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2006年 09月 28日

日露戦争 もう一つの戦い

出版社/著者からの内容紹介
日本の素晴らしさを堂々と伝えた 明治人の気骨と英語力! 岡倉天心(おかくらてんしん)…日本の伝統精神を、アメリカに広めた東洋美術の使徒 金子堅太郎(かねこけんたろう)…ニューヨークの社交界を、説得力溢れる演説で魅了した男爵 家永豊吉(いえながとよきち)…シカゴを中心に、社会人教育の場から日本の情報を発信し続けた法学者 ヨネ・ノグチ(野口米次郎 のぐちよねじろう)…英文詩人として英米で名声を高め、文芸誌を舞台に日本の芸術について発信。彫刻家イサム・ノグチの父 朝河貫一(あさかわかんいち)…不偏不党の精神を掲げ、徹底して謙虚に日本の正当性を主張した歴史学者 アメリカ世論を「ペン(論文)と舌(講演)」で親日へと動かした五人の英語名人 ■日露戦争勝利の陰に、五人の英語名人がいた 日本が国家存亡を賭して戦った日露戦争。戦費もままならない日本にとって、国際世論の行方、わけても新興の経済大国であるアメリカは外債募集先としても、休戦調停役としても重要な存在だった。そんな中アメリカに渡り、アメリカ世論を親日に導き続けた五人の日本人がいた。東洋美術の使徒、岡倉天心(おかくらてんしん)。社交界で活躍した男爵・金子堅太郎(かねこけんたろう)。社会人教育に邁進した法学者、家永豊吉(いえながとよきち)。英文詩人として名を馳せたヨネ・ノグチこと(野口米次郎 のぐちよねじろう)。不偏不党の歴史学者、朝河貫一(あさかわかんいち)。彼ら「明治の英語名人」は、「ペン(論文)と舌(講演)」でアメリカ世論を日本の味方にした。英語で戦われた日露戦争。この本は、もう一つの『坂の上の雲』である。

内容(「BOOK」データベースより)
日本が国家存亡を賭して戦った日露戦争。戦費もままならない日本にとって、国際世論の行方、わけても新興の経済大国であるアメリカは外債募集先としても、休戦調停役としても重要な存在だった。そんな中アメリカに渡り、アメリカ世論を親日に導き続けた五人の日本人がいた。東洋美術の使徒、岡倉天心。社交界で活躍した男爵・金子堅太郎。社会人教育に邁進した法学者、家永豊吉。英文詩人として名を馳せたヨネ・ノグチこと野口米次郎。不偏不党の歴史学者、朝河貫一。彼ら「明治の英語名人」は、「ペン(論文)と舌(講演)」でアメリカ世論を日本の味方にした。—英語で戦われた日露戦争。この本は、もう一つの『坂の上の雲』である。

Amazon.co.jp: 日露戦争 もう一つの戦い—アメリカ世論を動かした五人の英語名人: 本: 塩崎 智
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4396110413/ref=sr_11_1/250-7787573-8185016?ie=UTF8


日露戦争が最大の山場を迎えた一九〇五年五月最後の週末、金子堅太郎は、米国東海岸のリゾート地、アトランティック・シティに遊んでいた。しかし、内心は保養どころではなかった。日本の連合艦隊はロシアのパルチック艦隊の動向をつかめたのだろうか。史上最大規模の海戦の帰趨は世界中の耳目を集めていた。

 そんな金子の元に、五月二十八日深夜、ニューヨークにいる秘書から電報が届いた。長崎駐在米国領事からの電信によると、連合艦隊がパルチック艦隊を撃破したという。

 金子は、御前会議の決定により、隠密の「民間大使」として、日本政府から米国に派遣されていた。得意の英語とセオドア・ルーズベルト大統領をはじめとする米国政財界の人脈を駆使し、米世論を親日に導く命を受けていた。

 彼のただならぬ様子を見て、戦況に重大な異変ありと察したのだろう。滞在先のホテルのロビーにいた客たちは、金子が手にしていた電報の内容を知りたがった。促されるまま電報を読み上げると、あちこちから歓声があがり、シャンペンを抜いての大騒ぎになった。

 翌二十九日は、新聞で大々的に海戦結果が報道され、金子のみならず在米日本人にとって最高の一日となった。


 「列車に乗っている旅客は知ると識らざるとを問わず、私の座席に蛸集して皆私の手を握って、大勝利で目出度い、目出度いと言う。……通行人が私の顔を見るとわいわい言って万歳を唱えた。それから向こう河岸にボートで渡って馬車に乗った。左右のアメリカ人の家には日の丸の旗が立っている。又通行人が私の顔を見れば帽子を取って万歳万歳と言う。実にこの時の有様はえらいものであった」 (金子堅太郎『日露戦役秘録』)


 アメリカ人が日本戦勝の報に歓声をあげたのは、これが最初ではない。事実上の開戦となった旅順口と仁川沖海戦、さらに旅順陥落、奉天会戦など、日本が勝利を収めるたびに、アメリカ人は在米日本人と喜びを分かち合った。日露戦争中、米国世論はおしなべて親日であり、そのひいき振りは日本の同盟国イギリスを凌ぐほどだった。

 米国では開戦前からすでに日本を支持する声が高まっていた。ロシアの排他的満州進出により日米両国は締め出しをくい、利害関係が一致した。

 この、時ならぬ日米蜜月期には、実は「仕掛け人」たちがいた。

 大国ロシア相手に短期決戦を挑んだ日本は、ロシアに不意打ちを仕掛けたが、自らの正当性を主張しなければならない。欧米の新聞や雑誌で日本の立場や見解を説明しておかねば、極東の平和の破壊者というレッテルを貼られてしまう。国際世論に訴えるには、欧米のメディアを経由するしかない。しかし東洋の一小国の悲しさで、いくら日本の政治家やメディアが声を大にして叫んでも、世界レベルのメディアが好意的に取り上げてくれるとは限らない。

 しかも、圧倒的な日本ぴいきとはいえ、所詮、米国の 「異国」 日本に対する好意は不安定なもので、いつひっくり返るかわからない。

 この国家存亡の危機に、英語で自由に意思の疎通ができる、個性豊かな日本人たちが米国にいた。彼らこそが「仕掛け人」たちの正体である。

 太田雄三氏は『英語と日本人』で、「明治八(一八七五)年ごろからのほぼ一〇年弱の期間に高等教育を受けた人々」を「英語名人世代」と呼んでいる。英語を日本語並み、あるいはそれ以上に使いこなすエリート群だ。彼らは東京大学の前身大学南校や北海道大学の前身札幌農学校で、外国人教師により外国語のテキストを使い、外国語で講義を受け、外国語で答案を書いた。

 日露戦争当時、この英語名人たちは、まさに脂の乗り切る四〇~五〇代だった。

 本書は、日露戦争中、勃興期の米メディアを部隊に英語を武器として最前線で戦った、明治の英語名人五人の言論による格闘の記録である。

Let's Blow! 毒吐き@てっく: 海を渡った明治のサムライ達のお話
http://tech.heteml.jp/2006/09/post_760.html



■■ Japan On the Globe(464)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

地球史探訪: サムライ達の広報外交
〜 米国メディアにおける日露戦争
 彼らは卓越した英語力で、日本の立場を語り、
アメリカ国民を味方に引きつけた。
■転送歓迎■ H18.09.23 ■ 34,261 Copies ■ 2,227,386 Views■


■1.米国メディアを賑わせた日露戦争■

 1904(明治37)年2月、日露戦争が始まると、その戦況ニュ
ースがアメリカの新聞や雑誌を賑わした。TOGO(東郷連合艦隊
司令長官)、NOGI(陸軍第3軍司令官)、KUROKI(第2軍司令
官)など、英語らしくない名前が紙面を飛び交った。

 ニュースだけではない。開戦直後、3月2日付けの『ニュー
ヨーク・タイムズ』紙には、和服姿のKAKUZO OKAKURA(岡倉覚
三、天心)の写真とともに、記者の質問に答えた記事が掲載さ
れた。別のページには、BARON KANEKO(金子男爵)のインタビュ
ー記事が載っている。

 二日前の『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』誌には、
TOYOKICHI IYENAGA(家永豊吉)のカルチャー・センターでの
講義を取材した記事が掲載されていた。

 この年、10月に出版された岡倉天心の『日本の覚醒(The
Awakening of Japan)』は、半年間で全米売上第4位となった。
翌月に出た朝河貫一の『日露衝突(The Russo-Japanese
Conflict)』は、書評誌『サタデー・ブック・レビュー』で
「クリスマス・プレゼント本100選」の一冊に選ばれた。

 この時期ほど、日本人の言論が米国のメディアを賑わせた事
はなかったろう。そして達意の英文で語られた彼らの品格ある
教養と思想は米国民を魅了し、親日世論を湧き興して、日露戦
争での日本の立場を大いに強化したのである。

■2.金子堅太郎の米国世論工作■

 米国メディアで活躍した筆頭は、金子堅太郎男爵である。か
つてハーバード大学ロースクールで法律を学び、セオドア・ル
ーズベルト大統領とも同窓だったという縁で、日本政府からア
メリカでの世論工作のために送り込まれた人物だった。

 開戦1ヶ月後の1904(明治37)年3月に米国入りした金子
堅太郎は、かつての留学の地ボストンではなく、新聞や雑誌な
どの本社が集中するニューヨークに腰を据えた。

 ニューヨークでは、スチュワート・ウッドフォード将軍が金
子のために200人を超える政財界の大御所、軍高官、学者な
どを招待して盛大な歓迎パーティーを催してくれた。将軍はか
つて日本訪問中に金子の世話になり、急速な近代化や、勤勉で
礼儀正しい国民性に強い感銘を受けていた。

 日本は緒戦の勝利以降、大きな戦果を上げておらず、逆に、
ロシア海軍の名将マカロフが旅順に覇権され、予断を許さない
状況だった。そこにマカロフの乗る戦艦ペトロパブロフスクが
日本海軍の機雷に触れて爆沈したというニュースが飛び込んで
きた。ロシアに流れかけたムードを引き戻す絶好の機会である。

■3.「我が国は、その門戸開放のために戦っているのです」■

 食事と歓談の後、主催者ウッドワード将軍が金子を歓迎する
スピーチを述べると、金子は演説を始めた。

 私も我が国も、実に多くをアメリカに負っています。

 と切り出した金子は、ペリー来訪の後、日本は門戸開放政策
をとり、アングロ・アメリカン(英米)文明を採用した、と述
べた。「文明開化」をアメリカ人向けに説明すれば、こういう
言い方になるだろう。そしてその英米文明を中国と韓国に導入
しようとした過程で、ロシアと敵対することになった、と説明
した。

 私たちは、領土的な野心や好戦心のために戦っているの
ではありません。アングロ・アメリカン文明の極東への導
入のために戦っているのです。ペリー提督は、私たちに門
戸開放を授けてくれました。今、我が国は、その門戸開放
のために戦っているのです。[1,p84]

 会場から拍手が沸き起こった。「門戸開放」とはルーズベル
ト大統領やヘイ国務長官が対中基本政策としていた方針である。
その言葉を繰り返し使うことで、日本はアメリカと方針を共に
している、と印象づけたのである。

■4.「日本の貴族、マカロフを称える」■

 演説のクライマックスは、後半に訪れた。

 ここに御列席の多数の方々はマカロフ大将を御承知であ
ります。大将は世界有数の戦術家である。この人が死なれ
た。わが国は今やロシアと戦っている。併(ただ)し一個
人としては洵(まこと)に其(その)戦死を悲しむ。・・

マカロフ大将も国外に出て祖国のために今やまさに戦わん
とする時に望んで命を落としたことは残念であろうが、こ
の戦役において一番に戦死したことは露国の海軍歴史の上
に永世不滅の名誉を輝かしたことであろうと思う。私は茲
(ここ)に追悼の意を表してもって大将の霊を慰める。
[1,p85]

 戦死した敵将の霊を慰めることは武士の習いであった。当時
のアメリカの上流階級はイギリスの騎士道の気風を受け継いで
いたであろうから、金子のマカロフ哀悼は強い共感を呼んだ。

 翌日の新聞は「日本の貴族、マカロフを称える」(『ニュー
ヨーク・ヘラルド』紙)、「マカロフの賛辞を捧ぐ」(『ザ・
サン』紙)と伝えた。以後、金子には晩餐やパーティーへの招
待状が山のように届き、どれに出席するか取捨選択しなければ
ならないほどだった。

■5.「夜が明けても全部を聴かなければ帰らぬ」■

 4月28日では、母校ハーバード大学で講演を行った。留学
時代から演説の研鑽を積んでいたので、講演は得意だった。

 金子は三国干渉による遼東半島の返還から、ロシア軍の満洲
における不当な居座り、そして朝鮮半島進出までの経過を説明
した。ここまでで1時間半も経ってしまったので、講演を打ち
切ろうとすると、聴衆は総立ちになって「ノー、ノー」と叫び、
「今夜は貴下の演説を聴きに来たのだから夜が明けても全部を
聴かなければ帰らぬ」と言い出した。

 そこで、金子はさらに45分を費やし、ロシア側の主張を徹
底的に反駁した。日本の宣戦布告があまりに急で戦闘に備える
暇がなかったというロシア側の批判に対しては、前年4月以来、
ロシア海軍は戦艦3隻、巡洋艦5隻など19隻を増強し、ロシ
ア陸軍も歩兵2個旅団、砲兵2個大隊など40万人を増派して
いた、と詳細なデータを挙げて反駁した。

 日露戦争はキリスト教徒と異教徒の戦いだ、というロシア側
の宣伝に対しては、日本は仁川沖の海戦で損傷した軍艦「ワリャ
ーグ」の負傷者を日本の赤十字病院に収容し、死者は衣服を改
めて陸上でキリスト教の葬儀を行った。ところが満洲やウラジ
オストックでは、ロシア人官吏は在留邦人を抑留し、虐待した。
日本人とロシア人のどちらの行為がよりキリスト教主義に適っ
ているか、と聴衆に問いかけた。

 翌日の『ボストン・ヘラルド』紙は、金子の演説の内容を余
すところなく伝え、「彼の成功は真に驚嘆に値する」と述べて、
シーザーを追悼するアントニウスの歴史的演説に勝る、とまで
激賞した。

■6.「ロシアは文明のレベルで決定的に日本に劣っている」■

 ボストンでの講演の後、金子の広報活動は完全に軌道に乗っ
た。ボストン、ニューヨーク、ワシントンを往来しながら、講
演、晩餐会でのスピーチ、そして毎月のように新聞や雑誌への
寄稿と、まさに八面六臂の活躍を続けた。

 もともと判官贔屓で日本を応援していた米世論は、金子の冷
静かつ品位のある主張に触れて、ますます親日的になっていっ
た。当時の駐米ロシア大使カシニーの娘マーガレットはこう書
いている。

 ルーズベルト大統領、ヘイ国務長官、そして米国政府全
体が、公には中立だったにもかかわらず、すさまじいまで
に感情的に親日になっていました。父は怒りのあまり髪を
かきむしりながら、ジョン・ヘイや皆に言ったものです。
いつの日か米国は、この選択を後悔するだろう、と。
[1,p148]

 ロシアも金子の活動に対抗するように、広報外交官としてエ
スパー・ウフトムスキー公爵を派遣した。カシニー大使とウフ
トムスキー公爵は、日本人が勝てば、中国人を指導して近代的
軍隊を作り上げるだろうと、「黄禍論(かつてのモンゴルのよ
うに黄色人種が白色人種を侵略する)」を持ち出したが、その
受けははなはだ悪かった。ロシアが満洲を占領して、米国を占
めだしてきた経緯から見て、こういう言い分には説得力がまっ
たくなかった。

『ハーパーズ・ウィークリー』誌はロシア寄りの記事を載せる
数少ない雑誌の一つで、日本公使館はロシアに買収されている
と睨んでいた。そこに公爵の日本批判丸出しの一文が掲載され
ると、読者から次のような反論が寄せられた。

 試しに、貴誌の読者諸賢にウフトムスキー公爵の論評と、
ほぼ2、3日おきに新聞で報道される金子男爵の演説を比
べてみてもらいたい。金子男爵の慎み深さと真にキリスト
教的な奥床しさと、ウフトムスキー公爵の尊大な発言とを。
結局、少なくとも論理的思考力、判断、演説という点にお
いて、ロシアは文明のレベルで決定的に日本に劣っている、
と認めることになるだろう。[1,p164]

■7.「同じような克己心をもってフランクリンは、、、」■

 日本政府の意向を受けた金子堅太郎に対して、純粋に私人の
立場から、しかもきわめて学問的に日本を擁護したのが、ダー
トマス大学講師の朝河貫一であった。日露開戦の9ヶ月後に出
版された著書『日露衝突』では、ロシア側が最初から満洲を独
占するつもりであったことを編年的に明らかにし、そのうえで
日本は満洲における機会均等と清国の主権尊重を死守するため
にロシアに戦いを挑んだのであり、それは米国の外交方針と完
全に一致する、と主張した。

『日露衝突』は学問的な著作であったが、多くの新聞、雑誌の
書評欄で絶賛された。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評は
次のような賛辞を送った。

 日露戦争に関しては、様々な形で取り上げられてきたし、
今後さらに書かれるだろう。しかし、これまでのところ、
この戦争の原因と争点について、明白でしかも公平な態度
で論じたものはなかった。本書では、それが立派に成し遂
げられている。[1,p133]

『ネイション』誌の書評では、「作者の国籍は、もし明かさな
ければほとんど推測できないのではないか」とまで述べ、次の
ように結んだ。

 本書の特徴は、口論中の人がよく使う類の口調や表現を
抑制している点にある。そして悲しいかな、ロシア側には
このような姿勢は欠如している。本書を読むと、ある戦争、
そして自国の弁護のためになされたある主張に思い至る。
同じような克己心をもってフランクリンはアメリカ植民地
における実情を世界に示し、リンカーンは南部に対する北
部の真実を述べたのだった。[1,p136]

■8.岡倉天心の『日本の覚醒』■

 朝河貫一の『日露衝突』と前後して、岡倉天心の『日本の覚
醒』が出版された。その主張は、日露戦争は西洋物質主義と東
洋精神主義の戦いであり、ここで東洋が滅びるわけにはいかな
い、という西洋物質文明批判である。岡倉の英文処女作『東洋
の理想』はイギリスで出版され、ルーズベルト大統領も、日本
人の精神は偉大で素晴らしく高遠な面が見られる、と感想を述
べている。

 天心は講演で「あなた方は富を求めて狂奔するあまり、絵画
の前に長くたたずむ時間の余裕を持たなくなっています」と辛
辣な批判をしながらも、「私の言い方に立腹しないようにして
頂きたい。日本はあなた方の後を追って、芸術を大切にしない
ことを一生懸命学んでいるところなのです」といなしてしまう
話術で観衆を魅了した。

『日本の覚醒』は、全米の新聞15紙、雑誌10誌の書評でお
おむね好意的に取り上げられた。『クリティック』誌はこう評
した。

 もし出版社による序文で述べられていなければ、本書が
全編岡倉氏によって英語で書かれたということに、読者は
まず気がつかないだろう。それは単に英語で書かれている
だけではない。その英語は立派で、想像力が表現豊かに高
揚する時にのみ、日本芸術家の感覚が垣間見られる。
[1,p122]

■9.文明の利器と古武士の精神■

 シカゴ大学の社会人講座の講師だった家永豊吉は、シカゴを
中心に講演活動を行っていた。そのテーマも「なぜ日本には罵
り言葉がないか----女性の影響を受けた日本語の穏やかさ」な
ど、好戦的な日本人というイメージを払拭する内容を盛り込ん
だりした。機知に富んだ言い回しや、茶目っ気のある皮肉で、
聴衆の笑いと喝采を呼んだ。

 ヨネ・ノグチ、こと野口米次郎は英詩集を英米で出版し、
「東洋のホイットマン」との評判を得ていた。日露戦争が始ま
ると、戦争とは直接関係ないが、日本の出版文化に関する論評
を次々に発表した。こうした大衆文化の世界でも、日本が先進
国の仲間入りしつつある事をアメリカ人読者に印象づけた。

 金子堅太郎、朝河貫一、岡倉天心、家永豊吉、野口米次郎。
アメリカのメディアでこれほど日本人が登場した時期は、これ
以前も、これ以後もなかった。当時の日本人と接したあるアメ
リカ人は、金子堅太郎に次のように語っている。

 今日の日本というのは、維新前の封建時代の武士道とい
うもので訓練した精神がまだ残っている。それに欧米の文
明的の学術技芸を輸入して加味したから、精神は日本の古
武士である。それに文明の利器を与えたからこれは実に強
い人種である。一面には封建の武士であって、一面には二
十世紀の文明の利器を持った人種である。こういう人種は
世界にはない。[1,p54]

 彼らの英語力とは、文明の利器の一つであった。それを通じ
て語られた古武士の精神、すなわち彼らの品格ある教養、思想、
学問、芸術、歴史伝統がアメリカ人を魅了したのである。彼ら
こそ真の国際派日本人だった。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(218) Father Nogi
 アメリカ人青年は"Father Nogi"と父のごとくに慕っていた乃
木大将をいかに描いたか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog218.html
b. JOG(291) 高橋是清 〜 日露戦争を支えた外債募集
 莫大な戦費の不足を補うために欧米市場で資金を調達する、
との使命を帯びて、是清は出発した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog291.html
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by thinkpod | 2006-09-28 00:22 | Books


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