2007年 03月 19日

地球史探訪 : 中国の覚醒(上) 〜 中国共産党の嘘との戦い

「毛主席の小戦士」から「民主派闘士」へ、
そして「反日」打破の論客へ。

■1.「毛主席の小戦士」■

 石平(せき・へい)氏は、1980年に北京大学に入学した。そ
こで人生最大のショックに打ちのめされた。物心ついて以来、
「人民の幸福を願う慈悲の救世主である毛主席」の小戦士とし
て育てられてきたのに、その毛主席がどんな悪事でも平気でや
り通す権力亡者だ、と非難する人が大学には大勢いたのである。

 石少年の学んだ四川省成都市の中学校は「思想教育の重点模
範校」に指定されていて、「毛沢東思想の徹底した教育によっ
て毛主席の忠実な戦士を作ること」を基本方針としていた。

 学校の玄関から入ったところには、毛沢東の石像が聳え立ち、
至る所に毛沢東語録を書いた看板が立てられていた。毎朝一時
限目の授業では、クラスの全員が起立していて毛沢東の顔写真
に敬礼した後、さらに3人の生徒を立たせて、毛沢東思想を勉
強したことによる「収穫」を述べさせるのが日課であった。

 担任の女性教師は、教室の中で毛主席や共産党の「温情の深
さ」を語る時、いつも喉を詰まらせながら泣き出してしまうの
だった。そして毎週一度、生徒全員が「毛主席への決心書」を
書かされるのだが、石少年は文章が上手だったので、時々模範
文に指定され、クラス全員の前で朗読させられた。その一つは
「敬愛なる毛主席は私たちの心の中の赤い太陽」というタイト
ルだった。

■2.やり場のない怒り■

 ところが、北京大学のキャンパスには、敬愛する毛主席を非
難する人間がたくさんいた。誤った大躍進政策で数千万の人民
を餓死させ、自分の地位が危うくなると文化大革命という争乱
状態を作り出して、多くの罪もない人びとを死に至らしめた独
裁者だった、と彼らはいう[a,b]。

 最初は勿論、絶対に信じたくはなかった。私は小柄であ
るにもかかわらず、「毛主席の悪口を言うやつ」に対して
は、何度も食ってかかって、殴り合いの喧嘩をした。しか
し、徐々に信じざるを得なくなった。示された根拠は、あ
まりにも説得力のあるものであり、被害者とその家族たち
の訴えは、あまりにも切実であった。

 大学の学生寮で同じ部屋に住むC君は、お祖父さんが無
実の罪で処刑されたのも、お父さんが無実の密告で自殺に
追い込まれたのも、お母さんがそれで気が狂って精神病院
に入っていることも、C君自身は帰る家もなく夏休みも冬
休みもずっと、この学生寮で暮らしていたことも、紛れも
ない事実であった。[1,p32]

 そう言えば、と石氏は思い出した。中学生の頃、近所に乞食
のお婆さんがいた。通りかかる生徒たちにいつも笑顔で「勉強
がんばってね」と声をかけてくれた。そのお婆さんが、トラッ
クで市中を引き回された後に、処刑場で銃殺されたのである。
その罪は、毛主席の顔写真が掲載されている新聞紙を使って、
拾った大根を包んだ事だという。今になって思えば、これこそ
毛沢東政治の狂気と残虐性を示す一例だったのだ。

 自分が子供の頃から完全に騙されて育ってきた、と知ったの
は、19歳の青年にとっては、あまりにも過酷な体験であった。

 石氏はやり場のない怒りに、毛沢東の肖像を何度もずたずた
に引き裂いて、両足で力一杯踏みつけた。一人、大学構内の雑
木林の中に入って、狂ったように木を蹴ったり、揺すったりし
た。天に向かって「馬鹿やろう!」と大きな声で叫んだ。

■3.中国共産党の一党独裁の政治体制そのものが問題の根源■

 このような苦しみを味わったのは、石氏だけではなかった。
程度の差こそあれ、周りの同級生たちも、皆このような受難を
味わっていた。学生寮の狭い部屋で、安酒を酌み交わしながら、
一緒に涙を流した。その中から、連帯感が生まれてきた。

 冷静になって考えてみると、毛沢東一人に怒りをぶつけてい
れば済む問題ではない。確かに毛沢東は自分一人の権力欲のた
めに、国家と人民とを地獄に陥れた。しかし、国全体がなす術
もなく、一人の人間の横暴と狂気を十数年も許してきたのは、
一体なぜなのだろうか。

 結局、中国共産党の一党独裁体制そのものが問題の根源なの
だ。毛沢東のような暴君が二度と現れてこないようにするため
にも、一党独裁の政治体制を打破し、国家の法制を整備して、
人民に民主主義的権利を与えなければならない。

 そういう理念を確立し、信ずべき道を定めたことによって、
石氏らの世代は、心の再生を味わい、未来への希望を得た。彼
らは民主化運動の推進に、青春の情熱を傾けるようになった。

■4.日本へ■

 石氏は大学卒業後、地元四川省の大学講師となり、学生寮に
入り浸っては、自由と民主化について、学生たちと語り合った。
しかし、そうした活動が、共産党支部から「厳重注意」を受け
た。教授からも、「僕の立場もあるから、もっと研究に専念し
て欲しい」と言われた。

 こうして石氏の活動が封じ込めらているうちに、北京で政変
が起こった。若者たちの民主化運動に一定の理解を示し、共産
党内の開明派の代表格であった胡耀邦が党総書記を解任された
のだった。それによって、民主化運動も低調期に入った。

 そんな時に、一通の手紙が日本から届いた。学生時代に民主
化の理想を語り合った親友が、政府派遣の留学生として日本に
渡り、石氏にも「日本に来ないか」と誘ってくれたのである。

 石氏は心を動かした。民主化を志す者として、実際の民主主
義国家とは一体どういうものであるかを、自分の目で見てみた
かった。また、どうしてアジアの中で日本だけが近代化に成功
したのか、という問題には以前から興味を持っていた。

 こうして1988年、石氏は日本にやってきた。1年間、居酒屋
で皿洗いのバイトをしながら、日本語学校に通い、「あいうえ
お」から勉強した。そして翌年、神戸大学の大学院に入った。

■5.運命の6月4日■

 大学院に入って、指導教官のゼミが始まった4月15日、胡
耀邦前総書記の死去のニュースが祖国から伝わった。それを機
に、民主化運動は一気に蘇った。北京の仲間たちから、「今度
こそ、いっせいに立ち上がって長年の夢を実現するぞ」という
檄文が寄せられた。

 石氏も京阪神地方の中国人留学生の連帯組織を立ち上げて、
日本において、中国国内の民主化運動に呼応する活動を開始し
た。やがて、あの運命の6月4日がやってきた。[c]

 そして、毛沢東時代ですら見たことのない恐ろしい光景
が現実のものとなった。共産党が、中華人民共和国政府が、
兵隊と戦車を出動させて自らの首都を「占領」して、丸腰
の学生や市民に手当たり次第に銃撃を浴びせ、次から次へ
と倒していった。[1p49]

 あの日に、トウ小平の凶弾に倒れて、若い生命と青春の
夢を無残に奪われたのは、自分たちの同志であり、自分た
ちの仲間なのだ。後で知ったことだが、自分がかつて一緒
に飲んで、一緒に語り合ったことのある仲間の数名が、そ
の犠牲者のリストに含まれていた。

 彼らはかつて、この私の目の前に座っていて、この私に
向かって夢と理想を語り、この私に、青春の笑顔の明るさ
と、男同士の握手の力強さを感じさせた。彼らは確かに生
きていて、存在していた。

 そしてあの日突然、彼らは殺された。[1,p47]

■6.「もう一度騙されていた」■

 この時になって、石氏は、自分がもう一度騙されていた事を
知った。7、8年前に毛沢東時代の洗脳教育から覚めた時でも、
トウ小平と彼の率いる党内改革派によって、共産党も生まれ変
わっていくだろうと、信じて疑わなかった。

 しかし、民主化運動が共産党の独裁体制を脅かすような事態
になると、トウ小平も共産党も、すぐさまその本性を剥き出し
にした。そこには主義も哲学もない、法律も道理もない。ある
のはただ、共産党が自らの独占的権力を何としても守りたい、
という赤裸々な党利党略と、そのためには、手段を選ばない卑
劣さと残酷さであった。

 ここまできて、私自身は完全に目が覚めた。自分の心の
中で、中国共産党と中華人民共和国に決別を告げたのであ
る。・・・

 この中華人民共和国にも、もはや用がない。何の愛着も
義理もない、共産党の党利党略のための道具と成り下がっ
たこの「共和国」は、もはや「私たちの国」ではない。そ
れはただの「北京政府」であって、ただの「あの国」となっ
たのだ。[1,p50]

■7.80年代の親日、90年代の反日■

 石氏はその後、6年間の大学院生活を終えて、日本の民間研
究所に就職した。そこでは中国国内の大学や研究所と学術的交
流を進めていたので、石氏も頻繁に中国に出張するようになっ
た。

 久しぶりに見た中国社会で衝撃を受けたのは、すさまじい反
日感情が蔓延しているということだった。食事の場などでも、
かならず「原子爆弾でも使って、日本を地球上から抹殺すべき
だ」「いや恨みを晴らすには一人ずつ殺した方がいい。東京大
虐殺だ」などと、日本への罵倒合戦が始まる。

 石氏は何でこんなに中国人が反日になったのか、理解できな
かった。自分が学生だった80年代の「改革開放」時代には、
官民を挙げて日本との交流を全面的に推進することが国策とな
り、「日中友好」「日本に学ぼう」が合い言葉として流行って
いた。高倉健や山口百恵などは、中国人にとっての「国民的」
アイドルになっていた。

 90年代の「反日青年たち」は、日本を憎むのは、過去の日
本軍の「無道」や「虐殺」に原因があるというが、それなら、
戦争の記憶がより鮮明な80年代の私たちの方が、もっと日本
を憎んでいるはずだ。しかし、事実は正反対で、私たちの世代
は日本に対して好感と親しみを持っていた。おかしいではない
か、と石氏は思った。

■8.「おじさんは歴史を忘れたのか」■

 そのナゾがやっと解けたのは、2000年8月に夏休みを利用し
て、四川省の実家に帰省した時である。大学1年生の甥が遊び
に来ていたので、小遣いをやろうとした。しかし、甥は「要ら
ない」と断った。「おじさんのお金は、日本人から貰った給料
だろう。そんな金、僕は要らない!」ときっぱりした口調で言っ
た。

 そして「今度、日本が攻めてきたら、僕は最前線へ行って、
小日本を徹底的にやっつけるのだ」と気迫を込めて言った。石
氏は「もう一人の反日青年の誕生か」と心の中で呟いた。

 さらに甥は誇らしげに、大学で共産党への入党申請書を出し
た、と言った。石氏が「共産党はそんなによいのか」と聞くと、
甥は少々、興奮状態になって、こう答えた。

 当たり前じゃないか。共産党の指導があるから、中国は
日本の侵略を防げるんじゃないか。昔、日本侵略軍をやっ
つけたのは共産党じゃないか。おじさんは歴史を忘れたの
か。

「そうか。やはり歴史か。それなら聞く。今から11年前、北
京で起きた『6・4事件』(天安門事件)、あれも歴史だけど、
君はどう思うのか」と、石氏は反撃に出たが、甥は冷笑しなが
ら答えた。

 党と政府の措置は正しかったと思います。おじさんたち
のやっていたことは、外国勢力の陰謀じゃないか。鎮圧し
ないと、この中国は外国勢力の支配下に入ってしまうじゃ
ないか。鎮圧してどこが悪いのか。

 丸腰の学生を虐殺した政府を正しい、と言われて、石氏は怒
り心頭に発した。甥は「殺人と言えば、何千万の中国人を殺し
た日本人こそ殺人者じゃないか」と言い捨てて、出て行った。

■9.「反日」とは世紀の大ペテン■

 甥が帰ってから、石氏は自分の気持ちが収まるのを待って、
甥の言葉を吟味していった。甥はかつての民主化運動を「外国
勢力の陰謀」と信じ込み、丸腰の学生たちを虐殺した共産党を
全面的に擁護した。そして、「日本が再び中国を侵略してくる」
という荒唐無稽な作り話を完全に信じて、それを防ぐために
「共産党の指導」に従って、身を挺して「戦う」つもりなのだ。

 すべてが分かった。「反日」とは結局、中国共産党の党利党
略から仕掛けられた世紀のペテンなのだ。80年代の親日と
90年代の反日との間にあるのが、89年の天安門事件である。

 中国共産党は丸腰の若者たちを虐殺した「殺人政府」だと非
難されて、窮地に陥った。そこから抜け出すために、日本を憎
むべき「悪魔」に仕立て、国民の怨念を自分たちではなく「外
敵」に向かわせようとした。その「外敵」がもう一度「侵略」
してくるだろうというウソ偽りの危機感を煽り立てることで、
「共産党の指導体制」に新たな正当化の根拠を、与えようとし
たのである。

 人を馬鹿にするにもほどがある。子供時代の私たちを洗
脳した時と同じ手口を使って、もう一度人を騙そうとする
のか。私たちの世代だけでなく、私の甥の世代までもこの
ような洗脳教育の犠牲者にする気なのか。そうはいかない、
と思った。

 そして何よりも許せないのは、中国共産党政権はまさに、
この反日教育という名の汚いマジックを用いることによっ
て、私たちの世代の起こした、民主化運動への記憶を抹殺
して、私たちの仲間に対する、彼らの殺人的犯罪を覆い隠
したことである。[1,p89]

 石氏は、殺された同志のためにも、将来の中国のためにも、
「反日」という世紀の大ペテンを打ち破らなければならない、
と決心した。ここから『日中宿命』などの力作が次々と生み出
されていく。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(109) 中国の失われた20年(上)
 〜2千万人餓死への「大躍進」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog109.html
b. JOG(110) 中国の失われた20年(下)
 〜憎悪と破壊の「文化大革命」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog110.html
c. JOG(162) 天安門の地獄絵
 天安門広場に集まって自由と民主化を要求する100万の群
衆に人民解放軍が襲いかかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog162.html
d. JOG(461) 中国反日外交の迷走
 中国の靖国反日外交は迷走を続けつつ、国際社会にその無理
無体ぶりをさらけ出してきた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog461.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 石平『私は「毛主席の小戦士」だった』★★★★、飛鳥新社、H18
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by thinkpod | 2007-03-19 18:20 | 中国


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