2006年 08月 13日

「満洲は日本の侵略ではない」 

◆天下の名著『紫禁城の黄昏』
戦後日本における中国の問題は、満洲国にたいする見方、すなわち「満洲国は日本が中国を侵略してつくった」という見方ですが、そこに端を発していると思います。

そもそも日本の国際連盟脱退も満洲問題が原因です。満洲問題自体が起こったのは、国際連盟が満洲国という国を理解でぎなかったことによるものであり、とくにアメリカは理解しようとさえもしませんでした。イギリス人であるリットン卿は理解できないまでも、満洲事変は侵略とは簡単に言えないと言っているんです。

アメリカなどは、日本がシナを侵略しているという立場をとりましたが、満洲に関していちばん正しい見方をしていたのは、イギリス人のレジナルド・ジョンストン卿です。彼は溥儀の教師であり、のちに香港大学の教授やロンドン大学の東方研究所所長にもなった人物で、当時第一級のシナ学者です。

清朝にずっと仕えていたので、内部事情にも非常に精通していました。満洲国建国の経緯や溥儀自身の意思も彼はよく知っていました。ですから溥儀が父祖の地である満洲に戻って、そこの皇帝になったことをとても喜んだ。そうして『紫禁城の黄昏』という天下の名著を書いたんです。

この本は東京裁判のときに、日本の弁護団が証拠として使おうと、証拠物件申請をしたんですが却下されました。理由は至極簡単で、この本がジョンストンという学者であり第一級の証言者が著した、ウソ偽りのない資料であるゆえに、証拠採用してしまえば東京裁判自体が成り立たないからです。

『紫禁城の黄昏』は戦後長らく世界中で再出版されませんでした。映画「ラスト・エンペラー」がヒットしたので、岩波書店が岩波文庫として刊行したのです。ところが、この文庫ではシナという国のあり方を説明した1章から10章までがまったく削除されて11章からはじまっている。しかも序文でも満洲国に関係ある人物が登場すると、1行でも2行でも虫が喰ったように削除するという、信じられないことをやっている。

満洲のことを中国東北部と称するのは、中国政府の侵略史観のあらわれです。満洲国は、満洲という土地に、満洲族一番の直系の王族が戻ってきて建てた国です。満洲というのは万里の長城の北にあります。それは、万里の長城から北はシナでないという意味なんです。
そのことを考えずに、満洲は中国の一部だというのは、チベットや新彊が中国だというのと同じ思想で、シナ人の単なる侵略思想です。

満洲は明らかに清朝政府(満洲民族の帝国)の復活です。満洲人の満洲人による満洲人のための満洲国を作りたかったんだけれども、それをやる能力がないから日本が内面指導したんです。大臣はすべて満洲人か、清朝の遺臣でした。首相だった張景恵は、戦後もずっと日本にたいして友好的な態度をとっていました。

残念ながら、いま満州族には国家を再建するほどの人間は残っていないでしょう。日本人もせっかく国をつくるのを手助けしたのにと、残念に思っていい。香山健一氏(学習院大学教授。故人)から聞きましたが、満洲人はいまでも涙を流すそうです。「われわれにも自分たちの国があったんだ」と。しかしもう戻らないでしょう。満洲国の血筋は消されてしまったわけですから。これこそ一種の民族浄化です。

今後、日本人、とくに政治家のような中国関連の仕事をやる人たちは、満洲国は日本が侵略したのではなかった、という認識をまずもって持たなくてはならないと私は思います。シナ人にたいする罪悪感を抱えたままでは、いつまで経っても何も変わりません。

渡部昇一 「WILL」創刊号より


復刻・禁苑の黎明−Twilight in the forbidden city | WEB復刻に至ったいきさつ
http://nichiroku.nitiroku-nishio.jp/?eid=547080
http://twilight.nishiokanji.com/

http://tech.heteml.jp/2006/08/post_686.html
http://tech.heteml.jp/2007/02/post_909.html


紫禁城の黄昏—完訳 (上): 本: R.F.ジョンストン,中山 理,渡部 昇一
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396650329/lesbl-22/ref=nosim/
新訳 紫禁城の黄昏: 本: レジナルド・F・ジョンストン,岩倉光輝
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4939154041/lesbl-22/ref=nosim/




地球史探訪:満洲 〜 幻の先進工業国家

 傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以上の中国人がなだれ込んだ理由は?

■1.もう一つのアメリカ合衆国■

 敗戦後、満洲から引き揚げてきた少女が祖国にたどり着いて、
母親に真っ先に訊ねた。「ねえ、日本の夕陽はどうして小さい
の?」 大草原の彼方に沈んでいく赤い大きな夕陽は、日本に
はない光景であった。

 その赤い夕陽に染まりながら、1万2千キロメートルも伸び
る鉄道線路があった。「南満洲鉄道株式会社」、通称「満鉄」
である。満鉄の開発した超特急「あじあ号」は最高時速150
キロでその広大な原野を疾走した。当時の日本で最速の列車は
時速70キロ。「あじあ号」は、まさに夢の超特急として世界
の注目を集めていた。

「あじあ号」だけではない。満鉄本社では電話はダイヤル即時
通話であり、大豆の集荷量・運搬距離・運賃はIBMのパンチ
カードで処理されていた。さらに東洋で最初の本格的な高速道
路、水洗トイレまで備えた近代都市、東洋一の埠頭、世界でも
有数の巨大ダム、自動車工場や飛行機工場までがあった。

 このような部分的には日本をも追い抜く先進工業国家が、ユ
ーラシア大陸の東北端に忽然と姿を現し、わずか13年半の後
には蜃気楼のように消え去った。そのまま発展を続ければ、も
う一つのアメリカ合衆国となったであろう。まさに満州国は日
本人の明治維新以来の近代化への情熱と技術が生みだした20
世紀の奇跡であった。日本の傀儡政権、偽満洲国、大陸侵略な
どと批判する前に、満洲国とはどんな国だったのか、まず事実
を見ておこう。

■2.満洲と中国本土を分けていた「万里の長城」■

 満洲は総面積約110万平方キロ。ほぼドイツとフランスを
合わせたほどの面積で、緯度も同程度である。古来からツング
ース系やモンゴル系などの遊牧諸民族が興亡を繰り返した。こ
れら遊牧民族は農耕を中心とする漢民族とはまったくの別民族
であった。

 満州と中国本土の間に築かれた万里の長城は、漢民族が遊牧
民族から自らを守るために築いた防護壁であった。しかし、遊
牧民族は強大な武力で、しばしば長城を越えて漢民族を征服し
た。北魏、遼、金、西夏、元、そして清である。清はツングー
ス系女真族(満洲族)が、元の後継国家として建国し、1644年
に長城を越えて北京に入城した。その後、漢民族の明を滅ぼし、
モンゴル、チベット、ウイグルに至る大帝国を築いた。

 清王朝のもとで、漢民族は満洲族による支配を受けた。ちょ
うどインドが大英帝国の支配に屈したのと同じ形である。辛亥
革命の後、清朝を倒して漢民族が独立し、後継政権の一つとし
て今日の中共政権が成立した。中共政権は第二次大戦後に獲得
した満洲を「東北」と呼び、チベットやウイグルとともに「古
来から中国の絶対不可分の固有領土」などと称しているが、こ
れは独立したインド政府が、大英帝国の後継者としてオースト
ラリアやカナダまで領有権を主張するようなものである。

■3.ロシア南進■

 清朝が北京に移ると、広大な中国を統治するために、満洲族
は大挙して移住した。清朝は人口が極端に減少した満洲を先祖
発祥の地として保全しようと、漢民族の入植を禁じたが、中国
本土や朝鮮半島からの流民の密入植が絶えなかった。

 そこに勢力を伸ばしてきたのがロシアであった。日清戦争後、
日本が得た遼東半島を仏独との三国干渉により清国に返還させ
ると、それをそのまま横取りした。さらにシベリア鉄道と連結
して満洲を横切り、ウラジオストックと最短距離で結ぶ東清鉄
道の敷設権を得た。1900年7月、義和団の乱が満洲に波及する
や、ロシアは建設中の東清鉄道保護を名目に、満洲全体を軍事
占領した。

 ロシアはさらに朝鮮半島にも勢力を伸ばそうとしたため、日
露戦争(1904-5年)が起こった。日本の勝利により、両軍の満洲
からの撤兵、遼東半島租借権と東清鉄道南満洲支線(長春−旅
順間)の日本への譲渡が実現した。日本が戦っていなかったら、
満洲はシベリアの延長としてロシア領土になっていただろう。

■4.軍閥支配下の満洲■

 1911年の辛亥革命により清朝が倒れ、その後、軍閥の割拠す
る内戦状態となった。満州も張作霖・張学良父子が支配した。
張作霖は北京争奪の内戦に参加するため、25万人もの軍隊を
維持し、歳出の8割を軍事に注ぎ込んだ。税収が不足した分は、
財産家の誘拐や処刑による財産没収、さらには民衆から5年先
の税金取り立てまで行っていた。歳入の柱の一つである塩税な
どは、日本の租借地の5倍であった。

 張作霖のもとで、各省の支配者は、政権を奪取するたびに旧
紙幣を紙くずとし、新紙幣を発行して財源とした。そのたびに
民衆の財産は強奪されることになる。インフレが昂進し、満洲
経済は大混乱に陥った。

 さらに30万人以上と推定される馬賊・匪賊は、民衆に対し
て略奪、放火、強姦、誘拐の限りを尽くした。支配者に招聘さ
れれば軍人となり、支配者が負ければ馬賊・匪賊に戻る。今日
の中共政権が「反日抗日の英雄」と祭り上げる勢力の大方はこ
うした馬賊・匪賊の類なのである。

■5.毎年100万人以上も満州国へなだれ込んだ■

 1931年満州事変が勃発し、日本軍はわずか1万5千の関東軍
兵力で、当時30万とも45万とも言われた張学良の軍隊を一
気に駆逐した。事変は確かに日本軍の謀略だったが、謀略だけ
でわずか1万5千の外国軍隊が3千万の民衆を制圧することは
できない。民衆は謀略を支持したのである。

 日本軍の力により満州国が成立し、清朝最後の皇帝・溥儀
(ふぎ)が元首についた。満州王朝が先祖の地で、再興された形
となる。日本軍が画策したために傀儡政権と非難されたが、中
共政権も同様にソ連の「傀儡政権」と蒋介石は罵倒していた。
政権争いで相手を「傀儡」と非難するのは、中国人の常套句で
ある。勝った方が「正史」に正統政権と自称し、負けた方は傀
儡政権と永久の烙印を押される。

 民衆にとって大事なのは、そんな政治ゲームよりも、どの政
権が社会を安定させてくれるかであろう。事変の直前、1928年
に満洲を視察した米モルガン財団代表ラモントは、オールズ国
務長官に次のような観察を書き送った。

 自分の観たところでは、今日満洲は全支那で殆ど唯一の
安定せる地域である。・・・日本は軍事的意味に於いての
みならず、経済的にも満洲を発展せしめつつある。日本が
かくするのは、満洲に赴く少数の日本人開拓者の利益のた
めではない。実際の話、満洲開発は中国人の利益になって
いるのだ。不安定な戦争状態が中国の広大な部分に拡がっ
ているため、今や中国人は、他の何処に於ても受けねばな
らぬ匪賊行為や略奪から逃れるために、何千人と云う単位
で南満洲に流れ込みつつある。[1,p336]

 この傾向は満洲国成立後も続き、事変前の人口3千万人が1
0年後の1941年には4千3百万人に急増した。毎年100万人
以上もの民衆が中国本土から万里の長城を越えて、満州国にな
だれ込んだ。民衆は、内乱と飢饉の中国本土よりも、満州国を
選択したのである。

■6.通貨と交通のインフラ整備■

 日本の力により満洲国は急速に近代的産業国家として発展し
た。まず近代経済発展の基盤の一つとして通貨制度を確立しな
ければならない。各地の軍閥が勝手に新紙幣を発行しては、旧
紙幣を紙くずにする、などという状態では、近代的な商取引な
ど不可能であった。

 建国3ヶ月目にして、満州中央銀行が設立され、満州国通貨
を統一して、旧軍閥が発行した様々な紙幣との交換を行った。
映画やラジオを通じて日中露3カ国語で広告をしたり、辺地に
飛行機でビラを撒いて巡回出張をする、など、血のにじむよう
な努力の結果、日本の3倍もの広大な領土で、わずか2年で
93.1%もの旧紙幣が回収され、民衆の満州国の統一通貨への信
頼が確立した。

 通貨と並んで、広大な国土を発展させるためのインフラは交
通である。当時は、日本の南満州鉄道以外にも、ロシア(当時
は革命後でソ連)やイギリス、さらには地方軍閥による鉄道が
あり、規格も運賃もばらばらの状態であった。そこで満州国が
成立すると、ソ連、英国の路線は平和的に買収し、満鉄が一括
経営することになった。

 満鉄は建国時の6,226キロの路線に加えて、7年後の39年
までに約4千キロの新線建設を行った。毎年、東京−神戸間の
東海道線に匹敵する路線建設を、冬の河川凍結と夏の氾濫、そ
して匪賊による鉄道襲撃頻発という悪条件の中で敢行した。

 道路交通についても、満州では冬は凍結、雨期はぬかるみ、
春秋はわだちの跡のみが道標となる状態だった。各河川には橋
梁はほとんどなく、わずかな渡し船しかなかった。そこに満州
国は終戦までに国道6万キロ、地方道路5万キロを整備し、橋
梁も30メートル以上のもの3百カ所が造られた。さらに港湾
も、1931年には大連に東洋一の埠頭を完成させている。

■7.満洲は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか■

 近代工業発展、そして、生活の近代化のためにも欠かせない
インフラが電力である。満洲の年間降雨量は約3〜5百ミリと
日本のほぼ3分の1に過ぎず、その70%が7、8月に集中し
ているので、発電と灌漑、用水、治山治水をも狙った多目的ダ
ムの建設が重視された。

 鴨緑江・水豊ダム(20万キロワット)、鏡泊湖発電所(2
万キロワット)、渾江・桓仁ダム(28万キロワット)、松花
江・豊満ダム(70万キロワット)などが次々と着工され、41
年頃から稼働を始めた。戦後日本で有名な黒四ダムの33万5
千キロワットに比較すれば、その規模が計り知れよう。

 特に豊満ダムは満洲開発の象徴とも言うべき巨大プロジェク
トで、高さ90メートル、延長1100メートルのコンクリー
ト堰堤により、琵琶湖大の人造湖を忽然と満洲中央部に出現さ
せた。発電以外に洪水防止、灌漑、飲用水、工業用水、航運な
ど、世界でも屈指の巨大多目的ダムであった。完成後に見学に
訪れたフィリピン外相は、次のような歓声を発したという。

 フィリッピンは、スペイン植民地として350年、アメ
リカの支配下で40年を経過している。だが、住民の生活
向上に大きく役立つものは一つも作っていない。満洲は建
国わずか10年にしてこのような建設をしたのか。
[2,268]

■8.見果てぬ夢■

 民生分野で特筆すべきは新都市建設と既成都市の改造である。
近代的な国土計画のもとで、日本人建設技師の人材を集めて、
近代的な美しい都市が満洲の広大な国土に次々と生まれていっ
た。特に、新しい国都・新京(現・長春)は、百万都市として
建設を進められ、電気、上下水道を完備し、東洋で最初の水洗
トイレも設けられ、豊かな緑に彩られた。

 また満鉄は沿線各都市に、満鉄病院、伝染病研究所、結核予
防協会、保養院などを設け、僻地には巡回施療を行って、民衆
の健康状態改善に大きく貢献した。さらに中央試験所、農事試
験所を設立し、ここで開発された「改良大豆」は、全満洲に普
及し、世界一の大豆輸出国として成長させる原動力となった。
そのほか地質研究所、鉄道技術研究所、製鉄研究所などが、満
洲の農・工・鉱業発展の牽引車となった。

 以上の国土開発、産業開発はほとんどすべて日本からの投資
でなされた。たとえば1936年にまとめられた第一次産業開発5
カ年計画では、増産すべき分野として、電力、鉄鋼、石炭、ア
ルミニウムから、飛行機、自動車まで挙げられているが、その
投資総額は25億円で、同年の日本の一般会計歳出総額24億
円を上回る額であった。日本は膨大な人材と技術と資本をつぎ
込んで、満洲の発展に賭けたのであった。満洲国総務長官だっ
た星野直樹氏は、こう回顧する。

 その間、満洲の状態は一変した。治安は完全に確保され、
国内には一人の兵匪もいなくなった。農業国から立派な工
業国となり、総生産額は倍増した。国民生活は目覚ましく
向上した。東亜各地から集まってくる人は数多く、3千万
人であった人口は5千万人を超えるにいたった。・・・

 生まれ出た満洲国を、ひとり主導的地位に至った日本人
のみならず、ひろく東亜諸民族が力を合わせて開発、発展
せしめ、その恵福を、ひろく等しく各民族の間に分かち、
ここに新たなる楽天地をつくりあげようと、日本の若き人
々は進んで満洲国に集まってきた。・・・

 生命わずか13年、満洲国の建設はついに見果てぬ夢に
終わった。しかしこの間、日本の若き人々の費やした努力
と苦心とは永久に日本民族の誇りとするに足るものである
と確信する。

■9.再び、略奪と戦乱の中華世界へ■

 満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。日本降伏の6日前に満
洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、本国に持
ち帰った。その金額は約8億9千5百万ドルにのぼるとアメリ
カ・ボーレー調査団は報告している。

 そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失って
も、東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くこ
とができる」と言って、満洲の確保に走った。全中国の重工業
の約90%を満洲が占めていたからだ。

 1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が
始まった。こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(007) 国際派日本人に問われるIdentity
b. JOG(145) 台湾の「育ての親」、後藤新平

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 中村粲、「大東亜戦争への道」★★★、展転社、H2
2. 黄文雄、「満洲国の遺産」★★★、光文社、H13

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「満洲 〜 幻の先進工業国家」について Hiroshiさんより

 私の母方の祖父が、満鉄の電気技師でした。もう亡くなりま
したが、当時のことはあまり話しませんでした。母も韓半島で
生まれ、満鉄の宿舎で暮らしていたそうです。終戦の直前祖父
は召集され、その後終戦。祖母と母と母の兄弟は、ソ連軍の難
民収容所で2年あまり生活したそうです。日本に帰るとき本当
に偶然に祖父と出会い、家族みんなで帰ってきました。そんな
話は何度か聞きましたが、満州国がそんなに発展していたとは
知りませんでした。

 学校の授業ではもちろん、そんなことが書いてある本も知り
ませんでした。事実を事実として教えない教育。また事実を隠
して、自国の外交戦略に使う中国・韓国・北朝鮮。その国に対
してまともに反論も出来ない日本政府。何とかならないもんで
すかね〜。ちなみに中国・韓国が嫌いではありません。妻が韓
国人ですから。
JTさんより

私の曾祖父は満州鉄道建設に携わったそうです。祖父も満州
で数年を過ごし、父は8つのときまで祖母と満州で生活してい
ました。映画「ラスト・エンペラー」などを見ると、軍事的、
政治的な、偏った視点からしか描かれることのない満州ですが、
その地で生活していた日本人や中国人一人一人の業績というの
が語られる機会は極端に少ないように思います。

 満州国で日本人が行ったことをすべて美化するのは間違いだ
と思いますが、国際批判を恐れてこの政府の長所を過去に葬り
去ってしまっては、この地に生きた人達の正しい評価が成され
ません。公平な歴史というものは存在しないものですが、批判
の中にも認められるべき長所は認める、というような歴史観を
すべての人が持てることを望みます。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 中国や韓国の押しつけるイデオロギー的な歴史観でなく、あ
くまで事実にこだわった学問的な歴史観を目指しましょう。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog239.html
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by thinkpod | 2006-08-13 05:16 | Books


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