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2006年 08月 22日

壊される日本

 恐るべき時代の開幕

  さて、現在の日本の企業・金融関係者に世界支配中枢の手が伸びていることは確実である。しかもその魔の手はすでに官僚や学者や宗教関係者にまで伸びて、深く入り込んでいる。もとよりマスコミ関係、評論家には戦前から深く食い込んでいると言ってよい。
  私がもっとも危惧しているのは、次代の日本を背負うべき児童や青少年を規制する教育関係者に、すでにこの影が入り込んでいるのではないかということだ。一般に考えられているよりもはるかに広範に、彼らの力が入っていることを恐れざるを得ない。
  もちろん、彼らの力はすでに政界に深く入っている。共産党、社会党(現社民党)はまさしくイルミナティの代弁者である。そして自民党もまた、中曽根首相以来、その中枢部はこの一派によって独占されてきたように思われる。つまり、彼らと同調する以外に主要な政治家としてのキャリアを持つことができなくなっているのではないか。
  今や日本が陥りつつある状況は、決して誇張ではなく恐るべきものである。本当に恐怖すべき状況にわれわれは突入しつつあるのだ。

 「見えざる植民地」日本

  われわれは第二次大戦によって植民地はすべて解放されたと思い込んでいる。アメリカ大統領ルーズベルトは、世界植民地の解放を第二次大戦を戦う有力なスローガンとしていた。しかしながら、これは他のルーズベルトの言明と同じくまったくのまやかしであった。西洋はその国家社会の本質として植民地主義を血肉としてきているのであって、それを一時の戦争によって捨て去ることなどとうていあり得ないのである。
  ところが、このことを日本人はまったく理解していない。外面の行動・宣伝に惑わされて、事の本質を理解していないものが多いのである。
  なるほど法制的に見れば、世界の植民地はすべて解放されてしまった。本国が直接に統治する植民地は消滅した。しかしながら、植民地主義の妖怪は決して消えていない。植民そのものの様態が変わってしまっているのである。
  第二次大戦に際して、なぜ西洋の首魁ルーズベルトが植民地解放を呼号したかをよく考えてみなければならない。ルーズベルトの政治は、人から吹き込まれた科白(せりふ)を、巧みな演技でもっともらしく並べ立てていただけなのだが、その科白の作者たちは、はるかに遠く世の中の動きを見、将来を慮っていたのである。
  どういうことかというと、直接統治という方式はすでに時代遅れとなって、非常に高コストなものになるという事態が進行していたからである。この世界史の方向をいち早く見抜き、それに対する方策をルーズベルトに授け、そして当時の世界最大の力を持つアメリカ国家を使って世界をその方向に誘導した彼らの先見と力量は、敵ながら天晴れなものであると言わなければならない。つまり直接統治によって覚醒した民衆の反乱が起こり、それを鎮圧しなければならないといった事態の発生によって、とうてい従来の直接植民地統治は不可能になると早々と察したわけであろう。
  さてそうすると、世界植民地主義の本源とも言うべきこの世界支配中枢が、いったい何を考えて従来の軍事的、政治的植民地経営を放棄したのだろうか。それは、世界はもう軍事力だけでは動かない歴史相に入ったことを理解し、特に核兵器ができた以上、実際にこれを使用する戦争が起こることはないという認識のもとに、その植民地体制の中心を軍事・政治から商業・金融に移したものと考えられるのである。すなわち、彼らが収奪をもくろむ国家・国民を商業・金融の世界的ネットワークの中に包含し、そこからまったく目に見えない間接的な方法をもって産業的・金融的に寄生し、自ら労せずして金銭・物質等を調達しようという考えである。
  日本は世界植民地体制の覆滅を目指して第二次大戦を戦った。これはそれなりに立派なものであったが、残念ながらアメリカの武力に敗れ、よくよく見ると、今日では完全なアメリカの植民地に堕してしまった。しかもそのことに気づく日本人が誰一人としていないのである。

 再び狙われるアジアの国々

  周知のように、東洋は久しくイギリス、オランダ、フランスの植民地であった。第二次世界大戦の日本の奮戦によって、それぞれ独立国家となり今日に至っている。かつて日本の支配下にあった台湾および韓国、北朝鮮も独立している。そして、半植民地と言われた中国は今日堂々たる中華人民共和国として大国の位置についている。しかし、これらの国々の将来が新しい植民地主義から安泰であるかと言えば、これには大いに疑問符をつけるべき理由がある。
  日本自体がすでにその実態はアメリカの植民地である。このような状況がいずれこれらの戦後独立した諸国に及ぶであろうことは明らかである。
  一国ないし多国を植民地化しようとする場合、彼らの使う常套手段は、その内部に2つないし3つの勢力を分立させ、それぞれにエージェント(諜報員)を送り込み、これらを互いに抗争させて、その国家ないし社会を弱体化させ、その間隙に乗じて侵入するというものであった。この方法は、植民地方式が大変化した今日でも、まったく同じ構図のもとに応用されているものと考えてよい。複数の勢力を抗争させて相手を倒させ、自らの目的を達するという方法は、常に彼らがとってきた方法である。
  東アジアを彼らの自由にするために行なったのが日中間の離隔、そして最終的には日中戦争を起こすことであった。蒋介石政権と日本政府は幾度も和平を交渉したにもかかわらず、どこからか邪魔が入って成功しなかった。当時のすべての事態を洗ってみると、ここに隠微な陰の手が回っていたことがわかる。この日中間の抗争の中でもっとも陰謀の働いたのは西安事件と、近衛首相の「蒋介石相手にせず」の声明の2つであった。それには、かたや周恩来、かたや尾崎秀実の両共産主義者による力が大きかった。共産主義なるものが世界支配構造の1つの駒であることからすれば、すべてが割れてこようというものである。
  これは1930年代の事件であったが、1990年代には何が行なわれるであろうか。一般に報道はされていないが、デイビッド・ロックフェラーが幾度も中国を訪問しているし、すでに上海には戦前のアヘン戦争以来奥深く食い込んだサッスーン財閥も復活したと伝えられている。かたや日本にもデイビッド・ロックフェラーはしばしば来日しているが、最近の報道によるとフランス・ロスチャイルド家からも人が来ていると言われている。
  日本人は、戦後の洗脳(もちろん世界支配勢力による)によって、戦前のことをすべて忘却させられ、それを一方的に日本の悪逆によるものと教え込まれて、逆に世界中枢に通ずる筋、その最大の傀儡アメリカ政府に対するまったく無邪気な信頼が抜きがたく育ってしまっている。戦後の愚昧狡猾なる政治家たちはアメリカに追随し、彼らの言うとおりに事をなし、さらには言われない前から彼らの意向を察して事をなすといった、哀れむべき状態に陥ってしまっている。

 「金融」による新たな植民地化

  西洋文明は根元的に他民族、他地域に寄生する習癖を持つものであり、大戦による日本の努力によって全世界的に解放された旧植民地体制に代わって、新植民地体制が現れてくるのは理の当然なのである。では、いったいこの新植民地体制とはどんな様態のものなのか。
  それは金銭的、情報的支配である。
  第三世界の資源は、今日完全に西洋新植民勢力によって押さえられている。そして世界的な西洋化、アメリカ化を見ると、文化的植民地化の歴々たるものがある。すでに日本の伝統的文化は「国際化」によって危機に瀕している。スクリーン、スポーツ、セックスのいわゆる3S政策は、今日全世界を覆ったが、これは西洋植民地化の一面に過ぎない。
  今ここで私が明らかにしておきたいのは、誰も気づいていない「金融寄生」植民地化である。実は日本がその最大の被害者なのである。日本の貿易黒字は、国民の精良な日本精神から由来したものである。その貴重な日本人の生来の美質と勤勉によって得た金銭は、完全に西洋勢力によっただまし取られている。
  つまり日本は、誰も気づかないうちに西洋植民地化に成り下がっていたのだ。

 終わりに

  ころは日本の幕末だった。今はむしろ世界終末の気配が濃い。いつの時代にも覚者は稀少である。だが幕末には数多くの志士が自らの想いに命をかけた。平成のとろけた若者はいったい何を思っているだろうか。
  今われわれに必要なのは、真実を曇りなく見抜くことである。いつの時代にもそれは時の権力によって隠されるのが常であるが、現在は衆愚政治の広範化、金銭経済の肥大、情報技術の革命によって、事実の隠蔽、虚構の造作は驚くほど盛大に進行している。
  今の世界権力とはいったい何なのか。いかなる目的を抱いているのか。——それを考える自由は誰にでも与えられている。だがそれに気づく者はほとんどいないのが実情である。世にこれ以上危険なことがあるものではない。
  人間にはそれぞれ持って生まれた性能と背負った宿命がある。世の危険を予感し察知する能力は、少数の人たちにしか与えられてはいない。それを弁知し分析する知能を併せ持つ人に至っては、ますます少ない。さらにその危険の根因に思いをめぐらし、その正体を突きとめる人に至っては稀というべきだろう。
  読者の身辺目先の話にたとえれば、先ごろのバブル(経済)の顛末を見通した人は稀だ。ところが問題はそこに留まらない。覚者の警告は大衆によって無視される。逆に世相の短気のベクトルを増幅して益もない言説を流し虚名を求める者たちは数多い。これらの者の吹く笛の音に迷わされ、どれだけの人が大金を失ったか。いつの世にも変わらない大衆の悲哀である。さらなる厄介は、稀少なる世の覚者を大衆は嫌がる。目先の欲得に水を注すからだ。

  金を失うくらいならば大したことではない。個人であれ国家であれ、元通り心を入れ替えて働けば済むことだ。しかし、もしバブルがこれらから金を抜き取る計略であっただけではなく、日本の人と社会を壊滅させる計画の一環であったならば、実に恐るべきことだろう。読者の深考を促したいところである。
  これからのわが国の政治、社会は腐敗の度を深めてゆき、長期暗夜の時代に入るおそれが大きい。かくて、どこにその根因があるかわからないままに、表面的な対症療法で時を過ごし、病巣はますます体内深く入り、ついに斃死するに至る。
  殷鑑(いんかん=失敗の先例)はアメリカにある。これは200年前につくられた人工国家である。「人工」であるからには設計図があるし、工事を指揮した者がいるはずだ。それは誰だろうか。この国と社会はこの30年間にツルベ落としに落下した。この現象も「人工」であるはずだ。200年にして壊れるように設計してあっただろうからだ。
  今にして思うのだが、日本もまた130年前、幕末維新の時、不完全ではあっても同じ手によって「設計」されていたのではなかったか。それを完成するのが「平成維新」ではないのだろうか。その手に悪魔の刻印が捺されていたとしても、それに気づく人は寥々(りょうりょう=非常に少ないこと)たるものだろう。
  もとより建国や維新はその時代の要求に応じたものであり、それなりの必然性があった。それを否定することはできない。革命、戦争、恐慌もまた同じ。人心と体制は変化を拒む性質がある。しかし世は進む。変化は必然である。だが悪魔がその「間」に入ることにわれわれは注意しすぎることはない。

壊される日本〜馬野周二
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/umanoshuji.html

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/8856e566281d81230464a5bbbc46c132
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by thinkpod | 2006-08-22 17:19 | Books


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