2006年 08月 30日

リンドバーグ日記

孤高の鷲〈上〉—リンドバーグ第二次大戦参戦記
/チャールズ リンドバーグ,Charles A. Lindbergh,新庄 哲夫
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
1927年5月、愛機スピリット・オヴ・セントルイス号で、史上初の大西洋横断無着陸飛行を成功させたリンドバーグは、世界的な英雄となった。10年後、第二次大戦に反対し「孤立主義」を唱導して、ローン・イーグル(孤高の鷲)と呼ばれるようになる。しかし、国家危急の要請には逆らえず、陸軍のパイロットとして参戦した。戦場での目を覆うばかりの惨状を見聞して、赤裸々な異常体験を日記の形で残した。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
リンドバーグ,チャールズ
1902年、米国デトロイト生まれ(スエーデン人系)。飛行家。1927年、ニューヨーク~パリ間の初の大西洋横断無着陸飛行に成功。太平洋戦争では、陸軍のパイロットとして参戦し、日本軍の零戦とも戦う。著書『ザ・スピリット・オヴ・セントルイス号』(訳書、映画の邦名『翼よ、あれがパリの灯だ』)で、1954年ピューリッツアー賞を受賞。1974年没

目次
大戦前夜—ヨーロッパで(大英帝国、老いたり—一九三八年
戦争か平和か帰国—一九三九年
ロンドン炎上米国で—一九四〇年)
大戦前夜—米本国で(ファシスト呼ばわりされて—一九四一年)

孤高の鷲〈下〉—リンドバーグ第二次大戦参戦記
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
1944年、陸軍航空隊の一パイロットとして、南太平洋の史上最悪の戦場に派遣されたリンドバーグは、軍人としての本分を尽すべくラバウルでの空爆、零戦との一騎打ちなど、日本軍との壮絶な戦闘を繰り広げる。また、アメリカ兵による日本軍捕虜への残虐な行為などを、日記の中で率直に記録した。これは、戦争の残虐性に対する国際的な批判が高い昨今、必ず引き合いに出される衝撃的な証言である。

目次
大戦前夜—米本国で(ファシスト呼ばわりされて—一九四一年)
戦時下—米本国で(現役復帰、かなわず—一九四二年)
戦時下—米本国で(戦場も根回しだ—一九四三年)
最前線—南太平洋で(日本軍と対峙した日々—一九四四年)
終戦時—ヨーロッパで(廃墟の中に立つ—一九四五年)

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
リンドバーグ,チャールズ
1902年、米国デトロイト生まれ(スエーデン人系)。飛行家。1927年、ニューヨーク~パリ間の初の大西洋横断無着陸飛行に成功。太平洋戦争では、陸軍のパイロットとして参戦し、日本軍の零戦とも戦う。著書『ザ・スピリット・オヴ・セントルイス号』(訳書、映画の邦名『翼よ、あれがパリの灯だ』)で、1954年ピューリッツアー賞を受賞。1974年没

新庄 哲夫
1921年、サンフランシスコ生まれ。英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


<「リンドバーグ日記」>(「リンドバーグの衝撃証言」『正論』五月号 より引用)
六月二十一日 水曜日  日本兵士殺害に関する将軍の話
・・帰国する前にせめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。軍曹は敵の地域内に進入する偵察任務に誘われた。軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。・・・「しかし、俺はあいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」「ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」
偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に日本兵の頭部に腕が巻き付き、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。
六月二十六日 月曜日
・・談たまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と将校の一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜を取りたがらないのだ」「***では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」
「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と別の将校が調子を合わせる。
六月二十八日 水曜日
・・・「ま、なかには奴らの歯をもぎとる兵もいますよ。しかし、大抵はまず奴らを殺してからそれをやっていますね」と、将校の一人が言い訳がましく言った。
七月二十四日 月曜日
・・・爆弾で出来た穴の近くを通り過ぎる。穴の底には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。同胞が今日ほど恥ずかしかったことはない。
八月六日 日曜日
・・・「オーストラリアの連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に送らねばならなくなったときの話を知っているかね? あるパイロットなど、僕にこう言ったものだ。捕虜を機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」
九月九日 土曜日
将校の話によれば、・・日本兵の首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが悪臭が強くなり過ぎたので、首を取り上げなければなりませんでした。
九月十四日 木曜日
税関吏は荷物の中に人骨を入れていないかと質問した。日本兵の遺骨をスーベニアとして持ち帰るものが数多く発見されたので、相手構わずにこのような質問をせねばならないのだという。
(「リンドバーグの衝撃証言」『正論』五月号)

「南京虐殺」記述について
http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist3_3_1.htm


(読者の声2)以下に掲げる引用文は『正論』00年5月号で紹介された「リンドバーグの衝撃証言」からの抜粋です。 チャールズ・リンドバーグ(1902〜74)はニューヨーク・パリ単独飛行や息子の誘拐・殺害事件で有名なあの彼です。日米開戦後、彼は軍の技術顧問として南太平洋で戦闘任務についた。
この間の日記の邦訳版が昭和49年新潮社から新庄哲夫氏の訳で出版されたが現在絶版になっているものを訳者の了解を得て正論に抜粋を載せたものです。
(リンドバーグ日記からの抜粋)・・・・・・・・
*各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。
*あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。
*捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。
*将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。
*一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。
*捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。
*2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。
*爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。
*捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。
金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。
*日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。
*リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」と。(以上で抜粋終わり)。
   (AN生)


(宮崎正弘のコメント)終戦から十数年ほど、まわり中に兵隊経験者や引き揚げ者がいて、すくなくとも小生らの世代は、こういう話は耳にたこができるほど聞いていました。どこかで、そうした真実の話が聞かれなくなりました。
「路の会」で数回にわたって、この問題を論じたのが西尾幹二編『日本はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったのか』(徳間書店)です。
ご参照いただければ幸いです。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み | melma!
http://www.melma.com/backnumber_45206_1459768



チャールズ・リンドバーグの戦時日記
■チャールズ・リンドバーグの戦時日記
「日本兵の死体に金歯があると、靴で踏み付けたり、棒でつついてその歯を取り出し
て集めて、小さい袋にため込んでいる兵士が何人もいる。砲弾で出来た穴の中に
日本兵の死体を投げ込む。その上をゴミ捨て場にする例もある。死体処理はブル
ドーザーでなされ、墓標がたてられることは、けっしてない」
「ちょうどそのころ、日本軍は泰緬鉄道の捕虜犠牲者のために、四メートルの大理石
の慰霊碑を立てていたことを考え合わせてみよ」
「わが軍の兵士たちは日本兵の捕虜や投降しようとしている者を射殺することを何と
も思っていない。彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱い、それらの行為が
ほとんどみんなから大目に見られている」
「ジャップの病院を占領した時には、病院に生存者をひとりも残さなかった」捕虜と
して投降してきた者は即座に射殺、そのためわが同胞は投降もままならず、ジャン
グルの中で飢えに苦しみ抜いて死んでいった。日本人の死体は切り刻まれた。金歯
を抜き取る者、おもしろ半分に耳や鼻を切り取り、乾燥させて本国に持ち帰る者、
大腿骨を持ち帰り、それでペンホルダーやペーパーナイフを作る者さえいたという。
「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人に対して行ったことを、われわれアメリカ人は
太平洋で日本人に対して行っている」
「負傷兵であろうと手を上げようと、みな射殺してしまう。それが残虐な日本兵に
たいする報復だとし、自らの残虐行為を正当化した」
ウイリアム・パーソンズ大佐 投下後の記者のインタービューに答えて、
「(原爆で)ジャップがひどい目に遭うことについて、特別な感情はなかった」
アメリカの雑誌タイム(太平洋戦争当時の記事)
「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、
人間であることを示すような点はどこにもない」



米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言
 14.1.10/7.18改定
以下は正論00年5月号で紹介された「リンドバーグの衝撃証言」の抜粋です。
チャールズ・リンドバーグ(1902〜74)はニューヨーク・パリ単独飛行や息子の誘拐・殺害事件で有名なあの彼です。

日米開戦後、彼は軍の技術顧問として南太平洋で戦闘任務についた。

この間の日記の邦訳版が昭和49年新潮社から新庄哲夫氏の訳で出版されたが現在絶版になっているものを訳者の了解を得て正論に抜粋を載せたものです。

・・・・・・・・・・・・・リンドバーグ日記の抜粋・・・・・・・・・・

*各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。

*あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残りのの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。

*捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。

*将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。

*一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。

*捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。

*2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。

*爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。

*捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。

金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。

*日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。

*リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」と。

・・・・・・・・・・・・・・・・抜粋終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この号には関連して藤岡信勝氏の解説も載っているが、その中からさわりの部分を。

*南京事件との比較

捕虜を取らない方針と言うとすぐ浮かぶのは、南京における日本軍の方針だ。第16師団長中島今朝呉中将の陣中日記に「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クル」という一節だ。

これを大虐殺派は「捕虜の即時処刑の方針」という意味に解釈し大虐殺の証拠とした。

しかしこの解釈は日本語の文脈を無視した全くの誤り(朝日がよくやる言葉のつまみ食いと同じですね)であることが先の東中野教授の著書で完膚なきまでに明らかにされた。真の解釈は「投降兵は武装解除後に追放して、片端から逃がしてやることだ」と。

*「戦陣訓」のみを非難するは誤り。

戦後の日本では日本兵の捕虜が少なく死者が多いのは「生きて虜囚の辱めを受けず」として捕虜になることを無理やり禁じた「戦陣訓」の為であり、その責任は挙げて軍国主義者だとされているが、リンドバーグ日記を読むとそうばかりではないことが分かる。

なお「戦陣訓」の成立は日清戦争で清軍が日本の捕虜に対し残酷極まりない辱めを与えたことに由来するとも言われてきた。

*それに対して日本にも多少の虐殺は有ったかも知れないが、基本的には国際法を守り投降者は捕虜にした。

*最近、とっくに決着しているにもかかわらずカリフォルニアで日本軍の捕虜扱いに関し損害賠償を求める訴訟があったが、彼等米兵は相手が日本軍だからこそ生還できたのであり、若し敵が米軍なら彼等は捕虜にされず殺されたかもしれない。

しかも原告ら捕虜の労役奉仕は戦時国際法で認められた合法的な行為であり、戦闘に勝利した軍といえども、捕虜をただで食わせる義務を一方的に負わせないというのは合理的である。

どっちが残虐かなど競い合う議論は何とも空しいが世界歴史の中でも日本人の残虐さは可愛い方だと思う。
米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/beigunzangyaku.htm



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「敗戦」の瞬間にかいま見えた日本人の意識の根源から説き起こし、「従属国家」に甘んじつづけた戦後日本を解体して、「自立自存」への新たな道を提示する。

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大東亜戦争とは何だったのか、そして日本人とは何者なのか? 「敗戦」の瞬間にかいま見えた日本人の意識の根源から説き起こし、「従属国家」に甘んじつづけた戦後日本を解体して「自立自存」への新たな道を提示する。


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眼に見える戦争は終ったが、眼に見えない日本の思想と文化の残滅戦が始った。それは自己破壊による新しいタブーの自己増殖だった

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by thinkpod | 2006-08-30 19:17 | Books


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