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2006年 09月 02日

中韓を煽った朝日「靖国社説」変節60年

週刊新潮8/31号掲載
 <中韓を煽った朝日「靖国社説」変節60年
 ――「8月15日でなければ」「私的参拝なら」からの大転換――>

 天下の朝日新聞も、今回ばかりは腹に据えかねたと見える。口を酸っぱくして靖国参拝に反対したにも拘らず、まるっきり無視の小泉首相に、やや感情的になって「支離滅裂」、「場当たり的」と噛み付いたのだ。だが、そう批判する朝日の方にも一貫性があったかと言えばとんでもない。戦後60年間、その都度変節し、中韓を煽った「靖国社説」を検証する。

 「何という執念なのか」と、呻くような口調で、小泉首相の靖国参拝を評したのは、後見人を自任する森前首相だった。
 確かに1000人以上の報道陣が待ち構える状況で靖国神社の参拝に踏み切るのは、さしもの小泉首相にとっても容易なことではなかったに違いない。
 中国、韓国が反発するのは火を見るよりも明らかで、それを報じる大新聞の論調が温かいものになるはずもなく……。
 こんな悲観的状況下で、わざわざ火中の栗を拾う決断を下した理由は、小泉首相の意地だけだったと、森前首相は嘆息したわけである。

 その結果はご存じの通り。参拝は出来たものの、意地を張った代償を払わされ、多くのメディアから一斉に、「外交を蔑ろにした」「国益を損なう」と集中砲火を浴びせられた。
 その中でもっとも激しかったのが、かつて小泉内閣の組閣の折、新大臣一人ひとりに「靖国に参拝しますか」と質問して失笑を買った朝日新聞。少々ヒステリックなほど、小泉バッシングを繰り広げたのだ。

 まず16日の社説で、小泉首相がこの5年、8月15日を避けて参拝してきたことを引き合いに出し、

<ぶれないことが売り物の首相にしては大ぶれ、まさに支離滅裂である>
<15日は韓国にとって植民地支配から解放きれた記念日であり、中国にも歴史的な日である。そこに、彼らが「感情を傷つけないでほしい」と中止を望む靖国参拝をぶつけた>

 自分勝手な独裁者が、当然の気配りをせず、ナイーブな中国人や韓国人の心を深く傷つけたようなイメージか。また別の記事でも、

<5年間、6度におよぶ首相の靖国参拝で、虚脱感にさいなまれる中韓両政府>
<靖国参拝の正当性をとうとうと語ったが、理屈になっていない点がある>
<(思想の自由を持ち出した正当化は)逆立ちした強弁>
<意見を単純化して敵味方を区別し、異論を切り捨てる危うさ>
<日立つ場当たり的発言>

 と、政治家失格どころか、人間失格、人格破綻を宣告するかの勢いだったのだ。
 だが、強弁したり、意に沿わない事実を報じなかったり、時に場当たり的なのは朝日新聞も同じこと。

 苦笑いするのは、大阪大学の加地伸行名誉教授(中国思想史)だ。
 「例えば、朝日新聞は日本の防衛費には常に目を光らせていますが、中国のすさまじい軍事費増強にはほとんど口を開きません。朝日新聞が読者に多くの知識人を抱えるオピニオンリーダーであることは認めますが、実は、こっそり社説を曲げたり、場当たり的に変更したりすることが少なくないんです」
 今回、問題になった首相の靖国参拝問題も、そんな典型例の一つだという。

 朝日新聞OBの評論家、稲垣武氏によれば、
 「私が朝日新聞に入社した1960年ごろは、時の首相の靖国参拝を問題にするような空気は社内に全くありませんでした」

 この当時、内閣総理大臣が、国内外への配慮などの理由から靖国神社参拝そのものを控えていたわけではない。
 実は、45年8月の終戦直後から30年の間に、幣原喜重郎、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄の各氏が、総理在任中にそれぞれ複数回、春や秋の例大祭の時期に靖国参拝を行っている。
 ところが、これらの参拝を問題視する社説はどこにも見当たらず、せいぜい、首相の動静欄などに、靖国神社という単語を発見するくらいである。

 稲垣氏が続ける。
 「まだ戦後間もない頃で、身内を戦争で亡くした方々の思いが生々しく残っている時代でした。仮に政治家の靖国参拝を問題だと思った記者がいたとしても、そんなことを書いたりしたら、すぐに不買運動が起きかねない状況でしたからね……」

【「私的参拝」は問題なし】

 今となっては想像も出来ないが、戦後30年間ほど、時の首相の靖国参拝は朝日新聞において、ニュース価値もない、ごくごく当たり前の出来事だったわけだ。
 しかし、この状況に変化が生まれたのが75年8月15日。時の三木武夫首相が「私人の資格」で、初めて終戦記念日に参拝した日である。

 朝日新聞はこの翌日、<首相の靖国参拝に思う> と題する社説を掲載。
 これが首相の靖国参拝をテーマにした最初の社説である。むろん、その内容は現在のトーンとは比較にならないほど大人しいものだった。

<(首相が8月15日を選んだことに)賛否の声がこもごも聞かれる>
<野党のほか宗教団体などが、首相の靖国参拝に強く抗議しているのは、(中略)形こそ違っても「国家神道」の復活につながり、暗い時代が再現されることを警戒する趣旨でもある>

 大砕で言えば、後の主張の雛形がおぼろげに読み取れるものの、問題にされたのは8月15日という日付のみ。
 その証拠に翌年の10月、三木首相が秋季例大祭に合せて靖国参拝したことを伝える記事はたった5行で、終戦記念日以外なら、お咎めなしだったのである。

 これ以後5年間、福田赳夫、大平正芳の各氏が順に総理に就任し、毎年、靖国に参拝。しかし、朝日新聞がこのことを社説で取り上げることは稀で、その内容も政教分離の原則にのっとって、公式参拝か、私的参拝かを問題にするだけの、形式的でのどかなものだったのである。

 そこに変化が訪れたのは80年代。
 80年、81年、82年と鈴木善幸首相が3年続けて8月15日の参拝を行い、徐々に公人か私人かの別を明らかにしなくなったため、<靖国参拝の姿勢を問う> といった社説が散見されるようになり、ようやく現在の朝日が振り回す「問題意識」の原型が芽生えてきたのだ。
 とはいっても、あくまでも公式参拝に道を開こうとする自民党タカ派に異論を唱える程度で、それは、中曽根康弘政権になっても、初めは大きく変わることはなかった。

 一例を挙げれば、終戦記念日を含め、就任1年で4回も参拝した中曽根首相に対して、
<中曽根首相の「初もうで」> という84年1月7日の社説は、
<もちろん、首相が一私人として神社を参拝することには、何ら問題はない。ところが、首相は記者団の質問に対して、例によって「内閣総理大臣たる中曽根康弘の参拝だ」と、ことさらに公、私の区別をあいまいにしようとしている>
 と書き、靖国問題をごく単純な「公人私人」の二元論で片付けている。

 そんな路線が歴史的な大転換をするのはこの翌年、85年のことだった。
 この年の夏、いよいよ公式参拝に踏み切ろうとした中曽根内閣に押して、朝日新聞はキャンペーンを展開したのだ。

<「公式参拝」には無理がある>
<「公式参拝」を強行するな>
 と、立て続けに社説で論陣を張り、中曽根首相が参拝を行った8月15日の社説には、靖国参拝に反対する論拠の一つとして初めて、ある中国人の胸中を綴ったエッセイが紹介されている。曰く、
<「われわれと友好条約を結んだある国の首脳と閣僚たちは、毎年八月十五日に靖国神社に参拝する。その首脳は、靖国の戦死者たちが今日の平和と繁栄のためにぎせいになったと述べた。(中略)これに反論するのはたやすいが、われわれは友好を重んじて古いことを持ち出さないだけだ(後略)」>

【防衛予算倍増を要求】

 朝日のキャンペーンに呼応するかのように、中国、韓国は次々と中曽根内閣への反発を表明。
 外圧に負けて腰が砕けた中曽根首相は、これ以降、一切、靖国参拝をあきらめざるをえない状況に陥ったのである。

 別の朝日関係者の話。
 「この一件で、朝日も中国、韓国もすっかり味を占め、日本国内でなにか、朝日の気に入らない動きがあれば、中国にご注進して怒ってもらい、それを朝日が記事にして、問題を増幅させるという手法が確立しました。中国にとって朝日は対日圧力をかける道具、朝日にとつて中国はネタ元という相互関係が出来たのです」

 実際、85年から90年まで、靖国と中国というキーワードが含まれる記事を検索すると、朝日は読売新聞の4倍以上、毎日新聞の6倍以上と明らかに突出している。
 俗に自虐史観と呼ばれる歴史観の萌芽も同時期で、86年8月15日の社説は、
<「自分の過去の歴史に対する罪の意識があればこそ、その民族の歴史には魂が輝く」>
 という駐日韓国大使の言葉を引いている。

 こうして靖国間題へのスタンスを確立した朝日は以後、首相の靖国参拝には「私的参拝」であろうと、8月15日以外の参拝であろうと、区別なく激しい攻撃を浴びせる構えを見せ続け、96年の橋本龍太郎首相を例外として、小泉首相誕生まで、首相の靖国参拝を完全に封じ込めることに成功したのである。
 しかし、85年以降、中国、韓国に大きく寄りかかって論理を組み立てなおした朝日に無理はないのか。

 政治評論家の田久保忠衛氏がいう。
 「朝日の論理では、中国や韓国が参拝を問題にするのはA級戦犯が合祀されているからです。しかし、これは明らかな詭弁でしてね。A級戦犯の合祀が報道されたのは79年4月です。通信社に勤めていた私は、その翌月に副総理だった小平にインタビューをしました。けれど、この会見で、中国側からA級戦犯の合祀などの靖国批判は一切、なかった。この年の暮れ、大平首相は訪中し、何度も首脳会談を行いましたが、ここでも、中国は靖国について一言も触れていません。つまり、A級戦犯合祀は後からとってつけた理由なんです」

 もう一つ、靖国神社に参拝すること自体が軍団主義の復活を連想させ、アジアの人々を深く傷つけるという論理も同じく破綻しているという。

 全国紙のデスクが解説する。
 「古い記者ならばみな知っていますが、80年に訪中した中曽根氏に華国鋒総理(当時)など中国首脳部は、もっと空自の制空力を高めるために、防衛予算を倍増したらどうかと提案したんです。もちろん、日本側は内政干渉だと一蹴しましたが、当時、中国は拡大主義を取るソ連の影に怯え、日本と協力しようとしたわけです。日本に軍事力増強をそそのかす国が、靖国に参拝したくらいで傷つくというのはおかしな話です」
 ところが、その後、ソ連が崩壊したことで中国にとっての日本の相対的価値が下がったため、朝日から貰った靖国問題を外交カードにチラつかせながら、ナイーブな振りをして、国内で反日教育を始めたわけだ。

 全国紙デスクが続ける。
 「中国の思惑は、98年に江沢民が行った国内向けの発言からもよく判ります。江沢民は、"日本には歴史問題を永遠に言い続けろ"というメッセージを発していたのです。靖国問題が、その材料の一つにされているのはまちがいありません」

【大騒ぎは「ありがた迷惑」】

 作家の井沢元彦氏も、
 「そもそも、中国は民主主義国家ではないので、表現の自由や報道の自由、世論というものもありません。世論の存在しない国の主張をそのまま社説に掲載するということは、独裁者の主張をそのまま後押しすることになりかねません」
 と朝日の手法に警告するのだが、朝日と中国の二人三脚は今後いつまで続いていくのか。

 意外にも、中国と朝日新聞の蜜月関係の終焉は近いと見るのは、元朝日新聞研修所所長の本郷美則氏である。
 「今回はあれだけ朝日が煽ったのに、中国はずいぶん冷静な対応でしたでしょ。メディアやネットを早いうちから規制して、デモも取り締まった。煽ったのに、梯子をはずされた格好になった朝日はびっくりしたんじゃないですか」

 実は、すでにだいぶ前から両者の間に微妙なずれが生じ、
 「最近は、中国にとって朝日の報道は却ってありがた迷惑なんですよ」
 と、話すのは、独協大学の上村幸治教授(現代中国論)である。
 「これまで多くの政府関係者と話してきましたが、あちらの高官は、朝日の報道には半ば困っているんです。今までは、朝日などから事あるごとに"コレは問題じゃないか"と言われて、その質問に答えるような言葉のキャッチボールをしていました。ところが、そのうちに靖国はブレーキの利かない大問題になってしまった。中国側も本音では、これ以上、大事にしたくないんです。だから、2年前、温家宝総理が記者会見の席で、やんわりと歴史問題に触れた。ところが、朝日は、大々的に、"中国が靖国参拝を強く批判"とか打ってしまう。本音はありがた迷惑なんです」

 では、朝日新聞社は何と答えるのか。
 かつて靖国参拝を殆どノーマークだったことについては、
 「戦後の靖国神社は、戦没者の慰霊に活動目的がしぼられ、太平洋戦争を"アジア解放のための正義の戦争"と主張したり、その種の展示をするような神社ではありませんでした。8月15日の参拝ではなかったこともあり、首相参拝に大きな関心を払わなかったのだと推察します」(広報部)

 どうやら朝日の論陣にも継ぎ接ぎが日立つ。靖国に執念を燃やし、危うい綱渡りをしているのは朝日新聞も同じことなのだ。

ぼやきくっくり | 週刊新潮「中韓を煽った朝日『靖国社説』変節60年」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid139.html#sequel
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by thinkpod | 2006-09-02 22:09 | メディア


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