2007年 02月 20日

「南京虐殺」はホロコーストではない(下)

チャン本の根拠はあのバーガミニ

 ラーベはあらゆる点で特筆に値する人物だったが、思いがけず英雄の役割を演ずることになった。
 南京が修羅場と化している真っ只中で、日本人将校がラーベに尋ねた。
 「君はなぜここに留まったのか。ここで起こっていることは、お前にとってどのような意味があるのだ。」
 これに対してラーベは、「私の子供たちも孫たちも、全員ここで生まれた。私はここに住んでいて楽しいし、成功もしている」と答え、次のようにくけ加えている。
 「私は中国の人々にいつも大切にしてもらってきた」と。
 ラーベはドイツ人のビジネスマンで、1882年にハンブルグで生まれている。
 中国には1908年から住み、主としてシーメンス社に勤務していた。
 中国語を学び、中国を愛するようになり、中国人の社員を非常に丁寧に扱った。
 また、ラーベはナチ党員でもあった。
 自分の監督下で働いていた数名の外国人と共に、ラーベは数え切れないほどの中国人を日本軍の絶対的な権力から守ったが、時には自分の権威を誇示するためにハーケンクロイツを描いた腕章を日本兵の方に押しやったり、ナチの勲章をちらつかせたりした。
 著者がラーべを“中国のオスカー・シンドラー”と呼ぶのも、理由が無いわけではないのである。
 普通では有り得ないようなこの話は、確かに人間性の持つ善悪両面と、計り知れない神秘について読者に考えさせるものではある。
 しかし、南京大虐殺がなぜ起こったかについて説明するチャンの努力には、事件の裏に潜む、ラーベの場合と同じように複雑な背景を理解しようとする意識は感じられない。
 日本軍の規律がどのような形で乱れ、あのように信じ難いほど堕落することになったか。
 日本軍の行動は、中国人を恐怖に陥れるために高度のレベルで下された意図的な政策決定の結果だったのか。
 日本帝国陸軍が犯した残虐行為は、日本人の民族的性格に見られる何らかの道徳的欠陥に起因するのか。
 それとも、中国人に対する民族的憎悪を掻き立てた、陸軍の計画的な教化のせいか。
 あるいは、正気を失った現地司令官たちの屈折した心情の産物なのか。
 教育不十分で酷使され続けた兵士たちの、上官たちに対する大規模な不服従の結果か。
 または、揚子江のそれまでの長い歴史と環境・・・・、特に上海から揚子江流域上流に向けて展開され、1937年12月13日の南京の悪夢で頂点に達した日本軍の血塗られた作戦・・・・これらが、人間の心に宿る悪魔を偶然解き放ったということなのだろうか。
 チャンはこれらの解釈のいくつかについて考察するものの、いずれも厳密に探究していない。
 南京虐殺は日本政府の最高首脳部が下した正式な政治的決断だと主張したがっているのは明らかだが、この議論の事実唯一の支持者が、彼女が文中で頻繁に引用しているデビッド・バーガミニである。
 バーガミニは、明らかに奇抜な論点に基づいて書かれた自著、『天皇の陰謀』(1971年)で、南京虐殺とその他の残虐行為を正面から天皇ヒロヒトの責任であると決め付けようとした。
 しかしチャンは「不幸にして、バーガミニの著作は定評ある歴史家たちの痛烈な批判を浴びている」点を認めざるを得なかった。
 だが、これは控えめな表現というものだ。
 現に評者の1人は、バーガミニの記述は、「歴史ドキュメンタリー作成のあらゆる基準を無視した場合にのみ信用できる」と述べているのである。
 歴史家のバーバラ・タックマン女史は、バーガミニの主張は、「ほぼ完全に、著者の推論と悪意ある解釈を好む性向の産物である」と述べている。
 だが、それでもチャンは、少なくとも「ヒロヒトは南京虐殺について知っていたに違いない」との結論を下すことを自制できなかった。
 天皇が南京事件を起こしたと言っているわけでは無い。
 だが、それでもこの主張には、長期にわたって信憑性を否定されてきたバーガミニの主張に対するチャンの心酔の度合いの、わずかではあるが決して疑う余地のない残滓(ざんし)が見られるのだ。
 別の箇所でチャンは、「本書は日本人の性格について論評するために書かれたものではない」と宣言しているが、その直後、千年の歳月を経て培われた「日本のアイデンティティ」の探索を始めているのである。
 彼女の判断では、それは軍人たちの巧妙争い、サムライの倫理、そして、武士道というサムライの行動を律する恐ろしい規範からなる、血なまぐさい所業であり、先の否定宣言にもかかわらず、彼女は明らかに「南京への道」は日本文化のまさに核心を貫いているに違いないと推論しているのである。
 結論を言えば、この著作は南京虐殺がなぜ起こったかについての解説よりは、虐殺事件の描写の点ではるかに優れた作品である。
 こうした欠陥の一部は、チャンが依存した情報に起因する。
 いくつかの例外を除けば、チャンは南京の中国人犠牲者と「安全地帯」に残った白人たちの観点からのみ事件を語っているのだ。
 彼女が引用する証拠は、加害者達の精神性に関するいかなる洞察の根拠も、ほとんど提供していない。
 また、日本陸軍の研究に取り組む2人の研究者が「帝国陸軍が中国人に加えた残虐な行為の海に残した最高水位点の1つに過ぎない」と表現した、南京を中心としに繰り広げられた残虐行為に焦点を絞ったことは、日本軍の振る舞いに関して包括的な解明を施そうとする彼女の努力に水をさすことになっている。
 彼女は、クリストファー・ブラウニングの『Ordinary Men(普通の男たち)(1922年)』や、オマー・バートフの『The Eastern Front, 1941-1945(東部戦線、1941-1945年)』(1985年)のような作品に読者が見る、ナチの残虐性の動機に関するニュアンスに富んだ慎重な分析に匹敵する考察はほとんど行っていない。
 また、結果的にドイツ民族全体にホロコーストの犯罪があるとした、ダニエル・ゴールドハーゲン著の平板ながら挑発的な『Hitler's Willing Executionaers(ヒトラーの意欲的な死刑執行人たち)』(1996年)のように広い視点でドイツ人をとらえた議論に匹敵する考察さえも行っていないのだ。
 そのようなわけで、南京虐殺のショッキングな描写にもかかわらず、南京で起こった事件はホロコーストに見られる組織的な殺戮と同一視されるべきであると結論を下す理由を、チャンは読者に与えていないのである。
 ホロコーストがヒトラーの意図的政策忌まわしい所産として発生したエピソードであることには議論の余地がない。
 それは、戦争につきもののありきたりの事件でも、個人による残虐行為の異常形態でもなかったし、規律の不徹底な軍隊が血に飢えて荒れ狂った結果として起こった事件でもなかったのだ。
 ホロコーストでは、近代的官僚国家のあらゆる機構と最先端を行く殺しのテクノロジーが、冷酷な大量殺戮に応用されたのである。

「誤っている」より「誇張」

 チャン本の主要なモチーフは、分析と理解というよりは、むしろ非難と憤激である。
 そして、憤激は南京虐殺に対して道義的には確かに必要だが、知的には不十分な対応なのである。
 チャンの怒りはどのような目的に向けられているのだろうか。
 要するに、日本を「国際社会の世論という審査の場」に引き立てて、戦争犯罪を認めさせることなのだ。
 彼女は南京虐殺に関する西側社会の無知と主張する状態と、数名の日本の政治家が虐殺事件を否定した事実を、手厳しく非難する。
 日本は「今日に至るも変節的国家であり続ける」と彼女は書き、その理由を「(日本は)ドイツがあの悪夢の時代のおぞましい行為の責任を取るために認める事を余儀なくされた、文明社会による道徳的審判をうまく回避しているからである」、と述べている。
 南京虐殺に関する西側の無関心と日本による否認は、「(南京の)2度目のレイプ」であり、死者の尊厳を汚し、歴史の主張を冒涜する行為だと彼女は言う。
 『シンドラーのリスト』に匹敵するものが南京にないのはなぜか、と彼女は問う。
 『「No」と言える日本』の著者の石原慎太郎のような日本の国粋主義者が、なぜ南京虐殺を「中国人がでっち上げた・・・嘘」と言ってのけられるのか、と言うチャンは、次のような結論を下している。
 「日本政府は、少なくとも犠牲者に対して正式な謝罪を表明し、日本軍の狂奔の最中に生活を破壊された人々に補償金を支払い、そして最も重要なこととして、次の世代の日本人に虐殺に関する真実を教えることが必要である」、と。
 彼女の要求は誤っているというよりは、むしろ誇張されているのである。
 同様に、現代日本に対する彼女の諸要求は、正当ではないというよりは、むしろ少なくとも部分的にはすでに満たされているという点で“言い過ぎ”なのである。
 事実、西側社会は当時もその後も、南京虐殺事件を無視していない。
 1937年12月、アメリカの関心は揚子江下流地域に集中していたが、これは単に南京攻撃中の日本軍航空機がアメリカの砲艦「パネー」号を撃沈したことだけが理由ではなかった。
 避難民を満載した450トンで2階建てのこの砲艦は当時、南京のすぐ近くに停泊中であり、艦首と艦尾のデッキ、そしてすべてのマストに取り付けた大型の米国旗から、アメリカ艦籍であることは一目瞭然だった。
 アメリカの大衆は当時は知らなかったことだが、実は「パネー」号は、衰退の一途にあった南京市の守備隊と南京脱出を果たした蒋介石との間の電波通信の中継地点という、あまり潔白とは言えない役割を果たしていたのである。
 撃沈をめぐるアメリカ国内の騒ぎは、国際的に大いに宣伝された日本の外務大臣による一連の謝罪、事件を起こした飛行士達の上官の更迭、攻撃で命を失った犠牲者に対する礼砲発射を伴う日本海軍の謝罪、日本政府による合計220万ドルの賠償金の支払いなどが行われた後、漸(ようや)く下火になった。
 これらの行為はすべて、熟慮の結果なされたものであり、日本側の公式な自責の念と、中国各地の日本軍司令官ならびに個々の兵士たちを統率する能力に関して日本政府関係者が抱いていた深刻な懸念の証だった。
 同じ頃、アメリカの新聞は南京虐殺について、身の毛もよだつような報道を広範に行っている。
 ニューヨーク・タイムズの中国特派員、F・ティルマン・ダーディンは、1937年12月17日、同紙一面に大見出し付きで掲載された記事の中で、「大規模な略奪、婦女暴行、民間人の殺害、住居からの住民の追い立て、そして健康な男性たちの強制的徴用は、南京を恐怖の都市に変貌させた」と報じている。
 その後、南京虐殺は戦時反日プロパガンダの中核となり、特にフランク・キャプラ監督が製作し、全米の軍事教練基地にいる百万人ものアメリカ兵や一般映画館に詰め掛ける何百万人ものアメリカ市民のために上映された『我々はなぜ戦うか』シリーズの1つ、『バトル・オブ・チャイナ(中国における戦闘)』はその顕著な一例である。
 また、日本政府は戦時中の犯罪を認めることを頑強に拒否しているとのチャン氏の主張は、丸ごと正しいとは言えないし、日本は戦争犯罪に対して遺憾の意を表していないという指摘も誤りである。
 こうした非難は近年における西側の対日批判の常套句(じょうとうく)になっているが、それが恐らく最も如実に示されているのが、ドイツと日本における戦争の記憶に関する研究書として1994年に発表された、作家イアン・プルーマの『Wages of Guilt』(1994年、邦訳『戦争の記憶』TBSブリタニカ)だろう。
 同著の総合的な主張は、「(戦争犯罪を)記憶に止める度合いは、ドイツは過度であり、日本は過少である」という点に要約できよう。
 1980年代の前半、日本の文部省は中学校の教科書が南京虐殺や戦時中のその他の不祥事を取り上げることを阻止しようとしたし、1988年には日本の映画配給会社がベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラスト・エンペラー』の中の、南京虐殺を描いた30秒間にわたるシーンを削除しようと試みたが、これは現実には不首尾に終わっている。
 また、戦犯を含む戦没者を祀る東京の靖国神社への参拝は、右翼政治家たちにとっては今もって義務であるのは確かだ。
 しかし、日本の左翼は事件について声高に語る事によって、南京虐殺の記憶を長いこと絶やさずにきているのである。
 そして、ジョン・ダワー教授が最近指摘した通り、1995年6月9日、衆議院は第2次世界大戦中に日本が他民族に及ぼした苦痛に対して“深い反省”の意を表明し、2人の総理大臣が他国に対する帝国日本の侵略についてはっきりと謝罪していることもまた、事実なのである。
 ダワー教授はさらに、「戦争責任・・・に関して民衆のレベルで日本人が話すことの内容は・・・国外で一般的に理解されている以上に多岐にわたるもの」であり、「日本以外のマスコミは、保守的な文部省が承認する現在の教科書は、1980年代末までの状態と比較すれば、日本の侵略や残虐行為についてより率直に記述している点を報道することを総じて怠っている」と指摘している。
 残虐行為が戦争を追いかけるように、歴史もまた、戦争を追いかける・・・・チャン本はこの教訓を執拗に立証するものである。
 しかし、日本ほどに無言を美徳とする文化の中にあっても、悪事はいつか必ず露見するのだ。
 だが、南京虐殺事件の背景について万人が納得するような説明はいまだなされていないのであり、チャン本も極めて不完全な説明しか施していないのである。

(編集部注 著者が引用しているこの文書は、1938年1月17日付で外務省からワシントンの日本大使館に広田外相の名前で発信された暗号電報を解読したものとして、1994年にアメリカ公文書館によって解禁され、以来中国側は同文書を「広田電」として宣伝している。
 しかし、広田外相は当時国内におり、南京視察は行っていない。
 実はこの文書は、イギリスの「マンチェスター・ガーディアン」紙中国特派員、H・J・ティンパーリーが書いた記事を現地の日本当局が検閲・押収したものであり、「アッチラ大王」や「フン族」などへの言及からしても日本人らしからぬ発想であり、「広田電」では無いとみられている。)

『諸君!』平成10(1998)年8月号より転載
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_shokun9808.html
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by thinkpod | 2007-02-20 23:26


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