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2006年 10月 15日

朝日新聞の捏造・放火の歴史

●1959-1985 北朝鮮礼賛キャンペーン

 執拗な北朝鮮礼賛キャンペーンを展開。各記事の内容はこちらを。
 朝日新聞の入魂の連載記事とは裏腹に、実際には経済の発展はゼロに等しく、その正体は粛清の嵐が吹き荒れる恐怖の独裁国家でしかなかった。しかも保障された職と生活どころか、明日の食事にさえ事欠く有様で、現在でも慢性的な食料不足と恐怖政治が続いている。

●1975.4.19 残虐なポルポトを「アジア的優しさ」と報道

 和田俊プノンペン特派員(後年、テレ朝「ニュースステーション」に解説者として出演。故人)が、「カンボジア解放側 アジア的優しさを持つ」「粛清の危険は薄い?」という見出しで記事を書いた。当時中国共産党の支援を受けていたカンボジア解放軍のポルポトは、アジア的な優しさどころか、カンボジアの全国民の1/6に相当する300万人以上の民衆を虐殺した。


●1950.09.27 伊藤律のインタビューを捏造

 「宝塚山中に伊藤律氏−本社記者が会見」、行方不明の共産党幹部とのインタビューを一面に掲載。29日に記事を書いた長岡宏記者は「伊藤律氏との会見記事は、私の仕組んだ全くの狂言でした」と弁明。この記事はその後の縮刷版から削除された。


●1967-70 中国政府当局が朝日新聞を除く全ての報道関係者を追放

 文化大革命で狂乱状態にあった中国政府当局は、中国政府提灯記事以外の記事を書くあらゆる報道関係者を「外国反動分子」と決めつけ中国から追放した。

  1967.09 産経、毎日の記者が追放される
  1967.10 読売記者が追放される
  1968.06 日経記者鮫島特派員がスパイ容疑で逮捕・拘留される
  1968.11 滞在期間が切れて帰国したNHK記者が入国不許可に
  1970.09 共同通信特派員が追放される

 北京に駐留している日本マスコミは朝日の記者のみとなった。朝日は唯一の中国特派員をもつ立場を保持するため、あらゆる中国政府当局の捏造加担とおべんちゃらを開始した。


●1971.8.26-11.26 「日本軍虐殺」捏造コラム掲載

 「中国の旅」と題する「日本軍虐殺」捏造コラムを計31回連載。著者は本多勝一氏。いわゆる「南京大虐殺」が知られるきっかけとなったものだが、中国政府当局やその恐怖政治の影響下にある人間による「日本軍の蛮行」に関する「証言」を丸写ししたものだった。
 後年大量の嘘写真や捏造事例などが暴かれ、本多氏自身も「証言」を丸写ししたものであることを認めている。


●1982.9.7 侵略進出書き替え誤報の責任転嫁コラムを掲載

 朝日新聞を含め多くのマスコミが、高校教科書の「華北を侵略」という記述が検定によって「華北に進出」に変えられたなどと伝えた。ところが、その後、関係者の調査によりこれが全くの事実無根と判明。
 その後、朝日は「読者と朝日新聞」というコーナーで読者の疑問に答える形で小さく「侵略→進出今回はなし」などと記す。その中で、外交問題に発展したのは検定制度を行う政府にあるかのような責任転化をした。
 一方、産経新聞は誤報だと判明後、それを素直に認め大々的に謝罪し、誤報の経路を綿密に読者に報告し、詫びた。朝日はこの大誤報事件について、今なお釈明も謝罪も行っていない。


●1984.8.4 「南京大虐殺」を捏造

 生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記したという「日記」を併記して掲載。
 これに対して、元歩兵二十三連隊の有志からなる「都城二十三連隊会」が立ち上がった。元兵士の懸命の調査により、1年4カ月後になって、この写真が全く別の場所の写真であることが判明する。「都城二十三連隊会」は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。
 それに対して朝日は1985/1/22、このような数行のおわび文を掲載した。「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」。全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述はどこにもない。「都城二十三連隊会」は更に朝日に対して不信感をつのらせた。
 写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざんゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示を拒んだ。
 「都城二十三連隊会」は日記の開示を求め、1986/8/22に小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをし、全て開示し写真に取らせよという判決が12/27に下った。が、朝日は取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告し、裁判引き延ばし戦術に出た。最年長の老人は心労のため入院した。今なお朝日は真相を隠蔽している。


●1984.10.31 毒ガス戦を捏造

 煙がもうもうと立ち上る写真を一面三段抜きに掲載し、「これが毒ガス作戦。と元将校。当時の日本軍内部写真を公表」と報道したが、ほどなく、これが写真も取材源もデッチあげであることが、朝日の稲垣武氏や各種報道機関により暴かれた。


●1985.8.7 靖国参拝ご注進報道

 1985/8/15、“戦後の総決算”ということで中曽根首相は「公式参拝」をすることになるのだが(これは公約だった)、その少し前から朝日新聞は反靖国キャンペーンを始めた。
 8/7に「『靖国』問題 アジア諸国の目」という特集記事を掲載。「(中国と)同じ『愛国心』が、日本ではかつては軍国主義を底支えする役割を担わされたことを、中国は自らの体験として知っている。それだけに、靖国問題が今『愛国心』のかなめとして登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している」と書いた。
 が、ここには具体的な根拠…誰が何と言ったのか、言ったとしたらその人物は靖国神社についてどの程度知っていたのか等…が全く書かれていなかった。当時の中国メディアを精査したところ、案の定そのような言動は全くなかった。まさに朝日新聞お得意の「火のないところに火種を落とす」記事の実例である。この記事を書いたのは現在『報道ステーション』でお馴染みの加藤千洋。
 8/11になって、人民日報が8/7の朝日新聞の記事を受け、「日本国内に靖国参拝に批判的な動きがある」と報じた。それが中国側の最初の反応。但しこの記事は直接の論評はせず、「日本の一部新聞」を引用する形で書かれてあった。
 朝日は8/12、加藤千洋特派員が「公式参拝反対の声など詳報 人民日報」と題し、「日本の報道や消息筋の指摘を引用し」た人民日報の記事を紹介。「日本の各野党や、キリスト教、仏教を含む宗教団体が一斉に『強烈に反対』し、抗議活動や決議を行った事などを伝えている」と書かれたその内容は、もともと8/10の朝日に掲載された記事「『いつか来た道』を警戒」に載っていたものと同じだった。
 当の中国・人民日報は日中友好のために批判を抑制していたのだが、朝日が東京と北京の間で同じ反日記事をキャッチボールして、騒ぎを増幅させていたのだ。
 ついに8/14、中国政府が記者質問に答える形で、「東條英機ら戦犯が合祀されている靖国神社に参拝することは中日両国民を含むアジア各国人民の感情を傷つける」として公式に反対表明をすることとなった。
 ちなみに「A級戦犯」合祀が判明したのは1979年だが、朝日がこの騒ぎを起こすまで、中国政府が首相の靖国参拝に抗議したことはなかった。


●1989.05.15 サンゴ自作自演事件

 朝日新聞のカメラマンが、沖縄・八重山群島西表島のサンゴ礁を傷つけてカラー写真を撮影し、4/20付夕刊に「サンゴ汚したのはだれ」と告発する記事を掲載していたことが明らかになる。記事では「これは一体なんのつもりだろう」と書き出し、「サンゴは、水中ナイフの傷やら、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ」と心ない行為を告発。
 朝日新聞社は「元々あった落書きに、撮影効果を上げるためにカメラマンが手を加えた」と説明、しかし地元ダイバーの指摘を受け、19日夜、落書きはもともとあったとするこれまでの主張を翻し、無傷のサンゴにカメラマンが「KY」の文字を刻みつけて撮影したことを認めた。
 詳細はこちらを→朝日新聞の「朝日珊瑚事件」


●1991- 「従軍慰安婦」捏造報道

 1983年に吉田清治が著書の中で、韓国済州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという「体験」を発表。朝日新聞はこれを91年から翌年にかけ、ウラも取らずに4回にわたり報道した。
 91/8/11、朝日は「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一人が名乗り出た、と報道。
 92/1/11には、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道。見出しに「軍関与」とあるが、記事をよく読めば、民間の悪徳業者による「強制連行」を、軍が警察と協力してやめさせようとしたという内容であった。朝日お得意の印象操作である。
 この直後の1/16から訪韓した宮沢首相は首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。93/8/4、河野官房長官談話が発表された。
 朝日はこの吉田清治を、宮沢首相の訪韓前後1年の間に4回も紙面に登場させたのだが、秦郁彦日大教授の現地調査によって吉田の著書が捏造であることが明らかにされた後、ぷっつりと起用をやめた(96年に吉田自身もフィクションだと認めている)。
 ちなみに韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、「従軍慰安婦」として「強制連行」されたと認められたものは、ひとつもないというのが実態である(「売られた」人だったり、戦地ではないところで慰安婦にされたと主張していたり…)。
 朝日は97/3/31に記事の中で、吉田証言について、「……間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」と書いた。この3/31付の紙面は「従軍慰安婦は存在した」という大特集である。この中で朝日は、「強制連行」がなくても「強制性」があれば同じことだ、と問題をすりかえたが、そうではない。最初これが大問題になったのは、あくまで「強制連行」による「性の奴隷」だったからである。そういう罪状で「日本」を告発しておきながら、「強制連行の立証」が不可能だとみるや「強制性」があれば同じことだというのも卑怯な態度である。
 国内ではもうとっくに決着した問題だが、朝日は未だに頬かむりをしたままである。なお、この1〜2年前ぐらいからと思われるが、朝日はそれまで使っていた「従軍慰安婦」という呼称を単なる「慰安婦」に変更している。


●1993.11.15 鳥取の上淀廃寺の瓦で自作自演

 「鳥取の上淀廃寺 法隆寺と同時期創建?」との記事を掲載。根拠となる瓦は地元の郷土史家が発見したのに、米子支局の朝日新聞記者が自分が発見したかのように演技。町教委の関係者と現場に行き、自分がこの瓦を初めて見つけたことにして、瓦を確認させる。また、記事正当化のために引用された山本清・島根大学名誉教授の談話も趣旨歪曲。「自分の思い込みで質問して、こちらの言い分に耳を貸さなかった。談話の趣旨は、私の話と全くかけ離れている」と教授は語った。記者は停職20日の処分を受けた。


●1995.03.31 石原信雄氏の祝儀袋を捏造

 東京都知事選に立候補していた石原信雄前官房副長官に、栃木県庁幹部や市町村がせんべつを贈り、その後、石原氏側が返還を申し出た問題で、朝日新聞が29日の栃木面に記事とともに掲載した「御餞別栃木県一同」と書かれた祝儀袋の写真が、同社宇都宮支局による自作だったことが判明。県の抗議に対し同支局は「パロディーで掲載した」と開き直っていたが、朝日新聞は31日におわび記事掲載。


●2002.06.05 中田ヒデ日本代表引退を捏造

 W杯日本初戦の翌日、「ヒデ『最後のW杯』」との見出しで中田選手の引退を一面に掲載。中田選手は翌日の記者会見で「憶測やうその記事が出ることは残念なことです」と朝日新聞の捏造記事に不快感を表す。朝日は98/1/4にも、インタビューを歪曲し、中田選手を反「君が代」の戦士にしたてあげた記事を掲載していた。


●2003.05.14 北朝鮮に残る曽我ひとみさんの家族の住所を報道

 北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさんが、北朝鮮に残した家族からの手紙の差出人住所などを朝日新聞が5/13夕刊、Asahi.comで報じたことに対し、内閣府の拉致被害者支援室を通じ、朝日新聞社長あてに謝罪を求める抗議文を提出。曽我さんは抗議文で「朝日新聞記者は真野町の支援室でファイルを盗み見て、私にも支援室にも一切了解を取らないまま住所などを掲載しました。朝日新聞社は一体何の権限があって、私の家族の住所を無断で公開できるのですか」と怒りを表明。


●2004.08.11 サマワの自衛隊宿営地内に迫撃砲弾が撃ち込まれたと捏造

 防衛庁は、朝日新聞がイラク南部サマワの陸上自衛隊宿営地内に迫撃砲弾が撃ち込まれたと報じた記事について、「全く事実でない」として朝日新聞社に抗議。防衛庁は記者ブリーフィングで「宿営地の外側で弾着痕を3カ所発見した」と伝え、朝日記者も出席していたにもかかわらず、朝日新聞は宿営地内着弾として夕刊一面に掲載。
 防衛庁は8/10にも、安全を期すために秘密扱いを要請していた、サマワから邦人記者らを航空自衛隊のC130輸送機で輸送する「行動予定」を、朝日新聞が4/15に報じたことでも抗議していた。


●2005.1.12- 政治家がNHKに圧力をかけて番組内容を変えさせたと報道

 1/12、安倍晋三・中川昭一両議員が従軍慰安婦を題材にしたNHKの番組に対して圧力をかけたと報道。安倍氏、中川氏、取材を受けた松尾元NHK放送総局長が揃って記事内容を否定。本人たちの証言から、本田雅和朝日新聞社会部記者が意図的、誘導的な取材をしていたことが明らかになった。
 7/25、朝日は総括記事を掲載。安倍氏、中川氏がNHK番組に対して圧力をかけたかどうかという問題の核心について、「直接裏付ける新たな文書や証言は得られておらず、真相がどうだったのか、十分に迫り切れていません」と、記事に明確な根拠がなかったことを認めた。にもかかわらず、「再取材で、記事の描いた『政治家の圧力による番組改変』という構図がより明確になった」とし、「記事を訂正する必要はない」と強弁。
 9/30、朝日は最終的な総括をした。記事の根拠は示さず、訂正も行わず、録音テープの有無も明らかにせず、社内資料流出(朝日が取材をした資料を入手したとする記事が月刊「現代」05/9月号に掲載された)の経緯も明らかにできなかったが、「社外の識者」により構成された「『NHK報道』委員会」による朝日を擁護する報告を盾に、記者会見で秋山社長が「これで幕引きにしたい」と一方的に宣言。
 主要紙が「事実解明なしで新聞社ですか」(毎日)、「裏付けのない報道は訂正が筋だ」(読売)、「幕引きにならぬ朝日の説明」(日経)、「なぜ潔く訂正できないか」(産経)と社説で一斉に反発した。


●2005.08.23 田中知事の会談を捏造

 田中康夫長野県知事が長野県庁で開いた記者会見で、朝日新聞に対して不快感を表明。朝日は、8/21付と22付の紙面で、亀井静香氏と「長野県内で会談」したと報じた。知事は亀井氏と長野県内で会談したとの報道について「このような事実は一切ございません。事実が作られていくことに大変な戸惑いを覚えております」と指摘。また8/24、民主党の小沢氏も、テレ朝「報道ステーション」において、朝日新聞の民主党に関する記事を「あれは、かなりの部分で創作です」とコメント。
 9/8、記者会見を拒否していた秋山社長が、社内外の批判を受けてやっと会見を実施。「『解体的出直し』に不退転の決意で臨む」と宣言。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid170.html#sequel


【華麗なる朝日新聞記者たち】

忠鉢信一・・・「中田選手引退」という記事を書くも、事実無根ということが発覚。その後、「記事内容と異なる結果になったことをお詫びします」というわけのわからないお詫び記事を掲載して逃亡。
http://www.asahicom.com/soccer/

本田雅和・・・「NHK番組改変問題」をぶちあげるも、記事内容に多数の誤りがあることが発覚。同業者からも総攻撃を食らうも「本質を見誤るな」と論点をずらして逃亡。本田は左遷となる。

本田嘉郎・・・有名なサンゴ事件の当事者。当初は「元々存在した文字をなぞっただけ」と言い訳をするが、地元ダイバーの努力によりそんな文字はなかったことが発覚。逃げ場を失い、渋々謝罪。関係者は処分される。

担当記者不明・・・吉田清治という男を担ぎ上げ、従軍慰安婦問題に火をつける。その後、この男の話は作り話であったことが発覚するが、今日まで朝日新聞において謝罪・訂正記事は皆無。朝日新聞広報部に対するmumurの取材においても「吉田の話は根拠が薄かった」と認めるも、具体的な動きは無し。言ったら言いっぱなし。嘘がばれたら放置。

清水建宇・・・「政治的影響力が大きいので皇族は黙れ」とぶち上げた人。しかし、その後朝日新聞社は富田メモで「天皇も反対してるんだからやめろ」と恥ずかしげもなくダブルスタンダードを主張。

http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50651014.html
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by thinkpod | 2006-10-15 01:11 | メディア


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