2007年 02月 12日
昭和天皇曰く「日本の Democracy 化とは、 日本皇室古来の伝統を徹底せしむるにあり」 ■1.孤独で不幸な日本国憲法■ 日本国憲法は、まことに孤独で不幸な憲法なのである。 その意味は、それが真の護憲派を有していないという点に 示されている。[1,p93] 先年惜しくも亡くなられた坂本多加雄・学習院大学教授の 『象徴天皇制度と日本の来歴』の一節である。 「護憲派」がいるではないか、と思われるだろうが、たとえば 護憲派の人々の多くは、憲法第一条「天皇は、日本国の象徴で あり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する 日本国民の総意に基く」を、その条文のまま擁護しようとして いるであろうか。 戦後の通説的解釈では、「主権の存する日本国民」にのみ焦 点が当てられ、「天皇は象徴に過ぎない」と総じて消極的、否 定的に解釈される。そして、天皇の存在は国民主権の不徹底の ためであり、「国民の総意」によって将来、天皇制度を廃止す る改憲も可能である、と考えている。 これは本来の意味の「護憲派」であろうか。改憲による天皇 制度廃止を狙う人々の「偽装」に過ぎないのではないか。 ■2.「8月15日革命説」■ これらの「偽装護憲派」の人々は、国民主権と君主の存在が 相容れないものと考える。それは国民主権を最初に打ち出した フランス革命で王制が打倒されたからである。 戦後の正統的な学説として広く通用してきた宮沢俊義・東京 大学法学部教授の「8月15日革命説」では、大日本帝国憲法 の「天皇主権」が昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾を 機に、日本国憲法の「国民主権」に転換するという「革命」が 起こったというのである。 しかし、その「革命」は不徹底なものであり、「天皇条項」 が残ってしまった。そこで彼らはなんとか「真の革命」に解釈 上だけでも近づけようと、「天皇は象徴に過ぎない」と主張す るのである。 「天皇主権」と「国民主権」が対立するような構図が本当にあっ たのか、以下、歴史的な実態を追っていくが、その前にフラン ス革命における「国民主権」の実態を見ておきべきだろう。 そこでは反対派の国民2百万人が虐殺されるという惨劇が起 こった。またナポレオンが徴兵制度により、国民全体を兵士に 仕立て上げ、ヨーロッパ全土を戦火に巻き込んだ[a]。フラン ス国民の総意に基づく真の「国民主権」が実現していたら、フ ランス国民はこういう事態を本当に欲しただろうか? こうした史実を素直に見れば、フランス革命とは「国民主権」 というイデオロギーのもとに、一部の過激な勢力が権力を握り、 反対派を弾圧・粛正・虐殺するという、後のソ連、中国、北朝 鮮などの独裁国家に見られた全体主義の先駆的現象に過ぎない ように見える。 ■3.幕末の「民主化」■ 偽装護憲派の賛美するフランス革命の「国民主権」がこのよ うな「偽装」に過ぎないのであれば、それに対比される「天皇 主権」はどうか。 「民主化」を「政治的決定の実質的主体が下降していく傾向」 と捉えれば、幕府がペリーの来航に対して、従来の慣例を破っ て諸大名に意見具申を求めたことが、近代日本における「民主 化」の始まりであった事は、戦前からの「憲政史」の研究など で広く認められていた。 その後の幕末の動乱の過程で、この「民主化」の動きが本格 化し、実質的な政治決定の主体は、幕府から諸大名、諸大名か ら上級の武士へ、さらには下級武士へ、そして「草莽の志士」 へと、下降していく。同時に、幕府の権力低下の中で、国策の 決定は「衆議」に基づくものでなければならない、とする「公 議輿論」の考え方が広がっていく。 ここで興味深いのは、この権力の下降現象を後押しする形で、 権威が幕府から天皇へと上昇する現象があったことだ。もとも と将軍とは、天皇から征夷大将軍として任命される官職の一つ であるという史実を踏まえて、朝廷が幕府に「大政」を「委任」 したのだ、という「大政委任論」が本居宣長などによって唱え られた。また、明治天皇の3代前に当たる光格天皇が、窮民の 救済を幕府に命じられたのだが、そうした事実を通じて人々は 改めて天皇の権威を認識した。 「権力」の下降現象は、それだけでは正統性を得られず、人心 の受け入れる所とならないために、政治の不安定を招きやすい。 しかし我が国においては、それが天皇の権威のもとで行われる ことで、正統性を与えられ、国民全体の受け入れる所となった。 すなわち、「尊皇」によって「公議輿論」という「民主化」プ ロセスを後押ししたのである。 ■4.「天朝の天下にして、乃(すなわ)ち天下の天下」■ この思想を端的に表しているのが、吉田松陰の次の言葉であ ろう。 天下は天朝の天下にして、乃(すなわ)ち天下の天下な り、幕府の私有にあらず。 「天下」とは日本という国家全体を指す。「天朝の天下」とは 「偽装護憲派」流に言えば、「天皇主権」であろう。そして 「天下の天下」は「国家は国民全体のもの」、言わば「国民主 権」ということになる。「天皇主権」がすなわち「国民主権」 であり、それが「幕府の私有」、「幕府主権」を否定する原理 とされている。 松陰はこれに続いて、幕末の対外的危機に際して、「普天卒 土の人、如何で力を尽くさざるべけんや」(日本国中の国民が、 力を尽くすべきである)と主張している。国民として一人一人 が国家を守る義務を持ち、そのために「公議輿論」に参加する 権利があるということであろう。 ■5.天皇の名の下に進められた立憲議会制度確立■ こうした「公議輿論」の考えを、国家として公的に宣言した のが「五箇条の御誓文」における「広ク会議ヲ興シ、万機公論 ニ決スベシ」であろう。これはどう見ても、議会制民主主義の 宣言である。そして、この宣言が、明治天皇が神に誓われた 「御誓文」という形式で発せられた、という点に留意する必要 がある。 この宣言は、明治8年の「立憲政体の詔書」でより具体化し、 明治14年の「国会開設の勅諭」で議会制度の創設が公約され、 ついにはアジアで最初の近代的成文憲法である「大日本帝国憲 法」へと結実していく。このいずれのステップにおいても、 「御誓文」「詔書」「勅諭」と天皇の公的な意思表示という形 式が採られた。我が国の立憲議会制度は、天皇の「錦の御旗」 のもとで建設されてきた、と言える。 一方、明治政府を批判する民権運動も、「五箇条の御誓文」 を根拠に早期の議会制度設置の要求を行った。そして政府を攻 撃するのに、「君」と「民」との意思疎通を妨げていると批判 を行った。民権過激派による加波山事件(明治17年、16名 の青年による栃木県令の暗殺未遂事件)の檄文には「奸臣柄を 弄して、上聖天子を蔑如し(奸臣が権勢をみだりにして、天皇 をないがしろしにし)」という一節がある。 政府も民権派も、具体的方法論やスケジュールにおいては対 立があったが、ともに天皇を国民統合の象徴として、そのもと での立憲議会制度を目指していた事に変わりはない。西洋諸国 に見られたような「君」と「民」が権力をめぐって争うという 構図は、我が国には見られなかった。 ■6.武力クーデターを挫折させた昭和天皇のお怒り■ 明治22(1889)年2月11日、アジア最初の近代的成文憲法 として大日本帝国憲法が発布された。当時の欧米の著名な政治 家や学者は、この憲法が日本古来の伝統に根ざしつつ、近代的 憲法学を適用したものと、きわめて高い評価を与えた。[b] そこでの天皇は「統治権」の「総攬」者とされているが、立 法においては議会の「協賛」すなわち承認が必要であるとし、 また行政についても、大臣の「輔弼」によってなされるとした。 これが形ばかりのものでないことは、日露開戦という国運を 賭した決定が、明治天皇の御心配を押し切った形で、内閣によっ てなされた、という一点だけでも窺えよう。大東亜戦争開戦も 同様である。 帝国憲法において、天皇を「統治権」の「総攬」者であると 定めていた事から、この「天皇主権」が昭和期に軍部が台頭し て、軍国主義を生み出したと考えるのはどうだろうか。 昭和11(1936)年2月26日に青年将校らが「昭和維新断行 ・尊皇討奸」を掲げて、主要閣僚を襲い、斎藤実内大臣、高橋 是清蔵相などを殺害した。 昭和天皇はこの武力クーデターにお怒りになり、「朕自ら近 衛師団を率い、これが鎮定に当たらん、馬を引け」とまで言わ れた。そして戒厳司令官・香椎中将がラジオ放送で、「天皇陛 下に叛き奉り逆賊としても汚名を永久に受けるやうなことがあっ てはならない」と兵に原隊復帰を呼びかけた。 武力クーデターを挫折させたのは、あくまで立憲君主制を守 られようとされた昭和天皇のお怒りであった。もし本当に「天 皇主権」で昭和天皇が直接、権力を振るわれていたら、逆に軍 部の専横の余地はなかったであろう。 ■7.斎藤隆夫の「粛軍演説」■ 事件の3ヶ月後、5月7日に開かれた第69特別議会におい て、斎藤隆夫・衆院議員は有名な「粛軍演説」を行った。その 中にこういう一節がある。 我が日本の国家組織は建国以来三千年、牢固として動く ものではない。終始一貫して何ら変りはない。また政治組 織は明治大帝の偉業によって建設せられたるところの立憲 君主制、これより他にわれわれ国民として進むべき道は絶 対にないのであります。故に軍首脳部がよくこの精神を体 して、極めて穏健に部下を導いたならば、青年軍人の間に おいて怪しむべき不穏の思想が起こるわけは断じてないの である。[1,p141] 軍部の専横を批判し、立憲議会政治を守ろうとする人々にとっ て、「明治大帝の偉業によって建設せられたるところの立憲君 主制」こそが、その寄って立つ根拠であった。 ■8.「治安維持法」はソ連との冷戦■ 戦前の「天皇主権」をあげつらう人々が、軍国主義による人 権弾圧の典型として持ち出すのが、「治安維持法」である。し かし、これはソ連による国際共産主義革命への防衛策として制 定されたという面を忘れてはならない。 もともとソ連は、国内外を問わず、「階級敵」「人民の敵」 を抑圧・殲滅せしめ、共産主義を世界に広めることを国是とし た国家であった。そして、その国是は国内においては大規模な 虐殺粛正や、政治犯の収容所送りとして実行された。国外にあっ ては、各国の共産党を手先として、その政治体制を内部から打 倒する事を目指した。日本共産党もその一派であった。 坂本多加雄氏は、治安維持法下の特別高等警察と日本共産党 との闘争は、政府対人民の闘争ではなく、ソ連と大日本帝国と の「冷戦」であった、と述べている。これは戦後、日本の代わ りにソ連との冷戦を始めた米国においても、「赤狩り」という マッカーシズムが吹き荒れたことと同様の現象である。 戦前の治安維持法による人権弾圧を批判する前に、当時のソ 連における人権弾圧は、日本よりもはるかに大規模かつ徹底的 なものであった事を知っておかねばならない。さらに、もし日 本がソ連との冷戦に負けて、日本共産党の支配下におかれたら、 議会制民主主義は根絶やしとされ、東欧諸国や中国、北朝鮮と 同様の徹底的な粛正・虐殺が行われていたであろう。 こうした背景を考えてみれば、治安維持法による人権弾圧が、 「天皇主権」の独裁国家によって生み出された、という見方は、 当時の国際環境を無視した一面的なものである事が判る。 ■9.日本の"Democracy化"と皇室伝統■ 敗戦後、昭和21年年頭に「新日本建設の詔書」が発表され た。俗に「人間宣言」と言われているが、その冒頭には、昭和 天皇の御意思により、「五箇条の御誓文」がそのまま引用され ている。戦後の再出発にあたり、近代日本の出発点が「万機公 論に決すべし」にあったことを国民に思い起こさせるためであ る。 詔書渙発からほどない1月18日、昭和天皇は次のように言 われたと、侍従次長・木下道雄は『側近日誌』に記している。 日本の Democracy 化とは、日本皇室古来の伝統を徹底 せしむるにあり 「和」を尊び、独断専横を嫌うのがわが国の文化的伝統であり [c]、その中で人民を「大御宝(おおみたから)」として、そ の安寧と幸福を祈り続けてきた[d]のが有史以来の皇室伝統で あった。こうした文化的・政治的伝統を基盤として、近代にお いては、天皇の名の下に議会制民主主義という政治制度が着々 と築かれてきた。民主主義とはアメリカの専売物ではなく、広 く近代国際社会の共有するものであって、わが国にはわが国な りの歩みがあった、と昭和天皇は主張されているのである。 現行・日本国憲法は占領軍総司令部がわずか1週間程度で急 拵えしたもので、文章、内容ともに細部には問題が多いが[e]、 天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とし、その もとでの議会制民主主義を採用するという立憲君主制の構造は、 帝国憲法と同じである。そして日本国憲法は帝国憲法の改正と して、昭和天皇の次の「上諭」とともに発布された。 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定 まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び 帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法 の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。 わが国の議会制民主主義の歩みは、明治元(1868)年の「五箇 条の御誓文」以来、140年近くにもなる。未だ民主化の芽吹 かぬ近隣諸国との外交においても、この事をよく踏まえた上で 対応すべきである。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(058) 自画像を描く権利 フランス革命と明治維新 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog058.html b. JOG(242) 大日本帝国憲法〜アジア最初の立憲政治への挑戦 明治憲法が発布されるや、欧米の識者はこの「和魂洋才」の 憲法に高い評価を与えた。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog242.html c. JOG(082) 日本の民主主義は輸入品か? 神話時代から、明治までにいたる衆議公論の伝統。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog082.html d. JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」 神話にこめられた建国の理想を読む。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog074.html e. JOG(141) 仮設憲法、急造成功 今週末までに、新憲法の概案を作れ、、、マッカーサーは、 なぜそんなに急がせたのか? http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog141.html ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。 1. 坂本多加雄『象徴天皇制度と日本の来歴』★★、都市出版、H12 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4924831247/japanontheg01-22%22 http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108233108.html
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| 2007-02-12 17:26
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