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2006年 11月 18日

高校教科書は変わったか

家庭科 家族否定思想が浸透
元東京女子大教授・林道義 
 
 家庭科の教科書や授業が、偏ったフェミニズムによる宣伝と洗脳の場になってきたことは以前から指摘されてきた。来春から使われる高校の家庭科教科書で、その点がどう改善されているか調べてみたが、まだまだ改善とはほど遠い。問題点は特に「家族」と「子育て」の個所に集中している(以下引用の中で出版社名のみを示す場合には「家庭基礎」を指す)。

 第1の特徴は「家族」の定義が欠けていることである。定義を書いている場合にも「家族とは血縁者を中心に共同生活する集団」と考えられてきたが、近年では「家族形態が多様化し変化している」ので「家族の定義は難しくなっている」としている。

 定義ができないのは「それぞれの人が家族と考える範囲は、人によって異なっている」「だれを家族と考えるかは主観的なもの」だからと述べられている(東京書籍「家庭総合」などすべての教科書に共通)。

 「家族」を客観的にとらえ考えるかわりに、自分が思うものが「家族」だと言っているに等しい。ペットを家族とするなどの記述は検定で阻止されているが、近代家族を否定する「多様な家族」論の根っこは残ったままなのだ。

 第2の特徴は「固定的性別役割分担」や「性別役割分担」そのものを否定する記述が多い点である(東京書籍、大修館書店、開隆堂、教育図書)。例えば大修館書店には「男は仕事、女は家庭」という「性別役割分業意識にとらわれることは、家庭においても社会においても、そして女性にとっても男性にとっても充実した生活を実現する妨げとなる」と書かれている。

 男女の自然な区別とそれに合った分業を否定する、偏向した思想の押しつけ以外の何物でもない。

 第3の特徴は「子供は3歳くらいまでは母親の手で育てなければ、その後の成長に悪影響を及ぼす」という「3歳児神話」には「科学的根拠はない」という記述がいくつか見られる点である。そう断言する科学的根拠は何かと言えば、きわめて特殊なフェミニズム公式主義によって書かれた平成10年の「厚生白書」一点張りである(実教出版、大修館書店)。白書の記述自体の科学的根拠はまったく示されていないのに、政府の「白書」だという権威をかさにきて、真理のごとくに扱っている。

 第4の特徴は「女性差別撤廃条約」「子供の権利条約」(児童の権利に関する条約)などの条約や国際会議の決議を多く引用して権威づけ、特定のイデオロギー(フェミニズム)に基づく偏向した内容であることを隠蔽(いんぺい)している点である。日本人の国連神話、国連信仰を利用して特定のイデオロギーを注入しようとしている。

 特に子供の権利条約の紹介の仕方がきわめて偏っている。「意見表明権」「思想信条の自由」「結社・集会権」ばかりが強調され、それらの権利は「成熟した人格を前提としている」ことが条約の中にうたわれていることにはどの教科書もまったく触れていない。

 夫婦別姓について扱っている教科書は、すべて賛成論だけを紹介し、反対論にはまったく触れていない。

 中には、構成の点でも客観性の点でもバランスのとれた第一学習社や教育図書のような教科書もある。ところが残念なことに、教育図書の場合には「家族」についての記述の中にフェミニズムの公式が無批判に並んでいる。

 例えば「家事労働は無償労働(アンペイド・ワーク)ともいわれる」と説明しているが、家事はお金に換算できるようなものではなく、愛情が基礎にあって初めてできる、無限の価値のある仕事であることを教えるべきだろう。

 最も妥当だと思われる構成や記述をしている教科書にして、このありさまである。教科書の世界でも、いかに偏ったフェミニズムが浸透しているかを示しているといえる。

   ◇   
 来春から使用される高校教科書のうち、家庭科、歴史、公民について識者の分析を掲載します。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060721text.html



歴史 占領軍“洗脳”の呪縛、いまも
明星大戦後教育史研究センター・勝岡寛次 
 
 今年検定に合格し来春から使用される高校歴史教科書は19冊。日本史Aが3冊、日本史Bが1冊、世界史Aが8冊、世界史Bが7冊である(日本史・世界史とも、Aは近現代史中心の教科書、Bは全時代を均等に扱った受験用教科書)。

 高校の歴史教科書といえば、山川出版社の「詳説日本史」「詳説世界史」が圧倒的シェアを誇り(平成18年度は前者が58・1%、後者が55・7%)、受験生の大半はこの2冊の教科書で歴史を勉強する。

 しかし「詳説日本史」の近現代の扉のページにはこう書かれている。

 「19世紀中ごろ、欧米の圧力によって開国を余儀なくされた日本は(略)対外的には台湾の領有、韓国の併合、満州事変・日中戦争と東アジアへの侵略を進め、ファシズム国家群にくみして第二次世界大戦をたたかい、敗北した」

 徹頭徹尾、日本の近現代史を“悪”と見なす「侵略戦争」史観で書かれており、それは「詳説世界史」も同様だ。「二つの世界大戦」の章の扉のページにはこうある。

 「日本・ドイツ・イタリアの後発資本主義国はファシズム・全体主義体制をとって、他国への侵略による危機克服に向かい、第二次世界大戦をおこした」

 戦前の日本をナチズムやファシズムと一緒くたにしたこんな教科書でいくら勉強しても、大東亜戦争を戦わざるを得なかった父祖の歴史は理解できない。いや、真面目(まじめ)に勉強すればするほど、“日本は間違った戦争をした”という誤ったメッセージが、高校生の脳裏に深くインプットされる仕組みになっている。特に中国・韓国の関係する記述にこの傾向が強く、将来の“謝罪病”患者の予備軍が、歴史教育を利用して意図的に養成されているとしか思えない。

 具体的事例をもう少し挙げておこう。清水書院「日本史A」は最後の章でこう書いている。

 「アジア諸国を侵略して大きな惨禍をもたらした日本は(略)戦争責任に対する自覚のもとに近隣諸国との友好を深め、世界平和の実現と核兵器の廃絶に力をつくさねばならない」。実教出版「高校日本史A」の最後にある次の記述は、ある意味でもっと露骨だ。

 「従軍慰安婦問題など日本の侵略加害の事実を記述してきた教科書を『自虐的』と非難するうごきも生まれ、そうした主張にもとづく中学校歴史・公民教科書があらわれた。これらのうごきや首相の靖国神社参拝には、アジア諸国から強い批判がおこった」

 南京事件の犠牲者をめぐって「さまざまな説があるが、そのなかでは20万人以上とする説が有力」(三省堂「世界史A」)などと学説状況を無視した誇大な数字がまかり通っていることは、3月30日付産経新聞が報じた通りだ。

 これらの教科書がどういうスタンスで書かれているかは自明であろう。日本に「侵略」された「アジア諸国」の視点から書かれており、日本の立場から書かれていない。これは来春から使われる高校歴史教科書すべてに共通する傾向である(今回の検定とは関係ないが、明成社「最新日本史」だけが唯一の例外)。これでは「A級戦犯」合祀(ごうし)を理由に、首相の靖国参拝を強く批判する中国に対して、将来の日本は太刀打ちできない。

 自国ではなく他国の立場で歴史を教えている国が、日本以外のどこにあるだろうか。こんな倒錯した歴史教育がいまだに幅をきかしているのは、はっきりした理由がある。それは「最新日本史」以外のすべての高校歴史教科書が「太平洋戦争」というパラダイムの中で書かれているからである。

 産経新聞の読者の方はよくご存じのことと思うが、それは占領軍が実施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に起因する。大東亜戦争の呼称を禁じ、日本人に戦争の贖罪(しょくざい)意識を植え付け、東京裁判の判決を受け入れさせることがその目的だった。

 今年はその東京裁判開廷から60年。もう2世代も前の占領軍の“洗脳”に日本人はいつまで呪縛(じゅばく)されているのだろうか。

 歴史教科書は根本的な書き直しが必要である。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060722text.html



公民 「左翼市民運動」の手引書?
高崎経済大教授・八木秀次 
   
 扶桑社を除く中学公民教科書を左翼市民運動の手引書のようだと指摘したことがある。来春から使用される高校の公民(現代社会、倫理、政治経済)教科書を通覧して同様の感想を持った。

 例えば明治憲法の扱い方だ。ほぼすべての教科書が「天皇制絶対主義」の立場に立ち、「天皇が統治権をもち、天皇の地位は『神聖ニシテ侵スヘカラス』とされた(天皇主権)」(実教出版「新版現代社会」)、「天皇を絶対的な主権者とする絶対主義的な色彩の濃いものであった」(同「高校現代社会」)と、マルクス主義講座派の古いイデオロギーに基づいて記述している。「神聖不可侵」は天皇の政治的法的無答責を示す優れて立憲主義的な規定であり、「大臣責任制」によって天皇は名目的な政治主体に過ぎなかったが、そこに言及はない。

 日本国憲法の制定はGHQの押し付けであったという公然の事実が語られず、鈴木安蔵ら社会主義・共産主義者による憲法研究会の主張が制定に影響を与えたかのように書く政治経済の教科書も多い。これは現行憲法が自前の憲法であると考えたい護憲派の方便に過ぎない。

 「平和的生存権」という学界でも支持の少ない概念を現行憲法が保障しているかのように書く教科書も多い。現代社会12冊中7冊、政治経済6冊中5冊もあるのは異常だ。

 首相の靖国神社参拝についても、主文で原告の訴えを退けながらも判決としての拘束力のない傍論で違憲と述べた昨年9月30日の大阪高裁判決だけを取り上げ、「違憲と認定した高裁判決も出ている(2005年)」(実教出版「新版現代社会」)と書く。同時期の一連の判決には触れず、違憲との印象を持たせようとしている。

 男女共同参画についても、「ジェンダーフリー」の言葉は消えたが「ジェンダー」は大手を振っている。現代社会12冊中10冊、政治経済6冊中2冊は予想できたが、倫理5冊中4冊に登場しているのは驚きだ。「みずからのうちにひそむジェンダー意識をつねに点検する」ことを求め、中絶容認にもつながる「女性の自己決定権」「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」を称揚するのは第一学習社「倫理」。教育出版も同様だが、フェミニズムを詳述する。夫婦別姓を肯定的に取り上げるのは現代社会では三省堂、数研出版、実教出版「新版現代社会」。差別問題として取り上げている。

 三省堂「現代社会」はいわゆる従軍慰安婦問題で昭和天皇を裁いたことで問題視された「女性国際戦犯法廷」を取り上げた。この教科書には「先の大戦下では、『慰安婦』とよばれる女性たちが日本軍兵士の性の相手をさせられた。なかには十代前半の少女も交じっていた」と背景を抜きにして慰安婦問題を書く。

 「元慰安婦の人々への謝罪と補償の問題がある」とするのは清水書院「現代社会」。数研出版「政治経済」はわが国の「これからの課題」として北朝鮮との「早い時期の国交正常化が期待される」とし、「戦時中の日本への強制連行や従軍慰安婦などに対するつぐないなど、さまざまな戦後補償問題が提起されている」と拉致という国家犯罪を相殺する。

 国家主権との関係で疑問視される永住外国人の地方参政権付与の問題についても、取り上げる教科書は差別の問題ととらえ、付与すべしとの立場に立つ(帝国書院「現代社会」)。これまた傍論で参政権付与は憲法で禁止されていないと述べたに過ぎない平成7年の最高裁判決を強調する(清水書院「現代社会」、実教出版「高校現代社会」、清水書院「政治経済」、実教出版「政治経済」)。

 今回の大きな特徴は「住民投票」を盛んに持ち上げていることだ。特集を組む教科書もある。「議会制民主主義に反するとの意見もある」と書くのは桐原書店「政治経済」だけ。左翼市民団体が議会を無視し、直接地方行政に関与できる道筋を作る「自治基本条例」を持ち上げる教科書もある(帝国書院「現代社会」、実教出版「高校現代社会」)。

 国民の常識ではなく彼らの運動の方向性が記述されるのは、やはり異常だ。

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200607/060723text.html

by thinkpod | 2006-11-18 16:30 | 社会


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