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2007年 02月 17日

「従軍慰安婦」問題(上)

 〜日韓友好に打ち込まれた楔〜

■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か
らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

 女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の
前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい
る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月
に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]

 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿
泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり
は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を
終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]

 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手
記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート
を裏付けている。

 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと
靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。

 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像
をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母
の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]

 ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万
6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故
郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在
の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め
たことになる。[2,p301]

 「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery
(軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から
強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひた
すら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。し
かし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されてい
る。一体、どちらが真実に近いのか?

■2.慰安婦問題の経緯■

 まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。

1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮
人連行強制記録」の中で、昭和18年に軍の命令で「挺身隊」と
して、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたとい
う「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌
年にかけ、4回にわたり、報道。

2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場
に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一
人が名乗り出た、と報道。

3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍
関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」
と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談
で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。

4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘
言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例
が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ
た」と発表。

 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴
集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機と
して、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記
述されることになっていった。

 今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけ
の事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4
点を検証する。

■3.吉田清治の慰安婦狩り■

 まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」
では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写して
いる。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がお
びえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわ
って行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはい
っせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い
娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打
ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人
であった。

 当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開
業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営
業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合
法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。

 「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、
軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、
吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家
的犯罪となる。

■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

 吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だ
が、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査
し、以下のような記事を書いている。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対
して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オク
タン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15
人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はな
かった」と語った。

 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年か
の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は
日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨
している。

 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が
目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮し
たという。[1,p232]

 この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、
4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつり
と起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉
見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。

■5.名乗り出た慰安婦■

 次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11
日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝
鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日
中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍
人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人
が」名乗り出たと報じた。

 しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行
などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291]

 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ
ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検
番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父
に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊
の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

 当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。

 そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され
たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して
いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札
係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未
満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。

 さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ
た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍
僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安
婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給
食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では
なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安
婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ
ると読者に思い込ませるための造語である。

 金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人
となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ
り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結
婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内
容はよく知っていたはずである。

 金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と
して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏
造記事である。その後の訂正記事も出していない。

■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

 韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対
策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可
能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検
証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を
出版した。

 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、
9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4
人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし
たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された
とは述べていない。

 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰
安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。[2,p275]

■7.軍の関与とは■

 次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ
3)の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。

 発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業
婦等募集に関する件」であり、その中では、

 民間業者が慰安婦を募集する際、①軍部諒解の名儀を悪用、
②従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、③誘拐に類する
方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているの
で、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ
[2,p267]

と命じている。すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による
「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なの
である。

 この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 
募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、
さらに次のような解説を載せた。

従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多
発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を
設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八
割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主と
して朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万
とも二十万ともいわれる。

 これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「日本軍が組織的
に強制連行に関与した」と思い込むであろう。まことに巧妙なひ
っかけ記事である。

 この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日
前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内で
は抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮
沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪
を繰り返した。(続く)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
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by thinkpod | 2007-02-17 23:17 | 半島


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