2007年 02月 13日
「 『日本支配』を目指す中国の野望 」 中国は着実に超大国への道を歩みつつある。が、その前に地域大国として盤石の基盤を固めなければならない。その際の唯一最大の障害が日本の存在である。 日本をどのように無力化していくのか。他国を従わせたいとき、大国は往々にして圧倒的軍事力を行使した。または米国のセオドア・ルーズベルト大統領のように、“大きな棍棒片手に優し気な声で”要求を突きつけてきた。だが、現在の中国は驚くほどの変身を遂げた振りをするだろうと中西氏は予測する。 「中国は日本を賢く分析してきました。その結果日本取り込みに最も有効な手を打つでしょう。我々が驚くほど態度を変えてくるという意味です。日本はそれほど悪い国ではなかった、戦争時は仕方なかったとまで歴史認識で譲歩するはずです。そうして、日本人に中国の支配下に入っても悪くはないという気持を持たせようと考えているのです」 日本よ、勁くなれ これから中国が働きかける相手はもはや朝日新聞に象徴される古い左翼ではない。自民党のなかの保守派、経済界など、日本の主流を構成する人々である。彼らのなかに親中派を作っていこうとすると中西氏は予測する。田久保氏も指摘した。 http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_498.html 「 『大軍拡』中国の微笑外交に『操られる人たち』 」 http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_503.html 「 中国の“微笑”を信じるなかれ 強硬策から転換した対日外交の企み 」 http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_501.html 安倍政権に期待すること http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/102810/ 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成19年(2007年) 2月13日(火曜日) 通巻第1703号 (読者の声4)昨年末の石平氏の日本工業倶楽部での講演録(日本有数の歴史あるエスタブリィシュ組織が主宰する、なんと1271回を数える長寿講演会)を読み返して、つくづく思うのは、DNA由来の外交に長けたシナ(英語でチャイナ、仏語でシィン、伊語でチーナ)人の組織する中共勢力に小泉時代の日本外交が勝利したことです。 石さんは、講演の中でつぎのように述べています。 (引用開始)「小泉さんの靖国参拝を道義的に解釈しますと、正当かどうかの評価は分かれるだろうと思います。しかし少なくとも私から見れば、靖国問題を政治問題化し、しかも外交問題として持ち出した北京の方が悪かったんじゃないか。と言うのは、ある意味で靖国問題は日本人の心の問題であるにもかかわらず、そこまで踏み込んだことが中国政府の失敗であったと思います。 靖国問題という日本の国内問題を、その問題が解決できなければ日中関係は改善できないというような形で完全にリンクさせたところに問題があったわけです。 靖国に行くかどうかは結局小泉さんが決めることです。従ってこのことを日中関係を改善できるかの大前提にしてしまったために、結果的には主導権は小泉さんに持たれてしまいました。(引用止め)」。 実のところ、シナ政府はこの間違いに臍を噛んでいますが、戦後初の赫々とした外交の勝利をあげた日本にはそれに気付く者がほとんどいないのです。 外交とは仲良くすることにあるのではなく、喰うか喰われるかの熾烈な国際間をしのぐことなのです。 外交交渉の場は戦場で、ネクタイを締め背広を着てする戦闘です。 日本の“害交官”はへたればかりですが、シナの政治家・外交官は自らが戦士であるとの気構えを持って交渉の場に臨んできます。 だって、落ち度があれば更迭・左遷どころか何かの罪をおっかぶされて、本人は刑務所に送られ、家族・郎党は甘い利権を奪われ栄耀栄華からつき落されるのですから。 石平氏は、先月も学生たちの組織する「ポーツマス・ネットワーク」の講演会で、以下の趣旨を語っていました。 「中国政府が怒っているときはぜんぜん怖くないんです。どうにも遣りようがなくて仕方がない、そんなときに怒るのです。そんな中国は放っておけばいい。 ほんとうに怖いのは、にっこり微笑んでいる、下心いっぱいのときです。 中国政府が何かを企んでいて、それを静かに進めている時にとる態度が、安部政権になってからの微笑外交です。これは本当に怖いから注意しなければいけない」と。 石平氏の打ち鳴らす警鐘に日本人は気を引き締めるべきでしょう。 (HN生、神奈川) (宮崎正弘のコメント)いつぞやも書きました。おなじコメントを繰り返します。 「石平さんの登場で、莫邦冨も葉千栄も朱建栄も急速に色褪せた」 平成19年(2007年) 2月16日(金曜日) 貳 通巻第1708号 吉岡健『中国人に絶対負けない交渉術』(草思社) 世間的に無名の著者なので略歴を拝見すると、元“安宅マン”(安宅産業社員)、48歳でコンサルタントとして独立され三十年、ひたすら中国とのビジネス交渉の最先端にたって、現場の苦労をともにした人物。 言ってみれば中国ビジネスのベテランである。 こういう経歴をみると現場での奮闘と実践から貴重な体験談が聴けるだろう。 汗をかいて、現場の失敗の苦渋を体験した者でなければ知らない、知り得ない深層が、いっぱいあるからだ。 まともに交渉したら中国人に勝てるはずがないという、まことに正しい前提にたって、筆者はまず「先に意見をいうな」「会議以外では考えを漏らすな」「無理に結論をださず逃げろ」という三原則を掲げる。 それはそうだろう。中国人には誠意というものが通じない。だから世界のビジネス現場の常識が通用しない。 「中国とのトラブルは(世界の常識とは)異質なもの」と筆者は永年の経験を通して鋭く指摘している。 評者(宮崎)も或るコラムに次のように書いたことがある。 嘘と屁理屈と牽強付会と論理のすり替えで成り立っている中国人社会では最低限度、“三重思考”が常識であり、言うこととやること、考えていることは違う。少なくとも三種の思考を同時に行える特技は中国人エリートに共通。 しかし、どうしてそうした体質が産まれたのか。 それは歴代王朝が「私」の利益しかなく、公の観念に欠乏している。皇帝とその眷属と、それを守る傭兵と、あとの国民は奴隷という社会構造が、いまの中国にすら歴史的体質として染みこんでいるからだ。つまりだれもが「私」の権利と利益にしか眼中にはなく、騙し、すり替え程度の嘘は常態。商業においてすら「三重帳簿」が常識なのだ。ひとつは銀行用、ひとつは税務所用、そして三冊目が自分用。 逆に言えば、この三原則を知って臨めば中国人に交渉でまけることもない、と。 さて本書で参考になったユニークな比較表がある。 それは“南船北馬”とも言われる中国人の気質を南と北に分けて、性善説とか、逞しさなどを南北比較するもの(評者は華南、華中、華北とおおまかに三つにわけるので、この二分化には異論があるが、それはそれとして)。。。 北は「保守的で」「権力志向が強く」「頑固だ」が、南は「実利的」「冒険的」「勘定高い」特質がある。 そうした対比のなかでも南北の中国人に共通の特質が四つあり、「自己本位」「羞恥心の欠如」「狡猾」「図々しさ」という指摘は正鵠を得ており、心底から苦笑した。 ♪ 青木直人『中国に食い潰される日本』(PHP研究所) いささか激しい題名である。 本書の帯にも「なめられ放題の日本企業、戦略なき対中援助の危険性」と銘打たれ、これだけでも内容が推察できるのだが、いざ、本書をよむと驚き桃の木山椒の木の連続である。 ハニー・トラップに引っかかった日本人は外交官、自衛官、政治家ばかりではなかった。 ヤオハンは李鵬をたよりすぎて失敗、また17年前に失脚した北京書記の陳希同をたよった某社は、ホテル経営で痛い目にあった。 政治権力の汚職構造と日本企業の癒着ぶりがズバッと抉られている。 中国共産党幹部との政治コネクションに全幅の信頼をおく方法も前提が間違っている。あのくにの権力はいつ消えるか分からないという特質があるからだ。 ところで江沢民に一億円を送った、と噂される日本の某商社は、そのおかげで例外中の例外として中国での全国チェーン展開が認められた。 イトーヨーカ堂のパートナーである伊藤忠の顧問の某は「日本は中華世界の一員として生きていけば良い」と暴言を吐く人でもある。外務省のチャイナ・ロビーにだって、それほどの低脳売国奴的人物はいないだろうに。 なによりも青木氏は、執念の塊のような取材力、それも足で稼いで中国の裏道を、じっと観察しているばかりか、どうやら情報源を日本の商社、メーカー、金融機関、政府関係者にも多く持っているようだ。 というのも文章の端々から、その情報の出所がおおよそ想像できるのだが、随所に「アッ」と驚かされる仰天の事実が、さりげなく、しかも何回も挿入されている。 いつぞやテレビ番組で一緒だったおりに、青木氏から上海・森ビルの内幕を聞いた。 なぜ浦東の陸家嘴という、もっとも地盤の弱いところに101階建ての金融センターを建てるのか。 しかも、基礎工事から六年間も放置され、その間に六センチも地盤が沈下していたにもかかわらず誰かの命令一下、2008年めがけて工事は再開されたのだ。 そのプロセスの内幕話にいたっては驚きの連続だ。 途中、台北に101階建ての「金融センター」が立って、上海トップのあせりが突貫工事をせかせることになり、しかも高層部分は設計変更になり、蜂の巣をつついた大騒ぎに発展した。また完成の曉でも最上階展望台からは目の前の金茂ビルに景観を妨げられ、上海の全景を展望することはできない、と予測する。 そうした無理な工事の背景やら「上海ヒルズ」の呼称はまかりならんと言われた森ビル側の焦燥など、内部の情報協力者がいないと知り得ないことを含めて、あますところなく描かれている。 上は本書に紹介された裏話のホンの一例である。 平成19年(2007年) 2月15日(木曜日) 貳 通巻第1706号 銭基深著・浜本良一訳『銭基深回顧録』(東洋書院) 中国の外交を十年に亘って司った銭元外相の回想録である。 歴史的な証言という意味でたいそう意義が深い。この本の中国語の原文が出たのが2003年で、当時、小生も香港あたりで入手して、主要箇所をだけ読んだ記憶がある。 なぜなら銭の在任中の天皇皇后両陛下の御訪中を、かれらは天安門事件以降、国際社会に孤立していた中国の立場を世界に広める政治或いは広報カードとして活用し、まさに「成功した」と自慢話がかかれていたからだ。 そういう表現には腹が立った。 さて友人でもある訳者の浜本良一氏は、歳月をかけて、とうとうこの外交文書としては歴史にのこる書籍を全文翻訳した。翻訳文はやさしく訳注も随所に丁寧に施されていて読みやすい。 1989年2月に先帝陛下が薨去され、東京に世界の指導者があつまる大喪の礼が粛々と行われた。 米国からブッシュ大統領、フランスはミッテラン大統領、英国からはサッチャー首相。しかしながら中国は国際常識に逆らって二段階も格下の銭基深外相を「特使」として送り込んだ。 銭外相はかれなりに張り切って日本にやってきた。 しかも銭は日本の政治家と会見で「天皇の戦争責任」を政治的意図を十二分に含んで意図的に持ち出し、同時に北京での外交部談話は「軍国主義」「侵略戦争」を獅子吼した。 失礼千万な話だが、銭外相の回顧録は、これさえも自慢話となる。 嗚呼、共産党社会で出世しようとすれば、世渡りは難しい! しかも、この回想録を読んで分かるのは、銭は大喪の礼そっちのけで、この外交的機会に実にすばやく、ぬけめなく便乗して、インドネシア代表との国交回復交渉を東京の場で繰り広げていたのだった。 興味深いはなしは他にもいろいろとあるが、89年天安門事件を「政治的風波」と言ってのける感性に、なにやら名状しがたい政治主義を感得する。 しかし、本書の中でも大きな関心のひとつは天安門事件直後にあれほど北京を攻撃してやまなかったブッシュの米国が密使を送り込んでいたことだった。 この箇所は外交史上でも十分に価値がある。中国の考え方をしる上で。 キッシンジャーのパキスタン経由での北京秘密訪問よりも、このときのスコウクラフト補佐官(ブッシュ政権で安全保障担当大統領補佐官)の北京訪問は機密行動が徹底していた。 だから「国籍不明機が上海上空に近づいたとき、撃墜命令の問い合わせが楊尚昆(当時、国家主席)にあった」とも言う。 スコウクラフト補佐官の北京訪問は、北京にある米国大使館にさえ知らせず、通信は専門の要員をわざわざワシントンから二人帯同し、しかもリリィ大使の不在時を狙った。 米国が身内を騙したのである。 そのうえC141輸送機を「標識を塗り替えて一般商業機に偽造」させ、「連続二十二時間の飛行中を空中給油し、どこにも途中給油しなかった」という逸話まで興味津々と語られている。 当時の会談の中身は、その後、スコウクラフト補佐官自身も、当時の上司ベーカー国務長官の回想録にも大筋が披露されているので、内容は旧聞に属するとはいえ、中国側の味方がこうも露骨に出たことも珍しいだろう。 さて本書を通読したあとに残る最大の疑念とは何か? それは中国の積極外交を十年にもわたって司った銭自身が、殆ど外交戦略の最終決定権を保持していないという恐るべき真実ではないだろうか。 本書にたびたびでてくる「中央」というのは誰のことなのか? 逐一、裁断を「中央」に仰がなければいけないという中国の外務大臣って、操り人形。ピエロ? 決断のプロセスが曖昧模糊、青木湖の霧の樹海のごとし。 要するに中国外交は、本当はいったい誰が最終的に政策決定しているのか、闇の存在がそれとなく分かるだけで、読後感は「やはり闇の部分を銭基深が殆ど語っていない」というポイントだったのである。 (注 銭基深外相の「基」は下の「土」をとる。「深」は王編。)
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| 2007-02-13 21:44
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