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2006年 12月 30日

日本人の「寛容さ」は「鈍感さ」になっていないか

「我々の国家はどこに向かっているのか」

年の暮れに「倫理」と「公」を思う

今年最後のコラムとなったが、私事から書き始めることをお許し願いたい。暮れも押し迫って長野市の実家で1人暮らしをしていた母親が他界した。あわただしく葬儀を済ませ、なおもこれに伴うあれこれの雑事(といっては何だが、日常には使わない神経を使うのでやたらと疲れる)に追われている。

 そこで感じたのが、日本人と宗教の関連である。もろもろの問題の背景にこの一大テーマが存在するのではないかと改めて実感した。

 母親の葬儀は地域の二つの寺にお願いした。入退院を重ねながらの独居老人だから近隣に迷惑もかけている。地域の人たちの言う通りにするのが一番いいと判断した。母親は生前から地元の葬祭業者に依頼していたので、葬儀そのほかの儀式はスムーズに運んだ。

 それはそれでよかったのだが、亡父の生家がある地域の菩提寺のことに考えが及ばなかった。親戚から指摘されて、菩提寺が戒名を付け法要を行わなければ「花岡家の墓」には入れない、ということが判明した。

 両方の寺は宗派が違うのだが、それはそれで構わないという。そこで、2月はじめに菩提寺による法要を行い、納骨することにした。母親が住んでいた地域の寺からすれば四十九日法要、菩提寺からすれば、これが「本葬」ということになる。

 経費は二重にかかるが、一生のうちに何度もあることではない。母親が安らかに眠れる環境を整えるのが息子の役割である。


 ・日本人の「寛容さ」は「鈍感さ」になっていないか

 そうしたことをどたばたと経験して、宗教に対する日本人の「寛容さ」に思いが及んだ。結婚式はキリスト教の牧師が行い、赤ん坊が生まれれば神社におまいりし、葬式は仏教、といったパターンを何の疑念もなく受け入れている。これが一般的な姿なのではないか。

 神仏混交は日本の伝統的慣習なのだし、一般生活にうまく取り込まれているのだから、何ら問題はない。だが、「寛容さ」は「鈍感さ」に通じるのではないか。恥をしのんで告白すれば、筆者は亡父の生家の宗派が何であったか失念しており、今回、改めて親戚に確認した。

 演歌の大御所、北島三郎に「魂(こころ)」という歌がある。日本には四季があり、この「美しき国」は「神々の集う里」だ、といった内容だ。森喜朗元首相が「神の国発言」で責められたとき、この歌詞を事務所にファクスして、えらく喜ばれたことがある。

 某大学院で憲法の講義をする際、CDを持っていってこの曲を流した。演歌など聞いたこともない学生たちは一様に驚いたが、日本はいたるところ神々がいる国なのだ、という趣旨は分かってくれた。

 そういったことを思い出しながら浮かんだのが、日本人はこれほど宗教と密接に絡み合った伝統文化、風習を持ち合わせながら、「宗教心」という核心部分を忘却してしまったのではないか、ということだ。寛容なあまりに鈍感になってしまったのではないか。


 ・人間としての「生き方」をどこで教える?

 キリスト教にしろイスラム教にしろ、世界中のほとんどの国々では、子どもたちに宗教心を叩き込む。米国大統領は就任式で聖書に手を置いて宣誓する。神の前で国家への忠誠を誓うのである。

 「宗教心」とは、人間が生きていくうえでの必須の倫理規範、道徳である。かつては教育勅語に盛られていた。親に孝行し、友達と仲良くせよ、といったことから始まる。「十戒」にも通ずるものだ。人をあやめてはいけない、と命の尊さを子どものころから教え込まれる。

 教育基本法改正の審議でも「宗教心」のあり方が取り上げられたが、深い論議には至らなかった。いじめ自殺、子殺し、親殺しといった殺伐とした社会風潮を見るにつけ、宗教心の欠如を感じないわけにはいかない。特定宗教の押し付けというのではない。宗教が求める人間としての「生き方」を日本の子どもたちは教え込まれてこなかったのではないか。

 家庭、地域、学校のありようも我々の子どものころとはずいぶん変わってしまった。先生はやはり「仰げば尊し」の存在でなくてはならない。今の学校では生徒と友達感覚で対するのが「いい先生」ということになる。先生はどこまでも「怖い」存在であったはずではなかったか。

 倫理規範とともに感ずるのが「公」の意識の欠如である。政府税制調査会の会長を務める著名な大学教授が、愛人と公務員宿舎で暮らしていたというのでは話にならない。法的にも行政措置としても瑕疵(かし)はなかった、といって済まされることではない。公人としての意識のありようの問題である。


 ・“とんでもないミーハー”は公私のけじめをつける人

 またまた私的な体験で申し訳ないが、筆者が以前、勤務していた産経新聞に鹿内春雄という人が乗り込んできた時期があった。フジテレビで「軽チャー路線」を徹底させ、視聴率ナンバーワンに押し上げた人である。

 「とんでもないミーハーがやってくる」と、我々は身構えたのだが、鹿内氏は新聞の位置づけ、活字の重みが分かる人であった。肝炎のため42歳で急逝したのが、いまだに残念でならない。言いたいことは、鹿内氏は公私のけじめをきちんとつけるスタイルを持ち合わせていたという点だ。

 我々と小料理屋の二階などでざっくばらんな話をする機会を好んだ。秘書に会社用と個人用の2枚のカードを持たせておく。こういう非公式な会合の費用は個人カードで決済させた。

 宗教心、倫理規範、道徳、公の意識‥‥。年末年始は少し気持ちを落ち着けて、ふだんはあまり考えない、こうした重いテーマに頭を巡らせてみようと思う。それは「美しい国」をキーワードとしている安倍政治の考察にも通じるのではないかと思っている。

花岡 信昭
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/y/40/
http://www.melma.com/backnumber_142868_3483320/





【もう一つの日本】(4)今もなお教育勅語奉読
2007.12.14 07:44
e0034196_2335917.jpg ブラジル日系社会初の6世、大西エンゾ優太ちゃん(2)が暮らすサンパウロ西郊の市民会館の日曜日、日系人団体主催の「移民祭り」が開かれていた。日系人が多いこの地区の一大イベントであり、27回目の今年も400人が詰めかけた。

日系人団体主催の「移民祭り」で踊る3世、4世の子供たち。日本語学習の合間に練習を積んだ=サンパウロ州タボン・ダ・セーラ市

 先没者の霊に対する1分間の黙祷(もくとう)、ブラジル、日本の両国歌斉唱に続き、白髪の柔和な男性が祝辞を述べた。日系人団体の長老、田畑稔さん(75)。2歳だった昭和9年、鹿児島県から両親に抱かれて移民船に乗った1世だ。
 「来年の移民100周年、後世に何を残すか。いちばん美しいのは日本の心です。そう先輩からうかがっております。目に見えない、手に取ることのできない日本人の心を残していくことが大切だと受け継いでおります」。田畑さんは日本を「ニッポン」と発音した。
 祭りの演目は、婦人会の日本舞踊や子供たちのよさこいソーラン。カラオケでは「大阪しぐれ」も飛び出した。北海道出身の89歳の男性は、オホーツク海に面した町の小学校で教わったという「荒城の月」を朗々と歌い上げた。
 日系団体の活動は、カラオケや踊りといった演芸、運動会やゲートボールなどのスポーツ、子供たちへの日本語教育という。田畑さんは「日本文化の継承と、今日を築かれた先没者への敬意を伝えることを忘れてはいけない。日系人は日本人以上に日本を愛する心が強いと言われています」。
 なぜ日本人より強いのか。「日本の社会は戦後、ずいぶん変わりました。ここでは戦前からの教育がつながっているのです」。
 田畑さんが農業を営むサンパウロ市西郊、イタペセリカ・ダ・セーラ市の日本人会(約100家族)は戦前から続く日本語学校を運営し、自前の校舎と講堂を持つ。
 戦時中はブラジルが連合国だったため「敵国人」とされ、日本語教育を禁じられた。田畑さんが学校で学べたのは2年だけだったが、教科書を空き缶に入れて地面に掘った穴へ隠し、山中の小屋やバタタ(ジャガイモ)畑の片隅でひそかに授業が続けられたという。
 田畑さんは思い出したようにつけ加えた。
 「イタペセリカでは今も教育勅語を奉読しているんですよ」

 ■「教えたかったのは日本語だけじゃない」

 教育勅語は明治23(1890)年に発布された。「朕惟フニ」から始まるわずか315文字に「父母ニ孝」「兄弟ニ友」など12の徳目が列挙され、戦前教育の根本を成した。軍人向けの軍人勅諭や戦陣訓とは別物だが戦後、軍国主義につながるとして占領軍により廃された。
e0034196_235618.jpg 田畑さんが暮らすイタペセリカの日本語学校で、教育勅語は講堂のステージ中央にある観音開きの戸の中に、今上天皇・皇后両陛下の写真とともに安置されていた。

日本語学校の講堂に安置された教育勅語の桐箱と天皇・皇后両陛下の写真。以前は校庭に泰安殿があった=サンパウロ州イタペセリカ・ダ・セーラ市

 年に一度、元旦に大人と子供50人ほどが集まり、東方遥拝した上で、正装した代表者が奉読する。戦後の移住者から「そんなの日本ではもうやってませんよ」と廃止論も出たが、いまだに続いている。10年ほど前にはポルトガル語に訳して各家庭へ配った。
 田畑さんは言う。「いいことがたくさん書いてありますよ。特に先輩を尊敬して仲良くやっていこうという部分。移民祭りも、先没者への感謝の気持ちを表すことが第一の目的なのです」
 日本語学校は現在、7歳から17歳までの22人が週3回、ブラジルの小中高校の放課後に集まり、3時間の授業を受けている。1935(昭和10)年の創立から数えて8代目教師の牧山純子さん(59)は長崎県出身。中学1年の夏まで日本で教育を受けた。
 「私も戦後教育なので最初はびっくりしました。でも目上の人を敬うこととか、本当に教えるべき内容だと思います」
 優太ちゃんの祖父で2世の中村パウロ修さん(64)も、優太ちゃんの母親ら3人の娘を日系学校へやり、日本語塾へ通わせた。
 「でもね、教えたかったのは日本語だけじゃない。礼儀とか、先祖を敬う、他人に迷惑をかけない気持ちなんですよ」
 伝統芸能も日本語教育も、そして今の日本人から見れば「軍国主義の亡霊」と受け取られかねないものでさえ、日系人たちが伝えようとしているのは表面的な「日本文化」ではない。根っこにある「美しい心」を忘れてほしくないのだ。
 「なぜって、日本人だから」
 修さんは、優太ちゃんにも美しい日本語を学ばせたいという。
 文・写真 徳光一輝
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/071214/trd0712140744003-n1.htm

海外で評価される日本の『教育勅語』
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by thinkpod | 2006-12-30 01:18


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