方不明になっていて、ある日、同じ場所でジープから下ろされて村に帰ってきました。そんなひどい話がたくさんあります。
  慰安婦がいなければ、暴力的に素人の女性を慰安婦にするんですね。戦争が最低の人間をつくってしまう。その後韓国軍がきますね。韓国軍の兵士たちはどうだったんですか。
  やがて、国連軍と韓国軍が交代しますが、韓国軍もひどいことをだいぶやっています。韓国軍は我々の村が一時的であるにせよ北朝鮮の支配下にあったということで、北朝鮮への協力者の摘発をはじめたんです。先ほどお話しした北朝鮮の内務省の事務をやっていた女性ですが、彼女が思想的な犯罪者だということで韓国軍に連れていかれました。
 この女性に対する韓国軍の残虐さは、北朝鮮もアメリカ軍もやらなかったひどいものでした。彼女は四〇日間というもの、韓国軍のなかにとめられて強制売春みたいなことをさせられたのです。いや、売春ではないですね。めちゃくちゃな不特定多数による性暴行です。
  そんなことがあったんですか
  ほんとうにかわいそうでした。婚約者もいる未婚の処女ですよ。しかも彼女は、そのために子どもを産めない身体になってしまったんです。その後、彼女は養女をとって一人で育て上げたのですが、一生を不幸のどん底で暮らしたと言っていいでしょうね。そんな恥ずかしい目にあって村にはいられないという思いで、ソウルへ行って隠れるように暮らしたんです。
 韓国軍がこんなにひどいことをしたのは、私の村ではこの一件だけでしたが、他の村でも同じようなことがたくさんあったんです。
 私の村でもそうですが、三八度線近くの村では、北朝鮮に連れていかれた人、自分で行った人がたくさんいますので、なにかスパイ事件があると、それを理由にまた暴行される者がたくさん出るんじゃないかと、いつも緊張するんです。戦争は必ず悲劇を生むし、また生涯その悲劇から逃れられないで苦しむ人たちを生むんです。
  国連軍の軍人たち、とくにアメリカ軍人がそういう残酷な性暴力をはたらいたということは、国民にはまったく知らされていませんね。それだけひどい性犯罪を犯しているのに、国内でも国外でも問題にされたことは、一度もありません。韓国政府は自ら国民に対して犯した犯罪を正直に表明して責任をとると同時に、アメリカや国連に対して声を大にして抗議すべきです。なぜそれをしてこなかったのか、デタラメじゃないですか。
  この、朝鮮戦争時のアメリカ軍と韓国政府の構図が、いまなお続いているんです。東豆川にアメリカ第七師団が駐屯していますね、かつては四万人だったのが今では二万人ですが、あそこはまさに売春だらけの地域です。夜行ってみると、線路のところにズラッと売春婦が立っていますよ。
 そういう状況の中で、韓国人の売春婦がアメリカの黒人兵に殺されましたね。それで売春婦たちが彼女の死体をかついでデモまでしました。ところが韓国政府は、日本の沖縄で起きた問題のように大きな問題として扱わないんです。
  売春婦だから、というのもあるんでしょうね。素人の女性でアメリカ兵の暴行を受けたものもかなりいるはずなんですが、性の問題というのは、韓国の女にとってはものすごく恥ずかしいことですから、被害があってもなかなか表ざたにはならないわけです。政府の方も、国民の恥みたいな考えで取り上げようとしない。そういう二重構造があるように思うのですが。
  そういうことでは、戦後間もないころの日本と似ているんじゃないですか。日本でもそのころに、アメリカ兵に女性が性暴行を受けた記録がたくさんあるのに、国民も政府もあまり大きな問題として取り上げませんでした。それが、最近になってようやく、沖縄での性暴行事件をきっかけに、国民も政府も大問題だと取り上げるようになりました。
 韓国政府は、国連軍から受けている恩恵というか、そういうことに気をつかっているし、国民のほうもそういう問題に対する意識が弱いんですね。日本の占領軍と当時の日本政府・日本国民の意識も、やはり同じようなものだったんじゃないでしょうか。
  日本人も韓国人も、「従軍慰安婦」の問題ばかりではなく、もっとそういう問題に目を向けていくところから、戦争と性暴力の問題を全体的な視点から眺めていくことが必要ですね。ベトナム戦争に韓国軍が参加しますが、そのとき韓国軍はベトナム女性に数々の性暴力をはたらいています。また、性暴力ではないかもしれませんが、韓国軍兵士がベトナム女性に産ませた子どもがベトナムにはたくさんいます。
 それでも、ベトナムは韓国に対して文句を言うことはありませんね。いまは力がないからそうしているのかもしれませんが、力を持ってくると、問題化されていくのではないでしょうか。戦争と性暴力の問題はなにか日本だけの問題だといわんばかりの態度を改め、自分たち自身が犯してきた問題として、いまからきちんとしておかないとならないと思います。
 
  ーー 途中略 ーー

売春婦とともに生きた村人たち

  そういう呉さんの体験につながるのが、私の村の話にもどりますが、私の村へ売春婦たちがやってきたときのことです。
 私の村もいうまでもなく儒教社会の村であって、そこへ売春婦なんかを入れてしまえば、もう李朝時代のモラルは一気にふきとんでしまうはずなんです。ところが私たちの村では売春婦を歓迎したんですね。儒教社会がなぜ売春婦を歓迎するかということが、私には大きな疑問なんです。
 普通ならば、そういう人たちは村を守るために入れないわけです。しかし、米軍の性暴行に対して、正攻法では守れなくなった。それで村を守るために売春婦を喜んで迎えたという矛盾、これが私にはちょっと理解できないんです。あんなにまで性道徳をうるさく言っていて、あれほどに売春婦を軽蔑していた人たちが、彼女たちに村にずっといて欲しいと願う。それでなんで儒教社会だなんて言えるんですか。
  戦場の軍人に対する慰安婦の登場ですね。彼女たちがいなかったら、いったい村はどうなっていたのか、この慰安婦を求めた村人たちの気持ちは、じつは銃後の我々すべてがいざとなればもったものであるはずなんです。そういうことを抜きにして「従軍慰安婦」問題を論じて欲しくないですね。
  彼女たちが村にきてから、村の女性に対する性暴力はなくなったんです。
 雨が降るとコンドームがあちらこちらから流れてくるんですよ。子どもにはコンドームがなんだかわからないので、それに水を入れて遊んだりしたものです。アメリカ兵たちを性病から守るために、米軍ではコンドームを大量にストックしているんです。私のおじの家ではそれを横流しかなんかで安く仕入れてきたものを買ってきて、それをカミソリで細長く切ってゴムのヒモをつくり、それを靴下に編み込んで利用していました。
  足首を止めるゴムにしたわけですね。
  そうなんです。ほかにも利用の仕方はたくさんありましたが、まあそんなわけで、それまでなにか性不道徳そのものと見えていたコンドームも平気になってしまったんです。
 また、村の男の中で何人かは、売春婦、いや、はっきり言えば米兵相手の従軍慰安婦ですよ、彼女たちを好きになっちゃったのがいて、家庭問題を起こして奥さんとケンカになったり、メチャクチャになったのもいました。
 わずか三〇〜四〇件の小さな村なんですが、そこへ若い女性がドッと入ってくると、村にがぜん活気が出てくるんですね。米軍のジープやトラックがいっせいにやってきて、あちこちに駐車して空き地が車でいっぱいになる。そして米兵たちが行ったりきたりしていますから、なんとも賑やかで活気があるんです。
 それで、米軍が訓練かなにかで外出が禁止されると、その日はまるで村が死んだように静かになる。売春婦たちとしても商売ができないので、明日はくるんだろうかどうなのだろうかと心配して、みんな沈んだ顔をしているんです。
  村へきた女性たちは何人くらいだったんですか?
  売春婦はだいたい三〇人ほどだったんですが、ほぼそれぞれの家に一人ずつ民宿させていました。そうやっていっしょに生活するので、自然に親しくなってしまうんですね。私も最初は売春婦たちは非常に不良っぽいイメージをもっていて、心も身体も最低の女性たちなんだと思っていました。しかし親しくなってみると、呉さんが言われたように、ほんとうに純粋な人が多いんですよ。
 呉さんがお書きになった韓国人ホステスたちもそうでしたが、家が貧乏で売春婦になったのであり、堕落してそうなったとか、倫理や道徳がどうだとかいうことじゃまったくないんです。家族と自分が食べるためにやってるんですが、心はダメになっていないんですね。
  戦前のアジアの農村は、日本だろうと韓国だろうと中国だろうと東南アジアだろうと、みんな貧困問題を抱えていたんです。「従軍慰安婦」問題の本質はそこにあるわけで、アジア的貧困と戦争の根絶こそがほんとうのテーマなのです。
  きれいごとじゃすみませんからね。


「これでは困る韓国」 崔 吉城, 呉 善花 p.11-p.31 より


朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表
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by thinkpod | 2007-08-06 19:05 | 半島


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