2005年 12月 24日

天皇陛下、72歳に サイパン訪問「心の重い旅でした」

≪清子さん結婚に寂しさも≫

 天皇陛下は二十三日、七十二歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、記者会見し、終戦六十年にあたり今年六月、戦没者慰霊のためにサイパン島を訪問したことに関して「厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした」と振り返られた。

 十一月に長女の黒田清子さん(36)が結婚され、「これまでおかしいことで三人が笑うとき、ひときわ大きく笑っていた人がいなくなったことを二人で話し合っています」と皇后さまとお二人での生活にやや寂しさをにじませられた。


 「皇室典範に関する有識者会議」が女性・女系天皇を容認したことに関連しては、言及は控えられたものの、女性皇族の存在について「その場の空気に優しさと温かさを与え、人々の善意や勇気に働きかけるという、非常に良い要素を含んでいる」とし、療養中の皇太子妃雅子さまのご回復を待ち望まれていた。


◇【陛下ご会見の全文】
 天皇陛下
 最近、北陸地方を中心に各地を豪雪が襲い、各地に被害が生じ、死者も出ていることに心を痛めています。遺族の人に心から哀悼の意を表したいと思います。速やかに天候が好転し、人々が穏やかな生活に戻れるよう、そして負傷した人々が順調に回復していくよう願っています。


◇  (質問一)
この一年、国内外でさまざまなことがありました。陛下は病の治療を続けられながら、戦後六十年にあたってサイパンを慰霊訪問されるなど、数多くの公務に取り組まれました。初めての海外での慰霊についてのお気持ちや、かの地で感じたこと、今後の慰霊のあり方、次世代への継承などについて陛下のお考えをお聞かせください。

 天皇陛下
 先の大戦では非常に多くの日本人が亡くなりました。全体の戦没者三百十万人のなかで、外地で亡くなった人は二百四十万人に達しています。戦後六十年にあたって、私どもはこのように大勢の人が亡くなった外地での慰霊を考え、多くの人々の協力を得て、米国の自治領である北マリアナ諸島のサイパン島を訪問しました。


 そこにはこの地域で亡くなった戦没者のために、国が建てた中部太平洋戦没者の碑があります。


 ドイツ領であったサイパン島は第一次世界大戦後、国際連盟により日本の委任統治領となり、多くの日本人が移住し、砂糖産業や農業、漁業に携わっていました。


 昭和十九年六月十五日、米軍がサイパン島へ上陸してきたときには、日本軍はすでに制海権、制空権を失っており、大勢の在留邦人は引き揚げられない状態になっていました。このような状況下で戦闘が行われたため、七月七日に日本軍が玉砕するまでに陸海軍の約四万三千人と在留邦人の一万二千人の命が失われました。


 軍人をはじめ、当時、島に在住していた人々の苦しみや島で家族を亡くした人々の悲しみはいかばかりであったかと計り知れないものがあります。この戦闘では米軍にも三千五百人近い戦死者があり、また、九百人を超えるサイパン島民が戦闘の犠牲になりました。また、この戦闘では、朝鮮半島出身の人々も命を落としています。このたびの訪問においては、それぞれの慰霊碑にお参りし、多くの人々が身を投じたスーサイド・クリフとバンザイ・クリフを訪れ、先の大戦において命を落とした人々を追悼し、遺族の悲しみに思いをいたしました。


 六十一年前の厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした。ただ、高齢のサイパン島民には、かつて日本の移住者が島民のために尽くしたことを今も大切に思っている人がいることはうれしいことでした。私どもが島民から温かく迎えられた陰には、かつての移住者の努力があったことと思われます。


 このたびのサイパン島訪問に携わった日本側の関係者をはじめ、米国側ならびに北マリアナ諸島側の関係者に深く感謝しています。


 日本は昭和の初めから、昭和二十年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史を、その後の時代とともに正しく理解しようと努めることは、日本人自身にとって、また、日本人が世界の人々と交わっていく上にも、極めて大切なことと思います。


 戦後六十年にあたって、過去のさまざまな事実が取り上げられ、人々に知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により、過去の事実についての知識が正しく継承され、将来にいかされることを願っています。


◇  (質問二)
清子さんのご結婚について、現在のお気持ちと三十六年間の思い出、ご夫妻二人きりになった暮らしぶりについてお聞かせください。

 天皇陛下
 二人の結婚に対して、多くの人々が心のこもった祝意を寄せてくれたことをうれしく思います。


 二人が二年近く十分に話し合い、心を決めることができたことは非常に幸いなことでした。二人が結婚の日を迎えるまで、さまざまな面で力を尽くしてくれた多くの人々に深く感謝しています。


 清子は皇族として、国の内外の公務に精いっぱい取り組むことに心がけ、務めを果たしてきました。また家庭にあっては皇后と私によく尽くしてくれました。


 私の即位の年に成年を迎えた清子が、即位の礼には皇太子、結婚して四カ月あまりの秋篠宮とそろって出席し、私どもを支えてくれたことは心に残ることでした。


 清子の結婚後も私の日常はさまざまな行事で忙しく、今のところはそれほど変わったという感じはしません。皇后はさぞ寂しく感じていることと思いますが、今までにも増して私のことを気遣ってくれています。ただ、これまでおかしいことで三人が笑うとき、ひときわ大きく笑っていた人がいなくなったことを二人で話し合っています。清子は心の優しい人でしたが、とても楽しいところがありました。


 新しい道が二人にとって幸せなものであるよう、願っています。


◇  (質問三)
皇室典範に関する有識者会議が、「女性・女系天皇」容認の方針を打ち出しました。実現すれば皇室の伝統の一大転換となります。陛下は、これまで皇室の中で女性が果たしてきた役割を含め、皇室の伝統とその将来についてどのようにお考えになっているかお聞かせください。

 天皇陛下
 皇室の中で女性が果たしてきた役割については、私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思いますが、皇室典範との関係で、皇室の伝統とその将来についてという質問に関しては回答を控えようと思います。


 私の皇室に対する考え方は、天皇および皇族は国民と苦楽をともにすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが、皇室のあり方として望ましいということであり、また、このあり方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。


 女性皇族の存在は、実質的な仕事に加え、公的な場においても私的な場においても、その場の空気に優しさと温かさを与え、人々の善意や勇気に働きかけるという非常によい要素を含んでいると感じています。その意味でも、皇太子妃の健康が現在徐々に快方に向かっていることは、喜ばしく、一層の回復を待ち望んでいます。

【2005/12/23 東京朝刊から】
(12/23 08:46)
天皇陛下、72歳に サイパン訪問「心の重い旅でした」
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by thinkpod | 2005-12-24 16:59 | 社会


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