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2006年 07月 07日

日本よ、こんな中国とつきあえるか?

『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』 林建良

● 内容
日本は中国と国交を回復して以来、あらゆる面で中国を支援しつづけた。援助すれば日本の誠意が通じると期待したが、その当ては大きく外れ、中国は反日政策をさらに強めている。日本人はいつになったら気がつくのか。中国人は話して分かる相手ではない。日本の常識が全く通用しない国なのである。日本人が知らない「医食同源」の本当の意味や死刑囚が提供する「臓器」売買の実態、中国人民解放軍の犯罪…等々、中国人化教育を受けた台湾人だから分かる中国の本質を余すところなく描く。
(「BOOK」データベースより)


● 目次
第1章 台湾から見た中国および中国人—お人好しの日本人に中国人の凄さは理解できない(中国人はすべてお金に換算して考える 本当は恐ろしい「医食同源」の思想 ほか)
第2章 台湾から見た日本および日本人—争いを避けたがる日本人に平和は守れない(日本人は中国のペットになりたいのか? 台湾で教えられた正反対の日本像 ほか

第3章 台湾から見た台湾および台湾人—台湾は中国の一地方に過ぎないと自ら教育する矛盾(台湾人は漢民族ではなかった 台湾人と中国人の対日観の決定的な違い ほか)
第4章 悪の元凶・中国帝国主義はこう潰せ!—真実を中国人に教えれば中国は内部崩壊す(中国への甘い期待を捨てる アジアの覇権をめぐる日本・台湾vs中国の戦い ほか)
第5章 台湾の独立は日本の国益につながる—国民党政権の誕生は日本の悪夢の始まり(反日派を助け、親日派を挫く日本 国民党政権なら台湾は中国に傾く ほか)
(「BOOK」データベースより)

並木書房: 日本よ、こんな中国とつきあえるか?
http://spn05670.co.hontsuna.com/article/1733528.html
http://www.amazon.co.jp/dp/4890632018



(今週の書棚)
林建良『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』(並木書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 日本に留学して、そのまま医師となって栃木県に居着いてしまった林建良医師は、正義の人であり、熱血漢だ。
台湾独立、台湾正名運動の提唱者にして、台湾の独立運動を全国的に繰り広げ、李登輝友の会、台湾の声編集長としても大活躍中である。
 その林さんが流暢な日本語を駆使して、中国人と決定的にちがう台湾人の性格などとの比較、日本人との比較検証によって中国人の本質をぐさりと抉る。
それも冒頭から、きまじめな日本人なら卒倒しそうになる事実が所狭しと並んでいて、驚かされること夥しい。
 第一の衝撃は、これまでにも噂として聞こえてきた中国の臓器売買の実態だ。
それも死刑囚の臓器を執行現場に待機している医師がたちまち摘出手術をおこない、待機している外国人患者には国内患者の二倍から三倍で売りつける。
 その手術を中国のどこでおこなっているか、70ヶ所の病院名一覧もついている。

なかには生きている死刑囚から臓器を摘出した医師がおり、その後、西側に亡命して証言したことから中国の驚嘆すべき凶々(まがまがし)さが、世界に曝された。日本のマスコミはあまりこのことを触れたがらない。
 中国の漢方薬の店に行けば、たちどころに中国人の性欲のえげつなさがわかるのは狗鞭(ゴウベン)、虎鞭(フーベン)という動物の生殖器が精力剤で売られていることだ。
 バイアグラの偽物も行き交う中国だが、セックスに強いという信仰が窺える。

「このような考え方(医食同源)は「その臓器を食べるということになる。それも、出来るだけ人間に近い方がよく、また新鮮なものほどよいとされている。たとえば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べる」。
 そうそう、広東の女性は広東料理の目玉=ハトの丸焼きばかりか、梟も食べる。眼が良くなるという信仰があるからだ。
 死刑囚の皮膚をはがして美容薬にしていることも広く知られる。SARSの根本原因は愛玩動物のハクビシンを食べるからである。
 死刑場へ饅頭をもって集まるのは中国人にとって「公開処刑が娯楽」であるばかりか、飛ぶ血を饅頭に吸収し、長生きしようとするからで、この実話は魯迅の小説『薬』にも、ちゃんとでてくる。
 女性革命家秋謹がまさに処刑される場へ庶民は饅頭をもって現れた。魯迅はそれを書いた(拙著『中国よ、反日ありがとう』も参照あれ)。

 岳飛の「満江紅」という漢詩では「壮志飢餐胡虜肉」(おなかがすいたら外人捕虜の肉を食え)、「笑談渇呑兇奴血」(談笑して喉がかわけば「きょうど」の血でも飲め)。
 林さんによれば「中国では、この漢詩に曲をつけ、今でも小学校の唱歌のひとつとして教えている」という。
 このようなショッキングな実例が夥しく網羅されながらも、本書は決して猟奇をもとめてのものではなく、つまり、騙しが好きで人を食うおそるべき中国人に、うぶな日本人が対応できるのか、という危惧の現れが全編の基調である。
にもかかわらず日本人が下手に付き合うと、いずれ中国に隷属することになる、と不気味な近未来を予測している。
 そうならないためにどうするのか。まず本書を読んで対策を考えるしかあるまい。


   ♪
(読者の声2)宮崎哲弥とか宮崎正治(つくる会の前事務局長)を宮崎正弘先生と勘違いしている人は以外と多いのですね、と過日、(TK生、佐賀)の投書。
じつは私も(ブッシュ大統領なみに)物を知らない人間でして、「新ゴーマニズム宣言」で「従軍慰安婦」が話題になつてゐた頃、書店で池東旭氏と宮崎正弘先生の対談本をパラパラと立ち読みし、「ナンだ、この爺さん、こんな問題にも首を突つ込んでゐるのか」と意外に感じて本を書棚にもどした記憶があります。
(宮崎市定と勘違ひしてたんですね)
 その本のオチは池先生の「いやいや、竹島は韓国領ですよ」でした。(金美齢先生の尖閣同様、ナショナリストなんですね、池先生)

 さて些細な事を御うかがひ致したいのですが… 先生はシナで現地の人から「普通の日本人もオマエと同じくらゐ普通話を話すのか?」と聞かれたと、以前お書きです。
さういふ経験は北方・南方・辺境、いづれで多くありましたでせうか?
(また漢族・非漢族、いづれで多くありましたでせうか?)
現在の普通話は民国時代の「国語」であり、それは更に清朝時代の官話(宮廷用語)が基礎になつてゐると想像いたします。
現地人の、普通話を話す人(先生)への反問は畏敬の念の表明であり、それは直接的には清朝宮廷への尊崇、長い目で見ればシナ文明の「官尊民卑」の伝統(価値観)に由来するものではないかと想像するのですが、先生の御意見は如何でせうか?
   (showa78)


(宮崎正弘のコメント)ご質問の趣旨はよくわかります。しかしいまの中国はおっしゃるような言語空間ではないのです。
 新彊ウィグル自治区へ数年前にいったおり、ウィグル人の若い女性が中国語のテキストで、懸命に「漢字」を覚えていた。国家公務員の試験を受けるのだから、と言っておりました。ウルムチは人口200万人。すでに八割が漢族です。
 二十年前、香港の人は普通語を喋らなかった。いや、喋れなかった。
 いまも香港の新聞の半分は広東語です。高卒以上でないと普通語は喋れなかったのですが、いまや「狼の乳をのんだ子供たち」(北京の洗脳だけで育った世代)は広東語を田舎のコトバと認識するまでになり、普通語を喋るのです。
 香港が北京語(普通語)に浸食され、台湾はずぅっと昔から普通語です。台中から台南、高雄まで行って台湾語の世界が拡がりますが。。
 で、この現象はハルピンのずぅっとさきの黒河(ロシア国境)でも満州里やノモンハン、ホロンバイルでも同じ。南は雲南省のシーサンバンナあたりでも同じです。
 先日、四川省の山奥にいたとき、チベットの美人に足裏マッサージをして貰いました。
そのときに彼女と話して最大の衝撃は「わたしチベット語、喋れない」とあっけらかんと発言したことです。
少数民族の言語は小学校三年生から教室では使えない。全部、強制的に普通語(北京語)であり、クルマの免許も大学の入学試験も普通語です。
 つまり、おっしゃる意味での北京語への反発的な感情は二世代ほど前の感情。いまは新しい段階に突入した、と考えるべきでしょう。
 ウィリー・ラム(香港CNNのチャイナウォッチャー)が「青蔵鉄道はチベット民族への同化政策が本当の狙いだ」と言っておりました。
状況はそれ以上に現場では進んでおり、官尊民卑は、一世代前の話になってしまいました。恐るべき実態が進んでいます。

平成18年(2006年)7月7日(金曜日)貳
通巻第1503号  特大号
http://www.melma.com/backnumber_45206_3266865/





国柄探訪: 樹を植える日本人、樹を伐る中国人
    日本人と中国人の決定的な違いは死生観にある。

■1.日中でまったく異なる「医食同源」■

 台湾で中国医学を学んだ後、東大で医学博士号をとり、現在
は栃木県で地域医療に携わっている林建良医師は、「医食同源」
の理解が、日本と中国ではまったく異なる、と指摘している。
[1,p16]

 日本人が考える「医食同源」とは、健康を保つためには、ま
ず食事から正していかねばならない、というものだ。最近流行
語となった「メタボリック症候群」に関しても、甘いものや濃
い味付けの料理を食べ過ぎると内臓に脂肪がたまって、動脈硬
化による心筋梗塞などの病気にかかりやすくなるので、野菜を
しっかり食べよう、などと説かれる。

 しかし、林氏が台湾の医学部で学んだ漢方医学では、たとえ
ば「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」
「心臓を食べると心臓によい」と考える。

 中国市場で精力剤として売られているのは「狗鞭(ごうべん)」、
犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっと効くとされている
のが「虎鞭(フーベン)」虎のペニスである。犬よりも虎の方
が強いからだ。

 林氏も高校時代によく頭痛に悩まされたので、台北の中国人
の医師にかかり、漢方薬とともに豚の脳を煎じて飲まされた。

 病んだ臓器に近い臓器ほど、そして人間に近い動物ほど、体
に良いとする。これが中国人の考える「医食同源」である。そ
の究極は何か、と言えば、人体そのものということになる。

■2.人体も薬■

 中国医学で最も権威ある書物とされているのは、明時代の
1578年に執筆された『本草綱目』である。「本草」とは基本的
に薬用になる植物をさすが、薬とされる範囲は、鉱物や動物に
も及ぶ。そして、最後に出てくるのはなんと「人部」、すなわ
ち人体を薬剤として扱う章である。そこでは、髪の毛、尿、唾、
汗、骨、生殖器、肝臓などの効用が細かく書かれ、たとえば
「瘧(おこり、マラリア)は、生の人の肝臓1個を陰干しにし
て、その青い部分が効く」などと説かれている。

 この「医食同源」の概念は、専門の医学書だけではなく、広
く一般庶民の生活にも浸透している。昔から子供向けの教科書
として使われていた『二十四孝』は、24種類の親孝行の例を
示したもので、その一つに「割股療親」がある。子供が自分の
太ももをえぐって、病気の親に食べさせて、療養することを、
親孝行として勧めているのである。

「医食同源」の考えは近代になっても根強く残っていた。日露
戦争中に日本に留学し、その後作家として活躍した魯迅の作品
『薬』の中には、女性革命家が公開処刑される際に、民衆が手
に手に饅頭を持って集まる、というシーンが出てくる。処刑さ
れた瞬間に吹き出る血を、饅頭に染みこませて食べる。新鮮な
血は体によいという「医食同源」の発想である。

 中国人は「四つ足で食べないのは机だけ」と揶揄されるほど、
何でも食べ物にしてしまう。そして「医食同源」だから、何で
も薬と考える。自らの体のためには、人間を含む他の生命はす
べて食べ物や薬として見なすのが、中国人の哲学なのである。

■3.『共産党の慈善事業』(Communist Charity)■

 人体を薬にするのが、内科的「医食同源」なら、外科的「医
食同源」が臓器移植だろう。金儲けの天才である中国人は、死
刑囚から臓器をとりだして売買するビジネスを発明した。

 アメリカに移住した中国人・呉宏達(ハリー・ウー)氏は、
自分の家族に臓器移植を希望しているとの触れ込みで、数度、
中国に潜入し、臓器売買の実態を調査して、レポートを出版し
た。その題名がふるっていて『共産党の慈善事業』(Communist
Charity)という。

 ウー氏は、1995年にアメリカのパスポートで中国に入国した
際に、スパイ容疑で逮捕されたが、アメリカ政府の圧力で釈放
された。この事件をきっかけに、中国における臓器売買はアメ
リカの国会でも注目され、数度にわたる公聴会が開かれた。国
会の提案により、江沢民主席が1997年に訪米した際に、クリン
トン大統領が問題提起している。同時期に、アメリカのABC
テレビが『血なまぐさい金』(Bloody Money)という題名で、ゴ
ールデン・アワーに全米に放送した。

 ウー氏の調査によると、臓器売買は次のようなシステムで行
われている。まず死刑は祝日の前日に予定される。中国では
80年代以前までは公開処刑が一般的で、国民がお祭り気分で
見る娯楽の一種であったからだ。

 次に刑務所では、肝炎やエイズなどの事前チェックを行い、
病院側が注文した臓器に合った死刑囚を選ぶ。さらに臓器は
新しいほどよいので、刑場には医者が待機していて、死刑執行
されるや臓器を取り出し、病院に運んで、移植手術を行う。

 死刑執行前に臓器を取り出してしまうケースもよくあるとい
う。ウー氏のレポートでは、ハンブルグに脱出した中国人医師
が実名と写真入りで、死刑執行の前日に何度も肝臓を取り出し
たと証言している。その犠牲者のひとりは、思想問題で死刑と
された19歳の女性で、死刑執行する前に、待機する車の中に
彼女を強引に押し込み、麻酔無しで腎臓を取り出したという。

■4.政府と軍のビッグ・ビジネス■

 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの調査によ
れば、2004年の世界における死刑執行件数は約5500件で、その
うちの3400件、62パーセントが中国である。そのうちのかな
りの件数で、臓器が取り出され、役人の収入源になっていると
思われる。

 病院が処刑された死体に支払う値段は、300元(4500円)か
ら600元(9000円)。そこから取り出された臓器は、12万元
(180万円)から15万元(225万円)に跳ね上がる。外国人相手に
売られるときは、その倍になるという。仮に200万円で3千
件の臓器売買が行われたとすれば、総額60億円のビッグビジ
ネスということになる。

 林医師は、糖尿病の治療を専門としているが、患者の中には
腎不全から人工透析を余儀なくされている人も少なくない。そ
のうちの一人が「臓器移植を中国で受けたい。紹介してくれな
いか」と頼んできたことがあるという。なぜ中国なのかと訊く
と、「すぐに移植できるし、若くて健康な腎臓だと聞いている」
と答えた。このように、中国に渡って臓器移植手術を受ける日
本人患者も少なくない、という。

 臓器移植をする病院は、ほとんどが人民解放軍や政府機関の
病院である。中国司法部(法務省に相当)は、1981年6月13
日付で「死刑囚の臓器摘出に関する注意事項」という秘密文書
を出し、その中で「医者が車を使う場合は、医療機関のマーク
を隠すこと」「摘出した死体は速やかに処理するため火葬に付
すこと」などと指示している。臓器売買は、政府と軍が深く絡
んだビジネスになっているのである。

■5.「あんなものは、いくらでも手に入る」■

 林医師自身も、こんな体験をしている。20年ほど前、東大
で研究していた時、中国の蘭州大学で血液学を教えていた教授
が留学に来ていた。当時は、骨髄移植が始まって数年しか経っ
ていない時期で、最先端の医療技術だったが、彼は「こんなこ
とは、中国ではとっくにやっている」と言った。

 林医師がすぐには信じられずにいると、彼は「胎児の肝臓を
使うのだ。胎児の肝臓を取り出してすりつぶし、メッシュで濾
過したものを点滴すれば、骨髄移植と同じような効果がある」
と説明した。

「では、どこから胎児の肝臓を手に入れるのか?」と訊くと、
彼は笑いながら「あんなものは、いくらでも手に入る」と言い
放った。

 そのときに私は、さすが中国は世界一人口の多い国だか
ら、胎児を手に入れることはたやすいのかもしれないと思っ
たが、「あんなもの」として命を軽んじ、恐ろしいことを
平気でやるのが中国人だということを改めて認識した。

 その教授が「いくらでも手に入る」と言ったときの乾い
た笑い声は、いまだに耳から離れない。[1,p23]

■6.実験動物の慰霊祭を行う日本人■

 林医師は台湾の学校で、日本人が残酷で残忍であると教えら
れてきた。国民党政権下での反日教育の一環であった。ビデオ
ショップで借りたヤクザ映画を見て、指を詰めるシーンや喧嘩
の場面が出てくると、日本人はやはり残忍なのだと自分なりに
納得していた。

 その後、東大に留学すると、実験材料としてしばしばマウス
やラットを使うことがあった。その最初の時に先生から教わっ
たのは、いかに実験動物を苦しませず処置するかということだっ
た。

 また日本では、年に1回、必ず実験動物の慰霊祭を営むが、
台湾の大学ではやらないことだった。林医師は、日本人の命に
対する畏敬の念がこのような実験動物までにも及んでいること
を知って感銘を受けた。

 胎児を「あんなもの」と言い切る中国人と、実験動物の慰霊
祭を行う日本人と、その生命観の違いは対照的である。

■7.「いかにしてきれいに死ぬのか」を考えている日本人■

 林医師が栃木県の片田舎で開業してから、改めて感じたのは、
日本人の生活では死に直面する機会が多いということだった。
病院の職員が近隣の葬式の手伝いに行くので休みをとる。台湾
では、葬式で休むのは、家族が亡くなった時だけだ。

 地方の新聞では、有名人に限らず庶民に至るまで亡くなった
人が紹介されている。葬儀の日時、場所も書かれているので、
故人と多少なりとも縁のあった人は誰でも参列できる。台湾で
は、葬儀に参列できるのは、遺族から招待された人だけだ。

 林医師は、日本の葬式は質素で整っており、美しいと感じた。
そして、最後のお別れということで、すべての参列者に顔を見
せ、触らせもする。そして「ああ、いいお顔ですね」と言って
慰める。これも台湾にはない習慣である。

 苦悶せず、従容として死んでいった様を確かに拝見しました、
と遺族に伝え、それが遺族にとっては最高の慰めになる。この
事から、林医師は、日本人がきれいに死ぬことを大切にしてい
るのだと感じた。武士の切腹はその延長にあるものだ。

 こうした経験から、林医師はこう考える。

 日本人は死を意識しながら生きている民族であり、日常
的に経験する死の場面を文化にまで昇華させているように
思われる。そのせいか、世界第2位の経済力を持ちながら
も、日本人一人ひとりの現世に対する執着心はそれほど強
くないように見受けられる。日本人は常に無常観を抱えて
生きているようだ。・・・

 日本人は生きているうちに一生懸命に仕事をして世界最
高レベルの技術を創出しつつ、一方では、自然の摂理に融
け込みながら、死を生活の一部として淡々と取り入れ、自
分が人生の最終局面に向かい合うときにはいかにしてきれ
いに死ぬのかを考えているようである。[1,p97]

■8.日本人と中国人の決定的な違いは死生観にある■

 林医師は、日本人と中国人の違いを次のように捉える。

 日本人と中国人の決定的な違いはどこにあるのかといえ
ば、それは死生観にあるといってよい。死に対しての考え
方や死に直面したときの態度は明らかに違う。日本人はき
れいに死のうとし、中国人はいかにして死なないようにす
るか、という考え方に歴然と現れている。[1,p91]

 その昔、秦の始皇帝は3千人の男女を東の島「蓬莱」に派遣
して、不老不死の仙薬を求めたという伝説がある。その「蓬莱」
とは日本の事だという説があるが、逆に日本人からしてみれば、
それほどまでして不老不死に執着する気持ちは理解し難い。

 現世に執着する中国人は、自分の生命と金を最も大切なもの
と考える。自分の健康のためには他人の人体を薬にしたり、金
儲けのために平気で死体から臓器を取り出す。こうした姿勢か
らは、他の生命への畏敬は生じない。

 中国人とは対照的に、日本人は絶えず死を見つめ、このはか
ない命をいかに美しく生きるか、と考える。財産や権力など死
んでしまえば、何にもならない。それよりも世のため人のため
に多少なりとも尽くして満足して死に、葬式にはたくさんの人
に来て貰い、「ああ、いいお顔ですね」と言って貰うほうが、
はるかに意味のある人生だと考える。

 また生命のはかなさを感ずる所から、他の人や動植物の生命
への思いやりが生ずる。さらには人の生命を守るために、自ら
の生命を捧げる、という自己犠牲の精神もそこから生まれる。
特攻隊員たちの自己犠牲は、その最も純粋な形であった。[a]

■9.樹を植える日本人、樹を伐る中国人■

 日本の台湾統治は明治28(1895)年に始まるが、明治39
(1906)年から造林事業を奨励し、毎年100万本余の苗木を無
償で配布し、補償金まで交付した。日本統治前の清朝時代に、
ほとんどの樹木が伐採されて、ちょっとした雨でも大水や山崩
れが起こっていたためである。計画的に整備された都市の道路
は、樹を植えられて美しい並木道となった。[b]

 しかし、戦後、蒋介石の軍隊が台湾に入った時、都市道路の
並木はすべて切られてしまった。木の陰に誰が隠れているか分
からないので危険だ、というのと、伐った並木は薪にできるか
ら一石二鳥という理由だった。

 樹木の生命は人間より長い。植林したところで、自分が
生きている間に利用できるとは限らない。それでも日本人
は百年後、千年後のために黙々と樹を植える。ところが、
中国人は樹齢何千年の巨木であろうと、美しい並木であろ
うと、自分が薪として使いたいとなれば平気で伐ってしま
うのである。

 われわれ台湾人は、そのような日本人と運良く50年間
を暮らし、そのような中国人と不幸にして60年間付き合
わされ、併呑の危機にもさらされているのである。[1,p90]

(文責:伊勢雅臣)

1. 林建良 著『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』 並木書房

http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108042793.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog476.html

by thinkpod | 2006-07-07 21:51 | Books


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