2007年 03月 22日

【安倍政権6カ月 孤独と苦悩の日々】

【安倍政権6カ月 孤独と苦悩の日々】塩爺の喝、腹固まる

 □最後まで守るよ。私が選んだ閣僚なんだからね

 安倍政権が発足して26日で6カ月となるが、発足当初の熱狂的な支持は消え、政府・与党内のきしみが目立つ。難しいかじ取りを迫られる安倍晋三首相の孤独と苦悩の日々を顧みた。(文中敬称略)


 首相就任からほぼ半年たった3月7日、安倍晋三は、前首相の小泉純一郎と帝国ホテル内のフランス料理店で夕食を囲んでいた。安倍が小泉と2人でゆっくり会食するのは、首相就任後は初めて。長い間、2人が会わなかったのにはある理由があったが、この日は平成19年度予算案が衆院通過したという安堵(あんど)感もあって、安倍は肩の力を抜いて小泉と向き合うことができた。

 小泉は上機嫌で、安倍に語りかけた。

 「いやー、よくここまで踏ん張ったな。柳沢(伯夫厚労相)さんの発言で、野党が補正予算案の採決で審議拒否を仕掛けてくれて本当によかった。本予算案の採決であれをやられたら、おれだって持たなかったかもしれないぞ!」

 安倍は「そうですね」と相づちを打った。

 柳沢の「産む機械」発言に猛反発した野党側は、2月2日の18年度補正予算案の衆院採決を欠席する戦術に出た。ところが、直後に柳沢問題の集中審議を開くことを条件に19年度の本予算案審議には復帰。これにより、野党は同じ問題を蒸し返して本予算案を審議拒否する大義名分を失った。野党が補正予算案ではなく、より重要な本予算案審議の段階で徹底抗戦を始めれば、安倍政権は立ち往生しただろう。安倍が国会審議を乗り切った裏には、こうした野党の戦術ミスがあることを鋭い政局観を持つ小泉は理解していた。しかも、敵失とはいえ、安倍が難局を切り抜けたことを小泉は素直に喜んだ。そのことが、この数カ月間苦悩の連続だった安倍には、何よりの励ましとなった。

滑り出しは

 昨年秋に発足した安倍は、直後に電撃的な日中首脳会談を成功させ、滑り出しは順風満帆だったが、郵政造反組の復党問題でもたつき、11月下旬ごろから政府、与党の歯車がきしみ出した。

 スキャンダルも次々に浮上した。昨年末には政府税調会長の本間正明が公務員官舎問題で辞任し、息つく間もなく行革担当相の佐田玄一郎が政治資金の不適正処理問題で辞任した。内閣支持率は70%台から40%台に急落。首相官邸での仕事納め式を終えた安倍は周囲に語った。

 「いろいろあったが、逆に腹をくくることができた。来年はもっと自分らしさを押し出す。周囲におもねっていては何もできない。前を向いて倒れるならば本望だよ」

 この時点で、安倍には、まだ、そう話すだけの余裕があった。

いったんは

 この言葉通り、1月4日の年頭会見で安倍は「今年を美しい国づくり元年として、たじろがずに一直線に進んでいく覚悟だ」と宣言、その表情から迷いが消えた。22日夜には、かねてから親交の深いジャーナリストの櫻井よしこや政治評論家の屋山太郎、元駐タイ大使の岡崎久彦ら保守派論客を首相公邸に招いた。

 政権発足後、安倍周辺では「保守再興路線を前面に出すと小泉改革を支持してきた中道保守層の支持を失う」との声が強く、幹事長の中川秀直も「左ウイングに懐の深い自民党を目指す」と、中道保守層への傾斜を明言していた。こうした動きに配慮し、安倍も保守的な言動を控え気味だった。

 それだけに、この櫻井らとの会食は、「今後は自らのカラーを遠慮なく打ち出す」という決意の表れだった。

 メンバーには、元台湾総統府国策顧問の金美齢も含まれていた。金は「(日中関係があるので)もうお会いできないかと思っていました」と目を潤ませ、「台湾の陳水扁総統が失敗したのは支持を広げようと中道に寄り、元々の支持者が離れていったからです。同じ愚は決してやってはいけません」と訴えた。

 「やはり自分の判断は誤っていなかった」。安倍は意を強くした。

 安倍は施政方針演説で、持論の「戦後レジームからの脱却」をうたい、憲法改正と教育再生を柱に据えた。マスコミ幹部との会合で、施政方針演説について、「理念ばかりで具体性が薄い」と批判されると、「政治家が理念を語らなくてどうする」と気色ばんだ。

再び逆風

 ところが、安倍の意気込みに反して、農水相の松岡利勝、文科相の伊吹文明の事務所費問題、防衛相の久間章生の不適切発言などで再び逆風が吹く。

 さすがの安倍も気落ちしたようだ。補正予算案の衆院採決直前の2月2日夕、会合出席のため、首相官邸を訪ねた元財務相の塩川正十郎が、首相執務室に顔を出すと、安倍は疲れた顔つきでソファに座っていた。

 「柳沢さんを辞めさせちゃいかん。食い止めろ。一人一人抜けたら政権はガタガタになる」

 もともと、「言葉狩り」による閣僚更迭を嫌っていた安倍は塩川の一言で腹を固めた。この夜、与党は単独で補正予算案を衆院通過させた。多くの政界関係者が不可避だとみていた柳沢更迭は見送られた。

 「私は閣僚が辞表を出さない限りは最後まで守り続けるよ。私が選んだ閣僚なんだからね…」

思いやり困惑

 しかし、相次ぐ閣僚のスキャンダルと問題発言には、参院を中心に自民党からも「このままでは統一地方選、参院選を戦えない」と悲鳴が上がった。元首相の森喜朗も「閣僚が首相を尊敬していない」と閣僚らを痛烈に批判、政府・与党の足元が揺らぎだした。

 安倍は夜の会食を入れずに公邸に引きこもる日が増えた。酒は飲まないが、親しい議員らとワイワイ騒ぐのが好きだった安倍には、初めての孤独だった。「孤独を苦にしない小泉さんってやっぱりすごいな…」。安倍は周囲にこうつぶやいた。

 そんな中、自民党幹事長の中川秀直は、党内の引き締めを狙って小泉を担ぎ出し、小泉が「鈍感力」の必要性を説くという場面もあった。

 しかし、安倍にとって、森や中川の「思いやり」は有り難い半面、迷惑でもあった。森たちが援護射撃すればするほど「安倍は半人前だ」とみられるからだ。このため、安倍は中川から小泉との会食を持ちかけられても、「予算が衆院通過するまではやめておきます」と断ってきた。

 安倍が小泉と会わなかった理由はもう一つある。安倍が今年から鮮明にした保守再興路線は、ともすれば小泉の構造改革路線に逆行し、古い自民党への回帰を目指しているようにも受け取れる。昨年11月27日、安倍が郵政造反組11人の復党を決め、小泉に電話した際、「君がそう決断したのならば、それでいい」と言った小泉の口調は明らかに不快そうだった。自らを幹事長や官房長官にとり立ててくれた小泉への一種の後ろめたさもあった。

 だが、久しぶりに会った小泉はときにジョークを交えながら、大いに語り、安倍を励ました。

 「いいか。参院選なんて負けてもいいんだ。参院選で負ければ、民主党の反小沢派はガタつく。親小沢だって大きく動くだろう。どうなるかな…。そもそも考えてみろよ。小渕(恵三元首相)政権で、参院が首班指名(首相指名)したのは菅直人(民主党代表代行)だぞ。政権選択の選挙は衆院選だ。首相はそれだけを考えていればいいんだよ」(石橋文登)

(2007/03/20 08:17)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070320/shs070320001.htm




【安倍政権6カ月 孤独と苦悩の日々】密談「軸足を右に」


 薄く霧が立ちこめる2月のある夜、外相、麻生太郎を乗せた車は、都内某所の車寄せに静かに滑り込んだ。薄明かりが灯るロビーで、麻生を出迎えたのは首相、安倍晋三。「こんな夜分に申し訳ない」とあいさつした安倍に、麻生は「お呼びならいつでも駆けつけますよ」と笑顔で応じた。

今の自民党は、どっちを向いているのか分かりにくい

 ソファに腰をおろした2人の話題は外交から内政、そして政局へと移っていった。14歳も年下であるだけにやや遠慮がちの安倍に対し、麻生はこう切り出した。

 「ちまたでは春の内閣改造なんて騒がれていますが、どうですかね。ずいぶんとエネルギーを使う割に得るものはどれほどあるのか…。しかも切られた閣僚に一生恨まれることになりますよ」

 安倍「そう、エネルギーの割にね…。難しいですよ」

 さらに、会話は自民党への政治路線へと流れ、麻生が「小選挙区が定着したことを考えると自民党は最大でも右から6割の支持者の声を反映する真の保守政党になるべきじゃないですかね。結党したころは少なくともそうだったはずだ」と熱を込めると、安倍は身を乗り出した。

 「その通り。今は右から左まであまりに幅広くて、どっちを向いているのか国民には分かりにくい」

 「自民党は右、左の2割を差し引いた保守中道を目指す」という、一時自民党内で有力だった保守中道路線から、いかに軸足を右へずらしていくかという問題意識は安倍と麻生に共通だった−。このことを確認できただけで、安倍にとってこの夜の極秘会談は成功だった。話は弾み、2人が別れたのは、日付が変わる直前だった。

 安倍が麻生との会談を設定したのには理由がある。

 厚生労働相、柳沢伯夫の1月末の「女性は産む機械」発言などで国会は混乱。自民党内からも安倍内閣に手厳しい声が続いていた。

 そんな中で飛び出したのが、自民党幹事長の中川秀直が2月18日の仙台市で講演した際の「閣僚や官僚は首相に対し絶対的忠誠心、自己犠牲の精神が求められる。忠誠心のない閣僚は去るべきだ」との発言だった。中川からみれば、安倍への援護射撃のつもりだったようだ。だが、安倍は激高した。

 「内閣の結束が一番大事な時期に逆効果じゃないか」

 安倍は記者団にも「幹事長の心配には及ばない」と、不快感を隠そうともせず、中川が22日に「ちょっと言い過ぎました」とわびたものの、わだかまりは残った。

 実は中川発言には伏線があった。中川は2月7日夜、赤坂の料亭で前首相の小泉純一郎、前総務相の竹中平蔵と会談した。この際、小泉が「首相の権限は絶対だ。忠誠心のない奴は去ればいい」と言い放ったのだ。強力なリーダーシップで5年半も政権を維持した小泉らしいせりふだった。

 このころ、自民党内では「麻生は安倍を支えるふりをしてハシゴを外す気ではないか」とささやかれていた。昨年末に麻生派(為公会)を立ち上げ、増員工作を続けていることも他派閥を疑心暗鬼に陥らせた。

 そんな雰囲気を察知したのかどうか、中川は2月21日深夜、麻生を会合に誘った。麻生は、中川が遠回しに麻生の意向を探りにきたのだと感じ、不快感を込めて言った。

 「ニューYKKって知っているか。山崎拓(元副総裁)、加藤紘一(元幹事長)、それに小泉の代わりに古賀誠(元幹事長)だ。おれがこいつらと手を組むと思うのか」

 新YKKの動きは、反安倍色を帯びている。その加藤と麻生は以前から路線が合わないばかりか、性格的にも合わないことは、政界では周知の事実だ。それだけに、中川の動きは、麻生には心外だった。

 麻生が機嫌を損ねているという話はしばらくして安倍にも伝わった。政治路線がほぼ一致する麻生の存在は安倍の政権運営にとって欠くことができない。その麻生が抱いた不信感を早急に取り除かなければならない−という安倍の思いが、冒頭の安倍−麻生極秘会談のきっかけだった。

 2月7日の小泉−中川会談があった料亭で、もう一人の大物政治家の姿が目撃された。かつての小泉の盟友である山崎だった。

 山崎が小泉−中川会談に同席したかどうかは定かではない。ただ、このころから、山崎は小泉の3度目の訪朝について口にしなくなる。さらに、なぜか党内で、参院選後の「小泉再登板説」も下火になっていった。それと、歩調を合わせるように、山崎は昨年末からひそかに進めてきた新YKKの動きを公然化させる。このため、自民党内には、安倍を降ろして小泉再登板をねらっていた山崎らの勢力が、その気のない小泉を見限り、みずから反安倍の動きを開始したとの見方も広がった。

 実際に2月19日には新YKKが会談、3月12日には国対委員長の二階俊博を加えて4人の会合が開かれた。この席で二階をのぞく3人は「参院選に負ければ安倍政権は行き詰まる」との認識で一致した。

 その2日後、山崎、加藤はCS放送の「朝日ニュースター」に出演。山崎は「小泉さんの靖国参拝で中韓との関係が非常に深刻になった。加藤さんや古賀さん、高村(正彦元外相)さん、福田(康夫元官房長官)さんらと力を合わせて日米中新時代を作っていくべきだ」と述べ、反小泉、反安倍色を鮮明化させた。

 加藤が安倍包囲網の核に位置づけるのが、自らが昨年夏に立ち上げた議員連盟「アジア外交・安保ビジョン研究会」だ。安倍外交に批判的な講師を招いてほぼ毎月勉強会を開いており、衆参議員20〜30人が固定メンバー化しつつある。

 安倍はこの動きに無関心を装うが、心中は穏やかでないようで、会合の度に出席メンバーを逐一報告させている。安倍はかつて歴史教育議連や、平和靖国議連、再チャレンジ議連など数々の議連を作り、「仲間」を増やしていっただけに、「逆手に取られた」との思いもあるようだ。

 政権6カ月で芽生えたこのような動きを見て、かつて加藤に宏池会(旧宮沢派)を追われた麻生はこう語った。

 「左と右が真ん中を取り合う綱引きを続けているのが自民党の現状だ。保守政党はどうあるべきか、どっちも譲らないから、いずれ火を噴くのは間違いない。ひょっとして案外近いんじゃないかね…」

 =敬称略

 (石橋文登)
(2007/03/21 08:44)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070321/shs070321002.htm




【安倍政権6カ月 孤独と苦悩の日々】米決議案との狭間で

河野談話 強制性は党が再調査、政府は必要に応じて協力

 3月8日夕刻。首相、安倍晋三の思想信条に共感し、かねて支え続けてきた自民党若手・中堅議員らに激震が走った。

 安倍が慰安婦募集における官憲の関与を認めた平成5年の官房長官、河野洋平の談話(河野談話)について、記者団に「われわれは談話を基本的に継承していく立場だ。強制性については党が再調査するので政府は資料の提供など必要に応じて協力していく」と明言したからだ。

 この2時間前、自民党有志の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(歴史教育議連)の会長、中山成彬らが首相官邸に安倍を訪ね、談話の根拠となる資料の政府による再調査を求めた。政府が再調査に踏み切れば、軍・官憲による強制連行を示す資料が存在しないことが改めて確認されることは確実とされており、談話見直しは必然とみられていた。

 その際、安倍は中山らをねぎらい、再調査に前向きな意向を示した。ところが、政府ではなく「党で再調査」という中途半端な方針変更に議連メンバーは困惑した。政府は談話見直し論議の最前線から一歩身を引くという意味でもある。「ハシゴをはずされた」「誰が首相をそそのかしたのか」と憤りの声も上がった。

対立回避へ

 歴史教育議連は、慰安婦に関する記述がすべての中学歴史教科書に掲載されるようになったことを受けて、安倍や政調会長の中川昭一らが9年、「自虐史観」の見直しを掲げて発足させた。談話見直しは安倍のレゾン・デートル(存在理由)と言っても過言ではないほどのテーマなのだ。

 にもかかわらず、安倍は昨年10月3日の衆院本会議で河野談話踏襲を明言。同月5日の衆院予算委の答弁で、軍の直接関与を示す「狭義の強制性」を否定したとはいえ、大きな政治的妥協だった。当時の政治状況で談話見直しに踏み込めば、元自民党幹事長の加藤紘一ら反安倍派や野党の格好の餌食になったことは間違いないが、安倍には忸怩(じくじ)たる思いが残った。

 それなのに、なぜ安倍は政府による再調査を思いとどまったのか。

 そのもっとも大きな理由は、米下院の対日非難決議案の動向だった。

 慰安婦問題を「20世紀最大の人身売買」と断罪するこの決議案はもともと米国でも大して注目されていなかった。

 ところが、決議案に対する日本国内での反発に乗じる形で米メディアに火が付いた。ニューヨーク・タイムズは3月6日付の社説で「安倍晋三は『日本軍の性的奴隷』のどの部分に理解や謝罪ができないというのか」と激しく批判、他の有力紙も相次いで安倍の非難記事を大きく掲載した。

 3月8日の時点では、安倍にも複数の外交ルートから「決議案可決は不可避」との見方が伝えられていた。ここで政府による再調査を表明すれば火に油をそそぎかねないというのが安倍のやむをえない最終判断だった。

 4月中旬の中国の首相、温家宝の来日、下旬には自らの訪米を控えていたことも足かせとなった。だが、それ以上に安倍が恐れたのは、日本の保守勢力に潜在する反米感情に火が付くことだった。

 決議案が可決されれば、日本の保守論陣から連合国軍総司令部(GHQ)占領下での米軍による婦女暴行事件を糾弾する声が上がることは必至だ。東京大空襲や広島・長崎への原爆投下の人道上の罪を問う声も上がるだろう。そうなれば、米共和党も黙っていまい。日米保守勢力の対立をほくそ笑むのは、誰であり、どこの国なのか−。

 安倍は9日昼、首相官邸に自民党衆院2回生議員を招き、昼食会を開いた。提言をまとめた中山泰秀はこぼした。「みんな残念がっていますよ」。安倍は厳しい表情で「中川昭一さんとよく相談してほしい。私からも言っておく」とだけ語った。

反論できず

 対日非難決議案は過去5回提出されているが、いずれも廃案になっている。しかし、「今回は少し動きが違う」と、いち早く察知したのは首相補佐官(教育担当)の山谷えり子だった。

 山谷は昨年9月の補佐官就任直後、官房長官の塩崎恭久に「このまま放置したら大変なことになる」と進言したが、塩崎の動きは鈍かった。安倍が事態の深刻さに気付き、外務事務次官の谷内正太郎らに「事実関係に基づかない対日批判に対しては、一つ一つ徹底的に反論するように」と指示したのは昨年12月だった。

 だが2月15日には米下院の小委員会が元慰安婦女性の公聴会に踏み切った。業を煮やした安倍は首相補佐官(広報担当)の世耕弘成を同月19日、米国に派遣した。

 「決議案の裏には中国ロビイストがいる。狙いは日米の離反だ」

 世耕は応対に出た米国務省の課長級職員に懸命に訴えた。世耕の勢いに押されて職員が呼びに行ったのは国務次官補のヒルだった。

 「そういう背景があるとは知らなかった」

 ヒルはそう話して頭を抱えるポーズをとった。しかし、人権に関するテーマだけに米国内保守派も日本を援護しにくい。時すでに遅しだった。

 駐米大使の加藤良三は米議会に「日本政府は慰安婦問題に関し、責任を明確に認め、政府最高レベルで正式なおわびを表明した」と声明を出したが、大使館員が米政府や米国議会に詳しい事情説明や反論を試みた形跡はない。理由は河野談話だった。「政府が談話を継承する限り、反論しようがない」(政府高官)。談話は決議案の根拠となっているだけでなく、日本政府が反論できない理由にもなっていた。

自戒の念?

 談話の主、河野洋平が衆院議長を務めていることも政府が見直しに踏み切れない要因となっている。3月3日の19年度予算案の衆院採決直前には「これ以上見直しの動きが加速すると、河野は衆院本会議開会のベルを鳴らさないのではないか」との情報が駆けめぐった。河野は15日には国会内で記者団に「談話は信念をもって発表した。あの通り受け止めてほしい」と述べ、談話見直しの動きに不快感をあらわにした。政府・自民党内にも「なぜわざわざ波風を立てるのか」と見直しに否定的な声は強い。

 厳しい状況が続く中、安倍は18日、神奈川県横須賀市の防衛大学校卒業式に臨んだ。訓示で、元英国首相のチャーチルの回顧録の一節「慎重と自制を説く忠言がいかに致命的危険の主因となりえるか。安全と平穏の生活を求めて採用された中道はいかに災害の中心へ結びつくかをわれわれは知るだろう」を引用した。

 その上で、安倍は「『危機』に臨んでは右と左を足して2で割るような結論は、状況に真に適合したものにはならない。情勢を的確に分析し、自らの信じるところに従って的確な決断をすることが必要だ」と話した。自戒の念を込めたとみるべきだろう。=敬称略(石橋文登)

(2007/03/22 10:09)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070322/shs070322003.htm
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by thinkpod | 2007-03-22 17:44


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