2005年 10月 12日

◆自民の大勝は党空洞化の始まり

【正論】 京都大学教授 佐伯啓思  平成17年10月8日(土) 産経新聞

「保守」という理念さえ葬り去る

≪二大政党制からも遠のく≫

 自民党圧勝の総選挙から一カ月がたち、選挙分析や論評などもおおよそ出そろった。民主党も「改革派」の前原氏を代表にすることで、「改革」の流れは加速してゆく。

 奇をてらっていうわけではないが、私には、その表層の現れとは逆に、この選挙は、ある意味で、そして本質的な意味で、自民党の大敗北、ほとんど空洞化の始まりであったかに見える。

 本来、保守政党である自民党は、革新派の唱える社会の急激な変革に抗し、秩序維持を保持しながらのゆるやかな変化を唱えてきた。ところが、小泉自民党は、もっとも急激な変革を唱えることで、野党をはるかにしのぐ革新的政党へと自民党を作り変えてしまったわけである。

 思想史が教えるところによると、近代社会は、まず、自由主義や社会主義(平等主義)を理念とした急進的改革をうみだした。そして、これらの思想がもたらした社会秩序の不安定や崩壊感に対抗すべく、保守主義が生まれてきたのである。

 自由主義と保守主義の懸隔は大きい。自由主義は、個人の自由を第一の価値観として、能力主義、市場競争へと傾き、保守主義は、伝統的な家族や共同体、社会秩序の保持を唱え、個人を縛る道徳や規範を重視する。いうまでもなく、社会主義(社会民主主義)は平等を重視し、福祉や弱者の権利保護を唱える。

 近代社会が生み出したこの三つの思想基軸でいえば、小泉首相は明らかに自由主義者である。そして、前原氏率いる民主党の主流も自由主義者である。

 したがって、自民党が小泉改革を是とする限り、自民、民主の二大政党は、理念としてはありえない。また、社民党や共産党からなる社会主義的(社民的)勢力はもはや対抗軸にはなりえない。こうして、今回の選挙は、二大政党制による政策選択どころか、きわめて内容空疎なお祭り選挙となるのも当然であった。

≪進歩主義への歯止め消失≫

 冷戦時代には社会主義(社会民主主義)に対抗して、保守主義と自由主義が連携していた。それが保守と革新からなる五五年体制であった。しかし、社会主義の崩壊によって、もはや、社会主義(社会民主主義)は対抗軸とはならなくなった。とすれば、本当に対立軸が構成できるとすれば、それは、自由主義と保守主義の間においてである。

 ところが、今回の選挙で明らかになったことはといえば、いまや自民党が保守政党という看板を下ろしてしまったということであった。自民党は、自由主義的改革という、今日の世界においてはもっとも進歩主義的な理念を掲げており、この果てしなき「改革」という脅迫的な進歩主義(その理念を奉じる典型がアメリカである)に対する歯止めがなくなってしまったのである。

 だが、さらにいえば、そもそも戦後日本に本当に「保守主義」というものがあったのだろうか。アメリカ的価値観の支配下にあって、自由と民主を掲げた自民党そのものも、本当に保守政党だったのだろうか、という疑念を呈したくなる。

 結局のところ、大局的にいえば、従来の自民党の「保守」理念とは、社会主義を唱える革新に対抗することであり、その実態は、社会秩序の保持という名目での、既得的な利権の確保、それに関与する政治的特権の維持という面に集約されてしまうのである。

 派閥政治や利権政治を「保守」と同一視する論理は従来「革新」が使ったものだが、今回は、小泉自民党自体が、この論理によって自党内の「抵抗派」を追い出した。

 この権力闘争が適切なものだったのかどうかは別として、危惧(きぐ)するのは、自民党内にまだしも存在したであろう「保守」という理念さえも、利権集団や抵抗派という名目で葬り去られることである。

≪望ましいのは政界の再編≫

 今後、望ましいのは、自民党、民主党ともにもう一度、分裂、再編がなされ、「保守」「自由主義」「社民主義」の三つの勢力に分かれることである。

 もし、二大勢力になるなら、「保守」と「自由主義」の対立である。そして、「自由主義的改革」がある程度進展すれば、これに対抗する本来の「保守」の理念が求められることになる。

 その時、戦後日本において初めて、「保守」とは何か、いいかえれば、今日、日本が「保守」し、子孫たちに残すべきものは何か、という問いが真に浮上する。しかし、それまでにはもう少し時間を要するようである。(さえき けいし)



2005年8月21日産経新聞16面【断】より

 堀江氏出馬と保守の変成

 ライブドア社長、堀江貴文氏が、反郵政民営化・反小泉自民党の総大将、亀井静香氏の地元、広島6区から出馬することが決まった。
 当面無所属とはいえ、対抗馬を立てない確約を得、かつ追加公認の含みを残した事実上の小泉自民党の候補者だ。
 この「究極の刺客」に関して語るべきことはいろいろあるが、最も深いレベルの指摘をしておきたい。
 自民党は郵政造反組を排除することによって、その軸足を新自由主義の方向に大きく移動させた。伝統的な社会共同体重視の保守主義から、アメリカ共和党的な個人の自律と市場競争を最重視する社会哲学にシフトしたといってよい。
 これが小泉自民党の政策思想的「純化」の意味である。この保守政治の変成に気付いている人は驚くほど少ない。
 ホリエモン出馬はかかる勢力変動と無関係ではない。私は以前から堀江貴文氏こそが日本におけるリバタリアリズムの象徴的存在であると示唆してきた。
 リバタリアニズムとは、新自由主義をさらにラジカルにした、国家権力を最小化し、社会の粗方(あらかた)の機能を自由市場のメカニズムに委ねようという思想だ。アメリカにおける保守主義の最右翼の一つと考えられており、日本では「自由至上主義」などと訳される。
 堀江氏の一連の言動を見れば、彼が自覚せざるリバタリアンであることは明らかだ。
 新自由主義に「純化」された小泉自民党は、遂に自由至上主義者にまでウイングを拡げた。この政治的、思想的意味は限りなく大きい。
 日本の保守の転機である。(評論家・宮崎哲弥)
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by thinkpod | 2005-10-12 16:10 | 政治経済


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