2006年 12月 30日

海外で評価される日本の『教育勅語』

月刊中央ジャーナル12月号 

濱口和久の「国を憂い・国を想う」
http://blog.livedoor.jp/kazuhisa431014/archives/2006-12.html#20061226
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『国家の品格』を生み出した家庭教育

 昨年の年間ベストセラー『国家の品格』を書いたお茶の水女
子大学教授・藤原正彦氏が、自ら受けた家庭教育について語っ
ているインタビュー記事がある。[1]

「そもそも先生が受けられた教育はどのようなものだったので
しょうか」という問いに藤原氏はこう答えている。

 私の父と母は全く意見が違うんですね。父は父の祖父、
則ち私の曾祖父に育てられました。曾祖父は江戸の末期に
生まれた武士、といっても足軽ですが、その曽租父から父
は武士道の教育を受けた。その自分の受けた教育を父は私
に教えてくれたんですね。例えば、弱いものがいじめられ
ていたら身を挺してでも助けろ、見て見ぬ振りをしたらそ
れは卑怯だと。それで私は、弱いものいじめの現場に遭遇
したとき、身を躍らせていじめている奴と殴り合いの喧嘩
をしました。そしてそれを家に帰って父に報告すると激賞
してくれました。

 一方、母は、なに正義ぶってるの。そのうちに暴力少年
の札付けられて、ろくな内申書もらえなくなるよと。女性
として地に足のついた現実的な考えですよね。このように、
私は父からは正義や理想、母からは現実主義という二つの
価値観によって育てられました。したがって複眼的思考が
できるようになったことは幸せでした。

 父の故郷の実家の二階には、切腹の間というのがあって、
不名誉なことをしたらそこで切腹しなければならない。そ
ういう環境でしたから私は父に徹底して卑怯とか名誉とか
恥ということについて叩き込まれました。父から卑怯者と
いわれたら、それはもう生きる価値がないということです
からね。武士道というのは定義がありませんから、日常的
に教えてもらった中で身についていくものなんですね。

 父がよく聞かせてくれた話ですが、父の家は上諏訪から
三キロ半くらい山に入ったところにありましたが、あると
きその上諏訪で火事があった。当時七歳だった父は山を降
りてそれを見に行って、焼けぽっくいを拾って帰ってきた
ら、曾祖父が激怒して、「直ちに返して来い」と。それで
夜中に三キロ半歩いて返しにいった。そのとき曾祖父が父
に言ったことは「焼け跡から何かを持ってくるというのは、
最も恥ずべき行為だ。これを火事場泥棒というんだ。あら
ゆる泥棒の中でも最も恥ずかしいんだ」と。地震などの震
災地で略奪行為があるでしょう。人が困り果てているとき
に、その弱みに付け込むというのは卑怯中の卑怯ですね。

 最後の火事場泥棒の部分からは、阪神大震災のときに暴動一
つ起こらず、人々が助け合う姿が、海外の人々に感銘を与えた
事を思い出す[b]。「武士道」の文化的遺伝子は我々の心中に
まだ息づいているという事だろうか。

 最近のいじめや汚職の問題も、その文化的遺伝子を目覚めさ
せて、「卑怯とか名誉とか恥」を感ずる心を育てる所から始め
なければならないのだろう。

「先生は大学で学生に新渡戸稲造の「武士道」を読ませてらっ
しやるとか。反響はいかがですか」との質問にはこう答えられ
ている。

 劇的に変わりますよ、学生の意識が。それまでの教育で、
日本は侵略をした恥ずかしい国だとばかり教わって、日本
人としての自信も誇りもない状態で入学してきた学生たち
ですが、「武士道を読んで随分と変わっていくんですね。
あるいは、戦没学徒の遺書を読ませたりすると、これまた
劇的に変わります。それまでは、特攻隊員なんて天皇陛下
万歳とわけもわからず叫んでいった気の毒な人たちだとあ
る意味で馬鹿にしていたわけですよ。ところが、彼らは出
撃前夜まで、ニーチェを読んだり、万葉集を読んだり、母
親や兄弟姉妹、恋人にすばらしい手紙を遺書として残して
いる。語彙も実に深く選択されて書かれている。それを現
代の学生たちは知って馬鹿者は自分たちだったと気付くわ
けです。圧倒的教養の落差、思いやりの深さの違いに愕然
とするんです。ですから私は若い世代の教育ということに
は希望を持ちたいと思っているのです。

「国家の品格」を備えた「美しい国」を作る道は、わが先人が
すでに切り開いてくれているのである。

■リンク■
a. JOG(430) 「品格ある国家」への道
 日本人が古来からの情緒を取り戻すのは、人類への責務であ
る。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog430.html
b. JOG(020) 阪神大震災
 国民を守ったのは誰か?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog020.html

■参考■
1. 藤原雅彦『武士道と国語教育 後編』、「日本の息吹」H18.3
http://www.naraken.jp/nipponkaigi-nara/ibuki.html

http://blog.mag2.com/m/log/0000013290/108110323.html






Common Sense: 厳格な躾けで蘇ったアメリカの学校教育

 ブッシュ大統領は「われわれは進むべき道
を知っている」と教育再生を呼びかけた。


■1.対照的な学校風景■

 ある中学校教師が長期自主研修制度を用いて、アメリカの多
くの小中学校を訪問した。その感想を次のように記している。

 アメリカの公立学校の整然としている様子には、先々で
大変感銘を受けました。小中学校を中心に多くの学校訪問
を行いましたが、先生方が声をはりあげて指導される場面
がまったくありません。また、生徒たちが廊下を走り回っ
たり、大声で騒いだりする様子も見受けられません。小学
校一年生でさえ、先生の引率無しで静かに廊下に並んでカ
フェテリアまで移動します。集団で安全に行動する方法が
よく身に付いており、それがごく当たり前で普通のことと
して馴染んでいる様子に驚きました。[1,p32]

 これと著しい対照をなすのが、平成10年に広島県福山市の
中学校教諭・佐藤泰典氏が国会で語った学級崩壊の実態である。

 始業のチャイムが鳴って教員が教室に行った時、生徒は
ほとんど席についておりません。その生徒たちを教室に入
れて席につかせるのに五分から十分ぐらいかかります。やっ
との思いで授業を始めても、教室の窓から抜け出したり、
もっとひどい時は、廊下を自転車で二人乗りして、「イエ
ーイ」と声をあげながら手を振って他の先生や生徒をから
かったりという状態です。 教室に残った生徒も後ろの方
でボール遊びをしたり、机の上に足を上げてマンガを読ん
でいます。[a]

 教育は子供たち自身の将来、そして国家百年の計に関わる重
要事である。後者のような学級で育った子供は自分勝手な人間
となって、将来の人生を台無しにされ、また国家社会の法秩序
を崩壊させて、国民全体を不幸にする。これ以上の「人権侵害」
はない。

■2.アメリカの教育崩壊■

 アメリカの教育も、1960年代には、この広島の例のように崩
壊の極みにあった。極端な人権主張、反体制・反伝統の風潮が
アメリカ社会を覆い、若者の反抗、麻薬の蔓延、離婚の増加、
フリーセックスなどが蔓延していった。

 教育界においても、一部の急進的な学者たちが「教育の人間
化」を主張した。「学校でのルールの押しつけはいけない」
「生徒への寛容さ(トレランス)が大切」などと、教師の権威
や学校の管理体制を攻撃した。その結果、規律は崩壊し、暴力、
麻薬、アルコール、タバコ、喧嘩、いじめ、教師への反抗が広
がった。学校はまさに「病めるアメリカ」の縮図となっていた。

 こうした状態を国家的危機と捉えて、レーガン政権は1983年
にレポート『危機に立つ国家』を発行して、教育改革を訴えた。
[a]

 続くブッシュ大統領(現ブッシュ大統領の父親)は「国家教
育目標」を宣言した。その第6項には「安全で、規律ある、麻
薬のない」学校づくりを挙げた。翌91年には「アメリカ2000教
育戦略」を示した。その本文にはこう謳われている。

 われわれは進むべき道を知っている。過去の疲れ果てた
うんざりする、古い流行遅れの教育仮説からの脱却を広範
囲に図らなければならない。

「古い流行遅れの教育仮説」とは、60年代の「教育の人間化」
の思想を指す。それは現実に適用されて効果を実証されたもの
ではなく、急進的な教育思想家たちが机上で考え出した「仮説」
に過ぎないのである[b]。そして「われわれは進むべき道を知っ
ている」とは、アメリカでの伝統的な教育への回帰を意味して
いる。

■3.「ゼロトレランス」(厳格教育)■

 こうした政府の呼びかけに呼応して、教育現場で立ち上がっ
た人々がいた。ワシントン州タコマ市のフォス高校の教師たち
である。フォス高校の学区でも、生徒の犯罪や暴力事件が慢性
化し、高校生による暴力事件(殺人を含む)は1989年に132
件、翌年は195件に達していた。

 1991年秋、フォス高校は暴力問題を早急に解決するという声
明を出し、そのために学校内規律綱領規則の整備強化を行った。
全教職員がこれに賛同した。

 その上で生徒たちには「もし、君が喧嘩をするならば、除籍
されるであろう」と宣言した。その結果、1992年には、喧嘩は
12件へと激減した。翌年にはさらに厳しく「喧嘩をすれば必
ず放校にする」と宣言したところ、ただの3件となった。

 フォス高校は、コミュニティと協力して「ゼロトレランス地
域」を宣言し、秩序と安全の確保を謳った。前述のようにトレ
ランスとは「寛容」で、それがゼロということは、ルール違反
を見逃さない厳格教育というところであろう。

 フォス高校のゼロトレランス方式の成功は、全米に伝わり、
各地に広まっていった。ブッシュ大統領の後を継いだクリント
ン大統領は、97年には教育に関する「クリントン大統領の呼び
かけ」を発し、その中で「規則を整備し、ゼロトレランス方式
を確立すべきである」と呼びかけた。

■4.「段階的躾け(progressive discipline)」■

 ゼロトレランス方式が全米に急速に広がるにつれ、暴力や麻
薬などの犯罪的な問題行動は急速に沈静化していった。それに
つれて、ゼロトレランスの概念は、欠席・遅刻、怠学、授業中
の態度など、日常的な規律立て直しにも拡大されていった。

 ごく小さな規律違反にも、教師は直ちに注意を与え、あるい
はごく軽い罰を与えて、問題の芽を小さなうちに摘み取ってし
まおうとする「段階的躾け(progressive discipline)」という
考え方である。逆に良い行いをすると、誉められたり、ご褒美
を与えられたりする。

 たとえば、小学校で一般的な指導方法は次のようなものだ。
生徒が授業中におしゃべりをしたり、宿題をやってこなかった
ら、教師から注意を受ける。逆にゴミを拾って教室をきれいに
したり、友達に親切にしたら、担任の先生から褒められ、特に
良い行いに対しては、全校の朝の放送で表彰され、ご褒美が与
えられる。

 生徒には一人一人行動記録カードを持たせ、褒められたり叱
られたりしたら、記録させる。各人毎の善悪の集計が行われ、
これが行動評価一覧表として掲示板に貼り出される。誰が「善
い子」か「悪い子」か、一目瞭然となる。子供達は競って「善
い子」になろうとする。特に「悪い子」は、教師が父母を呼び
出して、反省を促す。

 破れた窓を放っておくと、また次の窓が破られ、それが徐々
に拡大し、ついに街全体が荒廃する、という「破れ窓の理論」
があるが、これを教育現場に適用したのが「段階的躾け」であ
る。

■5.お仕置き■

 中学や高校になると、「お仕置き(detention)」が多用され
る。放課後の居残りや土曜日登校による補習、放課後の教室清
掃、校長の横での昼食、などの方法がある。かつての日本でも
廊下に立たせるというやり方があったが、まさに同様の「お仕
置き」である。

 最近では、お仕置き部屋(detention room)を設ける学校が多
い。ブースで仕切られた席があり、遅刻や宿題を忘れた生徒は、
教師の監督のもと、孤独な環境の中で、自分の行為について反
省させられる。戦前の日本でも、悪さをすると土蔵や物置に閉
じこめて反省させる、というお仕置きが行われたが、その近代
版と言える。

 こうしたお仕置きでもなかなか立ち直らない問題生徒は、オ
ルタナティブ(代替)・スクールという各教育管区内に設置さ
れている特別指導用の学校に送られる。手のつけられない問題
生徒を正規の学校に放置しておくと、大多数の善良な生徒たち
の規律正しい教育環境を乱すし、また、こうした問題生徒は、
別の環境で立ち直らせる必要がある、という考えからである。

 また不登校や引きこもりの生徒も、オルタナティブ・スクー
ルに強制的に出校させて、専門家の指導も加えて立ち直らせる。
ちなみに、不登校は親の責任という考え方があり、たとえばテ
キサス州では、一日の不登校に対して保護者に500ドル、約
6万円の罰金を課す。

 最近では、通常の学校に適応できない生徒が、自ら希望して
入学できるオルタナティブ・スクールも増加している。



■9.「われわれは進むべき道を知っている」■

 まずは守るべき規律を教え、「悪いことは悪い」と厳格に守
らせる。そこから子供達は互いにルールを守ることで、気持ち
の良い共同生活が実現されることを体験していく。「人を思い
やる心」は、この過程で育つ。

 今では、生徒たちが小学校や保育園の読み聞かせなどにボラ
ンティアで参加していく、というのは、それこそ人間らしい真
の「自由」の姿である。社会の善悪や規律を学ぶ前に、子供達
に好きなように振る舞えと言ったら、授業中に廊下を自転車で
走り回ったりするような動物的な「放縦」に陥るだけである。

「教育の人間化」というアメリカの急進的教育思想家の夢想は、
こうした児童教育の基本を無視して、アメリカの教育を崩壊さ
せ、無数の青少年たちの人生を台無しにした。日本のゆとり教
育、人権教育も同罪である。ブッシュ大統領の言ったとおり、
日本においても「古い流行遅れの教育仮説からの脱却」が必要
だ。

 そして我が国においても、長い歴史を通じて形成されてきた
躾やお仕置きを含む規律教育の伝統がある。

「われわれは進むべき道を知っている」のである。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(131) 学力崩壊が階級社会を招く
 「結果の平等」思想は、貧しい家庭の子どもたちの自己実現
の機会を奪い、愚民として平等化することである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog131.html
b. JOG(442) 「科学から空想へ」 〜 現代日本の教育思想の源流
 「子供の権利」「自己決定権」「個性尊重」など の教育思想
の源泉にある「空想」。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog442.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)

1. 加藤十八『ゼロトレランス 規範意識をどう育てるか』★★★、
学事出版、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4761912928/japanontheg01-22%22

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108735576.html




「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 2月8日(木曜日)  
通巻第1700号 (7日発行) より

(読者の声2)貴誌1699号の読者投書に「アモイ TT生」氏からのご意見がありました。
 たまたま昨年、チャンネル桜の主催で日本_とインドの友好親善の旅にご一緒してきました。その何日目かのパーティーにパール博士の親族の方、確かお孫さんだと思いますがいらしてくださり講演をしてくださいました。
 民間レベルの友好親善の旅でしたが、水島(桜チャンネル社長)さんを応援する200人以上の夫々の分野でご活躍の老若男女がはせ参じて両国間の理解を深めるよい交流会に参加者一同感謝したものでした。
 若い地方から参加者の議員さんや、IT経営者がインドで多くのことを学んで帰国され、日本再建に向けて活躍されている様子に、同行した一人_として水島さんの活躍の意義に思いを致しております。

 さて「アモイ TT」氏の御投稿を拝読させていただきながら、嘗て井深大さんが「戦後、教育勅語を全く排除してしまったことが心の教育を半分無くしてしまった」とお贈りくださった、「後半分の教育」の中で書いておられますが、武士道精神といい、教育勅語といい、何でもかんでもアメリカの言いなりになってきてしまった日本を再建することは、インドに行ったからわかったのですが、アメリカに毒されていないインドに比べたらどんなにか困難なことか暗澹たる思いになったのは私一人ではなかったと思います。
 この度のドキュメント映画「南京の真実」制作発表に対して、この「日本再建」への熱い思いに夥しい人々が応援してくださっていることに深い感動を覚えます。
  (FF生、小平)





「知識の教え惜しみで子どもは栄養不良 安倍政権のゆとり教育見直しを評価する」

今月18日に明らかにされた教育再生会議の第一次報告案は、教育立て直しの力強い一歩となるだろう。安倍晋三首相が力を注いだ教育再生の柱は、「ゆとり教育の見直し」と「教員免許更新制度の導入」である。

かつてゆとり教育を行った米国は、子どもたちの学力低下に驚き、素早く「しっかり教える」方針に切り替えた。米国は荒れる学校および少年犯罪の増加を深刻な警告と受け止め、厳罰主義を取り入れ、制服着用をはじめ道徳教育と生活指導の強化に転じた。反対に日本は、ひたすら教育におけるゆとりと自由拡大路線を突っ走った。その結果、太陽が東から昇ることを知らない小学生が35%、地球が太陽の周りを回るのでなく、太陽が地球の周りを回っていると考える小学生が40%にも達し、信じがたい無知な子どもたちが出現した。が、子どもたちを叱っても意味はない。学校が教えないのであり、文部科学省が教えさせないからである。子どもたちはむしろ犠牲者だ。

現場への指導書、学習指導要領を貫く精神は「教えないこと」といっても過言ではない。このゆとり教育を強力に推進した文科省官僚の寺脇研氏は、その著書『中学生を救う30の方法』(講談社)のなかで、「(ゆとり教育は)中学生にとっては10覚えなければならなかったことが7覚えればよくなるのですから、負担は減ります」と述べている。さらに、授業時間の減少で学力が低下するのは困るなどと心配する親や教師については、「そんな身勝手な言い分なんか、放っておきましょう。つめこみ式の勉強をしなければ合格できないような、高偏差値の大学を受けようという生徒など全体の一割にも満たないのです。そのごく一部の生徒のために、他の大多数の子どもたちを犠牲にしてもかまわないと言ってはばからない大人なんて、身勝手としか言いようがありません」と書いている。

学力の低下を恐れる親や教師は「身勝手」と決めつけられ、学びたいと願う子どもは「全体の一割未満」の“圧倒的少数派”とされてきたのだ。中身がスカスカのゆとり教育の結果、悲しいほど内容のない教科書が生まれた。小中学生の教科書を手に取ってみよ。そのあまりの軽さ、皮相さに嘆息しないおとなはいないだろう。

子どもたちが義務教育で教えてもらえないことは枚挙にいとまがない。たとえば、地震国日本で、学習指導要領は地震の原因、プレートテクトニクスを教えてはならないとしている。21世紀は遺伝子工学の世紀であるにもかかわらず、遺伝子についてもわが国の義務教育では教えてはならないのだそうだ。生物の進化の法則も同様だ。ゲノムや遺伝や進化についての学びは、人間の由来をも解明してくれる興奮冷めやらぬ知的探究の世界だ。未来への扉を開く学びでもある。しかし、現在のゆとり教育では、そうしたこといっさいを教えない。

知識は考える力を育成する必須の要素だ。知識を頭のなかに詰め込んでやったとき初めて、子どもたちの頭脳のなかに考える土台が築かれる。知識なくして人間は考えることなどできない。知識の教え惜しみは、育ち盛りの子どもに十分な栄養を与えず、栄養不良に育てるのに似ている。よい子、賢い子、創造できる子が育つはずがない。

教育再生会議が明確に打ち出したゆとり教育の見直しは、この現状を力強く打ち破る第一歩となる。また、教師の免許更新制はやる気のない教師を振るい落とすだろう。さらに注文すれば、地道な努力を続けるやる気のある優れた教師を認める制度もつくってほしい。

当初、文科省官僚のまとめた報告案にはこうした点は入っていなかった。それを明記するよう注文をつけたのが安倍首相だった。首相のリーダーシップも高く評価したい。日本再生の基本が教育の再生である。第一次報告案を薄めることなく、突き進んでほしい。

http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/02/post_502.html
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by thinkpod | 2006-12-30 00:57


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