2006年 07月 21日

■ 千鳥ヶ淵戦没者墓苑は「無名戦没者の祀堂」になる

2005年07月21日 13:31
 7月10日に、靖国神社の第六代宮司の松平永芳[まつだいら・ながよし]氏が死去したと12日に報じられました。
 徳川侍従長と入江侍従長の松平評が残されているんですが、どちらもボロクソでした。徳川侍従長にインタビューした秦郁彦氏は、昭和天皇の靖国神社への御親拝が1975年11月を最後として途絶えてしまった原因は、1978年7月に靖国神社の宮司に就任した松平氏が、宮中の意向を無視して同年10月にA級戦犯14柱を合祀したせいであろうと結論しています。
 これにたいして岡崎久彦氏は、三木総理の1975年8月15日の参拝のときにマスコミに「私人だ」と説明したのが、以後の御親拝が途絶えてしまった原因ではないかと異論をはさんだのですが、両陛下は直後の1975年11月21日に終戦30周年の節目として(またおそらくは9月のご訪米の報告もかねて)御親拝しておられますから、岡崎説は当たっていないのではないかと思います。
 なお、三木総理の8.15参拝こそが靖国問題をそもそもおかしくした元凶だという話を、わたくしは過去に何回かしてまいりました。三木氏の内心では、1975年9月の天皇陛下訪米前のケジメのつもりだったかもしれませんけども、やはり現在の軍隊の指揮官である者の8.15参拝は、ぜったいにやってはいけなかったのです。しかし今回はそのあたりのお話を蒸し返したいのではありません。

 みなさんは、松平永芳氏が1992年3月の宮司退任後、『諸君!』平成4年12月号に寄せた文章を読まれたことはありますか。わたくしには、これは至極説得的であり、かつて侍従長であった徳川義寛氏の仰っていたことよりは筋が通っているように見えるのです。この『諸君!』への寄稿はインターネットでほぼ全文を読むことができます。ググってみてごらんなさい。
 たとえば昭和天皇が嫌っていたとされている松岡洋右が、永野修身とともに裁判中の病死であったのに合祀されたのが異例でけしからんのだ──という説は筋が通らぬことが、自然と首肯される文章でしょう。これは「平泉史観」とは独立です。BC級戦犯容疑者と、B級既決者のうち病死した者が、すでに合祀されていました。
 サンフランシスコ講和前の絞首刑や銃殺は、敵軍人による殺害である点において、BC級の殉難者となんら変わりがないでしょう。そしてABCのカテゴライジングもいかにも恣意的であったことは、たとえば土肥原賢二、松井石根、広田弘毅、板垣征四郎という、1941年のハワイ奇襲開戦計画には何の責任もない4名がA級区分されていることから明らかです。彼らは1937年8月の侵略者であった蒋介石の面子を立てるためだけに、蒋介石の罪を被せられて消されたのでしょう。
 当時大元帥であられた昭和天皇は、そんなことは百も承知でいらしたと思います。

 1978年のA級合祀に先立ちます1959(昭和34)年4月8日、靖国神社創立90周年に、天皇・皇后両陛下の御親拝がありました。そして、たぶんこの御親拝の時点で、刑死または獄中死したB級戦犯の合祀(霊璽簿への記載)が既に始まっています。
 昭和天皇が、このB級合祀についてどんな反応をされたかは何も伝えられていません。
 が、次の御親拝は1965年10月19日(臨時大祭)でした。間が6年も開きましたのは、「ホトボリ」をさますご意向ではなかったかと想像できないでしょうか。
 昭和天皇が最もお好みでなかったのは、8.15に靖国社頭を騒がす諸勢力の行為ではなかったでしょうか。それは明治帝の遺志には沿わないし、旧連合国に対する印象を悪くするだけだったからです。

 ご案内のように、BC級戦犯は各国が最短2日という速決裁判で銃殺やら絞首刑やらしまくり計1000人以上が殺されてしまいました。ロクに人定もせぬ復讐殺人でした。マックにフィリピンで恥をかかせた本間将軍なども、マック特命判事によって、1946年4月に特急あの世おくりです。
 シナやソ連の場合は裁判の前に何年も禁獄をして、獄中死かスパイになるかの択一を迫りました。いずれもサンフランシスコ講和条約の前の出来事ですから、法的にはまさしく戦争状況下で、敵国によって一方的に虐殺された捕虜たちと言えるでしょう。

 そのBC級を合祀したということは、彼らを不法に殺した連合国人を忘れないぜというメッセージになる。これが外国で騒ぎになることも昭和天皇は怖れたはずです。昭和天皇を免罪してやる代わりに「A級戦犯」は日本の旧悪ぜんぶを被ってクルシファイされろというのが東京裁判のスキームでした。あらためてそのA級を靖国神社に合祀した上で、第二次大戦のみと関係のある8.15に国家指導者が公式参拝するようになれば、それは日本国として東京裁判を否定する、旧連合国を糾弾するというメッセージになり、共産革命その他の動乱があったときに皇室が米英の援助を受けられなくなるおそれがありました。

 だから、シベリア抑留組の縁で板垣正氏(元少尉)の1980年の参議院議員選挙の後援をしたり、中曽根政権下で行革の「幕僚」のような仕事をするようになった瀬島龍三氏を、昭和天皇は強く憎む理由があったでしょう(尤も、こうしたことを想像させてくれる資料は1993年の『清玄自伝』のみです)。
 陸大の首席卒業者で、対米開戦時に参謀本部作戦課員であった瀬島氏は、大元帥を奈落に蹴り落とした張本人です。ケロッグ=ブリアン条約を破る奇襲開戦計画に関与し、「平和に対する罪」に該当したのはお前だったではないかというのが昭和天皇が口にしたくてできなかったことでしょう。そして瀬島氏の後ろ盾で板垣正氏らが運動をしてA級戦犯を靖国に合祀し(それができぬのならば新設の国立墓苑に無名戦士として祀らせようとし)、そこに首相が8.15参拝すれば、瀬島氏ら参本作戦課員が負うべきであった「天皇の近代国家元首としての徳を対外的に破壊した責任」は、戦後の昭和天皇におっかぶせられることになるかもしれない。「シベリアで二旬ばかり抑留された程度でお前のこの大罪が消えたと思っておるのか」というのがお胸の内ではなかったのでしょうか。

 大元帥であった昭和天皇は、シナ人というものもよくお分かり遊ばしておられました。だから田中角栄首相以降の日本外交そのものに、猛反対であったと思われますが、それも口にできぬお立場でしたろう。
 中共は1966年あたりは文革でガタガタです。1971年に国連に加盟しましたが、米ソ二大強国とは基本的に敵対中で、まだまだ日本に対する立場は強くなかった。1972年の田中角栄氏の訪中から、1978年10月の日中平和友好条約の日本の国会での承認と批准書交換に至るまでは、彼らには靖国問題で日本を攻撃するなど、思いもよらないことだったはずです。
 松平宮司はたぶん、1978年の秋というタイミングを逃したらA級合祀はシナからのイチャモンで難しくなるだろうと判断したのかもしれません。
 その後、日本全体が上から下までシナに跪拝し、シナの理不尽な要求を何でも受け入れるようになった。昭和天皇が心得ていらした義務の第一は皇室の存続ですから、この時代はもう耐え忍ぶしかない。馬鹿な国会議員どもがまともな国会議員と入れ替わる日をひたすら待つしかなくなったのだろうとご想像を申し上げるのみです。

 ところで靖国神社はアーリントン国立墓地(ARLINGTON NATIONAL CEMETERY)のようなものでしょうか? これはぜんぜん違います。
 靖国神社には、1867年に病死した高杉晋作が明治21年5月に合祀されたり、他にも病死した軍人が「特旨をもって合祀」されることがあったとされています一方で、霊璽簿に将来も記載されないことが確定している「忘れられた国事殉難者」たちが多数存在します。戦死でない多数の元軍人が排除されている一方で、一部の病死者が祭神として祀られている。ちょっと包括的でないわけです。
 明治陸軍が十分に近代化する以前のことになりますと、嘉永6年以降、おそらくレッキとした軍人・武人の戦死者であっても少なからぬ漏れがあるのだろうと想像される。
 しかし靖国神社の制度慣習上の困った問題は、これら「漏れた英霊」が今後、救済顕彰される見込みも無いことなのです。
 大元帥陛下が憲法上、国軍を直率されていた昭和20年までは、それが大御心であるとすれば誰も文句はつけられなかったわけですが、現在は自衛隊を率いているのは内閣総理大臣であって、天皇陛下ではなくなっております。また合祀は靖国神社側の主導でできるようになっている。ということは、いまや靖国神社は「文句をつけられ得る」立場になっているのです。自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣は、この事態をなんとかする責任があります。

 アーリントンについて、少し説明しましょう。
 米国の戦死者や元軍人が国費で埋葬してもらえる国立墓地は米国内に115箇所あります。そのうちアーリントンだけ米国陸軍の直轄で、ワシントンD.C.にも隣接し、「別格官幣社」の趣きがあります。ちなみに米国軍人用の大きな墓苑は海外にも24箇所、維持・整備されているそうです。
 アーリントンには、eligibility──つまり埋葬適格要件が満たされており、なおかつ本人や遺族が要求した死者のみが、埋葬してもらうことができます。
 ざっとその資格について列挙しますれば、まず戦死者であれば資格があります。
 ついで20年以上、正規軍の軍歴があった退役軍人も資格があります。
 予備役として、単なる訓練ではない一任期以上の軍務を果たし、かつ死亡時に60歳以上であった者も資格があります。
 名誉勲章(犠牲的戦闘行為に対して大統領が議会の名において与える最高勲章)、殊勲十字章、殊勲章、陸軍銀星勲章、名誉負傷章の受章者も資格があります。
 1949年10月1日以前において過去の従軍の結果としてすでに30パーセント以上の身体障害者となっていた元捕虜または退役軍人も資格があります。
 そして以上の配偶者にはその本人の隣に灰として葬られる権利があります。また将校および名誉勲章の保持者には、筐体使用が認められます。
 これだけでも靖国神社より包括的ですよね。
 さらにこの他にも、大統領の要求で埋葬が認められる例外があるようです。そしてまた、アーリントンへの埋葬を希望しなかった有名軍人も多数います。

 U-2事件で撃墜され捕虜になったゲイリー・パワーズは、民間のヘリ・パイロットとして事故死しましたが、アーリントンに葬られています。
 戦死じゃないけれども、二人の大統領の墓がアーリントン内にあります。タフトとケネディです。ちなみにFDRの墓はニューヨークのハイドパークにあり、トルーマンの墓は故郷のミズーリ州のインディペンデンスにあります。
 ダグラス・マッカーサーの墓はアーリントンにありますが、カーティス・ルメイの墓は、コロラドスプリングスの空軍士官学校墓地にあります(1990年没)。ルメイはケネディと同じ墓地など厭だったでしょう。またアーリントンはもともと陸軍墓地であり、陸軍から独立する際に苦労した空軍人としてはこれも気に喰わなかったはずですね。
 北軍のシェリダン将軍の墓はアーリントンにありますが、ユリシーズ・S・グラントの墓は、ニューヨーク市にあります。
 ペリー提督の墓は、ロードアイランド州ニューポートにあります。
 ベトナムで活躍したウェストモランド将軍はごく最近死去しましたが、ウェストポイントへの埋葬を希望したようです。
 余談ですが、アーリントンには「インディアン殺し」でしか活動していない軍人も埋められているようです。そして墓苑そのものが、南軍のリー将軍の私有地を「厭がらせ」的に没収したものでした(もちろん合法の格好はつけられました)。
 さらに余談ですが、アカハタは、英語メディアが靖国神社のことを「War Shrine」と読んでいるぞ、と難癖をつけているようです。英語についてウンチクを傾けようと思ったなら、こまめに辞書を引く癖をつけなければなりません。アーリントンもまた Shrine に他ならぬことは、入り口の看板を読めば自明です。祀堂や聖別地一般のことを Shrine というのです。ですから、日本の神社は Shinto shrine と書かねば意味が通じません。その彼らが War Shirne と書きますのは、「これは神道の神社ではなく、軍人の聖地だ」という含意なので、まことにあたりまえのことを的確に表現しているだけでしょう。

 米国大統領は毎年四回、アーリントンに献花するそうです。それは、メモリアルデイ(1888制定で現在は5月の最終月曜日)、ヴェテランズデイ(11月11日、すなわちWWⅠ休戦復員記念)、ケネディ大統領の誕生日、タフト大統領の誕生日です。
 さてそれでは、アーリントンに埋葬されていない元軍人は、大統領から軽度の関心しか払われていないことになるのか? そんなことはありません。
 じつはアーリントンの中核施設は、以上列挙した「名あり戦士の墓」ではなく、「名無し戦士の墓」がある一角です。
 公式に訪米した各国元首たちも、この「無名戦士の墓」に詣でるのであって、アーリントン墓地の有名戦死者を表敬してるわけじゃないのです。無名の象徴であるがゆえに包括的である。国民国家として合理的な包括性があれば、外国元首も謹んで敬意を表すことができます。
 アーリントンの「無名戦士の墓」には、過去に戦場から回収された、ホンモノの米兵の遺骨が象徴的に数体、納骨されています。その象徴遺体が、過去の米国の全戦没者と、かつて米国軍人であった物故者たちを永遠に代表するわけです。
 これに相当する施設は先進各国には大概ありますが、日本にはありません。すると日本の元首は外国の無名戦士墓地を表敬するのに、外国元首はその答礼ができないことになり、不都合が多いといえます。

 そもそも靖国神社を、伊勢神宮、春日大社に次ぐ地位に置き、合祀臨時大祭への御親拝等の慣例を築いたのは明治帝でした。1975年までの昭和天皇は、明治帝の祀りを引き継いでいらしたのです。
 1978年10月以降、元の大元帥は、一部の合祀者が大元帥の期待に意図的に背いた不忠の者だと思し召された可能性もあります。
 わたくしは、自衛隊のげんざいの最高指揮官である総理大臣が、靖国神社に8.15以外の吉日に参拝するのは合理的な義務であって、これを励行しないことは国家叛逆だと考えておりますが、今日、天皇陛下の靖国神社御親拝は、必要はないのではないかと思います。 かつては大元帥が「霊璽簿」を決定できましたが、いまはできなくなっているからです。

 訪日した外国元首が敬意を表することのできる「名無し戦士/戦没者全員の代表墓」は、設けられるべきでしょうか? 設けられるべきです。
 本当は靖国境内に「無名戦士の墓」があれば結構なのですが、神社に墓というのは変です。また、無名戦士を祭神としては否定する「霊璽簿方式」は、宗教法人である靖国神社の意向なので、それを国が変えてくれと要求することは信教の自由に反してしまいます。
 解決策はあるでしょうか?

 まず千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められている遺骨の性格を、全戦没者を包括的・象徴的に代表するものとして、あらためて首相と政府が確認をすることです。
 そして、靖国の境内の一角から、千鳥ヶ淵墓苑まで、人が通行できない「かけはし」(空中廊下)を渡すことです。この構造物全体を霊の「依りしろ」にします。
 起点となる献花場は、大鳥居の少し内側の、千鳥ヶ淵寄りにすれば良いでしょう。
 国の施設を宗教法人の神社境内には置けませんから、その区画は国が賃借したら良いでしょう。
 またVIPのお好みによって、大鳥居を潜らなくとも献花場にアクセスできるようにすると良いでしょう。
 これによって「名簿のある公認戦死者」と、靖国の霊璽簿から漏れている殉難者を総括して象徴的に敬意を表す場ができあがるでしょう。

兵頭二十八の放送形式: 2005年07月 アーカイブ
http://sorceress.raindrop.jp/blog/2005/07/#a000472
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by thinkpod | 2006-07-21 07:05


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